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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『日本潜水艦戦史』
日本潜水艦戦史 (1979年)日本潜水艦戦史 (1979年)
(1979/08)
坂本 金美

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第1章 潜水艦用兵の変遷

1 日本潜水艦の発達
   潜水艇の採用
      ホーランド型潜水艇の採用
      第1潜水艇隊の編成
      第2潜水艇隊の編成
      どん亀
   第6潜水艇の遭難
   外国技術の導入
      購入した潜水艇
   独自の開発
      海中型潜水艦
      特中型潜水艦
   潜水艇から潜水艦へ
2 潜水艦用法の確立
   海軍の対米基本戦略
   各軍縮会議における潜水艦問題
   潜水艦用法の歴史
      ドイツ潜水艦戦の影響
      末次司令官とその訓練
      監視・追躡・触接
   潜水艦用法の訓練
      昭和14年度海軍小演習
      昭和15年度特別大演習
      昭和16年度長期特別行動
3 潜水艦軍備
   ロンドン会議ごろまで
      ドイツ戦利潜水艦の回航
      海大型潜水艦
      巡潜型及び機雷潜型
   第一次及び第二次海軍補充計画
   その他の海軍補充計画
      ③④計画
      甲、乙、丙、海大型
      水中高速潜水艦の試作
   マル臨、マル急、マル追計画
      各艦型について
   主要搭載兵器等
      潜水艦用魚雷
      潜水艦搭載飛行機
      潜水艦用主機械

第2章 真珠湾攻撃

1 ハワイ作戦
   作戦計画
      連合艦隊等の作戦計画
      先遣部隊の作戦計画
      特別攻撃隊参加の経緯と作戦計画
   作戦経過
      ハワイを目指して
      開戦の朝
      特別攻撃隊
      監視
      先遣支隊の米西岸作戦
      長期監視
      艦内生活
      サラトガを雷撃
2 K作戦
   ハワイ作戦後の先遣部隊
      潜水艦用法の検討
      各潜水部隊の作戦
   K作戦
   対米機動部隊作戦
3 二潜戦インド洋へ
   南西方面潜水艦戦の概要
      開戦初期の作戦
      第二期作戦
   二戦戦のインド洋作戦
      全般情勢
      甲潜水部隊ジャワ攻略作戦協力
      丙、乙潜水部隊のインド洋作戦
      インド洋機動作戦における潜水艦戦

第3章 ミッドウェー作戦

1 ミッドウェー、アリューシャン作戦
   連合艦隊の作戦計画
      潜水部隊運用方針
      潜水部隊の作戦計画
   ミッドウェー作戦における潜水艦戦
      K作戦の中止と潜水艦配備遅延
      ミッドウェー海戦
      潜水部隊の作戦
      ヨークタウンの撃沈
      散開線の用法
   アリューシャン作戦
2 八潜戦の交通破壊戦
   第二次特別攻撃隊作戦計画
      第二次特別攻撃実施に至った経緯
      作戦計画
   特殊潜航艇の攻撃
      甲先遣支隊の特別攻撃
      東方先遣支隊の特別攻撃
   東方先遣支隊の交通破壊戦
   甲先遣支隊の交通破壊戦
      第一次交通破壊戦
      第二次交通破壊戦
      魚雷の自爆
   交通破壊戦強化の企図
      大本営交通破壊戦強化を指示
      潜水艦による交通破壊戦
3 潜水艦軍備の改訂
   改⑤計画
   新型潜水艦
      特型潜水艦
      伊13型潜水艦
      T型潜水艦

第4章 ガダルカナル島奪回作戦

1 米軍のガ島来攻
   南東方面情勢と潜水部隊
      七潜戦の概況
      先遣部隊の概況
      潜水部隊の集中
   第二次ソロモン海戦
      潜水部隊の作戦
      戦果、被害等
      散開線の用法
2 第二師団のガ島派遣
   全般情勢
   ソロモン方面に集中
      作戦経過
   ワスプの撃沈
      伊19の殊勲
      潜水艦の雷撃法
3 南太平洋海戦
   第三戦隊の砲撃
   散開戦用法の問題点
      10月上旬における潜水部隊の概況
      10月上、中旬の作戦
      南太平洋海戦での潜水艦戦
      潜水部隊の作戦指導について
4 第三次ソロモン作戦
      比叡、霧島をうしなう
   潜水部隊の作戦
      南太平洋海戦後の作戦要領
      特殊潜航艇のルンガ泊地攻撃
      その他の潜水部隊の作戦
5 潜水艦輸送とガ島撤退
   “餓島”
   潜水艦輸送
      12月下旬および1月における潜水艦輸送
   ガ島撤退作戦
      「ケ」号作戦
   ガ島戦での潜水艦戦
6 他方面における潜水艦戦
   南西方面
   北東方面
   伊25の米西岸作戦

第5章 絶対国防圏の危機

1 昭和18年前半の交通破壊戦
   山本長官戦死
      伊6、伊26の豪州東岸作戦
      乙潜水部隊の南太平洋作戦
      第三潜水部隊の豪州東岸作戦
   南東潜水部隊の作戦
      小型潜水艦
      呂100の初陣
      東部ニューギニア作戦輸送
   インド洋方面交通破壊戦
      八潜司令部のペナン進出
2 キスカ島撤退作戦
   米軍アッツ島来攻前の潜水部隊
   アッツ島玉砕
   キスカ撤退作戦
      霧との戦い
      伊7の最後
      第二期作戦
3 ソロモン諸島の攻防
   あいつぐ撤退
   先遣部隊の作戦
      南太平洋方面交通破壊戦
      伊36のハワイ偵察
      東太平洋方面の作戦
   南東潜水部隊の作戦
      小型潜水艦の邀撃作戦
      潜水艦輸送
4 昭和18年後半のインド洋方面
   南西方面潜水部隊の編成
   各潜水艦の作戦
   伊27の活躍
   南太平洋およびインド洋交通破壊戦の比較
5 ギルバート作戦
   先遣部隊の概況
   米軍タラワ、マキンに上陸
   第六艦隊司令部の反省
   ギルバート作戦以降
      先遣部隊の新作戦方針
      作戦経過
6 「あ」号作戦
   対米機動部隊作戦
      昭和19年2月初頭の潜水部隊
      トラック島被空襲
      3月下旬までの策戦
      4月以降の作戦
   南東方面潜水艦輸送
      2月中旬以降
   「あ」号作戦計画
      先遣部隊の作戦計画
   龍巻作戦
   米軍マリアナ来攻前
      トラック南方方面配備潜水艦
      マーシャル方面配備潜水艦
      第六艦隊司令部のサイパン進出
   マリアナ沖海戦
      潜水部隊のマリアナ方面集中
   マリアナ沖海戦後の潜水艦戦
   「あ」号作戦での潜水艦戦
   多方面における潜水艦戦
      南西方面
      北東方面
      呂113、呂114の対潜作戦
   訪独及び譲渡潜水艦
      日独伊軍事同盟と欧亜連絡
      訪独潜水艦
      伊8の訪独行
      譲渡潜水艦

第6章 フィリピン、沖縄作戦

1 捷号作戦
   捷号作戦計画
      先遣部隊の作戦計画
      作戦準備
   第34潜水隊の作戦
   フィリピン沖海戦
      台湾沖航空戦と潜水部隊の出撃
      米軍のレイテ島上陸
      フィリピン沖海戦
      潜水部隊の作戦
      捷1号作戦での潜水艦作用
   フィリピン沖海戦後の潜水艦戦
      フィリピンの大勢決す
   各地域の潜水艦戦
      伊12の作戦
      第七潜水部隊の作戦輸送
      南西方面潜水部隊の終焉
   セブ基地特殊潜航艇の作戦
2 回天の泊地攻撃
   回天の誕生
      回天の採用
      回天の生産と訓練
   回天特別攻撃隊菊水隊
      玄作戦
   回天特別攻撃隊金剛隊
      第二次玄作戦
3 特攻戦備への転換
   潜水艦軍備の概観
      潜水艦軍備の削減
      ⑲線表
      水中高速潜水艦
   特攻戦備
      各水中特攻兵器の概要
4 硫黄島、沖縄戦
   その後のフィリピン方面
      第34潜水隊の作戦
      バトリナオ輸送
   硫黄島作戦
      第一潜水部隊の作戦
      伊44の行動
   沖縄作戦
      連合艦隊の天1号作戦計画
      全般作戦経過
      第一潜水部隊の概況
      甲潜水部隊の作戦
      回天特別攻撃隊多々良隊の作戦
      呂46、呂50、呂109の作戦
      硫黄島、沖縄戦における潜水艦戦
5 潜水艦戦の終焉
   潜水艦用法の転換
      回天特別攻撃隊天武隊
   その後の回天作戦
      回天特別攻撃隊振武隊
      回天特別攻撃隊轟隊
      回天特別攻撃隊多聞隊
   その他の潜水艦の状況
      第34潜水隊
      第一潜水隊
      潜高型潜水艦
      潜小型潜水艦
      捕獲ドイツ潜水艦
   作戦輸送
      各潜水艦の作戦概要
      波101型潜水艦
      航空揮発油輸送
6 水中特攻部隊の決戦配備
   決号作戦計画
   水中、水上特攻部隊の展開
7 敗戦
   8月15日の戦時編制
   原因別喪失潜水艦
   残存潜水艦の処分
   日本潜水艦の総合戦果
   日本海軍の潜水艦用法

付録・日本潜水艦喪失状況一覧

あとがき


まさしくこの本1冊で、日本海軍の潜水艦の活躍がわかるという本・・・・


今年の読書:58冊目



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読書 | 11:29:14 | Comments(0)
婚活はくだらん!
茨城県では、県北在住の男性向けに11月から「婚活ツアー」に取り組むのだそうだ・・・(唖然)
首都圏近辺在住の女性に茨城県の県北、いわゆるド田舎に来てもらい、現地を見学したりイベントに参加してもらって、山奥のド田舎に住んでいる“山猿”との出会いを目論んでいるそうで・・・(大笑)
なんとか、この“山猿”と結婚してもらって移住してもらいたいのだそうだ・・・・(汗)
これは人口減少が進む県北地域への対策らしい・・・・

で・・・男性側の対象者は県北地域在住の25歳から40歳までだというのである!!
拙者も県北在住だが・・・
なんと!対象外である!!(大笑)
54歳は対象外!
相手にされないから文句をいうわけではないが・・・・(大笑)

婚活ツアー?・・・・なんともアホくさい話である!!(怒)

婚活なんて何でやりたがるんだろう?(大笑)
結納でカネを使い・・・・
結婚式でカネを使い・・・・
新婚旅行でカネを使い・・・・
その挙句の果てが、嫁の尻に敷かれ・・・嫁の顔色を伺いながら・・・嫁に気を遣うのである!(大笑)
それが死ぬまで何十年も続くのである!!(驚)
これを“生き地獄”と呼ばずして何と呼ぶ?(大笑)
どうして結婚なんてしたがるかなぁ~(大笑)

婚活?
なぜそれほどまでして地獄への切符を欲しがるのか、拙者にはわからん・・・・(大笑)

だいたい、行政が他人の結婚に首を突っ込むのはいかがなものか・・・・(笑)
どうせなら、県職員や市町村役場の独身職員に対し、「業務命令」でも出して、職場結婚をさせたほうが手っ取り早いのではなかろうか?(大笑)

ツアーに参加する女性達には、林業や漁業の職業体験をしてもらったり・・・・(そんな馬鹿な・・・である)
観光スポットを巡ってもらったり・・・・
同一男女に1泊2日と日帰りの2回参加してもらってお互いの交流を深め、男性の住む地域の良さを肌で感じてもらいたいそうである。
だいたいねぇ~・・・・住んでいる場所が良い地域なら人口が減少するわけがないではないか?(大笑)
良い場所ではないから人口が流出するんじゃないの?

婚活ツアーなんて、やめたほうがいい・・・・無理!ムダ!(大笑)
拙者が“対象外”に指定されたから言うわけじゃないけど・・・・(大笑)

ねらい目は・・・・首都圏直下型地震しかない!
関東大震災!!
で・・・・首都圏から茨城県に避難民が流れ込み・・・・
山奥の田畑付き一戸建て農家は自給自足にはもってこいである!!(笑)
当然、住み着くことになり・・・そうなれば、こっちのものである!(大笑)
ド田舎では、他にやることはないから・・・(大笑)
最終的には妥協して・・・・結婚!
これしかあるまい?
「関東大震災」が起こることを天に祈ろう!!(大笑)

あ・・・・群馬や山梨に行かれたら困るな・・・・

だいたい、婚活なんかに時間を割く暇があるなら、世のため人のために時間を割いて何らかの活動をすべきである!
そのほうが女の子にモテるんじゃないか?
人柄もわかってもらえるんじゃないか?
婚活、婚活・・・と、女の子の尻を追い回しているようでは、まともな結婚は無理なような気がしますけど!(怒)

あ~スッキリした!(大笑)

エッセイ | 18:29:46 | Comments(0)
『歴史通は人間通』
歴史通は人間通歴史通は人間通
(2013/06/29)
渡部 昇一

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まえがき

第1部 歴史の醍醐味

1 歴史の見方
   美しい歴史の虹を見よう
   この国の物語をどう語るか
   歴史を語る二つの態度
   戦争の勝敗を決する「わずかな差」
   「正義」という錦の御旗
2 リーダーの条件
   組織は司令官次第
   リーダーの不動心
   鷲の羽と駝鳥の足
   日本の生き残りのための大リストラ
   乃木将軍に見るリーダーの条件
   名参謀に共通するもの
   リーダーと参謀
   山本五十六の欠陥
   同じ間違い
   優れたリーダーは大局を見る
3 歴史人物に学ぶ生き方
   伝記を読もう
   子供には偉人伝を読ませよう
   神武天皇の八紘一宇の精神
   豊臣秀吉の“くれっぷり”
   達人は身分にこだわらない
   後世に名を残す人
   田沼時代はいい時代
   情報力とは想像力
   逆境に学んだ西郷隆盛
   福沢諭吉の偉いところ
   人を見定める度量と見識
   大久保利通という人物
   東郷平八郎の度胸
   小粒になった日本人
   渋沢栄一の「論語と算盤」
   フィロソファー松下幸之助
4 日本人とは何か
   日本の神様
   日本の国柄
   正義より「和」の日本人
   「和」の重視とその問題点
   “和の時代”と“実力の時代”
   「根回し」はなぜ必要か
5 女性が活躍する国
   日本を貫く平等原理
   和歌が日本文化を守った
   なでしこ日本
6 日本人と土地
   日本の体質
   土地への執着
   日本の土は先祖そのもの
   農耕的社会でのリーダーシップ
7 日本人のこころ
   祖先とつながる日本人の「心」
   日本人の「こころ」の柔軟性
   日本人の「こころ磨き」
   建前と本音の使い分け
8 日本の神話と建国
   神話と歴史がつながっている日本
   日本は世界最古・最長の王朝
   日本神話と海の関係
   皇神の厳しき国・言霊の幸はふ国
   言霊を駆使した神武天皇
   日本神話と日本の歴史
   「言挙げせぬ国」の伝統
9 明治維新から敗戦まで
   明治維新のエネルギー
   世界史における明治維新の意義
   『日本外史』の歴史の見方
   教育勅語とは
   日露戦争の勝因と意義
   目と耳
   “和”の精神の弊害
10 東京裁判史観の克服
   敗戦利得者
   東京裁判史観
   「東條=マッカーサー史観」へ
   なぜ慰霊の場が靖国神社なのか
11 世界の中の道義国家・日本
   20世紀を21世紀に橋渡しした国
   日本人の血族意識
   ご先祖様は見ている
   勇者たち
   「道」を求める日本人
   日本人のもの作り
   見直したい修身の教え
   歴史の中で磨かれた道徳観
   子供たちを家庭に持つ喜びを
12 進取の気性と独創力
   新しいものを恐れない体質
   日本人の独創性
   日本人の好奇心
   日本文化のタテ糸とヨコ糸

第2部 人生の妙味

13 どう生きるか
   志を立てる
   自分のなりたい姿
   内なる声と志
   最初は不器用でちょうどいい
   悩みは大事
   強い生き方
   自分の本当にやりたいことは何か
   男気
   噂話
   マスコミ報道
   墓参り
   良きものとしての個人の富と自由
   お金はいい召し使い
   自己実現には苦痛がともなう
   発想の豊かさをもたらすもの
   記憶こそ人生
   気概
14 運命の女神が微笑む生き方
   成功者の要素
   心の中の達成像
   成功のイメージの描き方
   真に富める人
   人生でいちばん大事なこと
   品格のある人の特長
   人生の醍醐味
   プライド
   運命の“女神”
   強きものを運命の女神は助ける
   目標を実現できる人、できない人
   思いがけない幸運を招くもの
   三福のすすめ
   幸運を招く紐
15 知的生活のすすめ
   朽ちないもの
   知的正直
   いつわらない
   漢文は成熟した大人をつくる
   古典に学ぶこと
   記憶は多いほうがいい
   生活のクオリティを高める1時間
   「壮」の時の学びが大事
   ヒントを先人に学ぶ
   智謀湧くがごとし
   人間のアイデアはどこから来るか
16 人生を充実させるための仕事術
   仕事と趣味の違い
   汗を流すことで生まれる心の余裕
   仕事の上手な仕方
   観察眼を磨く
   一つの仕事をやり続ける
   溶鉱炉のごとく
   孤独の時間
   楽しむ境地
17 読書で耕す人生
   読書の醍醐味
   内なる心の扉を開く読書
   私の本の読み方
   読書家になるには
   タイム・リミットの知恵
   グルメな読書
   自分の古典
   名作を若い時に読む危険
   「積ん読」は必要悪
   本の情報収集
   読書のカンを養う方法
   読書の知恵とインターネットの情報
   自分の文庫
   蔵書の力
   トルストイと蔵書
   古典として残る本
   夏目漱石の創作の二つの泉
   松本清張の魅力
18 充実した老後を生きるための知恵と工夫
   老後のイメージ・トレーニング
   平生の心がけ
   内なる声に耳を傾ける
   第二の人生をいきいきと
   老後を充実させるもの
   「職務」
   定年後の時間活用法
   読書は脳と精神を鍛える
   歳を重ねてこそ
   「湯治友だち」
   人生の実り多き「成熟」の秋
   学問の秋
   夫婦の記憶に残ることを
   人生の後半で大切なもの
   何かを求めて生きる
   余生で見る夢
   理想の晩年


今年の読書:57冊目



読書 | 01:57:43 | Comments(0)
お知らせ
パラオから無事に帰国しました!

