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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『一筆啓上 瀬島中佐殿』


『幾山河』は売れても
     「太平洋戦争戦没者慰霊協会」会長

瀬島参謀本部参謀式慰霊祭
     沈黙の三笠宮とわずかな海軍側参加者

特攻戦没者の悲願に適う慰霊祭

林冨士夫の自殺志願
     試しに自殺志願者募集のこと
     決断
     父の本心
     721空着任とその後
     九州展開後
     罪の意識
     私の責任と死後
     桜花の開発と搭乗員の準備
     桜花の正体
     私が天皇なら即刻降伏する
     悔しくも悲しくもない終戦
     慰霊祭
     各団体の慰霊祭での印象深いできごと
     慰霊祭に参加した特攻作戦指導者
     遺族の家を訪問した特攻作戦指導者
     特攻の戦果を知ってどう思ったか

出撃指名人と被指名人

予備学生は本チャンの尻ぬぐい
     死刑囚のような8カ月
     残っているこだわり

角田和男の零戦特攻隊員物語
     出撃前夜の下士官搭乗員たち
     残酷飛行長との対決
     無戦果でも死ねばよい
     慰霊祭
     慰霊祭で何と祈るか
     慰霊祭に参加しない遺族の声
     遺族を訪問したことがあるか
     特攻訓練の思い出
     出撃待機中の心理
     遺書
     出撃する隊員たちの姿
     終戦時に自殺した特攻隊員
     終戦時の心理
     大西瀧治郎中将
     特攻作戦はやるべきではない不祥事ではなかったか
     どういう慰霊祭を望むか

心で泣く特攻出撃
     慰霊祭
     慰霊祭で何を祈り、何を誓うか
     特攻隊員に任命された経緯
     特攻作戦に対する意見
     出撃待機中の心境
     遺書
     出撃時の心理
     終戦時の気持
     備考

「回天」にかけた小灘利春の夢
     志願ではなく命令された特攻隊員
     人間魚雷の正式兵器化
     艇内生存人体実験
     1カ月後に全員突撃せよ
     第一次出撃者の選抜
     われに百基の回天あらば
     謎のままの洋上作戦戦果
     八丈島で米海軍士官と和解

「死に損い」の遺族係
     慰霊祭
     慰霊祭で何を祈るか
     参列した遺族、回天隊指揮官
     特攻隊員に任命されたこと
     回天という兵器
     特攻待機中の心理
     終戦時に自決した回天隊員
     終戦時の心境
     特攻作戦指導者たちの責任の取り方
     今までの慰霊祭は、戦没者や遺族の願いに適うものであったか
     瀬島龍三氏主催の慰霊祭

幻の土佐沖回天作戦
     追悼式・慰霊祭
     慰霊祭で何と祈るか
     遺族の思い出
     回天の兵器としての評価
     発表されている回天の戦果
     出撃を指名されるまでの心理
     出撃する隊員を送るとき
     特攻作戦はやるべきではなかったのではないか
     終戦時の思い出
     指揮官・参謀で遺族の家を慰問した人
     慰霊祭で遺族の世話に献身した指揮官

生涯心に残る慰霊法要

突入成功を望めない兵器
     戦後の慰霊祭
     慰霊祭で何を祈り、何を誓うか
     慰霊祭に参加した遺族、特攻作戦指導者で印象に残ったこと
     慰霊祭に参加しない遺族の声
     兵器としての震洋に対する評価
     遺書
     終戦時の心理と行動
     特攻作戦はやるべきではない不祥事ではなかったか
     瀬島龍三氏を会長とする財団法人の慰霊祭は正当適切か

自決せずに生きよ
     震洋隊の慰霊祭
     慰霊祭で何を祈るか
     元特攻隊作戦指導者の行為で心に残ったこと
     震洋隊長の意志決定について
     兵器としての震洋に対する評価
     遺書
     震洋の結果をどう考えるか
     特攻隊戦没者は特攻作戦指導者たちの身代りにされた犠牲者ではなかったか

あとがき

参考・引用文献

解説    妹尾作太男



本書の副題である「無反省の特攻美化慰霊祭」でもわかるように、本書は“慰霊祭”について延べられている珍しい部類に入る本である。
一般の方々は、この「慰霊祭」というのがどういうものか、よくわからないと思うので、あくまでも、その一面でしかないとは思うが、そこに言及している本書を読んでみるのもいいかもしれない。
瀬島龍三という“有名人”が関わる慰霊祭・・・いかがなものかという話も出てくるが、確かに、同感する部分はある。
私も各種の慰霊祭に関わっているが、“純粋さ”に欠けているのではなかろうかと思う慰霊祭もないわけではない。
自分でも慰霊祭を主催するので、この点には十分気をつけねばと常に気を使っているつもりである。
“純粋さ”を失ったら英霊に申し訳ない・・・
一昔前の、瀬島氏など“指導的立場の人”や“命令を下した人”が関わった慰霊祭・・・
「無反省の慰霊祭」と言われても否定できないような内容だったようである。
慰霊祭に参列した生還者、遺族・・・敢えて慰霊祭に参列しなかった遺族などからの取材も盛り込まれた本書は貴重な“資料”かもしれない。
本書には源田実についても言及している部分がある。
瀬島も源田も、戦時中は「佐官クラス」のエリート参謀である。
彼らに“傲慢さ”はなかったか?
彼らは戦後、“反省”をしているか?
べた褒めする人がいる一方、ぼろ糞に批判する人もいる点では両人ともソックリである。
著者が「一筆啓上」と題名に付けたくなる気持ちはよくわかる。


