FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

『米内光政~海軍魂を貫いた無私・廉潔の提督~』


第1部 帝国海軍と米内光政
        至誠一貫
        母の恩愛を受けて江田島へ
        世界を知る
        「磐手」艦長
        震災候補生
        慈と厳
        ニュージーランド
        「扶桑」
        天女
        旗艦「陸奥」
        米内少将
        鎮海と上海
        亡国の引き金
        佐世保の殿様
        第二艦隊旗艦「鳥海」
        小善と大善

第2部 大臣米内光政
        海軍大臣就任
        盧溝橋の銃弾
        パネー号事件
        蒋政権を相手にせず
        東亜新秩序
        統帥権
        山本次官と石油
        三国同盟
        念書の提出
        敵は海軍
        天皇の味方
        米内内閣総理大臣
        バスに乗りおくれるな
        狂態の踊り
        「労苦を共にするか」

第3部 太平洋戦争と米内光政
        東海の旭日
        限定戦争観
        ジリ貧論
        「新高山登レ」
        天魔
        悲報
        小磯米内内閣へ
        「不適当ならざりしや」
        「屍(しかばね)を越えて行け」
        菊水の旗
        強盗に金庫の鍵を預ける
        原爆許すまじ
        深夜の御前会議
        「私自身はいかようになろうとも」
        葬送
        戦いは終わらず

あとがき

「米内光政」関係年表

参考・引用文献


今年の読書:31冊目



スポンサーサイト



読書 | 23:36:48 | Comments(0)
飛行第51戦隊三十三回忌供養碑
095_convert_20190512161855.jpg

疾風 四式戦斗機

飛行第51戦隊ハ昭和19年4月山口県小月ニテ編成サレ同年6月防府ニ移駐北九州邀撃作戦参加同年10月比島クラーク基地ニ移動台湾沖及ビ比島沖航空戦参加同月末ネグロス島ヘ前進レイテ沖航空戦参加赫々タル武勲ニヨリ同年11月16日部隊感状ヲ授与サレ畏■モ上聞ニ達ス同年12月戦力回復ノタメ茨城県下館基地ニ集結尓後本土防空及ビ機動部隊攻撃ニ任ジツツ第18第19及ビ第57振武隊ノ特攻掩護ニ従事昭和20年8月15日沖縄特攻作戦参加ノタメ九州ヘ転進中終戦トナリ同年9月1日下館ニ於テ部隊解散ス

飛行第五十一戦隊
三十三回忌供養建之
昭和52年10月9日

(碑文より)


【茨城県筑西市新花町乙657番地】



史跡 | 21:13:25 | Comments(0)
加波山事件志士の碑
091_convert_20190512161406.jpg

自由民権の魁(さきがけ)
加波山事件志士の碑
筑西市新花町乙657番地

明治17年9月23日下館の民権家、富松正安(とまつまさやす)、保多駒吉(やすだこまきち)、玉水嘉一(たまみずかいち)と、福島、栃木、愛知の「民権家16人の志士」が加波山に決起し、山頂に「自由立憲」の旗をかかげた事件である。
これは、維新後十余年を経過してなお、国会が開かれず、明治政府の圧政に抗し「立憲政府樹立と自由と民主主義」を願った行動であった。
決起は、失敗に終わり、政府の不当な罪状をもって、厳科に処せられる結果に終わった。
事件後、百数十年を経た今日、志士の高邁(こうまい)な行動は、国民の広く認めるところとなり、志士の目指した「平和と民主主義」は、現在、国民生活の中に定着しました。
因(ちな)みに明治22年に大日本憲法が制定されましたが事件のもつ歴史的意義は極めて大きく、高く評価されています。
墓は、妙西寺の門前墓地の入口にあり、4基の角柱が並んでいる。
石碑は、平尾八十吉(ひらおやそきち)、富松正安、保多駒吉、玉水嘉一の墓と刻まれ、裏面に没した年月日がある。
碑の右側には、墓碑建設賛助者の名を刻んだ志表と、左側に「玉水嘉一翁顕彰碑」がある。

撰文 宮本 朔夫
寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市新花町乙657番地】



史跡 | 20:35:34 | Comments(0)
筑西・愛宕神社
085_convert_20190512154629.jpg

往時、西郷谷の総鎮守
愛宕神社
筑西市大町甲37番地

下羽黒神社境内の西側にある。
祭神は伊弉册尊(いざなみのみこと)、火産霊神(ほむすびのみこと)で往時は西郷谷(現在の羽黒神社付近)の鎮守として世人の尊崇が篤かった。
文明10年(1478)水谷氏が下館に進出、同13年(1481)羽黒神社を勧請したときに、羽黒神社西側に移した。
愛宕神社の御神体は、鎌倉時代の作といわれ、木造彩色で翼をもった異形で珍しいものである。
昭和38年7月茨城県文化財(彫刻)に指定。
尚、本殿は昭和46年再建。
拝殿は、元、下羽黒神社拝殿を移設した。

寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市大町甲37番地】

史跡 | 20:21:09 | Comments(0)
筑西・羽黒神社
080_convert_20190512154534.jpg

下館初代城主水谷氏尊崇の神社
下羽黒神社
筑西市大町甲37番地

七羽黒神社の中心の神社。
文明10年(1478)水谷左近将監勝氏(みずのやさこんしょうげんかつうじ)初代が結城家より独立し、下館に築城。
3年後の文明13年(1481)尊崇する出羽国(山形県)羽黒大神を勧請した。
勝氏は、古式により下館城の鬼門の稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、天文の岡芹村に五つの羽黒神社を創建した。
その後、天文14年(1545)水谷政村(みずのやまさむら)(6代)が久下田に築城、鬼門にあたる大根田村と病門にあたる口戸村に羽黒神社を創建した。
世に七羽黒と呼ばれている。
羽黒神社は境内六千余坪、三十七石を寄進し、水谷家の武運長久、領民の安泰を祈願している。
水谷氏移封後も、松平、増山、黒田、石川等歴代藩主の尊崇篤く、享保13年(1728)黒田直邦(くろだなおくに)が本殿の大改修を行なった。
昭和5年6月郷社に列せられる「下館領内神社寺院附縁起旧跡」には、下羽黒山大権現、別当天台宗、正観院清瀧寺御朱印二十石、水谷伊勢守勝隆(みずのやいせのかみかつたか)、元和四年戊午(つちのえうま)年建立。
水野家之鎮守。
祭礼毎年10月14日より17日まで。
尚、平成14年本殿が茨城県文化財(建造物)に指定。

寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市大町甲37番地】



史跡 | 19:56:56 | Comments(0)
板谷波山生家
052_convert_20190511214245.jpg 053_convert_20190511214318.jpg

波山の生家

波山は明治5年(1872)3月3日に板谷家の三男五女の末子(本名は嘉七)として生まれました。
波山の生家は醤油醸造や雑貨(文房具や西洋小間物など)を扱う御用商人を務めた、町の主導的な商家でした。
父の増太郎は分家して三代目にあたる有能な商人で、文人趣味をもち「半癡(はんち)」と号して文墨に親しんでいます。
記念館には父の作品がいくつか残されていますが、そのなかの「先考遺墨帖(せんこういぼくちょう)」(波山の題箋(だいせん))には、南画風の花鳥画の素描がおさめられており、玄人(くろうと)はだしの見事な筆致をみせています。
また、父は茶道をたしなみ三味線をひき、さらには和歌や狂句もつくり、器用で指物をこしらえ袋物を縫ったりしたといわれています。
おそらく凝り性なところや抜群の器用さなどの波山の性質は、多分に父譲りであったと思われます。
波山もかなりの趣味人で宝生流(ほうしょうりゅう)のお能や尺八に親しみ、着物も縫い料理も得意でした。
彼の芸術家としての資質は父の血筋を受け、粋な町人文化の栄えた下館でそのセンスが磨かれたのです。
一方、母の宇多(うた)は茨城県筑波郡の豪農の娘で、娘時代に讃岐高松藩主松平家に奉公に出るなど武家育ち風で自らに厳しい人でした。
母は波山に対して厳格なしつけをほどこしました。
波山が陶芸界の大家になった後にも、決して奢(おご)らず謙虚で他人への細やかな配慮を忘れない人格は、母から受け継いだものだったと思われます。
ところで、波山はかなりの美男でしたが、その容姿は生前の母の姿にそっくりでおそらく母親似であったと思われます。
記念館内にある波山の生家は、江戸時代中期ごろの商人の住居として歴史的にも貴重であり茨城県指定文化財となっています。

(展示パネルより)


板谷波山生家(昭和40年茨城県指定史跡)

創建は江戸中期、木造平屋建、屋根は瓦葺き。
波山はその誕生(明治5年)から東京美術学校入学(明治22年)まで、この家で過ごす。
板谷家はしょうゆ醸造及び雑貨商を営む。
波山は父増太郎、母宇多の三男六女の末子で「嘉七」と命名された。

(リーフレットより)


