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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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大学の同窓会
今日は我が母校の同窓会・・・・
今年は、いつもと違って“特別”な同窓会である。(笑)
「北関東連合会」の総会も行なうのである。
ということで・・・栃木支部、群馬支部からも役員が集まる。

いつもは茨城県支部だけの同窓会(総会および懇親会)なので気が楽だが・・・(大笑)
今回はそうはいかない・・・
今回幹事を務める「茨城県支部」として、ある程度の格好は付けねば・・・
そういうわけで、何度も事前打ち合わせをしてきた。
「準備なんて、当日、少し早く来てやればいいんじゃないか?」という諸先輩方の意見を制し、強引に何度も会議を開催してもらった。(大笑)

「会場は押さえてますよね?」
「おお、ちゃんと予約してあるから大丈夫だ」と先輩・・・
「会場は見ましたか?」
「いや・・・見てないけど・・・」
「テーブルの配置はどうするんですか?」
「・・・・・」
「ステージはありますか?」
「・・・・・・」
「横断幕、校旗が設置できるようになってますか?」
「・・・・・」
「座席の序列は大丈夫なんですか?来賓に失礼があったら、我が茨城の面目丸つぶれですよ」
「・・・・・」

どうも先輩方は考えが甘い・・・・(唖然)

最年少の役員の拙者が総てを仕切らせていただくことにした・・・勝手に・・・(大笑)

式次第、総会資料、受付用名簿、名札、席札等々・・・総て拙者が作製する。(苦笑)
こういうことは、ある程度慣れている・・・
なにせ青年会議所では“総務畑”を歩いてきたのである。(笑)
総会や式典を取り仕切ってきた経験がある。
青年会議所のメンバーは酒ばかり飲んで遊んでばかりいると、よく非難されるが、真面目にやれば、結構、勉強になる組織なのである。
こういう時には、青年会議所に所属して、いろいろと経験していてよかったなと痛感する。(大笑)

事前準備さえシッカリとやっておけば、あとはどうにかなる。
準備がお粗末では、当日、必ず問題を起こしてトンデモナイことになる。
世の中には“完璧”というものはない・・・
が・・・考えられることは考えて手を打っておけば、あとは、当日に何かあってもなんとかなるだろう。
どうもその辺りの考えが、先輩たちは甘いんだよなぁ~(大笑)

式典では「アトラクション」を入れることにしたが、これが頭の痛いところ・・・
なにせ、予算がないので、どうしても難しい・・・
たまたまタイミングよく“ウメちゃん”から「大道芸」のグループを紹介された。
こりゃ、“渡りに船”である。(喜)
茨城県といえば・・・・「蝦蟇の膏売り」である。(大笑)
ということで・・・「蝦蟇の膏売り」の口上をされる大道芸人にアトラクションをお願いした。

まず、最初に我が茨城支部の総会、引き続き「北関東連合会」の総会と続き・・・
無事総会を終了後、アトラクション・・・・

下打ち合わせを含め、アトラクションの司会進行は拙者の役である。(大笑)
拙者は、実は「蝦蟇の膏売り」の正統な口上を聞いたことがない・・・(汗)
だいたい、こんなものだろうということしか知らないので、果たして、どうなるか心配したが・・・
さすがは“プロ”である。
会場は大いに盛り上がり、好評を得ることができた。
芸人の筑波大清さんには感謝、感謝である。

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アトラクションの後に記念撮影・・・
我が大学の同窓会新聞には必ず各地の支部総会の記念写真が掲載される。
が・・・どの写真も、写っている人数の違いだけで、面白くない・・・(大笑)
そこで、大道芸人の筑波大清さんにも「蝦蟇の膏売り」の幟を持って写真に収まっていただいた。(笑)
これで、我が北関東連合会総会の写真は目立つだろう・・・(大笑)
来賓としてご臨席いただいた学長先生もOKを出してくれたので助かった。(大笑)

そして懇親会・・・・
参加者全員が自己紹介したのでは、それだけで時間がかかりすぎてしまい時間切れで懇親会が終わってしまう。(大笑)
ゆっくり食事をすることも、隣の人と話をする時間もなくなるだろう・・・
ということで、自己紹介を割愛し、どうしても話をしたいという人のみとして、あとは、名前だけの紹介で済ませるということで話は決まっていたはずなのだが・・・
司会を務めた先輩が、何を思ったのか、「それぞれ、ひと言づつ、お願いします」と言っちゃった。(大汗)
あ~あ~・・・・やっちゃったなぁ~(苦笑)
というわけで・・・拙者も自己紹介のスピーチをすることになってしまった・・・(涙)
拙者は、しゃべり出したら止まらないのである・・・(大笑)
話のネタは山ほどあるので・・・(大笑)
で・・・ついつい、暴言を吐く・・・
例え、学長先生の前でも大学批判をしてしまう・・・(大笑)
で・・・ヒンシュクを買う・・・
あっ・・・やっちゃったぁ~(大汗)
「こういう余計なことを言うから先輩方から叱られるのです」と言ったら大爆笑・・・
あれ?・・・皆さん、拙者の性格をご存知だったの?(唖然)

最大のミスは・・・実は予算・・・・
おカネの問題が一番大変・・・
先輩方が会場を決め、参加費を決めたが・・・これが甘すぎた・・・(唖然)
拙者が勝手に、試しに概算してみたら、赤字なのである。(大汗)
どう考えても、収入と支出のバランスが取れていないのである。(唖然)
「これ・・・マズイですよ」と言ったら・・・
「なんとかなるから大丈夫」と先輩達は言う。
「なんとかなる」と「なんとかする」とは違う・・・
どこかの誰かが何とかしてくれる・・・という考え方で、何の解決にもならないのである。
「俺が何とかする」って言ってくれるのならいいんだけど・・・
「なんとかなるから心配するな」という言葉くらい心配になる言葉はない・・・(大笑)
いったい、どこの誰が「なんとかして」くれるのか・・・具体的な話は出て来ない・・・

皆さんは、全く「戦争」の勉強をされていないから、その二の舞をしていると思う。
太平洋戦争での教訓を全く生かしていない・・・
反省もしていない・・・
戦時中も「なんとかなる」の一言で戦争を続けたのである。
物量に大差があっても「なんとかなるでしょう」である・・・(唖然)
「なんとかする」のではなく「なんとかなる」で、多くの将兵が無駄死にしたのではないか?
「なんともならない」場合は、「精神力で何とかしろ」「大和魂で何とかしろ」だったのではないか?
カネに関しては精神力は通用しない・・・
精神力で赤字を解消できるなら企業は苦労などしない・・・(大笑)
「なんとかなる」という言葉ほど無責任な言葉はないと拙者は思うのである。

基本は、収入は少なめに見積もり、支出は多めに見積もる・・・
こうしておけば、だいたい「なんとかなる」のであるが・・・
明らかに逆なんだから・・・(大汗)

結局、拙者の方でかかった経費は請求しないことにし、支部長にも少し“泣いて”もらって、とにかく何とかした・・・
「なんとかした」のは・・・結局、心配していた本人である拙者である・・・(大笑)
来年の「北関東連合会」の総会は群馬支部が主管である。
この時に、今回の決算書を公表するのである。
赤字の決算書などを出したのでは、茨城県の恥である!(怒)
かといって・・・大きく黒字を出したら「儲けた」ことになり、これまた批判の的になる。
何かと難しいのである・・・(笑)
一応、何とか赤字の決算書を出さないよう“誤魔化す”ことができそうなので・・・(大笑)
一安心・・・・
ドドッと疲れが出る・・・・(笑)

とにかく、無事に総会を終えることができた・・・
何だかんだと言っても、皆様のおかげである。
感謝、感謝・・・・

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日記 | 17:17:41 | Comments(0)
『硫黄島決戦』


独立工兵隊の戦い
 元独立工兵隊武蔵野部隊第1小隊・陸軍上等兵 勝山健之亮

   失敗に終わった最初の突撃
   「突撃」の声とともに倒れる戦友
   「敵と差しちがえて死のう・・・・」
   鼻をつく戦友たちの屍臭

栗林兵団司令部の最期
 元百九師団副官部付・陸軍軍曹 龍前新也

   久米少尉の死
   敵艦、硫黄島を包囲する
   摺鉢山にあがる星条旗
   敵状視察に出る
   第一線の悲痛な叫び
   兵団司令部脱出前夜
   来代工兵隊壕へ移動
   漂流木の百四十五連隊をめざす
   自然洞窟の敗残兵
   筏による脱出計画
   死神にも見放されて
   思い出の人びと
      兵団長栗林忠道中将
      兵団参謀中根兼次中佐
      司令部軍医飯塚清三郎中尉
      小沢盛一兵長

第百九師団参謀の回想
 元小笠原兵団参謀・陸軍少佐 堀江芳孝

   父島に着任す
   文武に秀でた栗林中将
   栗林戦法の特色
   現地陸海軍の研究会
   敵は地上、われは地下
   大本営への出張と人事の更新
   米軍、硫黄島に向かう
   変化する兵団司令部
   捕虜の情報と英会話の練習
   隔絶した悲境
   日米の戦力比
   硫黄島より父島への電報
   意外な兵団長の最期?

