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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『頼 山陽と芸備の人々』
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『頼 山陽と芸備の人々』
著者:益田与一
編集:広島県警察本部警務部教育課
    機関誌『いずみ』編集部
印刷・販売:大和印刷(株)
1996年8月1日発行


第1章 頼 山陽遺響

(1)百年祭の思い出
(2)生誕―生長
(3)現代と日本外史
(4)日本外史への苦辛
(5)日本政権の概観
(6)源平そして藤原氏批判
(7)鎌倉幕府成る
(8)北条氏の功罪
(9)南北両朝
(10)南朝のもろさ
     楠木氏礼賛
(11)もろい足利政権
(12)足利氏を筆誅する
(13)後北条氏の興起と滅亡
(14)武田、上杉両氏の対決
(15)武田、上杉二将の論賛
(16)毛利氏の興隆
(17)毛利氏を論賛する
(18)織田信長の大鉈
(19)織田信長を論賛する
(20)秀吉の抬頭
(21)織田氏の末路
(22)豊臣政権の限界
(23)豊家末路の加速
(24)関ケ原の戦勝と家康
(25)関ケ原役から元和偃武(えんぶ)へ
(26)家康の生長―その人となり
(27)家康の子、孫―その栄光と悲劇
(28)家康の家臣ら
(29)家康の孫家光
(30)島原・天草の乱
(31)江戸幕府の代々
(32)日本外史の結び

第2章 頼 山陽余芳

(1)その祖母
(2)その母①
     結婚
(3)その母②
     出産―日記
(4)その母③
     育児の苦心
(5)その母④
     広島住まい
(6)その母⑤
     試練―哀歓
(7)その母⑥
     愛児の出奔
(8)その母⑦
     仁室の憐二
(9)その母⑧
     神辺の廉塾へ
(10)その母⑨
     京都へ―春水の死
(11)その母⑩
     上京
(12)その母⑪
     十旬花月帖
(13)その妻①
     若妻
(14)その妻②
     家を守る
(15)その妻③
     死別後の操守
(16)その妻④
     山陽没後の身辺
(17)その三男①
     三樹三郎の幼時
(18)その三男②
     本気に勉強
(19)その三男③
     飛躍の始め
(20)その三男④
     天性の慷慨
(21)その三男⑤
     人間形成
(22)その三男⑥
     聿庵の死を弔う
(23)その三男⑦
     維新のあけぼの
(24)その三男⑧
     刑死
(25)頼聿庵の面影(1)
(26)頼聿庵の面影(2)

第3章 頼 杏坪―精励の人

(1)運甓居―三次市
(2)しほゆあみの記
     ①慕わしい人柄
     ②吉田から三次へ
     ③出雲への山路
     ④いよいよ出雲へ
     ⑤宍道湖―大社
     ⑥お社より湖上一巡
     ⑦銀山より温泉津へ
     ⑧温泉津の情緒
     ⑨日本海に漕ぎ出る
     ⑩温泉津を別れる
     ⑪帰郷の路
     ⑫石見から安芸へ山越え
     ⑬広島へ帰着
     ⑭余録
(3)余話
     ①虎山の看た杏坪の面影
     ②宮島の大鳥居と頼 杏坪
     ③宮島の大鳥居について
     ④頼諸家の書―杏坪の詩と書
     ⑤頼杏坪の長子―采真

第4章 芸備の珠玉

菅 茶山を憶う(1)
菅 茶山を憶う(2)
菅 茶山と伊沢蘭軒
菅 茶山と北条霞亭
不遇の儒者 香川南浜
関藤藤陰
沢 三石と竹館遺事
     (1)起筆の由来
     (2)名君の大度
     (3)その美徳
縮景園
     (1)浅野氏歴代の遺構
     (2)名園のこころ
     (3)縮景園余話
浅野長勲(ながこと)―霊亀随
平櫛田中―木彫の名手
阪井虎山
     (1)賢母に育てられる
     (2)虎山―秀策―月性
     (3)虎山―月性―松陰
     (4)饒津社頭の虎山碑
     (5)比治山を臥虎山と呼ぶのは
野阪完山
     (1)西条の郷賢
     (2)鶴亭日記を読む
     (3)教育者としての完山
     (4)人間への悲願
小早川隆景を称える
     菅茶山詩(1)
     菅茶山詩(2)
葛原匂当 活字日記(1)
葛原匂当 活字日記(2)
富士川游博士(1)
富士川游博士(2)
医傑吉益東洞
眼科の先駆土生玄碩(1)
眼科の先駆土生玄碩(2)
深諦院慧雲
僧大えいの芳蹟
宇都宮黙霖
高楠順次郎
     (1)高麗大蔵経に逢う
     (2)仏教の東遷
     (3)漢訳、梵本の仏典
     (4)完成と影響
安國寺恵瓊
大石大三郎恭敬
詩僧塵庵をめぐる佳話
俳人 風律
飯田篤老と知新集
岡田 清と厳島図絵
芸備のキリシタン(1)
芸備のキリシタン(2)
悲運の武将 福島正則
     (1)正則弔魂
     (2)生い立 秀吉に随身
     (3)清洲から広島藩主に
     (4)その埋没
僧 似雲(吉野紀行)
     (1)漂泊の人
     (2)自選歌集―としなみ草
     (3)広島の人
     (4)その作歌
     (5)似雲記に続く
藩財政のなりたち
     (1)蔵元
     (2)鴻池家の起り
     (3)芸藩と蔵元鴻池
広島の心学
     (1)その始祖と勃興
     (2)広島での始祖
          矢口来応
     (3)その継承者
          奥田頼杖、中村徳水
上田宗箇と頼杏坪の出逢い
蘇東坡をしのぶ月宵の集い
     ~上田家と頼家の交遊~
白杏公子と安世大夫―敬慎斎説のこと
鈴木三重吉
     (1)児童文学の先駆
     (2)小説から児童文学へ
     (3)赤い鳥の巣立ち
     (4)その栄光
備北の栄光―希望、元宋二画伯と漢詩

第5章 竹館遺事

帝王学とは
その発端
     竹館遺事の序
その好学と練武
重晟藩主公の日常(1)
     片よらぬ文と武
重晟藩主公の日常(2)
     諸芸にも均等の留意
重晟藩主公の日常(3)
     風雅の心
藩主としての心構え
力行と倹素
     道中君臣のつれづれ
練武―社交
     寛猛の心境
老臣の述懐
     俗事の許容
仮初めならぬ心構え
     一枚の画にも人情の機微
     乗馬に託した人生訓
乗馬術による人間訓―余話
     公徳背反、使命怠慢への戒め
     私事への深慮
     制札を禁ず
愛臣の発露
     趣味もまた練心
     乗馬についての思い出
馬術奨励の余話
     乗馬の心くばり
     文武奨励の余話
公私への心くばり
     未熟者への愛情
     旧諠の尊重
     乗馬への執心(1)
     乗馬への執心(2)
臣下の風雅をいつくしむ
     礼は形より心を
     武器の整備を
     臣下を私事へ過使せぬ心づかい
     経験未熟者への心づかい
     過失への寛厚
引退後の心境
     君臣水魚の縁
     練磨の一端―馬術
     同 ― 諸技(1)
     同 ― 諸技(2)
     同 ― 諸技(3)
練武は君臣ともに
     名君の慰安とは
     江戸城中の藩主父子
     藩主父子の睦み
封建の世の秩序
     情愛に溺れぬ心構え
     お家騒動は起こりようがない
武人―心の交流
     質素なもてなし
     片寄りなき趣味
     悲しみて傷まず
     弓鉄は謡舞に優先す
鮎漁も質素に
     献上品への心くばり
     家臣窮乏への同情
     文は誠ごころと鍛錬
     武技は器具より鍛錬
即賞の采配
     武士のたしなみはかくあれ
     華美へのなげき
     傑人の面白い出逢い
わきまえ無き慢心への不言の諷諭
     平等を愛する一面
     野の芸能への愛情
     老いにも老いの心掛けを
縮景園の整美への執心
     遠来の能役者への慰労、閑談
     武芸鍛錬の者への慰労
     竹の丸会計の整理、緊縮
沢左仲(三石)の後記
     小島貞彊(さだかた)の後記
あとがき

第6章 頼 春風の逸事―その他

はじめに
頼 春風の面影(1)
頼 春風の面影(2)
頼 春風の面影(3)
頼 春風の面影(4)
頼 春風の面影(5)
行政官としての頼杏坪翁 儒者・詩人の半面(1)
行政官としての頼杏坪翁 儒者・詩人の半面(2)
学才兼備の頼杏坪翁 行政官は詩人でもあった(1)
学才兼備の頼杏坪翁 行政官は詩人でもあった(2)
菅茶山と頼山陽
頼山陽の先生の遺蹟案内
     私は観光バスガイド
     バスは遺蹟前に停車
     幽室の前に立つ
     昔を語る米搗(つ)き臼(うす)
     文豪はここで育った
     父と母―いとし児 久太郎
     大日本史の筆写献納
     病気勝ちな児―俊秀の芽生え
     出奔、幽閉―猛勉強
     廉塾から京都へ
     育児の情熱は孫へも
     やがて報いられた母の苦労
     将来への展望
宮原節庵子の詩書に逢う
     瀬多
     桑名
     荒井
     金谷
     筥根(はこね)
     墨水
頼 春水塾の会約 頼 山陽の父の人間性
     まえがき
     会約
     付記
     付録
        文武の訓
        忠孝の道
        会約を入手した側からの反応
        無題
石川丈山は広島人でもあった(1) 武士中の最高文人
     広島藩に招かれるまで
石川丈山は広島人でもあった(2) 丈山の隠遁
石川丈山は広島人でもあった(3) その漢詩
上田宗箇翁を憶う 墓石なき墓の威厳
種痘の先覚者 三宅董庵 広島杏林学会の先駆
大石大三郎良恭の広島入り 赤穂浪士総帥の三男
     大石良雄の遺族
     広島藩より意志表明
     豊岡藩側の返事控え
     徳永氏口上書 控
     徳永氏書翰 写
     栗間―徳永 交渉の覚書
     交渉覚書の続き
     徳永氏書翰 写
     石束左馬之助令状 控
大石大三郎良恭の墓誌銘 その母りく女の碑も
豊岡石束家の宗教事情 家族それぞれの信仰に
古武道難波一甫流を尋ねる
芸備武術者の芳事―細宗関(六郎)
     心伝開教諭序  那波 績
     心伝開教諭  細 義知 著
     跋文  頼 景譲(元鼎)
我が郷の武術家宍戸司箭のことなど

第7章 革新川柳家「古屋夢村」を憶う

広島に生かしておきたかった先覚者
夢村の川柳を奪うたのは戦争だ
夢村のブレーンとの縁(1)
夢村のブレーンとの縁(2)
夢村のブレーンとの縁(3)
夢村のブレーンとの縁(4)
影像句への初参加
新興川柳影像句集への案内(1)
新興川柳影像句集への案内(2)
新興川柳影像句集への案内(3)
新興川柳影像句集への案内(4)





ずいぶん以前に頼山陽の記念館で購入した本だったと思う。
が・・・650ページを超す分厚い文庫本なので、なかなか読む気が起こらなかった。(苦笑)
ようやく今回、手を出してみた。

頼山陽について書かれているのは、第1章のみ・・・
その家族などについては第2章・・・と言う感じである。
その後の章は、芸備(広島)の人々・・・ということになるだろうが、とにかく私にとっては読みづらい本だった。
多分、これは機関誌か会報などに連載していた記事など書き散らしたものを搔き集めて1冊にまとめたというような本の為ではないかと思う。
やたらと①、②、③などと細かく項目が分かれているが、それが逆に読みづらくしているのかも・・・(汗)
加えて、私にとっては全く興味のない和歌や詩などに話が及ぶとなると、もう退屈を超して読んでいて苦痛だった。(苦笑)

