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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『真相を訴える』


序文 (保阪正康)

はじめに

1.戦犯裁判の始まる前夜
       1 お訣れ演芸会の夜、特使来たる
       2 軍の解体・戦犯の追及始まる
       3 インド軍マンロー大尉の深き配慮
       4 集団撤収・豪州軍との折衝
       5 日本弁護団に入る

2.戦犯裁判の苛烈さに直面する
       1 Oh the Cnanges ― Murder(訴因―殺人)
       2 重高伍長決断す・裁判への疑惑
       3 怒涛の死刑宣告と死刑囚の面影
       4 毒のある不安と望郷の夢
       5 大坪大尉、収容所に散華す
       6 ある死刑囚の手記
       7 死刑囚の心の旅路

3.戦犯法廷内外の種々相
       1 尼さん邑爆撃さる―戦争と平和の姿
       2 ある日曜日に―アプソン収容所長の肖像画
       3 公判廷の明暗・ドイツ降伏記念日
       4 東洋の恥と悔いと悲しみ
       5 中国人集団と台湾義勇兵
       6 日・中の隠れたる志士たち

4.続けざまの死刑執行―人々はいかに死んでいったか
       1 最後の独房「白亜牢」
       2 うち続く刑の執行・同囚の憂悶
       3 人は何故、毅然と死ねるのか
       4 光教会と奥座牧師・片山大尉

5.戦犯の坩堝の中で
       1 弁護団騒然・血腥い朝
       2 ニューギニアの一兵士の訴因
       3 敗戦下の人と馬の挿話
       4 絞首台を検分してきた男―相沢伍長
       5 飛ぶや三途の花吹雪
       6 再審事件の後遺症
       7 平石伍長、無心に砂文字を描く

6.今村将軍の苦衷とさむらいたちの願い
       1 今村将軍の自裁
       2 地獄の底の万華鏡
       3 鮮烈な愛のかけ橋
       4 ある豪軍の准将と少佐と伍長
       5 さむらいたちの死と鮮血の抗議
       6 悲願の不死鳥・恩讐を越えて
       7 刑の執行やまず
       8 重労働旋風・今村大将の述懐
       9 原爆で母を、今戦犯で父を

7.ラバウルの自然と豪軍将校との交流
       1 監督将校・シールズ大尉
       2 弁護団の閑日・好日
       3 軍需品調査・ガーク大尉との交流
       4 第二次調査・その自然と人物
       5 国際赤十字社代表来たる
       6 ラバウルの地震・心なき人間模様
       7 タバコ欠乏の悲喜劇・巨大な龍巻

8.逝くもの還るもの
       1 復員船の最終便来たる
       2 山本大尉、最後の碁を楽しむ
       3 山口・土池遺書と李琳彩の血書
       4 伊東中将ら一転無罪となる
       5 内地に潜入したM中佐の苦難行
       6 復員船還る朝、平石伍長散華す

9.ラバウル戦犯裁判情勢転換の兆し
       1 豪陸軍省マックベン少佐来たる
       2 私の担当最後の裁判
       3 最後の裁判終了後の所感

10.戦犯裁判初期の酷烈さ
       1 ボルネオ方面の暗い嵐
       2 モロタイ・豪北方面の惨状
       3 ラバウルの早期受刑者

11.帰国の決意と最後の責務
       1 ガーク情報・足止め部隊解放
       2 新弁護団、内地より来たる
       3 白亜牢に描かれた最後の絶叫
       4 詩人工藤少佐の遺したもの
       5 遺書工作と戦犯埋葬地の確認
       6 帰還準備完了・収容者とのお訣れ

12.筑紫丸入港す・復員航路

13.その後の戦犯事情
       1 残っていた今村・安達将軍たちはどう部下に殉じたか
       2 その後のラバウルの戦犯事情
       3 マヌス島の戦犯事情

あとがき


今年の読書:23冊目



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読書 | 23:49:25 | Comments(0)
格安旅行社の破綻
「てるみくらぶ」という格安旅行社が破産した。
報道によれば、このため、約3万6千人の旅行契約者が影響を受けるというが、実際に影響を受ける利用者数は約9万人になるという。
なんだか、よくわからない話だが・・・(苦笑)
これだけの“お客さん”がいて破産するというのだから、かなりいい加減な経営をしていたのではなかろうか?
すでに旅行代金を支払った人は、破産のおかげで旅行には行けないわ、カネは戻ってこないわ・・・だろうし・・・
すでに旅行している人は、現地で路頭に迷うこととなるだろう。
これは「ひどい話だ」ということになるのだろうが・・・
もしかしたら、会社だけを一方的には責められないかも・・・
「お客さん」の方にも問題があったのではなかろうか?

何にでも「適正価格」というものがあるはずである。
「安ければいい」というものではあるまい?
少しでも安い方がいいというのは“人情”だが・・・
いくらなんでも、これはおかしい・・・とは思わないのだろうか?
そういう“常識”を最近の人は持ち合わせていないのだろうか?
「ババ抜き」の“ババ”を誰が引くのか・・・(笑)
自分が利用するときは、まだ大丈夫・・・と思っているのだろうか?
あまりにも価格の安すぎるパックツアーなんて、絶対危ないと思うんですけど・・・(笑)

というわけで・・・私はこの旅行社を利用したことがない。
最初から候補から除外している。(苦笑)
まぁ、私の旅行の目的や内容が、ある意味、特殊だから、こういう旅行社では対応できないだろうと思っているからだが・・・(大笑)

「お客様は神様です」という言葉があるが、本気で信じている人がいたら、ちょっと危ない・・・(大笑)
“客”の中には、我がまま、非常識な連中も多い。
そういう“客”のニーズに応えていたら資金繰りにも苦労することになるだろう。
1泊5千円程度のビジネスホテルに高級ホテル並みのことを要求し、ホテルのサイトに文句のコメントを書き込むバカも多い。(汗)
こういう「文句を書き込む」奴にまともな奴はいない。
この旅行社が、こういう連中の顔色を窺って価格を決めていたとしたら、そりゃ、破産もするだろう。

その昔・・・
我が社が製造していた部品の単価値下げの要求が取引先からあった。
常識外れの値下げ額である。
どう逆立ちしたって無理・・・「適正価格」を下回っている。
唯一の方法は、材料の質を落とすこと・・・(大汗)
安い材料は、当然、品質も不安定である。
だから安いわけなのだが・・・(苦笑)
問題は、拙者が作っている部品は車のエンジンに使用される部品なのである。
絶対品質を落とすわけにはいかない。
お客さんはローンを組んで何百万円もする車を買うのである。
そのエンジンの品質を落とすわけには行かない。
エンジンの耐久性に問題が生じるのである。
担当者は「納車するときに問題がなければそれでいい」と暗に低品質の材料を使用することを要求してきた。
この要求に逆らえば、今後、仕事が回ってこなくなることは明らかである。
いわゆる・・・・“干される”ということになる。
が・・・ローンを払い終わっていないのに車のエンジンがおかしくなってもいいのだろうか?
納車する時さえ良ければ、1年後、2年後はどうなってもいいのだろうか?
大企業さんは“政治力”でなんとでも誤魔化せると思っていたようだが・・・
“製造業”のプライドが許さない。
というわけで・・・要求を断り・・・干され・・・・廃業することにした。
いいかげんな物を作るくらいなら、商売をやめた方がいい・・・

どうして、この旅行社の社長は、そういう判断が出来なかったのだろう?
無理をした結果、多くの人に迷惑をかけることになったのである。
もっと早い段階で手が打てたはずである。
大企業から「安売り」を強要されたわけではあるまい?
価格でしか判断しない馬鹿な客の顔色を窺い過ぎた結果ではなかろうか?
価格は自分たちで決められたはずである。
放漫経営でもしないかぎり、破産せずに十分やって行けたはずだと思うのだが・・・

経営者も悪いが、客にも問題があるのではあるまいか?
私は、どちらにも同情する気は起らない・・・

エッセイ | 21:03:22 | Comments(0)
『日本人、台湾を拓く』


私と胸像との対話  許文龍
 後藤新平像
 八田與一像
 羽鳥又男像
 浜野弥四郎像
 新井耕吉郎像
 鳥居信平像
 新渡戸稲造像
 松木幹一郎
 磯永吉・末永仁像

胸像に歴史認識を重ねて―許文龍氏と日本人  平野久美子(ノンフィクション作家)

後藤 新平
台湾近代化のプロデューサー
山岡淳一郎

   特別統治か内地延長か
   「生物学の原理でやる」
   大風呂敷の公債案
   笑いと涙の阿里山踏査
   都市の運命を握る「道路と下水道」
   土地改革を断行
   追い込まれた製糖産業

新渡戸 稲造
糖業発展のテクノクラート
楠木 榮

   台湾への道のり
   後藤新平との出会い
   糖業振興をめざす
   理想を描いた意見書
   次の飛躍へ

浜野 弥四郎
近代水道を敷設した都市の医師
稲場紀久雄

   新天地
   墓碑銘

鳥居 信平
環境型の二峰圳を生んだ土木の匠
平野久美子

   台湾の荒蕪地へ
   寝ずに描いた設計図
   原住民の懐に飛び込んで
   自然と折り合う地下堰
   近代科学に触れた原住民
   ふたつの農場を開墾
   日本農学賞を受賞
   地道な調査とひらめき
   嘉南大圳より早い輪作導入
   信平を突き動かしたものは?

