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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『駆逐艦入門』
プロローグ 駆逐艦の誕生
       はじめは水雷艇から
          図:アメリカの水雷艇・ライトニング(イギリス)
       駆逐艦の登場
          図:ハポック(イギリス)
          図:デュランダル(仏1900年)・スコル(露1895年)・D10(独1898年)
       合理的な駆逐艦
          図:叢雲(日本1898年)・ファラガット(米1899年)・ベインブリッジ(米1902年)
       駆逐艦と日露戦争
       フランスからの注文
         図:「桃」型・「桜」型

第1章 駆逐艦の構造と設備
       せまい艦内
          図:「陽炎」型駆逐艦一般配置図
          図:「初雪」(昭和11年)
       トン数の内容
          表:排水量配分表
       建造費はいくら
       マストの形態の変遷
          図:「陽炎」型(新造時)
       八八艦隊の雑兵「峯風」「神風」「睦月」
          図:沖風(大正9年新造時)
          図:峯風(昭和16年)・澤風(昭和20年)
          図:波風(昭和20年)
          図:神風(大正11年新造時)
          図:夕凪(大正14年新造時
          図:神風(昭和20年)
       老朽艦の戦い
          図:睦月(大正15年新造時)
          図:長月(昭和13年)
          図:睦月型(昭和19年)
          表:バタビア沖海戦の第5水戦消耗数

第2章 高速力の秘密
       理想的なタービン機関
          図:タービニア(イギリス)
          図:ヴァイパー(イギリス)
          表:艦本式ボイラーの発達
       高温・高圧缶がほしい
       故障続出のドイツ駆逐艦
          図:ドイツの駆逐艦Z-35(1944年)・Z-5(1945年)・Z-38(1945年)
       高速艦「島風」型は1隻だけ
          図:島風(昭和18年新造時)
          図:島風(昭和19年)
       スピード狂のイタリア駆逐艦
          図:ナヴィガトリ(イタリア)

第3章 駆逐艦の兵装
       世界に誇る特型―「吹雪」クラス
          図:「特型」基本計画図(大正15年)
          図:「浦波」基本計画図(昭和3年)
          図:初雪(昭和4年新造時)
          図:初雪(昭和6年)
          図:初雪(昭和11年)
          表:特型―吹雪のトン数内容
       特型かく戦えり
          図:敷波(昭和5年新造時)
          図:艦中央部比較図・「夕霧」(改善前)・「漣」(改善後)
          図:浦波(昭和11年)
          図:夕霧(昭和11年)
          図:潮(昭和6年新造時)
          図:「潮」(昭和7年)の艦内区画配置
          図:「初雪」(昭和11年)の区画配置
          図:「浦波」(昭和11年)の区画配置
          図:響(昭和8年新造時)
          図:響(昭和11年)
       各国駆逐艦の武装比較・大砲
          図:「暁」の艦内区画配置
          図:船体中央断面比較図
          図:三年式12.7cm砲の比較
       各国駆逐艦の武装比較・魚雷
          図:魚雷装填方式比較図
               「睦月」型(大正14年)
               「特型」(昭和3年)
               「初春」型(昭和8年)
       フランスも特型を・・・

第4章 発展の歴史
       ロンドン条約の足かせ
          図:初春(昭和8年新造時)
          図:初春(昭和9年)
          図:千鳥型(昭和6年新造時)
          図:初雁(昭和9年千鳥型改造後)
       「白露」クラス
          図:若葉(昭和11年)
          図:初霜(昭和20年)
       「朝潮」クラス
          図:五月雨(昭和12年新造時)
          図:涼風(昭和18年)
       「初春」「白露」「朝潮」クラスかく戦えり
          図:朝潮型(昭和12年新造時)
          図:朝潮型(昭和19年)
       高角砲の話
          太平洋方面の米駆逐艦喪失表
       哨戒艇に格下げされた駆逐艦
          表:哨戒艇
       フロッグ・マンの母艦
          図:高速輸送艦に改造された米国の4本煙突型駆逐艦
       捨て身の英駆逐艦

第5章 太平洋の旭日
       精鋭、マルサン計画の「陽炎」クラス
          図:陽炎型(昭和14年新造時)
          図:雪風(昭和20年)
          図:夕雲型(昭和16年新造時)
       「夕雲」クラス20隻
          図:清霜(昭和19年新造時)
       「陽炎」「夕雲」クラスかく戦えり
       敵病院船を捕獲
       反跳爆撃の犠牲
       駆逐艦メーカー
       日本にリーダーなし
          図:レニングラード(ソ連)
          図:イギリスの駆逐艦

第6章 駆逐艦の組織と運用
       駆逐艦と水雷戦隊
       水戦司令部とは
       水戦に入れてもらえない駆逐艦
          図:「峯雲」型
          図:「若竹」型
       二等駆逐艦とは
          図:「樅」型
       二等駆逐艦かく戦えり
       海上護衛

第7章 駆逐艦対潜水艦
       対潜兵器
       前投兵器の登場
       日本の対潜兵器
          図:英マーク3型爆雷(1916年型)
       水中聴音機と探信儀
       敵潜水艦を何隻沈めたか
          表:日本駆逐艦の対潜スコア
       駆逐艦のノドをかき斬れ
       掃海もするの?

第8章 護送駆逐艦の登場
       早く、安く、造る
       米護送駆逐艦
          図:アメリカの駆逐艦
       優秀だった「松」クラス護送駆逐艦
          図:松型(昭和19年新造時)
          図:初桜(昭和20年)
          図:丁型機関配置図
          図:「白露」型機関配置図
       「松」「橘」クラスかく戦えり
          図:改丁型爆雷兵装
       レイテ沖の駆逐艦戦
          図:オルモック湾駆逐艦戦
       あわれ「檜」「樅」
       よみがえった「梨」

第9章 新鋭防空駆逐艦の登場
       乙型「秋月」クラス
          図:秋月(昭和18年新造時)
          図:初月(昭和18年)
       長い高角砲
          表:秋月、重量内容(計画)
          図:弾道説明図
          図:冬月(昭和19年)
       「秋月」クラスかく戦えり
          図:涼月(昭和20年)
          図:南太平洋海戦陣形図
       「照月」の戦い
          図:「秋月」の機関配置
       マリアナ沖海戦とフィリピン沖海戦
          図:エンガノ岬沖海戦 小沢部隊陣形図

第10章 第二次大戦と駆逐艦
       ソロモン駆逐艦戦
          表:ガダルカナル島撤退駆逐艦隻数
          表:ソロモン駆逐艦戦
       クラ湾夜戦
          図:クラ湾夜戦図
       コロンバンガラ島海戦
       ヴェラ湾夜戦
          図:ヴェラ湾夜戦図「
       第一次ヴェラ・ラベラ海戦
          表:米駆逐艦フレッチャー級の分析
       第二次ヴェラ・ラベラ海戦
       セント・ジョージ岬沖海戦
          図:セント・ジョージ岬沖海戦図
       レーダーと駆逐艦
          表:日本のレーダー
       ダンケルクの退却
       ノルマンディー上陸戦
          図:ウシャント海戦図

エピローグ 駆逐艦余話
       世界最大の駆逐艦は?
       飛行機をつんだ駆逐艦
          図:オランダの水偵搭載駆逐艦ゲラルド・カーレンブルク

日本駆逐艦の艦型別船名
   一等駆逐艦
   二等駆逐艦
   三等駆逐艦
   駆逐艦一覧

あとがき



今年の読書:55冊目



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読書 | 23:47:57 | Comments(0)
残留日本人のシンポジウムに行く
今日は、“残留日本人”に関するシンポジウムがあるというので、上京することにした。
この“残留日本人”については、5月に、パネル展などがあって、それを見に行ってきた。
今回は、日本政府に日本国籍回復のための取り組みをしてくれるよう陳情するため、フィリピンから「代表団」が来日・・・
その報告としてのシンポジウムだとのことである。

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この訪日代表団のメンバーは、日系2世が3名、日系3世が1名、これにフィリピンの弁護士とフィリピン政府の司法省職員が加わった6名である。

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2世の寺岡カルロスさん(88歳)・・・
父親は山口県出身。
拙者も何度か行ったことのあるルソン島北部のバギオに住んでいたそうで、父親は1941年(昭和16年)に病死。
戦時中、兄はスパイ容疑で日本の憲兵に銃殺され、別の兄はフィリピンゲリラに殺害された。
母と弟と妹の1人を米軍の爆撃で失い、残ったのは本人と妹の2人・・・
二人は米軍の捕虜となり戦後、日本に送還されたが、日本国籍がないためフィリピンに戻ったという。
その後、木材業で成功をおさめ、バギオ日系人会理事長、フィリピン日系人連合会会長、在バギオ日本大使館名誉総領事などを歴任し、2003年(平成15年)に日本から旭日中綬章を受章しているそうである。

