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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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お知らせ
昨晩、無事に(相変わらず・・・笑)帰宅いたしました。

ちょっと風邪をひいたかも・・・・
珍しく、頭痛が起こり・・・頭痛と戦いながらの帰宅・・・(汗)
昨晩はそのまま爆睡!(笑)
今朝には頭痛もウソのように消え去ったので・・・・

また、ボチボチとブログを再開します。


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日記 | 10:06:06 | Comments(0)
帰国!
今日は、いつものように、午前9時45分発のANA便で帰国する。
午前7時半にはホテルをチェックアウト・・・・
“ステラさん”に空港まで送ってもらう・・・これも、いつものパターン・・・

いつもは空港に“サンディくん”が待機しているのだが、今回は別のスタッフが待機していた。
初対面のスタッフで、英語しか話せないと言う。(笑)
で・・・拙者が「英語が話せません」と言ったら、「英語で話してますけど・・・」(苦笑)
「いや、本当に話せないんですよ」とジョークを交えて言ったら・・・
「ほら、十分、英語を話していますよ!何を言ってるんですか!」・・・・と今度は呆れられた・・・(大笑)
これまた、いつものパターン・・・・

今回も空港では時間を持て余す・・・・
空港内をウロウロしていたら、以前は見かけなかった「靴磨き」コーナーを見つけた・・・(笑)
今回はスーツ姿なので、革靴を履いている・・・
おお・・・靴でも磨いてもらおうかな・・・(笑)
靴磨きの“オニイチャン”・・・・やたらと生活が苦しいという話を英語で延々と話すのである。(大笑)
店側にいくらピンハネされるとか・・・(大笑)
このターミナルは客が少ないから売り上げが上がらないとか・・・(大笑)
他に話題はないのかね?(汗)
「チップをくれる客が少ないんですよねぇ~」
「特に中国人と韓国人はケチだろ?」
「そうなんですよ!でも、日本人は親切な人が多いですよ。チップを弾んでくれます」
「そうだろぉ~日本人は親切だろぉ~」
あ・・・しまった!・・・・
そう言っちゃうと、チップを弾まねばならないではないか!(大汗)
「墓穴を掘る」とは、まさしく、このことぞ・・・
泣く泣くチップを弾むことになる・・・(大泣)

まだ搭乗までには時間がある・・・
お土産屋さんを覗いてみる・・・
そうだ、水戸藩士の“シミズくん”のお母さんは「ドライマンゴー」が好きだと言っていたのを思い出した。
で・・・おいしいドライマンゴーは・・・・どれだ?(笑)
何種類かのドライマンゴーを売っているのだが・・・
売店の“オニイチャン”に尋ねてみる。
「あまり甘くなくて、ちょっと酸味があるドライマンゴーはある?」
「?」
あれ?・・・英語が通じないのか?(大汗)
この“オニイチャン”・・・同じ店員の“オネエチャン”に助けを求めた・・・(汗)
「甘くないマンゴー?」
「そうじゃなくて、あまり甘くなくて、酸味が少しあるやつ・・・」
「これ、おいしいですよぉ~、これも、おいしいですよぉ~こっちのも・・・」
「いや、おいしいのはわかるけど・・・あまり甘すぎるのはダメ!わかる?」(苦笑)
「これは・・・砂糖が××mgです」
「ということは・・・甘いの?甘くないの?」
「さぁ~わかりませんけど・・・おいしいですよぉ~・・・こっちのも、おいしいですよぉ~」(笑顔)
だめだ、こりゃ・・・(大涙)
味見をさせてくれりゃ話は簡単なんだけどなぁ~(大笑)
勘に頼って買うしかないな・・・(汗)
というわけで・・・お土産を購入!
と・・・なぜか、お店の人達がやたらと喜んでいる。(汗)
なんでそんなに喜んでいるの?(苦笑)
たくさん買ったわけではないんだけど・・・(大笑)
滅多にここで買うやつはいないのか?(大笑)

いつものように、タバコの吸えるコーヒーショップでコーヒーを飲んで一服・・・
ワンパターンの行動は落ち着く・・・(大笑)

少し早めに搭乗口へ行き、読書をして時間を潰す・・・
目の前の椅子には4人分の座席を占拠して横になって寝ている奴がいる・・・
なんとマナーの悪い男か・・・・(怒)
まもなく搭乗開始となり・・・この“男”が起き上がったら・・・
なんと・・・この“男”は、女だった・・・(唖然)
あ~あ~男か女か区別がつかぬ格好と行動・・・・
唖然である・・・・

無事搭乗し・・・(当然ですが・・・)
午後3時・・・これまた無事に成田に到着・・・(大笑)
で・・・・これまた無事に帰宅する。(大笑)

旅行 | 18:54:31 | Comments(0)
将軍と面談・・・
マニラに到着してホテルにチェックイン・・・・
一息ついて・・・(笑)
夕方、ホテルのロビーでフィリピン空軍の将軍と待ち合わせ・・・

この“将軍”は、“イエペス館長”からのご紹介・・・
昭和49年にルバング島から帰還した小野田少尉の捜索に当っていたそうで、その頃の話を聞かせてもらったらいいじゃないか・・・とのこと。
と・・・ついでに、姪御さんとの“お見合い”(?)(大笑)

ホテルのコーヒーラウンジで面談することにしたので、ラウンジの一角を「予約」して座席を確保して待つ。
タバコでも吸おうか・・・とホテルの入口脇にある「喫煙所」へ向かおうとしたら、ドアの近くに車椅子に乗った方が・・・
ん?・・・・もしかして・・・
“将軍”は、車椅子に乗っている・・・という情報をいただいていたが、どう見てもお若く見える・・・(笑)
とりあえず声をかけてみたら・・・やっぱり“将軍”だった!
「え?なんで私が分かったの?」と言われたが・・・
車椅子に乗ってくるはずだと聞いていたから・・・と答えるのも失礼かと思い・・・・
「直感です!」(大笑)

ここで“イエペス館長”、“将軍”の姪御さんにも集まってもらうことになっていたのだが・・・
あれ?・・・“将軍”一人?・・・姪御さんが連れてきたわけではないの?(汗)
専属ドライバーが乗せて来てくれて、コーヒーラウンジまで車椅子を押してくれるという。
時間通りに到着したのは“将軍”だけ・・・
フィリピン人は時間にルーズだというが・・・さすがは“将軍”である。(笑)

“ステラさん”に通訳してもらいながら、おしゃべり・・・
しかし、彼女がちょくちょく席を離れてしまう・・・(汗)
そうなると・・・シ~ン・・・・・(笑)
人間というものは、国籍に関係なく、沈黙というのは苦手なようで・・・(大笑)
まもなく、ドドドドドッ・・・・と“将軍”が話しかけてきた!(大汗)
あの・・・通訳がいないんですけど・・・(大涙)
やむなく、我が頭の中にある中途半端な“翻訳機”を駆使しておしゃべりをする・・・(大笑)

“将軍”は、当時はフィリピン空軍の特殊部隊の指揮官だったそうで・・・・
小野田少尉の捜索に3年間も当っていたそうである。
小野田少尉“救出”後は、小野田少尉より、医者である小野田さんのお兄さんと仲が良かったそうで、日本に招かれて“お兄さん”の家にも泊まったという。
当時の写真など資料もたくさん持参してくれたので、それを見ながら、いろいろ思い出話を話してくれた。

遅れて“イエペス館長”が到着・・・・
館長さんは、メモ帳を出して、一生懸命、“将軍”のお話をメモをする・・・
我が親父と同い年の86歳だが・・・いやぁ~なんと前向きな・・・・(笑)

小野田さんもさることながら、拙者が気になっていたのは、小野田さんが発見される前に“射殺”された小塚金七一等兵のこと・・・
小塚一等兵が射殺されたのは昭和47年のことだから、拙者が小学6年生か中学1年生の頃のことである・・・
「せっかくずっと生き残っていたのに・・・かわいそうだなぁ~」と思ったことを今でも覚えている。
今もってフルネームで覚えているんだから、拙者にとってはショッキングなニュースだったのだと思う。
小塚一等兵を射殺したのは、“将軍”の率いる特殊部隊ではなく、警察だったらしいが、その直後、“将軍”も現場に駆けつけている。
「実は、マスコミには話していないのだが・・・」と小塚一等兵の最期の様子を話してくれたが・・・
この話は、一般的に伝わっている話(少なくとも拙者が知っている話)と、ちょっと違うのである・・・
ちょっと驚く話しだが、拙者がここに書くわけにはいくまい。
これは、“将軍”が自身の言葉で語るなり、書き残すなりすべきものだと思う。
だから・・・ここには書かない・・・書けない・・・

ルバング島へ行って小塚一等兵の慰霊をしてあげたいなと思うのだが・・・
当時は、小塚さんを供養する木標が射殺現場に建てられていて、その写真も見せてもらった・・・
「ここに行きたいんですけど・・・今はどうなっているんでしょうか?」
“将軍”は、小野田さん“救出”後、一度も同島に行ったことがないと言う・・・
いつか、お線香をあげに行きたいなぁ・・・・

“将軍”の姪御さんが、かなり遅れてやって来た・・・・(笑)
到着するなり、一人でオシャベリしまくるという元気な“オバチャン”・・・(大笑)
(拙者より、ちょっと若いだけだから“オバチャン”でいいでしょ?)(大笑)
彼女は、フィリピン空軍の軍医中佐だそうで・・・(ゲゲゲッ!偉い!)(汗)
その階級の割には気さくで明るい“オバチャン”である・・・(大笑)

この姪御さんが“将軍”に昔のことを話すようにとけしかけたらしい・・・(大笑)
今まで“将軍”は小野田少尉の捜索に関しての話をあまりしなかったらしい・・・
何故なのかわからないが、何があったのかは知らないが、口が重かったそうで・・・
もうそろそろ語ってもいいんじゃないか・・・体験談を一冊にまとめるのもいいのではないか・・・と言ったらしい。
ちょうどそういう時にタイミングよく、拙者が紹介され、初めて語る事になったそうである。
あら・・・光栄なこと・・・(笑)
“将軍”のお名前なのだが、これがどうも発音が難しくて覚えられないのである。(大泣)
何度も聞き返すのも悪いので・・・・(笑)
拙者は「ジェネラル(将軍)」と呼ぶことにした。
正確には「退役准将」である。