八田 與一
嘉南大圳を築いた水利の匠
片倉佳史

   台湾南部に広がる大平原
   嘉南平原の水がめ、そして灌漑用水路
   金沢生まれの技師、台湾へ赴く
   台湾南部の実情を前に決意を新たにする
   各界から注目を集めた壮大なプラン
   そして、世紀の一大工事が始まった
   工事方法も斬新だった
   仕事に打ち込める環境を創りあげる
   烏山頭隧道の事故と殉工碑
   十年越しの夢、水路が完成する
   八田與一の銅像秘話
   30年にわたって暗闇の中に置かれていた
   3年輪作制―完成後にも組合の努力は続いた
   大洋丸の沈没、そして宮地末彦氏の手記
   八田夫妻の墓碑と外代樹夫人の死
   今も人々から敬愛される技術者

磯 永吉と末永 仁
蓬莱米を作り上げた農学者
早川友久

   台湾、米の供給基地として
   台湾の米の問題点
   日本種米か在来米か
   品種改良への第一歩
   台湾農事報の記事から
   出会いと勉励の日々
   竹子湖に原種田を設置
   広がる内地米の栽培
   その米の名は「蓬莱米」
   現場に生きた磯と末永の軌跡
   インドを救った蓬莱米

松木 幹一郎
電力利用を広げた企業家
山岡淳一郎

   やり残した電力事業
   後藤新平との師弟関係
   台湾電力、再建への道
   水力発電所の完成
   事業家としての評価

新井 耕吉郎
台湾紅茶を育てた農業の匠
手島 仁

   『躍進群馬県誌』の記載
   郷里・利根郡東村園原
   「文武鍛えし美少年」
   魚池紅茶試験支所最後の日本人支所長
   「故技師新井耕吉郎紀念碑」
   許文龍氏による胸像の建立
   郷里での胸像除幕式
   日月潭の観光スポット

羽鳥 又男
古都・台南を守った市長
手島 仁

   上州人気質
   生い立ち、そして群馬県・富士見村
   群馬県のキリスト教
   上州キリスト教徒の大同団結
   クリスチャン・羽鳥又男
   羽鳥重郎と台湾恙虫病の発見
   羽鳥人事と長谷川清総督
   愛の行脚
   戦時下の文化財保護
   軍官民合同クリスマス
   釈放要求運動
   国際基督教大学(ICU)
   珊瑚寺関係者の英断
   世に知られざる徳人
   義を重んじ恩に感じる気質

関連台湾史年表

初出一覧

執筆者紹介(掲載順)

写真資料提供


今年の読書:22冊目



読書 | 23:30:19 | Comments(0)
『連合艦隊戦訓48』




本書を読み始めてまもなく、なんとなく読んだことがあるような気がしていたが・・・・(苦笑)
内容は全く覚えていない。
が・・・どうしても気になったので調べてみたら、平成23年9月16日に読んでいた!(大笑)
何十年も前のことというわけではない・・・
たかが5~6年前のことなのだが・・・
全く内容を記憶していないとは・・・(大汗)
初めて読んだような気になっているようでは、チョットまずいな・・・(涙)
あまりの記憶の悪さに自己嫌悪・・・・気分はブルーである・・・


今年の読書:21冊目



読書 | 22:46:42 | Comments(0)
『シャセリオ―展』を鑑賞
昨晩は東京に一泊した。
で・・・・そのまま帰宅するのも芸がないので・・・(大笑)
今日は、上野公園へ向かい、“美術鑑賞”と洒落こむことにした。(笑)

上野公園を歩いていたら若い女の子に声をかけられた。
なにやら野外コンサートのようなものを開くので聴いて行って欲しいという。(汗)
時間は10分程度だという。
一瞬、何のことやらわからず戸惑ったが・・・(苦笑)
どうせ、急ぐ旅でもないし・・・(大笑)
聴いていくことにした。

DSCN4383_convert_20170612110627.jpg

場所は「上野の森美術館」の前・・・
へっ?・・・・こんな場所で?(苦笑)
演奏が始まったら、これが、なかなか素晴らしい!
へぇ~すごいものだ・・・
拙者は楽器など全く扱えないから、うらやましい・・・
う~ん・・・こんな風に演奏が出来たら、さぞかし気持ちがいいだろうなぁ~と思ったりする。

彼らは東京芸大出身の演奏家たちらしい・・・
「ぱんだウインドオーケストラ」のメンバーらしい・・・
また、変な名前をつけたものだと思ったが、なかなかのオーケストラらしい。
チラシも頂いた・・・(笑)

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気持ちのいい、素晴らしい演奏を聴いて・・・・
次に向かったのが、いつもの「国立西洋美術館」!(大笑)
『シャセリオー展』を鑑賞する。

img184_convert_20170612111922.jpg img185_convert_20170612111959.jpg

今日は、生演奏を聴き、絵画を鑑賞し・・・
いつになく更に充実した時間が過ごせた!(大喜)

日記 | 21:07:16 | Comments(0)
「勇会有志会」の解散
今日は「勇会勇志会」の会合に出るため上京する。
「勇会」というのは仙台で編成された第2師団の秘匿名である。
本来は第2師団が正式名だが、防諜上の観点から秘匿名を付けたのである。
たとえば、東京の第1師団は「玉」、京都の第16師団は「垣」、姫路の第10師団は「鉄」といった具合で、仙台の第2師団は「勇(いさむ)」という秘匿名だった。
この部隊はガダルカナル島の戦いで壊滅的な打撃を受けたが、その後再編成してビルマで戦っている。
以前、ガダルカナル島に行った時に、「勇会」が建立した慰霊碑をお参りしたことがある。

この「勇兵団」の戦友会が「勇会」・・・・
しかしながら、この戦友会は、すでに解散したそうで、その後、有志だけが集まり「勇会有志会」というのを作って活動していたそうである。
昨年の末に従軍経験者(情報関係)からの紹介で、この会合に初めて参加した。
が・・・・
その入会(?)早々、会を解散する話が出された・・・(唖然)
なんというタイミングか・・・(苦笑)

この会には結局3回ほど参加したが、今日が、その「解散式」の日である。
「勇兵団」の名が消えてしまうのは残念だが、やむを得ないだろう。
この会は、いわば「親睦会」のような感じ・・・
僅かな回数の参加でしかなかったが、従軍経験者の参加者は2名、あとは若い人たちばかりである。
この人たちは戦没者の遺族でもなければ、従軍経験者の遺族でもない。
まったくの“有志”なのである。
従軍経験者から体験談を聞き、それを大学で利用している大学の講師やら、戦史研究家などが会員にいる。
そのため、従軍経験者が高齢になり、会合に出られなくなるということでは、もう“お役御免”ということで、会合を続ける意味はないということになるのだろう。
従軍経験者から話を聞くというのが目的の「親睦会」である以上、やむをえない。

対して拙者が関わっている戦友会は、生還者(従軍経験者)、遺族、賛助会員からなる「慰霊団体」である。
親睦よりも戦死した戦友の慰霊をすることを目的として結成された戦友会である。
たとえ、生還者が誰も参加できなくなっても、残る遺族と賛助会員で「慰霊」は続けるのである。
戦没者の慰霊に”期限”は・・・ない・・・
ここが我が戦友会と、この会との大きな違いである。
会の目的が違うんだから仕方がないか・・・・解散とは残念だが・・・

わずかな期間のお付き合いだったが、大変お世話になった。
感謝、感謝である。

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日記 | 09:46:53 | Comments(0)
戦車隊関係者宅を訪問
今日の午後は、同じ茨城県にお住いの方に会いに行く。
先日、パラオを訪問したが、この時に埋没している「第二次編成の戦車隊」の戦車を確認してきた。
で・・・この戦車隊の隊長さんは戦後生還されたが、他界していて、息子さんが水戸市におられると、新聞記者の“サイトウさん”から教えられた。
同じ茨城県在住なんだから、一度会って来たらどうかと勧められたのである。

そこで、今回、初対面なのだが、ご自宅を訪問することにした。
今回の旅の様子も報告しなくてはならないだろうし・・・・(笑)

いろいろと、お話を伺っていて大きな疑問が・・・
それは、この方のお父さんは、もともと戦車兵出身ではなかったのだそうだ。
突然、戦車隊の隊長に任命されたのだそうである。
そういうことってあるのだろうか?
戦車のことも、戦車の運用も、戦車戦の戦い方も知らない人が隊長になるなんて・・・(唖然)
この方は、もとは防毒隊(?)にいた化学の専門家である。
どうして戦車隊の隊長に任命されたんだろう?
敵の毒ガス攻撃に対処する部署の人が・・・・
息子さんも、そのことが不思議だったそうである。
考えられるのは、隊長という職務に就ける階級の人が他に見当たらなかったから・・・という程度の理由。
部隊を率いるには“将校”でなくてはならない。
しかし、将校と言っても、少尉や中尉では、小隊規模しか指揮できない。
少なくとも大尉以上の階級でなければ「部隊長」にはなれない。
ということで・・・当時、大尉だった、この方が選ばれたのかもしれない。

もしくは・・・
ペリリュー島では水戸の歩兵第2連隊が全滅した・・・・
その仇討ちの意味も含めて水戸出身の、この方を隊長に選んだのかも・・・
しかし、軍が、そんなセンチメンタルな人事をするだろうか?(苦笑)
どうみても適材適所とは思えない人事なのだが・・・

それにしても、自分の専門外の部隊の隊長になるというのは、大変なご苦労をされたに違いない。
ご存命の時に、是非、お話を聞きたかった・・・
なにせ、現地で臨時に編成された戦車隊である。
島内の戦車をかき集めた、お互いに顔も名前も知らないというような部隊である。
ペリリュー島が陥落し、次はパラオ本島に米軍が来るんじゃないかという緊張した中で、“烏合の衆”に近い部隊をまとめるのは大変だったのではなかろうか?

