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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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それは寿司では?
半ボケの親父との会話・・・・

「今日の晩御飯は何がいい?」
「あれ・・・あれがいいな・・・」
「あれって何?」
「あれだよ・・・あれ・・・ご飯!」
「ご飯?」
「あれだよ・・・何だっけ?・・・ほら・・・そう!・・・魚と、ご飯!」
「魚と、ご飯?・・・煮魚とご飯か?」
「そうじゃなくて・・・あるだろう?・・・あれ・・・魚がご飯に張り付いてるやつ・・・・」
「魚がご飯に張り付いてる????」
「ほら、あれ・・・何だっけ?」
「ん?もしかして・・・寿司のことか?」
「そう!それだ!寿司!」
「・・・・」(唖然)

魚が、ご飯に張り付いてる?
なんだか、食欲が湧かなくなってしまった・・・・(苦笑)
食べたくねぇなぁ~・・・魚がご飯に張り付いてるなんていう食べ物・・・(大笑)

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日記 | 16:56:10 | Comments(0)
イスラム教徒は何してる?
先月、日本人フリージャーナリストなどが、過激派組織「イスラム国」に殺害されたが・・・
(遺体を確認していないので、実際に殺害されたかどうかは明言できないと思うが・・・)

彼ら日本人が過激派の人質となった段階から、日本国内外の「イスラム教徒」たちは、彼ら「イスラム国」と名乗る過激派と「イスラム教」は無関係だと言う・・・・
確かに、そうかもしれない・・・
「悲しい」「許せない」「イスラム教は過激な宗教ではない」等々、いろんな発言をイスラム教徒はしておりますが・・・

それだけ?
何もしないの?
彼ら「イスラム国」と名乗る過激派(テロリスト?)は、「イスラム」を名乗って、「悪い事」をしているんですけど・・・
それって、「イスラム教」を冒涜する行ないではないだろうか?
「アラー」の神様を冒涜しているんじゃないか?
その過激派達に、敬虔なイスラム教徒は何もしないのか?
鉄槌を下さないのか?
彼らを抹殺しないのか?(汗)

コーランに落書きしたり、破ったり、火をつけたり、足で踏みにじったら、イスラム教徒は激怒するでしょ?
「イスラム国」は、それ以上のことをしているんじゃなかろうか?
イスラム教を汚しているのではなかろうか?
そういう場合は、イスラム教徒が自らの手で始末をつけるべきではなかろうか?

「イスラム教を理解してください」程度で御茶を濁すのか?
そういうことだから、欧米人なんかに、自国を引っ掻き回されるのではなかろうか?

それとも、表向きは「イスラム国」を非難しても、本心は逆なのか?
イスラム教の「聖職者」はなぜ大人しくしているんだ?
イスラム教を布教し、人々を教え導くのが「聖職者」なんでしょ?
間違ったことをしている場合・・・イスラム教の名をかたって「悪事」をはたらいている場合・・・
聖職者はどうすべきだとコーランには何か書いてないのだろうか?
黙認か?(汗)
わからん・・・・

これでは、「本当のイスラム教(教徒)を理解をしてくれ」と言われても無理である。
犠牲になった日本人に同情されてもねぇ~
口先だけなら何とでも言える・・・

エッセイ | 21:35:25 | Comments(0)
『昭和史 忘れ得ぬ証言者たち』
昭和史 忘れ得ぬ証言者たち (講談社文庫)昭和史 忘れ得ぬ証言者たち (講談社文庫)
(2004/12)
保阪 正康

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プロローグ

第1章 歴史に生きる実像

犬養道子
「5・15事件では被害者が肩をすくめるという時代でした」
東條カツ
「開戦前夜、主人は官邸の一室で泣いておりました」
瀬島龍三
「大本営参謀時代は、皮膚がはがれるような思いをしたな」
美濃部 正
「死ぬための特攻命令を下す権利は誰にもない」
実松 譲
「海軍側から見ると陸軍の指導者は愚かだった」
石井秋穂
「私は日米開戦時の政策起案者だが・・・」
中谷武世
「大東亜戦争肯定論者は、ベトナム戦争に反対しなければならない」
末松太平
「2・26事件というのは見る人によって違うからね」
赤松貞雄
「君、そりゃあ戦争などしたくなかったよ。それなのに海軍さんが・・・・」
片倉 衷
「2・26事件で私を撃った弾丸はこれなんだよ」
煙石 学
「1941年12月7日、ワシントンの日本大使館にて」
赤柴八重蔵
「本土決戦を相模湾で戦ったら、日本はどうなったか」
牛嶋辰熊
「東條、斬るべしの覚悟はあったが・・・」
斎藤六郎
「シベリア抑留はなぜ起こったか、を解明するのが私の役目だ」
鈴木貞一
「モノがないからあの戦争を始めたんだよ」

第2章 昭和史を貫く心

秩父宮妃殿下
「昭和16年秋、あの年は雨の多い年と記憶しております」
麻生和子
「彼(父・吉田茂)は男性として魅力的な人物でしたね」
三木睦子
「三木内閣の時代に出会った意外なこと」
高坂正堯
「戦後は父・正顕のことでいじめられたなあ」
佐藤千夜子
「『東京行進曲』は私が唄った歌なのよ」
槇枝元文
「敗戦直後の教育内容がもっともよかったね」
新関欽哉
「ベルリンと東京で二度の敗戦をむかえて思ったこと」
高橋雄次・昭治
「お前は日本人か、日本人なら許さない、と殴られたよ」
高橋清寿
「石原将軍が死の床から起ちあがるのを見た」
細川護貞
「昭和16年10月、近衛はなぜ内閣を投げだしたか」
森 恭三
「1967年の年間分析の見方はあたっている」
西 春彦
「日米安保条約が危険だと指摘したのは、戦前の枢軸外交を知っていたからだ」
岡部長章
「昭和天皇は『今のはどうであったろう』といわれた」
大井 篤
「21世紀、日本の生きる道はどのような道か」
佐藤作治
「プリンス・オブ・ウェールズを沈めた1枚の海図」
矢次一夫
「君の質問は、前提そのものを知らない」
宇佐美 毅
「田中さんの内奏は不思議な光景だったようです」
酒井美意子
「旧華族の目で昭和史を眺めると・・・」

第3章 先達の飾らぬ一言

美作太郎
「著作者としての自分の権利を大切に守ることだね」
花山信勝
「7人のA級戦犯は法話に関心をもちましたね」
湊 守篤
「今にして思えば、自分には勇気がなかったんだね」
黒川利雄
「こんなに短期間に食生活を変えた民族はいないよ」
鈴木永二
「人権とは私権と対峙させて考えるべき重いものです」
三宅正一
「百年後に社会党の非武装中立論は認められるだろう」
中村克郎
「戦没学徒の志を継いでいきたい。それが『きけわだつみのこえ』を編んだ理由です」
松田権六
「60年ひとすじ、この右手こそ私自身だったのです」
伊藤昌哉
「政治家は誰もが心にエアポケットをかかえこむものだ」
堀 栄三
「これからの日本は耳の長い兎になるのが得策です」
中野雅夫
「人間にはニセモノとホンモノしかいないよ」
長谷川 保
「私はこの世で社会福祉事業を行なうために生まれてきた男だね」
木川田一隆
「時代は国民的意識から全人類的意識へと進んでいる」
橘 孝三郎
「私の皮膚の外側は日々矛盾と戦っている」

第4章 一路邁進に生きた人

森 勝衛
「欧米航路の船長50年、英国人作家との友情・・・」
服部四郎
「人生、60歳になって初めて考えたことがある」
森 元治郎
「ポツダム宣言受諾のスクープは命がけだった」
江田五月
「確かに父はひどい状況でがんばっていたと思いますよ」
茂利 要
「フェルマーの定理に挑む、それは私のアリバイです」
藤山覚一郎
「家族から見れば、父・愛一郎は幸せだったと思いますよ」
八木秋子
「革命家としての人生には後悔はしていない」
吉岡隆徳
「ひたすら走ること、それが私の人生だったね」
田原総一朗
「これほど面白い時代はないだろうね」
大森亮雅
「僧侶・医師として見た日本人の死生観は・・・・」
山田順造
「孫文さんを助けた伯父山田良政を心底から尊敬しています」
遠藤三郎
「軍備亡国、これが私の人生を通しての結論です」
吉村 仁
「医師優遇税は国を亡ぼす税制である」
藤原石山
「熊沢天皇などあのころの自称天皇は私がお墨付きを与えた」
宮本政於
「近代日本史を精神分析してみたいのだが・・・」

エピローグ

あとがき

文庫版あとがき

解説に代えて
対談 ケーディスの想い出
(山田久俊・保阪正康)
   GHQのほうが「話せばわかる」
   吉田茂のある一面
   木の上から見下ろして
   マッカーサー・ノート
   発言にブレなし
   「リスポンシブル・ガバメント」


今年の読書:15冊目



読書 | 00:46:46 | Comments(0)
夢の中の世界
昨晩、久し振りに夢を見た・・・

で・・・いつも気になっていることがあるのだが・・・
なぜか、夢の中に出てくる「我が家」は、現在の我が家ではなく、建て直す前の古い我が家なのである。
これが、どうしてなのかわからない・・・
今回の夢では、拙者は昔の我が家の狭い台所に立っているのである。
物心が付いてから大学卒業までの間、存在していた「我が家」・・・・
なぜか、その後に建て直した現在住んでいる家はいまだかつて一度も夢に出てきたことがない・・・(汗)

会社も同様で・・・
工場は拙者が高校生の時に建て直したが、夢に出てくるのは幼い時に見た、あの木造の古い工場なのである。
新築した後の工場はいまだかつて一度も夢に出てきたことがない・・・
新しくなった工場で20年も働いていたというのに・・・

どうしてなのだろうか?
不思議でならないのである・・・・

日記 | 23:20:43 | Comments(0)
『大本営機密日誌』
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大本営機密日誌

元・大本営参謀 戦争指導班長 種村佐孝 著
昭和27年4月10日 再版発行
定価 230円
発行所 ダイヤモンド社



本書に寄せる言葉 (重光 葵)

はしがき

本書を讀む人々のために
  戦争指導とはどんなことか
  日本の戦争指導はどうして行なわれたか
  大本営とは何か
  戦争前後を通じ情勢の推移をどう見るべきか
  開戦前
  開戦後

第1部 開戦前(自昭和14年12月 至同16年12月)

