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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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臼杵に行く
午後5時過ぎの特急で臼杵に向かおうと思ったら、特急は出て行った直後・・・
仕方がないので、各駅停車の”鈍行”で行く事にした。
で・・・ホームに入って来た電車を見て驚いた!
2両編成なのである!
たった2両しか車両がないのか?
田舎を走る我が常磐線だって、最低、6両か8両の編成だったと思うが・・・(汗)
温泉地・別府ですよ・・・拙者の住んでいるような何もない町を走る電車ではない・・・
あらぁ~・・・・なんだろう、この格差・・・・(大汗)

車内は通学の学生と仕事帰りのサラリーマンで満員!
エアコンがガンガン効いて寒い・・・
だからさぁ~こんなに乗るならもう少し車輌を増やしたら?
・・・と思ったら、名も知らぬ辺鄙な駅でドドッと乗客が降りてしまい、車内には殆ど誰もいなくなってしまった・・・
あ・・・これだから2両でいいのかと納得・・・(苦笑)

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午後6時、臼杵駅に到着。
臼杵駅は、100周年を迎えるのだそうだ・・・

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駅前のロータリー(?)に何やら石仏が・・・(汗)
国宝の臼杵石仏のレプリカだそうだ。
ははぁ~ん・・・これか・・・
この旅に出かける前に水戸藩士の“シミズくん”と夕食を共にしたのだが・・・
その時に「臼杵石仏は見に行かないんですか?」と言われた。
何やら有名な石仏だそうで・・・臼杵に行って、これを見ないのは間違っていると言わんばかりの言い方である。(大笑)
どうせ、山奥にあるんだろう?
そんな遠くまでわざわざ見に行くほど拙者は暇ではない・・・(大笑)
ちょうどいい・・・ここにあった・・・
レプリカであろうとも、こんなものだとということはわかったから・・・これでよし・・・(大笑)
よくぞ駅前に設置してくれたと感謝、感謝・・・(笑)



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【国宝臼杵石仏】
古園石仏大日如来像(ふるぞのせきぶつだいにちにょらいぞう) 複製(レプリカ)

この像は、日本を代表する臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)(臼杵石仏)のなかでも中心的存在である「古園石仏大日如来像」の複製(レプリカ)です。
この複製は、傷みがひどくなった臼杵磨崖仏の保存修理(1980~1994)を実施する際、落ちていた古園石仏大日如来像頭部の復位が可能かどうかを調べるために作製されました。
当初は、臼杵磨崖仏のある深田地区に設置されていましたが、保存修理が終わり、平成8年3月に臼杵の玄関口である臼杵駅前広場に移設されました。
保存修理の終わった臼杵磨崖仏は、その姿を一変し、本来の姿に近い、見事な出来ばえとなったことが高い評価を受け、59体の磨崖仏が1995年6月15日に、石仏としては我が国ではじめて「国宝」の指定を受けました。
厳かな雰囲気を醸し出す仏の里・深田へ、ぜひお越しください。

(国宝臼杵石仏まで)
JR臼杵駅からバス・タクシーで約20分
問合わせ先 大分県臼杵市深田
         臼杵石仏事務所
         TEL (0972)65-3300

(説明板より)



「是非お越しください」と説明板に書いてあるけど・・・やっぱり、やめる・・・
拙者は頑固なのである。(大笑)

駅のすぐ目の前のホテルにチェックイン・・・・
部屋から駅全体が見渡せる。
な~んにもない・・・寂しい駅前である・・・・(大笑)

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午後6時を過ぎてもまだ外は明るい・・・
この時期の旅行は陽が長いので助かる。
臼杵城を見るため、今回、臼杵に立ち寄ったのだが・・・・
今日のうちに少し観ておこうか・・・(笑)

ホテルからテクテク歩いて臼杵城に向かう。
思ったより近かったので助かった。

行って見たら、城跡は公園のようになっていた・・・
まぁ、どこでも城址というのはそういうものだが・・・(笑)

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天守櫓(てんしゅやぐら)

