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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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大石良雄外十六人忠烈の跡
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東京都指定史跡
大石良雄外十六人忠烈の跡
所在地 港区高輪1の4、6~16
標識 大正7年4月
指定 昭和30年3月28日

この地は、赤穂事件で大石内蔵助良雄ら17人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。
赤穂事件とは、元禄14年(1701)3月14日におこった殿中刃傷事件とその翌年12月14日夜から15日にかけての吉良邸討ち入り及びその一連の事件のことをいいます。
当時の藩主5代綱利は、老中稲葉丹後守からの御預けの命を受けると、大目付仙谷伯耆守の屋敷に総勢875人の藩士と駕籠を送り引渡しを受けます。
このような大部隊を送ったのは、大藩の威武を示すとともに、上杉家の襲撃を警戒したためといわれています。
細川家は、大藩の威厳と識見をもって優遇し、御預四家の中で即日引見したのは細川家だけでした。
元禄16年(1703)2月4日午後2時、上使の御目付荒木十左衛門政羽と御使番久永内記信豊から切腹の申渡しを受け、大石内蔵助が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有り難き仕合に存じ奉り候」と礼を述べました。
切腹の場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を負った位置でした。

平成24年3月建設
東京都教育委員会

(説明板より)


【東京都港区高輪1-16-25】



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史跡 | 23:05:27 | Comments(0)
高輪消防署二本榎出張所
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東京都選定歴史的建造物
東京消防庁高輪消防署二本榎出張所
所在地 港区高輪二丁目6番17号
設計 越智 操
建築年 昭和8年(1933)

明治41年7月1日、第二消防署二本榎出張所として発足、昭和8年12月28日に現庁舎が竣工した。
建物は、鉄筋コンクリート造りの地上3階建てで、海抜約25メートルの位置にあり、当時は周囲に高い建物もなく、東京湾を眼下に眺望できた。
1階の腰壁は御影石(花崗岩)の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げとなっている。
また外壁はクリーム色の磁器タイルで覆われ、玄関部分はすべて御影石で造られており、扉は木製となっている。
3階の円形講堂は8本の梁(はり)が中心に集まり、10個の窓部アーチと一体になった独特の意匠である。
第一次世界大戦後の近代的なドイツ表現主義という建築様式で、曲線と曲面をモチーフとした力強く流れるような躍動感のあるデザインを特徴としている。
3階から上は円筒形の望楼(ぼうろう)となっており、昭和46年まで火災の見張りに使用されていた。

東京都

(説明銘板より)


【東京都港区高輪2-6-17】



史跡 | 22:36:30 | Comments(0)
高輪神社の力石
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高輪神社の力石

社殿前の左右に1個ずつ置かれた力石です。
力石は、腕力や体力を鍛えるために重い石を持ち上げて「力競べ」、あるいは「曲持ち」を行った際に使用した石で、江戸時代には、神社の祭礼などに奉納のため盛んに行われました。
ひとつは「奉納」「五拾八貫目」「芝伊皿子町 仁右衛門」「麻布□□町 喜三郎」の文字が刻まれた長径80センチメートル、短径46センチメートル、厚さ28センチメートルの安山岩製で、区内にある重量が刻まれた力石の中では最も重いものです。
他のひとつは、前者とほぼ同じ大きさですが、上部が一部剥落しています。
「□拾貫目」「芝入横町 石右衛門」「芝町丁 岩右ヱ門」の文字が刻まれています。

平成9年3月11日 港区文化財綜合目録登録
港区教育委員会

(説明標柱より)


【東京都港区高輪2-14-18・高輪神社】




史跡 | 22:14:18 | Comments(0)
泉岳寺・主税梅
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主税梅

大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅と伝えられています。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 22:05:32 | Comments(0)
泉岳寺・義士墓
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義士墓解説

赤穂城主浅野内匠頭長矩は、士道を弁えぬ吉良上野介義央の仕打ちに抗して刃傷に及びし咎により即日切腹を仰せ付けられた。
家臣はこの処断に承服せず、筆頭家老大石内蔵助良雄を統領に四十七士が結束して主君浅野内匠頭長矩の無念をはらすため元禄15年(1702年)12月14日本所吉良邸に討ち入り主君の辱めを雪ぎ、その墓前に吉良上野介義央の首級を供へ成就を報告し、敢えて官に裁きを求めた。
義士一同は、12月15日夕刻細川家(17名)、松平家(10名)、毛利家(10名)、水野家(9名)の四家に預けられた。
翌元禄16年2月4日、幕府は苦心の末、武士の体面を立て、切腹せしめた。
直ちに主君の墓側に各々四家に分けて葬られた。

附記 遂道退身信士(寺坂吉右衛門)、刃道喜釼信士(萱野三平)の墓は供養墓で在る。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 21:45:45 | Comments(0)
泉岳寺・義士墓入口の門
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義士墓入口の門

この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 20:54:05 | Comments(0)
泉岳寺・首洗い井戸
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首洗い井戸

義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 20:46:52 | Comments(0)
泉岳寺・血染の梅と石
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血染の梅・血染の石

浅野内匠頭が、田村右京大夫邸の庭先で切腹した際、その血がかかったと伝えられている梅と石です。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 20:37:20 | Comments(0)
泉岳寺の梵鐘・鐘楼
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梵鐘・鐘楼

大正2年、四十一世普天霊明(ふてんれいみょう)和尚代に作られた鐘で、朝の坐禅の時と夕方の閉門の時に撞いています。
また江戸から明治まで使われていた梵鐘は、現在ウィーンの国立民俗博物館に所蔵されています。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:58:56 | Comments(0)
泉岳寺・本堂
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本堂

旧本堂は第二次世界大戦で空襲にあい消失。
現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。
ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また、大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが祠められています。
本堂では坐禅・読経などの修行が住職をはじめとした修行僧により厳粛に勤められています。
正面に掲げられている「獅子の吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指します。

(説明板より)


萬松山 泉岳寺

泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
道元禅師の主著は仏教の神髄を表した「正法眼蔵」という95巻に渡る書物です。

さて、泉岳寺は慶長17年(1612年)に「門庵宗関」(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝情して徳川家康が外桜田に創設した寺院です(現在のホテルオークラの近く)。
しかしながら、寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。
そして現在の高輪の地に移転してきました。
時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹波・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。
浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。

一般的には赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶2百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-1-1・泉岳寺】



史跡 | 19:45:38 | Comments(0)
大石内蔵助良雄銅像
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大石内蔵助良雄銅像

この銅像は、浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したものです。
内蔵助が、当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:37:38 | Comments(0)
泉岳寺・山門
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山門

この門は、天保3年(1832年)、三十四世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建されたものです。
二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめ込まれています。
「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書です。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:24:26 | Comments(0)
泉岳寺・中門
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中門

元来、泉岳寺には三門といって三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています。
現在の中門は天保7年(1836年)三十五世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたもので、昭和7年に大修理を施されています。
「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖道霈(いりんどうはい)による書です。

(説明板より)


【東京都港区高輪2-11-1・泉岳寺】



史跡 | 19:06:55 | Comments(0)
姪っ子のライブを聴きに行く
今日は姪っ子のライブがあるので、久しぶりに上京する。
場所は、東京の三田・・・
というわけで、少し早めに出かけて、泉岳寺に行くことにした。
前回、ここを訪れたのは・・・平成15年かな?(苦笑)
16年ぶり?

