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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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宇佐海軍航空隊の蘇鉄
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蘇鉄は語る

当駅舎の西南方約1キロの地に、かつて、海軍の飛行場がありました。
名づけて宇佐海軍航空隊。
太平洋戦争末期特攻基地となり、153名の特攻が出撃、沖縄の海に散華している歴史的聖地です。
航空隊が開隊したのが昭和14年10月1日、そのとき地元商店会で組織する物品納入業者の団体「糧友会」の人たちが、庁舎の庭に寄贈したのがこの蘇鉄です。
昭和20年4月21日、B29の爆撃で航空隊は壊滅。
そのとき生き残ったこの蘇鉄が、戦後、瓦礫の中におきざりにされていたのを商店会の有志たちが現在地に移植、戦争を伝える唯一の生きている遺産です。

柳ヶ浦アーバンデザイン会議

(説明板より)


【大分県宇佐市・JR柳ケ浦駅前】



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史跡 | 14:29:22 | Comments(0)
双葉山生家跡
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双葉山生家跡

昭和の角界に大きな足跡を残した大横綱・双葉山定次(本名:穐吉定次)(あきよしさだじ)は、明治45年2月9日、ここ大分県宇佐市大字下庄(しもしょう)(当時:大分県宇佐郡天津村布津部)で生まれました。
双葉山は生前、故郷の布津部地区に公民館が無いことを気にかけており、建設を考えておられましたが、56歳という若さでの突然の死により実現が叶いませんでした。
そこで双葉山夫人である穐吉澄子(すみこ)氏が、地域の皆様が使って下さるならと、双葉山の生家を改装、寄贈してくださり、昭和44年以来、地区の公民館として使用してまいりました。
その後、平成11年12月、双葉山生誕80周年を記念した顕彰活動として、当時の間取りに基づく生家への復元を行い現在に至っています。

(説明板より)


【大分県宇佐市大字下庄269】



史跡 | 13:52:50 | Comments(0)
城井1号掩体壕
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市指定史跡
城井(じょうい)1号掩体壕(えんたいごう)

所在地 宇佐市大字城井159番地の3
規模 幅21.6m、奥行き14.5m、高さ5.4m

宇佐海軍航空隊は1939(昭和14)年10月1日、練習航空隊としてつくられました。
しかし、米軍の空襲をうけるようになった1945年の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていきました。
掩体壕とは軍用機を敵の空襲からまもるための施設です。
柳ヶ浦地区を中心とした飛行場の規模は、東西1.2km、南北1.3kmで約150haもありました。
現在、航空隊のあとは水田や宅地となっており、その面影を残すのは10基の掩体壕などわずかな遺構だけです。
宇佐市では戦後50年の節目を平和元年とし、この負の遺産を平和のシンボルとして21世紀に伝えることにしました。
その第一歩として、平成7年3月28日に城井地区にある掩体壕1基を史跡に指定しました。
そして、平成9年度にはこの掩体壕と周辺用地を買い上げ、自治省の地域文化財保全事業として史跡整備を実施しました。

(説明板より)


【大分県宇佐市大字城井159-3】



史跡 | 13:28:43 | Comments(0)
宇佐海軍航空隊落下傘整備所
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市指定史跡
宇佐海軍航空隊落下傘整備所

通称「レンガ造りの建物」と言われています。
壁面には米軍機による無数の弾痕が残っており、戦争の脅威を今に伝えています。
ほとんどの建物が空襲で壊れた中、わずかに残った建物の一つです。

宇佐市教育委員会

(説明標柱より)


【大分県宇佐市江須賀4030】



史跡 | 13:16:46 | Comments(0)
宇佐海軍航空隊の戦跡を歩く
昼食後、時間に余裕がないので、あとはタクシーで回ることにした。
向かうは、宇佐海軍航空隊関連の戦跡・・・・
事前に、それほど詳細に調べたわけではない。
どうせ回り切れないだろうと思っていたので、主だったところだけを見て歩くことにした。

まずは・・・「宇佐空の郷」という施設・・・
ここに宇佐海軍航空隊(宇佐空)の資料が展示されているとか・・・

348_convert_20171001001514.jpg(宇佐空の郷)