この場所にはかつて、3層4重(外観3層、内部4階)の天守櫓がありました。
最近の発掘調査によって、はじめて天守櫓が造られたのが豊臣秀吉配下の福原直高(ふくはらなおたか)が臼杵城主であった文禄3年~慶長2年(1594~1597)ごろである可能性が高くなっています。
その後、稲葉(いなば)氏により天守櫓が何度か修理された記録があります。
このうち明暦元年(1655)の修理は大規模なものであったようで、天守櫓本体だけでなく、本丸の北西隅部の付櫓(つけやぐら)(天守櫓に付属するやや小規模な櫓)がそれぞれ独立的に建てられていたものを、すべて櫓でつなぐように改築されたことが江戸時代の臼杵城絵図と発掘調査の成果から判明しました。
天守櫓がどのような形状であったかは、正確な図面が残っていないためわかりませんが1階の平面が6間四方(約11.7m)、土台部分から最上階(4階)までの高さが6間1尺(約12.0m)であったことが記録されています。
ここでは発掘調査で判明した天守櫓と付櫓の位置を、一段高くして表示しています。

(説明板より)


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本丸(ほんまる)

江戸時代、空堀から東側の一帯を「本丸」と呼んでいました。
この一帯が大友氏時代にどのような姿だったのかはっきりしていません。
ただ、江戸時代の二之丸よりも標高が低いところにあるため、大友氏の時代には、こちらが二之丸だった可能性があります。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が城主となりましたが、初代藩主・稲葉貞通(いなばさだみち)と典通(のりみち)(のちの2代目藩主)は本丸防衛のため、空堀を整備し、二之丸方面から本丸の入口に渡る土橋を設けました。
土橋を渡るとすぐのところに鉄門(くろがねもん)という櫓門をもうけ、本丸の出入口を固めました。
空堀は、天守櫓から見おろす位置とし、二之丸からの進入に備えたのです。
明治維新後、公園として整備され、今のような姿となりました。

(説明板より)


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空堀の石垣がなんとも素晴らしい・・・(喜)

かなり日も沈み始めたのか、それとも怪しい雲行きのせいか・・・
薄暗くなり、そろそろ限界かな?
なにかヤバイ気がするんですけど・・・
雨が降りそうな気がする・・・(大汗)



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卯寅口門脇櫓(うとのぐちもんわきやぐら)

卯寅口門脇櫓の外観は二層、内部は三重、外壁は漆喰(しっくい)下見板張り、屋根は切妻(きりづま)屋根の櫓です。
現在の櫓は、棟札(むなふだ)から嘉永7年(1854年)に建てられたことがわかりましたが、17世紀前半の城絵図には既にその姿が描かれていることから、江戸時代の間に何度か建て替えられたと考えられます。
延宝4年(1676年)ごろの本丸御殿指図(当時の平面図)を見ると、「御鉄炮薬櫓(おんてっぽうくすりやぐら)」と記されており、その機能も時期によって変わっていったようです。

(説明板より)



ここでアクシデント!(大汗)
あれ?・・・・カメラの調子がおかしい・・・あれ?
モニター画面にエラーのメッセージが・・・(大汗)
ウソ!・・・ギョェ~!!(大汗)
これから旅行が始まるというのに・・・壊れたのか?
こういう時は・・・叩くしかないな・・・(笑)
カメラを叩いたら直ったようだ・・・(大笑)
しかし、ちょっと大丈夫だろうか・・・こんな調子で・・・大いに不安・・・(大汗)



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卯寅口(うとのぐち)

いわゆる「搦手口(からめてぐち)」と呼ばれる城の裏門にあたるところで、井戸が設けられていたことから「井戸丸」とも呼ばれていました。
本丸・二之丸があった場所は、かつて「丹生島(にうじま)」と呼ばれ、周囲を海に囲まれていました。
卯寅口には海へ通じる「卯寅口門」や階段が設けられていました。
緊急時はここから船を出して、海へ脱出することを考えていたようです。
「卯寅口」の名前の由来は、大友宗麟が築城時に「卯寅(うとら)」の方角(ほぼ東北東)に向けて門を造ったからであると記録には書かれていますが、なぜ「うとのぐち」という読み方なのかは定かではありません。
なお、港町側から現在の卯寅口明神への参道は、明治以降に新たに開削された道です。

