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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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「それでも日本人か?」と言われてもねぇ~(汗)
発電所から約20分程度で「日月潭」に到着した。

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ここは「朝霧埠頭」もしくは「朝霧波止場」と呼ばれる場所らしい。
日月潭には、過去に2度ほど訪れているが、ここには来たことはない。
ここのボート乗り場(?)から、日月潭周遊の遊覧船が出ているとのこと。
ガイドの“キョさん”の話では、こういう遊覧船に乗るのは中国人や韓国人のツアー客ばかりで、日本人のツアー客は乗らないのだそうだ。
まぁ、遊覧船で湖をグルグル巡るのは時間の無駄とばかりに、次の観光地に行きたがるせいなのかもしれない。(大笑)

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ここの駐車場に続々と観光バスが入ってきたが、全員、大陸から来た中国人観光客だった。
彼らの会話をちょっと聞いただけで、大陸からの来た中国人の中国語か、台湾人の中国語か、すぐにわかると“キョさん”・・・・
拙者には全く区別がつきませんが・・・(苦笑)

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現地の案内板は中国語、日本語、英語、韓国語の4か国語で表記されていた。(驚)


水社朝霧―朝霧碼頭

水社朝霧は台21省道上の朝霧埠頭に位置し、日月潭4大埠頭の一つです。
東に面しているので日の出鑑賞には絶好の場所となっています。
気候や地形、湖水などの影響により、明け方になると湖面に霧が立ち上り、そこに朝日が差し込んで大変魅力的な光景が満喫できます。
「水社朝霧」という美しい名前で呼ばれる通り、日月潭八景にも選ばれています。
この埠頭は、日月潭周遊の観光船乗り場であるほか、毎年万人が参加する日月潭横断遠泳大会のスタート地点でもあり、選手たちはここから対岸の伊達邵埠頭を目指して全長約3.3kmを泳ぎ切ります。

(説明板より)


今日は朝食時にコーヒーを飲んだだけで、その後は飲んでいない。
拙者は普段、1日に3回はコーヒーを飲む。
どうもコーヒーを飲まないと調子が出ない・・・(苦笑)
というわけで、近くのレストランでコーヒーを飲んで休憩をとることにした。

DSCN3492_convert_20170105154525.jpg (朝霧埠頭のレストラン)

時刻は午後3時・・・・
一か所行ってみたい場所を思い出した!(笑)
「水社」という町にある「教師会館」・・・・
1983年の2月に、大学の海外研修団の一員として2週間ほどかけて台湾を縦断した。
生まれて初めての台湾訪問だった。
この時に、ここの「教師会館」に宿泊したことがあるのである。
今から33年も前のことである。(唖然)
ふと、思い出したので・・・
今は、どうなっているのだろう・・・ということで連れて行ってもらった。

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行ってみて驚いた!(唖然)
綺麗になってる!!
それもそうか・・・33年も経っているんだから・・・(大笑)
「教師会館」は、たぶん教職員のための宿泊研修施設だと思うが・・・・
あの時は、日が暮れるころに到着して建物の様子はよくわからなかった。
とにかくボロい建物で、「こんなところに泊まるのかよ!」(怒)と文句を言ったことを覚えている。(苦笑)
なにせ、うちの大学の合宿所(研修所)より古臭くてボロかったのである!(大笑)
廊下が薄暗くて気味の悪い建物だったことだけはよく覚えている。(苦笑)
それがねぇ~・・・・いやぁ~綺麗になっちゃって・・・・唖然である。

ここで愛想のない不親切なガードマンに断わって記念写真を撮る。(大笑)
「教職員以外は立ち入り禁止!」と言わんばかりの態度だが・・・それはわかるが、33年ぶりに来たんだぞ!記念写真くらいいいじゃないか!・・・と写真を撮る。(大笑)
あの時の研修団の仲間たちに、この写真を見せたいなぁ~(笑)
みんなは、今、どこでどうしているんだろう?

もう一つ、思い出の場所がある。
たしか、1991年か1992年の5月だったと思う・・・
25年ほど前のことである・・・(唖然)
一人で祖父の足跡を訪ねるため台湾に行くとき、一緒に連れて行ってくれと後輩の“サイトウくん”が言うので、急遽二人旅となった。
この時に、日月潭にも来たのだが・・・・
その時に泊まったホテルがどうなっているのか・・・(笑)
ホテル名も場所も覚えていない・・・
ただ、蒋介石の奥さんの宋美齢の別荘だったとかという話を聞いたような記憶がある。
で・・・食堂(レストランなんていう高級なものではない)の壁に、当時、ここに宿泊した時の蒋介石や宋美齢の写真が何枚も飾られていたことだけは覚えている・・・
で・・・そこって・・・どこだろう?(笑)
ガイドの“キョさん”に尋ねたら、すぐ近くのホテルがそうだと言う。
なんと「教師会館」の目と鼻の先にある!(唖然)

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あれ?・・・・ここがそう?(大汗)
当時は、イマイチ、パッとしないホテルだったが・・・・
超高級ホテルになっていた!(唖然)
まぁ、25年も経てば変わるか・・・・
もう、拙者は“浦島太郎”状態である・・・・(大笑)
で・・・ちょっとロビーに入り込み・・・(笑)
内部を勝手に見学する。

DSCN3498_convert_20170106135440.jpg (ロビーから見た景色)

当時も、拙者の部屋から日月潭がよく見えた・・・・
う~ん・・・こんな景色だったかなぁ~
景色までは覚えていない・・・(苦笑)
ここに宿泊した当時、日月潭に面した部屋の目の前のところが工事中・・・・
かなり大掛かりなコンクリートでの基礎工事だった。
ホテルに尋ねたら、改装工事をするとかって言っていたのを覚えている。
で・・・・こうなったのかな?(汗)
かなりの高級ホテルだそうで・・・・もう、ここに泊まるのは無理だろうなぁ~・・・カネがない・・・(大笑)

昔の思い出を辿りながら大いに楽しむ。
で・・・・この後は、平地にある「埔里(プーリー)」という町に向かう。
今晩から2泊、この町のホテルに宿泊するのである。
この町を拠点に「霧社(むしゃ)」方面の観光をするのである。