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室内の中にド~ンと置いてあるのが、宇佐海軍航空隊の隊門・・・
主な展示物は、これだけで・・・(苦笑)
あとはパネル展示・・・
ボランティアガイドの“オジサン”にお話を伺う。
予科練や神風特攻隊の話・・・「おたくは詳しいですねぇ~」とおだてられた。
だから・・・拙者は予科練のあった茨城県から来たんだって・・・
フィリピンでの神風特攻隊の慰霊祭にも参加してるんだって・・・(苦笑)
そんなに詳しいわけじゃないけど、他の人より多少知っているだけ。(笑)

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外にある「隊門」はレプリカだそうだ・・・・

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この敷地の角が「隊門」跡だそうだが・・・
なんで、ここにレプリカの隊門を置かなかったのかな?

タクシーの運転手さんは、拙者より歳が若いが、連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将(元帥)の大ファンだそうだ。
というわけで・・・意気投合して話が弾んでしまったので、彼のお薦めの場所を回ることにした。(大笑)

次に向かったのは・・・・宇佐空の施設の廃墟・・・・

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宇佐海軍航空隊の落下傘整備所跡である。
かなりの廃墟・・・・
一応、市の史跡らしいが・・・
う~ん…もう少し何とかならんかなぁ~

次に向かったのは「城井一号掩体壕」という市の史跡・・・
飛行機を敵の空襲から護るための飛行機用の壕である。
タクシーの運転手さんは、この「掩体壕」というのが、どういうもので、どうやって造るのか・・・そういうことは全く知らないとのこと。
おいうわけで・・・・質問攻めである。(苦笑)
おかげで、おかしなことになった・・・
拙者がタクシーの運転手さんに個人的に講義をする羽目となったのである。
ん?・・・タクシー代を払いながら、教えるのか?(大笑)

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近くには慰霊碑があり、その後ろで何やら工事が・・・
どうも造成工事のようだが、タクシーの運転手さんが言うには、ここに宇佐空の資料館が建てられる予定なのだとか・・・
へぇ~そりゃすごい。
完成後に見に来るのが楽しみである。(笑)

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直ぐ近くを通る直線道路は、宇佐空の滑走路跡だという。

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時刻は午後3時・・・
他にも掩体壕があるらしいが、それらを見て回る時間はないので諦めて次の場所に向かう。
次に向かったのは、「宇佐市平和資料館」・・・・

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プレハブ小屋なのには驚いたが・・・
どうやら、この資料館が、あの掩体壕の後ろの土地に移ってリニューアル・オープンするらしい。
ますます楽しみである。

館内を、資料館の方にご説明をいただきながら見学する。

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これは「桜花」のレプリカ・・・・


特別攻撃機 桜花一一型

全長6.07m、全幅5.12m、全高1.15m、全重量2.14t
昭和19(1944)年海軍航空技術廠で開発された特攻のための兵器です。
航空隊員が1名乗り込んで機体ごと体当たりするため、人間爆弾とも呼ばれています。
胴体はジュラルミン等の金属、翼はベニヤ板等の木材で作られており、機首部分には重さ1.2tの爆弾が取り付けられていました。
母機である一式陸上攻撃機(一式陸攻)に吊るされて運ばれ、敵艦を発見すると切り離されました。
一式陸攻から放たれた桜花は、尾部にある3本の火薬ロケットを順番に噴射させ、時速600km以上に加速して突入しました。

(説明板より)



こちらは、零戦21型のレプリカ・・・・

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零式艦上戦闘機二一型

映画「永遠の0」で使用された「零式艦上戦闘機二一型」の実物大模型です。
鉄製の骨組みに合板を貼り付けて下地を作り、その上からアルミ板お接着し、本物に近い質感が再現されています。
機体表面の沈頭鋲(ちんとうびょう)(※)やコクピットなど、細部にわたり再現されています。
タイヤは本物の「疾風(はやて)」のタイヤを使用しています。
垂直尾翼には第721海軍航空隊(神雷部隊)を示す「721」の番号が記されています。
製作は、有限会社大澤製作所が行いました。

※外版と骨組をつなげる鋲で、空気抵抗を減らす為に平らな頭の物が使われました。

(説明板より)



