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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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大晦日は「後悔の日」(大汗)
毎年の事だが・・・
大晦日を迎えるたびに後悔をする。(汗)
この一年間・・・拙者は何をしただろうか?・・・と・・・
で・・・これを毎年繰り返しているんだから、救いようがない・・・(大笑)

さて・・・今年・・・何を目標にしていたっけ?(大汗)
記憶にない・・・・(苦笑)

来年も、これを繰り返すんだろうなぁ~



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日記 | 21:04:38 | Comments(0)
『魔性の歴史』


はじめに

第1章 刺すべき心臓のない国

“聖戦”
  夜郎自大
  無名の戦
  泥沼
  ソ満国境
  二兎を追う
  ドミノ現象
  海軍の立場
  “和平”の中身
  暴走
磁場
  戦力と戦費と
  不可逆的状況
  海軍の場合
  「撤兵問題ハ心臓タ」

第2章 資源と輸送と海上護衛と

無資源国日本
  名和教授の深憂
  扼殺
  タイト・ロープ
  ハンド・ツウ・マウス
  「特ニ物ガ減リツツアリ」
  石油
船舶か艦艇か
  「コレナラナントカナル」
  逆に出たサイコロの目
  慣性の法則
  油槽船の場合
  隘路と無秩序と
海上護衛をめぐる用兵の論理
  夢想もしなかった海上護衛
  転倒した価値観
  無視された戦訓
  大艦巨砲主義と仮説と
  井上成美の海上護衛論
  アメリカの潜水艦戦力
海上護衛戦力といわれるもの
  作戦と護衛の対立
  海上護衛隊の登場
  航空戦力の登場と対潜攻撃部隊の登場
  流用された護衛戦力
  最後の戦い 海上護衛戦
海上護衛の実態
  お粗末なハード戦力とソフト戦力
  海上護衛 第一段階
  海上護衛 第二段階
  海上護衛 第三段階
  海上護衛 第四段階
航路帯の放棄
海上護衛をめぐるアポリア
  成り立たなかった方程式

第3章 幻の不沈空母

不沈空母論は現実的か?
  井上成美「新軍備計画論」
  大西瀧治郎「純正空軍」論
  時間は限定されていた
  アメリカの対日戦略
  南洋群島
  不沈空母といわれるもの
  立ちはだかる資源問題
  遅れた生産技術
  二重構造の日本航空戦力
  均等に配分された戦力
短い勝利の日々
  相対戦力
  さえない陸軍航空戦力
  腐敗と虚偽の構造
大凶の兆
  空念仏の「貴重な教訓」
  大敵の擒
  賽の河原
  対立と分散と
枯渇する戦力
  青田刈り
  壊滅
  「天地の災にあらず」
  二つの天王山
  分力化する陸軍航空戦力
終焉
  硫黄島
  幕閉じた「魔性の歴史」
  “スーパー・フォートレス”
二、三の諸問題
  ソフト戦力(搭乗員)
  機材、運用など

第4章 胡蝶の夢

悲願
  「八八」艦隊
  トーン・ダウン「八四」
  「八六」艦隊
  「八八八」艦隊
海軍軍縮をめぐる軍縮と軍拡と
  「ワシントン条約」締結へ
  「ロンドン条約」
  ①計画の登場
「物的戦力の谷間」と言われた時代 陸軍軍備
  旧態依然たる装備
  「山梨軍縮」と「宇垣軍縮」
  トロイの馬
“カサンドラ・クロス”への出発
  ②計画と③計画
  「友鶴」事件
  「第四艦隊事件」
  攻撃一辺倒主義 日本とドイツの場合
  ③計画 無条約時代
黒いエネルギー 陸軍軍拡への道
風 楼に満つ 宿命の海軍軍拡
  ④計画の登場
  軍拡シーソー・ゲーム
  画餅
  戦力不十分の出師準備
  臨界状況のソフト戦力

第5章 侏儒とアトラスと

暴虎馮河
  乖離激しい日米の動員力
自壊する陸海軍戦備
  ミッドウェイの大逆転
  改⑤の登場 机上のプラン
  ガダルカナルの大消耗とマル戦計画
  “ゼロ・サム”ゲーム
  陸・海の軋み音
  “アポリア”
  バラバラの矢
  急場の策
  満州防衛力の瓦解
  兵力の老兵化
  ゲリラと正規軍
  特攻兵器の登場
  「回天」「震洋」「桜花」
  陸軍特攻
  特攻の物質的基礎
  主戦力と化した特攻
  崩壊する陸海軍戦力
日米ウォー・ポテンシャル比較
  GNPと軍事費の比較
  トレード・オフ
  軍事経済と絶対的窮乏
  戦力 国力を食う
  崩落
  枯渇した労働力
  日米工業生産比較

文庫版のあとがき
―15年戦争と現代の若者

参考文献


本書の副題は「マクロ経営学からみた太平洋戦争」ということなのだが・・・
読んでいると、“経営学”というより“経済学”というイメージを持った。
各種の数値、データを上げての話なので説得力がある。
こうなると、どうあがいても勝てない戦争だったのか・・・ということになるのだが・・・
でも、なんとか“敗けない”ことは出来たのではないかと、あがきたくなる。


今年の読書:65冊目



読書 | 11:49:40 | Comments(0)
恒例のお墓参り
昨日は、妹の家族の「ファミリーコンサート」を聴きに上京して一泊・・・

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で・・・今日は、護国寺にある土肥原賢二閣下のお墓参り・・・・
もう何十回、お参りに来ているだろう・・・
あと何十回、お参りできるだろうか?