途中で、気が付いた・・・・
そういえば、「埔里」の町の近くに「台湾中心の地」っていうのがあったはず・・・
急遽、予定外の行動で・・・この「台湾中心の地」に立ち寄ることにした。

「台湾中心の地」を初めて訪れたのは1983年の研修団で来た時・・・・
その次に“サイトウくん”と一緒に来た時が2回目の訪問・・・・
当時、台北から運転手付きの乗用車で、この地までやって来た。
ガイドは26歳の女の子。
「台北に到着して、そのまま日月潭へ行くというお客さんってどんな人なのかと思っていました」と開口一番、空港で言われた。(笑)
日本人は台北を観光するのが普通なのに…・と言うのである。
で・・・・この地に来た時、彼女に「台湾中心の地」の碑が建っている場所を知っているかと尋ねたら、初耳だと言われた。(大笑)
ならば、拙者がご案内しましょう!・・・・と言って案内した。
方向音痴なのにねぇ~(大笑)
不思議なことに、8年ぐらい前にツアーバスで来た時の記憶が鮮明に残っていた。
で・・・「そこを右に曲がって!そこを左に曲がって!」とドライバーに指示して、驚くべきことに無事に迷わず到着したのである!(大笑)
当時の記憶では、何もない“広場”・・・・
道路がいくつか交差していたが、周囲には何もない・・・
“広場”の中に石碑がいくつか建っていた。
その碑文を読んだが、「民国〇〇年」が西暦何年なのかがわからず、ガイドに尋ねたことを覚えている。
彼女からは「あなたは歴史が好きなんですねぇ~“サイトウさん”は目的が違うみたいだけど・・・」と言われ大笑いした。
さぁ~その思い出の「台湾中心の地」に25年ぶりに訪問!

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あれれ!・・・・またもや“浦島太郎”状態である・・・(愕然)
森?・・・森になってる!・・・・あの何もなかった広場が????
もしかして・・・ここじゃないんじゃないの?(苦笑)
他にも「台湾中心の地」っていうのがあるんじゃないの?
いくらなんでも25年ぐらいで、こんなに変わるか?(唖然)
拙者の記憶にある景色と全く違うのである!

DSCN3517_convert_20170106151643.jpg (中心の地の前の道路)

こんなところに建物なんかなかったんですけど・・・・(汗)
道路が2本、接するところに「公園(広場)」があったのは覚えている・・・
道路から判断すると、この“地形”なのだが・・・
う~ん・・・・納得できないなぁ~
本当に、ここが拙者の記憶にある、あの「台湾中心の地」なのか?

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(「台灣地理中心」の碑)

2つの「台灣地理中心」の碑が建っていたが、25年前に拙者が読んだ碑文が刻まれていた碑が見当たらない・・・
白い碑だったような記憶があるのだが・・・・
おかしいなぁ~(大汗)

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記念のモニュメントだと思うのだが・・・・
全く記憶にない!(唖然)
参ったなぁ~・・・この記憶力の悪さ・・・(涙)

音楽を鳴らしながらゴミ収集車がやって来た。

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音楽を聴いていると、一瞬、アイスクリームの販売車でもやって来たのかと勘違いを起こしそうになるが・・・(笑)
この音楽を聴いて市民たちがゴミ袋を手に外に出てきて、自分で収集車に投げ入れるのである。
以前、澎湖島に行った時に見た光景と同じである。
日本では「集積所」に置きっぱなしだが、台湾では、このやり方なのだそうだ。
これなら収集日以外の日にゴミを出す不届き者がいるとか、カラスに荒らされるとか、そういうことはないから良さそうに思うが・・・
日本もゴミ収集のやり方を見直してみるのもいいのではなかろうか?
議員さんや役人さんには、こういうところを視察していただきたいものだ。

午後5時・・・市内のホテルにチェックイン

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思っていたよりシンプルな部屋である・・・(笑)
部屋でちょっと一休みし・・・午後5時半に夕食に出かける。
今晩は先住民族料理のお店!
これは最初からお願いしておいた。
折角だからねぇ~中国料理じゃなくて、先住民族・・・つまりは高砂族の料理を食べたい!(笑)

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開店早々のお店には、お客さんは誰もいなかった・・・
店内には原住民の方々が作った民芸品などが置かれていた。
で・・・店主の“コウさん”に「これ、タイヤル族が織った布でしょ?」と言ったら・・・(当然、ガイドに通訳してもらいましたが・・・)
「よくわかりましたねぇ~」と店主が驚く。
「この赤色と、この模様で、タイヤル族だとわかります」と言ったら“キョさん”が「へぇ~そうなんですか?」とキョトンとして言う。
いや、いや、あんたに話したんじゃない・・・・通訳して!通訳!
「これは・・・パイワン族が使う酒器でしょ?」
「おお!わかりますか!」(喜)と店主
で・・・奥から先住民族に関して書かれた本やら資料を持ち出して来て、あれやこれやと丁寧に説明してくれた。
今年の春に台北で先住民族の博物館に行ったりして、いろいろ見た記憶はまだ残っていたから助かった。(笑)
予備知識が無かったらチンプンカンプンだし、会話が成り立たなかっただろう。
店主の“コウさん”は中国系の方だが、先住民族の研究者でもあるという。
ついに、話が盛り上がり、興奮して話す店主の言葉を“キョさん”が通訳しなくなってしまった。(唖然)
話が難しくて日本語に訳せないのか、店主の興奮ぶりに驚いたのか・・・・(苦笑)
それとも、通訳するのに飽きたのか?・・・(大笑)
拙者は中国語が全く分からないのだが、不思議なことに店主が言っていることがなんとなくわかるのである。(大笑)
こちらの話は“キョさん”に中国語に訳して伝えてもらう。
と・・・「そのとおり!あなたの言う通りです!」とばかり身振り手振りで店主が応えてくれる。
いやぁ~楽しい夕食だった。

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食事は、ごくごく素朴なもので、味は薄目、癖のない味・・・・
量的には女性向きかもしれない。
こりゃ、日本人の女性観光客なんかにはお薦めだなぁ~と思った。

結局、我々が店を出るまで、他にお客さんは来ず、貸し切り状態で店主とおしゃべりできたのは本当に良かった。(大喜)

ホテルに戻る・・・
明日は別のドライバーに変わるという。
彼は、昼食や夕食、コーヒーも遠慮していたので、ならばチップを渡そうとしたが断られた。
彼が言うには「自分は会社から、それ相応の給料をもらっているので、それ以上いただく理由はない」と言うのである。
これには驚いた・・・・なんと真面目な人だろう。
他の国では、隙あらばガイドの目を盗んで個人的にチップを要求してくるドライバーが多いのに・・・
いやぁ~感心した!