「芸備の人々」も、知らない名前のオンパレード・・・
途中で読むのを辞めようかなとも思ったが、いや、まてよ・・・
とりあえず頭の中に一度入れておいたほうが良いのではないかと、思い、読み続けることにした。
いつか広島へ旅行した時に、この人たちに関する史跡に出会うかもしれない・・・
その時のために、とにかく読んでおこうと思った。

が・・・基本的には、本書は地元の人向けの本ではないかと思う。(汗)
たとえば、我が茨城県の場合・・・
水戸藩の水戸光圀(いわゆる水戸黄門)なら“全国区”の人物だから、この人について書かれたものは、地元の人でなくとも結構読む気にもなるだろうが・・・
たとえば初代藩主・徳川頼房や3代藩主・徳川綱條について、あれこれ書かれても興味のない人には何の話やらさっぱり分からない・・・というのに似ているような気がする。(汗)
だから、地元の人向け・・・ということになる。

よくわからぬまま読み終えたが・・・・(大汗)
予備知識のある人や、興味のある人にとっては貴重な話が満載の本ではなかろうかという気がした。


今年の読書:71冊目



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読書 | 10:10:22 | Comments(0)
『デンジャー・クロース』


本作品はオーストラリアの映画である。
舞台はベトナム戦争・・・
ベトコンの猛攻撃を受けオーストラリア軍部隊が全滅寸前となる。
そこで後方からの支援砲撃をうけるのだが、敵と味方のスレスレのところに砲撃をしてくれるように頼んだことで、「デンジャー・クロス(極限着弾)」と名付けられたようである。
話としては、それだけのこと・・・(苦笑)
戦闘シーン、砲撃シーンは、まずまずの出来かな?
もっとお粗末な映画は多いから・・・(汗)
一応、実話をもとにした映画らしい。
どうせ実話を基にするなら、ベトナム戦争でベトナム人を大量虐殺した韓国軍をテーマにした映画でも作った方がよさそうな気がするが・・・(大汗)
一応、ベトナム戦争には米軍だけではなくオーストラリア軍も参加していたんですよ・・・という映画である。
ただただボーッと観ているだけの映画としては、いいかもしれない。

DVD | 13:36:51 | Comments(0)
古本を買いに行く
ついに拙者の“悪い虫”が騒ぎ出した・・・・(大笑)
う~ん・・・本を買いたい!(大笑)

ということで・・・
近所の「BOOK・OFF」に行く。
何年ぶりだろうか?・・・と思うくらいの“久しぶり”である。(苦笑)

ずいぶん昔から比べると、店内もかなり変わった・・・・
本よりも漫画、ゲームソフト等が店内の半分以上を占めている感じである。(大汗)
それでも結構な数の本があるので、たっぷり1時間かけて本を見て歩く。
不思議なのだが、このズラリと並んでいる本を見ているだけで幸せな気分になるのである。(大笑)

世の中には、居酒屋でドンチャン騒ぎをしないとストレス発散にならないという人がいるが・・・
拙者の場合は、本を見ているのがストレス発散の一つなのである。
しかも、なぜか古書・古本じゃないとダメなのである。(大笑)
新刊書を扱う普通の書店や膨大な本が置いてある図書館では、全然ストレス発散にならないのである。(苦笑)
何でだろう?(苦笑)

で・・・・ついつい7冊も本を買ってしまった!(大笑)
う~ん・・・気分爽快である!
ルンルン気分で帰宅する。

いい気分転換となったが・・・
またまた“悪い虫”がムクムクと・・・(大汗)
東京神田の古書店街に行きたいなぁ~(苦笑)
このコロナ下で上京するのは・・・ちょっと・・・なのだが・・・(大汗)
しかも古書買うなんて“不要・不急”だし・・・(大笑)
古書店内で飛沫が飛ぶとは思えませんが・・・我慢、我慢・・・
折角、ストレスを発散したはずなのに、東京の古書店を思ったら、またストレスが溜まってしまったような・・・(大笑)

いつでも行けると思うと、滅多に行くことはないが・・・
自粛してくれと言われると、なぜか無性に行きたくなる・・・(大笑)
困ったものである。(大笑)

日記 | 13:36:02 | Comments(0)
これは何のボタン電池?
我が家にある電池類は一つの箱に収納している。
いつでもすぐに電池交換できるようにと・・・
この箱の中に、数年前から3個のごく小さなボタン電池がある。
間違いなく拙者が買ってきたものである。
が・・・これ・・・何で買ったんだろう?(大汗)
何に使う電池なんだろう?
どうしても思い出せないのである。(苦笑)

今朝、どうも熱っぽい気がした。
もしかして・・・新型コロナに罹ったかな?(大汗)
熱が37度以上も出ているのではあるまいか?(大汗)
で・・・薬箱の中にある体温計を探す。
我が家の医療品関係のとりあえずの分は、一つの箱にまとめてある。
で・・・体温計を2本見つけたのだが・・・
すべて電池切れ!(唖然)
スイッチを入れてもウンともスンとも言わない・・・(苦笑)

説明書に載っている交換する電池の型番を見て・・・あれ?
どこかで見かけた型番である。
早速、“電池箱”から極小ボタン電池を取り出す。
やっぱり!・・・これだ!(笑)
この電池は、体温計用に買ったものだったのか!
しかし・・・何で3個も?
1本の体温計は電池1個を使い、もう1本は電池2個を使うものだった。
お~それで3個も買ったのか!(大笑)

ついに数年以来の謎がとけた・・・(大笑)

早速電池を交換して体温を測ってみる。
と・・・36.8度である。
平熱より0.6度しか高くない・・・(汗)
そのくらいで熱っぽいと感じるとはねぇ~(苦笑)
不思議である。

が・・・何で電池を買ってすぐに交換しなかったのだろう?
全く記憶なし・・・・(大汗)
新たな謎である。(大笑)

日記 | 10:09:13 | Comments(0)
三島由紀夫没後50年
今日は、作家・三島由紀夫の命日である。
没後50年ということで、TVでは、陸自東部方面総監部のバルコニーで演説する三島最後の姿を放送した。
久しぶりに見る懐かしい映像である。

三島が自決したのは昭和45年(1970年)11月25日である。
事件当時、私はまだ小学生だった。
記憶に残っているのは、自宅のラジオから流れる第一報・・・
ヘリコプターの音とヤジの声が耳に残っている。
が・・・その日は水曜日なのである。
平日ならば、私は学校に行っているはずだから、自宅でラジオを聞いているはずはないのだが・・・(大汗)
どこかの悪い人が自衛隊の偉い人を人質にとっている・・・と思ったことはよく覚えている。
が・・・事件当時は学校に行っていたはずなんだよなぁ~
風邪でもひいて学校を欠席していたのかなぁ~?
“記憶”というのは当てにならないかも・・・(苦笑)

初めて映像を見たのは、その日の夜だったと思う。
多分、夜7時のNHKのニュースではなかったかと思う。
夕食を終えてTVを付けたら三島の演説の映像が流れていた・・・
親父に「この人だれ?」と尋ねたら「作家だ」と言う。
本を書く人が何で自衛隊で偉い人を人質に取っているのだろうと不思議でならなかった。
「ついにやったか~」と親父が言ったことを今でも覚えている。

多分、翌日のことだろうと思う。
学校で先生から三島事件の話を聞いた。
当時の担任は女性の先生だったので、この話をしたのは担任ではない・・・
はて?・・・誰だったのか・・・思い出せないが・・・
「三島由紀夫は切腹して、剣の達人、森田必勝が三島由紀夫の首を斬り落としたんだよ」と興奮して語った姿は今でも目に焼き付いている。
「切腹」とは驚いた・・・「首を斬り落とした」もショックだった。
江戸時代でもないのに・・・切腹とは・・・・(唖然)

中学生になり、友人の一人からテニス部に誘われ、もう一人からは剣道部に誘われた。
どっちに行こうかと迷いながら校舎の渡り廊下を歩いて体育館に向っていた時・・・
小学校の先生が言った「剣の達人、森田必勝」という言葉が突然浮かんだ。
ん?・・・そうだ・・・剣道部に行くことにしよう!(笑)
「剣の達人」の言葉に惹かれたのである・・・(笑)

高校生の時、月刊『プレイボーイ』という雑誌に「三島由紀夫の憂国の建白書」という記事が載っているのを知った。
早速、本屋に行って買おうと思ったが、これ・・・ヌード雑誌なのである!(苦笑)
恥ずかしいので、地元を避け隣町の本屋に行って、ドキドキしながら買った・・・(大笑)
決してヌード写真を見たいのではなくて、三島由紀夫の記事が読みたいから買うのです・・・と内心ブツブツと言いながら・・・(大笑)

この記事を読んで、当時の自分の国防についての考え方と同じことに驚いた。
で・・・・この時から、ドップリと三島由紀夫にはまったのだと思う。
従兄に三島由紀夫を知るにはどうしたらよいか相談したら、「三島は作家だったから彼の小説を読めば彼がどういう人間かが分かると思う」と言われ、それから三島の小説を読んだ・・・

今でも印象深いのは・・・『憂国』である。
ちょうど夕方に読んでいたが、突然空が曇り、雷雨となった・・・
しかも・・・停電!
今は滅多に停電することはないが、当時は雷雨となると停電することが時々起こっていたのである。(笑)
薄暗くなって文字が読みづらくなったので、懐中電灯を使って読み進めたことを覚えている。(苦笑)
今でも『憂国』という書名を聞くと、あの時の雷雨を思い出す。

高校卒業の直前・・・東京で「三島由紀夫展」があるのを知り、見に行った。

img284_convert_20201204114845.jpg(当時の図録)

この展覧会は、三島没後10年を迎えるにあたって、開催されたものだと思う。
毎日新聞社が主催で、伊勢丹デパート新宿店で昭和54年1月18日(木)から23日(火)まで開催された。
当時はまだ高校生だったから、多分、日曜日に見に行ったのではないかと思うが・・・
すごい混雑だったことしか記憶にない・・・(大笑)
何を見たのやら全く覚えがないが、その時買った図録は今でも大切に保管している。

大学生になり、社会思想史の授業でレポート提出の課題が与えられたので、私は三島由紀夫を取り上げてレポートを書いた。
ある日、校内で見知らぬ大学院生から声をかけられた。
「もしかして、社会思想史で三島由紀夫のレポートを書いたのは君じゃないか?」と言われた。
「書きましたけど・・・」と言ったら「やっぱり、君か!」と言われた。(驚)
なんで、私が書いたってわかったのだろう?・・・今でも謎である。
彼は採点の手伝いをしたそうで、「先生が三島由紀夫を取り上げた学生がいたと大喜びしていたよ」と言われた。
そのせいか、社会思想史の成績はAをもらった。(大笑)

社会人になってからは、県警の公安が私をチェックしに来るようになった。(大汗)
何でだろう?(苦笑)
話題はいつも三島由紀夫と彼が作った楯の会の事である・・・
大学のOB会でも公安に会った・・・(汗)
OBの中に県警の公安に行った人がいたのである。
初対面の時・・・まっすぐ私のところへ来て「県警の公安です」と自己紹介しながらニヤリと笑った・・・(唖然)
意味深なニヤリ・・・である。(苦笑)
公安ならば、普通は自分の身分は明かさないものだと思うのだが・・・
せいぜい「警察官です」としか言わないのが普通だが、この方は「公安です」と言って私の反応を見たのだろう。
私としては、別にやましいところはないですから・・・平気ですけど・・・(笑)
2年連続それが続いたが、その後、パタリとこの方はOB会に出てこなくなった。
何でだろう?(苦笑)

三島由紀夫が亡くなってから50年かぁ~
あっという間だなぁ~
多分、あと50年経たないと、三島の言っていたことは理解されないだろうなぁ~
その時、日本はどうなっているか・・・どこかの国の“自治区”になっているかも・・・・

エッセイ | 22:00:47 | Comments(0)
力士になった夢を見た。(大笑)
昨晩見た夢・・・

拙者のもとに、相撲協会から連絡が・・・(大汗)
「表彰をするのですぐに来るように」とのことである。(大汗)
え?・・・拙者は、いつ相撲取りになったんだ?(大汗)
何やら非常に素晴らしい手柄を立てたので表彰するというのだ。(大笑)

しかし、何を着ていけばよいのやら・・・・
まさか、スーツというわけにもいかんだろうなぁ~
と・・・目の前に亡き母と父が、並んで現れた。(唖然)
いまだかつて、父母が揃って拙者の夢に現れたことはない。(汗)
どうして、仲良く二人そろって現れたんだ?

