■プロフィール

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
48歳
独身

■最近の記事
■月別アーカイブ
■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■Powered By FC2ブログ
■FC2カウンター

Ads by Google
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
大鋒寺真田信之霊屋
DSC00618_convert_20081113113706.jpg

大鋒寺真田信之霊屋(だいほうじさなだのぶゆきたまや)
長野市指定文化財
平成7年1月20日指定

松代初代藩主真田信之の隠居所書院跡に建てられた霊屋。
信之は明暦2年(1656)隠居し、翌3年7月、新造の隠居所に移った。
同4年(万治元年)93歳の天寿を全うして没し、遺命により、隠居所を寺とし、真田林(しんでんりん)大鋒寺と号した。
大鋒は信之の院号である。
二代信政は父より先に没したので、三代幸道の時、伽藍が建てられた。
霊屋は書院の場所に建てられ、信之の信仰していた阿弥陀三尊を本尊とした。
正面三間、奥行五間、奥行の柱間は狭く、4、5尺である。
宝形造・カヤ葺きである。
外陣の欄間には三十六歌仙画が飾られているが、残っているのは24枚である。
内外陣の柱2本が円柱で、その上に木鼻付の出組があり、ここだけが仏寺用の木組になっている。
内陣奥中央に阿弥陀三尊、向かって左に信之像(厨子入)、右に二代信政の画像を安置してあったが、明治4年、松代花の丸御殿にあった八代幸貫の像を移し、内陣奥に出張りを新造して三尊を安置し、幸貫像を左、信之厨子を中央に、信政画像を右に安置した。
この霊屋は由緒がはっきりしており、近世初期の建築で、文化的価値の高い建築物である。

平成8年3月31日
長野市教育委員会

(説明板より)

大鋒寺真田信之霊屋




史跡 | 04:34:43 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

FC2ブログ