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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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中天游邸跡
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中天游邸跡

中天游(なかてんゆう)は江戸時代に大阪で活躍した医師・蘭学者です。
天游は別名で、本名は環(たまき)といい、耕助、融とも名のりました。
天明3年(1783)に丹後に生まれ、文化2年(1805)に江戸に出て、大槻玄沢(おおつきげんたく)、稲村三泊(いなむらさんぱく)に蘭学を学び、文化6年には京都で、海上随鴎(うなかみずいおう)の塾に入って蘭学を学びました。
大阪にやってきたのは文化14年ごろで、はじめは靭本町、次に江戸堀で開業しました。
その後、当時は坂本町と呼ばれたこのあたりに移り、天保6年(1835)に亡くなるまで住んでいました。
著述や翻訳も多く、中でも『視学一歩』という本は、目のしくみについて書いた日本で最初のものです。
医者の仕事は妻のさだにまかせ、天游は思々斎塾(ししさいじゅく)という学塾を開き、いろいろな学問をひろめました。
弟子の中には、幕末に活躍した有名な医師の緒方洪庵がいます。

大阪市教育委員会

(説明板より)

中天游邸跡
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史跡 | 18:18:31 | Comments(0)
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