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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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まさかの救急搬送!
今日は水戸藩士の“シミズくん”からのお誘いで宇都宮の栃木県立博物館へ行く。
ちょうどここで開催されている『中世宇都宮氏』の特別企画展を見に行こうというお誘い。
ありがたいお誘いである!(大喜)

留守中の親父の面倒はヘルパーさんに任せることにして・・・
午前と午後の2回、様子を見に来てくれるように頼んでおいた。
で・・・いつものように“シミズくん”の運転する車に乗って出かける。

宇都宮市内で早めの昼食を食べ・・・栃木県立博物館へ・・・・

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(栃木県立博物館)

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館内に入り、さぁ、これから見るぞ!・・・という瞬間・・・携帯電話が鳴った!(驚)
いつもは必ず電源を切っておくのに、今回は、うっかり電源を切るのを忘れていたのである!(大汗)
で・・・電話に出てみたら、ケアマネ―ジャーからだった。
何事かと思ったら・・・親父がトイレで倒れているとのこと。(唖然)

話によると、我々が出発した後、ヘルパーが家に入ったら、親父の姿が見えないという。
どうもトイレの中から声がするので様子を見ていたら、どうもおかしい・・・いつまでたっても出てこない。
声をかけると返事はするが、訳の分からないことを言っているらしい。
トイレには鍵がかかっている。
ヘルパーが鍵を開けるように言ったのだが、親父は「開け方がわからない」とパニックを起こしているらしい。
最近のトイレのドアは外からでも鍵が開けられるようになっているらしいのだが、我が家は築30年以上の家である。
当時のトイレのドアには、そういう機能は付いていない・・・
だから、何としても中に入っている人に開けてもらうしかないのだが・・・(汗)
その肝心の“中に入っている人”が呆けちゃって、開け方を忘れたっていうんだからどうしようもない。

しかも、どうも様子がおかしいらしく、どうやら倒れているようだとのこと。
トイレのドアの下の方から声がするらしい・・・
そこでヘルパーセンターの男性職員と手の空いているヘルパーが駆け付け・・・
さらに往診してくれている医者と看護師が駆け付け・・・
それでも、どうにもこうにもならないので消防署からレスキュー隊と救急車が出動したらしい・・・(唖然)

トイレは、いつも一人でちゃんとできていたのに・・・何で突然こんなことになっちゃったんだ?(唖然)

で・・・頭を打ったかもしれないとのことで念のため救急車で病院まで運ぶという。
あらら・・・なんとも大げさな騒ぎとなってしまった・・・(大汗)
で・・・家族の誰かに救急車に乗ってもらわないと困るという・・・
ご家族の誰かって言われれもねぇ~(苦笑)
その“誰か”は拙者しかいないが、宇都宮にいるんだから乗れるわけがない。
「誰かいませんか?」と言われ、とっさに思い浮かんだのが先輩の“ウメちゃん”!(苦笑)
急ぎ連絡をして、拙者の代わりに救急車に乗ってくれるようにお願いする。
いやぁ~迷惑千万な話だろうが・・・やむを得ない・・・・

入場券を買って、さぁ、これからだ・・という時に・・・これだ・・・(涙)
なんとタイミングの悪いことか・・・
“シミズくん”からは「早く戻りましょう」と言われたが・・・
折角来たんだし、カネも払っちゃったんだからもったいない。(笑)
ササッ!と駆け足で見学して駐車場に戻る。
“シミズくん”は拙者を誘ったことに責任を感じているようだが、これは全くの偶然である。
まさか、こんなことが起こるなんて誰も予想はできない。
とにかく急げ急げで焦っているのは“シミズくん”・・・・
あまり焦って事故を起こしたりスピード違反で捕まったら、逆にもっと遅くなっちゃうと思うんだけど・・・
危篤っていうわけでもないし・・・
というのは、拙者の思いで、彼からしたら責任を感じているのだと思う。
いやぁ~本当に申し訳なし!
とんでもねぇ親父である。

自宅まで送り届けてもらい、家に入ったら、家の中は綺麗に片付いていた。
そんな大騒ぎが起こったようには思えない・・・(汗)
トイレのドアも壊されていないし・・・・
ただ、ビニール袋の中に糞尿で汚れたシーツや服や下着やらが詰まっていたので、かなり悲惨なことになっていたようである。
親父は糞尿まみれになっていたのか?(唖然)
いやぁ~みなさんにご迷惑をおかけしたなぁ~
とにかく着替えを用意して病院へ向かう。

救急病棟の治療室のベッドに親父が寝ていた・・・
“ウメちゃん”は仕事の都合で1時間だけ付き添ってくれたそうで、その後、誰かが付いていてくれなくては困ると病院側から言われたので、奥さんが交代して親父のベッドに付き添っていてくれていた。
親父が点滴のチューブや尿道に差し込んだチューブを強引に抜こうとして暴れるのだそうで、奥さんは、ずっと親父の手を握ってくれていた。
いやぁ~会ったこともないジジイの手を握り続けていてくれたとは・・・(大汗)
本当に申し訳なし!
ここで奥さんと交代する。
と・・・親父・・・「いやぁ~早かったなぁ~もう帰って来たのか?」と言う。
はぁ?・・・まさかわざとやったんじゃねぇだろうな?(大汗)
ずいぶんとシッカリしてるじゃねぇか!(唖然)
が・・・自分が病院にいることがわからないようなので、意識はあるがマトモではなさそうである。

診察した若い医者が容態を説明してくれた。
CTなどの各種検査をしたが特に問題はなさそうであるが、話しかけても反応が悪いことを気にしていた。
「耳が遠いんですかね?」というので・・・
「いや、半分ボケていますから、この反応は普段の反応です」(笑)

検査の結果、問題はないようだし・・・・
血液をサラサラにする薬を飲んでいながら内出血が見当たらないのなら問題は無かろう?
「どうします?今日、このままお帰りになりますか?」と医者・・・
問題がないのなら、一泊しても仕方がないだろう。
それよりチューブを引っこ抜きたがって暴れるのを押さえている方が大変である。(笑)
というわけで・・・連れて帰ることにした。

で・・・持ってきた着替えを着させて・・・
あれ?・・・靴は?
看護師が「ストレッチャーで運ばれてきたから靴は履いていなかったと思いますけど・・・」と言う。
あっ・・・そうか・・・家の中から直接ストレッチャーに乗せられたら、そういうことになるか・・・
あらら・・・靴を持って来なかったぁ~(汗)
親父には裸足で帰ってもらうしかないな・・・(苦笑)

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日記 | 21:04:28 | Comments(0)
親父のMRI検査
今日は親父のMRI検査の日・・・
東京から妹に来てもらい二人がかりで親父を病院まで連れて行く。
いやはや、手がかかる・・・
とりあえず、何とか検査を終えることが出来た・・・





日記 | 17:47:16 | Comments(0)
『比島投降記』


Ⅰ 比島投降記

投降
米国の成人
若い少佐
米軍の給与
ジャップ
通訳イシ
アパリの病院
ビンタ事件
DDT
兵隊と民主主義
投降勧告
収容所の生活
墓参
水に浮ぶ
SORRY ISHI!
南の海
カシグラン
「英霊何個」