008_convert_20200407164416.jpg (泉岳寺中門)

午後4時に到着・・・
夕日がちょっとまぶしい・・・(汗)

019_convert_20200407164604.jpg (大石良雄像)

おお・・・大石内蔵助さん・・・お久しぶりでございます。(笑)

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(赤穂義士墓所)

墓所に向かう。
お線香が、一束、2000円と書いてあったような・・・
一瞬、我が目を疑ったが・・・
まさか・・たった1束が・・・2000円?
コンビニで1束100円ぐらいで売っているものと変わりないものが?
そんな馬鹿な・・・(大汗)
拙者の目はどうかしたのだろうか?(大汗)
とにかく、今のは見なかったことにして・・・(苦笑)
墓所をお参りというより“見学”して戻ることにした。

義士とはいうが、見方を変えると、彼らはテロリストなんだよなぁ~(大汗)

敷地内に記念館(資料館)もあるが、ぴったり閉館時間となってしまったので見学不可能・・・
前回来た時に見学した覚えがある。
確か、図録か資料などを買った・・・

泉岳寺の門前にお土産屋さんが立ち並んでいる。
このどれかのお店で赤穂義士のプラモデルのフィギュアーを買った覚えがある。
どのお店だったかなぁ~
しかし、それは平成15年じゃなかったような気がする。(汗)
43歳の時にプラモデルを買うわけがない。(苦笑)
拙者がプラモデルを作っていたのは、もっと若い時である。
ということは・・・平成15年よりも前に、ここに来ているということか?
あれれ?・・・なんとも記憶がおかしいぞ・・・(大汗)
ここに来たのは3回目?(大汗)
それとも、あのプラモデルを買ったのは夢?(大汗)
なんとも、この記憶力の悪さには参った・・・・(涙)

コンサートまでには、まだ時間がある・・・
普段の運動不足解消を兼ねて散歩がてら周囲をブラブラ歩くことにした。

「高輪神社」というのを見つけたので立ち寄ってお参りをする。

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(高輪神社)

神社の境内は意外にも非常に狭かった・・・(汗)

さらにテクテク歩く・・・
と・・・面白い建物を見つけた。

057_convert_20200407174545.jpg (高輪消防署二本榎出張所)

かなりの歴史ある消防署らしい。
う~ん・・・・こういう建物、好きだなぁ~(大喜)
この消防署・・・現役?

さらにブラブラ歩くと・・・
これまた古い建物を見つけた・・・

060_convert_20200407174611.jpg (とらや)

「とらや」という名のお店の建物らしい。
和菓子のお店らしいが・・・・
あの羊羹で有名な「とらや」なのか?
なんか・・・ちょっと違う気がしないでもないなぁ~(汗)

さらに歩き・・・
「大石良雄外十六人忠烈の跡」という場所に辿りついた。

063_convert_20200407192936.jpg (大石良雄外十六人忠烈の跡)

ここは・・・見覚えがあるぞ・・・(苦笑)
以前、ここに来たことがある。
平成18年だ・・・・
ここは、熊本藩細川家の下屋敷の跡で、大石内蔵助らが切腹した場所である。

時刻は5時半・・・
まだ時間に余裕がある。(苦笑)

ブラブラ歩いてみたら、何やら立派なお屋敷のような敷地・・・
塀には監視カメラがいくつも・・・
どうも、ここは「高輪皇族邸」ではなかろうか?(驚)
ここの裏を歩き・・・途中の喫茶店でコーヒーを飲んで一休み。(笑)
で・・・店を出た時は、外は真っ暗!
さて・・・駅方面に向かいたいが・・・駅はどっちだ?(大汗)
下手に一休みしたら方向がわからなくなった。(大汗)

とにかく地下鉄の泉岳寺駅まで戻って、JRの線路を越えて向こう側へ行かねば・・・

今回のコンサート会場は、今まで行ったことのない場所・・・
どうもビルの中にあるらしい。
ようやく、そのビルを見つけたが・・・・どうみてもオフィスビルである。(大汗)
ここでコンサート????
とにかく中に入ってエレベーターに乗る。
と・・・どうもこのビルの中にイタリアレストランがあって、そこが会場らしい。
う~ん・・・社員食堂みたいな感じ・・・(苦笑)
従業員はイタリア人・・・
今回のコンサートはイタリア料理を食べながらクラシックを聴くというもの・・・
イタリアの国旗が見えたから間違いないかな?
とりあえず、会場に一番乗り!(苦笑)
従業員以外は誰もいない・・・(大笑)

そのうちお客さんが続々と集まり出した。
皆さん、まさかこんな場所で・・・ということで、不安だったらしい。
そうだろうねぇ~(大笑)
甥っ子が来たが、さて・・・どなた様?(汗)
「おじちゃん!」と声を掛けられ・・・あ~お前かぁ~・・・である。(苦笑)
う~ん・・・歩きすぎて疲れたせいか頭が働かない・・・(苦笑)

甥っ子は友人と一緒に来ていたので別のテーブルに・・・
経営コンサルタント(?)の大前研一さんの奥さんが来たので、一緒のテーブルに誘う。
その後、妹と妹の友人たちも来たので一緒のテーブルに誘う。
奥さんと会うのは何年ぶりだろう?
もともとはアメリカ人だが、日本語がペラペラ・・・
大前さんと結婚して、我が町の団地に住んでいたことがあるという。
「あ~あそこの団地にいたんですか~」と言ったものの、そのころ、拙者は小学生だったのである。(大笑)
拙者が小学生の頃は町の中で“外人”に会うことはなかった。
だから、彼女の存在は知らない・・・(苦笑)
もし、その時に会っていたら面白かっただろうなぁ~
何十年ぶりの再会?(笑)
コンサートが始まる前にバイキング形式でイタリア料理を頂き、ワインを頂く。
彼女は英語でイタリア人従業員を質問攻め・・・
あら・・・英語話せるんですか?(大笑)
拙者の頭の中は日本語と英語で大混乱であるが・・・おしゃべりが弾み楽しいい時間が過ごせた。
まさか大前さんの奥さんに会うとは・・・思ってもいなかった・・・

068_convert_20200407215951.jpg (コンサート)

コンサートは、姪っ子がピアノの伴奏をし、友人のソプラノ歌手が歌を歌うというもの・・・
しかし・・・二人の掛け合いのおしゃべりが、ちょっと長い・・・(汗)
マズいんじゃないか?・・・・時間内に収まらないんじゃないか?
イベント企画をしたことがある拙者としてはハラハラしていたが・・・
思っていた通り、時間が足りなくなり・・・数曲を飛ばした!(大汗)
コンサート終了後・・・
「おい、おい、聴きたかった曲を飛ばされて、おじちゃんは非常にショックだったぞ!」(笑)と姪っ子に言う。
でも、なかなか面白い企画だった。
イタリア料理もイタリアのワインも美味しかったしね。(大笑)

