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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
58歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『米内光政~海軍魂を貫いた無私・廉潔の提督~』


第1部 帝国海軍と米内光政
        至誠一貫
        母の恩愛を受けて江田島へ
        世界を知る
        「磐手」艦長
        震災候補生
        慈と厳
        ニュージーランド
        「扶桑」
        天女
        旗艦「陸奥」
        米内少将
        鎮海と上海
        亡国の引き金
        佐世保の殿様
        第二艦隊旗艦「鳥海」
        小善と大善

第2部 大臣米内光政
        海軍大臣就任
        盧溝橋の銃弾
        パネー号事件
        蒋政権を相手にせず
        東亜新秩序
        統帥権
        山本次官と石油
        三国同盟
        念書の提出
        敵は海軍
        天皇の味方
        米内内閣総理大臣
        バスに乗りおくれるな
        狂態の踊り
        「労苦を共にするか」

第3部 太平洋戦争と米内光政
        東海の旭日
        限定戦争観
        ジリ貧論
        「新高山登レ」
        天魔
        悲報
        小磯米内内閣へ
        「不適当ならざりしや」
        「屍(しかばね)を越えて行け」
        菊水の旗
        強盗に金庫の鍵を預ける
        原爆許すまじ
        深夜の御前会議
        「私自身はいかようになろうとも」
        葬送
        戦いは終わらず

あとがき

「米内光政」関係年表

参考・引用文献


今年の読書:31冊目



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読書 | 23:36:48 | Comments(0)
飛行第51戦隊三十三回忌供養碑
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疾風 四式戦斗機

飛行第51戦隊ハ昭和19年4月山口県小月ニテ編成サレ同年6月防府ニ移駐北九州邀撃作戦参加同年10月比島クラーク基地ニ移動台湾沖及ビ比島沖航空戦参加同月末ネグロス島ヘ前進レイテ沖航空戦参加赫々タル武勲ニヨリ同年11月16日部隊感状ヲ授与サレ畏■モ上聞ニ達ス同年12月戦力回復ノタメ茨城県下館基地ニ集結尓後本土防空及ビ機動部隊攻撃ニ任ジツツ第18第19及ビ第57振武隊ノ特攻掩護ニ従事昭和20年8月15日沖縄特攻作戦参加ノタメ九州ヘ転進中終戦トナリ同年9月1日下館ニ於テ部隊解散ス

飛行第五十一戦隊
三十三回忌供養建之
昭和52年10月9日

(碑文より)


【茨城県筑西市新花町乙657番地】



史跡 | 21:13:25 | Comments(0)
加波山事件志士の碑
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自由民権の魁(さきがけ)
加波山事件志士の碑
筑西市新花町乙657番地

明治17年9月23日下館の民権家、富松正安(とまつまさやす)、保多駒吉(やすだこまきち)、玉水嘉一(たまみずかいち)と、福島、栃木、愛知の「民権家16人の志士」が加波山に決起し、山頂に「自由立憲」の旗をかかげた事件である。
これは、維新後十余年を経過してなお、国会が開かれず、明治政府の圧政に抗し「立憲政府樹立と自由と民主主義」を願った行動であった。
決起は、失敗に終わり、政府の不当な罪状をもって、厳科に処せられる結果に終わった。
事件後、百数十年を経た今日、志士の高邁(こうまい)な行動は、国民の広く認めるところとなり、志士の目指した「平和と民主主義」は、現在、国民生活の中に定着しました。
因(ちな)みに明治22年に大日本憲法が制定されましたが事件のもつ歴史的意義は極めて大きく、高く評価されています。
墓は、妙西寺の門前墓地の入口にあり、4基の角柱が並んでいる。
石碑は、平尾八十吉(ひらおやそきち)、富松正安、保多駒吉、玉水嘉一の墓と刻まれ、裏面に没した年月日がある。
碑の右側には、墓碑建設賛助者の名を刻んだ志表と、左側に「玉水嘉一翁顕彰碑」がある。

撰文 宮本 朔夫
寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市新花町乙657番地】



史跡 | 20:35:34 | Comments(0)
筑西・愛宕神社
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往時、西郷谷の総鎮守
愛宕神社
筑西市大町甲37番地

下羽黒神社境内の西側にある。
祭神は伊弉册尊(いざなみのみこと)、火産霊神(ほむすびのみこと)で往時は西郷谷(現在の羽黒神社付近)の鎮守として世人の尊崇が篤かった。
文明10年(1478)水谷氏が下館に進出、同13年(1481)羽黒神社を勧請したときに、羽黒神社西側に移した。
愛宕神社の御神体は、鎌倉時代の作といわれ、木造彩色で翼をもった異形で珍しいものである。
昭和38年7月茨城県文化財(彫刻)に指定。
尚、本殿は昭和46年再建。
拝殿は、元、下羽黒神社拝殿を移設した。

寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市大町甲37番地】

史跡 | 20:21:09 | Comments(0)
筑西・羽黒神社
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下館初代城主水谷氏尊崇の神社
下羽黒神社
筑西市大町甲37番地

七羽黒神社の中心の神社。
文明10年(1478)水谷左近将監勝氏(みずのやさこんしょうげんかつうじ)初代が結城家より独立し、下館に築城。
3年後の文明13年(1481)尊崇する出羽国(山形県)羽黒大神を勧請した。
勝氏は、古式により下館城の鬼門の稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、天文の岡芹村に五つの羽黒神社を創建した。
その後、天文14年(1545)水谷政村(みずのやまさむら)(6代)が久下田に築城、鬼門にあたる大根田村と病門にあたる口戸村に羽黒神社を創建した。
世に七羽黒と呼ばれている。
羽黒神社は境内六千余坪、三十七石を寄進し、水谷家の武運長久、領民の安泰を祈願している。
水谷氏移封後も、松平、増山、黒田、石川等歴代藩主の尊崇篤く、享保13年(1728)黒田直邦(くろだなおくに)が本殿の大改修を行なった。
昭和5年6月郷社に列せられる「下館領内神社寺院附縁起旧跡」には、下羽黒山大権現、別当天台宗、正観院清瀧寺御朱印二十石、水谷伊勢守勝隆(みずのやいせのかみかつたか)、元和四年戊午(つちのえうま)年建立。
水野家之鎮守。
祭礼毎年10月14日より17日まで。
尚、平成14年本殿が茨城県文化財(建造物)に指定。

寄贈 下館商工会議所

(説明板より)


【茨城県筑西市大町甲37番地】



史跡 | 19:56:56 | Comments(0)
板谷波山生家
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波山の生家

波山は明治5年(1872)3月3日に板谷家の三男五女の末子(本名は嘉七)として生まれました。
波山の生家は醤油醸造や雑貨(文房具や西洋小間物など)を扱う御用商人を務めた、町の主導的な商家でした。
父の増太郎は分家して三代目にあたる有能な商人で、文人趣味をもち「半癡(はんち)」と号して文墨に親しんでいます。
記念館には父の作品がいくつか残されていますが、そのなかの「先考遺墨帖(せんこういぼくちょう)」(波山の題箋(だいせん))には、南画風の花鳥画の素描がおさめられており、玄人(くろうと)はだしの見事な筆致をみせています。
また、父は茶道をたしなみ三味線をひき、さらには和歌や狂句もつくり、器用で指物をこしらえ袋物を縫ったりしたといわれています。
おそらく凝り性なところや抜群の器用さなどの波山の性質は、多分に父譲りであったと思われます。
波山もかなりの趣味人で宝生流(ほうしょうりゅう)のお能や尺八に親しみ、着物も縫い料理も得意でした。
彼の芸術家としての資質は父の血筋を受け、粋な町人文化の栄えた下館でそのセンスが磨かれたのです。
一方、母の宇多(うた)は茨城県筑波郡の豪農の娘で、娘時代に讃岐高松藩主松平家に奉公に出るなど武家育ち風で自らに厳しい人でした。
母は波山に対して厳格なしつけをほどこしました。
波山が陶芸界の大家になった後にも、決して奢(おご)らず謙虚で他人への細やかな配慮を忘れない人格は、母から受け継いだものだったと思われます。
ところで、波山はかなりの美男でしたが、その容姿は生前の母の姿にそっくりでおそらく母親似であったと思われます。
記念館内にある波山の生家は、江戸時代中期ごろの商人の住居として歴史的にも貴重であり茨城県指定文化財となっています。

(展示パネルより)


板谷波山生家(昭和40年茨城県指定史跡)

創建は江戸中期、木造平屋建、屋根は瓦葺き。
波山はその誕生(明治5年)から東京美術学校入学(明治22年)まで、この家で過ごす。
板谷家はしょうゆ醸造及び雑貨商を営む。
波山は父増太郎、母宇多の三男六女の末子で「嘉七」と命名された。

(リーフレットより)


【茨城県筑西市田町甲866-1・板谷波山記念館内】



史跡 | 17:09:31 | Comments(0)
『板谷波山展』を鑑賞
先日、うちの大学の同窓会役員から、ご案内を頂いた・・・
「きみ、こういうのに興味ある?よかったら見に来て」と言われたのが『板谷波山展』・・・
板谷波山(いたや・はざん)は名前だけは知っていたが、詳しくは知らない・・・
どうも陶芸家のようだ・・・程度である。(苦笑)
で・・・正直言って、拙者は陶芸品にはあまり興味がないのである。
が・・・お誘いくださった先輩は、板谷波山記念館がある筑西市(旧・下館市)の教育委員会に勤めている。
で・・・この方が、この展覧会の企画に大いに関係しているという。
そういうことであれば・・・行かねばなるまいね?(大笑)
これも何かの縁というものである。

さて、筑西市まで、どうやって行こうか・・・・
車を運転して行けば簡単に行けるのだが・・・(カーナビの指示に従って運転すればいいだけである)(大笑)
それでは、なんとなく面白くない・・・
ということで・・・電車で行ってみることにした。(大笑)

JR常磐線で水戸駅まで行き、そこで、JR水戸線に乗り換える。
「水戸線」などという電車に乗ったのは、58年も生きてきて初めての体験である!(大笑)
いやぁ~ワクワクである。(笑)

自宅から車で向かうのと、電車で行くのとでは、どちらが早いかは知らない・・・
が・・・駐車場を探さなくていい点と、読書したり景色を見ながら移動できる点で電車の方が便利である。

015_convert_20190511200455.jpg(JR下館駅)

拙者は、どこかに行ったり、何かをする時は、「一石二鳥」を狙う性格である。(大笑)
ただ『板谷波山展』を見に行くだけでは面白くない。
ついでに何か他のものも得なければ・・・(笑)