それより、和服!和服が必要である!
親父に「紋付袴を貸してくれ」と言ったら、出てきたのは馬鹿でかい家紋の入った紋付袴・・・(唖然)
「これ、家紋が大きすぎておかしいだろ!」と文句を言ったら、「それしか持っていねぇ!」と言う。
仕方がない・・・大きな家紋の入った紋付袴姿で会場に向かう・・・

場所は、ドーム型の天井の高い巨大な体育館・・・
入口のドアを開けたら、なぜか落語家の林家こん平さんがいて、「ご苦労さん!ご苦労さん!さぁ、入って!」とおっしゃる。
なんで落語家が?
こん平さんを、「師匠」と呼ばず「親方」と呼んでいる自分がいる・・・(汗)
拙者は相撲取りじゃなくて落語家になったのか?(大汗)
それとも、こん平さんが、相撲部屋の親方になったのか?(苦笑)

会場は、超満員で大盛況・・・
他の力士の後に続いて、一列になって会場に入る。
と・・・中央に、土俵が・・・
ゲゲッ!まさか、ここで相撲を取れっていうんじゃないだろうな?
ヤバイ!拙者は褌を締めていない!(愕然)

と・・・思った瞬間、目が覚めた。(大笑)

夢の話 | 16:53:22 | Comments(0)
地震だ!(驚)
夕食を食べ終え、一服していた午後7時・・・
突然、ドーンと家が揺れた!(驚)
地震である!
しかも縦揺れ・・・・家が土台からずり落ちるんじゃないかと思うほどの地震である。
あ~こりゃ、直下型だな・・・震源地は茨城県沖あたりか?(汗)
まもなく「緊急地震速報」のエリアメールが携帯に入る。
う~ん・・・今、揺れている最中なんですけど・・・(大笑)
「気を付けて」と言われても、すでに手遅れである・・・(大笑)

久しぶりに、ちょっと焦るような地震だった。
困るんだよなぁ~冬の夜に地震というのは・・・
電気、ガスが止まったら、寒くてしょうがない・・・(汗)
どうせなら、暖かい季節に来てもらいたいんですけど・・・(笑)

すぐに、東京にいる妹や姪っ子から安否確認の連絡が来た。
お~素早い反応・・・ありがたし!(大笑)

普段からチョコチョコと地震で揺れているので、どうしても気になることがある。
我が家は軸組み工法の家だから、多分大丈夫だと思うのだが・・・
これがボルトで建材をつないでいるような家だったら大丈夫だろうか?(汗)
ナットが緩んでボルトが外れるとか・・・そういうことが起こるんじゃあるまいか?(汗)
なにせ、壁の中の見えないところであるから・・・・何度も地震で揺れているうちにボルトが緩んでしまったとしても気が付かない。
で・・・ある時、大きな地震の時にドサッと家が崩れるとか・・・(大汗)
そういうことは起こらないのだろうか?
と・・・心配したらキリがないが・・・(笑)

東日本大震災から9年ほど経っているから・・・
そろそろ大きな地震が再び起こってもおかしくはないな。(大汗)

日記 | 23:43:34 | Comments(0)
『エジソンズ・ゲーム』


本作品は、エジソンの伝記映画の一種・・・
ベネディクト・カンバーバッチが発明王トーマス・エジソンを演じる。
以前、エジソンに関する本を読んだとき、その本では、この人物が結構“汚い手を使う”人間だと描かれていた。
確かに発明などはしているんだろうが・・・
果たして「発明王」と呼ばれるほどの発明をしているかどうか・・・
かなり他人の発明やアイディアをパクって自分の手柄にしていると描かれていた。
その人格についても、果たして「偉人」と言われるほどのものか・・・
と・・・いう視点で書かれていた本だったが・・・
本作品でも、その一面が描かれていた。(笑)

アメリカ初の送電システムをめぐり、エジソンと実業家のジョージ・ウェスティングハウスが対立する。
エジソンは直流で、ウェスティングハウスは交流での送電システムを提唱。
この戦いの中で、エジソンの傲慢さ、嫉妬深さがチラチラと見えて面白い。
かといって、エジソンを一方的に“悪者”としているわけでもないところが、本作品の良いところかも。

ここにニコラ・テスラという電気技師の発明家が絡んでくる。
一種の天才的発明家といっていいだろう。
彼は交流電源を提唱する人物・・・
彼を知る人なら彼の登場に喜ぶだろうなぁ~(私も喜んだが・・・)
絡んできましたか!テスラが!・・・こういう人物の絡みがある所もこの作品の見どころかな?

結局、ウェスティングハウスやテスラの交流電源が現在に至っているが・・・
これを見ると、エジソンが「発明王」としてもてはやされていることに違和感を覚える。
エジソンより、こっちの人の方が有名になっていいはずだと思うんだけど・・・

こうなると、エジソンの伝記映画というより発明家列伝、発明戦争の映画という感じ・・・
なかなか面白い映画だった。

DVD | 23:42:06 | Comments(0)
わかっちゃいるけど・・・(大汗)
山本常朝の『葉隠』の言葉・・・

人は立ち上がる所なければ物にならず。
人より頭踏まれ、ぐずぐずとして一生果たすは口惜しき事なり。
まこと夢の間なる、はっきりとして死にたきことぞかし。

人間は決然と奮起するところがなくてはならない。
人から頭を抑えられ、言いたいことも言わず、したいことも出来ずに、ぐずぐずとした一生を終わるのは、口惜しい限りである。
人間の一生は本当に夢の間である。
過ぎてみれば短いものだ。
画然とした物を持った一生でありたい。
何かを成しとげ、思いをとげて死にたいものである。

(河村健太郎著 『葉隠 一日一言』)

一生は短いということは、よくわかっているのだが・・・・
なかなかねぇ~・・・・(苦笑)
グズグズとしてしまうんですねぇ~(笑)
これは江戸時代から続く永遠のテーマなのだろうか?

エッセイ | 16:56:26 | Comments(0)
現代人に“武士”はいるか?
山本常朝の『葉隠』の言葉・・・

武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死に狂いの覚悟が肝要なり。
不断の心立て、物言い、身の取り回し、よろず綺麗にと心がけ、たしなむべし。

武士たる者は、武勇にかけては天下最高の者と自信を持ち、死に狂いする覚悟が大事である。
ふだんの心の持ちよう、物の言い方、立ち居振る舞いなど、すべて綺麗にと心がけ、たしなんでいるべきだ。

(河村健太郎著 『葉隠 一日一言』)

ネットに誹謗中傷のコメントを書き込むような人は、間違っても“武士”ではないな。(苦笑)

エッセイ | 16:45:11 | Comments(0)
江戸時代の「今どきの若い者は・・・」
江戸時代中期に書かれた山本常朝の『葉隠』の言葉・・・

今どきの若き者、女風(おんなふう)になりたがるなり。
結構者(けっこうもの)・人愛(にんあい)のある人・物を破らぬ人・柔(やわら)なる人というようなるを、よき人ととりはやす時代になりたる故、矛手(ほこて)延びず、突っ切れたる事をならぬなり。

今どきの若者は柔弱になった。
好人物、愛嬌者、事荒立てぬ者、温和な人などを、良い人ともてはやす時代になったので、積極性なく、果断なことが出来なくなっている。

(河村健太郎著 『葉隠 一日一言』)

江戸時代中期に書かれたものだから、江戸時代初期から中期にかけてのことなのだろうが、まるで現代のことを書いているような気がする。
時代は変わっていないのか?
それとも、“歴史は繰り返す”の類か?(大汗)

エッセイ | 16:31:39 | Comments(0)
幽霊か?(大汗)
夕食後、茶の間で一息ついていたら・・・・
廊下を誰かが歩く音が・・・(驚)
ん?・・・こんな時間に誰が来たんだ?(汗)
ん?・・・まてよ、玄関は鍵がかかっていたはずだが・・・

間違いなく玄関から茶の間に向って歩く音である!
誰だ?
さすがに心臓が止まる思いである!(大汗)

廊下に出てみたら、誰もいない・・・(驚)
そんな馬鹿な・・・
確かに誰かが歩く足音だった・・・
急いで家中を見て回ったが、誰もいない・・・(汗)
泥棒が入ってきたわけではないことは確かだな・・・ということは・・・(大汗)

母が亡くなって四十九日までは、ちょくちょく我が家で母の姿を見かけたことがある。
別に不思議だとも思わなかった。(苦笑)
しばらくしてから・・・あれ?母は死んだはずだよな?・・・と気が付いたが怖くはなかった。
親父が死んだときは、四十九日が過ぎても、親父らしき物音がした。
拙者が2階の自室に戻ってしばらくすると、階下でふすまの開け閉めをする音と、足音がした。
親父がトイレに行くときの音と全く同じ音・・・
ん?・・・親父め、成仏してねぇのかよ・・・である。(苦笑)
最初は泥棒が入ったかと思い家中を探し回ったが、その後、慣れてしまった・・・(大笑)
死んだ後も徘徊はするのかね?・・・・と、怖くはなかった。(苦笑)

が・・・今回は別である。
心臓がバクバク・・・である。(大汗)
さすがに怖い・・・
が・・・この足音・・・どこか我が弟の足音に似ているのである。(大汗)
ん?・・・弟の身に何か起ったか?(大汗)
しかし、縁遠くなっているので、下手に連絡をするとロクなことはない。
不愉快な思いをするだけだ・・・
何かあれば、警察から連絡が来るだろう・・・(苦笑)

それにしても、さすがにここまで心臓がバクバクするほどの思いをしたのは初めてである。(驚)
あ~気持ち悪い・・・

日記 | 22:14:20 | Comments(0)
今夜はレトルトカレー!(笑)
常磐自動車道の中郷SAでの買物のほとんどは“非常食”なのであるが・・・(笑)
拙者は、こういう買い物のときは必ず2つづつ購入することにしている。
で・・・そのうちの1つは直ちに食べる!(大笑)
で・・・美味しかったら残りの1つは“非常食”として保管・・・
美味しくなかったら、“非常食”にはせず、早めに食べてしまうことにしている。(大笑)
なぜかというと・・・
災害時に不味い非常食なんか食べたくないからなのである。
被災時だからこそ、美味しいものを食べたいのである!(大笑)

で・・・今日の夕食は、買ってきたばかりのレトルトカレー!(笑)

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「茨城カレー」・・・・そんなカレーがあったのか?
1個、540円なり。
「常陸牛ビーフカレー」と書いてある・・・
そりゃそうだ、常陸牛のチキンカレーだったら問題である。(大笑)
製造元は茨城県水戸市の会社である。
よっしゃ!・・・これが栃木県産だったら問題だ・・・(大笑)
で・・・味については、個人個人、それぞれ味覚が違うから何とも言えないが・・・
拙者としては「美味しい」という感想である。
それほど辛くない・・・どちらかというと甘口に近いかも。
で・・・気になるのが・・・キティちゃんの絵!
う~ん・・・還暦の身としてはキティちゃんのカレーを買うのには少々抵抗があった・・・(苦笑)
なんでキティちゃんの絵が描かれているんだろう?
茨城と何か関係があるのだろうか?