大いに満足し・・・妹たちと別れて拙者は今晩泊まるホテルに向かう・・・

日記 | 18:34:09 | Comments(0)
『全体主義と闘った男 河合栄治郎』


文庫版のまえがき

序章 “進歩的大衆人”が日本を漂流させる

「革新幻想」に踊っていた
“迷えるソクラテス”退場
学者に祖国あり
アカデミアの天下人
自由な社会とその敵
進歩的大衆人の病理
自由の気概と道義力
日本の“躯体”支える思想

第1章 理想主義と反骨精神

宿場の生家 江戸っ子、栄治郎の登場
   徳島屋と橘井堂
   「憲政の神様」への手紙
府立三中 蘇峰リアリズムへの傾倒
   本は惜しまずに買え
   天下を語る“蘇峰狂”
第一高等学校 嗚呼玉杯に花受けて
   ワレ一高ニ合格セリ
   新渡戸の教養主義
全寮制 「夕の鐘の音」の対置法
   反撃する新渡戸の胆力
   内村の強靭な意志
友と語り 煩悩と闘う「赤城山日記」
   ギリシャ的な少年愛
   知性が集う猪谷旅館
弁論部記念講演 蘆花の「謀反論」とは何か
   当日まで隠された演題
   栄治郎の琴線に触れたもの
帝大入学 マルクス主義との遭遇
   官吏養成学校と心得る
   歴史哲学の遥かな地平

第2章 孤軍奮闘の農商務省時代

農商務省 心揺さぶる女工哀史
   小野塚の後継を蹴る
   「職工事情」と闘う決意
お見合い話 朝日社主への道を蹴る
   “破談”への条件を提示
   戦時の右派、平時の左派
結婚 河合式「配偶者の選定法」
   相思相愛から失恋へ
   伴侶選定の法則みつけた
労働問題 官に就くに際して
   誰がための工場法
   「自由」の新しい響き
米国出張 自由の国からの先制
   ウィルソン演説で団結
   ボルティモアで研究
米国生活 書を捨て街に出でよ
   書生が「紳士」に豹変
   燕尾服にシルクハット
米国での交流 ハザノウィチと出会う
   心を寄せた米国人女性
   片山潜を助ける
米国出張から帰国 “実行家”になる決意
   大衆のための闘う覇気
   職を賭する覚悟をもつ
孤軍奮闘 官僚国家主義との闘い
   官選代表に異議あり
   「ここらで見切れ」との声

第3章 帝大経済学部の「白熱教室」

コラムの波紋 官を辞するに際して
   大臣を相手に啖呵
   捨て身の一撃で成就
再就職 在野ジャーナリズムを断念
   新聞記者か学界か
   初の赤化教授事件へ
浪人生活 森戸事件とその余波
   失った人材
   「危険人物」に映る
帝大経済学部 教壇へ・・・波瀾の幕開け
   自由主義を恐れる
   マルクス研究の痕跡
官職を離れて うるわしき日々があった
   東京女子大での講演
   「女性面会日」に説いたこと
講義開始 河合助教授の“白熱教室”
   よどみない弁舌に酔う
   米国人教授らも注目
帝大助教授 「思想の自由」への葛藤
   共産主義の浸透に苦慮
   大内復権に道を譲る

第4章 2年8カ月の欧州留学

旅立ち うるわしの英国留学
   見送る人々
   対照的な二人
英国「討論会」 日韓併合は不法なのか
   弱い隣国持つ不孝
   異なる意見を戦わす
学者たち 英国自由主義への確信
   多元的国家論の洗礼
   関東大震災へのお悔やみ
世紀の事件 労働党が政権を握った
   マクドナルド内閣の誕生
   オックスフォードの哲人
欧州大陸へ マルクス学に決着つける
   ドイツ語原書を読破する
   カントを開く
外国人講師探し シュンペーター招聘逃す
   初対面の印象は「武士」
   日記に「不快」な気分

第5章 「左の全体主義」との対決

留学から帰国 マルキシズムが開花する
   マルクス用語の乱発
   師弟による対論
帝大教授 学部分裂の暗雲広がる
   グルッペの学内クーデター
   主流派が人事とカネ握る
東大アカデミズム 「左の全体主義」との闘い
   「体系」対「講座」
   自ら論争を買う
二つの事件 「言論の自由」への闘い
   「七生社」の暴力叱る
   3・15事件から左傾処分
一騎打ち 森戸との「大学顛落」論争
   「伏線」があった
   反抗の修羅場
論争後 「リベラリスト・ミリタント」
   森戸の「転向」表明
   『社会政策原理』の衝撃
講演依頼 マルキシズムとは何か
   思想善導役人
   無視と悪口と罵倒と

第6章 ファシズムに命がけの応戦

講演旅行 満州事変のリアリズム
   日支両国のライン州
   対外政策では国論統一
ドイツ再留学 「前門の虎」を退治する
   マルキシズム拡大の条件
   大衆の尻馬に乗る革命
ソ連とドイツ 「後門の狼」がやってきた
   ワイマール体制の崩壊
   国家社会主義の台頭
1年ぶりの祖国 日独でファシズムの台頭
   国家社会主義への警鐘
   先駆的なナチス研究
滝川事件 自由の外堀が埋められた
   “類焼”嫌う教授たち
   京大落城から天皇機関説へ
5・15事件 軍部批判の前線に立つ
   軍人、武力、思想
   議会主義つらぬく
不動の思想 河合が論壇を席巻した
   反ファシズムの闘将
   「自分が言わずに誰が」
孤高の戦い 国家主義に啖呵切る
   右翼思想に宣戦布告
   対ファシズム共闘の挫折

第7章 正面から放った軍部批判の矢

降りしきる雪 怒りの「2・26事件」批判
   命と職と地位を懸ける
   尻込みする出版社
軍部批判の矢 反動教授から憧れへ
   時局に対して志を言う
   斎藤隆夫の「粛軍演説」
天性の教師 昭和教養主義のバイブル
   人気呼ぶ「学生叢書」
   理想主義の受け皿
赤門人民戦線 河合経済学部長の光と影
   弾力も狡知もなく
   河合引き下ろし
盧溝橋事件 「迫りつつある戦争」予測
   近衛首相に進言する
   明治人の愛国心
人民戦線事件 「左派教授を一掃せよ」
   矢内原を擁護する
   自由主義の本領
第三勢力 英国型議会主義に期待
   帝国主義の防波堤
   社会大衆党の右旋回
戦火拡大 帝国の崩壊を予言する
   徹底したリアリズム
   測り難き謎の国

第8章 名著『学生に与う』誕生

攻撃 『ファッシズム批判』発禁処分
   栄治郎に忍び寄る影
   「一歩も引けません」
休職処分 道義なき平賀粛学
   田中耕太郎の演出
   幻の最終講義
決別の一句 別れても又一路や花の山
   平賀総長の巻き返し
   弟子二人の破門
起訴 法廷へ、「天我を捨てず」
   ハーバード転身の挫折
   名著『学生に与う』誕生
ベストセラー 嵐の底に啼きやまぬ自由主義
   『学生に与う』の挑戦
   護衛する門下生たち