第1章 どろ沼の支那事変・南方問題の発端
     16年から自発的に支那撤兵と決る
     独軍の戦果拡大から陸軍部内の大転換
     宿命の西原機関、佛印へ第一歩
     近衛新内閣、鵜呑みの時局処理要綱
第2章 無理押しの北部佛印進駐
     平和交渉か強行進駐かで省部対立
     果然・富永第一部長の独断
     澤田次長、泣いて馬謖を斬る
     米ソを対象とせぬ三國同盟
     参謀総長も遂に引責交代
第3章 虚々実々たり汪・蔣工作
     汪清衛・撤兵問題で頑張る
     蔣介石より和平交渉の返電
     杉山参謀総長に痛い御下問
第4章 泰と南部佛印へ伸びる触手
     海軍から日泰軍事同盟を提案
     開戦1年前の物的国力判断
     またも統帥部の黒星
第5章 大見得を切る松岡外相
     強引にまとめた泰・佛印講和会議
     陸海軍、次第に穏健論に落つく
     スターリンの先手・中立条約
第6章 寝耳に水の日米交渉
     不用意のうちに交渉開始
     松岡外相、交渉に気乗り薄
     南方対策漸く決す
第7章 右せんか左せんかー独ソ開戦
     田中作戦部長の凄い剣幕
     海軍、強硬策に腰をあぐ
     塚田次長、外相の親独論を痛撃
     満ソ国境に配すわが陸軍80萬
第8章 強腰の米国、交渉第二段階へ
     わが南部佛印進駐に米英強硬
     突如!満ソ国境に警報
     対ソ武力行使を断念
第9章 沸きたぎる対米英戦決意論
     海軍側の国策遂行案
     戦争決意論に陸海妥協案
     日米両巨頭会談に臨む近衛総理の肚
     近衛内閣、統帥部の強腰に行詰る
第10章 やむなし、開戦決定の一瞬
     開戦前のわが国力判断
     激論16時間、遂に服従案へ
     交渉纏ると信じた乙案の原文
     対米英戦終末促進腹案
     恨みは深し、ハル・ノート

第2部 戦争前期(自昭和16年12月 至同19年2月)

第11章 一ぱい喰わす“盟邦”ドイツ
     駐独武官から意外の請訓
     ドイツとの利害のくい違い
     陸海軍、戦略思想の対立
     一部に起きた和平論
     敵の奇襲、逃した好機
     陛下・空襲俘虜を御心配
第12章 図にのった膨張作戦
     南太平洋へ雄大な作戦
     イタリヤから直通連絡機
     独、我に対ソ参戦を要望
     ガ島へ米軍反攻の先触れ
     くすぶる大東亜省問題
第13章 船を!船を!船を!
     船舶徴傭で省部噛み合う
     田中第一部長に怒鳴られた東條総理
     作戦遂行に厳格な制限
第14章 躍る政治・下る戦力
     支那事変処理方針の大転換
     大東亜新秩序へ政治攻勢
     今度は陸海軍で飛行機の奪い合い
     確保を誓う絶対国防圏
     ミイラ採りミイラとなった遣独使
     19年年頭の作戦指導の構想

第3部 戦争終末期(自昭和19年2月 至同20年8月)

第15章 密かに動く終戦企図
     陸海軍大臣と総長を一体化
     後宮次長の陸海空軍一体論
     空ッポだった絶対国防圏
     秩父宮に東條大将の弁明
     サイパン逆襲は断念す
     参謀本部内に最初の終戦企図
第16章 東條内閣退陣の内幕
     日満支の自給自足態勢へ
     未曾有の内奏とり消し
     梅津総長、東條の陸相留任を拒む
第17章 ソ連と重慶へ和平打診
     小磯総理、現役復帰ならず
     日本、ドイツを見放す
     最高戦争指導会議に筋金入らず
     意味深い三笠宮の走り書
     大譲歩の対重慶和平条件
     ソ連、わが特使派遣っを拒絶
第18章 死地を求める連合艦隊
     陸から指揮する豊田長官
     ソ連はじめて日本を非謗
     毒殺!ソ連に盗まれた暗号書
     底をついた軍需生産力
     比島決戦思想は消滅
第19章 思想の擡頭
     陸海軍の統一合同を計画
     陸軍の簡素化に着手
     本土決戦用に39ヶ師団
     東條大将過去の誤を述懐
     賢明、トルコ洞ヶ峠を下る
     終戦半年前のわが海軍勢力
     小磯総理はじめて大本営に列す
     期待空しく去る陸海軍統合
第20章 板ばさみの鈴木終戦内閣
     ヒットラーの負け惜み
     ソ連軍、極東の動き急
     日本ひとり世界を相手に
     ソ連を通じて和平斡旋
     梅津総長、含みある一言
     終戦方法に悩む阿南陸相
第21章 画餅に帰す二つの終戦外交
     最高会議に牧野元老列席論
     肚をさぐり合う御前会議
     鈴木内閣、議会でもみくちゃ
     近衛公に早期終戦を進言
     重慶代表と和平工作始る
     ソ連大使館の婦女子引揚げ
     ポツダム宣言に二つの判断

附表
  陸軍中央部変遷表
  太平洋戦争年表
  登場人物略歴


今年の読書:14冊目



読書 | 23:33:59 | Comments(0)
『DAVAO CITY』
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DAVAO CITY
ITS HISTORY AND PROGRESS

BY GLORIA P. DABBAY



PREFACE

A Brief History

WELCOME TO DAVAO CITY
 PREMIER CITY OF THE SOUTH

CHAPTERⅠ
 DAVAO CITY:QUEEN CITY OF THE DEEP SOUTH
   Geographical Setting
   Political Subdivision
   Physiography
   Climate
   The Economy of Davao City
   The People in General

CHAPTERⅡ
  HISTORY OF DAVAO
   The Origin of Davao
   The Peopling of Davao
   Period of Spanish Conquest and Colonization,1848-1899
   The Introduction of Christianity
   Jesuit Priests with natives of Davao
   Community Living
   The Local Government
   Early years of American Occupation
   The Municipality of Davao
   Masonry in Davao
   Davao During the Commonwealth Period
   Davao as a Chartered City
   The Short-Lived Japanese Period 1941-1944
   The Liberation of Davao City 1945-1946
   Davao City under the Third Philippine Republic
   First Election Under the Republic
   Subsequent Elections and Davao Politics
   Social Role of the Dabawenyos
   Araw Ng Davaw Celebration
   Kadayawan Festival

Chapter Ⅲ
 The Distinguished Dabawenyos
   SANTIAGO PALAD
   ARSENIO SUAZO
   MANUEL GENEROSO CABAGUIO,SR.
   ELIAS LOPEZ

Chapter Ⅳ
 The Pioneer Migrant Achievers from Luzon,the Visayas and Foreign Lands
   VICENTE FERNANDEZ
   CIRIACO R.LIZADA
   JUDGE JOAQUIN RODRIGUEZ
   FELCIANO INIGO
   DESIDERIO GIL
   JURIAN RODRIGUEZ,SR.
   JUAN SARENAS
   PEDRO L.TESORERO
   PEDERO S.CARRIEDO
   CIPRIANO VILLAFUERTE,SR.
   TOMAS D.MONTEVERDE
   ENGR.CASIANO A.SALAS
   DR.SANTIAGO P.DAKUDAO
   ROMUALDO C.QUIMPO
   SISENANDO PARAS
   MARTINIANO AND RAYMUNDA CAPILI
   MANUEL P.BABAO
   ROGELIO“NONING”LIZADA
   HARDEN MONROE JOYCE
   LIM JUNA
 Exemplary Women of Davao City
   SOLEDAD R.DUTERTE
   CARMEN M.SORIANO

Transformation of the San Pedro Catholic Church

SPANISH ADMINSTRATORS OF DAVAO IN CHRONOLOGY

DEL CAMPO FAMILY TREE

AMERICAN ADMINISTRATORS OF DAVAO

FILIPINO GOVERNORS OF DAVAO PROVINCE

MAYORS of DAVAO CITY

Davao City Councilors From 1937 to 1998

1987 MEMBERS OF THE SANGGUNIANG PANLUNGSOD
1988 MEMBERS OF THE SANGGUNIANG PANLUNGSOD
1992 MEMBERS OF THE SANGGUNIANG PANLUNGSOD

Proclaimed winners in the May 8,1995 Davao local election

PROCLAIMED OFFICIALS Davao Local Election May 11,1998

LIST OF DATU BAGO AWARDEES

Mutya ng Dabaw Past Title Holders

BIBLIOGRAPHY


本書は、ミンダナオ島・ダバオにある「フィリピン・日本 歴史資料館」で購入した本。
少しダバオについて勉強してみようと買ってみたのだが・・・
読後の感想は、なんとも不愉快なものとなった。

一般的な歴史の記述に関してはまぁまぁの内容である。
ダバオの先住民やスペイン統治時代のスペイン人宣教師の名などは一人一人挙げて記述されている。

私の興味のある部分は日本人に関する部分・・・
ダバオには多くの日本人移民が住んでいたといわれている。
その数は、2万名ほどもいたようで、日本人街(日本人町?)もあったそうだが、そういうことには詳しく触れられていない。
日本人移民については「合法もしくは非合法な手段で土地を取得して住み付いた」と記述されている。
あえて「非合法な手段」という言葉を使っているところに、この著者の思想が垣間見える。
じゃぁ、中国人(華僑)に関してはどうなんだというと、そういうことには触れていない・・・

ダバオの町は日本人移民によって大きく発展したと言われているのだが、そういう業績に関しては触れていない。
太田興業や古川拓殖などの日系企業が活躍し、町が大きく発展したはずだが・・・
「そういう会社もありました」という程度の記述である。

それより、あるフィリピン人実業家の名前を挙げ、彼が大きく貢献したことになっている。
(そういうこともあるだろうけど・・・)
「彼は決して悪いことをして金持ちになったのではない。勤勉な日本人を使ったので金持ちになったのである」と書かれている。
日本人移民は、フィリピン人にこき使われたただの労働者という扱いである。

太田興業が設立したミンタル病院のフィリピン人医師については個人名を挙げ大きく顕彰しているが、この病院には日本人医師もいたはずなのに、それに関しては全く触れられていない。
まるで、この人物だけが立派な医者だったような書き方である。
ミンタルの病院が地域に対してどういう役割を果たしていたのか知りたいのだが・・・

どういうわけか、ある一人の日本人移民の名を挙げ、顕彰している。
わざわざ「この日本人は良い人です」と書いている。
「この日本人は」と断りを入れているところがミソで、「この人」以外の日本人は「良い人」ではないと、暗にほのめかしているとしか思えない。
どうして、この日本人だけは特別扱いなのか・・・
この日本人の子孫と著者は何らかの利害関係があるのだろうか?

太平洋戦争時のダバオに関しての話しに興味を持っていたのだが、この時期の話は、わずか1ページ程度しか記載されていない。
しかも呆れた話が書かれている。
太平洋戦争の開戦時、「日本軍機はアメリカ軍機にカムフラージュしてダバオを空襲した」と記述しているのである。
どこから、そんな話を仕入れたのかはわからないが・・・
著者の年齢が不明なので、伝聞なのか本人の体験談なのかもわからないが・・・
日本軍機が日の丸を消して米軍の星のマークでも付けて空襲したというのだろうか?
明らかに間違った記述である。
暗に日本軍は卑怯な手を使ったとほのめかしているように思える。
そして、ダバオを占領した日本軍は残虐非道な行為をしたと、これまた「お決まり」の一文・・・・
が・・・具体的な話は何も書かれていない。

ダバオにはいくつもの日本軍の航空基地が設けられ、海軍の基地も置かれていた場所である。
いわゆる軍事的に重要な拠点でもあったのであるが、そのあたりの具体的な話は何も記されていない。
駐屯していた日本軍の兵力も指揮官名も何も書かれていない。
日本軍に対して戦いを挑んだ抗日ゲリラについての話も、反対に日本軍に協力した親日フィリピン人の話も出て来ない。
対して、この「侵略者」を追い払ったアメリカ軍については、指揮官名まで挙げて「大歓迎」という書き方である。

著者の名前に「グロリア」とあるところを見ると、著者はアメリカ人との混血なのだろうか?
著者の写真が掲載されていないので何とも言えないが・・・
どうしても、反日感情丸出しの書き方としか思えない、この記述の仕方は著者の出自の影響か?

