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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『独立戦争ゲーム』


1 菫(すみれ)色の強奪

2 外なる暗闇

3 乱行の日々

4 誇り高き(プラウド)パーシー

5 ウォー・ゲーム

6 聖なる暗号(ホリー・コード)

7 ローリング・ホーム

8 ザ・ブル

9 エンダー館の内幕

10 エレホン

11 雇われテロリスト

12 送り主への返送

13 ナンバーズ賭博の仲間

14 バンカーズ・ヒル

15 バルーン・ゲーム

16 エポック

17 ダウン・エスカレーター

18 魔法の絨緞

19 鋤の刃

20 情事の終り

訳者あとがき


本書は「新ジェイムズ・ボンド・シリーズ」の中の1冊。
007 ジェームズ・ボンドの小説はイアン・フレミングという人が作者で、そこから映画化されたわけだが・・・
イアン・フレミングが亡くなった後に、ジョン・ガードナーという人が「新シリーズ」として引き継いだのだろうか?
久しぶりに「小説」というのを読んでみたが・・・
駄目だ・・・・
気持ちが入り込まない・・・・
読んでいても映像が頭に浮かばない・・・
ただただ、ボーッと文字を追っていくだけという感じ・・・
これは作者のせいではないと思う。
私自身が「小説」を読むには適していないのかもしれない・・・(大汗)


今年の読書:37冊目





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読書 | 21:13:58 | Comments(0)
『大エルミタージュ展』を見に行く
昨日は「近代史検証会」の“お勉強”のため上京・・・・
いつものように一泊・・・・(笑)

で・・・今日は・・・
『大エルミタージュ美術館展』を見に行くことにした。
場所は森アーツセンターギャラリーとのこと。
六本木ヒルズの森タワーにあるというのだが、拙者は行ったことがない。
六本木ヒルズってどこだ?(大汗)

西洋絵画は、いつも上野の西洋美術館でばかり見ているので、そのほかの場所には行くことがない。
が・・・今回は思い切って行ってみた。
地下鉄を降りてからもオロオロ、ウロウロ・・・・
ビルに入ってからもオロオロ、ウロウロ・・・である。(苦笑)
他のイベントもあったようなので、その観客とごちゃまぜ・・・
いったい、どの列に並べばいいんだ?
入口はどこだ?(大汗)
係員に尋ねながら、ようやく目的地に到着!(大笑)

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実は、この展覧会・・・正直言って、あまり期待はしていなかった。
「オールドマスターの傑作が勢ぞろい」と銘打っているのだが、果たしてどんなものやら・・・(苦笑)
で・・・実際に見てみたら・・・
いい!とてもいい!(大喜)
拙者は技術的な事は全く知らない。
ただ、拙者の好みに合えば「いい絵」で、好みに合わなければ「ダメな絵」と判断している。(大笑)

こういう展覧会では、一つか二つ、下手をすれば半分以上が「好みではない絵」ということが普通なのだが・・・
この「大エルミタージュ美術館展」に出展されている絵は、どの絵も拙者の好みの絵だったのである!(驚)
こういうのは初めてである!
いやぁ~嬉しくなっちゃうなぁ~
オロオロ、ウロウロしながら来た甲斐があったというものである!(笑)

エルミタージュ美術館というのは、ロシアのサンクトペテルブルクにあるという・・・・
う~ん・・・・行ってみたいなぁ~(笑)
じっくりと鑑賞するとしたら何日かかるだろう?(苦笑)

大満足で帰途につく・・・・

日記 | 14:28:56 | Comments(0)
『南方の民族』
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『南方の民族』

著者:羽生 操
発行所:(株)興風館
昭和19年6月5日印刷
昭和19年6月15日発行
定価:2円50銭(特別行為税相当額20銭) 合計2円70銭


第1章 南方時代の臺頭

 新しき歴史の創造
 ジャングルの文化
 民族提携の道
 指導者の問題

第2章 世界最古の人類ジャワ猿人
 南方と世界文化の揺籃地説
 人類進化史上の東亞の位置

第3章 地球と人類の起源

 古生人類と眞の人類
 人類の發祥地

第4章 人種と民族の問題

 世界の人種
   (1)カウカシヤ人種
   (2)蒙古人種(黄色人種)
   (3)エチオピヤ人種(黒色人種)
   (4)アメリカ・インド人種(銅色人種)
   (5)マライ人種(褐色人種)
 根據のない白人優越説
 民族とは何か

第5章 南方民族の分類

 民族の移動状態
 民族の分布状態
 マライ族の二つの意味
 インドネシアの意味

第6章 南方特殊の生活と文化

 三つの文化階級
 共通の生活様式
 首狩りの動機

第7章 民族性の長所と短所

 果たして劣等民族か
 その血の中に眠るもの

第8章 フィリピンの民族

 第1節 民族の構成
        人種上の区別
        宗教上の区別
        比律賓の哀史
        文化の水準
 第2節 代表的諸族
        タガロック族
        ヴィサヤ族
        イロカノ族
        ビコール族
        パンガシナン族
        パンパンガ族
        モロ族
 第3節 其の他の諸族
        イバナッグ族
        原始教徒の行事
        イフガオ族
        イゴロット族
        ボントック族
        バゴボ族

第9章 東印度の民族

 第1節 民族の構成
        オランダの愚民政策
        歴史と宗教
        マライ語の重要性
 第2節 ジャワ島の諸族
        ジャワ族
        スンダ族
        マヅラ族
        欧亞混血人
 第3節 スマトラ島の諸族
        メナンカバウ族
        南部スマトラ・マライ族
        バタック族
        アチェー族
        ガヨ族・アラス族
 第4節 ボルネオ島の諸族
        1.北ボルネオの諸族
            マライ族
            ズスン族
            ムルット族
            バジャウ族
            ミラノオ族
            ダイヤ族
            カヤン族
            クレマンタン族
        2.南ボルネオの諸族
            (1)カヤン族
            (2)ケニヤ族
            (3)ムルング族
            (4)ペニヤボン族
            (5)サプタン族
            (6)オラン・バハウ族
            (7)プーナン族及びプカト族
            (8)ペニヒング族
            (9)オマ・スリング族
            (10)ロング・グラト族
            (11)ズホイ族
            (12)カチンガン族
 第5節 セレベス島の諸族
        ミナハサ族
        トラジャ族
        マカッサル族
        ブギス族
 第6節 小スンダ列島の諸族
        バリ族
        ササック族
        スンバワ島民その他
 第7節 モルッカ諸島の諸族

第10章 佛領印度支那の民族

 第1節 民族の構成
        日本との歴史的關係
        文化と宗教の種々相
 第2節 代表的諸族
        安南族
        カンボヂヤ族
        タイ族
 第3節 其の他の諸族
        チャム族
        ミュオン族
        ヤオ族
        メオ族
        インドネシア族(モイ諸族)
        ミンフォン族

第11章 タイの民族

 第1節 民族の構成
        タイ人の苦闘史
        タイ族の二つの意義
 第2節 代表族タイ族
        タイ人
        ラオ族
        其の他のタイ族
            (1)コーラート・タイ族
            (2)シャン族
            (3)サムサム族
            (4)プータイ族
 第3節 其の他の諸族
        クメール族
        モン族
        ラワー族
        安南族
        マライ族
        セマン族

第12章 マライの民族

 第1節 民族の構成
        昭南島の國際色
        母屋をとられたマライ人
        マライの變遷史
 第2節 マライ族の文化
 第3節 其の他の諸族
        セマン族
        サカイ族
        ジャクン族
        欧亞混血人

第13章 ビルマの民族

 第1節 民族の構成
        住民の性格と自然の影響
        深刻な反英闘争
        堅い團結の原因
 第2節 代表族ビルマ族
        強烈な民族精神
        愛國運動の先頭に立つ僧侶
 第3節 其の他の諸族
        シャン族
        カレン族
        タライン族
        アラカン族
        カチン族・チン族
        ワー族

第14章 南方の華僑と印度人

 第1節 華僑の現状
        南洋華僑の特色
        各地における活躍状況
            (1)比律賓
            (2)東印度
            (3)佛領印度支那
            (4)タイ
            (5)マライ
            (6)ビルマ
 第2節 印度人の現状

第15章 印度の民族

 第1節 民族の構成
        主要な種族と言語
            (1)インド・アリヤン族
            (2)ドラヴィダ族
            (3)アリヤン・ドラヴィダ族
            (4)シット・ドラヴィダ族
            (5)モンゴル族
            (6)モンゴル・ドラヴィダ族
            (7)トルコ・イラン族
        家畜に等しき生活
        民族發展上の毒素

第16章 太平洋諸島の民族

 第1節 太平洋諸島の分類
 第2節 メラネシアの諸族
 第3節 ポリネシアの諸族

第17章 濠洲の民族

 第1節 白濠主義の濠洲人
        東京都にも及ばぬ全人口
        白濠主義の正體
 第2節 太古の民オーストラリア族

第18章 日本の先住民族と南方民族

 各種の先住民族
 南方民族の通路


本書は戦時中に発行された、かなり古い本で、旧漢字なので読みづらいところがあるが・・・・面白い。
フィリピンの民族は、そこそこある程度は知っていたが、その他の国の民族は全くといっていいほど知らなかったので、なかなか興味深かった。
戦争末期に出版された本だが、当時の日本は学術的調査もしていたんだなということがわかる本である。