デザートは「プリン」である!(笑)

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「月色プリン」という名のプリンである。
これは間違っても“非常食”ではない。(笑)
レジの近くにあったので、衝動買いをしてしまったのである。(大笑)
「満月祭の町 いわき遠野生まれ」と書いてある。
製造元は福島県いわき市遠野町の会社である。
しかも・・・「コラーゲン入り」とまで書いてある。
ん?・・・コラーゲンって何だ?
お肌がスベスベになるのかな?(笑)
食べてみたら・・・甘くない・・・(汗)
あれ?・・・新型コロナにでも感染して味覚障害でも起こしてしまったのだろうかと一瞬焦った。(大汗)
食べ終わるころ・・・ジワ~ッと、ほのかな甘さが・・・
スーパーで売っている甘すぎるプリンより、美味しいかも・・・
1個、410円なり!
ただ、不思議なのだが、「プリン」は冷蔵庫で保存するものだと思っていたのだが、これは、「常温で保存してください」とのこと。
で・・・賞味期限は来年の2月である。(驚)
冷蔵庫に入れなくても、そんなにもつの?
驚きである。

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こちらは「牛たん ふりかけ」である。
1個、648円なり!
「仙台発祥」と書いてある・・・販売者は宮城県仙台市にある会社である。
当然、“非常食”として買ったわけではない。(笑)
牛タンの“ふりかけ”って、どんな味なんだろう?
明日のお昼にでもご飯に振りかけて食べてみたい。
楽しみである。

この他に・・・・
レトルトの「山形の芋煮」と「牛たん大根おろし」の缶詰を買った。(笑)
これらは“非常食”である。(笑)

昨年、ここで初めて買い物をしてから、お気に入りの“売店”となっている。
なにせ、地元茨城のほか、山形、宮城、福島のものが買えるから・・・(笑)
わざわざ買いに行くことはしないが・・・(大笑)
また機会があったら立ち寄って買い物をしようと思う。(笑)

日記 | 21:25:07 | Comments(0)
二宮尊徳先生の像
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二宮尊徳と相馬の仕法

天明と天保の両度の大凶作で、ほとんど貧困のどん底に落ちて、もがいた当時の相馬中村藩の人々に、生きる光と力を与えてくれたのが二宮尊徳であった。
幸いすでに藩主益胤が、世に「文化の厳法」といわれている藩政刷新の道を文化年間から開いてくれていた。
そこへ新しく二宮の「興国安民の法」を採用することにきまり、藩の仕事として弘化2年(1845)から、次々に相馬全域の各村々に実施されていった。
これが相馬で言う「御仕法(ごしほう)」である。
二宮の方法は、単なる農村の改良などという程度のものではない。
ひろい世界観と人生観の中から生まれた徳を以て徳に報いる「報徳」というおおらかな指導理念によるもので、至誠、分度(ぶんど)、勤労、推譲(すいじょう)という4つの徳目を実行することを柱としていた。
この新しい方法をとり入れた相馬には、仕法のもっともよき理解者であった藩主の充胤(みちたね)、藩主の師慈隆(じりゅう)が居り、家老には草野正辰(まさとし)、池田胤直(たねなお)、熊川兵庫(ひょうご)が居り、実際に仕法を指導する者には富田高慶(たかよし)、齋藤高行、荒至重(むねしげ)ら多士済々であった。
この人々が愛郷心に燃え、心を合わせて和(わ)の精神で全力を注ぐことおよそ30年、明治になって相馬の仕法は完成したのである。
二宮仕法を実施した所は全国に数多いが、とくに相馬ではほとんど理想的に行なわれたので今でも仕法遺跡が多く残っているのは偶然ではないのである。

(説明板より)


【福島県相馬市・中村城跡】



銅像 | 20:21:56 | Comments(0)
相馬中村神社
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相馬中村神社の歴史

当神社は、相馬地方の旧藩主・相馬家と深いつながりのある神社でありまして、社伝によると承平年間(931~937)に奥州相馬氏の先祖・平将門が下総国(現在の千葉県)に妙見宮を創建したことにはじまります。
奥州相馬氏初代師常公は先祖にならい下総国相馬郡に妙見宮を祀り、「平泉の役」の戦功により本領のほか陸奥国行方郡を与えられました。
6代重胤公の時代、元享3年(1323)になり相馬氏は一族郎党83騎を従え、それまでの本拠地・鎌倉下総の国流山からはじめて行方郡に移ってまいりました。
この時、神社の祠官・田代左衛門大夫信盛も鎮守妙見の神輿に遷従し、重胤に同行したのです。
妙見信仰の崇拝者でありました相馬氏は、はじめての居住地であった太田(福島県原町市)から建武3年(1336)に小高城(福島県相馬郡小高城)に居城を移した際も、またその後、17代利胤公が慶長16年(1611)に中村城に移り住んだ際も、その城内に妙見宮をお祀りしました。
この中村城内に祀られました妙見宮が現在の相馬中村神社でして、中村城域(別名馬陵城)は現在県指定の史跡となっております。
このように当神社は相馬家代々の氏神として崇敬とくに厚かったばかりでなく、その信仰は相馬地方に広がり、今日に至っております。

(案内板より)



福島県指定史跡「中村城跡」
妙見曲輪と相馬中村神社

妙見曲輪(みょうけんくるわ)は、西二の丸の一角にあり、藩主相馬氏の氏神である「妙見」を祀っている社殿があるところです。
社殿は、本殿・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)からなる権現造(ごんげんづく)りの建物で、相馬義胤(そうまよしたね)が寛永20年(1643)に建てたものです。
現在の相馬中村神社社殿は、江戸時代初期の建築様式を留めている建物として国の重要文化財となっています。

相馬市教育委員会
(説明板より)



【福島県相馬市・中村城跡】



史跡 | 19:47:15 | Comments(0)
(相馬)中村城跡
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福島県指定史跡
中村城跡

昭和30年2月4日指定
所在地 相馬市中村字北町
所有者 相馬市ほか

中村城は一名馬陵城ともいわれる。
古くこの地は天神山といわれ、中世にはその一部に館が構えられたこともあった。
慶長16年(1611)7月、相馬利胤が木幡勘解由(かげゆ)長清を責任者として築城に着手し、11月に完成、12月2日小高城よりここに移った。
以後明治初年に廃されるまで、約300年にわたる相馬氏歴代藩主の居城として、藩政の中心となった。
城の正面の東南部には外大手門がある。
ここより中門跡を経て廊下橋を渡ると内大手門跡があり、本丸に達する。
搦手門跡は、本丸の南西部に位置する。
築城された慶長16年に、天守が本丸南西隅に建てられたが、寛文10年(1670)落雷のため焼失した。
その後は再建されていない。
本丸のまわりには廓(くるわ)・濠(ほり)・溜池(ためいけ)・土塁(どるい)・空濠(からぼり)などをめぐらし、二の丸を東・西・南・北に、三の丸を東・西・北に配している。
更に岡田塁(岩崎塁)・西館・円蔵廓・お花畑・蓮池などをおき、この城をより堅固なものとしている。
本城は大規模とはいえないが、築城当時の姿をよく残しており貴重である。

福島県教育委員会
(説明板より)

028_convert_20201127165318.jpg(本丸御殿跡)

福島県指定史跡「中村城跡」
本丸及び天守閣跡

本丸御殿は、現在のフジ棚を取り囲むようにあった。
現在も諸所に礎石や庭園の配石の跡が見られる。
また、三重の天守閣は、築城時の1611(慶長16)年、本丸西南隅に建てられたが、1670(寛文10)年落雷で焼失し、以後再建されることはなかった。
本丸跡中央の相馬神社は明治13年に相馬氏の祖の相馬師常を祭神として創建されたものである。

相馬市教育委員会
(説明板より)

035_convert_20201127172820.jpg(西二の丸・籾蔵門跡)

福島県指定史跡「中村城跡」
西二の丸(西館)及び籾蔵門

西二の丸は、中世城郭の一部であり、古くは「西館(にしだて)」とよばれ、相馬盛胤(もりたね)が隠居所としたこともありました。
利胤(としたね)の中村城築城時には家臣の屋敷となっていましたが、のちに南の方は台所役所、北の方は米蔵となり、宇多郷(うだごう)・北郷(きたごう)・中郷(なかごう)の年貢が納められました。
また、火薬庫が置かれたこともありました。
籾蔵門(もみぐらもん)は、西二の丸の北側に位置し、蓮池(はすいけ)西の土橋(どばし)に続く一連の防御施設となっていました。

相馬市教育委員会
(説明板より)

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(妙見曲輪・相馬中村神社)

福島県指定史跡「中村城跡」
妙見曲輪と相馬中村神社

妙見曲輪(みょうけんくるわ)は、西二の丸の一角にあり、藩主相馬氏の氏神である「妙見」を祀っている社殿があるところです。
社殿は、本殿・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)からなる権現造(ごんげんづく)りの建物で、相馬義胤(そうまよしたね)が寛永20年(1643)に建てたものです。
現在の相馬中村神社社殿は、江戸時代初期の建築様式を留めている建物として国の重要文化財となっています。

相馬市教育委員会
(説明板より)

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(本丸鉢巻石垣)

福島県指定史跡「中村城跡」
本丸鉢巻石垣及び内堀跡

本丸の切岸(崖)は急斜面で、中段より上に鉢巻石垣が一周している。
1611(慶長16)年会津藩浪人幸田彦左衛門の指図で構築されたといわれている。
石材は、川石の自然石に割石を混ぜ、石材の小面を横に据える野面積みである。
上下の石が奥でかみ合うため口があき、明暗が生じて自然にとけこんでいる。
石垣は浜通りでは平城と中村城のみである。
本丸南面切岸の下は内堀で一部西端に遺存ずる。

相馬市教育委員会
(説明板より)

051_convert_20201128110940.jpg(南二の丸跡)

福島県指定史跡「中村城跡」
南二の丸

南二の丸は「長友(ながとも)」ともいわれています。
当初ここには重臣の屋敷や厩(うまや)(馬屋)などがありましたが、厩が東三の丸へ移され、後に常小屋(じょうごや)(営繕所・えいぜんしょ)が設けられました。
また、南二の丸北側の堀の際(きわ)には、数十株の桜が植栽(しょくさい)されていたことが記録にあります。
以後たびたび補植(ほしょく)され現在に至っています。

相馬市教育委員会
(説明板より)

053_convert_20201128111911.jpg(中の門跡)

福島県指定史跡「中村城跡」
中の門

南二の丸(長友)の東側の入口にあたり、古くは一の門、二の門がありました。
ここは外大手門のところに造られた枡形(ますがた)(防御施設)と同様の施設が用いられ、文政頃(1818~1830)までは二階建の二の門がありました。

※枡形・・・土塁や石垣で、小さな方形の空間をつくりあげたもの。

相馬市教育委員会
(説明板より)

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(外大手一の門)

福島県指定史跡「中村城跡」
外大手一ノ門

相馬義胤が武蔵(埼玉県)川越城城番のときにその城門の堅固なのに感心し、それを模して作らせたといわれる。
1649(慶安2)年の完成である。

相馬市教育委員会
(説明板より)

058_convert_20201128114320.jpg(中村城跡空撮写真)
(説明板より)



【福島県相馬市】



史跡 | 18:51:02 | Comments(0)
相馬に行く
法人会広報委員会のコラム記事のための取材・・・
当初は東京に行って・・・と考えていたが・・・
何というタイミングか、東京都内でのコロナ陽性者が急増し始めた。(唖然)
う~ん・・・この状況で東京に行くのはマズイだろうなぁ~(大汗)
わざわざ瘴癘の地に行ったのでは・・・(苦笑)

ということで、急遽、逆方向に向かうことにした。
目的地は・・・福島県相馬市である!(笑)
もう4年も連載しているコラム記事は、各地の税務署とその周辺の史跡を紹介するものである。(笑)
いつもは、旅の途中で行き当たりバッタリで取材して書いていたが、今回はそうはいかない。
現地に行ってみたら、記事にできるようなものは見つかりませんでした・・・では済まないのである。
原稿締め切り日が迫っているのである。(大汗)
で・・・いろいろ検討の末、記事にできそうなのが相馬市だったので、相馬に行くことにした。(笑)

当初は、電車に乗って行こうかと思っていたのだが・・・
調べてみたら、思ったより不便・・・(汗)
3回ほど乗り換えねばならず時間もかかる・・・
のんびりと行きたかったのだが、電車は断念して、車を運転して行くことにした。(涙)
拙者は、長距離ドライブが苦手なのだが・・・やむを得ない・・・(涙)

