FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

オーケストラを聴く・・・
ホテルは出来るだけ会場であるサントリーホールの近くに予約した。
移動に手間取って遅刻してはいけないと思っての事だが・・・(笑)
余裕を持ってサントリーホールに向かう・・・

甥っ子の話では、チケットは受付に預けてあると言う。
受付の場所は大混雑!(唖然)
平然と割り込んだり、人を押しのけたりする連中の多いこと・・・(怒)
身なりはそれなりに着飾っているが・・・中身はどんなものかわかったものではない。
普通、常識として「ちょっとすみません」くらいの声かけぐらいはすると思うのだが・・・
とても高尚な音楽を鑑賞するに適する“人種”とは思えない連中が多い・・・(汗)
男も女も性別に関係なく「自分は偉いんだ」と言わんばかりに横柄な態度をするバカが目立つ。
思いっきり後ろから頭を叩いてやろうかと思うくらいである。(大笑)

このコンサート・・・
「全日本医科学生オーケストラフェスティバル」というコンサートで・・・
へぇ~そんなに音楽をやる医学生が多いのかと驚く。
それを聴きに来るんだから、出場する医学生の家族か親戚か友人か・・・
いずれにせよ関係者ばかりなのだろうが・・・
その横柄な連中を見ると、ろくな医者にはならないだろうなぁ~と、ついつい思ってしまう。
(あくまでも一部の人たちですが・・・笑)

我が妹からメールが・・・
「少し遅れるからギリギリで到着する」と言う・・・
あれ?・・・妹も聴きに来るのか?(苦笑)
昨日会った時は何も言ってなかったけど・・・
「で・・・私のチケットはどうなっている?」と質問メール・・・
そんなもの知らんわい!(笑)
息子と打ち合わせをしていないのか?
受付に預けてあるのではないか?・・・ただし、受付は大混雑だぞ・・・と返信・・・
それにしても、どうしてそう手際が悪いのかねぇ~
いつもギリギリで飛び込んでくるのである。
女っていうのは、どうしてギリギリになってからバタバタするんだろう?(大笑)
もっと余裕を持って行動できないのかね?
“優雅な演奏家”が、そんなことでいいのかね?(苦笑)
う~ん・・・これでは、そういう人間の兄が拙者ですから・・・他人の事をとやかく言えないな・・・(大汗)

無事に演奏開始直前に妹が到着する。
妹の友人の“エミちゃん”夫妻も到着・・・・

座席は指定席・・・2階席だった・・・
ステージを上から見下ろせるいい場所・・・
しかも、ちょうどチェロの演奏者が見おろせる。
ほぉ~・・・甥っ子は、一応、考えて席を指定したのかな?

オーケストラメンバー表を見て唖然・・・(大汗)
バイオリンだけでも58名もいるのである!
クラリネットやトランペットは15名!
甥っ子が演奏するチェロは21名もいるのである!!(大汗)
メンバーを数えるだけでも大変・・・
まぁ、全国の医科学生が一堂に会して演奏するわけだから、そのくらいの人数にはなるか・・・
演奏は何部かに分かれて入れ換えになるらしい。
我が甥っ子は医学部1年生・・・
最下級生なので、出場は1回のみ。
まぁ、仕方がないかもね・・・(笑)

で・・・おかしなことに気がついた・・・
「6年生」というのが何人もいるのである。
へぇ~音楽なんかにうつつを抜かして2年間も留年したんだ・・・
と・・・思ったが・・・
よくよく考えてみたら・・・医学部は6年制だった・・・(大笑)
つい、大学というと4年制だと思ってしまう文系大学出身者の勘違い・・・(大笑)
この「フェスティバル」は今回で35回を数えるという。
第1回目は1981年だとのこと。
毎年、主管大学は持ち回りのようで、各地で開催されるらしい。
昨年は福井大学が主管して石川県で開催されたようである。
今年は東邦大学が主管のようだ。
で・・・このオーケストラは、医学、歯学、看護学、薬学などの医科学生を中心に構成されているとのこと。
かならずしも、将来医者になる人ばかりというわけではないようだ。
そうだよねぇ~・・・こんなに音楽が出来る医者が多いとは思えないよなぁ~(笑)