「歴史」についての本の割には、著者の偏った視点からの「歴史」のようで、読後は不愉快な思いが残っただけであった。
もう少し、まともな「歴史の本」を読みたかった・・・・残念である。


今年の読書:13冊目



読書 | 23:22:27 | Comments(0)
帰国しました!(笑)
相変わらず無事に帰国いたしました!(大笑)

いやぁ~なんて日本は寒いんだろう!

2ヶ月ぐらい向うにいるべきだったかな?(大笑)

今回も充実した旅となり、現地で出会った方々には感謝、感謝です。

日記 | 11:11:27 | Comments(0)
忍者になりたい?
今日は帰国する日・・・

昨晩は、なんだかんだとやっていて、結局、寝たのは午前3時!(大笑)
で・・・モーニングコールは午前5時である!(泣)
完璧に睡眠不足に陥っている・・・・
急いで朝食を食べ、午前7時15分にホテルをチェックアウト。
“ステラさん”に空港まで送ってもらう。

無事にチェックインを済ませ、空港内の喫煙可能な喫茶コーナーへ行く。
これ・・・拙者のいつもの行動パターンである。(笑)
タバコを吸いながら・・・コーヒーを飲みながら・・・読書をして時間を潰す。

と・・・いきなり拙者の肩を「ヨッ!」とばかりに叩く奴がいた・・・(汗)
こんなところに知り合いはいないはずだが・・・と本から目を離し顔を上げたら・・・見知らぬ白人男性・・・(大汗)
はぁ?
彼が隣に座ってもいいかと聞いてきた。
とにかく、タバコが吸える場所は、空港内ではここしかないので、混雑しているのである。(笑)
相席になるのは仕方が無い・・・・
「どうぞ!」と席を勧めたら、「アリガトウゴザイマス」と日本語で答えた・・・(唖然)
日本語が出来るのかと思ったら、「アリガトウゴザイマス」以外は知らないという・・・(大笑)
それにしても、よく拙者のことが日本人だとわかったものだと尋ねてみたら・・・
拙者の本を指さし、何か言っているが、聞き取れなかった・・・
多分、日本語の本を読んでいたから・・・ということを言っているのだろう。(汗)
東洋人で日本語の本を読んでいれば、日本人だと、すぐわかるわなぁ~

この外人、何やら親しげに話しかけてくるのだが、言っていることがサッパリわからない。(大汗)
旧知の仲・・・という感じで話してくるのだが・・・
あれ?どこかでお会いしたことがありましたっけ?(苦笑)
それにしては、「久しぶり」とも言わないし、「以前、どこそこで会いましたね」とも言わない・・・
ということは、やっぱり初対面か?
その割には、ずいぶん、親しげではないか?(苦笑)

彼の話は、聞き取るのに苦労する。
それでなくとも、こちらは英語が苦手だというのに・・・
しばしば「トウシンボウ」という言葉が話しの中に出てくるのだが、意味がわからない・・・(大汗)
それは何のことかと尋ねたら「日本人なのに知らないのか?」と言う。
彼が言うには「トウシンボウ」とは日本の武術なのだそうだ・・・(驚)
トウシンボウ?
どんな字を書くんだ?(汗)
彼はその「トウシンボウ」という武術を学んでいるという。
え~・・・それは刀を使うの?それとも素手で戦うの?
と尋ねてみたが、彼の答えがよくわからない・・・(大汗)
結局、なんのことやら・・・サッパリである・・・・(大笑)

彼はノースカロライナの出身のアメリカ人だそうだ。
そう聞いても・・・ノースカロライナって・・・どこ?(笑)
ノースカロライナの知識がないと、その先に話が進まない・・・(苦笑)

彼は日本が大好きなのだそうで・・・・
「イーガー」に行ってみたいという。

「イーガー?」
「イーガーです」
「イーガーって何ですか?」
「え?あんた日本人なのにイーガーを知らないのか?」(唖然)
「え?イーガー?」
「日本で有名な場所ですよ。知らないんですか?」
「日本で有名な場所?????」

ようやく「ニンジャ」という言葉が出てきたので、わかった・・・(笑)
「伊賀」のことである!
「ああぁ~・・・イーガーじゃなくて、イガ・・・のことですね」(笑)
彼は伊賀は日本の武術の聖地のようなことを言っているが・・・・え?・・・そうなの?(苦笑)
で・・・伊賀に行って何をしたいのかと尋ねたら・・・
「ここに忍者の刺青を彫ってもらうんだ」と太い腕を見せた・・・(唖然)
彼の腕には既に多数の刺青が彫られているのだが・・・(苦笑)
「この空いているところに掘ってもらうんだ」と言う。
う~ん・・・・伊賀に刺青を彫ってくれるような店ってあったっけ?(苦笑)

彼の話しによれば、彼はアメリカ陸軍の元特殊部隊にいたそうで、アフガニスタンやイラクだかイランだかにも行ったそうである。
「あそこはひどかった・・・」と言う。
パラシュート降下の時に足を怪我したので軍隊を辞めたそうだが、今回はフィリピンで何やら軍事訓練を指導するために来たのだそうだ。
こういう英語になると、なぜか、拙者はよくわかるのである。(大笑)
普通の会話はほとんど聞き取れないんだけど・・・・(大笑)

それにしても、彼の風体は「軍人」とは程遠い・・・(苦笑)
頭のてっぺんの髪を伸ばして編んで・・・腕には多数の刺青である。
アメリカの映画に出てくるクレージーな暴走族みたいな格好なんですけど・・・(汗)
元特殊部隊の隊員???(苦笑)

彼はしばしば「ブシドー(武士道)」という言葉を口にした・・・
「新渡戸稲造の『武士道』を読んだことがあるか?」と尋ねたかったが、拙者自身が読んでいないのではお話にならない。(大笑)
失敗したぁ~・・・そのうち読んでみたいと思いながら、まだ読んでいないのである!
読んでおけば・・・武士道に関する話もできただろうに・・・(涙)
そもそもの知識がなければ、英語に関わらず、“会話”というのはできないということを痛感した。

いきなり、降って湧いたような、ぶっつけ本番の英語・・・
助け舟なしの英会話・・・(大笑)
この彼との英会話は、半分程度が何とかわかったというコミュニケーションだったが・・・
冷や汗をかきながらも何とかなった・・・(大笑)

しかし、いくつかの話は、拙者の質問と彼の答えが全くかみ合っていないことは拙者自身にもわかった。(汗)
また、その逆も当然あったに違いない。
周囲は外人ばかり・・・つまりは、みなさん英語が理解できる人たちである。
我々二人の会話・・・全然話が噛み合っていないことはバレバレである。(大汗)
すぐ近くに座っていたフィリピン人の女性は、時々拙者の顔を見てニヤニヤ笑っていたから・・・
多分、拙者は全く見当違いの受け答えをしていたに違いない・・・(恥)
いやぁ~恥かしいこと甚だしい・・・

彼が店を出て行くときに「話が出来て嬉しかった」と言ってくれた。
いや、いや、こちらこそ大感謝である。
よくもまぁ、チンプンカンプン、的外れな英語を話す拙者と長時間付き合ってくれたものよ・・・と思う。

冷や汗ものの英会話だったが・・・楽しかった。
この見知らぬアメリカ人に感謝、感謝である。

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拙者の搭乗したANA機は定刻通りの午前9時30分に離陸した・・・
窓からマニラ市内を見たら、怪しい雲行き・・・
雨が降りそうである・・・

そうそう、先日、ダバオの“ミヤケさん”を訪問した時に、このところ雨が降らず日照り続きだとこぼしていた。
前回、お会いした時も、今回同様、日照りが続き、農作物が枯れるかも・・・という危機的状況だったのだが・・・
拙者がダバオに到着し、夜になったら、かなりの雨が降ったのである。
「あんたは“雨男”か?」と笑われた。
拙者は、どちらかというと“晴れ男”なんだけどなぁ~(笑)
恵みの雨が降り「救世主現る」と大いにからかわれたりしたが・・・(大笑)
で・・・今回も・・・日照り続き・・・
「多分、私が帰る頃に雨が降るんじゃないですか?」と答えたのだが、どうも本当にそうなるような感じである。
(帰国後、“ミヤケさん”にメールで確認したら、本当にダバオでは雨が降ったそうだ)(大笑)
「またもや救世主現る」・・・である。
この雲を見て「次回も日照りが続いて雨が欲しいなぁ~と思った頃に来てくれ」と言われたことを思い出した・・・(大笑)

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午後2時・・・
今はどのあたりだろうかと窓の外を見てみたら・・・・

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遠くに見えるのは・・・あれは・・・・富士山ではなかろうか?

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フィリピンの帰りに富士山を見るなんて初めてである!(喜)

今回も、無事に墜落することもなく成田に到着・・・(大笑)
またまた楽しい旅だった・・・
皆さんに感謝!

旅行 | 11:41:34 | Comments(0)
支局長と食事会
今日は、お昼の便でマニラに戻る・・・

朝食後、いつもの喫煙場所で一服・・・(笑)
と・・・たまたま居合わせた外国人とおしゃべりをすることになってしまった。(汗)
彼はイタリアから来たとかと言う・・・
そこへ例の日本人達がタバコを吸いにやって来た。
なんともタイミングが悪い・・・(笑)
この外人から国籍を尋ねられてしまい、やむなく「日本人」と答える破目になったのだが・・・
この時の周囲の日本人達の驚いた顔・・・(大笑)
昨日は、拙者が日本人だとは思わずバカ話に興じていたんだから・・・あの話は全部筒抜けとなっていたことを、彼らはこの時に知ったのである。(大笑)
バカだねぇ~(大笑)
彼らは一言も発せず、黙々とタバコを吸う・・・(大笑)
拙者はイタリア人と、たわいもないおしゃべりを英語で・・・・(大笑)
この「たわいもない」話というのが、拙者は苦手なのだが・・・(苦笑)
イタリア語は「ボンジョルノ~」しか知らないんだから英語で話すしかない・・・(涙)
こういう時は、英語以外の外国語を数ヶ国語話せると便利なんだけどなぁ~(大笑)
話の内容を日本人に聞かれることもないだろう?
英語もろくに話せないんだから・・・そりゃ無理か・・・(苦笑)

9時半に迎えの車が来た。
このホテルでは、正面入口のドアの前には24時間、男女のガードマンが立ち、荷物の検査をしている。
で・・・この中に、美人の女性ガードマンがいる。(笑)
時々見かけていたが、言葉を交わしたことは無い・・・
ところが、拙者が車に乗り込む時に「え~!もう帰っちゃうのぉ?」と日本語で声をかけてきたのである!(驚)
え?日本語が話せるのか?
完璧な発音の日本語である。
あんた・・・どこでその日本語を習ったの?(大笑)

空港に向かうまでの間、ドライバー君と“英会話”・・・(笑)
相変わらず、どこへ行っても日本人の男を見ると「ガールフレンドに会いに来たのか?」と言われる。(怒)
バカな日本人のおかげで毎回不愉快な思いをする。
みっちりと、今回の旅の目的と、ダバオ博物館の話やら農場見学の話をしてやる!(笑)
女を買いに来る奴ばかりではない、他の目的で来る日本人もいることを知ってもらいたい!(怒)
拙者の下手な英語が通じたらしく、わかってくれたようである。
話題が「女」の話ではなく、真面目な話しになったら・・・
それからは彼の家族の話やら、子供の教育の話やらと話題が多岐に及んだ・・・(汗)
あらら・・・この“英会話”はキツイ・・・(苦笑)

無事に空港に到着して、チェックイン・・・
前回来たときは、どうやったのか・・・すっかり忘れている!(汗)
なんとも記憶力の悪い男である・・・(涙)
空港職員に声をかけてチェックインカウンターを教えてもらう。(苦笑)
前回、スーツケースのタグを間違って付けられてしまい、あやうく荷物だけが成田に行ってしまうところだった。
(そのことだけは覚えている・・・笑)
今回は・・・・やっぱり・・・やられた!
スーツケースにササッと取り付けられたタグをチラリと見たら・・・「NRT」の文字が見えた!
「NRT」とは「成田」の略である!
「ちょっと待った!俺は今日マニラに行って1泊!成田は明日だぞ!」
「あ!・・・・」
あのね・・・前回も間違われたんですけど・・・(大汗)
拙者は、かなり記憶力の悪い男だが・・・この職員・・・前回、間違えた男と同一人物のような気がする・・・(大汗)
「あんた、前回も間違えたろ?」と言ったら、ペロッと舌を出して笑いやがった・・・(大笑)

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予定時刻を30分以上も遅れて離陸・・・・(唖然)
さらば、ダバオよ!

