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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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佐々淳行さん死去・・・
昨日、10日に佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんが老衰でお亡くなりになられたという。
87才・・・・
佐々さんは、「東大安田講堂事件」や「あさま山荘事件」で警察の現場指揮官だったことで有名な人である。
その後、初代内閣安全保障室長に就任してご活躍されたことでも有名・・・
「危機管理」のエキスパートだと思う。
この方が、お亡くなりになられたのかぁ~・・・と、ちょっとショックである。

ずいぶん昔・・・・(苦笑)
佐々さん主宰の危機管理セミナーに1年間通ったことを思い出す。
あれは、なかなか良かった・・・・
警察、防衛、東京消防庁、海上保安庁、東京都の危機管理担当者等、役所の方々に混じって勉強させていただいたが・・・
あの時に、腰を痛めていたのか、足が弱っていたのか、杖を突いておられた佐々さんのお姿が脳裏に残っている。

佐々さんの“跡継ぎ”は育っているだろうか?
大丈夫かなぁ~・・・日本の危機管理・・・・(大汗)
佐々さんのご冥福をお祈りする。

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日記 | 22:19:32 | Comments(0)
鳥取鉄道高架記念之碑
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鳥取鉄道高架記念之碑

 鳥取鉄道の高架が完成し2年数か月、駅を中心とした人の流れもかわり、駅南にビルも林立しだした。
これから駅南が大きく発展するであろう。
駅高架に併せ実施された駅前の区画整理も本年3月完成し、近代的な美しい街に生まれかわった。
その一部として整備されたこの公園もその名を高架記念公園とした。
そこでこの世紀の大事業である鉄道高架を記念し、ここに碑を建立することとした。
 わが鳥取は今から約360年前藩主池田光政により城下町として築造されたが、明治41年に始めて鉄道が敷設され、駅は田圃に囲まれていた。
しかし、北は久松山で市街地は漸次南へと発展した。
特に、昭和27年の大火災後は駅南へ工場の移転を図るなど急速に南へ都市化が進んだ。
しかし、東西に走る鉄道がその大きな障害となった。
 そこで、鉄道を高架にすべきだという考えは識者の間に根強くあったが、それをどう実現するか誰にも具体策はなかった。
しかし、時の知事石破二朗氏は専門家の意見も徴し、大火災に焼け残った駅前の改造と併せ鉄道の高架を実施すべきだとの画期的構想を固めた。
知事は鳥取市へその意向を打診し、前市長高田勇氏も賛同し、昭和42年に知事、市長を正副会長とする鳥取駅高架促進期成同盟会が発足し、県、市あげてその実現に努めた。
その間、前知事石破二朗氏が国の採択を得るため払われた筆舌に尽くしがたい努力については今でも語り草となっている。
勿論この大事業は一個人の力でできるものではない。
多数の市民の協力の賜であるが、石破氏の秀でた指導力によるところが大きかったことは銘記されるべきである。
 鉄道の高架は昭和54年11月完成し、駅前の区画整理は56年3月完成した。
高架になった豪華な駅、緑豊かな広場、近代的ビル街。
素晴らしいの一語に尽きる。
 今後、我々は美しい自然を生かし、調和した近代都市である20万都市を目指し努力しなくてはならない。

昭和56年6月
    鳥取市長 金田裕夫 記

(碑文より)


【鳥取県鳥取市永楽温泉町701・高架記念公園】




史跡 | 20:46:32 | Comments(0)
今日は大人しく帰宅する(笑)
ホテルで朝食を食べ・・・・チェックアウト・・・・
我がメンバーは、ホテル解散である。
会長と常任理事の二人は、これから、どこかの温泉に向かい一泊してから帰るという。
我が広報委員長は鳥取空港から羽田に向かい帰宅・・・
そして、拙者は、電車で帰宅である。(笑)

いつもなら、これから数日、旅を続けるところなのだが・・・
何日も家を留守にしているというのが、どうしても落ち着かない・・・(大汗)
こういう時に、留守番役をしていた親父がいないというのは不便である。(苦笑)
何の役にも立たぬ親父だと思っていたが・・・(笑)
う~ん・・・死なれてみると、結構役に立っていたんだと思う。(笑)

昨晩の深酒で全員が二日酔い気味・・・(大笑)
レンタカーを借りて温泉に向かうという会長一行に、駅まで乗せて行ってやろうかと声をかけてもらったが断る。
テクテク・ブラブラと歩きながら、駅に向かうほうがいい・・・(笑)
普段の運動不足の解消にもなるだろうし・・・
意外な史跡に巡り合うかもしれない・・・(笑)

駅の方へ向かって歩いて行ったところ、線路の近くの交差点に何やら銅像らしきものが・・・(驚)

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椅子に座っている銅像・・・・
「石破二朗知事の像」とある。
あらら・・・もしかして、現衆議院議員の石破茂さんのお父さん?