第9章 戦後を見通した「有罪願望」

思想闘争 国法に従うソクラテスの法廷
   特別弁護人・木村の奮闘
   検察の誤解、曲解、歪曲
一審判決 戦時下で「司法の独立」守る
   文部官僚を叱る
   戦後を見通す有罪願望
出版差し止め “日本国民に告ぐ”
   反骨判事の左遷
   亡国の民になるな
逆転有罪 「マルクス体系」への挑戦
   死を賭した「全七巻」
   青日会から研究所へ
凛冽たる風貌 「戦闘的自由主義者」の最期
   河合研究所の設立
   10年早い突然の死

終章 戦闘的自由主義者の水脈

遺志 自由の殉教者を惜しむ
   鶴見の悔悟
   天皇を戴く自由主義
敗戦後 「革新幻想」に挑む自由主義
   GHQからの使者
   知的成熟が30年遅れた
   社会思想研究会の発足
東西冷戦 米占領下に「新憲法」批判
   憲法第9条に異議あり
   多数講和か全面講和か
左傾化 進歩的文化人の批判勢力として
   消極的抵抗の「悔恨共同体」
   社思研第2世代の登場
   教科書検定に対する反論
批判すべき“記号”? 祖国愛を語った瞬間
   河合栄治郎全集の発刊
   「学者に祖国あり」再び
60年安保 「秩序より正義」というレトリック
   ムード的左翼の陥穽
   容共の煽動「いまこそ国会へ」
   丸山に見た「政治の魔性」
理想論 「中立幻想」に踊っていた
   中立論者の忠実なる弟子
   リアリストからの挑戦状
   「巻き込まれ論」の破綻
   「平和の代償」ショック
70年安保 “丸山教信者”のたそがれ
   官学エリートへの暴挙
   「後衛の位置から」の失墜
呪縛 空想的平和論の破綻
   産経新聞へ移籍する
   腹いせのゲバ棒
沖縄返還前のころ 英雄的な思想家の素顔
   門下の第2世代が台頭
   偶像破壊の一撃
国家の羅針盤 独立自存の道義国家をめざす
   依存の中の幻想
   防衛論争から憲法改正論へ

あとがき

河合栄治郎略年譜

参考文献



「全体主義」とは、個人は“全体”に従属すべきである・・・という考え方らしい。
河合栄治郎という名前は聞いたことがないのだが、戦前に「自由の気概」をもって生きた唯一の知識人なのだそうだ。
昭和初期にマルキシズムという“左”の全体主義が現れると、この全体主義の危険性を指摘した人だそうで、その後、今度はファシズムという“右”の全体主義が台頭すると、これを批判したそうだ。
つまり、左だろうと右だろうと、全体主義には徹底的に批判をし続けたそうである。
河合栄治郎は、東京帝国大学を卒業後、農商務省に勤めた官吏である。
その後、農商務省を辞めて35歳で東京帝国大学の教授に就任したというのだから驚く。
35歳で東大の教授とはねぇ~・・・・頭がいいんだろうなぁ。
戦時中は、ファシズムを批判したため危険思想家だとして逮捕され有罪判決を受けたらしい。
あの時代に、それを言ったら“やられる”というのは明白だろうに・・・
私は「東大卒」だの「官僚」だのというのは、どうも好きになれないのだが・・・(苦笑)
“左”の人が“右”を批判するなら普通の事で何とも思わないし、その逆も同じだが、“左”も“右”も批判する姿勢には尊敬の念を禁じ得ない。
なかなか、こういう人はいないよなぁ~と思う。
氏は、昭和19年に53歳で心臓麻痺でお亡くなりになられたという。
「早すぎる死」である。
戦後も生きていたら、戦後の世の中にどういう意見をお持ちになっただろうと思う。
貴重な人を失ったのではないか・・・という気がする。
本当に残念である。


今年の読書:5冊目



読書 | 23:53:55 | Comments(0)
父の三回忌法要
今日は親父の三回忌の法要・・・
「三回忌」と聞けば、もうそんなに経ったのかと思うが、昨年が一周忌だったのだから、そんなに経っていない。
とは言うものの・・・もう2年も経つのか?(汗)
早いなぁ~・・・月日が過ぎるのは・・・
「三回忌」までは、親戚などを呼んで法要をするのだという話を聞いたことがあるが・・・
我が家は、この「三回忌」からは拙者の独断で身内の家族だけの法要にすることにした。
今日は、ちょうど親父の命日でもある。
しかも土曜日・・・グッドタイミングである。
東京から妹家族が来てくれたが、弟は一周忌に引き続き今回も欠席である。(唖然)

朝、特急列車に乗って来る妹家族を迎えに駅まで行き、そのまま我が車で過疎化した山奥の村まで向かおうと思っていたら・・・
「トイレに行きたい」「着替えたい」「コーヒーが飲みたい」等々・・・(大汗)
おい、おい、法事に間に合わなくなるぞ・・・(汗)
この時期、山奥の過疎化した村には積雪が・・・
だから、冬の時期には死んで欲しくないなぁと思っていたのだが、死んじゃったものは仕方がない。(苦笑)
そうそうこちらの都合に合わせてというわけにはいかない・・・(苦笑)
道路上に積雪があったら、普段以上に時間がかかるのに・・・と心配したが・・・
行ってみたら、この「地球温暖化」のせいか、雪がない!(驚)
こりゃ助かった!
こういう時は、「地球温暖化」に感謝かな?(苦笑)
来年は雪が降ってもいいから、7回忌の時は再び温暖化で降雪がないといいなぁ~(大笑)

村のお寺さんで法事・・・
みんなで読経・・・
妹家族が来てくれたからいいものの、もし、彼らが来なかったら、住職と拙者の二人で読経となる・・・(大汗)
嫌だな・・・それ・・・(大笑)
妹と甥っ子、姪っ子のおかげで無事に法事終了!
住職同行でのお墓参りも済ませた。
御本尊と墓前に供えるお花は、花屋をやっている従姉の息子に頼んで事前にお寺に届けておいてもらった。
彼にも感謝、感謝である。
彼は、拙者が生まれて初めて抱っこした赤ちゃんで・・・(笑)
あの時は、拙者はまだ大学生だった・・・
う~ん・・・あの時の赤ん坊は、今では立派な“オッサン”である。(大笑)

今回の法事は身内だけなので、御膳は用意せず、お寺さんにはお礼の品とお布施・・・
食事会をやるときは、必ずお寺さん用にもお膳を用意してお渡しするのだが・・・
今回はご勘弁を願う。
お寺でお茶を頂きながらしばし雑談を楽しみ帰途につく。
お昼は自宅で・・・(笑)

妹家族は、夕方には東京に帰って行った・・・
なんとも慌ただしいことだが、子供たちも、わざわざ来てくれて感謝、感謝である。
一つ、今年の大きな“行事”が無事に済み、ホッとする。(笑)

