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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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マニラに戻りながら戦跡巡り
我々が宿泊したホテルのある町「バヨンボン」は「ヌエヴァ・ヴィスカヤ州」の州都なのだそうである。
で・・・この州・・・
困ったことに、いつの間にか「禁煙都市」となっていた。(大汗)
人目に触れる場所でタバコを吸っていたら捕まるのだそうで・・・(唖然)
かなりの罰金を取られるとか・・・
喫煙者の拙者としては、甚だ迷惑である!(怒)

が・・・どこにでも「抜け穴」というのはあるもので・・・(笑)
ホテルの裏のゴミ置場の脇に灰皿とベンチが用意されていた。
「人目に触れてはいけない」のだから、ホテルの裏の駐車場近くの「人目に触れない」ゴミ置場ならいいわけである。(笑)

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で・・・ここで堂々とタバコを吸っていたら・・・
ガードマンが、肩を怒らせながら、こちらに歩いてくる・・・
「おい、ちょっと、あんたに注意することがある!」という感じである・・・
ハハァ~ン・・・・こいつ、俺に文句をつける気だな・・・(苦笑)
「おい!ここは喫煙場所だよな?灰皿があるからタバコを吸っていいんだよな?」とこちらから先手を打つ。(笑)
彼は新米のガードマンなのだろう・・・
「あ!・・・OK!OK!]と首を振りながらUターン・・・(苦笑)
やっぱり、拙者の喫煙に文句をつけようとしたらしい・・・(大笑)
本当に面倒くさい州になっちまったなぁ~
もう二度とこんなところにゃこねぇぞ!・・・と言いたいが、「サンタフェ」もこの州の町なので、そういうわけにも行かない・・・(涙)
北部ルソンの戦跡を巡るとなると、どうしてもこの州内に宿泊するしかない・・・(涙)

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午前7時にホテルのレストランで朝食・・・・
フィリピン料理かパンケーキのどちらかを選べというので、パンケーキを選ぶ。
朝から「ご飯」を食べる気がしないが、かといってパンケーキ(日本で言うところのホットケーキ)というのも・・・ねぇ~(苦笑)
他に選択肢がないから仕方がない・・・朝からホットケーキである・・・(苦笑)

午前8時、ホテルをチェックアウトして、これからマニラに戻る予定・・・
途中、時間の許す限り、往路では立ち寄らなかった戦跡に寄ることにする。

国道5号線を南下・・・
ホテルを出発して約1時間後・・・
「サンタフェ」の手前にある「南ボネ」に立ち寄る。
「ボネ」は英語表記では「BONE」なので、もしかして現地では「サウス・ボーン」と発音しているかもしれないが・・・
我々日本軍は「南ボネ」と呼んでいた。

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ここには20歳そこそこの士官候補生約500名を中心とした「戦車撃滅隊」が米軍の北上を食い止めるため、爆弾を抱えて米軍の戦車に体当たり攻撃をかけた場所である。
この攻撃では、我が戦車第2師団の残存戦車数両も攻撃に参加したが全滅・・・・
士官候補生たちの体当たり攻撃で数両の米軍の戦車を破壊したらしいが、ほとんどは戦車に行き着く前に機銃掃射でやられて全滅した・・・・
慰霊碑は個人の敷地内にあるので、家主に挨拶をしてお参りをする。

さらに南下し、「サンタフェ」を通過し、九十九折の山道を登っていくと・・・「バレテ峠」・・・
「南ボネ」を出発して約1時間後の午前9時40分ごろに到着・・・
この「バレテ峠」は北部ルソンの戦いでも著名な場所である。

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展望台から見たバレテ峠、国道5号線・・・・
一応、写真は例の如く、パノラマのように繋がっている・・・(笑)
左が北の「サンタフェ」方向、右が南の「マニラ」方向・・・・
右から左に向かって、マニラから北上する日本軍と在留邦人がこの峠を越していったのである。
で・・・米軍も後ろから追いかけて来た・・・
で・・・2枚の写真のちょうど、くっ付いたあたりが「バレテ峠」の頂上となる。

マニラ方面から追撃する米軍を阻止するため、この峠を中心とする山々に鉄兵団(姫路で編成された第10師団)を中心とする日本軍が防御線を敷いた。

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日本の慰霊碑をお参り・・・
碑には「鉄兵団」「撃兵団(戦車第2師団)」「泉兵団(中国・華北で編成された第26師団)」の名が刻まれているが・・・
撃兵団の主力は「サラクサク峠」で戦っているし、泉兵団の主力はレイテ島で戦っていたと思う。
なんで、この2つの師団名がここに刻まれているのか知らないが・・・
多分、一部の部隊がここで戦っていたためだろうが、3個師団が戦っていたように勘違いされるのではなかろうかと、毎回ここに来るたびに思うのである。
それより、雑多な細々とした部隊が参加していたと思うのだが・・・
そういう部隊名を記してあげるべきではなかったかと思うのである・・・・