が・・・・

午前2時にホテルをチェックアウト、午前4時過ぎの便で成田へ・・・・

寝不足でクタクタであります・・・・(涙)

歳は取りたくねぇもんだ・・・(大涙)

とりあえず・・・・無事に帰ってきたご報告・・・・

日記 | 21:21:53 | Comments(0)
寝坊したのか?
マッサージを終えたあと、ベッドの上でゴロゴロしたら、寝てしまうかもしれない・・・(大笑)
急いで着替えて、帰国の準備をして、ベランダでタバコを吸って時間を潰す。

で・・・午前2時・・・・ロビーに集合・・・
が・・・2人ほど来ない!待てど暮らせど・・・来ない!(唖然)

添乗員さんが呼びに行ったのだろう・・・
しばらくして、拙者より若い女性がやって来て、続いて最年少者の男がバスに乗り込んできた・・・
あのね・・・(唖然)
寝坊したのか?

彼の話では、酒を飲んだために、ついウッカリ寝込んでしまったと言う。(唖然)
我がツアー客はみなさん、心優しい人たちなので誰も彼らを責めたりはしない。
が・・・拙者は違う・・・(大笑)
チクリと言わなければ気が済まない性格なのである。(大笑)

遅刻した2人は、夕食の時に酒を飲んで大はしゃぎしていた二人である・・・
酒を飲んだら、どうなるかは、自分でわかる年令だろう・・・
「想定外」という言葉が流行った時期があったが・・・
「想定外」ではなく想定していないことが問題である!(怒)
酒を飲んで寝込んだら寝坊するということを想定できないことが問題である!
拙者なんか、どうやったら寝坊しないで済むかと神経を使っていたのに・・・(大笑)
なんと“お気楽”なことか・・・
ツアー参加最年少者なら、なおさら気を使うべきであろうに・・・
“今時の若い者”は、かなりレベルが低い・・・と言いたくもなる。

バスの中は静かなもの・・・
みなさん、午前2時という時間で眠いのか、それともバスの中で待たされたことで腹を立てているのか・・・(苦笑)
誰も話しをしない・・・シ~ン・・・
この沈黙が彼らには“いい薬”になるかも、とも思ったが、それではかわいそうである。(笑)
小言はそこそこに、彼と雑談をして相手をしてあげることにした。(大笑)

空港に到着・・・・

X線の手荷物検査・・・
モニター画面を見ていた女子職員が、「グッド!」と親指を立てて拙者に笑顔で「こうじゃなくちゃねぇ~」というようなことを言う。
ん?モニターに何が写ったんだ?
拙者のショルダーバックの何が、「こうじゃなくっちゃねぇ~」なんだ?(唖然)
周囲の係官も、笑顔で、親指を立てて「グッド!」と言う・・・
はぁ?・・・何がなにやら・・・(苦笑)
拙者のショルダーバックの荷物の詰め方が素晴らしいというのか????(唖然)
何がなにやらサッパリわからんのですが・・・
「どうぞお進みください」と丁寧に案内される・・・(大笑)

午前4時20分発、デルタ航空298便でマニラに向かう・・・・
午前9時・・・無事に成田に着陸・・・
その場でツアーは解散・・・御苦労様でした・・・

まずはコーヒー!(大笑)
コーヒーを飲んで一服してから上野駅に向かう・・・・

旅行 | 10:15:08 | Comments(0)
寝てはなりませぬ
続いて町の中心部に向かう・・・・

当時、芸者置屋や料亭などが並んでいた場所をバスで走り車窓から見学・・・
あ~・・・・ここがねぇ~・・・
4年前、この通りを一人で散策したが・・・
多分、このあたりは日本人が住んでいたのではないかと遺構探しをした。
どうも、当時の門柱らしきものはいくつも見かけたが・・・
聞くところによると、ここが「芸者通り」と呼ばれた花街だった場所だそうである。
バスの車窓からの見学は残念だった。
徒歩で見て歩きたかったなぁ~(笑)
4年前に立ち寄ったドーナッツ屋さんは・・・・なくなっていた・・・・(唖然)
あの店のオバチャン、気さくでいい人だったんだけどなぁ~(涙)
この通りについて、作家の”アライさん”からバスの中で解説を頂く・・・・

次に向かったのは・・・ショッピング!(大笑)
お土産を買いに行く・・・
拙者は、お土産を買うことは滅多に無い・・・・
他の人達は、ドッサリと買い込んでいた・・・(唖然)
店内でコーヒーが飲めるそうなので、コーヒーを飲んで一息・・・
やっぱり1日に最低1回はコーヒーを飲まねば、どうも調子が出ない・・・(大笑)
で・・・自分用のお土産だけを購入・・・
スーツケースに貼るステッカー!(大喜)
最近は、どこへ行っても、このステッカーというものが見当たらないのでガッカリしていたのだが・・・
あったぞ!パラオ!・・・う~ん・・・大満足!

続いて、「パラオ・コミュニティカレッジ」に向かう。
時刻は午後3時半を過ぎた・・・

542_convert_20141212204215.jpg

この建物は、当時は南洋庁のパラオ医院だった建物だそうで、今もそのままの形で残っている。
どうもコミュニティ・カレッジの事務所として使われていうように見える・・・
ちなみにパラオには4年制大学(ユニバーシティ)はなく、短大(コミュニティ・カレッジ)しかない。

このすぐ隣りに当時の防空壕が残っていた・・・

540_convert_20141212204909.jpg

しかし・・・4年前にも、この前をウロウロと歩いたんだけどなぁ~
見逃していたとは・・・(汗)

今日の“市内観光”は、これで終わり・・・
ホテルに戻り、一休み・・・(笑)

夕食は町の中のレストランに移動して・・・となる。
なんていう料理だっけかなぁ~・・・・忘れちゃったけど・・・郷土料理?(大汗)

546_convert_20141212205835.jpg

これで一人前というわけではない、大皿に二人前が乗っている。
この料理が出てくるのに時間がかかり、さらには各自の飲み物の支払いにも時間がかかり・・・いやはやイライラすること・・・(苦笑)
いつまでたってもお釣を持ってこないので、最終的に、お釣をもらわず店を出た人もいた・・・(汗)
まぁ~・・・南国ですから・・・ノンビリしているんでしょうが・・・(汗)

さて・・・明日の帰国は・・・・午前4時過ぎの便である!
ということで・・・2時間前の午前2時過ぎにはホテルを出発しなくてはならない・・・(涙)
というわけで・・・「モーニング・コール」は午前1時半!
それ・・・モーニング・コールって・・・言う?(大笑)
寝たら・・・マズイよな・・・
午前1時ごろに起床なんて・・・無理である。(大笑)
というわけで・・・なにか、眠らずに済むことをせねば・・・
で・・・マッサージを頼むことにした!(大笑)
通常は1時間のマッサージだが、それを2時間に延長して・・・時間稼ぎ・・・(大笑)
疲労解消と時間つぶし・・・一石二鳥である。(笑)

旅行 | 23:04:27 | Comments(0)
海軍墓地に行く
次に向かったのは、パラオの「海軍墓地」・・・・
4年前にも来たことがある場所である。
「海軍墓地」と言われているが、どちらかというと「日本人墓地」という感じ・・・(笑)

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【白蝶貝採取業殉職者慰霊碑】

昭和15年4月に業界の財団法人が建立したたもので、「海軍大将 永野修身 謹書」とある。
永野修身大将は、日米開戦時の海軍軍令部総長・・・
海軍軍令部というのは、海軍の作戦を立案し用兵の運用をする海軍の実務の最高機関である。
そこの最高責任者となる前年に、慰霊碑の揮毫をお願いするんだから、すごい・・・(笑)
白蝶貝は、真珠の母貝となる貝で、その貝殻は洋服のボタンなどに加工される。
ということは・・・結構、高価で貴重な貝だったということかな?
そういう貝を採りにパラオに“出稼ぎ”に来て亡くなった方も多かったのだろうなぁ~


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この碑は殉職した技師たちの慰霊碑・・・・

(碑文)
昭和13年8月10日 父島南々東百二十浬海上ニ於テダグラス飛行艇ト運命ヲ共ニシ南洋航空ノ礎石トナレル

南洋廳航空官従六位勲六等 勝畑 清
南洋廳技手勲八等 押川 始
南洋廳技手勲八等 北村 康房
南洋廳技手勲八等 山崎米太郎
南洋廳技手勲八等 藤田権之助
南洋廳技手勲七等 山崎 春次
南洋廳技手勲八等 日野 宗一
右七氏ノ殉職ヲ記念シ之ヲ建ツ

昭和15年8月
前南洋廳長官正四位勲三等北島謙次郎書

【碑の由来】
この碑は戦前パラオ公園に建立されていたが昭和19年に米軍に破壊されて所在不明でした
その後昭和48年にパラオミュージアムに放置されていた碑を発見し今回有志が集い本来在るべき海軍墓地に移設したものです

平成20年12月吉日

戦前に航空機事故でお亡くなりになった方々のようである。
「航空官」というのは「操縦者」のことだろうか?
「技手」は「技術者」のこと・・・
このパラオに碑があるということは、パラオに向かっている途中で墜落したのか、パラオから日本に戻る時に墜落したのだろうか?
6名もの技術者が一瞬にしてこの世を去った・・・
あ~なんたることぞ・・・優秀な技術者だったろうに・・・
その能力を思う存分発揮して活躍し続けられただろうに、不慮の事故でそれを断たれるとは、可哀想でならない。

南洋庁航空官の勝畑清という人は、海軍兵学校51期出身の海軍大尉で、南洋庁航空部に所属していて、飛行艇のベテランパイロットだったらしい。
北島謙次郎という人は、昭和11年から昭和15年まで4年間、南洋庁の長官を務めた方。
佐賀県出身、東大卒の官僚・・・
昭和32年に64歳でお亡くなりになっている。
ということは・・・43歳から47歳にかけて長官を務めていたということ?
若い・・・(唖然)


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【戦没者慰霊碑】

安からに眠ってください。
過ちは
繰返しませぬから

広島県 中村良三

拙者は正直言って、この文言は好きではない・・・
「過ちは繰返しませぬから」・・・
この「過ち」とは、何を指すのだろう?
原爆を投下されたことを指すなら、「原爆を投下されて虐殺されるような過ちは繰り返しません」という意味になるだろうが・・・(違う?)(笑)
原爆を投下したことを指すなら「原爆を投下して一般市民を虐殺するという黄色人種に対する偏見に満ちた過ちは繰り返しません」ということで、アメリカ大統領の名で刻むべきだろうし・・・・(大笑)
いったい、誰が誰に対して「過ちは繰り返しません」と言っているのか、さっぱりわからん・・・
ましてや、このパラオにおける「過ち」とは何を指すのか?
具体性に欠ける文言である。
この碑を建立したのは、広島県の中村良三という人のようだが・・・
広島の方だからといって、ここパラオに原爆の話を持ち込んだわけでもあるまい?(汗)
広島県の県議に同姓同名の方がおられた。(2006年にお亡くなりになられているようである)
この方は労働組合出身の県議会議員だそうだ・・・
勝手な想像で失礼するが、もし、この碑を建てたのが、この方なら・・・まぁ、こういう碑文を刻むのもわからんでもない。(大汗)


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これは、パラオ中学校の同窓会が建てた碑・・・

Wishing for an Everlasting Peace
1992年9月
パラオ中学校同窓会

パラオに多くの日本人が住んでいたという証拠であろう。


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【平和の礎】

【碑文)
建立趣旨
こゝパラオ地区(ヤップ島を含む)は、太平洋戦争における有数の激戦地(1944~1945年)で、日米両軍とも多数の将兵を失ったばかりでなくパラオの人々をはじめ一級の民間の人々にも多くの犠牲者を生じました。
しかし、これらの死は決して無駄でなく、今日の世界平和の礎となったものと信じます。
われわれは、相協力してこの碑を建立し、この地区における全戦没者の御霊の冥福と永遠の平和を祈願します。

1970年2月
パラオ地区慰霊顕彰会・パラオさくら会


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【パラオ諸島ニ於ケル(旧)日本陸海軍戦没者鎮魂ノ碑】

(碑文)
第十四師団は太平洋戦線の戦局打開のため北満州よりパラオに転進、パラオ諸島守備の任につき、所在陸海軍部隊あわせ米軍と激しい攻防戦の中、終戦となり、この攻防戦で壱萬六千三百五十四名の戦没者を出した。
尚、浦賀に帰還した復員兵は陛下のお出迎えを受け、陛下より師団に次のようなお言葉を賜った。

「陛下のお言葉」
「パラオ集団ハ寔(まこと)ニ善ク統率力徹底シテ立派ニ戦闘シ復員モ善ク出来テ満足ニ思フ」

時は流れて平成の御代、今日の平和の礎となられた多くの英霊の御霊を慰めんとこの鎮魂碑を建立する

1996年十月吉日建之
発起人代表 圷 隆志


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【慰霊碑】

南海のパラオの磯に
哀しく眠る戦友よ
平らけく安らかなれと祈るなり
永遠に 永遠に

AD. 1966
日本 パラオ会
    サクラ会


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ここで「慰霊祭」を執行・・・・
お線香をあげて・・・
「君が代」と「海ゆかば」を斉唱する。

時刻は午後2時半・・・・

旅行 | 20:05:31 | Comments(0)
戦跡巡り再開!
昼食後、再び戦跡巡りに出発する。
天気は雨がチラチラと降ったり止んだり・・・傘を差そうかどうしようかと迷う程度の雨である。

向かったのは、当時「旭球場」と呼ばれていた球場のすぐ近くにある「特二式内火艇」・・・・
パラオの中心街になるかな?
近くには警察署や消防署、シビックセンターなどがある。

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名前は「内火艇」(=小型ボート)という名前だが、実態は「戦車」である。(笑)
これは昭和17年に制式化された日本海軍の水陸両用戦車・・・・
車体の前後にフロートを付けることで水に浮くようになっている。
車体後部のフロートはくっ付いたままだが、車体前部のフロートは取り外されている。
非常に珍しい戦車で、日本国内には現存していない。
ロシアの博物館に完全な形のものがあるらしいので、いつか見に行ってみたいと思っている。
(また、そういうことを考えてるのか?・・・・と言われそうだが・・・)(大笑)

車体の後部に対空機関銃が載っているが、これは本来の姿ではない。
戦時中に、現地で改造して載せたのか、それとも戦後に誰かが悪戯で載せたのかは不明・・・(笑)

この戦車・・・4年前に一人でトボトボと歩きながら見に来た・・・
4年ぶりの“再会”である。(喜)
話によると、この戦車は海軍の第45警備隊に所属する9両のうちの1両だとのこと。

4年前にここに来た時に、すぐ近くの民家に住んでいる小学生の少年が話しかけてきた。
流暢な英語を話すので、タジタジとなりながら、何だかんだとおしゃべりをした・・・
「今度はいつ来るのか?」と言うので「たぶん来年」と答えたら、少しガッカリした顔をしていたが、「今度来た時に、他の戦跡を案内する」と言っていた。
あれから・・・4年・・・(笑)
来年と答えていながら、嘘をついてしまったことになる・・・(大汗)
もう4年も経つのか・・・あの子はどうしているだろう・・・
ふと、彼の家を訪ねたくなったが、団体旅行なので諦める。(涙)
こういうところが団体旅行のつらいところである。(大笑)

この「特二式内火艇」について、ツアー参加者の中で、以前、戦車部隊にいたことがあるという陸自戦史教官から説明を頂く。

次に向かったのは「パラオKBブリッジ」という橋のたもと・・・・
これは戦跡ではない・・・(大笑)
ここには韓国企業が作ったコロール島とバベルダオブ島を結ぶ大橋が架かっていたが、開通してからて19年目に大崩落・・・(唖然)
どうも韓国企業の手抜き工事のせいだったらしい・・・
なにせ、橋の真ん中がだんだん沈んでいったというのだから尋常ではない。(汗)
この橋を渡る車はみんな窓を開けて走ったとガイドは言う。
いつ崩落して海に落ちるかわからないので、すぐに脱出できるように窓を開けて走るのは“常識”だったそうで・・・(大汗)
それでも、実際に崩落した時は2名の死者が出たとか・・・
韓国企業は、この事故の責任をとらず逃げたそうで・・・(唖然)
まぁ、韓国というのは、そんなものだろう。
拙者の業界でも、問題が発生した場合の韓国企業の対応の酷さは有名だった・・・
取引するまではニコニコ、ペコペコ・・・
ところが、いざ、韓国側に原因がある問題が発生した時の横柄な態度に取引をした日本企業は後悔したそうで・・・
開き直っちゃうっていうんだから、どうしようもない・・・
こういうのは何と言うのだろう・・・「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」というのかな?
まぁ、韓国人というのは、そういう国民性なのだろう・・・
そこで、日本がODAで橋を架けた・・・・
それが、現在のこの橋・・・

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ここにきて、いきなりの土砂降り!
スコールか?

この橋が架かっている水道は、あのペリリュー島へ逆上陸を果たした飯田大隊が通った水道である。
ここを通ってペリリュー島へ向かったのである・・・・

この橋のたもとに韓国が建てた建設碑(記念碑)が今も残っている。
走るバスの中から撮ったので、アングルが悪いが・・・
写真の右端のコンクリート製の柱の束みたいに見えるのが、その「建設碑」である。

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橋は崩壊して無くなっているが・・・(笑)
記念碑だけは残しているのか?(汗)
ところで、韓国のツアーガイドは、この現在架かっている橋と、この記念碑の関係をどう説明するんだろう?

