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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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精油所に行く
当時のパレンバンには、ムシ川の支流を挟んで2つの精油所があった。
西の製油所はオランダ資本の精油所で、東の精油所はアメリカ資本の精油所だった。
ここには当時、非常に珍しく、また貴重でもあった高オクタン価の航空用燃料を製造する設備もあった。
これは是非とも無傷で手に入れなければなるまい!(笑)
昭和17年2月14日、午前11時半に、ここに降下したのは「石油精製所急襲部隊」の99名の兵士たち。
たった99名で、ここを占領するというのだから「無茶振り」にもホドがある・・・(大笑)
しかも、その99名が二手に分かれて東西二ヵ所の精油所を占領するというのである!(驚)
ここを防衛しているオランダ軍の兵力は約500名・・・・
5倍以上の敵を相手にすることとなる。(唖然)

現在、この精油所はプルタミナ国営精油所となっていて、今も同じ場所で稼働している。
その設備は当時のままなのかどうかは知らないが・・・
場所は全く変わっていない・・・・

まず、精油所の事務所に伺い、構内見学の許可を求める。

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管理事務所(?)の中に精油所の模型があった。
このツアーの出発前に簡単に戦史を勉強したのだが、その中で、当時の日本軍の戦闘経過要図に「トッピング」と表記された場所がいくつも書き込まれていた。
この「トッピング」とは何のことやら、全く分からなかったのだが・・・
事務所の職員に尋ねてみたら、この模型の設備(プラント)が「トッピング」というものだそうである。
ようやく“謎”が解けた・・・(喜)

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事務所前の駐車スペースはムシ河に面している。
日本軍に攻められたオランダ軍は、最終的に、ここから船で逃げたらしい。

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精油所の職員(所長さん?)がバスに乗り込み同行・・・・
構内を巡ることとなる。
もちろん、下車はできない。
車窓からの見学のみである。

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事務所の裏手には住宅地が広がる。
これは社宅だそうで、建物はオランダ統治時代に建てられたものだそうである。
ということは・・・当時のまま?(驚!)
西精油所を制圧する60名の日本兵たちは、この住宅地を突っ切ったので、当時そのままの景色ということになるか?
この洒落た住宅の脇を日本兵がパタパタと走って横切っていたの?(苦笑)
どうもイメージがわかないのだが・・・・
この住宅地には日本兵も戸惑ったかも・・・(苦笑)

この敷地を一度出て、川を渡って東精油所へ向かう。
プラントを間近で見る許可は得られなかったが、この橋のところからならプラントの撮影はOKとのこと。
バスを降りて写真撮影・・・

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川の右側にあるのが東精油所、写真の左にあるのが西精油所である。
今でも、その場所は当時と同じ・・・・変わっていない。

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川沿いに並ぶ建物の向こう側・・・ヤシの木が見えるさらに向こう側に39名の日本兵が降り立った。
たった39名である!・・・・しかもバラバラ・・・・
早くも、あのあたりで長谷部少尉が戦死、川上一等兵、池野伍長が負傷している。

敷地内の、昔、ヘリポートとして使われていた広場で下車・・・
周囲を見渡し、当時を想像する。

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日本軍の降下地点方向を見る・・・・
あの空に白い落下傘がいくつも開いて降りて来たのだろう・・・・
オランダの守備兵は、さぞかしビビったに違いない・・・(笑)
降下地点は、当時は湿地帯・・・
遮蔽物もそれほどなく、平坦な場所だっただろう。
見たところ、現在は湿地帯という感じには見えないが、おおよそ当時もこんな風景だったに違いない。
その湿地帯にズボッ、ズボッと落下したわけで・・・
そこから移動するのは大変だったろうなぁ~と思う。
当然、39名はバラバラである。
彼らが所持していたのは拳銃1丁と手榴弾2発、軍刀だったという。
小銃や機関銃は「物料箱」という箱に詰めて人間とは別に落下傘降下させた。
が・・・人間のほうは落下傘を操作して目的地に着地できるが、「物料箱」のほうは、そうはいかない。
風に流され、どこへやら・・・・(唖然)
仕方がないから拳銃1丁で戦うこととなる。
これは飛行場を制圧した部隊も同様である。

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この広場に、鳩を連れてきている人たちがいた。
一体何をしているんだろう?
尋ねてみたら「戦う」のだという。
わからん・・・????
「闘鶏」は知っているが「闘鳩」ってあったっけ?(汗)
ガイドの話では、「どこまで高く飛ぶかを競う」と言うのだが・・・・
益々意味が分からない・・・・