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マニラ行きの機内食は・・・ビスケット・・・(笑)
これが今日の拙者の昼食というのでは、ちょっと情けない・・・

時刻は午後3時を過ぎている・・・
マニラのホテルにチェックインし、コーヒーラウンジで、ピザとコーヒーの遅い“昼食”をとる。
で・・・夕方まで待機・・・
今日は、共同通信の“デグチ”支局長と夕食を一緒に食べることになっているのである。(喜!)

午後5時過ぎ、支局長がホテルに迎えに来てくれた。
夕食まで時間があるので、支局長の車でマニラ市内を観光することとなる。(笑)
最初に向かったのは「マラカニアン宮殿」・・・・
スペイン統治時代はスペイン総督の別邸、アメリカ統治時代はアメリカ総督の官邸として使われ、その後は、フィリピン大統領官邸として使われて、現在も現役である。
というわけだろう・・・警備は厳しい・・・
官邸周辺に車を停車させることは出来ないので、ス~ッと走りすぎながら車窓から“見学”する。(笑)
拙者は何十回もフィリピンに来ているが、「マラカニアン宮殿」を見るのは初めてである。(笑)

続いて向かったのは「サント・トーマス大学」・・・・
1611年に創立された、アジア最古の大学だそうである。
1611年ですよ!(驚)
日本では、ついこの間、関ヶ原の戦いをやったばかりです・・・っていう頃ですよ。(大笑)
加藤清正が死んだ年に出来た大学ですよ。(大笑)
そう考えると、どうもピンときませんが・・・・(苦笑)
この大学は、私立大学で、カトリック系大学としては世界最大級なのだそうだ・・・(唖然)
日本では、チョンマゲを結った侍が歩いていた時代に「大学」ねぇ~(笑)
う~ん・・・フィリピンは昔は日本より“進んで”いた国だったのではあるまいか?
いつから逆転したのか・・・(汗)

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ここは「本館」かな?
建物の前に何やら特設ステージを作って、ライブコンサートでも開くようだ・・・(汗)
あ~あ~・・・折角の機会だったのに、いい写真が撮れない・・・(涙)

ここサント・トーマス大学には、第二次大戦中、日本軍がフィリピンを占領した際に、アメリカの民間人約4千名が収容されていたそうである。
つまり、「民間人捕虜収容所」である。
その話は、以前から知っていたので、どういう場所だったのだろうかと興味があったが・・・
ようやく支局長のおかげで来ることが出来た。(笑)

今まで、フィリピンに何回も来ているが、殆どマニラには1泊程度しか泊まらない。
これがいけないのだろう。(笑)
いつも使っている旅行社に言っても、こちらの希望が上手く伝わらないような気がしていたので、これからは、少しマニラの滞在日数を増やして、自分の足で調べて歩こうかなぁ~(笑)

今晩の夕食は支局長がレストランを予約しておいてくれたので、そこで食事をする。
ちょうどいい時間となったので、レストランに向かう。

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このレストランの名は「La Cocina de Tita Moning(ラ・クシーナ・デ・ティタ・モニング)」という高級なお店・・・・(汗)
最初に、ここに通され、オープンデッキのソファに座った。
で・・・「お飲み物は何が宜しいでしょうか?」とウェイトレス・・・
英語がペラペラの支局長にお任せして、飲み物をいただきながら雑談・・・
ところが、その後、いつまで経っても誰も来ないのである!(大汗)
あれ?・・・メニューは?
完全に“放置状態”・・・・(大笑)
約20分後・・・若い女性スタッフがやってきて・・・・
「それでは、今から邸内のツアーを行いますので、どうぞこちらにいらしてください」と英語で言う・・・
へぇ?・・・ツアーって何だ?(汗)
我々は食事をするために来たんだけど・・・(大汗)

このお店は、どうも昔の大金持ちのフィリピン人の家だったようで・・・(お医者さんだったかな?)
その家が、そのまま「個人博物館」となっているそうである。
だから、最初に「ツアー」で邸内を見学するようである。
支局長がガイドの女の子の英語を通訳してくれたのだが・・・
なんとマヌケなことにメモを取らなかったため、詳細は右の耳から入って左の耳から抜けてしまい、記憶に残っていない・・・(大笑)

104_convert_20150609192302.jpg (玄関を入ったところ)

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ここは“趣味の部屋”か?
一見ガラクタ置場にみえるが・・・(笑)
各種のカメラなどが置いてあって、“お宝”の宝庫・・・

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ここは「診察室」だったか「治療室」だったか・・・忘れた・・・(涙)

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こちらの部屋には無線機が・・・
この家の主人はアマチュア無線をやっていたようである。
かなりの趣味人だったようで・・・・うらやましい・・・
拙者も高校生の頃、アマチュア無線をやっていたので、昔懐かしい古い型の無線機を見つけて大感激!(大喜)
コールサインも貼ってあった・・・「DU1AL」がこの家の主人のコールサインだったようである。
でも、なんでフィリピンなのに「D」から始まるコールサインなんだろう?
なんでフィリピンの“P"じゃないんだろ?
日本の場合は「J」から始まるコールサインなんだけど・・・・(多分、JAPANの“J”だと思うんだよね)

111_convert_20150614133333.jpg (リビング)

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こちらは、この家の娘さんの「衣裳室」である。
「子供部屋」ではなく、子供が服を着替える為だけの部屋なのだそうである。(唖然)
フィリピンの昔の金持ちというのは、日本の金持ちとは、ちょっと違うような・・・
拙者は日本を代表する「小金持ち」の一人だが・・・(大笑)・・・こういう部屋は持っていない・・・(涙)
こういう部屋を作るべきだったな・・・(大笑)
道理で「金持ち」の仲間に入れないわけだ・・・(大笑)

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こちらは、「食堂」・・・・
壁には何やら高級そうなお皿が飾られたりしている・・・
現在は、小グループのパーティなどに使われているような感じである。

で・・・・「では、こちらにどうぞ」と案内されたテーブル・・・
ここが我々が今晩食事をするテーブルだそうである・・・(唖然)

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あらら・・・なんと洒落たテーブル・・・(笑)

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花びらがテーブルに散りばめられている・・・(汗)
「あのぉ~・・・支局長・・・これ・・・男二人で来るところじゃないような・・・」(大汗)
大笑いである。
他に2組ばかりお客さんがいたが・・・アベックである・・・
我々・・・変な関係だと思われやしませんかね?(大汗)
このお店は結構有名なお店だそうで、どういうところなのか一度来てみたかったということで支局長が予約したそうである。
こういう雰囲気だとは知らなかったそうだ・・・(大笑)
「次回は・・・奥さんを連れて来るといいんじゃないでしょうか?」(笑)

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テーブルの上には、「お品書き(メニュー)」と、この食事に関する、ちょっとした歴史について書かれたものが置いてあった。
紙の周囲を焦がして、ちょっとした雰囲気を出してある紙に印刷されているのだが・・・
こういうのもまた雰囲気がいい・・・

このテーブルの中央に置かれているガラス製品や銀製品は、ここの初代がイタリアに旅行に行った時に買い求めたものなど、この家のコレクションなのだそうだ。
かなりの年代物で・・・いわゆる骨董品?(笑)
食事に使われる食器類も同様に貴重な年代物・・・(唖然)
もし、割っちゃったらどうしよう・・・と、少々緊張する。(汗)

それにしても、こういう貴重な品々が日本軍が占領した時代や、米軍の進攻によるマニラ攻防戦でマニラ市内が戦火に遭った時にも破壊から免れたこと自体が不思議であり、驚きでもある・・・

更に驚いたのは・・・これ・・・

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なんと、このお店のスタッフが顔写真入りで載っている・・・(唖然)
コックさんやウェイトレスさんの他に、この家の「ツアーガイド」も載っているのである・・・
ここまで用意するとはねぇ~
日本で、ここまでやるレストランというのはあるのかな?
う~ん・・・すごい、おもてなし・・・驚いた・・・(笑)

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これは「シニガン・スープ」・・・
フィリピンの代表的なスープである。
酸味のあるスープのせいか、日本人の中には、このスープは飲めないという人も多いらしい。
が・・・拙者は、このスープは好物である。(大笑)
で・・・これを飲んでみたら・・・
いやぁ~大感激!
拙者の知っているシニガンスープより、少々とろみがあるスープで、味が最高である!!(大喜)
大げさな言い方かもしれないが、こんな美味しいシニガンスープを飲んだのは初めてである!
この食器も、何世紀か前の貴重な食器らしい・・・

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こちらは、「ティラピア」という魚の素揚げ・・・・
この「ティラピア」もフィリピンの代表的な魚で、よく素揚げ(から揚げ?)で出される。
初めてこの魚を食べた時、拙者は、この魚はピラニアかなと思った・・・(大笑)
写真は、この魚料理と「グリーンマンゴー・サラダ」・・・・

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これは何だっけ・・・・(苦笑)
支局長は、マニラに赴任して1年も経っていない・・・(たぶん半年ぐらいだったと思う)
にもかかわらず、フィリピン料理のことをよくご存知・・・
こちらに来てから勉強したらしい。
いやぁ~すごいもんだ・・・
頭のいい人は違うんだねぇ~・・・・拙者は何度もフィリピンに来ているが、全然頭に入らない・・・(苦笑)
ようやく覚えたのは「シニガンスープ」くらいである。(大笑)
支局長から、夕食に出された食材の説明などを受けながら食事をする。

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ちょっとした(笑)フルーツが出たので、これがデザートだと思ったのだが・・・

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続いて、ケーキ類が出された・・・(驚)
3種類のケーキ・・・?
こんなに食べるからフィリピン人には太った人が多いのではあるまいか?(大笑)