今年の読書:36冊目



読書 | 22:06:17 | Comments(0)
『嘘だらけの日韓近現代史』


はじめに―『人間・失格』の半島

第1章 嘘だらけの「自称」朝鮮史
       第1節 朝鮮半島は常に「場」にすぎない
       第2節 「古朝鮮」 朝鮮ははアジアの支配者だった!?
       第3節 「壇君伝説」 神話は史実である
       第4節 「新羅」 兄より強い弟などいる訳がない
       第5節 「高麗」 他国の栄光は自分の歴史
       第6節 「忠烈王」 王様は売国奴?
       第7節 「世宗大王」 愚民に文字を与えた名君
       第8節 朝鮮半島は秀吉の「通り道」だった

第2章 目覚める日本と眠る朝鮮
       第1節 江戸時代における朝鮮の軽さ
       第2節 属国朝鮮での「国王殿下」とは?
       第3節 朝鮮の歴史は常にファンタジー
       第4節 「仏米に勝った」というプロパガンダ
       第5節 無礼な朝鮮―征韓論の真相
       第6節 日朝修好条規はなぜ不平等条約だったのか?
       第7節 政敵を殺しあう宮廷

第3章 代理戦争の「場」でしかない朝鮮
       第1節 「壬午事変」 とにかく中華様に媚びる
       第2節 「甲申事変」 真人間(=親日派)の悲惨な末路
       第3節 「日清戦争」は朝鮮の約束違反が招いた
       第4節 「閔妃暗殺」の黒幕は誰か?
       第5節 「日露戦争」はロシアに媚びた朝鮮が招いた

第4章 日本に「帝国」は似合わない
       第1節 朝鮮など併合したくなかった
       第2節 安重根が朝鮮の主権を奪った
       第3節 日本に植民地を持つ資格なし
       第4節 お人よしすぎる日本人
       第5節 吉野作造の問いかけ

第5章 韓民族が「反中親日」だった時代
       第1節 朝鮮人をいじめる中国人
       第2節 朝鮮を守るために満洲事変は起きた
       第3節 支那事変で示された朝鮮人の赤誠
       第4節 創氏改名・強制連行・慰安婦について語っておこう
       第5節 反日を叫ぶほど金日成賛美になるジレンマ

第6章 やっぱり「地名」にすぎない韓国
       第1節 米ソ冷戦に振り回される半島
       第2節 米中代理「アコーディオン戦争」
       第3節 李承晩に鉄槌を下した外交官
       第4節 帝国陸軍の申し子、朴正熙

第7章 自ら地獄に落ちる韓国
       第1節 大統領を倒せるのは次の大統領だけ
       第2節 北朝鮮に核武装を許した金泳三
       第3節 拉致問題を無視した金大中
       第4章 北に浸透される反日国家
       第5節 泥舟中国にすり寄る朴槿恵と日本の運命

おわりに―今、日本で何が起きているのか?そして「戦後レジーム」の正体



読めば読むほど、この国と、この民族は“可哀想”だと思う。


今年の読書:35冊目



読書 | 21:53:54 | Comments(0)
ロジャー・ムーアさん逝く・・・
イギリスの映画俳優であるロジャー・ムーアさんが23日にお亡くなりになったという。
拙者の好きな俳優さん・・・・
残念である。
享年89歳・・・・
我が親父と同い年である。

初めて、ロジャー・ムーアさんを見たのは、ずいぶん昔のことで・・・
『セイント』という“天使”の絵が出てくるテレビドラマを見た時だったと思う。
主人公が「サイモン・テンプラー」という名前だということを憶えているから・・・
正確には『セイント天国野郎』というドラマだったのではないかと思うが、ストーリーは全く覚えていない。
小学生の頃に見たドラマだから仕方がない・・・(笑)
何やらスパイドラマみたいな感じで、世界を股にかけて活躍する“怪盗”というドラマだったような気がする。
のちの007のジェームス・ボンドっぽい感じだったような気がする。
とにかく格好良かったという印象しか残っていない。

その後、ロジャー・ムーアさんを見たのは、中学生の時・・・
東京新宿の映画館で007の映画を見た。
007シリーズ第8作目『007 死ぬのは奴らだ』(1973年)だったが、あまり記憶に残っていない。
いまでも映画のプログラムを持っているので、映画館で見たことは見たんだろうが・・・・
久しぶりに懐かしく思い、その映画プログラム(パンフレット?映画冊子?)を探したのだが、なぜか見つからなかった。
確かに、以前、我が部屋の中で見かけたのだが・・・(大汗)
捨てちゃったのか?(大汗)



その次に見たのは第9作目『007 黄金銃を持つ男』(1974年)で、ロジャー・ムーア主演の007シリーズの中では、これが拙者の一番好きな作品。
香港やタイが舞台となっていた・・・
いつか行ってみたいなぁ~と思っていたら、10年もしないうちに大学の海外研修団員として香港とタイに行く機会を得た。
生まれて初めての海外が、007の映画の舞台だったことが嬉しかった。
世界中を股にかけて飛び回るっていいなぁ~などと思っていたが、まさかその後、自分も海外に頻繁に行くようになるとは夢にも思っていなかった。
どこか、この007の映画の影響を受けているのかもしれない・・・(大笑)
国内旅行は『寅さん』シリーズの影響で、海外旅行は『007』シリーズの影響か?(大笑)



ロージャー・ムーアさんは007シリーズのうちの7作品に3代目ジェームス・ボンドとして出演している。
ちょうどあの頃は、拙者が映画館通いをしているような時期だったが、彼がジェームズ・ボンド役を降りた後は、映画館では007シリーズの映画を見ていないような気がする。(笑)

映画プログラムを探してみたら、3作分だけ見つかった・・・
そんなわけないんだよなぁ~・・・全作持っていたはずなんだけどなぁ~(大汗)

第12作『007 ユア・アイズ・オンリー』(1981年)

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第13作『007 オクトパシー』(1983年)
この映画も思い出深い・・・
舞台はインド・・・
で・・・この頃、拙者もインドに1カ月近くいたのである。(笑)

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第14作『007 美しき獲物たち』(1985年)
これがロジャー・ムーアがジェームズ・ボンド役で出た最後の作品である。
最新作は2015年の『007 スペクター』、24作目の作品である。
6代目ジェームズ・ボンドとしてダニエル・クレイグが演じている。

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ロジャー・ムアさん・・・・若いよなぁ~
中学生の頃、思わず親父の顔と見比べ、同じ歳なのに、この差は何だろうかと思ったものである。(大笑)

映画俳優というのは、ある意味、幸せな商売かもしれない。
ほぼ永遠にその姿を残すことが出来るのである。
ただし、その俳優さんの一番いい時期の姿だから、その後の加齢による衰えた姿を見られたくはないという苦痛は伴うかもしれないが・・・
どっちがいいのかなぁ~
スクリーンに残るのと、残らないのとでは・・・・

実は拙者はハリウッド映画に“出演”したことがある。(大笑)
某戦争映画の中で・・・・ワシントンD.Cのアーリントン墓地でのワンシーン・・・・
画面のど真ん中に拙者の後姿が写っている。
ハッキリ言って邪魔である。(大笑)
自分で23歳の時の自分の後姿を映画の中で見るというのは、非常に不思議な気分である。(大笑)
プロである映画俳優さんたちは、どういう気持ちでスクリーンの中の自分の姿を見てるのだろう?
特に“若かりし頃”の自分の姿の場合は・・・

89歳かぁ~
親父の顔を見ながら思う・・・・89歳にもなると、ロジャー・ムーアさんとの差は、それほどなくなったな・・・(苦笑)

ロジャー・ムーアさんが演技が上手だったかどうかは専門家ではないのでわからないが・・・・
とにかく格好良かった・・・
真似できるものなら真似をしたかった・・・(大笑)
また会いたくなったら、映画を見ようかな。

ご冥福をお祈りする・・・・

日記 | 17:09:24 | Comments(0)
史跡 楠木正成公戦歿地
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史跡 楠木正成公戦歿地

指定区域 四百十三坪九合

指定年月日 昭和26年6月9日

由緒
此の地は延元元年(西暦1336年)5月25日楠本正成公(大楠公)が一族16騎、郎党60余人と共に自刃せられた所である。
明治元年(1868年)明治天皇は大楠公を千載の一人、臣子の亀鑑として鎮祭すべき旨仰せ出され此の地を含めたところに湊川神社が創建せられたのである。

(説明板より)


【兵庫県神戸市中央区・湊川神社】



史跡 | 16:16:27 | Comments(0)
日本最古 湊川神社オリーブ樹
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日本最古 湊川神社オリーブ樹