日記 | 20:32:22 | Comments(0)
ラバウルを占領
昭和17年(1942年)の今日・・・1月23日・・・・
この日は、パプアニューギニアのニューブリテン島にあるラバウルを日本軍が占領した日である。

第一次世界大戦まではドイツが統治していたが、大戦後、オーストラリアが統治していた。
ここを占領した日本軍は、ここを一大軍事拠点にしようと考えていたが、問題は、ここの火山である。
ここラバウルには活火山「ダブルブル火山」(日本名:花吹山)が噴煙を上げていた。
この火山が大噴火でもしたら、日本軍の軍事基地は壊滅する。
ここに基地を造るべきかどうか・・・今後、この火山が噴火するかどうかで決まる。

確か、20歳代後半の方だったと思うが・・・
日本の気象庁から派遣された人が、ここの観測所長になって観測をした。
オーストラリア統治時代、オーストラリアは何の観測もしていなかったらしく、データがない・・・
そういう中、日本海軍から「どうか?」との矢のような催促を受け、出した答えは・・・
確か、「これから先、少なくとも2年間は噴火は起こらない」という答えだったと記憶している。
この判断、もし間違っていたら・・・切腹ものである。(汗)

彼の判断を基に、ここに軍事拠点を築くことになり、あの有名な「ラバウル航空隊」が出来上がったわけである。

この若き所長の予測通り、噴煙により火山灰が降ることはあっても、大噴火は起らなかった。
昔の人は大したものである。
現代人では、こうはいかないだろう。
結論を先延ばしにするか、周囲の顔色をうかがいながら「皆さんはどう思いますか?」などと間の抜けたことを言い・・・
合議で決めたことだから・・・と責任を分散して責任を逃れ、自己保身に走るのではなかろうかという気がする。(大汗)

終戦時には、この観測所の観測機材一切を全て整備して、いつでも使えるようにして、オーストラリア軍に引き渡したという。
オーストラリアは、その後、この日本の機器を使用して観測をしたとか・・・
昔の人は、やっぱり大したものである。
というか・・・大した人が昔にはいた・・・と言うべきかな?

このダブルブル火山(花吹山)と、近くのブルカン火山(日本名:西吹山)の2つの火山が同時に大噴火して、大量の火山灰を降らせたのは、平成6年(1994年)のことである。(大汗)
5メートル以上も火山灰が積もったというのだから、町も空港も壊滅した。
私がラバウルに訪れたのは、この噴火から15年後の平成21年(2009年)である。
ラバウルの町はほぼ完全に埋まっており、別の町に行政機能や空港が移っていた。
その埋まった場所の上に家が立ち並んではいたが、その数は少なかったと思う。
(往年の町の様子を知らないので、何とも言えないが・・・)
火山灰の下にスーパーマーケットの屋根が見えた時には驚いた。
やっぱり5メートル以上灰が積もったのだ・・・
この時もダブルブル山は、盛んに噴煙を上げており、かなり離れた町のホテルで寝ていても、まるで砲声のような「ドドーン」という響きが断続的に続いていた。
あの晩の事は忘れられない・・・
帰国の日に、今までにないほど火山灰が降り、日に一便しか来ない飛行機が大幅に遅れ、帰国できなくなった。(大汗)
結局、オーストラリアへ向かい、乗り換えて、帰国予定日に1日遅れて帰国する羽目となった。
たった1日帰国が遅れただけなのだが、留守宅の我が親父は、私は死んだものと思ったらしい・・・(苦笑)
今となっては、親父らしい、いい思い出である。(大笑)

日本で、仮に富士山が大噴火して大量の火山灰が降ったら、どうなるだろう?
大パニック・・・というだけでは済まないだろうなぁ~
数ミリ積もっただけで大パニックになるだろうから・・・
現代は意外にも脆弱である。
しかも、判断を下せるような優秀な人もいないだろうし・・・(苦笑)
やることは、全て後手後手・・・結局はお手上げ状態か?(汗)

平時から備えと覚悟はしておいたほうがいい・・・
「ラバウル」と聞くと、いつもあの噴煙と火山灰を思い出すのである。

コラム | 18:06:25 | Comments(0)
優良警察職員表彰式に参列する
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今日は「優良警察表彰式」に参列する。
特に拙者が何をするわけでもないのだが・・・(笑)
ただの“拍手要員”である。(大笑)

今年は11名の警察官と1名の警察職員が表彰された。
目出度いことである。
で・・・彼らの年齢を聞くと・・・若い・・・
絶句である・・・拙者はかなり歳を取ってしまったようである。(大汗)
彼らと大して歳は違わないと思っていたのだが・・・(大笑)

懇談会では、初対面の人とも、おしゃべり・・・
初対面の人と会話をするというのは、苦手なのだが・・・(汗)
だからといって、避けていたのでは自分のためになるまい。
“ひきこもり”というのは、こういうところから来るのではあるまいか?
間が持たなくなったのか、途中で帰ってしまう人もいたが・・・
会話が弾もうが、弾むまいが、拙者はジッと耐える・・・
“修行”である・・・(大笑)

幸いにも知り合いが2名参加していたので助かった。(笑)
旧知の大先輩で、公私に渡って世話になっている“アキヤマさん”と、しばらくぶりに色々とおしゃべりができた。
もう一人も先輩・・・
“オノさん”は事前に事務局に参列者を問い合わせていて、拙者が参列することを知って参列することにしたという。(笑)
「このあと、一緒に呑みに行こうよ~」と言われたが・・・
そういうことは事前に言ってくれないと・・・(汗)
車を運転して来てしまったので、酒を飲まずウーロン茶で頑張っているんですけど・・・(大笑)
まさか、飲酒運転で帰宅するわけにはいかないでしょ?(大笑)
こういう会合で顔と名前を知られちゃうと悪いことができないんだよねぇ~(大笑)
警察幹部がズラリといるんだからさぁ~(大笑)

普段から酒を飲まないので、飲むときは事前に「よし!飲むぞ!」と気合を入れないと飲む気が起こらないのである。(苦笑)
なんとも、拙者は面倒くさい男である・・・(大笑)
ということで、“オノさん”からの折角のお誘いをお断りする。(苦笑)

初対面の人、旧知の人とおしゃべりが出来て楽しかった。
こうなると、表彰式なんてどうでもいい感じになってしまうのだが・・・(苦笑)
警察幹部、警察職員に見送られ・・・帰宅する。(恐縮です!)

日記 | 20:29:53 | Comments(0)
『救世主トランプ』


はじめに

第1章 トランプ政権成立の文化的背景

1 トランプ氏の勝利は、人間の勝利だ!
2 自民族優先主義は悪か?
    ―トランプ政権の人事等を巡って・・・・
3 ジャクソン、ケネディそしてトランプ
4 シリア攻撃の大義
    ―ウエストファリア体制の崩壊
5 トランプ大統領の「文化防衛論」

第2章 トランプ政権成立の社会的背景

1 中東6か国に対する渡航禁止令と真のテロ対策政策
2 移民制限は世界を救う
3 シャーロッツビル事件の深淵
    ―“多様性”こそはテロの元凶
4 トランプは二大政党を破壊するか?