これから霧社の役所の“タク課長”がホテルに会いに来てくれるというのでロビーで待つ。

DSCN3531_convert_20170108203524.jpg (ホテルのロビー)

“タク課長”は102歳の“戦友”が紹介してくれた方。
この方が、台中の“キヨコさん”の転居場所を調べてくれたので、昨晩、会えたわけである。
で・・・課長とのアポは現地旅行社がやっておいてくれた。
いやぁ~大助かりである。(喜)

課長は「霧社事件」の時、日本人を殺害した原住民の子孫である。
事件について、いろいろとお話を伺おうと、ホテルのコーヒーラウンジに席を設けて待ち受けていたら・・・
やって来るなり・・・「おい!酒を呑みに行こう!行くぞ!」と日本語で言う。(唖然)
あのぉ~初対面なんですけど・・・・(大汗)
挨拶もそこそこ・・・である。

課長は息子さんの運転する車で来たので、息子さんも一緒に4人でホテルのすぐ近くの大衆食堂に入る。
102歳からの紹介状を渡して改めてご挨拶・・・
で・・・・肝心の“事件”の話だが・・・・
酒が入ったせいか、話は断片的、それより世間話のほうが長い・・・・(苦笑)
ついには、「乾杯!乾杯!」の連発である。
拙者が、これ以上は無理だと断ったら、「あんたは日本人ですか?」と言う。
「もちろん日本人です」と答えたら・・・・
「日本人とロシア人は酒が強いんだ!日本人なら酒が飲めるはずだ!さぁ、飲め!」と言う・・・・(唖然)

こうなると、もう滅茶苦茶である。(涙)
ただの“飲み会”である。
いやぁ~・・・・初対面の人に酒を強要するかねぇ~(唖然)
ふと、この「霧社事件」に関する本を読んだ中で、思い当たる節を思い出した。
とにかく原住民は酒が好きだということである。
で・・・この事件を起こす計画も、酒の席で盛り上がった末、「日本人たちをやっちまおうぜ!」となったという。
課長の強引さや、酔って話しているうちに激昂するところなどは、先住民族のDNAのなせる業なのだろうか?(大汗)

酒を無理強いされて付き合うのにも限度というものがある。
「明日がありますから、この辺でお開きにしましょう」と、持参して来た土産を渡して強引に解散することにした。(大笑)
「明日、役所に顔を出せ!案内してやるから」と言う。
良い人なのか悪い人なのか、さっぱりわからん・・・(大笑)
いずれにせよ、こう酔われてしまっては真面目な話は出来ない・・・(苦笑)
同行していた息子さんは、大人しい・・・・
「おい、親父をよろしく頼むぞ」と身振り手振りで話したら、理解したようでニコニコしながら頷いた。(笑)

二人をホテルの前で見送り、部屋に戻る。
いやぁ~疲れた!!(苦笑)

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旅行 | 22:38:10 | Comments(1)
発電所に行く
台中市内を出て日月潭方面に向かう。
これから向かうのは「大観発電所」・・・・
観光地ではない・・・(苦笑)
祖父が戦時中、たしか昭和19年だったと思うが、一時期、台湾に駐屯していたことがある。
多分、3ヶ月程度ではなかったかと思うのだが、その後、レイテ島に米軍が上陸したため、急遽、フィリピンに転戦することとなった。
生前・・・今から30年以上も前だが・・・祖父に尋ねたら、霧社あたりにいたそうで、発電所とダムの警備と高砂族の訓練を担当していたという。
さて・・・その発電所というのはどこだろう?
もっと詳しく聞いておけばよかったと今頃になって後悔している。
たぶん、あの当時、あのあたりに存在していた発電所は、現在「大観発電所」と呼ばれている発電所しかないと思う。
とうわけで・・・今日の後半は、この発電所を見学する予定を入れてある。

その発電所に向かう途中、「集集」という名の町に立ち寄ることとなった。
ガイドの“キョさん”が、ここの駅舎を見せたいというのである。(汗)
1999年の台湾中部大地震の震源地が、この「集集」あたりらしい。
で・・・・ここの駅舎が、この大地震で崩壊したのだという。
現在では元の姿に復元されているらしい。

台中市を出て、約1時間で到着・・・・

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ありゃぁ~何だこりゃ・・・(苦笑)
駅がパネルで囲まれていて、駅前は整備工事中・・・・
この駅舎は日本統治時代に建てられたもので、総檜だったそうである。

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これ・・・写真の撮りようがないな・・・(苦笑)
どことなく、日本の田舎にある小さな駅という雰囲気で、昔懐かしいという感じの駅である。(笑)