雰囲気のいい歴史的な建物の中で、高価であろう骨董品のような食器を使って、美味しい料理をいただき大感激!
感謝、感謝・・・
で・・・支払いは・・・支局長・・・(大汗)
いや、いや、それはマズイでしょ・・・「割り勘でいきましょう」と言ったのだが・・・結局、ご馳走になってしまった。
いやぁ~申し訳なし・・・・

ということで・・・今度は拙者がご馳走するということで、マニラホテルへ行く。
マニラホテルは歴史のある旧いホテルである。
ここには「歴史資料室」(?)がある。
以前、特別に見せてもらったことがあるので、フロントで、見せてくれるかどうか交渉したら、あっさりと案内してくれた。
部屋の入り口は壁と区別がつかないような感じで目立たない・・・
多分、ここに「資料」が展示されているなど、知る人は少ないだろう。
通常は鍵がかけてあり、自由に見ることは出来ない。
ここに、こういうものがあることを支局長に教えておいてあげようと思い案内する。
フロントの女の子が展示資料を説明してくれた。
英語が得意な支局長は理解できたようだが・・・拙者にはよくわからなかった・・・(大笑)
ここには、戦前や終戦直後のマニラホテルの貴重な「古写真」などが展示されている。

この「資料室」を見学した後、今度は拙者がご馳走するということでバーラウンジへ行き、お酒を飲みながら、おしゃべりをする。
支局長は、拙者の祖父が戦った「サラクサク峠」に取材を兼ねて戦跡訪問をしたいという。
なんとか実現出来るよう企画をせねねば・・・
今日は大変お世話になっちゃったからねぇ~
恩返しをせねば・・・・(笑)

大いに語り合い、午前1時にホテルに戻る・・・(笑)
楽しい時間を過させていただいた・・・感謝、感謝である。

旅行 | 10:48:51 | Comments(0)
農場を見学
今日は“ミヤケさん”の農場を見学させていただく。

朝のうちに、ホテルのトランスポーテンションデスクで、明日の空港までの送迎の確認をする。
が・・・
相変わらず、拙者の下手な英語では、なかなか話が通じない・・・(大涙)
ダバオに到着した時は“ミヤケさん”に空港まで迎えに来ていただいたが、マニラに戻る時も空港まで送ってもらうというのでは申し訳ない。
というわけで、明日はホテルから空港までの車をホテルに頼んであるのだが・・・
う~ん・・・その確認が上手くできない。(汗)
全然話が噛み合わない・・・(大笑)
かなり時間がかかったが、ようやく何とか確認が出来き・・・(大汗)
明日はホテルを9時半に出発するということで話が決まった。

070_convert_20150603091242.jpg (朝食)

食後、ホテルの駐車場脇の喫煙場所で一服・・・
前回にも会ったガードマン君(名前を聞いていないので知らない)(笑)と「英会話」・・・
気のいい奴で、拙者のことを覚えていてくれて、「お久しぶりです!」と吹っ飛んで来るのである。(大笑)
そのうち、日本人のグループがタバコを吸いにやって来た。
昨晩にも会った連中である。
拙者は、黙っていると日本人には見えないことがある・・・(大笑)
彼らは拙者を日本人だとは思っていないのだろう、大いに日本語でバカ話をしている。
いわゆる「調子に乗っている」・・・・のである。
ガードマン君には以前、「俺は中国人と韓国人が嫌いだが、一番嫌いなのは外国で会う日本人なんだ」(大笑)と話したことを覚えているようで、彼らの前では、決して拙者に話しかけたりしない。
ジ~ッと黙っている・・・(大笑)
で・・・彼らが立ち去ってから・・・「あの人たちは毎日ゴルフをしているんですよ」と言ってきた。(笑)
「ああ、遊びに来たバカな日本人だろ?」と言ったらガードマン君は苦笑い・・・(大笑)
「ノーコメント」と言っても表情を見りゃわかる・・・(大笑)
調子に乗って偉そうな態度を取るのは勝手ですが・・・
地元のフィリピン人からは軽蔑されているようですけど・・・(大汗)
日本人の品位を大いに落としてくれている・・・
こういう連中は、強盗にでも遭って殺されると面白いのだが・・・(大笑)

まもなく、“ミヤケさん”の運転手が、ホテルまで迎えに来てくれた。
彼は日本語が話せないので・・・(大汗)
朝から車内で「英会話」である・・・(大笑)
かなりキツイ・・・逃げ場が無い・・・(大汗)

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ダバオ市内は、朝から大渋滞・・・
運転手君の話では、いつも、この調子らしい。
対向車はスムーズに流れているんだけどねぇ~

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途中で、道路工事の看板を見つけた・・・
この工事のせいで渋滞していたのか?
看板には「フレッシュ・コンクリート」と書いてある。
「新鮮なコンクリート」・・・・なんとなく、美味しそうに思えてしまうが・・・(大笑)
やっぱり暑い国では、日本のようなアスファルトではなく、コンクリートで舗装せねばならんのだろう。
日本とは違い、1日でコンクリートが固まってくれるような気がしますが・・・(笑)
「フレッシュ・コンクリート」・・・・どこが“フレッシュ”なのか、車窓から見ただけではわからなかった・・・(笑)

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道路わきの教会に、ローマ法王の訪問を歓迎する横断幕があるのを見っけ!(笑)

『archdiocese(アーチダイアシス)』は大司教管区とか大主教管区という意味・・・
「ダバオ大司教(もしくは大主教)管区」が「ようこそ!」と言っているわけである・・・(笑)
『POPE(ポープ)  FRANCIS』の「POPE」はローマ法王(もしくは教皇)という意味・・・
「フランシス教皇様ようこそ!」・・・と言っているわけで・・・
ちなみに、フランシス教皇はアルゼンチン出身の方で、第266代ローマ教皇・・・
266代・・・・(汗)
初代から266代までの教皇の名前を全部言える人はいるだろうか・・・(汗)
『Apostolic Visit』の「Apostolic(アパストリック)」は「十二使徒の、とか、ローマ教皇の」という意味・・・
ここでは、多分、「ローマ教皇の訪問」と訳すべきなんだろうなぁ~
「十二使徒の訪問」では、ちょっと違うよね?
フィリピンは東南アジア最大のカトリック国だそうで、今年の1月15日から19日まで、ローマ教皇がご訪問された。
そのときの横断幕だろうが・・・
すでに2月なのである。(笑)
1月のローマ教皇訪問の興奮が冷めやらぬ・・・という感じである。
多分、もうしばらく歓迎の横断幕を掲げておこうよ・・・ということなのだろう。(大笑)
まさか、取り外すのを忘れているというわけではないよね?(大笑)

すでに1時間ほど走っているが・・・(汗)
どこまで行くのだろう・・・(笑)
運転手君に尋ねたら、”ミヤケさん”の家はパナボ市というところにあるのだそうである。
あらら・・・ダバオ市ではないのか?(汗)
いやぁ~かなり遠いところにホテルを取ってしまったようである。

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パナボ市に入ったら、中央分離帯のある片側2車線の道路となった・・・
さらに進むと、さらに広い道路となる・・・・・
あらら・・・意外や意外・・・ミンダナオ島の中心地のダバオより立派な道路のような気がしますが・・・

ようやく“ミヤケさん”の事務所に到着・・・
大きな鉄扉がある農場である。
想像していた「農場」とは、ちょっと違う・・・
厳重な警備と言ったところかな?
ちょっと治安に問題があるのかな?(汗)

“ミヤケさん”のお出迎えを受けたが・・・
「前にも来たことがありますよね?」とおっしゃる・・・
「へっ?初めてですけど・・・」
「いやぁ、以前にも来たことがあるでしょ?」
「いえいえ、来た事が無いから、今回、見学させていただこうと思って来たんですよ」
「あ・・・そうでしたっけ?」(苦笑)

「ところで・・・なんで私はあなたと知り合いになったんでしたっけ?」と、とんでもなく寝ぼけたことを言われた・・(大笑)
「今から6年前にスリガオで平和式典があった時に応援に駆けつけてくれたのが縁なんですけど・・・」
「え?そういうことがありましたか?」(苦笑)
あれ?・・・・
あの時、拙者はスリガオで開催された平和式典に日本代表ということで、たった一人で乗り込んでいったのである。
英語もろくに話せないのに・・・(大汗)
この話を拙者に持ち込んだ“フルサワさん”が、英語がろくに話せない拙者の為に旧知の“ミヤケさん”に応援を頼んでくださった。
で・・・“ミヤケさん”は島の南の端のダバオから北の端のスリガオまで、車で10時間近くかけて応援に来てくださったのである。
面識の全く無い拙者の為に・・・(大喜)
この恩義は拙者は一生忘れないだろう。
テレビ局のインタビューを受けたときは“ミヤケさん”に通訳してもらいながら冷や汗をかきかき答えた・・・
あの時、“ミヤケさん”がいなかったら、拙者の支離滅裂な英語がフィリピン全土に放映されるところだった。(大笑)
感謝、感謝の「大恩人」なのである。
が・・・
当のご本人は「まったく記憶がない」とおっしゃる。(唖然)

「随分昔からの知り合いのような気がしていたんですが、さて、どこで知り合ったんだろうと・・・思い出せなくてねぇ~」
「え~!うそぉ~!」(大笑)
ちょっとボケるには早すぎませんか?(大笑)

“ミヤケさん”の農場では、90%以上が日本向けの作物である。
事務所で農場の概要などの説明などを頂き、その後、農場を見学させていただく。

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これは「白ウリ」・・・・
日本で漬物になる・・・

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こちらは「ナタマメ」・・・
話では聞いたことがあるが、実物を見るのは初めてである。(笑)
へぇ~・・・本当に「ナタ」のような「マメ」である。(大笑)
これは、日本で福神漬けの材料となるそうだ。

これらが主力作物であるが・・・
そのままの状態では輸出は出来ないそうで、「一次加工」して「加工品」として輸出するそうである。
その作業工程も見学させていただいたが、写真を撮るのはマズイだろうと思い遠慮した。
こういうものは、あまり撮影すべきではなかろう。
“企業秘密”かも知れないもんね・・・(笑)

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こちらはサツマイモ・・・
最近になり、日本からサツマイモの栽培の話が持ち込まれたそうで・・・
現在、実験的に栽培中!
で・・・品種は・・・ナイショ!(大笑)

ちょうどお昼となったので、“ミヤケさん”の奥さんと3人で外に食事に出かける。

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食後、バナナのプランテーションを見に行く。
こちらは“ミヤケさん”の農場ではない・・・(大笑)
他人の農場なのですが・・・(大笑)
道路から観る分には問題は無いだろうとのことで、道路から見学・・・
(実際に内部を見学するなら事前に農場に許可を取らねばならない)

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道路の両脇は・・・ぜ~んぶ、バナナ!(大笑)
これらのバナナは日本に輸出されるのだそうだ・・・
頑張って育ってくれよぉ~
毎日、朝食にバナナを1本食べている拙者としては、大感激である!!(大笑)

その後、事務所に戻る・・・
午後は日差しが強く、暑くて堪らないので、事務所の中で、おしゃべりして過す。

“ミヤケさん”には日本から甥っ子さんが移住してきて仕事を手伝っている。
が・・もう一人か二人・・・信用の置ける日本人かフィリピン人が欲しいと言う。
なかなか従業員の中に管理監督のできる人間がいないのが悩みの種らしい。
ん?
それって・・・まさか、拙者を誘っているのではあるまいな?(大笑)
拙者は仕事もせずにブラブラしているし・・・(大笑)
暑いのは平気だし・・・フィリピン料理は食べられるし・・・(大笑)
ん?・・・・移住しろってか?(大笑)

夕方になって、暑さも和らいできたようなので、再び別の農場を見学に行く。
“ミヤケさん”の農場は、各地に何十箇所と点在しているのである。
そのうちの一つを“見回り”を兼ねて見に行く。(笑)

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バナナの木が植わっている土地のほうは、これから作付けをする場所だそうで・・・
バナナは商品ではなく“オマケ”なのだそうである。(笑)
で・・・「この土地・・・買わない?」と“ミヤケさん”・・・・
え?なにそれ?・・・買ったら、拙者は移住するようでしょ?(大笑)

夕方、ダバオ市内まで送ってもらい、一緒に夕食を食べる。
といっても・・・今回のミンダナオ滞在中、食事から何から何まで全てご馳走になってしまったのである。(大汗)
拙者は1ペソも使っていない・・・
いやはや、散財をおかけしてしまった・・・
拙者は何をしに来たのやら・・・である。
どこかで恩返しをせねばと思うのだが・・・困った・・・

087_convert_20150603210438.jpg (日本料理店でカツ丼!)