次に向かったのは「官幣大社・南洋神社」跡・・・・
ここでも雨が降ったり止んだり・・・・(涙)

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旧官幣大社南洋神社再建趣意

明治維新は単に国の近代化にとどまらず 日本人の世界進出を促した
海外における移民もすでに百年を経過して各地に繁栄し二世三世の時代になってゐる
日本人がその地に定住するには 先ず土地の国魂を祀り開拓の先輩を敬重し 敬神崇祖のまごころを尽すことから始まった
その精神の集中するところが神社であった
しかしながら 今次の大東亜戦争の挫折によって 南洋神社も一旦撤収のやむなきに至った
ここに新たなる時代を迎えて 日パ両国の有志により 神社の歴史的由縁に基づきこれを再建し 祖神と英霊の御加護を祈り 南洋の発展と平和の基点とし 以って世界文明の進運に寄与せんと願ふものである

平成9年10月吉日

(説明碑文より)



この碑を書いた人(団体)の名前が記されていないが、この神社を再建したのは、どこの団体なのだろうか?
変な団体じゃなければいいが・・・という気がしますが・・・(汗)
この神社は、パラオの上院議長の邸宅の敷地内にある。
へぇ~・・・・である。

その次に向かったのは、「日航ホテル」跡・・・・
丘の上の、ただの原っぱ・・・(唖然)
ここにホテルがあったの?・・・・と言いたくなるような、さほど広くもない場所である。
ここに日本軍の兵器が置いてある・・・・

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これは日本海軍の九六式25ミリ高角機銃(連装)・・・・日本海軍の最もポピュラーな対空機銃である。

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こちらは、陸軍の八八式7糎(センチ)野戦高射砲。
日本陸軍の主力高射砲である。
砲身が一回転しているようで刻印が見つからない・・・・(苦笑)
外れた砲身を、誰かが台座に載せて、それなりの格好にした・・・という感じ・・・

時刻は午後2時になる・・・・・

旅行 | 14:53:13 | Comments(0)
コロール島観光
今日はパラオ本島、コロール島へ戻る日なのだが・・・
外は・・・雨!(涙)
土砂降りである!!(唖然)

ホテルをチェックアウトして「北港」に向かう。

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港のターミナル・・・・
ガイドさんから雨合羽を渡され着用・・・・
拙者はポンチョを持参していたので、ポンチョを着用する。
このポンチョっていうのは便利なんだよねぇ~(笑)
拙者と同じようにポンチョを持参してきていたのは“イズミ教官”・・・さすがは陸自教官殿である。(笑)

この雨でボートが出なかったらどうしようかと心配したが、無事に出航!
が・・・・ボートは屋根しかないから・・・
猛烈に雨が吹き込んでくる!
加えて波の飛沫も・・・(涙)
あっという間にボートの中はビショビショ・・・
とてもじゃないが、この状態では写真は撮れなかった・・・(涙)

今朝は、この雨なので服装をどうしようかと散々迷った・・・
ずぶ濡れになる事は想定済み・・・
こういう時に役に立つのはポンチョである。
雨合羽では中途半端である。
ボートの中にまで水が入り込んで椅子の上を水が流れる・・・
雨合羽だけでは、下半身はびしょぬれである。
ポンチョは膝下までの長さがあるので上手に座れば尻を濡らさずにすむ。(笑)
こういう時は、雨合羽ではなくポンチョのほうがいい。
ポンチョは頭からスポッと被るので、ショルダーバック程度の荷物は腹に抱えたまま被れる。
雨合羽では、そうはいかない。
今回は、ガイドさんのほうで、ビニールの大きなゴミ袋を支給してくれたので、その中にショルダーバックを入れたが・・・(笑)
ボートで移動するなら、こういう天気も想定してポンチョを用意することをお勧めしたい・・・
どうしても雨合羽を使うならズボンも揃えておいたほうがいいだろう。

残る問題は、足元・・・靴である。
当然、ビショビショになる。
これの対策は・・・あ~・・・考えていなかった・・・(大笑)

コロール島に到着後、初日に宿泊したホテルに向かう。
最終日の今日も、ここに宿泊する。
時刻は午前10時前である。
チェックインは無理かと思ったが、ホテル側が急いで準備をしてくれたので部屋に入ることが出来た。(喜)
ここで着替える人は着替えて・・・市内観光に出発する。

雨が降っているためか・・・車窓からの見学となる。(汗)
水産試験場、水上警察署、旧海軍病院跡などを「観たことに」なっているが・・・
雨でバスの窓が濡れていて、外の景色はサッパリ見えない・・・(大笑)
ガイドの説明を聞くのみ・・・
「右に見えますのは・・・」
「え?どこ?どれ?」と思っている間に・・・通過!!・・・である。(大汗)

コロール島から橋を渡ってアラカベサン島へ・・・
ここにある日本海軍の水上艇基地跡に到着。

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コンクリートで出来ている広いスロープ・・・・
皆さんは、この広さに驚いていたが、二式大艇クラスなら、このくらいの広さは必要だろう。
このスロープを使って飛行艇を引き上げたり、海に入れたりするのである。

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このスロープの隣りの入り江も水上機基地の一部のようである。
望遠で撮影してみると、四角いコンクリートの突起物が水面から顔を出している。
どうも水上機を係留するためのものらしい。
水上偵察機や水上戦闘機などを係留したのだろうか?

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次にパラオの市街地に向かう。
時刻は午前11時半・・・

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上手い具合に雨がやんだ・・・
現在、パラオの最高裁判所として使われているこの建物は、当時は日本の南洋庁のパラオ支庁庁舎・・・
今も当時の形を保ったまま使われている。(内部はどうなっているかは知らないが・・・)

次に向かったのは、南洋庁の長官官舎跡・・・

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長官の官舎の建物は残っていない・・・(涙)
現在は私有地になっているので立ち入ることは出来ない。
今も残るのは門柱のみ・・・
この長官舎脇の道路沿いに防空壕が残っている。

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入口にはゴミが突っ込まれていますが・・・(汗)

ここで午前中の観光は終了・・・
時刻はちょうど12時・・・
日本料理店でお昼をいただく・・・

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旅行 | 10:57:22 | Comments(0)
米軍の残骸・・・
時刻はまもなく午後5時になるが、まだ戦跡巡りは続く・・・・

移動途中で、最近偶然見つかった日本海軍の防空壕に立ち寄る。
それまではジャングルの中に埋もれていて誰もわからなかったそうだが、台風の被害で姿を現したとか・・・
で・・・周囲の木を切り倒して草を刈って観光名所のひとつに加えたようである。(笑)

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これに似た形の防空壕は韓国の済州島の日本海軍航空基地跡でも見たことがある。
ということは・・・これは、日本海軍の“規格品”なのかな?(笑)

続いて向かったのは・・・米軍の戦車の残骸がある場所・・・・(どこなのか知らないが・・・)(笑)
個人の土地の中にあるようである。

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これは米軍のM4シャーマン戦車・・・・
日本軍の地雷で破壊されたそうで、近くに米軍の慰霊碑が建っている。
その碑文によると、この戦車は第710戦車大隊に所属する戦車で、1944年(昭和19年)10月18日に日本軍の地雷によって破壊されたとのこと。
慰霊碑には4名の名前が刻まれている。
が・・・M4シャーマン中戦車は5人乗りであるから・・・・一人、生き残ったということかな?
この時に、第1海兵師団の大尉も“殺されて”いると刻まれている。
“殺される”・・・・ねぇ~
もう少し穏やかに書けないものかねぇ~(汗)
“死んだ”でいいんじゃないの?
この部隊は陸軍なので、海兵隊の大尉が一緒に戦死するというのは不思議だが・・・
もしかしたら、日本軍の陣地まで案内し、攻撃ポイントを指示するために同乗していたのかも・・・
碑文によれば、日本軍の洞窟陣地を攻撃して引き返す時にやられたようなことが書いてあった。

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この転覆している戦車を見ると、プラモデルの戦車が転がっているようにも見える。(大笑)
が・・・この戦車の重量は30トンもあるのである。
30トンもの物をひっくり返しちゃうんだから、そりゃぁ~すごい爆発だったのだろう。
一説によれば、機雷を改造した地雷だったという。

戦車の周りには我がツアー参加者で人だかり・・・触ったり叩いたり・・・
とても写真が撮れる状況ではない。
だいたい、写真を撮る人のことを考えて遠慮するなんていうことを彼らはしない・・・特に若い連中は・・・(大汗)
で・・・拙者は、その間、タバコを吸って・・・「休憩」!(大笑)
ちなみに、ちゃんと携帯灰皿持参である。
そこらに吸殻を捨てたら地下に眠っているであろう英霊に対して失礼である。

で・・・そのうち、添乗員の“アサダさん”が「それじゃ、そろそろ戻ってください!」と声をかける・・・
この時がチャンス!
ゾロゾロとバスに向かって戻って皆さんは戦車から離れていくので、ここから撮影を始めるのである。(笑)
拙者の魂胆を添乗員さんは見抜いていたようで・・・拙者を見てニヤリと笑う。
それっ!・・・とばかり二人で急いで写真を撮影!
撮影ポイントは、すでに「休憩中」に頭の中で組み立てておいた。
添乗員さんと二人で並んで、戦車の周りをグルッと回りながら近づいたり離れたりしながら撮影する。
添乗員さんと離れるにしても90度以上の角度には離れないことにしている。
間違っても対角線上には立たない・・・
これは撮影時の鉄則である。
対角線上に立ってしまうと、お互いの姿が写真に写り込んでしまうのだ。(笑)
お互いに、人間が写っている写真は撮りたくないので・・・・
ここは以心伝心と言うか、阿吽の呼吸と言うか・・・お互いが邪魔にならないように動く・・・
しかも短時間で撮影を終了せねばならない。
みんなは、もうバスに向かっているのである!(大笑)
急いで撮影してみんなの後を追う・・・
だから、拙者は常に殿(しんがり)を務めることにしているのである。(大笑)
殿ならば、多少遅れても文句は言われまい?(大笑)
今回も上手くいった・・・・
誰もいなくなったところで撮った写真がこれ・・・・(笑)

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次に向かったのも米軍の残骸がある場所・・・(苦笑)
今度は航空機である。
グラマンF6F「ヘルキャット」らしい・・・・

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このガラクタ・・・・何がなにやら・・・(汗)

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この主翼の形からすると、F6F「ヘルキャット」のようだが・・・・

時刻は午後5時半・・・・
ジャングルの中は薄暗く、ストロボなしでの撮影は限界である。
しっかり構えてシャッターを押してもブレる・・・(涙)

この土地の持ち主は、日本軍の弾薬庫を改造して自宅として使用しているとのことで、帰りに立ち寄る。
皆さんは、見学に行ったが、拙者は興味が無い・・・(笑)
そんなに大勢で詰め掛けたら写真など撮れない・・・
必ず誰かの頭や顔が写ってしまう。
というわけで・・・拙者はバスの所で再びタバコを一服・・・・
で・・・・バスの運転手と雑談。(笑)
なにせ滅多に英語を話すことが無いので、こういう時間を利用して“英会話”をせねば・・・(大笑)

今日の“島内観光”は、ここまで・・・・
“民宿”に戻り、夕食の時間までに“民宿”の裏手にある海岸へ向かう。
ツアー参加者の中でお一人、夕日が沈むのを見て見たいという方がおられたので、ご案内する。
が・・・・残念ながら曇っていて夕日が沈むのが見えない!
これが晴れていたら綺麗なんだけどなぁ~
4年前に観たんだけどなぁ~(笑)
う~ん・・・・残念!

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夕食中、雨が降り出した・・・それも土砂降りである!
あらら・・・・
明日はどうなることやら・・・・

旅行 | 20:07:41 | Comments(0)
中川大佐終焉の壕へ行く
時刻は午後3時を過ぎた・・・・
次に向かったのは、ジャングルの中に残る米軍機の残骸がある場所・・・(どこなのか知らないけど・・・)(汗)

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残骸は、グラマンTBF「アベンジャー」艦上攻撃機・・・・
3人乗りの攻撃機で、空母から発進、魚雷や爆弾を投下する飛行機である。
拙者は、米軍の残骸には興味が無いので・・・(笑)・・・ちょっとだけ写真を撮ってオシマイ・・・

次に向かったのは、島のほぼ中央に位置する「中山」と名付けられた場所・・・
この「中山」の近くに「短二十糎榴弾砲」がある。

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この砲は、商船などに搭載され、敵の潜水艦を撃つ大砲である。
船から降ろして「沿岸砲」として使用されたのかも・・・

この近くに、通称「ペリリュー神社」と呼ばれる神社がある。

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この神社・・・話によると、どこかの右翼団体が作ったのだとか・・・
みなさんは、お参りしていたが・・・
あまり、いい評判を聞かないので、拙者は、この神社にはお参りしない。(苦笑)
近づきたくもないので・・・離れたところでタバコを吸って暇つぶし・・・(大笑)

さて、ここから、今度はジャングルの中に入って、ペリリュー守備隊隊長の中川大佐の自刃した地に向かう。
4年前に行った時は、とにかく歩くのも大変というジャングルで・・・
足元には木の根っこが這い回り不安定・・・
あっちにもこっちにも不発弾が散乱・・・
しかも湿度が高くて、ちょっと歩いただけで汗びっしょり・・・
いやぁ~あんなところを歩くのに、そんな軽装で、しかも皮手袋もなしで皆さんは大丈夫かね?(汗)

我がツアーの中でも、高齢者と女性の中から歩く自信が無いという人達が出たので、無理は禁物ということで、ツアーは「留守番」組と「決行」組の2つに分かれる・・・
拙者は一応、「決行」組みに入るが、列の後方を歩く・・・
若い連中は、相変わらずドンドン先に進む・・・
まぁ、そんなものだろう・・・・仕方がないか・・・

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ジャングルの中に踏み込んで・・・・唖然!
あれれ?・・・・なんだこりゃ・・・
まるで自然公園の遊歩道状態である!

4年前に来た時に、ちょうどイギリスから不発弾処理のグループが来ていて、不発弾の処理をしていた。
かなりの期間滞在して何万発もの不発弾を処理しているとのこと。
グループのリーダーと話をしたが、彼の英語が超早口で・・・(苦笑)
ほとんど理解不可能だったが・・・(笑)
資金は中国が出しているそうで、なんで日本政府は不発弾処理の費用を出さないのかと文句を言われたのはよく覚えている。(大汗)
のちのち、中国なんかに恩着せがましいことを言われたくはないもんだが・・・
日本政府は何をしているのか・・・と腹が立った。
本来は自衛隊の不発弾処理の連中がやるか、退職自衛官が一般人の身分でやるか、いずれにせよ、日本軍の残した不発弾は自国の手で処理すべきではないか?
こういうことにこそ自衛官を海外派遣すべきではなかろうか?
“成金”の中国と英国“白人”退役軍人に借りを作るとは・・・
日本政府はアホである!(怒)・・・と思ったものである。
彼らのおかげで不発弾は綺麗に片付いてしまっているが・・・
それにしてもこの「遊歩道」はどうしたことか・・・
ガイドに聞いたら、昨年の台風で、このあたりは倒木で散々な状態になり、入れなくなっていたそうである。
そこで、倒木を処分したりして、綺麗に片付けたんだとか・・・(唖然)
そう言われれば、あれほどあった大木が無くなっている・・・・
人間一人が一列になって草木を掻き分け、木の根っこや倒木を乗り越え、上のほうから垂れ下がっている蔓に引っかからないように注意しながら、しかも不発弾の手榴弾などを踏まないように注意して歩いた、あの道は・・・・
その面影は全くなくなっていた!
台風のおかげ?(大笑)

歩きやすくなったおかげで、思ったより早く“現場”に到着した。
が・・・
さすがに中川大佐の最後の砦は険しい・・・
隆起珊瑚礁の切り立った岩に囲まれていて、この壁をよじ登らねばならない。
とてもじゃないが、写真を撮る余裕など無い・・・(苦笑)

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中川大佐の最期の洞窟に到着!
早速内部に入った若い連中が「中川大佐どの!」と叫ぶ・・・・
こう言っては失礼かもしれないが・・・シラケるんだよなぁ~(大汗)
どうして、そういうパフォーマンスをするのかねぇ~
拙者は、そういうのは好きではないので、一気に気持ちが冷めてしまった・・・
個人で来てやるなら、どうぞご勝手に・・・なのだが・・・
団体なんだよね・・・これ・・・
拙者としては、静かにお線香を供えて一礼するという“慰霊”をしたいんだけど・・・
ワァーワァーワァーワァーと叫び声をあげている洞窟に入る気になれず、入口にお線香を供えて・・・終わり・・・

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洞窟の入口に軍艦旗(旭日旗)を飾って・・・・「海ゆかば」を斉唱・・・・

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帰り道・・・周囲には、こういう自然洞窟がいくつもある。
日本軍は、こういう洞窟を陣地として活用していた。
そのうちの一つの洞窟陣地・・・・

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野砲の残骸が半分埋まって見える・・・・
輪の形の鉄の板は車輪の残骸で、両輪の真ん中に駐退器の一部が見える・・・
ということは・・・拙者の足元に砲身が埋まっているかも・・・

旅行 | 17:42:00 | Comments(0)
トーチカ!トーチカ!
次に向かったのは、島の南西にある「西浜」と呼ばれていた海岸・・・・
時刻は午後2時半・・・
ここは「西地区隊」として、歩兵第2連隊第2大隊が配置されて海岸の防備についていた。

368_convert_20141129154528.jpg(西浜)

この西浜には、「イシマツ」「イワマツ」「クロマツ」などと名付けられた陣地が設けられていたが、その中の「イワマツ陣地」のある海岸を見学・・・・
すぐ近くに、日本軍のトーチカの残骸があった。

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次に向かったのは、島の南端・・・
ここは群馬県高崎の歩兵第15連隊第3大隊が守備についていた「南地区」・・・
大隊本部のトーチカに向かう。

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分厚いコンクリート製のトーチカ・・・
銃眼は鉄扉で守られている。
たしか、トーチカの上部は屋根が上下して銃眼が現われたり隠れたり・・・となっていたと思う。
4年前に来た時は、屋根に登ったが、今回は、かなり周囲が荒れていて登ることは不可能だった。
多分、電動式か何かの銃眼だったと思うが・・・
こういうレベルの高いシッカリしたトーチカというのは珍しい。
これは貴重な戦争遺跡だと思う。

379_convert_20141201224657.jpg 382_convert_20141201224752.jpg (内部)

よくぞ、ここまでのトーチカを造るだけの資材があったものと感心する。
もっと資材があれば、同じようなものをもっと設置できただろうに・・・

この近くにに「発電設備」の半地下壕があったはずだが、今回訪問した時は、台風の被害だろう、完全に埋もれてしまっていた。
内部に発電機らしき大型の機械も残っていたのにねぇ~

このトーチカの近くに、37ミリ速射砲(対戦車砲)がジャングルの中にポツンと置いてある。

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怖ろしく小さな大砲である。(苦笑)
こんな貧弱な砲で敵の戦車を撃破できたのだろうか?・・・・と誰もが疑問に思うほど小さな大砲である。
(小さいから“大砲”ではなく“小砲”と呼びたくなるが・・・)(笑)
片手で持てるんじゃないか?(大笑)
この「南地区隊」には、7.5センチ野砲が1門、37ミリ速射砲が1門、新型の47ミリ速射砲が1門、高射機関砲が1門配備されていたという。
「砲」と呼べるものは、たったこれだけである。
こんな貧弱な装備で戦うっていうんだから、負けるのも当然である。
米軍の砲とは桁違いに数量が足りない!(怒)
にもかかわらず、よくぞ粘りに粘って戦ったものである。
この「南地区隊」の兵力は750名・・・・
それで、大砲・機関砲が、たったの4門だからねぇ~(唖然)
37ミリ速射砲は1門しか配備されてなかったというのだから、この朽ち果てた砲が、その砲であろう。
お勤めご苦労さんでした・・・・

旅行 | 15:34:24 | Comments(0)
戦跡めぐり再開!
カレーライスの昼食を終え、戦跡めぐりの再開である!
時刻は午後1時過ぎ・・・
まず向かったのは「34士の洞窟」・・・・

この“34士”とは・・・・
ペリリューの戦いは昭和19年11月24日に守備隊が玉砕して、その戦闘を終えたわけだが・・・
それでも生き残った兵が散発的にゲリラ戦をおこなっていたようである。
で・・・昭和20年8月15日に日本は終戦を迎える・・・・
それでもなお、ペリリュー島には日本兵が生き残っていたのである。
で・・・終戦から2年後の昭和22年4月21日・・・・
最後まで生き残っていた日本兵34名が降伏し、本当の意味でのペリリュー戦が集結した。
で・・・陸軍兵22名、海軍兵8名、軍属4名の、この34名を“34士”と呼んでいる。
彼らは、その後「三十四会(みとし・かい)」という親睦団体を作って交流を続けていたようである。
「三十四」で「みとし」・・・「みとし」は茨城県の「水戸市」と語呂が合う。(笑)
現在ではこの34名の方々も多くがお亡くなりになり、会は解散しているそうである。

この34名の「最後の日本兵」が潜んでいた洞窟に向かうのである!