撮影用のコクピット(操縦席)の模型もあり、ここに座って記念写真の撮影ができる。
う~ん・・・・座ってみたい気もしたが・・・
いい歳した大人が・・・という気もしないでもない・・・・(苦笑)
子供のころから零戦が好きだったが、座るのを諦めた。(大笑)

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この資料館は、これらの実物大のレプリカと若干の展示品と解説パネルのみ・・・・
予想以上に早く見終わってしまった。(汗)
時刻は午後3時30分・・・・
まだ少し余裕がある。
ということで・・・このままタクシーを貸し切り状態にし、更に少々遠方まで足を延ばすことにした。(笑)

次に向かったのは「双葉の里」と呼ばれる場所である。
ここは、どうやら横綱の双葉山の生誕地らしい・・・・
銅像があるようなので、銅像の写真を撮りに寄ってみた。(喜)

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「道の駅」っぽい感じである・・・

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『超六十連勝力士碑』というのが、建物の前にド~ンと建っていた。
う~ん・・・これ・・・何?(汗)
この碑には、63連勝の第4代横綱・谷風、63連勝の第69代横綱・白鵬、69連勝の第35代横綱・双葉山の3人の名が手形と共に刻まれていた。
へぇ~・・・・である。
「横綱・双葉山」って、すごい人なんだ~(苦笑)
「双葉山」という名は、どこかで聞いたことがあるなぁ~という程度・・・
69連勝とは知らなかった・・・(大汗)

資料館を見学する。

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見学後、資料館の方にお茶をすすめられ、みんなでしばし雑談。
拙者が茨城から来たと言ったら・・・
横綱・稀勢の里、大関・高安の話で大盛り上がり!(唖然)
みなさん、2人の大ファンなのだという。(汗)
話に熱がこもるのはいいのですが・・・
実は拙者は相撲に全く興味がないのである。(大汗)
だから知識が全くない!(大笑)
しまった・・・やっちまった・・・「茨城県から来ました」なんて言わなければよかった・・・
みなさんの話に付いて行けない・・・(大涙)
他県の方々が茨城出身の力士のことに、やたらと詳しいのに、当の茨城出身の拙者は全く知識がない・・・(大汗)
何を言われてもチンプンカンプン・・・答えようがない・・・
冷や汗ものである。(大涙)

この資料館のすぐ裏手に、双葉山の生家があるというので見に行く。

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ここをサラッと見学し・・・・時刻は午後4時30分。
今日の観光は、ここで終了!
意外にも多くの場所を回れたので大満足である。
最寄りの駅までタクシーで向かい、運転手さんとお別れ。

478_convert_20171006155027.jpg (柳ヶ浦駅)

この駅前に蘇鉄が植えられていた。
説明板があったので読んでみたら、この蘇鉄は宇佐海軍航空隊の庁舎の庭に植えられていたものを、戦後、ここに移植したものだという。
最後の最後に、宇佐空の戦跡を見つけて感激!(喜)

このあとは・・・別府駅に向かい、ホテルに戻り、今日の行動を終える。

旅行 | 12:06:50 | Comments(0)
宇佐神宮
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宇佐神宮

御祭神
一の御殿 八幡大神(応神天皇)
二の御殿 比賣(ひめ)大神
三の御殿 神功皇后(じんぐうこうごう)

宇佐神宮は全国八幡宮の総本宮 勅祭(ちょくさい)の大社であり 歴代天皇は伊勢の神宮につぐ宗廟(そうびょう) 我朝(わがちょう)の太祖 として御崇敬になられています
また私たちの祖先は各地に宇佐の八幡宮をお迎えして 氏神や鎮守のお社としました
神代に三神の比賣大神がご降臨(こうりん)になったこの宇佐の地に 約千四百年前の欽明(きんめい)天皇32年 応神天皇のご神霊(しんれい)がはじめて八幡大神(はちまんおおかみ)としてあらわれになり 各地を巡幸(じゅんこう)後この亀山にお鎮(しず)まりになりました
のち弘仁14年 応神天皇の御母君であられる神功皇后をお祀りし 三殿のご鎮座(ちんざ)となりました

(説明板より)

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下宮(げぐう)