2世の木村恵美子さん(79歳)は・・・
父親は広島県出身。
戦時中に父親と生き別れとなり、戦後は迫害を避けるために日系人であることを隠し、フィリピン人の母親の姓に代えて生活したという。
本人は苦学の末、判事となり、現在はフィリピン日系人会の会長だそうで、今年、日本から旭日綬章を受章しているそうである。

2世の岩尾ホセフィナさん(82歳)・・・
父親は大分県出身で、パラワン島で建築業をしていたそうだが、兄弟は全員、幼少期に死亡。
父親は戦時中にフィリピン人に射殺され、本人は戦後まで山奥に隠れて生活していたという。
1980年頃(昭和55年頃)から日本大使館に父親の身元調査を依頼する手紙を何通も送ったが、身元が判明しなかったため「無国籍」のままだったらしい。
その後、日本のNPOの聞き取り調査を経て、2015年(平成27年)にようやく身元が判明し、現在は大分の家庭裁判所に就籍許可(日本の戸籍を取る)の申請中だという。

日系3世のイネス・マリャリさん(48歳)は・・・
祖父が鹿児島県出身の方で、拙者も何度も行ったことがあるミンダナオ島のダバオで饅頭商人をしていたという。
戦時中に米軍の爆撃を受けて祖父は死亡・・・・
子供達(2世)は日本名からフィリピン名に変えて戦後を生き抜いたという。
3世であるイネスさんは、現在、ミンダナオ国際大学の学長を務め、フィリピン日系人会連合会会長でもある。

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外務省が調査したフィリピン残留日本人のデータによると・・・・
残留日本人2世は3810名ほどいるという。
その中で、日本国籍を取得した人は1210名である。
問題は、身元は判明しているが日本国籍を取得できていない人が1707名いるという。(汗)
そのうち生存しているのは766名・・・・
この方は現在「無国籍者」となっている。
可哀想なのは、既に死亡されている941名である。
身元は判明して、“日本人の子”と確認されたが、日本国籍をもらえないままこの世を去っているのである。
そのほか、身元も分からず日本国籍も取得できていない人が893名もいるようだが、2世となれば、もう高齢者である。
いつお亡くなりになってもおかしくはない。
早く決着をつけさせてあげたいと思わずにはいられない。

シンポジウムは、日本人2世へのインタビューという形で始まったが・・・・
その内容は、すでに配布されている資料の内容と同じことを本人に聞くという“二度手間”・・・
インタビューをする、このNPOの代表の方(弁護士)は、資料が配布されていることを知らないのだろうか?
結局、資料に書いてあることと同じ話を聞いているうちに・・・時間切れ・・・(唖然)
どうせなら資料に書かれていない話を聞きたかったんだけど・・・
できれば、下手なインタビューより、本人たちに自由に語らせた方が良かったんじゃあるまいか?(汗)

続いて、フィリピン政府の司法省職員からの「報告」・・・・
この方は難民及び無国籍者保護課の保護官だそうで、フィリピン政府の取り組みについてご報告された。

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2016年に初めて日系人問題が表面化したらしい・・・
日本人移民の子孫の場合、フィリピン人の母と外国人(ここでは日本人)の父の間に生まれた嫡出子は成人までに国籍選択をしない場合、父方(ここでは日本人)の国籍を継承すると1935年のフィリピン憲法で定められていた。
問題は、日本人の母と日本人の父の間に生まれた「移民の子」であるが・・・(汗)
これもフィリピン憲法に則することになるのかな?
父親が戦時中に戦死、または行方不明となり、戦後の迫害を避けるため日本人である証拠を全て廃棄している場合、成人までに国籍の選択をするのは無理だろう・・・
山奥に隠れ住んだとなればなおさらである。
で・・・最初に現れた6人の「移民の子」を「無国籍」とフィリピン政府は認定したそうで、その後、最近は103名を「無国籍」と認定することになるだろうとのこと。
フィリピン政府としては、まず「無国籍」であることを認定した後、それでは、どうしますか?・・・という手順で進むらしい。

フィリピン政府としては2024年までに「無国籍者」がいなくなることを目標としているらしいが、なかなか難しいだろうなぁ~
これは日系人だけの問題ではなく、インドネシア人との間に生まれた子や、大昔からいる「海洋先住民族」も同様に「無国籍者」となっている可能性が高いからである。

フィリピンは「無国籍者の地位に関する条約」を2011年に批准したので、国連難民高等弁務官事務所と連携してやるようだが・・・
もう80歳を超したフィリピン語がペラペラな人が、実はフィリピン国民ではなく「無国籍者」だというのも、なかなか難しい話だという気がする。
日本政府から言ったら、日本語が話せない人に、そう簡単に日本国籍を与えるだろうか?(大汗)
現実にフィリピン国内で戦後ずっと生活してきたんだから、フィリピン国籍を与えればいいじゃないか・・・ということになるんじゃあるまいか?

さて、今回の陳情は、どんな様子だったのだろう?
と・・・思っていたのだが・・・時間切れで、その件に関しては何の報告もなく閉会となった・・・(唖然)
日本政府への陳情の報告を兼ねてのシンポジウムのはずだったと思うのだが・・・・
いったい、どこへ行ってどんな人に会って、どんな陳情をして、その反応はどうだったのだろう?
一言も語られぬまま終わった・・・・(唖然)
こうなると、ちょっと企画が、お粗末だったような気がする。(大汗)
かなり残念だった。

日記 | 16:11:22 | Comments(0)
大学の支部総会
今日は大学の同窓会の茨城支部総会。
拙者のほうは、相変わらず事前準備で忙しい日々を送って、ようやく当日を迎えた。
総会の式次第、活動報告書、会計報告書、出席者名簿、座席表、名札、記念写真の席順まで、全部、拙者が作成するのだが・・・・(汗)
毎度のことながら、ドタキャンが出るたびに冷や汗ものである。
座席表から何からを修正・変更しなくてはならないのである。(大汗)
今回も2名のキャンセルが出たため、ギリギリで座席表を変更・・・・
なにせ、“序列”というのがあるので、年齢、肩書、同窓会での役職等で座席を決めているので、誰をどこのテーブルに移動してもらうかで頭を悩めることになる。
が・・・嬉しいことに、支部長を始め他の役員は全てを拙者に任せてくれているので、拙者の独断で決めることが出来る。
これは有難いことで、横から口出しされたのでは、なかなか事が進まないのである。
「押し付けられた」と思うのではなく「任された」と思うことが大切・・・(大笑)
心優しい諸先輩に恵まれて、とにかく仕事はやり易い。
ただ・・・拙者の一存で全て決めているので、当然、全ての批判、責任は拙者が受けねばならないわけだが・・・(大笑)
やりがいはある。(笑)

今年の同窓会総会のアトラクションは・・・・
我が大学の現役学生で、口笛奏者の加藤万里奈さんにお願いした。
基本的に、アトラクションには、茨城県出身者、茨城県で活躍している人、茨城県に関係するものを演じる人・・・・等々、茨城県にこだわっているのだが・・・
できれば、我が大学の卒業生が理想でもある。
と・・・我が茨城県出身で、現役の学生がいたので・・・(笑)
今回は彼女にお願いした。

彼女のプロフィールを調べると、ネットに色々と出ているのだが・・・・
彼女曰く・・・「ネットの情報って結構いい加減なものが多いんですよ。結構、酷いことを書かれたりしてます」・・・
確かに、他の講演会でも講師から同じような話を聞いたことがある。
ネットは便利だが、気をつけねばならぬことも確かだろう。
そういうわけで、彼女には、自分を紹介するようなチラシを配ってくれるように頼んだ。
拙者が勝手にネットで調べた彼女のプロフィールより、そのほうが良いだろう。(笑)

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“デビ夫人”との関係などを“デビ夫人”の物まね(?)をしながら語り、笑いを取ったりして、なかなか上手である。
口笛の演奏(?)も、これまた、なかなか素晴らしい。
なにせ、拙者は彼女の口笛を一度も聞いたことがないのに、この企画である。(苦笑)
どうなることかと思ったが大好評だったのでホッとした・・・(汗)