「ミスター・オノダは、体験談を本に書いているそうで、その本は英語にも翻訳されているそうだが、私はその本を読んだことがない。彼が一体どんなことを書いたのか、この歳になったら気になったてきたので、是非、読んでみたいと思っている」と“将軍”がおっしゃる・・・
ん?・・・「彼が一体どんなことを書いたのか気になる」という言葉が、ちょっと気になる・・・・(大汗)
小野田少尉との間に何かあったのだろうか?
小野田少尉は今年の1月に他界されているので、そのことを話したが、特に驚いた様子がない・・・
他界したことを知った上で、「何を書き残したのかが気になる」ということか?
「あいつは一体何をしゃべったんだ?」というようなニュアンスにも聞こえたのだが・・・(大汗)
今度、日本語版と英語版との小野田さんの著書を買い求めようかなぁ・・・

オシャベリしているうち、あっという間に外は真っ暗に・・・(笑)
「夕食でもどうですか?」と皆様をお誘いする。
実はすでに近所の中華レストランの個室を予約済み!(大笑)
ところが、メインゲストの“将軍”は薬を飲まないといけないので自宅に帰るとおっしゃる・・・
あらら・・・・お話を聞かせていただいたお礼にご馳走しようと思っていたのに・・・(涙)

というわけで・・・拙者と“ステラさん”と館長と“将軍”の姪御さんの4名で夕食ということになった・・・
と・・・姪御さんが「主人が車の中で待っているんですけど・・・ご一緒してもいいですか?」とおっしゃった・・・(唖然)
へぇ?・・・ご主人?(大笑)
どうもおかしいと思っていたのだ・・・
彼女の話の端々に「ハズバンド(主人)」という言葉が出てきていたのである。
独身なら「エクス・ハズバンド(元・旦那)」と言う筈だが・・・と思っていたんですけどね。(苦笑)
ん?“お見合い”の話はどこへ行った?(大笑)

「館長さんは確か姪御さんは独身だって言ってましたよね?私の聞き違いじゃないですよね?」と“ステラさん”・・・
「うん、確かに独身って言ってた・・・・」
「御主人がいたんじゃ・・・ダメですよね?」(苦笑)
「あ~・・・お見合いね・・・・こりゃ、無理だねぇ~」(笑)
“イエペス館長”は、どこ吹く風とばかりに澄ましていた・・・・
「館長・・・ボケたな・・・」と“ステラさん”と大笑い・・・

食事中も“ステラさん”が、ちょくちょく席を外す・・・(大汗)
おかげで“助け舟”なしの英会話となる・・・(大泣)

姪御さんは、空軍では「航空医学」の専門家だそうで、12月にアメリカへ研修に行くそうである。
で・・・この食事会・・・
「いいタイミングだったわ!これは私の壮行会ね!」と大喜び・・・(大笑)
まぁ・・・どう受け取っていただいても結構ですが・・・(大笑)
ご主人は歯科医で、フィリピン空軍で歯科医をやっていたとか・・・
すごくいい人で・・・
こう言っては失礼だが、完全に「尻に敷かれている」ようにも見える・・・(大笑)
う~ん・・・こういう元気溌剌、バリバリの奥さんをもらったら・・・大人しく尻に敷かれるのが無難かも・・・(大笑)
あ~やっぱり、拙者は結婚には向かない人種だな・・・(苦笑)
彼のように穏やかにできないもん・・・(大笑)
拙者が博物館好きだと知って、ご主人が気を遣ってか博物館の話をいろいろしてくれた。(笑)

“イエペス館長”は、疲れが出たのか・・・ウトウト・・・・(大笑)

予想以上に話が弾み楽しい食事会となった。
みなさんに感謝、感謝である。
館長、姪御さん夫婦を見送り、ホテルに戻る。
レストランで、“ステラさん”の上司である日本人の”イトウさん”にお会いした。
どうも今日の慰霊祭に参加したグループを案内してレストランにおられたようで・・・
もし仕事を終えたらホテルのコーヒーラウンジに来てくださいとコーヒーに誘う。(笑)
まもなくラウンジで合流・・・・
“イトウさん”とは、初対面だが、大いに話が弾み・・・今度は日本語での“おしゃべり大会”となる。(大笑)

いやぁ~充実した一日でした!
ドドッと疲れが出て・・・熟睡である!(大笑)

旅行 | 11:42:20 | Comments(0)
慰霊祭?
早朝6時にはドライバーの“ラウルくん”がホテルに迎えに来た。
昨晩はどうだったか尋ねたら、苦笑しながら「落ち着かなくて寝られなかった」と言う・・・(大笑)
そりゃそうだろ・・・あの豪邸に一人で泊まったんだから・・・(大笑)
警備員が常駐していてセキュリティは万全だろうが・・・息苦しかっただろうねぇ~(大笑)
大笑いである。

朝食は“ラウルくん”も含めて4人で食べる。
このホテル・・・不思議なのだが・・・
宿泊者以外に、もう一人分、追加料金なしで朝食を頼むことができるのだとか・・・
はぁ?・・・・である。(苦笑)
一人で泊まっても、朝食は2人で食べていいですよ・・・ってことか?(唖然)
よくわからんが・・・・“ラウルくん”の朝食はタダになるわけだから、あまり詮索しなくていいか・・・(大笑)

慰霊祭の式典は午前7時ごろから始まるらしい・・・
「らしい」というのは、よく分かっていないからで・・・・(笑)
特別、招待状をもらったわけではない。(笑)
主催者側から口頭で「是非参加してください」と言われただけ・・・(大笑)
主催者側の一員である“タケウチさん”に確認を取ったが、「とにかく朝早いんですよ」と言うばかりで具体的な受付開始時間を教えてくれなかったのだ・・・(唖然)
というわけで・・・多少遅れてもいいんじゃないの?・・・と、ゆったりと朝食を食べてから会場に向かうことにした。(大笑)

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会場は、観音像が建っている「リリーヒル」の前の広場・・・
かなり人が集まっていたが、どこにも「カミカゼ」の文字は見当たらない・・・(汗)
一応・・・「神風特攻隊の慰霊祭」と聞いていたのだが・・・(大汗)

この「慰霊祭」の主催がどこなのか、拙者はよく知らない・・・
随分昔から、鹿児島の某宗教法人と某医療法人が関わっているという話は聞いてはいたが・・・
主催は地元のマバラカット市なのか・・・それとも、日本側の宗教法人なのか?
拙者は“一般席”のテントに座ったが・・・
“タケウチさん”がやって来て“来賓席”のほうへ座ってくれという。
この間のペリリュー島でのこともあり、今回はスーツを着て参列したが・・・
この「慰霊祭」には、なんとも違和感を感じる・・・
下手に来賓席に座って写真に写ったりテレビに映ったりしたくはない・・・(大笑)
とにかく末席でいいとお断りする。

と・・・“ディソンさん”の息子さんがお父さんの代理として来ていて来賓席にいると言うのだ・・・
あのね・・・息子さんが参列するなら、そうと事前に教えてくれなくては・・・(唖然)
“ディゾンさん”への「お届け物」は、昨日館長さんに渡しちゃったよぉ・・・
ここで息子さんに会えるなら、息子さんに内容の説明をして渡してくれるように頼めたのに・・・(ムッ!)
どうして、そういう情報を事前にくれないのかねぇ~(唖然)
とりあえず、来賓席へ行き息子さんにご挨拶・・・
で・・・博物館の“イエペス館長”に「お届け物」を届けてくれるように頼んであることを、お父さんに伝えてくれるよう話す。

式典開始・・・・
“お偉いさん”方のスピーチはよくわからない・・・(汗)
テロとの戦いがどうのこうの・・・という話が飛び出すが、彼らのスピーチに「神風特攻隊」の話は出て来ない・・・(大汗)
あれ?・・・「神風特攻隊の慰霊祭」だよね?・・・・これ?(唖然)
日本側の挨拶も似たり寄ったりである。(汗)
「今年もここに来れて嬉しい」という感じ・・・・(唖然)

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この宗教団体は、朝鮮総連本部のビルを買い取るとかという話でマスコミを賑わした僧侶がやっている宗教団体。
どういう宗派なのか知らないが・・・
なんだろ・・・これ・・・・
山伏?・・・修行僧?・・・・密教?
「これぞ、秘儀!」というような“パフォーマンス”・・・(唖然)
これを、ただ見るだけ・・・・(大汗)
参加者が焼香するわけでもない・・・
日本で行われる一般的な慰霊祭とは全く違う・・・

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宗教団体の“パフォーマンス”・・・・
これで日本に帰ると、「神風特攻隊員の慰霊をしました!」ということになるのだろう・・・ねぇ~(汗)
よくわからん“パフォーマンス”である。
一応、彼らの基準では“パフォーマンス”ではなく、“儀式”と呼ぶのかな?

日本には特攻隊の慰霊顕彰をする団体や予科練の戦友会があり、拙者は、それらの会員になっている・・・
そういう団体がこの式典に参列しないのが不思議だったが・・・
あ~・・・・これでは参列はしないよなぁ~(大汗)

某医療法人は、東京都知事の政治資金問題か何かでマスコミを賑わせ、さらには逮捕者まで出した団体であるが・・・(汗)
毎年100人以上が、この式典に参加していると“タケウチさん”は言っていた・・・
が・・・どうも今年は20人程度しか来ていないとか・・・(笑)
ただ座って見ているだけ・・・
で・・・日本に帰ったら「特攻隊員を慰霊してきました」ということになるのかな?
よくわからんな・・・この「慰霊祭」・・・・(汗)

今回の参列には目的がある・・・
この慰霊祭の様子を拙者が入会している特攻隊の慰霊顕彰団体や予科練の団体の会報に寄稿して、できるだけ多くの方に「神風特攻隊の慰霊」に参加してもらおうと思っていたのである。
が・・・これでは・・・書けないな・・・(大汗)

この“式典”(?)には、マスコミ各社も取材に来ていた・・・
日本の関係だと・・・NHK、共同通信社、現地日本人向け新聞のマニラ新聞社・・・
各社から、それぞれコメントを求められたが・・・
正直なコメントを言ったら・・・
「それ・・・記事に出来ません!」(苦笑)と言われてしまった・・・(大笑)
まぁ・・・そうだろうねぇ~(笑)

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最後に“草”に火を放つ・・・・
“タケウチさん”は、護摩を焚く・・・と言っていたが・・・
護摩符を焚く・・・という意味だと思っていたが、それらしきものを投げ込んで焚いたようには見えなかった。(汗)
草だか枝かの山に火を放っただけ・・・
この“野焼き”みたいなのは、何だろう?

