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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『布引丸』
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マニラの梁山泊

お雪バア

アギナルド(上)

アギナルド(下)

マニラ陥落

志士交流

武器払い下げ

同志糾合

義軍出発

遭難の日

独立軍陣営

東亜は立ち上る


本書の「比島独立」とは、太平洋戦争時の話ではない。
19世紀末、スペインに支配されていたフィリピンはなんとか独立しようとしていた。
これに手を差し伸べたのが米国だが、いざスペインを追い出し独立という段になって、米国はフィリピンを裏切る。
今度は米国がフィリピンを支配するわけである。
話は、この頃の話・・・・
このフィリピン独立に手を貸してやろうという日本人たちがいたのである。
武器の貧弱な独立軍に武器を調達してやろうと、武器・弾薬を集めて船に載せてフィリピンに送ろうとした。
この船の名前が「布引丸」・・・・
しかし、船は途中で沈没してしまい武器はフィリピンには届かなかった。
これは、私も以前、どこかで聞いたことがある話で、あまり知られていない話ではあるが史実である。

本書は、これをテーマにした小説。
著者は「序」に書いているのだが・・・
小説の約束事を無視している場面もあり、著者自身が顔を出すし、素材のままを皿に盛って差し出したような場面もあると言う。
読んでみると、確かにそういう場面がある。
これが、この“小説”の特徴でもあり、面白いところだ。
比島攻略軍の本間中将が帰還した時に、フィリピン独立軍のアギナルド将軍から本間中将へ贈られた彼の自叙伝を借りたという。
こうなると、アギナルド将軍に関する著述は“正確”ということになるか?
とにかくノンフィクションなのか小説なのか、微妙なのである。
かなり史実に忠実に書かれているのではなかろうかという気がする。
今でいうところの“ノンフィクション・ノベル”に該当するだろうか。
著者が言う「素材のままを皿に盛って差し出した”部分などは、史料的価値が高いのではなかろうか?

この小説・・・・驚いたことに昭和17年9月から昭和18年10月まで連載されたものだそうだ。
一瞬、戸惑った・・・・
読んでいても戦時中特有の“国威発揚”などの戦時色が感じられなかったので、ついこの間、書かれた小説だろうと思っていたのである。
まさか、戦時中に書かれた小説とは驚きである。
そうなると、登場人物の“絡み”やセリフは創作だと思っていたが、まんざら絵空事のような創作でもなさそうである。
案外、実際にあったことに近いかも・・・
う~ん、そうなると、ますます面白い。
こういう“小説”を書いてみたいなぁ~と思うほどの“小説”である。

著者は1979年に85歳でお亡くなりになっている。
その2年後に本書が出版されている。
どういう経緯でこの単行本が発刊されたのかは、本書には書かれていないのでわからないが・・・
いい“小説”を遺してくれたと思う。


今年の読書:47冊目



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読書 | 23:03:26 | Comments(0)
乃木別邸
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乃木別邸

昭和41年栃木県史跡指定
栃木県那須郡西那須野町石林820番地

乃木邸の地は、文化年間の頃は当所 石林の薄井氏が所有し、明治13年鹿児島藩士 吉田清皎氏(静子夫人の叔父)が手に入れる迄に所有者が3人かわりました。
吉田氏はここで農園を営みましたが、明治23年急逝の後、乃木将軍が農地3ヘクタール・山林10ヘクタール・家屋共ゆずり受け農耕に従事せられ、同25年母屋を新築、旧家を納屋として使用され、つづいて石蔵・肥料舎・農具舎・薪小屋等を建て、御夫婦自ら鋤・鍬をとられ村人と共に収穫を喜び、詩歌を吟ぜられる生活をされ、勧農の範をたれ給いしところです。
大正元年9月13日明治天皇のみあとを慕い奉り殉死の後は、将軍の遺言に依り実弟 大舘集作が住み、昭和3年以降神社により維持保存するところとなりました。
旧家は、昭和46年不審火による焼失の後、復元。
母屋は、平成2年10月過激派による放火で被災し、5年4月旧体に復元したものです。

(説明板より)