今年の読書:39冊目



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読書 | 20:34:54 | Comments(0)
新聞社の取材に付き合う
先日、読売新聞の千葉支社から連絡を頂いた・・・
「戦後70年」ということで、地元に駐屯していた騎兵第14連隊の従軍経験者にインタビューをしたいとの事。
中国戦線での従軍体験を聞かせてくれる人はいないかと言う。
騎兵第14連隊の方で生きている人っていたっけ?(苦笑)
よくよく考えたら・・・・一人だけいた!(笑)
今年の春の「軍馬の慰霊祭」に来ておられた“オオクボさん”!!
95歳になられるが、お元気である。
連絡を取ったところ、乗る気満々・・・(大笑)
ということで・・・新聞記者を“オオクボさん”宅までご案内することとなった。

昨日のうちに上京し、東京に一泊・・・
地下鉄の駅で新聞記者と待ち合わせ。
遅れては申し訳ないので、早目に待ち合わせ場所に向かう。

途中・・・なにやら由緒あるお寺を見かけたので覗いてみる。(笑)

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瑞鳳山祥雲寺

祥雲寺は後北条氏の重臣江戸城主遠山隼人正景久によって、永禄7年(1564)に江戸城和田倉門内に駒込吉祥寺の末寺として創建されたのが始りで、開山は吉祥寺安充和尚である。
当初は景久の室(北条上総綱成の娘)の菩提所として法号にちなみ浄光院と称し、永禄7年に戦死した景久の法号から瑞鳳山浄光院と号した。
天正18年(1590)後北条氏滅亡にともない遠山氏も退転したため、しばらく吉祥寺の隠居所となり、神田台(駿河台)、小日向金杉、小石川戸崎台と移転した。
寛永6年(1829)に信州松本藩主戸田氏は壇越(だんおつ)となり、数度の火災の復興に際しても多大な尽力をした。
宝永6年(1709)、五代将軍徳川綱吉の死により御台所が落飾して浄光院殿と称したのち憚かり、戸田氏最初の壇越康長の法号により瑞鳳山祥雲寺と改号した。
当地への移転は明治39年であり重宝類は昭和9年の火災に焼失した。
現在の本尊の薬師如来は胎内銘によれば、天正17年(1589)の造立になるという。
墓地には戸田家代々の墓、酒豪として知られた三浦樽明、首斬り浅右衛門の七代山田浅右衛門などの墓がある。

昭和56年3月
東京都豊島区教育委員会

(説明板より)



時間に余裕があったので、墓地も覗いてみたが、説明板に載っている方々のお墓が見つからず残念・・・
説明板に載せるなら、墓石の近くにも何かわかるようなものを設置していただきたいものだ。

地下鉄の出口で待ち合わせして、近くの喫茶店で、まずは下打ち合わせを・・・(笑)
それから“オオクボさん”宅に向かう。
ご自宅には、一度だけ行ったことがある。
戦友会の集まりで、酔っ払ってしまった“オオクボさん”を自宅まで送り届けたのだが・・・
その時に、拙者も酔っ払っていたので・・・(苦笑)
自宅の正確な場所は・・・ちょっと自信がない・・・(大笑)
「とにかく、こっちの方向です」などと、知ったような口をきいたが・・・
いつの間にか自宅の前を通過して見知らぬ景色・・・(唖然)
慌てて引き返し、ようやく見つける・・・(大汗)
あれ?・・・建て直した?(大笑)
拙者の記憶している家と少し違っている・・・(大笑)

ご自宅には、“オオクボさん”お一人が待っていてくれた・・・
春にお会いして以来の再会である。
で・・・挨拶もそこそこにインタビュー開始・・・
ところが、本人としては、「先祖代々」からの話をしたくて仕方がない・・・(大笑)
特に、お父様の話・・・
お父様は文官で軍人ではなかったが、東郷平八郎には特に目をかけてもらっていたそうで・・・
「日露戦争の時には・・・」という話から始まって、なかなか先に進まない・・・(大笑)
「あのぉ~日露戦争の話はそのくらいにして、本題は太平洋戦争なんですけど・・・」と、ついつい拙者が口を挟むことに・・・(苦笑)
「あ・・・そうだった!すまん、すまん」と“オオクボさん”・・・
「では・・・・・お願いします」
「あ、そうそう、それでね・・・うちの親父は日露戦争の時に・・・」と話がやっぱり戻っちゃう・・(大涙)
さすがは95歳である・・・やっぱり95歳である・・・・(苦笑)

そうこうしているうちにお昼になってしまった・・・(汗)
息子さんが事前にお昼の出前を頼んでおいてくれていたので、遠慮なくご馳走になる。(喜)
食後、インタビュー再開・・・・
午後3時で、一応、終了ということにした。
ご高齢だし、あまり長時間のインタビューはキツイと思ったからだが・・・
本人は、まだまだ話し足りないらしい・・・
「また、来てくれる?まだまだ話し足りないから・・・」とおっしゃる。
「いや、いや、いつまでも取材ばかりしていたら、いつまで経っても記事になりませんよ」と拙者・・・
3人で大笑い・・・

新聞記者の“ハラさん”に「これで記事が書ける?」と尋ねたら大丈夫との事なので、取材は終了とした。
本人は、もっといろいろと話したい様子・・・
「なかなか話を聞いてくれる人がいない」とおっしゃる。

こりゃ、取材とは関係無しに話を聞きに再訪問するようかなぁ~(大笑)

日記 | 10:59:56 | Comments(0)