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ジャングルの中を一列になって進むが・・・
誰も後ろの人のことを気にかけない・・・
というわけで、列が途切れて・・・迷子!(大汗)
おい、おい、少しは周囲に気を配れよぉ~(怒)
そのうち、先導役のガイドが道に迷った!(唖然)
「停止!停止!」
ガイドが洞窟を探している間、小休止・・・・
とにかく、ジャングルの中は迷子になり易い・・・
しかも、地面は隆起珊瑚礁で出来ていて凸凹・・・
さらにそこに木の根っこが這い回っているから歩きづらい・・・
足首を捻挫しかねない・・・
特に、高齢者と女性にはキツイだろう。
バランスを崩してひっくり返ったら大怪我をしかねない。
珊瑚の岩は刃物のように尖っているのだ。

足場の悪いところに立ち続けるというのは、なかなか辛いものがある。
で・・・高齢者やご婦人方に手を貸して、少しでも安定した場所に誘導する。
「親切ですねぇ~」と言われたが、拙者は格段、親切な男というわけではない。(笑)
怪我人が出ると、予定が狂うのである。
予定が狂うと、見に行く予定の場所に行けなくなる可能性がでてくる。
それでは困る・・・
というわけで、予定を狂わせられたら困るから、あらかじめ“防衛策”をとっているだけなのである。(大笑)

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ようやく洞窟が見つかったようである。
移動開始!
「お~い!」
「どこだぁ~?」
「ここ!」
「ここ・・・って・・・どこだぁ~?」
多分、数メートルしか離れていないと思うんだけど、ジャングルの中では声はすれど姿が見えぬ・・・
これがジャングルの怖いところ・・・・
ジャングル戦の難しいところである。(笑)

無事に洞窟に到着!

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ここが洞窟の入口・・・
分かりづらいと思いますが・・・分かりづらいから戦後2年間も潜んでいられたわけで・・・(苦笑)
洞窟と言うより、地面に見える「割れ目」という感じ・・・・
この狭い穴に一人づつ入る。

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内部には入れるのは、せいぜい2名が限度・・・・

今回のツアーでの「持ち物」に手袋と懐中電灯の持参が明示されていなかった。
おかしいなとは思ったのだが・・・案の定、こういう時は不便である。
拙者は前回の経験があるので、持参して来たが・・・(笑)
手袋は、軍手ではダメ・・・皮製の手袋でなければ珊瑚の岩で切れてしまう。
懐中電灯は当然、必需品である。
その懐中電灯を持っていない人が多いので、途中から拙者が先に内部に入り照らして、続いて一人入って来てもらうことにした。
女性が入ってくるとき・・・周囲が大騒ぎ・・・
「変なことをされないように気をつけてくださぁ~い!(大笑)
「なぬ!こら!俺がそんなことをするわけないだろ!」(怒)

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洞窟の内部は“ウナギの寝床”のように、奥に長く延びている。
が・・・かなり土砂が流入したのだろうか?
天井までの高さがかなり低く、四つんばいに近い格好でないと奥には行けない。
しかも地面には水が溜まっておりドロドロ・・・・
片手で懐中電灯を持ち、片手で写真を撮るというのは、かなり無理がある。
三脚でもないと・・・・このように写真がブレる・・・・(大涙)

この洞窟に“最後の日本兵”である34人全員が住んでいたわけではない。
いくつかのグループに分かれて生活していたようで、そのうちの一つが、この洞窟である。
他にも何箇所かあるのだろうが・・・・
この割れ目のような入口では、探し出すのは難しいだろうなぁ~

この34名の生還者の中に“モリシマさん”という兵隊がいた・・・
実は、拙者が青年会議所の理事をしていた時に理事長をしていた“モリシマさん”のお父さんである。
当時は知らなかったが、3年前、ペリリュー島へ行った話をしたときにわかった。(笑)
あらぁ~・・・世の中って狭いね・・・(苦笑)
“モリシマ上等兵”の名前は知っていたが、まさか、“モリシマさん”のお父さんとはねぇ~(汗)
お父さんは、戦後、再訪問はしていなかったようで、一度、再訪問したいと言っておられたようだが・・・
念願叶わぬまま、残念ながら、すでにお亡くなりになっている。

この洞窟で生活していたのだろうか?・・・・
息子さんである“モリシマ元理事長”に写真を見せてあげようと撮ってはみたが・・・このブレた写真ではなぁ~(涙)
ダメだな・・・

時刻は午後2時を過ぎた・・・・
次に向かったのは『戦争博物館』・・・・
4年前に来た時は、開いていなかったので見学できなかった。
今回、初めての訪問である。
博物館好きの拙者としては、ワクワクである!(大喜)

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博物館の建物は、厚いコンクリートで出来た建物・・・・
日本海軍の倉庫に使われていたらしい。

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で・・・米軍がこの建物を占領した後は、米軍の応急救護所として使用されたらしい。
当時、米軍が撮った写真が博物館内に展示されていた。

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博物館内には、日米両軍の資料が展示されてあったが・・・
残念ながら英文の解説には日本語の訳文は付いていない・・・
いかに日本人の来島者が少ないか・・・ということがわかる。(残念!)

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ここに、「最後の日本兵」たちが投降した時の写真も展示されている。
34名のうちの28名が、まとまって投降したようである。
残り6名は別の場所で投降したのだろう。

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旅行 | 13:35:54 | Comments(0)
日米合同慰霊祭に参列する
続いて向かったのは「ペリリュー小学校」・・・・
これから、ここで『日米合同慰霊祭』が開催される。
そこに、我々も参列することになっている。
で・・・服装はどうするのか・・・(汗)
ホテルに戻って着替えることはしないという・・・(汗)
“慰霊祭”に参列するというのに?
戦跡を歩き回るので、汚れてもいい服装ということで、拙者は作業服で行動していたのだが・・・

会場の「ペリリュー小学校」には4年前に訪問したことがある。
そこに日本人の女性教師が海外青年協力隊員として派遣されているというので、会いに行って、授業を見学したことがある。(笑)
彼女は、すでに帰国しているだろうが、今頃、どうしているだろうか・・・

会場で、水戸の歩兵第2連隊の戦友会役員に会う。
今年はペリリュー島の戦闘が終結して70年を迎える・・・
それを記念しての「ペリリュー終戦70周年記念日米合同慰霊祭」であるから、当然、彼らも参列するだろうと思っていたが、日々のバタバタとした生活の中で、彼らに、拙者もペリリュー島に行くということをメールするのを忘れていた。(笑)

4年前に一緒に日本兵の遺骨調査等を行った時のメンバー・・・“ヨコハマさん”が拙者を見つけて「ええっ!なんでいるの!」と大声で叫ばれたのには驚いた。(大笑)
あららら・・4年ぶりの再会かな・・・・(笑)
ツアーに参加してやって来たことを伝える・・・
「いやぁ~・・・あなたを誘おうかという話もあがっていたんですけど・・・」と言うが・・・
それって、“言い訳”だよね?(大笑)

日本からは戦友会関係は、役員2名のみしか参加していないとのこと。(唖然)
戦没者の遺族を誘って団体で参加しているものと思っていたのだが・・・(汗)
70周年の日米合同慰霊祭なんですけど・・・日本人の参加者は、ほとんどいないのか?
そのかわり、日本からテレビ局と新聞社を同行して参加しているとか・・・

役員の“シラカタさん”ともお会いする。
彼とは水戸の護国神社で開催されるペリリュー島の慰霊祭で昨年お会いしているので、1年ぶりの再会である。
やっぱり、まさか拙者が来るとは思っていなかったようで驚いていた。(大笑)
やっぱり事前にメールをしておけばよかったか・・・(笑)

会場で“ダンさん”に会う。
彼は日本企業に勤めていたことがあり、流暢な日本語を話す。
どうして、そんなに上手に日本語が話せるのか・・・彼に会うたび拙者は不思議に思うのである。(笑)
頭がいいんだろうなぁ~・・・・拙者とは違って・・・・
彼とも4年ぐらいぶりの再会ではないかと思うが・・・
彼はつい先日、お父様を亡くしている・・・しかも、娘の結婚式の前日に・・・(大汗)
娘さんも辛かっただろう・・・自分の結婚式の前日におじいちゃんが亡くなったのでは・・・
彼にお悔やみの言葉を・・・
精神的にもかなり参っていたようで、疲れた顔をしていたが・・・「大丈夫?」
通訳を兼ねて、この島に来ていたようである。
彼から「ジョンさんも来てますが、会いますか?」と言われる。

おお!“ジョンさん”も来ているのか!
“ジョンさん”は元海兵隊員・・・ベトナム戦争の勇者で、上級曹長・・・
ナイフ1本で5人のベトコンと戦ったという噂を聞いたことがある・・・
早速、アメリカ側の来賓席に向かう・・・
と・・・着座していた海兵隊員たちが一斉に起立して拙者を出迎えたのには驚いた。(大汗)
いや・・・拙者は、それほど偉い人間ではありませぬ・・・(大汗)

「ジョン!」(笑)
彼とは4年前に、ここペリリュー島で再会したのが最後・・・久しぶりの再会(正確には”再再再会」くらいになるかな?)(笑)
いつもは、ふざけてお互いに敬礼で挨拶を交わすのだが・・・(笑)
ここは公式の場でもある・・・拙者は“軍人”ではないので敬礼をするわけにはいくまい。
一瞬、いつものように、彼は拙者に敬礼をしようとしたが、拙者が敬礼をしないので気がついたらしい。(笑)
手を途中まで挙げて・・・アッという顔をしてやめた・・・(大笑)
えへへ・・・
「いやぁ~久しぶりです!上級曹長!」・・・ここまでは良かったが・・・
その後が相変わらず「あ~え~・・・・あ~・・・・」・・・頭の中は真っ白!(大汗)
全然、英会話が出来ない!(大涙)
話したいことは山ほどあるんだけどなぁ~(涙)
あとで考えたら、“ダンさん”に通訳をしてもらえば良かったんだよなぁ~
自分の言葉で直接話をしようなんて無謀なことを考えたのは大間違いだった・・・(涙)

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会場の正面中央には、パラオの大統領やら、州知事やら酋長やら偉い人達と、米軍の海兵隊などの偉い人達が・・・
で・・・向こう側に、米軍の来賓席・・・“ジョンさん”たち制服を着た海兵隊OBやら関係者が座る。
会場正面に向かって、数百人のパラオ現地人と一般のアメリカ人たちが座っている。
で・・・米軍の来賓席に向かい合わせに、こちら側は日本の来賓席になっているようで・・・
なんと!
我々ツアー客21名は、この来賓席のほうに座らされてしまった!(大汗)
うそでしょ・・・
当初の予定では、慰霊祭の途中で会場から抜け出して、戦跡めぐりを続けるとのことだった。
だから、着替えずにこの会場に来たわけで・・・・
来賓席に座らされたら、途中で抜け出すなんて出来ないでしょ!(唖然)
しかも、拙者は、中央前列の一番目立つ場所に座らされてしまったのである!
ヤバイ・・・拙者は作業服姿なんですけど・・・(大涙)
この位置ではテレビに映っちゃうでしょ!(大汗)

本来、この席は、生還者や遺族等の関係者が座るべき席だと思う。
我々のような“観光客”が座るべきではない。
当然、一般席に座るものと思っていたが、日本側の参加者が少ないせいだろう、我々までもが“動員”された形となった。
事前の関係者との打ち合わせが全くできていない!!(怒)
日本人だけの慰霊祭ならば、極端な話し、TシャツにGパンでも良かろうが・・・
こういう場では、否応なしに、日本を“代表”することになってしまうのである。
人間は外見で判断してはいけない・・・と言うが、“身なり”は大事である。
多くの“外国人”の目に晒されるのであるから、それ相応の身なりはすべきである。
なんたることぞ・・・こんな格好で参列する破目になるとは・・・ショックである。

以前、フィリピンのミンダナオ島スリガオで開催された慰霊祭に参列したことがある。
翻訳家の“フルサワさん”からの要請で、毎年、日本人が誰も参列しないので、行ってもらえないか・・・とのこと。
単身、“日本代表”ということで乗り込んでいったが・・・
ステージ上で多くの目に晒されるわけで・・・
クソ暑い中、ジャケットにネクタイ姿で瘦せ我慢しながら参加した・・・(大笑)
日本人はキチンとした国民なのである!・・・・と示したかったのである。(笑)
地元のTV局から、「今まで、この日・米・比(フィリピン)合同の慰霊祭に日本人が誰も参加しなかったのは、日本が戦争に負けたのが恥かしくて参加しなかったのか?」とインタビューされた。
冗談ではない・・・(唖然)
戦争に負けて恥かしがっているなんて、とんでもない誤解である!
が・・・そう思われても仕方がないかも・・・(汗)
一応、無難な回答で誤解を解くようにしたが・・・
本当のところは日本の外務省が出来損いだからだ・・・(苦笑)

こういう経験があるので、海外での慰霊祭には神経を使わねばならぬと拙者は思うのだが・・・
このノー天気さはなんだろう?
主催は米国のようで・・・・
パラオ共和国の大統領を始め、現地に方々のスピーチは米国を“ヨイショ”するような内容・・・
米軍の司令官からもスピーチがあったが、日本側からのスピーチは全くなし。
日本を代表するような人はいないようである・・・・
日本の大使館から誰か来ているのかどうかもわからない・・・
これでは「日米合同」にはならないと思うけど・・・(大汗)
我々以外ににも何人か日本人がいたようだが、どういう関係者なのか全く不明・・・
来賓席に座らされ、何が何だかわからず、全て英語で進むので、キョトンとして参列するという、わけのわからん慰霊祭参加となる。
こういうことでいいのかねぇ~・・・・と思う・・・(苦笑)

こういう機会に、大勢の日本人が参加して、主催者側を“喰って”しまうくらいのことをすべきではないか?
戦争での勝ち負けに関係なく、堂々と、ビシッとした格好で参加して戦没者の慰霊をすべきではないか?
このショボい参加人数はなんたることか・・・(唖然)
国内で天下国家を語る奴は多いが・・・・
国内で何を言おうとも、海外でこれではねぇ~・・・・と拙者は思うのである。

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この式典でのメイン・イベントは、日米両軍兵士の“再会”ということかな?
ペリリュー戦で戦った両軍の兵士が、恩讐を超えて“再会する”・・・・
アメリカ人らしい企画・・・よくあるパターンである。
日本からは、海軍の生還者である土田氏・・・・
このお二人の元兵士が「主賓」ということになるか・・・
土田氏は、たぶん、90歳を超しておられると思うが、矍鑠(かくしゃく)とされている。
さすがである・・・・感激!

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時刻は、まもなくお昼・・・・
式典も無事に終わり解散・・・・
我々は昼食を食べるため“民宿”に戻る・・・・

旅行 | 11:47:19 | Comments(0)
慰霊碑を参拝
今日は、戦跡を回りながら、ついでに(笑)、ペリリュー小学校で行われる「日米合同慰霊祭」に参列する予定である。
先ず最初に向かったのは「北波止場」・・・・
この港のターミナルで、“イズミ教官”から、戦史の説明を受ける。

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港には、英語と日本語で看板が出ていた・・・
4年前には、こんなものはなかったはずだが・・・(笑)
港には、アメリカ海兵隊の連中が集まっていた。
どうも到着したばかりのようで、ボートから楽器を運んでいる。
どうやら日米合同慰霊祭に参加する軍楽隊のようである。
御苦労様である。

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ここ、「北波止場」は当時「ガルコル波止場」と呼ばれた場所である。

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沖に見える、左側の島が「ガドブス島」・・・・・
その右に、「コンガウル島」という小さな島が見える・・・・
昭和19年9月23日から24日にかけて、この港に日本軍の“逆上陸部隊”が到着している。
すでに米軍が上陸し、戦闘が始まっており、その敵の包囲網を突破して、追っかけ上陸するのを“逆上陸”と呼ぶ。
いわゆる増援部隊なのだが・・・
敵が既に上陸しているところへ上陸しようというんだから、言葉としては「逆上陸」なんて格好良さそうだが、実際には成功する確率は低い・・・
拙者の祖父はフィリピンのレイテ島への逆上陸部隊に指定された・・・
出撃の朝、敵の空襲で海軍の護衛を得られなくなり、逆上陸作戦は中止されたが・・・・
あの時、出撃していたら、レイテ島沖か、海岸で祖父は戦死していただろう。(大汗)
間一髪で命を拾っている。
うまく上陸しても、既に米軍が上陸して守備隊を攻撃している最中である・・・
玉砕は避けられまい。
「逆上陸部隊」は、「決死隊」と同じなのである。
このペリリュー島に逆上陸したのは、群馬県高崎で編成された歩兵第15連隊第2大隊(飯田大隊)である。
パラオ本島から鈍足の舟艇に乗りペリリュー島に向かう・・・
先遣隊と本隊とに分かれて、順次出発したようで、途中、敵の空襲などで、弱冠の戦死者を出したが、両方の部隊とも、無事に逆上陸に成功している。
ほとんど奇跡に近い・・・いや、まさしく奇跡だと思う。
が・・・飯田大隊長が掌握できた兵力は、先遣隊を含めて400名程度だったという。
たった400名程度を送ったところで、戦局がどうなるものでもないと思うが・・・・(汗)
当事者としては難しいところだろうなぁ~
ペリリュー島を見捨てるわけには行かぬが、遅かれ早かれ守備隊が全滅するのは分かっていたはずである。
むざむざと400名もの人間を死地に投じていいものなのか?・・・
平和な現在の価値観でいうと、そうなるが・・・あの当時としては、やむにやまれぬ大和魂・・・か・・・
人命より大事なものがあったのだろう・・・なぁ・・・・
今とは違って・・・・
人間は、いつかは必ず死ぬのである・・・
どう生きて、どう死ぬのか・・何のために生きて、何のために死ぬのか・・・が大事なのかも。
ただただ、長生き出来れば、それでいい・・・・というものではなかったのだろう。

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この「ガルコル波止場」に向かう、島の北側を走る、通称「浜街道」沿いに日本軍のトーチカが残っている。
かなりシッカリとしたコンクリートのトーチカである。
このトーチカのすぐそばにあるのが、「水戸山」と呼ばれた山・・・
海から見ると平坦にしか見えない島だから、「山」と呼ぶほどのものではないと思うが・・・(汗)
小高い丘・・・・というのが正確かな?
その「水戸山」の麓に「千人洞窟」と名付けられた洞窟陣地がある。

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この洞窟陣地は、北地区隊の独立歩兵第346大隊(引野大隊)の本部があった場所だとのこと。
この部隊は、あちらこちらから兵隊を寄せ集めた部隊である。
「独立歩兵・・・・」と名付けられた部隊は、だいたい、そういう編成である。
指揮官の引野大隊長も部隊の統率には苦労したのではなかろうか・・・という気がするが・・・

この洞窟陣地の内部は、縦横に坑道が走り、さらに枝葉のように分かれていて迷子になり易い・・・(笑)
“観光用”に指定されたルートだけを見て歩く・・・

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真っ暗な洞窟の中で写真を撮るのは難しい・・・・
真っ暗だとオートフォーカスが使えない・・・・センサーが被写体を捉えられない。
かといって、ストロボを使いたくはない。(笑)
ノッペリとした写真になってしまうのだ。(涙)
で・・・懐中電灯の光を被写体に当てながらストロボを使わずに撮ってみたのだが・・・
ブレる・・・(涙)
拙者は、写真撮影の技術が全く無い・・・(大汗)
プロのカメラマンの指導を受けて“お勉強”でもすればいいのだろうが・・・・(笑)
根っからの勉強嫌いだからなぁ~・・・・加えて記憶力は悪いから、すぐに忘れてしまうし・・・・(大笑)
で・・・自己流で撮影・・・・
やっぱり、うまくいかぬ。(大涙)

ツアーだと、そうそう、ゆっくりとも出来ぬ。
何度も試してみて・・・などという余裕も無い。
我がツアーの中には、他人の迷惑を顧みず、じっくりと撮影している人もいるが・・・
こういう自己中心的な人は迷惑である!(怒)
「いつまでもそこに立ち止まるなよ!」「他の人が撮影できねぇだろ!」と怒鳴りたい気持ちを抑える・・・
こういう場合、ツアーは最悪である。
個人ならば、いくらでも撮影のやり直しができるだろうが・・・
しかし、一人で洞窟に入るとロクなことはない・・・
以前、ラバウルの洞窟陣地の中で迷子になり、危うく“遭難”しかけたことがある。
あの恐怖は今もって忘れられない・・・(大汗)
あの“事件”以降、拙者は洞窟探検が少々苦手となった・・・
こういうのを「トラウマ」と言うのか?

