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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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松代地下大本営跡
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気象庁地震観測室(松代地下大本営跡)

第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最期の拠点として、極秘のうちに、大本営軍司令部 参謀本部 政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日午前11時着工翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9ヶ月の間に当時の金額で2億円の巨費と延3百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され突貫工事をもって構築したもので全工程の75%完成した。
ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠距離にあり、川中島の合戦の古戦場としても知られているとおり要害の地である。
規模は三階建、数百米に亘る、ペトン式の半地下建造物、舞鶴山を中心として、皆神山、象山に碁盤の目の如く縦横に掘抜きその延長は十粁余に及ぶ大地下壕である。
現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として使用され、高倍率のひずみ地震計はじめ各種高性能観測機が日夜活躍している。

長野市観光課

(説明板より)




気象庁精密地震観測室

第2次世界大戦末期に、大本営が移転・入居するために、天皇御座所をはじめとする地上建物及び地下坑道の工事が行われましたが、完成することなく終戦とともに工事は中止されました。
これらの施設を利用して、1947年(昭和22年)5月に中央気象台松代分室がここに設置されて、地震観測業務が開始されました。
1949年(昭和24年)6月に地震観測所と改称され、中央気象台の附属機関となりました。
1995年(平成7年)4月には精密地震観測室となり、気象庁地震火山部地震津波監視課の施設として現在に至っています。
創設以後、地下坑道など優れた地震観測環境と最新の観測機器の導入によって、全地球的な地震の観測・監視および精密な地殻変動の観測による調査研究等を行っており、わが国だけでなく世界的にも有数の地震観測・研究施設となっています。
また、この周辺に展開した群列地震観測システムでは、松代群発地震等長野県周辺の地震活動の監視、東海地震等の大地震発生時の気象庁本庁のバックアップ、遠地津波予報支援、及び地下核実験の探知のための観測データの提供等を行っています。
これらの観測と研究によって、地震防災、学術及び国際協力などにおいて重要な役割を果たしています。

松代地震センター

1965年(昭和40年)8月から激しい群発地震が発生し、松代町をはじめとする地元住民を恐怖に陥れました。
この松代群発地震が始まると、関係諸機関及び大学等により様々な角度から観測、調査、研究が精力的に実施されました。
これらのデータを有効に利用し、地震活動の多面的な分析と情報提供、災害対策への支援、地震予知研究の促進などのために、松代地震センターが1967年(昭和42年)2月に、関係機関及び自治体の協議体として、設置されました。
なお、松代群発地震は現在も継続しており、体に感じないような小さな地震が年間数百回程度発生しています。

(~以下・略~)

2001年1月 精密地震観測室・松代地震センター

(説明板より)

松代地下大本営跡
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史跡 | 09:05:08 | Comments(0)
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