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会場の隅に消防車・・・
最後に火を消すために待機しているのだろう。
それにしても・・・・フィリピンの消防車って緑色なの?(笑)

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“式典”の最後に、明らかにイスラム教徒とわかる人物がスピーチ・・・・
イスラム・テロリストに対して非難していたので、イスラム教徒全員が“悪”ではないというバランスを取るため、イスラム教徒のスピーチを入れたのだろうが・・・
「神風特攻隊」と何の関係があるのだろうか?(大汗)
もしかして、どこか趣旨が違っているのではないか?
これが「世界平和祈願」ということであれば、わからないでもないが・・・
現地では「世界平和祈願式典」・・・日本人相手には“聞こえのいい”「神風特攻隊慰霊祭」????

マスコミ各社も神風特攻隊が初めてマバラカットの飛行場から飛び立って70年目という“節目”なので取材に来ていたのだそうだが・・・(汗)
再び、マスコミの取材を受ける・・・(苦笑)
「ずっと見ていて、やっとあなたの言っていた意味がわかりました」と言ってきた・・・(笑)
「でしょ?・・・ボクが何であんなコメントをしたか分かったでしょ?」(笑)
記事に出来ない話では申し訳ないので・・・
仕方がない・・・「模範的コメント」・・・つまり“歯の浮くような”・・・(大笑)・・・コメントを出すことにした。
「ああ、それなら書けます」と言いながらメモをしていたが・・・(笑)
記事になったかどうかは拙者はしらない・・・(大笑)

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会場には多くの原住民たちが集まっていた・・・
フィリピンの先住民族であるアエタ族の人達である。
彼らはフィリピン国内でも貧困層に属しているという。
不思議なことに、どこの国でも「先住民族」というのは、そういう階層になるようである・・・(大汗)
先に住んでいたのは彼らなのにね・・・
アエタ族の子供達もたくさん集まっていたが、どうやらお菓子が振舞われるらしく、車の回りに集まって押し合いへし合い・・・(笑)
近くにいたアエタ族の“おじさん”の話では、彼らは一日に一食しか食べられないこともあるという貧困だそうで・・・
まあ、こういう機会にアエタ族に「施し」をするということかな?
アエタの子供達は、このお菓子を目当てに集まっているという感じ・・・(大笑)

で・・・アエタの大人たちは物売りに集まっているという感じ・・・
ここに来れば日本人に何か買ってもらえるだろうと踏んでのことだろう。(笑)
アエタの“おじさん”・・・
手作りの木製携帯電話スタンドを売りつけに来た!(大笑)
どうもスマートフォン用らしいのだが・・・拙者の携帯は、“それ以前”の古い型なんだよねぇ~(大笑)
彼の説明がよくわからない・・・いくら聞いても彼の説明が要領を得ないのである。(苦笑)
で・・・どうしようもなくなって、彼は他人の携帯電話を借りてきて・・・(大笑)・・・使い方を説明し出した。
「あのね・・・それじゃダメだな。日本人は買わないな・・・どうせなら、ここを、こういう風に改良したほうがいいと思うよ」と余計なアドバイスをしてあげる。(笑)
拙者のアドバイスが通じたかどうかは知らないが、「買わない」と言ったのに、なぜか嬉しそうに頷いていた・・・(大笑)

アエタの“おばさん”・・・・
手作りの粗末な・・・(笑)・・・弓矢のおもちゃを売りつけに来た!(汗)
彼らアエタ族は、もともとは狩猟民族である・・・
そんな弓矢・・・・拙者のカバンに入らないんですけど・・・(大笑)
断ったが、食べ物も買えないくらい貧しいとか何とか言って、なんとか買ってくれとせがんできた・・・(大汗)
「あのね、ここで僕があなたから買うでしょ?そうすると他のみんなは、あなたに嫉妬するでしょ?そうなるとあなたは困るでしょ?不幸になっちゃうでしょ?・・・・他の人が見てるから、買わないよ。分かった?」(笑)
拙者の英語が通じたかどうかは知らないが・・・(大笑)
彼女は何度も頷いて、売りつけるのを諦めた・・・(大笑)
ついでに・・・拙者の話を周囲の人も聞いていたのだろうか?
誰も拙者に売りつけに来なくなった・・・(唖然)

テントの中・・・拙者の周囲には空いている席がいくつもあったが、アエタ族の皆さんは、日本人の側に座ったら悪いと遠慮していたのか周囲を取り巻くだけで、座ろうとはしない・・・・
と・・・人混みの中に腰の曲がったアエタの“おばあちゃん”が・・・・(笑)
「こっちに来て、座ってください」と椅子を勧めてあげたらニコニコ笑ってペコペコお辞儀をして椅子に座った。
「ナイス・ミー・チュー!」と“おばあちゃん”と握手してご挨拶・・・
途端に、周囲のアエタ族の皆さんがニコニコしながら拙者の周囲に集まりだした・・・(唖然)
あらら・・・そのうち、あっちの人、こっちの人と握手する破目に・・・(大笑)

どうせ、慰霊祭なんだか何だか分からない“パフォーマンス”をジッと座って見ているより、アエタの人達と交流していたほうが楽しい・・・
慰霊祭などそっちのけで“民間外交”・・・・(大笑)
拙者を取り巻く連中の中から一人の青年が親しげに握手を求めてきた。
ん?・・・あんた・・・誰?
なんと、彼が言うには・・・以前、拙者のドライバーをしたと言う・・・(唖然)
あら・・・ゴメン・・・全然覚えていない・・・(大汗)
名前を聞いて・・・「あ~!あ~!君か!」(大笑)
周囲も爆笑!
「あれ?・・・君もアエタ族なのか?」と尋ねたら「そうだ」と言う・・・
あらら・・・気が付かなかった・・・(笑)
彼はなにやら現地語で拙者のことを周囲に話したようである・・・
さらに握手を求めてくる連中が増えた・・・(大笑)
とりあえず、彼は拙者に対して悪い印象は持っていないようである・・・(汗)
彼を雇った時に拙者が横柄な態度をとっていたら、こういうわけにはいかなかっただろうから・・・(笑)
多分、いい印象を持ってくれていたと解釈しよう・・・

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アエタの子供達にはフィリピンの国旗と日本の国旗の小旗が配られていたが・・・・
彼らが去った後には、なぜか「日の丸」の小旗だけが地面に散乱していた・・・(唖然)
さては、渡す時に、よ~く説明していなかったな!
不思議なことにフィリピンの国旗は一つも落ちていない・・・
たぶん、フィリピン国旗は大事に持ち帰ったのだろう・・・・(笑)
自分の国の国旗と同じように他国の国旗も大事に扱うように教えることが「世界平和」に繋がると思うんですけど・・・
中国や韓国のように、我が日本国の「日の丸」に火を放つようなことをしちゃいけませんよ・・・と教えてあげないとね。(大笑)

帰りがけに観光局長をとっ捕まえて文句を言う・・・・(大笑)
英語で書かれた観光リーフレットに日本文を添えたいので翻訳してくれと頼まれ、翻訳家の“フルサワさん”のご協力を得ながら苦労して翻訳した日本文・・・・
受付で配布されていた観光リーフレットに、その日本文が挟さまれていなかったのである!(唖然)
なんたることぞ!・・・である!(怒)
日本人が来た時に配布すると言っていたではないか?
局長に文句を言ったら、ペコペコ頭を下げながら、「印刷が間に合わなかった」と言う。
かなり前に余裕を持って渡しておいたのだが・・・
「ここで日本人たちに渡さないで、いつ渡すんだ?苦労して作ったんだぞ!」(怒)
「原本は大事にファイルしてあるから・・・」と局長は弁明に必死・・・(大笑)
困った奴だ・・・(苦笑)
まぁ、それはそれとして・・・「御苦労様でした」と握手して別れる・・・・

と・・・この“イベント”の受付スタッフの女の子たちが拙者に笑顔を投げかけてきた。
先ほどまでは、拙者と視線が合ってもシラ~ッとしていたのに・・・(苦笑)
他の人の話では、どうも最近、局長の横柄が目立つようになり、スタッフから不評なのだという。
あらら・・・(大汗)
もしかして、その“横柄な”局長にペコペコと頭を下げさせたから、拙者に笑顔を投げかけてきたのか?(大笑)
「よくぞやってくださいました!」ということかね?(大笑)
うそぉ~(汗)

“式典”が終わり、自然解散となる・・・・
式典には来賓として空軍の司令官も来ていた・・・
主催者の一員である“ナカムラさん”から「空軍の司令官を是非あなたに紹介しますから・・・」と言われたが・・・
「あのぉ・・・司令官ならお供を引き連れてもう帰っちゃいましたけど・・・」(苦笑)
「ええ!いやぁ~失敗したなぁ~あなたには是非紹介しないといけないなと思っていたんだけどなぁ~」とおっしゃる。
いえ、いえ・・・司令官を紹介されても・・・(大汗)
何を話していいやら・・・である・・・(大笑)

“カメイさん”は、これから北部ルソンの山岳地帯に単身向かうという・・・
というわけで、とりあえず昼食をご一緒し、バスターミナルまで送る・・・
で・・・拙者はまっすぐマニラへ・・・・

旅行 | 08:40:27 | Comments(0)
クラークに向かう
いつも早朝に親父と散歩をしているおかげで・・・
目覚ましもかけていないのに、自然と目が覚めた!
これは、いいのか悪いのかは知らないが・・・
時刻は午前5時半!!(唖然)
日本時間では午前6時半だから・・・拙者の体内時計は日本時間のままのようである・・・(大笑)

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朝焼け・・・・である。
いい景色である・・・早起きして得したか・・・(笑)

今日は、これからクラークに向かう・・・・
“ステラさん”に迎えに来てもらい、運転手付きで車もチャーターしてある。
運転手も“ステラさん”もクラークに1泊してもらい、拙者の手足になってもらう。(笑)
なんと、豪勢な旅行であろうか・・・(大笑)

クラーク博物館は、現在改修中だという・・・(唖然)
そんな話は聞いてませんでしたけど・・・(汗)
近くの仮事務所に館長がいるというので、会いに行き、いつものように昼食に誘う。

