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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『中国に夢を紡いだ日々』


まえがき

Ⅰ はじめての訪中で折り紙つき親中派に
     「戦後民主主義」のメッカに入社
     「長すぎた春」
     60年安保前年の訪中―1959年4月6日~5月13日
     後で分かった、考えた

Ⅱ 文化大革命支持で党除名
     60年安保とは何だったのか
     深まる中ソ対立
     文化大革命始まる

Ⅲ 二度目の訪中、文革の見直し
     「あさま山荘事件」直後の再訪中―1972年3月18日~4月6日
     日本、中国との国交樹立―芽ばえ始めた違和感
     後で分かったこと
     文化大革命を振り返る
     文革、終熄す

Ⅳ 改革開放、天安門事件、「日中友好」との訣別
     鄧小平の時代来る
     ナマの中国人とつきあう
     「右派分子」だった中国人
     民主の壁、そして天安門事件
     「日中友好」との訣別

Ⅴ 江沢民反日政策への疑問、「拉致」の打撃
     北京での1年
     「反日」教育の成果―「抗日戦争勝利50周年」
     金正日、日本人拉致を認める―私には二重の打撃
     北は「善」、南は「悪」
     初の韓国行き
     『現代コリア』のお手伝いを始める
     いろいろ見えて来たこと

Ⅵ 幻想の「日中友好」
     中国の反日行動たかまる
     2008年の中国
     2009年の中国
     うっかり病気になれない中国、アメリカも
     「認識には過程がある」、自立した思考を

Ⅶ 中国点描
      1 北京だより
      2 浪費と虚栄
      3 「旅行大国」中国
      4 早春の北京
      5 北京の日本人
      6 カギの国
      7 ハードとソフト
      8 1年ぶりの北京
      9 コピーの国
     10 やっぱり中国人が好き
     11 中国人のここがキライ
     12 中国人と戸籍
     13 北京の住宅
     14 「ちがい」を楽しむ
     15 散砂の民
     16 この夏、中国の旅で
     17 中国への親近感について
     18 秋の北京へ
     19 中国の高齢者
     20 科挙の国(その1)
     21 科挙の国(その2)
     22 下崗
     23 1年ぶりの北京
     24 汚職体質
     25 裴斐先生を憶う
     26 変わる北京、変わらぬ北京
     27 格差社会
     28 2年ぶりの北京
     29 へなへなの国

あとがき


著者は、「戦後民主主義」のメッカと呼ばれた岩波書店に入社した人・・・・
岩波書店が「戦後民主主義」という左翼だと初めて知った。(苦笑)
そして著者は組合運動の活動家になり、共産党員にもなって、「中華人民共和国」大好き人間となったらしい。
が・・・・そのうち、中国の実態を知ると、今までの“熱病”に変化が起こった。
著者は天安門事件がきっかけとなり日中友好協会を脱会した。
この事件で親中の人たちは冷や水を浴びた感じだったのではないかと思う。
それでも、“媚中”のままでいる人の気が知れないが・・・(苦笑)
まともな人なら・・・「おや?」と思うだろう。
中国は素晴らしい国だと信じていたのに、あの事件なのだから・・・・
著者には今年、たぶん90歳近くになるとおもうが、一度だけお目にかかったことがある。
中国大好き人間が、どのような経過で、中国を冷めた目で見るようになったのか、ご自身の半世紀の検証を試みた回顧録が本書である。
いわゆる左翼から右翼に“転向”したというわけではなさそうで、今でも中国共産党が支配する「中国」ではなく、広い意味での「中国」は好きなようである。
どっぷりと共産主義に浸った人が冷めた目で見た「中国」という面白い本である。


今年の読書:45冊目



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読書 | 10:29:52 | Comments(0)
『北一輝論』


Ⅰ 北一輝解釈と時代背景

Ⅱ 「国体論」の粉本

Ⅲ 史的「乱臣賊子」論

Ⅳ 明治天皇と天智天皇

Ⅴ 「改造法案」の自注

Ⅵ その行動軌跡の示すもの

Ⅶ 北一輝と西田税

Ⅷ 決行善後

Ⅸ 断罪の論理

対談 ある国家主義者の原像 (久野収・松本清張)