常磐自動車道を走る。
茨城県から福島県に入ると、片側二車線の道路が、単線となる。
前方にはトレーラーやダンプカーの長蛇の列・・・(唖然)
一気に時速60キロのノロノロ運転・・・(大汗)
参ったぁ~(汗)

途中のSAで休憩・・・
さて・・・どうやって本線に戻ればいいのかな?(苦笑)
逆走はしたくないからなぁ~(大笑)
こういう時は、徒歩で確認するのが良い・・・(大笑)
あ~あの車線に乗ればいいのかと確認して車に戻る。
いざ、SAから出て本線に向おうと思ったら、何やらETCがどうのこうのと道路上に書いてある。
ん?ETC?・・・車線を間違えたか?(大汗)
一瞬、焦ったが、どうやらETCにカードを挿入するのを忘れていませんか?という注意喚起らしい。
御親切なことはよいが・・・そっちに目が奪われてしまい・・・さて、この車線でいいの?
そっちの大事なほうが疎かになる。(汗)
これ・・・マズいんじゃないかなぁ~
注意力を逆に奪ってしまうんじゃないかなぁ~
しばらくの間、逆走しているんじゃあるまいな?・・・と不安が続いた・・・(苦笑)

ようやく無事に相馬ICに到着!(喜)
料金を払おうと思ったら・・・料金所に人がいない!(唖然)
と・・・少し前方にランプが点滅している四角い箱が見えた・・・(苦笑)
近づいたら、精算機らしい。
ゲッ・・・精算機?
そんなもの、使ったことないんですけど・・・(大汗)
拙者の車の後ろに他車が続いて並んでいる・・・(大汗)
モタモタして迷惑をかけては申し訳ないから焦る焦る・・・(大汗)

ようやく料金を支払い、そのまま前進・・・
ナビが「この先、300メートルを左方向です」と案内する。
このまま進めばいいんだなと思い車を走らせたら、なぜか右へ道路がカーブする・・・(汗)
あれれ?・・・すでに300m以上走っているが・・・
ナビを見たら・・・地図に道路が載っていない!(愕然)
どうも新しくできた別の自動車道に乗ってしまったらしい・・・(大汗)
そのうち、どんどん市内とは逆方向の山の中へ・・・(大汗)
そのうち・・・「宮城県に入りました!」とナビが・・・
宮城県?・・・・拙者は福島県に向っているんですけど・・・(大汗)

かなり走った後、ようやく最初のICで道路を降りる。(苦笑)
料金所で事情を説明しようと思ったら・・・その料金所がない!(唖然)
いきなり山道に直結である。(汗)
ん?・・・この道路・・・無料ってこと?(苦笑)
ここでUターンして、再び相馬に向っても良いが、再び相馬ICで迷ったのではマズイ・・・(笑)
拙者は方向音痴なのである。(大笑)
このまま一般道を走って戻ったほうが良いだろう。
しばらくクネクネと曲がる山道を走っていたら・・・
野生の猿が道路上で日向ぼっこをしていた!(唖然)
どけよ!・・・なんと車を恐れず悠然としているのには呆れた。
山猿が路上で日向ぼっこしてるって・・・とんでもねぇ山奥に来てしまったようである。

ようやく市内に入り、相馬税務署に到着!(喜)
が・・・予定より1時間も遅れたせいか・・・
ちょうど太陽は税務署の真後ろに上がっていた!(涙)
逆光である!(涙)
やっちまったぁ~

014_convert_20201127122202.jpg(相馬税務署)

四苦八苦して、なんとか写真を撮り終える。(苦笑)
隣にあるコンビニで肉まんを買って、遅い昼食をとる。

続いて、近くの史跡・・・中村城に向う。
実は12年前に水戸藩士の“シミズくん”と行ったことがあるのだが・・・
断片的にしか記憶がない・・・(涙)
なんと記憶の悪い男か・・・(苦笑)
昔ながらの鍵の手の狭い道路を右へ左へと曲がりながら走る。
で・・・近くまで来ているのだが・・・入口が分からない!(大汗)
12年前に来たときはどこに車を停めたのだろう?
全く記憶がない・・・
結局、城跡の周囲を1周してしまい、ようやく、このあたりが駐車場の入口かなと思い、車を突っ込んだら、やっぱり駐車場だった。
よくよく苦労して、ようやく到着!

019_convert_20201127161939.jpg(中村城跡)

城跡を散策するが、記憶は断片的で、まるで初めて来たような感覚である。
たった12年しか経っていないのに、もう忘れているとは・・・・(大汗)

とりあえず、天気にも恵まれ、無事に写真も撮れた。
これでコラム記事は書ける。
城跡を歩きながら、すでに構想は練ってある。(笑)
再び車に乗って一路、自宅へ向かう。

常磐自動車道・・・
以前、バカが“煽り運転”して逮捕されたことで一躍有名になったが・・・(苦笑)
運転していて思うのは、煽られても仕方がないような運転をしている連中が多いこと・・・(汗)
無理な車線変更や無理な割込み・・・
そのタイミングでは、普通はやらないだろう・・・ということをやる連中が多い。
また、追い越し車線を延々とノンビリ走っている奴・・・
そこは追い越し車線だろ!走行車線を走れよ!
と・・・ついつい怒鳴りたくなるほど邪魔である。
煽られた被害者は、本当に“被害者”と言えるだろうか?
煽られる方にもかなり問題があるんじゃないか?

茨城県に入り、中郷のSAで休憩・・・
1年前に、ここに来たことがある。
ここの売店でお買い物・・・(笑)
昔は、そういうことはしなかったが、最近、こういう出先での買い物が楽しみの一つとなっている。
いつものスーパーでは同じものしか買えないので、スーパーには置いていない缶詰やレトルト食品を災害時等の“非常食用”として買うのである。(大笑)

当初の予定では、陽が暮れる前には帰宅するはずだったのだが・・・
道に迷ったおかげで(ナビがあったにもかかわらず・・・汗)、完全に陽が暮れた後の帰宅である。
こんなことなら、帰宅途中、水戸藩士の“シミズくん”を夕食に誘えばよかったと後悔・・・(苦笑)
12年ぶりの中村城訪問の報告もしたかったし・・・
う~ん・・・長時間のドライブで疲れすぎて頭が働かなかった・・・(涙)

旅行 | 18:30:46 | Comments(0)
『 1917 命をかけた伝令 』


時代は、第一次世界大戦下の1917年・・・
場所は西部戦線のフランス・・・
主人公は、ドイツ軍と戦っているイギリス軍の2人の兵士・・・

この2人が突然伝令を命じられる。
前線から後退したドイツ軍を追撃する部隊に対して、それがドイツ軍の罠であり、行く先にはドイツ軍の砲兵部隊が待ち構えているという情報に基づき、この追撃を中止せよ・・・という命令を最前線に届けるという任務である。
話としては、非常にシンプルである。(笑)
ただ、それだけの話・・・(笑)

本作品の見どころは、このストーリーではなく、映像である。
オープニングから長回しの映像・・・
切れ目がない。
いわゆるワンショットとかワンカットと言われる映像が延々と続く。
これ・・・俳優がセリフを間違えたら最初からやり直すのか?・・・と余計な心配をしてしまうほどの映像である。
実際は、ワンカットのように見せる上手な長回しをしているのだが、それでも、やっぱりすごい映像である。

第1次大戦の戦い方は“塹壕戦”であるが、これを細切れに撮影したのでは塹壕のすごさがわからない。
長回しで延々と切れ目なく続く映像で、塹壕のすごさがよくわかる。
これは長回しの最大の効果だろう。

当初、主人公と思っていた人物が、戦死しまうというストーリーに一瞬驚く。
また、主人公が有名俳優ではないところが、リアリティがあって良い。
最前線でドイツ軍を追撃する部隊の指揮官は、誰もが知っている有名俳優のベネディクト・カンバーバッチなのだが、彼が出てくるシーンは短い・・・(笑)
なんという贅沢な使い方か・・・(笑)

塹壕の中で疲弊している兵士や、敵の砲撃下の中を突撃する兵士たちはエキストラなのだが、彼らの“演技”が、これまた素晴らしい。
誰も手抜きをしていない・・・それぞれがキチッと演技をしているのである。
何百人ものエキストラなのだが、大したものである。
ずいぶん昔に日本の映画かドラマで関ケ原の戦いのような大規模戦闘のシーンを見たことがあった。
これがあまりにもお粗末だったので、さすがに白けてしまった覚えがある。
なにせ、死者として横たわっているはずのエキストラが画面の隅で腕枕で横になっていたり・・・(唖然)
メインの戦闘者は本気で戦っているが、後ろのほうに写っている連中は、ほとんどやる気なし・・・というところが丸見えだった。(唖然)
しかし、この映画にはそれがない。
中心人物を見ず、その近くの人物、遠く後ろに写っている人物たち、誰を見ても違和感のない演技をしているのである。
完璧である。
非常にリアルに仕上がっている。
プロの俳優もすごいが、素人のエキストラもすごい・・・

セットの出来も素晴らしく、イギリス軍の塹壕とドイツ軍の塹壕の違いもはっきりわかる。
腐った死体などは、あまりにもリアルすぎて、大丈夫か?こんな映像を出して・・・と焦るほどである。

決して、ストーリーがお粗末というわけではないが、映像を楽しめる映画ではないかと思う。

この映画のDVDには特典映像が入っている。
一つは、監督による説明が付いているものと、もう一つは撮影担当者による説明が付いている特典映像である。
本編は約2時間の映画なので、同じ映画を3回見ることになるので、特典映像まで見ると計6時間も観ることになるが・・・(大汗)
この解説付きが、これまたいい・・・
長回しの話等、裏話が満載である。
撮影担当者の解説では撮影に使った機材にまで話が及ぶ。
映画を作る人たちには非常に参考になる解説ではなかろうか?

とにかく驚いた・・・という映画である。

DVD | 13:52:55 | Comments(0)
『海軍航空隊、発進』


まえがき

大空をめざして
  一本勝負で海兵パス
  「飛行学生を命ず」
  霞ヶ浦航空隊へ赴任
  烏や鳶になるなかれ
  きりつめた訓練の日々
  単独飛行許さる
  海軍航空隊の中心
  空母への着艦訓練
  至難の夜間着艦
  「赤城」乗組の辞令
  戦技で操縦磨く
  壮観な戦艦主砲の射撃
  接敵、射撃、兵器整備
  欲心が事故を誘発する
  大演習始まる

年一度の大異動
  全将兵が気分を一新
  母艦群杭州湾へ突入
  敵飛行場を猛爆
  真剣勝負の模擬戦
  常に仮想敵をおく
  機種による戦闘能力の差
  空戦性能をめぐる大論争
  一流戦闘機を集めた実験
  海軍対陸軍の空中試合
  陸軍機を圧倒す

機種選定問題
  三菱機と中島機の対決
  武人大西瀧治郎
  重慶爆撃で激論

航空主兵論
  大艦主義に疑問
  非難覚悟で論文提出
  大西大佐もバック・アップ

統帥とは何ぞや
  寺本少将の問題提起

海戦における飛行機の役割
  進歩著しき航空技術
  まず空母を撃破せよ
  名将山本五十六元帥のこと
  制空権獲得戦法
  空母攻撃の手段は
  九六式陸攻の誕生

源田サーカス誕生
  アクロバット特殊飛行
  難業「背面宙返り」

第二連合航空隊参謀に任命
  盧溝橋事件勃発
  中国空軍を軽視
  青島を現地偵察
  戦闘の火蓋切らる
  敵機「出雲」を爆撃
  新田少佐と大西教頭
  台風ついて出撃
  南京を空襲
  攻撃目標見えず