御祭神
一之御殿 八幡大神(応神天皇)
二之御殿 比売(ひめ)大神
三之御殿 神功(じんぐう)皇后

下宮は嵯峨天皇の弘仁年間(810~824)に朝廷より造宮使が遣わされ、上宮の御分神をお鎮祭し創祀されました。
古くは御炊殿(おいどの)ともいわれ、神前にお供えする御饌(食事)を炊く竈殿(現下宮授与所)があり、農業・漁業をはじめとする一般産業の発展充実を御守りになる神様であります。
上宮と同様に歴代の皇室をはじめ、国民の崇敬篤く、特に宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」と称され親しまれております。
また、一之御殿には、八幡大神を顕しになった大神比義(おおがのひぎ)の神霊を祀る、大神祖神社が相殿として奉斎されております。

宇佐神宮庁

(説明板より)


【大分県宇佐市南宇佐2859・宇佐神宮】



史跡 | 11:40:57 | Comments(0)
神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑
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神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑

(碑文)
神武天皇甲寅年冬舟師を師ヰテ筑紫國莵狭ニ至リ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地方ナリト推セラル

昭和十五年十一月 紀元二千六百年奉祝會



(側碑・碑文)
神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑

日本書紀によれば、神武天皇は御東征のとき、日向を発たれ、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)の水先案内で豊後水道の難所を通り抜け、宇佐に上陸されました。
このとき宇佐国造の祖である莵狭津彦命(うさつひこのみこと)・莵狭津媛命(うさつひめのみこと)が天皇一行をお出迎えになり、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を建て饗(みやえ)(ご馳走)を奉ったことなどが記されています。
これを記念して昭和15年にこの顕彰碑が建てられました。
一柱騰宮跡は寄藻川に架かる呉橋の南側の高台と伝えられ、この一帯は騰隈(とうのくま)とよばれています。
宇佐上陸の地とされる和気地区には柁鼻(かじはな)神社が、また大尾山の東側台地には椎根津彦命を祀る椎宮が鎮座しています。


【大分県宇佐市・宇佐神宮】



史跡 | 10:49:31 | Comments(0)
宇佐参宮線26号蒸気機関車
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宇佐参宮線26号蒸気機関車

大分県指定文化財

この機関車は、明治24年(1891年)にドイツ・ミュンヘン市のクラウス社が製造、明治27年に九州鉄道(株)(国鉄の前身)が購入し活躍していましたが、昭和23年機関車の大型化に圧され、大分交通(株)に譲渡の後、宇佐参宮線の主役になりました。
宇佐参宮線は、大正5年(1916年)3月開業し、昭和40年8月に廃止されました。
二六号機関車は形式10、製造番号2550号、最大長7.509m、高さ3.546m、幅2.546m、運転装備時重量23.36tで、実に71年間にわたり活躍しました。

(説明板より)


【大分県宇佐市・宇佐神宮】



史跡 | 10:31:54 | Comments(0)
宇佐神宮に行く
前回、“ヤスダさん”にお会いした時に、「史跡好きならば、ここを拠点に少し回ってみてはどうか」と言われた。
病院に訪問するついでに、別府を中心に史跡巡りをしたら・・・ということである。
つまりは・・・ちょくちょく遊びに来て欲しいということかな?(笑)
で・・・この間は、宇佐海軍航空隊に関する新聞記事の切り抜きを送ってきた。
そうなると・・・行かねばなるまい?(苦笑)
わざわざ新聞記事を送って来たということは、ここを見学するついでに病院に顔を出してくれということなのだろう。

というわけで・・・今日は、宇佐に行くことにした。(笑)
ホテルはそのまま・・・
今晩も、もう1泊して明日帰ることにしてある。
まる一日、宇佐周辺を見て歩くことにした。

電車で宇佐駅まで行き、そこからタクシーで宇佐神宮に向かう。
宇佐に行ったら、まずは「宇佐神宮」でしょ?(笑)

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宇佐神宮には初めて来たが、さすがは「神宮」っていうくらいだから、結構、広い感じである。