北一輝に興味があって読んでみたが・・・・
松本清張の文章って、こんなに難しかったっけ?・・・・というのが第一印象。(苦笑)
なんだか、わかったような・・・わからなかったような・・・で読み終える。
かなり読解力が衰えてしまったような気がしてならない。


今年の読書:44冊目



読書 | 00:43:56 | Comments(0)
『太平洋戦争終戦の研究』


まえがき

 1 原爆の決断
       原爆予知と恐怖
       原爆開発の決断
       遅々たる進展
       日本の原爆

 2 痛恨の開戦
       開戦への道
       最後の点火
       近衛文麿の悲嘆
       ハック痛恨の書簡
       ルーズベルトの憤激
       チャーチルの歓喜
       真珠湾作戦の利害得失

 3 驕兵久しからず
       戦訓生かされず
       ミッドウェーの大敗

 4 アメリカ海軍の首脳
       日米海軍最高人事の優劣
       キング
       ニミッツ

 5 原爆の進展と開発攻防戦
       マンハッタン計画のスタート
       徹底した機密保持
       ドイツ原爆への妨害作戦

 6 やむにやまれぬ特攻
       日本海軍の暴走
       日本潜水艦戦の失敗
       特攻への発端
       米日海軍の客観情勢

 7 崩れゆく戦線
       ギルバート、マキン、トラックの悲惨
       特四内火艇と㊅兵器
       連合艦隊司令部全滅
       あ号作戦の大敗と米日潜水艦の明暗
       特攻本格化す
       大海指発令
       特攻部の発足と桜花部隊創設

 8 捷号作戦と神風特攻
       捷号作戦
       神風特攻隊出現
       天皇と特攻

 9 水中特攻「回天」の戦い
       回天作戦準備指令
       海底の悲歌
       ウルシー礁内の劫火

10 航空特攻、海上戦の主力となる
       神風特攻の猛攻
       連合国海軍士気への影響

11 ヤルタ会談
       その前夜
       ルーズベルトの理想と健康
       ポーランド問題
       対日参戦の協定
       チャーチルの手記
       ヤルタ会談の功罪
       ルーズベルトの急死
       ヒトラーと鈴木貫太郎

12 硫黄島の激戦
       日本軍の基本戦略
       陸上戦闘
       神風と回天特攻

13 沖縄の死闘
       前哨戦
       「インディアナポリス」の被害
       陸と海との戦い
       日本潜水艦の悪戦苦闘
       回天洋上へ進撃す
       航空特攻の凄絶
       ボールドウィン観戦記
       沖縄の最後

14 原爆とトルーマン
       ケベック会談と原爆
       原爆用航空部隊
       大統領、陸軍長官と原爆
       トルーマン新大統領と原爆

15 対日作戦計画と原爆使用計画の決定
       トルーマン声明
       対日作戦計画決定
       原爆使用計画決定

16 原爆実験と運搬
       原爆投下目標の検討
       原爆実験成功
       原爆の運搬

17 親日紳士3人の和平努力
       ユージン・ドウマン
       ジョセフ・C・グルー
       ヘンリー・L・スチムソン
       グルーの進言
       スチムソンの覚書

18 ポツダム会談
       チャーチルの意図
       鉄のカーテン電報
       アメリカの世論
       トルーマン大統領の意図
       トルーマンとチャーチルと原爆
       トルーマン強くなる
       軍事委員会の結論
       対日宣言発表
       トルーマン『回顧録』と対ソ応対

19 終戦への長い道
       和平への難関
       哀れをとどめた小磯首相
       鈴木貫太郎組閣
       終戦へのあがき
       外務官僚の本音
       在欧陸海軍武官の和平工作

20 日本海軍掉尾の偉功と米海軍の悲惨
       伊53、「アンダーヒル」を撃沈
       針路西へ
       伊58、敵発見
       総員退艦せよ
       戦闘速報発信
       米海軍最大最悪の悲劇

21 終戦
       ポツダム宣言入電
       原爆投下、ソ連参戦
       聖断
       アメリカの対応
       聖断ふたたび

あとがき

参考文献


今年の読書:43冊目



読書 | 19:32:43 | Comments(0)
新選組長倉新八墓
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新選組長倉新八墓
従二位勲三等侯爵蜂須賀正韶書