この銅像の後ろの小さな公園に石碑が・・・

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この碑は「鳥取鉄道高架記念之碑」というものだった。

ここをちょっと散策して鳥取駅へ・・・・
10時46分発の「スーパーはくと6号」で新大阪へ・・・・
新大阪で「のぞみ24号」に乗り換え東京へ・・・
東京から特急に乗って夜7時には自宅に帰り着いた。

移動だけで丸一日かかったが・・・
鳥取から茨城まで、その日のうちに帰ってこれるとはねぇ~
正直言って驚きである。(笑)

旅行 | 20:05:11 | Comments(0)
鳥取大会
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式典会場の「とりぎん文化会館」に戻り、登録の受付・・・
ここで、ネームタグと資料と引換券をもらう。
引換券は500円の商品券が2枚・・・
会場の中でやっている物産展で、1000円までの買い物ができる。(喜)
これは、毎度のこと・・・どこで全国大会が開催されようと、この特典はつくのである。(笑)

で・・・早速、物産展会場へ・・・
拙者は毎回、物産展で事務局用のお土産を探して、この引換券と交換する。
事務局は、いつもお留守番・・・(大笑)
年に一度くらいは良い思いをしてもらおうと思い、事務局にお土産を贈ることにしている。
で・・・この500円券2枚は、いわば“呼び水”で・・・
さらにお買い物をするわけ・・・(苦笑)
さて、何かないかと、キョロキョロ、ウロウロ・・・
試食、試飲をしながら会場を歩く・・・
と・・・気が付いた・・・
いつも親父に何か甘いものをと・・・お土産を買うのだが・・・
あ・・・親父は死んでいるんだっけ・・・(苦笑)
う~ん・・・お土産を買っても仕方がないな・・・(苦笑)
どうも、いつもの行動パターンを取ってしまった自分に苦笑い・・・

事務局へのお土産を宅急便で送り、続いて会場の座席の確認・・・
資料によれば、全国から410の法人会が集まり、その人数は、約1600人である。
会場は各都道府県別に座席が決まっている。
我が茨城県の座席は、おおよそ60席ほどか?
ここを確認して、次には我がメンバーの記念撮影場所を決めるため会場入り口に戻る。
なにせ、証拠写真を撮らねば・・・
撮影場所2カ所ほどを決めて、後発の会長たちを待つが・・・・来ない!(唖然)
午後2時から記念講演会が始まるというのに・・・
残り10分である!(大汗)

と・・・雨脚が強くなったところに傘もささずに会長たちが歩いてやってきた・・・(唖然)
途中までアーケードだったので傘を持たずに来たという。(唖然)
早速、会場入り口と会場の中の既に決めておいた場所で、大会スタッフにカメラを渡して急いで記念撮影!
そら、急げ!
「で・・・座席はどこ?」と広報委員長・・・
「こちらです!急いで!あと5分!」と拙者・・・(大汗)

ギリギリで、会場に入り、座席につく・・・・
もう、相変わらずのんびりしているんだから、こっちとしては心臓が止まる思いである。
なにせ、広報委員としては、証拠写真の撮影をしくじったら、会報に記事が書けないからねぇ~

記念講演は、(株)「大山どり」の島原社長が『大山どりの奇跡~35歳、どん底からの挑戦~』と題して行なった。
で・・・・常任理事は途中退席し・・・我が広報委員長は寝息を立てている・・・(大汗)
こっちは写真を撮りながら、講演の内容をメモするので、忙しい・・・・
ウトウトなんかしていられない・・・(汗)

講演会の後に20分ほどの休憩・・・・
この間に、広報委員長を物産展に案内して、お土産を買ってもらう。(笑)

委員長の買い物のお付き合いをして、相変わらずギリギリで式典に間に合う。(大汗)