食後、ホテルまで送ってもらい、お別れ・・・・
拙者の親父へのお土産までいただき、申し訳なし・・・
感謝、感謝・・・

旅行 | 08:26:25 | Comments(0)
ダバオ博物館へ行く
065_convert_20150526104332.jpg (ダバオ・ミュージアム)

「ダバオ博物館」は、なにやら閑静な住宅街のような場所にあった。
小さな博物館である。(笑)
時刻は午後4時を過ぎている・・・急いで見学せねば・・・(汗)
入館料は・・・“ミヤケさん”が支払ってくれたので・・・知らない・・・(苦笑)
申し訳なし・・・

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博物館内部は、綺麗だが・・・シンプルな展示である。(苦笑)
あっけないほどシンプルなのだが、説明文は全て英文なので読むのに時間がかかる・・・(汗)
しかも、知らない単語は全て“飛ばして”読むので・・・(大笑)
意味不明・・・(大笑)
いやはや、英語が出来ないというのは本当に困る・・・

昔は、「原住民」なんてものには全く興味がなかった・・・
民俗学とか、そういうものにも全く興味はなかったのだが・・・
いつからか、「原住民」・・・いわゆる「先住民族」に興味を持つようになってきた。
何がきっかけだったのか、自分自身でもまったく覚えが無い・・・
不思議なことなのだが・・・(汗)

046_convert_20150526111602.jpg

例えば・・・この写真・・・
原住民の「集合写真」である。
英文の解説文によれば、「20世紀に撮影された」とある・・・
20世紀とは・・・それほど昔の話ではなさそうな気がするが・・・

この写真は「lumadin」のグループらしいのだが、この「lumadin」の意味がわからない・・・(汗)
英語ではなさそうである・・・
「ルマディン」と発音するのか?
その発音すらわからないが、地域名なのか部族名なのか?
フィリピンの場合、英語の中にスペイン語由来の言葉やフィリピン語(ピリピリ語?)、もしくはビサヤ語らしき、英語ではない単語が混ざって表記されるので、さっぱりわからん・・・
予備知識がないと対応不可能である。(笑)
この写真に写っている原住民の後ろに「イスラム教徒」が一人写っている。
解説文では「notice(注意・注目)」としか書いていない・・・
「イスラム教徒が写っていることに注目してください」ということらしいが・・・
なんでイスラム教徒が写っているのかの説明は無い・・・(汗)

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こちらの写真は・・・
「Datu Manib」という人と、彼の従者と、彼の奥さん達の集合写真・・・
「Datu」(ダツ?)とは、マレーシアやフィリピンで使われる「酋長・族長」という意味だと思う。
ということは・・・「Manib(マニブ?)」という酋長の写真か?
この写真の中に2人の「Jesuits」が写っている。
「Jesuit(ジェジュエット?)」とは、イエズス会の修道士のことだが、別の意味もある。
「ずる賢い人・策謀家・陰険な人」・・・・(大笑)
そして、もう一つの意味は・・・「男色者・変態的性行為者」であるが・・・(大汗)
まぁ、ここで言っているのは、「イエズス会の修道士」という意味でしょうねぇ~(大笑)
それにしても、「イエズス会の修道士」という単語に、陰険とか変態とかという意味があるとは、どういうことなのだろう?
修道士から派生した意味なのだろうか?(大笑)
彼らは、もともと、そういう連中だから・・・ということなのか?(大汗)
そうなると、イエズス会にも、ちょっと興味を持っちゃうんだよねぇ~(大笑)

「Manib」酋長は、19世紀にアポ山に「Bagobos」の「principal(第一の・重要な・主要な)baganis」の一人として住んでいた・・・と解説文に書いてある。
「Bagobos(バゴボス?)」は地名かな?
「bagonis(バゴニス?)」は何だろう?(汗)
「アポ山」というのは、ダバオにある火山で、フィリピンで一番高い山だそうである。
ということは・・・この一族は「山岳民族」なのか?

で・・・
「彼は1894年にイエズス会の修道士によって、彼の従者とともに洗礼を受けた」・・・そうである。
1894年は・・・日本では明治27年、日清戦争があった年である。
酋長は、キリスト教徒になったのか?
でも、写真に写っている「彼の妻達」というのは、どうなるのだろう?
一夫多妻制だったのだろうが・・・洗礼を受けてキリスト教徒になっても一夫多妻制を継続したのだろうか?
イスラム教ならわからないこともないが・・・
まぁ、そんなことを心配しても仕方が無いことですが・・・(大笑)

で・・・
「彼は彼の部族の為にSantillan(サンティラン?)の町を築いた」そうである・・・
「Santillan」は町の名前か、それとも別の意味があるのか?
わからん・・・・(汗)

057_convert_20150526141025.jpg 058_convert_20150526141149.jpg

2階は、民族衣装や装身具などの展示があった。
写真では、結構明るく写ったが、実際には薄暗く・・・
最大の問題は、採光不足で、解説文の文面が読めない!!(大涙)
あ~あ~・・・残念である。

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彼らの衣装は、こうやって織って作ったのです・・・という展示。
この「織物」というのは、昔からあるのだろうが、一番最初にこれを考えた人は誰なんだろう?(笑)
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で編んで布にするというのは誰が考えたんだろう?
ノーベル賞ものだと思うんだけど・・・
それに、この機織機・・・
細かいところは、各国で違いはあるのだろうが、基本的構造は同じなのではなかろうか?
日本にも、こういう機織の機械があったと思う。
これまた、初めて考えた人は誰なのだろう?(笑)
全世界共通・・・に近いと思うのだが・・・
どうやって、その技術が伝播したのか・・・
興味が尽きないのですが・・・・暗くて解説文が読めない・・・(大笑)

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これは「labi(ラビ?)のダンス」と呼ばれる踊りの様子を展示したもの・・・
なにやら「治療」を行なう「儀式」のダンスらしい。
拙者は昔から英文和訳が苦手で・・・(和文英訳も同様だが・・・笑)、解説文に書いてあることがよくわからないが・・(大笑)
このダンスは、音楽に合わせて男女の「ダンサー」が踊るそうだが、どうもトランス状態に陥るらしいので降霊術に近いもののようである。
で・・・このダンスは、結婚式のような豪華に飾り付けられた場所で行なわれるそうで・・・・
病気より強い霊を呼び起こして、病気を治すとか・・・それを「labi」と呼んでいるとか・・・
このダンサーによって、空気の霊、水の霊、火の霊、木や森の霊が呼び出されるそうだ・・・
で・・・よくわからんのだが、トランス状態に陥った時にしばしば「戦いの霊」が現われて、ダンサーが震える(痙攣する?)のだそうである。
ん?・・・どうも英文法が苦手な拙者が訳すと、訳がわからん話になるぞ・・・(涙)
このダンスの、より「ポリティカル」な形は1900年初頭に、ダバオ湾周辺の「Kalagan(カラガン?)」や「Bagobos(バゴボス?)」で普及し定着したようである。
これに対し、フィリピンを統治していたアメリカ植民地政府(?)は、このダンスを禁止させようとしたらしい。
どうも社会的不安に繋がる行為と思ったらしいが、この考えは正しかったようで・・・
1906年6月6日にダバオ地区を統治管理していたエドワード・ボルトンという人が暗殺され、それが植民地政策に対する抵抗の最高潮だったようで・・・
え?・・・・そうなると・・・病気を治療する踊りから、随分、趣旨が逸脱していますが・・・(唖然)
あれ?・・・拙者の読み方が間違っているのか?(大汗)
ボルトンを襲撃した“勇気ある人々”は、「Mangulayon(マングラヨン?)」のカリスマ的なリーダーシップの中にエネルギーを感じ取ったそうで・・・・(?)
その彼は守護霊が教えてくれた「新しい形のダンス」によって力を与えられたようである・・・
あ~・・・何のことだか、サッパリわからん・・・(大涙)
だめだ・・・こりゃ・・・(大笑)

それにしても、このダンスに使われる、鍋みたいな楽器・・・
どこかで見たことがあるような・・・
インドネシアで見たんだっけ?
似てるな・・・(笑)

残念だったのは・・・
ダバオの発展に寄与した日本人移民についての展示が見当たらなかったこと。
もしかしたら、どこかに小さく展示されていたかもしれないが・・・(見落としたか?)
日本人移民は、ダバオの発展に寄与したはずなんだけどねぇ~
この町の成り立ちの基礎の部分なんだけど・・・
もう一つが、大戦中のダバオに関するものが見当たらなかったこと。
日本軍は、この地に、いくつもの航空基地を設けていたのだが・・・
何かしらは、あるだろうと期待していたのだが、完璧に裏切られた・・・(大笑)
この博物館は、どちらかというと「民俗博物館」の色が強い博物館だった。

興味の無い人が行ったら、10分もかからず出てきてしまうだろうねぇ~
拙者は30分程度で切り上げる。
もう少し丁寧に見て歩きたかったが、あまり“ミヤケさん”ご夫妻を付き合わせては申し訳ないし・・・(笑)
ほどほどで切り上げる。

で・・・・帰りに、受付の女性に何か本を売っていないかと尋ねたら、何冊か売る本があるらしい・・・
で・・・・何でもいいから、とにかく買うことにした。(笑)
『DABAO Reconstructing History from Text and Memory』という本・・・500ペソ(1400円ぐらい)なり!
500ペソとは、ちょっと高価な本だが、「ヒストリー」って書いてあったので、それだけの理由で購入。(大笑)
すると、受付嬢が、「こんな本もありますけど・・」と恐る恐る出してきた・・・(大笑)
『TRESURES OF THE DAVAO MUSEUM』・・・350ペソ(1000円くらい)なり!
おお!これは、この博物館の展示品がオールカラーで載っている本ではないか!
簡単な解説文も付いてるし・・・・いわゆる『図録』である・・・・
これはいい!・・・・さっそくこれも購入!(大笑)
「2冊とも買うんですか?」と受付嬢は、半分呆れ顔で笑った・・・
え?なんで?・・・本を2冊も買うのって、そんなに不思議なことなのか?(笑)