Ⅱ アメリカ兵の印象


ハッピイ
坑夫
ルイジアナ・サム
AB

AS
AR

サージェントG
J・G

著者について 石川周三


今年の読書:51冊目



読書 | 21:26:58 | Comments(0)
伯父の墓参りに行く
昨日は、妹のライブを聴きに上京・・・
ライブ後、関係者とおしゃべりをしているうちに終電を逃がしてしまった!(唖然)
ホテルは池袋の駅前に取ってある・・・
やむなくタクシーで池袋のホテルに向かうが、結構な金額となり、運転手さんから呆れられた。(大汗)
「次回は必ず終電に間に合うようにしたほうがいいですよ」と言われる。(大笑)
ごもっとも・・・である。(大汗)

で・・・今日は・・・
東京の伯父の墓参りに行く。
たしか・・・お彼岸だよね?(苦笑)
母の墓参りには一昨日行ってきたので、今日は折角東京にいるんだから伯父の墓参りに行くことにする。

二日酔いではないが・・・(苦笑)
さすがに睡眠不足・・・・(苦笑)
伯父の一人娘の従妹とお墓のある墓苑で待ち合わせをして二人で墓参りをすることにした。
伯父のお墓がある墓苑には駐車場スペースが少ない。
墓苑の近くまでタクシーで向かったが、墓苑の手前から大渋滞!(汗)
いやぁ~驚いた。

拙者は田舎の墓参りしかしたことがないから、こういう大混雑を経験したことがない。
お彼岸だろうとお盆だろうと、“混雑”というのに出遭ったことがない。(笑)
いやぁ~東京のお墓はすごいものだと思った。

墓苑内の特設テントでお花とお線香が売られていた。
我が町の花屋では一束350円程度かなと思うくらいの菊の花3本程度の小さな花束が一束1000円もする!(驚)
二束で2000円である!(愕然)
いやぁ~すごい“ボッタクリ”である。(大汗)
まぁ、ここで稼がなくてどこで稼ぐんだということなのだろうが・・・(汗)
手ぶらで来たから仕方がない・・・お花を二束とお線香で2500円支払う・・・(涙)
その時、手渡された花束を見て、従妹が・・・「ちっちゃい!」と思わず口に出した!(大笑)
なんて正直な事を言っちゃうんだ?(大汗)
女というのは怖いなぁ~(大笑)
正直に言っちゃうんだもんなぁ~

次回は面倒くさくても、お花とお線香持参で来ようと話し合う。(大笑)

墓苑の中には大勢の人たち・・・
お掃除していたり、お参りしていたり・・・
ちょうど伯父の墓の前に新聞紙を敷いてお花を準備しているおばあさんがいた。
近くのお墓にお参りに来ていた方のようである。
なにせ、墓苑の中は狭いところにギッシリとお墓が並んでいるので、どうしても他人のお墓の前を使うことにもなる。
と・・・従妹・・・
スーッと伯父の墓の前を通り過ぎて、先に向かって歩いて行く・・・(唖然)
あれ?・・・何してんの?
「お~い!行き過ぎてるぞ!」(笑)
従妹が「あっ!」と叫んで戻ってきた・・・・
大笑いである。
「うっかり通り過ぎちゃったぁ~!」と言う。
伯父の墓の前に新聞紙を広げて“お店を出していた”おばあさんは恐縮至極・・・
その家族も「すみませ~ん!」と大恐縮・・・

「いや、いや、狭いところなんだから仕方がないですよ~、でも、普通、自分の親のお墓の場所を忘れますかねぇ~」(大笑)
「伯父ちゃ~ん!伯父ちゃんの娘・・・お墓忘れて通り過ぎましたよぉ~、これ、どう思います?」とお墓に語りかける。(大笑)
見知らぬ近所のお墓の方と一緒に大笑い。
従妹は・・・「やっちゃったぁ~!」(苦笑)

笑いに包まれての墓参り・・・伯父ちゃんも喜んでいるだろう。
何で他人の墓の前に新聞紙などを広げているんだよ!だから通り過ぎちゃったじゃないか!・・・などと睨んだら角が立つというものである。
「伯父ちゃぁ~ん!お墓の場所を忘れている親不孝な娘と、しっかり者の甥っ子がお参りに来ましたよぉ~」と冗談を飛ばす。
期せずして楽しい墓参りとなった・・・(喜)

帰りはバスで駅まで行こうという話だったが、バス停には長蛇の列・・・(唖然)
従妹に聞いたら駅までは徒歩で30分程度だという。
それなら、おしゃべりしながら歩こうということで、徒歩で駅に向かい、途中、昼食を食べておしゃべり・・・
さらに駅前でコーヒー飲んでまたおしゃべり・・・(笑)
従妹は、池袋で友人と会うとのことなので、池袋まで一緒に移動・・・
電車の車内でまたまたおしゃべり・・・(大笑)
さんざん、おしゃべりして、池袋駅構内で分かれる。

昨日と今日、午前と午後の2回、親父の“見守り”をヘルパーさんに頼んである。
今日は夕食の時間までに帰宅せねば・・・
普段より少し早めの特急に乗り帰宅する。
妹のライブを聴き、二次会を大いに楽しみ、従妹とたっぷりおしゃべりして、伯父のお墓参りもするという充実した2日間が過ごせた!(大喜)
大いに満足、満足・・・(笑)

日記 | 17:05:42 | Comments(0)
確かに親父が正しいが・・・(汗)
無事に検査を終えてタクシーで帰宅する。
タクシーを降りて門のところまでヨチヨチ歩きで辿り着いた親父がパタリと動かなくなった!
いくら手を引いても頑として動こうとしない・・・

「この家・・・中に誰かいるのか?」
「いや、誰もいないけど・・・」
「それじゃ、入るわけにはいかねぇなぁ~」
「はぁ?何で?」(汗)
「誰もいないんだろ?」
「誰もいないけど・・・」
「誰もいないんじゃ~入るのはやめよう」
「何で?」
「何でって、留守なのに勝手に入ったらマズイだろ!」
「いいから早く入れって!」(怒)

玄関の前まで何とか引っ張ってきたが・・・
親父は体力を消耗してフラフラしている。
にもかかわらず・・・

「留守なんだよな?」
「留守って・・・俺と親父は、外にいるんだから、家の中には誰もいないけど・・・・」
「お前・・・留守の家に勝手に入るのか?」(唖然)

いや、いや、あれ?・・・どうして、そういう話になっちゃうかな?(大汗)
確かに留守の家に勝手に入るのは問題だろうけど・・・(苦笑)

「この家は、親父の家だぞ!」
「うそだぁ~・・・初めて見たぞ!」
「いや、いや、そんなことはないでしょ?」(苦笑)
「ここの旦那さんは何をしている人なんだ?」
「ここの旦那さんって・・・あんたですけど・・・」(大汗)
「え?・・・・言っていることがわからねぇなぁ~」

それは、こっちのセリフである・・・(涙)
どう説明すれば分かってもらえるのかねぇ~(涙)

強引に玄関の中に親父を入れる。
ここで倒られたら、どうやっても持ち上がりそうもない・・・(汗)
早く家の中に入ってもらわねば・・・(涙)

親父は玄関から奥を恐る恐る覗きながら・・・「見たことねぇなぁ~」と言う。
「いいから、上れって!」
「いいの?勝手に上がって?俺は知らねぇぞ!」
「いいんだよ!俺が認める!」(苦笑)
「本当だな?何かあっても俺は知らねぇからな!」(怒)
「おお!任せとけって!」(笑)