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来賓の祝辞・・・
最初に、平井鳥取県知事が挨拶に立った。
この人は話が上手である。
最近の首長さんは挨拶が上手な人が多い気がする。(笑)
この大会の関係役員や他の来賓の方々等、十数名(いや、数十名かも?)の肩書とお名前を何も見ずにスラスラと口に出したのには会場が騒然となった。(驚)
で・・・ご本人は・・・「先ほど名刺を交換しまして・・・」とケロリと言ってのけた。
いやぁ~その記憶力の良さには会場の誰もが驚いたことだろう。
これで一気に会場にいる参加者を“掴んだ”のである。(唖然)
いやぁ~すごい・・・の一言・・・
挨拶も、面白い・・・
「鳥取にはスタバはないけど、砂場はある」の名言で有名な知事である。
続いて挨拶に立った市長の代理の方(名前を失念)は開口一番「知事の後はやりずらい」を連発して笑いを取った。
しかし、この方も話が上手だった。

広報委員としては、会報に載せる記事を書かねばならないので必死でメモを取る。
実は拙者は、こういうメモを取るというのが苦手なのである。
話を聞いているうちメモを取るのを忘れてしまい・・・あとになってから何の話だったか思い出せないという事がしばしば・・・(苦笑)
今回は、そういうわけにはいかない・・・
なにせ広報委員長は再び寝息を立てて寝ているし、他の二人も中座したまま戻ってこない・・・(唖然)
つまり、話を聞いている人は拙者一人しかいないのである!(涙)
後になってから他のメンバーに話の内容の確認を取るということが出来ないのである!(大汗)

メモを取りながら原稿の素案も考える。
見開き2ページぐらいのスペースに写真数枚と原稿・・・・
記念講演会の内容と、来賓の挨拶を含めた式典内容だけの「報告書」では面白くない・・・(笑)
最後に“オチ”を作らねば・・・(笑)
拙者がいつも心がけるのは、記事の中に面白い“オチ”を入れることなのである。(大笑)
ただの事実の羅列では読んでいても面白くあるまい?

式典後は会場を別の場所に移して「大懇親会」が開催されるが・・・
我々は参加しない・・・(苦笑)
毎度のことなのだが、誰も行こうとしないのである。(汗)
どうせ混んでるし・・・食べ物は少ないし・・・ということらしい。
拙者としては、「大懇親会」にも参加して、その様子の写真を撮り、アトラクションなども記事に書きたいのだが・・・
皆が行かないなら拙者一人で行ってもねぇ~・・・・と断念・・・・(涙)
ということで・・・会報の記事は記念講演会と式典の話だけで作らねばならぬこととなった・・・(大汗)

大懇親会には行かず、一度、本日宿泊のホテルに戻る。
拙者も、ようやくチェックイン・・・
一休みして、4人で夕食を食べに出かける。
すでにお店は予約済みだという。
そういうところは手早いんだよなぁ~(苦笑)

会長が「それで・・・会報の記事は誰が書くことになっているの?」とご質問・・・
「え?当然、広報委員長でしょ?」と拙者
「おい、おい、君が書くんだろう?」と委員長・・・
「いやぁ~広報委員長を差し置いて私が記事を書くなんて・・・そんな恐れ多いことは出来ません!」と拙者。
「委員長が寝息を立てて寝ていたから、記事は大丈夫かなと思って・・・それで聞いたんだけどね」と会長。
「えっ!うそ!」と委員長が大慌て・・・(大笑)
「委員長・・・とうぜん、メモを取っていたんでしょ?」とからかう。

食後はネオン街に繰り出し、ちょっと飲みに・・・・
これは会長の意向を最優先・・・
大会委員会から配布されたナイトマップで、飲みに行くスナックを決めていたようである。(唖然)
どうして、こういうことはテキパキとできるのかね?・・・この人たち・・・(大笑)

2軒目のお店は行き当たりばったり・・・(会長がホテルに帰りたがらない・・・)(大笑)
支払いは割り勘だが、この2軒目の拙者の支払いはしなくていいと委員長が言う。
「え?なんで?」
「原稿料!ねっ、原稿料ということでさぁ~・・・ここは僕が払うから・・・」と委員長。(大笑)
「え?そうですかぁ~・・・そういうことであれば、仕方がないなぁ、私が原稿を書きましょう!」(大笑)
どうせ、拙者が原稿を書くことになるのは最初から明白なのだが、こういう気遣いをしてくれるから、広報委員長は憎めない。(大笑)