決戦の機いたる
  転進命令下る
  生まれて始めて弾丸の洗礼
  ベッドに直撃弾
  膠着化した戦況

作戦命令第1号
  甘かった状況判断
  水偵機の活躍
  南京に進撃開始
  敵戦闘機隊を発見
  10対1の撃墜比率
  零戦装備への戦訓

大空の英雄たち
  超人古賀一空曹
  2機で12機を翻弄
  ヒーロー死す
  もう一人の至宝
  豪勇間瀬空曹長の奇策
  パネー号事件の真相

解説 秋本 實 (航空評論家)


本書は著者の体験記。
海軍航空隊の黎明期から日中戦争の頃までの話である。
だから題名が「発進」なのだろう。
なにせ、複葉機のころの話なのだから珍しいといえば珍しい。
著者が出会ったパイロットなどの話なども、これもまた面白い。
戦記となると、どうしてもかの有名な零戦が大いに活躍する日米開戦後の話が主流となるが・・・
その直前の話も興味深いものがある。

本書の最後に「パネー号の真相」と題した一文が載っていたのには驚いた。
なんという偶然だろうか?
先日読んだ『日中全面戦争と海軍~パナイ号事件の真相』の“パナイ号”の話である。
この本は、思想が左に傾いた人が書いたものらしく、この事件は日本海軍の航空機が米国船籍の船を故意に爆撃した事件で、「誤爆」などというのは日本軍の詭弁だと断じている。
船の屋根に大きく星条旗が描かれていたのだから、見落とすわけがない・・・と言う。
さて、これに対して本書の著者は当時、爆撃を行った部隊の航空参謀だった人。
航空攻撃の立案から実施までかかわっている。
この事件を「故意の爆撃」との説に対して、「故意に行われたものでは絶対にないことを保証する」と真っ向から反論し、当時の状況について“真相”を語っている。
これが当時の航空参謀の“自己保身”と一蹴してよいものかどうかは微妙なところである。

混乱した戦場に不鮮明な標識(甲板上の星条旗は薄汚れていたという)のまま交戦国の艦船と見間違いやすい行動を取ったパネー号(パナイ号)にも責任の一端があると言う。
「日本軍のみが非人道的であり、日本のみに戦争を惹き起こした責任を負わせるのは真実を曲げるものである」とかなりのお怒りである。
どちらが正しいかはわからない。
パネー号(パナイ号)の甲板上(船橋の屋根?)に描かれた星条旗が、どの程度の大きさで、どの程度汚れていて、とっさに判別するのが難しかったのか、または判別しやすかったかは、当時の写真でもなければ、証明のしようがない。
しかし、その地域が戦場である以上、誤爆だろうが故意だろうが、そこにいること自体が間違いだったのではなかろうか?

期せずして、この事件についての当時の航空参謀の意見も聞けて良かった。


今年の読書:70冊目



読書 | 15:06:33 | Comments(0)
コラム記事・・・どうしよう・・・(大汗)
今日は、広報委員会・・・
久しぶりに顔を合わせての会議である。(嬉)
前回は、新型コロナ禍対策で、会議をせずに会報の発行を行なった。
おかげで会報の内容が“薄く”なってしまった感がある。
今回も・・・というわけにもいかないので、感染対策を施したうえで、ホテルの個室を会場にして開催された。

委員長から「連載のコラム記事・・・どうなってますか?大丈夫ですよね?」と言われてドキッ!(大汗)
前回は、取材に出かけていないので、コラム記事は“お休み”とさせていただいたのである。
で・・・連続2回も連載を休むというのは・・・ちょっと・・・マズイか・・・(大汗)

取材予定地として頭に浮かぶのは東京の某所・・・
現地に足を運んで写真を撮って、記事を書くのだが、どういう記事に仕上げるかは頭の中に構想が出来上がっている。
が・・・東京ねぇ~(苦笑)
“瘴癘の地”には行きたくねぇなぁ~(大笑)

「じゃぁ、よろしく!」と言われたら、やるしかないか・・・(涙)

日記 | 15:58:31 | Comments(0)
交番から電話が・・・(汗)
突然、駅前の交番から電話が・・・・
「特に何らかの事件というわけではないんですが・・・」と言う。(苦笑)
そうでしょうね・・・拙者は何も悪いことしていませんから・・・(大笑)

「最近、詐欺が多いので、クレジットカードを渡すとか、そういうことはしないでください」というお話だった・・・
そこまで拙者はボケてはいませんが・・・(笑)

と・・・「おたくは・・・どなたでしょうか?」と言う。(汗)
「ん?・・・誰に電話をかけたの?」
尋ねてみたら、母の名前を言った・・・(唖然)
「あのぉ~・・・母はすでに死んでますけど・・・」(苦笑)
「あ・・・これは失礼しました、とにかく詐欺には十分ご注意ください」と言って電話が切られた・・・

で・・・尋ねるのをうっかり忘れたのだが・・・
拙者の母は13年前に死んでいるのである。
一体、何の名簿を見て電話をかけてきたんだろう?(苦笑)
かなり古い名簿ではなかろうか?(大汗)
ご丁寧に電話をかけるのは結構だが、我が家と同様に「すでに死んでいます」の回答が多いかも・・・(笑)
これでは警察の“恥”になるのではなかろうか?

う~ん・・・これ、担当部署はどこだろう?
生活安全課か?地域課か?
うちの警察署には何課があるのか知らない・・・(大汗)
刑事課と交通課くらいしか知らないが・・・・(苦笑)
今度、会合で担当課長に会ったときに、言わねばなるまい・・・(大笑)
13年も前に死んでいる人間に電話をするなって・・・(大笑)

日記 | 20:53:33 | Comments(0)
二年に一度のピアノの調律
今日は、二年に一度のピアノの調律に調律師の“キムラさん”が来てくれた。
2年ぶりの“再会”である。(笑)
拙者の家にあるピアノは妹のもの・・・
妹が小学生の頃に購入したものなので、もう50年ぐらい経つ“年代物”だが、この当時に作られたピアノは、なかなか出来がいいのだという。
で・・・妹が嫁いでからは、ピアノを弾く人がいなくなったので、年に一度の調律を2年に一度にして今に続いている。

この新型コロナ禍で、外出自粛を余儀なくされているから、さぞかし自宅にピアノがある人は、ピアノを弾くことが多くなったのではなかろうか?
ということは・・・調律師さんもピアノの調律で大忙しなのではなかろうか?
と・・・思っていたら、そうではないのだという。(汗)

逆に調律を頼む人が減ったという。
この新型コロナ禍で、ピアノを弾くという心の余裕さえ失ったのだろうか?
と・・・思ったら、そうでもないらしい。
つまり、拙者のように、自分ではピアノを弾かないが、一応、調律だけはしておこうという人が、この機会なので、もう調律をするのをやめてピアノをそのまま放置することにした・・・・という人が増えたのだという。(唖然)

“見直し”というのは、大事なことだとは思うが、何もこの時期に“見直し”をしなくてもいいような気がしますが・・・(大汗)
災害が起きると、「心を寄せて・・・」とか「寄り添って・・・」などという言葉が過去に流行したが・・・
こういう新型コロナ禍の時には、この言葉は出てこないのか?(苦笑)
しばらくの間、この騒動が落ち着くまでは、“見直し”をせず、従来通り、何も変えないということが出来ないのだろうか?
調律師さんも生活がかかっているんだし・・・
そういう“心を寄せて・・・”は、無いんだ・・・

ピアノを弾く妹や姪っ子たちも、我が家に来る機会は滅法減った。(汗)
姪っ子たちも大きくなると、“おじちゃん”より“彼氏”が優先か?(大笑)
来ても1泊するか、日帰りか・・・だからピアノを弾く機会はないに等しいが、もし、弾いてみようかなと思ったときに、大きく音が狂っていたらかわいそうである。(笑)
やっぱり、当分の間は、このまま2年に一度の調律を続けることを“キムラさん”に伝える。

2年に一度の調律だと、代金もそれほど高くはない。
24か月で割ったら、1か月の“調律代”は数百円という微々たるものである。
支払えないような金額ではない。(笑)
普段の生活で、それ以上の“無駄遣い”をしているはずだから、そちらを見直せば、対処可能である。(笑)

それに、大きく狂ってから調律するより、2年に一度、チョコチョコッと調律しておいたほうがいいだろう。

日記 | 20:51:46 | Comments(0)
『あゝ南十字の星~生と死のニューギニア戦記~』
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『あゝ南十字の星~生と死のニューギニア戦記~』
著者:柳沢玄一郎
発行:神戸新聞出版センター
    昭和54年8月15日
定価:1,200円

まえがき

独立工兵第15連隊の戦歴経過

東部ニューギニア、ギルワ陣地方面の慰霊巡拝

慰霊の辞(昭和54年2月)

第1章
自 昭和15年5月
至 昭和17年5月

1、入隊と部隊赴任
2、南支那での作戦作業と大戦突入準備
3、マレー半島上陸と進撃小話
     六根清掃
     前線追及
     医者か軍医か
     戦車夜襲決死隊
     日本人の老婆
     国語読本
     敵弾雨下のゲマスの架橋作業
     不意の敵機来襲と子猿のミッキー
     捕虜にしたイギリスの敗残兵
     ジョホール水道をにらむ
4、ジョホール水道渡河と鬼神山本兵長の最期
5、シンガポール陥落
6、陥落直後のシンガポール市内の情景と勅使降下
7、北部スマトラ島の戡定
8、昭南神社建立と長期現役軍医許可

第2章
自 昭和17年5月
至 昭和18年11月

9、F・S作戦参加への出陣と補充兵受領
10、東部ニューギニアに向かう
11、先発隊上陸進撃
12、デネギの敵軍堅陣に激突(敵将捕虜第1号)
13、イスラバの敵軍堅陣の迂回進撃
14、オーエン・スタンレー山脈帯峠の保健予備隊(涙の前線撤退)
15、宿命のギルワ陣地専守防衛配備と死闘(世界で最も頑強な戦闘)
16、玉砕命令―転進命令(患者収容隊長)
17、分散転進、クムジ河口集結と脱出
18、ラエの警備駐留
19、連隊長代行ラエ地区防衛守備 部隊長会議への出席
20、ナサブ平原の偵察行(横山大佐退任)
21、ラエ地区終末の攻防とマーカム河の白髪の老人
22、ブソ河吊橋占拠、爆破と苦難のサワゲット山脈越え
23、軍命による東部ニューギニア戦線離脱(撰連隊長戦死)

第3章
自 昭和18年11月
至 昭和21年6月

24、パラオ島集結と連隊の補充強化
25、西部ニューギニアに向う
26、甲機関の編成と宣撫工作隊
27、残忍無残、悲哀無情
28、第125兵站病院庶務主任
29、無聊解消の実弾射撃大会
30、終戦、処理
31、ホーランジア派遣作業隊
     野戦病院長
     作業隊員の毎日の食事
     ガソリン・タンクの大爆発火災と尊い僚友の犠牲
     高橋准尉の瀕死の重傷
     戦犯容疑(武器隠匿の罪)
32、内地帰還

あとがき

参考文献

筆者年齢時軍歴在任地略年譜


本書は、独立工兵第15連隊に、日米開戦前の昭和15年に20歳で入隊した軍医の体験記である。
通常、工兵隊は“裏方”“縁の下の力持ち”で、あまり著名ではないのだが、この部隊は、とにかく工兵部隊の中でもダントツに著名な部隊である。
中国大陸で活躍し、日米開戦後はマレー半島に上陸してシンガポール攻略戦に参加する。
以前、現地を訪れた時に、この部隊の活躍した場所を何か所も訪れたので、本書を読んでいて、この時の景色が頭に浮かんで楽しかった。
のち、この部隊は、東部ニューギニアに転戦し、ほとんど壊滅に近い損害を受けてパラオに後退し、再編成される。
これまた東部ニューギニア、パラオも行ったことがある場所なので懐かしく読んだ。
部隊の再編成後、今度は西部ニューギニアに進出して活躍する。
その間、ずっと軍医として軍務についていたのだから、著者は運の強い人なのだろうなぁ~
そもそも「軍医」は「医者」なのだが、しかし、「軍医」と「医者」は、根本的に違うところがある。
「医者」であることより軍命に従う「軍医」であることが優先される。
これが、本人にとっては、ちょっと苦しいところかな?
どうしても矛盾が生じるから・・・