今回は、恒例の行事を二日に亘って無事にこなせたので大満足である。

日記 | 23:24:54 | Comments(0)
41年ぶりの再会(驚)
今日、今まで買って放置していた宝くじを換金に行く・・・(笑)
丁度、宝くじ売り場に並んで順番を待っていたところ、一人の女性が近くを通りかかった・・・
と・・・「あらぁ~!」と声を掛けられビックリ・・・
「お久しぶりです」と言われても・・・・さて・・・誰だろう・・・このオバチャン・・・(大汗)
お名前を聞いて思い出した!
スナックのママさんである。(苦笑)
「20年ぶり?」と言われたが・・・さて・・・20年ぶりの再会なのかどうかすらわからない・・・(大汗)
20年ぶりという事は、20年前には会ったってこと?
う~ん・・・そうなのか?(大汗)
昔、昔、大昔は、このママさんは、すごい美人だったことは覚えているのだが・・・(苦笑)
20年くらいで、こんなに変わるのかな?(苦笑)
お店は4年ほど前に移転しているとのこと。
是非、飲みに来てくれと言われたが・・・そういう気には全くなれない・・・(大汗)
その昔、確実に20年以上も前のことだが・・・
このママのお店は人気があって地元の大企業のサラリーマンたちで大混雑していた時期があった。
その頃、昔からの馴染みという事で、我々中小企業の経営者仲間数名でこの店を訪れた。
で・・・入店して30分も経たないうちに強引に店から追い出されたのである。(唖然)
我々が何か悪いことをしたわけではない。
大企業のサラリーマンたちが混んでいて入店できなく入口でグズっていたので、馴染みの我々に席を空けるように強引に迫ったのである。(唖然)
「お帰りになりますよね?」
「え?・・・だって、今来たばかりだけど・・・まだ30分も経っていないんですけど・・・」
と言っても無視・・・
「はい!こちらのお客さんがすぐ帰りますから!ちょっと待ってください!」と待っている客たちへ・・・
「いやいや、帰るって言ってないけど・・・」(大汗)
「ちょっと待ってくださいね!今、この席が空きますから!」と再び我々を無視・・・(怒)
帰れって言うなら帰るよ・・・ということで我々は店を出たが・・・
全員が、もうあの店には行かないと言う。
そりゃそうだ・・・
この店は、その後、廃れた・・・・という噂は聞いていたが・・・
当然だろうな・・・・
我々にあのような対応をするようでは、他の客にも同じようなことをしていただろうと思う。
景気が悪くなれば、接待も自粛、経費で飲む人も減り、リストラでサラリーマンの数も減り・・・(苦笑)
結局は閑古鳥が鳴くこととなる。
お客を大事にしなかったツケがこの時回ってきたのだろう。
店を移転して、一人で細々とやっているという。
栄枯盛衰・・・自業自得・・・
う~ん・・・あの時の我々に対する仕打ちを覚えていないのかなぁ~(大汗)
今さら、親しく声を掛けられてもねぇ~
無理だな・・・
適当に挨拶して話を終える・・・

そこへ、一人のオッサンが通りかかり、拙者の顔を見てニヤニヤしている。
「いやぁ~!」と声をかけてきたが、見知らぬオッサンである・・・(大汗)
「俺だよ!俺!」としきりに言うのだが・・・(大汗)
そういわれてもねぇ~
拙者は、とにかく人の顔と名前を覚えるのが大の苦手なのである。
昔・・・国会議員の秘書に・・・という話を持ち掛けられたことがあったが、人の名前と顔を覚えられないのでは政治家の秘書なんか務まるわけがない・・・(大笑)
仮に政策秘書だとしても、駄目だろう・・・(大笑)
ということで断ったことがあったが・・・
そのくらい記憶力が悪い。(大笑)
さて・・・このオッサン・・・誰だろう?
「ん?誰?」と聞いても「俺だよ~俺!」と言う。
こういう輩は本当に迷惑である。
誰なのかって聞いているんだから名前を名乗れよ!(怒)
ようやく・・・「高校の時、同級だった中川だよ!久しぶり!」・・・
「おお!中川君!」と言ったはいいが・・・正直言って、記憶が薄い・・・(大笑)
同級だっけ?(苦笑)
「中川君」という名は覚えている。
が・・・具体的な思い出が・・・ない!(大汗)
「高校卒業以来だよなぁ~」と言われてマジマジと彼の顔を見てしまった。
このオッサンが・・・中川君?(苦笑)
拙者の微かな記憶に残る「中川君」の面影がほとんど残っていない・・・
そりゃ、41年ぶりだから仕方がないか?(大汗)
「じゃぁ、またね!」と彼は去って行ったが・・・
「またね」はあり得るのか?(大笑)
偶然、バッタリ出会ったわけで・・・今はどこに住んでいるのかも知らないんだけど・・・(大笑)

41年ぶりの再会とはねぇ~驚いた・・・
彼から声を掛けられなかったら、何も知らずス~ッとすれ違っていただろう。
41年前の思い出なんて微かにしか思い出せなかったので焦ったが・・・
声をかけてくれたことには感謝せねばならないかな?

今日は20年ぶりだとか41年ぶりだとか・・・不思議な再会が続いた日だった・・・(笑)

日記 | 16:51:49 | Comments(0)
著作権上、問題が・・・
先日、法人会事務局から連絡があった。
この間取材した「十石堀」に関する原稿が執筆担当の“ムラタくん”から事務局に届いたらしいのだが・・・
その原稿・・・新聞記事やネットの記事、役所のHPの文章をそのまま並べただけだという。
丸写し?(唖然)
「これ・・・著作権上、問題になるんじゃないでしょうか?」とのこと。
早速、その原稿を見せてもらったが・・・
「原稿」としても体を成していない。(唖然)
完全なパクリである。(大汗)

本来ならば、各種の情報を基に自分の言葉で文章を書くべきだと思うのだが・・・
彼は、そのことを知ってか知らずか・・・(汗)
面倒くさいからなのか・・・(大汗)
完全なパクリなのであるから驚く。
「これ・・・完全に著作権法違反じゃないかな?」(苦笑)
「ですよね~」と事務局長。

というわけで・・・本日、事務局で広報委員長と事務局長と3人で打ち合わせをすることにした。
拙者も著作権法については詳しくはないので、「引用とは何か」「転載とは何か」「著作権法とは何か」等の資料を集め、打ち合わせの参考とする。
とにかく、我が会は「公益社団法人」の冠を乗せている団体ですから・・・(苦笑)
そういう団体の会報が著作権法を違反しているとなったら、おおごとである。(大汗)
「たぶん、大丈夫じゃないのぉ~」というノー天気ではマズイのである。
こういうところが恐い所で・・・そういうチャラい人の意見に従ったら大失敗をするに違いない。

委員長も理解をしてくれたので助かったが・・・・
問題は、“ムラタくん”の原稿をボツにすると、彼がへそを曲げてしまうのではなかろうか・・・という点である。
「著作権?そんなに気にすることないんじゃないのぉ~」と言ってくるだろうことは明白である。
が・・・ここで遠慮してしまうと、あとで問題が大きくなった時には大変なことになりかねない。
“看板”に泥を塗るわけにはいかないのである。
ということで、代わりの方策を検討する。

まずは、役所が作成して一般に配布した資料・・・これが非常にわかりやすく書かれているので、これを丸々「転載」する形とする。
事務局から役所へ会報への転載許可を求めることで決定。
“ムラタくん”には著作権法上の問題があると拙者が強硬に言い張るので書き直して欲しいと事務局から伝えてもらうことにする。(笑)
“悪者”になるのは拙者の得意とするところなので、拙者をダシにしてもらうこととした。
で・・・原稿締め切り日までに原稿が上がってこなかった場合は・・・(たぶん十中八九、上がってこないと思うが・・・)(苦笑)
「印刷に間に合いませんでした。残念でした」ということで・・・(大笑)
事前に行なった現地取材時の写真を中心にした記事を1ページ作っておいて準備しておき、最終的に全部で3ページの記事を完成させるということで話が決まった。
これで一件落着・・・(大汗)
ホッ・・・である。(苦笑)

日記 | 23:21:58 | Comments(0)
『静かなる日本侵略』


はじめに

第1章 中国人だらけの日本
 生徒の9割が中国人留学生という異様
 カッコウのヒナを育てる「お人好しニッポン」
 「多様性」という名の美辞麗句
 教授をつるし上げる中国人留学生
 狂暴化する「千葉の中国人」
 この団地を乗っ取ってやる
 埼玉には元祖「チャイナ団地」
 見て見ぬふりのUR
 美談仕立てで臭い物にフタ
 老華僑と新華僑
 中国人住民による「数」の脅威
 日本の医療保険制度にタダ乗りする中国人

