■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
久々のペリリュー島!
“ナカムラさん”が用意してくれた朝食をいただき、“別荘”を出発!
今日は、これからモーターボートでペリリュー島へ向かう。

DSCN4178_convert_20170516104442.jpg

DSCN4180_convert_20170516103403.jpg

青い空に白い雲・・・・エメラルドグリーンと群青色のコントラストの海のはずが・・・
天気が悪い!(涙)
前回は低気圧接近の影響で海が大荒れ・・・
今回は荒れはしなかったが、ペリリュー島の方角に、明らかに雨雲とわかる黒い雲が立ち込めている。
あ~あ~・・・・残念だぁ~
晴れていたら最高の景色なのになぁ~(涙)

DSCN4183_convert_20170516105158.jpg DSCN4184_convert_20170516105224.jpg

パラオ本島を出発して、ちょうど1時間後にペリリュー島に着いたときは・・・雨!(涙)
しかも結構激しい雨である・・・(汗)
拙者は「雨男」ではないはずなのだが・・・
だれか、この中に、“普段の行ないが悪い人”がいるに違いない・・・(大笑)

最初に向かったのはペリリュー州知事のところ・・・
アポを取っておいたらしいが、不在!(苦笑)
まぁ~そんなものでしょう・・・南国では・・・(笑)
仕方がないので、今度はペリリュー島の酋長のところへ挨拶に行く。
酋長とお会いして来島したことを伝え簡単にご挨拶・・・

次に向かったのは、「ペリリュー小学校」・・・

DSCN4215_convert_20170516110653.jpg (ペリリュー小学校)

校長先生にお会いしてご挨拶・・・
リーダーの“ヨコハマさん”が「お土産」の文房具等を用意してきたので、それを贈呈。
校長先生から小学1年生のクラスに寄贈してくれるようにとのお話をいただき、「贈呈式」(?)となる。(笑)

DSCN4217_convert_20170516110719.jpg

突然の訪問客に、「お土産」である。
子どもたちは大興奮!(大笑)
このくらいの子供というのは、どこの国の子供でも本当にかわいい・・・
これが大人になると、犯罪を犯したり戦争を起こしたりしてしまうのだから・・・これが不思議だ。(笑)
いっそのこと、人類はすべて子供だけ・・・となったほうが地球は平和かもしれない・・・(大笑)

拙者が初めてこの小学校を訪問したのは2010年のこと。
あの時も小学1年生のクラスを訪問した。
彼らは、もう“中学生”になっているだろう。
あの時に撮った彼らの写真を焼き増しして持ってくれば良かったと、この時になって気づいた・・・(汗)
しくじった・・・(苦笑)

次に向かったのは、“洞窟陣地”・・・
ペリリュー島観光の“定番”である。

DSCN4219_convert_20170520110916.jpg DSCN4218_convert_20170520110836.jpg

015_convert_20170520131342.jpg 014_convert_20170520131300.jpg

次に向かったのは、「日本人墓地」・・・・
雨の降る中、ここにある慰霊碑の前で「慰霊祭」を執り行う。
拙者は、いつものように三笠宮殿下からいただいた菊花の模様の入った「恩賜のタバコ」を供える。
これは、もうずいぶん前に殿下から頂いたもの。
このところの「禁煙ブーム」(正確には嫌煙ブームか?)のおかげで、宮内庁も「恩賜のタバコ」の生産を中止することとなった。
拙者が戦没者の慰霊をしているのを知って、「これで最後です」ということで、最後の数箱をくださった。
大切に今まで保管していたタバコで、これを持参してお供えしたのだが・・・・
大失敗!
雨の中、迂闊にも、そのままお供えしてしまったのである!!(ゲゲッ!)
あっという間にタバコはびしょぬれ・・・・(涙)
シマッタ!
ビニール袋に入れてお供えすべきだった!
貴重な1箱を一瞬で失うこととなる。(大涙)

DSCN4222_convert_20170520110943.jpg

その後、ホテルにチェックイン・・・
コテージ風のホテルで、拙者は宮司の“タガワさん”と同室。

DSCN4223_convert_20170520111022.jpg

このホテルで昼食をとり、その後、一休み・・・・

DSCN4224_convert_20170520111058.jpg

午後は、日本政府が建てた慰霊碑に向かい、そこで慰霊祭を執り行う。
神主の“タガワさん”は、ここをメインということで、正装して慰霊祭に臨む。
土砂降りに近い雨の中での慰霊祭となり、結構、大変だった・・・・(汗)

