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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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寝てはなりませぬ
続いて町の中心部に向かう・・・・

当時、芸者置屋や料亭などが並んでいた場所をバスで走り車窓から見学・・・
あ~・・・・ここがねぇ~・・・
4年前、この通りを一人で散策したが・・・
多分、このあたりは日本人が住んでいたのではないかと遺構探しをした。
どうも、当時の門柱らしきものはいくつも見かけたが・・・
聞くところによると、ここが「芸者通り」と呼ばれた花街だった場所だそうである。
バスの車窓からの見学は残念だった。
徒歩で見て歩きたかったなぁ~(笑)
4年前に立ち寄ったドーナッツ屋さんは・・・・なくなっていた・・・・(唖然)
あの店のオバチャン、気さくでいい人だったんだけどなぁ~(涙)
この通りについて、作家の”アライさん”からバスの中で解説を頂く・・・・

次に向かったのは・・・ショッピング!(大笑)
お土産を買いに行く・・・
拙者は、お土産を買うことは滅多に無い・・・・
他の人達は、ドッサリと買い込んでいた・・・(唖然)
店内でコーヒーが飲めるそうなので、コーヒーを飲んで一息・・・
やっぱり1日に最低1回はコーヒーを飲まねば、どうも調子が出ない・・・(大笑)
で・・・自分用のお土産だけを購入・・・
スーツケースに貼るステッカー!(大喜)
最近は、どこへ行っても、このステッカーというものが見当たらないのでガッカリしていたのだが・・・
あったぞ!パラオ!・・・う~ん・・・大満足!

続いて、「パラオ・コミュニティカレッジ」に向かう。
時刻は午後3時半を過ぎた・・・

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この建物は、当時は南洋庁のパラオ医院だった建物だそうで、今もそのままの形で残っている。
どうもコミュニティ・カレッジの事務所として使われていうように見える・・・
ちなみにパラオには4年制大学(ユニバーシティ)はなく、短大(コミュニティ・カレッジ)しかない。

このすぐ隣りに当時の防空壕が残っていた・・・

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しかし・・・4年前にも、この前をウロウロと歩いたんだけどなぁ~
見逃していたとは・・・(汗)

今日の“市内観光”は、これで終わり・・・
ホテルに戻り、一休み・・・(笑)

夕食は町の中のレストランに移動して・・・となる。
なんていう料理だっけかなぁ~・・・・忘れちゃったけど・・・郷土料理?(大汗)

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これで一人前というわけではない、大皿に二人前が乗っている。
この料理が出てくるのに時間がかかり、さらには各自の飲み物の支払いにも時間がかかり・・・いやはやイライラすること・・・(苦笑)
いつまでたってもお釣を持ってこないので、最終的に、お釣をもらわず店を出た人もいた・・・(汗)
まぁ~・・・南国ですから・・・ノンビリしているんでしょうが・・・(汗)

さて・・・明日の帰国は・・・・午前4時過ぎの便である!
ということで・・・2時間前の午前2時過ぎにはホテルを出発しなくてはならない・・・(涙)
というわけで・・・「モーニング・コール」は午前1時半!
それ・・・モーニング・コールって・・・言う?(大笑)
寝たら・・・マズイよな・・・
午前1時ごろに起床なんて・・・無理である。(大笑)
というわけで・・・なにか、眠らずに済むことをせねば・・・
で・・・マッサージを頼むことにした!(大笑)
通常は1時間のマッサージだが、それを2時間に延長して・・・時間稼ぎ・・・(大笑)
疲労解消と時間つぶし・・・一石二鳥である。(笑)

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旅行 | 23:04:27 | Comments(0)
海軍墓地に行く
次に向かったのは、パラオの「海軍墓地」・・・・
4年前にも来たことがある場所である。
「海軍墓地」と言われているが、どちらかというと「日本人墓地」という感じ・・・(笑)