やっぱり、我々OB・OGは、ただ懇親会をするのではなく、できれば、こういう形でも現役学生の支援などをすべきではないだろうかと思う。
少しでも“お年寄り”が、役に立てば幸いである。(大笑)

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総会も無事に終わり、アトラクション、記念撮影、懇親会と進み、無事に問題もなく今年の総会を終える。
いやぁ~ホッとした・・・・疲れがドドッ!(苦笑)

帰りに、駅で駅弁を買って帰宅・・・・今日の夕食である。(笑)

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日記 | 16:08:33 | Comments(0)
掃除機を買い替える
このところ、我が家の掃除機の調子が悪かった・・・(大汗)
突然、モーター音が大きくなったかと思ったら、いきなり電源が切れるのである。(驚)
再び、スイッチを入れると、しばらくは調子いいが、そのうちにプツンと電源が切れる。
騙し騙し使ってきたが・・・・もう、そろそろ限界である。
そのうち火でも出たら堪ったものじゃない。(大汗)

ということで・・・新しく掃除機を買うことにした。
電器店をやっている幼馴染の“トッちゃん”に相談をかけ、新しい掃除機を購入した。



で・・・・今まで30年くらい使っていた掃除機・・・・
どうもダスト・センサーか、何かのセンサーが壊れたようである。

「前のは30年くらい使っていたんだけど・・・今度のも30年くらいもつかなぁ?」
「いやぁ~・・・それはチョット無理だと思うよ」と“トッちゃん”・・・・
昔の家電品は長持ちしたと思うが、最近のものは、そんなに長持ちしないらしい。(汗)
これでは、技術が進歩しているなんて言えないと思うが・・・(苦笑)
「じゃぁ、15年くらいはもつかな?」
「う~ん・・・・」(汗)
「じゃぁ、俺が死ぬまでにもう1回、掃除機を買うってことか?」
「・・・・・」(唖然)

う~ん・・・もったいないなぁ~
長持ちさせるために、あまり使わないようにしようかなぁ~
それじゃ、何のために掃除機を買ったのかわからないか?(大笑)

日記 | 20:16:28 | Comments(0)
『諜報機関に騙されるな!』


はじめに
       「諜報リテラシー」

第1章 イラク―露呈したインテリジェンスの罠
       プレゼンテーション
       「情報の失敗」の理由
       ヒューミントの制約
       情報分析の難しさ
       セクシーな報告書
       情報の政治化
       カバート・アクション
       チームB
       予測と改変

第2章 アルカイダ―“対テロ戦争”の実態
       アルカイダ工作員
       テロ・ネットワーク
       対テロ情報活動の実際
       PSYOP
       ブラックサイト
       炭疽菌テロ事件

第3章 中国・ロシア―スパイ技術の精髄
       核技術スパイ疑惑
       中国諜報機関の特徴
       在上海総領事館員自殺事件
       反日デモ
       影響要員
       鏡の荒野
       トレイドクラフト

第4章 朝鮮半島―“極東の火薬庫”で繰り広げられる情報戦
       北朝鮮の諜報機関
       拉致問題
       ミサイル実験
       核実験
       OSINT
       偵察衛星に対する誤解と過信
       韓国情報機関

第5章 監察―諜報機関の暴走は抑えられるのか?
       諜報と法執行の融合
       ヒューミントとカバート・アクション
       対外情報機関創設論
       誰が見張り番を見張るのか?

おわりに
       インテリジェンス幻想


今年の読書:54冊目



読書 | 22:52:28 | Comments(0)
原稿を提出!
本日、法人会事務局へ行き、会報の原稿2本を提出する!
来年の「新年号」用の原稿で、先日の全国大会の報告記事と三重県の津税務署のコラム記事である。(笑)
例年なら、「新年号」の記事は締切の12月に提出するのだが・・・
今回は2カ月も早く提出した。

なにせ、副会長さんたちからご馳走になっちゃったし・・・・(大笑)
睡魔と戦いながらメモを取ったが、正直言ってあまり自信がない。(苦笑)
モタモタしていたら忘れそうなので、全国大会から帰って早々に記事を書き始め・・・
何度も推敲して、ようやく完成した。(喜)

事務局に預けてしまえば、もう安心である。
仮に気が変わって書き換えることになっても発行まで2ヶ月もあるから差し替えは可能だろうし・・・
一番は、精神的プレッシャーから、とりあえず解放される!(喜)

以前から、こうしていればいいのに、どうして今まで、締切ギリギリになってから書き上げていたんだろう?(大汗)
「何事も早め早めにやっておきなさい」と、生前、母によく言われていたが・・・・
今頃になって、ようやく実行した・・・・(大笑)

日記 | 20:18:59 | Comments(0)
『国際情勢年報Ⅱ 南方問題號』
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国際情勢年報Ⅱ 南方問題號
譯者 西尾忠四郎
發行所 青年書房
昭和16年2月15日 発行
定價 貮圓

1.ヨーロッパ戰争と極東情勢
          カー・ユシチャーク

2.フイリッピンの國防強化
          カザリン・ポーター

3.フイリッピンの獨立延期問題
          カザリン・ポーター

4.佛印と太平洋情勢
          ヴェ・ワシーリエフ
  1、フランス植民地帝國の體系に於ける佛印
  2、佛印の軍備
  3、フランス帝國主義と佛印の國民大衆

5.蘭印の統計
  面積と人口
     1937年の面積
     人口の自然的流動
     1930年の國籍別人口構成
     ジャバ及びスマトラに於ける傳染病による死亡者數
     1930年に於ける主要都市人口
  主要生産物
     1937年の土地分布(ジャバ及びスマトラ)
     主要作物の栽培面積と生産高
     ジャバ及びスマトラに於ける主要耕作物
     1937年現在の家畜數
     1936年の鐵道輸送
     自動車數
     商品別貿易高
     1938年の國別貿易高

6.和蘭の寶庫―蘭領東印度諸島
     アーサー・エス・ケラー
  英國の保護は國防費を低減す
  新しい防備の負擔
  初期の利潤は大
  1929年の投資は40億フローリン
  投資額は30億臺に低下
  豊かな収益
  砂糖が第一位
  ゴム投資は10億フローリン
  爾餘の各種の農業投資
  農業上の銀行貸附
  海運は和蘭人の獨占
  雑多な投資
  割の良い貿易
  俸給と年金の収益

7.蘭印をめぐる列強の闘争
     オー・ザボズラエヴァ
  蘭印に於ける列國の経済的利害
     國籍別投資額
     蘭印の輸入
     蘭印の輸出

8.蘭印に於けるアメリカの権益
     エレン・ヨング
  米國政府の關心の表明
  米国の投資は大ならず
  米國投資の大部分はゴムと石油
  米國の新投資計畫
  古き歴史を有てる米・蘭印貿易關係
  1914年末の米・蘭印貿易の轉換期
  米國の輸入は比較的重要ならず
  蘭印特産物―規那
  カポックの對米主要輸出國
  アフリカ産椰子油を凌駕
  樹脂生産の90%
  蘭印に對するゴム依存の増大
  コーヒー輸入の減退
  米國の對蘭印輸出は主に工業製品
  航空機の大輸出
  蘭印物産の完全なる輸入不能は疑問
  代用品の登場
  根本は政治問題

9.豪洲及びニュージーランドの國防
     タイラー・デネット

10.タイと列國
     オー・ザボズラェヴァ
  國家構成
  日支事變の影響

11.タイ國の佛教会
     ケネス・ペリー・ランドン

12.列強の對立とビルマ
     ヴェ・ブシエヴイチ
     アー・デイヤコフ

13.印度の内紛問題
     エリック・ビークロフト

14.インドと第二次欧洲大戰
     ラジニー・パテル

15.戰時體制下の英領マレー
     アルヴイン・バーバー

附録
     第一表 米國の對蘭印輸入
     第二表 米國の對蘭印輸出


本書は、外国人が書いた論文を昭和15年前後に翻訳したものを集めた本のようである。
欧米の植民地となっていたアジア諸国について書かれたもので、当時の植民地の様子がわかって非常に面白かった。


今年の読書:53冊目



読書 | 00:33:50 | Comments(0)
夫婦喧嘩?
毎日のように顔を出す近所のコンビニに、今日も、いつものように入った途端・・・・
「えっ!大声を聞いて飛び込んできたの?」と店長・・・
「はぁ?・・・大声って・・・何?」(大汗)
「いやぁ~今、このババアを怒鳴りつけたところなんだ!」と店長・・・
ご夫婦とパートのおばさんでやっている店なのだが・・・
店長の奥さんもプンプン怒っている。(大汗)