日本のオリーブの歴史は明治の富国強兵・殖産興業政策に端を発します。
当時政府は有用植物栽培研究に乗り出し、外国産植物を積極的に栽培し、輸出の拡大を図りました。
そこで明治6年、ウィーン万博の事務副総裁・佐野常民が初めて日本にオリーブ樹を持ち帰り、兵庫県勧業場「神戸植物試験場」(現在の県公館附近)に植付けされました。
次に明治11年、パリ万博の事務長・前田正名が持ち帰ったオリーブ樹は内務省三田育種場神戸支園(現在の北野ホテル付近。後に「神戸阿利襪園」となる。)に植付けされました。
当社のこのオリーブ樹は、明治末期、両植物園が共に閉園を迎えた際に当社に移植されたものである、といわれていますが、どちらの園のものかは未だ定かではありません。
佐野常民・前田正名の両人と、当湊川神社初代宮司・折田年秀は大変親交篤い仲でした。
折田は珍しい植物を大変好んだ人で、佐野氏がユーカリなど多数の植物を折田宮司に寄贈したこと、前田氏にも様々な木苗の注文をしていたことなどが記録に残っています。
両人に縁ある植物園が閉園するにあたって、珍しいオリーブ樹が当社に移植されたことは想像に難くないのです。
同時代のオリーブ樹は、加古川の宝蔵寺以外、他に国内に現存することが確認されていません。
樹齢百数十年、日本最古のオリーブ樹のうちのこの1本は、歴史を見守りつつ毎年撓わに実を結び続けているのです。

平成27年 湊川神社社務所

(説明板より)


【兵庫県神戸市中央区・湊川神社】



史跡 | 14:01:50 | Comments(0)
徳川光圀公御像並頌徳碑
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徳川光圀公御像並頌徳碑

徳川光圀公は元禄4年(1691年)水戸の藩主を辞して西山荘に隠退し大日本史の編纂に着手されたが翌元禄5年大楠公(楠木正成公)を景仰して「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立し其の御盛徳を天下に顕彰された。
湊川神社において此の御功績を追慕して御像の建立を発願し、委員長に小倉正恒氏を戴いて昭和30年7月11日に完成したものである。


頌徳文起稿 徳富蘇峰氏
銅像原型制作 平櫛田中氏
御像鋳造 伊藤忠雄氏

(説明板より)


【兵庫県神戸市中央区・湊川神社】



史跡 | 13:51:24 | Comments(0)
楠木正成公墓碑
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史跡 楠木正成公墓碑

指定区域 三百六十四坪四合

指定年月日 昭和26年6月9日

由緒
此の墓碑は延元元年(1336年)5月25日御殉節せられて後、150年余を経た元禄5年(1692年)12月21日徳川光圀公によって建立せられたものである。
碑面八文字「嗚呼忠臣楠子之墓」は光圀公筆にして碑陰に明の遺臣朱舜水の撰文を彫す。

(説明板より)


【兵庫県神戸市中央区・湊川神社】



史跡 | 12:58:58 | Comments(0)
湊川神社
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湊川神社(みなとがわじんじゃ)

御祭神
(主神) 楠木正成公(くすのきまさしげこう)(大楠公)(だいなんこう)
(配祀) 楠木正行卿(くすのきまさつらきょう)(小楠公)(しょうなんこう)及び湊川の戦で殉節された楠木正季(まさすえ)卿以下御一族16柱並びに菊池武吉(きくちたけよし)卿
摂社 甘南備(かんなび)神社(御祭神、大楠公夫人)

由緒
大楠公は、元弘元年(1331年)9月に後醍醐(ごだいご)天皇の命に従い挙兵、やがて鎌倉幕府を崩壊に導き、「建武中興(けんむのちゅうこう)」に大きな功績をあげられた。
しかし、謀叛により一時九州へ敗走した足利高氏の大軍を、大楠公は、ここ湊川で迎撃、激戦の末、延元元年(1336年)5月25日、弟正季卿と「七生報国(しちしょうほうこく)」を誓って刺交し、殉節を遂げられた。
その後御墓所は、豊臣秀吉検地の際、免租地とされ、江戸時代初期には摂津尼崎城主・青山幸利(あおやまよしとし)公によって松と梅が植えられ、五輪の供養塔も建てられた。
更に元禄5年(1692年)、水戸光圀(みつくに)公(義公)(ぎこう)によって、墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」が建立、大楠公の御盛徳が天下に顕彰された。
これにより、大楠公景仰の気運が愈々高まり、やがて維新回天への力強い精神的指導力となった。
そうした幕末から維新にかけて、尊崇して已まない大楠公、その御神霊を奉斎したいという国民運動が盛んになり、明治元年(1868年)4月、明治天皇は、神社創祀(そうし)の御沙汰書(ごさたしょ)を下された。
よって明治5年(1872年)5月24日、社名を「湊川神社」とし、初めての別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)に列せられ、同日鎮座祭、翌25日楠公祭が斎行されて、ここに湊川神社が創建された。

御盛徳
大楠公は、智・仁・勇の三徳を備える非常な人格者で、聖人とも仰がれた武将であった。
大楠公の忠誠と正義とを以て貫かれた精神は、楠氏一族子孫に至るまで受け継がれ、日本史上これほど偉大な影響を後世に及ぼした人はない、と言われるほど、その後の国民に大きな感化を与えたのであった。

(説明板より抜粋)


【兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1】



史跡 | 11:01:55 | Comments(0)
湊川神社に行く
今日は帰宅する日だが、その前に1か所だけ行きたい場所がある・・・
「湊川神社」!(笑)
なぜなのか、どうしても寄ってから帰りたい・・・
前回、神戸に来た時にも行こうとしたが、ちょうど雨が降り出したため断念した。
今回、二度目のチャレンジである。(笑)

ホテルをチェックアウトして三宮駅から神戸駅に向かい、神戸駅からブラブラと徒歩で向かう・・・
タブレットの地図を見ていて気が付いた・・・・
前回、「神戸文化ホール」まで来ていたのだが、ここから歩いてすぐのところに「湊川神社」があったのだ!(驚)
あのとき、そのまま歩いていけば、雨が降る前に到着していただろう。
どうしてわけのわからん地下鉄に乗ってウロウロとしちゃったんだろ?(苦笑)
タブレットの地図は表示部分が限られている。
画面をスクロールしなければ、つい、見落としてしまう・・・
ここが紙に印刷されている地図との大きな違い。
紙の地図なら、一目でわかったはずである。
が・・・紙の地図では自分の“現在位置”がわからない・・・(苦笑)
ここが方向音痴の人間のツライところである。(大笑)
何にでも、長所、短所というものはあるものだ・・・

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何やら門の前が賑やかである・・・・なんでだろう?(笑)

まずは、門をくぐってすぐのところにある、楠木正成のお墓に行きお参りする。
この墓碑は徳川光圀が建立したという。

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すぐ近くに、水戸光圀公の銅像が・・・・
う~ん・・・我がイメージとはかなり違う、グロテスクに見える銅像なのだが・・・
本当は、こういう顔の人だったのかな?(苦笑)
この銅像を造ったのは平櫛田中という人なのだが・・・
以前、この人が造った岡倉天心像を見たことがあるが、やっぱり、どこか“枯れている”という感じの銅像だった。
これが朝倉文夫さんが造ると、また違った雰囲気の銅像になるのだろうが・・・
拙者としては、どちらかというと朝倉さんの造る銅像が好きである。(笑)

順序が違ったが・・・(笑)
ようやく本殿をお参りする・・・

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なにやら大勢の人が集まって、昇殿されていた・・・
まもなく開式の案内・・・どうも「楠公祭」というのが行われるらしい。

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本殿参拝後、宝物殿を見学・・・

そして再び本殿に向かう。
この裏辺りに「楠木正成自刃の地」があるらしいのだが、行き方がわからなかったので社務所で尋ねてみた。
と・・・「神職と一緒でなければ中には入れません」と巫女(?)さん・・・
「今日は楠公祭で神職は忙しいので・・・」と言われた。(汗)
「そうですかぁ~・・・・じゃぁ、又の機会に・・・」と話していたら、後ろから「私がご案内しましょう」と神主さん。
あらら・・・お忙しいところ申し訳ない・・・(大汗)
タイミングよく、神職さんにご案内いただけることとなった。

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この場所が、「自刃の地」らしい・・・
門扉は閉まっていたが、鍵を開けていただき内部へ・・・・

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ここでお参りをし・・・・神職からお話を伺う。
さらにこの奥のなにもなさそうに見える場所が、どうも「自刃の地」らしい。
今となっては明確ではないのだろうが、どうも、当時の住民の証言に基づいているらしい。
この場所に遺体があった・・・ということか?

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「今日は楠木正成の命日なんですよ」と神職。
あらら・・・たまたま訪ねたらところなのだが・・・命日でしたか・・・(汗)
それで楠公祭が行われているのだそうだ。
楠木正成は有名な人なので名前だけは知っているが、実は詳細は全く知らない・・・(大汗)
南朝とか北朝とか言われても、その時代には全く興味がないので記憶に残らないのだろう。
例えていえば、田中角栄という人は有名だが、何をした人なのかを知らないのと同じ・・・(大笑)
拙者の場合、田中角栄が自民党なのか社会党なのかも知らないに等しいという無知ぶり・・・(苦笑)
楠木正成さんねぇ~・・・はぁ~・・・????(苦笑)・・・・なのである。

「この湊川神社は、水戸光圀公が楠木正成を顕彰してくれたおかげで出来た神社といっていいと思います」とのこと。
「そう!その光圀さんの茨城県から来ました!」と言ったものの・・・・
命日も知らずにノコノコとやって来たのだから威張れたもんじゃない・・・(大汗)
シマッタ・・・(大汗)
この湊川神社と茨城県、水戸徳川家とは今でも何らかのお付き合いがあるのかどうかとお尋ねしたところ、全く何もないとのこと・・
それもちょっと寂しい話である。
「では、私の方から茨城県知事によく言っておきましょう!」と言ったら笑われた・・・(大笑)