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今回の旅行の目的だが・・・
明日の慰霊祭の参列がメインではあるが、博物館の“イエペス館長”とお会いするのと、画家で郷土史家の“ディソンさん”にお会いするのも拙者の大事な目的である。
特に“ディソンさん”には、この間、一緒にお会いした“ヤナギモトさん”からの「お届け物」を預かって来ているのである。
当初は、前回に引き続き“タケウチさん”に各種手配をお願いする予定だったが・・・
メールのやり取りがうまくいかない・・・
各種手配をしてくれるか打診したが、やってくれるのかどうか、何の返事も来ない・・・(大汗)
やむなく、従来通り“ステラさん”に頼むことで予定を変更・・・
回答がないので他へ頼んだ旨をメールしたところ・・・
「すでに手配は完了済みだが、そういうことならキャンセルしておきます」との回答・・・(唖然)
メールを送ってから2週間以上も音沙汰なしで、それはないだろう・・・(汗)
しかも、こちらは可能かどうかの打診だけをしただけなのである。
手配しておいてくれとは頼んではいない・・・
回答は「YES]か「NO」であるべきである・・・・
日本人同士なのに日本語が通じないというのも困ったものである。(大笑)

“ヤナギモトさん”からの「預かり物」を直接“ディソンさん”に届けなくてはならない。
加えて、成田を出発する直前に“ヤナギモトさん”から連絡があり、日経新聞に“ディソンさん”のインタビュー記事が載っているとのこと・・・
急いで新聞を買い求めて飛行機に飛び乗った・・・(笑)
この新聞も渡したいが、日本語だし・・・(大笑)
渡しながら説明をする必要があるだろう・・・・・

“ディソンさん”とのアポは“ステラさん”と館長と二段構えでお願いしておいたが、残念ながら通院のため会うのは無理とのこと・・・(涙)
こりゃ困った・・・(汗)
館長が「私を信用していただけるのなら、私が後日届けましょう」とおっしゃる・・・
しかしねぇ~・・・貴重なものなんだよね・・・この「預かり物」・・・
万が一、失くされたのでは困るんですけど・・・(汗)
館長さんは良い人だが、フィリピンの国民性を考えると・・・あまり信用できないんだよねぇ~(大笑)
かといって、「あたしを信用していただけるなら・・・」と言われちゃうと、頼まなければ「信用していない」ということになっちゃうし・・・(大汗)
結局、館長にお願いして、後日“ステラさん”が確認するということで話を決める。(苦笑)

そろそろ、お暇をしようと思ったら、「そう急いで帰る事はないだろう」とおっしゃる・・・
「いや、いや、館長さんもお仕事があるでしょうから・・・」と言ったら・・・
「あなたは、たまにしか来ないんだから、ゆっくりしていってくれ」とおっしゃる・・・(汗)
結局、なんだかんだと夕方までお邪魔することとなってしまった・・・(唖然)

「今度、来るときは“チェスナット”をお土産に持ってきて欲しい」と館長さん・・・
「チェスナット??」
なんだろ・・・それ・・・(大汗)
なんでも、丸くて、甘くて、おいしいのだそうだ・・・(笑)
頼りにしているガイドの“ステラさん”は・・・
「チェスナットですよ、ほら、わかりませんか?・・・え~と、日本語ではなんていうのかなぁ~・・・ここまで出かかっているんだけど・・・ほら、丸くて・・・あるでしょ?・・・日本に・・・」(苦笑)
「へっ?」(大汗)
ボキャブラリーの殆どない拙者としては、突然の見知らぬ単語に焦ったが・・・
何だかんだと説明を聞いてみると・・・もしかして・・・「栗」のことかな?
ん?栗のことは「マロン」っていうんじゃないのか?
あれ?・・・・「マロン」は英語じゃない?(笑)
甘いって言うんだから・・・「天津甘栗」のことかな?(苦笑)
「ほら、あるでしょ?日本で有名な、丸くて、甘くて・・・前に一度食べたことがあるのよ。こんなに大きなチェスナットでね・・・・それを今度お土産に持ってきてね」(笑)
え?そんなに大きな天津甘栗ってあったっけ?(苦笑)
まぁ、いいか・・・とにかく「天津甘栗」のことを言っているということで・・・・(笑)
「了解しました!」(笑)

「明日のご予定は?」と館長さん・・・
慰霊祭後は特に用事は無い・・・(笑)
どこか戦跡を探してブラブラしながらマニラに戻ろうかと思っているが・・・
そういうことなら、自分の知人を紹介する・・・という。
ルバング島で小野田元少尉の捜索に当っていた元フィリピン空軍の将軍だそうで・・・
はい、はい、拙者は館長さんのご紹介なら、誰にでもお会いしますよ。(笑)
マニラでお会いすることとなる。
で・・・このジェネラル(将軍)は、高齢なので姪っ子さんが同行するとのこと。

「この子は明るくてとてもいい子なんだけど・・・美人じゃないのよ」と館長さん・・・(笑)
「美人じゃない」を連発する・・・(大笑)
「確か独身のはずだから・・・・美人じゃないけど、あなたの目で見て、自分で判断しなさい」とおっしゃる・・・
「へっ?」(大汗)
ん?・・・・まさか、また“お見合い”の話しか?(大汗)
彼女は、フィリピン空軍の軍医中佐だそうだが・・・
中佐?・・・え?・・・となると・・・歳はいくつなんだ?(大笑)

長時間にわたり拘束され・・・(大笑)、やっと解放されたが、かわいそうなのは、ずっと外で待っていた運転手の“ラウルくん”である。(大汗)
さぞかし待ちくたびれただろうなぁ~(汗)
彼を利用するのは、今回で2回目である。
経費節約の為、現地の旅行社を通さず、個人的に頼んだ。(笑)
余計なムダ口を叩かぬ、おとなしい好人物である・・・
「いやぁ~ごめんね!待たせちゃって!疲れただろ?」
「いえ、大丈夫です」・・・と言いながら苦笑していたから、やっぱり呆れていたかも・・・(汗)
まぁ、我慢してね・・・これが、拙者の旅のスタイルだから・・・慣れてちょうだい!(大笑)

今日の午後、日本から“カメイさん”がマニラにやってくる。
彼のお父さんは北部ルソンの山奥で亡くなったそうで・・・
年に何回もフィリピンに来る。
そして山奥の村の子供達の学費の面倒をみてやったり、いろいろ個人的に活動をしている。
英語が殆ど話せないが、拙者と違って(大笑)度胸があるので、一人でバスに乗ってこちらに来るという。
というわけで・・・バスターミナルまで迎えに出る・・・
明日の慰霊祭に一緒に参列するので、今晩の宿泊先は拙者と同じホテルにしてもらった。
予定の時間より数時間も遅れて“カメイさん”が到着・・・・
どうも飛行機がかなり遅れたらしく、それに加えてバスが渋滞に巻き込まれさらに遅れたそうである。(汗)
御苦労様・・・である。
チェックインのほうは拙者が先にやっておいてあげたので、遅れても問題はないが・・・
本人は、この散々な目に遭ってクタクタ状態・・・
背中にリュックを背負った上に、両手に大きなカバンを提げているのだ・・・(唖然)
これらは全部、山奥の村の人達へのお土産なんだとか・・・(汗)
町の中のレストランよりホテル内のレストランのほうが、食後、すぐに部屋で休めるからそのほうがいいだろう。
ということで・・・ホテル内のレストランで遅い夕食をとる。

明朝は朝早いので・・・(涙)
食後、すぐに解散して各自部屋に向かう。
ドライバーの“ラウルくん”は、“イエペス館長”が会員になっているコンドミニアムに宿泊することとなった。
豪華な「高級別荘」である!
この広い家に一人で泊まるのか?(大笑)
“ラウル君”の不安そうな顔・・・(大笑)
う~ん・・・拙者の“高級ホテル”の部屋より数倍も広いんですけど・・・
拙者と“ステラさん”はホテルを予約済みだが、ドライバーは町の中の安いホテルを探して泊まってもらうことにしている。彼の宿泊代は拙者が負担することになっている・・・ということを話したら、それじゃ、私のコンドミニアムを使いなさい・・・と館長さんが言う・・・
何かしらの形で「お返し」をしなければ・・・ということなのだろう。
館長さんのご好意を無下に断ることが出来ず宿泊させてもらうことになったが・・・
ちょいと寂しいでしょうねぇ~・・・・一人では・・・(大笑)

旅行 | 12:38:41 | Comments(0)
フィリピンへ行く
今日からフィリピンへ行く・・・
当初の予定は、マニラに一泊後、ミンダナオ島へ飛び“ミヤケさん”に会って、おしゃべりして・・・(笑)
2泊ぐらいして、氏の農場を見学させてもらったり、ダバオの博物館を見学してマニラに戻り・・・
それからマバラカットの慰霊祭に参列して帰国する予定だったが・・・
ペリリュー島から帰国後、親父から“泣き”が入った・・・(笑)
一人で留守番をするのは寂しいから、あまり長期間海外に行かないでくれと言う・・・・(唖然)
たかが1週間程度だというのに・・・
しかも毎日ヘルパーさんに来てもらう手配も、いつも通りだというのに・・・(汗)
相変わらずの「自己中」である。
若いときから横柄で我儘で自己中だったが、歳を取っても変らないようである。
そのおかげで、どれだけ親父に足を引っ張られたことか・・・(怒)
無視してもいいが・・・(笑)
可哀想なので、ミンダナオ島行きはキャンセルしてルソン島だけにする。(悲)
旅行を取りやめて家にいて俺の面倒を見てくれ・・・と親父は言いたいのだろうが・・・
そうはいかない。(笑)
拙者は旅行自体を取りやめる気はさらさらない・・・(大笑)
これからは拙者が「自己中」をやらせてもらう番である!(大笑)

いつものように、夕方に成田を出発するANA便でマニラへ・・・

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いつものように“ステラさん”が出迎えてくれ・・・・
いつものホテルにチェックインし・・・
いつものようにホテルのコーヒーショップでコーヒーを飲みながらオシャベリを楽しむ。

毎度、同じパターン・・・
このワン・パターンがいいのだ・・・(大笑)

旅行 | 09:15:36 | Comments(0)
お知らせ
また、また、お知らせです・・・・

23日から26日までフィリピンに行ってきます!

この間、行ってきたばかりだろう!(唖然)
・・・・という声が聞こえそうですが・・・(大汗)


すみません・・・また留守になります!