永倉新八君本姓長倉家世松前藩に事へ禄百五十石を食む父勘次君江戸に在勤す天保十年四月十一日君を下谷松前藩邸に生む幼名榮次君少にして気誼あり撃剣を岡田十松に學ぶ年十九決志脱藩して江戸本所百合本昇の塾に入り益剣法を修む既にして君近藤勇の人と為りを慕ひ親交を訂し又土方歳三と相知る文久三年幕府将軍の入朝に先たち其の護衛の士を募るや君勇歳三等と之に應して入京す新徴組是なり幾くもなく隊首清川八郎の同志の刃に斃るゝや君勇歳三及芹澤鴨新見錦山南敬助沖田総司原田左之助井上源三郎藤堂平助平山五郎野口健司平間重助十三人京都守護職會津侯の指揮に属す世に之を壬生浪士と称す後一隊に編成し新選組と称し君其の隊将の一人たり尓来同隊は八月十八日の變に宮門を警衛し明年六月浮浪の徒池田屋に陰謀を企つるや不意を襲ふて之を斬獲し七月賊徒の禁門を犯すや剿討に與かりて皆功あり而して君の奮勇剣撃も見るべしと云ふ明治戊辰伏見の役に新選組は會津軍と共に奮戦利あらず江戸に還る尋て甲府を攻略せんとして成らず勇は歳三と共に流山に赴き勇は敵に捕へられ板橋に斬らる君は同志と靖兵隊を組織し其の副長と為り野州に至り大鳥圭介軍と共に小山宇都宮に轉戰し遂に會津の将山川大藏の軍に投じて今市に戰ひ大藏か若松に入城するや君偶々雲井龍雄と相知り米澤に抵り尋て東京に入り諸所に潜居す明治二年松前藩に復帰し藩兵に操練を授く是より先君雲井龍雄の擧に與みせんと約したるも龍雄の蹉跌に因りて成らず尓来怏々として樂とす藩醫杉村介菴の女婿と為る八年家を襲き名を義衛と改め居を小樽樺戸千葉千葉東京に移し子弟に撃剣を授け悠々閑日月を送り大正四年一月五日北海道小樽市に歿す享年七十七夫人米子との間に一男一女を生む是より先明治八年君近藤勇の霊を板橋に弔ひ松本順氏の題墓を得て墓石を建て土方歳三の名を併せ刻し且つ新選組士百餘名を其の側面に列記せり昭和三年瀧野川町北谷端睦會は践祚大體及皇弟雍仁親王同妃両殿下慶事を紀念して此の墳墓の改脩を企て寿徳寺及君の男義太郎君の同意を得て是を實行せり而して義太郎君に其の十三回忌辰に父君の事蹟を刊行して知人に配贈し今又君の遺骨を分ちて近藤の墓側に瘞め墓表を建てんと欲し余に文を嘱す余■■君の故國義援の擧を懐ひて快諾し其の行實に據り之を概記すと云ふ

昭和四年二月

従二位勲一等男爵林権助撰
正三位勲三等男爵杉溪言長書
       深川小林松年刻

(碑文より)


【東京都北区滝野川7-8-1 寿徳寺境外墓地(JR板橋駅前)】

史跡 | 12:52:35 | Comments(0)
近藤勇墓所
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東京都北区指定有形文化財(歴史資料)
近藤勇と新選組隊士供養塔
北区滝野川7-8-1 寿徳寺境外墓地

慶応4年(1868)4月25日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑されました。
その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。
本供養塔は没後の明治9年(1876)5月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名長倉)新八が発起人となり旧幕府御典医であった松本順の協力を得て造立されました。
高さ3.6メートル程ある独特の細長い角柱状で、四面の全てにわたり銘文がみられます。
正面には、「近藤勇 冝昌 土方歳三義豊 之墓」と刻まれており、副長の土方歳三の名も近藤勇の右に併記されています。
なお、近藤勇の諱(いみな)である昌宜が冝昌とされていることについては明らかになっておりません。
右側面と左側面には、それぞれ八段にわたり井上源三郎を筆頭に合計110名の隊士などの名前が刻まれています。
裏面には、当初は「近藤 明治元年辰四月廿五日 土方 明治二年巳五月十一日 發起人 旧新選組永倉新八改杦村義衞 石工 牛込馬場下横町平田四郎右衞門」と刻まれていましたが、一部は現在判りにくくなっています。
戦術方針の相違から一度は近藤と袂(たもと)を分った永倉ですが、晩年は戦友を弔う日々を送ったと伝えられています。
本供養塔には、近藤勇のほか数多くの新選組ゆかりの者たちが祀られているので、新選組研究を行う際の基本資料とされ、学術性も高く貴重な文化財です。