宇佐神宮御由緒

当神宮は全国に4万社あまりある八幡宮の総本宮であります。
神代に比売大神(ひめおおかみ)が馬城の峰(大元山)に御降臨になった宇佐の地に、欽明天皇32年(571)応神天皇の御神霊が初めて八幡大神としてあらわれ、宇佐の各地を御巡幸ののち神亀2年(725)に亀山の一之御殿に御鎮座になりました。
また天平3年(731)比売大神を二之御殿にお迎えし、のち弘仁14年(823)神託により神功皇后(じんぐうこうごう)が三之御殿に御鎮祭されました。
皇室は我が国鎮護の大社として御崇敬篤く、特に八幡大神が東大寺大仏建立援助のため神輿にて上洛されたこと、また和気清麻公が天皇即位にかかわる神託を授かった故事などは有名であり、伊勢の神宮に次ぐ宗廟、我が朝の太祖として勅祭社に列せられております。

(説明板より)



参道を歩く人は無く・・・・閑散としている。
テクテク歩いていたら、韓国人の団体客たちとすれ違った・・・・
まもなく、小さな可愛い機関車を発見!(苦笑)

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(宇佐参宮線26号蒸気機関車)

この機関車は明治24年にドイツで製造された蒸気機関車で、大正5年に開業した宇佐参宮線で使用されていたものだそうだ。
当時は、宇佐神宮に来るのに汽車に乗って来ることが出来たらしい。
宇佐参宮線は昭和40年に廃止されたとのことであるから、そのころには、参拝客は自家用車か観光バスでやって来る人が多くなって汽車に乗る人がいなくなったのかも・・・

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(宮本武蔵 誠心直道之碑)

ちかくに「誠心直道之碑」というのが建っていた。
宮本武蔵と言えば熊本県だが・・・なんで大分県の宇佐にこの碑が建っているのかと思ったら、近くに説明板があった。
それによると、「正統兵法二天一流」が宇佐市在住の方が宗家として相伝されたため、熊本から大分の宇佐の地に宗家が移ったためらしい。
以前、福岡県北九州市の小倉城で「誠心直道の碑」というのを見た覚えがある。
この碑を建てた“団体”も二天一流の宗家と名乗っていたが・・・・
更に熊本県の霊巌洞で、二天一流の由来の説明板を見たことがあるが、こちらも別の“団体”で宗家とのこと。
う~ん・・・兵法二天一流というのはいくつもの流派に分かれているのだろうか?
それで、こちらの“団体”はあえて「正統宗家」と名乗っているのか?
よくわからん・・・
まるで和菓子屋の「元祖」「本家」「総本家」みたいな感じなのかな?
若かりし頃、京都の銘菓「生八つ橋」を「本家でもなく総本家でもなく分家で買ってみたい」と言ってお店の人にヒンシュクを買ったことがあるが・・・(大笑)
いったい、どの“団体”が直系なのだろう・・・という気がしないでもないな・・・(大汗)

直ぐ近くに種田山頭火の碑が建っていた!
お久しぶりの山頭火との再会である。(喜)
全国を旅していると、時々、バッタリと山頭火の碑に出会うことがある。
これがなんとも嬉しい・・・

228_convert_20170918224550.jpg (種田山頭火の碑)


種田山頭火

自由律俳人・種田山頭火、本名・正一。
明治15年山口県防府市に生まれる。
早稲田大学を病気中退し帰郷、結婚して父と酒造場を開業する。
一方、荻原井泉水が創刊した新傾向俳句誌『層雲』に投句し入門、やがて同人・選者として活躍した。
大正5年に酒造場は失敗、破産する。
熊本に移り無軌道な酒に浸って市電を止める事故を起こしたのを機に出家得度。
九州をはじめ東北地方まで全国を行乞漂泊の旅を続けた。
ここ宇佐神宮には、昭和4年と13年に訪れており、禅僧でありながらも殊のほか敬虔なおもいで参拝している。
昭和14年四国霊場巡拝を終え愛媛県松山市に「一草庵」を結んだが、昭和15年10月11日同庵に歿した。
山頭火は、花鳥諷詠や季語を約束とする五・七・五の定型俳句とは異なり、「俳句といふものは・・・魂の詩だ、心のあらはれを外して俳句の本質はない」と言い、その人生や俳句においても、より真実なるものを模索し非定型を貫いた。
行乞流転の旅にあって詠んだ数々の日本語独特な口語のリズムを生かした自由律作品は、いまも多くの人のこころを捉えている。