硫黄島「防空砲台」奮戦始末
 元海軍上等兵曹 橋本 衛

   不吉なる予感
   参集した老兵たち
   血気のカケアイ
   軍艦「木曾」のアブレ者
   父島のハエめし
   輸送艦がゆく
   クジラの背に乗る
   暗やみの初夜
   不沈空母をめざす
   対空砲台の中味
   知らぬが仏の兵たち
   元山砲台の陣容
   1番機銃4名なり
   司令どの到着す
   肝をひやす初空襲
   島の熱気に泣く
   不覚の海軍1号錠前
   酒とダイナマイト
   マイト使いの名人
   スコールの恩恵
   特製カクテルの果て
   暗号班顔まけの手帳
   地獄できく夢物語
   新射法で初戦果
   艦砲の巨弾に仰天
   島一番の大戦果!?
   タマ使いでドヤサレて
   さらば友よ島よ
   海をうめる艦影
   名残の笛よ
   生きるわれをゆるせ!

解説
 太平洋戦争研究会 森山康平

   大兵力を前にした硫黄島の日本軍守備隊
   上陸米軍に対する日本軍守備隊の必死反撃
   上陸軍の多すぎる損害に米国民が憤慨
   摺鉢山の頂上にはためいた星条旗
   日米両軍、戦いのクライマックスを迎える
   日本軍、洞窟に潜み徹底抗戦

硫黄島守備隊編成


本書は、4つの作品を集めた戦記・・・・
この中で、栗林中将の最期の様子を書かれている方がいた。
米軍から聞いた話しだそうだが、通説とは違い、にわかに信じ難い最期の様子である。
これには驚いた。
事実かどうかはわからない・・・
著者も「?」マークを付けているから、著者本人も、信じられないのだろう。


今年の読書:35冊目



読書 | 23:42:50 | Comments(0)
不発弾処理の責任は?
沖縄には太平洋戦争のときの不発弾が推定で2千トンも眠っているという。
(何を根拠に推定したのかは知りませんが・・・)

戦後の70年間に、この不発弾による犠牲者は死者710名、負傷者は1281名もいるのだそうだ。

で・・・その不発弾の処理は今も継続されているようだが・・・(細々と・・・)
根絶するには、さらに70年を要するだろうと言われているそうだ。
本当かねぇ~(汗)
70年もかかるかねぇ?

以前・・・湾岸戦争の時に、イラクがクウェートに侵攻し、クウェートの油田を破壊した・・・
多数の油田から火の手が上がり黒煙が上る映像がテレビで流れ・・・
「これらの火災を鎮火させるには100年かかる」と言っていたことを覚えている。
あの油井・・・・今でも燃え続けているんでしょうね?
まだ100年経ってないのだから・・・(汗)

何かというと、すぐに「100年」という数字を出したがる人間がいる・・・
根拠を示すことなく「100年」という数字を持ち出し、不安を煽る奴らがいる・・・

同様に、今回は「70年」・・・である。
何の根拠があって「70年」なのか・・・根拠は示されていない・・・
「戦後70年」という言葉が、やたらと言われているから「70年」という数字が適当だろうというわけか?
「65年」でもなく「75年」でもなく、「70年もかかる」と言う根拠は何なんだろう?
本気で取り掛かれば、もっと早く済ませることが出来るのではなかろうか?

だいたい、不発弾の数だって、推定だから・・・
「これが最後の1発です」という宣言を出すことは不可能ではなかろうか?(苦笑)
そうなると「70年」どころではなく、1000年かかっても無理である。
沖縄の全ての土地を掘り返さなくてはならないのではなかろうか?

そもそも・・・である・・・
この不発弾というのは誰の責任なのだろう?(汗)
日本軍の砲弾なら、日本の責任でしょうが・・・
米軍の砲弾、爆弾の場合は米軍の責任ではなかろうか?
「落とされた側」が責任を持って処理するのか?(唖然)
爆発しない不良品の砲弾・爆弾を作ったのはアメリカだよね?(大笑)
余った砲弾を海に捨てたのはアメリカ軍だよね?
不発弾の処理はアメリカも責任を持つべきではなかろうか?
アメリカも不発弾の処理をしてるのかな?

やりっぱなしで、後は知りません・・・だとしたならば問題である。
そういう感覚だから、中東で米軍はドカドカと砲撃、爆撃を行なうのである。
不発弾が出た場合は、元々の“所有者”が責任を持って処理することと国際法で決めれば、そうそう安易に砲爆撃は出来ないのではなかろうか?
そうすれば民間人の犠牲者も減るんじゃなかろうか?

撃たれた側だけではなく、撃った側にも責任を持たせることで、多少は「抑止力」になるのではないかと思うのですが・・・(汗)

あと70年もかかる?・・・・馬鹿を言っちゃ困ります・・・(大汗)

エッセイ | 17:32:33 | Comments(0)
18歳に選挙権?
選挙権年齢を現行の「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が成立したそうである。(唖然)

へぇ~18歳に選挙権を与えるんだ・・・(汗)
よく、誰も反対しなかったものだと驚いた・・・(笑)

このことにより、衆参両院の国会議員を選ぶ“権利”が発生したわけである。
地方自治体の首長や議会議員を選ぶ“権利”も得たわけである。
ついでに・・・(苦笑)・・・
最高裁判所の裁判官を審査する「国民審査の投票権」も得たわけである。
“未成年者”の18歳、つまり“子供”から審査を受けるようでは最高裁の裁判官は憐れではないだろうか?(大笑)

ところで・・・これらの“権利”を得た18歳~19歳の“未成年者”・・・
“義務”のほうは、どうなっているんだろう?(大汗)

“未成年者”には“保護者”というのがいる・・・
現行法では、18歳、19歳は“未成年者”であるから“保護”を受けているわけである。
“保護”を受けている奴・・・つまり「一人前」ではない連中が、こういう“権利”を行使するって・・・おかしくないか?

これからは、立候補者は“子供”にも媚びることになるのか・・・(唖然)

エッセイ | 11:26:55 | Comments(0)
防衛研究所に行く
昨日から1泊2日で防衛研究所で資料探し・・・(笑)
ご遺族からメールで依頼を受けたので、久し振りに図書館で資料を探すが、これといった資料が残念ながら見つからなかった。
加えて、フィリピンの邦人紙である「まにら新聞」の記者からも調査依頼をうけていたので、こちらも調べる。
偶然にも、戦時中に使われたマニラ市内の地図を見つけた!(喜)
どうも輸送関係の部隊が使ったものらしい。
車輌の集結場所やら、部品倉庫の位置等、関係箇所が手書きで書き込まれている。
今回の調査には直接は関係ないが、今後、何かの参考になる資料なので複写を頼む。

何だかんだで2日間も費やしたが・・・(汗)
期待していたような収穫は・・・・なし!(涙)
前回はいつ来たっけ?(笑)
もう、1年くらい来ていなかった様な気がするが・・・
前回、閉館間際に索引カードを調べていたら、拙者の祖父の「手記」があることを知った。
閉館間際だったので、メモだけして帰ったのだが・・・
そうそう、思い出した・・・折角だから、祖父の「手記」を見てみようかと思い、索引カードを調べたが・・・・みつからない!(汗)
あれ?・・・おかしいな・・・(苦笑)
何度も調べたが、どうしても見つからない・・・
パソコンで検索もできるので、そちらでもやってみたが・・・出てこない!(大汗)
係りの方に尋ねたが・・・・わからない・・・
存在しない資料をメモするわけはないのだが・・・