この駅の脇に商店が・・・・お土産屋さんなのか市場なのか、よくわからないが・・・

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拙者は、旅行をしても滅多に「お土産」というものは買わない。
が・・・この写真の左のお店に立ち寄ってみた。
この周囲には何軒もの、同じようなお店が並んでいる。
扱っているのは、乾燥させたフルーツのようなもの・・・・
乾物屋と言っていいのだろうか?・・・・こういうお店・・・・
試食を勧められ、あれやこれやとパクパク・・・(苦笑)
お店のオバチャンに「ドライマンゴーも美味しいですよ」(“キョさん”が通訳)と勧められたが、ドライマンゴーはフィリピン産のものを食べ慣れているので、台湾産を食べようという気が起こらず、断る。(苦笑)
「紫蘇梅も美味しいですよ」と勧められたが、梅は我が茨城県の名産でもある。
まさか、梅をお土産に買うわけにはいくまい。(笑)
“キョさん”に「茨城県は梅も名産なんですか!知らなかったなぁ~納豆だけかと思っていました!」と驚かれ・・・ムッ!(笑)
茨城県には納豆しかないわけではない!
だいたい、アピールが足りないんだよな!・・・茨城県は・・・(怒)
結局、オリーブを乾燥させたものを買うことにした。
「ドライ・オリーブ」って珍しいと思うんだよね。(笑)
このお店のオバチャンは人が良い・・・飴を山ほど拙者のポケットに突っ込んで、サービスだと身振り手振り・・・(笑)
いやぁ~申し訳ない・・・・

次に向かったのは、この「集集」の町にある武昌殿という建物・・・・
ガイドの“キョさん”の話では、大地震で1階部分が崩壊したまま“記念館”としてそのまま保存されているという。
「是非見るべきだ」と言うので立ち寄ることにした。
(なかなか本命の発電所には行けないんですけど・・・涙)

DSCN3410_convert_20170103132720.jpg (武昌殿)

どこが崩壊してるんだ?(汗)
話が違うんですけど・・・・
どこも壊れていないんですけど・・・・
「裏です!」と“キョさん”・・・・
チラリと裏を覗いたら・・・・あららぁ~・・・・である。

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あらぁ~すごいことになってるわぁ~(唖然)
「1999年 集集九二一地震紀念館」の横断幕が張られていた。

このすぐ横に、“市場”のようなお店があったので、ちょっと覗き、喫煙所で一服・・・(笑)

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時刻は12時半・・・・腹が減った・・・(苦笑)
町の中の適当な店で食事をすることにする。
ドライバーも誘ったのだが、遠慮して、どこかに行っちゃった!
拙者は旅行するときは、ガイドやドライバーを一緒に誘って食事をすることにしている。
一緒に旅をしているんだから当然だと思っている。
そういうわけなので、旅費には「食事代」を含まないように旅行社に頼んである。
すべて現地で拙者が支払うことにしているのである。
このほうが楽しい・・・・

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この太い麺が、なかなか美味しい・・・
で・・・餃子!・・・これまた美味しいのである!(大喜)
適当にウロウロして、偶然見つけて入ったお店だが・・・大正解だった!(大喜)

DSCN3423_convert_20170103134358.jpg (食堂のオバチャン)

DSCN3424_convert_20170103134433.jpg (食堂の前の様子)

この「集集」の町は観光地でもあるらしい。
驚いたことに、日本語の観光案内リーフレットまで駅に置いてあった。
ここを通る鉄道は、山奥から材木を切り出して運ぶための鉄道だったそうで、確か単線ではなかったかと思う。
で・・・休日には、この鉄道に乗るために観光客が押し寄せて混雑するとか。
1本しかない幹線道路は休日には大渋滞をするとか。
町にはレンタサイクルもあって、サイクリングする人も多いんだという。
へぇ~・・・これといって何もない町に見えるんですけど・・・(汗)
地図に「軍事公園」のようなものが載っていた。
戦闘機や戦車が展示されているらしい!(驚)
う~ん・・・見に行きたい気もするが、時間がない・・・(涙)
本命の発電所に行かねばならない・・・ということで断念・・・・
何もなさそうに見える町なのだが、本当は何かあるのかな?
この町は、日本における“町おこし”の参考になるかもしれないなぁ~

食後、「水里」という町を経由して20分程度で「大観発電所」に到着。

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ここは正確には「台湾電力公司 大観発電廠」という。
ゲートのところで守衛に敷地内見学の許可を求める。
いきなり敷地内を見学させてくれって言っても無理だろうなぁ~と思っていたが、意外にもあっさりと許可が出た。(驚)

最初に向かったのは、敷地内にある昔のトンネル・・・・

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右が、昔のトンネル(隧道)で、左のトンネルのように見えるのは、内部を覗いてみたら倉庫のようになっていた。
かなり古いもののようだから・・・・祖父もここを通ったかな?

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このあたりの景色が、またいい・・・・(笑)
このトンネルを抜けると、どこへ向かうことになるのかは、知らない・・・(苦笑)
昔のゲートでもあるのかも・・・・

この辺りは「門牌潭」という場所らしい。
ここは“史跡”らしい・・・中国語と英語の説明板が建っていたが、どちらを読んでも、よくわからない・・・(苦笑)
とにかく、この当りに発電所建設当時、宿舎や駐在所、工作所などが立ち並んでいたらしい。

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発電所完成後、工事時代の各種施設が無くなり人もいなくなって、昔の姿に戻ったというようなことが書かれていた。
操業開始から10年後は、どうだったのだろう?
まだ建物は残っていたとしたら、このあたりに祖父の部隊が警備隊として駐屯していた可能性はあるのではないかと思ったりする。

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発電所の建物の前にパネルの展示が・・・・
どうも普段から見学できるようになっているらしい。
それにしても、ダムだの発電所というのは重要施設だから、自由に見学なんて許されないと思うのだが・・・
監視役も案内役も付かず、勝手にどうぞ・・・なのである。(唖然)

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建物の内部にも勝手に入れるって・・・いいの?(苦笑)
この建物は建設当時のままなのだろう。
「歴史古蹟」に指定されている。

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まさか機械は新しくなっているとは思うが・・・(汗)
基本的には昭和9年当時と変わらない設備であることは展示されていた古写真を見てもわかる。
それでも、現在も稼働している“現役”の発電所のようである。

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祖父が言っていた「ダム」とは、あそこに見えるダムのことだろうか?
祖父のことだから、敷地の隅々まで巡視したに違いない。
ここも歩いたのだろうなぁ~
人間の命が永遠で、今も祖父が生きていたら、この写真を見せてあげられたんだけどなぁ~
「ほぉ~今も残っておるのかぁ~」と言うか・・・
それとも・・・「ん?俺がいたのはここじゃないぞ」と言うか・・・・どっちだろ?(大笑)