「5年に一度、武者行列をやるので、来年がその年なので、是非、見に来てください」とのこと。
武者行列は、地元で、企画、運営をしたことがある。
見るより“取り仕切る”ほうが拙者は好きなのだが・・・(笑)
「見るんじゃなくて、手伝ってくれと言われたら喜んで取り仕切っちゃうんですけどぉ~」と言ったら、また笑われた・・・

不謹慎かもしれないが、冗談連発で笑いながらの見学となってしまった・・・
ご案内いただいた神職さんには大変失礼をしてしまった。(大汗)
あとになってから・・・反省・・・

駅前に戻り、近くの喫茶店で昼食をとり・・・・帰途につく・・・
今日もまた充実した時間が過ごせた・・・
感謝、感謝・・・

旅行 | 10:39:57 | Comments(0)
一宮神社の手水舎
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旧大和郡山城主本多忠直公御門
宝永7年3月作(西暦1710年)
奉 唐破風造古門一宇
芦屋市 中村準祐

(木札より)


この手水舎の唐破風の建物は今から278年前宝永7年(西暦1710年)大和郡山(現在の奈良県郡山市)城主本多忠直公の御門であります。
昭和20年まで北野町1丁目(現六甲荘)の中村準祐邸の御門として大和郡山より移築されておりましたものを当神社へ寄進されました。
本多家は徳川氏四天王の随一松平親氏の時代から仕える三河譜代に属します。
三葵の紋を賜りこれに茎をつけ立葵を家紋としています(当建物の鬼瓦の紋)。
本多家からは、忠勝(桑名城主)忠政(姫路城主)政朝(姫路城主)忠義(白川城主)政利(明石城主)等多くの城主が出ており、忠政は家康の孫女を娶りその嫡子忠刻は有名な千姫を娶っております。

昭和63年8月
一宮神社社務所

(説明板より)


【兵庫県神戸市中央区山本通1-3-5・一宮神社】



史跡 | 14:50:28 | Comments(0)
高田屋嘉兵衛埋葬地
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高田屋嘉兵衛埋葬地

1818年(文政元年)、事業を弟達に譲り郷里都志に引退した嘉兵衛は、都志八幡神社随神門の寄進や灌漑用井堰の築造・都志港などの修築等郷土の開発に尽くした。
しかし、1827年(文政10年)4月5日(太陽暦4月30日)、病のためその波乱に満ちた生涯を閉じ、ふるさとを見下ろすこの地に手厚く埋葬された。
墓碑は多聞寺に祀られている。
享年59才。

法号 高誉院至徳唐貫居士

葬儀は、都志の長林寺で執り行われたが、この地への葬送の列は道中途切れることなく、まだなお寺の境内にあふれていたと言われ、嘉兵衛の人望とその偉大な業績が偲ばれる。

(説明板より)


嘉兵衛の里めぐり 健康ウォーキングコース
②高田屋嘉兵衛翁埋葬墓地
―茅生の隈―

高田屋嘉兵衛翁は、郷里の都志に帰って9年後の文政10(1827)年4月に病死。
遺体は「茅生の隈」に埋葬されました。
享年59歳。
墓には長い石材を使った石室が造られているようです。
翁の左側には、弟金兵衛も眠っています。

語り草
「遺体は甕の中で朱につけられているんやぜー」

五色町・五色町教育委員会
高田屋嘉兵衛翁顕彰会

(説明板より)


【兵庫県洲本市五色町・高田屋嘉兵衛公園】



史跡 | 13:20:25 | Comments(0)
日露友好の像
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日露友好の像

この日露友好の像は北海に雄飛し壮大なドラマを展開した高田屋嘉兵衛翁の没後百七十年と日露国交回復四十周年を記念して、嘉兵衛翁に寄せる多くの人々の熱い思いを結集し、ロシア芸術会会員の彫刻家に依頼し制作鋳造、翁が心血を注いで開拓したクナシリ島から搬入した岩石を台座として建立したものです。
江戸時代の後期、北の海域の緊張が高まりつつあった1811年、幕府によって捕らえられたロシア海軍ディアナ号艦長ゴローニンの身代わりとして、翌年クナシリ島沖を航行中の嘉兵衛翁がロシア艦に拿捕され、厳寒のカムチャッカに連行されましたが、これを好機としてとらえ、異国語の壁、乏しい食糧、同行水夫の病死など、重なる困難を乗り越えて両国の和平を説き、放免後は幕府を説得してゴローニン釈放の立役者となり、日露武力衝突の危機から国難を救いました。
ゴローニン提督は、ロシアに帰国後、「日本幽囚記」を著し、嘉兵衛翁を評して「この世で最もすばらしい人物」と称えて、翁の肖像画を残しています。
親しい会談を希望しながら、存命中遂に実現できなかった二人の邂逅の姿を再現し、日露友好の永遠のシンボルとし、またこの公園のモニュメントとして、函館・根室の礎を築き、さらにクナシリ・エトロフ等、北の大地を拓くと共に、郷里の発展に尽くした不滅の業績を後世に語り継ぐ一里塚となることを心から祈念する次第です。

平成8年8月21日
兵庫県五色町長 砂尾 治

(碑文より)



【兵庫県洲本市五色町・高田屋嘉兵衛公園】



史跡 | 12:59:28 | Comments(0)
映画『瀬戸内少年野球団』モニュメント
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映画『瀬戸内少年野球団』モニュメント建立趣旨

五色町出身の作詞家 阿久悠氏の自叙伝的小説『瀬戸内少年野球団』が淡路島を舞台に映画化され、昭和59年夏に公開、大ヒットをとばしました。
この映画は、敗戦直後の混乱期を野球に夢を託しながらたくましく生きようとした先生と子供たちの姿が実にさわやかに映し出され、人々の感動を呼びました。
そしてまた、戦後40年ちかくを経て、ややもすれば忘れかけていた当時の世相や生きざまを強烈に呼びおこし、現代日本の繁栄をもたらしたエネルギーの原泉をつぶさにかいまみる想いを抱かせました。
永かった昭和の時代に別れを告げ、平成の世に移り変わったこの機に、その当時のもようを永く人々に語り続けてもらうとともに過ぎ去りし激動の昭和の時代を記念するモニュメントの建立を発起しました。
平和日本のますますの繁栄と合わせて「夜明けの活力」にあやかり、今後の町おこしにつながっていくことを祈念してやみません。

平成3年5月吉日
五色町長 斎藤 貢

(説明プレートより)


【兵庫県洲本市五色町・高田屋嘉兵衛公園】


 


史跡 | 11:31:11 | Comments(0)
淡路島へ行く
昨晩のうちに神戸に来て1泊・・・・
今日は、淡路島の泉家さんのお宅を訪問する。
高速バスに乗り約1時間でお宅に到着・・・・
奥様と大阪在住の娘さんのお迎えをいただいた。
「わざわざ遠くから・・・」と恐縮されたが、泉家さんには、どうしてもお線香をあげたいのである。
時間がかかろうが、カネがかかろうが、どうしても訪問してお線香をあげたいのである。
ご家族には余計な気を遣わせることになって申し訳ないが・・・
自分の気が済まない・・・
泉家さんからは、たくさんのことを学ばせていただいた・・・
どういう形でお礼をすればいいのかが、わからない・・・
お線香をあげて手を合わせる事しかできない・・・
これでご勘弁ねがうしかない。
今回の降って湧いたような戦友会解散が、うまく回避できたのは、もしかして泉家副会長のお陰かも・・・
とりあえず、戦友会は無事に存続できそうですとご霊前にご報告する。
で・・・・ご家族と、しばし思い出話を話する。
あ~やっと気持ちが落ち着いた・・・

ずいぶん昔に、泉家さんから淡路島の観光マップやらの資料を頂いたことがある。
「あんた、史跡めぐりが好きなんだって?是非、淡路島に来なさいよ」と言われて慰霊祭の時に渡された・・・(笑)
資料には泉家さんがいろいろと書き込みをしておいてくれていた。
が・・・それから何年も、そのまま放置してしまい・・・
ようやく2年前にお宅を訪問したが、時間に余裕がなく、そのまま真直ぐ本州に移動してしまった。(汗)
今回は・・・泉家さんから誘われた淡路島の観光をしてから帰ろうと思う。(笑)

タクシーを呼んでもらい、お宅を辞する。
淡路島は交通の便が不便なようなので・・・・(汗)
タクシーで向かうことにした。(笑)
目的地は・・・「高田屋嘉兵衛公園」!(喜)

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「高田屋嘉兵衛公園」・・・別名は「ウェルネスパーク五色公園」というらしい・・・・
なんで2つも名前を付けるのだろう?
「高田屋嘉兵衛公園」だけでいいと思うんだけどなぁ~(笑)

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公園内に銅像が・・・・
映画『瀬戸内少年野球団』のモニュメントだそうだ・・・
この映画を見たことはない・・・(苦笑)
だいたい拙者は邦画はつまらないと思っているので、邦画は見ない・・・(苦笑)
だから、何の話なのかは分からぬが・・・
ここ淡路島で撮影されたので、ここにモニュメントを建てたらしい。

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近くに、もう一つ銅像が・・・・
「日露友好の像」という銅像・・・
高田屋嘉兵衛翁とゴローニン提督の銅像だが、出来がイマイチ・・・・(大汗)
制作者名を見てみたら、ロシア人だった・・・
やっぱりねぇ~・・・・どう見ても日本人が作ったようには見えなかったんだよねぇ~(汗)