平成16年3月
東京都北区教育委員会

(説明板より)


【東京都北区滝野川7-8-1 寿徳寺境外墓地(JR板橋駅前)】

史跡 | 11:16:44 | Comments(0)
近藤勇の墓所に行く
今日は、妹のライブがあるので上京する。
たまたま水戸藩士の“シミズくん”も上京しており、妹のライブを聴きに行ってくれるというので、彼の宿泊先の板橋駅前で待ち合わせする。
この駅のすぐ目の前に近藤勇の墓所があり銅像も経っているというので案内してもらった。(大喜)

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ここを見学してから、大泉学園のライブ場所へ向かう。
で・・・・まだ時間があるだろうとブラブラ・・・・
開場時間と開演時間を間違えていることにも気が付かず・・・(大笑)
ライブハウスに着いたときは、ちょっと早かったかなと思ったら開演5分前!(唖然)
妹から顰蹙を買った・・・(涙)
やっちまったぁ~
この間は、開場前に到着して怒られ・・・
今度は開演直前に到着して怒られた・・・(大笑)
なぜか、うまくいかんのぉ~

ライブ後、打ち上げに参加して大いにおしゃべりをしてホテルに戻る。
拙者は御徒町にホテルを取っているのだが、明日は“シミズくん”と一緒に護国寺にある土肥原陸軍大将のお墓に行く予定。
土肥原閣下の息子さんのお嫁さんの命日が明後日なのだ。
というわけで・・・「土肥原家」のお墓参りに行くのである。
たった一度しかお会いしていないが、ずっと年賀状などのやり取りをしていたのである。
最後にお電話でお話をした時の声が今も耳に残っている。
こうなると・・・やっぱりお墓参りに行かねば気が済まぬ。
東京に来ているんだし・・・・
ということで、明日は“シミズくん”とお墓参り!

日記 | 10:54:47 | Comments(0)
「ひよっこ」のロケ地を取材
今日は、法人会広報委員会の現地取材・・・
事務局長と委員長、“ヨシノ委員”と拙者の4名で、“某所”に取材に行く。

そもそもは、先日の広報委員会での話・・・・
いつも雑談からポロッとアイディアが生まれる委員会なのだが・・・・(笑)
話が、たまたまNHKの朝のテレビ小説『ひよっこ』に及んだ。
このドラマのロケ地の一つが、実は我が亡き母の実家の近くなのである。(大笑)
「今、話題のロケ地を取材するっていうのはどうか?」という話が出た。(汗)
ロケ地を取材して、その記事を広報誌に載せようという。
しかし、拙者は、このドラマを見たことがない・・・(苦笑)
日本のドラマ自体が好きではないし、特にNHKの朝のテレビ小説などは全く好きではない・・・(大笑)
見たことのないドラマのロケ地を取材するのか?(大汗)

大いに話が盛り上がってしまい、結局、現地を訪問することとなったが・・・・
案内役を務めてくれるはずの副委員長が当日、仕事の都合で突然のドタキャン!(唖然)
こんなこともあろうかと思い、“某所”在住の拙者の義理の従兄に事前に連絡をしておいた。(笑)
とにかく我が従兄に会いに行こうということになったが・・・
実は、拙者は従兄の家に行ったことがない!(大笑)

万が一、この取材が失敗した時には、今度の広報誌に載せる記事が無くなってしまう。(大汗)
ということで・・・念のため、別の場所を最初に訪問することにした。
それが、茨城県指定有形文化財の「穂積家住宅」・・・・
ここを見学して、最悪な場合は、ここの取材記事で“お茶を濁してしまおう”という拙者の魂胆である。(大笑)

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(長屋門を撮影している“シミズ委員長”と“ヨシノ委員”)