(説明板より)



え?・・・このあたりは海だったのか?(唖然)

卯寅口から出て、ホテルに戻り始めたら・・・・雨が降り出した!(汗)
しまった・・・傘はホテルに置いてある・・・
まさか、雨が降るとはねぇ~(涙)
近くのコンビニで買物をしている間に、幸いにも直ぐに雨がやんでくれた・・・
なんと幸運な・・・
やっぱり拙者の日頃の行いが良いせいに違いない・・・(大笑)

夕食はホテル内のレストランで・・・
駅の周辺に食事できそうな場所はないし・・・(笑)
探すのは面倒くさいので、ホテル内で済ませることにしたが、正解だった。(笑)

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豚肉の生姜焼き定食!
800円なり!(笑)
値段の割には豪華だと思うんですけど・・・色々と付いて・・・
大満足である!!(喜)

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旅行 | 12:29:34 | Comments(0)
別府の“戦友”に会いに行く
午前3時少し前だろうか・・・
大分県臼杵市あたりで震度5の地震があったらしい・・・(大汗)
おい、おい・・・である。
これから大分に向かうというのに・・・
しかも、臼杵市にも立ち寄る予定なのに・・・(汗)

東京は快晴!しかも暑い・・・猛暑といっていいほどである。
しかし、九州のほうは台風が接近している影響で、場所によっては大雨だと天気予報が言っている・・・
なんたることか・・・
日ごろの行いが悪いわけではないと思うのだが・・・(大笑)
地震に台風かよ・・・(大涙)

ホテルをチェックアウトして鎌田駅前のバス停・0番へ・・・
ここから路線バスで羽田空港に向かう。
今まで、羽田空港へ行く場合は、JR浜松町駅からモノレールを使って行っていたのだが・・・
バスで行くというのも面白いかなと思いやってみた。(大笑)
料金は280円なり!
しかし、バスの中は満員!
しかも大きなスーツケースを持った乗客が何人も乗っている。
みなさん羽田に行くのだろう。
スーツケースのおかげで、立つ場所が更に少なくなりギューギュー詰めである。
あらら・・・バスでの移動は失敗したかも・・・(苦笑)

無事に羽田空港に到着したが・・・
さて・・・どうやって搭乗するんだっけ?(苦笑)
完璧に忘れている・・・(涙)
ネットでホテルと飛行機を予約したのであるが・・・
「Skipでチェックインできます」って・・・どうやるんだっけ?(笑)
パソコンの画面をプリントアウトした紙だけで乗れるんだっけ?(汗)
どうも、航空券とかを持っていないと不安で仕方がない・・・
ANAの係員を探して、搭乗の仕方を教えてもらう・・・(大笑)
1年に1回くらいしか国内線に乗らないから、すぐやり方を忘れてしまう・・・
なんと情けないことか・・・

今回の九州旅行・・・
大分県別府市に住んでいる我が戦友会の“戦友”に会いに行く旅である。
“戦友”は師団司令部で電話交換手をしていた92歳のおばあちゃん・・・
この“ヤスダさん”が昨年の暮に病院に入院されたのだが、そのままこの病院でお世話になり、ここで余生を送ると手紙が届いた。
拙者は生来の筆不精者・・・
返事を書く前に「手紙は届いてますか?」の第二信が届くというありさま・・・
多分、一人で“入院”されて寂しいのだろう。
毎週手紙が届いたのでは、返事を書くのが面倒である!(苦笑)
ええい!いっそのこと直接会ったほうが話が早い・・・(大笑)
というわけで、今回、“ヤスダのおばあちゃん”に会いに行く事にしたのである。
で・・・そのままとんぼ返りでは、ちょっともったいない・・・(大笑)
“悪い虫”が騒ぎ出し・・・宮崎県に行ったことがないので、宮崎までついでに旅行をしようと思った・・・
これで、この旅は、何が目的なのかわからなくなったが・・・(大笑)

大分空港行きの便は30分ほど遅れて離陸した。
台風の影響か?

