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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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大石良雄外十六人忠烈の跡
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東京都指定史跡
大石良雄外十六人忠烈の跡
所在地 港区高輪1の4、6~16
標識 大正7年4月
指定 昭和30年3月28日

この地は、赤穂事件で大石内蔵助良雄ら17人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。
赤穂事件とは、元禄14年(1701)3月14日におこった殿中刃傷事件とその翌年12月14日夜から15日にかけての吉良邸討ち入り及びその一連の事件のことをいいます。
当時の藩主5代綱利は、老中稲葉丹後守からの御預けの命を受けると、大目付仙谷伯耆守の屋敷に総勢875人の藩士と駕籠を送り引渡しを受けます。
このような大部隊を送ったのは、大藩の威武を示すとともに、上杉家の襲撃を警戒したためといわれています。
細川家は、大藩の威厳と識見をもって優遇し、御預四家の中で即日引見したのは細川家だけでした。
元禄16年(1703)2月4日午後2時、上使の御目付荒木十左衛門政羽と御使番久永内記信豊から切腹の申渡しを受け、大石内蔵助が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有り難き仕合に存じ奉り候」と礼を述べました。
切腹の場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を負った位置でした。

平成24年3月建設
東京都教育委員会

(説明板より)


【東京都港区高輪1-16-25】



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史跡 | 23:05:27 | Comments(0)
高輪消防署二本榎出張所
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東京都選定歴史的建造物
東京消防庁高輪消防署二本榎出張所
所在地 港区高輪二丁目6番17号
設計 越智 操
建築年 昭和8年(1933)

明治41年7月1日、第二消防署二本榎出張所として発足、昭和8年12月28日に現庁舎が竣工した。
建物は、鉄筋コンクリート造りの地上3階建てで、海抜約25メートルの位置にあり、当時は周囲に高い建物もなく、東京湾を眼下に眺望できた。
1階の腰壁は御影石(花崗岩)の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げとなっている。
また外壁はクリーム色の磁器タイルで覆われ、玄関部分はすべて御影石で造られており、扉は木製となっている。
3階の円形講堂は8本の梁(はり)が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になった独特の意匠である。
第一次世界大戦後の近代的なドイツ表現主義という建築様式で、曲線と曲面をモチーフとした力強く流れるような躍動感のあるデザインを特徴としている。
3階から上は円筒形の望楼(ぼうろう)となっており、昭和46年まで火災の見張りに使用されていた。

東京都

(説明銘板より)


【東京都港区高輪2-6-17】



史跡 | 22:36:30 | Comments(0)
高輪神社の力石
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高輪神社の力石

社殿前の左右に1個ずつ置かれた力石です。
力石は、腕力や体力を鍛えるために重い石を持ち上げて「力競べ」、あるいは「曲持ち」を行った際に使用した石で、江戸時代には、神社の祭礼などに奉納のため盛んに行われました。
ひとつは「奉納」「五拾八貫目」「芝伊皿子町 仁右衛門」「麻布□□町 喜三郎」の文字が刻まれた長径80センチメートル、短径46センチメートル、厚さ28センチメートルの安山岩製で、区内にある重量が刻まれた力石の中では最も重いものです。
他のひとつは、前者とほぼ同じ大きさですが、上部が一部剥落しています。
「□拾貫目」「芝入横町 石右衛門」「芝町丁 岩右ヱ門」の文字が刻まれています。

平成9年3月11日 港区文化財綜合目録登録
港区教育委員会

(説明標柱より)


【東京都港区高輪2-14-18・高輪神社】




史跡 | 22:14:18 | Comments(0)
泉岳寺・主税梅
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主税梅

大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅と伝えられています。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 22:05:32 | Comments(0)
泉岳寺・義士墓
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義士墓解説

赤穂城主浅野内匠頭長矩は、士道を弁えぬ吉良上野介義央の仕打ちに抗して刃傷に及びし咎により即日切腹を仰せ付けられた。
家臣はこの処断に承服せず、筆頭家老大石内蔵助良雄を統領に四十七士が結束して主君浅野内匠頭長矩の無念をはらすため元禄15年(1702年)12月14日本所吉良邸に討ち入り主君の辱めを雪ぎ、その墓前に吉良上野介義央の首級を供へ成就を報告し、敢えて官に裁きを求めた。
義士一同は、12月15日夕刻細川家(17名)、松平家(10名)、毛利家(10名)、水野家(9名)の四家に預けられた。
翌元禄16年2月4日、幕府は苦心の末、武士の体面を立て、切腹せしめた。
直ちに主君の墓側に各々四家に分けて葬られた。

附記 遂道退身信士(寺坂吉右衛門)、刃道喜釼信士(萱野三平)の墓は供養墓で在る。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 21:45:45 | Comments(0)
泉岳寺・義士墓入口の門
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義士墓入口の門