再び橋を渡って西精油所に戻り構内を走る。

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原油タンク(?)の脇を走った。
これを見みないと、どうも精油所っていう気がしない。
当時、オランダ軍は、こういう原油(?)タンクをいくつか破壊したようだが、大した被害ではない。
原油はいくらでも採れるのである。(笑)
問題は精製設備のほうで、これを破壊されたら、修理して使えるようにするには何年もかかってしまうだろう。
復旧するまでに日本は干上がってしまうし、戦争にも負けてしまう。
幸い、無傷で手に入れることができたようなので、良かったが・・・
この経験が後々の日本軍の無謀な作戦につながっているのではなかろうかと拙者は思ったりするのである。
拳銃1丁だけしか持たない数十名の兵が、数百名の敵と戦って勝ったわけで・・・
この手柄話は非常に危険である。
精神力、根性で何とでもなる・・・となったのではあるまいか?
世の中はそんなに甘くないと思うのだが・・・(苦笑)
「運も実力のうち」という言葉もあるが、かなりの「幸運」だったわけで・・・
現地を実際に見てみると、益々、よくわかる。
「勝って兜の緒を締めよ」をしなかった日本軍は、その後、負け続けて悲惨な敗戦を迎えることになる。

“成功”の中にも多くの反省点があるはずだが、そこはフィードバックしなかったのだろうか?
「やった!やった!」とはしゃぎまわるのは、わからないでもないが、大事なのは、その後である・・・・
今も昔も変わらない・・・
「東京オリンピック誘致成功」で大はしゃぎして・・・・その後は、ひどい有様である。
ただの“お調子者”の集まりでは、うまくいくものもうまくいかなくなる。
戦史から学ぶべきではなかろうか?
拙者が青年会議所にいた頃にも、よくこういう指摘をしたが・・・・
「もう済んだことだからいいじゃないか」「うまくいったんだからいいじゃないか」と相手にされなかった。
成功しても反省点はいくつもある。
それを検証して次に同じミスを犯さぬようにすべきである。
ミスが“失敗”につながらなかったのは、ただ運が良かっただけのことである。
が・・・そういう考えは逆に相手にされなかった。
だから、いつまでたってもレベルが上がらないのだと思う。
あれから10年以上も経った今・・・我が町の青年会議所は、かなりレベルが落ちていると聞く。
当然だな・・・・

精油所を案内してくれた職員の方を事務所まで送り届けてお別れ・・・・
敷地を出て、次に向かったのは、ムシ河沿いにある、当時、連合軍(オランダ軍?)のパレンバン地区防衛隊の兵舎があった場所である。

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白壁のように見えるのが、昔の要塞・・・
たしか、オランダに統治される前に造られた要塞で、本来は、オランダのような西洋侵略者(大笑)から国を守るために造られたものだと思うんだけど・・・あっけなく占領されちゃった?・・・(大笑)
で・・・ここがオランダ軍の兵舎(もしかしたら司令部もあったかな?)として使われていた。
日本軍は、ここを攻撃はしていないようである。
その前に、オランダ軍は船に乗って逃げちゃったらしい・・・・(大笑)
その後に日本軍が収用し、パレンバン防衛隊司令部として使用している。
現在はインドネシア軍の施設となっているので、内部には立ち入れない。
外観を見るだけ・・・・

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この要塞の目の前は、ちょっとした広場になっていた。
このあたりは昔からの船着き場だった場所。
日本軍はパレンバンを攻略するのに、まずは落下傘部隊で精油所と飛行場を制圧。
その次に輸送機で確保した飛行場に後続の空挺隊員を送り込み・・・
最後に輸送船で主力部隊の第38師団を送り込んだ。
第38師団は名古屋で編成された師団で、香港攻略戦に参加し、続いて、このパレンバンの攻略に投入された。
そして、この後、ガダルカナル戦に投入され悲惨な戦いを経験することになる。
その第38師団が上陸したのが、このあたりである。
写真の左に見える橋は「アンペラ橋」というパレンバンでは有名な橋・・・・
戦時中には、ここには橋は架かっていなかった。
この橋は、戦後賠償として日本が架けた橋だそうである。