(碑文より)



このすぐ近くに、「神武天皇聖蹟菟狭顕彰碑」というのが建っていた。

249_convert_20170919145925.jpg (神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑)

石碑などに目が行ってしまい、なかなか先に進めない・・・(大笑)
宇佐神宮って・・・まだ先だよね?(苦笑)

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境内に大きな池が・・・・蓮の花が咲いていた。

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立派な建物を発見!(笑)
なかなかの建物である。

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写真の左側が「宇佐神宮儀式殿」で、右端の建物が「宇佐神宮庁」の建物・・・

更に進むと「茅の輪」があった・・・

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説明板によれば、この「茅(ち)の輪(わ)くぐり」というのは、盛夏を乗り切る方法の一つなのだそうだ。
茅の輪をくぐることで、心身の穢(けが)れや厄を払う儀式なのだそうである。
以前、水戸藩士の”シミズくん”に付き合って某神社に行った時に、彼は茅の輪をくぐっていたが・・・(笑)
う~ん・・・たぶん彼は穢れていたからやったのだろうが・・・(大笑)
拙者には自分の心身が穢れているという自覚はない。(大笑)
が・・・
周囲を見渡したら誰もいないので、ちょっとやってみるか・・という気になった。
決して拙者は穢れていないのだが・・・(笑)
説明板に書かれている作法によると・・・
まず、正面に立ち一礼をするのだそうだ。
この時に、正月から現在まで健康でいられる感謝を込めるのだそうだ。
次に左回りで一度、茅の輪をくぐる。
その次に今度は右回りで茅の輪をくぐり・・・
と・・・ここまでやっていたら、周囲に参拝者がチラホラと集まっていた。(驚)
ゲゲゲッ!なんとも恥ずかしい・・・(大汗)
しかし、途中でやめるというのもねぇ~・・・・マズイでしょうねぇ~
で・・・最後にもう一度、左回りで茅の輪をくぐり、正面に立って一礼をする。
この時、この夏から来年の正月まで健康でいられますように・・・という願いを込めて一礼するのだそうだ。
よし!他人の視線を散々浴びながら・・・(涙)・・・「茅の輪くぐり」は終了!
これで、来年の正月まで健康でいられるよな?

更に進む・・・・

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「宇佐神宮社叢(しゃそう)」
国指定天然記念物

この御(み)山は亀山、また小椋(おぐら)山とも称し、森の大部分はイチイガシ(一位樫)、クスノキを優占種とする常緑広葉樹林でほぼ自然の状態で残されている。
高木層、亜高木層、低木層はほとんど常緑樹で占められているため、四季を問わず緑深い神域が保たれている。
イチイガシは常緑広葉高木で、樹高30mに達し幹の直径が1.5mになるものがある。
樹皮は灰黒褐色であるが、皮目が多く薄片となってはげ落ち波状の模様が残る。
葉には鋭い鋸(のこぎり)歯の表面は光沢があるが下面は黄褐色の短い毛が密生している。
他のカシ類と同様に堅果(どんぐり)が出来る。

(説明板より)



「イチイガシ」・・・ねぇ~
どの木がイチイガシ????
植物に関する知識が全くないので、さっぱりわからん・・・(涙)

更に進むと色鮮やかな門が・・・
あら・・・すごい・・・

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この門をくぐると・・・これまたビックリ・・・

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あらぁ~この屋根・・・すごいなぁ~
これ・・・・杮葺きかな?
ここを回り込むと・・・そこが宇佐神宮・・・・
これが本殿かな?

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これまた素晴らしい建物である。(喜)
この宇佐神宮は、参拝の仕方が他の神社とは違っているらしい。
説明板に「二礼、四拍手、一礼」と書いてあった。

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この説明に従い、ニ礼して、パン、パン、パン、パンと四拍手して、一礼・・・・
ところが、他の参拝客はみなさん、パンパンパンパンと猛スピードで四拍手するのである!(驚)
え~!(驚)・・・そうやるのか?
パン、パン・・・と拍手の間にワンテンポ入れるんじゃないのか?
説明文には四拍手のテンポまでは書いてはいない・・・
パンパンパンパン!・・・・では、なんとも気忙しい気がするんですが・・・
本当はどっちが正しい四拍手の仕方なんだろう?
うっかり社務所の人に尋ねるのを忘れた・・・・(汗)