第2章 孔子学院は中共のスパイ機関なのか
 きっかけは天安門事件
 ディープチャイナ(腹黒い中国)戦略
 恩を仇で返される日本の政治家たち
 立命館の孔子学院は取材拒否
 孔子学院はFBIの捜査対象
 孔子学院に無防備な文科省の怠慢
 中国に侵食されるオーストラリア
 「尖閣は中国領」を掲げるAPU孔子学院
 情報インフラの中枢に食い込む中国企業
 日本にも欲しい「内政干渉阻止法」
 中国のために奔走するイラン系スパイ議員
 世界を席巻する中国人移民
 中国が相手国政府へ浸透する手口
 中国当局の女スパイが暗躍
 中国のトラップに引っかかる政治家たち
 孔子学院は学術界へのマルウェア(悪意あるソフト)
 クライブ・ハミルトンが語る「静かなる侵略」
 孔子学院による多額の献金攻勢
 米国でスパイ疑惑の中国系企業「華為技術(ファーウェイ)」
 米国の孔子学院も疑惑の集中砲火
 孔子学院を強く牽制する米国防権限法が成立

第3章 日本の離島が危ない!
 人口35人の集落に6千人の中国人!?
 日本人の目につかぬ場所に中国人
 奄美の一部が中国の治外法権に
 ザル状態の離島防衛
 知らぬままに進む誘致計画
 入国審査の簡略化を求める公明党議員
 消えるクルーズ船の乗客
 相次ぐ中国人船客による犯罪
 止まらぬ中国人の失踪
 スウェーデンでは移民がギャング化
 特殊詐欺にも関与する中国人船客
 そんな中国人たちへの「ビザ免除」
 大型クルーズ船の誘致はトーンダウン
 公明党・遠山議員に直撃インタビュー:「失踪中国人は国防上の脅威ではない」
 東シナ海は緊張の海
 公明党・遠山氏「中国からの働きかけはない」
 なぜ観光客誘致に前のめりなのか
 寄港候補地の条件
 二転三転する誘致計画
 陸自の新基地建設と同時期に誘致話が浮上
 「関心がない」と関心を示す地元代議士
 官房長官と公明党
 占領の危機を脱した、西郷どんが愛した町
 「22万トン、6千人」の巨大クルーズ船がやって来る
 つきまとう中国人のダーティ・イメージ

第4章 日本近海を暴れ回る北朝鮮と中国
 何かが変だ:相次ぐ北漁船の難破
 漁民か、工作員か
 北朝鮮の背後に中国の影
 恫喝目的?小笠原に200隻の中国漁船
 中国漁船を銃撃して拿捕:パラオ共和国を見習え
 中国漁船に海上民兵
 尖閣にも大挙して襲来する中国漁船
 五島列島も威嚇:民間協定で「間接侵略」を手引き!?
 九州の離島には本能的な警戒感がある
 沿岸強化で日本の島々を守れ

第5章 韓国に占領される国境の町
 韓国資本に買い漁られた対馬の海自基地
 韓国嫌いは「日本ヘイト」が原因
 「防衛省が馬鹿なんだよ」怒る地元住民
 雇用創出で苦渋の選択:韓国資本受け入れ
 天皇皇后両陛下の石碑が韓国の人質に
 ルーピー鳩山の悪夢
 ホコリをかぶったままの「外国人土地法」
 対馬市を長崎県から福岡県に移管せよ
 無視できない韓国人観光客の落とす金
 「対馬も韓国領」というナンセンス
 仏像盗難で悪化する住民感情
 木槿の違法植栽事件に見る韓国人の無駄な狡猾さ
 勇猛果敢な対馬武士の誇り
 だれが国を守るのか

おわりに



中国人や朝鮮人(北朝鮮・韓国)は、なんで、こうなんだろう?
ある程度は見聞きして知ってはいたが、こんなにヒドイとは・・・驚いた。
過剰な性善説に毒されている日本人には、これでもまだわからないのだろうか?
明らかな“侵略”だと思うのだが・・・
日本人は、もっと痛い目に遭った方がいいのかなぁ~
こういう“警鐘”が、どこまで伝わるか・・・・
国民の大半が“平和ボケ”では、やられるだけやられるしかないのかも・・・
私はそんな目に遭うのは嫌だが・・・・


今年の読書:64冊目



読書 | 23:39:02 | Comments(0)
血液検査の結果・・・(大汗)
先日の血液検査の結果が出たということでクリニックへ行く。

で・・・その検査結果は・・・(唖然)
中性脂肪値が「531」である!(驚)
定期的に受けている集団検診でも「300」程度だったんだけどなぁ~(大汗)
参考基準値は「35~149」だから、300でも問題だが・・・(苦笑)
まさかの500超えとはねぇ~
「これじゃ、いつ脳梗塞や心筋梗塞になってもおかしくはない」と医者・・・
「血管はボロボロになっているんじゃないかなぁ~」とも言う。
おい、おい・・・である。(大汗)

食生活に問題があるようである。(汗)
だいたい、おかずの殆どはスーパーの総菜コーナーで買っている。
総菜コーナーには、コロッケ、鶏のから揚げ、白身魚のフライ、てんぷら等々、なぜか揚げ物が多い。
意識して、そういうものを買っているわけではないのだが・・・
いつの間にか毎日そういうものを食べているのだろう。(汗)
肉を食べるのをやめろといわれたが・・・(汗)
そんなに肉を食べているとは思えないんだけどなぁ~
運動不足も原因の一つらしい。
が・・・運動はキライ・・・(大笑)
家の周囲を散歩してみたが・・・・すぐ飽きた・・・(苦笑)
面白くない・・・・
以前は、親父を連れて毎日散歩をしたこともあったが、それは親父の健康管理の為である。
こういう“目的”があるのなら、やるのだが・・・
ただ何の目的もなく歩くというのは苦痛である。
自分の健康管理の為と言っても、どうもピンとこない。(苦笑)
旅先で歩くのは苦ではないのだが、どうも見慣れた景色を見て歩くのは面白くない。
かといって、毎日、旅に出かける訳にもいかんしなぁ~(大笑)
スポーツジムに通う人もいるが・・・
う~ん・・・面倒くさいなぁ~
カネを払ってまで自転車を漕いだり、ベルトコンベアーに乗って走る気はない・・・(大笑)
困ったなぁ~
それにしても500超えはマズイか・・・(大汗)
中性脂肪を下げる薬を処方してもらう。

もうひとつが尿酸値・・・
これも定期健康診断で指摘されていたが、今回も上限をちょっと超した「7.3」である。
参考基準値は「3.4~7.0」である。
上限7.0は、あくまでも参考基準値でしょ?(苦笑)
あくまでも「参考」だからねぇ~(笑)
拙者は、数字が好きではない。
なんでもかんでも数値化するが、本当にその数字は信用できるのだろうかと疑ってしまうのである。(大笑)
医者が言うには「数値が高くても痛風にならない人もいますから・・・」とのこと。
そうでしょぉ~上限7.0を超したら必ず痛風になるっていうわけじゃないでしょぉ~(大笑)
まぁ~様子を見ますか・・・ということで薬の処方は無し・・・