拙者は、法人会の会報に「全国税務署めぐり」のコラム記事を連載しているので・・・・(笑)
ついでに「下館税務署」を訪問することにした。(笑)
真直ぐ、素直に板谷波山記念館に行かないところが拙者のいい所?(大笑)
「小さな旅」「小旅行」の始まりである!(大笑)

まもなくお昼になるので、駅前で、ちょっと早めの昼食をとる。

029_convert_20190511201414.jpg(筑西しもだて合同庁舎)

下館税務署は、筑西しもだて合同庁舎の中に入っている。
独立した建物でないと・・・・う~ん・・・写真を載せてもちょっと面白くない・・・
さて、どういう記事にしようか・・・と思っていたら、敷地内に「青木繁」のモニュメントが建っていた。

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おお、これは使えるぞ!(喜)
青木繁は画家・・・・
今から14年ほど前に福岡の久留米に行った時、「青木繁旧居」に行ったことがある。
あの時は、史跡だろうからということで立ち寄っただけ・・・
青木繁には全く興味もなかったが・・・
ここで再び会えるとはねぇ~(喜)
青木繁は明治38年に筑西市に滞在して作品制作をしているとのことで、福岡県の人だが、この地に縁ある人ということで特に顕彰しているようで、彼の作品を陶板に焼き付けたモニュメントが建てられている。
青木繁は明治44年に28歳の若さで福岡で病死している。
よし・・・この話をからめて1本書くか!(笑)
新年号に載せるネタを得ることが出来て大満足!(大喜)

続いて、ようやく板谷波山記念館へ・・・
駅から歩いても、それほど遠くはない。

044_convert_20190511212033.jpg(板谷波山記念館)

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板谷波山の銅像・・・みっけ!(大喜)
これで、拙者のHPのネタも手に入れた!(大喜)

記念館に入り、受付で、資料を数冊購入する。
そうだ・・・水戸藩士の“シミズくん”は、こういうのに興味があったはず・・・
ということで彼にもお土産として資料を購入する。

で・・・受付から外に出て、展示館へ向かおうと思ったら、向こうからサングラスをかけた老人がやってきた。
「うわっ!なんでここにいるんだ!」と叫ばれたのには、こっちが驚いた!(大驚)
サングラスを外した、このオジサンを見て驚いた!
叔父さんである!(驚)
「叔母さんたちも来てるぞ」と言う。
親戚一同で、見に来たのだという。(唖然)
まさか、こんなところで親戚に合うとはねぇ~・・・・驚きである。
しばらく叔母さんたちと立ち話・・・(大笑)
今、見学を終えて帰るところだが、一緒に車で帰らないかと誘われたが断る。
せっかく来たんだから、ついでに、あちこちをブラブラしてみたい・・・(大笑)

img241_convert_20190511213659.jpg img242_convert_20190511213733.jpg

作品の展示館は非常に狭く・・・あっという間に見終わってしまった。(苦笑)
う~ん・・・・やっぱり陶芸品は、よくわからない。
素晴らしいのか・・・大したことはないのか・・・(失礼!)

この記念館があるのは板谷波山の生家があった場所。
現在も生家が敷地内に残っていて、茨城県の文化財に指定されている。

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(板谷波山生家)

板谷波山は明治5年に、この地で生まれ、東京芸術学校(現:東京芸術大学)彫刻科に入学して、岡倉天心や高村光雲などに学んだという。
その後、明治36年に東京の田端に住居と工房を建て、東京で創作活動をしていたらしい。
昭和38年にお亡くなりになっている。

070_convert_20190511215320.jpg

生家の隣りに建っている「作業棟」・・・・
ここには東京・田端の工房から移築された「作業場」や「丸窯」などがある。

059_convert_20190511220149.jpg 069_convert_20190511220523.jpg

板谷波山記念館を出て、羽黒神社に向かう。
この神社の入り口にある小さな公園に「青木繁の碑」というのがあると先輩から聞いていたのである。
で・・・・行ってみたら・・・(唖然)

075_convert_20190511221533.jpg 073_convert_20190511221444.jpg

公園の隅の目立たないところに、その石碑はあった・・・
しかも生垣に囲まれて・・・全然見えない・・・(唖然)
不思議なことに、この石碑に関する説明板のようなものが一切設置されていない・・・
なんでだろう?

続いて神社に行ってみた。

080_convert_20190512154534.jpg

この神社・・・地図上では「羽黒神社」とされているが・・・
神社の説明板には「下羽黒神社」と書いてある・・・(大汗)
どっちが正しいんだろう?(苦笑)

直ぐ隣にも神社が・・・

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こちらは、説明板に「愛宕神社」と書いてあるが・・・
神社前の標柱には、「羽黒神社旧拝殿」とある・・・(汗)
何が何やらさっぱりわからん・・・(苦笑)
これらの経緯を知っている人は知っているんだろうけど・・・

この神社の本殿の彫り物は、これはスゴイ!
いやぁ~素晴らしい!

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次に向かったのは「妙西寺」というお寺・・・
羽黒神社から、徒歩で10分弱のところにある。

110_convert_20190512161123.jpg(妙西寺)

このお寺の近くに板谷波山のお墓があるらしいのだが・・・
と・・・お寺の道を挟んだ反対側を見たら、何やら史跡が・・・(喜)
こういうことがあるから、車で移動するより徒歩での移動がいい・・・
電車に乗って来て正解である。(笑)

091_convert_20190512161406.jpg

説明板を見たら「加波山事件志士の碑」とあった。
へぇ~こんなところに・・・(驚)

さらに、この一角を見たら・・・
チラリと目に入ったのが「疾風」の文字・・・
何だろうと思ってみたら驚いた!

095_convert_20190512161855.jpg

陸軍の飛行第51戦隊の供養碑である!(驚)
この部隊は四式戦闘機「疾風」を装備した部隊で、戦時中は、フィリピンで活躍した部隊である!
いやぁ~こんなところでお会いするとは・・・(笑)
思わず興奮!嬉しくなってしまった・・・
でも、なんでここに建てたんだろう?
この近くに関係者が住んでいたのだろうか?

115_convert_20190512162942.jpg(板谷波山夫妻の墓)

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墓所の敷石は、東京・田端の自宅から移設されたものだそうだ。
墓所にはパネル展示などがあった。

時刻は午後4時になる。
そろそろ帰ろうかなぁ~・・・ということで、今回の「小さな旅」はここで終わり。
板谷波山記念館に行くだけのはずが、思わぬ“収穫”を得て、大満足である。

JR下館駅に戻ったら・・・
面白いものを見つけた!

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傘の自動販売機!(驚)
へぇ~こんな自動販売機があるんだぁ~
しかも売っているのは1種類だけではなさそうで、3種類くらい値段が違うのである。
一番高いのは1200円の傘・・・(汗)
1200円も出して自動販売機で傘を買うのって、なんとなく・・・・怖い気がする。(大笑)

駅の構内をキョロキョロしていたら・・・・

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あら・・・ステンドグラスが・・・
ここに降り立った時には全く気が付かなかった。(大汗)
へぇ~ステンドグラスとはねぇ~
というか・・・・もしかしたら、「ステンドグラス風」?(大笑)

今日は、本当に充実した一日が過ごせた・・・
こういう身近なところへの電車の旅も面白い!
いい機会を与えてくださった先輩に感謝、感謝である。

日記 | 17:03:29 | Comments(0)
石崎さんのお葬式
今日は、知り合いの会社の社長さんの告別式・・・
我が社とは取引はなかったが、昔からの知り合いの会社なので参列する。

この会社の社長さん・・・
ちょっと変わっている人で、愛想も何もない人なのである・・・(苦笑)
顔を合わせてもニコリともせず、ちょっと顎で挨拶するという人・・・(汗)
ところが、拙者が会社を辞めた時に、なぜか向こうから話しかけてきた。(驚)
「いやぁ~いい時に辞めたねぇ~俺なんか、辞めたいけど借金があるから辞められねぇんだよ。いいよなぁ~あんた、辞められて」と言われたことを今でもよく覚えている。
この時は、この社長さん、ニコリと笑顔で話していた・・・
「うらやましいなぁ~」を連発していたので、間違っても嫌味ではないと思う・・・(大笑)
え?・・・この人・・・笑うこともあるんだ・・・と驚いた。(笑)

それから10年・・・・
よく見かけることがあり、そのたびに拙者は会釈したが・・・
一度も親しく会話を交わすことはなかった。
相変わらず、不愛想で、無表情のまま、右手をちょっとあげて目の前を横切って行くのである。(苦笑)
しかし、なぜか、悪い気がしない・・・これが不思議・・・
あの時の、おしゃべりの印象が強かったせいだろうか?
不愛想だが、本当は気持ちのいい人ではないかと思った。
愛想は良いが、腹の中は正反対で、性格の悪い奴を何人も見てきた・・・
逆に不愛想だが、性格の良い人も見てきた・・・
石崎さんも、こういうタイプなんだろうなぁと思っていたので、相変わらずの不愛想でも気にもならなかった。(笑)

で・・・最近、見かけないなぁと思ったら、病気で入院していたらしい。
会社の方は大丈夫だろうかと余計な心配をしたが・・・
関係者の話では、亡くなる直前に、会社を他社に売ったという。
従業員を含め、事業を全て他社に引き渡す契約書を交わした直後に亡くなられたそうだ。
以前、「いい時に辞めたね」とお褒めの言葉をいただいたが・・・(笑)
いやいや、石崎さんの方がスゴイ!
すごいタイミングで会社を処理している。
亡くなる直前に、混乱を招くこともなく綺麗に処置したんだから・・・・
こうもうまく行ったのも、石崎さんの秘めたる人柄の良さかもしれない。

驚いた・・・というより感動した・・・
遺影をみながら、「さすがですね」・・・と声をかけてお別れした。

日記 | 15:05:45 | Comments(0)
北関東連合会の総会
今日は我が大学の同窓会・・・
茨城県支部としての総会と、北関東3県、茨城・栃木・群馬の連合会としての総会も一緒に開催する。
この連合会の総会は各県の持ち回り・・・
3年に1度、我が茨城県が主管として行うが、今年がその年・・・・・(汗)

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我が茨城県出身の卒業生は約1600名ほどいるが・・・
大学からの来賓、栃木県支部、群馬県支部の役員を含めても、今年の総会の参加者はたったの29名・・・(大汗)
まぁ・・・こんなもんかなぁ~・・・同窓会って・・・(苦笑)