社殿は一つに見えるが、「一之御殿」「ニ之御殿」「三之御殿」と三つに分かれていて、それぞれに賽銭箱がある。
仕方がない・・・三つともお参りするしかない・・・(苦笑)
そのたびに賽銭箱にお賽銭を入れねばならぬ。

社殿の反対側に「宇佐神宮奥宮 大元神社遥拝所」というのがあった。

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説明板によると・・・・
『左手奥に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)です。宇佐神宮発祥の聖地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています』とある。

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へぇ~・・・あんな遠くの山が発祥の地ですか・・・・
あそこに行くのは大変だろうなぁ~(大汗)

参拝を終え、帰ろうかなと・・・
途中、「若宮神社」というところに帰路を示す看板があったので、これに従うことにした。

297_convert_20170920161446.jpg (重要文化財・若宮神社)

この帰路は「下宮経由」とのこと・・・・
うまくハメられた・・・(苦笑)

303_convert_20170920162045.jpg (下宮)

この下宮(げくう)も一之御殿から三之御殿の3つに分かれていて、それぞれに賽銭箱が設けられている。
社員旅行のついでに立ち寄ったという感じの他の参拝客が「小銭がなくなったから、俺はパス!」と言うのを聞いて、思わず笑ってしまった。
やたらと賽銭箱があるので、あっという間に小銭が無くなってしまうのである!(大汗)
こう言っては、失礼かもしれないが・・・・商売上手である・・・(苦笑)
幸い、拙者の財布には、小銭がたんまりあったので助かったが、宇佐神宮に来るときは小銭を十分に用意しておいた方が良さそうである。(大笑)

この境内に兆竹(さましだけ)というのがあった。

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兆竹 (さましだけ)

往古、宇佐神宮では神事や豊穣、国家の大事を決する時の神意の卜占を、摂社若宮神社の拝殿にて対馬の卜部が亀甲を焼いて行っていた。
その際、この下の宮境内の竹を用いて熱した亀甲を「冷まし」たといわれる。

(説明板より)


どうでもいいことだが・・・なんで「兆」と書いて「さまし」と読ませるのだろう?
「さましだけ」なら「冷竹」でもいいと思うのだが・・・・(笑)

更に戻って・・・・境内の一角にある公衆トイレのところが喫煙所となっているので、そこで一服・・・(笑)
そこへ、ワーワーキャーキャーと騒ぎながらやって来た一団・・・
韓国人のツアー客たちである。
中年のオバチャンたちは、ほぼ全員が真っ黒いサングラスをかけているという異様な雰囲気・・・(苦笑)
今にも雨が降りそうな、どんよりとした曇り空なのに・・・・真っ黒いサングラスとは・・・ねぇ~
ファッションなんでしょうが・・・
日本人の中年女性には、こういうサングラスをかける人はいないよな。
やっぱり韓国人というのは、感覚的に、どこか違うんだろうなぁ~
それにしても・・・偶然なのかもしれないが、やたらと何組もの韓国人ツアー客に会うんですけど・・・
宇佐神宮は、韓国人に人気のある観光スポットなのか?

時刻は12時を過ぎている・・・
近くに宝物館があるが、ここに行ったら、たぶん拙者のことだからじっくりと見学してしまうかもしれない・・・
そうなると、今日は宇佐神宮だけで終わってしまうような気がする。
それだけでは勿体ない気がしないでもない。
ここは・・・宝物館があることに気が付かなかったということで・・・無視することにする。(大笑)

一服後、更に境内を散策してみる。

「頓宮」というのが、境内のはずれの寂しい場所に建っていた・・・(苦笑)

