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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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横須賀駅
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昭和52年市制施行7周年記念
横須賀風物百選
横須賀駅

「汽笛一声新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ/はや横須賀に着きにけり/見よやドックに集まりし/わが軍艦の壮大を」という一節があります。
明治22年6月16日、大船―横須賀間に開通した横須賀線の終着駅、横須賀駅開業当時の駅頭風景を上手に表現しています。
そのころの横須賀は、現在右手に見える米海軍基地内に、明治17年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。
一方陸軍も、明治13年から観音崎をはじめとして市内の沿岸各所に着々と砲台を築いていました。
しかし、人員や物資の輸送は、横浜―横須賀間の船便に頼っている実情でした。
明治19年6月、陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣西郷従道、陸軍大臣大山巌の名を連ねて総理大臣伊藤博文に提出しました。
この求めに応じて鉄道局は、翌20年に測量を開始し、21年1月に工事を起こしました。
工事費は、明治19年から始まっていた東海道線建築費から40万円支出しました。
当初終着駅は、観音崎附近へとの要望がありましたが、更に5万円から10万円の予算を必要とするうえ、市街地を通さなければならない等の複雑な問題があり、現在地となりました。
現在の駅舎は、昭和15年に新築されたものですが、大正3年に改築した駅舎の面影をよくとどめている貴重な建物です。
開業当時、汽車はおよそ1時間ごとに発着し、東京―横須賀間に約2時間を要しました。
客車は一・二・三等とあり、煙突の長い機関車がそれを引きました。
三等運賃は39銭で、当時の米価が一升11銭前後でしたのでかなり高かったようです。
乗客数は、明治40年ごろで1日平均1,843人と記録されています。
横須賀―久里浜間は、軍の求めにより、昭和19年4月に開通したものです。

(説明板より)


【神奈川県横須賀市】



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史跡 | 18:28:22 | Comments(0)
ヴェルニー記念館
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ヴェルニー記念館のデザイン

ヴェルニー記念館は、横須賀の近代化に貢献したフランソワ・レオンス・ヴェルニーに関わりが深いフランスのブルターニュ地方に建つ住宅の特徴を取り入れました。
その特徴は、ドーマーウィンドー(屋根窓)、屋根に突き出た煙突、急勾配の屋根や石造りの外壁です。
フランス式の「ヴェルニー公園」とも調和の取れたデザインとしました。
ヴェルニーはフランス海軍の技術者で、横須賀市と姉妹都市のブルターニュ地方にあるブレスト市で造船技師を務めました。

(説明板より)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



建物 | 18:15:48 | Comments(0)
戦艦陸奥主砲
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戦艦陸奥主砲

戦艦「陸奥」は、世界初の16インチ砲を搭載した戦艦「長門」型2番艦として、大正10年(1921年)に横須賀製鉄所(造船所)を前身とした横須賀海軍工廠で竣工しました。
連合艦隊旗艦の任にありましたが、昭和18年(1943年)瀬戸内海の柱島沖で火薬庫が爆発し、沈没しました。

本主砲は昭和45年(1970年)戦艦「陸奥」引き揚げ時に収容されたもので、その後、昭和49年(1974年)から東京の「船の科学館」に展示されていました。

この主砲の移設が必要になり、横須賀での戦艦「陸奥」大改装80周年に合わせた「陸奥の会」の働きかけにより、ゆかりのある横須賀市に「船の科学館」から無償譲渡され、横須賀市民を始めとする多くの方々の支援により、平成28年(2016年)この地に移設されました。

主砲はハイテクの塊
(4層構造)
砲身は、約1トンの砲弾を約36km飛ばすための、装薬の爆発力に耐えるように4層構造になっています。

戦艦「陸奥」主砲の砲身は4層からなっており、1層目の内筒を、2層目の内筒に埋め込み、焼き嵌めをします。
その外側の3層目はワイヤーで巻いたワイヤー層となります。
そして4層目に砲尾外筒と砲口外筒を装着しています。
いわば「江戸の刀鍛冶等の匠のノウハウと西洋の技術の融合」であり、このような横須賀製鉄所(造船所)によって育まれた技術は戦後の日本の近代産業を支えてきました。

(説明銘板より)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 17:24:37 | Comments(0)
逸見波止場衛門
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横須賀市指定市民文化遺産
逸見波止場衛門

旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰め所。
左右二棟あり、左側には「逸見上陸場」、右側には「軍港逸見門」と表示されている。
建築年代は、明治末から大正初期と思われる。

(説明標柱より)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 16:15:10 | Comments(0)
「開港碑」
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開港碑

横須賀市発展の礎をきずいた小栗上野介、ヴェルニーの功績を顕彰するために、昭和28年5月横須賀商工会議所が中心となり、小栗、ヴェルニー両氏の胸像と併せて設置された。

(説明板より)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 16:07:24 | Comments(0)
「海軍の碑」
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海軍の碑

建立趣意

浦賀に黒船が現れ、鎖国の夢が破られた幕府は、ここ横須賀の地に製鉄所を建設し、近代海軍の創設を企画した。
その後、明治維新により明治政府が樹立され、政府は、西欧諸国に比し一世紀以上の遅れを取り戻すべく、我が国の近代化に着手した。
特に海軍の整備が重要視され、日清及び日露両戦役を経て、わが国の海軍は次第に整備充実され、世界三大海軍国の一つとして、その地位を占めるに至った。
こうした近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、横須賀はその最枢要基地として、かつての一寒村からわが国屈指の軍港都市となり、発展を遂げることになった。
しかしながら、その海軍も昭和20年の太平洋戦争終結と共に80年に亘る歴史を閉じることになった。
海軍終息から50年という節目に当たる本年、明治以来太平洋戦争終結までこの地にあった日本海軍歴史、並びに太平洋戦争において亡くなられた多くの人々を偲びつつ、またわが国の永遠の平和を希求するため、この記念碑を建立する。
なお、本記念碑は全国の海軍関係者及び有志から寄せられた浄財によるものである。

平成七年十一月十七日
海軍の碑建立委員会

(説明銘板より)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 15:36:55 | Comments(0)
「軍艦山城之碑」
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軍艦山城之碑

軍艦山城の艦歴
起工  大正二年十一月二十日  横須賀海軍工廠
進水  大正四年十一月三日    右に同じ
竣工  大正六年三月二十一日   右に同じ
数次の改装工事に依り次の通りの装備となる
基準排水量  34,700トン
全長       312.75メートル
最大幅     33.20メートル
主機関     75,000馬力
速力       24.5ノット
主砲       36センチ 12門
副砲       15センチ 14門
高角砲     12.7センチ 8門
機銃       25ミリ三連装 2基 二連装 17基 25ミリ単装 10基
※機銃増設装備のため副砲2門撤去 昭和19年7月
水上偵察機  3機
カタパルト   1機(※正しくは1基では?)
測巨儀(※正しくは測距儀では?) 10米測巨儀

軍艦山城の戦歴
軍艦山城は横須賀鎮守府管下最初の超弩級軍艦として平時の連合艦隊において優れた成績を挙げ太平洋戦争勃発するや各地に転戦し、戦局の変化により悲惨な運命となった。
昭和19年10月捷第1号作戦において西村艦隊の旗艦として比島スリガオ海峡に突入し数倍に及ぶ米艦隊と激戦、集中砲火の的となり又魚雷艇及び駆逐艦の魚雷攻撃を受け、大破し沈没寸前まで前部砲塔からは間断のない砲撃が続けられたので有りましたが、悲愴にも力つきた
山城は乗員1600余名と共にスリガオ海峡の海底深く沈んでいった。
時に昭和19年10月25日午前4時19分。
ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈り致し追悼慰霊祭を挙行し、世界平和の願いをこめ、再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し此の碑を建立する。    謹書

平成七年十月二十五日
軍艦山城の碑建立委員会


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 14:34:15 | Comments(0)
「軍艦長門碑」
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軍艦長門碑

ありし日の
聯合艦隊旗艦長門の
姿を こゝに留めて
昭和激動の時代を
偲ぶよすがとする

政一書



【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 14:24:27 | Comments(0)
「軍艦沖島の碑」
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軍艦沖島(おきのしま)の碑

原始
海は生命の故郷であった

その海に果て
その海深く眠る

戦友たちの御魂やすかれと
いのちながらえしもの
あい集い

再び
いくさあらすなと
ねがうものなり

浮雲一片流北辰  何人不起望郷情
有時霊魂亦還家  夜半南星漂蒼海

跋文
沖島は昭和11年9月30日竣工、基準排水量4,470屯の日本海軍最大の敷設艦であった。
機械水雷の敷設艦として支那方面の沿岸封鎖作戦あるいは南太平洋海域の幾多の海戦に参加
昭和17年5月11日、ソロモン群島ブカ島クイーンカロラ沖40浬の地点において海底の柩と化した。
44名の遺体を乗せて沈没当時の姿のまま海底に眠る艦を思うと、生存者一同、いたたまれぬ思いにかられる。
ここに慰霊碑を建立、亡き友の望郷の心を偲び、ご遺族をお慰めするものである。

昭和十二年十一月十一日

(碑文より)

※ 「昭和12年・・・というのは、ちょっとおかしい気がするが・・・(汗)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 13:55:24 | Comments(0)
正岡子規文学碑
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  横須賀や
只帆檣の
  冬木立
        子規



正岡子規の文学碑

明治21年(1888)8月、正岡子規は夏季休暇を利用して、友人とともに汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉に遊んだ。
碑の句は、横須賀港内に連なる帆檣(はんしょう)(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集「寒山落木」に収録されている。
正岡子規は、慶応3年(1867)9月17日、伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)に生まれ、本名を常範(つねのり)といった。
松山中学校時代は政治家志望であったが、上京後は文学に転じ、文科大学国文科(現・東京大学)に進んだ。
子規は写実(写生)を主張して、空想を排する俳句の革新を行った。
その考えを新聞「日本」紙上に、「獺祭書屋(だっさいしょおく)俳話」(明治25年)、「俳諧大要」(同28年)として表した。
また句作は生涯に2万句を数え、特に明治25年(1892)から同31年(1898)までは毎年千句以上を創作した。
同30年(1897)には「ホトトギス」が創刊され、以来子規派の雑誌として注目された。
一方、同年には、『歌よみに与ふる書』を「日本」に掲載し、短歌の革新にも着手した。
これは、俳句で主張した写生を短歌の上にも及ぼしたものであった。
子規は明治35年(1902)9月19日、35歳の若さで亡くなったが、彼の主張は、俳句では、高浜虚子、河東碧梧桐らが継承し、短歌では、斎藤茂吉、島木赤彦らの「アララギ」派に受け継がれていった。
また、彼の提唱した写生文は、夏目漱石、伊藤左千夫ら後続の文学者に影響を与えた。