162_convert_20150812211506.jpg (由来碑)



碑の由来

この地は 昭和48年(1973)日本政府派遣の戦没者遺骨収集団が この地域の戦没英霊のご遺骨を荼毘に附し 残灰を埋葬した所である
この十字形追悼之碑は 日比親善慰霊会が住民の協力に感謝し サンタフェ町に公民館を寄贈したことに対し 当時の町長 トム・チェンガイ氏が 日比親善と永遠の平和を願って土地を提供し建てたものである

日比親善慰霊会



この日本の追悼碑などの碑が建つ場所の、直ぐ近くに、中国人の慰霊碑が建っている。
米軍に協力して戦った中国系フィリピン兵8名の慰霊碑で、「抗日義士」の記念碑だそうだ。
いつまでたっても「抗日」の文字を使いたがる“中国人”の神経が拙者には理解できませんが・・・
それで「日中友好」なんて無理だと思うんですけどねぇ~

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DEDICATED TO THE MEMORY OF
OUR 8 COMRADES-IN-ARMS, WHO FOUGHT ALONG SIDE ALLIED LIBERATING ARMY (25 DIVISION, 161 INFANTRY) AND PAID THE SUPREME SACRIFICE DURING MOP-UP OPERATIONS IN THE SUMMER OF MAY 1945, AGAINST REATREATING JAPANESE FORCES AT STA.FE, NUEVAVISCAYA. MAY THEIR BRAVE HEROIC EFFORTS INFIGHTING FOR FREEDOM SERVE AS A SHINING MODEEL FOR ALL PEACE-LOVING MEN AND WOMEN FOR ALL TIMES TO COME.
EX-CHINESE OVERSEAS WARTIME HSUEKAN MILITIA
(EX-COWHN)
ERECTED THIS 7th DAY OF MAY 2001



ちょっと面白いのだが・・・
この碑に英文の碑文と並んで中国語の碑文があるが、読んでみると、書いてある内容が微妙に違うのである。(唖然)
中国語で書かれている内容が、そのまま英文で書かれているわけではないのである。
英文の方には平和というような文面があるが、中国文のほうには、そういう文言は入っていない・・・
“建前”と“本音”?
“外面”と“内面”?
二面性がチラリと見える碑文のような気がする・・・・(汗)

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国道5号線のバレテ峠頂上脇には、昔から「塔」が建っている。
ちょっと低めの展望台のような塔であるが・・・
ここに「ダルトン・ヒル」の文字がどこかにあったような気もするのだが、見当たらない。
米軍側の司令官であるダルトンが戦死した場所なので、「バレテ峠」は「ダルトン・ヒル」とも呼ばれている。
どこかにそういうことが書かれていたから拙者は、その事を知ったと思うのだが・・・
どうも人間の記憶というものは当てにならない・・・(大汗)
というより・・・拙者の記憶はかなり当てにならない・・・が正しい言い方か?(苦笑)

ようやく、嵌め込まれていたプレートを発見・・・


ERECTED IN HONOR OF THOSE SOLDIERS OF THE 25th DIVISION WHO SACRIFICED THEIR LIVES IN WINNING THIS DRSPERATE STRUGGLE.

BALETE PASS

IN TAKING THIS PASS 7403 JAPS COUNTED KILLED 2365 25th DIV. KILLED & WOUNDED
MAY 13, 1945



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ここ「バレテ峠」は、「ヌエヴァ・ヴィスカヤ州」と「ヌエヴァ・エシハ州」との州境にあたる。
国道5号線上に見える“門”に「NUEVA ECIJA」(ヌエヴァ・エシハ)の文字が見える・・・
写真の向うがマニラ方向・・・・あの“門”から向うが「ヌエヴァ・エシハ州」となり、こちら側は「ヌエヴァ・ヴィスカヤ州」ということである。

午前10時半過ぎに、この峠を出発し南下・・・
往路で立ち寄った「プンカン」の慰霊碑前を通り過ぎ・・・
まもなく道路工事の大渋滞に巻き込まれながら「サンホセ」に到着・・・・
ちょうどお昼なので、いつも立ち寄るレストランに今回も立ち寄り昼食をとる。

