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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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上田城西櫓
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長野県宝 上田城 西櫓

上田城西櫓は、江戸時代初期の寛永3~5年(1626~1628)にかけて真田(さなだ)氏の後に城主となった仙石(せんごく)氏によって建てられ、上田城で建築当初のままに残されている唯一の建物です。
建物の大きさは、1階が桁行(けたゆき)9.85m(5間)、梁間(はりま)7.88m(4間)の大きさで、2階は桁行8.64m、梁間6.66mと少し小さくなっています。
外壁は、雪の多い地方で用いられる腰下見板(こししたみいた)が張られ、壁の上部から軒廻りにかけては防火のために白漆喰(しっくい)で柱などを塗りごめた大壁(おおかべ)造りとなっています。
窓は縦格子(こうし)の付いた突き上げ板戸です。
建物の内部は、中央に丸太材の芯柱が立ち、仙石氏の「仙」の字の焼印が押されています。
壁は柱を残して漆喰を塗った真壁(しんかべ)造りで、幕末期に補強のために取り付けられた筋交(すじかい)が見られます。
屋根は、丸瓦と平瓦で葺(ふ)いた本瓦葺で、鬼瓦には最後の城主となった松平(まつだいら)氏の五三桐紋がついています。
なお、鯱(しゃち)瓦は昭和3年に徴古館(ちょうこかん)として改修された際に寄付されたもので、江戸時代の上田城の櫓には鯱瓦は無かったようです。
西櫓は、上田城本丸の西虎口(こぐち)(出入口)を固める重要な櫓でしたが、戦争のなかった江戸時代には、もっぱら倉庫として使用されていました。
また、櫓の名称も江戸時代には特になく、「西櫓」の名称は、南櫓と北櫓が復元された後につけられた新しい名称です。
上田城西櫓は、昭和18~24年に移築復元された南櫓、北櫓とともに、長野県内では数少ない江戸時代初期の城郭建築の貴重な遺構として、昭和34年に長野県宝に指定されました。

上田市教育委員会

(説明板より)

上田城西櫓
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史跡 | 10:17:22 | Comments(0)
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