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ここの警備員にお礼を言って発電所を出たところで、アーチ状の門があるのに気が付いた・・・(汗)
「台湾電力公司日月潭第一発電所」と書かれている。
日本統治時代の名称と同じであるが・・・・当時の門にしては新しい気がする。

敷地内の「展望台」に向かい、全景を見てみることにした。

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が・・・全景ではない・・・
実際は、もっと広い・・・・(汗)
ちょうど中心部の導水管がよく見えるという場所・・・ということである。

時刻は午後2時・・・・
発電所とはお別れをして・・・日月潭という湖に向かう。

旅行 | 21:27:08 | Comments(0)
和平英魂観音亭
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(碑文)

和平英魂観音亭
霊安故郷紀念碑  建立由来記

1975年宝覚寺前住持林錦東宗正在職中、石原正一郎氏は第二次世界大戦に於ける台湾の戦没者の為に萬霊塔建立の志を立てたが当時の台湾の状況は極めて困難であった。
越えて1987年、元第48師団南星会長森晴治氏は当時台湾南星同学聯誼会役員に謀り1937年の不幸な事変により多くの人々が戦死・戦傷死し、更に第二次世界大戦でも多数の青年が主として南方諸島界域にて多くの犠牲者を出した。
更に台湾本土に於ても爆撃で大衆が尊い生命を失った痛恨事に鑑み、これら戦没勇士や不幸にして戦災に殪れた人々の冥福を祷り且、永遠の恆久平和を祷念するため、台湾南星会同学及び中日海交聯誼会台湾軍第48師団南星会長西村庄五郎氏等にも相謀り、和平英魂観音亭及び紀念碑の建立を計画した。
依て中・日両国南星会及び海交会を中心に、日本の南星会を筆頭に台湾協会岸田実理事長、元台北医専南溟会長奴田原正一会長、元台北一中麗正会長後藤威会長、台中会長緒方健一氏、元日赤看護婦南十字会長金川トヨ子氏の方々の心からなる御支援と御協力を得、また台中宝覚寺管理委員長周賜斌氏らの御厚志により、有末精三閣下の筆になる「和平英魂観音亭」の慈光燦たる観音亭、及び李登輝総統閣下の揮毫による「霊安故郷」の偉大なる紀念碑を建設することが出来た。
茲に台湾全島・日本全国より寄せられた温かい御協賛の諸賢に対し満腔の感謝の意を表すると共に、これを子々孫々に伝え千古に輝く英魂を永えに顕彰する。

   とこしへに、しずまりたまへ、くにのため
            つくせしひとの、みたまやすけく
                   森 晴治

中華民国79年
日本平成2年   11月25日

(~以下略~)


【台湾・台中市・宝覚寺】



史跡 | 20:08:38 | Comments(0)
追遠亭
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(碑文)

追遠亭銘記

大東亞戦争に於いて、台灣人民も踴躍大日本帝國陸海軍人屬を志願し、或いは應召により二十餘萬人従軍して勇戦奮闘のあげく、三萬三千餘人戦歿せり。
然るに戦後日本國政府はこれ等の戦死傷者の特定弔慰金以外の補償は一切謝絶したのみならず、軍事郵便貯金、未拂給與等の確定債務を50年後の今日120倍の不合理な倍數で償還せんと一方的に決定し、其の他恩給等除外されるに因り、内外識者の顰蹙を囤うに至れり。
適適1996年の10月、北海道の戦友 伊庭野政夫氏これを見かねて、日本國政府の不信、不徳を補わんと欲し、發起人同志の増田元光、村田 登、桝澤昭衛、宮坂文一、中園健一、玉谷又勝、上田篤次郎、小堀桂一郎、本間正信等諸士と謀り、『台灣出身元日本軍人軍屬感謝表明期成會』を決成して日本全國に呼びかけ、募金活動を展開せり。
1997年9月23日その募金日圓肆佰拾萬圓也(換算新台幣九拾六萬七百拾貳元也)を台灣に送達せられたり、台灣戦友會各代表者直ちに研討の結果、此處に『追遠亭』の建立を議決して即時著手、11月25日予定通り、その完成を見るに至れり。

1、總工事費・・・・・・・・・新台幣九拾萬元也
2、寶覺寺へ供養費・・・新台幣貳萬六仟元也
3、業務費・・・・・・・・・・・新台幣参萬四仟七百拾貳元也
合計・・・・・・・・・・・・・・・・新台幣九拾六萬七佰拾貳元也

茲に謹んで 伊庭野政夫會長等御一同様の御芳志に、深甚の感謝を満腔の敬意を表すると共に願わくは之を日台親善の證として、後世に傳承せられんことを望む。

1997年11月25日

(~以下略~)



【台湾・台中市・宝覚寺】




史跡 | 20:05:04 | Comments(0)
霊安故郷慰霊碑
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  第二次世界大戦期間日軍征赴
  海外殞身台灣同胞英魂碑
霊安故郷
     李登輝敬題

(碑文)