この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 20:54:05 | Comments(0)
泉岳寺・首洗い井戸
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首洗い井戸

義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 20:46:52 | Comments(0)
泉岳寺・血染の梅と石
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血染の梅・血染の石

浅野内匠頭が、田村右京大夫邸の庭先で切腹した際、その血がかかったと伝えられている梅と石です。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 20:37:20 | Comments(0)
泉岳寺の梵鐘・鐘楼
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梵鐘・鐘楼

大正2年、四十一世普天霊明(ふてんれいみょう)和尚代に作られた鐘で、朝の坐禅の時と夕方の閉門の時に撞いています。
また江戸から明治まで使われていた梵鐘は、現在ウィーンの国立民俗博物館に所蔵されています。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:58:56 | Comments(0)
泉岳寺・本堂
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本堂

旧本堂は第二次世界大戦で空襲にあい消失。
現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。
ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また、大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが祠められています。
本堂では坐禅・読経などの修行が住職をはじめとした修行僧により厳粛に勤められています。
正面に掲げられている「獅子の吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指します。

(説明板より)


萬松山 泉岳寺

泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
道元禅師の主著は仏教の神髄を表した「正法眼蔵」という95巻に渡る書物です。

さて、泉岳寺は慶長17年(1612年)に「門庵宗関」(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝情して徳川家康が外桜田に創設した寺院です(現在のホテルオークラの近く)。
しかしながら、寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。
そして現在の高輪の地に移転してきました。
時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹波・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。
浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。

一般的には赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶2百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-1-1・泉岳寺】



史跡 | 19:45:38 | Comments(0)
大石内蔵助良雄銅像
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大石内蔵助良雄銅像

この銅像は、浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したものです。
内蔵助が、当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:37:38 | Comments(0)
泉岳寺・山門
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山門

この門は、天保3年(1832年)、三十四世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建されたものです。
二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめ込まれています。
「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書です。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:24:26 | Comments(0)
泉岳寺・中門
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中門

元来、泉岳寺には三門といって三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています。
現在の中門は天保7年(1836年)三十五世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたもので、昭和7年に大修理を施されています。
「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖道霈(いりんどうはい)による書です。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:06:55 | Comments(0)
姪っ子のライブを聴きに行く
今日は姪っ子のライブがあるので、久しぶりに上京する。
場所は、東京の三田・・・
というわけで、少し早めに出かけて、泉岳寺に行くことにした。
前回、ここを訪れたのは・・・平成15年かな?(苦笑)
16年ぶり?

008_convert_20200407164416.jpg (泉岳寺中門)

午後4時に到着・・・
夕日がちょっとまぶしい・・・(汗)

019_convert_20200407164604.jpg (大石良雄像)

おお・・・大石内蔵助さん・・・お久しぶりでございます。(笑)

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(赤穂義士墓所)

墓所に向かう。
お線香が、一束、2000円と書いてあったような・・・
一瞬、我が目を疑ったが・・・
まさか・・たった1束が・・・2000円?
コンビニで1束100円ぐらいで売っているものと変わりないものが?
そんな馬鹿な・・・(大汗)
拙者の目はどうかしたのだろうか?(大汗)
とにかく、今のは見なかったことにして・・・(苦笑)
墓所をお参りというより“見学”して戻ることにした。

義士とはいうが、見方を変えると、彼らはテロリストなんだよなぁ~(大汗)

敷地内に記念館(資料館)もあるが、ぴったり閉館時間となってしまったので見学不可能・・・
前回来た時に見学した覚えがある。
確か、図録か資料などを買った・・・

泉岳寺の門前にお土産屋さんが立ち並んでいる。
このどれかのお店で赤穂義士のプラモデルのフィギュアーを買った覚えがある。
どのお店だったかなぁ~
しかし、それは平成15年じゃなかったような気がする。(汗)
43歳の時にプラモデルを買うわけがない。(苦笑)
拙者がプラモデルを作っていたのは、もっと若い時である。
ということは・・・平成15年よりも前に、ここに来ているということか?
あれれ?・・・なんとも記憶がおかしいぞ・・・(大汗)
ここに来たのは3回目?(大汗)
それとも、あのプラモデルを買ったのは夢?(大汗)
なんとも、この記憶力の悪さには参った・・・・(涙)

コンサートまでには、まだ時間がある・・・
普段の運動不足解消を兼ねて散歩がてら周囲をブラブラ歩くことにした。

「高輪神社」というのを見つけたので立ち寄ってお参りをする。

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(高輪神社)

神社の境内は意外にも非常に狭かった・・・(汗)

さらにテクテク歩く・・・
と・・・面白い建物を見つけた。

057_convert_20200407174545.jpg (高輪消防署二本榎出張所)

かなりの歴史ある消防署らしい。
う~ん・・・・こういう建物、好きだなぁ~(大喜)
この消防署・・・現役?