DSCN4226_convert_20170520115620.jpg DSCN4225_convert_20170520115548.jpg

次に向かったのは零戦の残骸のある“某所”・・・・
雨のせいで、沼地と化していた・・・(汗)

DSCN4231_convert_20170520115834.jpg DSCN4232_convert_20170520115900.jpg

次に向かったのも・・・“某所”・・・・
とにかく“某所”と書くしかない。
あまり正確な位置を教えると“マニア”に荒らされる可能性がある。
この国が課しているルールというのを守らない“マニア”が結構いる。
まぁ・・・拙者を含め・・・・“マニア”だから、こんなところまでやって来るのだろうが・・・(大笑)
「触るな」「位置を変えるな」「持ち去るな」と言われたら、守るべきだ。
理不尽であろうと、何であろうとルールはルールである。
ルールを無視するような輩には情報は与えるわけにはいかない。
ということで・・・“某所”

この“某所”で、ご遺骨を見つけた。
以前に二度ほど、この“某所”には来たことがあるが、その時は遺骨など見当たらなかったのだが・・・
たぶん落ち葉などで覆われていたのだろう。
その後の風雨で表面が飛ばされたか流されたかして地表に現れたものと思われる。
骨の太さから想像すると、腕の骨のようである。
(あえてご遺骨の写真は載せないことにする)

周囲には薬莢が集中して散乱していた。
この薬莢が日本軍の物かどうかは拙者にはわからない。
一か所に集中しているということは、三八式歩兵銃のような単発式の銃のものとは考えられない。
たぶん、軽機関銃のような連発式のものではなかろうか?
だから一か所に集中して十数発の薬莢が落ちているのではなかろうか?
ここの地形、米軍の進撃方向等々から、このあたりの戦闘状況が想像できる。

周辺を探索・・・
石を積んだ場所・・・「石塁」と呼ぶべきだろうか?
明らかに人工的に造られたものである。
日本軍の第一線陣地跡ではなかろうか?
向いている方向からしても、上陸してきた米軍に向かって「抵抗線」を成している。

相変わらず“ヨコハマさん”から「ちょっと来て!これ、日本軍のものですか?」との声が飛ぶ。
で・・・ジャングル内を飛び回るので・・・写真を撮っている暇がない・・・(涙)

021_convert_20170520132607.jpg

これは、米軍の水陸両用戦車の車輪の一部・・・

026_convert_20170520132712.jpg

飛行機のエンジンとカウリング・・・・
すぐ近くに翼の一部と思われるものもあった。
なんで、こんなところに?・・・・という気がしないでもないが・・・
米軍のものか日本軍のものかは不明・・・・

030_convert_20170520132746.jpg

問題は・・・これ・・・
う~ん・・・これ、どこかで見た記憶があるのだが・・・・
どこで見たんだっけかなぁ~
どこかの戦争博物館とか軍事博物館で見たような気がするのだが・・・
何だっけかなぁ~・・・これ・・・
とうとう思い出せなかった・・・(涙)

今日の“行動”は、以上・・・・
ホテルに戻り、夕食・・・
無理のない余裕のある行動計画なので体調を崩さずに済む。
ありがたい・・・(喜)

DSCN4233_convert_20170520115940.jpg

033.jpg (ホテルから見た夜景)

スポンサーサイト
旅行 | 10:30:33 | Comments(0)
埋没戦車の調査と慰霊
まもなく“某所”に到着する。

DSCN4098_convert_20170509135022.jpg

“ヨコハマさん”の話では、ここに「第二次戦車隊」が駐屯していたのではないかと思うとのこと。
当時撮影した写真を参考に、背景の丘の形を見比べて、「駐屯地跡」を推定すると、ここではないかという。

DSCN4101_convert_20170509135050.jpg

特徴のない平坦な背景では、なかなか難しいが・・・
ここが当時の幹線道路であり、平坦な場所ということから戦車の移動には便利であることは地形的に言える。
駐屯地にするには“適所”であるといえる・・・
一応、ここを「駐屯地跡」ということで“認定”することにする。(笑)