第3章 トランプ政権を巡る人々(1)バノンとマーサー

1 コンピュータ文明の矛盾を止揚できるか?
2 米中衝突の予感
3 不死鳥ケンブリッジ・アナリティカ
4 欧州で活躍するバノン
5 バノン派の逆襲
    ―“アントニウスの演説”、「教皇庁の抜け穴」そして「ローマ帝国衰亡史」
6 中間選挙後のバノン氏を巡る状況
    ―理性と「反理性」の弁証法

第4章 トランプ政権を巡る人々(2)共和党関係者

1 2017年7月ワシントンの内戦
    ―トランプ大統領VS共和党主流派
2 コーン失脚とクドロー登場、サンダースのトランプ支持とミレニアム世代のニーズ
3 ティラーソン解任とポンペオ登場の意味
    ―北朝鮮よりイラン優先路線
4 ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官とは誰か?
5 新司法長官とロシア疑惑

第5章 トランプ政権の外交(1)全世界的展開

1 トランプ・ドクトリン
    ―トランプ大統領初外遊の成功
2 テロ集団撲滅のため、アフガンに民間軍事会社を派遣せよ!
3 トランプ大統領の「反理性」主義的(地政学的)外交
4 トランプ大統領国連演説の意義
    ―対イラン戦争は、起こるか?
5 トランプ大統領の薬物対策演説
    ―共和党が、医療保険充実化積極、
      民主党が地球温暖化阻止消極の政党になる日

第6章 トランプ政権の外交(2)中東と東アジア

1 ニューヨーク・タイムズがトランプ翼賛新聞になる日
    ―イラン核合意離脱を巡って・・・・・
2 トランプ大統領の手は血で汚れているか?
    ―エルサレム大使館移設問題を巡って・・・・
3 米朝会談と日本核武装
4 米中戦争は、いつ起こるか?
5 ペンス副大統領の対中「第二冷戦」宣言と、その意味
6 米中烈々
    ―G20、ファーウェイ、アフリカ回廊

第7章 2018年中間選挙前後の動向

1 このままではトランプは中間選挙に敗北する!
2 オクトーバー・サプライズは起こるか?
3 イラン、サウジアラビア制裁の陰に潜む諸問題
4 2018年中間選挙は、トランプ大統領の勝利かもしれない

第8章 2020年大統領選挙に向かって・・・

1 民主、共和両党の分割統治
2 中間選挙後の大幅人事異動と米国の覇権の再編
3 2020年、“世界の終末”は起こるか?
    ―(1)中東戦争は起こるか?
4 2020年、“世界の終末”は起こるか?
    ―(2)南シナ海戦争は起こるか?

まとめにかえて
ケント・ギルバート氏講演抄録

おわりに



マスメディアをはじめ、多くの人がトランプ米大統領を批判しているのだが・・・
そのトランプを「救世主」というのだから面白い。
彼ら批判者とは全く違った角度から見た話で、なるほどと思わせる部分が多い。
もしかしたら、本当にトランプ大統領は「救世主」になるかも・・・
といっても・・・米国にとって・・・ではあろうが・・・(汗)

もう一つ、面白いことに気がついた・・・
著者は私と同じ大学の卒業生なのである。
となると・・・つい、親近感を持ってしまう。(笑)
それと、著者が三島由紀夫の影響を受けているということ。
これまた、私も少なからず三島由紀夫の影響を受けているので、更に親近感が・・・(笑)
「著者紹介」では年齢が不明なのだが・・・
もしかして・・・同い年?・・・という気がしないでもない。
大学3年か4年の時に、大学の懸賞論文で三島由紀夫について書いた学生が受賞したことを覚えている。
私は、この時に懸賞論文には応募していなかったが・・・
社会思想史のレポートで三島由紀夫についてのレポートを提出したところ、採点を手伝っていた大学院生から「先生が感激していたよ」と褒められたことを覚えている。
残念ながら、今となっては何を書いたのか全く記憶から消え去っているのだが・・・(大笑)

どうも、そういう共通点が著者との間にあるせいか、本書の内容に共感するのである。
「救世主」は、いいネーミングかもしれない。
ただ、各種米メディア等からの引用が多いので、ちょっと読みずらいかな?


今年の読書:4冊目



読書 | 16:24:47 | Comments(0)
『敷島隊死への五日間』


第1章 死を決められる日

第2章 出撃

第3章 軋轢

第4章 一期一会

第5章 わかれの日

終章 敷島隊体当たり後の記録

あとがき


今年の読書:3冊目



読書 | 12:54:45 | Comments(0)
伯母の告別式
今日は伯母の告別式・・・
従兄から「午前7時には自宅に来てくれ」と言われた。
が・・・場所は福島県・・・・
さて・・・車で何時間かかるやら・・・(大汗)
そう思ったら、昨晩は眠れなくなってしまった。
朝の通勤時間にぶつかったら大変である。
となると・・・午前4時には我が家を出発しなければなるまい・・・
となると・・・午前3時には起きなくてはならないかな?(大汗)
う~ん・・・寝坊したら大変である!(大汗)
寝坊したらイカン、寝坊したらイカン・・・と思えば思うほど眠れない・・・(大涙)
結局、ベッドに入ったは良いが、とうとう一睡もできず“起床時間”となってしまった。(大汗)

しっかり朝食を食べ・・・と言っても、午前3時ではなかなか喉を通らない・・・(苦笑)
予定通り午前4時に自宅を出発・・・
真っ暗中、山越えのドライブである。
朝の通勤時間にぶつかるかと思ったら、大したことは無くスムーズ・・・
積雪があるかと思ったら、温暖化のため雪がない!(笑)
例年ならかなり雪が積もっているはずなのだが・・・
こういう時は、温暖化に感謝である。(苦笑)
アイスバーンになっているかもと気にしながら運転したが、幸い、アイスバーン箇所も1カ所のカーブのみ・・・
助かった・・・(苦笑)
ただ、大型トラックに“煽られる”ので、緊張の連続である。
いやぁ~この真っ暗な中、よく飛ばすよなぁ~トラックは・・・(汗)

少し早めに伯母の自宅近くまで来れたので、近くのコンビニで“時間調整”・・・(笑)
滅茶苦茶寒いので、コーヒーを買って飲む。
店長とおしゃべりしたら、この地方では午前6時から火葬をしたりすることも普通なので、7時集合は、まだ良い方だだという。(驚)
地域によって違うんだねぇ~

伯母の家に到着して、出棺まで喪主の従兄と、おしゃべり・・・
次々と家に入ってくる人がいるが・・・誰なのか知らない・・・(苦笑)
もう何十年も会っていない従兄とかだったりして驚く。
従兄弟の子供達ともなったら、もう誰が誰の子供なのかもわからない・・・(苦笑)
拙者も歳を取っちまったんだなぁ~と痛感する。
もしかして、拙者は場合によっては孫が出来てもおかしくない歳か?(苦笑)

甥っ子の中では拙者一人だけが出棺に立ち会い、そのままバスで葬祭場へ・・・
葬祭場で他の従姉妹達と合流し、葬儀に参列・・・
葬儀は、ある意味、“社交の場”ではないかと思う。
今まで疎遠だった人達と会い、おしゃべりをする・・・
“旧交を温める”とは、こういうことを言うのかな?(笑)
伯母も喜んでくれているんじゃあるまいか?
何世代もの親戚が一同に会して、おしゃべりをするというのも、供養の一つだろう。

いい、葬儀だった・・・

日記 | 17:05:33 | Comments(0)
伯母が亡くなった・・・(涙)
今日の午前1時過ぎに、母の姉である伯母が亡くなった・・・
92歳であるが・・・なんと!今日が誕生日・・・
誕生日を迎えた日に息を引き取ったのである。
というわけで・・・満92歳である。
いやぁ~なんだろう、そのタイミング・・・・
なかなか自分の誕生日に亡くなる人っていないのではなかろうか?