さらにブラブラ歩くと・・・
これまた古い建物を見つけた・・・

060_convert_20200407174611.jpg (とらや)

「とらや」という名のお店の建物らしい。
和菓子のお店らしいが・・・・
あの羊羹で有名な「とらや」なのか?
なんか・・・ちょっと違う気がしないでもないなぁ~(汗)

さらに歩き・・・
「大石良雄外十六人忠烈の跡」という場所に辿りついた。

063_convert_20200407192936.jpg (大石良雄外十六人忠烈の跡)

ここは・・・見覚えがあるぞ・・・(苦笑)
以前、ここに来たことがある。
平成18年だ・・・・
ここは、熊本藩細川家の下屋敷の跡で、大石内蔵助らが切腹した場所である。

時刻は5時半・・・
まだ時間に余裕がある。(苦笑)

ブラブラ歩いてみたら、何やら立派なお屋敷のような敷地・・・
塀には監視カメラがいくつも・・・
どうも、ここは「高輪皇族邸」ではなかろうか?(驚)
ここの裏を歩き・・・途中の喫茶店でコーヒーを飲んで一休み。(笑)
で・・・店を出た時は、外は真っ暗!
さて・・・駅方面に向かいたいが・・・駅はどっちだ?(大汗)
下手に一休みしたら方向がわからなくなった。(大汗)

とにかく地下鉄の泉岳寺駅まで戻って、JRの線路を越えて向こう側へ行かねば・・・

今回のコンサート会場は、今まで行ったことのない場所・・・
どうもビルの中にあるらしい。
ようやく、そのビルを見つけたが・・・・どうみてもオフィスビルである。(大汗)
ここでコンサート????
とにかく中に入ってエレベーターに乗る。
と・・・どうもこのビルの中にイタリアレストランがあって、そこが会場らしい。
う~ん・・・社員食堂みたいな感じ・・・(苦笑)
従業員はイタリア人・・・
今回のコンサートはイタリア料理を食べながらクラシックを聴くというもの・・・
イタリアの国旗が見えたから間違いないかな?
とりあえず、会場に一番乗り!(苦笑)
従業員以外は誰もいない・・・(大笑)

そのうちお客さんが続々と集まり出した。
皆さん、まさかこんな場所で・・・ということで、不安だったらしい。
そうだろうねぇ~(大笑)
甥っ子が来たが、さて・・・どなた様?(汗)
「おじちゃん!」と声を掛けられ・・・あ~お前かぁ~・・・である。(苦笑)
う~ん・・・歩きすぎて疲れたせいか頭が働かない・・・(苦笑)

甥っ子は友人と一緒に来ていたので別のテーブルに・・・
経営コンサルタント(?)の大前研一さんの奥さんが来たので、一緒のテーブルに誘う。
その後、妹と妹の友人たちも来たので一緒のテーブルに誘う。
奥さんと会うのは何年ぶりだろう?
もともとはアメリカ人だが、日本語がペラペラ・・・
大前さんと結婚して、我が町の団地に住んでいたことがあるという。
「あ~あそこの団地にいたんですか~」と言ったものの、そのころ、拙者は小学生だったのである。(大笑)
拙者が小学生の頃は町の中で“外人”に会うことはなかった。
だから、彼女の存在は知らない・・・(苦笑)
もし、その時に会っていたら面白かっただろうなぁ~
何十年ぶりの再会?(笑)
コンサートが始まる前にバイキング形式でイタリア料理を頂き、ワインを頂く。
彼女は英語でイタリア人従業員を質問攻め・・・
あら・・・英語話せるんですか?(大笑)
拙者の頭の中は日本語と英語で大混乱であるが・・・おしゃべりが弾み楽しいい時間が過ごせた。
まさか大前さんの奥さんに会うとは・・・思ってもいなかった・・・

068_convert_20200407215951.jpg (コンサート)

コンサートは、姪っ子がピアノの伴奏をし、友人のソプラノ歌手が歌を歌うというもの・・・
しかし・・・二人の掛け合いのおしゃべりが、ちょっと長い・・・(汗)
マズいんじゃないか?・・・・時間内に収まらないんじゃないか?
イベント企画をしたことがある拙者としてはハラハラしていたが・・・
思っていた通り、時間が足りなくなり・・・数曲を飛ばした!(大汗)
コンサート終了後・・・
「おい、おい、聴きたかった曲を飛ばされて、おじちゃんは非常にショックだったぞ!」(笑)と姪っ子に言う。
でも、なかなか面白い企画だった。
イタリア料理もイタリアのワインも美味しかったしね。(大笑)

大いに満足し・・・妹たちと別れて拙者は今晩泊まるホテルに向かう・・・

日記 | 18:34:09 | Comments(0)