横須賀市

(説明板より)


【神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園】



史跡 | 13:23:08 | Comments(0)
記念月桂樹
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記念月桂樹の由来

昭和36年(1961年)5月27日、記念艦「三笠」の復元記念式に際し、記念艦「三笠」復元に多大な尽力をされた米国の「チェスター・ニミッツ海軍元帥」、「アーレイ・バーク海軍作戦部長」、「ジョン・コナリー海軍長官」のお三方の名前で、この地に3本の月桂樹が植樹されました。
しかしながら、それらは55年の年月を経て立ち枯れ、1本を残すのみとなりました。
「チェスター・ニミッツ海軍元帥」らの功績を後世に伝えるため、後継樹として向かって左側に新たに1本を植栽しています。

平成28年3月
(公財)三笠保存会

横須賀市

(説明板より)


【神奈川県横須賀市・三笠公園】



史跡 | 13:06:57 | Comments(0)
世界三大記念艦「みかさ」
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「三笠」の由来
日露戦争は、ロシアの極東進出によって存亡の危機に立たされた我が国が、心身を尽くして戦った防衛戦争です。
東郷平八郎司令長官が率いる連合艦隊が対馬沖でバルチック艦隊を迎え撃ち圧倒的な勝利を収めたこの日本海海戦により、戦争は終局に向かい、ポーツマス条約が締結され両国の講和が成立しました。
「三笠」は当時最新鋭の戦艦であり、日本海海戦において東郷司令長官が乗艦指揮する旗艦として、常に連合艦隊の先頭に立ち敵艦の集中砲火を浴びながら戦い抜き、日本を歴史的な大勝利に導きました。
大正15年、この歴史ある「三笠」を記念艦として保存することになり現在の場所に固定され、以来民族の誇りの象徴として親しまれています。
日本の「三笠」は、英国の「ヴィクトリー号」、米国の「コンスティテューション号」と共に、世界の三大記念艦として広く知られています。

三笠の略歴
明治35年 3月 1日(1902) 英国ビッカース造船所で竣工
同 36年12月23日(1903) 連合艦隊旗艦
同 37年 8月10日(1904) 黄海海戦
同 38年 5月27日(1905) 日本海海戦
大正15年11月12日(1926) 記念艦
昭和36年 5月27日(1961) 復元
平成 4年 6月 8日(1992) 海事遺産賞受賞

三笠要目
船体:鋼鉄
排水量:15,140トン
全長:122メートル
幅:23メートル
速力:18ノット
乗員:859名
主砲:30センチ砲4門
副砲:15センチ砲14門
補助砲:8センチ砲20門
45センチ魚雷発射管:4門

(リーフレットより)


【神奈川県横須賀市・三笠公園】



史跡 | 12:45:37 | Comments(0)
『行進曲 軍艦』碑
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碑文

行進曲「軍艦」は明治30年海軍軍楽長 瀬戸口藤吉氏によって作曲された
日本の勃興期における行進曲として親しまれ 未来への明るい希望と自信を与え勇気づけるものである
世界3大行進曲の一つとして 音楽史を彩る希有の名曲で 作曲されてから一世紀を迎える年にあたり 瀬戸口軍楽長がこよなく愛し 青春の日日を送り己が終焉の地ともなったこの横須賀の三笠公園に行進曲「軍艦」の顕彰碑を建立いたしたものである

行進曲「軍艦」記念碑建立協賛会


【神奈川県横須賀市・三笠公園】



史跡 | 12:24:57 | Comments(0)
『めだかの学校』碑
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めだかの学校

昭和21年の春、茶木滋親子は小田原市郊外の小川のほとりを歩いていました。
幼い義夫が突然声をあげました。
「お父さん、めだかがいるよ」
滋はすぐ川をのぞきこみましたが、めだかは一匹もいませんでした。
「おまえが大声をあげたからびっくりして逃げたんだよ」
すると義夫くんは、
「待っていればくるよ。ここ、めだかの学校だもの」
昭和25年の秋、NHKから“春らしい明るい歌”の作詞を頼まれた時、ふとこの時の会話が浮かび、童謡「めだかの学校」は生まれたのでした。

作詞者の茶木滋は、明治43年1月5日、横須賀市汐入町6番地に生まれました。
汐入小・横須賀中・鎌倉中を経て明治薬学専門f学校に学び、薬剤師となりましたが、中学時代から童話や童謡に興味を持ち、児童雑誌「赤い鳥」などに投稿していました。
他に童謡「とても大きな月だから」、童話「くろねこミラック」などの作品があります。

作曲者の中田喜直は、大正12年8月1日、東京に生まれました。
有名な「早春賦」の作曲家中田章を父に、幼時から音楽的に恵まれた環境の中で育ち、やがて東京音楽学校ピアノ科を卒業しました。
「夏の思い出」、「かわいいかくれんぼ」、「雪のふるまちを」、「ちいさい秋みつけた」などの作品があります。

(碑文より)


【神奈川県横須賀市・三笠公園近く】



史跡 | 10:37:25 | Comments(0)
横須賀へ行く
今晩、我が戦友会の賛助会員である“ハセガワくん”と飲む約束をしたので上京する。
時々は、戦友会会員と顔を合わせるのも大事なことだと思っている。
コミュニケーションを図らねば・・・ね。(笑)

で・・・日中は時間が取れるので、横須賀へ行ってみることにした。
初めて横須賀に行ったのは、平成14年1月のこと・・・
それ以来だから・・・17年ぶり?(唖然)
横須賀行きを思い立ったのは、「戦艦・三笠」の艦内で『群青の追憶』という写真展をやっていると知ったから・・・
水中写真家の戸村裕行氏が撮影した海底に眠る戦争遺産の写真展である。

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それと、もうひとつが、「戦艦・山城」の慰霊碑の写真を撮ること・・・
以前から横須賀に「戦艦・山城」の慰霊碑が建立されていることは知っていたが、なかなか重い腰を上げることが出来なかった。(大汗)
今回の写真展を機会に、行ってみようと思ったのである。
「戦艦・山城」は大戦末期のスリガオ海峡海戦で沈没した。
フィリピンのミンダナオ島のスリガオに、この海戦の慰霊碑がフィリピン人の手で建立されている。
現地で、この慰霊碑を参拝したことがあるが、2017年にフィリピンの新聞社の記者から、新しく慰霊碑を建立する計画が進んでいるとの連絡を頂いたことがある。
「戦艦・山城」の戦没者名を刻みたいとのことだったが・・・
その後、どうなったかは知らない。
「戦艦・山城」の全戦没者名を教えて欲しいという話だったが・・・
こういう質問やお願い事のメールは良く来るのだが、協力してあげても、その後、どうなったかの報告をよこす人は滅多にいない。
頼むだけ頼んでおきながら、後は知らん顔である。(唖然)
ネットは便利だが、相手の労力を考えないというのはいかがなものか?
中には、遺族に成りすましてメールを送り付ける“愚か者”もいる。(笑)
何が面白いのだろう?・・・そんなことして・・・

024_convert_20190711181517.jpg(三笠公園)

029_convert_20190711181553.jpg(東郷平八郎像と戦艦三笠)

早速、17年ぶりに戦艦三笠に乗り込む。(喜)

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お目当ての特別展・・・
大きな写真がずらりと並んでいるのかと思ったら、意外にもパネル展示であった。(汗)
解説文も書かれているので、分かりやすいと言えば分かりやすいが・・・
写真が小さくて、海底のスケールの大きさが損なわれているようで、ちょっと残念・・・
しかし、最近は常識のない連中が多いから、これもやむを得ないかも・・・
デジカメやスマホで展示写真を撮影して“コピー”して許可なく無断で使用する奴がいるのである。
まるで自分が現地で撮ったような顔をしてすましている奴がいるのである。(怒)
それを避けようとしたら、こういうパネル展示にするしかないかも。
非常識な連中から守るには、こういうやり方しかないだろうなぁ~

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写真展を見学して・・・艦内を見て回る。
以前にも見たはずだが・・・結構、細かいところが記憶から消えていたりする。(苦笑)
この記憶力の悪さ・・・情けない・・・(大汗)

078_convert_20190712114603.jpg(長官公室のテーブル)

087_convert_20190712114804.jpg(艦長公室)

092_convert_20190712115120.jpg(艦内の三笠神社)

艦内を見学後、上甲板に出て更に見学・・・
17年前も見たんだろうが・・・記憶が定かではない・・・(大汗)

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う~ん・・・逆光だぁ~(涙)

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(艦橋)

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日本海海戦の時、東郷平八郎司令長官や秋山真之参謀が、ここに立っていたんだぁ~・・・・
その後、艦を降りて、外側から戦艦三笠を見る。

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「三笠公園」を少しブラブラ散策し・・・
その後、約30分弱歩いて「ヴェルニー公園」へ移動する。
ここに、「戦艦・山城」の慰霊碑があるはず・・・

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公園の隅に、いくつもの「慰霊碑」「記念碑」があった。
手前から「正岡子規文学碑」「軍艦沖島の碑」「軍艦長門碑」「軍艦山城之碑」「海軍の碑」

ヴェルニー公園は細長い公園である。
お目当ての碑の写真を撮って、公園の反対の隅に向かって歩いてみる。
と・・・銅像が!(大喜)

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「フランソア・レオンス・ヴェルニー」と「小栗上野介忠順」の銅像である。
ヴェルニーは、フランス人の造船技師で徳川幕府の要請で来日した人。
横須賀製鉄所(造船所)の建設の責任者をした。
小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)は、日本初の遣米使節を務めた人。
外国奉行や勘定奉行などの幕府の要職を歴任。
横須賀製鉄所(造船所)建設を推進し、さらに軍政の改革やフランス語学校設立など日本の近代化に貢献した。
が・・・大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解任され、のちに官軍によって斬首されてしまった。

さらに歩くと・・・・大砲が!