伯母は上品な人だった。
物腰も話し方も上品で、そんじょそこらの“上品ぶっている”人とは全く違う。(苦笑)
誰もが「皇室の方ですか?」と尋ねてくるくらいの人だった。
拙者が子供の頃、伯母と美智子妃殿下の区別がつかなかったくらいである。(大笑)
よく似ていた・・・(笑)
三笠宮崇仁殿下が100歳でお亡くなりになった時、第一報を入れてくれたのは伯母である。
その時、拙者はフィリピンにいたので、留守録を聞いて知ったのである。
直ぐには帰国できず残念だったが・・・
あの時の伯母からのメッセージ・・・保存しておけば良かったと今頃になって後悔している。
あの話し方、声・・・残しておきたかったなぁ~(伯母は照れるだろうけど・・・)(大笑)

今年の夏から体調が思わしくなく入退院を繰り返している話は聞いていた。
昨年末に、年を越せるだろうかと心配していたが・・・
まさか、年を越して、誕生日に息を引き取るとはねぇ~
苦しむこともなく、静かに息を引き取ったというので安心した。

不思議なことに、伯母が拙者の名を呼ぶときの、いつもの声が聞こえてくる。

日記 | 13:39:22 | Comments(0)
『8月15日の特攻隊員』


はじめに

序章 旅のはじまり

第1章 「ヨカレン」って何ですか?

第2章 硫黄島をめぐる出陣

第3章 8月15日

第4章 拒絶反応

第5章 自衛隊の「彼」

第6章 遺品を追って

終章 「最期」の島

おわりに



本書の著者は若い女性・・・
25歳の時に、戦史の勉強を始め、各地を訪ね歩いた“記録”である。
その行動力に驚くが、こういう行動的な女性というのは結構いるもので・・・
私も何人か知っているが・・・(汗)
男より女の方が、思い切った行動をする生き物なのだろうか?(苦笑)
その“体験記”は、その気持ち、わかる、わかる・・・である。(笑)
似たような経験をした人じゃないとわからないかもしれないが、その気持ち・・・わかる・・・
大したものだと感心した。


今年の読書:2冊目



読書 | 23:22:57 | Comments(0)
軍人勅諭
明治15年(1882年)の今日・・・・1月4日に・・・・
『軍人勅諭』が陸海軍軍人に対し明治天皇から下賜された。
正式名称は『陸海軍軍人に賜はりたる勅諭』という。

『軍人勅諭』の本文は結構長文である。
で・・・かいつまんで分かりやすく述べられていることが多い。

一、軍人は忠節を盡すを本分とすべし

一、軍人は礼儀を正しくすべし

一、軍人は武勇を尊ぶべし

一、軍人は信義を重んずべし

一、軍人は質素を旨とすべし

いかにも“軍国主義”の象徴のようにも見えるが・・・
本文を読んでみると、“人の道”を説いているような気がする。
で・・・特に軍人はそれを守れと言っていると思うのだが・・・
残念ながら、多くの軍人は、この明治天皇のお言葉を守っていなかったのではなかろうか?
だから戦争に負けたのではなかろうか・・・という気がしてならない。

たとえば・・・
「忠節を本分とすべし」では、「世論に惑わず、政治に関わることなく、自分の本分である忠節を守れ」と言っているのだが・・・
実際には、かなり世論に惑い、政治に首を突っ込んだのでは?
「不覚をとって汚名をうけることのないように」と注意しているにもかかわらず・・・である。

「礼儀を正しくすべし」では、「上の者は下の者に対し、いささかも軽蔑し傲慢なふるまいがあってはならぬ」と言っているのだが・・・
実際は、かなり守られていなかったことは生還者の体験談や戦史、戦記物でも明らかである。
「上を敬わず下をいたわらず、一致団結を失うならば、ただ軍隊の害毒というだけではなく、国家のためにも許しがたき罪人である」とまで言っておられるのに・・・ねぇ~

「武勇を尊ぶべし」では、「血気にはやり粗暴にふるまうなどは武勇とはいわぬ」と明言している。
が・・・どうだろう?・・・かなり血気に、はやっていたのではあるまいか?
かなり粗暴だったのではなかろうか?
「武勇を尊ぶ者は常々他人に接するにあたり温和を第一とし、人々から敬愛されるよう心掛けよ」と言っているのだが・・・
さて・・・守っていただろうか?・・・甚だ疑問である。
「わけもなく蛮勇を好み、乱暴に振舞えば、果ては世人から忌み嫌われ、野獣のように思われる」とまで言っているのに・・・

「信義を重んずべし」では、「信とはおのれの言葉を守り、義とはおのれの義理を果たすことをいう」のだそうで・・・
「信義を尽くそうと思うならば、はじめからその事が可能かまたは不可能か、入念に思考すべし」と言う。
で・・・「始めによくよく事の正逆をわきまえ、理非を考えて、この言はしょせん実行できぬもの、この義理はとても守れぬものと悟ったならば、すみやかにとどまりなさい」とまで言っている。
ただやみくもに・・・というわけではないということだ。
「死後に汚名を後世まで残した例は少なくないので、深く警戒しなくてはならぬ」とまで言っている。
が・・・かなり汚名を残した人がいたのではなかろうか?
「お前たちだけを行かせるわけではない。私も後から行く」と言って特攻隊員を送り出した第4航空軍司令官・富永中将は、戦局が悪くなると、さっさとフィリピンから台湾へ逃げ出したといわれている。
自分の言葉を守らなかったわけだ・・・
で・・・この司令官・・・昭和35年(1960年)まで生きた・・・(唖然)
陸軍中将ともあろうお方が、軍人勅諭を無視するとは・・・

「質素を旨とすべし」は、「質素を心がけなければ、文弱に流れ軽薄に走り、豪奢華美を好み、汚職に陥って、心ざしも賤しくなり、節操も武勇も甲斐なく、人々に爪はじきされるまでになる」と述べられている。
「この風潮がひとたび軍人の中に発生すれば、伝染病のように蔓延して武人の気風も兵の意気もとみに衰えることは明らかである」とし、明治天皇はこのことを危惧し「指導する」とまで言っている。
「軍人は、ゆめゆめこの訓戒をなおざりに思うな」と厳命しているのだが・・・
占領地で現地人の愛人を作って連れ歩いていた高級将校が結構いたそうである。(唖然)
明治天皇のお言葉を“なおざり”にしたわけだ・・・(大汗)

『軍人勅諭』をキチンと守っていれば、日本軍は素晴らしい軍隊だったろうに・・・という気がしてならない。
「軍人」を「国民」と読み替えてもいいかもしれないと思うほどである。
本当は、この勅諭は今にも通じる素晴らしいものではなかろうか?