でも、「音楽が出来る」「楽器が演奏できる」っていいよなぁ~
うらやましい限りである・・・

演奏は、さすがはオーケストラである。
いやぁ~素晴らしい・・・
上手か下手かは、相変わらずわかりませんが・・・
う~ん・・・いいねぇ~
これなら、一人くらい手を抜いてもわからないんじゃないかな?(笑)
拙者がステージに上って演奏しているふりをしたとしても誰も気がつかないのではあるまいか?(大笑)
という・・・不謹慎な考えが頭をよぎった・・・(大笑)

さて・・・このサントリーホール・・・
以前来たことがあるような気がする・・・(苦笑)
妹に尋ねたら、このホールが出来たばかりのころに一緒に来たと言う。(唖然)
へぇ?・・・一緒に・・・ここに・・・来たの?(大汗)
全く記憶がない・・・(大笑)
何の演奏だったのかも覚えがない・・・(大汗)
このホールは1986年に開館したから・・・1987年頃に来たのかな?(苦笑)
この大ホールの“景色”も覚えてるし、座った席がどのあたりの席かも覚えているのだが・・・
う~ん・・・何の演奏を聴きに来たのか・・・全く記憶にない。(大汗)
“入れ物”は覚えていても“中身”は覚えていないのだ。(大笑)
妹に軽蔑されてしまった・・・(汗)
あれ?・・・もしかしてチケットは妹がくれたのかな?(大汗)

たった1回だけの甥っ子の出演を2階席から見おろしただけだが・・・(大笑)
いや、こりゃ、オーケストラの演奏というのもいいもんだと感激・・・

演奏後の甥っ子に会おうと思ったが、残念ながら見つからない・・・
だいたい、みんな同じ服装をしてるから人混みの中では誰だ甥っ子なのやら・・(汗)
仕方がないので、甥っ子と会うのは諦める。
どうせ1年生だから、小間使いに使われていてロビーにまで出てくる暇はないのだろう。(大笑)

帰りに近くの“高級ホテル”のレストランで、妹と“エミちゃん”夫婦と4人で夕食・・・
雰囲気は高級なんだけど・・・
食器の置き方、料理の運び方が雑・・・
信じられないほどの雑さに、“女性陣”が腹を立てて文句を言い出した。(汗)
まぁ、まぁ、抑えて・・・(苦笑)
言葉遣いは馬鹿丁寧・・・ツンと澄ましてはいるが・・・
やることが、どこかの大衆食堂並ではねぇ~(大笑)
高いカネを払って食事をする客は不愉快だよなぁ・・・
しかし、所詮、そんなものである。
「高級」なのではなく「高級ぶっている」だけの事なのである。(大笑)

ちょうど王貞治さんと出会った・・・らしい・・・
“エミちゃん”が「あ!・・・今すれ違ったのは王さんだ!」とミーハーな喜び方・・・(汗)
「え?王さんって誰?・・・どこの人?」
「・・・・・」(唖然)
一番近いところにいた拙者は全く気がつかなかった・・・(大笑)
すれ違うときに視線も合ったんだけど・・・(大笑)
全然気がつかなかった・・・
だめだよねぇ~・・・野球のユニフォームを着ていてくれないと・・・(大笑)
散々皆から馬鹿にされた・・・(涙)

拙者を除く3人は、いずれも音大出身の“音楽家”・・・(笑)
曲のアレンジの仕方から、指揮の仕方から・・・あれやこれやと講評が・・・(汗)
拙者にはさっぱりわかりませんが・・・(大汗)
「指揮者って、ただリズムに乗って棒を振ってればいいんじゃないの?」と言ったら・・・・
「シ~ン・・・・・」(唖然)
「みんな楽譜を見て演奏してるから指揮者なんか見てないんじゃないの?」
「シ~ン・・・・」(唖然)
更に皆から馬鹿にされてしまった・・・(大笑)