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この大砲は「戦艦・陸奥」の主砲・・・・
「戦艦・陸奥」は、昭和18年(1943年)に瀬戸内海の柱島で弾薬庫が謎の爆発を起こして沈没した。
昭和45年(1970年)に、この主砲が引き上げられ、東京の「船の科学館」に展示されていたが平成28年(2016年)に、ここに移設されたそうだ。
あ~・・・・かなり昔、「船の科学館」に行った時に、この大砲・・・見たぞ!(笑)
あ~あの砲かぁ~・・・・である。
久しぶりの再会である。(笑)

この公園の隅、この大砲のすぐ目の前に小さな洒落た建物が・・・

226_convert_20190712140731.jpg(ヴェルニー記念館)

この建物は、フランスのブルターニュ地方の住宅の特徴を取り入れて作られた「ヴェルニー記念館」である。
ここには、横須賀製鉄所で使われていた大きな「スチームハンマー」(国指定重要文化財)が展示されているが、残念ながら館内は撮影禁止のため、写真が撮れなかった・・・(涙)
職員の方にヴェルニーに関する本が売っていないかどうか尋ねたら、小冊子をプレゼントしてくれた。(喜)

時刻は午後4時を過ぎた・・・・
よくよく考えたら・・・昼食を食べていない!(唖然)
どうりで腹が空いてきたわけだ・・・
見学することに夢中になっていた・・・(苦笑)
ということで・・・JR横須賀駅構内のコンビニで肉まんを買って食べる。(大笑)

今回の“小さな旅”は、これで終わり。
東京へ戻り、“ハセガワくん”と落ち合って飲み会!
今日は、昼間も夜も・・・非常に充実した時間が過ごせた。
大満足である!(大笑)

日記 | 10:08:25 | Comments(0)
県内公立校教職員の懲戒多発!
我が茨城県の公立学校の教職員の不祥事が後を絶たない。(唖然)
2018年度の懲戒処分者数は、1月21日現在で22人だという。
その数は、2016年度の21人を抜いて、過去10年で最多を更新している。

この不祥事の懲戒処分者数だが・・・・
監督責任での処罰も含まれているので、“実行犯”は果たして何人なのかはわからない。
下手すりゃ、学年主任、教頭、校長と連帯責任を取らされ、“実行犯”以外に3名が懲戒処分されれば、懲戒処分者数は4名となってしまう。
実際に“不祥事”を起こした“実行犯”は何人だろうか?

この不祥事の内訳・・・
一番多いのが、学校徴収金関連だという。
いわゆる横領か?
カネに目がくらんだのか?(唖然)
これは教員というより職員がやった“犯罪”かな?
呆れるのが、窃盗、住居侵入による窃盗未遂があること・・・
この連中は善悪の区別がつかないのか?
そういう奴が教職員に採用されていることが驚きである。
更には強制わいせつが、22人中、3人もいる。

この懲戒処分者22人中、講師や臨時教員が7人もいるという。
この7人の“犯罪”の内訳は公表されていないようだが・・・
強制わいせつや窃盗だけで6人もいるから・・・・
この講師など臨時教員7人のうち、強制わいせつや窃盗が6人だったら開いた口が塞がらない・・・(大汗)
どういう基準で採用したのやら・・・となるだろう。(大汗)

県内の全教職員は約2万5千人いるという。
その中の22人だから(1月21日現在で・・・本年度はまだ残っている)、大した比率ではないように見える。
が・・・うまく“もみ消した”ものもあるだろうから、実際は桁が違うかも・・・(大笑)

県教育委員会は不祥事根絶の対策に躍起となっているが、成果は上がっていない。(大汗)
講師や臨時教職員を対象にした研修会を開催したり、インターネットを活用した「eラーニング研修」を導入したり、更に今回は全教職員に教育長名で「緊急メッセージ」を発信した。
が・・・再三の注意喚起をしても不祥事が後を絶たないということは、今までのやり方が“小手先”の対処法だからではなかろうか?
どこかピントが外れているのではあるまいか?(苦笑)

そもそも教職員の採用段階に問題があるのではなかろうか?(臨時教職員も含め)(苦笑)
採用試験の成績ばかりに偏り過ぎているとか・・・
コネで採用しているとか・・・(苦笑)
コネでの採用は一概に悪いとは言い切れない。
仲介してくれた人の顔を潰さないように真面目に働く可能性があるが、それは昔のこと・・・(大笑)
今は、義理も何も関係ない・・・入ってしまえばこっちのもの・・・と勝手気ままな連中が多いのでは?(大笑)

私の中1の担任だった男性教諭は、女子生徒から「変態」扱いされていた。
とにかく女子生徒の体を触りたがるので嫌われていたのである。
他の中学校へ移動後、この教師は「わいせつ行為」で懲戒処分を受けた。
多分、クビになったと思うが・・・
このように、問題を起こす前に“兆候”があるのである。(大汗)
我が知人は、昔、勤め先のカネを横領したことがあったが、その時は親が弁償して不問とされた。
そのため“記録”には残っていないので、前科がないことになっている。
で・・・その後は悔い改めて二度と繰り返さなかったかと言うと、さにあらず。
数年後に再び横領を行った。
全く反省していなかったのである。(唖然)
「将来のある身だから」と穏便に済ませても、本人にとってはラッキー・・・というだけの話。
窃盗をする教職員などは、採用以前にも同様の事をしていた可能性がある。
懲りない奴は多い・・・
こういう連中は、研修や注意喚起などで改まるものではあるまい?
根本的にシステムを変えるしかないだろう。
例えば、採用後3年間は試用期間で、教職員として不適当であると判断されたら、即刻解雇されるとか・・・(苦笑)
現行では、一度採用されたら身分が保証され、不祥事を起こさない限り解雇できないのでは?
事前に、“危ない連中”を排除するには、こういう手段を考えねば不祥事の撲滅は無理ではなかろうか?
常に“時限爆弾”を抱えていたのでは・・・(大汗)
そのうち、校長などの管理職になる人がいなくなるかも・・・(大笑)

根本的な“改革”をしないと、この問題は無くならないような気がする。

エッセイ | 12:27:46 | Comments(0)
男性最高齢(113歳)亡くなる
世界最高齢の男性・・・
北海道在住の方が113歳で老衰のためにお亡くなりになったという。
男性の世界最高齢者は日本人だったのかと今頃になって気が付いた・・・(大汗)

この方・・・
普段は車椅子で過ごし、介助の必要な場合もあったそうだが、自分で出来る事は出来る限り自分でやっていたという。
113歳で・・・・(唖然)
長生きするのもいいけど、どうせ長生きするなら、この方のような生き方がしたいよなぁ~
寝たきりで心臓だけが動いています・・・で、113歳までは生きたくはないなぁ~
昨年の7月の誕生日会ではケーキに立てたろうそくの火を一吹きで消したというのだからスゴイ・・・(笑)
大往生、大往生・・・
ご家族も素晴らしいと思う。
ご家族の事をもっと褒めてあげるべきだと思う。
私も親父を100歳まで生かせようと面倒を見たが・・・
あっけなく89歳でこの世を去った・・・
しかも、息子の私の事がわからなくなるくらいボケて・・・(笑)
89歳・・・なんと中途半端な数字でこの世を去ったか・・・
根性がねぇなぁ~(大笑)
切りのいい90歳とか100歳とかまで行かなかったところが親父らしいか?(大笑)

113歳で大往生・・・
お亡くなりになったのだから「おめでたい」と言っては失礼になるだろうが・・・
「おめでたい」という感想しか出ない・・・(汗)
うらやましいなぁ~・・・と思う。
私も出来る事なら、こういう大往生を遂げたいものだ。

日記 | 12:23:48 | Comments(0)
一周忌法要
今日は親父の一周忌の法要・・・
御案内状を差し上げた方々が続々と集まって来てくれた。
東京からも従姉妹たちが電車に乗ってやってきた。

お坊さんと打ち合わせの間、皆さんにはホテルのロビーで待っていていただき・・・
常務の司会進行で式を始める。

法要は、全員でお経をあげる・・・
我が家は曹洞宗・・・
当然、宗派の違う人もいるだろうが、お付き合い願う。(苦笑)

法要後は隣りの部屋に移動して食事会・・・
“喪主”(?)の挨拶は・・・・得意の、ぶっつけ本番・・・(大笑)
拙者は原稿を書いてスピーチするのが苦手なので、その場の雰囲気でしゃべってしまう。(大笑)
一番気になっていた料理・・・
事前にメニューを確認していなかったので何が出てくるのか知らない。(大笑)
テーブルに置かれた「お品書き」で知る。(笑)
出てきた料理・・・盛り付けも良し!味も良し!(大喜)
大成功である!
やればできるじゃないか!
こんなに素敵な盛り付けで、美味しい料理・・・ちゃんと作れるじゃないですか!(大笑)

お招きした友人たちとは、あまりおしゃべりはできなかったが・・・
この料理を楽しんでいただけだろうか?
親父がお世話になった御礼である・・・

一周忌の法要を終え、皆さん帰途につく・・・
最後にホテルの常務やマネージャー、担当者に食事は参列者からも好評を得たことを伝え、コックさんに伝えてくれるよう頼む。
いやぁ~良かった、良かった・・・

緊張が解けてドドッと疲れが出た・・・(大笑)

日記 | 22:04:38 | Comments(0)
『二・二六事件秘録(三)』


第3部 犯人隠避刑事訴訟記録(続)

     2 検事局段階
         1 送致書(昭和11年12月18日)
         2 聴取書
             久原房之助 聴取書
         3 証拠金品目録
         4 予審請求書(昭和11年12月28日)