建立由来記

霊安故郷記念碑は中日海交聠誼会の発願により日本國海交会全國連合会竝に台湾縁りの心ある日本國民の協賛奉仕により建立された。
この碑は台湾との過去の歴史にみる日本國植民地統治下の大東亜戦争に、日本國陸海軍人軍属として戦場に散華した台湾戦没者三萬三阡余柱英霊の鎮魂慰霊碑である。
諸霊は日本國皇民化教育の名の下に育まれ、日本國危急存亡の戦場に進んで高砂義勇隊、陸海特別志願兵となり、更には日本國民の義務として施行された徴兵令により、南方諸戦域をはじめ各戦域に参加した元日本陸海軍人軍属二十萬七阡余名の戦友であり、また台湾縁りの元日本陸海軍人軍属と死生を誓った戦友であった。
1945年8月15日大東亜戦争は終戦を迎えたが、悲しい哉!
諸霊は再び生きて故郷台湾の土を踏むことはなかった。
日本國政府は諸霊を靖國神社に御祭神として合祀し、春秋例大祭には勅使が参向され最高の儀礼をつくし、日本國民は斉しく崇敬の誠を捧げているが、1972年中日両國の國交は、複雑な國際状況下に不幸にも断たれて今日を迎えている。
諸霊の遺族補償問題は國際法上の國交が條件であり、長期に及ぶ幾多の紆余曲折を経たが、台・日間の歴史上の人道的精神に基き、1987年「台湾住民である戦没者の遺族に対する弔慰金等に関する法律」が、日本國國会超党派の「台湾戦没者問題議員懇談会」による議員立法として成立し、遺家族竝に重傷病者に対し特定弔慰金・見舞金が支給された。
本法案成立には、和平英魂観音亭敬題の日本國陸軍中将有末精三閣下を会長とした台湾縁りの心ある補償問題推進十七民間団体の支援協力が貢献した。
因に霊安故郷記念碑の敬題は、中華民國總統李登輝閣下の諸霊に捧げる鎮魂の御仁慈の筆になり、總統府参議台南県黄崑虎先生を介したものであり、台湾全島にその例をみない。
希くば諸霊よ!
碑台内に納めた高麗大藏経の守■経により霊安故郷に鎮まり、恩讐を超えて中日國交修復と、永遠に中日善隣友好の懸け橋となられ、世界眞の平和達成の礎となられんことを。
合掌

1991年11月25日建立一周年記念慰霊祭に當り、碑台正面に中・日海交会縁りの世界の名提督日本國元帥海軍大将東郷平八郎御祭神を祀る東郷神社筑土龍男宮司の英霊鎮魂の敬題御揮毫を受く

1990年11月25日
中日海交聠誼会
(~以下略~)


【台湾・台中市・宝覚寺】



史跡 | 17:42:20 | Comments(0)
東部・北部地区 日本人遺骨安置所
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(碑文・1)

此處には左記各縣市に在住中死亡した日本人の遺骨を蒐集の上納骨した
台北市
台北縣
基隆市
陽明山管理局
桃園縣
新竹縣
苗栗縣
宜蘭縣
花蓮縣
台東縣
昭和36年3月
在中華民國日本國大使館

(碑文・2)
この納骨堂には、第二次大戦終戦までに台灣に居住し、台灣にて亡くなられた日本人物故者の遺骨を収めてあります。
終戦後在留日本人は總て故國に引き揚げましたが、着の身着のままで物故者の遺骨を持ち歸る余裕もありませんでした。
當時唯一家族で残って居た苗栗縣大湖に住む野沢六和氏がある日畑を耕していたところ、この大湖にあった舊陸軍病院の戦病死者と思われる埋葬の遺骨を發見し、この遺骨を鄭重に拾い自宅に持ち歸り安置していました。
その後各地から日本人の墓地が荒れて遺骨が散亂しているとの連絡が多くこのままにして置く事には忍び難く各地の日本人墓地に残された遺骨を採骨する悲願を立てて昭和22年春より台灣全島を巡り採骨の悲願行脚に旅立たれました。
この悲願の旅は十數年に及び、約二萬柱の採骨を終えたのは昭和35年秋でありました。
昭和36年秋に當時の日本大使館の肝いりで採骨の地域別にここ中和寺と台中の寶覺寺、高雄の公墓三ヶ所に分けて納骨することになり一應採骨は終わりました。
その後大使館が主催して年一度の慰霊祭がこの三地區で行われて来ましたがその後この慰霊祭は現日僑協會が主催する事になり現在に及んでいます。
現在ここに納骨されているのは羅東より苗栗附近までに採骨された約八千柱です。
この採骨をされた野沢六和さんは中國広東系の中國人ですが、夫人は新潟縣出身の野沢ムメさんで結婚後夫人の籍に入り野沢姓になられたのです。
この採骨には當然この御夫人の協力があったことは申すまでもありません。
この野沢六和さんは採骨時の苦勞が禍いして喘息を患い以後保養をされていましたが昭和58年7月10日に日本の神戸郊外に住む御長男宅にて他界されました。
この崇高なる人格は永遠に私達日本人の鑑として記憶に留どめたいと思います。

平成元年3月吉日



【台湾・台中市・宝覚寺】



史跡 | 16:26:52 | Comments(0)
台中市内を観光
午前6時、部屋に備え付けの目覚まし時計の音で目が覚める。
7時過ぎに朝食・・・8時15分にチェックアウトして8時半にホテルを出発する。

DSCN3302_convert_20161225160817.jpg (宿泊したホテル・皇家季節酒店)

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(ホテル前の道路)

今日は、まず最初に台中市内の“観光”を行なう。
拙者が日本統治時代の建物が好きだとガイドに話したので、急遽、本日の前半を“建物見学”としてくれたのである。
で・・・今回の旅行は拙者専用のワゴン車を用意していただいたので、行動はかなり自由である。
が・・・出発早々、ガイドとドライバーが、向かう先の道順か何かでもめているような雰囲気。
中国語なので意味は不明だが、語気を荒げているから何か問題でもあるのだろうと思い、ガイドに尋ねたら・・・
この運転手さん・・・台中に来てまだ1ヶ月しか経っていないため、どこに何があるのかがわからないのだそうだ。(唖然)
でも、この運転手さんは面白いことをしたのである。
ワゴン車にはナビが備え付けられているので、その通りに走ればいいのだが、彼は自分のスマホを取り出し、ナビを表示して、ダッシュボードに取り付けたのである。
ナビが2つ並ぶことになるのだが・・・2つあっても意味がないような気がするんですけど・・・(汗)
車のナビを信用していないのかな?(苦笑)
ナビの精度を比較検証するつもりなのかな?(苦笑)
失礼かと思い、敢えて尋ねなかったが・・・・なんでナビが2つ必要だったのだろう?・・・謎である・・・(笑)

最初に訪れたのは、日本統治時代、「台中州庁」だった建物である。
戦後は「台中市役所」として使われた建物・・・・

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その後、台中市役所は新たに別の場所に建物が建てられ、そこに移転したという。
現在は台中市政府の2部局、「都市発展局」と「環境保護局」が使用している。
で・・・・ちょっと内部を見学・・・・(笑)