史跡 乃木希典那須野旧宅

栃木県指定文化財
昭和41年3月18日

乃木希典は長州藩支藩の長府藩出身の陸軍大将・伯爵である。
後に、学習院院長なども務めた。
明治24年、この地に約14ヘクタールの土地を求め、静子夫人の叔父(旧薩摩藩士・吉田清皎(きよあき))が所有していた土地と家屋を譲り受けた。
当初は住宅一棟と納屋があったが、同25年、乃木将軍は自ら設計して農家風の質素な別邸を建てた。
栗の木の板を小さく切って重ねた栗木羽葺(くりこばぶき)(後に瓦)平屋で、建坪は間取り寸法が関西間風で建てられているため53坪であるが、関東間(かんとうま)に換算すると約57坪となる。
土間と囲炉裏があり、畳の部屋は八畳間が3つ、六畳間が変形六畳を含めて3つ、その他物置場・屋根裏部屋等がある。
乃木将軍は生涯に4度の休職をしたが、別邸を建ててからは休職中(のべ48か月)の多くをこの別邸で過ごし、晴耕雨読の生活を送り、村人とも親しく交わったという。
なお、別邸は平成2年(1990)に焼失し、同5年(1993)3月に復元された。

那須塩原市教育委員会

(説明板より)

史跡 | 22:08:42 | Comments(0)
乃木将軍石像と愛馬殿号の塚
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乃木将軍石像と愛馬殿号の塚

この石像は昭和初期、愛知県岡崎で開催された石刻展に入選した作品で、学習院の院長であった乃木将軍にちなんで一度学習院に献納されました。
時を経て平成2年、ゆかりの那須乃木神社に奉納されたものであります。
殿号(しんがりごう)は大正天皇がまだ皇太子殿下頃、乃木将軍に賜わった白馬です。
将軍は殿下より賜った名馬であるため、殿号と名付けて愛育されました。
将軍ご夫妻は自然を愛され、禽獣草木にまで温情をもって接し、わけても馬に対する愛情は篤く、老齢になった殿号も那須野へ移し労られました。
この愛馬も将軍の後を追うように、大正3年12月27日に斃れましたので、ここに土葬し、生駒守護神として慰霊の誠を尽くしたのであります。

 武士が乗る荒駒の勇みあひて
     那須の廣野も狭くぞおもほゆ 希典

 黒駒にしらあわはませますら雄が
     岩が根木の根ふみさくみゆく 希典

乃木希典命
乃木静子命  百年祭記念

平成23年9月13日

(説明板より)

史跡 | 21:26:41 | Comments(0)
久しぶりのドライブ
今日は、水戸藩士の“シミズくん”から「栃木県に行きませんか?」とのお誘いをいただき、久しぶりのドライブである。
もちろん車を運転するのは“シミズくん”・・・・
自分が運転するというのなら面倒くさいから行かない・・・(大笑)
助手席に座っているだけなら、行くよぉ~(大笑)

最初に向かったのは、栃木県那須郡那珂川町にある『那珂川馬頭広重美術館』・・・・
ここには、今から9年前の平成19年10月に“シミズくん”と一度、訪れたことがある。
ん?・・・・あれから9年も経つのか?(大汗)
2~3年前のことだと思っていたのだが・・・・意外に月日が流れるのは早いものだ。

ここで開催されている『月百姿展』を“シミズくん”が、どうしても見たいというのである。(笑)
無学の拙者には、何のことやらさっぱりわかりませんが・・・(笑)

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「大蘇芳年」・・・・って誰?(苦笑)
大蘇芳年は、明治時代の浮世絵界を代表する浮世絵師なのだそうだ。
で・・・チラシの解説文によれば・・・・
「江戸新橋の商家に生まれた芳年は、11歳の時、絵師を志して歌川国芳に入門。
師の作風を継いで武者絵を得意とし、人気も実力も兼ね備えた絵師へと成長します。
幕末から明治時代にかけての激変の中で歴史画や血みどろ絵などで活躍しますが、明治5年に自信作であった『一魁随筆』のシリーズの売れ行きがかんばしくないことに心を傷めて強度の神経症を発症し、一時仕事から離れます。
翌年には立ち直り、大きな蘇りを意図して「大蘇」という号を使用するようになります。
「月百姿」は、明治18年(1885)から再び神経症を患って亡くなる直前までの約8年間に制作されました。
中国や日本の月にちなむ説話・故事・伝承で、芳年の精神世界を映し出すような深い趣が感じられる作品です。
本展では、美人画や武者絵とともに「月百姿」全作品を前期後期に分けてご紹介します。」
・・・・ということだそうだ・・・(笑)

なんと、前期と後期に分けて開催されていたのか!
今回は、後期・・・である。
あらら・・・・前期は7月に開催されていたらしい。
半分だけ見るということね・・・・(涙)

武者絵・・・なんて、思い出すのは子供の頃に遊んだ“メンコ”や凧に描かれていた絵しか見たことがない・・・(大笑)
この浮世絵(錦絵?)は確かに素晴らしいものではあるが、拙者が感心するのは、この絵を版木に彫った人の“腕”である。
こう言っては大変失礼だが、絵を描くのはそれほど大変でもないような気がする。(苦笑)
それより、その絵を忠実に版木に彫った彫師のほうが凄いのではあるまいか?
よくこんな細い線まで彫れる(実際には細い線を残して周囲を彫るのだが・・・)ものだなぁ~と思う。
更に、何色もの色を重ねてもズレないという摺師の腕前!
“製造業”の拙者からすると、こっちの職人の技術力に感嘆してしまう。
う~ん・・・・視点が違い過ぎる?(大笑)