もう一つ、驚いたのが、戦時中の資料!
よく、これだけの資料を終戦後に持ち帰ったものだと驚く。
普通は収容所で没収されておかしくないのだが・・・・
当時の原資料をキチンと整理して保管されていた。
これにはびっくりである。

隊長さんが作成したこれらの資料を見ると、かなり几帳面な方だったようである。
また肝の座った人でもあったようである。
資料から、そのお人柄が滲み出てくる・・・・
隊長になるにふさわしい人物だったのだろう。
部下の把握に一生懸命だったことがわかる。
これらの資料を見せていただきながら1時間ほど、おしゃべりをして辞する。

隊長さん・・・ご存命の時に一度でもいいからお会いしたかったなぁ~
当時の資料から、そのお人柄が見えるのである・・・

日記 | 20:58:16 | Comments(0)
同窓会の役員会
今日は、大学の同窓会の茨城県支部の役員会・・・(笑)
久しぶりの役員会なので・・・
さて・・・何を打ち合わせればいいのか、すっかり忘れてしまっている。(苦笑)
責任感の有無が顕著に表れる瞬間である。(大笑)

昨年の同窓会開催後の役員の打ち合わせでは、何の話をしたんだっけ?(大汗)
いやぁ~こんなに記憶力が悪くなるとは思ってもみなかった・・・(大汗)
頭の中は真っ白である!(大笑)

たしか、手帳に何か書き留めたと思うのだが・・・・
年が変わると手帳も変わるので・・・(笑)
今使っている手帳を見ても意味はない・・・
こりゃだめだ・・・・
ということで、今回は「役員会」のノートを用意した。
役員会の打ち合わせは、すべてこの1冊に書き込むことにする。
そうすりゃ、何年たっても大丈夫である。
どうして、こういう簡単なことを思いつかなかったんだろうねぇ~(汗)

大学の同窓会となると、小・中学校の同窓会と違って、卒業生は同じ地域から通っていたわけではない。
大学の中に同じ茨城県出身の同級生がいるというのは珍しい・・・・
縦のつながりも横のつながりも薄いのが大学の同窓会ではなかろうか?
在学中から部活やゼミで一緒だったというなら別だが、その可能性は低い。
世代の違う、何のつながりもない人たちを「同じ大学の卒業生だから」というだけで、集まってもらうというのは、なんとも難しいのである。
政治家になろうと選挙にでも出るつもりでもなければ、「同窓会」などに出る必然性を感じることはない・・・(大笑)
この参加者数が少ないというところが毎年、頭を痛めるところである。(涙)
なんとかして、毎年、少しづつでもいいから参加者を増やすようにせねば・・・
となると・・・そういう面倒くさいことは、すべて、自然と副支部長の拙者に押し付けられるわけで・・・(涙)
責任重大・・・・

次回の役員会は9月と決まった・・・
次回の役員会で「なんの話でしたっけ?」などと言わないように気をつけねば・・・(大笑)

日記 | 20:56:46 | Comments(0)
『比島山中 彷徨記』


比島山中彷徨記

薄野抄(比島戦線秘話)

敗残の賦

あとがき



本書の著者は、第63兵站病院の衛生兵で、マニラ東方の山中で終戦を迎えた。
その方の実体験に基づいた小説仕立ての体験記である。
「あとがき」には「幾分、虚構も混入」と書かれているが、どの部分が「虚構」なのかは、はっきりしないので、想像するしかない。
特にショッキングで悲惨な記述の部分が、そうなのかもしれない。
著者はマニラ東方高地の「ワワダム」というダムの更に奥地にいたようである。
私は、この「ワワダム」までは行ったことがあるが、そこから先の奥地には足を踏み入れることができなかった。
とてもじゃないが入り込めるような場所ではない。
そういうところで飢餓と戦いながら終戦までいたのかと感無量・・・
小説仕立てではあるが、ほぼ事実に即して書かれていると思う。
現地の風景が目に浮かぶ・・・


今年の読書:20冊目



読書 | 00:27:08 | Comments(0)
現像できないフィルム
先日、物置部屋を整理していたら、つぶれかかった段ボール箱が出てきた。
中身を確認したところ、大学時代のものが詰まっていた。
大学を卒業後、下宿にあったものを適当にダンボール箱に詰めて実家に戻ったのだが、それが、そのまま30年以上も放置されていたのである。(苦笑)
すっかり忘れていた・・・・(大汗)

まさしく「タイムカプセル」である。(大笑)
懐かしいものが、いくつも出てきたが・・・
その中に、1個・・・未現像のカメラのフィルムが入っていた。
なんで現像していなかったのだろう?
何を撮ったのだろう?
まったく記憶がない・・・・(大汗)

というわけで、カメラ屋さんに持って行って現像を頼んだのだが・・・
なんと!
現像は不可能とのことで、メーカーから戻ってきたという。
30年以上も前の古すぎるフィルムは、現像するための薬品が、もうないので現像できないというのである。
カラーではなく白黒になってもいいんですけど・・・(苦笑)
多少ピンボケになっても、人物が写っているのか、何かの景色が写っているのかがわかればいいんですけど・・・(苦笑)
それでも駄目だという。
千年も二千年も前のフィルムというわけじゃないんですけど・・・(大笑)
たった三十数年前のフィルムなんですけど・・・
現像液の薬品が変わってしまっているので、昔のフィルムは現像できないとは、なんと不便な事か・・・・
“進歩”も良し悪しだよなぁ~

こんな調子じゃ、現在、DVDなどに記録しているようなものも、そのうち数年後には再生する機械がこの世にありません・・・なんてことになって見ることが出来なくなるんじゃないか?

結局、このフィルム・・・・棄てるしかない・・・
何が写っているのかは永遠の謎となる。(涙)
あ~気になるなぁ~(苦笑)

日記 | 23:08:10 | Comments(0)
恒例の会計監査
今日は我が戦友会の年に一回の恒例の会計監査・・・
いつものように前泊し、いつもの新橋駅前で監査役に監査していただく。
会計監査の方は、いつものようにスムーズに承認を頂き早々と終了!(笑)
決して“形式だけ”の監査というわけではないのだが、特に問題が生じるような会計処理がないので早々と終わってしまうのである。(大笑)

その後は雑談・・・(笑)
現在、我が戦友会の会長は連隊長の御子息である“遺族”が就任している。
が・・・昨年から病気療養中である。
ということで、万が一の“辞任”を想定して、次期会長を考えておかねばならない。
この“人事”が、なかなか難しい・・・
拙者が思う適役は、旅団長のお孫さんで“遺族会員”である、現在監査役をしていただいている“シゲミさん”なのだが・・・
ちょっと打診してみたら、固辞されてしまった。(涙)
“シゲミさん”だったら誰もが納得する人事だと思うのだが・・・

どうしても嫌だと言われたのでは、無理強いするわけにはいかない。
ある程度の“方向性”を決めておくと、イザという時に混乱しなくていいのだが・・・・
残念である・・・・

さて・・・“イザというとき”にはどうすべきか・・・
次期役員のなり手がいないというのは、頭の痛い問題である。

日記 | 20:55:09 | Comments(0)
年会費の請求
今日は、やっと時間が取れたので・・・(苦笑)
戦友会の年会費の請求書を作成して会員に郵送する。
その数・・・・38通!(大笑)
いやぁ~会員が減ったなぁ~
一昔前は、軽く100通以上を作成して郵送したんだけどなぁ~
寂しくなっちゃったなぁ~
それでも、拙者を含めた39名の会員のうち、従軍経験者である“戦友”が10名もいらっしゃる。
しかし、毎年、この年会費の請求をお送りすると、かならず何名かの会員のご家族から連絡が入る・・・
「父はすでに他界しております」の連絡・・・・
これがツライ・・・・
あ~嫌だなぁ~・・・・今年は何名から連絡が入るんだろう?
心臓に悪いんだよなぁ~・・・これ・・・

日記 | 10:01:45 | Comments(0)
水戸市民はメロン好き?
昨年1年間の茨城県水戸市民のメロンの購入額が全国1位だったという。(笑)
しかも・・・5年連続!(唖然)
メロンの購入金額は全国平均の3.7倍だそうである。
水戸市民は、そんなにメロンを食べるのか?(笑)
水戸市民は、そんなにメロンが好きなのか?(笑)

いや、いや、もしかしたら自分で食べるのではなく、“お遣い物”として誰かに贈っているのではなかろうか?
茨城にはメロンくらいしか贈るものがないとか・・・(大笑)
そうなると・・・水戸市民は自分ではメロンを食べていないから、「メロン好き」とは言えないかも・・・(大笑)

エッセイ | 20:03:09 | Comments(0)
『軍用自動車入門』


序章 軍用車輛の登場

     自動車の研究
     国産軍用自動車の誕生
     国産車、実戦に参加
     関東大震災とその後の自動車

第1章 軍用トラック

1 補給支援

軍用トラック
     九四式六輪自動貨車
     九七式四輪自動貨車
     UB型牽引自動貨車
     一式四輪・六輪自動貨車
     試製四輪起動貨車
     二式四輪起動貨車・六輪貨車
     戦時規格簡素型トラック
     水陸両用トラック

2 砲兵・防空部隊

高射砲牽引車
     高射砲と車輛
     十一年式野戦高射砲牽引車輛
     50馬力牽引自動車
     高射砲牽引六輪自動貨車
     九六式高射砲牽引車(甲)(乙)
     九八式半装軌牽引車輛
気球器材車
     気球戰と器材車
     九三式気球
     係留車
     気球車
     水素缶車
     高圧水素ガス発生車と圧搾車
     一式偵察気球用車輛
     防空気球用器材車
照空燈車
     野戦電燈隊の登場
     照空燈車の研究
     スペリーとジーメンス
     九三式150センチ照空燈
     その他の照空燈
聴音機車
     聴音機とは
     日本の聴音機
     九〇式大聴音機
     九〇式小聴音機と車輛
     試作聴音機と車輛
     九五式大聴音機と車輛
     電気式聴音機・九七式大聴音機

3 通信部隊

無線車
     無線機搭載車
     八七式対空用1号無線電信機搭載車
     八七式対空用2号無線電信機搭載車
     九四式1号無線機搭載車
     九四式2号丙無線機搭載車
     九四式2号丁無線機搭載車(九三式六輪指揮無線乗用車)
     九四式対空用1号無線機搭載車(九四式四輪対空用無線車)
     超重無線甲搭載車(超重無線甲車)
     無線修理車とは
     八九式無線電信修理車
     九四式無線修理車
     特殊無線器材とは
     九四式5号特殊受信機搭載車
     軽特殊受信指令機搭載車
     野戦用超短波多重通信機搭載車
     試製電視機車(軍用移動テレビ車)
     超短波警戒機乙搭載車
     電波標定機(車)
     車載候敵警戒機
通信線路建築器材車
     植柱作業とは
     半永久建築車
     九七式植柱車
     九七式延線車
     敷設作業車(重延線車)
     九五式小型四輪起動中延線車
     ケーブル補給車
     埋線建築車
     強土埋線建築作業車