情けないことに、このメモは“書名”しか書かれていない・・・
どうして、こういう中途半端なことをしたのだろう?
“請求番号”まで書いておけばよかったのに・・・
ドジを踏んだ・・・(大涙)

何かを調べて索引カードをパラパラめくっていたら偶然見つけたので、そのカードがどこにあったのかが思い出せない・・・
閉館間際で急いでいたことだけは覚えているのだが・・・
どのカードケースを調べていて見つけたのかが思い出せないとは情けない・・・
結局、時間切れ・・・閉館時間となり帰宅することとなる・・・
なんと手際の悪いことか・・・(涙)

日記 | 17:21:26 | Comments(0)
東日本大震災記録碑
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東日本大震災記録碑

2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震は、東北地方から関東地方にかけて、東日本に甚大な被害をもたらしました。
北茨城市でも震度6弱の強い揺れと、そして15時31分に到達した津波は、最大で6.7mを記録し、いままでに経験したことのない被害をもたらし、一瞬にして死者5名、行方不明者1名の尊い命を奪いました。
震災と津波により市内では、全壊及び半壊家屋は、2,400戸を越え、自然に対していかに無力であるかを痛感させられました。
この碑は、東日本大震災の甚大な被害を永く記憶し、この震災の教訓を風化させることなく後世に伝えることを目的として建立するものです。

平成27年3月11日
北茨城市長
豊田 稔

(碑文より)


【茨城県北茨城市・平潟港】

史跡 | 15:06:47 | Comments(0)
穂積家住宅
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茨城県指定有形文化財
高萩市指定史跡
穂積(ほづみ)家住宅

茨城県指定文化財(建造物:建第67号)の概要
指定日 平成元年1月25日
名称  穂積家住宅(高萩市上手綱2337番地の1)
内容  主屋(平面積:317.660㎡)
     長屋門・前蔵・衣裳蔵
     敷地面積:4172.71㎡
     附:屋敷絵図屏風1隻

主屋(おもや)
桁行12間半、梁間6間の建物を中心に、西南部に曲がり部を突出させ、西端にも突出部をつくっています。
北面には、後の改修で付け加えられた下屋が張り出しており、背面の衣裳蔵とは渡り廊下でつながっています。
その造りは「五段茅葺中竹節揃角市松模様寄棟造」(ごだんかやぶきなかたけふしぞろえかどいちまつもようよせむねづくり)と呼ばれています。
屋根の形状は、正面側に小さな妻を作って入母屋造としているほかは寄棟造となっています。

穂積家は、江戸時代から豪農の家柄として地域経済に大きな役割を担い、その活動は農業のほか、酒造業や林業、金融業、製糸業などにも及びました。
酒造業では明治4年に1000石を醸造、銘酒「松乃月」を誕生させて一躍有名になり、製糸業では蒸気機関と100人の女工を使って隆盛を極めました。

穂積家住宅は、茅葺屋根の主屋や池を配した日本庭園など、古きたたずまいを今に伝える特徴ある景観をもっており、映画やテレビのロケ地として利用されています。
これまで、東映映画「鳶がクルリと」、TBSテレビ「太宰治物語」、テレビ朝日「仮面ライダー響鬼」などのロケに利用されています。

(リーフレットより抜粋)


【茨城県高萩市上手綱2337-1)

史跡 | 13:28:03 | Comments(0)
塵外堂
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塵外堂

この塵外堂は、社祖久原房之助はじめ物故従業員の霊を祀っている。
堂宇は、かつて大雄院製錬所予定地にそびえていた一本杉、一名千年杉と呼ばれた巨木が用いられている。
久原はこの名木の保存を考えたが不可能となったので、明治40年に伐採の後、神戸・住吉の邸に運んで観音堂を建立し記念とした。
後に東京・白金に転居の際その用材で祖先祭祀のための堂宇を建てた。
掲額の「塵外」は、翁の揮毫によるものである。
日本鉱業は創業80周年の昭和60年、久原家から寄贈を受け翁ゆかりのこの地に移設した。

(説明板より)


【茨城県日立市宮田町3585・「日鉱記念館」敷地内】

史跡 | 13:06:36 | Comments(0)
旧久原本部
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茨城県指定文化財(史跡第24号)
昭和45年9月28日指定
旧久原本部


旧久原本部は、明治38年(1905)の暮、久原房之助氏が日立鉱山開発の本部として建てた当時の小家屋である。
この辺はその頃杉の大木がおい繁った昼なお暗い山間の乗り物もない交通不便の僻地であった。
久原氏はこの本部に起居し、ある時は鉱山経営近代化の構想を練り、ある時は経営不振に心を痛めながらも、その克服に勇気を振い起こしたこともあった。
公害問題解決のため、大正3年(1914)建設され、当時世界一を誇った大煙突の世人を驚かした計画も、実はこの本部の一室で立てられたものである。
現在その一室に「苦心惨憺處」という額が揚げられてあるが、これは久原氏が後年、ここを訪れた際、創業当時を回顧して書かれたものである。
たしかに労使の共にした苦心惨憺の毎日こそ、常陸の豪族佐竹氏が、近世のはじめ秀吉時代に鉱床を発見して以来三百余年、御三家水戸藩の力をもってしてもついに成功しなかった鉱山を、わが国屈指の銅山たらしめた原動力である。
日立鉱山の近代的開発は、日立発展の礎となったばかりでなく、茨城県勢前進の上に大きな役割を果たした。
歴史的に意義のあるこの旧久原本部が、生きた史跡として長く保存されることを望む。

日立市文化財保護委員会 瀬谷義彦 撰文

日立市教育委員会

(説明板より)

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日本鉱業の社祖久原房之助翁が此処に現存する小舎を本部として日立鉱山を創業したのは明治38年暮のことであった
爾来幾多の辛酸をなめながら翁の不屈の精神と大煙突を建設して早くから公害問題の解決に当たるなど雄大斬新な計画性とは本鉱山をして日本有数の銅山たらしめる要因となった
翁は後年往時を回顧して苦心惨憺處の額を旧本部内に掲げた
この苦心惨憺の努力こそ大日立市発展の礎となったばかりでなく我が国産業発達の鍵でもあった
今翁の遺徳を偲び縁深い本山の川石に翁の遺墨を刻んで記念とする

昭和45年4月吉日

日本鉱業株式会社
社長 河合 堯晴

(銘板より)


【茨城県日立市宮田町3585・「日鉱記念館」敷地内】

史跡 | 11:38:35 | Comments(0)
共楽館
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日立武道館(旧共楽館)のあらまし

日立鉱山はかつて日本有数の銅山として日立市発展の礎を築き、鉱山の従業員とその家族の福利厚生施設として、大正6年(1917)に“共楽館”を創建しました。
日立鉱山の技師が帝劇、歌舞伎座その他劇場を参観して設計し、西洋の洋小屋トラス組の骨組みを採用して、幅22mの大空間を実現しています。
また、唐破風の屋根や格天井などには伝統的な日本建築の意匠が見られます。
当時、1階には長椅子席、2階には桟敷席で、回り舞台や花道があり、1,500名が入場できました。
共楽館には15世市村羽左衛門や6代目尾上菊五郎などの名優も共演しています。
共楽館は当初から単なる芝居小屋ではなく、実に多様な利用がされていました。
大歌舞伎、小芝居、素人演芸に始まり映画、講演会、演奏会、展示場、納涼会、大相撲の地方巡業の会場等々あらゆる催し物が行われたマルチホールでした。
また、学校教育とも深い関わりを持ち、学芸会や学校映画会などの情操教育の場にもなり、共楽館は日立の文化発信基地としての役割を担っていました。
昭和42年、日立鉱山から日立市に共楽館が寄贈され、内部の舞台や桟敷などが撤去され「日立武道館」へと変身しました。
平成11年に国の有形文化財「旧共楽館」として登録されました。
近年トタン屋根や樋の腐食が激しく、雨漏りによる天井、土台の腐食に加え、耐震強度不足(震度6以上で倒壊)などでその保存が危ぶまれていました。
平成21年に日立市は文化財に指定し、約4億円で改修補強工事が翌年1月から工事が始まり、平成23年3月に完成しました。
3月11日に発生した東日本大震災前に耐震強度補強工事がほぼ完了していたため、震度6強の地震に対しても被害は軽微なものでした。
今後、日立市の貴重な文化財であると同時に産業遺産として、スポーツ・文化発信基地としても、後世に伝えて行かなければなりません。
また、市民のために大いに活用したいものです。