「もしかして・・・夫婦喧嘩ですか?」
「いやぁ~このババアが言うこと聞かないから、怒鳴りつけたところなんだ。それで飛び込んできたのかなと思ってさぁ~」(苦笑)
「へぇ~・・・夫婦喧嘩かぁ~・・・いいなぁ~夫婦喧嘩!」(笑)
「え?・・・何が?」
「俺、独身だから夫婦喧嘩出来ないんですよねぇ~・・・相手がいないから・・・いいなぁ~一度でいいから、やってみたいなぁ~・・・夫婦喧嘩!」(笑)
ご夫婦は大笑い・・・

「うらやましいなぁ~・・・夫婦喧嘩!」(笑)
「おい、おい、そう言われると困っちゃうんだけど・・・」(汗)

ご夫婦とも、怒りが収まってくれたようで・・・・
少しは役に立ったかな?・・・独身者が・・・(笑)
めでたし、めでたし・・・・(大笑)

日記 | 18:14:22 | Comments(0)
『碧空』の碑
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碧空
鈴鹿海軍航空隊之跡

空澄み風爽やかな緑の大地と、豊かな稔りを誇るこゝ白子の地に、広く県民より白子の航空隊と親しまれた鈴鹿海軍航空隊は、昭和13年10月1日に開隊された。
当隊は、海軍機搭乗の偵察員養成の教育機関であり、こゝに全国より厳選された若冠20歳に満たざりし少年達が、明日の大空をめざして厳正な規律のもと、日夜精魂をかたむけし処なり。
秋あたかも大東亜戦争の戦雲流るゝや、祖国防衛の第一線に馳せ参じよくその任務を遂行せり。
また、戦局の進展により、併設された第二鈴鹿空の実戦部隊の活躍もめざましく隊史を飾るものであった。
しかし、戦局はわれに勝機を与えず一層苛烈の度を加え、出身者、隊員の大半はひたすら祖国の安泰を念じつゝ特攻の華となり征きて還らなかった。
いま、この地にたゝずみて血と汗の歴史を綴った悲喜こもごもの青春の日々を振返るとき、戦後30余年の間その姿を留めえたことは、隊員達にとって感無量にして加ふるに言葉なし。
そこで、かつての隊員、関係者相集いて亡き戦友の鎮魂と心からの餞けとして、この地に顕彰の碑「碧空」を建立、留別を記念するものなり。

昭和51年11月
鈴鹿海軍航空隊を偲ぶ会
隊員、遺族一同
関係者一同

(碑文より)


【三重県鈴鹿市南玉垣町3500番地3・鈴鹿医療科学大学白子キャンパス】



史跡 | 17:49:48 | Comments(0)
谷川士清反古塚
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津市指定史跡
谷川士清(ことすが)反古(ほご)塚 1基
所有者 谷川神社
江戸時代 昭和31年5月14日指定

谷川士清は『日本書紀通証』『和訓栞(わくんのしおり)』などを著し、本居宣長と並び称される江戸時代の国学者である。
八丁に住み医者を家業としていたが、むしろ国学の研究に一生をささげた。
晩年、谷川士清はその研究が後世に誤って伝えられることのないように、近くの古世子明神(現在の谷川神社)の境内に塚を築いて著書の草稿・断片などを埋め、みずから「反古塚」と名付けた。
碑の裏面に「何故爾砕伎志身曽登人問婆其礼等答牟日本玉之譬(なにゆえにくだきしみぞとひととはばそれとこたえむやまとだましい)」と自らの歌を刻んだ。
これは、自分は一生国学の研究に身をささげてきた、何も悔いることはない誇りとしている、と歌ったものである。
塚を築いたとき美しい玉虫が3日間続いて出たので、本居宣長をはじめ僧徳巌など知己(ちき)学友から、それを祝う歌などが寄せられたという。
それで別名を「玉虫塚」とも言われている。
後年この塚を修理した際に「たまむしつか」と彫った小さい石碑が見つかり、当神社に保存されている。

津市教育委員会

(説明板より)


【三重県津市押加部町7-31・谷川神社境内】





史跡 | 17:19:01 | Comments(0)
谷川神社
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谷川神社 由緒
国学者 谷川士清 翁

玉むしの森と呼ばれ士清翁が日々祈念していた古世子明神ゆかりの押加部町の地に社殿を構える。
谷川神社は、津市が生んだ偉大な国学者・谷川士清翁の御事跡を後世に迄伝える事を目的に、神社の御祭神として祀る為、明治の末頃から地元の有力者が中心になって士清翁の顕彰活動を活発に行い、神社の創建を国に請願して、大正14年に国より創立認可され、昭和7年社殿などの境内整備が完了、その社殿は「石をこよなく好んだ」士清翁に因み1メートル程に積み上げられた石の上に建てられ昭和8年1月6日士清翁の御霊代を鎮めて「谷川会」が神社を守護し、そして平成21年生誕三百年を機に「谷川神社奉賛会」が設立され現在に至っています。

(説明板より)


【三重県津市押加部町7-31】



史跡 | 16:57:19 | Comments(0)
谷川士清旧宅
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国指定史跡
谷川士清(ことすが)旧宅

【谷川士清旧宅概要】
谷川士清旧宅は、津と伊賀を結ぶ旧街道(伊賀街道)沿いの八町にあります。
代々医を業とした谷川家はここに住んでいました。
建物の建築年代は、はっきりしていませんが、安永4年(1775)の銘がある瓦が残されています。
建物は、昭和33年市指定史跡に、同42年国指定史跡となり、同52年から54年にかけて解体復元工事を行い、現在津市教育委員会が管理し、一般に公開しています。

【国学者 谷川士清(1709~1776)】
谷川士清は、宝永6年(1709)2月26日、伊勢国安濃郡八町(現在の津市八町三丁目)で町医を営む谷川義章の長男として生まれました。
幼い頃から家業を継ぐために勉学に励み、享保15年(1730)頃からのおよそ5年間京都に遊学しました。
京都では、本草家松岡玄達から本草学・儒学などを学び、垂加神道を神道家松岡仲良に、ついで玉木正英に入門し神道許状を受けました。
医学は、医の宗家福井丹波守に学び医師免許を受け、本格的に学問を修めた後の享保20年(1735)8月、津に帰郷しました。
京都から帰った士清は、父の跡を継いで医者となり、地域・近郊の人々の信頼を受けていました。
医業のかたわら学問にも打込み、慕ってくる人々のために家塾「洞津谷川塾」を開き、また近隣に「森陰社」(振々霊社)という道場を設け、多くの人々を教えたと伝えられています。

門人には、頼山陽の祖父、頼惟清や宇佐八幡宮の宮司をはじめ、伊勢の蓬来尚賢・三重郡の橘守部の父、飯田元親・津藩士の七里勘十郎などがいて、現在も誓文や約盟書が残っています。
士清自身の研究による著作としては、『日本書紀』の注釈書の『日本書紀通証』35巻・わが国最初の本格的な五十音順国語辞典『和訓栞』93巻・考古学書『勾玉考』1巻・言語の語源を随筆風にまとめた『鋸屑譚』1巻などがあります。
しかし、大著『和訓栞』の出版にとりかかる矢先の、安永5年(1776)に不幸にも病のため亡くなってしまいました。

(リーフレットより抜粋)


【三重県津市八町3-9-18】



史跡 | 16:29:21 | Comments(0)
史跡めぐりして帰宅する
一夜明けて、今日は帰宅する日・・・
副会長二人は伊勢神宮を参拝してから帰宅するということで、早朝にチェックアウトした。
拙者は、別行動・・・(大笑)
いつものように史跡巡りをしながら帰宅することにする。

ホテルをチェックアウトして、向かったのは「谷川士清(ことすが)旧宅」である。
近鉄名古屋線の「津新町」駅で下車・・・
一昨日、津駅と間違えて降りてしまった駅である。(大笑)
ここからテクテクと歩いて向かう。

171_convert_20200204123723.jpg(谷川士清旧宅)