茨城県支部の総会だけの時は、アトラクションは入れないが・・・
この北関東連合会の時だけは、アトラクションを入れることになっている。
拙者としては、落語を入れて見たかったのだが、昨年、栃木県支部主管の連合会総会の時に、落語をやられてしまった!(涙)
考えることは、誰でも同じということかな?・・・(苦笑)
ということで・・・今回のアトラクション・・・
散々苦労したが(特に予算面で・・・笑)、大道芸人のKAYA氏にお願いした。

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こういうアトラクションの恐い所は、もし誰にもウケなくて白けたらどうしよう・・・ということ。(苦笑)
これが企画者としては一番の恐怖である。
拙者としては、別の意味でハラハラドキドキだった・・・(大笑)
案内役は拙者・・・
「我が大学の卒業生と言いたいところですが、残念ながら筑波大学大学院の卒業生で・・・」と、開会直前の初顔合わせの時にインタビューした内容を混ぜた紹介をして、軽く笑いを取り・・・(笑)
あとは・・・彼にお任せ!(大笑)
が・・・さすがは芸人・・・(笑)
大いに盛り上げてくれたので助かった・・・

アトラクション後に記念写真を撮る。
みなさんの自由意思に任せると、いつまでたっても席順が決まらない。
お互いに遠慮し合ったりして・・・(大汗)
そこで、記念撮影の時は毎回拙者が強引に仕切ることにしている。
が・・・これが簡単なようで、実は結構大変・・・
それぞれの立場と肩書と卒業年度等の「序列」というものがある。
この「序列」についてのこだわりは、軍隊も同じである。(笑)
来賓の学長先生が最前列中央に座るのは当然だが・・・
その他の方々を決めるのが大変・・・(苦笑)
事前に何度も座席表を作り直した。
おかげで、無事に混乱することなくスムーズに撮影を終了!(大喜)

撮影は、我が支部の写真撮影を得意とする先輩・・・
記念撮影なので責任重大である。
拙者以上に緊張していたかも・・・(笑)
撮影終了と同時に駅ビル内のカメラ屋に走って、人数分、プリントする。
懇親会終了までには、この記念写真を配布しなくてはならないのである。(大汗)
この先輩は、ゆっくり食事などしているどころではない。
毎回やってもらっているので、ついつい当たり前のように思ってしまうが・・・
大功労者である。
後輩の拙者が労をねぎらうわけにもいかないので、拙者は黙っているが・・・(大笑)

総会の名簿、名札、座席表、テーブル上の名札、配布資料・・・すべて拙者が作った・・・
なので・・・誤字脱字などがあったらどうしようと、これまたハラハラドキドキである。(大汗)
結局、どこからもクレームは出なかったので助かったが・・・(笑)
毎度のことながら、支部総会以上に連合会総会は神経が疲れる・・・(苦笑)

懇親会中に恒例の「お楽しみ抽選会」を・・・
これは支部長が仕切る。
景品は支部長が自腹を切って用意・・・(笑)
支部長も大変である。

栃木県支部や群馬県支部に負けるわけにはいかぬ!(大笑)
みんなで力を合せ・・・頑張った総会・・・
今回も無事に終わった・・・
う~ん・・・・この充実感が心地いい・・・(大笑)

解散後、喫茶で反省会・・・
拙者は来年の支部総会と3年後の連合会総会のイベントの組み立てで早くも頭が一杯である。(大笑)

日記 | 15:04:48 | Comments(0)
米国の宝くじ
米国には、巨額の賞金が当たる数字選択式の宝くじ「メガミリオンズ」というのがあるという。
で・・・このたび、米史上最高額に迫る15億3700万ドル(約1730億円)の抽選が行われ、当選者が出たという!(驚)
この当選確率は、3億250万分の1・・・だそうである。(唖然)

この宝くじは、計6個の数字の組み合わせを選んで購入するらしい・・・
日本の「ロト7」より数字が1個少ないということかな?
それで、約1730億円も当たっちゃうのか?(驚)

ただ、わからないのは・・・
当選者は29年の分割で、15億3700万ドルを受け取るか、即金で8億7800万ドルを受け取るかを選択するのだそうだ。(唖然)
29年の分割?(苦笑)
もし、私が当選者だとしたら・・・果たして29年後も生きているかどうか・・・(大笑)
でも、せっかく当選したのに、即金なら大幅に当選金額が減るというのは何でだろう?(汗)
宝くじの売上金の中から当選金額が支払われるんじゃないのか?
ちゃんと、15億3700万ドルは、手元にあるんでしょう?(笑)
当選者が出なければ、賞金は繰り越され、そのため巨額に膨れ上がって、今回のようなことになったのだろうけど・・・
当選者が出なかった時の売上金は、ちゃんとプールしてあるんでしょ?(苦笑)
なんで、即金で払ってくれないのかね?(大笑)
おかしい・・・非常におかしい・・・
折角、当たったのに、話が違うじゃないか・・・(大笑)

とはいうものの・・・半額近くに減額されたとしても、かなりの金額である!
いやぁ~人生変わっちゃうだろうなぁ~(大汗)

私が当選者だったら・・・
ファーストクラスの飛行機に乗って海外旅行をしたい!(大笑)
が・・・それでも使い切れないか・・・(汗)
参ったな・・・どうしていいか、使い道が思い浮かばない・・・(大笑)
これじゃ使い道を悩んで病気になっちゃうかも・・・(大笑)

今回の当選者も、嬉しいどころか、真っ青になっているかも・・・(大笑)

エッセイ | 11:57:53 | Comments(0)
消費増税やめたら?(苦笑)
消費税10%への引き上げ時の景気対策の一つ・・・・
キャッシュレス決済へのポイント還元策を、軽減税率が適用される飲食料品も含めてすべての商品・サービスに適用しようという検討を政府が始めたらしい。(唖然)
よくわからない話なんだけど・・・(苦笑)

このポイント還元は2%らしい・・・
ということは、軽減税率8%の商品を中小店舗で買うと、2パーセント還元されるので、税負担は6%になるという。
国がクレジットカード会社などを通じて補助金を出し、浮いたお金がポイントの原資となるらしい。
う~ん・・・ますますわからない・・・(苦笑)
これ、いったい、誰が得するんだろう?(汗)
クレジットカード会社は、カードの利用が増えるし、端末や利用手数料で稼ぐだろうから・・・
クレジットカード会社にとっては、得になるでしょうが・・・・
中小店舗は端末を導入しなくちゃならないし、手数料も払わないといけないんでしょ?
ん?・・・・その割に売り上げが上がらなかったら・・・損だよね?(苦笑)
消費者はカードを盗まれて使われたら・・・(汗)・・・損だよね?(苦笑)
現金なら1万円入った財布を盗まれても、損害は1万円で済むだろうけど、カードを盗まれるなり、勝手に使われたら、1万円の損害では済まないよね?(大汗)
キャッシュレス決済って大丈夫だろうか?
知らないうちに使い過ぎて、気が付いたら破産・・・なんていう人も出てくるんじゃないか?(大笑)

以前にもやって、さほどの効果がなかったとされる、プレミアム付き商品券も、また懲りずにやるらしい。
自治体が発行し、経費は国が負担するらしいけど・・・

これら、二つの“消費刺激策”には、少なくとも数千億円の財源が必要なんだとか・・・
その他の対策費も含めたら、対策費の総額は数兆円になるかもしれないという。(大汗)
だったら、増税しないほうがいいんじゃないか?(大笑)

その昔・・・・
戦時中の昭和18年に、たしか、「特別行為税」というのが設けられたと記憶している。
ちょうど戦局が悪化した時期で・・・
「欲しがりません、勝つまでは」とか「ぜいたくは敵だ!」という標語が出た翌年のことではなかろうか?
この「特別行為税」は、簡単に言うと、贅沢なことには税金をかけますよ・・・ということ。
髪を結うとか、着物を染め直すとか、掛け軸を装丁するとか・・・
本も“ぜいたく”という扱いをされていたようで、しっかりと税金がかけられていていた。
つまり・・・贅沢をさせないために税金をかけたのである。
この「特別行為税」は昭和20年、敗戦の年に廃止されたが・・・
もう戦争が終わったんだから、贅沢していいよ・・・ということかな?(笑)

で・・・今の「消費税」・・・・
物を買って消費をすると税金をかけますよ・・・ということでしょ?
ということは・・・消費をさせないために税金をかけていることになるんじゃない?
「特別行為税」の論法で行けば・・・そういうことになるのではなかろうか?
税金をかけて消費を抑え込むんだから、景気が良くなるわけないと思うんですけど・・・
その反面、「景気対策」って・・・何?(大汗)
ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるようなものではなかろうか?
「スピードが出ない!」って文句を言っても、ブレーキ踏んでいるんだもんなぁ~(大笑)

頭のいい人が考えることって、よくわからん・・・(汗)
消費を後退させるように税金を取っておいて、消費を拡大するために税金を使うの?(大笑)
ん?・・・わからん・・・(大笑)
東大を出たような優秀な官僚が考えたんだろうねぇ~・・・・たぶん・・・(大汗)

今回の増税では、加えて「軽減税率」なんていう、訳の分からんものまで出てきた・・・
店の中で食べる場合と家に持ち帰る場合は税率が違うんだとか・・・・(唖然)
複雑すぎて、よくわからん・・・(唖然)
お店の人も困るだろうなぁ~
レジのパートやアルバイトでは対応できないかも・・・
客とのトラブルに巻き込まれるから、お店のレジはやりたくありません・・・と、求人募集しても誰も来なくなるかも・・・
そうなると・・・人手不足で・・・・最悪は廃業か倒産か・・・(大汗)
誰が考えたんだろう?・・・・軽減税率なんて・・・

景気対策をするなら、消費税を廃止した方が早いと思うのですが・・・(大笑)

消費税に代わる財源確保なら、パチンコのようなギャンブルにかけたほうがいいんじゃなかろうか?
ギャンブル依存症の人が減るかもしれないし・・・
借金漬けで苦しむ人が減るかもしれないし・・・
一家心中も減るかもしれないし・・・
ギャンブルに10%の税金をかけたほうがいいんじゃないかなぁ~(大笑)

ん?・・・・できないか?・・・・怖くて・・・(大笑)

エッセイ | 17:38:45 | Comments(0)
遺産寄付プログラム?(唖然)
テレビを見ていたら・・・・
ユニセフの遺産寄付プログラムというCMが流れた。