     3 予審段階
          訊問調書
             久原房之助
その3 津雲国利、久原房之助
     1 聴取書
          鵜沢総明
     2 証人尋問調書
           野上 豊
           島田ハル
           早坂善六
           矢生倫司
           西村茂生
           阿座上 龍雄
           村田ハル
           福井貞吉
           鵜沢総明
           亀川哲也
           藤田俊信
           小林福重
           大西和男
           山本貫介
           佐々木第吉
           満井佐吉
     3 領置調書
     4 予審終結意見書
     5 予審終結決定

第4部 東京陸軍軍法会議公判状況

1 直接参加者
     第1次判決分
          1 元歩兵大尉香田清貞以下23名
              第2回公判状況(村中孝次)
                第2回公判状況の要点
              第3回公判状況(村中孝次)
              第4回公判状況(村中孝次、磯部浅一)
              第5回公判状況(磯部浅一)
              第6回公判状況(磯部浅一、香田清貞)
              第7回公判状況(香田清貞、丹生誠忠)
              第8回公判状況(丹生誠忠、栗原安秀)
              第9回公判状況(林八郎、池田俊彦)
              第10回公判状況(対馬勝雄、竹島継夫)
              第11回公判状況(中橋基明、中島莞爾)
              第12回公判状況(安藤輝三、坂井直)
              第13回公判状況(坂井直)
              第14回公判状況(麦屋清済、高橋太郎)
              第15回公判状況(安田優)
              第16回公判状況(常盤稔、清原康平)
              第17回公判状況(清原康平、鈴木金次郎、田中勝)
              第18回公判状況(山本又)
              第19回公判状況(渋川善助、村中孝次)
              第20回公判状況(今泉義道)
              第21回公判状況(証拠調)
              第22回公判状況(証拠調)
                 証人申請状況
              第23回公判状況(論告求刑、最終陳述)
                 香田清貞以下最後の陳述
              第24回公判状況(判決)
          2 元歩兵軍曹新正雄以下40名
              第1回公判状況(公訴事実論述)
                 第二公判廷被告人名
              第2回公判状況(長瀬一、蛭田正夫、木部正義)
              第3回公判状況(梶間増治、林武、新正雄、窪川保雄)
              第4回公判状況(内田一郎、高岡庄之助、丸岩雄、渡辺清作)
              第5回公判状況(小原竹次郎、青木銀次、鳥羽徹雄)
              第6回公判状況
               (藤倉勘一、山本清安、神田稔、野村常吉、宍倉正太郎、関根武雄)
              第7回公判状況
               (桑原雄三郎、堀宗一、田島粂治、関根安司、安川良三、堀口秀暉)
              第8回公判状況
               (富田正三、園田長太郎、遠藤孟雄、吉原誠、福原若男)
              第9回公判状況
               (井沢正治、新井維平、大森丑蔵、井戸川富治、福島理本、立石利三郎)
              第10回公判状況(証拠調)
              第11回公判状況(論告求刑)
              第12回公判状況(北島弘)
              第13回公判状況(判決)
          3 元歩兵曹長大江昭雄以下34名
              第1回公判状況(公訴事実論述、大江昭雄、斎藤一郎)
                 第三公判廷被告人名
              第2回公判状況
               (斎藤一郎、箕輪三郎、宗形安、尾島健次郎、粟田良作、伊藤尚平)
                 第三公判廷被告人名
              第3回公判状況
               (伊藤尚平、倉光達雄、三沢万吉、新井長三郎、三五恒治、新井崇治)
              第4回公判状況(神谷光、前田仲吉、豊岡久雄、横川元次郎、高橋元)
              第5回公判状況
               (中村伊三郎、水沢益、坂本静、河内礼雄、青木典保、青木武)
              第6回公判状況(堂込喜市、永田露、中村靖)
              第7回公判状況(小河正義、山田政男、渡辺春吉、門脇信夫)
              第8回公判状況(奥山粂治、大木作蔵、相沢治策、山岸憲二郎)
              第9回公判状況(補充訊問)
              第10回公判状況(証拠調)
              第11回公判状況(論告求刑)
              第12回公判状況(判決)
          4 元歩兵軍曹宇治野時参以下7名
              第1回公判状況(公訴事実の論述、水上源一、宮田晃、中島清治)
                 別紙 公判事実
                 第四公判廷被告人名
              第2回公判状況(宇治野時参、黒沢鶴一、黒田昶、綿引正三)
              第3回公判状況(証拠調)
              第4回公判状況(補充訊問、論告求刑、最終陳述)
              第5回公判状況
          5 元歩兵上等兵倉友音吉以下19名
              第1回公判状況(公訴事実の論述、坪井敬冶、小宮幸次郎、倉友音吉)
              第2回公判状況(西村釥治、小宮幸次郎、岩元栄吉)
              第3回公判状況(島崎正次、関口健司、石田菊太郎、永井仁八郎)
              第4回公判状況(石川正平、馬場昌矩、野口清臣、内笹井香、中島与兵衛)
              第5回公判状況(春山安雄、石井四一、赤木音造、羽島喜平)
              第6回公判状況(補充訊問)
              第7回公判状況(証拠調)
              第8回公判状況(論告求刑)
              第9回公判状況(判決)

2 直接参加者以外
     (1)第2次判決分
          1 歩兵大尉山口一太郎以下3名
              第1回公判状況(公訴事実の論述、新井勲)
              第2回公判状況(柳下良二)
              第3回公判状況(山口一太郎)
              第4回公判状況(山口一太郎)
              第5回公判状況(証拠調)
              第6回公判状況(論告求刑、最終陳述)
          2 一等主計鈴木五郎以下3名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、鈴木五郎)
              第2回公判状況(井上辰夫)
              第3回公判状況(塩田淑夫)
              第4回公判状況(証拠調、論告求刑、最終陳述)
              第5回公判状況(判決)
    (2)第3次判決分
          1 歩兵大尉北村良一以下4名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、浅沼慶太郎)
              第2回公判状況(西山敬九郎)
              第3回公判状況(北村良一)
              第4回公判状況(北村良一、辻正雄)
              第5回公判状況(証拠調)
              第6回公判状況(補充訊問、論告求刑、最終陳述)
          2 歩兵大尉末松太平以下4名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、末松太平)
              第2回公判状況(志村陸城、杉野良任)
              第3回公判状況(片岡俊郎、補充訊問)
              第4回公判状況(証人尋問、証拠調)
              第5回公判状況(証拠調、論告求刑、最終陳述)
          3 常人福井幸以下5名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、福井幸)
              第2回公判状況(福井幸)
              第3回公判状況(加藤春海、佐藤正三)
              第4回公判状況(佐藤正三、宮本誠三)
              第5回公判状況(杉田省吾)
              第6回公判状況(証拠調)
              第7回公判状況(論告求刑、最終陳述)
           4 歩兵大尉小川三郎以下2名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、小川三郎)
              第2回公判状況(小川三郎、江藤五郎)
              第3回公判状況(証拠調)
              第4回公判状況(証拠調、論告求刑、最終陳述)
           5 常人松井亀太
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、事実審理)
              第2回公判状況(証拠調、論告求刑、最終陳述)
           6 歩兵大尉大蔵栄一以下3名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、大蔵栄一)
              第2回公判状況(大蔵栄一)
              第3回公判状況(佐々木二郎)
              第4回公判状況(朝山小二郎)
              第5回公判状況(補充訊問、証拠調)
              第6回公判状況(論告求刑、最終陳述)
           7 常人町田専蔵
              公判状況(公訴事実の論述、事実審理、論告求刑)
           8 歩兵中佐満井佐吉以下3名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、宮本正之)
              第2回公判状況(越村捨次郎)
              第3回公判状況(満井佐吉)
              第4回公判状況(満井佐吉)
              第5回公判状況(証拠調)
              第6回公判状況(論告求刑、最終陳述)
           9 歩兵大尉松平紹光以下3名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、柴有時)
              第2回公判状況(松平紹光、宮浦修三)
              第3回公判状況(宮浦修三、補充訊問、証拠調)
              第4回公判状況(論告求刑、最終陳述)
          10 歩兵大尉菅波三郎以下2名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、志岐孝人)
              第2回公判状況(菅波三郎)
              第3回公判状況(証人訊問)
              第4回公判状況(菅波三郎)
              第5回公判状況(菅波三郎、証拠調)
              第6回公判状況(論告求刑、最終陳述)
          11 予備少将斎藤劉
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、事実審理)
              第2回公判状況(事実審理)
              第3回公判状況(証拠調、論告求刑)
          12 常人石原広一郎
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、事実審理)
              第2回公判状況(事実審理、証拠調)
              第3回公判状況(論告求刑、最終陳述)
          13 判決
              公判状況
              判決決定連名表
    (3)第4次判決文
           1 常人中橋照夫
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、事実審理)
              第2回公判状況(事実審理、証拠調)
              第3回公判状況(論告求刑)
           2 常人北輝次郎以下3名
              第1回公判状況(公訴事実の陳述、西田税)
              第2回公判状況(西田税)
              第3回公判状況(西田税)
              第4回公判状況(北輝次郎)
              第5回公判状況(北輝次郎、亀川哲也)
              第6回公判状況(亀川哲也)
              第7回公判状況(亀川哲也)
              第8回公判状況(亀川哲也)
              第9回公判状況(北輝次郎、西田税、亀川哲也、証拠調)
              第10回公判状況(証拠調)
              第11回公判状況(証拠調、補充陳述)
              第12回公判状況(論告求刑、最終陳述)

第5部 獄中関係資料

1 被疑者・被告人状況
     1 陸軍衛戍刑務所収容者名(昭和11年2月29日)
     2 被疑者犯罪事実概要
     3 在所者行状事項報告(東京衛戍刑務所)
          昭和11年8月以降不起訴その他一覧表
          太田幸一行状事項
          宅野清征行状事項
          小林長次郎行状事項
          井上亨行状事項
          大沢隼行状事項
          島野三郎行状事項
          大岸頼好行状事項
          明石寛二行状事項
          市川芳男行状事項
          浜本義一行状事項
          木村義明行状事項
          平野助九郎行状事項
          久原房之助行状事項
          森伝行状事項
     4 久原房之助・石原広一郎接見状況
          久原房之助接見状況(山口ぬい子)
          久原房之助接見状況(山口十八)
          石原広一郎接見状況(塩山恭夫)
     5 真崎甚三郎状況報告書


今年の読書:6冊目



読書 | 20:54:49 | Comments(0)
口永良部島が噴火!
昨日、17日の午前9時過ぎに、鹿児島県の口永良部島の新岳が爆発的噴火を起こし、火砕流が発生したという。
「口永良部島」と聞いても、どこにあるのかピンとこないが・・・(大汗)
地図を見てみたら、鹿児島県の真下で、屋久島の隣りにある島だ。

以前から、ここは噴火するかもしれないって言われてましたっけ?(汗)
う~ん・・・位置的に微妙な場所である。
ずっと上の方へ辿って行くと、鹿児島県の桜島に繋がる。
地下でもマグマが繋がっているのではあるまいか?