【茨城県筑西市田町甲866-1・板谷波山記念館内】



史跡 | 17:09:31 | Comments(0)
『板谷波山展』を鑑賞
先日、うちの大学の同窓会役員から、ご案内を頂いた・・・
「きみ、こういうのに興味ある?よかったら見に来て」と言われたのが『板谷波山展』・・・
板谷波山(いたや・はざん)は名前だけは知っていたが、詳しくは知らない・・・
どうも陶芸家のようだ・・・程度である。(苦笑)
で・・・正直言って、拙者は陶芸品にはあまり興味がないのである。
が・・・お誘いくださった先輩は、板谷波山記念館がある筑西市(旧・下館市)の教育委員会に勤めている。
で・・・この方が、この展覧会の企画に大いに関係しているという。
そういうことであれば・・・行かねばなるまいね?(大笑)
これも何かの縁というものである。

さて、筑西市まで、どうやって行こうか・・・・
車を運転して行けば簡単に行けるのだが・・・(カーナビの指示に従って運転すればいいだけである)(大笑)
それでは、なんとなく面白くない・・・
ということで・・・電車で行ってみることにした。(大笑)

JR常磐線で水戸駅まで行き、そこで、JR水戸線に乗り換える。
「水戸線」などという電車に乗ったのは、58年も生きてきて初めての体験である!(大笑)
いやぁ~ワクワクである。(笑)

自宅から車で向かうのと、電車で行くのとでは、どちらが早いかは知らない・・・
が・・・駐車場を探さなくていい点と、読書したり景色を見ながら移動できる点で電車の方が便利である。

015_convert_20190511200455.jpg(JR下館駅)

拙者は、どこかに行ったり、何かをする時は、「一石二鳥」を狙う性格である。(大笑)
ただ『板谷波山展』を見に行くだけでは面白くない。
ついでに何か他のものも得なければ・・・(笑)

拙者は、法人会の会報に「全国税務署めぐり」のコラム記事を連載しているので・・・・(笑)
ついでに「下館税務署」を訪問することにした。(笑)
真直ぐ、素直に板谷波山記念館に行かないところが拙者のいい所?(大笑)
「小さな旅」「小旅行」の始まりである!(大笑)

まもなくお昼になるので、駅前で、ちょっと早めの昼食をとる。

029_convert_20190511201414.jpg(筑西しもだて合同庁舎)

下館税務署は、筑西しもだて合同庁舎の中に入っている。
独立した建物でないと・・・・う~ん・・・写真を載せてもちょっと面白くない・・・
さて、どういう記事にしようか・・・と思っていたら、敷地内に「青木繁」のモニュメントが建っていた。

034_convert_20190511202258.jpg

おお、これは使えるぞ!(喜)
青木繁は画家・・・・
今から14年ほど前に福岡の久留米に行った時、「青木繁旧居」に行ったことがある。
あの時は、史跡だろうからということで立ち寄っただけ・・・
青木繁には全く興味もなかったが・・・
ここで再び会えるとはねぇ~(喜)
青木繁は明治38年に筑西市に滞在して作品制作をしているとのことで、福岡県の人だが、この地に縁ある人ということで特に顕彰しているようで、彼の作品を陶板に焼き付けたモニュメントが建てられている。
青木繁は明治44年に28歳の若さで福岡で病死している。
よし・・・この話をからめて1本書くか!(笑)
新年号に載せるネタを得ることが出来て大満足!(大喜)

続いて、ようやく板谷波山記念館へ・・・
駅から歩いても、それほど遠くはない。

044_convert_20190511212033.jpg(板谷波山記念館)

046_convert_20190511212314.jpg 047_convert_20190511212339.jpg

板谷波山の銅像・・・みっけ!(大喜)
これで、拙者のHPのネタも手に入れた!(大喜)

記念館に入り、受付で、資料を数冊購入する。
そうだ・・・水戸藩士の“シミズくん”は、こういうのに興味があったはず・・・
ということで彼にもお土産として資料を購入する。

で・・・受付から外に出て、展示館へ向かおうと思ったら、向こうからサングラスをかけた老人がやってきた。
「うわっ!なんでここにいるんだ!」と叫ばれたのには、こっちが驚いた!(大驚)
サングラスを外した、このオジサンを見て驚いた!
叔父さんである!(驚)
「叔母さんたちも来てるぞ」と言う。
親戚一同で、見に来たのだという。(唖然)
まさか、こんなところで親戚に合うとはねぇ~・・・・驚きである。
しばらく叔母さんたちと立ち話・・・(大笑)
今、見学を終えて帰るところだが、一緒に車で帰らないかと誘われたが断る。
せっかく来たんだから、ついでに、あちこちをブラブラしてみたい・・・(大笑)

img241_convert_20190511213659.jpg img242_convert_20190511213733.jpg

作品の展示館は非常に狭く・・・あっという間に見終わってしまった。(苦笑)
う~ん・・・・やっぱり陶芸品は、よくわからない。
素晴らしいのか・・・大したことはないのか・・・(失礼!)