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三笠宮崇仁親王殿下のお手植えの五葉松があった!
ここに殿下もいらっしゃっていたんだ!(大喜)
旅の行く先々で殿下のお手植えの樹木に会うたびに嬉しくなってしまう。
久しぶりにまた殿下にお会いしたような気持ち・・・・
100歳でお亡くなりになられた殿下を偲ぶ・・・・
この五葉松は生き生きと育っているようで安心した。
殿下はここに平成10年4月24日に訪れているらしい。

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公園内にある「高田屋嘉兵衛顕彰館」を見学する。
この建物には3つの名前が付けられている。
「高田屋嘉兵衛顕彰館」「歴史文化資料館」「菜の花ホール」である。
で・・・・「菜の花ホール」の表記が一番大きく出ている。
うっかりすると、ここが資料館だと気づかずに通り過ぎるところである。
なんで、3つも名前を付けるのかね?(苦笑)

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以前、北海道の函館に行った時に、高田屋嘉兵衛の屋敷跡を訪れたが、その「屋敷図」が展示されていた。
へぇ~こんなに広い屋敷だったんだぁ~

館内の見学を終え、職員の人と、しばし雑談をして・・・(笑)
次に向かったのは、公園内にあるらしい高田屋嘉兵衛のお墓・・・・
ところが公園の案内図(イラストマップ)があまりにも簡略し過ぎで、おおよその場所は分かるが、正確な道順がわからない。
こんなイラストマップは困ったものだ・・・(大汗)
散々探し回って、ようやく公園の隅に「道標」を発見!

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この細道を下りて行き・・・ようやく墓所に辿り着いた・・・(大汗)

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拍子抜けするほど、小さく、質素なお墓である。
弟さんと並んで眠っている・・・・
小さな墓石がチョコン・・・というお墓は高田屋嘉兵衛の遺言でそうなったのか、それとも子孫がケチったのか?(苦笑)
高田屋嘉兵衛は文政10年(1827年)に59歳で亡くなっている。
早いと言えば早いよなぁ~
拙者が57歳ですから・・・・拙者が2年後に死ぬようなものである。
早い!(笑)
高田屋嘉兵衛は、亡くなる10年ほど前に家業を弟に譲って隠居の身となった・・・
この点、拙者も45才を過ぎたところで“隠居”したんだから、同じようなものだが・・・(大笑)
やったことのスケールの大きさは高田屋嘉兵衛には遠く及ばない・・・(大涙)
人間の出来が違うんだろうなぁ~
あ~我が人生を振り返ると・・・後悔ばかりである。(笑)

この公園始発の高速バスが1時間に1本程度の間隔で出ている。
時刻は午後3時40分・・・(汗)
急いでバス乗り場へ向かう。
乗客は拙者一人・・・・(唖然)
これで採算が合うのだろうか?・・・という気がしないでもないが・・・・
次のバス停は「五色バスセンター」・・・・
公園のある高台を下りて、まもなくの場所にある。
と・・・・ありゃ!(驚)
ここは、「高田屋嘉兵衛生誕地」のすぐ隣ではないか!
大きな石碑も建っている!
あらら・・・・
途中下車は出来ないので、車窓から見るしかない・・・(涙)
失敗したぁ~
ここまで歩いてきて、ここから乗れば良かったんだ・・・
「五色バスセンター」なんていう名前だから気が付かなかった・・・
「嘉兵衛生誕地跡前」とかという名前にしておいてくれれば良かったのに・・・・(涙)
いつか、また、来るようか?(苦笑)

高速バスで終点の「三宮バスターミナル」まで行き、徒歩でホテルに向かう。
で・・・・偶然見かけた神社・・・・
ちょっと気になったので立ち寄ってみる。

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「一宮神社」というらしい・・・
小さな目立たぬ神社である。

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ここの手水舎に驚いた!
この“建築物”は大和郡山城主・本多忠直の屋敷の門を移築したものだそうだ。
あらぁ~・・・・である。
すごいものを見つけちゃった!(大笑)
大和郡山城には行ったことがあるので、親近感が湧く・・・(笑)

ここを参拝して・・・ホテルにチェックイン・・・・

旅行 | 10:11:39 | Comments(0)
永代神楽祭で打ち合わせ
今日は我が戦友会の永代神楽祭の日・・・
いつものように前泊して靖国神社に向かう。

今回集まったのは、拙者を含めて5名・・・・
当初は7名のはずだったが、直前に2名がキャンセル。
そのうちの1名は確か96歳になると思うが、戦友の方で体調不良・・・
無理もないよなぁ~
もう一人は泉家副会長の息子さん・・・
代理出席の予定だったが、泉家さんが急逝したため参列できなくなった。
これはやむを得ない・・・

今回集まったのは、2名が戦没者遺族、2名が物故者遺族、1名が賛助会員・・・
“戦友”の皆さんがまだご存命の時に「俺たちが死んだあとはどうするんだ?あんた一人だけになるんじゃないか?苦労をかけて申し訳ないなぁ~・・・」と何度も言われたことがある。
そのたびに「一人になっても続けますから気にしないでください」と拙者は答えていた。
本気で一人になっても出来る限り続けようという気でいたのである。
で・・・今年は拙者を含めて5名!(喜)
他の人は「たった5名ですか?」と笑うかもしれないが・・・
拙者にとっては、こんな嬉しいことはない!
一人じゃないのである!(大喜)

毎回、拙者がベラベラとくだらないお喋りをするのが常なのだが・・・
今回はそういうわけにはいかぬ・・・
先日、会長から戦友会解散の方針が出され、その直後に、まさかの副会長の急逝である。(涙)
今後のことを皆さんと打ち合わせをしなければ・・・
なんとも気が重い・・・

我が戦車第2師団は、フィリピンで終戦まで山奥に立て籠もって戦い続けた部隊である。
その部隊の戦友会が、そうそう安易に解散などしていいのだろうか?
拙者には、そういう“プライド”がある・・・
トコトン戦った部隊なのである。
我々もトコトン頑張って、彼ら戦車第2師団の将兵と師団の指揮下で戦った配属部隊の将兵の霊を慰めてあげるべきではなかろうか?
戦友会を続けると、経済的な破綻につながるわけではなし、命を奪われるということもない・・・
戦友会を続けると自分の生活が駄目になってしまうというのなら解散もやむを得まいが・・・
年に1回の永代神楽祭に参列するくらいの事は、やってやれないわけではあるまい。
が・・・これは拙者の我がままか?
拙者一人だけが「絶対解散などしない!」と頑張るのは、戦友会を“私物化”することになりはしないか・・・
悩むところである。

本年度スタート時点での会員数は40名・・・
そのうちの10名が“戦友”である。
会員は全国に散らばっているため、なかなか上京してくるというのは難しい。
が・・・それでも皆さん、年会費を納入してくださっている。
これは“託されている”と解釈していいのではないだろうか?
「参列は出来ないが、よろしくおねがいします」ということではなかろうか?
ならば、続けてあげねば・・・と思うのである。
“戦友”はご高齢になり外出すること自体が難しくなっている。
この方々が一人でもご存命の間は、“託されている”と思って慰霊を続けてあげたい。

またまた一方的ではあるが、今回参加された方々に拙者の“思い”を語らせていただいた。
“マエダ”会長の戦友会解散の方針を覆すには、次期会長を選出することである。
“マエダ会長は、もう会長職を引き継いでくれる人はいないだろうと勝手に思い込んで、自分の代で始末をつけるということで解散を言い出しているのだから、会長職を引き継ぐ人がいるなら会は解散しなくてもいいいだろう。
ということで・・・説得工作・・・(苦笑)

実務はすべて拙者がおこなっている。
拙者の代わりをしてくれというのでは負担が大きく二の足を踏まれても仕方がないが・・・(苦笑)
こういっては、失礼になるが、会長と副会長である。
特に何をするというわけでもなく、“名前だけ”なのである。(苦笑)
案内状等を作成して発送し、出欠のとりまとめをするのも拙者・・・・
会費の徴収と会計業務をするのも拙者・・・・
原稿を書いて編集して会報を発行するのも拙者・・・・
対外的な交渉事も拙者・・・である。
会長も副会長も特に何もしなくていいのである。(笑)
が・・・事はそうそう簡単ではないらしい・・・(涙)
どうしても“長”の付く役職には抵抗を感じるのだろうか?
なかなかすんなりとは話は決まらない・・・(汗)

一応、旅団長のお孫さんである“シゲミさん”に会長を・・・
機動歩兵の大隊長の息子さんである“ヤナギモトさん”に副会長を打診する。
“シゲミさん”にはこの間の会計監査の時に打診したが固辞されたので、その気持ちは良く分かっているのだが・・・
状況がさらに切迫しているので、もう一度再考してくれるように頼む・・・
“ヤナギモト”さんは“シゲミさん”が会長職を継いでくれるなら副会長になってもいいと内諾を得た。
“シゲミ”さんには精神的負担を与えてしまうが・・・なんとか再考を願う。

人事の引き継ぎタイミングは拙者の独断で・・・
“マエダ”会長がお亡くなりになるまでは引き継がないとした。(苦笑)
これまた“マエダ”会長にも精神的プレッシャーをかけてしまうことになるので申し訳ないが・・・(大汗)
死ぬまで会長をやっていただく・・・(苦笑)
それまでは副会長職は欠員のままで続ける。
で・・・・“マエダ”さんがお亡くなりになった時点で、新会長と新副会長の就任とする・・・
なんだかんだと、一方的に皆さんにプレッシャーをかけてしまうが、これも英霊の為と思って我慢していただきたい・・・(汗)

「いい答えを待っています」と下駄を預け・・・(苦笑)
無事に永代神楽祭を終えて解散・・・・
いつも以上にクタクタ・・・クラクラ・・・フラフラである・・・(笑)

帰宅後、夜、早速、”シゲミ”さんから「次期会長職を引き継いでもいい」とのお電話を頂いた!(大喜)
大感激である!!
これで“ヤナギモト”さんも副会長を引き継いでくれるから一件落着である。(大喜)
皆さんのご協力、ご厚意に感謝、感謝である。
不祥事や悪評などで皆さんにご迷惑をおかけしないように拙者自身が気を引き締めねば・・・・
“マエダ”会長に早速連絡して、次期役員人事を伝え、戦友会解散のお考えを撤回してくれるようお願いする。
あ~よかったぁ~
気分が晴れた!
感謝、感謝!