桜島が大噴火しなければいいが・・・(大汗)
ちょっと心配・・・

日記 | 12:16:17 | Comments(0)
『日本の兵隊を撃つことはできない』


はじめに

プロローグ ノースダコタ州ビスマルク収容所

1、日本語か英語か?◇言語をめぐる日系人同士の対立
     日系人の「白人化」を願ったマイク正岡
     日系アメリカ人市民協会と白人世界への同化
     日本語を使う一世と英語で話す二世の対立
     日系社会と帰米二世
     日米戦争勃発とともに台頭する市民協会
     「百パーセントのアメリカ人」をめざしたマイク正岡
     「日本敵視」による日系社会の分断
     日本語を話す帰米二世に向けられた疑惑
     正岡の「トラブルメーカー隔離」進言
     日系人の踏み絵となった忠誠登録質問

2、アメリカへの忠誠登録に揺れる日系人◇国家は血より濃かったか?
     日系人強制立ち退きと市民協会の対応
     アメリカ政府に協力する「イヌ」、市民協会
     収容所は「安全な場所」
     家族を分断する忠誠登録
     正岡の日本的家族観否定に童謡する日系人

3、帰米二世「ノーノーボーイ」たち◇アメリカ市民権と武士道
     日本の兵隊を撃つことはできない!
     忠誠を誓わなかった1万3千人
     帰米二世に多い“不忠誠”
     忠誠登録の開始、そして混乱
     日本国籍をもたない帰米二世
     失意のうちに帰米した二世の抵抗
     広がる登録拒否運動
     逮捕された帰米二世たち
     「反逆者」として刑務所をたらい回しに
     忠誠登録の真のねらいとは?

4、日本への忠誠と敗戦◇夢と挫折、そして再び武士道
     再隔離請願申請書
     日本に忠誠を誓った強硬派、保田精三
     無法地帯化したツールレイキ収容所
     密告と中傷から生まれる猜疑心
     “不忠誠者”の再隔離、日本帰国運動
     二世の市民権放棄はアメリカ政府が仕掛けた罠
     市民権放棄と報国青年団
     「逮捕=再隔離」を願って過激化する青年たち
     日本帰国をためらう家庭の事情
     敗戦国日本に帰った二世たち
     アメリカに残った二世たちの市民権回復

5、バイリンガルとバイカルチュアルのはざま◇追いつめられた子供たち
     収容所生活の一番の犠牲者は子供
     アメリカ社会への同化の尺度となった
     日系人への日本語教育
     親は日本語、子供は英語
     異言語のはざまで揺れる子供たち
     日本語の使用禁止
     日本語を堂々と使えるツールレイキ収容所
     巧妙な罠、収容所「日本化」
     アメリカと日本、二つの相反する世界が同居
     厳しい教育の大東亜塾
     バイリンガルの重み

エピローグ to the an American


本書は、戦時中の米国在住の日系人の話・・・
「日系人」といっても、ひとくくりには出来ない。
日系1世と日系2世では、考え方や価値観が違うのも当然だろう。
日米が戦うことになり、「日本人」「日系人」が米国の“敵”となれば、なおさらである。
日本で生まれ育った日本人が移民として米国に来ている1世と・・・
米国で生まれ育った2世では、当然、意識は違うだろうし・・・
同じ2世でも、日本で一時期でも幼少期を過ごしたことのある人と、日本に行ったことがないという人では違う。
そうなると、同じ「日系人」の中にも軋轢が生まれるわけで・・・
ただ単に、「適性国人」ということで米国人から差別されるという“不幸”にとどまらない。
同じ日本人の血を引く者同士で、その価値観の違いから揉めるとなると、これほど不幸なことはあるまいと思う。

「戦争は悲惨だから、もう二度と繰り返してはならない」という声をよく聞くが・・・
何が、どう悲惨なのか・・・具体的に言及する人は少ないような気がする。
「戦争」=「悲惨」という、単なる“条件反射”で言っているのではあるまいか?
当然、戦場でも悲惨だが、こういう海外に在住している「日系人」にとっても悲惨であるということを、現代の我々は知っておくべきではなかろうかと思うのである。
そういう観点から本書は貴重な“資料”だと思う。


今年の読書:5冊目



読書 | 23:50:54 | Comments(0)
恵方巻の過剰生産
最近、節分の時に「恵方巻」を食べるというのが流行っている。
私が子供の頃には、そんなことを節分の時にやった記憶はないので・・・
これは東日本の風習ではなく、西日本の風習ではなかろうか?
これが、全国的に広まったのは、たぶん、テレビなどのマスコミのせいであり・・・
そのマスコミに乗せられた、ミーハーな国民のせいだろう。(苦笑)

どこかの風習を全国に広めるのも悪いことではないでしょうが・・・
問題は、これが“商戦”となることである。
カネ、カネ・・・
もっともらしい話をしながら、その裏は拝金主義ではなかろうか?(汗)

この“恵方巻商戦”のおかげで、売れ残った恵方巻が大量に廃棄されているという。
需要と供給のバランスが崩れているのである。
スーパーやコンビニで“キャンペーン”を打って、本部は各店舗にノルマを課しているのではあるまいか?
それが過剰発注となり、大量の廃棄処分が起こるのではあるまいか?

この問題に対して農水省がスーパーやコンビニに需要に見合った販売をするように文書で要請したという。
国が口出しをし始めたとは驚きである。
まるで社会主義国家みたいになっているような気がする。(苦笑)
「需要に見合った販売」をするのは当たり前の話で・・・
それが出来ないコンビニやスーパーの本部は、ちょっと頭が悪いのではあるまいか?(大笑)
国に言われるようでは・・・ねぇ~
恥と思うべし・・・であろう?

「食べものを粗末にするな」とは、私が子供の頃によく親から言われた言葉だが・・・
今では死語になっているのかな?
大東亜戦争では南方地域で多くの日本兵、軍属、一般人が、餓死している。
そういう人たちのことを思ったら、食べ物を粗末にすることは私にはできない。

今、流行りの言葉である「心を寄せて」などと口にするのも結構ですが・・・
餓死していった英霊たちに「心を寄せる」ことはしないのか?
対象は災害被害者だけか?(汗)
餓死していった人たちのことを思ったら、食べ物は粗末にできないと思うのだが・・・
そのうち、バチが当たるだろう・・・
が・・・その時にとばっちりは受けたくないなぁ。(苦笑)

エッセイ | 12:31:16 | Comments(0)
鶏卵の価格、暴落!
鶏卵は「物価の優等生」と言われている。
その理由は、安値安定だからだそうだ。
その鶏卵の価格が15年ぶりに安値をつけた。
暴落である・・・(唖然)
「JA全農たまご」Mサイズの東京地区の価格は、昨年末と比較すると約46%も値下がりしたという。
半値近くなってしまうとは驚きである。
その主な要因は、3年前の高値をきっかけに生産者が増産へ舵を切ったためで、その反動から供給がだぶついているせいだという。
3年前と比べると、我が茨城県では鶏が約16万羽、全国では約106万羽も増えているのである。
その反動で価格が暴落しても、そうそう簡単に生産の抑制が出来ない。
鶏は初めて卵を産んでから約800日間にわたり毎日卵を産み続けるのだそうだ。

全国トップの出荷量を誇る我が茨城県の生産者は真っ青だろう。
毎日、約800日間にわたって産み続けられたのでは、2年ぐらいは供給過剰が続くということになるか?(大汗)
生産を抑制する仕組みとして、鶏舎を60日間空けた生産者には国が補助金を出す仕組みがあるそうである。(唖然)
またもや「補助金」か・・・
働かなければカネをくれる・・・というのだから呆れるが・・・
鶏舎を空にするということは、どういうことだろうか?
鶏を“虐殺”して始末してしまえ・・・ということだろうか?(苦笑)

東京地区では1キロ185円から100円に値下がりしている。
この価格のままで生産を抑制して卵の流通量を減らすと、当然、収益は減るわけで・・・
収益を確保するためには、今まで以上に鶏卵を生産して大量に出荷するしかないということになる。
これでは悪循環だろうなぁ~
どうするんだろう?