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この洞窟陣地のすぐ近くに、コンクリートで造られた壁のようなものがある。
ここも陣地跡・・・・
銃眼があり、「浜街道」を挟んで海のほうを睨んでいる。
今は橋桁しか残っていないが、ガドブス島を結ぶ橋が架かっていた・・・
敵がガドブス島に上陸し、この橋を渡ってこちらに向かってくる場合を想定して造られたものかもしれない。
位置的からして、そんな感じ・・・・

次に向かったのは、我が“民宿”のすぐ近くにある米軍の慰霊碑・・・・

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米第81歩兵師団(ニックネーム:ワイルドキャット)の歩兵連隊の慰霊碑である。
プレートには「RCT-321」と書かれている。
“RCT”とは「レジメンタル・コンバット・チーム」の略なのだが・・・・
日本語にする場合、何と言えばいいのだろう?(汗)
「第321連隊戦闘チーム」?
「第321戦闘チーム連隊」???
どうも日本軍には無い軍隊区分は日本語に訳しづらい・・・
日本流にいうと「支隊」みたいなものなんだろうなぁ~
主体となる部隊が「第321連隊」で、それにいくつかの小部隊が配属となり「チーム」(支隊)を構成している・・・という感じではなかろうか?

それにしても、また“民宿”にもどるくらいなら、最初にここを見てから北波止場へ向かえばいいものを・・・(笑)
島の中を行ったり来たり・・・・である。
まぁ、小さな島だから、順序良く見ていくと、あっという間に見終わってしまうからなのか?
無駄な動きをしているような気がするが、時間稼ぎ・・・ということなら仕方が無いか・・・(大笑)
しかし、何にもまして困るのは、行ったり来たりしているうちに、位置関係が良く分からなくなるのである。(大笑)
拙者は方向音痴だし・・・
戦闘の推移にあわせて順序良く回ってくれると、分かりやすいのだが・・・・(涙)

この近くには、日本軍の通信施設だか何かの施設の廃墟がある。
しかし、ここには行かないようで・・・・(汗)
つい、口を出したくなるのだが・・・・我慢、我慢・・・(大笑)

次に向かったのは、日本軍の慰霊碑のある場所・・・・
さて・・・これが島のどの辺りにあるのか・・・方向音痴の拙者はサッパリわかっていない・・・(大笑)
場所の正式名も良く分からない。
「みたま」と呼んでいるらしいが・・・島の墓地の一角にある。

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4年前に訪問した時は、かなり荒れていたが・・・・
今回来てみたら、ずいぶん綺麗に整備されていた。



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慰霊碑
尊い平和のため勇敢に戦ったペリリュー島守備隊の冥福を祈り永久に其の功績を傳称し感謝と敬仰の誠を此処に捧げます

水戸歩兵第2聯隊高崎歩兵15聯隊海軍部隊同配属各隊並びにこの島で戦病没した人々のために

1968年1月17日「サクラサクラ」の印税を以て生存者船坂弘建立同島遺族戦友関係
毎日新聞社大盛堂書店下野新聞社茨城新聞社上毛新聞社パラオサクラ会協力
船坂謹書

(碑文より)


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『戦車隊の英霊よ やすらかに』
ペリリュー島戦車隊の会
建立 1986

部隊史
昭和19年
3月5日 満州勃利に於て第14師団戦車隊として編成完結
3月28日 大連港より東山丸、能登丸に分乗して征途に就く
4月28日 コロール島に兵器、人員の揚陸完了。ガスパン村に移住
5月16日 ペリリュー島に派遣。歩兵第2連隊長の指揮下に入る。中の台附近に陣地構築。出撃訓練に従事
9月15日 島南部より米軍上陸。反撃命令により出撃。飛行場附近に於て敵と遭遇。良く敢斗せるも戦車隊主力壊滅
9月21日 残存兵力は歩兵部隊に合流。水府山および中の台附近にて敵の前進を阻止、敢斗せるも全員玉砕
九五式戦車17両を基幹。通称 照4363部隊
天野国臣隊長以下128名戦死

(碑文より)

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『砲兵隊慰霊碑』

追悼
此処ペリリューの地に砲兵小林与平中佐以下660有余名並びに飯田大隊所属砲兵永遠に眠る
野砲20連隊明治38年創立宇都宮の地より満州818部隊としてチチハルに駐屯昭和19年2月動員編成により第14師団各歩兵連隊砲兵隊として分割配属となる
同年4月24日パラオ島到着歩兵2連隊砲兵大隊としてペリリュー島守備の任に就く
9月6日米軍来襲15日上陸守備隊は連日激斗を展開11月25日全員玉砕す
戦後48年我等老境に入るも憶は深く未だ亡き戦友の面影は消えず
この度ベラウ共和国ペリリュー島の皆様の理解と協力を得砲兵隊生還者並びに関係者有志相寄り供養の碑を建立亡き戦友の霊に捧ぐ

平成4年11月
照集団パラオ砲兵隊慰霊碑建立会

(碑文より)



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慰霊碑にお線香を供え・・・・全員で「君が代」と「海ゆかば」を斉唱。
ソングリーダーは某氏が務めたが・・・・
彼は若いせいもあってか、歌い慣れているせいもあってか・・・・出だしのキーが高いのである!(大笑)
「君が代」をそんな高いキーで歌い始められては、こちらとしては、途中で声が出なくなる・・・(大汗)
だいたい、「君が代」は誰が作曲したんだろ?
キーが高いんだよなぁ~(怒)
最初に、相当、低く出ないと・・・・「ちぃ~よぉにぃいい~やぁ~ち~よぉ~にぃ~」の部分で声が出なくなっちゃうんですけど・・・(大笑)
加えて「さざれぇ~い~しぃ~のぉ~」でもヒーヒー言うようになっちゃうんですけど・・・
さらに「こけぇのぉ~むぅ~すぅ~まぁああ~でぇ~」も・・・ヒィ~!(大笑)
お~い・・・勘弁してくれぇ~
マイペースなソングリーダーは迷惑である・・・(大笑)

旅行 | 10:34:23 | Comments(0)
ペリリュー島の戦跡めぐり
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到着後、港のターミナルで、“イズミ教官”よりペリリュー戦の概要の説明を受ける。
で・・・・
「さて・・・もう夕方ですが、どうしましょうか?」
「日没ギリギリまで、回れるところを回ったらどうでしょうか?」と、またまた生意気にも意見を言わせてもらう。(笑)
見て回るルートを、再検討してもらい・・・
マイクロバスに乗り込んで・・・
戦跡めぐりに出発する!(喜)

最初に向かったのは・・・零戦の残骸・・・・

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4年前に訪れた時は、この周辺は泥濘になって近づくのが難しかった。
もしかして、以前は沼地だったのかも知れない。
今回は、地面が乾いていたので、近づけた・・・
零戦の操縦席周辺の胴体だけが残っている。
後部の尾翼部分は無くなっているが・・・・
もしかしたら、土の中に埋まっているのかも・・・
周囲はジャングル・・・・周辺の木をもう少し切れば、全容が掴めるかも・・・

次に向かったのは、「オレンジビーチ」・・・・
アンガウル島だけではなく、ここにも「オレンジビーチ」があるが・・・(笑)
浜辺がオレンジ色だからというわけではない。
「オレンジ」は、米軍の上陸地点の名称で、米軍は上陸地点を色分けして呼んでいた。
「ホワイト1」「ホワイト2」「オレンジ1」「オレンジ2」「オレンジ3」・・・・
島の西にある同一海岸(西浜海岸)であるが、全部で5箇所に上陸地点を分けていた。

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ここは、そのうちのひとつ・・・・1なのか2なのか3なのかは知らないけど・・・(笑)
昭和19年9月15日に米第1海兵師団の約2万1千名が上陸したのがこの場所である。

守る日本軍は、我が茨城県の郷土部隊である水戸の歩兵第2連隊を主体とする約1万500名・・・・
その中で、ここ「西浜海岸」の守備に当たったのは、歩兵第2連隊第2大隊(大隊長:富田大尉)を主力とする「西地区隊」である。

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海岸は波一つ立っていない・・・・
遠くに珊瑚礁の環礁があるので、そこで波が遮られているのだろう。
シ~ン・・・・とした静けさ・・・・
これが海とはねぇ~・・・・まるで巨大な沼か池という感じ・・・
で・・・水面はまるで鏡のようで・・・・
空の景色がそのまま映る・・・・

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この海岸から少し入ったところに米軍の記念碑が建っている。
米陸軍第81歩兵師団の記念碑である。
この海岸に上陸した米第1海兵師団は、ガダルカナル島やニューギニアで戦った実戦経験の豊富な部隊である。
それが、上陸6日目には壊滅的な損害を蒙る。
戦死傷者が全体の60%を超え、「全滅」と判定されたのである。
そこで、第81歩兵師団、約2万名と交替・・・・
日本軍の抵抗のすごさがよくわかる。
正直言って、ざまぁ~みろ・・・である。(大笑)
壊滅状態になった海兵隊の顕彰碑(記念碑?慰霊碑?)ではなく、あとからやってきた第81歩兵師団の記念碑がここに建っているとはねぇ~(笑)

4年前にペリリュー島に来た時に、偶然、海兵第1師団の衛生兵だった生還者とお会いしたので、個人的に当時のお話を伺ったことがある。
「第1海兵師団ですか!ニューギニアでも戦ってますよね?」
「よく知ってるね~あんた・・・でもね、私はそのときは軍隊に入っていなくて、その後に入ったんだよね。だからペリリュー島での戦闘が初めての経験なんだ」とおっしゃる。
で・・・
海兵隊には衛生兵というのは、なぜなのか存在しないのだそうで・・・(汗)
勇猛果敢で知られる海兵隊だから怪我人も死人も出ないと思っていたのか?
そういうことはあるまいが・・・(笑)
海軍の衛生兵が、海兵隊に配属になって戦場に送られたという。
この“おじいちゃん”も、入隊したのは海軍だそうで・・・海軍の衛生兵・・・・
で・・・海兵隊に配属となったという。
17歳で入隊したとおっしゃる・・・
その若さで、手足が吹っ飛んでいたり頭が無くなっていたり、内臓がはみ出しているような悲惨な負傷者や戦死者を見たのだろうなぁ~
あっちもこっちも血だらけですよ・・・・
ゲゲゲッ・・・・である。(大汗)
当時の話を伺い、最後にこの“おじいちゃん”が何か話し始めたのだが、よくわからない・・・・
アメリカに来ることがあったら是非我が家に遊びに来いと言っているような気もするが・・・(笑)
で・・・・拙者は、つい、言ってしまったのである!
「アイ・ドント・アンダースタンド・イングリッシュ!」(私は英語がわかりません!)
周囲にいたアメリカ人が全員、コケた!(唖然)
一緒にいた4~5人のアメリカ人が、本当に”コケ”たのである!(大汗)
で・・・全員が一斉に拙者を指さし・・・「ヘイ!ユー!」
「俺達でも難しくてわからない話を、お前は分かっていたじゃないか。なんで英語が分かりませんと言うのだ?」と口々に言うのである。(苦笑)
「いや、いや、私は戦争の話なら分かるのですが・・・普通の会話は全然分からないのです」と答えたのだが・・・
どうも理解できないらしい・・・
「だって、あんな難しい話を理解できたんだろ?」
「はい、わかりましたが・・・」
「じゃ、なんで英語が出来ないと言うんだ?」
「え?・・・え~と・・・英会話ができないのです・・・」(苦笑)
「信じられない・・・」(唖然)
明らかに怪訝な顔・・・・(大笑)
こっちだって、理解できないよ・・・・
明らかに戦後生まれのアメリカ人たちだが・・・・アメリカ人でしょ?英語は得意でしょ?(大笑)
なんで戦時中の話が分からないのかね?
“おじいさん”は英語で話してるんですけど・・・・(大笑)

あれは楽しい思い出である・・・・
拙者は“ご機嫌いかがですか?”のような一般会話になると、途端に頭の中が真っ白になってしまうのである!(大涙)
でも、戦争の話は、なぜかスラスラと頭に入ってくるのである。
で・・・頭の中に映像として浮かぶ・・・
だから「ですよね!そうですよね!」と話が盛り上がってしまうのである。(苦笑)
あの“おじさん”は杖をついてヨロヨロと歩く方だったが、年齢的には拙者の親父より1歳か2歳年上・・・・という方だった。
今年、87歳か88歳ぐらいになるだろう。
拙者の予備知識が貧弱だったので、あまり詳しい話が出来なかったが・・・・
「皆さんが上陸した時に、私の故郷の“茨城県”出身の兵隊が皆さんを攻撃したのです!」
「へぇ~そうなのかい?」
「ここあたりに機関銃陣地をつくりましてね。ここから撃って・・・こっちにも陣地があって、こっちからも・・・」
「あ~そうそう、横から来たよ、弾が・・・ありゃ、すごかった・・・頭が上げられなかった・・・なにせ私は18歳だろ。怖くてねぇ~」(苦笑)
「そうですよねぇ~」(笑)
もっとお話をしたかったが・・・・拙者の知識が不足していた・・・(大汗)
特に、米第1海兵師団については、ほとんど具体的な知識がなかった。
あ~あ~・・・もっと色々知っていたらなぁ~・・・もっと話が盛り上がっただろうなぁ~(苦笑)

あの“おじいさん”はお元気だろうか・・・・
ふと、思い出した・・・・
懐かしい思い出と、寂しい思いが交差する・・・・
もう会うことはないんだろうなぁ~
「一期一会」というのは、正直言ってツライ・・・・(涙)

次に向かったのは、日本軍の滑走路の近くにある戦車の残骸・・・・
この島に派遣されていた第14師団戦車隊に所属していた九五式軽戦車である。

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敵の攻撃を受けて砲塔部分が吹き飛んでしまい、車体のみが残っている。
たぶんこの戦車だと思うが・・・
戦闘終了後に米軍が写真を撮っている。
その写真では、この戦車の横に、黒焦げになった戦車兵の遺体が写っていた。
あのご遺体は、その後、どうなったのだろう・・・・
この戦車隊には、我が戦車第2師団・戦車第10連隊に一時期在隊していた人達が転属となっている。
というわけで・・・・ほんの僅かな期間しか在隊していなかったのだろうが、我が戦友会にも縁があるといえば、あるかも・・・・
我が戦友・・・・
あの黒焦げの戦車兵が倒れていたのは、このあたりだろうか・・・と一人で戦車の周りをウロウロする。

時刻は午後5時を過ぎた・・・・
日がかなり傾いてきている。
急がねばなるまい・・・・(笑)
みんな・・・モタモタしないで急いでくれぇ~(・・・・と内心で叫ぶ)(大笑)

次に向かったのは、守備隊の司令部跡・・・・
当初は、海軍の司令部として建てられた建物であるが、その後、陸海軍共同の司令部になったらしい。

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弾痕が今も残る・・・・廃墟である。

時刻は5時半・・・・
ここで今日の戦跡めぐりは終了・・・・

ホテルに向かって移動・・・・
ペリリュー島には我々21名が宿泊できるような大きな宿泊施設はない・・・(大笑)
しかも、ほとんどの皆さんが「一人部屋」希望のようで・・・・
なおさら・・・無理・・・・(大笑)
拙者も、いつも追加料金を払って「一人部屋」をお願いしているが、今回は、部屋数が足りないので我慢してくれと事前に連絡があった。
ペリリュー島なら仕方がない・・・・現地の事情は知っているから快諾。(大笑)
で・・・・宿泊は2つのホテルに分かれることとなる。
拙者は、「マユミイン」という宿泊施設・・・・
う~ん・・・・民宿と言うか・・・ほとんど合宿所・・・・というか・・・(大笑)
4年前に泊まった事があるので、拙者には異存なし!(笑)
「マユミイン」には15名が、もう一つの「アイランドイン」には6名が分かれて宿泊することとなる。

で・・・到着してみて驚いた・・・・
直ぐ隣りに隣接して売店があったのだが・・・・

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台風だか高波だかで破壊されて廃墟となっていた!(唖然)
修復不能ということで、廃業してしまったらしい・・・・
あらら・・・・便利だったのに・・・・(涙)

この民宿には部屋が5つほどあるが・・・・・
その中の「大部屋」は、無理すりゃ10人は寝れるだろうという広さ・・・・
拙者はここの部屋で“雑魚寝”ということになる。
が・・・・部屋の両隅にベッドが1つづつ・・・・
添乗員の“アサダさん”から、個室が取れなかったので、申し訳ないからベッドを使ってくれとのこと。
7名ほどで寝るのだが、ベッドに寝るのは添乗員と拙者の2人・・・
他の人は、床に布団を敷いて寝る・・・
拙者より年長の“高齢者”を床に寝かして、拙者がベッドというのも気が引けるが・・・・(汗)
まぁ、ご指名だから・・・・ということで、ベッドを使わせてもらう。
ベッドの上に胡坐をかいて座っていたら、皆から「まるで牢名主のように見えますねぇ~」とからかわれた。(大笑)