本書には地図や戦後の慰霊巡拝時に撮影された戦跡の写真等がかなり掲載されていて、資料的価値も高い。
通常の個人的体験談だけが書かれた手記とは、ちょっと違うかもしれない。
勉強になる本である。


今年の読書:69冊目



読書 | 23:05:27 | Comments(0)
『こころに剣士を』


本作品は、フィンランド、エストニア、ドイツの合作。
舞台は第二次大戦後の1950年代、ソ連の占領下のエストニアである。
主人公は、第二次大戦当時、ドイツ軍の一兵士として戦った男・・・
ソ連の秘密警察は、そういう過去を持っている人間を探し出しては捕まえていた。
彼は、秘密警察から身を隠すため、エストニアの田舎町にやってきて、小学校教師の職を得る。
彼は、実は子供の相手をするのが苦手・・・
どうして、子供の相手が苦手な人が小学校の教師を選んだのかは知らないけど・・・(苦笑)
もともと、この男はフェンシングのスター選手だったらしい。
子供たちにせがまれて、フェンシングのクラブを立ち上げ、フェンシングを教えることになる。
ところが、ある日、ソ連のレニングラードでフェンシングの全国大会があることを子供たちが知り、ぜひ参加したいと彼にせがむ。
さて、大変である・・・
レニングラードに行けば、秘密警察に捕まりかねない。
さて・・・どうするか・・・
結局、子供たちの希望を受け入れて、レニングラードに行き、全国大会に出場することとなったが・・・
ハラハラ、ドキドキものである。
・・・という話なのだが、この話は実話を基にしているのだそうだ。

本作品の映像美、素朴な温かい雰囲気と、その真逆のハラハラドキドキ感と・・・
おや、どこかで感じたような・・・(汗)
監督の名を知って驚いた。
偶然にも、先日観た『ラスト・ディール 美術商と名前を亡くした肖像』と同じクラウス・ハロ監督の作品だった。
『ラスト・ディール』のほうは2020年の作品で、この『こころに剣士を』は2016年の作品で、こちらのほうが先に作られたものである。
なるほど・・・この雰囲気・・・話の展開・・・さもありなん・・・である。(笑)
この監督・・・いい作品を作るなぁ~

本作品の前、2011年には『ヤコブへの手紙』という作品も作っているらしい。
どういう話か知らないが・・・ちょっと観てみたい気分である。

本作品は安心して観られる良作であると思う。

DVD | 22:07:40 | Comments(0)
『ノモンハン 隠された「戦争」』


刊行によせて
     駐日モンゴル大使 S・フレルバートル

プロローグ
     「ノモンハン事件」ではなかった

第1章 断筆
     司馬遼太郎のノモンハン

第2章 衝撃
     5万枚のロシア極秘文書

第3章 開戦
     「5ドルの価値」もない戦場

第4章 粛清
     「モンゴル要塞」の完成

第5章 殺戮
     ハルハ河への旅

第6章 虜囚
     それぞれの戦後

第7章 未完
     消えない傷跡

エピローグ
     いま日本で起こっていること

資料
ロシア国立軍事史公文書館 1939年 関東軍(捕虜関係を含む)に関する文書総録

主な参考文献

あとがき


本書の著者はNHKの人・・・
「NHKスペシャル」などの特集番組のディレクターなどを担当していたらしい。
本書は、昭和14年に起こった「ノモンハン事件」の現地を取材した「取材記」である。
「ノモンハン事件」は満州国とモンゴルの国境紛争だが、満州国を支配していた日本とモンゴルを衛星国としていたソ連による日ソ国境紛争という面もある。
ということで・・・日本軍とソ連軍が国境線を巡って戦った。
が・・・現地を取材してみると、果たしてこれが「事件」と呼べるものだろうかと著者は疑問を呈する。
確かに、それはいえるかも・・・

この「取材記」は、なかなかの力作だと感心するが・・・
問題は、最後のエピローグである。
「国旗・国歌」法を批判、教科書検定問題にまで話が及ぶ。
本文中には、これまた偶然だろうか、先日読んだ本と同じく「アジア太平洋戦争」の言葉が出てくる。
あらら・・・やっぱり、この人も思想が左に傾いている人だったのか・・・(大汗)

「取材記」だけで済ませておけば、いい本なんだけどなぁ~
著者の思想まで語ってしまったのでは興ざめである。
非常に残念・・・・

やっぱりNHKだな・・・と思う。
私は、ここ二十数年、NHKのドキュメンタリー番組は観ないことにしている。
番組の取材を受けた方から「ぜひ観てください」と言われた時だけは、仕方がないので観るが・・・(苦笑)
それ以外は、番組の内容が非常にひどいので観ないことにしている。
事実の中に嘘をちりばめるという手口が常態化しているように思える。
昔は、まだマシだったのだが・・・年々、ひどくなっている気がする。
何も知識がない人は信じちゃうだろうなぁ~(大汗)
最後には、左に傾いた思想に従い、“ある方向”へ誘導するという構図・・・
「ブルータス、お前もか・・・」である。(苦笑)
やっぱりねぇ~・・・である。(大汗)
NHKのディレクターは、最後に、こういうことを書くんだ・・・(大汗)
どうしても一言、言いたくなるんだろうなぁ~
「取材記」が良いだけに、非常に残念である。
“自主規制”すればよかったのに・・・(大汗)


今年の読書:68冊目



読書 | 00:14:05 | Comments(0)
『日中全面戦争と海軍~パナイ号事件の真相~』


序章 パナイ号を忘れるな!

Ⅰ章 パナイ号撃沈される

1 1937年12月12日
     誤報におどる日本国民
     南京城最後の攻防戦
     「日本軍にパナイ号の位置を報せたし」
2 南京―ワシントン―東京
     パナイ号の通信途絶える
     パナイ号爆撃される
     恐怖の脱出行
     レディーバード号事件
     「橋本を和県に上陸させるな」

Ⅱ章 日中全面戦争と海軍

1 日中戦争を拡大した海軍
     盧溝橋事件と海軍の拡大方針
     幻の和平工作と大山事件
     「狼になりつつある海軍」
2 「膺懲」のための全面戦争
     第一次近衛声明と南京渡洋爆撃
     優柔不断な近衛首相
     戦火拡大一途の海軍
       (1)南京渡洋夜間爆撃
       (2)中国の海上封鎖
       (3)華南の中国軍艦ならびに海軍基地の攻撃
     ヒューゲッセン事件
     「卵と巣を狙え」―戦略爆撃の思想
3 国民精神総動員
     「憲政はサーベルの前に屈し終えんぬ」
     戦時動員体制になだれ込む国民
       表1 流行歌発売一覧 1937年7~11月

Ⅲ章 海軍軍備拡張のための戦争

1 海軍はなぜ狼になったのか
     大海軍主義をゆく海軍
     1年前に計画された海軍の全面戦争作戦
     「航空が実績をあげてみせる」
2 南京空襲作戦―日本を世界に孤立させた海軍
     「南京空襲の壮挙を決行」
     史上初の爆撃演習
     世界に孤立する日本
       表2 海軍航空隊空爆日誌 1937.8.14~11.16
     ブリュッセル会議とトラウトマン工作
3 なし崩しに開始された南京攻略戦
     南京攻略に反対した参謀本部
     軍紀頽廃の部隊を南京攻略へ
     南京攻略戦の前哨戦だった南京空襲

Ⅳ章 パナイ号撃沈の真相

1 南京攻略戦と海軍
     南京大虐殺に加わった海軍
     海軍航空隊の南京攻略作戦
2 海軍機はなぜパナイ号を撃沈したか
     出撃―情報・指令・操縦士の意識
     パナイ号発見―第1弾が致命傷に
     パナイ号への波状攻撃
3 「誤爆」か「故意」か
     星条旗を見なかったという「嘘」
     「誤認」断定への疑惑
     必然的な「誤爆」

Ⅴ章 パナイ号事件の衝撃―日本・アメリカ

1 対立する日本の指導者たち
     日米国交断絶の危機
     海軍と陸軍の対立
     近衛首相と広田外相の不仲
2 日本国民の謝罪運動
     「ボクらも悲しいパネー号」
     パナイ号見舞金
       (1)学校教育関係
       (2)女性、婦人団体
       (3)海軍省
       (4)親米組織・団体
       (5)学術・文化・産業界の有識者
     「円満解決」の実相
3 アメリカ国民の抗議運動
     パナイ号撃沈・南京大虐殺報道
       (1)パナイ号事件の第一報
       (2)故意による爆撃だった―生存者の証言報道
       (3)日本軍はアメリカに敵対した―写真報道旋風
     日本商品ボイコット運動の展開
       (1)各地日本領事の報告
       (2)ボイコット運動の思想
     内務大臣に報告されたボイコット呼びかけ文

終章 日米戦争への序曲

1 ゴールのない総力戦へ
     失敗だった南京攻略戦
     「爾後国民政府を対手とせず」
     海軍航空兵力の大拡張
2 対日戦争に備えるアメリカ
     アメリカ海軍の拡張へ
     英米海軍の提携
3 日米戦争への構図―戦争指導と国民

注記

あとがき


本書を読みだしてすぐに、おや?・・・と違和感を感じた。
もしかして、本書の著者は、思想的に左に傾いている人ではなかろうか?
読み進めていくうちに、やっぱりねぇ~・・・となる。

「パナイ号事件」については、歴史的に、あまり重要視されてはいない。
以前から、この事件については簡単には知っていたが、単なる「誤爆」ということしか知らなかった。
「パナイ号事件」とは、日中戦争初期の昭和12年に、揚子江で日本の海軍機が米国の砲艦を爆撃、撃沈した事件である。
日本軍の南京攻略戦に係る事件の一つらしい。
日本海軍機はこの砲艦を中国兵が乗船しているものと思い、攻撃してしまったらしい。
いわゆる「誤爆」である。
しかし、著者の見解では、「誤爆」ではなく、米国船であることを知っていてわざと攻撃したという。
確かに、その説もあり得ないこともないかも。
たとえ“左翼”が言おうが誰が言おうが、可能性としてはあり得るかもしれない。
パナイ号は、米国旗を船体の屋根に大きく描いていたから、その星条旗が見えなかったわけがないと著者は書く。

この攻撃をした飛行隊の中の戦闘機部隊に原田要さんという方がおられた。
氏は、「パナイ号は当時米国旗を掲げていなかった」と戦後に証言しているそうだ。
氏とは、以前、一緒にハワイへ行きミッドウェイ海戦の日米合同慰霊祭に参加したことがある。
4年前に99歳でお亡くなりになられたのだが・・・
本書が書かれたのは平成9年(1997年)だから、原田さんはまだお元気だった頃である。
何で、当時の関係者に著者は尋ねなかったのだろう?