ただの寄付だけでは飽き足らず、ついに他人の遺産にまで手を出すのか?(唖然)
なんとえげつないことをユニセフはやるんだろう。
もっともらしいストーリーに感傷的な音楽を乗せて、遺産を寄付しろと迫るのである。(大汗)
“この手”に乗る人っているのだろうか?
日本人なら乗っちゃうかな?(苦笑)
高齢者を感傷的にして、遺言書に遺産の一部をユニセフに寄付しますと書かせるわけだ・・・(唖然)

例えば、親が亡くなって遺産を相続した子供達などが自主的にユニセフに遺産の一部を寄付するというのなら、ごく普通の寄付という感覚なので違和感はないが・・・
まもなく亡くなるであろう人(失礼!)を洗脳して、家族に残すはずの遺産を寄付するように仕向けるとはねぇ~(大汗)
いやぁ~なんとユニセフは恐ろしい所か・・・(大笑)

もう30年以上も前のこと・・・
ニューヨークの国連本部に行ったことがある。
で・・・ユニセフの事務所にも立ち寄って、資料をいろいろもらったのだが・・・
う~ん・・・そういう思い出があるだけに、この遺産寄付プログラムには違和感を覚える。
30数年前は、こんなことをするような組織じゃなかったと思うんだけどなぁ~
ユニセフ・・・・正直言って、思い出がガラガラと崩れ・・・・ガッカリである。
嫌なCMを見ちゃったなぁ~(悲)

日記 | 21:44:39 | Comments(0)
庭木の剪定
今日、庭木の剪定に庭師が入る。
この庭師・・・・
母が生きている時からの付き合いだから、もう10年以上になるが・・・
母が亡くなってから、どういうわけか手抜きをして怠けるようになった・・・(苦笑)

我が家には、拙者が大学から帰って来て我が社に入社した時を記念して植えた柿の木がある。(笑)
で・・・この柿の実が赤くなるころに庭師から「そろそろ剪定をしましょう!」と電話が入る。
普段から、柿の実の色づく様子を確認しているようである。(大汗)

庭木の剪定に入った庭師・・・
拙者が、目を離していると、柿の木に登り勝手に柿を食っているのである!(唖然)
以前、食べきれないくらい豊作だった年に「食べていいよ」と言ったのがいけなかった・・・(涙)
それから毎年、勝手に柿を食うのである。
「お先にいただいてます!」などと平気で言う。
「おい!柿なんか食ってないで仕事してくれよ!」というと・・・
「いやぁ~この柿美味しいですねぇ~」とはぐらかす・・・
どうやら、拙者をナメてかかっているようである。(怒)
で・・・結局、予定の半分も剪定できないままで一日が終わり・・・
「一日じゃ終わらないですねぇ~明日もやりましょうか?」と言う。
柿の木に登って柿ばかり食っているから仕事がはかどらないのでは?

こういうことが、このところ続いたので、さすがに頭にきた・・・
今年は、拙者の背の届く範囲は全て自分で剪定することにして、数日前から庭木を剪定した。(笑)
脚立に乗ってチョキチョキ・・・(笑)
柘植などは、丸く刈って・・・
素人ながらも、まあまあの出来・・・(大笑)
脚立に乗っても、どうしても手が届かず、切れないというものだけを庭師に任せることにした。
しかも、今年は、来年以降、拙者でも剪定できるように、数本の庭木を背が低くなるようにバッサリと切らせた。(笑)
これで・・・来年以降は、庭師じゃないと切れないという庭木は3本だけとなる。(笑)
当然、柿の木もバッサリ・・・である!(大笑)

カネを取るプロの庭師ならプロらしく、きっちり仕事をしろ!・・・・と言いたい・・・
きっちりと仕事をした後で柿を食うのは構わないが・・・
柿の木を剪定する振りをして、いつまでも柿の木に登ったまま柿を食っているようではねぇ~(大汗)
年を取って仕事がキツイというのも、わからなくもないが・・・
明らかにコロを引いている・・・
仕事を怠けておきながら、1日じゃ無理です、2日かかります、3日かかります、とカネをせびるようではねぇ~
小ずるい人間が多くなったなぁ~・・・・と、つくづく感じる・・・(大汗)

日記 | 21:11:50 | Comments(0)
障害者の採用目標
中央官庁の障害者雇用水増し問題を受け、政府が検討してきた雇用拡大方針が明らかになった。
常勤雇用については、障害者を対象とする統一筆記試験を新設するという。
え?・・・である。(唖然)
筆記試験ということは・・・目の見えない視覚障害者は対象外ですね?(汗)
筆記試験ということは・・・手や腕のない身体障害者も対象外かな?
ということは・・・脚が不自由な障害者だけしか対象としないということになりますかね?(汗)
それにしても、役所は「試験」が好きだねぇ~(苦笑)

障害者雇用というと、いつも我が社の取引先を思い出す。
この大企業様・・・・
当時は民間企業は障害者を全従業員の2%は雇用しなくてはならないという決まりだった。
で・・・製品を納入しに行った時のこと・・・
受付にいた人に「急ぎで頼まれた品物だから、担当者に連絡をいれてください」と話しかけた。
と・・・彼・・・
ジェスチャーで「耳が聞こえません」「口がきけません」と返してきた。(唖然)
「いやぁ~申し訳ない!失礼した!」と謝ったのだが・・・
この事務所の奥に、“健常者”が4人、事務仕事をしていた。
が・・・誰もが拙者を無視・・・(唖然)
何度も声をかけて、ようやく一人の男がやって来て言った言葉を今でも覚えている。
「いい迷惑なんだよなぁ~こんな奴を押し付けられて。こいつ、耳もきこえねぇし、口もきけねぇんだよ。で・・・何の用なの!」
この言葉にカチン!・・・ときたが・・・
ここで喧嘩をしたんじゃ、後々、仕事に差し障るので我慢した。
(今でも、この時に我慢したことを後悔している)
この時の、受付の彼の悲しそうな顔が今でも忘れられない。(涙)
耳が聞こえなくても、周囲が何を言っているかは感じることは出来るはずである。
大企業の従業員というのは、こういう連中かと腹が立った・・・
この一件で、私は、この会社が嫌いになったのだが・・・(苦笑)
耳も聞こえず、口もきけないなら、受付でハンコを押す仕事でいいだろうということだったのだろうが・・・
実際にはハンコを押すだけでは済まないのである。
伝達事項もあるのである。
“健常者”4人が揃いも揃ってソッポを向いて知らん顔とは恐れ入った・・・
イジメというより虐待だな・・・これ・・・
いずれ、自分から会社を辞めてくれることを期待しているのだろう。
障害者は雇いましたが、自分から辞めていったので、目標値に達しなくても仕方がないでしょ?・・・ということにするつもりなのかな?

具体的な目標値を設けなければ意味がない・・・という考えも分かるが・・・
数字だけが独り歩きしやすくなることは否めない。
国が自分で決めたにもかかわらず、官庁では“健常者”を障害者と偽って雇用したりしていた・・・
当時の国や地方公共団体の障害者雇用率は2.3%である。
昨年雇用した約6900人のうち、不正算入は約3460人にも及ぶ。
数字さえ達成すればいい・・・という安易な考えで不正行為を行っていたわけだが、誰も処罰を受けていない。(唖然)

現在では、民間企業は2.2%、国や地方公共団体は2.5%に雇用率が引き上げられている。
政府は中央官庁の障害者雇用の目標を4000人と打ち出したらしい。(汗)
大丈夫かね?・・・・そんな調子の良いこと言って・・・・
実態を、ちゃんと把握してるかな?
適材適所となるだろうか?
あの大企業のように、イジメが横行したのでは、健常者と障害者の「共生社会」という目的から逸脱してしまうだろう。
綺麗ごともほどほどにしたほうがいいのではなかろうか?
下手に社会に出ると嫌な思いをさせられる・・・となったら、逆効果である。

あの受付にいた“彼”は、その後、どうなったのだろう?
引きこもりになっていなければいいのだが・・・
あの悲しそうな顔は、一生、私の脳裏から消えることはないだろう。

エッセイ | 20:13:11 | Comments(0)
免振装置の不正
東証1部上場の油圧機器メーカーが、免振装置の検査データを改ざんしていたことが発覚した。(唖然)
まぁ、あっちでも、こっちでも、データの改ざんが発覚しているので、「またか・・・」という感じ・・・
「ブルータス、お前もか・・・」である。(苦笑)

不正をしていたのは、油の粘性を利用して建物の揺れを少なくするオイルダンパー・・・
免振用と制振用の2種類があるという。
この両方に不正があったらしい。
この免震装置の性能が、国の認定基準の範囲内に収まるように検査データを改ざんして出荷していたというから驚きである。
まさしく、厚顔無恥・・・である。

この油圧機器メーカー「KYB」の不正行為は計画的なもので、検査数値が基準から外れていた場合は、適当な係数を掛けて、数値が合格の範囲内になるように“修正”していたという。
で・・・会社側は、こういう不正行為は「検査員しか知らなかった」ので、上層部は察知できなかったと言い訳しているようだが・・・
今までに、1級建築士による構造計算書の偽造や、東洋ゴム工業の免震偽造、旭化成子会社による杭打ちデータ改ざんなどの不正行為が次々と明るみに出ていたのに、この会社は自分の社内の“総点検”をしなかったのか?
「どうせ、どこの会社でもやっていますよ」・・・ということか?

我が社の場合、同業者が問題を起こしたという情報を得た場合、特に、新聞などマスコミで公表された場合・・・
(実際に、そういうことがあったのだが・・・)
直ちに、社内の“総点検”を行った。
社内監査である。
他社が起こしたと同じ問題を起こす可能性があるかどうかを調べるのである。
これは、当然のこと。
日を経ずして、必ず取引先から品質監査などの監査が入るのだから・・・
大手企業は、そういうところは杜撰なのかな?
大企業だからと胡坐をかいているのか?(大汗)

驚いたことに、性能検査をする検査員は1人しかいなかったという。(唖然)
この人が風邪でもひいて会社を休んだら、どうするつもりだったのだろう?(汗)

基準値外(つまり、不良品)を売りつけるって・・・これは詐欺ではなかろうか?
よく、詐欺罪として告発しないよなぁ~

そもそも製造業に向いていない人たちが製造業をやるから、こういうことになるんじゃなかろうか?
経営者、管理職、現場の作業員の中に・・・・製造業に向いていない人がいるんじゃないか?
「製造業」の風上にも置けないよなぁ~
この会社・・・免震・制振装置で4割程度のシェアを持つという・・・
ということは、6割は他社・・・ということだから・・・
こういう「製造業」の風上にも置けない企業は潰した方がいいんじゃないか?
で・・・真面目な企業が、この4割のシェアを分け合って、更に業績を伸ばすようにした方がいいんじゃないか?(苦笑)
今まで、不正を起こしたら会社が潰れる・・・というようにしなかったため、その後もズルズルとこういう不正が繰り返されるのではあるまいか?
大企業は潰れない、潰されない・・・という“神話”は壊すべきではなかろうか?