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(中庭)

この建物の道の反対側に日本統治時代の「台中市役所」がある。
現在は整備され、展示会やイベントに使用されているらしい。

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車内から撮影したのでうまく撮れなかったが・・・・(涙)
少し離れたところに赤い建物が見えた・・・(たぶん赤煉瓦造りだと思うが・・・)
この建物は日本統治時代には図書館だったそうで、現在は銀行として使用されている。

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次に向かったのは、なぜか学校・・・・
これは「台中市大同国民小学」
日本統治時代も小学校だったそうだ。(建物は当時のままだと思う)

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その向かい側にあるのが「国立台中女子高級中学」
日本統治時代は、たしか「台中第一高等女学校」だったと思う。

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こちらの建物は、たぶん建て直されていると思う。
で・・・・ガイドの“キョさん”が何で拙者を案内したのかというと、この両方の学校とも、彼のお母さんが卒業した学校なのだそうだ。(唖然)
へぇ?・・・その話をするために拙者を連れて来たのか?(唖然)

次に向かったのは、日本統治時代の警察官の官舎・・・・
終戦後、建物は荒れ果てて廃墟化していたらしいが、それを復元して整備したらしい。
住宅街の中に小公園と共に「文学館」という形で遺されているようである。

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この一区画の真ん中を「文学散歩道」が通っている。
そこを中心に旧日本家屋が6棟ほど復元されていて、それぞれ「研修の施設」や「常設展示の施設」などに分かれている。
たぶん「文学道」は、当時は路地だったのだろう。
ところどころ赤煉瓦の塀が残っている。

時刻が10時前という事だったせいか、それとも休館日だったのか・・・・
「館区沿革の建物」が閉まっていて内部の見学ができなかったのが、ちょっと残念。
ここの沿革を知りたかったのだが・・・・

DSCN3332_convert_20161225211555.jpg (町の中の果物屋さん)

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果物を搾った果汁をペットボトルに入れて売っているようである。
う~ん・・・まさしく果汁100%・・・間違いなしだな・・・これ・・・(笑)
見た目に、かなり甘いような気がするのは色のせいかも・・・(苦笑)

ガイドの“キョさん”が、資料を自宅に忘れて来たので、一旦、自宅に立ち寄ることとなる。
ちょっと自宅に上がってお茶を飲んでくれとのことで、お宅にお邪魔することになった。
お母さんが出てこられてご挨拶・・・・
日本語がペラペラである。(驚)
「私は台湾第一高女の卒業生なんですよ」とおっしゃる。
「はい、さっき学校を見てきました!」(笑)
高等女学校のセーラー服に憧れていたそうで、入学したのが昭和20年の4月・・・・
そして8月には終戦・・・・
憧れのセーラー服は4ヶ月しか着ることが出来なかったので、それがなんとも残念だとおっしゃる。(笑)
小学校の同窓会の写真を見せてくれたが、同窓会には日本からも同窓生がやって来るのだという。
そうか・・・日本に引き揚げた日本人は、同窓会という事になると、そういうことになるか・・・・(苦笑)
いやぁ~同窓会に出るのにパスポートを持って飛行機に乗らねばならんのか・・・(汗)
いやぁ~大変だな・・・それ・・・
終戦から70年も過ぎてるのにねぇ~
こういうのが、日本と台湾の友好の基礎の一つになっているのかもね。
まだまだ、おしゃべりをしたいところだが、予定が詰まっているので、お茶を一杯頂いて辞することにする。
「また来てください!」と言われ「はい、また来ます!」と返事をしたが・・・また会えるかな?(大笑)

次に向かったのは「台中駅」・・・・

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う~ん・・・いいなぁ~・・・・台湾の駅舎は本当に見ごたえがあっていい。(喜)
ガイドの話では、現在は使われていないと言っていたが、なぜか人の出入りが多い・・・
駅舎の内部に入ってみた。

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改札口には駅員は誰もいない・・・・

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人の出入りが多い理由がわかった。
この駅の向こうに新しい駅舎ができたので、この古い駅舎の中を通って新駅に向かうらしいのである。
それで、皆さん、ここを通っているらしい。
日本だったら、壊して建て直してしまうか?
これが韓国だったら日本人の設計だからと言って何も考えずに恨みだけで壊してしまうか?
(建物に八つ当たりするのは愚かだと思うが・・・それが“儒教の国”というなら仕方がないか?)(苦笑)
この駅舎は文化財として保存されるそうだ。
間違っても拙者が建てた駅舎ではないのだが、とても嬉しい・・・・(喜)

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線路はホームの端で封鎖されていた。

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(駅構内)

この重厚な柱・・・・こういうデザイン・・・・好きだなぁ~・・・・見ていてワクワクしちゃうなぁ~(笑)
もちろん、日本統治時代に日本人設計者によって建てられた駅舎である。

ここを通って「新駅」のほうへ行ってみたい気もしたが、その余裕はなさそうなので(しかも駅前にワゴン車を待たせているし・・・)断念する。

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(駅前の景色)

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駅前のバスターミナルは閑散としていた・・・・よく見たら閉鎖されている。
どうりで誰もいないわけだ・・・・
新しいバスターミナルは、新駅の近くに移動したらしい。
で・・・・今日から新しいバスターミナルがオープンという横断幕があった。
ということは・・・・昨日までは、ここは使われていたのか?
いやぁ~“歴史的な日”に、訪問したわけだ。(大笑)
このバスターミナルのことは永遠に拙者の記憶に残るだろう・・・・(ちょっと大げさか?)