日記 | 23:33:50 | Comments(0)
どうして親の面倒を見なくてはならないのか?(大笑)
親の面倒を見たくない・・・というわけではない。(笑)

さすがに飽きてきただけである・・・(大笑)

最近、ふと思うのだが・・・
どうして子供が親の面倒を見なくてはならないのだろうか?(大笑)
よ~く、よく考えてみると、どうしても納得がいかないのである。(大笑)

そもそも、拙者は、母親と父親が真夜中に“ナニ”した結果、生まれてきたわけで・・・(大笑)
拙者が勝手にポン!・・・と生まれ出てきたわけではない。
つまり、母親と父親の手によって作られた“生産物”なのである。(笑)

ということは・・・その“生産物”を生産した、生産者として我が両親は責任を持たねばならないわけで・・・・
つまり“製造責任”があるわけですよ。
その責任は、“生産者、製造者”がこの世を去るまで負わなくてはならないと思うんですよね。(大笑)
ということは・・・・拙者は面倒を見てもらう立場であって、面倒を見てあげる立場ではないのではなかろうか?(大笑)

これを自動車に例えると・・・・(笑)
日産自動車が自動車を生産してこの世に出したとします。
しかし、この自動車が出来損ないの自動車で・・・・(大笑)
自動車自体の問題で事故を起こしたとします。
その場合、この自動車を製造した日産自動車は責任を取らねばなりません。
販売してから20年以上経ったので「成人」していますから関係ありません・・・とは言えないわけです。
日産自動車が倒産でもして、この世から無くなれば責任の追求はできませんから、その場合を除いては、会社が存在している以上、販売して何年経っていても、出来損ないの自動車の責任をとらねばなりません。

ほらね?
人間も、成人したからって、両親が知らん顔・・・というわけにはいかんでしょ?
出来損ないの子供を生んだ責任を取らないと・・・(大笑)

「子供の自立」とか「親孝行」なんていう言葉は、あれは無責任な親が自分の為に作った言葉ではなかろうか?(大笑)
製造責任の放棄である!(大笑)
もう20才も過ぎた大人だから・・・は通用しまい?
子供は、いくつになっても子供なのである。(大笑)

というわけで・・・・(大笑)
拙者は親が死ぬまで脛を齧ろうと思うのです。(大笑)
拙者を産んだ責任上、最後まで面倒を見てもらわねば・・・(大笑)
で・・・・
いつまでも面倒を見てもらうには、親父に長生きしてもらわねばならない。
そうなると、拙者が面倒を見なければ長生きできないわけで・・・
あれ?
なんともおかしな話になるな・・・これ・・・・(大汗)

しかたがない・・・親父の面倒を見るか・・・・(大笑)
なにか・・・納得できないのだが・・・
やむを得ない・・・・(大笑)

エッセイ | 16:08:27 | Comments(0)
『昭和史発掘 幻の特務機関「ヤマ」』
昭和史発掘幻の特務機関「ヤマ」 (新潮新書 (026))昭和史発掘幻の特務機関「ヤマ」 (新潮新書 (026))
(2003/07)
斎藤 充功

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まえがき

第1章 幻の秘密機関を追って
 市ヶ谷にあった「調査部分室」
 吉田茂逮捕の裏で暗躍
 知らずに会っていた組織のトップ
 大分県宇目町を再訪して
 残されていたオーラル・ヒストリー
 ついに明かされた「ヤマ機関」

第2章 日本の防諜機関
 近代防諜機関の草創期
 「憲兵」の本務
 海外特務機関の活動
 科学的防諜の役割
 経済謀略戦にも手を染める

第3章 ヴェールが剥がされたヤマ機関の実像
 新宿若松町の地に誕生
 「長崎支店」に転任
 「殺しのライセンス」
 踊るべきスリ名人のテクニック
 不祥事の記憶
 長崎市十六番街

第4章 「ゾルゲ国際諜報団」摘発の真相
 20世紀最大のスパイ事件
 ゾルゲと4人の男たち
 「国際諜報団の男逮捕さる」
 ラムゼイ機関の無線技師
 不法無線を探知せよ
 ラムゼイ機関VSヤマ機関

第5章 戦後を生きた機関員たち
 9年で消えた組織
 8月22日の終戦
 西田会の面々
 たった一人の生き残り
 91歳の証言者
 市川雷蔵が演じた諜報員

あとがき

参考文献、資料

陸軍特務機関「ヤマ」・年表



この秘密機関「ヤマ」というのは、戦時中の陸軍の防諜機関だったらしい・・・
その性質上、あまり知られていない組織である。
私も本書を読んで初めて知った・・・・
“幻”の機関を追うドキュメンタリー・・・・力作だと思う。
現在の日本にも、当然、こういう防諜機関は必要だと思うが・・・
中国人女性を嫁にもらう自衛官が多いという・・・
大丈夫だろうか・・・防諜・・・・(大汗)


今年の読書:62冊目



読書 | 00:31:56 | Comments(0)
直帰!(笑)
当初の予定では、今日はどこか宇都宮の史跡でも見てから帰ろう・・・ということだった。
“シミズ委員長”は、特に史跡好きという人ではないが、拙者が史跡好きなのを知っているので気遣ってくれたのである。
が・・・・
なんと!・・・委員長の会社に午前10時に急遽、お客さんが来ることになったと言う。(汗)
あらら・・・史跡巡りどころではない・・・・(笑)

10時に来社ということは・・・遅くとも7時には宇都宮を出発したほうがいいだろう。
通勤ラッシュに巻き込まれたら、どのくらい時間がかかるか見当もつかない。(大汗)

「いやぁ~申し訳ないねぇ~」を連発する委員長・・・
いや、いや、拙者は助手席に乗っているだけですから二日酔いでも平気ですが・・・(大笑)
大変なのは運転をする委員長である。(苦笑)

親父へのお土産は、昨日のうちに「物産展」で購入済みであるから問題はない・・・(大笑)
真っ直ぐ帰りましょう!!

無事に余裕を持って我が町に到着!
お疲れ様でした!

日記 | 10:14:51 | Comments(0)
宇都宮へ行く
今日は法人会の全国大会に参加するために栃木県宇都宮市に行く・・・
で・・・我が法人会からの参加者は・・・・たったの2名!(唖然)

当初、拙者は全く参加する気がなかったのだが、広報委員長の“シミズさん”だけが参加するそうで・・・(汗)
いくらなんでも、たった一人での参加ではかわいそうなので・・・(大笑)
拙者は“シミズ委員長”の部下の広報委員でもあることだし・・・(涙)
誰かが、この全国大会の報告を会報に書かねばならんとなると、拙者しか執筆者はいないだろうし・・・(大泣)
委員長にお供して大会に参加することとした。

で・・・わが町から宇都宮までは、車で移動・・・
拙者の“愛馬”はナビが故障しているので・・・(大笑)
拙者の車で行ったのでは、目的地に到着する可能性はかなり低くなる・・・(大笑)
ということを理由に・・・(大笑)・・・“シミズ委員長”の運転する車に乗せてもらい宇都宮に向かうこととした。

が・・・・我が家に迎えに来てくれるはずの委員長が時間になっても来ない!(大汗)
ん?・・・・・乗せてもらう身で催促するのは気が引けますが・・・(大笑)
電話をしてみたら・・・なんと!・・・・寝坊していた!!(大笑)

というわけで・・・出発時間がちょっと遅れましたが・・・無事に宇都宮に到着・・・
本日宿泊予定のホテル近くで昼食をとる。

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ホテルのチェックインはまだできないと言うので、車はホテルの駐車場に預けて、式典会場にタクシーで向かう。

会場に到着して、まず最初にやらねばならぬ“使命”がある。
記念写真の撮影である!
ちゃんと全国大会に参加しましたよぉ~という“証拠写真”を撮らねばならないのだ。
それが広報委員の拙者の仕事・・・(笑)
しかし、たった2名では・・・ねぇ~・・・・(汗)
拙者が“撮影者”になると・・・被写体は1人だけとなる・・・(大笑)
会場のスタッフに頼んで「うつのみや親善大使」の女の子と一緒に写真に収まる。(照)
他の法人会は、大勢で来ているので、2列、3列になって記念写真を撮っているのだが・・・
こちらは、たった2名・・・目立つこと、目立つこと・・・(恥)

式典会場は、各都道府県別に座席が決められている。
で・・・茨城県は・・・・
なんと!開式10分前だというのにガラガラ・・・ほとんど誰も座っていない!(怒)
目立つんですけど・・・茨城県・・・・
この全国大会は“親会”の大会なので、参加者は拙者より年上の人が多い・・・
つまり・・・団塊の世代が多いのである。
で・・・このありさま・・・
さすがは大量生産の不良品が多い“団塊の世代”である!(笑)
しかも、「日本で一番魅力の無い県」で2年連続全国1位の茨城県である!(大笑)
開式10分前に着座していないという、この自覚のなさ・・・
茨城県の“団塊の世代”はかなり質が悪いということか・・・・(汗)
愚か者め!恥を知れ!(怒)
会報にこの実態を報告せねば・・・ということで、3列も空席になっている茨城県の座席を撮影する・・・(大笑)

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まずは・・・講演会・・・
『日本の行方~政治と経済の現状分析と展望』という演題でTBSテレビ報道局の松尾さんの講演会である。
テレビのコメンテーターとしてよく拝見する方だが・・・
この人とは、確か4年ほど前にお会いしたことがある。
拙者がミッドウェイ島で開催された日米合同慰霊祭に参列したときに、アメリカの支局からTBSテレビの撮影クルーが参加されていた。
わざわざアメリカ本土からハワイを経由してアナウンサーとカメラマンがやって来たのである。
御苦労様なことである。
ちなみに、拙者を含む日本側は日本からハワイを経由してミッドウェイ島にやってきたのだが・・・(笑)
帰国直後に、我が法人会で、たまたま松尾さんを講師に講演会を開催・・・
この時に、いつミッドウェイ島の日米合同慰霊祭の様子を放送してくれるのかを尋ねたのである。
で・・・後日、本人から直接、我が家に電話があった。(驚!)
放送予定がなかなか決まらぬうちに、菅直人総理が辞任したり横綱朝青龍が隠退したりとビッグニュースが続いたため、とうとう放送されぬまま“お蔵入り”となったらしい・・・(涙)
しかし、わざわざ電話をしてくれるとは・・・
この人は、「いい人」である・・・(大笑)

大会記念講演会では、政治家の実名を出しての話なので、「オフレコということでお願いしたい」とのこと・・・
う~ん・・・それでは、講演会の内容は会報に書けないな・・・(大笑)