日本側は誤爆したことを認め、米国に謝罪し賠償金を支払った。
日本国内では女性や婦人団体が「お詫び運動」を展開して、幼い子供までが「ごめんなさいね」の手紙を米国に送ることまでしていたことを本書で知った。
しかし、米国では「日本商品ボイコット運動」が起こったという。
ただの「誤爆」で政府が謝罪しただけで済んだ話とは違うことを知っただけでも本書を読んで損はなかったとは思うが・・・
この「パナイ号事件」が、日米戦争の序曲ともなる重大事件だったという視点も理解できないこともない。
が・・・気になるのは、ここにさらに“南京大虐殺”が持ち出されている点である。
たしかに、南京攻略戦に係ってはいるだろうが・・・
“大虐殺”を持ち出すとは・・・(汗)
だいたい“大虐殺”だったかどうかも怪しいとされているのに・・・・
「日本軍の中国女性に対する凌辱行為が、中国国民の対日敵愾心をわきたたせ・・・」などと書かれると、おやおや・・・である。
日本軍は悪、米国や中国は善・・・という構図がここでも現れる。(唖然)

不思議なのは、文中に「アジア・太平洋戦争」という言葉が現れることである。
「太平洋戦争」でもなければ「大東亜戦争」「日中戦争」でもない。
一体、誰が考え出して流布している名称なんだろう?
思想が左に傾いている人たちが、よく使う言葉である。

本書は、「話半分」程度に思って読んだほうが良いだろうと思った。


今年の読書:67冊目





読書 | 21:19:39 | Comments(1)
『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』


本作品は、フィンランドの映画である。
そのためなのだろうか、アメリカの映画と比べると映像の雰囲気が違うのである。
ちょっと重厚さがあって、シックな感じに私には思える綺麗な映像である。
主人公は美術商の老人・・・
永年店を経営していたが、商売がうまくいっていないのだろう、そろそろ店を売りに出して手放すか・・・という時・・・
そこへ孫息子の職業体験を娘から依頼される。
いい、迷惑である。(笑)
しかも、この孫息子・・・半グレっぽいのである。
観ていて、ちょっと不愉快な気持ちになるほどのガキなのである。(大汗)
オークションの下見で、この主人公の老人の目に留まったのが、1枚の絵画・・・
作者名が無い肖像画であるが、この老人はどうしても気になって仕方がない。
ひょっとして、ひょっとするかも・・・
オークションで、この絵を落札しようとする。
一世一代の最後の勝負である。
ここで活躍したのが、半グレの孫息子・・・・
この展開が面白い。
オークションのシーンは、観ていてハラハラドキドキものである。
意外な展開がいくつも起こり、面白いストーリーだった。
なかなかの作品である。

DVD | 20:20:13 | Comments(0)
WEBサイトの辞め時が来た
先日、ホームページのデータを更新して上書き保存した。
で・・・翌日、ホームページソフトを立ち上げたら・・・
306MBあるはずのデータが、なぜか286MBしかない!(汗)
20MBも減っている!
前日の作業ページを呼び出したら・・・ページが真っ白!(唖然)
作業前から載せていた写真も文章もすべて消えていた!(大涙)

まさかの大トラブルである。
が・・・原因がわからない。
それにしても20MBも消えているというのは問題である。
どうも前日に上書き保存したページ以外にも、かなりのページの中身が消えていると思う。
拙者のホームページはページ数がやたらと多くて友人たちから「見切れない」と不評なホームページなのである。(苦笑)
その膨大なページすべてをチェックするには、かなりの時間と手間がかかるだろう。

現在、公開しているWEBサイトのデータを逆にダウンロードすることで、とりあえずは元に戻せるかとは思うが・・・
それを上書き保存した時に、すべてのページが真っ白になる可能性がないとは言えないだろう。
ここは下手に動かず、現在公開しているままにしておいたほうがいいだろう。
原因がわからぬ以上、やむを得ない。

このWEBサイトは16年ほど続けてきたので、もうそろそろ辞め時かもしれない。(苦笑)
今までサイトの更新に費やした時間と手間を他のことに費やしたほうがいいのではなかろうか?
ということで・・・
今後のWEBサイトの更新は中止、サイトは閉鎖せず、そのまま放置することにした。

未公開の過去約5年間の写真や資料があるので、これを公開できないのが残念ではあるが・・・(苦笑)
突然、管理者の拙者が死んだと思えばいいのである。(大笑)

日記 | 21:56:06 | Comments(0)
地元産ではない納豆・・・(涙)
拙者は、ほぼ毎日、納豆を食べているが・・・(笑)
時々銘柄を変えて、変化をもたせながら食べている。
で・・・ちょっと“浮気”して、別の銘柄の納豆を選ぶと先日のように糸を引かない“不良品”に当ることもある。(大笑)
が・・・それもまた、ご愛敬である。
お気に入りは某メーカーの納豆。
これは美味しい。(笑)
「水戸」と書いてあるので、当然、地元産のものだと思って、今まで食べていたが・・・

たまたま普段は目もくれないパッケージの小さな文字を読んでみたら驚いた!
「水戸」とは書いてはいるが、製造地を表しているわけではないと明記されているのである。(汗)
「本場・水戸で人気がある納豆」ということであって、水戸で作った納豆ではないと書いてあるのである!(唖然)
水戸でアンケートを取ったら、「好きな納豆」に選ばれた・・・ということだそうだ。
ほとんど詐欺みたいなもので・・・・(苦笑)
勘違いを起こさせるように、わざと仕組んだろうなぁ~(大汗)
まぁ、美味しいから何の問題もないが・・・・(笑)

製造会社は愛知県所在の会社で、製造した工場は群馬県館林にある工場である。(大汗)
う~ん・・・・茨城県じゃない!(大汗)

その昔、「地産地消」という言葉が流行したが・・・あれは、どこへ行ったのだろう?(大汗)
地元でも納豆は製造しているだろうに・・・
拙者が利用しているスーパーマーケットには地元産が置いていない・・・(涙)
スーパーマーケットが地産地消を阻んでいるのかも・・・(苦笑)

日記 | 21:54:23 | Comments(0)
『ドゥーリトル日本初空襲』
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1942.4.18
ドゥーリトル日本初空襲
著者:吉田一彦
徳間文庫
1997年7月初刷
定価:552円+税

第1章 アメリカの復讐
        一石の波紋
        作戦前の戦況
        東京空襲計画の発端
        軌道に乗り始めた計画
        乗員の確保と訓練
        部隊の結成と機密の保持
        機動部隊の編成
        最終段階に入る準備
        焼夷弾搭載
        情報の収集
        モー・バーグとドゥーリトル
        ハルゼーの登場
        ハルゼー・ドゥーリトル会談
        中国の状況
        パール・ハーバー以前の日本爆撃計画
        日独連係の恐怖
        嫌がる蒋介石
        作戦参加を希望するドゥーリトル

第2章 出撃
        陸軍パイロット空母に着任
        出撃1日前(4月1日)
        出撃当日(4月2日)
        ハルゼーのあせり
        目的地は「東京」
        未知への挑戦
        爆撃目標の研究
        「皇居の爆撃を禁ず」
        先頭機はドゥーリトル
        シェンノートの怒り
        手違いの発生

第3章 攻撃開始
        荒海を航行する機動部隊
        第16機動部隊
        高まる緊張
        出撃前の儀式
        迫り来る出撃
        爆撃行の心構えと最終のチェック
        不意の敵発見
        機動部隊発見さる
        攻撃隊発進
        砲撃を開始するナッシュビル
        全速離脱―マレー沖の亡霊
        相次ぐ敵船発見
        長渡丸の奮戦
        ニミッツの不安と憂慮
        機動部隊帰還
        アメリカ側の得た教訓
        日本側の状況―海軍の防衛体制
        敵機動部隊発見
        危機を脱した観測船
        航空隊の出撃
        水上艦艇の出撃
        爆撃当日の東京は防空演習下
        危機迫る東京―陸軍の防衛体制

第4章 東京上空30秒
        映画の世界
        一路東京へ
        機体放棄
        ドゥーリトルの本国帰還
        名誉勲章の授与
        シャングリラ
        運命の転機
        混乱するマスコミ
        爆撃続行
        ソ連に抑留された8番機
        激化する日本軍の反撃
        ドゥーリトル隊員の運命
        淵田美津雄の改宗
        処刑の余波
        大統領の作為
        電波の戦い
        ドゥーリトル爆撃のテコ入れ
        広報活動の一環
        大統領の怒り
        アメリカの恐怖
        ルーズベルトの矛盾

第5章 回想
        爆撃の効果
        ドゥーリトル空襲の結果
        グルー大使の日記
        獄中での体験
        英国人の見たドゥーリトル空襲
        平常と変わらぬ一日
        戦場と化す本土
        凧とB25
        伊藤整の日記から
        平田留三(神戸市在住)の回想
        トーランド夫人の回想
        電気が走ったような衝撃
        撃墜したのは9機(=空気)
        悔しがる宇垣
        捕虜の尋問
        動揺の続く日本
        謎のソ連船
        ソ連を頼みとするアメリカ
        捕虜の処遇
        「捕虜飛行士の殺害」
        戦争犯罪人の処罰

第6章 戦局への影響
        思いがけぬ2つの戦果
        パール・ハーバー以後の作戦
        山本長官の決心
        対策に追われる陸軍
        防空組織の改変
        東條首相の乗機とすれちがったB25
        ミッドウェー作戦発動
        日本側からの反論
        アメリカ軍内部の状況
        思いがけぬ贈り物
        MO作戦の開始
        暗号解読による秘めたる勝利
        伊号124潜水艦
        次第に解明されるMO作戦
        アメリカの危機
        MO作戦の終結
        サンゴ海海戦の効用
        ミッドウェー海戦への影響
        「イギリスの戦い」を勝利させたドゥーリトル
        ドゥーリトルと100オクタン
        100オクタン対87オクタンの戦い
        ニューヨーク・タイムズの賛辞

第7章 その後の展開
        中国の状況
        浙江省方面の航空根拠地覆滅作戦の開始
        蒋介石の怒り
        ハルプロ計画の中止
        ビルマ・インドの状況
        ホーネットの最期
        強運のエンタープライズ
        アメリカ本土初空襲
        風船爆弾による報復
        「ふ」号作戦
        思いがけぬ成果
        細菌戦争の恐怖
        風船爆弾の犠牲者

第8章 ドゥーリトルという男
        「空のスタント・マン」は「計算ずくの危険の達人」
        カリフォルニア生まれのアラスカ育ち
        垣間見た外の世界
        ロサンゼルスでの生活
        少年時代の関心
        陸軍に入隊したドゥーリトル
        初陣は東京空襲
        空の暴れん坊
        ビリー・ミッチェルとドゥーリトル
        アメリカ大陸横断飛行
        勉学に励むドゥーリトル
        理論と実践の結合
        シュナイダー・トロフィーの獲得
        南米旅行
        逆宙返りに挑戦
        世界初の計器飛行達成
        退役後のドゥーリトル
        現役に復帰のドゥーリトル
        難航する処遇問題
        ヨーロッパ転出のドゥーリトル
        アイゼンハワーとドゥーリトル
        北アフリカ戦線での活躍
        アイクとの関係改善
        戦略爆撃の威力
        戦艦「ローマ」を取り逃がす
        ローマ爆撃
        パットンとの友情
        「ドゥーリトル空港」
        第8空軍司令官に就任
        強大な空軍力
        ビッグ・ウィーク
        ベルリン空襲
        黄昏のドイツ空軍
        D-ディ(ノルマンディー上陸作戦)
        ドゥーリトルとウルトラ
        バナマン事件
        危機に瀕するウルトラ
        地上攻撃への協力
        ドゥーリトルの予言
        バルジの戦い
        定まらぬ方針
        ジェット機の登場
        戦略爆撃の評価
        ナチス要人の証言
        戦略爆撃調査団の報告
        太平洋戦線への転出
        対日戦終了までのドゥーリトル
        マッカーサーの不機嫌
        マッカーサーとの対立
        戦後の活動
        ドゥーリトルとCIA
        以後の活動
        部下との再会
        人間の心はランプ
        ルーズベルトの役割
        以後のドゥーリトル

資料
B25の軌跡
B25J型の諸元
アメリカ空軍の組織上の変遷

あとがき

解説  友安一夫(日本大学教授)
1、愛読者カードがとりもつご縁かな
2、本書の性格―歴史の「消費者」運動の希望の星
3、著者吉田一彦氏とその著作への期待

参考文献 英文
参考文献 日本文


ドゥーリトルの東京空襲のことは知ってはいたが、本書を読んでみたら、それほどよく知っていたわけではなかった。
「東京空襲」だと思っていたのだが、東京以外の場所も攻撃していたのである。
というわけで・・・「日本初空襲」という題名に納得。
またこのドゥーリトルという人が、どんな人なのか、本書を読んで初めて知った。
ただの軍人・・・“飛行機野郎”というだけの人ではない。
大いに勉強になる本だった。


今年の読書:66冊目



読書 | 23:48:35 | Comments(0)
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