我が社では、車のブレーキに関連する部品も作っていた。
もし、ブレーキペダルを踏んでもブレーキが利かなかったら、人命にかかわる大事故を起こしてしまう。
よほどの馬鹿じゃなければ、わかるはずだ・・・
だから、この部品(「重要保安部品」と称された)には神経を使ったものだ・・・
製造ロットごとに200万回以上の耐久試験を行い、万が一、異常が発生した場合は、取引先に通報して、納入済みの同じ製造ロットの部品を全て回収する。
すでに自動車として完成した場合は、「リコール」ということになる。
幸いに、今まで一度も、そういう問題は発生しなかったが・・・(喜)
とにかく人命にかかわるんだから、ピリピリしたものである。
この会社の人は・・・・どういう神経をしているんだろう?
大地震が起こって万が一、免震装置が正しく機能しなかった場合、「想定外の揺れでしたので・・・」で逃げる気でいたのだろうか?

憲法違反になるかもしれないが・・・
こういう人たちには「職業選択の自由」を制限すべきではなかろうか?
「製造業には就けません」って・・・・(大笑)
農業や漁業はいいけど、製造業はダメ!(大笑)
衛生観念の全くない人がレストランの厨房で料理を作るようなもので・・・・危なくてしょうがない・・・(大笑)
食中毒が起こるのは時間の問題でしょ?(苦笑)

国の基準が厳しすぎて、実際には、そこまでの厳しい基準は必要ない・・・というならば・・・
業界をあげて基準の見直しを訴えるべきで、不正にデータを改ざんするのは間違っている。
「基準から外れていても、実際には問題ないんですけどねぇ~」は言い訳にはならない。
1部上場会社が手を回せば、国も何とかするんじゃない?(大汗)
中小企業ではないんだろうから・・・

業界から追放するとか、会社自体を潰すとか、全従業員を解雇して二度と製造業には就けないようにするとか・・・(大笑)
そのくらいの厳しい制裁を加えて、“見せしめ”にしないと、こういう問題は、これからも起こり続けるのではないかという気がしてならない。

エッセイ | 20:08:22 | Comments(0)
6年連続、魅力度最下位!(大笑)
東京の民間調査会社「ブランド総合研究所」が2018年の都道府県別魅力度ランキングを発表した。
で・・・我が茨城県は・・・
6年連続で最下位!(大喜)

一生懸命頑張っているのに、最下位から脱せられないというのは、なかなかできることではない。(大笑)
私としては、嬉しくて仕方がない。(大笑)

調査の指標の一つである「ドラマ・アニメ・映画の接触度」・・・
NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」の舞台、ロケ地は、我が茨城県・・・
これが放映された昨年は「接触度」が全国6位だったが、今年は28位と大きく順位を下げた。
つまり・・・その時だけ大騒ぎするミーハーな連中が多いということか?(苦笑)
全国には、軽薄で飽きっぽい人間が多いということかな?(苦笑)

「やや魅力的」という回答が減っているが、「とても魅力的」という回答は昨年より増えているという・・・
にもかかわらず・・・最下位!(笑)
どういうこと?

ちなみに、魅力度全国1位は、10年連続、北海道とのこと・・・
2位は京都で、3位は東京、4位は沖縄だそうだ。
ちなみに、成田空港があり、ディズニーランドもある千葉県は昨年から順位を3つ上げて16位・・・
ディズニーランドやディズニーシーがあるのに16位・・・(苦笑)
我が茨城県が最下位でも仕方がないかな?(大笑)

同じ北関東の栃木県と群馬県・・・
どちらも昨年より順位を1つ下げて、栃木県が44位、群馬県が42位・・・
下のほうをウロウロしている・・・(大汗)

栃木県は日光東照宮はあるわ、ゴルフ場は多いわ、鬼怒川などの温泉地も多いわ・・・なのに、佐賀県と同点で44位・・・
実質、ワースト3位である。
もうちょっと上位に行ってもいいと思いますけど・・・
ワースト2位は徳島県・・・
「阿波踊り」があるのにねぇ~(苦笑)

来年、我が茨城県では国体が開催される。
が・・・たぶん、魅力度調査には何の役にも立たないだろう。(大笑)
個人的には、北海道並みの「10年連続・・・」となってもらいたい。
10年連続最下位を目指して頑張ってもらいたいものである。
まずは・・・我が県に追い抜かれないよう徳島県、栃木県、佐賀県には頑張ってもらわないと・・・(大笑)

「全国最下位」こそが“魅力”である。(大笑)

エッセイ | 20:05:09 | Comments(0)
『KGBマル秘調書~ヒトラー最期の真実~』


解説―本書の読み方にかえて
元KGB機密文書の公開で「ヒトラーの最期」に関して、何が明らかになったのか
芝健介(東京女子大学文理学部史学科教授)
   2000年の「情報公開」
   ヒトラーの生死をめぐる諸説
   決定的証拠をつかんでいたソ連
   スターリンはなぜヒトラー生存説をとなえたのか
   本史料中、白眉をなす調書

序―ヒトラー、最後のあがきと死

第1部
噂と推測―「ヒトラーの最期」は、どのように伝えられてきたのか
  ヒトラーの死―情報源の分析報告
  ヒトラーの個人秘書の情報
  ヒトラー最期の日々―速記者の証言
  ヒトラーの侍医モレルの証言
  「ヒトラー ― 死体かそれとも伝説か」ベルフォードの記事
  ヒトラーの元秘書の証言
  「ヒトラーの死体を見た」総統の運転手と護衛隊員の証言
  護衛隊員ヘルマン・カルナウの証言
  「ヒトラーがアルゼンチンに上陸」を伝える外国報道
  「ヒトラーとゲッペルスの遺書」発見に関する外国の報道
  「遺書を持った3人の使者」英防諜機関員の発表
  「3人の使者」の続報
  ヒトラーの「息子」の存在に関する噂
  ヒトラーの「息子」の身元に関する報道
  エヴァ・ブラウンの「結婚証明書」偽造説に関する新聞報道
  「ヒトラーの死体発見」を伝える新聞
  「ヒトラーが潜水艦で逃亡」を伝える外国報道
  歴史学者トレヴァー=ローパーが書いた『ヒトラー最期の日』
  「ヒトラーは生きているのか」スイスの新聞に掲載された論文

第2部
KGB機密文書の公開で初めて明らかになった新事実
  スターリンへの特別報告―ジューコフとチェレーギン
  ゲッペルスとその妻、そして6人の子供―死体の身元確認調書
  地下壕の近くで発見された2つの死体に関する調書
  総統官邸医師ヘルムート・クンツの尋問調書
  ヒトラーとブラウンの死体埋葬場所の検証に関する調書
  ヒトラーと彼の妻の死体発見場所の図
  総統官邸警備隊員ハリー・メンガースハウゼンへの追加尋問調書
  ヒトラーの侍医ヴェルナー・ハーゼ教授の尋問調書
  総統官邸料理人ヴィルヘルム・ランゲの供述調書
  地下壕から発見された犬の死骸に関する調書
  ヒトラーとエヴァ・ブラウンの歯科医助手の供述調書
  歯科医助手ケーテ・ホイザーマンの自筆供述書
  アドルフ・ヒトラーの歯のカルテ
  エヴァ・ブラウンの歯のカルテ
  ヒトラーとゲッベルスの運命に関するベリヤ宛ての手紙
  ヒトラー、ゲッベルス、その他の人物の死体埋葬についての調書
  遺体の新たな埋葬に関する調書

第3部
日記、供述書、調書を再検討する
  マルティーン・ボルマンの日記
  「東方」部諜報課長クルト・ヤーンケの自筆供述書
  デーニッツ海軍元帥の呼びかけ
  デーニッツ海軍元帥の命令書
  シェルナー元帥の呼びかけ
  ハンス=エーリヒ・フォス海軍中将の尋問調書
  カール・フォン・アイケン教授の尋問調書
  副官オットー・ギュンシェの自筆供述書
  ゲッペルス専属護衛隊長ヴィルヘルム・エーホルトの尋問調書
  ベルリン中央地区防衛司令官ヴィルヘルム・モーンケの自筆供述書
  ヒトラー専属護衛隊長ハンス・ラッテンフーバーの供述調書
  ドイツ宣伝省ラジオ放送部指導者ハンス・フリッチェの尋問調書
  女性飛行士ハンナ・ライチュの供述に基づく記録
  砲兵大将ヘルムート・ヴァイトリングの自筆調書
  ドイツ軍元帥フェルディナント・シェルナーの尋問調書

第4部
なぜ物的証拠は焼却されたのか
  特別重要/KGB議長アンドロポフの党中央委員会宛てのメモ
  KGB第3局からKGB特別部への手紙
  アンドロポフ議長が承認した文書

特別付録1
第三帝国の終焉
  ファシスト・ドイツの無条件降伏文書
  ニュルンベルク国際軍事裁判所の判決

特別付録2
《スメルシュ》要員の名前

本書の表記について
文責・冨田武(成蹊大学法学部教授)

訳者あとがき


本書は500ページにも及ぶ分厚い本である。
しかも、内容は、資料集と呼んでいいようなものなので、読み続けるには根気がいる。
ある意味、退屈な本でもあった。
よほど興味がある人か、研究者でもなければ、本書の最初の部分の「解説」を読むだけで十分かもしれない。


今年の読書:30冊目



読書 | 00:40:09 | Comments(0)
『艦長たちの太平洋戦争』


太平洋戦争・海戦主要年表

武運と幸運と
(戦艦「扶桑」艦長・鶴岡信道少将の証言)
     「陸奥」爆沈の目撃者
     水中防御に弱点
     運命のスリガオ突入

信頼の絆
(航空母艦「瑞鶴」艦長・野元為輝少将の証言)
     戦艦をふりまわす
     第二次ソロモン海戦
     南太平洋海戦
     義経の戦法

孫子の兵法
(戦艦「大和」艦長・松田千秋少将の証言)
     海軍人事の失敗が敗因
     必勝の軍令部作戦計画
     「大和」誕生の背景
     知らなかった栗田艦隊の突入

独創と捨て身
(軽巡洋艦「那珂」艦長・今和泉喜次郎大佐の証言)
     襲ってきた敵編隊
     修羅場と化した艦橋
     顔青ざめる射撃指揮官

門前の小僧
(航空母艦「隼鷹」艦長・渋谷清見少将の証言)
     商船から空母へ
     初陣から大活躍
     マリアナ沖海戦に出撃
     片肺航行で帰還

用兵の極致
(戦艦「伊勢」艦長・中瀬泝少将の証言)
     実戦に役立った戦訓
     対空砲で50機を撃墜
     艦停止、救助急げ!