今回は、検査の結果に基づき、中性脂肪を下げる薬と、血圧を下げる薬の2つを処方してもらう。

日記 | 23:20:34 | Comments(0)
原稿を持ち込む
今日は、従弟が経営している印刷会社に年賀状の原稿と戦友会の会報の原稿を持って行く。
で・・・「これお願いね!」(笑)
「えっ!これ・・・年内にやるんですか?」(大汗)
確かに、この年末の忙しい時に・・・迷惑でしょうねぇ~(大笑)

戦友会の会報は、もっと早いうちに作れば良かったのだが・・・
グズグズしているうち12月になってしまい・・・(汗)
必死で原稿を書き上げて、なんとか年内に間に合った。(苦笑)
会計年度は1月から12月ということになっているので、できれば年内に発行したい。(大笑)
う~ん・・・迷惑だろうねぇ~(苦笑)

年賀状も、モタモタしていてようやく・・・である。(苦笑)
こちらは、まさか来年の1月でもいいよというわけにはいかない。(大笑)
280枚ほど出すので、宛名印刷の手間を考えると少しでも早く印刷を終えてもらいたい。(大笑)

ということで・・・・
最優先は年賀状の印刷、その次は戦友会の会報の印刷とする。
会報の方は、最悪、年を越して来年になってもいいが、請求書だけは年内に発行してもらい、本年度の会計で処理したい。
ということで・・・・とりあえずお願いする。(というか・・・押し付ける・・・)(大笑)
拙者は“悪魔”だな・・・(大笑)

日記 | 23:19:01 | Comments(0)
『米中対決の真実』


はじめに―米中対決の真実

序章 米中対決の全体図
       関与政策はまちがいだった
       無法な中国の手法
       統一戦線工作でアメリカ社会に浸透
       ペンス演説は対中転換の象徴
       北朝鮮と韓国をどうみているか
       日本は直球を投げろ

第1章 中国はグローバル覇権を目指す
       中国の野望がついにグローバルに
       軍事拡張も世界規模へ
       「一帯一路」も軍事利用
       サイバー大攻撃も中国だった
       ファーウェイはなぜ危険なのか
       ウイグルでの大弾圧
       明らかになった対中強硬姿勢
       対テロ闘争の軛
       オバマ政権の失敗と国際非難
       「世界最大の強制収容」

第2章 アメリカが中国と対決する
       ペンス演説の歴史的な重み
       対中関与政策の終わり
       「国家安保戦略」の意味とは
       国防費の大増強
       トランプ政権の見る「世界の脅威」
       北朝鮮の脅威もなお続く
       中国とロシアが連帯する
       トランプ政権のINF条約破棄
       中国の中距離ミサイルの脅威
       なぜ米中貿易戦争なのか
       「一帯一路」への官民の反発

第3章 習近平の軍事戦略を斬る
       習政権の軍事動向とは
       アメリカへの最大の脅威
       ウォーツェル氏の見解
       習近平の福建省へのきずな
       日本への屈辱
       新設「ロケット軍」とは
       ヨシハラ氏の見解
       攻勢に転じた対中戦略
       西太平洋からアメリカを追い出そうとしている
       中国は、日本の「施政権」を骨抜きに・・・・・
       中国の「キャベツ戦略」
       「貧しい中国」の認識が生んだもの

第4章 中国がアメリカを侵す
       「統一戦線」とはなにか
       ベトナム戦争での統一戦線
       アメリカ研究機関への資金
       対外的な政治闘争
       アメリカの大学への工作
       「ダライ・ラマを招くな」
       若き米人女性学者の挑戦
       中国の報復を恐れる
       「学問の自由」は侵された
       なぜ大学と政府の協力が必要か

第5章 中国が日本をだます
       米中対決の日本への影響
       米中対立だと二階俊博氏が北京に
       中国のかりそめの微笑と尖閣攻勢
       「安倍対中外交は失敗する」
       日中間の戦略的対立点
       中国に優しい朝日新聞
       中国政府の無法な言動
       中国はなにを嫌うのか
       アメリカ議会に中国スパイがいた
       在米中国スパイが日本を叩いた



今年の読書:63冊目



読書 | 20:57:51 | Comments(0)
病院へ行く
今日、午前中に後輩で自動車整備工場の社長をしている“トシちゃん”が、車検の件で我が家にやって来た。
で・・・昨日の東京の話・・・
「体調はどうですか?」と言われ・・・ついつい・・・
「朝、めまいがして大変だった」と話したら彼が真顔で「すぐに病院へ行ってください!」としきりに言う。
彼は、大したことが無いと思いながら病院へ検査に行ったところ、検査の結果が出た後日、すぐに来いと言われたそうで・・・
病院(クリニック)へ行って、医者から直ぐに別の病院へ行くように言われ、なんと、救急車で総合病院へ運ばれたそうだ。
で・・・すぐに“手術”・・・
心筋梗塞か何かだったらしい。
その後、彼が、看護師に尋ねたところ「15分遅れていたら命はなかった」と言われたそうである。
本人としては、大したことはないと思っていただけに、驚いたそうで・・・・(大汗)

ちょっと目眩がするとか、ちょっと胸が苦しいとかといって甘く見てはいけないと説教されてしまった。(大汗)
「血圧はどうなんですか?」と尋ねられ・・・
「さっき測ってみたら、上が200だった」と答えたら、またまた叱られた・・・(苦笑)
だって・・・別に今は体調に問題ないんだけど・・・(汗)
200って・・・そんなに高いのかな?(汗)
親父が使っていた血圧計を使ってみたんだけど・・・あれ、壊れてるんじゃないの?(笑)

心筋梗塞を見つけてくれた命の恩人の病院を紹介するから、すぐに行ってくれと“懇願”され・・・(苦笑)
仕方がない・・・午後に紹介を受けた病院に行くことにした。(大笑)

午後一番で、彼から「病院の方に電話しておきましたから!」との電話をもらう。(大汗)
そこまで手を回されたんじゃ行くしかないわな・・・(大汗)

午後2時過ぎ、紹介された病院へ行く。
と・・・受付の看護師が「連絡を受けています。いくら言っても言うことを聞かない頑固な先輩だそうですね」と笑われた・・・(大汗)
おい、おい、・・・・そういうことまで話しちゃったのかい!(大汗)

診察・・・・
血圧を測定したら、200までは行かなかったが高かった・・・(大汗)
医者が言うには緊張しすぎているからだとのこと・・・(苦笑)
リラックスするように言われ、何度か測り直し、ようやくそこそこの正常値が出た。(汗)
医者は緊張しすぎだと笑っていたが・・・
これはストレスからくるものだと思う。
大学時代に検査を受け、普段の状態でのストレスが一般の人の2~2.5倍かかっていることを知った。
自分でも原因はわかっている。
このストレスは絶対解決することが無いストレスなのである。
当時は若かったから何とでもコントロールできたのだろうが、ついに歳を取った結果、そのコントロールが効かなくなってしまったという気がする。
やむを得ない・・・・