4 衛生・給水部隊

患者車
     野戦衛生部隊とは
     野戦救急車
     満州事変の患者車
     九四式患者車の開発
     患者用自動貨車
     小型患者車
     患者輸送隊
衛生車
     日本の衛生自動車
     X線自動車
     外科病院自動車
     昭和の医療用車輛
     野戦外科用手術車
     野戦X線車
     野戦衛生車
     野戦衛生材料車(甲・乙)
     野戦滅菌車
     野戦沐浴車(甲・乙)
     野戦防疫車(甲・乙)
     防疫濾水車
作井車・給水車
     戦場と水
     九五式動力作井車(機)
     作井車の活躍
     その他の器材車
炊飯車
     九七式炊事自動車の登場
     炊事自動車の原理と特徴
     炊事自動車の実戦使用
     海軍陸戦隊の烹炊車
     沸水兼搬水車
     二輪炊事車と九七式沸水車

5 偵察・指揮・連絡・補給用

乗用車
     乗用車の価値
     軍用乗用車の必須条件
     チヨダ軍用乗用車
     九三式四輪・六輪乗用車
     六甲号乗用車
     アツタ号乗用車
     ふそうPX33型四輪乗用車
     いすゞHA型四輪乗用車
     いすゞHB型四輪乗用車
     九八式四輪起動指揮官車
     九八式四輪起動乗用車(甲・乙)
     指揮官用高級乗用車
     いすゞ大型B乗用車
     トヨタ大型B高級乗用車
小型貨物・小型乗用車
     求められた小型四輪起動偵察車
     九五式小型乗用車
     試製九八式小型乗用車
     各社の小型乗用車
     驚嘆した高性能
     四式小型貨物車
     くろがね小型貨物自動車
     小型乗用車の時代
三輪車
     三輪車の軍用化
     三輪車の戦時規格

6 獣医・経理部隊

装蹄車
     陸軍蹄鉄術の沿革
     装蹄所の開設
     野戦装蹄車の開発
     野戦向きの車に改良
軍服・軍靴修理車
     物資節約のための修理車
     被服軽修理車
     被服重修理車
     縫工修理車(初期型)
     縫工修理車
     靴工修理車(初期型)
     靴工修理車
     汚毒被服処理車
軍用鳩車
     軍用鳩の有用性

第2章 軍用オートバイ

     オートバイの発達
     オートバイの実戦
     天皇警護のオートバイ
     オートバイの開発
     陸王の誕生
     試製二輪起動車
     九七式側車つき自動二輪車
     制式軍用オートバイ各種
     各制式車のデータ
     海軍のサイドカー
     衛生部隊の特殊サイドカー
     オートバイ戦史
     オートバイのプレート記号

第3章 砲兵牽引車

     帝国陸軍の牽引車
     重砲用牽引車の研究
     ホルト30型牽引車
     三トン牽引車(50馬力牽引車)
     九二式5トン牽引車甲(試製55馬力牽引車) イケ
     九二式5トン牽引車(乙) イケ
     試製75馬力牽引車
     九二式8トン牽引車 甲型 ニク
     九二式8トン牽引車 乙型 ニク
     九五式13トン牽引車 甲型 ホフ
     九五式13トン牽引車 乙型 ホフ
     試製重牽引車 チケ
     九四式4トン牽引車 ヨケ
     九八式4トン牽引車 シケ
     九八式6トン牽引車 ロケ
     試製中牽引車 ハニ
     観測挺進車
     対戦車砲牽引車

第4章 装甲自動車

     装甲自動車の出現
     第一次大戦とシベリア出兵
     日本の装甲車
     ウーズレー装甲車の開発
     騎兵用偵察車輛
     満州事変の装甲車
     上海事変の装甲車
     熱河作戦の装甲車
     愛国号装甲自動車
     海軍の報国号装甲車
     九二式装甲自動車
     フランスの装輪・装軌戦車

第5章 特殊車輛

     軍用車輛の用途分類
     野戦力作車
     九四式溶接切断車
     自走式溶接切断車
     軍用ブルドーザーの開発
     押しならし機の製作
     トト車、トロ車、トヘ車の開発
     太平洋戦争時の飛行場設置概要
     海軍設営隊
     海軍の施設機材
     航空基地設営の条件

第6章 鉄道車輛

支援車輛
     鉄道部隊の発足
     軽便鉄道の兵器
     双合軽便機関車
     ペショ型軽便機関車
     九一式改良型双合機関車
     五軸軽便機関車
     試作機関車N型
     試作機関車K型
     K2型軍用機関車
     広軌軍用機関車
     装甲軌道車の採用
     シベリア戰の装甲軌道車
     九〇式広軌牽引車
     九一式広軌牽引車
     九二式広軌牽引車
     九七式鉄道牽引車
     九八式装甲牽引車(重)
     九八式鉄道牽引車(軽)
     一〇〇式鉄道牽引車
     一式鉄道工作車
     九五式装甲軌道車
     九三式、九五式工作車
     九五式力作車
     九二式広軌牽引車(障害物排除型)
     内燃軽便機関車
     九一式、九七式軽貨車
     軽装甲軌道車
     装甲軌道通信車
     鉄道連隊の普通機関車
     600型機関車
     5500型機関車
     9600型機関車
     C12機関車
     C56機関車
     海を渡った蒸気機関車
     ガーラット式機関車
装甲列車
     初期の日本軍装甲列車
     済南事件の装甲列車
     装甲列車の目的とその用法
     装甲列車の概要
     装甲列車の編成
     装甲列車内の各種装備
     満州事変の装甲列車
     軽装甲列車
     重装甲列車の開発
     火砲および装備兵器の改良
     九四式装甲列車の射撃テスト
     装甲列車の戦い

あとがき


今年の読書:19冊目



読書 | 19:46:48 | Comments(0)
無事に帰国しました!
本日、無事に帰国しました!(笑)

寝不足と疲れのせいか・・・・

声がかすれてしまって、自分の声がうっとうしい・・・(苦笑)

歳のせいか?(大笑)

日記 | 22:04:02 | Comments(1)
帰国!
軽く仮眠をとるが、結構、グッスリと寝たみたい・・・(大笑)
前回、別のツアーで来たときはホテルに宿泊したため、仮眠なんてもってのほか。
寝坊したら大変である!
というわけで・・・マッサージを呼んでマッサージをしてもらいながら時間を潰したが・・・
今回は、“別荘”である!(笑)
寝坊しても誰かが起こしてくれるだろうと「高を括って」熟睡した。(大笑)

荷物の最終チェックと家の中の掃除・・・
といっても、この“別荘”の最高齢宿泊者の拙者は・・・何もしない・・・(笑)
ほとんど、最年少者の“ナカムラさん”が、やってくれた!(喜)
感謝、感謝である。

靴底が無くなった我がトレッキングシューズは、他のゴミと一緒に棄てることにする。
一緒にフィリピンの山岳地帯を歩いた、長年の“戦友”とも、ここでお別れである。
思い出の多い靴なのだが・・・(涙)
スーツケースには余計なスペースはないので、持ち帰れない。
まぁ~持ち帰っても使い物にならない靴だから無駄と言えば無駄なのだが・・・
思い出がねぇ~・・・あるからねぇ~
こういう思い出に執着してしまうところが拙者の欠点でもある。
だから、なかなか自宅も我が部屋も、物が捨てられず片付かないのである。(大汗)

午前1時過ぎ、現地旅行社の送迎車に乗り空港に向かう。
途中で別のアベック客をピックアップ。
どういうわけか、日本人というのは(特にアベックは)、こういう時に挨拶をしない。
我々がいるのが見えないという、“無視”する態度・・・・(唖然)
後から乗り込んでくるのだから会釈くらいあってもいいと思うのだが・・・
わざわざ気を使って席を移動して空けてあげたんだし・・・
「すみません」とか「ありがとうございます」くらいの一言があってもいいと思うが・・・無視である。
まぁ、最近の若い人は、こういうものなのだろう・・・
こういうことにムカッとくるんだから、拙者も歳を取ったものだ・・・(苦笑)

成田行きの便なので、当然、チェックインカウンターには日本人の行列が・・・(汗)
中には、もめてゴタゴタしている連中もいたが・・・・
拙者はスムーズにチェックインを済ませ、手荷物検査もスムーズに通り搭乗口へ・・・
以前と同様、相変わらずの混雑・・・
拙者は、この搭乗口で待つというのが好きではない。
とにかく他の乗客を見ているとムカムカしてきてしまうのである。(苦笑)
横柄な態度のチンピラ風の連中がいる・・・・
馬鹿丸出しで、はしゃいでいる連中がいる・・・・
あ~なんと品(ひん)のない連中か・・・・
そういうのを見るのが嫌なのである。
というわけで・・・拙者は読書をして過ごす・・・(笑)

午前4時55分発、デルタ航空282便で成田に向かう。

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午前6時30分・・・機内食が出る。
う~ん・・・一応、これが朝食・・・である・・・・(苦笑)

午前9時20分ごろ、成田空港に到着。
荷物を受け取ったら、皆さんにお別れの挨拶をしようと思っていたのだが、みんなの姿が見あたらない。
仕方がない・・・心の中で・・・(大笑)・・・「お疲れさまでした!お世話になりましたぁ~!」と言って・・・(大笑)
空港を出る・・・・

旅行 | 17:34:42 | Comments(0)
靴が“オシャカ”!(驚)
DSCN4310_convert_20170530215907.jpg (我が“別荘”)(大笑)

今日は、パラオ本島の“探索”と“観光”・・・・(笑)
相変わらずお天気はイマイチである。

まずは、第二次編成の戦車隊の戦車が埋没している場所を再訪問して、遺族の“サカイさん”のための「お別れの挨拶」・・・・
続いて、日本人住民がいたという「大和村」の位置の確認の探索をしたが、残念ながら、ここだと明確にはわからなかった。
なにせ、70年以上も前だし・・・今では村は消滅してジャングル化しているし・・・
おおよその位置関係の確認に終わる。