統率の妙
(戦艦「長門」艦長・兄部勇次少将の証言)
     大艦隊の決戦準備
     ズサンだった図上演習
     訓練計画の大誤算
     「長門」の初砲撃
     きたるべき大作戦
     「長門」を襲った米軍特攻機
     三つの奇跡

武人の本懐
(戦艦「日向」艦長・野村留吉少将の証言)
     柔和で純朴な人
     噴進砲の威力
     比島沖海戦のミステリー
     不達だった重大電報

指揮官の責任
(軽巡洋艦「球磨」艦長・横山一郎少将の証言)
     艦長は海軍将校の目標
     司令官も驚いた執念
     ハワイ作戦はバカの骨頂

戦史の戦訓
(重巡洋艦「利根」艦長・黛治夫大佐の証言)
     大艦巨砲こそ生きる道だった
     「武蔵」は不沈戦艦にできた
     サマール島沖海戦

乱戦の中
(駆逐艦「初月」艦長・田口正一大佐の証言)
     米軍が驚愕した“月型”
     駆逐艦の洋上補給
     「大鳳」雷撃される
     燃える「大淀」

暗夜の快挙
(駆逐艦「綾波」艦長・作間英邇大佐の証言)
     開戦劈頭の砲撃第1号
     ガ島沖の遭遇戦
     海軍史上最高の“快挙”

綱渡りの航跡
(駆逐艦「秋月」艦長・緒方友兄大佐の証言)
     緒戦時の苦闘
     長十センチ高角砲の威力
     魚雷命中説のウソ
     沈没原因は味方の弾?

海戦の原則
(駆逐艦「浜波」司令・大島一太郎少将の証言)
     陰の貢献者たち
     井上成美大将の決断
     レイテへの出撃
     無謀なる輸送作戦のはてに

沈着冷静
(駆逐艦「有明」艦長・吉田正一大佐の証言)
     単艦でナウルを無血占領
     敵75機との遭遇戦
     前代未聞の空飛ぶ魚雷

空隙と盲点
(駆逐艦「時雨」艦長・西野繁中佐の証言)
     トラック大空襲に遭遇
     レーダー射撃からの遁走
     栗田艦隊の別働隊
     スリガオに突入す

決死の覚悟
(潜水艦「伊168」艦長・田辺彌八中佐の証言)
     ミッドウェーに出撃
     北北東に針路をとれ
     360度の敵前回頭
     敵機の奇襲をうける

好機到来
(駆逐艦「響」艦長・森卓次中佐の証言)
     死を覚悟しての撤収
     忽然と消えた米艦隊
     陸海将兵の涙の対面

同士打ち
(駆逐艦「春風」艦長・古要桂次中佐の証言)
     バタビヤ沖海戦に参加
     魚雷命中の記録はウソ
     「雪風」艦長を最後として

武運長久
(潜水艦「伊47」艦長・折田善次少佐の証言)
     潜水艦の微妙な特徴
     クラ湾で圧壊寸前の潜航
     米空母を撃沈したはず
     眠っている未発表戦果
     神鎮まる「回天」搭乗員
     玉砕島からの生還者

人間魚雷
(潜水艦「伊58」艦長・橋本以行中佐の証言)
     特潜を積んでハワイへ
     人間魚雷「回天」の出現
     グアムに「回天」を放つ
     交通破壊戦に「回天」発進す
     重巡「インデアナポリス」を葬る

価値ある敵
(駆逐艦「神風」艦長・春日均中佐の証言)
     老朽艦「神風」の出撃
     ペナン沖海戦の悔恨
     バンカ海峡に「足柄」を失う
     米潜水艦との一騎打ち
     米潜艦長からの手紙

危機への予感
(駆逐艦「文月」艦長・長倉義春中佐の証言)
     「魔の5分間」の興奮
     損害皆無の船団護衛
     盟友・飯野艦長の死

判断の良否
(駆逐艦「朝風」艦長・池田徳太少佐の証言)
     自爆する魚雷のナゾ
     実戦即応の全直
     無謀だった小沢長官の指示

先見の明
(潜水艦「伊41」艦長・板倉光馬少佐の証言)
     真珠湾で敵を騙す
     荒天下の襲撃
     敵機に帽を振る
     小手調べのスルミ輸送
     ブインの機雷源を突破

獅子奮迅
(駆逐艦「皐月」艦長・杉山忠嘉少佐の証言)
     緒戦で負傷す
     敵潜をやったぞォ!
     マニラ湾の激闘

最後の切り札
(潜水艦「伊401」艦長・南部伸清少佐の証言)
     遠大な米本土爆撃計画
     パナマ運河爆撃を目指す
     ウルシー襲撃に出撃
     作戦洋上で降伏

油断大敵
(駆逐艦「刈萱」艦長・島田喜与三少佐の証言)
     旧態依然とした対潜攻撃
     船団護衛の変わりダネ
     新兵器崇拝が命取り

指揮官の決断
(駆逐艦「梨」艦長・高田敏夫少佐の証言)
     東京急行の激闘
     レイテ沖海戦の不覚
     瀬戸内での対空戦闘

戦場の錯誤
(駆逐艦「椿」艦長・田中一郎少佐の証言)
     “傑物”有賀司令のこと
     友軍機誤射事件の真相
     「椿」の対空戦闘

押し問答
(駆逐艦「楢」艦長・本多敏治少佐の証言)
     恐怖のレーダー射撃
     戦力ゼロとなった「叢雲」
     覚悟を決めた東艦長
     三艦の兼務艦長となる

攻撃の死角
(海防艦「崎戸」艦長・小林恒次少佐の証言)
     「武蔵」の砲塔運送艦
     敵の裏をかく一斉回頭
     爆雷による敵潜攻撃

実戦即訓練
(海防艦「第4号」艦長・水谷勝二少佐の証言)
     “対潜用艦”で対空戦闘
     敵味方刺し違えの激戦

月下の戦慄
(海防艦「第81号」艦長・坂元正信少佐の証言)
     暗号「テイコクバンザイ」
     海兵と予備士官との違い
     終戦後にでた出撃命令

文庫版のあとがき


今年の読書:29冊目



読書 | 16:36:51 | Comments(0)
田崎悦子リサイタル
今日は東京で「田崎悦子」さんという方のピアノリサイタルがある。
この方の演奏は、なかなか聴けないから是非聴くと良いと妹に誘われて上京!(笑)
鳥取から帰って来たばかりなのだが、再び出かけることにした。

場所は上野の東京文化会館ホール。
従姉妹も聴きに来るというので待ち合わせて入場・・・

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ショパンやシューマン、リストの曲を演奏したらしいが・・・
正直言って、音楽の知識のない拙者には、何が何だかわからない・・・(苦笑)
とにかく、気持ちよく聴けた曲は・・・うまい!
拙者の好みじゃない曲だった場合は・・・下手!(大笑)
・・・という、とんでもねぇ判断しかできないのである。(大笑)

で・・・田崎さんの演奏は・・・気持ちよく聴けたから・・・上手!
・・・という評価である。(大笑)

妹とは会場で顔を合わせた程度・・・・
よっ!・・・と挨拶をして終わり・・・(笑)
リサイタルが終わり、近くのコーヒーショップで従姉妹達とケーキを食べながらお喋りを楽しみ、19時の特急で帰宅する。

その後、妹からメールで感想を求められたが・・・(大汗)
拙者に演奏を批評できるわけがない。
事前に田崎さんは結構なお歳だと聞いていた・・・(苦笑)
で・・・実際にステージに出てきた田崎さんを見て・・・
想像以上に若かったので、会場を間違えて別の人のコンサートに来てしまったのかと焦った・・・という話をしたら・・・
妹が、それを田崎さんに話してしまったらしい。(唖然)
リサイタルの感想が「思ったより見た目が若かったので、会場を間違えたと思った」に田崎さんのご主人が大うけしたという。(大恥)
とんでもねぇコメントを出してしまった・・・
いやはや・・・穴があったら入りたい・・・(涙)

日記 | 16:54:40 | Comments(0)
千葉で震度4
今日の午後1時過ぎ、千葉県北東部を震源とする震度4の地震が起きた。
マグニチュードは5.3だそうだ・・・

千葉県で震度4って、久々ではなかろうか?
滅多になかったような気がするのだが・・・

千葉が震源地になる地震が起こるようでは、ちょっとヤバイかも・・・(大汗)

日記 | 18:36:34 | Comments(0)
非常用電源装置付き信号機
非常用電源装置付きの信号機というのがあるらしい。
これは、大災害などで停電しても非常用電源で点灯する「消えない信号機」だそうだ。

この信号機に付ける非常用電源装置には、軽油などの燃料で動く「自動起動式」と呼ばれるものや、リチウムイオン電池式などのタイプがあるという。

普通、新規で信号機を設置するには約500万円もかかるのだそうだ。
そんなに高価なのかと驚いてしまうが・・・
これが自動車となると、各部品メーカーは、かなりの原価低減を求められるのだが・・・
こういう信号機を製造する会社の場合はどうなんだろう?
“お役所”の注文だから原価低減なんてことはしないのかな?(苦笑)

昔、戦車の部品の話を聞いたことがある。
町の工具屋で売っているボルトと同じものを自衛隊の戦車に使うとなると数十倍の値段になるのだとか・・・
(本当かどうかは知らないが・・・)(大汗)
そういう話をどこかで聞いた覚えがある・・・・
信号機の500万円も、それと同じかな?
たとえば、500万円を300万円で作ることは不可能なのだろうか?