スナックを2軒ハシゴして日付が変わった時刻にホテルに戻り・・・解散!(笑)
お疲れさまでしたぁ~

旅行 | 17:01:56 | Comments(0)
大手登城路跡
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史跡鳥取城跡附太閤ヶ平(つけたりたいこうがなる)
大手登城路跡(おおてとじょうろあと)

大手登城路とは、城のメインルートのことで、途中には2つの重要な門がありました。
中ノ御門(なかのごもん)は、擬宝珠橋(ぎぼしばし)を渡った正面玄関にあたり、藩主の入城時などに開かれる特別な門で、太鼓御門(たいこごもん)は、中心部であった三ノ丸の入口にあって、時を知らせる太鼓を打った場所でもありました。
享保5年(1720)城内の建物の大半を焼失した石黒大火(いしぐろたいか)で両門とも被災しており、発掘調査では、焼けた石垣や地面が見つかっています。

鳥取市教育委員会

(説明板より)


【鳥取県鳥取市・鳥取城跡】



史跡 | 13:59:10 | Comments(0)
因伯新道紀功碑
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因伯新道紀功碑
(いんぱくしんどうきこうひ)

明治14(1881)年9月12日、鳥取県は再置(5年間島根県に併合)され、新しい県づくりが始まりました。
この頃、県内の道路は未整備で交通の便を図ることが急務でした。
明治16年、大規模な道路整備事業が始まり、後の国道9号線をはじめとする主要道15路線およそ130里(500キロメートル)が整備・改修されました。
この碑は、事業の功績をたたえる人々の寄付によって明治20年11月に建てられました。


碑 功 紀 道 新 伯 因
[碑文の一部を現代語訳にして、( )内に捕捉文を入れています]

因伯の二州は海に沿い、山道はおよそ130里、道路は険悪でわずかに人馬を通すのみである。
昔は人も馬も(往来に)苦労したものであった。
山田県知事は、これをあわれみ、土木課長の須永氏と話し合って道路改修を命じた。
大岩を穿ち山道を開き、高きは削り、低きは埋めて平にした。
水があれば橋を架け、山には道をつけた。
これにより、かつて草茫々の所は平坦になって砥石のようになり、塞がっていた道もまっすぐに通じ、それはまるで矢のようである。
絶え間ない人馬の往来に対して人々は喜んでいる。
そもそも、この事業は明治16年に開始され、19年に竣工した。
事業にはおよそ1万人、35万500円余りを要した。
官家の深い思し召しとはいえ、因伯二州の官民の力を合わせなければ、短期間での完成は見なかったであろう。
記録に残して後世に伝えなければならない。
よって豊碑(功徳をたたえた大きな石碑)を若桜橋の側に建ててその功績を刻むこととする。
        ※若桜橋詰からこの場所に移されたことになります。
銘に曰く
西晋の社征南(社預)は富平津に浮橋を造り、今は多くの人が往来するところとなっている。また、平の清盛は「経が島」をを築いて輪田崎(大輪田泊)を修築し、日宋貿易の拠点にした。一時は苦労しても後の世の利益となることは、世の人が二人をたたえていることからも分かる。お金を費やすこと40万円。因伯の道路を改修すること百里。ああ、輪田崎と冨平津と共に、山河が永遠に続くように因伯新道の功績は永く鼎峙(三つが安定している様)することであろう。
明治二十年丁亥十一月 従四位勲三等山田信道篆 菊池純撰文 寺西養蔵書


鳥取県再置後の初代県令 山田信道(やまだ・のぶみち)
天保4年(1833)年~明治33(1900)年

元熊本藩士で大審院(現在の最高裁判所)詰の判事から鳥取県令(現在の知事)になりました。
明治14年から21年までの在任中、士族授産(生活に苦しむ士族に仕事を与えること)、道路網の整備、産業や教育の振興に力を注ぎました。
後に、福島県や大阪府、京都府の知事、農商務省大臣などを歴任しました。

平成28(2016)年6月 鳥取県立公文書館作成

(説明板より)