“某所”で珍しいものを偶然見つけた!
今で言うところの「ロードローラー」である!(驚)
こりゃすごい!
・・・・と、大興奮しているのは拙者だけ・・・(大笑)

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これは、ローラーで道路や滑走路を圧し固める機械である。
軍用のものなのか民間のものなのかはわからない。
以前、ラバウルで、このローラーの部分だけを見かけたことはあるが、車体全体を見たのは初めてである。
しかも、ほぼ原型を留めているのであるから驚きである!
う~ん・・・これ、欲しいなぁ~(大笑)

次に向かったのは「パイナップルの缶詰工場跡地」・・・・
当時はパイナップルを栽培していたんだろうか?
今は、どこにもパイナップル畑らしきものは見当たらないのですが・・・・

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次に向かったのは、墜落した零戦があるという“某所”・・・・
車を降り、山道を歩くこと30分以上かかるという。

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この真っ赤な土は、鉄分が含まれているからなのだろうか?
以前、フィリピンの北部ルソン・サラクサク峠でも見たことがあるし、ソロモン諸島のツラギでも同じ色をした土を見たことがある。

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これは・・・ボーキサイトの山・・・・
ボーキサイトはアルミニウムの原料である。
で・・・日本統治時代は、こういう山を削ってボーキサイトを日本に輸出していたのだろう。

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途中で見かけた花・・・・
何という名前かは知らない。
蘭の一種か?
それとも金魚草(キンギョソウ)の一種か?
拙者は花は好きだが知識がない・・・(大汗)

この地層も珍しい・・・
赤土の間に黄色の土が・・・
う~ん・・・・
カスタードクリームを挟んだチョコレートケーキ?(大笑)

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DSCN4332_convert_20170530223533.jpg (途中で見た景色)

歩き始めて30分以上もかけてようやく“現地”に到着する。
なにせ普段の運動不足が効いた・・・・
なだらかな道でも息が切れる・・・(涙)
いやぁ~これが炎天下だったら完全にダウンしていたかもしれない。

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丘のなだらかな斜面に不時着したという感じの零戦の残骸・・・・
現地の人の話によれば、1機の零戦が燃えながら飛んできて、ここに不時着したという。
何時頃の話かはわからない・・・
通常なら激突するであろうが、最後の最後まで不時着することを狙って着地したのであろう。
綺麗に不時着している。
しかし、現存しているのはエンジン部分と両主翼と尾翼だけ・・・・
胴体部分は完全に消滅している。
焼け落ちてしまったのかもしれない。
燃えていたのは操縦席のある胴体部分か?
3枚あるプロペラのうち1枚は、曲がりもなく真直ぐに立っている。
ということは、完全にプロペラが止まった状態で不時着したのか?
プロペラが空転であっても回っていたら、必ず内側に曲がっているはずである。
ということは・・・滑空して不時着したものと思われる。
型式は不明・・・・
翼端の形状からすると零戦21型か、22型、52型あたりだろうが・・・
草に覆われていて主翼の翼端に折り畳み機構があるかないかが、よく見えない。
翼端を折り畳める形ならば21型か22型・・・・
折り畳み機構がなければ52型ということになるのだが・・・・

DSCN4365_convert_20170530231149.jpg (仮埋葬地跡)

草に覆われ、ちょっと見づらいが、ここに穴がある。
機体の残骸から少し離れたところにあるのだが・・・
この零戦が墜落(不時着?)した時、地元の住民が駆け付けたらしいが、既に搭乗員は死んでいたという。
この残骸から想像するに、操縦席は火に包まれていたのではなかろうか?
全身やけどで、焼死に近かったのではなかろうか?
そこで地元の人たちが機体から少し離れた場所に穴を掘り、搭乗員を仮埋葬したという。
たぶん戦後のことだと思うが、その後、掘り返されて遺骨は日本に還ったという。
この搭乗員が誰なのかは知らない・・・・
その穴が今も残る。
ここに埋まっていたんだ・・・・お線香をあげて慰霊する・・・・

と・・・・まもなく、一気に雨が降り出してきた!(驚)
拙者はポンチョを着ていて大丈夫だったが・・・・
さぁ!帰りましょう!・・・ということになる。
ところが、歩き出したら何かが足にまとわりつく・・・・
ペタペタと何かが貼りついているような・・・
足を上げてみて驚いた!
靴底が剥がれてめくれているのである!(唖然)

このトレッキングシューズ・・・・
もう15年以上も前に購入したものである。
寿命と言えば寿命なのかもしれない・・・(涙)
ついに靴底が剥がれ落ち、左足は大丈夫だが、右足は靴底のない靴となってしまった・・・(大汗)
しかし、靴は高価なものを買っていて正解だった。
靴底がないのに、靴底があるのである。(大笑)
二重構造か三重構造になっているのだろう。
かなりしっかりしている靴底がまだ健在だった・・・
剥がれ落ちたのは靴底のギザギザの滑り止めの1枚だけだったようである。
雨の中をしばらく歩いてみたが、靴の中に水が入ってこないんだから大したものだ。(驚)

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土砂降りの雨の中を30分以上もかけて歩いて車のところまで戻る・・・
他の人たちはサッサと歩けるが・・・こっちは靴底が無くなり歩きづらいことこの上ない・・・
滑って転んで、今度は洋服が泥だらけ・・・なんてことになったら最悪である。
慎重に歩けば歩くほど、みんなから置いてけぼりを喰わされ、ほとんど一人で豪雨の山の中をさ迷っている“敗残兵”のようなことになってしまった。(大笑)
そのうち、ジワジワと雨水が靴の中に沁み込んできた!(涙)
もうグズグズ状態である。(大涙)

時刻はお昼・・・・
ここへ来る途中の小さなお店で、各自で昼食を買っておいた。
どこか屋根のある場所で雨宿りをしながら食事をするということで、海岸の方へ出た。
小さな船着き場のある場所で昼食ということになる。

DSCN4369_convert_20170601133451.jpg DSCN4371_convert_20170601133521.jpg

すごい豪雨である・・・・集中豪雨!(驚)

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拙者がお店で買ったのは、地元の人の手作りの“お弁当”・・・(笑)
こういう手作りの“お弁当”が店の棚に置いてあったので買ってみた。(笑)
平べったい“おにぎり”の上に平べったいソーセージのようなハムのようなものが乗っていて海苔で巻いてある。
生産者の名前が包んであったサランラップに書いてあったような気がしたが・・・・
これが、なかなか美味しい!
それに、誰か地元の人が作った手作りのサンドイッチ・・・(笑)
これも予想外に美味しかった。
日本人に合う味?(笑)
これに他の人が買ったバナナを1本いただき・・・
これで今日の昼食は終了!(大笑)・・・・安上りである。(大笑)


この豪雨で午後の計画は全て“オジャン”である。(笑)
この土砂降りの中、いや、仮に雨がやんだとしてもドロドロにぬかる中、ジャングルの中を歩くのは無理である。
ということで、急きょ、無難な“観光”に予定を変更!(笑)
パラオの国会議事堂を見学することになった。(笑)

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今日の行動は以上!(笑)

“別荘”に戻る途中、町の中のショッピングモールに立ち寄る。
で・・・他の人たちは、店内を見学・・・
拙者は靴探し!(苦笑)
拙者は日本からトレッキングシューズを履いてきていたので、履き替える靴を持ってきていない。
靴一足をスーツケースに入れると、他の物が入り切らなくなるし、スーツケースも大型になってしまう。
というわけで、トレッキングシューズを履いたままだったのだが、こういうことが起こると不便である。
とにかく何でもいいから帰国時に履く靴を探さねば・・・・
とりあえず、靴屋は見つかったが・・・・
置いてあるスポーツシューズの色は、どれもこれも原色で派手な色のものばかり・・・(唖然)
いくらなんでも黄色とか赤とかピンク色の靴を履いて帰国したくない・・・(涙)
さらに値段が高い!
日本円で軽く1万円はする・・・(大涙)
さらに・・・サイズがわからない!(大泣)
全てインチ表示である。
今履いている靴は泥だらけだし足はビショビショである。(泣)
こんな状態で“試し履き”というわけにはいかないだろう。
いやぁ~参ったぁ~(泣)
お店の女子店員に頼んで、足のサイズを測ってもらい、試し履きをせず、適当な靴を買うことにした。
とにかく自宅に帰るまでの“応急処置”である。

続いてお土産屋さんに立ち寄る。
この店には前回、別のツアーで来た時にも立ち寄ったことがある。
ここで皆さんは“お買い物”・・・・
と・・・いきなり停電!(驚)
拙者は洞窟探検用に高輝度のLEDの懐中電灯を持っていたので、これを“ヨコハマさん”に貸し、天井を照らして買い物をするよう指示する。
天井に光を当てると、その反射で結構、周囲が薄明るくなるのである。
拙者は、前回同様、ここでコーヒーを飲むことにして頼んでいたのだが・・・
停電のため、当然、コーヒーメーカーは動かない・・・(苦笑)
回復するまで、しばらくの間、待つこととなる。
この停電は、豪雨のせいなのだろうか?
拙者が子供の頃は、雷雨になると、よく停電をしたものだが、最近は、全くと言っていいほど停電に遭ったことがない。
そういう生活に慣れてしまうと、停電になると不便さを感じるものだが・・・・
なぜか、とても楽しい・・・(大笑)
おお!久々の停電である!真っ暗!(大笑)
こういうこともあるから、この国に来るときは、洞窟探検をしなくとも懐中電灯はカバンの中に入れておいた方がいいかも・・・(大笑)