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食後、マニラに戻るまで、まだ余裕があったので、折角なので「サンホセ駅」の駅舎跡を見に行く事にする。
ずいぶん昔に一度だけ行ったことがあるが、正確な場所は覚えていない・・・(苦笑)
“ステラさん”も、しばらく来ていないので、記憶があやふやだというので、通行人に尋ねながら向かう・・・

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駅舎の前の道は、心なしか、少し広くなっているような気がするが・・・
拙者の気のせいかも・・・(苦笑)
駅舎も、以前、拙者が来た時とは雰囲気が変わっていた・・・
あの時は、そのまま倉庫か何かに使われていたような感じだったのだが、今回来て見たら、駅舎の外壁にトタン板で雑貨屋のような小屋が併設されていて誰かが住みついているように見える。
あらら・・・変わっちゃったなぁ~(汗)

この「サンホセ」という町は交通の要衝にあたる。
日本軍占領当時は、この町は各種物資の集積所となっていた。
この「サンホセ駅」は、そういう物資が鉄道で運ばれてきた駅である。
で・・・終戦後は、この駅から多くの日本兵捕虜がマニラ方面に輸送された。
小さな駅舎なのだが、貴重な「史跡」だと拙者は思っているのだが・・・・
どうも「史跡」扱いにはなっていないようである。

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「サンホセ駅」のプラットホーム跡・・・
写真の左端に線路があったが、今は消滅している。

この駅舎跡は、以前はフェンスなどでは囲まれていなかったのだが、今はしっかりとフェンスで囲まれている。
どうも個人の所有地になっているようなので、わずか5分程度でササッと写真を撮って立ち去ることにした。(苦笑)

ここから真っ直ぐマニラに向かう。
マニラ市内に入ったら、かなりの渋滞に巻き込まれるだろうと覚悟していたが、なんと幸運なことにほとんど渋滞していない。
“デグチ支局長”も「普段は、このあたりで大渋滞に巻き込まれるはずなんですが、今日はスムーズですね」と驚いていた。
ん?・・・我々の日ごろの行いが良いからじゃないのかな?(大笑)

午後5時過ぎにはホテルに到着!
初日に宿泊したホテルと同じホテルを予約しておいた。
このほうがドライバー君も拙者を送り届けるのが楽だろうと思ったからである・・・(笑)

さて、今晩の夕食はどうしようか・・・
2泊3日の取材旅行御苦労様でした・・・と、ここでお別れしてもいいのだが、いろいろとお世話になったし・・・
お礼を兼ねて支局長に夕食をご馳走しよう!
一旦、お別れして、夜、改めてお会いして食事をすることにする。
“ステラさん”も食事に誘ったが、遠慮されたので、2人で食事に行く事になった。
で・・・“ステラさん”にはこの3日間のガイド代を支払う。
今回は、航空券とホテルの手配と、空港からホテルまでの送迎のみを旅行社にお願いして、ガイドは拙者が個人的に雇う形にしていたのである。

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今回宿泊する部屋から見た景色・・・
おお・・・なかなかいい景色である・・・(笑)

午後7時過ぎ、改めて支局長に迎えに来てもらい、食事に出かける。
お礼をするための夕食なのに迎えに来てもらったのでは迷惑か?(大笑)
迎えに来てくれたドライバー君は、今回の取材旅行のドライバー君とは別の人だった。
公用と私用とはキッチリと区別されている。
彼はプライベートに雇っているドライバー君だそうである。
あら・・・益々申し訳なし・・・(汗)

さて、夕食は拙者の希望でステーキを食べることにする。(大笑)
拙者がご馳走するはずなのだが・・・つい、自分の希望を言っちゃった・・・(大笑)

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「シカゴ・ステーキハウス」という、ちょっと高級なレストランで食事・・・
今回の取材記事は、適当なタイミングで配信するという。
あとは・・・各新聞社が、その配信記事を採用して掲載してくれるかどうかだが・・・
仮に「日の目」を見なくとも、支局長にサラクサク峠の戦闘について知っていただけただけでも嬉しい。
今回の旅行では何から何まで支局のほうで負担してもらったので、この食事代だけは拙者が出そうとしたのだが・・・
逆に世話になったのだからと固辞される。
じゃぁ、割り勘に・・・と提案したのだが、これまた却下・・・(涙)
結局、この夕食まで負担してもらって恐縮至極・・・・
いやぁ~参ったなぁ~(大汗)
何のために誘ったのやら・・・である・・・・

午後9時過ぎ、食事を終え、ホテルまで送ってもらいお別れ・・・
最後の最後まで大変お世話になってしまった・・・申し訳なし・・・感謝、感謝である。

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旅行 | 10:22:03 | Comments(0)