どうしてこうも疑い深いんだろ?
確かに他人の留守宅に勝手に入るのはマズイだろうけど・・・
そういう意味では、親父の言っていることは、確かに間違ってはいないんだけど・・・
参ったなぁ~・・・このボケには・・・

日記 | 22:31:37 | Comments(0)
親父のCT検査
先日、眼科医から直接電話がかかってきた。
総合病院の眼科医が患者に直接電話してくるなんて珍しいと思ったら・・・
CT検査を受けてくれという。
「こちらに来れませんか?来てもらわないと困るんですけど」と言う。
彼は若い眼科医である・・・
最近の若い人の言葉遣いがちょっと気になっていたが、この先生も同じ・・・
「困るんですけど」とは、どういう意味なんだろう?(苦笑)
最初から相手を責めるような言い方である。
拙者はまだ行けるとも行けないとも言ってないんですけど・・・(苦笑)

この医者が言うには、CT検査は当日来たらすぐに出来るから・・・とのこと。
それなら、先日の診察の時に、一緒に検査しておけばよかったのに・・・(怒)
わざわざ検査だけのために連れて行くというのは大変なんですけど・・・(汗)
たぶん、CT検査をするのを忘れたのだろう。
誰かに指摘されたのかも・・・
検査を受けないと困るのか患者の方だと思うのだが、どうも、医者の言い方では、医者の方が困るようである。(笑)
立場上、CT検査をするのを忘れたのがバレたのではマズイという感じ・・・(苦笑)
紹介状を書いてくれた眼科医に報告したら指摘されたのか、それとも彼より上の先生に指摘されたのか・・・
とにかく“困る”らしい・・・(苦笑)

正直言って、こちらも困るんですけど・・・(苦笑)
衰弱してフラフラしている親父を一人で抱えて行くのは、かなり大変なのである。
先日は、妹と二人がかりだったから連れていけたが・・・(大汗)
しかも、半ボケ状態の割には、頑固なところは変わらない・・・
嫌だと言い始めてぐずったら、これをなだめすかして、騙し騙し連れて行くのに一苦労なのである。
いやぁ~・・・突然、来てくれと言われてもねぇ~(大汗)

医者の方は「来れないんですか?何とかならないんですか?来てもらわないと困るんだよねぇ~」の連発・・・
さすがにカチンときたが・・・(苦笑)
やむを得ない・・・
今日、CT検査を受けるために親父を病院に連れて行くことにした。
しかし・・・拙者が運転して行くわけにはいかない。
病院の第1、第2駐車場はいつも満車・・・
一番遠くにある第3駐車場には余裕があるが、車を止めてから、フラフラしている親父をどうやって病院まで運ぶかが問題。
まず無理な相談である。
かといって病院の玄関に親父を置き去りにして駐車場に行くというわけにはいかない・・・
半ボケ親父がどんな行動をするか分かったものじゃない・・・(大汗)
二人がかりだったら何とかなるのだが・・・一緒に行ってくれる人はいない・・・(苦笑)
こういう時、独身って不便だなぁ~(笑)
嫁がいれば、嫁と二人で運べるんだけどなぁ~(笑)

というわけで・・・タクシーで病院へ行くことにしたが、このタクシーに乗せるまでが一苦労・・・(大汗)
グズる親父をなだめすかして、汗だくになってようやくタクシーに乗せる。

無事に病院に到着!
親父の発した言葉は・・・
「へぇ~立派な建物だなぁ~・・・あんたは、ここの会員なのか?」
「はぁ?・・・ここは病院だぞ、親父・・・」
「へぇ~何しに来たの?」
「検査だよ」
「検査?そりゃ~あんたも大変だねぇ・・・そうか、それじゃ、俺の方もついでに診てもらおうかなぁ~」
「いや、いや、あんたの検査で来たんだよ!」(苦笑)
「ええっ?俺、どこか悪いところがあるの?」
参ったなぁ~
ボケまくっている・・・(苦笑)

CT検査では担当者に「頭を動かさないでいられますか?」と尋ねられたが・・・
親父は認知症が進行して半ボケ状態である。
自分が置かれている状況は理解できていないと思う。(苦笑)
「たぶん・・・動かしちゃうと思いますよぉ~」と言うしかない。(大笑)
あとは、担当者にお任せ!

こういう検査も、認知症の人の場合、どうなんだろう?
皆さんはどうされているのだろう?
「高齢化社会」と簡単に言うけど、一つ一つ細かい点を見ると、かなり大変な“社会”だと思う。(大汗)
「頭を動かさないでください」と言われても認知症のせいで理解できないんだからなぁ~(大汗)
「高齢化社会」=「認知症社会」「痴呆症社会」と考えるべきかもしれない・・・
身障者向けのバリヤフリー以上の対応策が必要かも・・・

控室で待機していたら、何度もやり直しをしているようで・・・(汗)
かなり手こずらせている様子が、担当者のドタバタしている音から想像できる。(苦笑)
なんだかんだと、かなり時間がかかったが、なんとか検査は出来たようである。
一件落着・・・(ホッ・・・)

日記 | 22:04:58 | Comments(0)
90歳以上が200万人!(驚)
総務省の発表によると、今年の9月15日時点で、国内の90歳以上の人口が200万人を突破したという。
90歳以上の人口は1980年の12万人から年々増加して・・・
2004年に102万人となり・・・ついに今年、200万人を突破したという。
いやはやすごい人数だが・・・
現在、90歳以上の人は、戦中戦後の食糧事情の悪い時に子供時代を過ごしていたとかっていう人たちではあるまいか?
若い時に、あまり栄養を取ることが出来なかった人たちではあるまいか?
甘いものなど滅多に口にはできず、バナナなんて病気にならないと食べさせてもらえなかったとか・・・(笑)
そういう方々が、どうして長生き出来るのだろう?
不思議である・・・・

我が戦友会の生還者たちも、フィリピンで、あわや餓死するかもというところまで経験している。
我が祖父も泥水を飲み草を食べて戦ったと聞いたことがある。
それでも92歳まで生きた・・・
終戦時、祖父は栄養失調で死にはぐり、捕虜収容所の病院に収容されたらしい。
そういう人が92歳まで生きたのだから不思議に思った・・・
若い時には、あまり栄養は取らないほうがいいのかも・・・(苦笑)

いや、いや、自動車というのが、あまり普及していなかったのが良かったのかもしれない。
学校まで何キロも歩いて通った・・・なんていう話を聞いたことがある。
もしかしたら、若い時に、とにかく歩いた・・・ということが長生きに繋がっているのかも・・・

どうして長生きできるのか・・・そのことが知りたいものだ。(笑)
高度成長期に子供時代を過ごし、うまいものを食べ、車を乗り回して滅多に歩かない私などは、果たして長生きできるかどうか・・・
今は、90歳以上が200万人を突破したなどと喜んでいても、この方々が、この世を去った後、一気に平均寿命が縮まるのではなかろうか?
もしかしたら、私の世代など、70歳まで生きるのが限界・・・なんてことになるかも・・・
いずれにせよ、右肩上がりで、いつまでも90歳以上の人口が増え続けるなんて考えられないのである。
どこかでストンと落ち込むのではあるまいか?(大汗)