このパラオの防衛を担当していたのは栃木県宇都宮で編成された第14師団・・・
この師団には「第14師団戦車隊」という戦車部隊があった。
この部隊は、拙者が関係している戦車第2師団隷下の戦車第6連隊で編成されたという。
各地から兵員をかき集めて戦車第6連隊内で約3ヵ月ほど訓練をして、九五式軽戦車17両で編成され、制式に「第14師団戦車隊」となり転出していった。
そういう意味でも、我が部隊とは縁がある。
で・・・この「第14師団戦車隊」はペリリュー島へ派遣され、現地で米軍と交戦し全滅した。
で・・・パラオには「戦車隊」は無くなってしまった。

パラオは南方各地へ向かう輸送船の中継基地でもあった。
特に、ニューギニア戦線へ向かう輸送船が、ここを利用していたようである。
各種雑多な部隊が一時的にパラオに上陸したが、次の輸送船の手配によっては、そのまま一部の兵員が残ってしまったりしていた。
その中で、「南洋第6支隊」(愛媛県松山で編成)の戦車中隊と「独立自動車第42大隊」の戦車小隊の戦車が残されていた。
本隊はニューギニアに向かったが、戦車は輸送船に載せることができなかったのだろう、パラオに兵員と共に残置されたのである。
そこでこの戦車を集めて新たに「第14師団戦車隊」を編成したのである。
我々は便宜上、「第二次戦車隊」と呼ぶ。
この戦車隊は九五式軽戦車17両で編成されていたとも、13両だったともいわれているが、よくわからない。
この戦車隊はパラオ本島の防衛に付き、そのまま終戦を迎えている。
その「第二次戦車隊」の駐屯地がここではなかろうかということで確認のため訪れたのである。

で・・・周囲を散策してみたら・・・「自動車」の残骸を見つけた!

DSCN4102_convert_20170509135144.jpg DSCN4103_convert_20170509135209.jpg

日本軍の「小型自動車」の残骸のようである。
となると・・・「九五式小型乗用車」・・・・通称「くろがね四起」と呼ばれる、小さな乗用車ということになる。
が・・・かなりボロボロとなっている残骸である。
よくわからない・・・(涙)
四角い箱のような形の鉄板も見受けられる。
もしかして、これは荷台か?
となると・・・これは乗用車ではなく「九五式小型乗用車」を改造した「九五式小型貨物自動車」となるが・・・
拙者の知識不足ということで、なんとも情けない話なのだが、暫定的に、とりあえず「くろがね自動車」ということにしよう。(苦笑)

さらに“某所”に向かう・・・・(笑)

道路から一歩踏み込んだジャングルの中に戦車の残骸がある。
この戦車は「第二次戦車隊」に所属する戦車で、終戦時に日本軍の手で破壊されたものであることが分かっている。
が・・・どこに埋没しているのかは明確ではなかったが、去年だったか、“ヨコハマさん”と新聞記者の“サイトウさん”が、これを見つけて、“サイトウさん”の手で新聞に記事が掲載された。
で・・・今回、改めて確認のため訪問。

DSCN4129_convert_20170509155459.jpg DSCN4136_convert_20170509155631.jpg

ジャングルに埋もれている日本軍の九五式軽戦車・・・

DSCN4115_convert_20170509155244.jpg DSCN4119_convert_20170509155341.jpg

それらの戦車の内部の様子・・・・

DSCN4138_convert_20170509155709.jpg (ジャングルの中を探索中)

生還者の証言では、戦車を一列に並ばせて爆破して廃棄したという話である。
ジャングルの中は木や枝が邪魔をしているが勝手に切り倒すわけには行かない。(笑)
埋まっている戦車も、地面を掘り返して確認することもできない。
パラオでは戦跡や遺品等に勝手に手を触れることは法律で禁止されている。
現状を変えてはいけないのである。
これに違反すると・・・多額の(たしか100万円だったかな?)罰金か懲役1年の罰を受けることになる。
というわけで・・・地表に出ている部分だけを見て埋没戦車の位置を確認する。
で・・・その位置をGPSで測定して記録する。

ここに日本軍の戦車が埋まっているということを州政府は全く知らなかったという。
戦車の台数は果たして17両なのか13両なのか・・・
今回の調査は州政府と州政府を通して地主の許可を得ての調査である。
以前、日本人の“某マニア”が無許可でペリリュー島の戦跡を歩き回り大問題となったことがある。
その“某マニア”が誰なのかは拙者は聞いて知っているが、今更、本人を責めても仕方がない。
が・・・おかげで、そのとばっちりを受け、戦跡の調査に制限を受けてしまっている。
我々も“同類”だと思われるのは甚だ迷惑である。
ここは“他人の土地”であるのだから、必ず正規の手順を通して許可を得てやってもらいたいものだ。