(チラシより)


【茨城県日立市白銀町2-21】

史跡 | 11:34:00 | Comments(0)
泉川道標
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日立市指定有形文化財
泉川道標

「此地ミカノ原水木村ヘ十二町」(碑文右端)
「従是 泉川道」(碑文中央)
「常陸廿八社之内天速玉姫神社」(碑文左端)

(台座・碑文)
泉川道標復元の記

泉の水の流れ去るように人の世も しばしの休みとてなく移り変わつて行く
遥かなるみちのくに通ずるこゝ陸前浜街道も かつての岩城海道の昔の面影今は知るよしもなく 昨日の閑かでおおらかな旅人の姿は今日疾風の如く往き来する近代車輛の轟音に代つている
二百年の風雪に堪え時の去来を静かに見守つていた泉川道標も近代交通の波にうちひしがれ 一時は日立製作所厚生園内に退避を余儀なくされていたものであるが 苔むしたこの小さな道標の 日本交通史上に占める意義を考えるとき 群叢中に是をあたら散逸させるに忍びず ここに元の位置に復し再建するものである。

  昭和三十八年三月八日

  日立市大久保町 大窪定一
  日立市森山町  丹 規矩
  日立市水木町  河村佐内


【茨城県日立市大みか町6-15】

史跡 | 10:00:34 | Comments(0)
建物見学会!
今日は建築士会主催の「まちなみ体感ツアー」という”建物見学会”に参加させてもらう。
拙者は建築士ではないが・・・(笑)
水戸藩士の“シミズくん”が建築士で、しかも、今回のツアー訪問場所は、我々が住んでいる県北地区・・・
まぁ、地元をわざわざ見学するというのもおかしなものだが・・・(苦笑)
彼が、「説明役」を仰せつかったようなので・・・
どれどれ・・・どんな説明をするのかな?・・・
お誘いを頂き、以前、「西山荘」を見学したときのように、建築士に”成りすまし”・・・(大笑)
参加させてもらった。

まず、最初に向かったのは、当たり前のことだが、「集合場所」・・・・(大笑)
この「集合場所」が、なんと、はるか南にある某市・・・(唖然)
ここで観光バスに乗り込み、再びわが町に戻るのである・・・(唖然)
なんという無駄なことを・・・(大笑)
我が市のどこかで途中から乗せてくれればいいものを・・・(大笑)
う~ん・・・企画した人って何を考えているんだろう・・・(大笑)
「集合場所」が“とんでもない場所”なので、“シミズ君”のお父さんが、車で送ってくれた。
いやはや、なんとも恐縮・・・

バスに乗り込み、再び我が家の近くの町に戻る・・・(大笑)

先ず最初に向かったのが、「大みかゴルフクラブ」・・・

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“シミズくん”によれば、ここで昔、青年会議所の例会を開いたことがあると言う・・・
拙者は、その時に役員だったはずなのだが、まったく記憶にない・・・(大汗)
滅多なことじゃ欠席をしないから、多分、その例会には参加したのではないかと思うのだが・・・
全く記憶がない・・・(大笑)
ということは・・・たまたまこの時は、欠席したのだろうか?
どうも記憶力が悪い・・・(大涙)

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このクラブハウスは、昭和11年に建てられたもので、設計は、東京大学の安田講堂を設計した岸田さんという人だそうだ。
で・・・建物は「高床式寝殿造り」・・・

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この部分を見ると・・・
素人の目からは、「寝殿」というより「神殿」というように見えますが・・・・(大汗)
まるで神社のような・・・(笑)
で・・・戦後は、進駐軍の宿舎に使われたこともあるそうである。

拙者は“シミズ君”と別れて一人で早々と敷地外に出て周囲を散策・・・
眼の前の道は、その昔の「陸前浜街道」だそうだ。

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道路(旧・陸前浜街道)の二股に分かれる分岐点のところに「泉川道標」という石碑が建っていた。
へぇ~・・・こういうのがあったの?
日立市指定有形文化財との標柱が建っているが・・・・説明板はない・・・(汗)
こういうところが、我が市の“おそまつ”な所だと思う・・・(大笑)
教育委員会は何で説明板を設置しないのだろう?
建立日はよく見えなかったので、わからなかったが・・・・
建立者は奥州岩瀬郡須賀川の泉屋忠兵衛という人物である。
あれ?・・・・地元の人じゃないんだ・・・・
「岩瀬郡須賀川」というのは、今の福島県須賀川市である。
え?・・・何で福島の人が、こんな場所に道標を建てたんだろう?(汗)

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その後、日立市内へ・・・・
「日立武道館」へ行く。
ここは、昔、「共楽舘」という建物で、平成23年に改修された登録有形文化財だとのこと。

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この建物は、東京の歌舞伎座や帝劇を参考にして、大正6年に日立鉱山が建てた建物。
日立鉱山の従業員や地域住民のために歌舞伎や映画、講演会などの催物を開いたというから、「芝居小屋」みたいなものかな?(笑)
日立鉱山の福利厚生施設?(笑)
その後、昭和42年に市に寄付され、芝居等の開催は行なわれなくなり、武道館として使用された。
実は、拙者は中学生の時に、ここで開催された剣道の市内大会に出場したことがある。(大笑)
生まれて初めて公式試合に出場したのが、この場所・・・
完璧に“あがって”しまい・・・気がついたら負けていた・・・(大笑)
いやぁ~懐かしいなぁ~(大喜)

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ずいぶん綺麗になっているが・・・・拙者が戦った場所は、あの辺りである。(笑)
40年以上も前の思い出が甦る・・・
相手は拙者より背の低い奴だった・・・
すばしっこい奴で、あっという間に“胴(どう)”を取られた・・・(涙)
なんであの時、ボ~ッと突っ立ってしまったんだろう?(苦笑)
“面(めん)”を打ち込めばよかったのに・・・
今でも大後悔である・・・(大笑)

ここでもサッサと外に出て、周囲を散策してみる。(笑)

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道路のカーブにあわせて建てられた家のようである。
こういう建物・・・好きだなぁ~(笑)

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こういう古い家も好きである。
素人目にも、軒の部分なんて凄いと思う。(笑)

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「共楽舘」の前の道・・・
昔は、メインストリートで、賑わっていたのではないかと思うが・・・
今は閑散としている・・・(汗)

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「日立武道館(旧・共楽舘)」のすぐ斜め前に「日鉱斯道館」という武道館がある。
武道館の眼の前にも武道館?(苦笑)
こちらは、企業の持ち物だそうだが、剣道の試合はここでよく行なわれているとか・・・
う~ん・・・・どうなんでしょ?
武道館は、こちらをメインにして、共楽舘は建設当時のように“芝居小屋”として復元したほうが面白かったかも。
で・・・・この町並みを再開発して・・・
「川越」みたいな美観地区にして観光客を集めて・・・
などと妄想・・・(大笑)

結構古くて歴史のありそうな建物なのだが、今回のツアーでは、この建物は見学しないらしい。
企業の持ち物だから、うまく話がつかなかったのかも・・・(笑)

次に向かったのは、同じ市内にある「日鉱記念館」・・・

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ここは日立鉱山の跡地に建てられた、JX日鉱日石金属グループという企業所有の記念館・・・
以前から、存在は知っていたが、ちょっと“敷居”が高く見えるので、未だかつてここを訪れたことはない。
随分昔・・・「事前に庶務課に予約をしないと入れない」という話(噂)を聞いたせいかもしれない。(苦笑)
というわけで・・・初めての訪問!(喜)

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この奇妙な形(笑)の建物は、記念館の本館だが、今回は見学時間が少ないので、ここの展示資料の見学は行なわないという。(残念!)
記念館の担当者の案内で敷地内の見学を行なう。

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この建物は「旧・久原本部」・・・
日立鉱山を開発する本部として久原房之助が建てた建物で、茨城県の指定文化財になっている。
この建物を見学するために、ここに来たのかな?
その割には内部の見学ができず、塀の隙間から建物の一部を覗き見るのみ。(笑)