90歳以上が200万人を突破・・・もいいが・・・
問題は、その内容だろう・・・
長生きしていても寝たきり状態とか、意識不明とかでは・・・ねぇ~
そこそこ元気で・・・というのは、200万人のうち、どのくらいいるのだろうか?
そちらの方は統計を取っていないのだろうか?
意識不明の寝たきり状態で10年も20年も生きて90歳を超してます・・・なんていうのは私は嫌だなぁ~(苦笑)
高度な医療処置で“死なせてもらえない”というのも、私は嫌だなぁ~(苦笑)

同じ9月15日に、ギネスブックが認定している世界最高齢の女性が亡くなったという。
ジャマイカの方で、117歳だったという。
今年の4月にイタリアの女性で117歳の方が亡くなったので、このジャマイカの女性が世界最高齢となったらしいが・・・
この方の次はというと・・・日本国内最高齢の鹿児島の117歳の女性が、世界最高齢者に認定されることになるらしい。
日本では、この方を頂点に90歳以上が200万人以上いるということになる。
いやぁ~すごいものである。

第二次世界大戦という戦争を経験した世代がいなくなった後・・・
戦後生まれの世代は何歳まで生きることが出来るか・・・
ちょっと楽しみである・・・(笑)

エッセイ | 22:21:47 | Comments(0)
『人間魚雷 回天』


人間魚雷「回天」の変遷とメカニズム
   海軍工廠技術陣が総力を挙げて開発
      1 船体構造
      2 頭部
      3 操縦
      4 機関
   過酸化水素の生産不足により、開発半ばで中止  回天二型
      1 船体構造
      2 頭部
      3 操縦
      4 機関
      5 燃料の安定化
      6 回天三型
   呉海軍工廠技術陣だけが開発に成功  回天四型
      1 船体構造
      2 頭部
      3 操縦
   電池魚雷を改造し開発された小型人間魚雷  回天十型
      1 船体構造
      2 頭部
      3 電池室と蓄電池
      4 操縦

現存する回天

大東亜戦争 戦局の変化
   日米関係のさらなる悪化
   さらに南方へ進出
   後退の道を進む日本軍
   航空機や特殊兵器で体当たり攻撃
   戦艦「大和」率いる第二艦隊の壊滅

回天誕生
   黒木大尉と仁科中尉、運命の出会い
   特攻に身を投じる青年士官が自ら考案
      驚異的な性能を誇る九三式魚雷を改造
      脱出装置は基地に置いてゆく

回天搭乗員募集
   生還の望みはないと知りながら、新兵器への搭乗を志願した若者たち

回天基地開設
   人間魚雷訓練の拠点として4基地を開設
   大津島(おおづしま)、光(ひかり)、平生(ひらお)、大神(おおが)の各基地で「回天」の猛訓練を開始
      大津島基地
          突貫工事で居住施設を建設
          徳山湾に浮かぶ面積4.73㎢の島
      光基地
          工員養成所に基地を開設
          基地周辺は古くからの港町
      平生基地
          大竹潜水学校柳井分校の建物を利用
          瀬戸内海の多島美に抱かれた阿多田地区
      大神基地
          1年2ヵ月の工期をかけて建設
          基地跡に残る幾つもの岩穴

大津島基地での厳しい搭乗訓練
   試作艇3基で搭乗訓練をスタート
   5つの訓練コースで操縦技術を習得
   月明りを頼りに泊地攻撃訓練
   本番さながらの航行艦襲撃訓練

回天基地での訓練生活
   命をかけた搭乗訓練
   訓練中に開いた回天ハッチ
   沖合いに現れた戦艦「大和」
   「上陸」―故郷の風景に再会

回天隊、初の悲劇[黒木大尉・樋口大尉 殉職]
   「天候が悪いからといって、敵は待ってくれない」
   回天を生んだ黒木大尉、無念の殉職
   仁科中尉、黒木少佐を偲ぶ
   絶命までの壮烈な12時間
   黒木大尉が艇内で書き綴った事故報告ノート
   樋口大尉の遺書

潜水艦への搭載から、目標艦攻撃まで
   回天への乗艇
   敵艦轟沈に向け爆走
   港湾停泊艦攻撃
   航行艦襲撃

突入 その瞬間まで刻む命

回天作戦の全貌
   停泊艦襲撃から航行艦襲撃へと移行
   本土決戦に備えて、基地回天隊を配備

回天特別攻撃隊
   菊水隊
      基地隊総員が見守る中で執り行われた短刀伝達式
      戦友たちの見送りに、軍刀を振りかざし出撃
      黒木少佐の遺骨を抱いて乗艇した仁科中尉
      油送艦「ミシシネワ」を撃沈
      爆雷攻撃により、潜水艦もろとも沈没した伊号第37潜水艦
      「もう一度行かせてください」―悲願の再出撃を聞き入れた海軍少将
   金剛隊
      警戒が厳しく、突入を断念した伊号第56潜水艦
      「我々4人の代わりに、あの8人を助けてください」
      「回天金剛隊の歌」を斉唱しながら、発進
      回天の気筒爆発、自らの身を海底に沈めた久住中尉
      突入前夜、念願の南十字星を探す18歳
      全艇発進、弾薬輸送船「マザマ」に突き刺さった回天
      母の着物で作った座布団を敷き、出撃した予備学生
   千早隊
      硫黄島付近で消息を断った2隻
      母の夢まくらに立ち、今生の別れを告げた搭乗員
      47時間もの連続潜航に耐え、帰還した伊号第44潜水艦
   神武隊
      突如の作戦中止命令が下る
      空の若者たちの特攻を導いた伊号第58潜水艦
      金剛隊のときと同様、発進できず帰還した伊号第36潜水艦
   多々良隊
      潜水艦4隻態勢でえ沖縄戦に参戦
      「絶好の死場所を得るまでは、生死を超克していくのだ。」
      出撃後、連絡を絶った伊号第56・44潜水艦
      荒天と厳重な警戒に遭い、帰還した伊号第58潜水艦
   天武隊
      「人間魚雷の本領を発揮せよ」
      出撃艇の手入れに込めた松田二飛曹の思い
      三好大尉の遺骨を胸に発進した柿崎中尉
      「ど真ん中を狙え!成功を祈る!」
   振武隊
      出撃―青く澄んだ空に翻る鯉のぼり
      帰投命令にも、「あと1日の猶予を・・・・」
      次々と故障に陥る回天、そして過酷な発進
   轟隊
      伊号第36潜水艦の悲劇―出撃前の訓練中に、2人が殉職
      新妻に別れを告げ突入した池淵中尉
      艇の故障に2度も泣いた久家少尉が突入
      消息を断った伊号第165・361潜水艦
      搭乗員を思いやる木原艦長
   多聞隊
      駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈した勝山中尉
      爆雷攻撃の中―「回天を出してください!」
      原子爆弾を運んだ「インディアナポリス」を撃沈
      「行くか」「はい、行きます」
      「私は帰れません!」―帰投命令を拒んだ藤田中尉
      台風で流出した回天、失意の帰還
      ソ連参戦で、日本海方面へ
   神州隊
      終戦を知らぬままの出撃
      橋口大尉が打電した帰投命令
   白竜隊
      本土決戦に備えた重点配備基地
      歓呼の声に見送られ、いざ出撃
      「敵潜水艦の攻撃を受けたるものと・・・・」

終戦後も米軍を恐れさせた、見えない脅威「回天」

橋口大尉、松尾少尉の壮烈な最期

出撃を前に、若き命を散らした15人の搭乗員たち
   中島健太郎中尉、宮沢一信少尉
   矢崎美仁二飛曹
   三好守中尉
   阪本宣道二飛曹
   十川一少尉
   入江雷太一飛曹、坂本豊治一飛曹
   楢原武男一飛曹、北村鉄郎一飛曹
   山本孟少尉候補生
   和田稔少尉
   井手籠博一飛曹、夏堀昭一飛曹
   小林好久中尉