この要塞前の広場で、中学生くらいの子供たちがボールを蹴って遊んでいた。
と・・・一人の男の子の思いっきり蹴ったボールが、我がツアーの唯一の女性参加者の顔面を危うく直撃しそうになった!(驚!)
「ウワッ!」と一瞬騒然・・・・
蹴った男の子もビックリして手で口を押えたまま地面にへたり込んだ・・・
そりゃそうだろう・・・我々“外国人”観光客の顔面に危うくボールを当てそうになったんだから・・・腰も抜けるだろう。(大笑)
「すみません!」と言いたいのだろうが、突然のことで声が出ないらしい・・・(大笑)
そこで・・・流暢なインドネシア語が話せる拙者は・・・・(大笑)
「サマ、サマ!」と声をかけてやった。
で・・・・しばらくしてから気が付いた・・・・
「サマ、サマ」は「どういたしまして」という意味だ・・・(大汗)
顔面にボールを当てられそうになって「どういたしまして」はおかしいよなぁ~
ありゃ・・・「ティダック、アパ、アパ(気にするな)」が正しかったか?(大汗)
間違えた!(大笑)
知ったかぶりして・・・ドジ踏んだ・・・(苦笑)

時刻は午後5時・・・・
今日の夕食は、このすぐ近くのレストランだという。

雲行きが怪しい・・・・
黒い雲・・・そして生暖かい風が吹き始まった・・・・
ヤバイ・・・これはヤバイ・・・・
過去に何度も経験しているが、これはスコール(土砂降り)の前兆である。
こういう勘は拙者は100%当たるのである。(笑)
「もう少し、このあたりを散策しましょうか?」との声があったが・・・・
これ、絶対ヤバイって!(苦笑)
「いや、少し早いけど、レストランに向かったほうがいいですよ」と強く意見具申させていただく。
が・・・・「(雨が)来るぞ!来るぞ!」・・・・と言っているのだが、誰も急ごうとしない・・・・(汗)
以前、カンボジアでも同じことがあった。
なんで、みんなはわからないのだろう・・・

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レストランは、ムシ河に浮かぶ船・・・・いわゆる「水上レストラン」である。

船の舳先に行って写真を撮る。

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このムシ河に架かっている橋が「アンペラ橋」・・・・
2本の橋脚の間の部分がエレベーターのように上に上がる「昇開橋」だそうである。
写真の左の川岸に第38師団の将兵たちが上陸した・・・・

この写真を撮った直後、いきなりの豪雨・・・・日本で言うところの「ゲリラ豪雨」、いや、それ以上の土砂降りである。
間一髪であった・・・・(大汗)
ツアー参加者は騒然となったが・・・
あの雲の色と、あの風を感じたら、次は、こうなるというのは当たり前の事なんだけど・・・・(汗)

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夕食後、ホテルへ・・・・
午後7時、チェックイン。
もちろん喫煙室をお願いしたので、みなさんとは違う階の部屋である。(大笑)

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ホテルのスパにマッサージを頼んでみる。
2時間で350,000ルピア(約3000円?)だった。
フィリピンなどでは、ホテル内のマッサージを頼むと、かなり割高という感じなのだが・・・
2時間で3,000円程度?
1時間だと・・・・1,500円???
1時間が3,000円というなら、わかるけど・・・・(汗)
あれ?・・・・ほんと?・・・間違っていない?
拙者は数字音痴である・・・(涙)
換算レートを間違ているのではなかろうかと不安で仕方がなかった。(大笑)
マッサージ嬢は英語が話せる人だったので助かった。(笑)
片言英語で“世間話”(?)しながらマッサージをしてもらう。
案の定、拙者のことを日本人だとは思っていなかったようで・・・・
なんで、そうなるのかな?(苦笑)

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旅行 | 09:20:18 | Comments(0)
パレンバンへ行く
午前5時に起床!
よく早起きできたものだと我ながら感心する。
午前6時、朝食・・・・

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我メンバーは“ヨコヤマさん”を除いて全員が揃って朝食をとる。
「ヨコヤマさんは朝食は食べないのかなぁ~」という声が上がったが・・・
今まで何度もツアーでご一緒しているが、朝食を食べなかったということはない方である。
おかしい・・・
皆さんが食事を終えて部屋に戻った後、ようやく“ヨコヤマさん”がレストランにやってきた。
で・・・悠然とバイキング会場で“品定め”・・・・
おかしい・・・
「あのぉ~あと15分で集合時間ですけど・・・大丈夫なんですか?」と声をかけたら・・・
エエッ!と驚かれた。(笑)
「8時出発だろ?」と“ヨコヤマさん”・・・
「いや、7時のはずですけど・・・」
「あのね、君、6時55分集合のわけがないじゃないか。8時出発で、7時55分集合だろ?」とおっしゃる。
「あれ?そうでしたっけ?」
“ヨコヤマさん”は70歳を超している“先輩”だし、今までのツアーでは時間を間違えたことのない人だし・・・
加えて昨晩、ロビーでの打ち合わせでは「忘れるといけないから」とシッカリと集合時間のメモまで取っていたし・・・
対して拙者はメモも何も取っていない・・・記憶だけである・・・
「もしかしたら拙者が間違っているのかも・・・・」
それならば、まだ時間がたっぷりあるじゃないですか・・・ということで悠然とコーヒーを飲んでオシャベリ・・・
で・・・午前7時ちょうど・・・・
現地ガイドがレストランにやって来て「何してるんですか?もう出発しますよ!」と言う。
ゲゲッ!(驚)
やっぱり7時出発だった!!(大汗)
慌てて部屋に戻ってスーツケースを持ってロビーに戻る。
事前に、すぐに出発できるよう準備を完了しておいて良かった・・・(大汗)
やっぱり拙者の記憶の方が正しかったのである。(涙)
どうして自信をもって言い切らなかったかなぁ~と後悔・・・・(苦笑)
ちなみに、“ヨコヤマさん”のメモは、「7時55分ロビー集合」になっていた・・・(唖然)