“別荘”に戻り、シャワーを浴びて、服を着替え、帰国の準備・・・
明日の真夜中に帰国するのである。
少し休んで、夕食に出かける。

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“最後の晩餐”である。(大笑)
新聞記者の“サイトウさん”と遺族の“サカイさん”は、この後、夜10時に空港に向かいグアム島経由で帰国する。
我々“別荘”組は、日付が変わった翌日の午前4時過ぎの飛行機で帰国する。
というわけで・・・この“夕食会”をもって、今回のツアーは解散ということになる。
お疲れさまでした。

食後、“別荘”に戻り、帰国の準備と片付け・・・そして仮眠・・・・

旅行 | 21:56:11 | Comments(0)
戦車隊の調査
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部屋のテラスに出て、朝の一服・・・・(笑)
う~ん・・・今日も天気が悪そうである・・・(涙)

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(プライベート・ビーチ)

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ホテルの目の前の海に、小島が見える。
戦時中、第14師団戦車隊の戦車が、ここから、あの島を標的に射撃の訓練をしたそうだ。
命中率が良く、かなりの腕前だったとか・・・

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朝食を食べ、出発・・・・

“ナカムラさん”は、あの沖に見える小島まで、カヤックか何かで行って釣りをするので同行しないとのこと。
わざわざ、そのために釣竿を持参してきたそうで、おかげで空港で追加料金を取られたそうだ。(笑)
そこまでして釣竿を持ってきたのに、釣りをせずに帰国するわけにはいかないという。(笑)
「あの島に残る戦車の不発砲弾を踏んでドカン!・・・となるんじゃないか?」とか・・・
「途中でカヤックが転覆して鮫に食われて海の藻屑となるんじゃないか?」とか・・・
「干潮になって潮が引いてしまい、カヤックを担いで帰ってくるようになるんじゃないか?」とか、散々からかう。(大笑)
拙者は釣りは全くしないので、わからないが・・・
好きな人は、どうしてもやりたくなるんだろうねぇ~

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(拙者が泊まった「ドルフィンベイ・リゾートホテル)

最初に向かったのは・・・相変わらずの・・・・“某所”・・・(笑)
ここに第14師団戦車隊の戦車が埋没している。
戦闘後、米軍により破壊された日本軍戦車が、ここに“遺棄”された。
拙者は7年前にも、ここを訪れていて、今回が2回目である。
今回は“ヨコハマさん”が金属探知機を持ち込んで、それで埋没している戦車の位置を測定することになっている。

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この戦車は日本軍の九五式軽戦車・・・
横倒しになって埋まっている。
7年前に来たときは、地表には車輪しか出ていなかったが、ずいぶん表土が流れたのか、車体の一部も地表に現れていた。
米軍の記録によれば、車内に日本兵の遺体を残したまま“遺棄”したとされている。
掘り出して中を確認すれば、ご遺骨を見つけることが出来るかもしれないが、その許可を得るには日本とパラオの政府間で話し合わないと難しいと思う。

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こちらは、砲塔が無くなって、砲塔の取り付け部だけが地表に現れている九五式軽戦車の車体・・・・

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こちらは、車輪だけが地表に出ている戦車・・・
たぶん、逆さまにひっくり返って埋まっているのではないかと思われる。
これら地表に現れている戦車の位置の測量などを行う。

ペリリューで戦った戦車隊の戦車は九五式軽戦車17両である。
そのうちの1両は、旧飛行場跡の近くに野外展示され、“観光名所”として使用されている。
ということで、残るは16両ということになる。

地表に出ていないものは、金属探知機で探索するが、2両が重なって埋まっている可能性は否定できない。
金属探知機が反応した地点の測定などをして“ヨコハマさん”が記録を取る。

これらの戦車を掘り出したいものだが・・・・
米軍は戦闘後、撃破した日本軍の戦車の写真を撮影して残している。
掘り出した戦車と、当時の写真を比較して、弾が当たった跡等を比較すれば、どの戦車が何という戦車なのかがわかる。
当時、戦車隊の戦車にはペンキ(?)で、それぞれ名前を書いていたのである。
例えば、隊長の戦車には「さくら」と書かれていた・・・
今では消えてしまっているだろうが、戦闘直後の写真には、戦車を特定するこの名前が写っている。
戦車が特定できれば、乗員が誰だったのかも絞れる・・・
その遺族からDNAの提供を頂ければ、ご遺骨が出てくれば、DNA鑑定で、どなたの遺骨かがわかる・・・
そうなれば、ご遺族に直接、ご遺骨を渡すことが出来る・・・ということになるのだが・・・
そう、うまくいくかどうかはわからないが、できるところまでは、やってあげたいものだと思う。

今日も天気はよろしくない・・・(苦笑)
時々チラチラと雨が降る曇り空である。
が・・・
これが、もし晴れていたら、暑くて仕方がない。
雨模様の曇り空は、ある意味、良かったかも。
バテずに済む。

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埋没戦車の位置確認作業を終え、次に向かったのは“某所”・・・
ここの草むらの中にコンクリート製の建物がある。
これが、第14師団戦車隊の弾薬庫跡。

続いて、またまた“某所”に移動・・・(笑)

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ここは、第14師団戦車隊の駐屯地跡。
この道は戦車が通った道だから・・・「戦車道」と呼んでいいかも・・・
周囲は樹木に覆われ、何が何やらさっぱりわからない。

DSCN4289_convert_20170530135748.jpg (この草の向こうに壕がある)

当時の壕などの配置図に従って測量をしながら駐屯地跡を探索する。
「〇〇から25mのところに本部壕があるはず!」といった具合に、巻き尺で測量しながらの探索である。
で・・・その結果に従い、道から外れジャングルをかき分けて内部に入り込む。(苦笑)

DSCN4286_convert_20170530135545.jpg (戦車隊本部壕)

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ここで人骨らしきものを見つける。
「これ、骨じゃないですか?どうですか?」と、またまた呼ばれて駆けつける。(苦笑)
形からいうと頭蓋骨の頭頂部のような気もするが・・・拙者は人骨の専門家ではない。(大汗)
“ヨコハマさん”は、拙者が何でもかんでも知っていると思ってか、鑑定を求めるのだが・・・・(大笑)
う~ん・・・どうでしょう?(汗)
人骨であるという確率は半々かなぁ~(汗)
とりあえず、これもまた、同行しているガイドさんに、日本の厚生省の遺骨収集団が来た時に見てもらうよう頼む。
(この頭蓋骨と思われるものの写真は、あえて掲載しないこととする)

周囲は、かなり岩が崩れ落ちている。
ここに頭蓋骨があるとなると、これらの岩を取り除けば、その下に、もっと人骨が埋まっている可能性が高いということになるが・・・
問題は、何で、ここに人骨があるかということ。
ここは本部壕である。
ここから戦車隊の戦車が出撃して飛行場奪還のため突っ込んで行き、全滅したのである。
その時に誰か本部壕に残っていて、のちに戦死したのか?
それとも、戦闘後に退却した生存者が、ここに立て籠もって戦って戦死したのか?
そのあたりの詳しい資料を見たことがないので、何ともわからない。
そういう戦史を知っていれば違和感はないのだが・・・
“この物体”が人骨であるとすれば、なんで、ここに人骨があるんだろう?
ちょっと違和感を感じる。

続いて、すぐ近くにある「整備隊壕」を探索・・・・

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「変なものを見つけたんですけど・・・これ、なんですか?」の声・・・・
駆けつけてみると・・・工具がポツンと1個だけ置かれていた。
モンキーレンチである。
これ・・・工具ですけど・・・(汗)
ということは・・・やっぱり、ここは整備隊壕で間違いないということか?
それにしても、モンキーレンチねぇ~
当時、日本軍はモンキーレンチなんか使ったのだろうか?
他には工具類は見当たらない・・・
長さといい、形といい、日本の箸と思われる“物体”が、そばに添えられていた。
ちょっと疑問が残るが・・・当時の配置図と見比べても、ここが「整備隊壕」で間違いなさそうである。

とにかく戦後70年以上も経っているのである。
その間に、いろんな人がこの洞窟陣地に来ているだろうし・・・・
戦闘終了直後に、米軍もここに来ているだろうし・・・
本部壕のすぐ近くに赤さびた未使用の鉄条網の束が放置されていた。
鉄条網(有刺鉄線)のトゲの形状からして、明らかに日本軍のものではない。
いつごろここに放置されたのかは、わからないが、かなりの量の未使用の鉄条網の束である。
こうなると、我々の目に触れる“遺品”が果たして、本当に当時(戦時中)のものかどうか、判断するのが非常に難しい。

DSCN4291_convert_20170530135845.jpg (戦車壕跡)

道路わきの「戦車壕」跡は草木に覆われて、ちょっと見たくらいではわからない・・・
ヤブの中に分け入って、地形を足裏で確認して、ようやくわかる。
ここには戦車2台分の「戦車壕」があった。
戦車壕は“コの字”の形に掘られた戦車の“駐車場”である。(笑)

ちょうど、お昼となったので、一旦ホテルに戻り昼食をとる。

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魚釣りに行っていた“ナカムラさん”は、無事に魚が釣れたそうで、大漁!
ホテルに頼んで料理してもらい、我々にも一人一匹づつごちそうしてくれた。
いやぁ~申し訳ないねぇ~・・・・散々からかったのに・・・(大笑)
何という魚なのかは知らないが、美味しかった・・・(喜)

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午後は博物館を見学・・・

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“ヨコハマさん”が、ここに戦車隊に関する各種資料を提供している。
よくやるなぁ~・・・・大したものである・・・脱帽である。

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ホテルをチェックアウトして、ホテルのモーターボートでパラオ本島に戻る。
今回は、同じホテルの宿泊者である初老の外国人御夫妻も一緒・・・・
ドイツ人ぽかったけど、どこの国の人かは知らない・・・(笑)

DSCN4301_convert_20170530205354.jpg (ペリリュー島を離れる)

今日の夕食は、以前に一度だけ行ったことのあるレストラン・・・・
ここの料理・・・・一品の料理の量が馬鹿みたいに多いのである!(大笑)
それで今でもよく覚えている。
今回も同様である・・・(大笑)
いやぁ~懐かしい・・・・この量!(大笑)