回天作戦による戦没搭乗員

遺書・遺稿 回天搭乗員 魂のメッセージ

人間魚雷回天 展示施設


今年の読書:50冊目



読書 | 18:11:24 | Comments(1)
犬の殺処分数、全国ワースト3位!
昨年度の我が茨城県の犬の殺処分数が全国ワースト2位から脱却し、ついにワースト3位になったという。
喜んでいいのやら悲しんでいいのやら・・・である。
2005年から2012年までは全国ワースト1位!(唖然)
2013年から2015年までは全国ワースト2位・・・
そして今回の2016年度は全国ワースト3位となったという。
減少傾向にあるというが、これは飼い主への啓発活動と、譲渡先を探すボランティア団体の協力のおかげだと県は言っているが・・・
本当だろうか?(大汗)

ずいぶん昔のことであるが・・・
我が町に「ゴミを減らす課」というのが出来た。(通称名だったかもしれない・・・今は存在していないと思うが・・・)
青年代表として、この「ゴミ減量」の成果を報告する会議に出たことがある。
課長さんは「目標を達成しました」と自慢げに報告していたが、質疑応答の時に発言をさせていただいた。
「ゴミ減量」は大いに結構だが、実態はごみ焼却場への家庭ゴミの持ち込みを制限していた。
例えば、蛍光灯は1本だけ、残りは持ち帰れと言われて受け入れてもらえなかった。
受け入れを制限することで「ゴミを減らせた」というのはおかしいのではあるまいか?
結局、受け入れを拒否されたゴミはどうなったか・・・
山の中のゴミ焼却場に向かう道路の脇に投げ捨てられているのである。
いわゆる「不法投棄」・・・(大汗)
わざわざ持ってきたゴミを「持ち帰れ!」と言われて素直に自宅に持ち帰る人は少ないだろう。(苦笑)
帰り道に、ドンドン道端にゴミを放棄して帰って行ったのである。(大汗)
ゴミ焼却場の職員も通勤で使用する道路わきにである。
これを課長が知らぬわけは無かろう?
「こういう実態をご存知ですか?」
「ゴミ焼却場への持ち込みを制限することが、ゴミを減らしていることになるのでしょうか?」
「その代わりに不法投棄が増えているんですけど・・・これをどうお考えですか?」
と発言したら・・・課長に睨まれた・・・(唖然)
ゴミの受け入れを制限すれば、そりゃぁ、焼却場で焼却されるゴミの量は減るよなぁ~(苦笑)
でも、それは、本来の「ゴミの減量」にはならないのではなかろうか?
その後、改善されたのだろう、そういうことは一切なくなったが・・・・
もう何十年も前のことだが、当時は“数字”さえ目標値に達すれば、それでいいという考え方だったのだろう。

この間は、私の友人が野良猫に噛まれそうになった。
かなり凶暴な猫で、襲ってきたという。
大人は何とか対処できるが、幼児が襲われたら大ごとだということで、県の、そういう動物保護をするような施設に連絡をしたらしい。
が・・・
担当者から「引き取らない」と断られたという。
凶暴で危ないから何とかしてくれと言ったらしいが、帰ってきた答えは「そちらで処理してください」とのこと。
つまり、受け入れない、引き取らない、捕まえには行かない・・・ということである。
「そちらで・・・」ということは、勝手に殺せということかと尋ねたら、答えなかったそうであるが・・・
もし、こういうやり方をしているなら、県としては殺処分をする犬・猫を減らせるよなぁ~(唖然)
全国ワースト1位から順次改善されてワースト3位になったと言われても、素直に喜べないなぁ~
あのゴミ焼却場の例をついつい思い出してしまうのである・・・・(大汗)
本来ならば、犬・猫の保護数にたいする殺処分数の“割合”で考えるべきではなかろうか?
受け入れを拒否すれば、自動的に殺処分数も減るわけだから・・・それじゃダメなんじゃないかなぁ~(大汗)

ところで・・・
動物園には何で犬や猫がいないんだろ?(笑)
犬も猫も動物なんだけど・・・
象やキリンなどだけが“動物”ということでもあるまい?(大笑)
動物園に犬・猫を保護する施設を併設して・・・
飼えなくなった犬・猫は動物園に持ってきてもらって保護し、犬・猫が欲しい人には、格安で売ってあげるとかタダであげるとかって出来ないのだろうか?

もしくは・・・
条例で強制的に“義務”として犬や猫の避妊や去勢をさせる。
違反者には罰金を課して、その罰金は保護している犬・猫の“生活費”に回す・・・(大笑)
どうしても避妊や去勢をさせたくない場合は、有料の許可制とする。
こうすれば・・・そのうち自然減となり、保護されたり殺処分される犬・猫は減るんじゃなかろうか?
避妊や去勢を強制するのは人権上(犬権?猫権?)問題があるかもしれないが・・・
この世に生まれてきてから殺処分するよりはいいと思うのだが・・・
茨城県としては昨年の12月に「県犬猫殺処分ゼロを目指す条例」が成立したのだそうだが・・・
それって、ただの“スローガン”なんじゃないの?(苦笑)
「殺処分ゼロを目指しましょぉ~!」って・・・スローガンでしょ?(苦笑)
“目指す”ということは、達成しなくても問題はないということですよね?(汗)
“目指す”ことが目的という条例って・・・いかがなものか・・・