スポンサーサイト



日記 | 16:46:54 | Comments(0)
横川省三記念公園
052_convert_20151117170154.jpg 049_convert_20151117170248.jpg

(碑文・右)

横川省三略傳
明治三十七八年戰役ニ特別任務ヲ帯ヒ北満ノ野ニ壮烈ナル最後ヲ遂ケタル志士横川省三君ハ南部盛岡ノ人ナリ歳甫メテ十九東京ニ来リ自由黨ニ投シ後操觚界ニ入リ雄健ノ筆ヲ以テ盛名ヲ謳ワレシカ明治三十年移民開拓ノ為北米ニ航シ三十四年歸朝ス偶暗澹タル日露ノ風雲ニ際會シ敵状探知ノ重命ヲ荷ヒテ北京公使館嘱託トナリ日夜東奔西走スル事三年時恰モ明治三十七年二月
 大詔下ルヤ輙チ擢テラレテ敵後方輸送路遮断ノ命ヲ拝シ嫩江鐵橋爆破ニ赴キシカ遂ニ敵兵ノ為ニ捕ヘラレ四月二十一日同志沖禎介ト共ニ哈爾賓ニ於テ銃殺セラル
君ハ性剛毅恬淡ニシテ機略アリ身軍籍ニ非ルモ敵地深ク突入シテ國難ニ殉ス其忠勇義烈真ニ國士ノ亀鑑タリ後年其功ニヨリ勲五等ヲ授ケラレ特旨ヲ以テ靖國神社ニ合祀セラル

(中央・碑文)
横川省三記念公園
勲五等
横川省三
岩手県盛岡市出身
行年四十歳
同行国士
勲五等
沖禎介
長崎県平戸市出身
行年二十八歳

同行国士
  勲六等 脇光三   滋賀県彦根市出身 行年二十四歳
  同    松崎保一 宮崎県宮崎市出身 行年三十歳
  同    中山直熊 熊本県熊本市出身 行年二十四歳
  同    田村一三 宮崎県宮崎市出身 行年二十二歳

寄贈者 横川省三遺跡保存会世話人代表
      吉澤照英司・吉澤テル(故黒川茂隆長女)
平成3年9月吉日 補修

(碑文・左)
此地ハ明治三十七八年戰役ニ際シ特命ヲ帯ヒテ敵地深ク侵入シ北満ノ野ニ於テ國難ニ殉シタル志士横川省三氏カ寓居ノ遺阯トシテ知ラレタリシカ同氏ノ赫々タル英名ヲ永ク追慕シ其ノ光輝アル舊蹟ヲ後世ニ傳ヘンカ為ニ地元横川省三遺跡保存會代表者黒川茂隆氏ハ之ヲ本市公園用地トシテ昭和十二年十二月附近ヲ併セ百二十餘坪ノ地ヲ寄附セラレタリ本市ニ於テハ寄附者ノ厚意ヲ享ケ英霊ヲ偲フ記念公園トナシ諸施設ヲ完了シタルヲ以テ茲ニ開園ニ臨ミ来歴ヲ敍シ以テ地元ノ芳志ヲ銘記ス



