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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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追悼平和祈念碑
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追悼平和記念碑案内

太平洋戦争末期に、本土決戦に備えて大本営の移転と国体(天皇制)護持のため、軍の命令によって、防衛上の観点から選ばれた松代を中心に、大本営と皇居(舞鶴山)、政府機関と日本放送協会・中央電話局(象山)、皇族住居(皆神山・後に食料庫に変更)、賢所(弘法山)、受信設備(妻女山)などを移転する大工事が秘密裡に企画された。
1944年11月11日から45年8月15日、敗戦の日まで続けられたこの工事には、東部軍、工兵隊、熱海鉄道教習所生徒、および産業報国隊・勤労報国隊の徴用者や学徒・学童も多数動員されたが、地下壕掘削などの中心的役割を果たしたのは、当時植民地下の朝鮮(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)からの多くの強制連行者を含む約六千人の人々であった。
その工事は、厳しい監督下での昼夜兼行の強制労働で食料も乏しく、発破や落盤の事故、栄養失調で死亡したり、逃亡した者も少なくない。
さらに自殺したり待遇改善などを要求して射殺された者もおり、犠牲者は三百人とも推定されているが千人という説もある。
しかし戦後、軍部等による関係資料の焼却などにより、犠牲者氏名はほとんど不明であり、今日までに氏名が判明したのは強制連行された朴道三・金快述の他、飯場頭の趙徳秀、中野次郎の四人にすぎない。
この工事では、住民も土地を強制買収され、特に松代の西条地区では仮皇居の建設工事で、百戸以上が立ち退きを強制されたりしたが、住民や徴用者と朝鮮(韓国・朝鮮)人との関係は友好的な面もあって、そのきずなは今日も途絶えていない。
この大地下壕を中心とする「松代大本営」は、太平洋戦争と朝鮮植民地化に象徴される日本のアジア侵略の歴史と、その反省を永遠に刻む歴史的遺跡であり、この碑の建立と壕の見学が、なお残る民族差別の克服と友好親善の新たなる第一歩となることを切に願うものである。

1995年8月10日
松代大本営朝鮮人犠牲者慰霊碑建立実行委員会

(当時日本に植民地化されていた朝鮮は、現在の大韓民国と朝鮮民主主義共和国にあたる)

(説明板より)

追悼平和祈念碑
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史跡 | 07:56:07 | Comments(0)
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