いずれにせよ、ただただ殺処分数を減らせばいいという“数字”だけにこだわらない“施策”を取ってもらいたいものである。

エッセイ | 02:48:42 | Comments(0)
『時の旅 四百年 佐竹氏入部』


発刊によせて  秋田魁新報社 代表取締役社長 佐藤暢男

入部への序章
   常陸54万石から左遷
     国替えの命に驚がく
4つのルート
   「江戸・奥州道」が有力
     騒動恐れ「影武者」説も
     家臣らは終結後、北上
残されし人々(上)
   家臣末裔 ルーツ探し
     苦難の歴史ひもとく
残されし人々(下)
   “祖歴”を求め秋田へ
     東義久への思い強く
安東氏 その後(上)
   「秋田」の姓、連綿と
     宍戸経て三春城主に
安東氏 その後(中)
   「実」を捨て生き残る
     200年余三春藩で治世
安東氏 その後(下)
   歴史しのび住民交流
     「功績、語り伝えたい」
久保田築城①
   心機一転の領内支配
     「最上対策」も根底に
久保田築城②
   明確な都市計画持つ
     義宣、水戸での志貫く
久保田築城③
   川堀り替え 防備強化
     城直下から西へ移す
久保田築城④
   「内町」「外町」を隔てる
     新河川に外堀の機能
久保田築城⑤
   町割と一体化の構想
     中央集権の確立急ぐ
久保田築城⑥
   都市整備計画の核に
     現在に通じる先見性
久保田築城⑦
   堀や土塁の名残 今も
     堅固な造りの平山城
久保田築城⑧
   湊と直結の新道開削
     語り継がれる「靱負」
久保田築城⑨
   城下発展の一翼担う
     本丸跡に「靱負紀功碑」
町割・内町編①
   城を起点に5つの廓
     武士は身分順に居住
町割・内町編②
   農家 数カ所に集める
     楢山に「百姓屋敷」も
町割・内町編③
   慶長年間 原型完成か
     「3段階で工事」説も
町割・内町編④
   義宣自ら“陣頭指揮”
     豊富な木材資源活用
町割・内町編⑤
   広大だった梅津屋敷
     供養碑建立、業績今に
町割・内町編⑥
   東家の玄関 遥拝殿に
     遺構は今、倒壊の危機
町割・内町編⑦
   “転勤”重ね久保田へ
     塩谷氏、藩政の中核に
町割・内町編⑧
   藩政期の姿を現代に
     黒澤家を移築し復元
町割・内町編⑨
   家格が屋敷構え規定
     敷地や門など詳細に
町割・内町編⑩
   城西側に“総合庁舎”
     表方の諸機関を集約
町割・内町編⑪
   縁辺に置かれた足軽
     防衛の“最前線”担う
町割・内町編⑫
   多彩な機能の下屋敷
     舟運活用で川沿いに
町割・外町編①
   土崎湊から有力商人
     大町に、その後茶町に
町割・外町編②
   通町、大町 二階建てに
     威厳持たせた街道筋
町割・外町編③
   家督制採用 商い保護
     町ごとに「営業特権」
町割・外町編④
   参勤交代担う伝馬役
     間口に応じ公役課す
町割・外町編⑤
   馬口労町の商家潤う
     水・陸運に恵まれる
町割・外町編⑥
   妻入りの町屋連なる
     コミセが交流の場
町割・外町編⑦
   膨らんだ借家・長屋人
     経済を下から支える
町割・外町編⑧
   物流網を担った旭川
     住民の生活用水にも
町割・外町編⑨
   “職人の音”響いた町
     いなせで奔放な気風
町割・外町編⑩
   活況呈した“食料町”
     寺町近くに花街繁栄
町割・外町編⑪
   町人層を束ねた庄屋
     髪結いが悪者吟味役
町割・外町編⑫
   市で栄えた交通の要
     老舗が残る通町通り
町割・外町編⑬
   庶民を見守った神社
     今も息づく講や行事
町割・寺町編①
   城下防衛の前線担う
     40寺を強制的に集積
町割・寺町編②
   敵襲に備え階段状に
     陰陽道も鑑み配置か
町割・寺町編③
   謹慎者受け入れ弁護
     地域に根差した寺院
天徳寺物語(上)
   再三火難の憂き目に
     名実とも藩内最高位
天徳寺物語(下)
   威容誇る佐竹家霊屋
     義宣ら3代は地下に
郊外編・八橋(上)
   藩内随一の“繁華街”
     街道沿いに店ずらり
郊外編・八橋(下)
   総鎮守の繁栄 今は昔
     人形作りも後継者難
郊外編・御野場、御所野
   義宣ら鷹狩り楽しむ
     原野開き新田や村に
郊外編・川尻
   活況呈した舟運基地
     財政潤した鋳銭座も
郊外編・寺内
   連綿と古四王を信仰
     色濃い真澄の「足跡」
郊外編・土崎湊(上)
   城下しのぐ繁栄ぶり
     北前船で多大な利益
郊外編・土崎湊(下)
   “湊っ子”を育てた海
     役銀が藩財政を潤す
秋田藩・湯沢編(上)
   要衝に南家善種入城
     町割、水田開発に尽力
秋田藩・湯沢編(下)
   銀山と舟運で急成長
     政治経済の中心地に
秋田藩・大館編(上)
   北の守り担った西家
     町名に“往時の歴史”
秋田藩・大館編(下)
   給士は別経路で入城?
     意外な足取り浮かぶ
秋田藩・角館編(上)
   芦名氏、町の原形築く
     悲話残し3代で断絶
秋田藩・角館編(下)
   北家、京の風情を醸成
     初代義隣は公家出身
秋田藩・能代、檜山編
   豊富な秋田杉を移出
     海運業栄え町割進む
秋田藩・横手編
   「最上対策」考え支城
     須田氏、町づくり推進
秋田藩・六郷編
   今も残る義重の恩恵
     治世に力、繁栄の礎に
亀田藩編
   船税めぐり100年論争
     幸村と縁深い岩城氏
本荘藩編(上)
   “飛び地”象潟治める
     景勝守った僧・覚林
本荘藩編(下)
   240年余、六郷氏が支配
     楯岡氏の“遺産”継ぐ
矢島藩編
   讃岐から生駒氏移封
     教育や馬産振興に力
盛岡藩鹿角編
   資源めぐり藩境争い
     館預りに重鎮充てる
江戸編(上)
   豪壮な上屋敷構える
     家紋入り「鐙瓦」出土
江戸編(下)
   謎多い正洞院の“死”
     義宣、2カ寺建て供養
特別編(上)
   相次いだ藩主の急死
     継承めぐり毒殺説も
        義宣の“素顔”は
        時代読んだ義重
        「秋田騒動」の闇
特別編(中)
   花開いた「秋田蘭画」
     源内、直武を見いだす
        直武の波乱人生
        巨大風船と源内
        藩主・義敦の評価
特別編(下)
   不遇な死遂げた正純
     派閥闘争に敗れ配流
        横手の「上野台」
        「月印五本骨軍扇」
        義峯のフキ自慢
農業編①
   貢租確立急いだ義宣
     3度の「検地」を実施
農業編②
   重税にあえいだ農民
     飼料や人足まで負担
農業編③
   100年で17万石余開田
     一村興した渡部斧松
農業編④
   時代性映す撫斬事件
     傘形連判状で結束も
農業編⑤
   飢饉に苦しんだ農民
     藩境越え流民の群れ
農業編⑥
   歴史に残る北浦一揆
     藩政への不満が爆発
林業編(上)
   藩財政の重要な柱に
     乱伐が進み資源枯渇
林業編(中)
   筏組み米代川を流す
     夫役負担重く訴訟も
林業編(下)
   海岸線に一大砂防林
     定之丞らの苦労実る
鉱業編①
   活況呈した鉱山王国
     全国から労働者流入
鉱業編②
   院内銀山好況に沸く
     活気あふれる町形成
鉱業編③
   海を渡った阿仁の銅
     長崎貿易の主役担う
鉱業編④
   芸能、食文化栄える
     同職組合「友子」も誕生
商業編
   農村地域に商人台頭
     上方との直接取引も
漁業編
   ハタハタ肥料に活用
     八郎潟では氷下漁業
酒造編
   豊富なコメ用い隆盛
     今に生きる伝統の技
街道編(上)
   義宣 領内整備に着手
     「羽州」ルート変更も
街道編(下)
   尾花沢に残る佐竹道
     参勤交代時の本陣も
海運・舟運(上)
   コメや銅積み上方へ
     藩経済支えた北前船
海運・舟運(下)
   物流の“大動脈”雄物川
     穀倉地帯抱えて活況
下野領編
   江戸屋敷支えた飛地
     神社や用水路に名残
暮らし・風俗編(上)
   庶民に広がった娯楽
     芝居見物、旅行に人気
暮らし・風俗編(中)
   町人集い「ねぶり流し」
     竿燈の源、豊作も祈願
暮らし・風俗編(下)
   質素だった「食」と「衣」
     多様な餅、正月を飾る
教育編(上)
   藩校「明徳館」を創設
     組織的に人材を育成
教育編(下)
   寺子屋に庶民が集う
     女子も作法など学ぶ
総集編
   随所に先人の「遺産」
     未来を切り開く糧に