チェックイン後、さっそくシャワーを浴びる・・・・
シャワー室とトイレが共用になっている。
これが4つほどある。
シャワーの水は雨水を貯めたものである。
シャワー室(トイレ)によって、お湯が出る部屋と出ない部屋とがある。
つまり、かなりのオンボロである。(大笑)
一応、皆さんにシャワー室(トイレ)の使い方を、余計なお世話でしょうが、教授・・・・(大笑)

シャワー後、買物に行きたいという人を引き連れて、近所の商店に買物に行く。
ちなみに、パラオ共和国の通貨は、米ドルである。
真っ暗な夜道を懐中電灯を手に買物へ・・・・
途中、放し飼いの大きな犬に吼えられ真っ青に・・・・(大笑)

夜空は綺麗・・・・満天の星空である!
さて・・・南十字星は、どれだろうと探したが、わからない・・・・
オーストラリアに続いて、またもや失敗・・・・
あとでガイドに聞いたら、今は、見えないとか・・・
十字星のてっぺんの星が見えるかどうかじゃないかという・・・(汗)

夕食は、「マユミイン」の食堂で・・・・
他の民宿に泊まったメンバーも合流・・・
しかし・・・突然の停電!!(唖然)
真っ暗である・・・・
懐中電灯の光だけが頼りとなる。
拙者は洞窟探検を想定してLEDのかなり明るい懐中電灯を持参してきたから良かったが・・・・
ペリリュー島へ行くなら懐中電灯は、とりあえず持って行った方がいい。(笑)
停電の原因は、よくわからない。
この民宿だけが停電である。(大笑)
工事業者が来て、なにやらやっていましたが・・・・
20分ほどで回復すると言っていましたが・・・・
なんのなんの、とんでもなく時間がかかったのであります。(大笑)
まぁ~南の島だしねぇ~
本人は大特急でやっているつもりなのでしょうが・・・・(大笑)

旅行 | 14:39:49 | Comments(0)
ペリリュー島へ向かう
港の出入口・・・
この防波堤の端に、米軍のM4シャーマン戦車の残骸がある。

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岩と同じ色だし・・・
錆びてしまって、岩なんだか戦車なんだか、よくわからんとは思いますが・・・・(大笑)
とにかく、ここに戦車の残骸があるのです。(汗)

時刻は午後3時半・・・・

港から外に出るのにも一苦労・・・・
グワァ~ン、グワァ~ン、ガガガガガ・・・ドドドドド・・・とエンジンは唸りをあげるが、船体は全く進む様子が無い。
港に向かって打ち寄せてくる波のタイミングを計っているのだそうだ。
これを間違える、舳先が持ち上がり・・・・転覆するという。
今か?今か?・・・・緊張の一瞬・・・・
今だ!それっ!とばかりに、いきなり最大スピードで波に向かって突っ込んでいく・・・(大汗)
あまりの恐怖に、写真を撮るのを忘れた!(大涙)
ズシ~ン、ズド~ン!・・・・上手く波を乗り越え外洋にでる・・・(大汗)
あ~怖かった・・・(苦笑)
さすがは船長!うまいもんだねぇ~・・・・と大拍手!

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海から見たアンガウル島・・・・さらば!アンガウル島よ!

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あのマリア像が見える・・・・
那須岬か・・・・
左のほうで潮が噴いているのが見えた・・・
おお、あそこがブローホールか・・・
やっと位置関係がわかったぞ・・・(笑)

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望遠で撮影・・・(島に近づいているわけではない・・・・笑)
ド~ン!ド~ン!と波が打ち上がる・・・
写真で見ると大したことはなさそうにみえるが・・・
実際に見ると感動ものである。(喜)
まるで砲撃を受けているみたいに見えるのである・・・
う~ん・・・すごい・・・・

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港を出て約20分後・・・・
遠くにペリリュー島が見えてきた!(大喜)

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ペリリュー島に近づく・・・・
ちょっと波がキツイかな・・・・(汗)

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時刻は午後4時・・・・
アンガウル島の西港を出発して、30分で、ここペリリュー島の「南波止場」に到着!

ちなみに、コロール島から直接、ペリリュー島に向かうと、到着するのは「北波止場」である。

旅行 | 13:04:00 | Comments(0)
アンガウル島・戦跡めぐり
「潮吹き」の場所から、少し先に進む・・・
島の西海岸から北へ向かう形となる。
ここから海の向こうを見る・・・

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水平線の向こうにペリリュー島が見える!
肉眼で見ると、かなり近くにあるような気がする・・・
写真に撮ると・・・・全然わからない・・・(大笑)
なにせ平坦な島なので、水平線のどこにあるのやら・・・・
望遠にして撮影しても・・・・この程度・・・・(汗)

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ペリリュー島に米軍が上陸したのは、昭和19年9月15日である。
ここアンガウル島に米軍が上陸したのは、その2日後のこと・・・
ここからペリリュー島が猛攻撃を受けている姿を、守備隊の将兵は見ていたのではなかろうか?
どういう気持ちだっただろう?
猛烈な艦砲射撃と空爆の爆煙ですごいことになっていたのではないだろうか?
それを見ながら・・・・「明日はわが身」・・・・
怖かっただろうなぁ~
周りが海では、どこにも逃げようがないし・・・(汗)
全身から血の気が引くよな・・・

次に向かったのが「島民解放記念碑」・・・・

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この碑のすぐ脇に洞窟がある。
米軍が上陸してきた9月17日から、10月8日まで、島民100名ほどが、この洞窟に避難していたという。(大汗)
で・・・・戦闘が終わって出てきたので・・・・「解放記念」・・・・?
ちょっと気になるな・・・それって・・・
日本軍は米軍がどうやらこの島にも来るようだと感じて、島民をパラオ本島に避難させる予定だったのである。
が・・・どういういきさつがあったか、想像できないこともないが・・・
島民が200名ばかり移動できず、島に残ってしまったのだとか・・・
その「島民」には在留邦人も含まれていたのだろうか?
戦史をよく調べてこなかったので、よくは知らないが・・・
いずれにせよ、この島に住んでいた民間人も戦闘に巻き込まれたわけである。

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次に来るまで5分ほど移動して「シャーマン戦車」の残骸がある場所に向かう。
もう、ここがどこなのかサッパリ分からん。(大汗)
とにかく、ジャングルの中・・・としか言いようが無い。(笑)
若い連中は、サッサと先に行って戦車の残骸に登り、なかなか降りてくれない。
こちらは、高齢者や女性陣の足元に注意を払って手を貸したりしているので、どうしても到着が遅れる。
で・・・シャッターチャンスを逃してしまうのである。(涙)
少しは“弱者”に手を貸してやれよ!・・・と言いたくなるが・・・
今時の若い者は・・・・話しにならん!(怒)
できれば、いち早く現場に行って他の人が入らないように写真を撮りたいのだが、無理だ・・・
かといって、性格的に、他人ことを無視して我先に行くということも出来ない・・・
う~ん・・・拙者の性格に問題ありだな・・・(大笑)

099_convert_20141106120054.jpg (M4シャーマン戦車の残骸)

続いて再び海岸のほうへ向かう。

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で・・・この先に何があるかというと・・・「水際陣地跡」

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「ほら、あそこにあるでしょ?」って言われたってわからない・・・(大笑)
望遠で撮影してみる・・・

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これで、分かったかな?(笑)
さらに近づけば・・・・

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これで分かったでしょ?(大笑)
珊瑚礁の岩を利用し、コンクリートで造られた四角い銃眼・・・・
向いている方向が、こちらということは、上陸する米軍を横から銃撃する為に造られたからである。
これが有効な造り方である。
海のほうからでは見えない・・・・
上陸間際に横から銃撃されて初めて気付くことになる。
が・・・・残念ながら、ここには米軍は上陸しなかったようである。(残念!)
あのトーチカの裏側に行って見たいが・・・・残念ながら、ここから”見学”して移動となる。
こういうところが団体行動の辛さである・・・・(涙)

さらに車で10分程度走り・・・・
再び海岸へ・・・・

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着いたのは「レッドビーチ」と呼ばれる海岸・・・
ここが米軍の上陸地点。
「オレンジビーチ」と違って砂の色は白い・・・なのに・・・「レッドビーチ」(大笑)

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この海岸に米軍の水陸両用トラックの残骸が4~5台放置されていた。
日本軍の攻撃で破壊されて放置されたものではなかろうか?
これらの車両はLVTと呼ばれている。
LVTとは、ランディング・ヴィークル・トラックの略で、「アムトラック」とか「アリゲーター」とか呼ばれていたと思う。
もう、錆びてボロボロの状態で、元の形がさっぱりわからない・・・

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こういうのが何台も海の向こうからドドドッとやってくるんだからねぇ~
想像しただけで、あ~いやだ、いやだ・・・・(汗)
拙者が守備兵だったら・・・さっさと逃げ出すだろうなぁ~(大汗)

この島を守っていたのは宇都宮の歩兵第59連隊である。
当初は1個連隊が守備についていたが、ペリリュー島の防衛に兵力を割いた為、パラオ本島の防衛が手薄になってしまった。
よって・・・連隊は1個大隊のみをここに残してパラオ本島に移動。
このため、この島を守る兵力は第59連隊第1大隊の約1250名だけとなる。
これに対して、上陸してきた米軍は第81歩兵師団の約2万1000名!
ん?・・・桁違いである・・・・(大汗)
敵の20分の1に近い僅かな兵力でこの島を守ろうっていうんだから悲壮である・・・・

次に向かったのは・・・・米軍機の残骸のある場所・・・(笑)
う~ん・・・・プロペラだけ?(汗)

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米陸軍航空隊のB-24爆撃機のプロペラかな?
機体の残骸もあるようだが、草の中に埋もれていて、よくわからない・・・・
まぁ・・・米軍の残骸だから・・・・拙者は関心はない・・・(大笑)
さらに移動する・・・・

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飛行場の滑走路跡を横切る・・・・
この滑走路は日本軍が造ったものではない。
このアンガウル島には、飛行場建設の適地があるので、日本軍もここに兵を置いたのだろうが、実際の建設には至っていない。
米軍も同じことを考えていたようで・・・・
ここに飛行場用地として適した場所があるので攻めたようである。
で・・・この島を攻略後、この滑走路を造ったのである。

次に向かったのは、「ブルービーチ」と呼ばれる海岸・・・・
ここも米軍が上陸した海岸である。
米軍は「レッドビーチ」と「ブルービーチ」の2つの海岸から上陸している。

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海岸は、台風の被害で荒れていた・・・(唖然)

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真ん中に川のような水溜りがあるのは、台風で海から砂(主に珊瑚の欠片だと思うが)が押し寄せ、海岸線に自然の堤防が出来てしまったためだと思われる。
海水が、真ん中に閉じ込められた格好となっている・・・・
ということは・・・本来の海岸線は拙者の足元あたりまでということになるか・・・
日本では海岸の砂が海に流れてしまい、浜辺が狭くなっているというのに、こちらでは台風が来ると浜辺が広くなってしまうのか?(笑)
うらやましい限りであるが・・・・(大笑)
戦跡としては、海岸線が変形してしまうので、ちょっとマズイかな?(苦笑)

146_convert_20141106203348.jpg (米軍の残骸)

時刻は午後1時半を過ぎた・・・・腹ペコである!
ようやく仕出し弁当の昼食にありつけたが・・・・
あまりの空腹感で慌てて食べてしまったため、うっかり写真を撮るのを忘れてしまった!(大泣)
この島には宿泊施設はないらしい・・・
ということは、レストランなどというものもないということになるか・・・
コロール島からボートに乗せてきた「仕出し弁当」が我々の昼食である。
これが結構、おいしい・・・(喜)

151_convert_20141107105407.jpg (完食!)

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昼食を食べた場所は「シニア自然センター」という場所・・・・
多分、そのセンターが昔あったという「跡地」だと思うんだけど・・・
まさか、この柱と屋根しかない“建物”が「センター」というわけはあるまい?(大笑)
しかし、その「シニア自然センター」って何だ?
話を聞くのを忘れた・・・・(大笑)

ここで昼食後の休憩時間がある程度あったので、目の前の海岸に一人で行ってみる。

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う~ん・・・・ここで昼寝がしたい・・・・(笑)

時刻は午後2時15分・・・・再び戦跡めぐりに出発する。

で・・・向かったのは、別の海岸にある日本軍のトーチカ・・・・
もう、どこをどう走っているのかわからない。(笑)

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車から降りて、海岸に出て、しばらく歩く・・・・
と・・・海岸に四角いコンクリートが・・・・
これが日本軍のトーチカ・・・・
台風でやられたのだろうか?
かなり砂に埋まってしまっているが・・・・(汗)

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コンクリートで舗装された道路・・・たぶん、これが、この島のメインストリートだと思うが・・・
ここを走って次に向かう。

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到着したのは、アンガウル小学校・・・・
ここは、歩兵第59連隊の江口連隊長の官舎があった場所である。
まぁ、小学校の建物が、当時の官舎という訳ではあるまいが・・・(笑)

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次に再び滑走路へ・・・・
どこをどう走ったんだ?(笑)
添乗員さんから「どうしましょうか?」との声があり、すかさず「一旦降りて写真でも撮ったら?」と言わせてもらう。(大笑)

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滑走路の長さは2100メートルだと言う・・・
米軍の爆撃機用滑走路である。

これで、島内の戦跡めぐりは終了・・・・
島には日本軍の慰霊碑がいくつもあったそうだが、台風と高波で破壊され消失したという。(涙)

午後3時20分・・・・港に到着・・・
ここで数分間のトイレ休憩・・・・

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港に残る赤錆びた金属は・・・・戦時中の残骸か?

旅行 | 11:47:29 | Comments(0)
アンガウル島・島内めぐり
コロールの港を出発して2時間半後、無事にアンガウル島の「西港」に到着する。
なにせ、この港に入る時は、すごかった・・・
ものすごい波が港に打ち寄せていたのである。
で・・・ボートは猛スピードで港に突進する!(大汗)
普通はスピードを緩めるんじゃないのか?
港に激突するかとヒヤリとしたが・・・
あとで、聞いたら、後ろから次々と大波が押し寄せてくるので、モタモタしたら後ろから煽られてボートが転覆してしまうのだそうだ。
それで後ろから迫る波とのタイミングを見計らって猛突進しないと、港に入ることが出来ないのだそうだ。
へぇ~・・・・そういうものなのか・・・

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港・・・って言っても、実際は小さな船着場である。(汗)
他に船などない。(笑)

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港からは、車に分乗して移動する・・・
この島にはバスのようなものはないのだそうだ。(笑)
バン3台と軽トラ2台に分乗・・・
「当然、若いのはトラックに乗るべきだよな!」と、それとなく言う・・・・
へへへ・・・拙者は今回、参加者最年少ではないので、ちょっと偉そうなことを言ってみた。(大笑)

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さぁ!出発である!
拙者は、ガイドさんたちと一緒に軽トラの荷台に乗り込み、先頭を走る・・・
その後ろにバンが・・・
こちらには女性陣と“高齢者”が・・・・
最後尾は、若い陸自戦史教官等が乗った軽トラ・・・・

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軽トラの荷台は、写真を撮るには絶好の位置である。
が・・・暑い!(笑)
直射日光をもろに浴びて・・・・暑い!!(大笑)
しかも、乗り心地はすこぶる悪い!(大笑)
バンに乗っていた“コウノさん”に「いいですねぇ~そちらはエアコンが効いていて・・・」とからかったら・・・
「冗談じゃないよ。俺の車はエアコンが壊れてるんだよ!暑いのなんのって・・・窓締め切ってるし・・・」(苦笑)
あらら・・・大笑いである。
それなら風に吹かれる軽トラの荷台のほうが、まだマシか?(大笑)

最初に向かったのは「アンガウル神社跡」・・・・

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神社は、ジャングルの中に埋もれていた・・・(汗)

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次に向かったのは「オレンジビーチ」と呼ばれる海岸である。

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なぜ、ここが「オレンジビーチ」と呼ばれているのかと云うと・・・・
有孔虫の死骸とサンゴ礁が混ざった砂のため、オレンジ色に染まっているから「オレンジビーチ」なのだそうである。
他の海岸は、こういう色ではないらしい・・・・

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南洋諸島は大正8年に日本の委任統治領になったのであるが・・・
この時に、アンガウル島にも多くの日本人が移住した。
この島はリン鉱石が産出する島で、リン鉱石の鉱山があったそうで・・・
このリン鉱石というのは、肥料として使われる鉱物資源である。
ちなみに日本ではリン鉱石は全く産出しない・・・・
ということは・・・・全て輸入に頼るということになる。
当時は、肥溜めから人糞を畑に撒くことが普通だったのだろうが・・・(笑)
それでも、このリン鉱石は重要な「戦略物資」だったのではあるまいか?
現在では、なおさらのことであろう。
植物の三大栄養素は、窒素とリンとカリウムであるという。
そのうち、リンとカリウムは、リン鉱石、カリウム鉱石から採られる・・・・
農作物を育てるには、その収穫量を増やす為には、リン鉱石は必須ということになるか?
そういう意味でも、この島は重要な島だったわけである。
この島に多くの日本人が住み、学校、病院、商店などが整備された日本人の町が出来ていたというが、今では全てジャングルの中に埋もれてしまっている。

続いて向かったのは、「那須岬」近くの「マリア像」が建っている場所・・・・

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マリア像には興味が無いので・・・(笑)・・・写真は撮らなかった・・・(大笑)

この岬に「那須」と名付けたのは、この島の守備隊が栃木県宇都宮の歩兵第59連隊第1大隊だったからである。
そのため栃木県に由来する地名を付けたようだ。

073_convert_20141105133747.jpg (那須岬あたり)

この岬の近くに「ブローホール」という場所がある。
潮吹きが見られる場所である。
シャッターチャンスを掴むのに苦労したが・・・なんとか撮れた。(笑)

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旅行 | 09:18:44 | Comments(0)
アンガウル島へ向かう
今日は、アンガウル島へ行く・・・・
4年前にパラオに来たときは、ペリリュー島だけの訪問だったので、アンガウル島へ行くのは初めてである。
どんな場所なのだろうと、内心ワクワクである。(笑)

012_convert_20141103090043.jpg (WEST PLAZA HOTEL MALAKAL)

我々が宿泊したホテル・・・・
ちょっとパッとしないホテルですが・・・(笑)
ベランダでタバコが吸えるから、拙者は大満足である!(大笑)

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(ホテルの前の様子)

朝食は午前6時半から・・・
レストランはホテルの向かい側の建物だが、時間通りに行ってもドアが閉まっていた。(大笑)
我々日本人は時間に正確である・・・(そうじゃない人もいないわけではないが・・・)(笑)
数分遅れでドアが解除された。
従業員の女の子一人だけなのか?
朝食の準備がまったくできていない・・・(大汗)
で・・・お節介な我々は、勝手に“お手伝い”を開始・・・
女性従業員が苦笑する。
余計なことをしまして・・・すみません・・・(大笑)

朝食の準備ができるまで、今回のツアーの参加者の自己紹介をすることになった。
若い連中の中に何人か自衛隊の戦史教官がいた。
へぇ~若いのに戦史教官?
・・・と、思ったが、よく考えたら、拙者は54歳である。
そう遠くない将来には定年退職をする年令だということに気が付いた・・・(大汗)
あれ?・・・俺は結構年寄りなんだ・・・・(涙)
そうなると、彼らのような若い人間が“教官”でもおかしくはないか・・・・

朝食を終え、港に向かう。

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014_convert_20141103092359.jpg (我々が乗るボート・・・・・)

パスポートを港の管理事務所に預けて出発!
昨日まで、低気圧が近くにあったため海はかなり荒れていたそうで、とてもアンガウル島へ行く事は無理な状況だったという。
今日は、低気圧がかなり移動してくれたので、なんとか行けそうだとのこと。
いやぁ~助かった・・・・運がいい・・・(笑)

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皆さんは、どうやら船酔い止めの薬を飲んでおられていたようだが・・・・
拙者は、そういう薬は持参してこなかった。(笑)
拙者が過去に船酔いにかかったのは、中学生の時に海上自衛隊の護衛艦に乗ったときだけである。(大笑)
その後、大人になってからは、護衛艦に乗っても、フェリーに乗っても、客船に乗っても、船酔いにはかからなかった。
というわけで・・・今回も大丈夫だろう。(大笑)
大人になったら鈍感になったのかも?(苦笑)

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低気圧の影響でお天気はイマイチ・・・・
青い空に白い雲・・・エメラルドグリーンの海に緑の島々・・・
そういう景色が見られるはずなのだが・・・残念ながら・・・普通の海・・・(大笑)

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おお!この色!この色!(大喜)
やっと、一部だが、綺麗な海が見えた!

