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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
いつの間にやら63歳!
独身生活63年!(大笑)
チンピラに注意をしたら「うるせえ!ジジイ!」と言われ愕然とする。(大汗)
拙者は「ジジイ」なのか?
頭に来たので、当然、このバカを懲らしめてやった。(大笑)
拙者をジジイと呼ぶとは失礼だ。(大笑)

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古い雑誌に李登輝さんの話が・・・
昨日、台湾の元総統である李登輝氏がお亡くなりになったという。
97歳だったとのこと。
当然、拙者は氏にお会いしたことはない。
が・・・一度だけお会いするチャンスがあったが、なんとなくミーハーぽいのでやめたことがある。
“有名人”に会って、一緒に写真を撮って、それを自慢するという人達と一緒というのもいかがなものか・・・
みっともない・・・という気がしてしまったのである。
今思うと、やっぱりお会いしておけばよかったかなぁ~と思ったりするが・・・(汗)
いや、いや、やめてよかったんだ・・・と、やっぱり思う。

拙者の部屋の本棚に古い『文藝春秋』が鎮座している。
いつのものかと、ふと気になって手に取ってみたら、2007年のものだった。
ということは・・・13年間も本棚に“飾って”いたのか?(大汗)

で・・・ページをペラペラとめくってみたら・・・
(実際にはページが張り付いてしまっていてバリバリとめくったのだが・・・)(大笑)
なんと!
李登輝氏の投稿記事が載っていたのである!(驚)
なんというタイミングだろう・・・

李登輝氏が2007年の6月に日本に来た時におこなわれた講演をもとに加筆修正されたものだという。
この記事の題名は『中国よ、だから私は靖国に行く』・・・・
副題は『亡き兄の参拝にまで屁理屈をいう中国人の腹の底とは』・・・となっている。

李登輝氏はこの年の6月に初めて靖国神社を参拝したという。
なぜならば、兄がここに祀られているからである。
李登輝氏(日本名は岩里政男)は京都帝国大学にいたが、その後、志願して陸軍の高射砲部隊に入隊して台湾の高雄に派遣されている。
氏の兄の李登欽は、日本名を岩里武則といい、台湾での最初の志願兵として海軍陸戦隊の上等機関兵になった。
その兄は昭和20年の春にフィリピンのマニラで戦死・・・
靖国神社に岩里武則として祀られているという。

李登輝氏の父親は県会議員だそうで、95歳でお亡くなりになったというのだから、長生きの家系なのかもしれない。
この兄が生きていれば、自分より政治的に大きな仕事をしたのではないかと氏は言う。
生きていれば、お兄さんが総統になっていたかもしれないなぁ~
だから、戦争はしないほうがいいと拙者は思うのである。
そういう将来のある若者が死んでしまうのだから・・・・
戦争で戦うのは、この先、どうにもならないような還暦を迎えた拙者のような“高齢者”だけが殺し合いをすればいい。(大笑)

この記事では「2007年とその後の世界情勢」として、今後の見通しを述べており、非常に興味深い。
13年もたって振り返ってみると、その“読み”が、結構、“当たっている”もしくは“当たらずとも遠からず”なのである。
「アメリカの衰弱とロシアの拡張」・・・などもなるほどね・・・である。
「中国の経済問題」も同様で、今の香港問題なども、そういうことから、こういうことになったのかもしれない・・・と納得できる、お話なのである。
(直接、香港とは名指しはしていないが・・・)
「外資が減少すると中国は沿岸地域の資金を内陸部に移転することが難しくなる」
(沿岸地域には香港が含まれるのではないか?)
「これまで地方政府の経済行為を効果的に管理することができず、(略)中央政府の政治支配力を強化し、人事の統制によって経済をコントロールしようとするでしょう」
(まさしく、香港の話ではなかろうか?)

さすがは総統になるような方である・・・・すごい・・・

このような古い雑誌を読み直してみると、あれこれ書いている割には全然的外れな話だった、“読み”が大外れだった・・・ということがわかる方や・・・
今では、どこに消えてしまったのやら・・・という方もいたり・・・(大汗)
面白いものである。

買った当時は、たぶん、サラッと読んでしまっていると思うが、こうして改めて読み直してみると、その言葉の重みを感じる・・・
すごい人だったんだなぁ~と改めて思った・・・・
李登輝氏のご冥福をお祈りする・・・

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日記 | 21:09:05 | Comments(0)
『特攻長官 大西瀧治郎』


 まえがき

体当たりをやるほかない

「死の踏絵」を踏まされた甲飛十期生

指揮官関行男大尉は予定の人身御供

大西長官の訓示

玉井副長、中島飛行長と、特攻隊員たち

一波は動かす四海の波

国を以て斃るるの精神

戦闘機無用論・戦艦無用

大佐、少将も戦死せよ

蛮勇

宿命の一航艦司令長官就任

「特攻教」教祖

負けて目ざめることが最上の道

戦争継続一本鎗の軍令部次長

二千万人特攻か降伏か

 あとがき

 参考文献

 解説 特攻作戦指導者の戦後の証言  妹尾作太男


元海軍少尉(海軍兵学校74期)出身の著者・生出寿(おいで・ひさし)さんの文章は読みやすくて私は好きなのだが、残念ながら平成18年にこの世を去られている。
読者によっては、著者が自分の意見や見解を入れすぎていると、嫌う人もいるようだが、私は、逆にその見解が的を得ているので好きなのである。(笑)
本書の主人公である大西瀧治郎は「特攻隊の生みの親」とされているが、その“定説”は本当だろうか?
どうみても、その他の人物達から“押し付けられた”としか思えない。
その“その他の人たち”に対して著者は、かなり手厳しい書き方をしているが、当然だと思う。
また、大西瀧治郎に対しても、辛口の評価をしている部分もある。
人間には色んな面があるのだから、良い面もあれば悪い面があるのは当然だろうと思う。
ただ、悪い面があったとしても、最後には責任者の“一人”として自決したのだから、この点は評価されてしかるべきだろう。
“その他の人たち”は、もっともらしいことを言っていた割には、戦後、その責任を取らず、余生を家族と共に生きているのだから・・・
なにも自決することばかりが責任の取り方ではないとは思うが、戦後、他人事のように振る舞う彼らには不快感を覚える。


今年の読書:44冊目



読書 | 11:16:18 | Comments(0)