【鳥取県鳥取市東町1丁目・城南神社脇】



史跡 | 13:14:23 | Comments(0)
箕浦家武家門
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箕浦家武家門

この武家門は、もとお掘ばたの南隅にあって、2千石の箕浦近江宅の門でした。
昭和11年に大阪の素封家広岡松三郎氏の寄贈によって現位置に移築保存されたものですが、今日では、鳥取が城下町であったことを語る貴重な建物です。

(説明碑・碑文)


【鳥取県鳥取市尚徳町101・県立図書館/県立公文書館】



史跡 | 13:01:49 | Comments(0)
尚徳館記碑
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尚徳館記碑

宝暦7年2月1日(1757)鳥取藩第5代藩主池田重寛公によってこの地に藩校が創設され尚徳館と命名された。
第12代藩主池田慶徳公の時に学制の改革が行われ、万延元年(1860)この尚徳館記碑が校内に建立された。
文武併進を以て尚徳館教育の理念であると記す。
藩校は明治3年(1870)に至るまで113年の間鳥取藩教育の中心であった。

(説明碑・碑文)


【鳥取県鳥取市尚徳町101・県立図書館/県立公文書館】



史跡 | 12:45:28 | Comments(0)
吉田貞先生之碑
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吉田貞先生之碑

吉田貞先生ハ士族ノ家ニ生ヲ享ケ厳格ナル躾ノ下ニ人ト
ナリ遂ニ淑徳高キ婦人トナラレタ  先生ハ明治三十三
年掛出町ノ自宅ニ裁縫女塾ヲ開キ近クノ子女ヲ集メテ教
育サレタガ明治三十八年日露戦役後将来ノ女子教育ハ其
普及ト向上ニアルコトヲ痛感サレ同年県ニ申請シ茲ニ始
メテ女学校トナツタ  先生ノ教育方針ハ単ナル裁縫教
授ニ止マラズ之ヲ通シテ婦徳ノ涵養技能ノ錬磨ニアツタ
先生ノ教化ハ年ト共ニ益々深潤シ理想ノ実現ニ近ヅキツ
ツアツタガ惜ムベシ大正十一年十月十八日逝去サレタ
先生ハ本校教育ノ開祖デアルト共ニ女子教育ノ先覚者デ
アツテ其功績ハ洵ニ顕著デアル  依て茲ニ碑ヲ建テ先生
ノ遺徳ヲ永遠ニ伝エル

昭和四十年鳥取家政高等学校六十周年ニ当リ清香会建之
   撰文 学校長岡本久八
   揮毫      蔵光 工

(碑文より)


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吉田貞先生

 先生は明治33年市内掛出町の自宅に
裁縫塾を開かれ38年には鳥取裁縫女学校
を設立されついで44年鳥取技芸女学校と
改称されました先生はまた初代校長として
「婦徳の涵養人格の完成」を建学の精神に掲げ
単に裁縫の指導にとどまらず徳育を重んじ
有能な日本女性の育成に献身努力され現在の
素晴らしい校風の基礎を築かれました
 先生は大正11年10月18日53才の若さ
で惜しまれつつ逝去されました

本校創立百周年に際し同窓生
一同相はかり先生の御徳をたたえ
頌徳の像を建立したものです
 平成17年10月
鳥取敬愛高等学校清香会

(碑文より)


【鳥取県鳥取市西町1-111・鳥取敬愛高等学校】



史跡 | 11:48:58 | Comments(0)
荒木神社
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神道
黒住教 鳥取大教会所
御祭神 天照大神
      八百萬神
(教祖) 黒住宗忠神

黒住教は、江戸時代の文化11年(1814)の冬至の日、黒住宗忠教祖がお日の出を拝む中に立教なった教派神道で、京都神楽岡宗忠神社は孝明天皇唯一の勅願所となっています。

勝負の神様
荒木神社

日本三大仇討ちの一つに数えられる伊賀上野「鍵屋の辻で有名な荒木又右衛門は、寛永15年、270名余りの護衛に守られて因幡池田藩に迎えられました。
早速藩主より現在の黒住教鳥取大教会を含む若桜橋北詰めに屋敷を与えられました。
しかし鳥取に来てわずか17日後の8月28日に40才という若さで突然亡くなり、又右衛門が伝えたと思われる新陰流の流れは、財団法人尚徳会・尚徳錬部館伝承の鳥取市無形文化財雖井蛙流平法に受け継がれています。