次に向かったのは「台中公園」・・・・
真っ先に目に付いたのが、公園の外にあった石碑である。

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これは「勝利碑」と呼ばれる碑だが、もともとは日本統治時代に建てられた「昭忠碑」である。
日本が建てたものだが、終戦後に「昭忠」の文字を削って、そこに「勝利」と書き入れた。
「勝利」とは、日本に勝ったという意味か?
台湾は日本領だったのだから、“台湾”が日本に“勝つ”わけがない。
一緒に負けたのである・・・(苦笑)
戦後、台湾に逃げ込んだ国民党の連中がやったのだろう。
さすがは、“中国人”である。
やることが、えげつない。

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“キョさん”の話では、この公園内に歴史的な建物があるという。
で・・・・それを見ようと思ったら・・・・公園内は、ちょうど整備中で見ることが出来ない!(涙)
なんとも残念・・・・次回、来た時に見るか・・・・(汗)

ここに公園の案内板があった。
珍しいことに中国語と日本語と英語の3か国語で書かれていた。(笑)


【台中公園簡介】
台中公園は1903年に整備されました。
当初は簡単なものでしたが、総督府が1908年10月に台中公園において台湾縦貫線路の全線開通式典を行い、載仁親王が主賓として参列しました。
このため、台中の行政当局は公園を全面的に再整備するとともに、日月湖に親王の休憩所として湖心亭を立てました。
これ以降、この湖心亭は台中のランドマークとなっています。
園内の更楼は1880年代に建築され、台中城建城当時は財務総管である呉鸞旂の公館として使用されていました。
後の1980年代に道路拡張の関係で、台中市はこの建物を園の北側に移転させました。
望月亭はもともと、台中城建城当時に大北門上に設けられた楼閣でした。
東大墩山丘の砲台山は、清朝の總兵(官職名)だった藍廷珍がここに砲台を2基設けたためにこの名がつきました。
台中の古名「大墩街」もこれに由来しています。
これ以外にも史跡や青々と茂る古木が数多く残っており、私たちの成長を見守ってきました。
みなさんも時にはぶらりと見て回ってはどうでしょうか。

(説明板より)



次に向かったのは「宝覚寺」・・・・
ここは、当初から拙者が訪問予定に入れていた場所である。
ずいぶん昔に、一度だけ、ここに来たことがある。
1993年の10月ではないかと思うのだが、23年ぐらい前のことなので、どうもハッキリしない・・・
1991年から1993年にかけて拙者は4回ほど台湾を訪問している。
で・・その4回のうち、何回目の時にここに来たのか・・・・う~ん・・・・記憶にない・・・(苦笑)
なんと記憶力の悪いことか・・・・(大涙)

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で・・・・「宝覚寺」に到着したが・・・・
う~ん・・・・全く記憶にない・・・(大笑)
あれ?・・・である。

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お寺の本堂は、さらに巨大な“屋根”で覆われていた。(驚)
こんなに変わった建物にもかかわらず、全く記憶にない・・・・(苦笑)
本当に、拙者は、ここに来たことがあるのか?

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巨大な布袋様・・・・
う~ん・・・これは、かすかに記憶に残っている。(苦笑)
ということは・・・やっぱり、ここに来たことがあるんだろうと思う。

今回の旅行で、ここを予定に入れた理由は、以前(23年前)に来た時に、予科練の碑を見た記憶があるからなのである。
甲種飛行予科練習生第14期・・・・親父と同期の予科練の碑だったと記憶している。
たしか、三角形の碑だったと思う。
(こういうところだけは、記憶力がいい)(苦笑)
金色の文字で書かれていて、多くの人名が刻まれていた。
残念ながら碑文の内容は覚えていない・・・・
ということで、今回、改めて碑文を確認しようと思って来たのだが・・・・
ない!・・・・拙者の記憶にある、あの碑が無い!(汗)
境内を探し回ったが、どこにもないのである。
あれ?・・・・ここじゃなかったのかな?
どこか、公園のような場所にあったような気がしないでもない・・・
どうも記憶力が悪くて、どうしようもない。
ここじゃないとしたら、どこなんだろ?
全くわからない・・・(涙)

ガイドの“キョさん”は座り込んで携帯電話とニラメッコ・・・・(唖然)
“ライン”というのをやっているようで、さっきから、ひっきりなしに着信音が鳴っていた。
その返事を書くので忙しいようだ。
“お客様”の拙者のことは、そっちのけ・・・である。
付き合いきれないので「俺は、勝手に一人で、このあたりを見てるから!」と言って境内を散策する。

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これは、「中部地区 日本人遺骨安置所」・・・・
あれ~・・・・記憶にないなぁ~
ここに来ているなら、拙者がここをお参りしない訳がないと思うのだが・・・・(汗)



【碑文】

此處には左記各縣市に在住中死亡した日本人の遺骨を蒐集の上納骨した
台中市
台中縣
彰化縣
雲林縣
南投縣
昭和36年3月
在中華民國日本國大使館



DSCN3380_convert_20161227112551.jpg (東部・北部 日本人遺骨安置所)

DSCN3386_convert_20161227130245.jpg (霊安故郷慰霊碑)

DSCN3393_convert_20161227130317.jpg (追遠亭)

DSCN3400_convert_20161227130347.jpg (和平英魂観音亭)

境内をウロウロしながら各碑文などを読んでいたら、ガイドの“キョさん”が吹っ飛んできて「どこにいたんですか!散々探し回りましたよ!」と言う。
はぁ?・・・・である。
“ライン”に興じて“お客様”を放置しておきながら、その言い方はないだろ・・・(怒)
最近は、こういう人が多い・・・・
フィリピンでもガイドが、やっぱり“ライン”に一生懸命で、お話にならなかった・・・・
「“ライン”は便利だから、あなたもやったら?」と言われたが、御免蒙る。
“ライン”に夢中になると会話もできないし、話の腰は折られるし、注意も散漫となる。
たぶん、ご本人は全く気にならないのだろうが・・・・
客としては、これで“ガイド”をしているつもりか?・・・・と文句を言いたくなる。(苦笑)

拙者が誰かに誘拐されて行方不明になったら、それは拙者から目を離して“ライン”に気を取られていたあなたが悪い!(大笑)
“お仕事”は真剣にやってもらいたいものである・・・・

ここで台中市内の“観光”は終わり・・・・
これから町を出て、山の方へ向かう。

旅行 | 15:58:23 | Comments(0)