心電図も取ってもらったが、異常なし。
採血されて検査へ・・・・
とりあえず、血圧を下げる軽い薬と、不安感が起きた時のための精神安定剤を処方される。
ついに精神安定剤を処方されるほど“弱く”なってしまったのか・・・情けない・・・(涙)

いずれにせよ、“トシちゃん”のように緊急搬送されるようなことにならなくて良かった。(大笑)

日記 | 12:40:51 | Comments(0)
大森貝墟碑(レプリカ)
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《大森貝墟》碑の由来

大正14年12月、大森貝塚を発掘し、江戸・明治期の文化を海外に紹介したエドワード・シルベスタ・モース博士の訃報(ふほう)が伝わると、ただちに博士と関係のあった石川千代松・岩川友太郎・臼井米次郎・佐々木忠次郎・松村瞭・宮岡恒次郎の6名が発起人となり、大森貝塚の顕彰(けんしょう)とモース博士の偉大なる功績(こうせき)を後世に伝えるため、調査場所に記念碑をたてることにした。
その場所は、発掘に参加した佐々木忠次郎の日誌と記憶、ならびに当時の地形、立木、村道の位置、大森駅との距離などにより、小林脳行店主の臼井米次郎の所有地(東京府荏原郡入新井町字新井宿山王下255番地・現在の大田区山王1丁目3番1号)とされた。
21名の研究者らが発起人となり建碑を呼びかけたが、昭和2年にアメリカで起きた世界恐慌(きょうこう)が日本にも及び、献金は集まらず、臼井米次郎が土地と資金を提供し、《大森貝墟》碑が完成したと、佐々木忠次郎は語っている。
除幕式は昭和5年4月13日におこなわれた。
碑の材料は仙台石で、高さ6尺、幅3尺、これに二段の台石を据(す)え、碑の表面には碑名、英文記事、発起人の氏名を刻(きざ)み、裏面にはモース博士の貝塚発見の由来を彫(ほ)った。
昭和30年3月24日、《大森貝墟》碑は品川区の大森貝塚遺跡庭園内にある《大森貝塚》碑とともに国の史跡に指定された。
史跡《大森貝墟)碑は、日本の歴史に輝きをあたえた大森貝塚とその発掘者モース博士をたたえるとともに、氏を敬愛する明治期の人々の意気が感じられる。
私たちはこの碑を国の文化財の象徴として、末永く保存管理する使命をもっている。

東京都大森貝塚保存会
会長  関 俊彦

この像は《大森貝墟》碑の約二分の一寸法のレプリカです。
実物は左のNTTデータ敷地通路奥の階段を下りた先にあります。

2014年3月

(説明板より)


【東京都大田区山王1-3】



史跡 | 15:12:46 | Comments(0)
廿三夜碑
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廿三夜(にじゅうさんや)

この石碑は陰暦八月二三日の夜、月待ちをすれば、願いごとがかなえられるという二三夜待ち信仰に由来するものです。
上部には信仰のシンボルとして日輪と月輪が彫られていうのも特徴です。
裏面には、明治十七年(1884)八月二三日と世話人八名の氏名が刻まれています。

(説明板より)


【東京都大田区山王1-41-21・蘇峰公園入口】



史跡 | 15:11:18 | Comments(0)
カタルパ
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新島襄と蘇峰との子弟愛の樹
カタルパ
和名 アメリカキササゲ(ノウゼンカズラ科)

アメリカ原産の落葉樹。
高さ20mにもなる。
6月、香りのよい白いベル状の花をつけ、秋にはサヤエンドウの様な実をつける。
わが国では全国的にみても珍しい木。
明治10年代に同志社の創立者新島襄がアメリカから種子を持ち帰り蘇峰の父淇水(きすい)と蘇峰に贈ったのがはじまりと伝えられる。
蘇峰は明治15年、20歳の若さで郷里の熊本に「大江義塾」(おおえぎじゅく)を開いた。
青少年の教育に奮闘している姿に恩師新島が激励の意味で種子を贈ったといわれている。
新島と蘇峰の子弟愛を物語る由緒ある木。
この木は現在、熊本市立徳富記念館(大江義塾跡)にある2代目の木から昭和63年6月に挿し木した3代目であり、平成2年3月同記念館から贈られたものである。

(説明板より)


【東京都大田区山王1-41-21・蘇峰公園内】



史跡 | 15:10:07 | Comments(0)
山王草堂邸内の建築
046_convert_20200311155839.jpg (牛後庵跡)

049_convert_20200311155904.jpg (成簣堂文庫跡)

徳富蘇峰と山王草堂邸内の建築

徳富蘇峰(1863~1957)は大正13年(1924)、この地に居宅を建て、山王草堂と称して昭和18年(1943)熱海伊豆山に移るまでここに起居した。
邸内には母屋の他に三つの建築が建っていたことが知られており、それぞれ成簣堂文庫(せいきどうぶんこ)、一枝庵(いっしあん)、牛後庵(ぎゅうごあん)と名付けられていた。
それら蘇峰ゆかりの建築について記す。

成簣堂文庫(せいきどうぶんこ)
蘇峰の収集した和漢書10万冊に及ぶ書籍類を収蔵していた、鉄筋コンクリート造3階、地下1階の書庫。
大正9年(1920)、山王草堂に先立って着工され、大正13年(1924)、山王草堂と同時に落成した。
文庫には蘇峰が長年苦心して収集した収蔵品があり、中には国宝2点、当時の重要美術品(現在の重要文化財)72点が含まれていた。
それらは蘇峰によって体系的に整理され、わが国の文化史研究の資料として非常に価値の高いものであった。
この文庫の存在によって多くの資料が緻密に分類され、蘇峰の「近世日本国民史」執筆に大いに役立ったと考えられる。
後にそれらの書籍類は主婦の友社に譲渡され、現在は千代田区にあるお茶の水図書館に収蔵されている。
「成簣堂文庫」の名称の由来は、文政元年(1818)、江戸時代の歴史学者頼山陽(らいさんよう)が肥後来遊の際、山陽から蘇峰の祖父徳富美信(とくとみよしのぶ)に書き与えられた「成簣」(せいき=中国の古典「論語」の中の言葉で竹の箕(み)に盛った土の意)から採られたものである。

一枝庵(いっしあん)
大正12年(1923)、関東大震災直後に青山草堂の古材をもって建てられた間口一間半、奥行二間の小庵。
当時山王草堂が建築中であったため蘇峰は付近に借家していたが、借家が手狭なことと、国民新聞社社屋が震災で焼失したことからこの庵で「近世日本国民史」などを執筆した。
庵は、山王草堂落成後に門人の青木藤作氏に譲られたのち、栃木県佐久山町(現在は大田原市)に寄贈された。
なお、庵内の蘇峰の揮毫した書、遺品等は栃木県馬頭町、馬頭町広重美術館に所蔵されている。
「一枝庵」の名称の由来は、中国の古典「荘子」の「鷦鷯巣於深林、不過一枝」(鷦鷯(しょうりょう=みそさざい)深かれる林に巣くうも一枝をもちうるに過ぎず)から採られている。