コロール島からペリリュー島までは、内海を移動するので、波はない・・・
静かなものである・・・
しかも海の色は綺麗・・・・
深い場所は濃い青色・・・群青色というのだろうか?
で・・・浅いところは青緑色・・・エメラルドグリーンというのだろうか?(笑)
なにせ、海を見ていて飽きないのである。

この海を日本軍は「大発」と呼ばれる発動機艇で移動したわけで・・・・
速度は8ノットくらいだったから、時速14kmくらいということになるか・・・
う~ん・・・・遅い・・・・(汗)
ドドドッ・・・・とエンジン音をたてて、この海を渡って、ペリリュー島やアンガウル島に向かったのだろう。
この景色を見ながら・・・・
彼らはどんなことを思っていたのだろう?

ペリリュー島は内海にあるが、アンガウル島は、ペリリュー島のさらに外側にある島である。
つまり・・・外海にあるわけで・・・・
この内海から外海に出ると、途端に波に出会う。
特に今日は低気圧の影響が残っているので、いつもより波が高い。

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ちょっと、この写真では分かりづらいかもしれないが・・・
ドド~ン!と波がぶつかって、側面にすごい波しぶきが上がるのである!(大笑)
ヒェ~ッ!!・・・・と叫び声が上る・・・・(大笑)

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この写真でも、分かりづらいと思いますが・・・(大笑)
水平線が上るのである・・・・
つまり・・・ボートが波間に沈むわけで・・・・(大笑)
おい、おい・・・(大汗)
次の瞬間、波の上に乗り上げる・・・・(大笑)
よく船酔いにならないもんだと自分でも感心する。(大笑)
拙者はジェットコースターは大嫌いなのだが・・・・こういうのはなぜか平気・・・・(笑)

港から出発して約2時間・・・・
ようやくアンガウル島が見えてきた・・・・

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旅行 | 08:50:34 | Comments(1)
パラオへ行く
21名のツアーでパラオ共和国へ行く・・・
4年ぶりの訪問である!
前回、初めて行った時は、水戸の歩兵連隊の戦友会の役員に連れて行ってもらった。
いわばプライベートに近い、遺骨調査の旅行だったが、今回は「ツアー」である。

このツアーに何度も参加していると、顔なじみが増えるもので・・・(笑)
今回は、1月にフィリピンの3島を巡るツアーで再会した“コウノさん”と一緒・・・
事前にお互いが今回参加することを確認の上で、お互いに連絡し合っての参加・・・
さらに、この間のマレーシアとシンガポールを訪問した時に戦史の解説をしてくださった“イズミ教官”も一緒。
まさか、早々と再会できるとは・・・驚いた。
なにせ、事前に誰が参加するかは知らされないので、空港でお会いして初めて分かるのである。
事前に分かっていれば、いろいろと打ち合わせもできるのだが・・・
訳のわからん(本来の意味を履き違えているとしか思えない)「個人情報保護」の壁に遮られてしまっている。
他の方々は初対面・・・
いつもこのツアーでは拙者が最年少なのだが、今回は拙者より若い人間が不思議なことに何人も参加されていたので、いつもとは少し雰囲気が違う感じである。

搭乗手続きまでに時間もあり、小腹も空いていたので、“コウノさん”と軽く食事をする。
噂によると機内食は出ないとか・・・(大汗)
軽いものしか出ないとか・・・・(大笑)
万が一、噂が本当ならば今のうちに食べておこうということになったのである。

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午後6時半に成田を離陸するデルタ航空DL287便でパラオに向かう。
機内はほぼ満席である。
乗客は若い男女が多く(たぶんダイビングとかをするのかな?)、“年寄り”は我々ぐらいである・・・(大笑)

午後8時・・・機内食が出た!(大笑)

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なにやら宿泊先を斡旋もしているのか?・・・・
ホテルの広告のカード付きの機内食である。(唖然)
機内食としては、かなりシンプルなものだが・・・(カレーライスとサラダとパン)
拙者は、成田空港でカツサンドの“軽食”を食べただけだから良かったが・・・
“コウノさん”はラーメンを食べたので、すでに満腹状態・・・(笑)
あらら・・・お可哀想に・・・折角、機内食が出たのに・・・(大笑)
「機内食は出ないって誰か言ってたよね?」

午後11時過ぎ、パラオ共和国のコロールに到着・・・
バスで真っ直ぐホテルに向かう。
現地のガイドさんは“キクチさん”・・・・
4年前に訪問した時にお会いしている。
いやぁ~久しぶりの再会である!(大喜)

今回のツアーにはペリリュー戦終戦70周年を記念した「日米合同慰霊祭」への参列も組み込まれている。
事前に予科練の戦友会役員の“ワキタさん”からご連絡をいただいた・・・
以前、予科練のツアーでグアム島やハワイへ行った時に御世話係をしてくれた米国人の“ダンさん”も、同じ時期にペリリュー島に行くと言う・・・
ということは・・・アメリカ側の一員として慰霊祭に参列するのだろう。
彼は日本語がペラペラな人で、どうしてそんなに流暢に話せるのか不思議でならない人物である。(笑)
天才なんだろうなぁ~(笑)
その彼に久し振りに会えそうである・・・(喜)

移動するバスの中で、ガイドの“キクチさん”から伝言が・・・・
日本側参加者の名簿を“ダンさん”が見せてくれと言うので、見せてあげたら、あなたの名前を見て喜んでいたと言う。
是非、慰霊祭で再会するのを楽しみにしていますとのこと。
いやぁ~嬉しいねぇ~

午前0時過ぎにホテルにチェックイン!
部屋は極めてシンプルな作り・・・(笑)
天井ではプロペラが回る・・・(大笑)
で・・・・悲しいかな、室内は禁煙!
今回のツアーで喫煙者は拙者一人である!(涙)
う~ん・・・タバコが吸いたいんだけど・・・・
ベランダに出てみたら、テーブルの上に、灰皿が!!(大喜)
ラッキー!

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旅行 | 11:37:30 | Comments(0)
お知らせ
またまた、突然のお知らせです。(笑)

明日、13日から9月17日まで・・・・

今度はパラオ共和国のペリリュー島に行ってきます!(大笑)

「また出かけるのか!いい加減にしろよぉ~」という声が・・・・

空耳かな?ん?気のせいだよね?(大笑)

というわけで・・・またまたブログの更新を中断します。

特に、いつも“拍手”をクリックしてくださっている方々には申し訳ございません・・・

では・・・行ってきます!(喜)

日記 | 09:28:26 | Comments(1)
『村上式シンプル英語勉強法』
村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける
(2008/08/01)
村上 憲郎

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Prologue 英語が出来なきゃ話にならない
 私も英語が出来なかった
 英語は“2台目の自転車”である
 英語は十分条件ではなく、必要条件
 英語が出来なきゃ、毎日の情報に遅れる
 英語が出来ない日本は“ヤバイ”
 ビジネスマンよ、城島選手を目指せ
 もう遅いなんてことは、絶対に、ない!

Chapter 1 英語を読む
 なぜ「読む」からはじめるのか?
 「英語を読む」とはどういうことか?
 まず100万語を目標に読む
 後戻り&息継ぎ禁止。ひたすら前へ前へと読む
 なぜ息継ぎをしてはいけないのか?
 最初は会話の多い探偵モノを読む
 知らない形容詞は、「good」か「bad」に変換する
 映画、DVDはOK。翻訳本は読んではいけない
 SFものはX。次はノンフィクションに挑戦を
 「出だしは12種類しかない」ことを知っておく
 出だしが分かると、一見難しそうな英文も読める
 究極のところ、英文は「S+V」しかない
 1分間に500ワード読むのが最終目標
 英語にまったく自信のない人は、中学の教科書を読む

Chapter 2 単語を覚える
 目標は、ビジネスで困らないレベルの1万語
 単語は丸暗記しない。毎日“会って”頭に入れる
 単語カード、ノート、マーカー、鉛筆、いっさい使わない!
 自分の単語レベルをチェックする、簡単な方法
 あなたのスタート地点を確認する
 単語レベル別 教材選びのヒント 目標3000語レベル
 単語レベル別 教材選びのヒント 目標6000語レベル
 単語レベル別 教材選びのヒント 目標1万語レベル
 平日は3000語、土日は1万語
 熟語・イディオムは「捨てる」
 立ちはだかる、目標1万5000語の「壁」

Chapter 3 英語を聴く
 リスニングは“耳の筋トレ”。使うのは知力ではなく筋力
 1日1時間×3年。生の英語を1000時間聴く
 リスニング教材は常に10課先を聴く
 ザザッと聴いて「ハイ、聴けた」。100%を目指さない
 テキスト類はいっさい見ない。そして息を止めて聴く
 究極の教材は、ディベートの音声

Chapter 4 英語を書く
 日本人に英作文は無理。あきらめて“英借文”を
 英借文とは、日本語の手紙文の「時候のあいさつ」と同じ
 英借文用のテンプレートをストックせよ
 作文より、借文より、まずはタイピング
 アメリカの小学校でも、内容よりもフォーマット

Chapter 5 英語を話す
 聴くのは相手のレベル、話すのはこっちのレベル
 日常会話は5パターンしかない
 自分に関する100の話題を丸暗記する
 どんな話でも、自分の用意した100の話題に持っていく
 話すことで「マイ・ストーリー」を磨く
 自分の周囲の「関心事」も、英語で言えるようにしておく
 発音は朝晩のボイストレーニングで
 「R」と「L」の違いなんて気にするな
 外国人に受けがいいのは、ジョーク
 自分の土俵で勝負する、もうひとつの方法
 エンタメ英語、ゴマスリ英語を恥かしがらない
 今こそ英語を本気で身につけよう!

Epilogue 英語の勉強に終わりはない

おすすめ教材


一応・・・毎日、チビチビと英語の勉強をしておるのですが・・・(大汗)
これが、なかなか・・・・“もの”になりませんで・・・・(大涙)
本書の著者は、執筆当時、米グーグル本社の副社長兼日本法人の社長だった人・・・
“それなりの人”の言葉には重みがあるが・・・
この著者の話は“本当に”シンプル・・・
非常にわかりやすく、なるほど、参考になる話が多い。
時々、こういう本を読んで自分に“喝”をいれないとね・・・・(笑)
自己流で英語を勉強している人には参考になる本だと思う。


今年の読書:56冊目



読書 | 10:42:11 | Comments(0)
今日は何の日?
淡路島在住の、我が戦友会の副会長の“イズミヤさん”から突然お電話がかかってきた・・・(大汗)
一体何事かと思ったら・・・・
「今日は何の日か知ってるか?」との問い・・・
「さぁ~・・・・なんでしょう?」
「俺がね、フィリピンのリンガエン湾に上陸した記念の日!」とおっしゃる。
「はぁ・・・・」(唖然)

御歳95歳・・・・
晩酌に缶ビールを2本飲んだそうで・・・・酔った勢いで電話をかけてきたようである。
「フィリピンって言っても誰もピンとこないしさ・・・リンガエン湾って言っても誰も知らないんだよね。あんたならわかると思ってさ・・・」
「はい、リンガエン湾には行った事がありますよ」
「そうだろ!そうじゃないかと思ってさぁ~それで電話をね・・・」(喜)

“イズミヤさん”の部隊・・・機動砲兵第2連隊は、大戦末期のフィリピン防衛のため満州からフィリピンに派遣された。
氏は、母親一人、子一人の母子家庭だったそうで・・・・
千葉の四街道にある野砲兵学校を卒業後、ただちにフィリピンに派遣されることになった。
この時、上官が「フィリピンへ行ったら、まず生きて帰って来ることは無理だから、母親に会って来い」と卒業式前に特別に“卒業”させてもらったそうである。
で・・・淡路島へ行き母親に最後の別れを告げ、門司港へ向かってフィリピン派遣の仲間と合流したという。
この温情をかけてくれた上官も一緒にフィリピンへ派遣されたそうだが、残念ながら後に戦死されている。
“イズミヤさん”は、70年前の今日、フィリピンのリンガエン湾に上陸したのである。
今日はめでたい記念日!!
のはずが・・・誰も・・・知らない・・・・興味も無い・・・・(笑)
それじゃ、寂しいよなぁ~(汗)
で・・・・拙者に“白羽の矢”が・・・・(大笑)

“イズミヤさん”は、まもなく「連絡将校」に選ばれて、部隊から離れ師団司令部に派遣されることになった。
そのことが運命を分ける結果となる。
米軍が上陸後、まもなく部隊は全滅・・・
”イズミヤさん”は生き残り・・・・そして生還・・・・

しかし、不思議なことに、氏は生き残った日よりフィリピンに上陸した日のほうが嬉しいご様子。(笑)
「記念日なんだぁ~」を連発する。(大笑)
戦時中のことをわかって、一緒に“盛り上がる”人がいないというのは寂しいらしい・・・・
が・・・
戦後生まれの拙者が当時の話が通じるというのは、おかしな話しだと思うが・・・・
まぁ、いいか・・・・(大笑)

かなり“出来上がっている”ようで・・・・
大いに語り、上機嫌で電話が切れた・・・・(大笑)

日記 | 22:28:52 | Comments(0)
『大学教授になる方法』
大学教授になる方法 (PHP文庫)大学教授になる方法 (PHP文庫)
(1995/03)
鷲田 小彌太

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はじめに

モラトリアム時代における職業としての大学教授

階層としての大学教授
  大学教員の数
  大学教授の社会的地位
  大学教授の給与
教授の仕事
  教育活動
  研究活動
  学内行政
「仕事」以外の活動

無資格の世界 大学教授になる方法1・資格

「普通」コース 研究者養成機関を経る
  大学院博士課程を出る
  二外国語の試験にパスする
  一外国語の試験にパスする
  外国語のダメな者は、外国の大学院を出るとよい
「中級」コース
  修士課程を出る
  語学教授になる~研究的機能を小さくする
  アクセサリー的大学院を出る
  外国大学の修士課程を出る
「特殊」コース~大学を出て助手から始める
「超特殊」コース~大学を出ないで大学教授になる

審査対象のない世界 大学教授になる方法2・教育・研究内容

  教育歴
  研究歴
  研究論文等の業績
  その他
助手になる 
  研究助手
  事務助手
  「助手」
非常勤講師になる~教育歴・研究歴なしに教育歴をうる
  「資格」は「教えることが出来る」だけである
  「職業」としての非常勤講師
  「遊戯的」活動としての非常勤講師
専任教員になる~研究論文はいる。しかし・・・・

広き門より入れ 大学教授になる方法3・就職先

  「大学格差」を問題にするな
  「いまだなにものでもない」ことのつらさ
  「専門」を問題にするな
  勤務地にこだわるな
高専・短大の教員になる
  高専は「広き門」にはあらず
  公立短大はかなり「広き門」である
  私立短大は「広き門」である
私立「無名」大学教員になる
  大学教授になる「資格」は「高学歴化」の傾向にある
  大学院生活は「モラトリアム」それ自体である
  「無名」大学の教員になる
「辺境」大学の教員になる
  国立「辺境」大学の教員になる
  私立「辺境」大学の教員になる
  「辺境」短大の教員になる

コネで入る 大学教授になる方法4・就職方法

  学生~開かれた就職試験
  大学教員~開かれていない就職試験
公募で入る
  「純正」公募
  資料:札幌大学教養部「教員一般公開募集」
  「混合」公募
  「建前」公募
  「非」公募
コネで入る
  近親者・縁者
  「弟子」
  「友人」
  「学閥」
「特殊」で入る
  「金」
  「性」
  「詐欺」
  「?」

「業績」いろいろ 大学教授になる方法5・昇格方法

  「民主主義」
  「客観主義」
  年功序列と終身雇用
  昇格「拒否」
「論文」を書く
  「自力」
  「他力」
  「盗作」「剽窃」
「研究発表」
「教育活動」
  資料:札幌大学教養学部「一般教育」の再編成について
「学内行政」
「年齢」

おわりに 21世紀における大学教授

文庫版へのあとがき

解説  川成 洋 (法政大学教授)


突然、大学教授になりたくなったから読んだという訳ではない・・・(大笑)
大学を卒業した時、できれば教授になって大学に残りたいなと思ったが・・・
残念ながら大学院に“お断り”され・・・(笑)
はかなくも夢破れた・・・(大笑)

その後、桂文珍という落語家が関西大学の非常勤講師になった時は驚いた。(笑)
大学院を出ていなくてもなれるのか?
博士号を持っていなくてもなれるのか?
唖然である・・・・

本書は、大学教授になるためのハウツー本の一つだと思うが・・・・
私が大学を卒業した1984年にはまだ出版されていなかった・・・(涙)
だいたい、どうやったら大学教授になれるのか・・・正攻法しか知らなかったわけだが・・・
本書を読んでみると、まぁ、色々な手があるもので・・・・
あの時知っていればなぁ~・・・とついつい思ってしまう。(大笑)

本書は、大学教授になる方法を説くと同時に、内部の暴露をしているような気がする。(汗)
筆者は哲学者で、正当なルートから大学教授になった方である。
そのためか、邪道な「大学教授になる方法」を説きながらも、かなり嫌味な記述も随所に見られる。
だから、読んでいて面白い。(大笑)