この500万円の信号機に非常用電源を付けるとなると、150万円から260万円くらい追加でかかるそうだ。
更に保守点検の費用も通常よりはかかるらしい。
(これは当然だろうな・・・)

そういうこともあってか、全国の非常用電源付きの信号機の整備率は、たったの4.6%なのだそうだ。(唖然)
我が茨城県の場合は、たったの2.6%!
たった2.6%でも、整備されていることに驚くが・・・(大笑)
全国トップは宮城県の18%だそうである。

宮城県の場合・・・・
東日本大震災の時に信号機が停電したため、多くの警察官を交通整理に回さねばならない事態となったそうで・・・
この教訓から、緊急車両の通行や物資輸送に重要な道路に対して優先的に設置をしているのだそうだ。
それでも、整備率18%である・・・・(大汗)

全ての信号機に設置するのは予算的に難しい。
耐用年数を迎えた信号機の更新にもカネがかかる。(1基、500万円だし…)(笑)
そこで“重点配備”を・・・という提言が出ているそうだが・・・
災害等で、大規模な交通障害を経験しているなら、どこを優先すべきかは検証して計画できるだろうが・・・
経験していない自治体では、どこを優先しましょうかで悩むんじゃなかろうか?
過度の“平等意識”が邪魔をして、議論ばかりで先に進まないんじゃあるまいか?(苦笑)

2017年度、信号機用非常用電源装置は全国に9614台整備されているという。
10年前から比べると2倍に増えているというが、整備率4.6%ではねぇ~
対策として、“重点配備”も当然必要だろうが、信号機や非常用電源装置の価格の見直しも必要じゃあるまいか?
誰もそこには触れないというところが不思議である。(苦笑)

エッセイ | 18:34:55 | Comments(0)
佐々淳行さん死去・・・
昨日、10日に佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんが老衰でお亡くなりになられたという。
87才・・・・
佐々さんは、「東大安田講堂事件」や「あさま山荘事件」で警察の現場指揮官だったことで有名な人である。
その後、初代内閣安全保障室長に就任してご活躍されたことでも有名・・・
「危機管理」のエキスパートだと思う。
この方が、お亡くなりになられたのかぁ~・・・と、ちょっとショックである。

ずいぶん昔・・・・(苦笑)
佐々さん主宰の危機管理セミナーに1年間通ったことを思い出す。
あれは、なかなか良かった・・・・
警察、防衛、東京消防庁、海上保安庁、東京都の危機管理担当者等、役所の方々に混じって勉強させていただいたが・・・
あの時に、腰を痛めていたのか、足が弱っていたのか、杖を突いておられた佐々さんのお姿が脳裏に残っている。

佐々さんの“跡継ぎ”は育っているだろうか?
大丈夫かなぁ~・・・日本の危機管理・・・・(大汗)
佐々さんのご冥福をお祈りする。

日記 | 22:19:32 | Comments(0)
鳥取鉄道高架記念之碑
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鳥取鉄道高架記念之碑

 鳥取鉄道の高架が完成し2年数か月、駅を中心とした人の流れもかわり、駅南にビルも林立しだした。
これから駅南が大きく発展するであろう。
駅高架に併せ実施された駅前の区画整理も本年3月完成し、近代的な美しい街に生まれかわった。
その一部として整備されたこの公園もその名を高架記念公園とした。
そこでこの世紀の大事業である鉄道高架を記念し、ここに碑を建立することとした。
 わが鳥取は今から約360年前藩主池田光政により城下町として築造されたが、明治41年に始めて鉄道が敷設され、駅は田圃に囲まれていた。
しかし、北は久松山で市街地は漸次南へと発展した。
特に、昭和27年の大火災後は駅南へ工場の移転を図るなど急速に南へ都市化が進んだ。
しかし、東西に走る鉄道がその大きな障害となった。
 そこで、鉄道を高架にすべきだという考えは識者の間に根強くあったが、それをどう実現するか誰にも具体策はなかった。
しかし、時の知事石破二朗氏は専門家の意見も徴し、大火災に焼け残った駅前の改造と併せ鉄道の高架を実施すべきだとの画期的構想を固めた。
知事は鳥取市へその意向を打診し、前市長高田勇氏も賛同し、昭和42年に知事、市長を正副会長とする鳥取駅高架促進期成同盟会が発足し、県、市あげてその実現に努めた。
その間、前知事石破二朗氏が国の採択を得るため払われた筆舌に尽くしがたい努力については今でも語り草となっている。
勿論この大事業は一個人の力でできるものではない。
多数の市民の協力の賜であるが、石破氏の秀でた指導力によるところが大きかったことは銘記されるべきである。
 鉄道の高架は昭和54年11月完成し、駅前の区画整理は56年3月完成した。
高架になった豪華な駅、緑豊かな広場、近代的ビル街。
素晴らしいの一語に尽きる。
 今後、我々は美しい自然を生かし、調和した近代都市である20万都市を目指し努力しなくてはならない。

昭和56年6月
    鳥取市長 金田裕夫 記

(碑文より)


【鳥取県鳥取市永楽温泉町701・高架記念公園】




史跡 | 20:46:32 | Comments(0)
今日は大人しく帰宅する(笑)
ホテルで朝食を食べ・・・・チェックアウト・・・・
我がメンバーは、ホテル解散である。
会長と常任理事の二人は、これから、どこかの温泉に向かい一泊してから帰るという。
我が広報委員長は鳥取空港から羽田に向かい帰宅・・・
そして、拙者は、電車で帰宅である。(笑)

いつもなら、これから数日、旅を続けるところなのだが・・・
何日も家を留守にしているというのが、どうしても落ち着かない・・・(大汗)
こういう時に、留守番役をしていた親父がいないというのは不便である。(苦笑)
何の役にも立たぬ親父だと思っていたが・・・(笑)
う~ん・・・死なれてみると、結構役に立っていたんだと思う。(笑)

昨晩の深酒で全員が二日酔い気味・・・(大笑)
レンタカーを借りて温泉に向かうという会長一行に、駅まで乗せて行ってやろうかと声をかけてもらったが断る。
テクテク・ブラブラと歩きながら、駅に向かうほうがいい・・・(笑)
普段の運動不足の解消にもなるだろうし・・・
意外な史跡に巡り合うかもしれない・・・(笑)

駅の方へ向かって歩いて行ったところ、線路の近くの交差点に何やら銅像らしきものが・・・(驚)

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椅子に座っている銅像・・・・
「石破二朗知事の像」とある。
あらら・・・もしかして、現衆議院議員の石破茂さんのお父さん?

この銅像の後ろの小さな公園に石碑が・・・

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この碑は「鳥取鉄道高架記念之碑」というものだった。

ここをちょっと散策して鳥取駅へ・・・・
10時46分発の「スーパーはくと6号」で新大阪へ・・・・
新大阪で「のぞみ24号」に乗り換え東京へ・・・
東京から特急に乗って夜7時には自宅に帰り着いた。

移動だけで丸一日かかったが・・・
鳥取から茨城まで、その日のうちに帰ってこれるとはねぇ~
正直言って驚きである。(笑)

旅行 | 20:05:11 | Comments(0)
鳥取大会
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式典会場の「とりぎん文化会館」に戻り、登録の受付・・・
ここで、ネームタグと資料と引換券をもらう。
引換券は500円の商品券が2枚・・・
会場の中でやっている物産展で、1000円までの買い物ができる。(喜)
これは、毎度のこと・・・どこで全国大会が開催されようと、この特典はつくのである。(笑)

で・・・早速、物産展会場へ・・・
拙者は毎回、物産展で事務局用のお土産を探して、この引換券と交換する。
事務局は、いつもお留守番・・・(大笑)
年に一度くらいは良い思いをしてもらおうと思い、事務局にお土産を贈ることにしている。
で・・・この500円券2枚は、いわば“呼び水”で・・・
さらにお買い物をするわけ・・・(苦笑)
さて、何かないかと、キョロキョロ、ウロウロ・・・
試食、試飲をしながら会場を歩く・・・
と・・・気が付いた・・・
いつも親父に何か甘いものをと・・・お土産を買うのだが・・・
あ・・・親父は死んでいるんだっけ・・・(苦笑)
う~ん・・・お土産を買っても仕方がないな・・・(苦笑)
どうも、いつもの行動パターンを取ってしまった自分に苦笑い・・・

事務局へのお土産を宅急便で送り、続いて会場の座席の確認・・・
資料によれば、全国から410の法人会が集まり、その人数は、約1600人である。
会場は各都道府県別に座席が決まっている。
我が茨城県の座席は、おおよそ60席ほどか?
ここを確認して、次には我がメンバーの記念撮影場所を決めるため会場入り口に戻る。
なにせ、証拠写真を撮らねば・・・
撮影場所2カ所ほどを決めて、後発の会長たちを待つが・・・・来ない!(唖然)
午後2時から記念講演会が始まるというのに・・・
残り10分である!(大汗)

と・・・雨脚が強くなったところに傘もささずに会長たちが歩いてやってきた・・・(唖然)
途中までアーケードだったので傘を持たずに来たという。(唖然)
早速、会場入り口と会場の中の既に決めておいた場所で、大会スタッフにカメラを渡して急いで記念撮影!
そら、急げ!
「で・・・座席はどこ?」と広報委員長・・・
「こちらです!急いで!あと5分!」と拙者・・・(大汗)

ギリギリで、会場に入り、座席につく・・・・
もう、相変わらずのんびりしているんだから、こっちとしては心臓が止まる思いである。
なにせ、広報委員としては、証拠写真の撮影をしくじったら、会報に記事が書けないからねぇ~

記念講演は、(株)「大山どり」の島原社長が『大山どりの奇跡~35歳、どん底からの挑戦~』と題して行なった。
で・・・・常任理事は途中退席し・・・我が広報委員長は寝息を立てている・・・(大汗)
こっちは写真を撮りながら、講演の内容をメモするので、忙しい・・・・
ウトウトなんかしていられない・・・(汗)

講演会の後に20分ほどの休憩・・・・
この間に、広報委員長を物産展に案内して、お土産を買ってもらう。(笑)

委員長の買い物のお付き合いをして、相変わらずギリギリで式典に間に合う。(大汗)

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来賓の祝辞・・・
最初に、平井鳥取県知事が挨拶に立った。
この人は話が上手である。
最近の首長さんは挨拶が上手な人が多い気がする。(笑)
この大会の関係役員や他の来賓の方々等、十数名(いや、数十名かも?)の肩書とお名前を何も見ずにスラスラと口に出したのには会場が騒然となった。(驚)
で・・・ご本人は・・・「先ほど名刺を交換しまして・・・」とケロリと言ってのけた。
いやぁ~その記憶力の良さには会場の誰もが驚いたことだろう。
これで一気に会場にいる参加者を“掴んだ”のである。(唖然)
いやぁ~すごい・・・の一言・・・
挨拶も、面白い・・・
「鳥取にはスタバはないけど、砂場はある」の名言で有名な知事である。
続いて挨拶に立った市長の代理の方(名前を失念)は開口一番「知事の後はやりずらい」を連発して笑いを取った。
しかし、この方も話が上手だった。

広報委員としては、会報に載せる記事を書かねばならないので必死でメモを取る。
実は拙者は、こういうメモを取るというのが苦手なのである。
話を聞いているうちメモを取るのを忘れてしまい・・・あとになってから何の話だったか思い出せないという事がしばしば・・・(苦笑)
今回は、そういうわけにはいかない・・・
なにせ広報委員長は再び寝息を立てて寝ているし、他の二人も中座したまま戻ってこない・・・(唖然)
つまり、話を聞いている人は拙者一人しかいないのである!(涙)
後になってから他のメンバーに話の内容の確認を取るということが出来ないのである!(大汗)

メモを取りながら原稿の素案も考える。
見開き2ページぐらいのスペースに写真数枚と原稿・・・・
記念講演会の内容と、来賓の挨拶を含めた式典内容だけの「報告書」では面白くない・・・(笑)
最後に“オチ”を作らねば・・・(笑)
拙者がいつも心がけるのは、記事の中に面白い“オチ”を入れることなのである。(大笑)
ただの事実の羅列では読んでいても面白くあるまい?