牛後庵(ぎゅうごあん)
大正13年(1924)、蘇峰の次男の徳富萬熊(とくとみまんくま)の住居として建てられた木造二階建の建築。
蘇峰が山王草堂に居を構える以前の居宅、青山草堂の書斎を移築したもの。
萬熊は考古学の研究を趣味とし、古瓦、板碑、土器、石造物等約7千点を牛後庵1階に収蔵し、2階に起居していた。
これらの収蔵品のうち、4点は「徳富コレクション」として当記念館に展示しているが、他は主に国学院大学考古学資料館に寄贈されている。
「牛後庵」の名称の由来は、やはり中国の古典「史記」の「寧為鶏口、無為牛後」(むしろ鶏口となるとも牛後となるなかれ」から採られている。

これらの建築は蘇峰公園内には現存しないが、当時建てられていたと推測される地点に旧跡として標柱を建て、蘇峰の起居していた往時を偲ぶものである。

平成13年 地域基盤整備第一課

(説明板より)


【東京都大田区山王1-41-21・蘇峰公園内】



史跡 | 15:08:04 | Comments(0)
山王草堂記念館
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大田区立 山王草堂記念館

記念館のご案内
徳富蘇峰(とくとみそほう 1863~1957 ジャーナリスト)は、勝海舟(1823~1899 政治家)や新島襄(1843~1890 教育者)から直接教えを受けた後、日本で最初の総合雑誌『国民之友』(1887)を発行し、続いて『国民新聞』(1890)を創刊しました。
『国民新聞』創刊後、蘇峰は多くの作品を発表しました。
1918(大正7)年、56歳の蘇峰は『近世日本国民史』を書き始め、35年近くの歳月をかけて、全100巻を完結させました。
同書の原稿は、ほとんどが大森山王で書かれたものです。
1924(大正13)年、蘇峰は大森山王に居宅を建てて「山王草堂」と称し、1943(昭和18)年に熱海へ移るまで、そこで暮らしました。
その後、山王草堂は静岡新聞社が所有していましたが、1986(昭和61)年に同社から大田区が譲りうけて蘇峰公園として整備しました。
そして、山王草堂記念館は、蘇峰の旧宅である山王草堂の一部(2階部分など)と蘇峰ゆかりの資料を保存・公開するため、1988(昭和63)年4月に開館しました。
往時の趣を残した記念館から、近代日本ジャーナリズムの立役者として活躍した蘇峰ゆかりの品々をぜひご覧ください。
(リーフレットより)

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『近世日本国民史』全100巻

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山王草堂2階部分の復元された書斎

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「蘇峰と勝海舟」のコーナー

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【東京都大田区山王1-41-21】



史跡 | 15:06:51 | Comments(0)
尾崎士郎記念館
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大田区立 尾崎士郎記念館

記念館のご案内
尾崎士郎(1898~1954 小説家)は、1923(大正12)年に馬込村中井(現・南馬込)に転入しました。
以後、一時的な転居を除き、尾崎は作家生活のほとんどを馬込文士村(馬込を中心として、隣接した山王や新井宿を含めた一帯)で過ごしました。
仲間との交流を大切にした尾崎は、文士村の中心人物となりました。
1937(昭和12)年、37歳の尾崎が山王に暮していた時、『人生劇場』がベストセラーとなり、尾崎は戦前を代表する小説家の一人となりました。
戦時中、尾崎は静岡県伊東で暮らし、1954(昭和29)年には大森・山王へ新居を建てて戻りました。
戦後も尾崎の人気は衰えることなく、1964(昭和39)年に亡くなるまでこの家で過ごしました。
そして、2008(平成20)年5月、尾崎の旧居(客間・書斎・書庫・庭)を復元し、尾崎士郎記念館として開館しました。
戦前から昭和30年代を代表する小説家の一人であった尾崎士郎の業績を知ることのほか、馬込文士村を愛した尾崎の息遣いを感じ取っていただければ幸いです。
(リーフレットより)

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書斎
仕事場として用いられていた部屋。
大田区立尾崎士郎記念館開設にあたり復元された。
本来の書斎は故郷の吉良町に移築、公開されている。
(説明板より)

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鉄砲の稽古をしたケヤキの木
士郎の相撲好きは有名。
昭和7年(1932)には大森相撲協会を結成し、文士仲間と相撲をとり、戦後は横綱審議会委員もつとめた。
自宅でもしばしばふんどし姿となり、ケヤキの大木を相手に鉄砲の稽古を繰り返したという。
(説明板より)



【東京都大田区山王1-36-26】



史跡 | 15:02:29 | Comments(0)
勝海舟記念館
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大田区立 勝海舟記念館

「国登録有形文化財 旧清明文庫」
清明文庫は、海舟没後、海舟の墓所や別荘「洗足軒」の保存、海舟に関する図書の収集・閲覧、講義の開催等を目的として、財団法人清明会が昭和8年に開館しました。
平成12年に国登録有形文化財に登録され、平成24年に大田区の所有となりました。
外観正面中央部のネオゴシックスタイルの柱型4本が特徴的で、内部にはアールデコ調の造作が施されるなど、西洋の建築技法も取り入れられたモダンな建築物です。
(リーフレットより)

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寄木床
展示室5(旧貴賓室)の寄木床仕上は、建設当時高級材料であったラワンやオーク材を用いて、美しいパターン貼りで構成されていました。
既存の床は傷みや破損があったため、建設当時と同じ樹種の新しい材料を使って復原しています。
皆様の目の前にあるのは、既存の寄木床の良好な部分を残したものです。
(説明板より)

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外壁
外壁面は3層に分かれて、基壇部と上段部が“人造石洗出し仕上げ”(注1)、中段部が“リシン掻き落とし仕上げ”(注2)tなっています。
これらは、昭和初期ころから一般的に用いられるようになったモルタル系仕上げです。
改修前は既存仕上げの上に塗装が施されていましたが、塗装材を丁寧に剥がして、建設当時の仕上げの状態に戻しました。
当時の材料や色味、年月を経て醸し出される風合いをご覧頂けます。
一方、所々色が異なる部分は建設当時の仕上材の色合いに合わせて復原し補修した箇所です。

※骨材が鋭く露出している部分がありますのでご注意ください。

注1 細かく砕いた石(骨材)を混ぜたモルタルを塗り、完全に硬化する前に水洗いして表面に石粒を浮きたたせる仕上げ方法。
注2 白セメントに骨材を混入して塗り上げ、表面をブラシや鏝で掻き落とし、ざっくりと仕上げる方法。


既存の窓枠はスチール製です。
現代の見慣れたアルミ製のサッシと比べて枠が細いのはガラスが直接取り付けられているためです。
建設当時のガラスが一部残っており、一枚ずつ外して再利用しました。
上の写真の左側(展示室6の室内から見ると右端)の建具に入っています。
当時の透明ガラスは現代とは製法が異なり、像が歪んで見える特徴があります。
(説明板より)