行ってみて、初めて知ったのだが・・・・(大汗)
この建物は国指定史跡なのだそうだ。

入館料は無料・・・
管理人が詳しく案内してくれた。(喜)
この建物が建っている場所の目の前の道は、昔の「伊賀街道」なのだそうだ。
昔は、お殿様の行列も通った道である。
当時のままの道幅なのかな?・・・・思ったより狭い道である。(当時は広い方だったかもしれないが)
周囲は閑静な住宅が並んでいるという感じ・・・
誰も歩いていない・・・(汗)
この建物は昭和52年に解体復原されたものだそうだが、国指定史跡のためだろうか・・・内部の写真撮影は禁止だそうだ。(涙)

この谷川士清さんは、もともとは医者だったそうだが・・・・
有名な著書は『日本書紀通証』という『日本書紀』の全巻の最初の注釈書・・・
20数年かけて研究を続けて著わしたそうだ。
もうひとつが『和訓栞』という本。
これは五十音順の国語辞典で全93巻・・・・
これまた日本最初の本格的な国語辞典である。
この本は生前に完成できず、子孫によって受け継がれ明治20年頃になって、ようやく93巻が完成したらしい。
特徴は五十音順・・・
現在の国語辞典が五十音順なのは谷川士清のおかげである。
医者なんだけど国学者・・・しかも、すごい国学者だと思うのだが、残念ながら松坂の本居宣長のほうが有名なのである。
国学者としては賀茂真淵とか平田篤胤とかも有名なのだが・・・
谷川士清の名を聞くことはまずない・・・・誰も知らないと言っていいかも・・・
何でだろう?
本居宣長より21歳も年上なんだけど・・・・大先輩なんだけど・・・
もっと有名になってもおかしくはないと思うのだが・・・・

我が郷土の偉人・長久保赤水(せきすい)と同じかも‥‥
長久保赤水は、伊能忠敬が日本地図を作製する約50年前に緯度経度線の入った日本地図を描き、明治時代まで一般人にも愛用されるという地図を作ったにもかかわらず、なぜか伊能忠敬の方が有名なのである。(涙)
何でだろう?・・・・世の中とはそういうものかも・・・(汗)
本当にすごい人は、あまりチヤホヤされないのかも・・・(苦笑)
(本居宣長や伊能忠敬は、大した人物ではないというわけではないのですが・・・)
だから、こういう隠れた偉人に出会うのが楽しい。

我が水戸藩に関係するところでは・・・
徳川光圀の『大日本史』の中の記述に間違いがあることを指摘した本を著している。
本人は、間違ったことが後世に伝わってしまうのはいけないということで、親切心で指摘したのだろうが、問題になってしまった様で・・・(苦笑)
領国から出ることを禁じられたらしい。
何だかんだと、いろんな話を伺い、大いに楽しめた。(喜)

続いて向かったのは、この近くにある谷川士清の墓・・・

176_convert_20200204143608.jpg(谷川神社)

谷川神社に到着!
この神社・・・谷川士清が祭神である。
で・・・この隣りにお墓があるはずなのだが・・・
なんと!・・・立ち入り禁止!(涙)

186_convert_20200204143733.jpg(谷川士清墓所)

残念無念・・・(大涙)
やむなく、駅に戻る。
時刻はまもなく午後1時・・・駅前で昼食・・・・

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ここから近鉄名古屋線で「白子」駅に向かう。
次に向かうのは「鈴鹿医療科学大学白子キャンパス」で・・・
そこは昔、鈴鹿海軍航空隊があった場所。

白子駅前の観光案内所で場所を確認・・・・
白子キャンパスまで徒歩で行こうかと思ったら、かなりの距離だそうだ・・・(汗)
やむなくタクシーで向かうことに・・・

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鈴鹿海軍航空基地跡

昭和13年、第一鈴鹿海軍航空基地がこの地に開設され、鈴鹿海軍航空隊が開隊しました。
この航空隊は、「鈴空」と呼ばれ、大井海軍航空隊とともに偵察専修の教育機関でした。
終戦までの約7年間で約2万人の飛行兵を育成したと言われています。
戦局が悪化した昭和20年からは実戦部隊である特攻隊の基地となりました。

また、この周辺には第二鈴鹿海軍航空基地、第二海軍航空廠鈴鹿支廠、三菱重工業名古屋航空機製作所三重工場など軍事関連の諸施設がありました。

これらの施設が出来たことで、飛行兵を目指す少年たちを中心に、教官や技術者など3000人余りの人たちが全国から集まりました。
日曜日になると軍服に身を包んだ「海軍さん」たちが町にあふれ、「くらぶ」や「下宿」と呼んだ一般の民家で寛いだり、映画を見たり、食事を楽しんだりしました。
下宿の娘と結婚した教官や、終戦後も家族同然の付き合いを続けた少年飛行兵など、航空隊員と地元の人びととの深い交流が生まれていきました。
「白子の町は航空隊で賑わいましたよ」と、当時を知る人は語ります。

そして、昭和20年8月15日、日本の敗戦とともにこれらの諸施設も廃止されました。
今では、当時の面影をしのぶものは、番兵塔と正門だけとなりました。

※昭和16年6月の改定により一等航空兵は一等飛行兵に階級呼称が変更になりました。

NTT西日本贈呈
(説明板より)



この鈴鹿海軍航空隊には、ちょっとした思い入れがある。
昭和19年9月、この基地の所属機が北海道から愛知県へ向かう途中、悪天候の中、拙者の父の実家がある村の山に激突し、搭乗員8名全員が殉職したのである。
その山の頂上には慰霊碑が建っていていて、ずいぶん昔に見に行ったことがある。
殉職者の中には新婚早々の人や、奥さんが妊娠6か月という人がいたので、いやぁ~可哀想だなぁ~と思ったことを覚えている。
それで、「鈴鹿海軍航空基地」というのが頭に残っていたので、是非、一度、ここを訪れたいと思っていたのである。

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周囲を散策・・・・
このあたりも基地跡だろうか?

さて・・・帰りますか・・・
タクシーの中から景色を見ながら来たので、何とか歩いて駅まで行けるだろう。
これも「運動」である。(笑)
少し、歩かねば・・・・
途中で、タクシーの中から見かけたコンビニに辿り着く。
よし、道順は間違っていないな・・・(大笑)
ここで飲み物を買って一服!
と・・・水戸藩士の“シミズくん”から電話が・・・・(驚)
「今晩、夕飯でもどうですか?」というお誘いの電話だが・・・・ちょっと無理!(大笑)
「どこにいるんですか?」と尋ねられたが・・・・あれ?・・・ここ・・・どこだっけ?(大汗)
得意の度忘れである!(涙)
「え~と・・・ここはどこだっけ?・・・三重県?・・・あっ、鈴鹿だ!鈴鹿!」(苦笑)

再び歩き出し・・・ようやく駅に戻る。
何だかんだで、1時間くらいかかったのではあるまいか?(笑)

白子駅から名古屋駅に向かい、新幹線で東京へ行き・・・・無事に帰宅する。
う~ん・・・充実した一日が過ごせた!
大満足である!(大喜)

旅行 | 12:24:01 | Comments(0)
全国大会に参加する
今日は法人会の全国大会・・・
式典は午後からなので、時間に余裕がある。
ホテルをチェックアウトして、まず最初に向かったのが「津税務署」(大笑)

133_convert_20200202115206.jpg(津税務署)

来年の会報の新年号用の記事のため税務署の写真を撮る。
周囲にはこれといって面白いものは何もない・・・(大汗)
近くに学校などがあるような閑静な場所である。
記事の内容は後から何か考えよう・・・(笑)

この税務署の前の道を真直ぐ歩いて行くと護国神社に辿り着くようなので、行ってみることにする。

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途中で踏切を渡るが・・・
踏切を徒歩で渡るって、何十年ぶりだろう?(笑)
これ・・・心臓に悪いんだよねぇ~
渡っている途中で警報が鳴ったらどうしようとドキドキしてしまうのである。(大笑)

この踏切、電車の往来が激しいので、結構待たされるが、それでも税務署から徒歩で15分くらいで護国神社に到着。

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(三重県護国神社)

三重県護国神社を参拝するのは今回が2回目である。
前回は平成16年・・・15年ぶりの参拝である。

少し時間が早いが、式典会場にタクシーで向かう。
で・・・運転手さんに行き先を伝えようとしたら・・・度忘れ!(大汗)
「あれ?なんだっけ?エカテリーナとか・・・そんな名前の所なんですけど・・・」(苦笑)
「あ~サオリーナですね」(大笑)と運転手さん・・・
“サオリーナ”って何だろうと思ったら、運転手さんの話によると・・・・
津市出身のレスリング選手の吉田沙保里から取って付けた名前なんだとか・・・
へぇ~・・・「さおり」から「サオリーナ」ねぇ~・・・誰が考えたんだろう。