秋田藩および近隣諸藩(領)関連年譜


多岐に渡って、わかりやすく書かれていて読みやすく、内容も面白かった。
こういう構成の本も面白い。


今年の読書:49冊目



読書 | 23:17:29 | Comments(0)
福岡の慰霊祭に行けない!(涙)
今日は、福岡でガダルカナル島で全滅した部隊の慰霊祭がある。
毎年、この日に行われている慰霊碑だが、ここ数年、都合が合わず欠席していた。
今年こそは行けるかなと思ったら・・・
親父のおかげで、どう考えても行ける状態ではなくなった。
今までならば、1日に1回か2回、ヘルパーさんに来てもらって、親父の様子を見てもらうという程度で済んだが・・・
こうも衰弱されると・・・ちょっと一人で留守番をさせるというわけには行かない。
しかも瞼は“お岩さん”状態で片目しか見えない・・・(汗)
これじゃ行くわけにはいかないなぁ~(涙)

以前、この部隊の遺族会と一緒にガダルカナル島へ行ったので、その縁で福岡で開催される慰霊祭にも顔を出したが・・・
こういう“縁”は大切にしたいと思っていただけに、残念である。
まぁ、仕方がないか・・・・
自腹を切ってまで、わざわざ拙者が参列しなければならないという理由はない・・・
ただただ自己満足で参列しているだけのことなのだから、拙者が参列しないからといって誰も気にする人はいないだろし、誰かに迷惑をかけるわけでもない・・・
直接関係している戦没者の遺族ですら、年々参列しなくなっているのだから、遺族でもない拙者が必ず参列しなくてはならないということもなかろう。

今年こそは時間が取れるから行こうと思っていたので、なんとも気持ちが落ち着かぬが・・・
ここは親父を一番に考えてやらねばなるまい。
というわけで・・・福岡行きは断念する。(涙)

日記 | 21:13:19 | Comments(0)
中国公船の挑発・・・
尖閣諸島が国有化されて5年を迎えた。
が・・・
中国公船による領海侵入などの挑発行為は常態化しているという。
尖閣諸島は国有化しようとも中国には何の影響も与えなかったということか?

昨年度、海上保安庁は尖閣諸島警備の専従体制を作り、大型巡視船を12隻も配備した。
石垣海上保安部を全国最大規模の約700人態勢にもした。
が・・・
中国公船の領海侵入は毎年30件台のペースで推移しているという。
海上保安庁の巡視船12隻は“張り子のトラ”もしくは“田んぼの中のカカシ”ということか・・・(大汗)
何をされても手も足も出ない・・・手も足も出せないのである。
悲しいかな・・・であるが・・・
かといって、この中国の挑発に乗ったらおしまいである。
大戦中、中国は散々日本を挑発し、それに日本が乗ったがために日本は“悪者”扱いをされるようになった。
今回も同じパターンである。
散々挑発して日本が実力行使をすることを待っているとしか思えない。

これに対処するには・・・
裏で、かなり汚い手を使うしかない。
右手で握手しながら左手にはナイフを握るということをするしかない・・・
これが国際政治というものだろう。
ニコニコしながら握手して、相手が逃げられないようにして・・・(笑)
ニコニコしながら、左手に持ったナイフで何度も相手を刺すのである。(笑)
あとは、出血多量で相手が死ぬのを待つ・・・(大汗)
反日国家・中国は既にそれを実行している。
さて・・・潔癖症で真面目な日本人に、中国と同じような汚い手が使えるかどうか・・・

エッセイ | 02:16:07 | Comments(0)
『陸軍航空隊全史』


第1章 あけぼの

1 陸軍航空隊の夜明け
     シベリア出兵
     航空兵科の独立
2 日華事変の勃発まで
     錦州爆撃事件
     上海事変
     少年飛行兵の登場
     陸軍航空隊の仮想敵はソ連
     雪の2・26事件
3 常勝の日華事変
     華中・華南での戦い
     中国機、日本本土を空襲
     重慶爆撃とイ式重爆
     第3飛行集団、設定さる
4 ノモンハンでソ連と交戦
     問題となったタムスク大空襲
     ホロンバイルで大敗北
5 飛行戦隊と開戦準備
     飛行団と飛行集団

第2章 太平洋戦争の勃発

1 南方進攻作戦
     当時の状況
     二つのエリート集団
2 痛快なマレー作戦
     エンドウ泊地で反撃さる
     シンガポール総攻撃
     ああ飯沼飛行士
3 フィリピン攻略も順調
     コレヒドール要塞、大爆撃
4 蘭印作戦
     危なかったカリジャチィ飛行場
5 ビルマ進攻
     マグウエ航空せん滅戰
     加藤隼戦闘隊長の死
     蒋介石、危うし

第3章 好取り組みの時代

1 飛行師団の誕生
     陸軍飛行兵の身の回り
     東京、空襲さる
     その後の兵備計画
     雨の学徒出陣
2 太平洋戦争下の中国戦線
     香港島攻略
     長沙作戦の苦闘
     飛行機事故で大作戦中止
     恐るべきフライング・タイガー
     米第10空軍と第14空軍の創立
     第3飛行師団長、撃墜さる
     大陸打通作戦
     副大統領機を撃墜せよ
     B-29を防げ
3 撃墜王が輩出したビルマ航空戦
     ビルマのイギリス空軍
     ウインゲート空挺旅団
     「ロッテ戦法」の採用
     ビルマの撃墜王
     ラモウ守備隊の玉砕

第4章 押し戻される日本軍

1 ラバウルの第6飛行師団
     渇望される20ミリ機関砲
     陸軍機はなぜ海を飛べないのか?
     レンドバ島重砲への大戦果
2 ニューギニアに二つの飛行師団
     ホラ吹きケニー
     板花中将、ニューギニアへ
     第7飛行師団の応援
3 第4航空軍の苦杯
     ウエワクの悲劇
     フィンシハーフェン防衛
     ホーランディアの危機
     ホーランディア上陸さる

第5章 苦境にたつ日本空軍

1 陸軍機、初の体当たり
     米潜水艦撃沈
2 油田を守る第9飛行師団
     英空母機、来襲す
     英掃海艇に体当たり
3 霧の第1飛行師団
     ソ連軍との戦い
     対潜パトロールの陸軍機
     大本営直属の第1航空軍
     陸軍雷撃隊の誕生
4 北満州の守り
     ソ連軍、突如、侵入す
5 米機動部隊の来襲
     米第38機動部隊
     10月10日以降の大空襲
     陸軍雷撃隊の出動
     第8飛行師団と台湾沖航空戦
     海軍機を護衛して

第6章 ああ、特攻

1 レイテ島を防衛せよ!
     ネグロス島航空要塞
     レイテ航空総攻撃(10月24日)
     10月25日以降
     第30戦闘飛行集団、到着す
     オルモック湾の戦い
2 陸軍特攻の開祖
     その後の特攻隊
     隼特攻隊の登場
     第2飛行師団長、解任さる
     ネグロス要塞、危うし
     哀れ100式重爆呑龍
     敵ミンドロ島に進出
     敵撃墜王を倒す
3 第4航空軍司令官、逃亡す
     航空部隊、台湾へ撤兵
     建武兵団の地上戦
     なぜフィリピンで敗れたか?
     第4航空軍の解隊