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【白蝶貝採取業殉職者慰霊碑】

昭和15年4月に業界の財団法人が建立したたもので、「海軍大将 永野修身 謹書」とある。
永野修身大将は、日米開戦時の海軍軍令部総長・・・
海軍軍令部というのは、海軍の作戦を立案し用兵の運用をする海軍の実務の最高機関である。
そこの最高責任者となる前年に、慰霊碑の揮毫をお願いするんだから、すごい・・・(笑)
白蝶貝は、真珠の母貝となる貝で、その貝殻は洋服のボタンなどに加工される。
ということは・・・結構、高価で貴重な貝だったということかな?
そういう貝を採りにパラオに“出稼ぎ”に来て亡くなった方も多かったのだろうなぁ~


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この碑は殉職した技師たちの慰霊碑・・・・

(碑文)
昭和13年8月10日 父島南々東百二十浬海上ニ於テダグラス飛行艇ト運命ヲ共ニシ南洋航空ノ礎石トナレル

南洋廳航空官従六位勲六等 勝畑 清
南洋廳技手勲八等 押川 始
南洋廳技手勲八等 北村 康房
南洋廳技手勲八等 山崎米太郎
南洋廳技手勲八等 藤田権之助
南洋廳技手勲七等 山崎 春次
南洋廳技手勲八等 日野 宗一
右七氏ノ殉職ヲ記念シ之ヲ建ツ

昭和15年8月
前南洋廳長官正四位勲三等北島謙次郎書

【碑の由来】
この碑は戦前パラオ公園に建立されていたが昭和19年に米軍に破壊されて所在不明でした
その後昭和48年にパラオミュージアムに放置されていた碑を発見し今回有志が集い本来在るべき海軍墓地に移設したものです

平成20年12月吉日

戦前に航空機事故でお亡くなりになった方々のようである。
「航空官」というのは「操縦者」のことだろうか?
「技手」は「技術者」のこと・・・
このパラオに碑があるということは、パラオに向かっている途中で墜落したのか、パラオから日本に戻る時に墜落したのだろうか?
6名もの技術者が一瞬にしてこの世を去った・・・
あ~なんたることぞ・・・優秀な技術者だったろうに・・・
その能力を思う存分発揮して活躍し続けられただろうに、不慮の事故でそれを断たれるとは、可哀想でならない。

南洋庁航空官の勝畑清という人は、海軍兵学校51期出身の海軍大尉で、南洋庁航空部に所属していて、飛行艇のベテランパイロットだったらしい。
北島謙次郎という人は、昭和11年から昭和15年まで4年間、南洋庁の長官を務めた方。
佐賀県出身、東大卒の官僚・・・
昭和32年に64歳でお亡くなりになっている。
ということは・・・43歳から47歳にかけて長官を務めていたということ?
若い・・・(唖然)


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【戦没者慰霊碑】

安からに眠ってください。
過ちは
繰返しませぬから

広島県 中村良三

拙者は正直言って、この文言は好きではない・・・
「過ちは繰返しませぬから」・・・
この「過ち」とは、何を指すのだろう?
原爆を投下されたことを指すなら、「原爆を投下されて虐殺されるような過ちは繰り返しません」という意味になるだろうが・・・(違う?)(笑)
原爆を投下したことを指すなら「原爆を投下して一般市民を虐殺するという黄色人種に対する偏見に満ちた過ちは繰り返しません」ということで、アメリカ大統領の名で刻むべきだろうし・・・・(大笑)
いったい、誰が誰に対して「過ちは繰り返しません」と言っているのか、さっぱりわからん・・・
ましてや、このパラオにおける「過ち」とは何を指すのか?
具体性に欠ける文言である。
この碑を建立したのは、広島県の中村良三という人のようだが・・・
広島の方だからといって、ここパラオに原爆の話を持ち込んだわけでもあるまい?(汗)
広島県の県議に同姓同名の方がおられた。(2006年にお亡くなりになられているようである)
この方は労働組合出身の県議会議員だそうだ・・・
勝手な想像で失礼するが、もし、この碑を建てたのが、この方なら・・・まぁ、こういう碑文を刻むのもわからんでもない。(大汗)