149_convert_20200202132939.jpg(サオリーナ)
150_convert_20200202133540.jpg(受付風景)

式典が始まる2時間も前に来ているんだから、受付はガラガラである。(大笑)
これも恒例で、早めに来て会場の確認と「物産展」を見て歩くのである。
式典会場は都道府県別に座席が決まっているので、茨城県の座席の確認・・・
次いで喫煙場所とトイレの場所の確認・・・(笑)
記念写真を撮る場所の確認・・・
後からやって来る副会長たちをスムーズに案内するためである。(笑)
で・・・恒例の「物産展」・・・

153_convert_20200202134615.jpg(物産展会場)

早く到着しているため、当然、お客さんはほとんどいない・・・(笑)
実は、これがいいのである!(喜)
お客さんがいないので、拙者は非常にモテるのである!(大笑)
あっちこっちで試食を勧められ・・・
あっちこっちのお店でオシャベリを楽しむ。
で・・・留守を預かっている事務局員にお土産を買って宅配便で送るのを恒例としている。
お客さんが少ないので、スムーズに事が進むのである。(大喜)

今回の三重大会では、物産展の会場に食事場所が設けられていたので、さっそく「うなぎ弁当」を購入して昼食をとる。

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小さなお弁当ですが・・・・(笑)
“シミズ副会長”から「夕食は松阪牛を食べたいから調べておいてくれ」と頼まれている。(大笑)
松阪牛を食べるのなら松阪へ行ったほうがいいと思うが・・・(大笑)
式典の後、電車に乗って松阪まで行くのは面倒である。
一応、津駅前に松阪牛を食べさせてくれる店を見つけておいたので、そこを候補とする。
あとは“タドコロ副会長”が了承してくれるかどうか・・・である。(苦笑)
というわけで・・・夕食に美味しい松阪牛を食べるため、お昼は小さな弁当で済ませたわけである。(大笑)

なんで津なのに「うなぎ弁当」なのかというと・・・
津の名物なのだそうである。(驚)
人口1人当たりのうなぎの消費量が日本一だそうで・・・
人口比の「うなぎ屋さん」の数も日本一なのだそうである。(驚)
へぇ~・・・浜松が一番だと思っていた・・・・(大汗)

ようやく、本日地元を出てやってきた副会長2人が駅からのシャトルバスで到着!
玄関でお出迎えして、早速、記念写真!
それから会場の座席に案内し・・・物産展会場をご案内・・・(笑)
そこで、なんと・・・副会長さんたちは「うどん」など、あれやこれやを食べた・・・(汗)
「あのぉ~夕食は松坂牛なんですけど・・・大丈夫ですか?」(苦笑)

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「サオリーナ」は総合スポーツ施設・・・
ということで、会場は屋内競技場のせいか長方形・・・
その隅っこが茨城県の席なので、そこから見ると、こんな感じ・・・である。(汗)
ちょっと間が抜けた感じかなぁ~(苦笑)

午後2時から記念講演会である。
演題は『皇室と神宮』・・・・
講師は伊勢神宮の広報課長さんである。
スライドを使っての講演だが、写真撮影や録音は禁止とのこと。
う~ん・・・記事に写真を載せられないのか・・・(涙)
しかも、話の内容が、内容なので・・・
う~ん・・・正直言ってわかりづらいし・・・睡魔が襲ってくる。(汗)
副会長さんは、拙者の隣りで寝ているが、拙者は記事を書かねばならないので、睡魔と闘いながら必死でメモを取る。
聞き逃したところを後で二人に尋ねようと思っても・・・これじゃ無理だな・・・(苦笑)

講演会後の休憩時間に副会長さんたちは物産展会場でお土産のお買い物。
で・・・試食なんかしたりして・・・しかも長蛇の列に並んじゃっていたりして・・・・(大汗)
「あのぉ~・・・まもなく式典が始まるんですけど・・・」(大汗)

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副会長さんたちの“尻を叩き”、なんとかギリギリ式典に間に合う・・・(大汗)
次回の全国大会は岩手県の盛岡市で開催される。
茨城から近いからいいんだけど・・・できれば拙者が行ったことのない県で開催してくれないかなぁ~(笑)
旅行を兼ねて行きたいんだけどなぁ~
岩手県の盛岡・・・以前に史跡巡りしちゃったんだよねぇ~(大笑)

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全ての公式行事が済んだ・・・
残るは、大懇親会であるが、これはパスしてタクシーで駅前のホテルへ・・・
昨日の宿泊は拙者の勝手な前泊なので自腹だが、今日のホテルは事務局が手配したもので、事務局の支払いである。(笑)

チェックインを済ませ・・・さぁ!夕食を食べに行きましょう!
「う~ん・・・俺たち腹一杯なんだよねぇ~」とお二人・・・
「だ・か・ら・言ったでしょ!なんで物産展で食べちゃったの!」(唖然)
こっちは、夕食を楽しみに、わざと腹を空かせていたのに・・・(涙)

一応、拙者に付き合ってくれて、駅前の松阪牛のお店へ・・・
予約を入れていなかったが、なぜかスムーズに入店・・・
さて、何を食べましょうか・・・と思っていたら、お店の人がスマホを見ながら、「すでにご注文は頂いております」と言う。
「はぁ?・・・・そんなはずはないんだけど・・・」(大汗)
どうやらネットか何かで予約した人たちと間違えたらしい。(汗)
便利なようで不便である。(大笑)
店員に確認したら、「本当は予約で一杯なんですが・・・幸いなことに一席だけ空いていたので、大丈夫です」とのこと。
ラッキーである!

早速、“シミズ副会長”と拙者は松坂牛の「すきやき」のコースを、“タドコロ副会長”は松坂牛のステーキのコースを頼んだ。
が・・・お二人は既に満腹状態・・・・(大笑)
少ししか箸をつけない・・・
「これ以上は食べられないから・・・君、食べてよ」と言う。(苦笑)
これまたラッキー!(大喜)
松坂牛の「すきやき」1.5人分と、「ステーキ」0.5人分を頂く!(大喜)

で・・・支払いは・・・“シミズ副会長”!(大笑)
「君はいいから・・・」と言われても・・・こんなに食べちゃったんですけど・・・(汗)
“シミズ副会長”は、昨年まで広報委員長で、今年の総会で副会長に昇格した新任の副会長である。
何年も前から副会長を務めている“タドコロ副会長”は「俺の立場がないじゃないか」と、新任の副会長にご馳走され、古参の副会長としては面白くない御様子・・・

で・・・ホテルに置いてあった飲食店マップを頼りに入った二次会のスナックの支払いは全額、“タドコロ副会長”が強引に支払っちゃった。(唖然)
あれれ・・・拙者は「ただ食い」に加え「ただ飲み」ということになっちゃうんですけど・・・(大汗)
こうなると、またもやラッキーなのだが・・・ちょっと気が引ける。(苦笑)

さらに・・・(大笑)
酔った“タドコロ副会長”が・・・「もう1軒行くぞ!」とのこと。
“シミズ副会長”は、広報委員長の時から毎年、全国大会に拙者と共に参加していたが、“タドコロ副会長”は、今回が初めての参加だそうで・・・・(笑)
それで羽目を外しちゃったのかな?(大笑)
三次会ということになってしまった。(笑)
で・・・さすがに「ここでの支払いは割り勘にしましょう」と言ったのだが・・・・
支払いは4対4対2の割合・・・・(笑)
拙者は「2」である。(苦笑)
これを「割り勘」とは言わないでしょ?(唖然)

これでは、お二人は、まるで拙者にご馳走するために、わざわざ三重県までやって来た感じになっちゃうんですけど・・・(大汗)

「これは君への原稿料!原稿料!記事・・・頼むよ~・・・よろしく!」(笑)・・・とのこと・・・
ご馳走して頂き、ありがたいのですが・・・
これ・・・すごいプレッシャーである。(涙)
これで、まともな記事が書けなかったら大問題・・・・責任重大である。(大汗)
しかし、お二人のお気遣いには感謝、感謝・・・・である!(大喜)

日記 | 11:43:02 | Comments(0)
上野英三郎博士とハチ公像
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上野英三郎博士とハチ公

