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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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芳泉寺
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浄土宗 総本山知恩院直末 松翁山 圓覚院
芳泉院 (上田市常磐城)

上田城を西へ徒歩5分、千曲川の旧跡「古舟の渡」を越え、北に向かう善光寺道の故地常福寺坂の上、往古、当山は左岸の三楽寺(安楽常楽長楽)と右岸の三福寺(大福常福信福)の一山常福寺として「ふくらくおうげん福楽往還」の徴憑。
慶長5年(1600年)、上田藩祖真田信之公(上田城主昌幸嫡男、幸村の兄)は、その常福寺(現芳泉寺)に下之条村の全称庵主含霊を迎えて菩提寺と定めた。
そして九度山に蟄居する父と弟のもとへ「年々信州の四季の物」等が届いたのは公の正室小松姫(本多忠勝娘、家康の養女)の心ばえであったという。
昭和平成の今日、北は秋田から南は鹿児島に及ぶ「真田六文会」の続柄不断の基礎者として、お姫様の中核的存在感は重い。
元和6年(1620年)2月24日、公は姫(大蓮院殿)の死にあって「ああ、わが家のともしび消えたり」と嘆き、当山と姫の密葬の大導師不残上人御往持の勝願寺(埼玉県鴻巣市)と真田氏ゆかりの正覚寺(群馬県沼田市)の三ヶ寺に宝筺(きょう)印塔を建立して分骨、更に当山にはお霊屋(たまや)をも造立。
そのお霊屋は信之公と倶に松代の皓月山大英寺へ。
当山本堂南の弁天池は名残の史跡。
元和8年(1622年)上田城主信之公(大鋒院殿)は長野市松代へ移封。
11月小諸城主仙石忠政公(法光院殿)が入部。
霊地常福寺を修営。
翌春正月小諸市の松井山歓喜院宝仙寺(しょうせいざんかんぎいんほうせんじ)から、父円覚院殿秀久公の遺骸を、小松姫墓北隣へ改葬。
円覚院芳泉寺と尊称、香華院(こうげいん)と定めた。
秀吉の小田原征伐の武勲者仙石氏中興秀久公は伏見城中で大泥棒石川五衛門を生け捕るなど愛称権兵衛さんで通る剛の者、秀吉は名品「千鳥之香炉」を褒美とした。
仙石氏後裔は「率土(そつと)の物品(ものしな)に非ず」と明治天皇に献上、御物(ぎょぶつ)となる。
勝願寺には雄偉な宝筺印塔がある。
山号の松翁山は忠政の子、城主政俊(晩年は直政を称す)公の法号松翁院殿(でん)の美諡に因る。
公は年少にして父忠政公を喪い、その御生涯はまさに篤信者にして精進、俗に塩田四十七池、六ヶ村堰(せき)、桝網(ますあみ)用水、網掛用水など水利土木、更には真田紐等じつに「殖産振興の藩主」の誉れが高い。
上田藩草創期の開発者仙石氏の霊廟と藩主松平氏五三桐紋付「御城主代々神儀」の古霊碑を祀る。

境内の化儀(けぎ)と四季星降る松の美しい、それは夏空に爽やかな木槿(むくげ)の花が、
               月明かりに、涼風に涼風に波打つ白萩の、そして雪明り花明かりにも
                      小松姫や武人の、趣きも深い城主の菩提寺

維時 平成8年陽春 吉祥日

(説明板より)

芳泉寺
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史跡 | 14:46:46 | Comments(0)
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