この「穂積家住宅」は、江戸中期の豪農の家であるが、映画やテレビドラマのロケにも使用されている。

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ここには何度か訪れているが、一番好きなのは、この茅葺屋根の軒部分の模様。
何度見ても飽きない。(笑)
洒落ているんだよなぁ~
こういうところに手間とカネを使うのが、本当の金持ちなんだろうと思う。
管理人さんのご案内をいただきながら見学・・・

昼食後、従兄の住む“某所”へ向かい、ナビを駆使して無事に到着!(笑)
従兄から「ひよっこ」にまつわるエピソードを聞かせてもらう。

従来の朝のテレビ小説は実在の場所が舞台となっていたが、今回は、そのマンネリを打破するため、ドラマの舞台を特定の場所にはしない方針だったそうだ。
で・・・NHKの担当者が、この茨城県北部を散策し、写真を撮りまくってNHKに送ったところ、ドラマのイメージに合う場所として、この“某所”他、数か所が選ばれたそうである。
従兄は、この地区の区長をやっている。
突然、NHKの担当者がやってきて、地域住民には「朝ドラ」のロケ地に選ばれたことを教えることなく、協力を得てもらいたいと言ってきたそうで・・・最初は何が何やらさっぱりわからなかったという。(大笑)
番組放送開始までは、ここがロケ地であることを口外しないようにとのことで、大変だったらしい。
地区住民を始め、市役所の職員までが動員されてロケに協力したそうで、その話を聞いて大いに身を乗り出していたのが、“ヨシノ委員”・・・・
彼は「ひよっこ」の大ファンで、録画をしてまで、このドラマを見ているのだそうだ・・・(唖然)

従兄の家もロケに使われたそうだが、その他のロケ地も案内してくれるというので、従兄の軽トラックの後ろをついて走り、数か所を見学する。

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(写真は事務局長もらった写真)

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(主人公の実家として使われた民家、これも事務局長が撮影)

ドラマでは、こんな風に映っていたらしい。

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この家は、幹線道路から、かなり奥まった場所にあるのだが、休日には100人近くの“観光客”がここに来てウロウロするのだそうだ。
この家には実際に人が住んで生活をしているのだが、そのことが理解できない人も多いそうで、勝手に家の中まで入ってくるという。
「あ~!ここが“みね子”の実家だぁ!」とか何とか言って・・・
この家に住む人は非常に迷惑を被っていて御機嫌斜め・・・(当然だろうなぁ~)
「ここから先は私有地につき立ち入り遠慮願います」の看板を出しても無視されるらしい。
そういうのは若い連中がやるのかというと、そうじゃないという。
中高年者ばかりだというのには驚いた。
自己中の団塊の世代だろう・・・・
他人の迷惑なんて関係ない、自分さえ良ければ構わない・・・ということなのだろう。
日本を駄目にしたのは、やっぱり団塊の世代だな?(大笑)

「家の前までは、ここで撮影したけど、家の中は東京のスタジオにあるセットで撮影したってことがわからないみたいなんですよねぇ~勝手に家の中まで入ってくるのには驚きますよ」とあきれ顔・・・
区長の紹介ということもあって、この家の方は我々の取材に気持ちよく応じてくださった。
更にロケ中のいろいろなエピソードを聞かせていただき“ヨシノ委員”は大喜びである。(笑)

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(これも事務局長提供の写真)

主人公たちが稲刈りをした田んぼらしい・・・・
らしい・・・というのも、ドラマを見ていないから、さっぱりわからないのである。(大笑)

どうして、こういうところまで100人近い人たちがやって来れるのか・・・
どうもグーグルアースで調べてやって来るらしい。
こうなると、グーグルアースも良し悪しだな・・・と思う。

「ここを、みね子が向こうからこっちに向かって歩いて来たんだよねぇ~」と“ヨシノ委員”は大興奮・・・
「みね子って誰ですか?」と拙者・・・・
「みね子って主人公なんだけど・・・あ~そうかぁ~君は見てないんだよなぁ~」とあきれ顔。(大笑)

いくつものロケ地を案内していただき、地域住民の方々から、いろいろとお話もうかがった。
(とても、ここには書ききれないが・・・)(笑)
期せずして、かなり充実した取材となった。
従兄や地域住民のご協力に感謝である!