上野英三郎博士とハチ

上野英三郎は明治4年(1872)現津市元町(伊勢国一志郡本村甲109番屋敷)に生まれた農学博士です。
明治から大正期に日本農業の基盤となる水田の耕地整理を指導し大学はもとより全国各地で数多くの技術者を育成した農業土木分野の先駆け者でした。
東京帝国大学で教鞭をとった博士は54歳の若さで亡くなりました。
博士の飼い犬「ハチ・秋田犬」との生活は1年5カ月と短い間でしたが、人としての愛を注ぐ事により動物との紲(絆)が生まれました。
その後ハチが渋谷駅前で帰らぬ主人を待つ姿が、新聞で紹介され多くの人々に感動をあたえ「忠犬ハチ公」として広く世間に知られ映画化及び書籍にもなりました。

平成24年10月20日
上野英三郎博士とハチの銅像を建てる会
題字 津市長 前葉泰幸書
銅像制作者 稲垣克次

(碑文より)


【三重県津市久居新町1017-9・近鉄久居駅前・「緑の風公園」】



史跡 | 21:18:12 | Comments(0)
鈴鹿海軍航空隊 点鐘台
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鈴鹿海軍航空隊 点鐘台

鈴空開隊時より終戦まで隊員に時報の役目を果たしてきました。
多くの旧施設が解体されるにおよび鈴空を記念してこの地に移設する。
(昭和52年5月15日)



【三重県津市香良洲町6320・香良洲歴史資料館】



史跡 | 21:09:41 | Comments(0)
三重海軍航空隊正門
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碑文

この門は三重海軍航空隊の門なり
過ぐる日紅顔の少年達がこの門を入り情熱のすべてを祖国に捧げ朝な夕な猛訓練に励み大空へと巣立って行った
海軍飛行予科練習生である祖国の繁栄と民族の平和を念じつゝ悠久の大義に殉じていったその霊を顕彰するためにも最後迄残ったこの門を永久に保存するものである

昭和49年5月27日
三重海軍航空隊々門保存会
海軍乙種飛行予科練習生第24期
会長 藤原安雄

(銘板より)



【三重県津市香良洲町6320・香良洲歴史資料館】



史跡 | 20:52:03 | Comments(0)
三重県に行く!
明日、三重県津市で法人会の全国大会が開催される。
ということで・・・拙者は広報委員として“取材”を兼ねて参加するついでに1日早く自宅を出て“旅”をすることにした。
恒例のパターンである。(笑)

朝、自宅を出て、東京駅で新幹線に乗り名古屋で乗り換え・・・
名古屋駅からJR快速みえ号に乗り、津駅でJR紀伊本線の各駅停車に乗り換え「高茶屋」という駅で下車した。
降り立って初めて知ったのだが・・・小さな無人駅である。(驚)
駅には必ずタクシー乗り場があるものと思っていたのだが・・・そんなものはない・・・
たまたま、おばあさんがいたので、この近くでタクシーが拾える場所がないかと尋ねたら・・・
「タクシー?このあたりでタクシーなんていうものを見たことはないですねぇ~」とおっしゃる。
ゲゲゲッ!・・・である。(大汗)
近くの郵便局へ行き、局員の方にタクシー会社の電話番号を教えてもらい郵便局まで来てもらう事にした。
いやぁ~近くに郵便局があって助かった!

ここに来た理由・・・
それは、香良洲町にある「香良洲歴史資料館」を見学するためである。
この資料館がある場所は、昔、三重海軍航空隊があった所で、いつか行ってみたいと思っていた場所なのである。
この航空隊は予科練の航空隊である。
我が親父が予科練に志願した時、この三重航空隊に行けるものと思って志願したらしい。
三重まで「官費旅行」(国のお金で旅行ができる)と喜んでいたそうだが、世の中はそうそう甘くはない・・・(笑)
茨城県には土浦航空隊に予科練があるのである。
なにも目の前の予科練ではなく遠方の三重県まで行くわけがなかろう?
というわけで・・・親父は目の前の土浦航空隊に入ることになり「失敗した!」と予科練に志願したことを後悔したという。(大笑)

30分以上待って・・・ようやく迎えに来たタクシーで「香良洲歴史資料館」(別称:若桜会館)へ・・・・

089_convert_20200126182249.jpg(香良洲歴史資料館)

ここの門柱は三重海軍航空隊の正門を移設したものである。

空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出してきそうな感じだったので、まず最初に急いで敷地内の「慰霊碑」等を見て回る。

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(予科練各期の碑が並ぶ)

各碑を見て・・・ようやく館内を見学・・・
職員の方に尋ねたら、館内は撮影禁止とのこと・・・残念・・・
(この館内展示品の写真をかなりの量掲載しているHPを見たことがあるが‥・撮影禁止のはずなんだけどなぁ~無許可で撮影掲載したのかね?・・・だとしたら・・・マナー違反だよなぁ)

館内の三重海軍航空隊関係の展示資料を見ていて・・・驚いた!
「森崎湊」という人の遺品が展示されていたのである!(驚)
この人の『遺書』という本を小学6年生か中学1年生の時に市立図書館から借りて読んだことを覚えている。



森崎湊という人は、終戦の時、割腹自決をした人で、確か士官候補生かなにか、若い人だったと記憶している。
この本を読んだ当時、自分の年齢と比較したことを覚えているから・・・
多分20歳前後だったような気がする。
そういう若い人が、終戦の時に何で自殺なんかしたんだろうと不思議だった。
戦争が終わったんだから、家に帰って家族に会えるのになぁ~・・・・と思ったことをよく覚えている。
死ななくていいのに、なんで自殺なんかしたのかなぁ~
だから、鮮明に記憶に残っているのかもしれない。
拙者は元来記憶力の悪い人間で、本を読んでも書名も著者名も覚えていないことが多いのだが、なぜかこの本の書名と著者の森崎湊の名前はよく覚えているのである。
不思議なことだが、それだけ、この本を読んで衝撃を受けたんだろうなぁ~
この本は、森崎湊の残した日記をまとめた本だったように記憶している。
内容は詳しくは覚えていないが、とにかく「ものの考え方」がすごくしっかりしていて、さすが軍人さんは違うなぁと思ったことは覚えている。

まさか、ここで森崎湊の遺品に出会うとは!(大興奮である!)

1時間半ほどの見学を終えて、タクシーを呼んで帰ることにした。
で・・・来た時はJRの駅だったが、そこから少し離れているが、帰りは近鉄で帰ってみようと思った。(笑)
最寄りの駅は「久居駅」である。
が・・・この駅の読み方が分からない。(大笑)
久居駅を「くい駅」と呼んで運転手さんに笑われた・・・
正しくは「ひさい駅」というのだそうだ・・・(大汗)
何とも固有名詞は難しい・・・(苦笑)

で・・・タクシーに乗って移動中に思い出した!
森崎湊は基地の近くの海岸で割腹自決を遂げたのである。
しまった!海岸に行くのを忘れた!(大汗)
なんと間抜けな事か・・・
眼と鼻の先に来ていたのに・・・
森崎湊は、最期にどんな景色を見ていたのか・・・・
あ~あ~40数年ぶりの“再会”だったのに・・・失敗した・・・
この地に再び来る機会があるかどうか・・・(涙)

タクシーの運転手さんとのお喋りの中・・・・
拙者が茨城県から来たと話したら、運転手さんが「NHKの朝ドラの『ひよっこ』の“奧茨城”っていう村は実在しないんでしょ?」と言う。
この村は架空の村だが、拙者の母の実家の近く、従姉の住む村がロケ地・・・
そのロケ地のまとめ役をしたのが従兄で、その家もロケに使われたということを話したら、運転手さんは大興奮。(大笑)
実は拙者は、NHKが好きじゃないので、このドラマは見ていない・・・(大笑)
以前、法人会広報委員会の取材という事で従兄に案内してもらいながらロケ地を巡ったので、その時の話などを御披露・・・
「いやぁ~うちの家内が『ひよっこ』の大ファンなんですよ!いやぁ~いい土産話ができました!」と運転手さんが大喜び。
へぇ~そんなにいいドラマだったの?(苦笑)
こちらも、ロケ地の話で喜んでもらい、いい土産話が出来ました。(笑)

久居駅に到着したら、目の前に銅像が・・・・

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『上野英三郎博士とハチ公』という銅像である。
ん?・・・ハチ公って渋谷駅前の忠犬ハチ公?
どうしてここに・・・
碑文を読んでみたら、どうやら、このハチ公の飼い主の上野博士は、現在の津市元町で生まれた人なので・・・ということで、ここに銅像が建てられたらしい。
へぇ~・・・・である。(笑)