(説明板より)


荒木神社と手水鉢の由来

荒木又右衛門は、伊賀上野の仇討の後この地に屋敷を賜わり、その邸内にお社を造り凝灰岩の手水鉢を置き、手水をつかいうがいをして参拝していました。
又右衛門の死後はこのお社に神として祭られ一族の守護神としてあがめられていましたが、明治の初め屋敷が当黒住教会に寄進されることになり、お社も「荒木神社」として教会でお守りすることになりました。
其後毎年8月28日の又右衛門の命日には、町内あげての賑やかな祭礼が行われてきましたが、昭和18年9月10日の鳥取大地震でお社は倒壊、続いて昭和27年4月17日の鳥取大火で手水鉢も猛火の熱で半分に割れ、一方は行方知れずとなりました。
ここに荒木神社再建に当り残存する部分を納め当時をしのぶよすがと致します。

平成3年8月吉日
荒木神社再建実行委員会
黒住教鳥取大教会所

(説明板より)


【鳥取県鳥取市元町125・黒住教鳥取大教会所】



史跡 | 11:09:36 | Comments(0)
鳥取を散策
今日は、午後2時から法人会の全国大会の式典がある。
我が会からは会長、広報委員長、常任理事の3名が飛行機で鳥取入りをし、会場で合流する予定。
で・・・・単独で前泊している拙者は、午前中、時間があるので、少し町を散策することにした。

270_convert_20190427211306.jpg(JR鳥取駅)

鳥取駅って、こんな駅舎だったっけ?
鳥取には今から14年前・・・平成16年11月に一度だけ来たことがある。
この時は、同じ法人会の青年部の全国大会が鳥取で開催され、それに参加するため来たのである。
が・・・記憶が・・・ない!(大笑)
こんな駅だったかなぁ~・・・・である。(苦笑)

鳥取駅から、徒歩でテクテクと式典会場へ向かうことにする。

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途中で、「荒木神社」という社を見つけた。
この「荒木神社」は「神道黒住教 鳥取大教会所」の中にある。
黒住教とは、珍しい名前の宗教である。
で・・・・ここに荒木又右衛門の屋敷があったらしい。
そういうわけで、「荒木神社」という社がここに設けられたらしい。
へぇ~・・・である。

後発組から午前11時過ぎごろに、鳥取空港に到着したと携帯電話に連絡が入った。
とりあえず、一安心である。
以前、徳島での全国大会の時は、広報委員長が飛行機に乗り遅れたため大遅刻となったことがあった。(大笑)
その時は、当会からの参加者は、委員長と拙者の2人だけ。
拙者は会場で無事に合流できるかどうかと冷や汗をかきながら待つ羽目になったので・・・(苦笑)
まさか今回も・・・と内心、心配していたのだが、無事に到着したらしいのでホッとした。(笑)

商店街をテクテクと歩くが・・・まったく記憶にない・・・(涙)
14年前に来た時も歩いたと思うのだが・・・もしかしたらタクシーで移動したのかなぁ~
それで記憶にないのだろうか?
まもなくお昼なので、早めに商店街の蕎麦屋で昼食をとる。

今日も天気が悪い・・・小雨が断続的に降る。
食後、再び会場に向かって傘をさして歩いていたら、どこからか拙者の名を呼ぶ声が・・・(驚)
ふと、声のする車道のほうに目をやったら、タクシーの窓から手を振る人が・・・
ゲゲッ!広報委員長!(驚)
しかも会場とは反対方向に向かって走っている・・・(唖然)
早速、携帯電話で連絡を取り合う。
こういう時って、携帯電話は便利である。
「なんで逆方向に走ってるんですか?」
「まだ時間があるでしょ?・・・今から昼飯を食べに行くから・・・じゃぁねぇ~!」とのこと。(苦笑)
それにしても、タクシーの中から、よく拙者を見つけたよなぁ~
傘をさして歩道を歩いているんだから顔なんか見えないと思うのだが・・・
それとも、傘をさしていても、そんなに拙者は目立つのか?(苦笑)

277_convert_20190427213339.jpg(とりぎん文化会館)

全国大会の式典会場は「とりぎん文化会館」・・・・
14年前の式典も、ここで開催されたことは覚えているが、その時は「県民文化会館」って言ってたような気がする・・・
14年の間に名前が変わってしまったらしい。