第7章 空挺部隊かく戦えり

1 その誕生と装備
     痛快なパレンバン降下
     ビルマでの作戦中止
2 出血のレイテ島
     ああ薫空挺隊
     高千穂空挺隊の降下
     タクロバンとドラッグへ
3 壮烈、沖縄へ斬り込み
     義烈空挺隊、散華す。
     剣作戦、中止となる

第8章 本土防空作戦

1 北九州を守れ
     大阪・神戸の防空
     B-29に初めて体当たり
2 帝都上空の空中戦
     なぜB-29は墜ちなかったのか?
     震天航空隊の誕生
     火災による無差別爆撃
3 ああ、原子爆弾
     重爆隊の反撃
     荒馬、現る
     撃墜王の死(7月)
     ああ、原爆
     最後の空中戦

第9章 沖縄特攻

1 緒戦、敵旗艦に体当たり
     第6航空軍
     航空総攻撃の開始
     第3次航空総攻撃
2 疲れきった第6航空軍
     第4次航空総攻撃
     第5次航空総攻撃
     さくら弾、戦果なし
     沖縄、放棄
3 台湾の第8飛行師団

第10章 本土決戦

1 「剣」や哀れ

あとがき


今年の読書:48冊目



読書 | 23:21:09 | Comments(0)
親父を診察に連れて行く
今日、いつも親父が通っていた眼科からの紹介状を持って総合病院に親父を診察を受けさせるため向かう。
ついでに往診に来てくれている内科医からも紹介状をもらったので、それも持参・・・
今は紹介状がないと大きな病院は、なかなか受け付けてくれないのだそうだ。
紹介状なしで受診する場合は、5千円だか、いくらか多くお金を払わないといけないのだとか・・・(唖然)

昨晩、東京から妹が来てくれ、二人がかりでフラフラの親父を病院に連れて行く。(大汗)

この総合病院の眼科に見てもらったが・・・
まずは、MRIの検査をしようとのこと、その後、腫瘍の細胞を切り取って生研して悪性の腫瘍かどうかを判定するという。
で・・・そのMRIの検査は27日とのこと。
あらぁ~・・・ずいぶん待たされるんだぁ~(汗)
今までの様子からして、この瞼の腫瘍は、これからもドンドン大きくなっていくと思うんですけど・・・(汗)
最短で検査ができる日は27日しかないと言われれば従うしかない。
それだけ、世の中にはMRIの検査を受ける人が多いということか・・・(唖然)

生研に送る細胞を切り取る“手術”は来月の20日だという。
これまた、ずいぶん先の話だが・・・
その日しか空いてないと言われれば従うしかない・・・
親父は半分ボケている。
「細胞を切り取る間、じっとしていられますかね?」と医者に尋ねられたが、拙者にはわからない。
その時の、親父のボケ具合では、どうなるか・・・
いきなり頭を動かしちゃうかもしれないし・・・(汗)
それじゃ、全身麻酔で・・・ということになるのだが・・・
本人の心臓に問題があるのと、衰弱をしていることが気になる。
この状態で全身麻酔はマズイだろう。
医者も局所麻酔を考えているという。
とにかく、これからの検査、診察、入院の打ち合わせをして帰宅する。

来月は法人会の全国大会に参加するため福井に行く予定だったが・・・
来月は何だかんだで、とてもじゃないが行ける状態ではなくなった。(大汗)
拙者の予定は総てキャンセルするしかないな・・・(涙)
事務局へ連絡して、全国大会参加取り止めを伝える。
会報に載せる全国大会の記事は毎年、拙者が書いているが、今回は誰か他の人に頼むしかない。
福井のホテルの予約もキャンセル・・・
まぁ、仕方がないな・・・

夜、歯科医の”キタミさん”と飲み会。
これは以前から予定していたもの・・・
妹が今晩泊まって親父の面倒を見てくれるというので、こちらは予定通り飲みに出かけることが出来た。(喜)
いやぁ~助かった・・・(笑)

日記 | 21:33:01 | Comments(0)
今日は東京!
今日は午後に上京!
久しぶりに“カジさん”と食事会である。(嬉)
我が戦友会の遺族会員でもある“カジさん”も、昨日お会いした“ムラテさん“同様、拙者の兄貴分的存在の人で、ついつい甘えてしまうのである。(笑)
今回も、またまた夕食をご馳走になり、いつものコーヒーショップで、おしゃべりをする。
こういう時間が拙者には一番の気分転換となる。
本当にありがたい・・・・
感謝、感謝である。
今晩は東京に一泊・・・・

日記 | 21:24:44 | Comments(0)
30年ぶり(?)の再会!
今日は朝10時に33年前に知り合った“友人”と会う予定・・・
33年前にアメリカに語学留学していた時に知り合った“友人”であるが、年齢は拙者よりずっと(笑)上の方である。
この友人・・・“ムラテさん”は、短期の語学留学で、たぶん、1か月程度のお付き合いだったと思う。
知り合って間もなく帰国された。
その後、拙者も帰国し・・・たぶん30年ぐらい前になると思うが、拙宅の近くに出張で来た時にお会いした。
それ以降は、年賀状のやり取りだけのお付き合いだったが・・・
今回、また出張で近くまで来ているという。

我が町から各駅停車の電車に乗って30分弱で待ち合わせの駅に到着!
“ムラテさん”はホテルをチェックアウト後、名古屋に帰るまでに1時間しか余裕がないという。
その1時間だけでも、おしゃべりしようということで会うことにした。
親父のほうは、午前中に看護師が訪問してくれる予定なので、大丈夫・・・(笑)

30年ぶりの再会か!(大喜)
ワクワク、ドキドキだが・・・
よく考えたら、拙者が記憶している“ムラテさん”は30年前の若き日のお姿・・・(失礼!)(大笑)
あら・・・昔の顔しか覚えていない・・・(大汗)
大丈夫だろうか?・・・ちゃんと会えるだろうか?

改札を出たところで、声をかけられた!(驚)
ああっ!“ムラテさん”!!(大喜)
「君は変わらないねぇ~」と言われたが、“ムラテさん”も昔の面影が残っていた。(笑)
駅前のコーヒーショップで、おしゃべり・・・
わずか1時間だけだが、話が弾む。
なんでだろう?
わずか1カ月程度のお付き合いだったのだが・・・
アメリカでは“ムラテさん”は拙者の兄貴分だった人・・・
久しぶりに従兄にでも会ったような気分なのである。(笑)

学校の同級生ともなれば、少なくとも1年間のお付き合いをしているはずなのだが、なぜか同級生と会っても、ここまでは話は弾まない。
これが不思議である。
知り合った場所がアメリカだということもあるのかも。
短期間のお付き合いだったが中身が濃かったのかも・・・(笑)
33年前のことなど、ほとんど断片的な記憶しか残っていないのだが、なぜか話が弾む。
というより・・・ほとんど拙者が一人でしゃべりまくっていた感じ・・・(苦笑)
いやぁ~懐かしいなぁ~・・・嬉しいなぁ~・・・である。
やっぱり年賀状は大事だね。
年賀状のやり取りが続いていたから、今日の日を迎える事が出来たんだからね。

あっという間に1時間が過ぎ、特急列車に乗って帰る“ムラテさん”をホームで見送って帰宅する。
なんと充実した1時間だろう!
貴重な時間をくださった“ムラテさん”に感謝、感謝である。

日記 | 17:24:52 | Comments(1)

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