日記 | 15:08:53 | Comments(0)
『高山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る』


まえがき

第1章 大新聞はホントのことを書いてない

新聞が売れない理由は「国益」を無視するからだ
   朝日新聞を中心に「新聞は公平だ」と嘯くが読めば健康に悪い
     米国人は「新聞」を読んでいる
     「讒謗律」で新聞VS.政治の対決
     朝日は権力を倒すのが使命と
     従軍看護婦の嘘を書いた記者

「記者クラブ開放」の弊害―会見は人民裁判になった
   原子力のゲの字も知らない者が幼稚な質問を繰り返す
     社会党本部での「二つの会見」
     安倍&中川「でっち上げ記事」
     テレビを使った「人民裁判」が
     日本を貶めればそれでいい?!

東電を「悪者」に仕立てた新聞は暴れん坊将軍だ
   社会部は勧善懲悪のパターンに固執して阿漕な知事を善人に
     「豊田商事事件」の複雑な背景
     朝日新聞が“キャンペーン”を
     被害者は「100パーセント善良」なのか?!
     2度も面会を断った佐藤知事

JR西・福知山線事故の真犯人を隠した大新聞
   検察審査会は日本の良識が反映されるから朝日新聞は読むな
     陪審員が裁く米国の裁判事情
     日本も司法改革で変わったが
     70年安保から変わらない国労
     国労の不祥事を伝えない朝日

米国や支那を喜ばす日本の特派員はおかしい
   米国格付け会社のいい加減さをいまさら書き立てる大新聞の底意
     S&Pに世界が騙された結果
     日経ほかの新聞はひれ伏して
     ここまで韓国に阿る理由は?!
     新聞の本音は「細部」に現れる

「原発はいrない」と嘯く日本の新聞は負け犬だ
   NYタイムズは野田首相のことを「回転ドア首相」と評したが
     新聞が騒いで遊具がなくなる
     背の立たないプールは禁止に
     六本木ヒルズの国産回転ドア
     孫正義「太陽光発電」のペテン

第2章 米国や支那に媚び諂う必要はない

日本から「知恵」を盗む支那人&米国人の狡猾
   朝日新聞は日本の漢字離れを非難するキャンペーンを張るが
     「デモクラシー」に困った人々
     「支那」憲法の75パーセントは日本製?!
     なんでも盗んでキャッチアップ
     朝日は原発廃止でがなり立て

日本の大学を占拠する支那留学生を追い出せ
   朝日新聞は「有能な留学生逃す危機」などと煽るが
     100人教室で150人の出席カード
     教授会は外国人に甘すぎる!
     もはや「反日の犯罪集団」に・・・・・
     「グローバルな人材の確保」の愚

ゴミとヘドロに埋まった支那の「上海蟹」は食べるな
   金持ち支那人は日本米を持ち帰るが「嫌がらせ」は続く
     列車の旅は万年床に巨大ダニ
     風呂にも入らぬ不潔さゆえに
     米国が「不潔な日本人」対策を
     「日本米は虫付き」と嫌がらせ

日本人は米国製憲法をいつまで墨守するのか
   紀元節にマッカーサー憲法を押し付けた米国の邪悪さとは
     好きに爆弾を落とした「B29」
     「皆殺し作戦」が実施された日
     米国が日本を瓦解させた象徴
     あの憲法を捨てればよかった

朝日新聞は支那を庇い、売国教授は嘘を創る
   朝日の特集「裁かれる虐殺」を読んでも分からない世界のウラ
     弾が勿体ないから頭を叩いて
     朝日・山元記者の“無知ぶり”
     支那からカネを貰っているのか
     後藤乾一早大教授の「創作力」

日本の新聞が書き立てるGHQの「まやかし幻覚」
   日本の歴史とともにあった清浄な大麻をなぜ禁止したのか
     ヘロイン中毒は儲かるから・・・・
     ヒロポンによる「猫目」の効果
     注連縄(しめなわ)や麁服(あらたえ)も麻で作られた
     日本人留学生を叩く共同通信

中国死刑囚「最後の晩餐」キーセンパーティ風とは!
   テキサス州では処刑前の豪華な晩餐は廃止になりそうだが
     「貧相な種なしパン」メニュー
     「カトリック」VS.「東方正教会」
     国を売った尾崎秀実の食事は
     「2週間前の血液検査」の意味

第3章 朝日新聞の傲慢なウソを見破ろう

朝日新聞「原発アレルギー」キャンペーンはこわい
   「天声人語」を書き写すための“本”が売り出されたおかしさ
     大江&半藤本が新刊書の棚に
     朝日は北京の視点だけで書く
     放射線医療も「内部被曝」に・・・
     こんな新聞に広告を出す企業

『朝日新聞』キャンペーンに言論の責任を負わせろ
   オウム犯逮捕でわかった国民総背番号制を潰した新聞の罪
     日本人の変容を感じる展開が
     「人を信じない」米国と化した
     消えたグリーンカード導入案
     「住基カード」に顔写真はなし

『朝日新聞』が報じないポルポト派裁判の奥底
   毛沢東の40年を4年に凝縮した支那式「家族皆殺し」の残虐
     朝になると「拷問の時間」が・・・
     我が子の処刑を見せられる親
     毛沢東の「紅衛兵」と同じ役割
     秋岡記者が伝えなかった実態

米国TPPをやる前に特派員の再教育が必要だ
   ファイアストンにもトヨタにも何もいえない外交官と記者
     日の丸企業で立ち直ったのに
     275億円の和解金払わされて
     トヨタの社長を“吊るし上げ”
     朝日新聞の主筆が書いたこと

朝日新聞『素粒子』が腐す「外国人が逃げ出す日本」
   新聞もテレビも無知なジャーナリストが多すぎないか?!
     日本でいえば「新宿2丁目」風
     小粒でなく巨石でもない石で
     「テレビ報道」のいい加減さが
     ロンドンは「平和の空気」か?!

支那の詐欺根性を知らぬ朝日新聞記者の気楽な稼業
   「危ないアフガン」の素顔を隠した朝日特集記事に見るあざとさ
     要塞都市バムは盲目の都市に
     米軍のアフガン撤退を契機に
     マイクロソフトの「知財ドロ」
     嘘でも無知でもOKなのか?!

夫婦のように寄り添う朝日新聞&日弁連の連動
   「慰安婦問題もみ消し」記事で再び嘘ばかり書き連ねるが
     血まみれズボンを履く弁護士
     お返しは指紋押捺廃止の支援
     防犯カメラにまで反対したが
     まるで自分は関与していないと

第4章 国益を無視する政治家はいらない

パチンコ闇工作金の怪―菅首相は「資金洗浄屋」か
   テレビのワイドショーが報じないマネーロンダイング疑惑
     やらせ同然のテレビコメント
     大谷昭宏や川村晃司の弱腰は
     カネに汚い菅首相の献金疑惑
     テロリストの息子に流れた?!

「共通番号制」を欠陥にした世にも愚かな民主党よ!
   ちゃんと実施されれば脱税や社保庁のインチキも防げるのに!
     NAFTAでメキシコは壊滅
     SSN導入で密入国者を排除
     不法入国の中国人が経営者に
     ICカード化は金がかかると

三木首相に始まった「武器輸出3原則」の愚
   防弾チョッキとヘルメットを頼んだら通産省がダメ出しを
     3か月に1回は「戦場行き」に
     「丸山真男」が交遊録に登場!
     「ボクも平和主義」が国を潰す
     鳩山首相と福島みずほの愚見

民主党「悪政」は支那人に免許証をやったことだ!
   朝日新聞のお勧めだった民主党政権は「日中友好」を進めて
     西安は排煙とクラクションで
     ポプラの幹が輝いていたのは
     ハンドルを持ったら狂人に・・・
     日支友好で日本人が殺される

北朝鮮とそっくりの小沢首領様の「公開処刑」
   北朝鮮の死刑囚は顎を砕かれてから処刑台へ上るが
     石を口の中に入れられたまま
     デノミの責任者が処刑されて
     社保庁から情報を得た「朝日」
     「事業仕分け」は見せしめ刑だ

第5章 狂ったリーダーたちにノーを!