帰りの車内で・・・・
「で・・・誰が原稿を書くの?」(苦笑)
これが毎回頭痛の種・・・(大笑)
誰もが書きたがらない・・・・(涙)
で・・・・皆は拙者に書けと言うが、拙者は、それほど文章は上手じゃないし・・・
それでいて、毎号、何かしらの原稿を書いて恥をさらしているわけだし・・・(涙)
最大の問題は、拙者はこのドラマを見ていないのである!(大笑)
ここは、このドラマの大ファンである“ヨシノ委員”が書くのがいいのではあるまいか?
「熱い思いを託してですねぇ~・・・・どうでしょ?」
本人は“原稿”なんて書いたことがないというが、無理やり押し付けることにした。(大笑)

しかし、万が一のことを想定して・・・(苦笑)
原稿が上がってこなかったら会報に“穴”が空いてしまうので、念のため拙者も1本原稿を書き上げておかねばなるまい。
結局、使う使わないは別として、原稿を書く羽目となる。(涙)

しかし、今日はみなさんのおかげで、いいドライブとなった。
感謝、感謝である。

日記 | 10:42:21 | Comments(0)
『東南アジア史Ⅱ』


序章 東南アジアの島嶼部世界

1 島の熱帯の生態学
     島の熱帯
     居住適性
     海域社会
2 島の熱帯の歴史
     交易の海
     港市国家
     陸の植民地支配、そして国民国家

第1章 古代の栄光

1 交易帝国の形成
     ジャワ原人からドンソン文化へ
     海のシルクロードの成立
     交易国家の成立
     シュリーヴィジャヤ帝国
2 海の覇者
     シャイレーンドラ朝の時代
     海峡の覇者
     イスラーム化序曲―13~14世紀のマラッカ海峡
     宗教遺跡・陶磁器の時代
3 ジャワの王権
     王権の発生
     統一権力の形成
     王権思想
     中部ジャワ時代の終焉
4 栄光の古代帝国
     クディリ時代
     シンガサリ時代
     ガジャ・マダの時代―マジャパヒトの発展
     ビンネカ・トゥンガル・イカ
     栄枯盛衰

第2章 交易の時代と近世国家の成立

1 ムラカの成立とムラユ世界の形成
     東西海洋交易の活性化と香辛料需要の増大
     サムドゥラ(パサイ)の繁栄
     ムラカの成立
     鄭和の遠征とムラカの基地化
     イスラーム受容とムラカの繁栄
     ジャワ北岸港市の発展とマジャパヒトの衰退
     ムラユ世界の成立
2 「大航海時代」と東南アジア
     ポルトガルの来航とムラカの占領
     香辛料貿易独占の試みと失敗
     スペインの活動
     ガレオン貿易
     交易の時代の東南アジア
3 交易中心の多極化と内陸農業空間の発展
     港市国家の隆盛
        アチェ
        バンテン
        ジョホール
        パタニ
        ブルネイ
        マカッサル
        テルナテ
        ティドーレ
     港市の特質
     ジャワにおけるマタラムの台頭
     島嶼部後背地社会の展開
4 港市国家の変容とオランダ、スペインの活動
     あらたな極バタヴィア
     マカッサル王国の崩壊
     アチェの衰退
     マタラム王国の混乱
     バンテン王国の変容
     オランダの一時的優位の確立
     15・16世紀のフィリピン諸島
     スペインのルソン島およびビサヤ諸島における活動
     スペイン支配下の住民の反乱
     マギンダナオ王国およびスールー王国の隆盛

第3章 近世国家の展開

1 内乱続くジャワ
     義務供出制
     中国人虐殺
     分裂深まるジャワ
     オランダのジャワ支配
2 沸き返る海峡
     ジョホール王国の新王朝
     ブギスの世紀
     多様な到来者
     ジョホール王国の衰退
3 フィリピン海峡の動揺
     低地カトリック社会
     ブルボンの改革
     モロ戦争の再開
     スールー王国
4 海峡分断への道
     ペナン開港
     英蘭抗争
     イギリスの中間統治
     シンガポール開港

