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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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乾徳寺
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乾徳寺縁起

乾徳寺の縁起は、真田信政(のぶまさ)が上州沼田城に在城の折、正保2年(1645)二男信守(のぶもり) 照光院殿一関源心大居士 享年18歳の菩提を弔う為に、沼田に一寺を建立照光寺と称し改愚(かいぐ)和尚が住持した。
明暦3年(1657)真田信政が上州沼田より、松代二代藩主として入封の時、改愚和尚を伴い馬場町に信守の菩提を弔うため、先ず庵室を建てその数年後に現在地に移し、雲龍山照光寺を建立したがやがて改愚和尚が遷化(せんげ)して廃寺同然となる。
元文元年(1736)松代四代藩主信弘(のぶひろ) 乾徳院殿嶽一雲大居士 享年67歳が没し、長国寺第14世蜜峰(みつぽう)和尚が信弘の冥福を祈るため、照光寺を取り潰し改めて一寺を建立照光山乾徳寺と號した、依って乾徳院を開基とし蜜峰和尚を開山とした。
又、松代5代藩主信安(のぶやす)は蜜峰和尚の志を感じ、乾徳院の茶湯料として十石六斗五升一合の地所を寄進し、且つ松代6代藩主幸弘(ゆきひろ)の生母慈眼院の守本尊 魚籃(ぎょらん)観世音菩薩を寺に納める。
本尊は釈迦牟尼仏にして乾徳院(信弘)照光院(信守)天眞院(幸弘)慈眼院(幸弘生母)等の位牌が安置してある。
又、真田信弘は真田昌政の嫡男で真田勘解由(かげゆ)信就(のぶなり)の六男である、本堂横の墓地には真田勘解由家系流の五輪塔があり、勘解由家初代信就その母二代小野お通、その母初代お通及び信就夫人の墓を、東京練馬の広徳寺の墓から分霊し南一面に墓域を整えた際に、その域内の右上位に信弘の墓を移した。
また、筝曲八橋流は真田信就の母が京から伝えられたと言われている。
その古筝八橋流の正統を伝承しているのが松代の八橋流筝曲で、連綿と継承されてきた八橋流も、世間からすっかり忘れられた時期もあって、それを改めて筝曲八橋流を再興させたのが真田志んである。
志んは類稀な記憶力に長(た)けており、八橋流の全曲を甦えらせその功績により八橋流再興の祖として崇められ、正統な伝承者として昭和44年国の無形文化財記録保持者に指定され勲六等宝冠章を授与される。
真田志んも昭和51年11月永眠 享年92歳 真田勘解由家墓地に眠り、筝曲八橋流再興の祖の石碑も墓地一画に祀られている。
その志んの後息女真田淑子氏が八橋流宗家を継承して今日に至る、真田淑子氏も平成15年2月永眠 享年90歳 真田勘解由家墓地に眠る、現在八橋流筝曲は長野市無形文化財に指定されている。

(説明板より)

乾徳寺
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史跡 | 08:36:51 | Comments(0)
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