【東京都大田区南千束2-3-1】



史跡 | 15:01:21 | Comments(0)
東京を散策
ホテルをチェックアウトして、今日は恒例の東京散策・・・
毎度のことながら、“ウメちゃん”を案内する役である。

喫茶店で朝食をとるとき・・・
なぜか目眩が・・・(大汗)
クラクラ目眩はするわ、気分が悪くなるわ、胸が苦しいわ・・・
突然の体調不良である。(大汗)
“ウメちゃん”にご心配をおかけしたが・・・原因不明・・・
血圧に何か問題でもあったのだろうか?
とにかく、体調不良は無視して・・・(笑)
当初の予定通りに東京散策をすることにする。(大笑)

まず、最初に向かったのは「大田区立 勝海舟記念館」である。
大田区の南千束にあり、昨年の9月に開館した施設。
建物は国登録文化財なので、一級建築士の“ウメちゃん”をご案内するには、もってこいの場所と以前から目をつけていた。(大笑)

東急池上線で「洗足池」駅へ・・・
以前にも来たことがあるはずなのに、東急池上線には初めて乗った気分なんだから、拙者の記憶の悪さには自分でも呆れる。

017_convert_20200310105058.jpg(勝海舟記念館)

この記念館は、勝海舟に関する図書の収集や講義の開催などのために昭和8年に開館した「清明文庫」の建物を利用した記念館であるので、「清明文庫」の建物内部の意匠は拙者好みである。(喜)

028_convert_20200310111301.jpg(講堂?)

約1時間ほどかけてじっくりと見学・・・

で・・・次に向かったのは、すぐ近くにある勝海舟のお墓・・・
ここには8年前の平成23年11月に来たことがある。
ここをご案内・・・

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「洗足池」の周辺は紅葉が綺麗だった!(喜)

034_convert_20200310112615.jpg(勝海舟の墓所)

時刻は午後1時・・・・
さて、どこかで飯でも食いますか・・・(笑)
駅近くの「お好み焼き」屋さんで遅い昼食・・・
「お好み焼き」なんて子供の頃に食べたのが最後ではなかろうか?(苦笑)
う~ん・・・数十年ぶりの「お好み焼き」である!(大喜)
嬉しさのあまり写真を撮るのを忘れた・・・(大汗)

食後・・・・
「で?・・・次はどこに行くの?」と“ウメちゃん”
「へっ?」
拙者は、この「勝海舟記念館」しか予定していなかったんだけど・・・(大汗)
「うそぉ~!」と“ウメちゃん”(苦笑)

さて、困ったぞ・・・
“ウメちゃん”の趣味に合おうが合うまいが関係なく、拙者の“趣味”に従っていただくしかないな‥・・(苦笑)
今まで行ったことはないのだが・・・ちょっと行ってみたい場所があるので・・・
JR大森駅へ移動する。(笑)

向かうは「大田区立 尾崎士郎記念館」・・・
JR大森駅からテクテク歩いて向かう・・・ちょうどいい運動である。(笑)
尾崎士郎は作家で、ここに昭和39年に亡くなるまで住んでいたそうだ。
で・・・平成20年に旧居を復元して記念館としたらしい。
「尾崎士郎記念館」というのは、愛知県幡豆郡吉良町にもある。
拙者は平成19年3月に行ったことがある。
12年前になる・・・(唖然)・・・そんなに昔のことか?
そこには、ここから移築された書斎があった・・・

045_convert_20200310114633.jpg(尾崎士郎記念館)

行ってみたら・・・誰もいない・・・(汗)
勝手に入っていいのかな?(苦笑)
建物内部には入れないが、庭から外観だけは見学できるようである。

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(復元された書斎・居間)

外から内部を覗き込むだけなので、あっという間に見学終了!(大汗)

「で・・・次は?」と“ウメちゃん”・・・
「ゲッ!」(苦笑)
近くに「大田区立 山王草堂記念館」というのがあるようなので、そこへ向かうことにした。(苦笑)
時刻はまもなく午後3時半・・・
「そこは何の記念館なの?」と“ウメちゃん”・・・
「う~ん・・・徳富蘇峰の記念館だったと思うんだけど・・・」
「徳富蘇峰って誰?」(苦笑)
「それを知るために行きましょう!」(大笑)

“山王草堂”では何のことやら・・・
徳富蘇峰はジャーナリスト・・・
大正13年に、ここ山王に家を建てて「山王草堂」と名付け、昭和18年に熱海に転居するまで、ここに住んでいたという。
どうして「徳富蘇峰記念館」って名付けなかったんだろう?(苦笑)
昭和63年に開館した記念館だが、マイナーである。
「徳富蘇峰」と名付ければ、もうちょっと有名になったのではないかと思うが・・・(苦笑)

熊本市に「徳富記念館」という資料館がある。
徳富蘇峰と徳富蘆花兄弟の資料が展示されていて、敷地内には明治3年から蘇峰が東京に出る明治19年までの少年時代に住んでいた家が保存されている。
平成23年2月に訪問して館長さんから詳しくお話をうかがっているのだが・・・・(苦笑)
徳富蘇峰がどういう人なのか、すっかり忘れている・・・(大汗)

063_convert_20200310121549.jpg(山王草堂記念館)

この徳富蘇峰の居宅「山王草堂」は二階建ての建物だったが、その二階部分がこの館内に保存展示されている。

052_convert_20200310132210.jpg(山王草堂の古写真)

ここでは、この記念館の職員の方(館長さん?)が付きっきりで説明をしてくださった。

055_convert_20200310132700.jpg(書斎)

この書斎の机が面白い。
馬蹄形をしているのである。(つまりUの字の形・・・)
U字の形なので、真ん中に座ると、正面、左右に物が置けたり、書き物ができるから便利そうである。
う~ん・・・これ、欲しいなぁあ~(笑)
“ウメちゃん”は材木店も営んでいるので・・・・これと同じのを作ってくれない?(笑)

職員の方が「帰りに庭も見て行ってください。紅葉が綺麗ですから・・・」とおっしゃるので、見学を終えて庭を散策することにする。
この記念館の残念なところは、徳富蘇峰に関する本など資料の販売をしていなかったこと・・・(大汗)
資料か何かあれば買いたかったのになぁ~(涙)

064_convert_20200310133731.jpg(徳富蘇峰像)

外には、徳富蘇峰の銅像があった!(大喜)
実は、裏口から入館したため気が付かなかったのである。(苦笑)
銅像好きの拙者としては嬉しくて仕方なし!(大笑)

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(蘇峰公園)

時刻はまもなく午後4時となる・・・・
では・・・帰りますかぁ~・・・・
JR大森駅へ向かって坂を下る。
と・・・・”ウメちゃん”・・・・「これで終わり?」(苦笑)
えええぃ!・・・もう破れかぶれだ!(苦笑)
「じゃぁ、大森貝塚に行ってみます?」
「おお!大森貝塚!・・・教科書でしか知らないけど・・・」(苦笑)
駅の近くにあったはずなので、ご案内することにする。
そこへは今から11年前の平成20年3月に行ったことがあるが・・・
さて・・・どのあたりにあったっけ?(苦笑)