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我々が泊まった“別荘”は・・・・ごく普通の一般の家である。(笑)

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DSCN4309_convert_20170530212254.jpg(拙者の部屋・かなりピンボケ!)(笑)

旅行 | 15:27:35 | Comments(0)
久々のペリリュー島!
“ナカムラさん”が用意してくれた朝食をいただき、“別荘”を出発!
今日は、これからモーターボートでペリリュー島へ向かう。

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青い空に白い雲・・・・エメラルドグリーンと群青色のコントラストの海のはずが・・・
天気が悪い!(涙)
前回は低気圧接近の影響で海が大荒れ・・・
今回は荒れはしなかったが、ペリリュー島の方角に、明らかに雨雲とわかる黒い雲が立ち込めている。
あ~あ~・・・・残念だぁ~
晴れていたら最高の景色なのになぁ~(涙)

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パラオ本島を出発して、ちょうど1時間後にペリリュー島に着いたときは・・・雨!(涙)
しかも結構激しい雨である・・・(汗)
拙者は「雨男」ではないはずなのだが・・・
だれか、この中に、“普段の行ないが悪い人”がいるに違いない・・・(大笑)

最初に向かったのはペリリュー州知事のところ・・・
アポを取っておいたらしいが、不在!(苦笑)
まぁ~そんなものでしょう・・・南国では・・・(笑)
仕方がないので、今度はペリリュー島の酋長のところへ挨拶に行く。
酋長とお会いして来島したことを伝え簡単にご挨拶・・・

次に向かったのは、「ペリリュー小学校」・・・

DSCN4215_convert_20170516110653.jpg (ペリリュー小学校)

校長先生にお会いしてご挨拶・・・
リーダーの“ヨコハマさん”が「お土産」の文房具等を用意してきたので、それを贈呈。
校長先生から小学1年生のクラスに寄贈してくれるようにとのお話をいただき、「贈呈式」(?)となる。(笑)

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突然の訪問客に、「お土産」である。
子どもたちは大興奮!(大笑)
このくらいの子供というのは、どこの国の子供でも本当にかわいい・・・
これが大人になると、犯罪を犯したり戦争を起こしたりしてしまうのだから・・・これが不思議だ。(笑)
いっそのこと、人類はすべて子供だけ・・・となったほうが地球は平和かもしれない・・・(大笑)

拙者が初めてこの小学校を訪問したのは2010年のこと。
あの時も小学1年生のクラスを訪問した。
彼らは、もう“中学生”になっているだろう。
あの時に撮った彼らの写真を焼き増しして持ってくれば良かったと、この時になって気づいた・・・(汗)
しくじった・・・(苦笑)

次に向かったのは、“洞窟陣地”・・・
ペリリュー島観光の“定番”である。

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次に向かったのは、「日本人墓地」・・・・
雨の降る中、ここにある慰霊碑の前で「慰霊祭」を執り行う。
拙者は、いつものように三笠宮殿下からいただいた菊花の模様の入った「恩賜のタバコ」を供える。
これは、もうずいぶん前に殿下から頂いたもの。
このところの「禁煙ブーム」(正確には嫌煙ブームか?)のおかげで、宮内庁も「恩賜のタバコ」の生産を中止することとなった。
拙者が戦没者の慰霊をしているのを知って、「これで最後です」ということで、最後の数箱をくださった。
大切に今まで保管していたタバコで、これを持参してお供えしたのだが・・・・
大失敗!
雨の中、迂闊にも、そのままお供えしてしまったのである!!(ゲゲッ!)
あっという間にタバコはびしょぬれ・・・・(涙)
シマッタ!
ビニール袋に入れてお供えすべきだった!
貴重な1箱を一瞬で失うこととなる。(大涙)

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その後、ホテルにチェックイン・・・
コテージ風のホテルで、拙者は宮司の“タガワさん”と同室。

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このホテルで昼食をとり、その後、一休み・・・・

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午後は、日本政府が建てた慰霊碑に向かい、そこで慰霊祭を執り行う。
神主の“タガワさん”は、ここをメインということで、正装して慰霊祭に臨む。
土砂降りに近い雨の中での慰霊祭となり、結構、大変だった・・・・(汗)

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次に向かったのは零戦の残骸のある“某所”・・・・
雨のせいで、沼地と化していた・・・(汗)

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次に向かったのも・・・“某所”・・・・
とにかく“某所”と書くしかない。
あまり正確な位置を教えると“マニア”に荒らされる可能性がある。
この国が課しているルールというのを守らない“マニア”が結構いる。
まぁ・・・拙者を含め・・・・“マニア”だから、こんなところまでやって来るのだろうが・・・(大笑)
「触るな」「位置を変えるな」「持ち去るな」と言われたら、守るべきだ。
理不尽であろうと、何であろうとルールはルールである。
ルールを無視するような輩には情報は与えるわけにはいかない。
ということで・・・“某所”

この“某所”で、ご遺骨を見つけた。
以前に二度ほど、この“某所”には来たことがあるが、その時は遺骨など見当たらなかったのだが・・・
たぶん落ち葉などで覆われていたのだろう。
その後の風雨で表面が飛ばされたか流されたかして地表に現れたものと思われる。
骨の太さから想像すると、腕の骨のようである。
(あえてご遺骨の写真は載せないことにする)

周囲には薬莢が集中して散乱していた。
この薬莢が日本軍の物かどうかは拙者にはわからない。
一か所に集中しているということは、三八式歩兵銃のような単発式の銃のものとは考えられない。
たぶん、軽機関銃のような連発式のものではなかろうか?
だから一か所に集中して十数発の薬莢が落ちているのではなかろうか?
ここの地形、米軍の進撃方向等々から、このあたりの戦闘状況が想像できる。

周辺を探索・・・
石を積んだ場所・・・「石塁」と呼ぶべきだろうか?
明らかに人工的に造られたものである。
日本軍の第一線陣地跡ではなかろうか?
向いている方向からしても、上陸してきた米軍に向かって「抵抗線」を成している。

相変わらず“ヨコハマさん”から「ちょっと来て!これ、日本軍のものですか?」との声が飛ぶ。
で・・・ジャングル内を飛び回るので・・・写真を撮っている暇がない・・・(涙)

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これは、米軍の水陸両用戦車の車輪の一部・・・

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飛行機のエンジンとカウリング・・・・
すぐ近くに翼の一部と思われるものもあった。
なんで、こんなところに?・・・・という気がしないでもないが・・・
米軍のものか日本軍のものかは不明・・・・

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問題は・・・これ・・・
う~ん・・・これ、どこかで見た記憶があるのだが・・・・
どこで見たんだっけかなぁ~
どこかの戦争博物館とか軍事博物館で見たような気がするのだが・・・
何だっけかなぁ~・・・これ・・・
とうとう思い出せなかった・・・(涙)

今日の“行動”は、以上・・・・
ホテルに戻り、夕食・・・
無理のない余裕のある行動計画なので体調を崩さずに済む。
ありがたい・・・(喜)

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033.jpg (ホテルから見た夜景)

旅行 | 10:30:33 | Comments(0)
埋没戦車の調査と慰霊
まもなく“某所”に到着する。

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“ヨコハマさん”の話では、ここに「第二次戦車隊」が駐屯していたのではないかと思うとのこと。
当時撮影した写真を参考に、背景の丘の形を見比べて、「駐屯地跡」を推定すると、ここではないかという。

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特徴のない平坦な背景では、なかなか難しいが・・・
ここが当時の幹線道路であり、平坦な場所ということから戦車の移動には便利であることは地形的に言える。
駐屯地にするには“適所”であるといえる・・・
一応、ここを「駐屯地跡」ということで“認定”することにする。(笑)

このパラオの防衛を担当していたのは栃木県宇都宮で編成された第14師団・・・
この師団には「第14師団戦車隊」という戦車部隊があった。
この部隊は、拙者が関係している戦車第2師団隷下の戦車第6連隊で編成されたという。
各地から兵員をかき集めて戦車第6連隊内で約3ヵ月ほど訓練をして、九五式軽戦車17両で編成され、制式に「第14師団戦車隊」となり転出していった。
そういう意味でも、我が部隊とは縁がある。
で・・・この「第14師団戦車隊」はペリリュー島へ派遣され、現地で米軍と交戦し全滅した。
で・・・パラオには「戦車隊」は無くなってしまった。

パラオは南方各地へ向かう輸送船の中継基地でもあった。
特に、ニューギニア戦線へ向かう輸送船が、ここを利用していたようである。
各種雑多な部隊が一時的にパラオに上陸したが、次の輸送船の手配によっては、そのまま一部の兵員が残ってしまったりしていた。
その中で、「南洋第6支隊」(愛媛県松山で編成)の戦車中隊と「独立自動車第42大隊」の戦車小隊の戦車が残されていた。
本隊はニューギニアに向かったが、戦車は輸送船に載せることができなかったのだろう、パラオに兵員と共に残置されたのである。
そこでこの戦車を集めて新たに「第14師団戦車隊」を編成したのである。
我々は便宜上、「第二次戦車隊」と呼ぶ。
この戦車隊は九五式軽戦車17両で編成されていたとも、13両だったともいわれているが、よくわからない。
この戦車隊はパラオ本島の防衛に付き、そのまま終戦を迎えている。
その「第二次戦車隊」の駐屯地がここではなかろうかということで確認のため訪れたのである。

で・・・周囲を散策してみたら・・・「自動車」の残骸を見つけた!