生還者の証言のように“一列に並んで”いるというより、蛇行している感じで何両かの戦車が埋まっていた。
見ようによっては、2列か3列に並んでいるようにも思える。
もし戦車の数が17両だったとしたら、それを一列に並べるというのは、土地の広さからいって無理な話ではあるまいか?
かなりの長さになってしまう。
結局、確実に、これは戦車だ・・・といえるものは数台しか確認できなかった。

ここで、宮司の“タガワさん”が略式の慰霊祭を催行する。

続いて向かったのも・・・“某所”・・・・(笑)

DSCN4140_convert_20170509174155.jpg DSCN4146_convert_20170509174239.jpg

ここにあったのは朽ち果てたトラックである。
ここまでボロボロの状態で“シャーシ”しか残っていないと、よくわからない。
バラバラに散らばっている部品は草に覆われてしまっているので、手掛かりにならない。
この樹木や草を刈り取りたい衝動に駆られるが・・・・(大笑)
手を触れるわけにはいかないので我慢、我慢・・・(涙)
可能性として高いのは「九七式自動貨車(トラック)」ではなかろうか?

戦車の探索の時もそうだったが・・・(笑)
“ヨコハマさん”から、彼が何か見つけるたびに「これは何ですか?」の質問が飛ぶ。(苦笑)
拙者は、それほど専門知識を有しているわけではないのだが・・・(大汗)

DSCN4154_convert_20170509175448.jpg DSCN4148_convert_20170509175421.jpg

時刻は午後1時・・・・
移動途中の東屋(?)で、旅行社が用意してくれた弁当を食べる。
これがまたおいしいのである!(大喜)
やっぱり外で食べる食事というのは格別のものがある。

昼食後、続いて向かったのは現地で「KOKUSAI(コクサイ)」と呼ばれている場所・・・
ここに「国際電気通信(株)」(昭和13年設立)の施設があったので、現地人から「コクサイ」と呼ばれているとのこと。

DSCN4158_convert_20170509195520.jpg

このコンクリート製の廃墟が、国際電気通信(株)の、たぶん、無線電話施設ではないかと思う。

DSCN4159_convert_20170509195618.jpg

すぐ近くに鉄塔が倒れている・・・
無線塔か?

DSCN4160_convert_20170509195647.jpg

この廃屋の天井の丸い穴・・・・
爆弾で空いた穴ではないことは明確である。
拙者の想像だが・・・これは鉄塔からこの建物の中へケーブルを引き込む穴ではなかろうか?

DSCN4167_convert_20170509210004.jpg DSCN4169_convert_20170509210034.jpg

大きな機械が1台残されていた。
これは・・・もしかしたら発電機ではなかろうか?
すぐ隣に同じ大きさの土台が残っていたところをみると、もしかしたら同じ機械を2台並列に置いていたのではなかろうか?
つまり、1台は予備で、万が一、1台が故障もしくは点検・整備などで停止した場合でも不都合が出ないための措置・・・
並列となれば、その可能性は高いだろう。
操作盤(もしかしたら整流器?)の残骸も残っていた。
この建物にあるのは、これだけ・・・・
あとはガランとしている・・・

廃墟の“観光”をして・・・つぎにまた“某所”に向かう・・・

DSCN4172_convert_20170509211415.jpg

ジャングルの中に車輛が埋もれていた・・・
写真では見づらいのだが、これは特殊車両である。
皆さんから「これは何ですか?」と質問される。
これは飛行機のエンジンを始動するための「エンジン始動車」もしくは「エンジン起動車」という特殊車両である。
主に陸軍が使っていた車輛だと思うが・・・
パラオには陸軍の飛行機もいたんだっけ?(汗)
肝心な戦史の方を記憶していない・・・(大汗)
「こりゃ、珍しい車輛だ!回収して復元したいなぁ~」と言ったら呆れられた・・・(苦笑)

すぐ近くに、別の車輛・・・・

DSCN4175_convert_20170509212426.jpg

「これ、トラックですよね?」の声・・・・
たぶん「九七式四輪自動貨車」か、もしくは「一式四輪自動貨車」か・・・という感じ・・・
この周囲の草を刈り取れば、もっとよくわかるかもしれないのだが・・・残念・・・・
一応、これは「九七式四輪自動貨車」ということにしちゃおう・・・(大笑)