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これは明治末に作られた「電気機関車」・・・・
え?・・・明治末期?
蒸気機関車ならわかるが、電気機関車というのもあったのか?
これには驚きである。
しかも、この電気機関車は昭和35年まで精錬所構内の輸送などに使われていたという。(唖然)

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「第1竪坑鉱石巻揚機」・・・・
これは昭和4年に新設されたアメリカ製の機械・・・

巻揚機室を見学後、鉱山資料館に向かう。

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この建物は、旧・コンプレッサー室・・・
昭和19年に新築されたものである。
昭和19年と言えば、大戦末期・・・物資不足の中で、金属の入手ができず、起重機走行用のレールも木材で作ったという。
地下資源の増産、増産で大変な時期で、設備投資をしなければ対応できないのに、その資材が手に入らないとは・・・
“卵が先か鶏が先か”のような話かな?(笑)

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う~ん・・・・この木造建屋・・・いいなぁ~・・・懐かしいなぁ~(喜)
その昔、拙者の会社も、工場はこういう木造建屋だったのである。
子供の頃、よく工場の中で遊んだものだ。
あの頃の“匂い”がしてくる・・・・あ~・・・年取っちゃったなぁ~・・・俺・・・

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これは大正7年に製造された450馬力の空気圧縮機・・・
削岩機などの空気を動力とする機械の動力源が、この空気圧縮機である。
削岩機というのは空気の力で動いていたのか・・・・知らなかった・・・(汗)

“解説員”の説明など、ろくに聞きもせず・・・(大笑)
拙者は、こっそりと集団から抜け出し、「鉱石資料室」を勝手に見学・・・(大笑)

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あららら・・・すごいコレクションである。(笑)
時間がないので、じっくりと見られないのが残念であるが・・・
5年ほど前のこと・・・
フィリピンのミンダナオ島のスリガオに行った時、現地の「資料館」を訪問した。
展示品のほとんどが、この地で採掘された鉱石である。(笑)
オーナー兼館長と、いろいろとオシャベリしたが・・・
この鉱石だけは、知識がないので、お話にならない・・・(苦笑)
金と銅はわかるが・・・その他の鉱石は英語表記ということもあって、何の石やらサッパリである。
こうなると、知識の有る無しの問題で、英語が話せる話せない以前の問題である。(大笑)
あ~・・・これを先に見ておけばなぁ~(笑)
もう少し館長とも話が弾んだかも・・・(大笑)

次に向かったのは、同じ日立市でも「十王(じゅうおう)地区」・・・
ここは昔は多賀郡十王町と呼んでいたが、平成16年に我が市と合併した。

さて、ここで2班に分かれて見学・・・・
拙者が属する班が向かったのは「江幡商店」・・・・
ご店主にお店の歴史等のお話を伺い、ここの蔵を改造した車庫のような建物を見学・・・(笑)

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この地区の案内役は“シミズ君”・・・(大笑)
しかも、事前に何の打ち合わせも無く、いきなり案内をしてくれと“丸投げ”・・・(唖然)
おい、おい・・・・である。(大汗)

次に向かったのは「日渡酒造」・・・
しかし、この会の担当者は何のアポも取っていなかったらしく、外から酒蔵を“見学”するのみで終わった。(汗)

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次は・・・・「佐野味噌店」のはずだが・・・
予定表には、そう書いてあるのだが・・・・なぜか・・・サラリと通過!(唖然)
あれれ?・・・寄らないの?(苦笑)

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最後に向かったのは「森島酒造」・・・・
明治2年創業の老舗である。
ここで、もう一つの班と交替し、彼らは町の中を見学、我々は酒蔵を見学ということになった。
で・・・“シミズ君”は、もう一つの班を案内して、再び町に戻ることとなる。(大笑)
つまり・・・彼は、ここの見学ができなくなったのである!(大笑)
これは同業者による“イジメ”?(大笑)
いやはや、ご苦労様である。

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「森島酒造」は、太平洋戦争の戦災で蔵を焼失したが、その後、再建・・・
4代目社長と日本画の巨匠・横山大観とは親しい仲だったそうで、大観は酒好きで、よくここのお酒を飲んでいたという。
で・・・大観が、この酒に「大観」と命名したとか。
横山大観が揮毫した「大観」のラベルで有名な蔵元である。
この会社がある場所は、なんと、海岸から直線で30メートル程度・・・・
そういう立地ですから・・・東日本大震災では被害を受けたそうだが、今では無事に復興を果たして操業を再開している。

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酒蔵見学後は、「利き酒」・・・・
拙者は酒よりジュースが飲みたい!(笑)
喉が渇いた!(大笑)・・・・ということで、またまた別行動をとり、自販機を探しに出かけ、ジュースで喉を潤す。(大笑)

時刻はとっくにお昼を過ぎ、午後1時・・・・(唖然)
茨城県国民宿舎「鵜の岬」で昼食をとるという。

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ここは、全国に113ヶ所ある国民宿舎の中で、25年間、利用率1位の施設で有名・・・
なんで、ここが利用率全国1位なのか・・・・拙者にはサッパリわからないのですが・・・(苦笑)
遠くから、わざわざ宿泊だけのためにやってくる人もいるという。
人気があるため、なかなか宿泊の予約が取れないのだとか・・・・驚きである!
しかも、東京駅から直行の高速バスも出ているのである!(唖然)
東京から真っ直ぐやってきて宿泊し、翌日、真っ直ぐ東京に帰るのだそうだ・・・
それじゃダメじゃん!(怒)・・・・地元にお金が落ちないジャン!(怒)
どうして周辺の観光開発に力を入れないのかねぇ~
いずれにせよ、どこに魅力があるのかは知らないけど・・・とにかく有名な施設なのである。
で・・・ここで昼食なのだが・・・
まだ全然用意ができていないらしく、散々待たされる。(苦笑)
こんなに手際が悪いのに、どうして全国1位なのだろう?(大笑)
予約をした方に問題があるのか、予約を受けた施設の方に問題があったのか、どちらのせいなのかは知らないけど・・・(大笑)

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(「鵜の岬」の真下の海岸)

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食後、時間があったので、売店で親父への土産を買う・・・
土産と言っても、今晩のおかずになるようなものを探すのだが・・・(大笑)
あ~あ~・・・・完璧に主夫(主婦?)になっている・・・・(涙)

ここは日本で唯一の海鵜(うみう)の捕獲地である。
ここで捕獲された鵜は、全国各地の鵜飼に“供給”されている。
岐阜の長良川の鵜飼は有名だが、そこの鵜も、ここで捕獲された“茨城弁”を話す鵜である。(大笑)
鵜飼をやっている川は全国に12ヶ所あるそうだが、和歌山の1ヶ所を除く11ヶ所の鵜はすべて、ここの鵜である。
で・・・この敷地内には捕獲のための“囮”になる鵜を飼育していて、見学ができたはずなのだが・・・
それを見に行くという企画はないようで・・・(苦笑)
御土産を買ったら、バスに乗り込み次の場所へ・・・となる。
あ~なんともったいないことか・・・(苦笑)

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仕方がないので、鵜の“模型”を撮影・・・(笑)
ただし・・・ホンモノの鵜は、このような青い色ではありません・・・(苦笑)
カラスと間違われると困るから青くしたのかも・・・(大笑)

次に向かったのは、お隣の高萩市・・・・
「穂積家住宅」・・・・

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ここの門が、また変わった形の門で・・・(笑)
もともとは平屋の長屋門なのだが、昭和初期に2階の部分を乗せちゃったらしい・・・(唖然)
なんだか、どこかのお城みたいになっちゃった・・・(笑)

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「主屋(おもや)」は寛政元年(1789年)に建てられた豪農の家とされていたが、近年の修復の際に安永2年(1773年)建立の墨書が見つかったという。
ここでまた2班に別れ、他の班が「主屋」内部を見学している間、我が班は外の敷地を見学する。

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「軒付け」の意匠が洒落ている・・・

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「小屋梁」もまたスゴイ・・・・(笑)

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「主屋」に併設されている「衣装蔵」・・・
大正4年に建てられた土蔵だそうで、1階は衣装棚、2階には床の間付きの10畳の座敷になっている。