予定より10分遅刻でホテルをチェックアウトして空港に向かう。
なにせ、ジャカルタは交通渋滞が酷いのだそうである。
人口が増え続け車もバイクも増えたのに、道路や他の交通機関の整備が追い付いていない・・・
このため慢性的な大渋滞なのだそうだ。
我々が犯した10分間の遅刻が、どういう結果をもたらすか…ハラハラドキドキである。(大汗)
が・・・我々は(もしかしたら拙者は・・・?)運がいいのかもしれない・・・
珍しく大した渋滞にも巻き込まれず、予想以上にスムーズに空港に到着したので現地ガイドが驚いていた。(大笑)

DSCN2897_convert_20161006100334.jpg (ジャカルタ空港・国内線ターミナル)

 DSCN2898_convert_20161006100401.jpg (空港内)

予想以上に早く空港に着いたので時間に余裕がある。
「遅刻組」の“ヨコヤマさん”と拙者2人は、コーヒーショップで“遅刻の反省会”・・・(大笑)

午前9時40発、ガルーダ航空GA104便でパレンバンに向かう。

DSCN2899_convert_20161006101908.jpg (ジャカルタ空港)

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ジャカルタからパレンバンまでは、わずか1時間ほどのフライトなのだが、かなりシッカリとした機内食が出た。(驚)
パンとクッキーと水だけど・・・(笑)

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DSCN2912_convert_20161006105359.jpg (パレンバン上空)

午前10時50分、パレンバンの空港に到着。
この空港は戦時中も「飛行場」だった場所・・・
当時はインドネシアを植民地としていたオランダ軍の飛行場だった。
現在のパレンバンの空港は、インドネシア空軍と共用しているという。

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大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)時、日本は南方の資源を確保することを考えた。
日米開戦の「真珠湾攻撃」は有名だが、同時に南方にも進撃したのである。
マレーシア、シンガポールの攻略、フィリピンの攻略である。
で・・・これに引き続きインドネシアも攻略する。
米国が日本への石油の禁輸をしたため日本は石油不足・・・・
インドネシアへの進出の最重要課題は石油資源の確保である。
が・・・船で行ったのでは間に合わない。
そこで考えられたのが空挺作戦・・・落下傘部隊による空からの攻撃である。
ここパレンバンは採油の拠点で、重要な石油精製施設などがある。
これがオランダ軍の手で破壊される前に手に入れねばならない。
第一次降下隊は、石油施設の確保・・・・
だが、すぐ近くの「飛行場」がオランダ軍の手の中にあっては、制空権の確保ができない。
ほぼ同時に、この飛行場も確保してオランダ軍を駆逐しなくてはならない。
というわけで・・・第2次降下隊が、この飛行場を占領するためにパラシュート降下をした。
この空港自体が、当時の戦跡でもあるということになる。
当時の飛行場は1000mの滑走路を持つ、スマトラ島の中でもかなり優良な飛行場だったという。

ここを攻撃したのは、昭和17年2月14日のこと。
当初、ここに投入される部隊は「挺進第1連隊」という落下傘部隊だったが、昭和16年12月19日、ベトナム沖で乗船していた輸送船に事故があり沈没してしまい機材のすべてを失ってしまった。
突然の船上火災が原因だったらしい。
おかげで、挺進第1連隊は作戦には使えないことになってしまったのである。
そこで急遽、兵隊たちを集めて「挺進第2連隊」を編成。
しかし、半年以上も前から訓練を重ねていた第1連隊とは練度が違い過ぎる。
だいたい、指揮官が自分の部下の顔と名前を覚えるヒマすらなかったというのだから大変である。
作戦の決行日は決まっているので、その苦労は想像を絶するものだったに違いない。
「無茶振り」とは、こういう事を指すのかも・・・(苦笑)
さらに、焼失した落下傘・・・・この補充も問題である。
工員や女学生など数千名が動員されて突貫作業で落下傘を作って作戦決行日までに間に合わせたという。
“貧乏な国”日本の悲しいところでもある。