本日の宿泊場所は津駅前のホテル・・・・
というわけで近鉄線で津駅に向かったのだが・・・・
降り立った駅が意外と小さい・・・
あれ?・・・・津駅にしては、ずいぶん小さいんじゃないか?(大汗)
駅名を確かめたら津駅の一つ手前の「津新町駅」だった!(驚)
ボケ~っとしていたのか、駅名を聞き間違えたのか・・・
ありゃ・・・ひとつ前の駅で降りちゃた!
なんで、降りちゃったかなぁ~(涙)

これも何かの縁ということで、運動がてら一駅歩いてみることにした。
こういう時はタブレットの地図は便利である!
昔だったら、こういうことは絶対できなかっただろう。

109_convert_20200128125537.jpg(お城西公園)

津市役所のすぐ隣りの「お城西公園」に辿り着く・・・
「西公園」というのは、もしかしたら津城の西の丸跡なのかな?
ここに、『明治天皇臨幸記念碑』という大きな記念碑が建っていた。

108_convert_20200128130332.jpg(明治天皇臨幸記念碑)

が・・・・周囲の木々の枝が邪魔で碑の裏の碑文が読めない!(涙)
この枝・・・切ってくれないかなぁ~
もしくは碑文を記した説明板を設置してくれたらなぁ~
それにしても全国を旅していると、こういう明治天皇の行幸記念碑などをよく見かけるのだが・・・
昭和天皇の記念碑って見ることがない・・・(汗)
何でだろう?

更に歩くと・・・櫓が・・・・
津城の模擬三重櫓である。

120_convert_20200128141438.jpg(津城・三重櫓)

ん?・・・ここには以前、来たことがある・・・(汗)
平成16年だ・・・・
15年ぶりの再会か?(笑)
あの時は、どうやってここに来たのか、どのあたりを歩いたのか、全く記憶にないが・・・(苦笑)
時刻はまもなく午後6時・・・・日が暮れて、写真を撮るのも、もう限界である。

ここから広い道路(伊勢街道)に出て、真直ぐ津駅に向かって歩く・・・・
途中、谷川士清(ことすが)、松尾芭蕉、藤堂高虎の小さな銅像を見つける。
あれ?・・・・これ、以前に写真撮ったなぁ~(汗)
写真を撮ったことは覚えているが、場所は全く記憶にない・・・(大汗)
ここだったっけ?
以前に、この道・・・歩いたの?(汗)

1時間以上もかかったと思うが・・・ようやく津駅前のホテルに到着し、チェックインを果たす。
さて・・・夕食を食べる場所を探しに駅前をウロウロと散策することにした・・・・(笑)

食後、タクシーで「大門町」という場所に向かう。
明日、我が法人会から“シミズ副会長”と“タドコロ副会長”がやってくる。
で・・・全国大会式典後に飲みに行く場所を下調べしておくように命じられているのである。(笑)
確か、津の繁華街は大門町だと聞いていたので行ってみることにしたのだが・・・
運転手さんの話では、「かなり寂れてますよ~」とのこと。
実際に行ってみたら・・・あらら・・・寂れている・・・
我が町の“繁華街”と似たり寄ったりである。
タクシーを降りて歩き回って見たが、外に立っているのは中国人のマッサージ嬢ばかり・・・
辻々で、声を掛けられるが、こちらは飲み屋の下見に来ているので・・・お断り!(笑)
大門町をくまなく歩きまわった末・・・適当に1軒の店に入って見たが・・・接客がイマイチ・・・(大汗)
これじゃダメだな・・・・
店を出て、再び“徘徊”・・・(笑)
結局、これといった店が見つからなかったので、ホテルに戻ることにしたのだが・・・・
「タクシー乗り場」の看板が立っている場所を何か所か見つけたが、どれもタクシーが停まっていない・・・(汗)

携帯電話からタクシー会社に電話をしてみたら、今は車が出払っているので無理とのこと・・・(唖然)
参ったなぁ~(大汗)

大通りに出て見たら、夕方に歩いた道である!
初めて歩く道は、多少遠くても見るもの何でも面白いので、結構歩けるものだが・・・・
一度歩いた道だと、ここから駅までどのくらい歩かねばならないかを知ってるので、気が重くなるものである。
ウロウロしていたら、運よくタクシー会社を見つけたので、そこで無線でタクシーを呼んでもらった・・・
かなりの時間待たされたが、なんとかタクシーに乗ることが出来て歩かずに済んだ。(喜)
う~ん・・・ここまで飲みに来ると、帰りの交通手段が問題だな・・・
運転手さんの話では、大門町は寂れてしまっているので、タクシーはみんな駅前に行って客待ちをしているのだそうだ。
だから大門町の「タクシー乗り場」に居てもタクシーは来ないとか‥・(大汗)
う~ん・・・大門町で飲むのは避けた方がいいな・・・(苦笑)

とにかく今晩の“探検”はこれで終了!

旅行 | 20:11:50 | Comments(0)
『内務省~名門官庁はなぜ解体されたか~』


序章 内務省の亡霊
      内務省とは何だったか
      Ministry of Home Afairs
      内務省が復活する?
      旧内務省出身者の「名簿」
      内務省の亡霊

第1章 内務省解体
      CIVIL AFFAIRS HANDBOOK JAPAN というマニュアル
      敵愾心をもやした占領軍
      警保局保安課の正体
      占領政策を実施させたあとで
      Decentralization 指令
      組織分割か、解体か
      GHQ民政局次長ケーディス
      ふくれあがった地方出先機関
      1947年12月末
          警保局
          地方局
          国土局
          調査局

第2章 大久保利通以来の名門
      内務省の生成
      国の国たるゆえんのもと
      初代内務卿大久保利通
      大久保利通卿の日記から
      なんでも官庁
          「貧窮のなかで夫の介護をした女性へご褒美を」
          「苗字の名のりかた」
          「離縁のさい生まれた男子を連れてかえってよいか」
          「畑から出た古銭を内務省へさしだすべきか」
          「頭のふたつある骨をひろったが内務省にさしだすのがよいか」
      内務省の変遷
          内務部の設置
          勧業行政の分離
          内務卿から内務大臣へ
      原敬大臣の日記から
      対米配慮と社会党解散命令
      山県有朋 VS 原敬
      木戸幸一大臣の日記から
      日独伊三国同盟と内務省
      内務省の弱体化
      内務官僚は優秀だったか

第3章 府県知事というもの
      府県は純粋の自治体にあらず
          市町村
          郡
      知事より偉かった市長
      簡素だった県庁組織
          地方総監府
          北海道・東京の特例
      牧民官(ぼくみんかん)としての府県知事
      名知事、有吉忠一(ありよしちゅういち)
      最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)
      「琉球王」奈良原繁

第4章 警察
      近代警察の発祥
      目明(めあかし)に対する注意書
      司法警察と行政警察
          内務省警察の発足
          行政警察
      東京都に属さなかった警視庁
      日比谷焼打事件と警視庁廃止論
      左翼・右翼を取り締まった特高警察
          高等警察
          特別高等警察
          大掃除
      戦後の警察制度改革
      内務省史の汚点・選挙干渉
      1892年の選挙干渉
      品川弥二郎大臣の暴走
      選挙干渉の手順
          選挙取締り手口
          利益誘導
          新聞統制
          投票箱焼きすて
          殺人命令
          票読み
      詰め腹を切らされた内務官僚たち
          議会での追及
          首相の訓示
      ゴーストップ事件
          陸軍の反応
      内務省 VS 陸軍省
      宮沢賢治と内務省
          文芸懇話会
          東京宮沢賢治友の会
      案外小規模だった憲兵隊

第5章 社会行政など
      先進的だった社会行政
          都市計画
          建物強制疎開
      厚生省の基礎・社会事業
          窮民救助法案
          救護法
      社会事業の一環としての住宅行政
          住宅組合
      同潤会住宅
      廃兵院
      内務省のつくった養老院
          浴風園
          浴風園の処遇
          戦時下の浴風園
      現在につながる健康保険制度
          厚生省の新設
      全国津々浦々の神社を管轄
          神宮
      植民地行政と内務省
          植民地の法的位置づけ
          内務省と植民地の関係

終章 ふたたび、内務省とは何だったのか
      内務省は強大だったか
          内務大臣の内閣での位置づけ
      内務省復活批判論
          内政省案
          内務省出身者の活躍
          総務省
      内務省復活待望論
          危機管理

参考文献

内務省略年譜



今年の読書:52冊目



読書 | 15:49:59 | Comments(0)