大手の生産者は順番で鶏を入れ替えて卵を産む準備をしているので、補助金を出す抑制策を発動しても意味がないと中小生産者たちは言っているそうだ。
60日間も鶏舎を空にして生産を止めていたら、その間に大手に市場を乗っ取られてしまうかも・・・(大汗)
その可能性はないとは言えまい?
大手は自分のことしか考えないからねぇ~(汗)
中小生産者や業界や国のことなど考えていないだろう・・・どの業種も同じようなものである。
自分たちの金儲けのことしか頭にない・・・(苦笑)

私が小学1年生の時、祖父が鶏卵の生産をしていた。
夏休みなどには祖父の家へ行ってお手伝いをした。
私の仕事は、各鶏が卵を何個産んだのかをチェック表に書き込む仕事・・・(笑)
で・・・毎日やっていると、卵を産まなくなった鶏がわかってくる。
祖父に尋ねたら、産まなくなった鶏は“潰す”(殺す)という。
それでは、可哀想だということで、この“調査”を誤魔化した。(大笑)
今でも、当時の事をよく覚えている・・・
鶏舎の出入り口に一番近い列の左側、出入口から5~6番目にいた鶏である。
「ちゃんと産まないと殺されちゃうぞ!」と毎日声をかけても、産まないので・・・(笑)
隣りの鶏が3個くらい産んだ時に、その1個をお隣りさんのところに置いて、産んだことにしたのである。(大笑)
チェック表を見た祖父が首を傾げた・・・
「今まで何日も卵を産まない鶏が急に卵を産み始めるはずがない」と言う。(大汗)
あっさりと私の不正はバレた・・・(大笑)
何百羽もいるのにどうしてバレたのだろう?(苦笑)
不正をした理由を言ったら、「気持ちはわかるが、嘘はイカン!」と叱られた。(大汗)
祖父は元陸軍少佐、連隊長だった人なので厳しい・・・
生産実績をチェック表に書き込んで、それから卵を一つ一つ籠に入れて集め、それらを割らないように気を付けながら布で拭いて、箱詰めするのが私の“お手伝い”だった。(笑)
私が6歳の頃の話である。
懐かしい・・・

「頑張ってドンドン産んでちょうだい!」というのが当時の私の気持ち・・・
「産まなくなったら殺されちゃうからね!」・・・・である。
それが供給過剰で価格の暴落となっては、鶏も頑張り甲斐がないというものである。(苦笑)
卵を産んだから殺されちゃう・・・ということはあるまいが・・・(そうあって欲しいが・・・)(苦笑)
鶏はどうなるんだろう?

それにしても、安値安定が褒められるのでは生産者としても、やりがいが無いんじゃあるまいか?
なんで鶏卵は安いままなのだろう?
この調子だと、鳥インフルエンザが流行して大手を振って鶏を殺処分できたら“大助かり”ということになるのではあるまいか?
鶏の数が減れば生産量も減るから卵の価格は上がるだろう。
そうなったら鳥インフルエンザさまさま・・・である。(汗)
鳥インフルエンザ大歓迎では、おかしな話となる。

毎日の朝食で、必ず卵を食べている私としては・・・
生産者には倒産や廃業が出ないように、なんとか頑張って欲しいと祈るのみである。

エッセイ | 22:32:37 | Comments(0)
『西田税 二・二六への軌跡』


写真

序章
     西田税という男
     秩父宮と西田税

二・二六事件に連座して
     悲母の憤怒
     獄中の感懐

星雲の階(きざはし)をのぼる
     少年時代
     鯉城下にカデとして
     武窓の明暗

市ヶ谷台の竜駒たち
     陸軍中央幼年学校
     はじめて同志を得る
     羅南の半年
     陸軍士官学校
     青年アジア同盟
     秩父宮と秘密の会見

北鮮に燃える
     風変わりな教育隊長
     沈淪の日々

剣を抛(なげう)つ
     死別と生別と
     岐路にたつ
     山陰路の秩父宮

朋党の人々
     大学寮
     行地社
     北一輝と大川周明
     北の許に走る

草莽わが道を往く
     怪文書事件
     天剣党事件
     海軍の先駆、藤井斉
     歩三の松陰、菅波三郎

ロンドン条約をめぐって
     米国の対日戦略
     日本国民党の結成
     統帥権干犯問題

革新の鼓動
     維新の捨石、日召の出現
     空前の経済恐慌起る
     桜会と三月事件
     十月事件と青年将校

五・一五事件前後
     秩父宮と菅波
     藤井大尉の戦死
     橘孝三郎の奮起
     西田、同志に撃たる
     天皇に建白書を上る
     天皇と秩父宮

奔騰(ほんとう)する革新運動
     体操の大蔵、陣営に加わる
     十一月二十日事件
     粛軍に関する意見書
     相沢事件起る
     騒然たる世相
     磯部浅一の登場

二・二六事件勃発
     西田の苦悩
     上部工作を練る
     西田逮捕さる
     河辺判士の回想
     軍事法廷の北・西田
     青年将校の天皇信仰
     天皇と農民
     挫折した昭和維新

特別寄稿
  永遠の同志 西田税 (菅波三郎)
  西田税さんの思い出 (大蔵栄一)

著者あとがき (須山幸雄)


今年の読書:4冊目



読書 | 01:59:21 | Comments(0)
法事の最終打合せ
今日は、親父の一周忌の法要のホテルとの打ち合わせ。
ホテルの会場を使っての法要の前例は、「なかったことはないが・・・」とホテル側は言っていたが、どうも怪しい・・・(大笑)
食事会はよくやっているようだが、お坊さんが来てお経をあげる法要まではやったことはないんじゃあるまいか?(苦笑)
ということで、このところ、何度も打ち合わせを重ねてきた。
今回がその最終回である。

当初の担当者は、昨年末に退職してしまった。(唖然)
「引継ぎはキチンとやっておきます」と言っていたが、念のため、最初から新しい担当者に説明をする。

で・・・・
新担当者の女の子・・・
「メニュー案が出来上がっているので確認お願いします」と言う。
「ん?確認?おれは確認しないよ」(笑)
「え?」
「自信のあるものを出してくれって頼んでおいたから、メニューを見て、良いとか悪いとかは言わない。これがコックさんの自信のある料理だというなら、それでいい。俺がとやかく言ったのでは駄目でしょ?」
と・・・そこへマネージャーが「ちょっと見せて見ろ」と横から割り込んできた。(汗)
「う~ん・・・ちょっと品数が少ないんじゃないか?あと2~3品加えましょう」と言う。
「いや!だめ!余計なことを言うなって!全部任せてあるんだから!」と、つい逆らってしまった。(大汗)
拙者の悪い癖で・・・
つい頭に血が上ると言葉がキツくなってしまうのである。(大汗)
マネージャーがギョッとして驚くのも当然だ。(苦笑)

マネージャーに改めて拙者の方針を説明させてもらう。
「コックさんが自信のある料理を出すこと。品数はどうでもいい。品数が増えて味が落ちたのでは意味はない」(大笑)
マネージャーさんはキョトンとしていたから・・・拙者の言っていることが分からなかったかも・・・(苦笑)
品数が多いことが“サービス”とは限らないと拙者は思うのだが・・・

問題は会場である。
室内に祭壇を設け、遺影と位牌を置いて、両脇にお花を飾る。
ホテル内でお線香をあげるわけにはいかないので、お線香の代わりにお花を献花するので、献花台を設ける。
で・・・問題はテーブル・・・
法要の後の食事の準備に時間がかかってしまうので、最初からテーブルに食器類を用意させてもらえないかと担当者。
う~ん・・・目の前にお皿とナイフとフォークが置いてある中で、お経を唱えるというのもねぇ~(苦笑)
なんか・・・落ち着かねぇなぁ~(笑)

そこへ、ホテルの常務がやってきた。
「隣りの部屋がちょうど空いているから、隣りの部屋を食事場所として使ったらどうだ?」と言う。
「え?・・・いいの?」
「いいよ、いいよ」(笑)
そもそも拙者が使う予定の部屋はパーテーションで仕切られた一室である。
このパーテーションを取り払うと広い一室となる構造。
隣りが空いているので・・・パーテーションの一部を取り払えば、隣りの部屋と自由に行き来できる。
というわけで・・・片方の部屋には祭壇を設けて法要を・・・
その隣りの部屋に食事の準備をしたテーブルを用意して、参列者には、そちらへ移動してもらうということにした。
これで、食器の用意の問題は一瞬にしてに解決!(喜)
「で・・・会場費は?」
「いいよ、いいよ」(笑)
2部屋使っても、当初の金額で良いという。
う~ん、これこそ“サービス”である!(大笑)
普段から各種の会議で顔なじみだということもあるのだろうが・・・
感謝、感謝・・・である。

「ところで進行などはどうするの?」と常務・・・
あ・・・それは考えてなかった・・・(苦笑)
最悪、拙者が司会進行をしちゃえばいいかなと思っていたのである。
なにせ、お坊さんもホテル内で法要をするなんて初めてだと言っていたので、当日、お坊さんと打ち合わせながらやればいいかな・・・と思っていたのである。(苦笑)
一応、拙者が“喪主”なんだけど(大笑)・・・司会も兼ねちゃう・・・(大笑)
「僕がやってあげるよ。お坊さんと打ち合わせして・・・司会進行・・・」
「いやぁ~そうしていただけるとありがたい!」(大喜)
これまた“サービス”である!(大笑)
「忙しいだろうに・・・すみませんねぇ~」(笑)

あっという間に、一件どころか二件、落着である!(笑)

おかげさまで無事に最終打合せを終えることができた。
感謝、感謝である。

日記 | 12:32:02 | Comments(0)
兼高かおるさん死去・・・
1月5日、午後8時45分、旅行ジャーナリストの兼高かおるさんが90歳で亡くなられたという。
この方を知ったのは、「兼高かおるの世界の旅」というテレビ番組・・・
子供の頃、この番組が好きでよく見ていた。
1960年から1990年まで約30年間放送されたというが、拙者が見ていたのは小学生の頃の一時期である。
拙者が生まれてから30年間も続いていたとは知らなかった。(汗)

総移動距離は、地球180周分だというのだから驚く。
訪問した国は約150国・・・
番組の内容は覚えていないが、とにかく好きだったことは覚えている・・・(苦笑)

今では海外の「紀行番組」などは、掃いて捨てるほどあるが・・・
拙者が小学生の頃は、この番組しかなかったんじゃないかなぁ~
ワクワクしながら見たことを覚えている。

その後、大人になった拙者が海外旅行をするようになったのも、たぶん、この番組が潜在意識に影響を与えたのではあるまいか?(笑)

90歳でしたか・・・
そうだろうなぁ~・・・拙者は今年59歳になるんだから・・・(苦笑)
ご冥福をお祈りする。

日記 | 20:30:00 | Comments(0)
病院が倒産!?(驚)
今日、大分の“ヤスダさん”から電話がかかってきた。
で・・・開口一番・・・「お店が倒産しちゃったのよ」と言う。
「お店?・・・お店ってどこの?」
「ここ・・・」
「ここって・・・病院?」
「そう、病院が資金難で倒産しちゃったの」
「へっ?倒産?」(驚)