空港到着後、現地ガイドの出迎えを受けて、空港に隣接するインドネシア空軍の基地へ向かう。
基地のゲートで立ち入りの許可を求める。
過去に何度か来たことのあるリーダーの“イズミさん”の話では、その時の“気分?”で許可が出たり出なかったり・・・だそうである。
まぁ、南国らしいと言えば、らしいかな・・・(苦笑)
幸い、許可が出たが「敷地内をバスで走ることはOKだが、バスから降りてはいけない」とのこと。
やむなく、車窓から見るだけ・・・ということになる。

塀に囲まれた空港の外周を回る。
よくわからないのだが、空港の外周なのだが、空軍の敷地らしい・・・・
走るバスの車窓からの写真撮影くらい難しいものはない。
わずかに1枚・・・・今も残る当時の空港事務所の屋根と管制塔を写真に収めることができた。(喜)

DSCN2920_convert_20161006112343.jpg

「空挺作戦」といっても、投入された兵力は、わずかに300名程度である。(驚)
この約300名の兵士が飛行場と精油所の2か所に分かれて攻撃をかけるのである。
余りにも少なすぎる兵力であるが、“貧乏国”としては、これが限界だったかも・・・
飛行場の攻略に投入されたのは、そのうちの半数強であるから200名程度ということになるか。
が・・・・実際に、飛行場に到達して攻撃を仕掛けた兵力はさらに少なかったらしい。
なぜならば、敵の対空砲火を避けたため、降下地点が飛行場よりかなり離れた場所になった兵士たちが多かったためである。
それでなくとも少ない兵力がバラバラに散らばってしまったのである。
このため整然と組織だって戦ったというより、何人か集まったら、そのまま突撃をするというような攻撃だったようである。
それでも、日本軍は空港事務所を占領し、飛行場を確保した。
これは、日本兵の勇猛さと、オランダ兵たち守備隊から見ると空に開いた落下傘の数が実数以上に多く見え、大部隊の攻撃だと勘違いを起こさせ、彼らの戦意を喪失させる効果があったせいかもしれない。

DSCN2930_convert_20161007101518.jpg

空港の周囲にはまだ、“緑”が残っている。
写真の左が空港敷地となる。
写真の右側の“ジャングル”を抜けて飛行場に突入したのだろう。
当時を想像する・・・・

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道路が、空港周辺の塀よりも高い位置・・・という場所があった。
当時は小高い丘だったか?
そこから空港の滑走路を見る。
う~ん・・・この雰囲気・・・・
「突撃!」と命じられても、ちょっと飛び出すのには勇気がいるよなぁ~(苦笑)

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空軍基地を出る・・・時刻は、まもなく午後1時である。
これから昼食!

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インドネシア料理・・・・
どれもが“ピリ辛”である。
拙者としては、あまりピリ辛の料理は好きではない。
美味しいことは美味しいのだが・・・・(汗)

食事を早々と終えて、拙者一人、外に出てタバコを吸う。(笑)
で・・・ついでに我がツアーのワゴン車のドライバーとインドネシア語で会話・・・・
の・・・つもりが・・・さっぱり会話にならない。
そりゃそうである。
拙者は、ほとんどインドネシア語を知らないのである!(大笑)
彼は(うっかり名前を聞くのを忘れたが・・・)、そんなことは気にもせず、延々とインドネシア語で話しかけてくる。(唖然)
おい、英語で話してくれ・・・・(涙)
やむなくインドネシア語の会話の本を持ち出したはいいが・・・
これは“辞書”ではないから、単語には限界がある。
あのぉ~、ここに書いてある単語だけを使ってくれないかなぁ~(苦笑)
身振り手振りを交えられても・・・何を言っているのかサッパリわからない・・・・
ようやく話題を変えたようで・・・・(大笑)
やっと拙者の知っている単語が彼の口から出てきた・・・・「パナス(暑い)」・・・である。
ん?・・・・「今日は暑いねぇ~」って言ってるのかな?(大笑)
聞き取れた単語は、これ一つ・・・・(汗)
あとは再び何か延々と話をされたが・・・だ・か・ら・わからねぇって!(苦笑)

昼食後、今度は精油所に向かう。

旅行 | 08:35:49 | Comments(0)