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無事に大分空港に到着・・・
この空港に来るのは、今回で2回目である。
どうも午前中にかなりの雨が降ったようであるが、到着した時には雨はあがり、曇天・・・
う~ん・・・やっぱり拙者の日ごろの行いが良いせいなのかも・・・(大笑)

リムジンバスで別府駅に向かう。

003_convert_20151016135411.jpg (JR別府駅)

JR別府駅に来たのは、これで3回目である。
いずれも“ヤスダさん”に会うためである。(笑)
実の祖母ではないのだが、不思議なことに何度も会いに来ている・・・(大笑)
自分でも、どう考えても不思議なのだ。
相性がいいのか・・・前世で何か縁でもあったか?(苦笑)

さて・・・昼食を食べねば・・・
初回は、駅構内でスパゲティを食べた・・・(笑)
2回目は、福岡県の中津からJRに乗ってやってきて、“ヤスダさん”の家でご馳走になった・・・
なんで、そういうことを良く覚えてるんだろ?(苦笑)
3回目の今回は・・・どこで食べようか・・・
ウロウロした挙句、結局、駅前の食堂で食べることにする。(大笑)

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なにやら「とり天」というのが名物らしい・・・というわけで、「とり天定食」(800円)を頼む。
正直言って、「とり天」って何だか知らないのだが・・・(大笑)
出てきたものを見たら「鶏の唐揚げ」のようにも見えたが、そうじゃなさそうで・・・
「鶏の天ぷら」なのかな?・・・これ・・・(笑)
想像以上に肉が柔らかく、美味しかった・・・(喜)

食後、“ヤスダさん”の入院している病院へ向かう。
病院の位置は事前にネットで調べておいた・・・
駅から歩いていける距離だったので歩いていく・・・
遠くに病院が見えた・・・
2階の窓のところに誰かが立っているように見えたが・・・もしかしたら“ヤスダさん”かも・・・
と・・・すぐ近くにコンビニが・・・(笑)
う~ん・・・病院では禁煙だろうから、ここで一服してから向かおう・・・(大笑)
これが失敗・・・・
病院に到着し、看護婦に病室を教えてもらい2階の部屋を訪問したら・・・・
「さっきまで玄関の所で待っていたのに、なかなか来ないから部屋に戻ったところなんですよ!」と怒られた・・・(大笑)
あ・・・やっぱり窓のところに立っていたのは“ヤスダさん”だったのか・・・(大汗)
拙者が来るのを首を長くして待っていたんだ・・・・あらら・・・申し訳ないことをしてしまった・・・(大汗)

“ヤスダさん”のお話によると、この病院の院長先生とは長いお付き合いだそうで・・・
いつまでも、ここに居ていいと言われたので、ここで最期を迎えることにしたという。(唖然)
自宅も引き払ったとのこと・・・
“入院”というのは、そう長期間は無理なはずなので、“特老”みたいな感じなのだろうか?
それにしても幸せな人である。
晩年になって、生活のことを考えると不安で仕方がないという人も多いはず。
若い時にかなりの苦労したが、晩年はその分、幸せを得ることができたように思える。
こうであるべきだと拙者は常々思っていたが・・・いや、本当に良かった・・・