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日本軍の「小型自動車」の残骸のようである。
となると・・・「九五式小型乗用車」・・・・通称「くろがね四起」と呼ばれる、小さな乗用車ということになる。
が・・・かなりボロボロとなっている残骸である。
よくわからない・・・(涙)
四角い箱のような形の鉄板も見受けられる。
もしかして、これは荷台か?
となると・・・これは乗用車ではなく「九五式小型乗用車」を改造した「九五式小型貨物自動車」となるが・・・
拙者の知識不足ということで、なんとも情けない話なのだが、暫定的に、とりあえず「くろがね自動車」ということにしよう。(苦笑)

さらに“某所”に向かう・・・・(笑)

道路から一歩踏み込んだジャングルの中に戦車の残骸がある。
この戦車は「第二次戦車隊」に所属する戦車で、終戦時に日本軍の手で破壊されたものであることが分かっている。
が・・・どこに埋没しているのかは明確ではなかったが、去年だったか、“ヨコハマさん”と新聞記者の“サイトウさん”が、これを見つけて、“サイトウさん”の手で新聞に記事が掲載された。
で・・・今回、改めて確認のため訪問。

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ジャングルに埋もれている日本軍の九五式軽戦車・・・

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それらの戦車の内部の様子・・・・

DSCN4138_convert_20170509155709.jpg (ジャングルの中を探索中)

生還者の証言では、戦車を一列に並ばせて爆破して廃棄したという話である。
ジャングルの中は木や枝が邪魔をしているが勝手に切り倒すわけには行かない。(笑)
埋まっている戦車も、地面を掘り返して確認することもできない。
パラオでは戦跡や遺品等に勝手に手を触れることは法律で禁止されている。
現状を変えてはいけないのである。
これに違反すると・・・多額の(たしか100万円だったかな?)罰金か懲役1年の罰を受けることになる。
というわけで・・・地表に出ている部分だけを見て埋没戦車の位置を確認する。
で・・・その位置をGPSで測定して記録する。

ここに日本軍の戦車が埋まっているということを州政府は全く知らなかったという。
戦車の台数は果たして17両なのか13両なのか・・・
今回の調査は州政府と州政府を通して地主の許可を得ての調査である。
以前、日本人の“某マニア”が無許可でペリリュー島の戦跡を歩き回り大問題となったことがある。
その“某マニア”が誰なのかは拙者は聞いて知っているが、今更、本人を責めても仕方がない。
が・・・おかげで、そのとばっちりを受け、戦跡の調査に制限を受けてしまっている。
我々も“同類”だと思われるのは甚だ迷惑である。
ここは“他人の土地”であるのだから、必ず正規の手順を通して許可を得てやってもらいたいものだ。

生還者の証言のように“一列に並んで”いるというより、蛇行している感じで何両かの戦車が埋まっていた。
見ようによっては、2列か3列に並んでいるようにも思える。
もし戦車の数が17両だったとしたら、それを一列に並べるというのは、土地の広さからいって無理な話ではあるまいか?
かなりの長さになってしまう。
結局、確実に、これは戦車だ・・・といえるものは数台しか確認できなかった。

ここで、宮司の“タガワさん”が略式の慰霊祭を催行する。

続いて向かったのも・・・“某所”・・・・(笑)

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ここにあったのは朽ち果てたトラックである。
ここまでボロボロの状態で“シャーシ”しか残っていないと、よくわからない。
バラバラに散らばっている部品は草に覆われてしまっているので、手掛かりにならない。
この樹木や草を刈り取りたい衝動に駆られるが・・・・(大笑)
手を触れるわけにはいかないので我慢、我慢・・・(涙)
可能性として高いのは「九七式自動貨車(トラック)」ではなかろうか?

戦車の探索の時もそうだったが・・・(笑)
“ヨコハマさん”から、彼が何か見つけるたびに「これは何ですか?」の質問が飛ぶ。(苦笑)
拙者は、それほど専門知識を有しているわけではないのだが・・・(大汗)

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時刻は午後1時・・・・
移動途中の東屋(?)で、旅行社が用意してくれた弁当を食べる。
これがまたおいしいのである!(大喜)
やっぱり外で食べる食事というのは格別のものがある。

昼食後、続いて向かったのは現地で「KOKUSAI(コクサイ)」と呼ばれている場所・・・
ここに「国際電気通信(株)」(昭和13年設立)の施設があったので、現地人から「コクサイ」と呼ばれているとのこと。

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このコンクリート製の廃墟が、国際電気通信(株)の、たぶん、無線電話施設ではないかと思う。

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すぐ近くに鉄塔が倒れている・・・
無線塔か?

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この廃屋の天井の丸い穴・・・・
爆弾で空いた穴ではないことは明確である。
拙者の想像だが・・・これは鉄塔からこの建物の中へケーブルを引き込む穴ではなかろうか?

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大きな機械が1台残されていた。
これは・・・もしかしたら発電機ではなかろうか?
すぐ隣に同じ大きさの土台が残っていたところをみると、もしかしたら同じ機械を2台並列に置いていたのではなかろうか?
つまり、1台は予備で、万が一、1台が故障もしくは点検・整備などで停止した場合でも不都合が出ないための措置・・・
並列となれば、その可能性は高いだろう。
操作盤(もしかしたら整流器?)の残骸も残っていた。
この建物にあるのは、これだけ・・・・
あとはガランとしている・・・

廃墟の“観光”をして・・・つぎにまた“某所”に向かう・・・

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ジャングルの中に車輛が埋もれていた・・・
写真では見づらいのだが、これは特殊車両である。
皆さんから「これは何ですか?」と質問される。
これは飛行機のエンジンを始動するための「エンジン始動車」もしくは「エンジン起動車」という特殊車両である。
主に陸軍が使っていた車輛だと思うが・・・
パラオには陸軍の飛行機もいたんだっけ?(汗)
肝心な戦史の方を記憶していない・・・(大汗)
「こりゃ、珍しい車輛だ!回収して復元したいなぁ~」と言ったら呆れられた・・・(苦笑)

すぐ近くに、別の車輛・・・・

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「これ、トラックですよね?」の声・・・・
たぶん「九七式四輪自動貨車」か、もしくは「一式四輪自動貨車」か・・・という感じ・・・
この周囲の草を刈り取れば、もっとよくわかるかもしれないのだが・・・残念・・・・
一応、これは「九七式四輪自動貨車」ということにしちゃおう・・・(大笑)

以上で、今日の“調査”は終了・・・・

旅行 | 13:28:38 | Comments(0)
久々のパラオ!
今回のパラオ行きは、旧知の“ヨコハマさん”からのお誘い・・・
現地のジャングルに埋没している日本軍の戦車の調査と戦没者の慰霊が目的。
ということで・・・お誘いを頂いた。
が・・・一体、何人ぐらいで行くのか、結局わからないまま・・・(笑)
「一緒に行きませんか?」・・・「OK!」で決めちゃったから詳細は分からない。(苦笑)

昨晩、成田空港で一緒に行く青森の神社の宮司さんと合流。
初対面だが、こういう時は携帯電話というのは便利である。
電話でやり取りをしながら無事にランデブー(笑)
成田から向かうのは我々2人だけ。
“ヨコハマさん”は先に現地入りしている。
他の人は、どうも福岡の方らしいが・・・別の便でグアム経由で向かったらしい。
ということは・・・全部で何人だ?(大笑)
みんなバラバラに出国して現地集合・・・

20時15分発のデルタ航空でパラオのコロール国際空港へ向かう。
約5時間弱の飛行である。

DSCN4073_convert_20170509110816.jpg DSCN4074_convert_20170509110944.jpg

で・・・
本日の午前1時過ぎに空港に無事到着。
現地旅行社の送迎ワゴン車で“別荘”に向かう。
時刻は午前2時・・・・日本とパラオには時差はない・・・

今回、パラオではホテルに泊まらず、一戸建ての“別荘”を借りている。
参加者のうち、4名が、ここに宿泊することになっているという。
挨拶もそこそこにシャワーを浴びる。
が・・・どうも10分だか15分だかしかお湯が出ないそうである。(唖然)
それもトータルで・・・ということだから、4で割ると・・・(大汗)
とにかく手早く洗って流さねばならない・・・
こういう不便さが、またいいんだなぁ~(喜)

この“別荘”にはベッドルームが3部屋ある。
“ヨコハマさん”と彼の知人の青年“ナカムラさん”がそれぞれ一部屋・・・
拙者と宮司の“タガワさん”がツインルーム一部屋で同室である。
リーダーの“ヨコハマさん”以外は全員初対面である。
とりあえず急いで仮眠を取る。

朝食は“ナカムラさん”が早起きして用意してくれた。
彼は、以前、船に乗っていて、そこで料理を担当していたとか。
というわけで・・・食事担当は彼ということで、拙者は楽をさせていただいた。(大喜)

朝食後、ホテルに宿泊している別の参加者と合流・・・
遺族の“サカイさん”と新聞記者の“サイトウさん”の2人である。
新聞記者の“サイトウさん”とは、以前、日本軍の戦車についての問い合わせをいただき、メールでやり取りをしたことがあるが、お会いするのは初めてである。
というわけで・・・
結局、参加者は拙者を含めて6名であることが、この時、わかった・・・(大笑)

最初に向かったのは、「パラオ・パシフィック・リゾート」ホテル・・・・
超高級なリゾートホテルである。
一度は泊まってみたいものだが、日本円で1泊4万円~5万円ほどするんじゃなかろうか?(大汗)
無理だな・・・(涙)

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ここは戦時中、日本海軍の水上機基地があった場所である。

このホテルに併設されている旅行会社で、島内“観光”の手続きを行う。

で・・・旅行社のワゴン車に乗り、次に向かったのはガスパン州政府の事務所・・・
州知事を表敬訪問し、今回の調査に関する打ち合わせと許可を頂く。

DSCN4091_convert_20170509130202.jpg (ガスパン州政府)

DSCN4083_convert_20170509130137.jpg (州知事と打ち合わせ)

知事との面談を終え、次に向かったのは・・・・“某所”・・・

DSCN4089_convert_20170509131714.jpg DSCN4088_convert_20170509131644.jpg

ここに戦時中、小さな港(漁港?)があったのではないかということだが・・・
日本軍の「大発(大発動艇)」の「舟艇基地」の跡のような気がしないでもないが、確証はない。

続いて向かったのは・・・さらに“某所”・・・(笑)

DSCN4095_convert_20170509132336.jpg (途中の景色)

DSCN4094_convert_20170509132308.jpg (途中の高台から見た景色)

旅行 | 10:54:59 | Comments(0)

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