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江戸時代に造られた庭園・・・・

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「前蔵(まえぐら)」・・・嘉永2年(1849年)に建てられた土蔵である。
あら・・・すごい・・・(苦笑)

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「主屋」内部・・・・
ここには今までに2回ほど来た覚えがあるのだが・・・
こんなに立派だったっけ?
内部にも入ったと思うのだが、記憶がない!(大汗)
最近、本当に記憶力が悪くなっているというか・・・思い出せないのである。(涙)
農家の間取りというか造りというか・・・は、みんな似ている気がするのだが・・・
拙者の母の実家は築250年ほどの農家だが、この家に似た間取りである。
ん?・・・・同じ市内だから、まさか同じ大工が建てたというわけじゃあるまいな?(笑)

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また、この「欄間」が凝っている・・・

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トイレ周辺の窓枠とかの意匠もいい・・・(笑)

さて、次に向かったのは、ここからすぐの所にある「たつご味噌醸造(株)」・・・・

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ここの味噌蔵の名前は聞いたことがあるが、来た事はない・・・・
「観光味噌蔵」「直売所」?・・・・へぇ~そうだったの・・・
安政元年(1854年)創業の老舗味噌蔵・・・・

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お味噌の効用を解説したパネルが・・・・
ん?・・・・・「放射性物質の除去」????
そんな効用もあるのか?(驚)

見学後、直売所で「お味噌汁」のサービスを頂く。

次に向かったのは・・・・更にお隣の北茨城市である。
いやぁ~走るわ、走るわ・・・これで3市目である。(大笑)

まずは、「JR大津港駅」前にある「びすとれ」を訪問・・・
「びすとれ」って何のことかわからなかったのだが、「北茨城市の観光案内所」だそうである。

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あらぁ~・・・拙者の好きな赤レンガの建物ではないですか!(喜)
実は、拙者はこの「大津港駅」には来た事がないのである。(笑)
へぇ~駅前に、こんな建物があったの?

この建物は大正初期に海産物の倉庫として建てられたらしい。
ここから鉄道で東京の築地などに送られていたようで、そのために駅前に集積場と倉庫が建てられたらしい。
しかし、赤レンガで建てるとはねぇ~
“ハイカラ”な人がいたんだろうなぁ~
東日本大震災後、今まで長年使われず放置されていた、この赤レンガ倉庫を観光案内所に改修してオープンさせたらしい。

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ここで観光案内所の方から説明を受けるが・・・
この時に、「このレンガの積み方は何と言うか知っていますか?」という質問が出た。
「建築士の方々だからご存知かとは思いますが・・・」と言われたが・・・
誰も答えない・・・(大汗)
え?・・・これは・・・“イギリス積み”ではなかろうか?
素人の拙者が答えたのでは失礼かと思って黙っていたが・・・(大笑)

次に向かったのは、平潟港の眼の前にある「砥上屋(とかみや)」という小さな旅館・・・

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この建物・・・なにやら「旅籠」という雰囲気があるのだが・・・(笑)
2階部分までは江戸末期に建てられたものだそうで、その上の3階部分は明治43年に増築されたものだという。
この港には、何度か来たことがあり、この古い建物も見ているが・・・そんなに歴史がある建物だったとは知らなかった。
しかも、無名時代の日本画の巨匠・横山大観も、この旅館によく訪れていたという・・・・(驚)

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内部を見学させていただき、ご主人からもいろいろお話を伺った・・・
一見、かなり古いオンボロ旅館なのだが・・・
不思議なのである・・・・
失礼な話しになるのだが・・・
あの東日本大震災の時、あの地震で倒壊しなかったのである!(大笑)
普通は、ここまで古いと、どこかしらが崩れるとか、傾くとかしてもおかしくないと思うのだが・・・(汗)
しかも、港の眼の前に建っていたのに津波の被害に遭っていないのである!(唖然)
同じ並びの100mも離れていないところに建っている建物は一階部分が津波でぶち抜かれているというのに・・・
震災後、間もない時に、ここに来たことがあるのだが、かなり被害を受けていた。
が・・・・無傷で生き残っているとはねぇ~
不思議である。
「幸運の宿」と呼んでもいいかもしれない・・・(笑)

209_convert_20150928142311.jpg (目の前は港・・・)

「砥上屋」さんを見学後、かなり時間が余ったようなので、またまた単独行動で(大笑)港周辺を一人で散策する。

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港に「アンコウ」の石像が・・・・
震災後に茨城県石材業協同組合連合会から復興のシンボルとして寄贈されたものらしい。
なんで「アンコウ」なのか・・・・・(笑)
この近くで「アンコウ」が採れ、「あんこう鍋」で有名な場所であるからなのか?(笑)
が・・・・意外なことに気がついた・・・
「アンコウ」は漢字では「鮟鱇」と書く・・・
“安”と“康”の字が入っているのである!(驚)
だから、復興のシンボルとして・・・・としたのではなかろうか?(笑)

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「東日本大震災記録碑」というのが建っていた・・・
津波到達地点(6.7m)が刻まれているのだが・・・・
あの「砥上屋」さんは、この記録碑のある地点より低い位置に建っているのである。
にもかかわらず・・・・被害はゼロ?(唖然)
驚きである!!

実は、一つ、気になる場所がある・・・
海軍の特攻艇「震洋」の格納壕跡である。(笑)
「震洋」とは、爆薬を搭載して敵艦に体当たりをするモーターボート・・・・
その訓練基地がこの港にあって、格納用の壕が掘られて今も残っている。
「戦争遺跡」なのだが、残念ながら「説明板」は設置されていない。
知る人ぞ知るの洞窟である。

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おお!津波に壊されることなく残っていた!(喜)

今回のツアー・・・・見学会は、ここで終了。
ここからバスで再び“集合地点”に戻るわけである・・・(汗)
我が家の前を通過して・・・・(大笑)
そんな馬鹿な・・・ということで、水戸藩士の“シミズくん”のお父さんが、高速道路のインターまで迎えに来てくれるという。
いやはや申し訳なし・・・(汗)

今日は、とてつもなく充実した一日が過せた!
“シミズくん”とお父さんに感謝である!!

日記 | 09:48:49 | Comments(0)
『残念な人の英語勉強法』


はじめに
 もう、英語の勉強は終わりにしよう
 ビジネスに使える英語力を、最短で身につける

本書の使い方

1章 日本人の英語はなぜ通じないのか
 ヘボン式とオードリー・ヘップバーン
 クリエイティブすぎる日本人
 瑣末な過剰品質と重大な過少品質
 道を訊かれたら誰にでも答えるか
 外国人よりも日本人の目を気にしている
 「日本人は英語ができない」のはチャンス

2章 間違いだらけの英語学習
 高校卒業までに英語を学んだ時間は850時間
 英語ではなく、話の内容がわかっていないことも
 伸び悩んだら、学ぶ方向性を変えてみる
 こども英会話で自然に覚えるのは不可能
 子供より大人のほうが英語学習には有利
 大人の勉強にはアンラーニングが必要
 ムダな教材に時間を使ってはいけない
 話すトピックがないのが一番の問題
 「英語ができる」とはどういうことか

3章 もしネイティブがTOEICを受けたら
 TOEICの価値を知るための2つの調査
 ネイティブが受験するとどうなるか
    ①集中力が途切れてしまう
    ②問題を読むスピードが求められる
 ネイティブが正解できない問題
    ①日数を問う問題
    ②複数の意味を持つ単語の、意味を問う問題
    ③文法問題
 実録!ヤマザキが受験したら・・・・
 730点取れたら、TOEICの勉強を離れる
 ビジネスで使えないテスト問題
    ①「as soon as possible」「within 12 hours」
    ②自分の勝手な都合をだらだら書いている
    ③メールですませようとしている

4章 脱・残念な英語
 Effective Business English Speakerのすすめ
    英語力レベル分類表
 初級レベル:Basic Business English Speaker (BBES)
 中級レベル:Intermediate Business English Speaker (IBES)
 上級レベル:Effective Business English Speaker (EBES)
 コミュニケーションを左右するのは、論理思考と態度