式典後は会場を別の場所に移して「大懇親会」が開催されるが・・・
我々は参加しない・・・(苦笑)
毎度のことなのだが、誰も行こうとしないのである。(汗)
どうせ混んでるし・・・食べ物は少ないし・・・ということらしい。
拙者としては、「大懇親会」にも参加して、その様子の写真を撮り、アトラクションなども記事に書きたいのだが・・・
皆が行かないなら拙者一人で行ってもねぇ~・・・・と断念・・・・(涙)
ということで・・・会報の記事は記念講演会と式典の話だけで作らねばならぬこととなった・・・(大汗)

大懇親会には行かず、一度、本日宿泊のホテルに戻る。
拙者も、ようやくチェックイン・・・
一休みして、4人で夕食を食べに出かける。
すでにお店は予約済みだという。
そういうところは手早いんだよなぁ~(苦笑)

会長が「それで・・・会報の記事は誰が書くことになっているの?」とご質問・・・
「え?当然、広報委員長でしょ?」と拙者
「おい、おい、君が書くんだろう?」と委員長・・・
「いやぁ~広報委員長を差し置いて私が記事を書くなんて・・・そんな恐れ多いことは出来ません!」と拙者。
「委員長が寝息を立てて寝ていたから、記事は大丈夫かなと思って・・・それで聞いたんだけどね」と会長。
「えっ!うそ!」と委員長が大慌て・・・(大笑)
「委員長・・・とうぜん、メモを取っていたんでしょ?」とからかう。

食後はネオン街に繰り出し、ちょっと飲みに・・・・
これは会長の意向を最優先・・・
大会委員会から配布されたナイトマップで、飲みに行くスナックを決めていたようである。(唖然)
どうして、こういうことはテキパキとできるのかね?・・・この人たち・・・(大笑)

2軒目のお店は行き当たりばったり・・・(会長がホテルに帰りたがらない・・・)(大笑)
支払いは割り勘だが、この2軒目の拙者の支払いはしなくていいと委員長が言う。
「え?なんで?」
「原稿料!ねっ、原稿料ということでさぁ~・・・ここは僕が払うから・・・」と委員長。(大笑)
「え?そうですかぁ~・・・そういうことであれば、仕方がないなぁ、私が原稿を書きましょう!」(大笑)
どうせ、拙者が原稿を書くことになるのは最初から明白なのだが、こういう気遣いをしてくれるから、広報委員長は憎めない。(大笑)

スナックを2軒ハシゴして日付が変わった時刻にホテルに戻り・・・解散!(笑)
お疲れさまでしたぁ~

旅行 | 17:01:56 | Comments(0)
大手登城路跡
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史跡鳥取城跡附太閤ヶ平(つけたりたいこうがなる)
大手登城路跡(おおてとじょうろあと)

大手登城路とは、城のメインルートのことで、途中には2つの重要な門がありました。
中ノ御門(なかのごもん)は、擬宝珠橋(ぎぼしばし)を渡った正面玄関にあたり、藩主の入城時などに開かれる特別な門で、太鼓御門(たいこごもん)は、中心部であった三ノ丸の入口にあって、時を知らせる太鼓を打った場所でもありました。
享保5年(1720)城内の建物の大半を焼失した石黒大火(いしぐろたいか)で両門とも被災しており、発掘調査では、焼けた石垣や地面が見つかっています。

鳥取市教育委員会

(説明板より)


【鳥取県鳥取市・鳥取城跡】



史跡 | 13:59:10 | Comments(0)
因伯新道紀功碑
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因伯新道紀功碑
(いんぱくしんどうきこうひ)

明治14(1881)年9月12日、鳥取県は再置(5年間島根県に併合)され、新しい県づくりが始まりました。
この頃、県内の道路は未整備で交通の便を図ることが急務でした。
明治16年、大規模な道路整備事業が始まり、後の国道9号線をはじめとする主要道15路線およそ130里(500キロメートル)が整備・改修されました。
この碑は、事業の功績をたたえる人々の寄付によって明治20年11月に建てられました。


碑 功 紀 道 新 伯 因
[碑文の一部を現代語訳にして、( )内に捕捉文を入れています]

因伯の二州は海に沿い、山道はおよそ130里、道路は険悪でわずかに人馬を通すのみである。
昔は人も馬も(往来に)苦労したものであった。
山田県知事は、これをあわれみ、土木課長の須永氏と話し合って道路改修を命じた。
大岩を穿ち山道を開き、高きは削り、低きは埋めて平にした。
水があれば橋を架け、山には道をつけた。
これにより、かつて草茫々の所は平坦になって砥石のようになり、塞がっていた道もまっすぐに通じ、それはまるで矢のようである。
絶え間ない人馬の往来に対して人々は喜んでいる。
そもそも、この事業は明治16年に開始され、19年に竣工した。
事業にはおよそ1万人、35万500円余りを要した。
官家の深い思し召しとはいえ、因伯二州の官民の力を合わせなければ、短期間での完成は見なかったであろう。
記録に残して後世に伝えなければならない。
よって豊碑(功徳をたたえた大きな石碑)を若桜橋の側に建ててその功績を刻むこととする。
        ※若桜橋詰からこの場所に移されたことになります。
銘に曰く
西晋の社征南(社預)は富平津に浮橋を造り、今は多くの人が往来するところとなっている。また、平の清盛は「経が島」をを築いて輪田崎(大輪田泊)を修築し、日宋貿易の拠点にした。一時は苦労しても後の世の利益となることは、世の人が二人をたたえていることからも分かる。お金を費やすこと40万円。因伯の道路を改修すること百里。ああ、輪田崎と冨平津と共に、山河が永遠に続くように因伯新道の功績は永く鼎峙(三つが安定している様)することであろう。
明治二十年丁亥十一月 従四位勲三等山田信道篆 菊池純撰文 寺西養蔵書


鳥取県再置後の初代県令 山田信道(やまだ・のぶみち)
天保4年(1833)年~明治33(1900)年

元熊本藩士で大審院(現在の最高裁判所)詰の判事から鳥取県令(現在の知事)になりました。
明治14年から21年までの在任中、士族授産(生活に苦しむ士族に仕事を与えること)、道路網の整備、産業や教育の振興に力を注ぎました。
後に、福島県や大阪府、京都府の知事、農商務省大臣などを歴任しました。

平成28(2016)年6月 鳥取県立公文書館作成

(説明板より)


【鳥取県鳥取市東町1丁目・城南神社脇】



史跡 | 13:14:23 | Comments(0)
箕浦家武家門
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箕浦家武家門

この武家門は、もとお掘ばたの南隅にあって、2千石の箕浦近江宅の門でした。
昭和11年に大阪の素封家広岡松三郎氏の寄贈によって現位置に移築保存されたものですが、今日では、鳥取が城下町であったことを語る貴重な建物です。

(説明碑・碑文)


【鳥取県鳥取市尚徳町101・県立図書館/県立公文書館】



史跡 | 13:01:49 | Comments(0)
尚徳館記碑
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尚徳館記碑

宝暦7年2月1日(1757)鳥取藩第5代藩主池田重寛公によってこの地に藩校が創設され尚徳館と命名された。
第12代藩主池田慶徳公の時に学制の改革が行われ、万延元年(1860)この尚徳館記碑が校内に建立された。
文武併進を以て尚徳館教育の理念であると記す。
藩校は明治3年(1870)に至るまで113年の間鳥取藩教育の中心であった。

(説明碑・碑文)


【鳥取県鳥取市尚徳町101・県立図書館/県立公文書館】



史跡 | 12:45:28 | Comments(0)
吉田貞先生之碑
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吉田貞先生之碑

吉田貞先生ハ士族ノ家ニ生ヲ享ケ厳格ナル躾ノ下ニ人ト
ナリ遂ニ淑徳高キ婦人トナラレタ  先生ハ明治三十三
年掛出町ノ自宅ニ裁縫女塾ヲ開キ近クノ子女ヲ集メテ教
育サレタガ明治三十八年日露戦役後将来ノ女子教育ハ其
普及ト向上ニアルコトヲ痛感サレ同年県ニ申請シ茲ニ始
メテ女学校トナツタ  先生ノ教育方針ハ単ナル裁縫教
授ニ止マラズ之ヲ通シテ婦徳ノ涵養技能ノ錬磨ニアツタ
先生ノ教化ハ年ト共ニ益々深潤シ理想ノ実現ニ近ヅキツ
ツアツタガ惜ムベシ大正十一年十月十八日逝去サレタ
先生ハ本校教育ノ開祖デアルト共ニ女子教育ノ先覚者デ
アツテ其功績ハ洵ニ顕著デアル  依て茲ニ碑ヲ建テ先生
ノ遺徳ヲ永遠ニ伝エル

昭和四十年鳥取家政高等学校六十周年ニ当リ清香会建之
   撰文 学校長岡本久八
   揮毫      蔵光 工

(碑文より)


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吉田貞先生

 先生は明治33年市内掛出町の自宅に
裁縫塾を開かれ38年には鳥取裁縫女学校
を設立されついで44年鳥取技芸女学校と
改称されました先生はまた初代校長として
「婦徳の涵養人格の完成」を建学の精神に掲げ
単に裁縫の指導にとどまらず徳育を重んじ
有能な日本女性の育成に献身努力され現在の
素晴らしい校風の基礎を築かれました
 先生は大正11年10月18日53才の若さ
で惜しまれつつ逝去されました

本校創立百周年に際し同窓生
一同相はかり先生の御徳をたたえ
頌徳の像を建立したものです
 平成17年10月
鳥取敬愛高等学校清香会

(碑文より)


【鳥取県鳥取市西町1-111・鳥取敬愛高等学校】



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