投稿日:-------- --
新しい記事を書く事で広告が消せます。
投稿日:2008-10-27 Mon

信州柴阿弥陀堂
見真大師御旧蹟
甲越川中島戦役史跡
信州柴阿弥陀堂は、親鸞聖人(見真大師)真筆の「十字名号」を本尊として、文明年間(1469年〜1486年)に吉池彦四郎重行(法名 行西)によってこの地に開基された。
1561年(永禄4年)の第四次川中島戦役後、武田信玄は武運長久を祈願していた当堂に陣小屋を寄進・改築し、冑中の守護仏「善光寺如来御分身仏」を奉安して両軍の戦死者の霊を祀った。
それを聞いた上杉謙信は家臣を遣わして礼拝した。
当堂は歴代藩主に崇拝庇護され、1779年(安永8年)には松代藩の援助により改築された。
全国各地から多くの人々が参詣に訪れ、地域の人々からは「お柴様」と親しまれていた。
その後、昭和初期の千曲川築堤により移転を余儀なくされ、現在はこれより東方約300メートル、国道403号線沿いに移築されている。
山本勘助(道鬼)墓
山本勘助は、三河国(愛知県)の出身、26歳より諸国を巡り修業し、天文・兵法・槍術・築城術等武芸百般を体得、44歳にして武田信玄の軍師となり数々の策略を立て、上杉謙信の攻撃に備えて築いた海津城(松代城)の構築も手がけた。
1561年(永禄4年)9月10日の激戦において、信玄に勧めた「きつつきの戦法」を謙信に見破られ、武田軍は一時苦戦に陥り、勘助は責任を感じ奮戦の後討死した。
勘助の墓は初め、この南、陣ヶ瀬の東、勘助塚にあったが、千曲川の流れにより荒廃していく姿を憂い、1739年(元文4年)松代藩家老鎌原重栄・原正盛が、信玄ゆかりの信州柴阿弥陀堂境内に遺骨とともに移し、墓碑を建立した。
1809年(文化6年)には孫の鎌原重賢が、末永く墓を守るために更に石積みし、今の姿となっている。
「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会
信州柴阿弥陀堂
長野市観光課
(説明板より)

△ PAGE UP