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続いて式典・・・・
来賓の国税庁長官・林信光氏のスピーチは、「国税庁長官」という“お堅い”イメージとは違い、笑いを誘う、なかなかのスピーチだった・・・上手である・・・・(笑)
また、宇都宮市長・佐藤栄一氏は、拙者より1歳年下という若い市長さん。
で・・・これまた元気溢れ笑いも誘う上手なスピーチ・・・
さすがは人口50万人の市長さんだと感心した。
人口が減り続け、現在18万人程度しかいない我が市の市長さんとは、ちょっと違う・・・(苦笑)

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式典の最後は、恒例の次年度開催地のアピールである。
来年は徳島で全国大会が開催されるそうだ。(喜)
拙者は、「青年部」の全国大会には何度も参加しているが、「親会」の全国大会の参加は今回が初めてである。
う~ん・・・徳島かぁ~
徳島には行ったことがないから・・・(笑)
旅行を兼ねて行ってみるか?(大笑)

式典の後は、「大懇親会」だが・・・我々は出ない・・・(笑)
2人で参加しても面白くないし・・・この人数では食べ物も殆ど食べられまい。(笑)
ということで・・・ホテルに向かいチェックインをすることにする。

さて、ホテルでのチェックイン・・・
ここでトラブル発生である!(唖然)
「法人会で予約しているんですけど・・・」と言ったら、宿泊者リストを持ち出してきた。(汗)
「代表者のお名前と連絡先を書いてください」と言う。
代表者って・・・俺達2人だけなんだけど・・・なに・・・このリスト・・・
ズラリと数十名の名前が記されている・・・(唖然)
「代表って何?」
「どなたか代表者様に記入していただきませんと・・・」
どうも全国法人会連合会が旅行社に手配してたらしいのだが、なぜかその旅行社の「ご一行様」ということになっている。(唖然)
「俺たちゃ、ツアー旅行じゃないんですけど・・・」
「でも、書いていただかないと・・・」
「何で代表者が俺なの?書かないとチェックインできないの?」
「困るんですけど・・・代表者がいないと・・・」
「ツアーじゃないって言ってるでしょ?代表者が必要だという理由は何なの?」
「え~忘れ物とかされた時に、代表者の方にご連絡を差し上げます」
「あのね・・・このリストに載っている何十人という人・・・俺はどこの誰だか知らないんだけど!」
「はぁ・・・」
「知らない奴の忘れ物を俺のところに連絡されても困るんだけど!!」(怒)
まったく「開いた口が塞がらない」とは、このことである!
いくら説明してもフロントの女の子は理解できないらしい・・・
連合会の事務局が悪いのか、手配を受けた旅行社が悪いのか、それともこのホテルが悪いのか・・・
とにかく押し問答である・・・
さすがに、頭に来た!!(怒)
「旅行社に電話して話をつけろ!!」
こういう場合・・・どうも怒鳴り声を張り上げないと効果が無いようである。(笑)
同じフロントにいる他の従業員は聞こえない振りをしていたが、さすがに怒鳴り声をあげたら・・・
「あの・・・・これは書かなくても結構です。」と横から言ってきた・・・
「最初から、そう言えよ!ツアーでもねぇのに何で俺が見ず知らずの連中の代表者にならなくちゃならねぇんだ!」
「あの・・・代表者は必要ありませんので・・・・」
「そうでしょ?」
「はい・・・」
「問題があるなら、こういういい加減な手配をしてきた旅行会社に文句を言いなさい!なんでご一行様になっているんだよ!全国からバラバラで集まってきただけなのにツアー旅行のわけがねぇだろ!」(怒)
「ごもっともでございます・・・」

さんざん怒鳴りまくって、ようやくチェックインを果たす・・・(大笑)

旅行会社が自社の名を売るためか、実績をあげようとして「ご一行様」にしたのか・・・
予約を受けたホテル側が勝手に「ご一行様」にしてしまったのか・・・
とうとう真相はわからなかったが・・・
いずれにせよ、相互の打ち合わせが出来ていないんだよね・・・

ホテル内のレストランで食事を済ませ、“ジミズ委員長”と二人で、いそいそと夜の街へ飲みに出かける!(大笑)

日記 | 21:57:27 | Comments(0)
『かくて昭和史は甦る』
かくて昭和史は甦る―人種差別の世界を叩き潰した日本 (クレスト選書)かくて昭和史は甦る―人種差別の世界を叩き潰した日本 (クレスト選書)
(1995/05)
渡部 昇一

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まえがき
なぜ今、この本が書かれなければならないか
     日本とドイツの大きな違い
     時事問題としての昭和史

序章 さらば、亡国史観
東京裁判が抹殺した「日本の言い分」

     いつまでも謝りつづける日本
     なぜ、アジア諸国だけが“例外”なのか
     「反日的日本人」
     東京裁判は復讐の儀式
     なぜ、石原莞爾は被告にならなかったか
     「日本の言い分」
     ペリーから始まる日本近代史

1章 “気概”が産んだ近代日本の奇跡
かくて日本の独立は保たれた

(1)世界史から見た明治維新
     世界史の例外的存在・日本
     「無駄な抵抗」をしなかった日本
     ゴールド・ラッシュの体験者・ジョン万次郎
     万次郎を“発見”した島津斉彬
     西洋近代文明を率直に評価した幕末のリーダーたち
(2)“腹を括った”明治の指導者たち
     イメージが歴史を作る
     前代未聞の岩倉使節団
     「見る」ことの重要性
     ホテルの絨毯に仰天
     「腹を括る」ことの意義とは
     怖いのはロシアだけ
     言葉の行違いが産んだ国交断絶
     “大西郷”と征韓論
     なぜ、庄内藩士が“西郷ファン”になったのか
     「清貧の思想」ゆえの怒り
     内政問題であった征韓論
     私心なき大久保と西郷の死闘
     なぜ、西郷軍は敗れたのか
     忘れられた西南戦争の戦訓
(3)なぜ、“憲法の大欠陥”は生まれたのか
     なぜ、新政府は憲法制定を急いだか
     なぜ、鹿鳴館は作られたか
     世界一の憲法学者
     国王と皇帝の大きな違い
     なぜ、明治憲法には首相の規定がなかったか
     憲法とは“国家の体質”である
     “不磨の大典”の危険性
     実質上の憲法であった「教育勅語」
     律令無視をやった古代の天皇
     日本は鎌倉以後、二重法制の国家だった
     富国強兵だけが生き残る道だった
     明治維新に学んだ韓国・朴大統領
     “気概”を持っていた明治の指導者

2章 日清・日露戦争の世界史的意義
“日韓併合”の真実を明かす

(1)日清戦争ー朝鮮を独立させた日本の活躍
     日本の独立を憂えた福沢諭吉
     「わが子を外国人の奴隷にしたくない」
     「下からの近代化」
     日清戦争は「余計な戦争」か
     「安心して戦死してくれ」
     画期的だった日朝修好条規
     清国の横暴
     なぜ、福沢は朝鮮の開国派を援助したか
     清国水兵の暴行事件
     「日清戦争の義」とは
     コリア史上初の「帝国」
(2)世界史を変えた「日英同盟」
     半島を狙うロシアの野心
     「事大主義」の国・コリア
     「元寇」の悪夢
     植民地主義を正当化した進化論
     世界を驚かせた日英同盟
     北清事変
     あくまでも出兵に慎重だった日本
     略奪が常識とされた時代
     賞讃の的になった日本人
     大英帝国を動かした親日的感情
     日英同盟を潰したアメリカの陰謀
(3)「現場の知恵」こそ、日露戦争の勝因
     戦争を終わらせるのは政治家の仕事
     「日本の実力」を知っていた伊藤博文
     ロシア革命を起こした明石元二郎
     日露戦争を勝たせた二つの要素
     “奇跡”を可能にした下瀬火薬
     わずか30分で勝敗が決まった
     日露戦争が「大艦巨砲時代」を作った
     神出鬼没のコサック騎兵
     天才・秋山好古の“逆転の発想”
     未知の新兵器・機関銃
     かくて「騎兵の時代」は終わった
     常識破りの夜襲計画
     ロシア軍を退けた黒木の“勘”
     「児玉少佐ハ無事ナリヤ」
     「乃木なればこそ」と言った明治天皇
     自分の息子を「殺した」乃木将軍の覚悟
     「腹を括れるか」がリーダーの条件
     203高地を凌ぐ脚気の被害
     日本軍を脅かした脚気
     臨床重視のイギリス医学
     「高木ごときに何が分かる」
     文豪・森鴎外の大いなる罪
(4)忘れられた“日韓併合”の大義とは
     朝鮮と台湾の大きな違い
     大いなる負担となった朝鮮半島
     マッカーサーですら認めた“日本の国益”
     韓国独立論者だった伊藤博文
     慎重に行われた日韓併合
     日韓同祖論
     「和歌の父」は帰化人だった
     日本のカミと朝鮮のカミ
     “内鮮一体”を掲げた日本の理想
     “歴史慣れ”をしていなかった日本
     はたして安重根は英雄か
     根拠なき「日韓併合無効論」
     戦後補償は“無知”の産物
     国賊的な金丸訪朝団
     誤解されている従軍慰安婦の実態
     日本とアメリカのどちらが文明的か
     「パンドラの箱」を開けるな

3章 日本から見た「太平洋戦争」
再び悲劇を繰り返さないために

(1)対日憎悪を激化させた“清貧の思想”
     白紙になったハリマン交渉
     シナ進出を狙うアメリカの真意
     エリート第1号の小村寿太郎
     「清貧が勝つと、国民が不幸になる」
     「日本軍襲来」の誤報は、なぜ生まれたか
     日本が出した「人種差別撤廃提案」の意義
     事後法で日本人を排斥
     なぜ、日本人は日米開戦を歓迎したのか
     追い詰められた日本
(2)自由経済を殺した「大国の罪」
     「万里の長城」のごとき関税障壁
     巨大経済ブロックの出現
     自由経済への不信感は、なぜ生まれたのか
     ニュー・ディールとナチスの共通点
     ヒトラーとスターリンは双子の兄弟であった
     統制経済からは何も生まれない
     「天皇制の廃止」に恐怖した日本人
     なぜ、日本共産党は消滅しかけたのか
     暴力を志向する共産主義の実態
     恐るべき特高の執念
     死刑になった共産党員はいない
     裁判すらなかったソ連の実態
     「断罪史観」は、百害あって一利なし
     再評価されるべき治安維持法の意義
(3)“腐敗”を追放すれば、民主主義は死ぬ
     「天皇を戴く共産主義者」たち
     “一つ穴の狢(むじな)”だった陸軍の二大派閥
     財閥は「悪の権化」にあらず
     政治献金を悪と決め付けた戦前の右翼
     「クリーンな政治」の恐るべき終着点
     2・26事件で日本の運命は決まった
     “天皇の官僚”の登場
     「経済版の参謀本部」
     近衛文麿の懺悔
     今なお残る統制経済的政策