5章 説得力の要は発音
 ビジネス英語に正しい発音は絶対必要
 英語の本質は「音」
 音ができれば、英語の問題の半分は解決する
 発音勉強の5ステップ
    ①母音と子音
    ②アクセント
    ③連音
   ステップ1:アルファベットと、1から10までの数字の正しい発音を理解する
    カタカナ発音の通じない16語
   ステップ2:発音記号を理解する
    発音記号の表
   ステップ3:13から19までの数字の正しい発音を理解する
   ステップ4:連語のパターンを理解する
   ステップ5:英語の歌を1曲完璧に歌えるようになってみる
 発音矯正の教材を使う
 発音を劇的に変えるハミングバードの発音教材
    ①1音1音
    ②アルファベット
    ③単語
    ④短文
 うまい発音は純粋にカッコいい

6章 一生もののボキャブラリーと文法
 100円玉の裏は何の花?
 単語帳で語彙力はつかない
 「聞き流し」は時間のムダ
 必要と興味がない分野の語彙は覚えられない
 「聞き込んでしまう」教材がよい
 電話帳の名前と電話番号を毎日覚えられるか
 中学校単語を深く学ぶ
    超重要83単語
 超重要動詞は40語
 動詞の学習法
   ステップ1:単語を検索する
   ステップ2:用例を口に出し、書く
   ステップ3:用例のイメージを頭に思い浮かべる
   ステップ4:その他の意味について繰り返す
   ステップ5:脚注を読む
   ステップ6:慣用句に取り組む
 前置詞につまずかない方法
 日本人の苦手な文法トップ3
   ①冠詞と数の概念
   ②時制
   ③使役の動詞
 自転車と同じで一度覚えたらずっと使える

7章 ビジネス英語のフレームワーク
 英語ができなくても外国人と仕事はできる
 仕事ができると英語もできるようになる
 できる人の話し方はPREP(プレップ)法
 報告書やプレゼンテーションのフレームワーク
 オトナが使っていい表現、悪い表現
 うまくない電子メールの原因
   ①件名
   ②メッセージの並び方
   ③先読み
 仕事の引き継ぎ書を作ってみる
 自分専用の自己紹介文を用意する
   自己紹介例
 フレームワークを正しく英文化する方法

8章 英語以前の学びの本質
 勉強の予定を今すぐ手帳に書き込む
 自習に限界があるのはスピーキングとライティング
 英会話学校の2つのメリット
 スクールによくいる「できる人」と「残念な人」
 レッスン中にノートを取ってはいけない
   ①Commitment
   ②Quality Lessons & Quality Self Study
   ③Effective Review
 海外を見据える経営者は英語の業務マニュアルを作るべき
 コンシェルジュ向けの40時間突貫プログラム

おわりに  Dean R. Rogers

巻末付録
提案書の英文フレームワーク


今年の読書:34冊目



読書 | 08:47:45 | Comments(0)
国内線に英語は必要か?
昨日、那覇空港で重大なトラブルがあった。

全日空機が離陸しようと滑走中に、航空自衛隊のヘリコプターが滑走路を横切って離陸・・・
全日空機は慌てて離陸を中止して、滑走路上に停止した。
ところが、そこに後ろから日本トランスオーシャン機が着陸してきたのである!

二重のトラブルである!
大惨事になりかねない、「ヒヤリ・ハット」の重大トラブルである。

原因は究明中らしいが・・・
どうも自衛隊のヘリコプターは離陸許可を受けずに離陸したらしい。
というか・・・「離陸を待て」と言われた後に、全日空機にたいする「離陸許可」を自分への離陸許可と勘違いした可能性があるという。
トランスオーシャン機のほうには「着陸のやり直し(着陸するな)」の指示が出たらしいが、その時には既に着陸してしまっていたらしい・・・(唖然)

素朴な疑問なのだが・・・
管制官とパイロットの間では英語でやり取りをするそうなのだが、国内線なのに、どうして英語を使わなくてはならないんだろう?(汗)
国際線ならわかるが・・・国内なんですけど・・・日本人同士なんですけど・・・(笑)
なんで英語を使うの?
これが、そもそも間違っているんじゃないのか?

英語でやり取りをするのが、なんとなく格好がいいから英語を使っているのか?(大笑)
管制官からボソボソと英語で指示され、パイロットがボソボソと英語で答える。
聞き取れたの?理解できてるの?・・・お互いに?
「何を言っているのかわからない」と言ったのでは、英語が出来ない奴だと馬鹿にされそうだから・・・
わかったようなつもりでいるだけで、本当は理解していないのでは?

管制官とパイロットのやり取りの録音が残っているなら公表してもらいたいものだ。

管制官の英語の発音が悪かった可能性もあろう?(苦笑)
指示を出したと言ったって、ヘリコプターは離陸しちゃうし、後から来た旅客機は着陸しちゃうんだから・・・(大笑)
話が通じていなかった可能性があるんじゃないか?

日本語でやり取りしていれば、こういうことにはならなかったのではなかろうか?

エッセイ | 13:40:48 | Comments(0)
表彰状を授与?
今日は法人会の総会・・・
今回は珍しく何度も出席するのかどうかを事務局に尋ねられる。(笑)
絶対、総会には出席してくれと言う。
何事だろう?

尋ねてみたら・・・
どうも拙者に表彰状を授与するので、必ず総会には出席してくれとのこと。
はぁ?・・・表彰状?
なんで拙者が表彰されるんだ?(苦笑)
「まぁ、いいじゃないですかぁ~」(笑)と事務局・・・
いや、いや・・・え?・・・・表彰されるような覚えはないんだけど・・・
「俺・・・何かした?」(汗)
「まぁ、まぁ、そう言わず・・・・」(笑)
「理事会で余計な質問をしたからだとか?」
「・・・・・」(ニヤニヤ)
「長いものに巻かれず、頑張ってひねくれたことをしましたね・・・ということ?」(笑)
「まぁ、まぁ、いいじゃないですか・・・」(ニヤニヤ)
「あれ?・・・もしかして、これは俺に対する嫌がらせ?」
「・・・・・」(唖然)

え~・・・・総会でみんなの前で表彰状を受け取るの?(汗)
すごく照れくさいんですけど・・・・(汗)

まさか総会を欠席するわけにも行かず・・・・出席・・・
と・・・なんと、「受賞予定者」は懇親会費は免除とのこと。
あら・・・得しちゃった・・・(笑)

で・・・「受賞予定者」は最前列に座ってくれとのこで、すでに座席まで指定されていた!(唖然)
あらら・・・
拙者は広報委員として、いつも会場の最後列に座って写真を撮っていたのだが・・・
これじゃ、写真が撮れない・・・(涙)
拙者のほうが被写体になるとは・・・(汗)

で・・・表彰状と記念品を頂いて・・・わかった。
拙者が表彰された理由は・・・
「本会の基盤の強化と発展に大きく貢献した功績を称え・・・」ということだそうだ・・・
え?・・・そんな立派なことをしましたっけ?・・・・私・・・(苦笑)

ただ、今回の表彰で最大のメリットがあった・・・(喜)
来賓の一人として税理士会の支部長である我が大学の先輩が毎年参列されている。
いつもササッと帰ってしまうので声をかける暇も無かったのだが・・・
今回は拙者が壇上に上がったので、相手も拙者がこの会に所属していることに気がついたらしい。
総会後、声をかけてくれた。(笑)
彼は確か拙者より1年先輩で、拙者が大学入学時に彼から部活の勧誘をされ、この時にオシャベリしている。
同じ町の出身だということで、35年ぐらい前のことだが鮮明に記憶に残っている。
社会人になってから、どこかで偶然会って名刺を交換した覚えがあるから・・・20数年ぶりの再会ということになるかな?
いやぁ~久しぶりですねぇ~(大笑)

“目立つ”ということも、こういうこともあるから役に立つか・・・(笑)

日記 | 21:14:02 | Comments(0)
年金情報の流出事件
日本年金機構から公的年金の個人情報が125万件も流出したという。
この機構にウイルスメールを送りつけ、不正アクセスにより個人情報を収集したらしい。

外部からの「サイバーテロ」という位置付けとなるのだろうが・・・
果たして日本年金機構が“被害者”かどうかは、わからない。

内部の職員による手引きも考えられるのではないか?(大汗)
その昔・・・不祥事ばかり起こした社会保険庁を廃止して、日本年金機構を発足させ、業務を引き継がせた。
ここの1万2千名に及ぶ職員は公務員ではない。
国から委託されて業務を遂行している“民間人”であろう?