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これは、パラオ中学校の同窓会が建てた碑・・・

Wishing for an Everlasting Peace
1992年9月
パラオ中学校同窓会

パラオに多くの日本人が住んでいたという証拠であろう。


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【平和の礎】

【碑文)
建立趣旨
こゝパラオ地区(ヤップ島を含む)は、太平洋戦争における有数の激戦地(1944~1945年)で、日米両軍とも多数の将兵を失ったばかりでなくパラオの人々をはじめ一級の民間の人々にも多くの犠牲者を生じました。
しかし、これらの死は決して無駄でなく、今日の世界平和の礎となったものと信じます。
われわれは、相協力してこの碑を建立し、この地区における全戦没者の御霊の冥福と永遠の平和を祈願します。

1970年2月
パラオ地区慰霊顕彰会・パラオさくら会


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【パラオ諸島ニ於ケル(旧)日本陸海軍戦没者鎮魂ノ碑】

(碑文)
第十四師団は太平洋戦線の戦局打開のため北満州よりパラオに転進、パラオ諸島守備の任につき、所在陸海軍部隊あわせ米軍と激しい攻防戦の中、終戦となり、この攻防戦で壱萬六千三百五十四名の戦没者を出した。
尚、浦賀に帰還した復員兵は陛下のお出迎えを受け、陛下より師団に次のようなお言葉を賜った。

「陛下のお言葉」
「パラオ集団ハ寔(まこと)ニ善ク統率力徹底シテ立派ニ戦闘シ復員モ善ク出来テ満足ニ思フ」

時は流れて平成の御代、今日の平和の礎となられた多くの英霊の御霊を慰めんとこの鎮魂碑を建立する

1996年十月吉日建之
発起人代表 圷 隆志


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【慰霊碑】

南海のパラオの磯に
哀しく眠る戦友よ
平らけく安らかなれと祈るなり
永遠に 永遠に

AD. 1966
日本 パラオ会
    サクラ会


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ここで「慰霊祭」を執行・・・・
お線香をあげて・・・
「君が代」と「海ゆかば」を斉唱する。

時刻は午後2時半・・・・

旅行 | 20:05:31 | Comments(0)
戦跡巡り再開!
昼食後、再び戦跡巡りに出発する。
天気は雨がチラチラと降ったり止んだり・・・傘を差そうかどうしようかと迷う程度の雨である。

向かったのは、当時「旭球場」と呼ばれていた球場のすぐ近くにある「特二式内火艇」・・・・
パラオの中心街になるかな?
近くには警察署や消防署、シビックセンターなどがある。

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名前は「内火艇」(=小型ボート)という名前だが、実態は「戦車」である。(笑)
これは昭和17年に制式化された日本海軍の水陸両用戦車・・・・
車体の前後にフロートを付けることで水に浮くようになっている。
車体後部のフロートはくっ付いたままだが、車体前部のフロートは取り外されている。
非常に珍しい戦車で、日本国内には現存していない。
ロシアの博物館に完全な形のものがあるらしいので、いつか見に行ってみたいと思っている。
(また、そういうことを考えてるのか?・・・・と言われそうだが・・・)(大笑)

車体の後部に対空機関銃が載っているが、これは本来の姿ではない。
戦時中に、現地で改造して載せたのか、それとも戦後に誰かが悪戯で載せたのかは不明・・・(笑)

この戦車・・・4年前に一人でトボトボと歩きながら見に来た・・・
4年ぶりの“再会”である。(喜)
話によると、この戦車は海軍の第45警備隊に所属する9両のうちの1両だとのこと。

4年前にここに来た時に、すぐ近くの民家に住んでいる小学生の少年が話しかけてきた。
流暢な英語を話すので、タジタジとなりながら、何だかんだとおしゃべりをした・・・
「今度はいつ来るのか?」と言うので「たぶん来年」と答えたら、少しガッカリした顔をしていたが、「今度来た時に、他の戦跡を案内する」と言っていた。
あれから・・・4年・・・(笑)
来年と答えていながら、嘘をついてしまったことになる・・・(大汗)
もう4年も経つのか・・・あの子はどうしているだろう・・・
ふと、彼の家を訪ねたくなったが、団体旅行なので諦める。(涙)
こういうところが団体旅行のつらいところである。(大笑)