本書は1995年発行の本なので、今はどうなっているかは知らないが・・・
執筆当時は、かならずしも大学教授=研究者というわけではないという人も多かったようだ。
また、姑息なやり方(?)で教授になった人もいるわけで・・・・
そのレベルの低さには辟易している様子も垣間見える。
それもこれも、大学教授になるための門戸が開けていないためだからだろう。
本書を参考に、多くの人材が大学教員を目指すことで、大学教授を始めとする大学教員のレベルを高めたいという思いで書かれたものと思われる。

大学教授になる気が無い人でも、結構、面白く読める本だと思う。


今年の読書:55冊目



読書 | 17:20:54 | Comments(0)
『続ける力』
続ける力―仕事・勉強で成功する王道 (幻冬舎新書)続ける力―仕事・勉強で成功する王道 (幻冬舎新書)
(2008/03)
伊藤 真

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はじめに  続けるかぎり「負け」はない

第1章 「続ける」ことはなぜ難しい?
 一流の人は「続ける技術」を持っている
 続かないのは「意思が弱いから」ではない
 「単純で退屈なこと」を長続きさせるコツ
 続かないのは「時間がとれないから」ではない
 「例外」を「原則」に替えれば続けられる
 攻略・克服ではなく、仲間に引き入れよう

第2章 「やる気」を続ける技術
 もうダメだと思うときこそ、ゴールが近い
 ゴールからの発想、全体から部分へ
 ゴールのさらに一歩先をイメージする
 ゆっくり急げ、他人と比べても意味がない
 「やればできる、必ずできる」と信じよう
 やる気は、「上げる」より「下げ幅を小さく」
 簡単なことより、ちょっと難しいことを
 マンネリ対策は「ゲーム化」と「リセット」で
 スランプになるのは、がんばっている証拠
 「ひとつダメなら、全部ダメ」と思わない
 「いいとき」はだれにでも必ず訪れる
 スランプの自分に「ごほうび」をあげよう
 睡眠・食事・ストレス、どれか二つをプラスに
 「三時間睡眠」でも元気でいられる
 必死に考えて下した決断は、必ず正しい

第3章 一流になる人の学び続ける技術
 素直に学べない人は、続かない
 一流の人ほど「基本」を大事にしている
 間違えて恥をかく場を自ら進んでつくる
 学校は講師の見た目で選んでよい
 ネットの書き込みは読まない、近づかない
 「成功」も「失敗」も等評価である
 「楽して合格!」式の本は要注意
 半年に一度は、情報を棚おろしする

第4章 勉強・仕事をやりとげる計画術
 計画は、実行するより「立てる」ことが大事
 遅れていなくても、時期を決めて「見直し」
 遅れは、取り戻すのでなく「リセット」する
 やること・やったことを「見える化」する
 悩みも優先順位も、すべて「紙に書く」
 「何時間やるか」は「計画」ではない
 勉強も仕事も、コツは「皿回し」
 「予備日」と「休日」ははっきり分ける
 睡眠時間は絶対に削ってはいけない
 時間は「つくる」のでなく「見つける」もの

第5章 とっておきの記憶術
 脳に「大切な情報だ」と錯覚させる
 感情表現を豊かにすると記憶力が高まる
 覚えたことを人に話してみる
 記憶にはゴールデンタイムがある

第6章 ピンチを切り抜け、事業を続ける
 創業10年目に訪れた大ピンチ
 プロジェクト挫折で見えた「なすべきこと」
 「新しい事業展開」でなく「原点回帰」
 「変えない」ために、変えていく
 原因は、自分の側にある
 「自信」「謙虚さ」、そして「他人への尊敬」

第7章 「やりたいこと」をやり続ける人生
 「自分にしかできないこと」は何だろう?
 迷い続けた35歳までの10年間
 迷ったら自分がワクワクできるほうを選ぶ
 22世紀の人類を幸せにする仕事
 世界の価値観が揺れても、自分はブレない

第8章 「続ける」ことから「力」が生まれる
 「生きる」ことの本質は「続ける」こと
 「改革」「変革」の名を借りた「過去の否定」
 「利他の視線」なくして「本質」は見えない
 ひとつだけ、どんな願いでもかなうなら?
 裁判も福祉も、税金のムダ使い?
 人類の英知が生んだ「続ける技術」
 「続ける力」はすべての壁を乗り越える

おわりに  DNAに刷込まれた力


とにかく飽きっぽい性格の私には、もってこいの本である!(喜)
続けられないんだよねぇ~
結局、「コツコツ続けることが成功への最短ルート」らしいのだが・・・
その「コツコツ」が難しいのである。(大笑)
本書には「続ける」ためのヒントがたくさん掲載されている。
問題は・・・・実行することができるかどうかである。


今年の読書:54冊目



読書 | 19:44:56 | Comments(0)
『嘘の見抜き方』
嘘の見抜き方 (新潮新書)嘘の見抜き方 (新潮新書)
(2013/05/17)
若狭 勝

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はじめに   人は誰でも嘘をつく
 検事としてたくさんの嘘を見てきた
 この世は嘘に満ちている

第1章 人が嘘をつく4つの理由
 その嘘は誰のための嘘か
 自分を守ろうとする「防御の嘘」
 防衛本能からの嘘を非難してはいけない
 自分を大きく見せようとする「背伸びの嘘」
 プライドと恥の多様性を理解する
 他人を陥れるための「欺瞞の嘘」
 他人を守るための「擁護の嘘」
 人間関係の嘘はなかなか崩れない

第2章 嘘を見抜くための心得
 嘘を解体するステップ
 段階的に変化する嘘
 正しく「心証」をとる
 捜査官の「落とし」は万能ではない
 被疑者が真実を全て話すことはない
 相手の心を開かせる距離感

第3章 嘘つきはこのセリフを使う
 大事なことを覚えていない
 開かれた質問に答えない
 話のリズムが突然崩れる
 たしかに聞こえているはずなのに・・・・・
 「防御の修飾語」で逃げ道を作る
 無意味で過剰な誇張
 しゃべりすぎる人
 「自己矛盾」には慎重に

第4章 仕草から本心を見抜く
 「態度の嘘反応」は言葉以上に雄弁である
 「プロの嘘つき」は目をそらさない
 笑いと怒りは「持続時間」を見る
 「つま先の方向」は正直だ
 「代償行動」のウラにある本音
 嘘をつきながら演技をするのは難しい
 「沈黙」が相手を追い詰める
 「私の目を見て話しなさい」は愚の骨頂
 疑う心と信じる心の「二重人格」
 「人間ポリグラフ」になったつもりで

第5章 嘘を暴く質問とは
 「事実の確定」と「嘘の評価」を混同しない
 事実の積み重ねで嘘は浮き彫りになる
 答えを「固定化」せよ
 「オープンクエスチョン」で尋ねる
 「なぜ」と聞かず根掘り葉掘り
 「筋が悪い」ところに嘘は潜む
 「同じ質問」では相手が凝り固まる
 相手への「疑念」を見せない
 嘘を言わないで「カマ」をかける
 「誘い水」で打ち明けやすい環境づくり

第6章 難しい敵の攻略法
 「黙秘する人」にも耳がある
 徴発的な態度に絶対のらない
 「専門家」は万能ではない
 「女性」はやはり嘘がうまい
 感情を出さなければ誰でも嘘がつける?
 真偽をおりまぜた嘘はバレにくい
 プロ詐欺師のリアルすぎる話

第7章 自ら真実を語らせるには
 自白は「心の天秤」が傾くこと
 自白に転じるきっかけを見極める
 嘘の種類によって自白の説得は異なる
 客観的証拠を集めて説得する
 自白には冤罪の可能性も

第8章 人は気づかぬうちに嘘をつく
 目撃証言はどれほど信用できるか
 「あの人とあの人は同じ人」の不確実さ
 人間の認知能力はこんなに低い
 子供の認知能力はいかほどか
 「誘導尋問」のからくり
 人は悲しいほど忘れていく生き物
 脳が勝手に補ってしまう記憶
 嘘も繰り返せば「真」に変わる

第9章 社会は嘘をどう扱うか
 証明できない嘘は嘘ではない
 法律は「防御本能」の嘘を許す
 「社会秩序を脅かす嘘」には厳しい
 野放しにされている嘘の影響
 国益のためなら「国家の嘘」は許される
 政治家が「積極的な嘘」を言うリスク
 日本の「恥の文化」と嘘



最近、誰かにウソをつかれているような気がする・・・・というわけではない。(笑)
あいつのウソを見抜いてやろう・・・と思っているわけでもない。(笑)
偶然、本書を見かけたので面白そうだなと思い読んでみただけである。

著者は、東京地検特捜部副部長や東京地検公安部長などを歴任した取り調べのプロである。
題名は「嘘の見抜き方」であるが・・・・
これは所謂「ハウツー本」ではない。
本書を読んだからといって、相手の嘘が見抜けるようになるという期待は捨てたほうがいい。
あくまでも、被疑者と取り調べる側とのやり取りの中での「嘘の見抜き方」である。
嘘とは何か・・・・嘘をつくとはどういうことか・・・
そういう話が主体。
テクニックを教えてくれるわけでもなく、身に付くという話でもない。
ただ、テーマとしては面白い本である。


今年の読書:53冊目



読書 | 18:43:22 | Comments(0)
久し振りにシャンソンを聴きに行く
今日は、シャンソンを聴きに東京へ行く。
そういえば・・・・もしかして・・・・震災後、シャンソンを聴きに行くのは初めてではなかろうか?(大汗)
3年以上ぶりかな?
最後に聴きに行ったのはいつだったか・・・まったく思い出せないのだから困ったものだ。

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今回は、ディナー・ショーというわけではないが・・・・
コンサートの前にバイキング形式の軽食・・・
それを頂いて・・・・まもなくコンサートの開始である。

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たまには、こういう時間を過ごすのもいいものだ・・・・(笑)

日記 | 17:56:16 | Comments(0)
『戦後歴史の真実』
戦後 歴史の真実 (扶桑社文庫)戦後 歴史の真実 (扶桑社文庫)
(2002/06)
前野 徹

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前野さんと私ー前野コンフィデンシャルの面白さ  石原慎太郎

プロローグ 晩秋の京都にて
 死んでも死にきれない先輩たちの心情

第1章 50年前に今日の日本の混迷を予言したインド人
 「東京裁判」で日本の“歴史”は抹殺された
 国際法を無視した無効裁判
 判決は裁判の前から決まっていた
 東京裁判は、日本を侵略国とするための茶番劇
 ナチス裁判より重い東京裁判の裁き
 批判を一切禁じたGHQ
 東京裁判の違法論議に加わらない日本の不思議
 当事者たちも告白している東京裁判の違法性
 原爆を投下された被害国がなぜ謝罪する
 戦後55年、日本の誤りは「東京裁判」から始まる

第2章 「大東亜戦争」は自存、自衛のための戦争だった
 侵略戦争と断言した細川元首相の罪は大きい
 苦悩と絶望の連続、当時の指導者たち
 アジアを侵略していた欧米列強
 日本を開戦へと追い込んだアメリカ
 戦争を触発した最後通牒「ハル・ノート」
 オランダ出身のルーズベルト大統領の「反日感情」
 アメリカとソ連はグルだった
 真珠湾攻撃は、「アメリカの陰謀」
 アジア独立の契機となった大東亜戦争
 先人たちはアジアの人々に尊敬されていた
 外交上の戦略として誇張されすぎている南京事件
 大東亜戦争は人種差別戦争
 マッカーサー元帥の歴史的証言
 中国・韓国への侵略行為は、素直に認めるべき
 日本を拠点に中国近代化を成し遂げた革命の父・孫文
 孫文と宮崎滔天の親交が日中友好の原点
 中国はなぜ戦後賠償を一切要求しなかったか

第3章 広島「原爆」で生き残った「最後の経営者」、血涙の告白
 ピカドンで一瞬にして消えたヒロシマ
 地獄の中の30日間
 南無妙法蓮華経を口ずさみながら、55年間「死」との戦い
 今世紀最大の事件「原爆投下」
 原爆開発のきっかけは、ナチスの脅威
 動物実験をするかのごとく原爆を落としたアメリカ
 原爆は対ソ外交の切り札だった
 いまだ反省なきアメリカ
 「アメリカ大統領は、ヒロシマでナガサキで謝罪せよ」
 反米になるのではなく、相互信頼と対等な関係を結ぶために
 50年間、郷里ヒロシマを捨てた男の心中
 ヒロシマの墓碑銘は今すぐ書き換えろ
 唯一の被爆国、日本の果たすべき役割
 「東京裁判」の冤罪、「侵略戦争」の汚名を晴らさずに新生ニッポンはない

第4章 「マッカーサー憲法」を大事にしてきたニッポンの悲喜劇
 世界の常識が通用しない国
 占領軍憲法を後生大事に守り続ける愚
 戦後しばらくは日本人は正気を保っていた
 千歳一隅の好機を逃した二流政治家・吉田茂
 「自主憲法制定」を党是に盛り込んだ健全保守陣営
 高度経済成長時代突入で圧殺された改憲派
 中曾根康弘と渡邉恒雄の合作で、憲法論議に火を灯す
 両院に憲法調査会、正式発足
 今こそ国民が大同団結して憲法改正実現へ
 改憲は第三の建国の土台づくり、本筋を見失うな
 米大使も認めた米国製憲法、死守をかかげる護憲派を追放せよ

第5章 日本人のよき伝統と精神を破壊した「戦後教育」
 立ち上がった文化人、漫画家、学者グループ、評論家
 中学校で使われている自虐教科書
 歴史と伝統を断絶させた戦後教育
 「国家」や「日本」をあえて排除した教育基本法
 いわゆる「革新勢力」の大罪
 いじめを実践して見せた日教組
 謝罪外交が残したもの
 国際人養成の前に、しっかりした道徳教育を
 国家百年の大計を誤るな!「教育改革国民会議」にもの申す

第6章 「保守」と「革新」を誤報し続けた戦後、マスコミ文化界の大罪
 「小善は大悪に通じ、大善は非情に似たり」
 朝日新聞よ、無責任ジャーナリズムを猛省せよ
 日本を売り渡す進歩的文化人
 革新という名の守旧主義者たち
 健全社会、健全マスコミを守り続けたフジサンケイグループ
 購読紙は「産経」に切り替えよう
 国士評論家、竹村健一の存在
 望みたい外圧に対する政府の毅然とした態度

第7章 戦後「国会」をハイジャック、憲法違反を続けた「官僚勢力」
 官僚支配の種をまいた吉田茂
 官僚出身が戦後の内閣を占領
 官僚政治・対米盲従政策に抵抗した財界人・党人政治家
 官僚政治家政権に便乗して利権屋集団と化した官僚機構
 憲法違反を平然と行ってきた官僚が三権分立を崩壊させた
 役人の無駄遣いを暴露した愛国者、元運輸事務次官の勇気
 21世紀の扉を開くか「慎太郎革命」

第8章 21世紀の日本、どこへ行く
 生きている司馬遼太郎の「魂」
 日本人、ひとりひとりが「志」を持って、立ち上がる時がきた
 忠孝の国、日本こそが21世紀のパラダイムを創出できる
 「文化経済国家」「技術開発創造国家」「平和国家」「外交立国」に向かって
 「子孫に美田を残さず」から「子孫のために、“志”を残す」

あとがき



今年の読書:52冊目



読書 | 01:06:54 | Comments(0)
ご親切に、どうも・・・・
茨城県警本部の「ニセ電話詐欺対策室」から電話がかかってきた。(驚)
何事かと思ったら、例の「オレオレ詐欺」等に対する注意喚起の電話だった・・・(笑)

「十分ご注意下さい」と担当の女性の方がおっしゃる。
「はい、はい・・・」(笑)
過去に2度、明らかに「オレオレ詐欺」と断言できる電話があったことを伝えると、最近は、このような手口もありますと、親切に教えてくれた。
で・・・今度、そのような電話がかかってきたときは、県警本部の対策室へ一報してくださいという。
「はい、はい・・・」(笑)
「じゃぁ、電話番号をお教えしますね」とおっしゃる・・・
まさか、この電話自体が詐欺ではあるまいか・・・と一瞬、頭をよぎったが・・・・(大笑)

「話を引き延ばして、相手の話に乗ってみるというのはどうでしょうか?」と尋ねてみた。(大笑)
「そうしていただけると犯人検挙に繋がりますから、ありがたいですが、無理はしないで下さい」とおっしゃる。(笑)
「では、次回、そういう電話があったときは・・・がんばります!」(大笑)

さぁ~楽しくなってきちゃったぞ・・・(大喜)
早く「オレオレ詐欺」の電話がかかってこないものか・・・・(大笑)

電話を切って間もなく、1本の電話がかかってきた!(驚)
おお!きたか!「オレオレ詐欺」!!(大喜)
電話に出てみたら・・・・「市の水道局の者です」と言う。
ん?・・・・新手の詐欺か?(大笑)

今朝、水道の検針員が水道メーターの検針に来たのだが・・・
通常の2倍以上の数値になっていたので、不審に思われ、質問された・・・
この異常値は明らかに漏水なのである・・・原因はわかっている・・・・
先月、どうも洗面所の床下から異音がするので、高校時代の友人で水道工事業をやっている”カサハラくん”に来てもらったのである。
で・・・・やっぱり漏水・・・・
彼の会社の従業員が散々苦労して床下にもぐり込み、水道管を交換してくれた。
このところ、地震も頻発しているし、古い水道管には亀裂が入り易いのかもしれない。
一連の話を検針員には話しておいたが・・・
その件?

これで漏水も止まったし・・・・
メーターの数値が異常なのは、原因もわかっているし、その対策もしたから、一件落着だと思っていたのだが・・・・
市役所の職員の話では、過去の水道の使用量は2ヶ月で約40トン・・・・
ところが、今回は、先月と今月の2ヶ月で99トン!(驚)
当然、支払う水道料金も2倍以上になる・・・・
これでは・・・ねぇ・・・・ということだそうで・・・・

検針員から報告を受け、工事をした水道工事業者にも確認を取り、間違いなく漏水だということが確認できたので、市のほうで、昨年同時期の水道使用量から、今回の支払額をはじき出し、請求額を修正するという。
我が家の床下での出来事だから、責任は拙者にあるはずだから、水道料金が高くなっても仕方がないんじゃないかと思っていたんですけど・・・・
「え?安くしてくれるんですか!」(笑)

ん?・・・そういう美味しい話ってあるのか?(笑)
こりゃ、新手の詐欺ではあるまいか?(大笑)
どうも最近は、どの電話も信用できない・・・
下手に返事をしたら、危なくて仕方がない・・・・(苦笑)
本当に水道局なのか?(大笑)

「水道の使用量のお知らせの通知に印字されている引き落とし予定金額とと、実際に口座から引き落とされる金額が違いますが、そういうわけですので・・・」とおっしゃる。
「修正の手続きはこちらで行いますから、一応、ご報告ということで・・・」とおっしゃる。
あ・・・詐欺じゃないんだ・・・(大笑)
「いやぁ~申し訳ない・・・ご親切にどうも・・・」
平身低頭・・・感謝、感謝である。

市役所が、こんなに親切だったとはねぇ~
感心した・・・・(大喜)

日記 | 11:34:33 | Comments(0)
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