コラム | 17:59:09 | Comments(0)
『だまされない東北人のために』


はじめに

第1部 文化リテラシーの尊重
―ニセ物にだまされずに真の地域おこしを―

 文化リテラシー(Literacy)とは
 ニセ科学にだまされないための科学リテラシー
 左巻建男 『水はなんにも知らないよ』から
 カルト的教祖とニセ科学
 権威主義を利用するニセ科学―EM菌―
 樹木葬でも「うろつく」怪しい人々
 文化リテラシー不足? ニセ古文書にだまされた学者
 インターネット時代の落とし穴
 一関の語源でも文化リテラシー不足が
 地名漢字表記の歴史
 ニセ古文書を見破るには文化リテラシー
 国の推薦する委員の資質は?
 国推薦の専門家だけには任せられない
 久保川イーハトーブ世界の素晴らしさ
 ニセ学位
 古文書も内容の吟味を
 偏狭な郷土愛は捨てよう
 一関での漢字表記の特徴
 一関市博物館に求められるもの
 世界遺産に求められるもの
 マスコミの評価は?
 文化リテラシー尊重が真の地域おこしにつながる

第2部 ニセ古文書 『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』
―擁護者の認識不足―

 ニセ古文書擁護者の認識不足をめぐって
 史料批判よりもウソかもしれない中味で勝負のニセ古文書擁護者
 和田氏を過小評価する真作説者
 基本史料を軽視するニセ古文書擁護者
 和田氏とシンクロする『東日流誌』

第3部 北上川流域の地名・伝承と水

(1)北上川中流域の水に係わる伝承
    (イ)小夜姫伝説
         あらすじ
         大蛇と乙女
         止止井沼はどんな沼か
    (ロ)白髭水伝説
         洪水伝説
         白髭神社
         洪水神への転換
    (ハ)蛇走り伝説
(2)ハバ地名
(3)謎の湧水信仰・ウンナン
    (イ)研究概要
    (ロ)悉皆調査の報告
    (ハ)分析
         ①雷・石とウンナン
         ②ウナギの禁忌とウンナン
         ③虚空蔵菩薩信仰とウンナン

第4部 「日本刀のルーツ」? 舞草刀の誕生
―史料批判をふまえない結論はノー―

 蕨手刀と日本刀
 鍛造技術について
 技術の伝播
 日本刀のルーツはどこか?
 軍事力と刀の果たした役割
 権力の象徴と刀
 銘の問題
 刀剣古伝書『観智院本』の価値
 思い込みによる小川論文
 小川論文引用の悪循環
 日本刀ルーツ論議を真の学問へ
 ニセ古文書『東日流外三郡誌』と『観智院本』
 地域づくりと舞草刀
 博物館が購入した「舞草刀」

第5部 本寺地区の地名について
―中尊寺領という思い込みでなく自然地形を見つめよう―

 プロローグ
 「四度花山」と「図張」
 本寺と崩壊地名
 宇那根と馬坂
 「ホネデラ」の由来は?
 骨寺はどのような性格の寺だったか

《北上川流域の歴史と文化を考える会 主な活動経過》

あとがき


マスコミが飛びつくような話、注目するような話が何らまともな検証もされぬままに“正統なもの”という扱いをされるきらいがあると思う。
そういう”偽史”をもとに“地域おこし”となれば、笑止千万・・・
著者(編者?)がいくつかの実例を上げて解説している話は、なるほどねぇ~という話だった。


今年の読書:1冊目




読書 | 22:05:42 | Comments(0)
“マツオさん”からお電話が・・・
今日、突然、福島県にお住いの“マツオさん”(91歳)からお電話がかかってきた!(驚)
氏は甲種飛行予科練習生16期出身・・・
平成22年、ミッドウェイ島での合同慰霊祭の時に一緒にハワイへ行った仲間である。(笑)
あれから9年も経つ?(汗)

電話をかけてきたのは、拙者からの年賀状への御礼・・・
なぜ“マツオさん”が拙者に年賀状を出していなかったのかというと・・・
空き巣に入られて・・・(驚!)
住所録から何から書類類をまとめて盗まれたのだという。(え?・・・うそぉ~)(唖然)
住所録が盗まれたので年賀状が出せなかったという。(笑)
ほんと?(苦笑)
住所録まで盗む泥棒って・・・あり得る?(苦笑)
思いもよらぬ、まさかの個人情報の漏洩である。(汗)
悪用されたら堪らんなぁ~
警戒を要す・・・だな・・・これ・・・(大汗)

「いやぁ~懐かしいなぁ~」を連発する“マツオさん”・・・
その声の大きいこと、大きいこと・・・
相変わらずお元気である。
張りのある元気な声を聞けて嬉しい。

「あんたに会いたいなぁ~」を連発されたが・・・・
冬なんですけど・・・
福島は雪が積もるでしょ?
山奥に住んでいるんだから・・・(大笑)
う~ん・・・そう言われてもねぇ~
雪の中は・・・行きたくないなぁ~(笑)
春!・・・暖かくなって雪が解けたら会いに行きましょうかね・・・(大笑)
それまで、お元気で!
待っていてくださいということで、お電話を切る。(笑)

年賀状もいいけど、電話で声を聞くというのもいいものである。

日記 | 19:06:25 | Comments(0)
元旦
2020年・・・令和2年の第一日目!
元旦である。

国旗も揚げたし・・・

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玄関にお飾りも飾ったし・・・

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いつものように玄関にお花を飾ったし・・・

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今年は拙者の干支・・・子年なので、ネズミのグッズを玄関に飾って見た。(大笑)
(猫もいるけど・・・)(大笑)

で・・・・
今日は亡き母の誕生日なので、これも例年通り、仏壇の脇に「お誕生日のプレゼント」の花束も備えた・・・・

さて・・・これでいいんだよな?
何か忘れている気もするのだが・・・(大汗)
あれぇ~・・・何か抜けているような気がするんだよなぁ~

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おせち料理も昨日宅配便で届いたし・・・
おせち料理を一人で突きながら考えてみたが、どうしても思い出せない・・・(苦笑)
あ~なんとも気持ちが悪いぞ・・・
新年早々、これじゃ・・・ねぇ~
まともな一年を過ごせるだろうか?(大笑)

夜、東京から妹と姪っ子が来てくれた。
ありがたし・・・である。(喜)

日記 | 13:48:01 | Comments(0)