この「特二式内火艇」について、ツアー参加者の中で、以前、戦車部隊にいたことがあるという陸自戦史教官から説明を頂く。

次に向かったのは「パラオKBブリッジ」という橋のたもと・・・・
これは戦跡ではない・・・(大笑)
ここには韓国企業が作ったコロール島とバベルダオブ島を結ぶ大橋が架かっていたが、開通してからて19年目に大崩落・・・(唖然)
どうも韓国企業の手抜き工事のせいだったらしい・・・
なにせ、橋の真ん中がだんだん沈んでいったというのだから尋常ではない。(汗)
この橋を渡る車はみんな窓を開けて走ったとガイドは言う。
いつ崩落して海に落ちるかわからないので、すぐに脱出できるように窓を開けて走るのは“常識”だったそうで・・・(大汗)
それでも、実際に崩落した時は2名の死者が出たとか・・・
韓国企業は、この事故の責任をとらず逃げたそうで・・・(唖然)
まぁ、韓国というのは、そんなものだろう。
拙者の業界でも、問題が発生した場合の韓国企業の対応の酷さは有名だった・・・
取引するまではニコニコ、ペコペコ・・・
ところが、いざ、韓国側に原因がある問題が発生した時の横柄な態度に取引をした日本企業は後悔したそうで・・・
開き直っちゃうっていうんだから、どうしようもない・・・
こういうのは何と言うのだろう・・・「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」というのかな?
まぁ、韓国人というのは、そういう国民性なのだろう・・・
そこで、日本がODAで橋を架けた・・・・
それが、現在のこの橋・・・

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ここにきて、いきなりの土砂降り!
スコールか?

この橋が架かっている水道は、あのペリリュー島へ逆上陸を果たした飯田大隊が通った水道である。
ここを通ってペリリュー島へ向かったのである・・・・

この橋のたもとに韓国が建てた建設碑(記念碑)が今も残っている。
走るバスの中から撮ったので、アングルが悪いが・・・
写真の右端のコンクリート製の柱の束みたいに見えるのが、その「建設碑」である。

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橋は崩壊して無くなっているが・・・(笑)
記念碑だけは残しているのか?(汗)
ところで、韓国のツアーガイドは、この現在架かっている橋と、この記念碑の関係をどう説明するんだろう?

次に向かったのは「官幣大社・南洋神社」跡・・・・
ここでも雨が降ったり止んだり・・・・(涙)

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旧官幣大社南洋神社再建趣意

明治維新は単に国の近代化にとどまらず 日本人の世界進出を促した
海外における移民もすでに百年を経過して各地に繁栄し二世三世の時代になってゐる
日本人がその地に定住するには 先ず土地の国魂を祀り開拓の先輩を敬重し 敬神崇祖のまごころを尽すことから始まった
その精神の集中するところが神社であった
しかしながら 今次の大東亜戦争の挫折によって 南洋神社も一旦撤収のやむなきに至った
ここに新たなる時代を迎えて 日パ両国の有志により 神社の歴史的由縁に基づきこれを再建し 祖神と英霊の御加護を祈り 南洋の発展と平和の基点とし 以って世界文明の進運に寄与せんと願ふものである

平成9年10月吉日

(説明碑文より)



この碑を書いた人(団体)の名前が記されていないが、この神社を再建したのは、どこの団体なのだろうか?
変な団体じゃなければいいが・・・という気がしますが・・・(汗)
この神社は、パラオの上院議長の邸宅の敷地内にある。
へぇ~・・・・である。

その次に向かったのは、「日航ホテル」跡・・・・
丘の上の、ただの原っぱ・・・(唖然)
ここにホテルがあったの?・・・・と言いたくなるような、さほど広くもない場所である。
ここに日本軍の兵器が置いてある・・・・

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これは日本海軍の九六式25ミリ高角機銃(連装)・・・・日本海軍の最もポピュラーな対空機銃である。

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こちらは、陸軍の八八式7糎(センチ)野戦高射砲。
日本陸軍の主力高射砲である。
砲身が一回転しているようで刻印が見つからない・・・・(苦笑)
外れた砲身を、誰かが台座に載せて、それなりの格好にした・・・という感じ・・・

時刻は午後2時になる・・・・・

旅行 | 14:53:13 | Comments(0)
コロール島観光
今日はパラオ本島、コロール島へ戻る日なのだが・・・
外は・・・雨!(涙)
土砂降りである!!(唖然)