“ヤスダさん”は我が戦友会の会員で、96歳・・・・
一人暮らしだったが、病院の院長先生が「死ぬまでここにいていい」と言ってくれたので、自宅を引き払って、病院に移った。
あれからもう何年たつだろうか?
冷暖房完備、三度三度の食事も出て、医者が定期的に診察をしてくれて、お風呂(温泉)にも一番に入れてもらっていると喜んでいて「終の棲家なんです」と喜んでいたのに‥‥
資金難で倒産?廃業?・・・・
あらら・・・

話を聞くと、1月1日、元旦の日に、このことが全員に伝えられたという。
で・・・明日で病院は「終わり」なのだそうである。
それ・・・本当?(大汗)
なにせ96歳の言うことだからなぁ~・・・・疑うわけじゃないけど・・・(汗)

東京に住んでいる娘に引き取ってもらう予定だというのだが・・・
たしか娘さんは全盲だったはず・・・・
大丈夫なのかな?
「いつ迎えに来てくれるのかわからないけど、待っているんだ」と言う。
いやいや、これは大変な・・・・
受け入れ先の娘さん家族も、いきなりの話では、青天の霹靂とは、まさしくこのことだろう。
いやはや、とんでもない年の幕開けとなってしまったような・・・

東京に住むのであれば、今までのように、わざわざ飛行機に乗って大分まで会いに行かなくてすむから、拙者は助かるが・・・
別府から、いきなり東京への移住では・・・環境の変化が大きすぎるよなぁ~(汗)
大好きな温泉にも入れなくなるし・・・
しかも、年齢が96歳だからなぁ~
環境の変化に対応できるだろうか?
体調を崩してしまうのではなかろうかと、拙者が心配しても仕方がないのだが・・・(汗)

それにしても、何というタイミング・・・・
昨日、戦友会の会員の皆さんに会報を郵送したところである。
大分までは3日ぐらいかかるので、たぶん“閉鎖”される予定の明日の配達となると思う。
う~ん・・・・“ヤスダさん”の手元に無事に届くだろうか?(大汗)

とにかく、東京に移って、落ち着いたら改めて電話をくれるように話して電話を切る・・・

晩年になって、あれやこれやと心配事や気疲れするというのはキツイよなぁ~
「こんなことなら早く死ねばよかった」なんて思っちゃうんじゃなかろうか?
お年寄りには気持ちよく生きてもらって、そのまま旅立ってもらいたいと思っているのだが・・・

日記 | 20:11:30 | Comments(0)
『二・二六事件秘録(二)』


第2部 憲兵調書(続)

4 薩摩雄次、中村義明、木村義明、松井亀太 調書
     1 薩摩雄次
     2 中村義明
     3 木村義明
     4 松井亀太
          別紙第1 久原房之助より受取りたる金額
          別紙第2 新柳出入状況
          別紙第3 喜村待合出入状況
          別紙第4 昭和10年度収支状況
          別紙第5 三島屋出入状況
          松井亀太資金網調査表

5 送致在郷将校
     (1)斎藤劉 聴取書
     (2)三六倶楽部関係 聴取書
          1 送致書(麹町憲警第279号)
          2 報告書(麹町憲兵分隊長宛)
          3 四天王延孝
          4 伊藤伴治
                仮領置品目録(昭和11年3月17日)
          5 野田 豊
                仮領置品目録(昭和11年2月28日)
          6 松本勇平
          7 小林順一郎
                小林順一郎手記(昭和11年3月)
          8 軍機に関する件照会(戒厳司令部参謀長宛)
          9 新聞差止に関する件(各庁府県長官宛)

6 鵜沢総明、小笠原長生、有賀長文、池田成彬、安藤紀三郎 聴取書
     1 鵜沢総明
          熊谷八十三聴取書
          鵜沢総明誓約書(昭和11年3月27日)
     2 小笠原長生
     3 有賀長文
     4 池田成彬
     5 安藤紀三郎
          三井家申出の寄付金に対する処理顛末

7 真崎甚三郎他 聴取書
     (1)真崎甚三郎 聴取書
     (2)真崎甚三郎関係 聴取書
          1 植松源吾
          2 河合 操
               2・26事件に関し河合大将と対談に関する件報告
               顛末書
          3 林 銑十郎
          4 阿部信行
               2・26事件に関し阿部大将の陳述に関する件報告
          5 亀川哲也
          6 山口一太郎
          7 村中孝次
          8 香田清貞
          9 磯部浅一
          10 平野助九郎
          11 石丸志都磨
               別紙第2 国軍粛清に関する意見(昭和10年8月19日)
          12 石黒幸平
          13 真崎信千代
          14 土屋とし子
          15 早淵四郎
          16 小川三郎
          17 加藤寛治
          18 本庄 繁
          19 藤原元明
          20 満井佐吉
          21 川島義之
          22 安藤紀三郎
          23 鈴木貞一
          24 小松光彦
          25 寺村久太郎
          26 佐藤孝一
          27 秦 真次
               (別紙)真崎閣下への書信(昭和11年3月6日)
          28 富永良男
     (3)真崎甚三郎等に関する報告書
          1 真崎甚三郎
               真崎大将の動静に関する件(麹町憲警第219号)
               真崎大将の行動に関する電話報告の件(麹町憲高第375号)
               真崎大将来邸方電話の件(麹町憲高第380号)
          2 亀川哲也
               亀川哲也の行動調査の件(昭和11年5月5日)

8 森 伝 聴取書

第3部 犯人隠避刑事訴訟記録

その1 津雲国利
     1 捜査段階
          (1)叛乱事件関係
               1 移送書(特高秘二第1832号)
               2 聴取書
          (2)叛乱被告人藏匿事件関係(その1)
               1 移送書(検第652号)
               2 送致書(東憲警第357号)
               3 聴取書
                    津雲国利
                    平 広三
                    秋山幸二
                    池田金造
                    藤堂安子
                    土居ミツ
                    秋葉修次
                    吉村ふみ
                    高橋熊太郎
                    小山和助
                    師岡たき
          (3)叛乱被告人蔵匿事件関係(その2)
               1 追送書(昭和11年4月28日)
               2 追送書(昭和11年4月27日)
               3 聴取書
                    津雲国利
          (4)叛乱被告人隠避事件関係
               1 送致書(昭和11年4月28日)
               2 意見書(昭和11年4月28日)
               3 聴取書
                    津雲国利
                    亀川哲也
                    瀬尾徳太郎
                    佐々木第吉
                    藤田俊雄
                    阿座上 龍雄
                    村田ハル
                    松枝トシ子
                    福井貞吉
                    中野量治
                    久原房之助
          (5)亀川哲也関係書類
               1 憲兵隊
                    逮捕顛末の件通牒(昭和11年4月30日)
                    追求状況の件報告(昭和11年4月17日)
                    証明書(昭和11年3月5日)
               2 警視庁
                    捜査状況の件(昭和11年5月6日)
                       特高課 山本巡査
                       特高課 井田巡査
                       特高課 宇田巡査
                       特高課 西沢巡査
                       特高課 島巡査
     2 検事局関係
          1 前科調書(昭和11年4月28日)
          2 聴取書
               津雲国利
          3 強制処分請求書(昭和11年4月30日)
          4 訊問調書
               津雲国利
          5 聴取書
               西田 税
          6 予審請求書(昭和11年5月9日)
     3 予審段階
          1 訊問調書
               津雲国利
          2 上申書
          3 証人尋問調書
               久原房之助
               亀川哲也
               佐々木第吉
               中野量治
               阿座上 龍雄
               藤田俊信
               村田ハル
               松枝トシ
               門脇壮介
               瀬尾徳太郎
               福井貞吉
               町田喜三郎
               亀川まつ
               江藤源九郎
          4 検証調書
               久原房之助本邸及び其付近(昭和11年6月9日)
               久原房之助別邸及び其付近(昭和11年6月9日)
               久原房之助所有の自家用乗用自動車(昭和12年1月13日)

その2 久原房之助
     1 捜査段階
          (1)憲兵調書
               1 上申書(昭和11年4月4日)
               2 聴取書
                    久原房之助
                    佐々木第吉
                    阿座上 龍雄
                    瀬尾徳太郎
                    福井貞吉
                    藤田俊信
                    村田ハル
                    亀川哲也
          (2)予審調書
               1 訊問調書
                    久原房之助
               2 証人尋問調書
                    亀川哲也
                    佐々木第吉
                    津雲国利


今年の読書:3冊目



読書 | 00:45:12 | Comments(0)
『「南京虐殺」の徹底検証』


第 1章 南京攻略への道
        1930年代の支那は分裂状態
        盧溝橋事件
        通州虐殺事件
        上海事変
        ドイツ軍事顧問団
        南京城攻略命令

第 2章 陥落前夜の南京城内
        焦土作戦宣言
        南京放棄か死守か
        蒋介石の堅壁清野作戦
        市民の南京脱出
        アベックが伝える「支那の国都の最後の日々」
        南京安全地帯国際委員会
        南京安全地帯の設立
        蒋介石脱出と安全地帯避難命令
        鮨詰めの安全地帯
        安全地帯を保障せず
        負傷兵入城禁止

第 3章 城門攻略
        南京城開放を勧告
        ハーグ陸戦法規27条を厳守
        国際委員会の休戦協定案
        光華門攻略
        中華門占領
        手足を立木に縛られ
        唐生智逃亡
        戦える者は誰でも駆り集めた
        防衛軍の大部分は戦闘で重大な損失
        挹江門では督戦隊が「友軍を掃射」
        アメリカ人記者の虚報
        支那軍の主力は脱出

第 4章 「捕虜ノ処置」の意味
        「捕虜ノ処置」の意味
        陸軍次官通牒について
        上海派遣軍第13師団司令部の通達

第 5章 争点の解釈(1)―旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
        「旅団英霊により捕虜は全部殺すべし」
        第114師団命令
        第128旅団命令
        第1大隊戦闘詳報
        誰が戦闘詳報を執筆したのか