以上で、今日の“調査”は終了・・・・

旅行 | 13:28:38 | Comments(0)
久々のパラオ!
今回のパラオ行きは、旧知の“ヨコハマさん”からのお誘い・・・
現地のジャングルに埋没している日本軍の戦車の調査と戦没者の慰霊が目的。
ということで・・・お誘いを頂いた。
が・・・一体、何人ぐらいで行くのか、結局わからないまま・・・(笑)
「一緒に行きませんか?」・・・「OK!」で決めちゃったから詳細は分からない。(苦笑)

昨晩、成田空港で一緒に行く青森の神社の宮司さんと合流。
初対面だが、こういう時は携帯電話というのは便利である。
電話でやり取りをしながら無事にランデブー(笑)
成田から向かうのは我々2人だけ。
“ヨコハマさん”は先に現地入りしている。
他の人は、どうも福岡の方らしいが・・・別の便でグアム経由で向かったらしい。
ということは・・・全部で何人だ?(大笑)
みんなバラバラに出国して現地集合・・・

20時15分発のデルタ航空でパラオのコロール国際空港へ向かう。
約5時間弱の飛行である。

DSCN4073_convert_20170509110816.jpg DSCN4074_convert_20170509110944.jpg

で・・・
本日の午前1時過ぎに空港に無事到着。
現地旅行社の送迎ワゴン車で“別荘”に向かう。
時刻は午前2時・・・・日本とパラオには時差はない・・・

今回、パラオではホテルに泊まらず、一戸建ての“別荘”を借りている。
参加者のうち、4名が、ここに宿泊することになっているという。
挨拶もそこそこにシャワーを浴びる。
が・・・どうも10分だか15分だかしかお湯が出ないそうである。(唖然)
それもトータルで・・・ということだから、4で割ると・・・(大汗)
とにかく手早く洗って流さねばならない・・・
こういう不便さが、またいいんだなぁ~(喜)

この“別荘”にはベッドルームが3部屋ある。
“ヨコハマさん”と彼の知人の青年“ナカムラさん”がそれぞれ一部屋・・・
拙者と宮司の“タガワさん”がツインルーム一部屋で同室である。
リーダーの“ヨコハマさん”以外は全員初対面である。
とりあえず急いで仮眠を取る。

朝食は“ナカムラさん”が早起きして用意してくれた。
彼は、以前、船に乗っていて、そこで料理を担当していたとか。
というわけで・・・食事担当は彼ということで、拙者は楽をさせていただいた。(大喜)

朝食後、ホテルに宿泊している別の参加者と合流・・・
遺族の“サカイさん”と新聞記者の“サイトウさん”の2人である。
新聞記者の“サイトウさん”とは、以前、日本軍の戦車についての問い合わせをいただき、メールでやり取りをしたことがあるが、お会いするのは初めてである。
というわけで・・・
結局、参加者は拙者を含めて6名であることが、この時、わかった・・・(大笑)

最初に向かったのは、「パラオ・パシフィック・リゾート」ホテル・・・・
超高級なリゾートホテルである。
一度は泊まってみたいものだが、日本円で1泊4万円~5万円ほどするんじゃなかろうか?(大汗)
無理だな・・・(涙)

DSCN4076_convert_20170509125620.jpg DSCN4075_convert_20170509125430.jpg

ここは戦時中、日本海軍の水上機基地があった場所である。

このホテルに併設されている旅行会社で、島内“観光”の手続きを行う。

で・・・旅行社のワゴン車に乗り、次に向かったのはガスパン州政府の事務所・・・
州知事を表敬訪問し、今回の調査に関する打ち合わせと許可を頂く。

DSCN4091_convert_20170509130202.jpg (ガスパン州政府)

DSCN4083_convert_20170509130137.jpg (州知事と打ち合わせ)

知事との面談を終え、次に向かったのは・・・・“某所”・・・

DSCN4089_convert_20170509131714.jpg DSCN4088_convert_20170509131644.jpg

ここに戦時中、小さな港(漁港?)があったのではないかということだが・・・
日本軍の「大発(大発動艇)」の「舟艇基地」の跡のような気がしないでもないが、確証はない。

続いて向かったのは・・・さらに“某所”・・・(笑)

DSCN4095_convert_20170509132336.jpg (途中の景色)

DSCN4094_convert_20170509132308.jpg (途中の高台から見た景色)

旅行 | 10:54:59 | Comments(0)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。