4章 かくて、昭和史は甦る
「東京裁判史観」の大いなる罪

(1)「民族自決」の国・満州建国の真実
     天罰を受けた日本陸軍
     居留民保護は“世界の常識”
     民族自決の国・満州国
     なぜ、溥儀は日本に保護を求めたか
     あくまでも中国との協調を目指した日本政府
     イギリスはなぜ、満州国を黙認したか
     「五族協和」の理想
(2)シナ事変ー隠された真相
     “下克上”の悪習
     偶発事件だった「盧溝橋」
     「中国共産党のワナ」
     戦後、消されてしまった“通州事件”
     恐るべき証言
     「誤爆原因説」の真っ赤な嘘
     計画されていた民間人虐殺
     圧倒的に不利だった上海事変の日本
     民間人を犠牲にした蔣介石の意図とは
(3)「南京大虐殺」の幻は、なぜ生まれたのか
     南京市民を置去りにした国民政府
     松井将軍はなぜ、慎重を期したか
     不審な点が多すぎる「南京大虐殺」
     なぜ、誰も虐殺の報告をしなかったのか
     伝聞しかない「虐殺」の証拠
     虐殺計画は存在しない
     松井将軍の通達が意味するものとは
     軍規違反を心から恐れた日本兵
     「ひと月で5万人増」の意味するもの
     なぜ、根拠なき主張が生まれたか
     戦死者までも犠牲者にされた
     捕虜殺しをやったアメリカ軍の実態
     ポツダム宣言を無視したシベリア抑留
     今なお残る戦時プロパガンダの「嘘」
     双方を不幸にするゲリラ戦
     日下判事は、なぜ無罪になったか
     村山首相らの“国賊的”行為とは
     “便衣隊”をやった国民政府軍の過ち
     南京防衛を選んだ蔣介石の“罪”
     「大虐殺」をしたのは誰か
(4)日本外交が犯した二つの大罪
     チャーチルの深慮遠謀
     真珠湾が作った日本のマイナス・イメージ
     誰が「奇襲攻撃」にしたのか
     送別会を優先させた外交官たち
     機転の効かないエリートたち
     昭和天皇も知らなかった「日米開戦の真実」
     原爆投下も避けえたはず
     「省益あって国益なし」
     日米交渉の致命的ミスとは
     “ピープル”とは“皆の衆”である
     陪審員制度は“皆の衆”制度
     アメリカの政治家はなぜ、選挙民を意識するか
     「戦争をしない」と公約したルーズベルト
     アメリカには直接対話が最も効果的
     蔣介石の改宗が意味するもの
     泣いて「日本の暴虐」を訴えた宋美齢
     いまだに進歩なき対米外交
     「アメリカはアンフェア」
     エリート外交の危険性

終章 人種差別の世界を叩き潰した日本
わが国が“世界の教師”となるために
     「大東亜共栄圏」の真意
     東南アジアを解放した日本の戦争
     なぜ、日本の未来は安泰なのか
     “教師”としての日本
     日本が誇るべき文化とは
     国家社会主義の象徴・所得税
     「無駄遣い」こそが文化を産み出す
     税を下げれば、東京は文化発信都市になる
     肉体を動かすことが知性を鍛える
     今こそ、“気概”を

索引


今年の読書:61冊目



読書 | 00:28:46 | Comments(0)
弘道館鹿島神社
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弘道館鹿島神社

祭神 武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)
創建 安政4年(1857)5月9日

由緒
水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)公(烈公)は天保9年(1838)水戸学大道の象徴たる藩校弘道館の仮開館に際して、仁孝天皇の勅許を得て神殿を造営し、同11年(1840)9月、潮田巧蔵に命じて、構内に武甕槌大神を祀る意思を宣言した。
『弘道館記』を真弓産の大理石に刻らしめ、安政4年(1857)5月9日、常陸国一ノ宮鹿島神宮の御分霊を遷祀し、更に斉昭公が自ら鍛えた「葵(あおい)くずし八雲(やくも)鍛え」の太刀を奉納して御神体に擬(なぞら)え弘道館に魂を入れて本開館となりました。
(太刀は水戸市指定重要文化財・県立歴史館保管)
明治4年(1871)1月郷社に定められ、水戸城東二十六ヶ町並に茨城郡の内小幡、橋場美新田、先後新田、吉沼、下座、下雨谷、世楽、佐才新田、上吉影、以上九ヶ村を氏子に附けられ明治15年(1882)1月28日県社に列しました。
武甕槌大神は日本国建国の祖神と仰がれ、孔子廟と共に文武兼備の貴神と尊崇され、昭憲皇太后や昭和天皇が御親拝遊ばされました。
御神殿は戦災で烏有(うゆう)に帰し、戦後しばらくは仮殿でしたが、昭和49年第60回伊勢神宮式年遷宮の折、皇大神宮別宮の「風日祈宮(かざひのみのみや)」の旧殿一式が特別譲与され、昭和50年5月9日伊勢皇大神宮の別宮一社のすべてを移築した全国唯一の荘厳な神明造りの御社殿が完成し、盛大な例大祭と竣功奉告祭が斎行されました。
尚本神社の神輿は北関東最大級です。

(※ 以下、年間行事等の記述は省略)

平成15年7月吉日
宮司 千種重樹 謹書

(説明板より)

【茨城県水戸市】

史跡 | 15:52:57 | Comments(0)
八卦堂
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八卦堂(はっけどう)

この八角の堂は、各面の上欄に八卦(易)の算木が取り付けられているので八卦堂といいます。
現在の堂は、創建時のものが、昭和20年8月の戦災で焼失したため、昭和28年に再建したもので、堂の中には弘道館記碑が納められています。
この碑文は徳川斉昭(烈公)の撰文による書で、藩校である弘道館の教育の基本を示したものです。
碑は弘道館の建設と同時に建てられ、高さ3.1メートル、幅1.9メートル、厚さ0.55メートルで常陸太田産の寒水石を用いています。

(説明板より)

【茨城県水戸市】

史跡 | 13:41:35 | Comments(0)
弘道館
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弘道館

弘道館は水戸藩9代藩主徳川斉昭(烈公)寛政12年(1800)~万延元年(1860)が、自らの発意により天保12年(1841)創設した藩の学校です。
当時は、正庁、至善堂を中心として文館、武館、医学館、天文台等が配置され梅林の中には鹿島神社、孔子廟、八卦堂、学生警鐘(鐘楼)等があり総合大学のような偉容を示していました。
明治元年(1868)藩内に争乱がありその際の兵火によって文館、武館、医学館等を失い、その後広大な敷地も県庁、三の丸小学校用地として割譲され規模は縮小されました。
昭和20年(1945)の戦災によって残存していた、鹿島神社、孔子廟、八卦堂も焼失しましたが、正門、正庁、至善堂、学生警鐘は、奇跡的に災禍をまぬがれました。
昭和28年(1953)から、八卦堂、孔子廟の復元、正庁、至善堂の修理等を行い、弘道館公園として現在に至っています。
明治■年(1871)藩校としては閉鎖されましたが、同8年公園となり大正11年(1922)特別史跡、旧弘道館として國の指定を受け、昭和39年(1964)正庁、至善堂及び正門が國の重要文化財に指定されています。

茨城県

(説明板より)


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正門

天保12年(1841)の弘道館創立時に建てられた正門です。
本瓦葺き四脚門という建築様式で、屋根瓦には葵の紋があります。
藩主の来館や諸儀式を行うときのみに開門しました。
門柱や扉などにみられる傷跡は、明治元年(1868)におきた弘道館の戦いと呼ばれる藩内抗争の銃撃戦でできた弾痕です。
正門及び正門南10.0メートル、北11.4メートルの附塀は、重要文化財に指定されています。

(説明板より)


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正庁(学校御殿)

この二十四畳敷の部屋が藩主の出座する正席の間で二の間、三の間から成り 藩主以下重臣等が臨席して 文武の試験や諸般の儀式を挙げたところ。
また、武術の場合は前庭にある大椎の下の対試場で行われ 藩主・重臣はこの正席の間から覧たものである。
なお 南面縁側の長押には烈公親書の「游於藝」の扁額が掲げられている。

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弘道館記

この大きな掛軸は弘道館記碑の石摺りであって その碑文は烈公自らの撰文並びに書である。
弘道館の建設に際し創られたもので 全文ことごとく水戸学の結晶とも云うべく水戸藩の建学精神を天下に宣言した文章である。
この石碑は公園内の八卦堂に納められ 寒水石で高さ3.1米、幅1.9米、厚さ0.55米あり515文字から成っている。

(説明板より)

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至善堂

この部屋が至善堂と云い藩主の座所。
明治維新に将軍職を辞した徳川慶喜公(烈公第7子)がここにあって恭順の意を表し 静かに朝廷の命を待たれた由緒あるところ。
その他の3室(二の間、三の間、四の間)については 諸公子講学の場所にあてられた。
なお「至善」とは最上最高の善。
人間は最高善に到達し かつその状態を維持することを理想とすべきであるとの意。

(説明板より)


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【茨城県水戸市】

史跡 | 11:27:15 | Comments(0)
久しぶりのドライブ!
今日は、水戸藩士の“シミズくん”からのお誘いで外出・・・
ドライブである!
で・・・どこへ行くかというと・・・水戸!
水戸藩の藩校である「弘道館」を見学に行く。
3年前の震災で被害を受けたが、その修復も終わり、一般に公開されたのである。

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拙者は外から門だけを見たことはあるが、内部を見たことは無い。(汗)
いや、小学校の社会科見学で来ているかもしれないけど・・・記憶に無い・・・
拙者の記憶の中では“初めての”訪問である。(大笑)
建築士である“シミズくん”に修復についての話なども聞きながら見学・・・
“シミズくん”と一緒だと、ボランティアガイド不要である。(大笑)
便利~(喜)