オバマ大統領の狙いは「強いアフガン」の阻止
   フセインを死刑台に送り込んだ手法でタリバン除去にあたる
     「エノラゲイ展示」は計画通り
     いまもサダムは悪者のままで
     ずっと混乱しているアフガン
     「9・11の悪夢」が再び甦る・・・

PM2・5を産み出した支那人に援助は要らぬ
   知財がない中で不潔さでは独創性を見せる彼らがやることは!
     日本に嫉妬を剥き出した孫文
     世話になった日本人妻を捨て
     支那砂漠化を心配した武村氏
     朝日が伏せた脱硫装置の転売

韓国・朴槿恵大統領へ「正しい歴史」を教えよう
   父・朴正熙の歩んだ道を見れば侵略や奴隷的支配など全くない
     朴正熙の歩んだ道を思い出せ
     「高木正雄」と名を変えた軍人
     半島縦断の鉄道を造ったのに
     「反日教育」はカネになると・・・・

日本人を装う似非日本人 あんたは何様のつもりか
   被災地で遺体の指や顔を砕いて指輪や金冠を奪っていく集団
     「長野鉄男」と名乗った姜尚中
     「私たちは」とは「韓国同胞」か
     朝鮮系パチンコ屋からカネを
     西村真悟が報告した仰天事態

米国&中国に通底する「訴訟事情」の醜い実態
   どちらも「騙して脅して訴えて」という発想は変わらない
     米国の識字率にみる無教養さ
     弁護士の分け前が異様に高い
     強姦されたら「場所」が問題だ
     「処女膜がやぶれた」で訴訟に

韓国とパラオの違いは「性格の悪さ」にあり?!
   どちらの国旗も日の丸を真似たように見えるけど・・・・
     米西戦争に隠れた米国の本音
     阿片で儲けた「大統領の祖父」
     日本を偲ぶ「色違いの日の丸」
     36年間つぎ込んだ国家予算は

ネパールに目をつけた「中国の狡さ」は奥深いぞ
   インドに対抗するためネパールを抱き込みチベットを狙う
     「聖なる木」一帯に不法入国者
     アフガンの民はハイエナ風で
     英国の戦略に欠かせぬグルカ
     「天井のイモリ」は軍事的脅威

朝鮮からは悪意と偽りの「歴史観」しか来なかった
   「文化は朝鮮渡来」説は慰安婦問題と同じでかなり怪しい
     平山郁夫も渡来説の肩を持つ
     遺伝子が朝鮮人とかなりの差
     日本から水車の技術を学んだ
     対馬の朝鮮通信使行列が中止

第6章 新聞記者と役人が日本を貶める

朝日と外務省が墨守するマッカーサー憲法の秘密
   憲法前文は他国の批判を許さないから朝日は日本の悪口をいう
     大使を殺害するテロ実行犯?!
     河野洋平が空を見上げた理由
     「相手国誹謗は違憲」との判断
     「憲法と朝日」は捨てちまおう

無能で傲慢な役人が日本を危なくしている
   樋口一葉の5千円札から主婦年金問題までやりたい放題
     お札は「豊かさ」を象徴するが
     「役人は優秀で有能」はウソだ
     入国管理局長が決めた“愚策”
     長妻前厚労相が乗った救済策

まともな日本人のために裁判官は朝日を読むな
   偏った戦後民主主義は朝日新聞を読んだ判事が作った
     マッカーサー指令に基づいて
     靖国神社を焼き払ってしまえ
     朝日の『ひと』欄で褒め上げて
     B型肝炎訴訟“和解”の波紋が

「英語公用語化」に疾る朝日新聞や楽天の阿呆
   英語はガサツな言語だからまず精緻な日本語を学ぶべきなのに
     日本語の持つ情感が一切ない
     マナー知らずのマッカーサー
     重光葵の努力を無にする朝日
     日本人を上から目線で誹謗し

すべての新聞記者諸君へ―支那・米国にへりくだるな
   朝日から産経まで「相手に呑まれるな」の記者心得を忘れている
     朝日記事で米国はわからない
     NYタイムズは朝日本社の中
     朝日記者は妻に吹き込まれて
     新聞記者はもっと勉強せよ!


今年の読書:34冊目



読書 | 22:02:40 | Comments(0)
『嘘だらけの日米近現代史』


はじめに―番犬様との付き合い方を考えよう!

第1章 捏造だらけのアメリカ建国神話
        第1節 ワシントンは架空の人物?
        第2節 かたちばかりのモンロー主義
        第3節 ただの極悪人だったリンカーン

第2章 知られざる日米の蜜月 1839~1908
        第1節 小国アメリカからの使者ペリー
        第2節 ハワイをめぐる攻防戦
        第3節 アメリカと見た「坂の上の雲」

第3章 世界大戦の勝者はソ連だった 1908~1945
        第1節 世界史的災厄をもたらしたウィルソン
        第2節 日英米の「恨み」の三角関係
        第3節 笑いが止まらないスターリン

第4章 敗者としてのアメリカ 1945~1960
        第1節 GHQは“落ちこぼれ”の吹き溜まりだった
        第2節 朝鮮戦争で翻弄されるアメリカ
        第3節 民主主義は二の次だったアメリカ

第5章 冷戦期の“お利口さん” 1960~1990
        第1節 ケネディが火をつけたキューバ危機とベトナム戦争
        第2節 「負け犬」カーターと「闇将軍」角栄
        第3節 冷戦に勝利したレーガンとブッシュ

第6章 アメリカよ、世界を返せ! 1991~2011
        第1節 アメリカ・コンプレックスの正体
        第2節 おい、クリントン、世界を返せ!
        第3節 実は何もできなかったブッシュJr.
        第4節 「テキトー」なオバマ

おわりに―神田うのは日本一の右翼か?

付録 アメリカ盛衰史


今年の読書:33冊目



読書 | 21:57:43 | Comments(0)
泉家さん逝く・・・・
淡路島在住の“戦友”である泉家(いずみや)さんの息子さんからお電話を頂いた・・・・
嫌な予感が的中した!(涙)
10日にお亡くなりになったという。

19日に靖国神社で我が師団の永代神楽祭がある。
その出欠回答のハガキが届いていたが、ご高齢のため欠席、代理で息子さんが出席ということだった。
本人自筆のハガキである。
いつもより少し文字が乱れていたが・・・・
タイミングからいって、この出欠回答のハガキを投函して直ぐにお亡くなりになったようである。
あ~ショック!(涙)

で・・・葬儀の方は、今日が通夜式で、明日が告別式だという!(大汗)
なんということか・・・・
今からでは親父を置いて淡路島には向かえない・・・
今からでは留守中に親父の面倒を見てもらうヘルパーの手配も間に合わない・・・(涙)
残念ながら、葬儀には参列できない・・・
泉家さんは我が戦友会の副会長なので、急ぎ会長に報告をして、供花の手配の許可を頂く。

泉家さんは98歳でお亡くなりになられた。
氏は母一人子一人の家庭環境で育ち、戦地から帰って来て、母親の面倒を見た。
お母さんは97歳でお亡くなりになったそうで、2年前にご自宅を訪問したとき「母親の死んだ歳を越してから死にたい」とおっしゃっていた。
「あと1年ですから十分、大丈夫ですよ!」と言ったのだが、まさか本当に母親の死んだ歳を追い越してすぐにお亡くなりになるとは・・・
これは喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・
ある意味、こんな幸せなことはないかもしれない・・・
自分の願いが叶ったのだから・・・・
「万歳!」と喜んであげるべきか?
欲を言ったらキリがないが・・・できれば100歳でも110歳でも、長生きしてほしかった・・・

息子さんの話では、亡くなる前に永代神楽祭のための玉串料を準備してあったたので郵送するとのこと。
そこまで手回しをしていたとは・・・・驚きである。

泉家さんは“運の強い人”だった・・・
北部ルソンの山岳地帯にいた時、本部から一人、情報将校を差し出せと命令が来た。
この時、泉家さんは見習士官・・・
大隊の中から、泉家さんが選ばれ、単独でジャングルの中を3日かけて本部に向かった・・・
この時、本人は部隊に残って戦友たちと一緒にいたかったらしいが、命令である・・・従わねばならない。
しかし、この時点でジャングルの中を移動するというのは自殺行為に近い・・・
いつ山の中でフィリピンゲリラに襲われるかわからないのである。
単独行動ではなおさらである。
仲間と一緒に残っていたいと思うのも無理はない。
拙者も現地に行ったことがあるが・・・一人でこの山中を歩くのは嫌だ・・・(苦笑)
大隊の陣地を出発して3日後に本部に到着・・・
電話で無事に到着したことを知らせようとしたが応答がない・・・
陣地のある方角を見たら・・・黒煙が上がっていたという。
泉家さんが出発してまもなく、大隊は米軍の攻撃を受けて全滅してしまったのである。
生き残ったのは・・・3日前に陣地から移動した泉家さんだけ・・・
命令とは言え残酷である。
「戦友と一緒に死にたかった」とおっしゃったことがある・・・
大隊の中で、一人だけ生き残ってしまったという寂しさからか、それとも生き残った罪悪感からの言葉なのだろうか?
人の運命は分からない・・・・
もしかしたら部隊は米軍の攻撃を受けても持ちこたえ、多くの兵が生還し、泉家さんはジャングルの中でフィリピンゲリラに襲われて人知れず戦死していたかもしれないのだ。
当時としては、そちらのほうが確率が高かったのではあるまいか?
「貧乏くじ」を引いたように見えても、わからんものである・・・
神のみぞ知る・・・か?