そういえば、フィリピン人で読書をしている人を見たことがない・・・(大笑)
どうして本を読まないのかね?
携帯電話ばかり弄り回して・・・
だから国民レベルが低いんじゃないか?(苦笑)
日本の場合は・・・これから国民レベルが下がるはず・・・(すでに下がり始めているが・・・)
暇さえあれば携帯電話のメールを見ているか、ゲームをしてるか・・・で、読書をしない・・・
このままでは、間違いなく国民レベルは下がっていくだろう。(大汗)
・・・・と、拙者は思う・・・・

博物館を出て・・・まだ、夕食には早いということで・・・
ドリアンを食べに行く事になった。(大笑)
ちょっと、遅い「おやつ」である。(笑)

067_convert_20150526205000.jpg (ドリアン)

このドリアンを食べたお店・・・「フルーツ・マーケット」にあるお店・・・
ドリアンを扱うお店がずらりと並んでいるのだが・・・
不思議なことに、以前、ツアーの時に立ち寄って食べたお店と同じお店だった。(大笑)
これだけのお店が並んでいるのに・・・・なんでここになったんだろう?
偶然なのか、必然なのか?(笑)

“ミヤケさん”から、「血圧は高くないですか?」と尋ねられた。
なんでも、血圧が高い人はドリアンは食べないほうがいいそうである。
ドリアンは「果物の王様」といわれているが・・・栄養豊富、高カロリーで知られている。
その昔、王様が精力増強の為、好んで食べたのだとか・・・(大笑)
だから、高血圧の人が食べると危ないのかな?(大笑)

“ミヤケさん”は血圧が高いのだそうで・・・(汗)
このドリアン・・・拙者一人で全部食べてくれと言う・・・(驚)
半分ほど食べてギブアップ!(大笑)
昼食抜きの空腹には、この柔らかいチーズみたいなドロドロとした実はこたえる・・・・(笑)
思ったより早くも満腹である。(大笑)

夕食は、市内のレストラン・・・
店内に入って・・・・あれ?・・・ここには来たことがあるぞ・・・(笑)
前回、ツアーで訪れた時に、ここで夕食を食べたっけ・・・
いやぁ~なんとも懐かしい・・・
ここはバイキング料理のお店・・・
適当に食べたいものを選んで食べるのだが、前回も来ているので、要領は飲み込んでいる。(笑)
ここで、“ミヤケさん”の御長男家族と合流して「夕食会」となる。
また、これも楽しい・・・・

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いやぁ~何だかんだとお世話になってしまった・・・
感謝、感謝・・・である。

旅行 | 19:23:17 | Comments(0)
ダバオへ行く
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ホテルで朝食を食べるが・・・
その昔、初めて宿泊した時から比べると、年々、食事の内容が粗末になって来ている・・・(大汗)
昔は盛りだくさんのバイキングだったから、何を食べようかと迷ったものだが・・・
今では品数も少なくなり、食べたいものがない・・・(涙)

ホテルをチェックアウトして、“ステラさん”の送迎で空港に向かう・・・
10時半、空港に到着。
チェックインカウンターでチェックイン・・・
昨日、成田空港で受け取った搭乗券を出し、なんで出てきたんだろうと尋ねたのだが・・・
反応なし・・・(大笑)
あれ?・・・驚かないの?(笑)
カウンターの女子職員は、なかなかの美人さんであるが、愛想がいい・・・(笑)
普通、美人さんは、愛想が悪いんだけど・・・(大笑)
しかし、彼女の興味は、搭乗券よりも拙者の目的のようである。(大笑)
「彼女に会いに行くのですか?」と言う・・・(大笑)
「ダバオに住んでいる日本人に会いに行くんだ」
「へぇ~ダバオに日本人が住んでいるんですか?」(笑)
へっ?・・・日本人が住んでいるというのは、そんなに珍しいのか?
そもそもねぇ~ダバオが発展したのは、その昔、日本人移民の活躍のおかげなんですけど・・・
そういう歴史・・・知らない?
ダバオの歴史の話を簡単にしたのだが・・・全然知らないという・・・(大汗)
拙者のスーツケースには旅先で入手したステッカーがベタベタと貼ってある。
彼女は、それにも興味をもったようで・・・
「すごいですね。世界中を旅してるんですか?」と言う。
「これはどこの旗?」
「これ?・・・これはマレーシア!」
「へぇ~」
「これは?」
「これはパラオ!」
「へぇ~・・・あなたは何をしている人なんですか?」
「僕?僕は・・・ナイショ!」(大笑)

そういうことは、どうでもいいんだけど・・・
なんで、搭乗券が成田空港で出てきたんだろ?
その答えを聞いていないんですけど・・・(汗)
「これ・・・なんで成田でもらえたんだろ?」
「知りません!」(笑)
へぇ?・・・・
「はい、どうぞ・・・」と差し出されたのは、新しく打ち出された搭乗券と、成田で受け取った搭乗券・・・・(汗)
あれ?・・・
「これ2枚だけど・・・」
「OK!OK!ノープロブレム!」
2枚の搭乗券・・・座席番号は同じ「29A」である・・・・
いや、いや・・・搭乗券が2枚って・・・どういうこと?
これ・・・どうすりゃいいの?(大汗)
彼女は、気にしないでくださ~い・・・と言うような顔をして、グッド・バ~イ!・・・・

結局・・・謎の搭乗券については何もわからないまま・・・(大笑)

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とりあえず、新しく打ち出された搭乗券を使って搭乗・・・

が・・・飛行機がなかなか出発しない・・・(笑)
理由はわからないが・・・軽く30分は過ぎている・・・
まぁ、フィリピン航空は時間にルーズだというのは有名な話しだから、さほど驚かないが・・・
しかし、今回はダバオ在住の“ミヤケさん”が空港に迎えに来てくれるのである。
マズイなぁ~
あまり遅れると心配かけちゃうんだけど・・・(汗)

016_convert_20150522142551.jpg (機内食)

マニラからミンダナオ島のダバオまでの飛行時間は、約2時間半である。
機内食は・・・この程度のものしか出ない・・・(笑)

030_convert_20150522143410.jpg 034_convert_20150522143637.jpg

035_convert_20150522144212.jpg 038_convert_20150522143940.jpg

どのあたりを飛んでいるのだろう・・・
もう、ダバオの上空あたりだと思うのだが・・・

30分遅れの午後2時に無事にダバオ国際空港に着陸する・・・

040_convert_20150522144941.jpg (ダバオ空港)

空港には“ミヤケさん”ご夫妻が迎えに来てくれていた。
いやぁ~・・・お待たせしましたぁ~(僕のせいじゃないけど・・・笑)

まずは・・・とりあえず・・・ホテルにチェックイン・・・
前回も泊まった同じホテルである。
前回は、散々苦労してチェックインしたので、今回こそはスマートに・・・と思ったが・・・(笑)
やっぱり英語が出来ず、苦労して、ようやくチェックインを済ませる。(涙)

よく考えてみたら・・・拙者は昼食を食べていない!(大笑)
機内でスナック菓子を1個、食べただけである・・・
さすがに腹が減ってきたが・・・
時刻は午後3時を過ぎている・・・
今さら昼食を食べていないんですけど・・・と言うのも、おかしな話しだし・・・
“ミヤケさん”に気を遣わせたら申し訳ないので我慢する。(大涙)

今回のダバオ訪問の目的は、“ミヤケさん”に会うのと、「ダバオ博物館」の見学の2つ・・・
早速、「ダバオ博物館」に連れて行ってもらう。

旅行 | 11:48:14 | Comments(0)
不思議な自動チェックイン機
今日からフィリピンである!(喜)

いつもの成田を午後5時過ぎに発つANA便でマニラに向かう。
チェックインは、ANAは「自動チェックイン機」を使用して自分でやることになっているのであるが・・・
いつも、何かしらのトラブルに遭うのである・・・(大笑)
というわけで、拙者は、この「自動チェックイン機」が苦手である。(苦笑)
今回も嫌な予感・・・

で・・・予感が当った・・・(大汗)
機械から搭乗券が出てきたのだが・・・
最初に出てきたのがANAの搭乗券・・・
ところが、それに続いてフィリピン航空の搭乗券も出てきたのである!(唖然)
なんだ、こりゃ?
これ・・・ANAの自動チェックイン機だよね?(汗)

今回のフィリピン旅行・・・
今晩はマニラに1泊して、明日、ミンダナオ島のダバオにフィリピン航空の国内線で向かうのだが・・・
搭乗券を見てみたら、明日乗る予定のフィリピン航空の搭乗券である!(唖然)
どうして?
なんで????(大汗)

カウンターに行き、ANAの職員に尋ねたが、彼女もわからないという。
「不思議ですねぇ~」と言う・・・
おい、おい、あんたの会社の機械から出てきたんだけど・・・(唖然)
「マニラに到着したら、向うの職員に聞いてみてください」と言う・・・
はぁ?
成田空港の機械から出てきたものをマニラ空港の職員に尋ねるのか?(唖然)
それも英語で?(汗)
そんな難しいこと英語で尋ねられないですけど・・・(大汗)

「こちらでは原因はわかりませんので・・・それにしても不思議ですねぇ~」と彼女・・・
いや、いや、あんたの応対のほうが拙者にとっては不思議だわぁ~(苦笑)

とにかく、フィリピン航空の搭乗券も一緒に持って行ってくれと言う・・・
はぁ・・・(汗)

無事に搭乗し・・・マニラに向かう・・・(苦笑)

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いつものように、“ステラさん”に迎えに来てもらい・・・
いつものように、市内の両替商で両替をし・・・
いつものホテルに宿泊・・・(笑)

今回はダバオへは一人で行くので、“ステラさん”には拙者の空港送迎だけを頼んである。

いつものように、ホテルのコーヒーラウンジで、おしゃべりをする。

部屋に戻り、スーツケースを開けて、荷物の確認・・・
なにせ、昨日は姪っ子の演奏会へ行くため、バタバタと荷造りしたからなぁ~
何か忘れ物をしているかチョット心配・・・
と・・・
やっぱり・・・ドジを踏んでる・・・(唖然)
シャツを4枚入れておいたのだが、なんと、そのうちの2枚が長袖である!(唖然)
半袖だと思っていたら長袖だった!(大笑)
この暑い中・・・長袖のシャツを着るしかないか・・・(大汗)
参った・・・(泣)

旅行 | 21:56:49 | Comments(0)
『北海道を守った占守島の戦い』
北海道を守った占守島の戦い (祥伝社新書332)北海道を守った占守島の戦い (祥伝社新書332)
(2013/08/02)
上原 卓

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まえがき

序章 「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」とは何か
        北方領土と千島列島
        「占守島の戦い」と長島厚(ながしまあつし)大尉の役割

第1章 ノモンハンから大東亜戦争へ
        長島厚の少年時代と、陸軍予科士官学校入学
        長島厚の陸軍士官学校進学とノモンハン事件
        満州の戦車連隊に配属された長島厚
        対英米戦(大東亜戦争)のはじまり
        米国機の本土空襲から生まれたミッドウェー海戦とアリューシャン作戦
        ミッドウェー海戦の惨敗を知っていた長島厚
        アッツ島玉砕とキスカ島からの撤退
        ソ連国旗を掲げた米国船舶が悠々と通過する占守海峡