“ヤスダさん”は、若い時に好きでもない人と結婚させられそうになり朝鮮半島に“逃げた”そうである。
朝鮮で郵便局に勤めて電話交換手をしていたそうだが・・・
満洲に駐屯していた戦車第2師団が電話交換手を募集していることを知り応募したという。
当時、師団司令部の電話交換手は通信兵が行なっていた。
岡田師団長が「軍属を使ったらどうか?」と発案したらしい。
そこで女子軍属の募集となったらしい。
“ヤスダさん”はこの採用試験に合格して師団司令部の電話交換手に採用された。
師団創設初の女子軍属の電話交換手で、しかも紅一点・・・
「うちの部隊の兵隊さんは気が荒くてねぇ~実戦を経験している方々ばかりだから・・・まだ繋がらんか!って怒鳴られてねぇ~。そう言われても相手が電話に出ないんじゃどうしようもないんだけど・・・いやぁ~恐くて恐くて・・・」と笑っておっしゃった。
“ヤスダさん”の勤務評価が高かったのだろう、その後、女子軍属の電話交換手は6名ほどまでに増やされた。
20歳そこそこの当時の“ヤスダさん”の写真を見ると、キリッとした美人さんである。
「私としては、この頃にお知り会いになりたかったですねぇ~」と言ったら笑われた。(大笑)
師団がフィリピンに派遣されることになり、女子軍属は解雇された・・・
「連れて行ってくれ」と頼んだが、「フィリピンへ行ったら生きては帰れないからダメだ」と言われたという。
兵隊さんたちも、フィリピンに行ったら九分九厘生還は無理だとわかっていたようである。
その後、別の部隊の電話交換手になって終戦を迎える。
ところが、満洲にソ連軍(現・ロシア軍)が侵入・・・
彼らロシア兵は女と見れば片っ端からレイプして回ったという。
“ヤスダさん”はロシア兵が来るという情報を掴むと、床下に掘った穴に隠れたというが、彼らもそれに気が付くようになり、床下を点検するようになったため安全な場所がなくなった・・・
それで、家の裏の草むらに潜んだり林の中に潜んだりと逃げ回るのが大変だったという。
女子軍属の電話交換手6名のうち、戦後、生きて日本に還って来たのは“ヤスダさん”だけだという。
他の5名は、今もって消息不明である・・・・
その後、中国人の経営する食堂に匿ってもらい、そこで生活をすることとなったが・・・
まもなく中国国内の内乱が始まる。
毛沢東率いる共産党軍と蔣介石率いる国民党軍の「国共内戦」である。
彼らのドンパチで家の中まで銃弾が飛び込んでくるありさまだったという。
間もなく、日本に戻ることができ、日本人と結婚・・・
ところが、この相手があまり“良くない”人だったそうで・・・
散々苦労をしたが・・・まもなくご主人は他界・・・
貧乏暮らしで苦労していた頃、「戦友会」に入会しないかと誘われて入ったという。
戦友仲間は、旅費一切はこちらが出すから参加しろと言う。
年に1回の戦友会の旅行が楽しみとなったそうで・・・
それがあったから頑張れたとおっしゃる。
だから“ヤスダさん”は「戦友会」の最大の理解者なのである。(喜)
一人息子を女手一つで育て上げ、息子さんは結婚したが、まもなく他界・・・
幸い、孫はできていたので良かった。
その孫も結婚して最近子供ができたと言う・・・つまり「曾孫」である。
年に何回か孫が曾孫を連れて会いに来てくれるという。
不思議な縁というか何というか・・・・このお孫さんは拙者と同じ茨城県に住んでいるという。(唖然)
今年の誕生日には会いに来れなかったらしく、お誕生日にプレゼントの花束が送られてきたと嬉しそうに語る。
年老いてから、少しずつではあろうが、幸せな思いを重ねているようで・・・拙者としても嬉しい・・・
しかも、戦友会の事務局長である拙者がわざわざ会いに来るんだから・・・最高でしょ?(大笑)

色々とおしゃべりをしているうちに、あっという間に時間が過ぎていった・・・
拙者はこれから臼杵に向かって、臼杵に泊まる予定である。
考えてみると、温泉地・別府に来ているのに一度も別府に泊まったことがない・・・(大笑)
次回は別府に泊まろうか・・・

「私が死ぬ前にもう一度会いに来てくださいね」と言われたが・・・
なかなか難しいお願いである。
「で・・・いつ死ぬ予定でしょ?」と尋ねたら大笑い・・・
「その元気ならあと2年ぐらいは大丈夫ですよね?」と言ったらまた笑われた。(大笑)

あまり早く会いに行くと「もうそろそろ死ぬと思って来たんじゃないか?」と思われそうだし・・・(苦笑)
かといって、タイミングを逃したら二度とお会いすることはできなくなるだろうし・・・
92歳・・・微妙なんだよなぁ~(大汗)
「死ぬ前に」と言われてもねぇ~・・・・(大汗)

旅行 | 12:09:54 | Comments(0)