第 6章 争点の解釈(2)―大体捕虜ハセヌ方針ナレバ
        支配的な「捕虜の即時処刑という解釈
        文章の捩(ねじ)れ
        「捕虜ハセヌ方針」の真の意味
        上海派遣軍参謀の証言
        「処理」の解釈

第 7章 争点の解釈(3)―皆殺セトノコトナリ、各隊食糧ナク困却ス
        1万5千人の幕府山投降兵
        非戦闘員を解放
        「皆殺セトノコトナリ、各隊食糧ナク困却ス」
        故意の放火
        山田旅団長の真意
        火災後に投降兵を処刑
        両角連隊長の回想
        暗闇の処刑作戦であったのか
        付記
        第13師団山田支隊兵士の陣中日記
        遠藤高明陣中日記
        宮本省吾陣中日記
        指揮官不在の投降兵集団

第 8章 陥落後の城外の激戦
        血路を求めて討って出た教導総隊
        佐々木少将「自衛力を有する者を顧みる遑(いとま)はない」
        支那軍が湯水鎮の上海派遣軍司令部を猛襲
        第38連隊副官の証言
        捕虜が続々投降という不正確な表現
        「片はしより殺戮」
        「師団ノ指示アル迄俘虜ヲ受付クルヲ許サズ」
        戦場で不穏な行為や抵抗の意志を示した投降兵
        降伏後に手榴弾を投げつけてくる投降兵
        第3師団の輸送部隊と軍医部長一行も襲撃さる

第 9章 陥落後の城内の掃蕩
        安全地帯は皇居外苑の4倍
        陥落後の城内の様子
        正規兵は城内陥落前に安全地帯に避難
        死の街(ゴースト・タウン)・南京
        市民のなかに銃を持って身を潜めた正規兵
        南京城攻略要領に基づき掃蕩戦に入る
        掃蕩戦に参加しない日本軍兵士は外出禁止
        作戦地域の指定と責任の明確化
        掃討戦の様子
        安全地帯の掃蕩
        秋山旅団長の「掃蕩実施ニ関スル注意」
        12月14日から安全地帯の掃蕩戦
        戦車4台ほかを鹵獲(ろかく)
        安全地帯の正規兵を処刑

第10章 捕虜の資格
        安全地帯を攻撃しなかった日本軍
        軍服を脱いだ兵士は「元兵士」か
        戦争法規に明確に禁止されていない場合
        「交戦者ノ資格」
        安全地帯の支那兵と戦時国際法
        捕虜の資格
        スミス記者の講演(1)
        フィッチの記録
        ラーベの日記の記録
        スティール記者の記事
        スミス記者の講演(2)
        ダーディン記者の記事(1)
        ダーディン記者の記事(2)
        アーベント記者の記事1937年12月19日付
        『チャイナ・ウィークリー・レビュー』1938年1月29日号
        英国領事の日本軍批判(1)
        英国領事の日本軍批判(2)
        残虐行為(アトローシティーズ)とは何か
        殺戮(スローター)とは何か
        虐殺(マサカー)とは何か
        アメリカ海軍第2旅団の報告書
        南京ドイツ大使館の報告書
        国際委員会4号文書
        『チャイナ・トゥデイ』1938年1月号
        『チャイナ・ジャーナル』1938年1月号
        『タイム』1938年2月14日号
        『ノースチャイナ・デイリーニューズ』1938年1月22日付
        『チャイナ・フォーラム』1938年3月19日付
        アメリカ大使館付武官キャボット・コーヴィルの記録

第11章 南京安全地帯の記録(1)
        南京占領3日目には露店
        毎日5千人が殺されたのか
        安全地帯の人口は増える
        状況を好転させた12月24日からの住民登録
        兵民分離のため住民登録と同時に査問工作を行う
        12月27日付の26号文書は20万人市民と記す
        『南京安全地帯の記録』
        『南京安全地帯の記録』が記録する殺人事件
        事例219
        「事例219」についてのマギーのもう一つの説明
        数々の疑問点
        「8歳の少女(夏淑琴)」がマギーに語ったもう一つの話
        本多勝一『南京への道』に出てくる夏淑琴の話
        夏淑琴が「マギーの遺言」に登場
        許伝音の偽証
        事例185
        合法的処刑だったことを認める「注」

第12章 南京安全地帯の記録(2)
        南京事件(昭和2年)における強姦
        『南京安全地帯の記録』に記録された強姦事件
        日本軍に通報された強姦事件は10件前後
        重罰に処せられた犯人
        固有名詞のない事例の数々
        信憑性なき事件が世界を駆け回る
        ヴォートリン宣教師の記録
        食い違う記録
        事件発生日の記されていない事例
        『ノースチャイナ・デイリーニューズ』1938年1月21日付
        『南京安全地帯の記録』から削除されたもう一つの事例
        2万人強姦説も削除される
        「大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」
        馬中将は安全地帯で反日攪乱行為を煽動
        東京裁判におけるマギーの証言
        事例33
        事例77
        「いつも総て支那人の一方的な話を聞いてるだけ」

第13章 食糧問題と埋葬問題
        南京自治委員会の創設
        南京特務機関宣撫班
        金丸良生軍曹の「手記」
        安全地帯の人口は25万となる
        人口増加と食糧問題
        人口増加を招いた一因
        南京陥落9ヶ月後の人口35万8546人
        人口問題再論
        埋葬問題について
        軍服の敵兵を満載した紅卍字会のトラック
        陥落後の懸案事項は「食糧問題」
        住民登録が終って埋葬が問題となる
        埋葬活動と日本軍特務機関
        自治委員会会長・陶錫山
        土葬の場所
        土葬の方法
        埋葬の賃金
        いつ埋葬は完了したのか
        紅卍字会のみが埋葬
        中華民国の「被屠殺者タル我同胞279,586名」という記録
        『南京救済国際委員会報告書』
        埋葬は3月20日前後に完了
        埋葬数は多くても1万3千体から1万5千体
        城内埋葬表の三つの間違い
        城内埋葬数は多くても623体
        城内で収容された約6百体の内訳

第14章 「南京虐殺」追跡調査
        欧米人に対する支那人の訴え
        削除されたベイツのメモ
        日本軍を戦時国際法違反とベイツは批判
        ベイツは市民1万2千人虐殺説を繰り返す
        中間派の原型ベイツ説
        『チャイナ・イヤーブック』1938年版
        『戦争の支那』
        『日本人の戦争行為』
        毛沢東「持久戦について」
        国際連盟の決議
        『チャイナ・クリティック』支那事変一周年特集号
        『チャイナ・フォーラム』支那事変一周年特集号
        支那事変一周年の蒋介石の声明
        『チャイナ・ジャーナル』支那事変一周年特集号
        『チャイナ・クォータリ』支那事変一周年特集号
        『チャイナ・ウィークリー・レビュー』支那事変一周年特集号
        『チャイナ・トゥデイ』支那事変一周年特集号
        『抗日軍政大学の動態』
        郭沫若『抗日戦回想録』
        頃英将軍の『新四軍の抗戦1年来の経験と教訓』
        4万人虐殺説を再びベイツは主張
        朱友漁「戦時下の奉仕活動とキリスト教会」
        再三再四削除されたベイツ説
        ベイツ説を蒸し返したエドガー・スノー
        リリー・アベックの『支那の革新』
        『チャイナ・イヤーブック』1939年版の序文

第15章 「南京虐殺」の全体像
        第1期・昭和12年12月から昭和13年3月までの4ヶ月間
        第2期・昭和13年4月から昭和15年までの約2年間
        第3期・昭和16年から昭和20年まで
        第4期・昭和20年から昭和24年ごろまで
        東京裁判におけるベイツの証言
        主席検察官キーナン
        南京地方法院検察処敵人罪行調査報告
        検察側最終論告と判決
        上代琢禅弁護人「法廷で繰り広げられた演劇」
        十分な検証もないまま処刑された日本軍将兵
        第5期・昭和24年から昭和53年ごろまで
        「日本軍30万人を屠殺」と何故揮毫されなかったのか
        「南京虐殺」が出てこない中華人民共和国や香港の歴史教科書
        第6期・昭和53年から現在まで

付章 改めて「ラーベ日記」を読む
        検証の視点
        ラーベの私的日記と公的文書の落差
        過度に脚色されたラーベの日記の矛盾
        ラーベ自身の露骨な改竄
        目撃してもいない作り話がヒットラーへの上申書に
        支那軍は安全地帯を徹底的に利用
        安全地帯は中立地帯ではなくなった
        中立地帯委員長が敵兵の潜伏逃亡を幇助
        64日間の不法滞在中に何をしたおか
        反日攪乱行為に暗躍した支那軍将兵
        ラーベの近辺に集中した「放火」
        自作自演の強姦劇か
        流言蜚語を事実と信じたラーベ
        撤回された日本軍戦時国際法違反説
        埋葬は多くても約1万5千体

        (『正論』平成14年4月号掲載の拙稿を改題し加筆補正)

参考文献

あとがき

索引


今年の読書:2冊目



読書 | 23:29:39 | Comments(0)
甥っ子と墓参り
昨日、妹と姪っ子たちが東京に帰って行き・・・
替わりに甥っ子がやってきた・・・(笑)
彼等の話によると、一気に帰ってしまうと、“おじちゃん”が寂しがるだろうから、“時間差攻撃”にしたという。(大笑)
まぁ、なんという心遣いか・・・(大笑)

今日、甥っ子が墓参りに行きたいというので、一緒にドライブ・・・
亡き母や父に新年の挨拶に行きますか!(大笑)

滅多に甥っ子とは会えないので、車の中でおしゃべり・・・
久しぶりにいい時間が過ごせた。(喜)

で・・・ふと、思った・・・
拙者は自分の伯父に、そこまで気を遣っただろうか?(大汗)
ずっとご無沙汰のままで終わってしまった・・・
今は亡き伯父には本当に申し訳ないことをした・・・と、新年早々改めて後悔・・・(涙)

日記 | 12:29:27 | Comments(0)
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