第2章 千島(ちしま)の防御とソ連の動静
        満州から北千島に移動する戦車第11連隊
        千島列島最北端の島・占守島
        長島中尉による北千島実地調査
        アメリカを想定した北千島の防御態勢
        対日戦への参戦を狙うスターリンの意図
        日本のポツダム宣言受諾
        なぜスターリンは、終戦後も攻撃をやめなかったのか

第3章 ソ連軍、占守島に侵攻す
        ソ連軍による北千島奪取作戦の全貌
        北の辺土(へんど)で聴く終戦の聖旨(せいし)
        謎の砲撃と国籍不明の大艦隊
        上陸する敵軍、迎え撃つ日本軍
        ロパトカ砲台を沈黙させた日本軍砲兵隊
        洞窟陣地に肉迫する敵兵
        向井分隊長の壮絶な最期
        竹下大隊、ソ連軍を撃退す
        航空隊の戦い
        相手が米軍かソ連軍か知らなかった日本軍

第4章 戦車第11連隊の参戦
        戦車第11連隊への攻撃命令
        困惑しつつも出撃態勢を急ぐ戦車兵たち
        池田連隊長率いる戦車隊の出撃
        勇猛な戦車隊の敵陣突入
        池田連隊長の戦死
        戦車連隊長、池田末男(すえお)大佐の人となり
        南進を中止したソ連軍司令部の判断
        いち早く女性たちを脱出させた司令部の英断

第5章 軍使・長島厚大尉
        停戦命令下る、だが戦闘はつづく最前線
        停戦交渉の軍使に任命された長島大尉
        軍使一行、最前線の四嶺山(しれいざん)へ
        般林(はんばやし)少尉の最期
        一行の生存者9名、うち3名で敵陣へ
        ソ連兵に拘束される軍使一行
        長島軍使、停戦文書を手交(しゅこう)す
        アルチューフィン大佐との面談
        砂浜で立ったまま始まった停戦交渉
        停戦交渉の決着
        「占守島の戦い」で日本が優位に戦えた理由
        ソ連軍による日本軍武装解除に同行
        師団への帰還
        ヨーロッパの収容所へ、そして帰国

あとがき

年譜①「大東亜戦争の終結まで」
年譜②「昭和20年、終戦後の北千島」
参考資料



占守島とは千島列島の最北にある島・・・
カムチャッカ半島のすぐ目の前にある島である。
ここにも日本軍がいたとは驚きであるが・・・
終戦後、ソ連軍がここに侵入してきた。
すでに戦争は終わっているにもかかわらず・・・である。
これに対し、我が日本軍は「防衛戦」を戦うことになる。
この時に、ここで活躍したのが、戦車第11連隊・・・
元々は私が関係している戦車第2師団に所属する部隊だが、戦車第11連隊だけが占守島に引き抜かれ、師団はフィリピンへ派遣され壊滅している。

この「終戦後」に攻撃を仕掛けてくるというソ連の暴挙に対して抵抗したことが、「北海道を守った」ということに繋がるのである。
この時、抵抗しなかったならば、ソ連軍はそのまま千島列島を南下して北海道に上陸したかもしれない・・・・というわけである。
本書は、その戦いの記録である。


今年の読書:12冊目



読書 | 21:41:17 | Comments(0)
姪の卒業試験演奏会に行く
今日は、大学生の姪っ子の「卒業試験公開演奏会」・・・
“卒業試験”を公開するのか?(唖然)
「文教育学部・表現行動学科の音楽表現コース演奏学講座」の卒業試験だそうだ・・・
はぁ?・・・・
拙者のように「経営学部経営学科」というような単純な学部学科名じゃないので、“経営学士”の(笑)伯父には、何を勉強する学科なのかサッパリ解りませぬが・・・(大汗)
とにかく、卒業を記念して演奏をするんでしょ?(汗)・・・え?・・・違う?・・・やっぱり試験?

実は、明日から拙者はフィリピンに行くことになっているのだが・・・
う~ん・・・どうしようかと、散々迷う・・・
卒業試験の公開演奏会だからねぇ~
演奏を聴きに行ってやらねばとも思うのだが・・・
上京して演奏を聴いて、また家に戻り、翌日スーツケースを持ってまた上京というのもなぁ~(笑)
正直言って面倒くさい・・・(笑)

しかし、姪が幼稚園児のころから、演奏会には出来るだけ聴きに行ってあげていたから・・・
ここで聴きに行かないというのも、いかがなものか・・・(笑)
「最後の仕上げ」みたいなものだからなぁ~(大笑)

ウジウジ、ウジウジと悩んだ挙句・・・(笑)
聴きに行く事に決心!
もし、明日、飛行機が墜落して死んだ場合・・・後悔するかも知れないと思ったわけである。(大笑)
今日死ぬと分かっていたら、無理してでも姪っ子の演奏を聴いておくべきだったなぁ~と墜落する瞬間、思うかもしれないし・・・(大笑)
人生・・・何が起こるか分からないんだから・・・
というわけで・・・
昨日、必死になって旅行の準備を済ませ、スーツを着て上京!

この「卒業試験公開演奏会」・・・
大学のほうは、ピアノが7名、声楽が2名・・・
続いて「修了試験公開演奏会」も開催され、こちらは大学院生・・・
声楽の2名が行った。

姪っ子はピアノの演奏・・・
シャルル・トゥルヌミールとかという人の「12の詩的前奏曲・作品58」を演奏するのだそうだが・・・
音楽の知識のない“伯父”には、さっぱりわからん・・・(大笑)
№1、№10、№5、№6、№3・・・とプログラムに書いてあったけど・・・
拙者には意味不明・・・(大笑)
とにかく長い曲で・・・よく楽譜も見ずに弾けるものだと、そっちのほうに驚く・・・
だいたい、№1から、いつ№10に変わったのか・・・サッパリ解らぬのである。
はぁ~・・・・(大汗)
へぇ~・・・・ふぅ~ん・・・・
上手いんだか下手なんだか・・・さっぱりわからぬ・・・(大笑)
これ・・・試験?
どこで合否を判定するんだろ?(笑)
音楽の世界は解らぬ・・・(汗)

とにかく・・・いつものように、伯父ちゃんは聴きに来てますよぉ~・・・ということで、姪っ子が喜んでくれれば、それでいいか・・・(大笑)

わずか数時間で「とんぼ返り」・・・帰宅する・・・・

日記 | 21:03:08 | Comments(0)
『反哲学史』
反哲学史 (講談社学術文庫)反哲学史 (講談社学術文庫)
(2000/04/10)
木田 元

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はじめに
 反哲学史
 「哲学」とは何か
 新たな哲学史の構想
 「反哲学」の立場

第1章 ソクラテスと「哲学」の誕生
 「哲学」という言葉の由来
 ソクラテス
 アリストパネス・クセノフォン・プラトンのソクラテス像
 ソフィストへの挑戦
 「愛知」
 ソクラテスのアイロニー
 「哲学」という日本語の由来

第2章 アイロニーとしての哲学
 ソクラテスのアイロニー
 皮肉の構造
 教育的手段としての皮肉
 ソクラテスのアイロニーの謎
 無限否定性としてのアイロニー

第3章 ソクラテス裁判
 裁判の事実過程
 アルキビアデース
 30人政権の乱
 教育裁判
 ソクラテスの歴史的位置

第4章 ソクラテス以前の思想家たちの自然観
 フォアゾクラティカー
 自然(フユシス)
 自然(フユシス)の根源的意味
 生きた自然
 ロゴス
 ノモスの逸脱
 ソフィスト
 ソクラテスの役割

第5章 プラトンのイデア論
 プラトンの生涯
 イデア
 イデア論の真意
 制作的存在論
 なる・うむ・つくる
 物質的自然観
 イデア論の実践的動機

第6章 アリストテレスの形而上学
 アリストテレスの生涯
 アリストテレスの著作
 イデア論批判
 イデア論の批判的継承
 形而上学的思考様式
 形而上学的思考様式と物質的自然観
 形而上的思考様式の普及過程
 プラトンーアウグスティヌス主義的教義体系

第7章 デカルトと近代哲学の創建
 アリストテレスートマス主義教義体系
 プラトンーアウグスティヌス主義復興運動
 機械論的自然観
 数学的自然研究の謎
 デカルトの生涯
 普遍数学の構想
 方法への関心
 形而上学への転向
 方法的懐疑
 「私は考える」
 神の存在証明
 量的自然観の存在論的基礎づけ
 量的自然観の神学的基礎づけ
 形而上学的思考様式の近代的更新
 近代哲学の構図

第8章 カントと近代哲学の展開
 啓蒙と理性主義的形而上学
 イギリスの経験主義
 理性的認識と経験的認識
 カントの生涯
 コペルニクス的転回
 物自体と現象
 直観の形式と思考のカテゴリー
 『純粋理性批判』という書名の意味
 カント哲学

第9章 ヘーゲルと近代哲学の完成
 ドイツ観念論
 ヘーゲルの生涯
 ヘーゲルによるカント哲学の展開
 生成する精神
 弁証法
 絶対精神
 形而上学的思考様式の完成

第10章 形而上学克服の試み
 ヘーゲル批判
 第1節 後期シェリングと実存主義
   近代哲学批判
   Positiveの意味論
   実存哲学
   キルケゴールの「実存」の思索
   サルトルの実存主義
   根源的自然
 第2節 マルクスの自然主義
   『経済学・哲学草稿』
   ヘーゲルの批判的摂取
   全面的真理の立場
   労働の弁証法
   疎外された労働
   自然主義
 第3節 ニーチェと「力への意志」の哲学
   ニーチェの生涯
   『悲劇の誕生』
   「哲学的主著」の構想と発狂
   伝統的哲学とのかかわり
   「力への意志」
   ヨーロッパのニヒリズム
   力への意志
   等しきものの永劫回帰
   生と認識
   生の機能としての芸術
   生きた自然の復権

終章 19世紀から20世紀へ
 産業革命の時代
 力学的自然観の完成
 人間科学の成立
 実証主義への反逆

原本あとがき

この本は『存在についての短い歴史』であり、すべての人が陥る「絶対視の原理」から抜け出ることができる
          保坂和志(小説家)
1 長い前段
2 本題

参考文献

書名索引

人名索引



「哲学」とは何かということも知らないのに、いきなり「反哲学」について読むとは、無謀、もしくは非常識かもしれないが・・・(苦笑)
なんとなく「反哲学」という言葉に惹かれて読んでしまった。(笑)

で・・・・その結果は・・・
3歩も歩いたら全て忘れた!(大汗)

全く記憶に残らないのである。
これは著者のせいではない。
著者は、わかりやすく書いてくれているに違いなのだが・・・
どうやら、私の頭が「哲学」には不向きな頭なんだろうと思う。

結局、何の話なのかわからず仕舞いだが・・・
たまには、こういうものに触れることで、少しは我が脳みそが活性化してくれることを期待する。



今年の読書:11冊目



読書 | 21:58:16 | Comments(0)
フィリピンに行ってきます!
お知らせです!

相変わらず・・・・突然ですが・・・

9日(月)から13日(金)までフィリピンのミンダナオ島へ行ってきます!

というわけで・・・ブログの更新はお休みになります。

更新が、とんでもなく遅れているにも関わらず・・・(大笑)

すみません・・・(汗)

日記 | 20:06:31 | Comments(0)

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