拙者が住む茨城県は、やたらと地震が多い・・・(苦笑)
大小さまざまな揺れが年がら年中起こっている。(笑)
「地震速報」がテレビで流れると、必ずと言っていいほど泉家さんからお電話がかかってきた。
「お~い!大丈夫かぁ~?頑張れよぉ~!」
これが恒例となり、テレビで「地震速報」が流れたら、すぐにコードレスフォンを手元に置いて“待機”することにした。(大笑)
身内でもないのに、いつも気にかけてくださっていた・・・
これからは地震が起こっても、もう電話がかかってくることはない・・・(涙)
なんとも寂しい・・・・

先日、名古屋に行った時に会長から戦友会解散の方針を聞かされた。
その直後、神戸に向かったので、ついでに淡路島へ行き泉家副会長に報告しようかとも思ったのだが、行かなくてよかった。
あの時に行っていたら、最後にもう一度お会いできただろうが、解散するしないのゴタゴタを知らせることになる。
そういう心配をかけることなく済んだのだから、あの時に会いに行かなくて良かったと思うべきか?
何も知らず、この世を去ることになったので、良かったかもしれないと思う。
それにしても、このタイミング・・・・
なんというタイミングだろうか・・・という気がする。
戦友会の解散の問題については、天国から見守っていただくということで・・・
他の会員と話し合って、いい結論を出したいと思う。

心からご冥福をお祈りする・・・

日記 | 21:57:42 | Comments(0)
『評伝 真崎甚三郎』


はじめに

その1 昭和史の主役たち

1 天皇、その四つの顔
2 吉田山の誓い
     ―青年貴族の野望―
3 バーデン・バーデンの盟約
     ―天皇制軍閥の起源―
4 昭和維新の原点
     (1)青年将校運動
     (2)教育者・真崎甚三郎少将の登場
5 軍人真崎の形成
     (1)その歴史的土壌と精神的風土
     (2)生いたちから陸大卒業まで
     (3)中堅将校として
     (4)真崎軍事課長
     (5)颯爽!真崎師団長

その2 荒木・真崎(皇道派)時代

1 荒木陸相の留任劇
2 荒木と真崎
     人事異動
3 黒いかげり!天皇と真崎
     (1)天皇と秩父宮
     (2)天皇と真崎
4 大将昇進と次長の辞任

その3 颱風の眼・真崎大将

1 突風!真崎陸相の辞任
2 林陸相の誕生
3 ふたたび、青年将校運動について
4 軍の政治介入宣言
     ―陸軍パンフレット問題―
     (1)軍の企図
     (2)真崎教育総監の危惧
     ―真崎と永田の決定的瞬間―
5 無血クーデター・天皇・天皇機関説事件
     ―国体明徴運動―
6 元凶を追放せよ!
     ―真崎教育総監の罷免―
     (1)荒木より真崎だ!
     ―四面楚歌の真崎教育総監―
     (2)真崎教育総監追放の経過
          ①いつの頃から
          ②具体的な進行
     (3)罷免劇の首謀者たち
          ①永田鉄山軍務局長の場合
          ②林陸相の場合
          ③皇族総長の効用
          ④そのとき天皇は
     (4)真崎罷免の反響

その4 痛恨!昭和維新は成らず
―厚かった天皇の壁―

1 真崎将軍の登場
2 ふたたび、天皇と真崎
3 軍事参議官会同と説得工作
4 勇将・真崎あり!
5 天皇の素顔
6 秩父宮の立場
7 この事件の本質
8 偉大なる天皇の威力

その5 狡兎死して走狗烹らる
―軍独走態勢の礎石―

1 粛軍と政治介入
2 政治裁判としての暗黒裁判
     ―裁かれるものは何か―
3 天皇と青年将校
4 真崎裁判
     (1)真崎逮捕拘禁の法的根拠
     (2)獄中生活
     (3)無罪判決
     (4)つきまとう幻想

その6 落ちた偶像
―世論の残忍性―

1 湖底の竜
2 最後の抵抗―近衛上奏文
3 余喘をたもつ
     極東軍事裁判
4 隠されたる真価
     真崎の遺稿
5 執念の勝利
     (1)真崎のファミリー
     (2)愚真の終焉
     (3)天皇と真崎二世(長男秀樹)
     ―歴史の悲劇―

真崎甚三郎略年譜

参考引用文献一覧表

あとがき


私は真崎甚三郎という人に、いいイメージを持っていなかった。
どうしても“卑怯な男”というイメージがあるのである。
2・26事件で青年将校たちをけしかけておきながら、いざとなったら知らぬ存ぜぬ・・・
裁判にかけられたが、無罪放免・・・・
狡猾だなぁ~と思っていたのだが・・・・
本書を読んでみて、おや?・・・という印象を受けた。
真崎甚三郎の評伝だから、多少、えこひいきして書かれているのだろうという先入観を持って、否定的に読んだとしても・・・おかしい・・・・私の今まで持っていたイメージと違うのである。
これは、どうしたことだろうか?
「なるほどねぇ~」という点がいくつもある。
いつ、どこで悪いイメージを植え付けられてしまったんだろう?(苦笑)
“通説”が果たして“真実”を語っているかどうか・・・
本書は一読の価値ありの本だと思う。


今年の読書:32冊目



読書 | 09:51:38 | Comments(0)
つに57歳!
今日は拙者の誕生日!(涙)
昔なら、誕生日が来るのが嬉しかったが・・・
最近は・・・・ちょっと・・・ねぇ~・・・・である。(苦笑)
え~と・・・俺は何歳になるんだ?(汗)
最近は、自分の年齢もわからなくなってきた・・・(大汗)

東京から姪っ子たちがやって来て、拙者の誕生日を祝ってくれた!(喜)
本当にありがたいことである。
毎年、毎年、申し訳ないねぇ~・・・である。

DSCN4511_convert_20170716211658.jpg

今年のバースデーケーキは一番下の姪っ子の手作りである!(大喜)
初めて自分でスポンジケーキを焼いたそうで・・・・
それを東京から持ってきたのだが、「カバンに入り切れなかったので縦にして入れてきた」と言う・・・
「なぬ?縦にして入れた?」(唖然)
どうりで心なしかケーキがUの字に曲がっているわけだ・・・・(大笑)
押し込んだのか?・・・(大汗)
デコレーションのイチゴとオレンジは何故か拙者がスーパーで買わされる羽目に・・・
ん?・・・俺が買うの?(大笑)
チョコレートでプレートを作ったらしいが・・・
何て書いたのやら・・・・クサビ形文字である・・・・(大笑)
「うまく書けなかったんだよねぇ~」と姪っ子・・・
拙者は歳は取っているが、古代ペルシャ人というわけではない・・・・クサビ形文字は読めない・・・(大笑)
ロウソクの数が足りない・・・
「仏壇のロウソクを使ってもいいかなぁ~」と姪っ子・・・
「馬鹿!それだけはやめろ!」(大笑)
「やっぱり駄目かぁ~・・・そうだよねぇ~」

なぜか、親父がニコニコ顔・・・・
やたらと喜んでいる。
「ほぉ・・・・誕生日?誰の?俺のか?」と親父・・・
「親父は何月生まれだっけ?」
「ん?6月だけど・・・」
「今は5月だぞぉ~」
「ん?じゃ、誰の誕生日なんだ?」(真顔)
「俺だよ!息子の俺の誕生日!」(怒)
「なぁ~んだ・・・そうかぁ~」
「なにそれ・・・」(唖然)

今年も楽しいバースデーパーティとなった。
姪っ子たちに感謝、感謝、大感謝である!(大喜)

日記 | 21:10:24 | Comments(0)
タケノコ堀り!
今日は毎年恒例の「タケノコ堀り」である。
“ウメちゃん”の奥さんの実家の山でのタケノコ掘り・・・
「勝手知ったる他人の山」・・・である。

ところが、今年は気候のせいなのか、例年のようにタケノコが出ていない。
いつもなら1日で100本くらいは掘り、掘りつくしたと思っていても、2~3日経ってまた行くと、また100本近くが顔を出しているというありさまなのだが・・・・
今年は、ほとんど見当たらない。
それどころか、山のあちこちにタケノコを掘った跡の穴がある!
穴の深さから想像するに、“売るため”に掘った奴がいるようだ。

個人で食べるために近所の人が勝手に1~2本掘っていくのは黙認しているが・・・
商売として掘るのは許せない。
他人の土地であることを知っていながら勝手に入り込んで何十本も掘っていく奴がいる。
一度、現場を押さえて掘ったタケノコ全部を分捕ったことがある。(大笑)
小ずるいジジイだったが・・・
またあの野郎か?(怒)

今年はどこでもタケノコは不作だそうで、タケノコの値段が上がっているそうだ。
ということで“密漁”して(笑)・・・売り飛ばそうという奴が出てくるのは無理はないかも。
こういう小ずるい奴は・・・穴を掘って埋めて・・・(大笑)・・・「ミイラ取りがミイラ」ならぬ「タケノコ泥棒がタケノコの肥料」にしてやりたいくらいである・・・(大笑)

今年は不作ではあったが、それでもタケノコ泥棒が見逃したタケノコを30本ぐらいは掘った・・・(苦笑)
年に一回の“重労働”はこれで終了!(大笑)
お疲れさまでしたぁ~

日記 | 22:31:48 | Comments(0)

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