082_convert_20200310135035.jpg(大森貝塚碑のレプリカ)

歩道沿いに「大森貝塚碑」が建っているのを見つけた。
なんとなく見たことがあるような気がする。(苦笑)
が・・・説明板によると、これは1/2サイズのレプリカだそうだ。
う~ん・・・前回来た時にも見たっけ?(汗)
自分の記憶に自信なし・・・(大汗)
実物は、この近くの通路を入った奥まった場所にある。
ちょうど線路沿いの際なので、碑全体の写真を撮るのは難しい。
そういうことは覚えていたので・・・無事にご案内・・・(笑)

石碑を眺めて終わり・・・(苦笑)
この近くに「大森貝塚遺跡庭園」というのがあったはずだが・・・
さて・・・ここからどのくらい離れていたかな?(汗)
今から向かっても、到着した頃には暗くなってしまうだろうから行くだけ無駄かな?(苦笑)
それより、さすがに喉が渇いたので、どこかでコーヒーでも飲みたいものである。(笑)

ということで・・・今回の散策は、これで終了!(笑)
案外、いろんな所へ行けて大満足・・・
充実した一日が過ごせた!
“ウメちゃん”に感謝である。(喜)

日記 | 12:39:32 | Comments(0)
今度は勉強会で上京!(笑)
本日、友人の“ウメちゃん”が、年に一度の恒例の母校大学院の同窓会に出席するため上京する。
で・・・例年、拙者もこれに合わせて上京したりしたが・・・
今回は、タイミング良く拙者の方も「近代史検証会」の勉強会が本日開催されるので上京することになっていた。

それでは・・・それぞれが自分の用事を済ませてからホテルで待ち合わせして・・・
それから一緒に呑みに行こう!ということとなる。(笑)
なにせ、我々は酒を飲みに行くことは滅多にない。(苦笑)
似た者同士というか・・・何というか・・・(汗)
酒が飲めないわけではないが、飲みたいという気が起こらない・・・
立場上、酒宴に出る時以外は酒を飲むことが無いのである。(笑)
というわけで・・・プライベートで一緒に酒を飲むのは、この同窓会のある時だけ、つまり年に1回なのである。(大笑)

拙者のほうは勉強会後の懇親会にも参加してからホテルに戻り待機・・・
同窓会を終えてから、やっとこさホテルに戻って来た“ウメちゃん”と酒を飲みに町に出る。(笑)

お互い、すでに酒を飲んでしまっていたので、さすがにキツイ・・・(苦笑)
普段から酒を飲んでいないから・・・結構効くのである。(大笑)
というわけで・・・意外にも“飲み会”は早目に切り上げることとなり・・・
ホテルに戻って・・・爆睡!(大笑)
あっけない一夜であった。(大笑)

日記 | 12:36:51 | Comments(0)
『丸 2013年4月号』
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『丸 2013年4月号』
平成25年4月1日発行
(株)潮書房光人社
定価:1200円


白銀の99式自走155mm榴弾砲

AGB「しらせ」南極輸送作戦

グルメ探訪番外編
松戸駐屯地の“宇宙かぼちゃカレー”

北欧ミリタリー・ルポ
エストニア「アマリ空軍基地」

WWⅡウエポン・スペシャル⑥
巨人戦闘機P-47サンダーボルト

未発表アルバム
近代化改装前の戦艦「日向」

おもしろ軍事研究
こんなところにもあった!「民生品の軍事利用」事情
     テクニカルライター 井上孝司

連載第5回
太平洋航空戦史 軍艦瑞鶴の生涯 第3部
勇者の海
     森 史朗

理想のスマートボマー「銀河」の生涯
     古峰文三
海軍の爆撃機とは何ぞや
高性能を支える発動機は何か
何を捨てて何を取るか
第1号機、要求性能を達成!
裏目に出た量産への工夫
「銀河」の実戦投入
特攻作戦の開始
夜間戦闘機とジェット爆撃機
「銀河」の各型式

「銀河」飛行隊かく戦えり
     軍事ライター 松田孝宏
1/「銀河」部隊の誕生 昭和18年8月15日~
2/マリアナ沖海戦 昭和19年6月11日~
3/台湾沖航空戦 昭和19年10月10日~
4/レイテ戦に特別攻撃隊出撃 昭和19年11月14日~
5/B-29基地攻撃 昭和19年12月25日~
6/九州沖航空戦 昭和20年3月18日~
7/沖縄決戦に連日の作戦行動 昭和20年3月26日~
8/丹作戦と梓特別攻撃隊 昭和19年8月~
9/不振の第3次、第4次丹作戦 昭和20年5月7日~
10/「銀河」夜戦の本土防空戦 昭和20年1月23日~
11/「銀河」夜戦の本土防空戦 昭和20年7月中旬~

ガンシップ型に挑んだ海軍技術者の苦闘
     神野正美&木内里美
多銃銀河による幻の「烈」作戦
唯一の実戦“リンガエン湾攻撃”
鹿屋の20ミリ17挺装備機
海面を覆った凄まじい弾幕
甲型/乙型の二種類が存在
終戦で消えた異相の「銀河」

異能の技術集団「空技廠」の足跡
     兵器研究家 小高正稔
海軍空技廠の誕生とその背景
「銀色のガンマ機」の衝撃
航空自立への道のり
具体設計への関与
空技廠への改組と戦時下の活動
空技廠の終焉と遺産

世界の双発爆撃機ベスト10
     軍事ライター 坂本雅之

「中国人民革命軍事博物館」訪問記
     元陸自幹部学校教官 高井三郎

海上の革命児「弩級戦艦」モノグラフ
     新見志郎

日本海海戦後の「艦載機関銃」
     艦艇研究家 石橋孝夫

重装甲の機動要塞“KVファミリー”
     広田厚司

ミステリーツアー
「UFO&ブラックプロジェクト」米空軍エリア51最新ルポ
     ルポライター 布留川司

秘匿兵器「甲標的」ストーリー②
「第一次特別攻撃隊」真珠湾へ
     軍事ライター 勝目純也
第一次特別攻撃隊真珠湾へ
真珠湾へ突入を開始
 横山艇
 岩佐艇

長編戦記
燃ゆる空母「飛龍」に地獄を見た
     当時海軍一等整備兵 瀧本邦慶
佐世保海兵団に入団
敷設艦「八重山」に乗組
追浜の普通科練習生時代
花形空母「飛龍」に配属
太平洋戦争開戦前の状況
運命のミッドウェー海戦
艦底から聞こえる叫び声
痛恨の雷撃処分

第3章 太平洋戦争前期の艦内応急防御戦(7)
海軍ダメ・コン物語 第21回
     海軍史研究家 雨倉孝之


今年の読書:62冊目



読書 | 00:58:47 | Comments(0)