ホテルをチェックアウトして「北港」に向かう。

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港のターミナル・・・・
ガイドさんから雨合羽を渡され着用・・・・
拙者はポンチョを持参していたので、ポンチョを着用する。
このポンチョっていうのは便利なんだよねぇ~(笑)
拙者と同じようにポンチョを持参してきていたのは“イズミ教官”・・・さすがは陸自教官殿である。(笑)

この雨でボートが出なかったらどうしようかと心配したが、無事に出航!
が・・・・ボートは屋根しかないから・・・
猛烈に雨が吹き込んでくる!
加えて波の飛沫も・・・(涙)
あっという間にボートの中はビショビショ・・・
とてもじゃないが、この状態では写真は撮れなかった・・・(涙)

今朝は、この雨なので服装をどうしようかと散々迷った・・・
ずぶ濡れになる事は想定済み・・・
こういう時に役に立つのはポンチョである。
雨合羽では中途半端である。
ボートの中にまで水が入り込んで椅子の上を水が流れる・・・
雨合羽だけでは、下半身はびしょぬれである。
ポンチョは膝下までの長さがあるので上手に座れば尻を濡らさずにすむ。(笑)
こういう時は、雨合羽ではなくポンチョのほうがいい。
ポンチョは頭からスポッと被るので、ショルダーバック程度の荷物は腹に抱えたまま被れる。
雨合羽では、そうはいかない。
今回は、ガイドさんのほうで、ビニールの大きなゴミ袋を支給してくれたので、その中にショルダーバックを入れたが・・・(笑)
ボートで移動するなら、こういう天気も想定してポンチョを用意することをお勧めしたい・・・
どうしても雨合羽を使うならズボンも揃えておいたほうがいいだろう。

残る問題は、足元・・・靴である。
当然、ビショビショになる。
これの対策は・・・あ~・・・考えていなかった・・・(大笑)

コロール島に到着後、初日に宿泊したホテルに向かう。
最終日の今日も、ここに宿泊する。
時刻は午前10時前である。
チェックインは無理かと思ったが、ホテル側が急いで準備をしてくれたので部屋に入ることが出来た。(喜)
ここで着替える人は着替えて・・・市内観光に出発する。

雨が降っているためか・・・車窓からの見学となる。(汗)
水産試験場、水上警察署、旧海軍病院跡などを「観たことに」なっているが・・・
雨でバスの窓が濡れていて、外の景色はサッパリ見えない・・・(大笑)
ガイドの説明を聞くのみ・・・
「右に見えますのは・・・」
「え?どこ?どれ?」と思っている間に・・・通過!!・・・である。(大汗)

コロール島から橋を渡ってアラカベサン島へ・・・
ここにある日本海軍の水上艇基地跡に到着。

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コンクリートで出来ている広いスロープ・・・・
皆さんは、この広さに驚いていたが、二式大艇クラスなら、このくらいの広さは必要だろう。
このスロープを使って飛行艇を引き上げたり、海に入れたりするのである。

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このスロープの隣りの入り江も水上機基地の一部のようである。
望遠で撮影してみると、四角いコンクリートの突起物が水面から顔を出している。
どうも水上機を係留するためのものらしい。
水上偵察機や水上戦闘機などを係留したのだろうか?

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次にパラオの市街地に向かう。
時刻は午前11時半・・・

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上手い具合に雨がやんだ・・・
現在、パラオの最高裁判所として使われているこの建物は、当時は日本の南洋庁のパラオ支庁庁舎・・・
今も当時の形を保ったまま使われている。(内部はどうなっているかは知らないが・・・)

次に向かったのは、南洋庁の長官官舎跡・・・

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長官の官舎の建物は残っていない・・・(涙)
現在は私有地になっているので立ち入ることは出来ない。
今も残るのは門柱のみ・・・
この長官舎脇の道路沿いに防空壕が残っている。

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入口にはゴミが突っ込まれていますが・・・(汗)

ここで午前中の観光は終了・・・
時刻はちょうど12時・・・
日本料理店でお昼をいただく・・・

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旅行 | 10:57:22 | Comments(0)