この記念館があるのは板谷波山の生家があった場所。
現在も生家が敷地内に残っていて、茨城県の文化財に指定されている。

052_convert_20190511214245.jpg 053_convert_20190511214318.jpg
(板谷波山生家)

板谷波山は明治5年に、この地で生まれ、東京芸術学校(現:東京芸術大学)彫刻科に入学して、岡倉天心や高村光雲などに学んだという。
その後、明治36年に東京の田端に住居と工房を建て、東京で創作活動をしていたらしい。
昭和38年にお亡くなりになっている。

070_convert_20190511215320.jpg

生家の隣りに建っている「作業棟」・・・・
ここには東京・田端の工房から移築された「作業場」や「丸窯」などがある。

059_convert_20190511220149.jpg 069_convert_20190511220523.jpg

板谷波山記念館を出て、羽黒神社に向かう。
この神社の入り口にある小さな公園に「青木繁の碑」というのがあると先輩から聞いていたのである。
で・・・・行ってみたら・・・(唖然)

075_convert_20190511221533.jpg 073_convert_20190511221444.jpg

公園の隅の目立たないところに、その石碑はあった・・・
しかも生垣に囲まれて・・・全然見えない・・・(唖然)
不思議なことに、この石碑に関する説明板のようなものが一切設置されていない・・・
なんでだろう?

続いて神社に行ってみた。

080_convert_20190512154534.jpg

この神社・・・地図上では「羽黒神社」とされているが・・・
神社の説明板には「下羽黒神社」と書いてある・・・(大汗)
どっちが正しいんだろう?(苦笑)

直ぐ隣にも神社が・・・

085_convert_20190512154629.jpg

こちらは、説明板に「愛宕神社」と書いてあるが・・・
神社前の標柱には、「羽黒神社旧拝殿」とある・・・(汗)
何が何やらさっぱりわからん・・・(苦笑)
これらの経緯を知っている人は知っているんだろうけど・・・

この神社の本殿の彫り物は、これはスゴイ!
いやぁ~素晴らしい!

081_convert_20190512154809.jpg 082_convert_20190512160455.jpg

次に向かったのは「妙西寺」というお寺・・・
羽黒神社から、徒歩で10分弱のところにある。

110_convert_20190512161123.jpg(妙西寺)

このお寺の近くに板谷波山のお墓があるらしいのだが・・・
と・・・お寺の道を挟んだ反対側を見たら、何やら史跡が・・・(喜)
こういうことがあるから、車で移動するより徒歩での移動がいい・・・
電車に乗って来て正解である。(笑)

091_convert_20190512161406.jpg

説明板を見たら「加波山事件志士の碑」とあった。
へぇ~こんなところに・・・(驚)

さらに、この一角を見たら・・・
チラリと目に入ったのが「疾風」の文字・・・
何だろうと思ってみたら驚いた!

095_convert_20190512161855.jpg

陸軍の飛行第51戦隊の供養碑である!(驚)
この部隊は四式戦闘機「疾風」を装備した部隊で、戦時中は、フィリピンで活躍した部隊である!
いやぁ~こんなところでお会いするとは・・・(笑)
思わず興奮!嬉しくなってしまった・・・
でも、なんでここに建てたんだろう?
この近くに関係者が住んでいたのだろうか?

115_convert_20190512162942.jpg(板谷波山夫妻の墓)

120_convert_20190512163020.jpg

墓所の敷石は、東京・田端の自宅から移設されたものだそうだ。
墓所にはパネル展示などがあった。

時刻は午後4時になる。
そろそろ帰ろうかなぁ~・・・ということで、今回の「小さな旅」はここで終わり。
板谷波山記念館に行くだけのはずが、思わぬ“収穫”を得て、大満足である。

JR下館駅に戻ったら・・・
面白いものを見つけた!

127_convert_20190512164036.jpg

傘の自動販売機!(驚)
へぇ~こんな自動販売機があるんだぁ~
しかも売っているのは1種類だけではなさそうで、3種類くらい値段が違うのである。
一番高いのは1200円の傘・・・(汗)
1200円も出して自動販売機で傘を買うのって、なんとなく・・・・怖い気がする。(大笑)

駅の構内をキョロキョロしていたら・・・・

128_convert_20190512164108.jpg

あら・・・ステンドグラスが・・・
ここに降り立った時には全く気が付かなかった。(大汗)
へぇ~ステンドグラスとはねぇ~
というか・・・・もしかしたら、「ステンドグラス風」?(大笑)

今日は、本当に充実した一日が過ごせた・・・
こういう身近なところへの電車の旅も面白い!
いい機会を与えてくださった先輩に感謝、感謝である。

日記 | 17:03:29 | Comments(0)