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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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靭海産物市場跡
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靭海産物市場跡

鰹節・干鰯などの干魚を商う海産物市場で 豊臣時代には生魚を商う市場とともに北船場にあった
元和8年(1622)にこの地に移り 海部堀川や永代浜の建設で大きく発展した

(碑文より)




靭海産物市場跡

江戸時代、この地には、干物(ひもの)や塩魚(しおざかな)、鰹節(かつおぶし)など、生魚以外の海産物を売り買いする市場がありました。
豊臣時代には、海産物の市場はひとつで、今の北浜のあたりにありましたが、江戸時代のはじめ、元和4年(1618)には、生魚と、干物などを扱う市場に分かれて、生魚の市場が本町のあたりに移りました。
元和8年(1622)には、干物などを扱う市場も、ここ靭の地に移ってきました。
寛永元年(1624)には、海部堀川(かいふほりかわ)という水路が開かれました。
その時に人工的につくられた永代浜(えいたいはま)が、荷あげ用の岸として使われるようになると、取引の量も増えて市場も広がり、江戸時代を通して栄えました。

大阪市教育委員会

(説明板より)




永代浜跡

靭公園のこの附近一帯は、江戸時代以来塩干魚・鰹節など海産物の市場として靭の中心をなしていた。
これらの商人が荷揚の便をよくするために寛永元年(1624)海部堀川を開削し、阿波堀川とこの川をつなぐ永代堀の屈折点を永代浜と称し、海産物の荷揚浜として賑わった。

(説明板より)

靭海産物市場跡
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史跡 | 18:42:29 | Comments(0)
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