約1時間弱の見学を終え、弘道館の裏手にある「八卦堂」を見に行く。
時刻はお昼なのだが・・・昼飯より史跡めぐり優先!
こういうことは、同じ感覚を持っているもの同士じゃないとできない・・・(笑)
趣味の合わない人と一緒だと、「腹が減った!」と騒がれる・・・(大笑)

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この八角形のお堂の中に「弘道館記」の碑が納められているのだそうだ。
内部の見学は・・・1年に1回ぐらいしか公開しなかったと思う・・・
普段はお堂の外見しか見ることはできない。

ついでに、すぐ近くにある「弘道館鹿島神社」をお参り・・・・
小さな、イマイチ、パッとしない神社である・・・(笑)

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時刻はまもなく午後1時となる・・・
さて、昼食はどこで食べようか・・・と車を走らせても、いざとなったらなかなか決まらないだろう。
いつものことである。(大笑)
ということで・・・・近くのホテルのレストランで食事をすることにした。(笑)

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ちょうど「茨城の食彩フェア」をやっていた・・・
やっぱり、茨城県人の端くれとしては、地元の食材を使ったものを食べねばなるまい!(大笑)
よし!これで俺たちは「茨城県」に貢献したよな!(笑)

で・・・・次は、どこへ行こうか・・・
県立歴史館に行こうか・・・・
と・・・いきなり、“シミズくん”がとんでもない場所を言い出した・・・(大笑)
「かすみがうら市郷土資料館」・・・・
あのぉ~・・・・水戸から霞ヶ浦までは、結構遠いと思うんですけど・・・
行けないことは無いけど・・・(汗)

というわけで、急遽、足を延ばして「かすみがうら市」まで行くことにした。
どうせ、車を運転するのは“シミズくん”なのである!(大笑)
拙者は、どこでもいいですよぉ~
助手席に座っているだけだから・・・(大笑)

この資料館・・・
親父が元気なときは、何度か親父を連れて行った資料館である。
“シミズくん”は初めて行くという。
「何度も行っているんですよね?」
「おお!何度も行ってるよ!」
「で・・・どの辺にあるんですか?」
「ん?・・・・そこだよ、問題は!全然覚えていないんだよねぇ~」(大笑)
拙者の場合、「方向音痴」というより、ただ記憶力が悪いだけの「バカ」なのかもしれない・・・(大汗)

彼の車のナビと、拙者の断片的な記憶のおかげで・・・(大笑)・・・無事に到着!
まぁ、お城の形をした資料館だから、近くまで来れればすぐにわかるんだけど・・・(苦笑)

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時刻はまもなく午後3時になる・・・
現在開催中の特別展は『水戸藩天狗党と新選組高台寺党~誠の道を貫いた志士たち~』
小さな郷土資料館なのだが、年に1回、特別展が開催される。
そのテーマが、なかなかいいのである!(喜)
展示室は、狭くて小さな部屋なので・・・・
あまり興味の無い人だと、10分もかけずに見終えてしまうかも・・・(笑)
そこをジックリと時間をかけて見るというのが、また、いいのである。(大笑)
ジックリと見て・・・3歩も歩くとすぐに忘れる・・・(苦笑)
いつものパターンである・・・
というわけで、帰りがけに「展示解説書」を購入する。
これがないと・・・・何を観たのか思い出せないのである。(大汗)

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まもなく閉館という時間まで見学し・・・帰宅する。
感謝、感謝!
お疲れ様でしたぁ~(笑)

日記 | 10:21:32 | Comments(0)
『逍遥 太平洋戦争史』
逍遥太平洋戦争史逍遥太平洋戦争史
(2012/05/14)
三上 繁敏

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はじめに

序章 ヒントとの邂逅
     発刊の動機
     ヒントとの邂逅
     「戦争の呼称」について

第1章 夜明け前
     ペリー長官の来航
     ハリス氏の着任

第2章 明治の曙
     大政奉還と五箇条の御誓文
     海外視察団の派遣
     征韓論の消滅
     西南戦争と西郷の銅像
     国会開設運動と大隈事件
     日露戦争と明治天皇の崩御並びに韓国併合

第3章 満蒙から南京へ
     大正デモクラシーから張作霖爆殺事件へ
     満州某重大事件
     満州事件
     満州国の建国
     ニ・ニ六事件
     秩父宮の令旨
     南京攻略

第4章 日米交渉の決裂
     三国同盟と国際情勢
     近衛内閣の誕生
     日米交渉の開始
     日米巨頭会談
     仏印進駐
     9月6日の御前会議
     白紙還元の優諚
     ハル・ノートについて
     本土防衛
     大英帝国首相の乾杯

第5章 栄光から没落へ
     真紅に燃える真珠湾
     ミッドウェー海戦
     山本連合艦隊司令長官の死
     アッツ島・キスカ島の玉砕
     サイパン島の「バンザイ・クリフ」
     東條内閣の崩壊
     アメリカ大統領への弔辞
     ポツダム宣言の受諾
     日本の終戦外交
     聖断と玉音放送

第6章 占領から独立まで
     進駐軍の上陸
     天皇と元帥の会見
     天皇の人間宣言
     新日本憲法について
     石原莞爾将軍の風聞と実像
     講和条約と日本の独立

あとがき

参考文献


本書の題名の「逍遥」と云う言葉・・・・・
その意味は「あちこちを歩き回る」とか「散歩する」という意味だそうだが・・・
どうして、そういう題名を付けたのだろう?
話があちこちに飛ぶから・・・ということなのだろうか?(笑)
大正10年生まれの著者は軍隊経験を経て戦後は市役所に勤務していた人だからか、話はキッチリとしていますが・・・

本書は、大学教授のような研究者や、ジャーナリストが書いた「戦争史」ではない。
一民間人の書いた「戦争史」・・・
別の言い方をすれば、在野の研究者が書いた「戦争史」・・・
失礼な言い方になるかとは思うが、極端な言い方をすれば「素人」が書いた「戦争史」である。
後世に残しておきたいという思いがそうさせたのだろう。

自分が今まで調べてきたことを、書いたという、個人的見解の「太平洋戦争史」であるが、内容的に、それほどおかしいことが書かれているわけではない。
非常に「まともな」内容である。
結構、わかりやすい「歴史モノ」ではなかろうか?

ただ、帯に「明治の開国から開戦、そして敗戦 その歴史の真実に迫る!」とあるが・・・
これはちょっと大げさすぎないか?(苦笑)
個人的に書かれた「歴史」だし・・・・“真実に迫る”とは・・・・いかがなものだろうかという気がした。


今年の読書:60冊目



読書 | 19:26:50 | Comments(0)
親父・・・“はく”のか?
このところ、早朝に親父と一緒に近所を散歩している。
一人で散歩させると危ないからと、拙者が同行するのだ。
なんと心優しい息子さんであろうか!(大笑)
というのは、世間の勘違い・・・
実は、親父をダシして、拙者の健康管理のため散歩をしているのである・・・・(大笑)

今日・・・散歩から帰って玄関の前に辿り着いたら・・・・
「ちょっと“はく”から・・・」と親父が突然言う。(驚)
「なに!吐く?」
「ああ・・・ちょっと“はく”から・・・」
「気分でも悪いのか?大丈夫か?」
「なに?」
「吐くんだろ?」
「ああ・・・ちょっと玄関を“はく”から・・・」
「はぁ?・・・玄関を吐く?」
「ちょっと汚れているから、玄関を掃くんだ」
「・・・・・」(唖然)

なんだよ・・・箒で掃くということか・・・(大汗)
いきなり「はく」っていうから、焦ったぞ・・・・
あ~心臓に悪い・・・・(大汗)

日記 | 11:06:35 | Comments(0)
『東洋の至宝を世界に売った美術商』
東洋の至宝を世界に売った美術商: ハウス・オブ・ヤマナカ (新潮文庫)東洋の至宝を世界に売った美術商: ハウス・オブ・ヤマナカ (新潮文庫)
(2013/08/28)
朽木 ゆり子

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序章 琳派屏風の謎

第1部 古美術商、大阪から世界へ

第1章 「世界の山中」はなぜ消えたか
第2章 アメリカの美術ブームと日本美術品
第3章 ニューヨーク進出
第4章 ニューヨークからボストンへ

第2部 「世界の山中」の繁栄

第5章 ロンドン支店開設へ
第6章 フリーアと美術商たち
第7章 日本美術から中国美術へ
第8章 ロックフェラー家と五番街進出
第9章 華やかな20年代、そして世界恐慌へ
第10章 戦争直前の文化外交と定次郎の死

第3部 山中商会の「解体」

第11章 関税法違反捜査とロンドン支店の閉鎖
第12章 日米開戦直前の決定
第13章 開戦、財務省ライセンス下の営業
第14章 敵国資産管理人局による清算作業
第15章 閉店と最後の競売
第16章 第二次世界大戦後の山中商会

終章 如来座像頭部

あとがき



資料と参考文献

解説  河野元昭(平成25年7月、秋田県立近代美術館館長)



「山中商会」というのは、日本、中国、韓国などの東洋の美術品を扱う美術商で、その世界では有名な美術商だったそうである。
メトロポリタン美術館やボストン美術館など、有名な美術館も、この山中商会から美術品を購入していたそうである。
創始者は山中定次郎と云う人物・・・
明治27年にニューヨークに進出し、次々と事業の規模を拡大する。
が・・・太平洋戦争で一気に転落・・・
日米開戦となれば、当然、そういうことになるだろうなぁ~
この戦争がきっかけとなり山中商会は没落して、今は誰も知らない・・・
今もって、山中商会を超えるような美術商はいないそうだから、今では想像もできないくらいのスケールの大きなお店だったのだろう。

結局、話は、ただそれだけのこと・・・・
東洋の至宝を世界に売った悪い奴の話しかというと、そういう話ではない・・・・

よくぞ、ここまで調べたものだと感心はするが・・・
なにか、どことなく大学の論文を読んでいるみたいで、読んでいて面白くない・・・
収集した資料を、そのまま几帳面に使用しているせいかもしれない。
往復書簡の文面が、ダラダラといつまでも続いたり・・・
貴重な資料ではあるのだろうが、一般向けしない話である。
美術界の人には面白い話かもしれないが・・・・
残念ながら、申し訳ないが・・・私には面白くなかった・・・・


今年の読書:59冊目



読書 | 00:45:09 | Comments(0)

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