次に向かったのは、栃木県大田原市にある『那須与一伝承館』・・・・
ここでは、刀剣の展示を行なっていて、今回、特別な“刀”が期間限定で展示されているという。
これも是非見たいと“シミズくん”が言うのである。(汗)
ほぉ~・・・・珍しいこともあるものだ・・・刀剣にも興味があるのか?(笑)
今回の“特別展示”は、徳川光圀が鷲子山上神社に奉納した刀剣・・・
その話は伝承としては残っていたらしいのだが、実際にその刀剣というのは見つかっていなかったらしい。
それが今回、発見されたので期間限定で展示されることとなったという。
次回、人の目に触れるのは10年ぐらい後になるとか・・・(大汗)
拙者はへそ曲がりなので・・・・(大笑)
今頃になって“発見”とは、ちょっと怪しい・・・(大笑)
本当に本物かぁ~?・・・・(大笑)
・・・・と思ってしまうのである。

これで、今回のドライブの目的は達成した・・・
帰ろうかなぁ~と思ったのだが、たまたま地図を見ていて「乃木神社」という文字が目に入った。
ん?・・・・もしかして、これは乃木希典を祀った神社ではあるまいか?(汗)
行かねばなるまい!(大笑)
更に足を延ばす・・・・

DSCN2800_convert_20160911132233.jpg (乃木神社)

乃木神社は全国にいくつもある。
東京都港区にある乃木神社には平成15年5月に行った・・・・
翌年の10月には京都市伏見区の乃木神社に行った・・・・
しばらく間が開き・・・・平成23年9月に山口県下関にある乃木神社に行った・・・
“分社”のような形の乃木神社は、他にもあるらしいが、独立した大きな乃木神社は全国に4か所である。
で・・・今回、ついに最後の乃木神社にお参り出来たのである!(大喜)
これも水戸藩士の“シミズくん”のおかげである!
感謝!感激!大感謝!(大喜)

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宝物館を見学し・・・・

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神社の裏の森を抜けたところにある「乃木別邸」の外観のみを見学・・・
この別邸は、左翼か何かのバカによって平成2年に放火され、焼失したらしい。
なんということをしてくれたのか!(怒)
放火した奴を見つけ出して袋叩きにしたいくらいである。
こうやって歴史的遺産が失われるのは許せない・・・・
「軍国主義」も何も関係はない・・・主義主張は関係はない・・・歴史は歴史なのである。
現在あるものは復元されたものだそうだ。
そうなると・・・価値が半減以下・・・だな・・・・

近くには大山巌のお墓もあるというので行ってみた。

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墓所は門扉が閉まっていて、中を見ることができない・・・
墓所の公開は毎月第2土曜日だそうである!(唖然)
あ~あ~・・・・1週間早かった・・・(涙)

さて・・・時刻はまもなく午後5時になる。
親父には5時ごろには帰宅すると言って家を出たのだが・・・・
さて・・・ここは・・・どこ?
「那須塩原市ですよ!」と“シミズくん”・・・・
「へぇ~・・・・で・・・・5時までに帰るって親父に言っちゃったんだけど・・・・」
「ここから3時間はかかりますけど・・・」(唖然)
「へっ?・・・・3時間?そんなに遠くまで来たのか?」(唖然)
「だって、那須塩原市ですよ!」(汗)
そこのところが、よくわからんのだ・・・・
那須塩原市って我が家からそんなに遠いのか?(苦笑)
なんとなく30分も走れば家に辿り着けるような気がするのだが・・・・(大笑)
拙者は方向音痴だけではなく、距離音痴でもあるということを改めて自覚した・・・

親父に電話をして午後8時を過ぎるだろうということを伝える。
親父は「お土産を買ってきてくれよなぁ~」と言う。(汗)
全然驚いていない・・・・
たぶん、親父も那須塩原市ってどこにあるのか分かっていないのだろう・・・・(苦笑)
距離音痴は父親譲りということになるか?
全て、親父のせいにしよう・・・(大笑)

今回のドライブ・・・・
いつものように大満足である!(大喜)
“シミズくん”は目的を達成できたし、拙者は期せずして乃木神社を参拝できたし・・・
なんと充実した一日であろう・・・・
“シミズくん”に感謝である。

日記 | 20:02:43 | Comments(0)