【東京都港区麻布台1-4-6】

史跡 | 13:17:58 | Comments(0)
旧紀州徳川家屋敷跡
032_convert_20151117131632.jpg

近代文化の拠点―旧紀州徳川家屋敷跡

江戸時代に徳川御三家の一つであった旧紀州和歌山藩主徳川家は、明治初期に麹町、赤坂の拝領屋敷を皇室と明治政府に返納した後、明治6年(1873)から大正末期まで、現在、港区立麻布小学校などがある港区麻布台1丁目に屋敷を構えた。
この間、同家第15代当主徳川頼倫は、わが国最初の私立図書館である「南葵(なんき)文庫」を邸内に設け、育英奨学団体「南葵育英会」を設立、学生寮「第一進修学舎」を建設した。
さらに第16代当主徳川頼貞は、本格的な音楽ホールとしてはわが国最初となる「南葵楽堂」や、音楽関係資料を集積した「南葵音楽文庫」を開設した。
しかし、大正12年(1923)の関東大震災などにより大打撃を受け、わが国の文化・教育の振興に多大な貢献を果たしたこれらの施設の多くは、その歴史的役目を終えた。
明治44年(1911)に創設された財団法人南葵育英会は、本年百周年の節目の年を迎えるにあたり、忘れ去られようとしているこれらの事績を後世に伝えるため、記念事業の一環として、旧紀州徳川家屋敷跡に銘板を設置することとした。
なお、南葵文庫の蔵書は、現在、伯爵徳川慶喜が揮毫した扁額とともに、東京大学総合図書館に収蔵されている。
また、南葵楽堂に据えられていたパイプオルガンは、東京音楽学校から上野公園に移築された「旧東京音楽学校奏楽堂」に設置され、保存と活用が図られている。

平成23年8月
   財団法人 南葵育英会
   港区教育委員会

(説明板より)


【東京都港区麻布台1-5-15・区立麻布小学校】

史跡 | 12:20:13 | Comments(0)
大田南畝の水鉢
021_convert_20151117143914.jpg

新宿区指定有形文化財 工芸品
大田南畝(おおたなんぽ)の水鉢(みずばち)
指定年月日 昭和59年11月2日

文政3年(1820)3月に奉納された水鉢で、江戸時代後期の狂歌師大田南畝(蜀山人)(しょくさんじん)(1749~1823)の書による銘文が刻まれています。
外部は幅150cm、高さ60cm、奥行64cm。
内部の鉢の部分は幅126cm、深さ23cm、奥行40cmあります。
銘文は次のとおりです。

正面
  熊野三山
  十二叢祠
  洋洋神徳
  監於斯池
     大田 覃
     ㊞ ㊞

右側面
  「文政三年庚辰」暮春

左側面
  奉納
     淀橋

(説明板より)


【東京都新宿区西新宿2-11-2・熊野神社】


史跡 | 11:37:15 | Comments(0)
写真工業発祥の地
002_convert_20151117142848.jpg

写真工業発祥の地

この地は、明治35年5月、小西本店(現・コニカミノルタ)が、写真感光材料の国産化を図り、研究所と工場(六桜社)を建設し、製造を始めたところである。
同社は、さらにカメラの製造も始め、写真フィルムの国産化にも成功した。
その後、昭和38年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。
今日わが国は、世界の写真王国となっているが、その礎は、この地で築かれたものである。

昭和58年5月1日   新宿区設置

(標柱・説明文より)


【東京都新宿区・区立新宿中央公園】

史跡 | 10:27:00 | Comments(0)
時間潰しの散策・・・・
今晩は、甥っ子が出場するコンサートがある。
当初は昨晩のファミリーコンサートを聴いて1泊したら帰るつもりだったが・・・
まさか、そういうわけにもいくまい・・・
場所は、赤坂の「サントリーホール」ということなので、今晩は赤坂に宿泊する。
音楽を聴くために東京に2泊もすることになろうとは・・・(苦笑)
まぁ、“伯父ちゃん”が聴きに来てくれるというのが演奏の励みになってくれればいいが・・・(大笑)

さて・・・夜まで時間を潰さねばならぬ・・・(笑)
とりあえず、ホテルをチェックアウトして、近くの新宿区立新宿中央公園を散策してみることにする。(笑)

001_convert_20151116200058.jpg
(昨晩コンサートを開いた区民ホール)

公園内で太田道灌の銅像を見つけた!(喜)

010_convert_20151116200549.jpg

017_convert_20151116200844.jpg(新宿中央公園)

この公園に隣接する形で「熊野神社」というのがあるらしいので寄ってみた。

023_convert_20151116202540.jpg 018_convert_20151116201621.jpg


十二社と熊野神社の歴史

十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
(一説に、この地域の開発にあたった渡辺與兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。
九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。
その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行なわれました。
また、享保年間(1716~35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。

(リーフレットより)


ちょうど、外国人の観光客のグループがいて、熱心に境内を見学していた。(笑)
話している言葉からすると・・・ドイツ人かな?
若い人たちだが、やっぱりこういう神社の建物って彼らには珍しいんだろうなぁ~
日本人よりも熱心である。(笑)