さて・・・この1万2千名の職員の中に、どういう連中が含まれているのだろうか?
そこが気になるところである。
解体された社会保険庁の“残党”が含まれている可能がある・・・
つまり、社保庁時代、使い物にならない不祥事ばかり起こしたダメ職員が紛れ込んでいるということである・・・(大笑)
労働組合運動のほうに熱心な“仕事をしない”連中も含まれているかも知れない・・・
一見、日本人のように見えるけど、実は日本人ではないという“日本国より母国の利益を優先する”人間がいる可能性もある・・・

こういう人間が、共犯者から送られたウイルスメールをわざと開封するということも考えられるのでは?
で・・・「知らずにうっかり開封してしまいました」などと、とぼければいいのである。
”犯罪者”として捕まることは無い・・・

どこかの役所を定年退職して天下った“仕事をする気が無い”という人間が、もし管理監督の役職についていたとしたら・・・
こういう問題への対処など何もしていないだろうなぁ~・・・と思うのである。
「管理が杜撰だ」という非難の声もあるが、杜撰になるのは当たり前のような気がしますが・・・(苦笑)
こういう人たちが職員だとすれば・・・(苦笑)
不正アクセスで流出するのも時間の問題だったのではなかろうか・・・という気もする。
あくまでも、「例えば・・・」という話ですけど・・・(汗)

この流出した個人情報が、どのように悪用されるかが怖いところで・・・
10月から「マイナンバー」が始まるが・・・
これに対応しての「サイバー・テロ」かも・・・
既に入手した今回の個人情報を使用して、「マイナンバー」をどうにかしようと考えているのかもしれない。

「マイナンバー」が導入されると困る人たちがいるだろう。
その昔、私が子供の頃、「国民総背番号制」という言葉を聞いたことがある。
これに猛烈に反対した連中がいる。
背番号を付けられたのでは困る連中である。
おかげで「背番号制」は導入されず、それから何十年後かに「年金」がパーになるようなことが起きた。
「名寄せ」ができず、本人だと確認できないという年金が宙に浮くようなことにまでに発展したのである。
あの時に、「総背番号制」を導入していれば、個人の番号で管理されるのだろうから「年金問題」は起こらなかったかも。

日本人になりすまして日本に住んでいる“日本人ではない”人には「マイナンバー」は迷惑だろうね?
それに対する「前哨戦」かもしれないな・・・

この先、「あってはならないことが起こりました」を何回聴くことになるのやら・・・(大汗)

エッセイ | 14:25:15 | Comments(0)
『この命、義に捧ぐ』


はじめに

プロローグ

第1章 密航船
 「台湾を助けて下さい」
 危機一髪の連続

第2章 内蒙古「奇跡の脱出」
 「一切の責任は私が負う」
 「司令官を死刑に処する」
 熾烈な白兵戦
 つながれた尊い命

第3章 わが屍を野に曝さん
 「この子は誰だ?」
 蔣介石への感謝
 現われた台湾青年
 吉村是二の登場
 家族にも秘して出発
 明石工作の全容

第4章 辿り着いた台湾
 困難だった最終コース
 逮捕された根本将軍

第5章 蔣介石との対面
 「顧問閣下」の誕生

第6章 緊迫する金門島
 厦門からの撤退
 湯恩伯の苦渋の決断
 慌ただしい戦争準備
 「錫麟號」への乗船
 迫り来る共産軍

第7章 古寧頭(こねいとう)の戦い
 湯総司令部の生き残りの証言
 集結するジャンク船
 “金門の熊”の出撃
 始まった激戦
 古寧頭村への退却
 共産軍兵士の悲惨な運命

第8章 貶められる名誉
 国会での追及
 繰り返されたバッシング報道

第9章 釣竿を担いだ帰国
 矢継ぎ早に飛ぶ質問
 悪意を含む報道
 蔣介石から贈られた「花瓶」

第10章 武人の死
 激動の生涯

第11章 かき消された歴史
 写真もない総司令官
 都合の悪い「歴史」とは

第12章 浮かび上がる真実
 父の“誇り”とは
 数奇な運命を辿った「李父子」
 もう一人の台湾総督府人脈
 台湾を守った父親

第13章 日本人伝説
 「死に場所」を求めた軍人
 根本作戦の意義
 大義についた人

エピローグ

おわりに

根本博 略歴
《参考文献》


先日は、中国に残留して戦った日本兵たちの話を読んだ・・・
今回は、「残留」ではない。
戦後になって、わざわざ台湾に渡り台湾のために戦った日本軍人の話である。
これがカネのために請け負ったということであれば“傭兵”ということになるだろうが・・・
これが“義”のため、というところが特異な点・・・
“義勇兵”と言ってもいいと思うが、自国のためではなく他国のために命をかけたのである。
その人物・・・元陸軍中将、根本博の“行動”について書かれたのが本書。
“義”に感じて起こした行動というのは“義挙”と呼ぶのだろうが・・・
なぜか、後世に伝えられていない・・・「歴史」の中に残らない・・・
もしかしたら、その“義挙”は違法行為だったからなのか?
合法ならば“義挙”とは呼ばないかも・・・
違法ではあるが、“義”のために起こすのが“義挙”かも・・・
我が国で延々と語り継がれている“義挙”は一つしかない。
「忠臣蔵」である。(笑)
あれは明らかに赤穂浪士たちの吉良家にたいする「テロ」だと思うんですけど・・・(苦笑)
なぜか、その「テロ行為」は、長年もてはやされている。
ならば、根本元中将の“義挙”も、もてはやされて後世に伝えられてしかるべきだと思うのだが・・・
不思議である。
彼は「テロ行為」を行なったわけではない。
”義理と人情”で台湾の蔣介石に命がけで手を貸しただけである。
「手を貸した」程度では認められないのだろうか?
これは「歴史の秘話」・・・知っておくべき話しだと思う。


今年の読書:33冊目



読書 | 01:03:55 | Comments(0)
『蟻の兵隊』


序章 蟻の兵隊たち

第1章 終戦
       残留の発想
       交わされた密談
       閻錫山という男
       北支派遣軍第1軍
       残留の下地
       影の実力者
       玉音放送
       第1軍司令官澄田■四郎

第2章 密約
       終わらない戦闘
       それぞれの思惑
       送り込まれた男
       帰って来た閻錫山
       一部なら残せる
       深夜謀議
       合謀社(ごうぼうしゃ)の設立
       戦犯の恐怖
       「特務団」編成計画

第3章 軍命
       祖国復興と後衛尖兵(せんぺい)
       説得の殺し文句
       かくして軍命は下った
       軍規は守られていた
       高級幹部の残留
       命じる側の苦悩
       命じられる側の心境
       命令を拒否した者

第4章 偽装解散
       主任参謀ヲ派遣サレタシ
       宮崎参謀の詰問
       閻錫山との対決
       北京からの電報
       偽装解散命令
       政府は知っていた
       隠された残留将兵
       高級幹部の転向

第5章 死闘
       国共内戦のはじまり
       岩田参謀への批判
       第5師団の全滅
       総隊部服務規定
       黒塗りの手紙
       山岡参謀長の帰国

第6章 壊滅
       恐怖政治
       晋中作戦
       包囲された太原
       総顧問への就任
       太原の攻防戦
       逃れた戦犯指名
       澄田軍司令官の帰国
       閻錫山の脱出
       残留日本軍の終焉

終章 真実
       祖国の仕打ち
       厚生省の見解
       澄田、山岡の国会証言
       下級将校たちの訴え
       対立する意見
       つづけられた請願
       再びの国会審議
       裁判

あとがき

文庫版あとがき

主要参考文献

解説 手塚正巳(映画監督・作家)


終戦後、中国に残留した日本兵たちがいた。
北支派遣軍第1軍の将兵2600名が山西省の閻錫山(えんしゃくざん)の部隊に編入され、中国共産党軍と戦ったという。
その期間は3年8ヶ月に及ぶという。
彼ら元日本兵は自らの意志で中国に残留し4年近くも戦ったのだろうか?
その真実を明らかにした本である。


今年の読書:32冊目



読書 | 00:39:21 | Comments(0)