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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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水戸殉難志士の墓
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水戸市指定史跡
水戸殉難志士の墓

徳川時代の末、尊皇攘夷をめぐり元治元年(1864)春、「元治甲子の変」いわゆる「天狗党の変」が起った。
この年の秋、那珂湊において幕府軍に降伏した水戸藩執政榊原新左衛門等1千余の志士は、茨城古河、千葉館山、埼玉川越、東京佃島等十数カ所の獄舎、寺院に幽閉され、降伏から明治維新により救出開放される4年間に斬死、幽死、獄死した志士の数は、4百人とも5百人とも云われている。
明治2年、新政府の初代の水戸藩知事となった徳川昭武公は、明治維新の礎として殉難したこれらの志士の遺骸を収容して、常磐共有墓地の一角(現回天神社境内)に埋葬し、同所に「殉難」碑を建立、慰霊顕彰した。
大正3年、「元治甲子の変」より50年を期して斎行された慰霊祭を機に、殉難志士の氏名、年齢、死因、殉難地を調査した結果、371名について判明し、その氏名を刻して墓を建てたのが現在の1号墓所、2号墓所であり、その墓列の総延長は370余メートルと長大なものとなった。
昭和29年、この墓所は水戸幕末の英魂鎮まるところとして、水戸市指定史跡に指定され、歴史的遺産として保存が図られてきたが、近年に至り荒廃が著しく、大政奉還130年目にあたる平成9年秋、水戸市の補助、遺族、崇敬者の寄金、回天神社の拠金により改修事業に着手、平成10年春完了、往時の姿に戻したものである。
国に殉じた志士の鎮魂と、また、これを慰霊し顕彰のために建墓された先人の遺徳が偲ばれる。

平成10年3月
水戸市指定史跡水戸殉難志士の墓保存会

(説明板より)

水戸殉難志士の墓
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史跡 | 19:01:41 | Comments(0)
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