さて・・・次はどこへ行こうかと当てもなく歩いていたら、東京都庁のほうへ出てしまった。

024_convert_20151116202847.jpg

026_convert_20151116205001.jpg 029_convert_20151116205047.jpg

東京都庁の周辺って、こんな感じなんだぁ~
今までに何十回も新宿には宿泊しているのである。
ワシントンホテルや京王プラザに宿泊していたのだから・・・
都庁あたりをブラブラしたことがあったはずなのだが・・・記憶がない・・・(苦笑)
初めて見る景色である。
それとも記憶喪失?(大笑)

さて、時刻はまもなくお昼・・・
なかなか時間というものは潰せないものである。
仕方がないので、池袋へ移動することにする。(大笑)

030_convert_20151116210044.jpg (昼食)

しかし・・・池袋の人混みの中を歩いてもねぇ~
どこへ行きたいという当てもないし・・・
で・・・思い出した!
以前、行ったことのあるマッサージ店へ行こう!(大笑)
そこでマッサージをしてもらい時間を潰すことにした。(大笑)

その後、今度は赤坂一丁目駅まで移動・・・
ホテルに真っ直ぐ向かわず、周辺をブラブラ散策する。(笑)

032_convert_20151117131632.jpg

たまたま偶然、麻布小学校の前を歩いたら、史跡の説明板が・・・
ここは、その昔、紀州徳川家の屋敷があった場所らしい。
面影は当然の事ながら全く・・・ない・・・(苦笑)

この学校近くの歩道に、なぜか警視庁の機動隊員がズラリと並んでいた。
はぁ?・・・何事だ?
交差点のところには、更に多数の機動隊員がズラリと並んでいる。(大汗)
いやぁ~壮観である!
私服の公安部の刑事もカメラを構えたり無線機を持って立っている。
公安も出動?
と・・・向うから右翼の街宣車の一団がガンガン音楽を流しながら走ってくる。
ん?この交差点で何かするのかな?(笑)
まるで運動会か、何かのお祭のような感じ・・・
この交差点で一斉検挙?
でも・・・何の罪で検挙するんだろう?・・・騒音規制法違反行為ということかな?
歩道にいるのは何百名という警官たちと拙者だけ・・・(大笑)
すごい景色なので、写真を撮ろうかとも思ったが、不審者扱いされて捕まったらコンサートに行けなくなる。(大笑)
まさか、「伯父ちゃんは警察に捕まってしまいましたのでコンサートに行けません」と連絡するわけにもいくまい。(大笑)
よくヤクザと間違われる拙者なので・・・(大笑)
職質されたらどうしようとビクビクしながら路地に入り込む。(大汗)
路地に入れば大丈夫と思ったら大間違い・・・
路地には路地で、あちこちに機動隊員が数名ずつ待機していた。(唖然)
路地からヒョコッと出てきてバッタリ!
こっちも驚いたが、向うも驚いていた・・・(大笑)
多分、検挙を逃れて路地に逃げ込む右翼を捕まえるために待機しているのだろう・・・
御苦労様なことである。
やつらは街宣車から飛び降りて逃げるのか?(大汗)
事の顛末まで見てみたい衝動に駆られたが・・・我慢、我慢・・・(大笑)
それよりこちらは挙動不審者・・・(大笑)
職質されたら堪らん・・・

この近くに「横川省三記念公園」というのが、あるはずなので、それを探して路地をウロウロ・・・
ようやく見つけた!

054_convert_20151117134118.jpg 051_convert_20151117134450.jpg

横川省三は、明治期の人で、確か朝日新聞の記者だったと思う。
日露戦争の時に特殊任務に就き潜入工作、つまりはスパイとなって満洲に潜入するが捕まって処刑された。
その人の記念公園。
公園内に記念碑が建立されていた。

時刻は4時半・・・
コンサートは6時からである。
ちょうどいいかも・・・ということでホテルに向かいチェックインする。

日記 | 09:42:34 | Comments(0)