この会館の道路を挟んだ反対側に「鳥取敬愛高等学校」というのがある。
ここに「吉田貞先生」のレリーフの碑と石碑が建っていた。

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この吉田貞さんという女性は、明治生まれの教育者で、女子教育に尽力し、裁縫女学校を設立した方だそうで、その学校が現在の「鳥取敬愛高等学校」となっているらしい。
この学校は基本的には今でも女子校のようだが、普通科の特別進学コースだけは男女共学らしい。
う~ん・・・男子生徒の数が何人なのかは知らないが・・・男としては、ちょっと通い辛そうな・・・(苦笑)

受付時間には、まだまだ早いが、念のため「とりぎん文化会館」に立ち寄ってみる。
ここは鳥取藩の藩校「尚徳館」があった場所だそうで、文化会館の隣りの県立図書館のところに石碑が建っている。

286_convert_20190427222623.jpg(尚徳館記碑)

この図書館、正確には県立公文書館の建物の脇に銅像があった。
「岸本辰雄先生」という方の胸像で、江戸時代の嘉永4年に生まれ明治45年に亡くなられた方。
明治法律学校、すなわち現在の明治大学の創始者だそうだ。
あれ?・・・14年前に、ここに銅像なんてあったかなぁ~
銅像好きの拙者が見落とすわけはないはずなのだが・・・記憶にない・・・(大汗)

288_convert_20190427223000.jpg(岸本辰雄先生像)

この県立公文書館の敷地の角に武家門がある。
これは、14年前に来た時に写真に撮ったことを覚えている。(苦笑)
ん?・・・こうなると、拙者は、まだらボケか?(大笑)

298_convert_20190427224144.jpg(箕浦家武家門)

まだ時間に余裕があるので、鳥取城の方へ雨の中歩いてみることにした。
途中、神社脇の小さな緑地公園内に石碑を見つけた。

301_convert_20190427230228.jpg(因伯新道紀功碑)

この碑は、説明板によれば、明治になって「鳥取県」となった時の道路整備事業を記念して建てられたものらしい。

更に、鳥取城に向かって歩くと・・・
吉川経家の銅像がある。
14年前に、この銅像の写真を撮ったが、あまり写りが良くなかったので、再度写真を撮ろうと思っていたのだが・・・
生憎の天気のおかげで、前回以上に良い写真が撮れなかった・・・(大涙)
ガッカリである・・・・

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ここを真直ぐ行くと、「大手登城路跡」にある「擬宝珠(ぎぼし)橋」に行きつく。
14年前に来た時は、何ということのないコンクリートの橋だったような記憶があるが・・・
復元事業の一つとして、木製の橋に架け替えられていた。
で・・・今月の8日に完成して、「渡り初め」が行われたと、地元の新聞に載っていた。
つい3日前に完成した橋!(大喜)
グッドタイミングで見学できた!

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この橋の復元を皮切りに「大手登城路」の復元整備が行われるのではないかと思う。
橋を渡った先には城の大手門である「中ノ御門」、そこを通って更に奥に鳥取城最大の門である「太鼓御門」を復元することになるのかな?
でも、手前の橋を最初に木製の橋に架け替えちゃったのでは、門を復元する時の資材の搬入に支障が出るのではあるまいか?(苦笑)
奥の方から復元して行って、最後に、コンクリート製の橋を壊して木製の橋にしたほうが良かったのではなかろうか?
などと・・・余計な心配をする・・・・(大笑)
ちゃんと、そのあたりのことは考えてやっているのだろうから、素人が心配することはないのだろうが・・・(苦笑)
最終的に二之丸の三階櫓まで復元出来たらすごいだろうなぁ~
10年後くらいに再び鳥取に来るようかな?
いやぁ~ワクワクする・・・・
いいなぁ~こういうお城がある町って・・・我が町にはないからなぁ~(涙)
うらやましい・・・(笑)

そろそろ受け付け開始の時間となるので、「とりぎん文化会館」へ戻ることにする。
14年ぶりに再び鳥取城跡に登りたい気もしたが・・・・
雨の中を歩いたんじゃ靴が泥だらけになるので諦めた・・・(大笑)

旅行 | 10:23:18 | Comments(0)