第4章 近世国家の終焉と植民地支配の進行

1 海峡植民地の形成とマニラ開港
     東南アジア域内貿易の進展とシンガポールの発展
     ボルネオにおけるブルックの活動と「海賊」制圧
     マレー半島の錫鉱山の開発
     マニラ開港と中国系地方商人の活動
     スールー王国の繁栄
     フィリピンにおける輸出向け商品作物生産の展開
2 ジャワ戦争と強制栽培制度
     ラッフルズのジャワ統治
     ジャワ社会の変容とジャワ戦争
     ジャワ戦争
     強制栽培制度の導入
     ジャワ農村の変容
     パドリ戦争とオランダの西スマトラ支配
3 植民地分割
     アチェ戦争
     オランダ領東インドの形成
     マレー連合州の成立
     イギリス領ボルネオの形成
     スペイン領フィリピンの拡大
4 植民地体制の形成
     輸出用第一次産品生産の発展
     交通・通信網の発達
     植民地官僚制の再編と学校教育の導入
     植民地体制と人種問題
5 反植民地主義の展開
     ジャワの農民反乱
     イスラームの反植民地主義運動
     フォークカトリシズムと反植民地主義
     植民地体制下における二重言語状況と民族主義
     フィリピン革命

第5章 近代植民地の展開と日本の占領

1 イギリス領マラヤ社会の形成
     モザイク模様の多民族社会
     ムラユ人社会と農村
     中国人社会と都市
     インド人社会
     教育と文化
2 倫理政策の時代
     倫理政策
     統治体制の改編と「自治政策」
     教育の振興
     経済構造の変化
3 解放の思想を求めて
     民族運動の諸潮流
     イスラーム同盟と共産党
     インドネシア民族主義
     運動のゆきづまり
     インドネシアとインドネシア語の獲得
     文化革新の運動
4 アメリカ植民支配下のフィリピンの統合
     議会開設と自治の拡大
     自由貿易体制
     教育と国民形成
     高地非キリスト教徒諸民族社会
     イスラーム社会
5 アメリカ植民支配下のフィリピンの社会変動
     農村の変容
     首都マニラの膨張
     農民・労働運動
     独立準備政府の成立
6 日本軍政下の抵抗と協力
     日本の占領と軍政
     日米戦争に巻き込まれたフィリピン
     民族分離政策下のマラヤ
     資源獲得の戦い
     苦難の暗黒時代
7 日本占領下のナショナリズム
     星条旗のもとでのフィリピンの「解放」
     民族分離政策をこえたマラヤの抗日
     虚妄の解放のための宣伝と動員
     自力独立への準備

第6章 脱植民地化の道

1 独立と国家統合の苦闘―インドネシア
     革命の時代
     外交とゲリラ戦の時代
     議会制民主主義の崩壊
     ナサコム体制
2 マラヤ・マレーシアの統合と分裂
     マラヤ連邦の成立
     シンガポール、サラワク、サバ(北ボルネオ)、ブルネイ
     経済再建と社会
3 フィリピンの新植民地主義と反米ナショナリズム
     独立と反共政策
     フク団の闘争
     反米ナショナリズムと国民統合
     対日賠償交渉

第7章 国民国家をめざして

1 インドネシア―開発と独裁の32年
     「新秩序」と開発
     強権支配体制
     反政府運動
     パンチャシラ・イデオロギー
     政権の永続化
     スハルト政権の崩壊
2 ブミプトラ政策下のマレーシア
     国民戦線
     ブミプトラ政策
     社会運動
     マハティール体制
     ワワサン2020
3 強権的管理国家シンガポール
     生き残りのための政治
     人民行動党独裁
     言語政策による国民統合
     ネクスト・ラップ
4 フィリピン―経済発展と国民和解の模索
     マルコス再選
     戒厳令体制
     ムスリム反乱と新人民軍
     「二月革命」
     アキノ政権
     ラモス政権と国民和解
     経済の再建
5 統合と拡大―ASEANとグローバリゼーション
     各国の外交政策
     ASEAN―地域統合
     ブルネイの独立
     グローバリゼーション
     迫られる体制変革

図表出典一覧

写真引用一覧

王朝系図
     1 アイルランガ
     2 シンガサリ朝
     3 マジャバヒト朝
     4 マタラム朝(近世)

参考文献

年表

索引

執筆者紹介(執筆順)


今年の読書:42冊目



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