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頓宮

頓宮(とんぐう)は仮殿(かりどの)、御仮屋(おかりや)ともいわれ、当神宮では夏越神幸祭(なごしのしんこうさい)(7月31日~8月2日)が斎行される際に三基の神輿(みこし)(御鳳輦・ごほうれん)がこの頓宮まで御巡幸ののち遷御(せんぎょ)される。
この大祭は明治以前まで御祓会(おはらいえ)御禊会(みそぎえ)とも称されたが、古式による独特な祓いの儀、菅貫神事(すがぬけしんじ)が今も行なわれている。
また現在の頓宮は昭和7年より始まった昭和大造営の折に新築されたものである。
古く元慶4年(880)には33年毎の式年造替が行われ、この頓宮一帯に上宮、下宮、若宮の各本殿と寸分たがわない白木造りの「仮殿」が建てられた。
しかしこの仮殿の造営も中世戦乱のため次第に行われなくなり、延宝8年(1680)には神橋付近に頓宮が造営され昭和初期まで使用された。
尚、宝物殿には我が国最古の建築指図である「宇佐宮仮殿地判指図」(国重文・鎌倉時代)や、「応永の古図」また「宇佐宮絵図」数点が展示されており参考にされたい。

(説明板より)



ここから更に奥に向かい、宇佐神宮の境内の外側に、どうも「和気清麻呂」の碑があるらしい。
ちょっと行ってみるかと、雑草の生い茂る細道を歩く・・・

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どうやら、あの木々で鬱蒼とした小山辺りにあるようである。

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一歩、足を踏み込んで・・・・唖然!
シマッタ・・・この石段・・・・(大涙)

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登るのを諦めて引き返そうとも思ったが・・・・
ここまで来て引き返すのもねぇ~
相変わらずの運動不足による呼吸困難と筋肉痛を伴う“登山”である。(苦笑)
しかも、服装は、いつものようにスーツにビジネスシューズである。(大笑)
こういうところを歩くにはふさわしくない格好である。(大笑)

323_convert_20170920202447.jpg (和気清麻呂公の碑)

まもなく、大きな石碑が見えた・・・・
これが「和気清麻呂公の碑」である。
宇佐八幡神託事件で活躍したということで、大正4年に、この碑が建立されたらしい。
文字は日本海海戦で活躍した東郷平八郎の揮毫である。

更に、奥のほうに神社があるらしいので・・・・
ここまで来たら、もう、ついでということで行ってみる。

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大尾山

天平神護元(765)から16年間、現在の上宮があった場所です。
11世紀中頃には参議源資通(みなもとのすけみち)により蓮台寺が創建されました。

(説明板より)


摂社 大尾神社

御祭神 八幡大神

八幡大神は奈良の都の大仏開眼式に臨まれ、宇佐へご帰還ののち、天平神護元(765年)この大尾山にしばしの間鎮座するとの御託宣により山上に本殿を造営、15年間お鎮まりになった。
この間、神護景雲3年(769年)7月11日、和気公は「宇佐使」として当地に参向、皇統を守護する託宣を受けられた。
大神が本宮へ還御されたのち神勅拝受の聖蹟として八幡大神の御分霊を祀り、大尾神社と称された。

(説明板より)



どうも“神様の話”はよくわからない・・・・(大汗)
帰る途中、もう一つ神社があったので寄ってみた。

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末社 護王神社

御祭神 和気清麻朝臣命

神護景雲3年(769年)7月11日、和気公は宇佐使として当地に参向「我国は開闢以来君臣の分定まれり、天津日嗣は必ず皇儲をたてよ。無道の者は速やかに掃い除くべし」という八幡大神のご託宣を受け、道鏡の野望はくじかれ皇統が守護された。
山上の摂社大尾神社附近は神託を受けた旧蹟である。

(説明板より)



滑る落ち葉に神経を使いながら、山を下り・・・・
宇佐神宮に戻り・・・・参道わきの店を覗く。
定休日で閉まっているのか、潰れてしまったのか、シャッターが閉まっている店が何軒もあった。
なんとも活気のない“商店街”であるが・・・
こんなに参拝者がいないのなら、仕方がないかも・・・
またもや韓国人ツアー客たちが、たむろしていたが、彼らがここでお土産を買うとは思えない・・・
そうなるとパッとしないよねぇ~(苦笑)
たまたま覗いたお店に「ふくろうグッズ」があったので、妹へのお土産に一つ購入・・・
でも、お店の人は・・・シラ~ッ・・・・(汗)
まぁ、そうなるのも無理はないか・・・・

時刻は午後1時を過ぎていたので、近くの食堂で遅い昼食をとる。

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旅行 | 10:06:55 | Comments(0)