投稿日:2014-05-01 Thu


郊外の陸軍基地から町のほうへ戻り昼食・・・
それにしても、町から一歩郊外へ出るとこの景色である。
大草原・・・・・
これって、誰か持ち主はいるのかね?



町の中に入り、メインストリートから一本横に入ったところにあるイタリアンレストランで昼食。
時刻は午後2時・・・・



昼食後、『戦争慰霊館』に向う。

ウ~ン・・・正直言って、もうどうでもいい・・・(大笑)
拙者としては、戦車博物館で全精力を使い果たしてしまったのである。(大笑)
他のものには、もう興味も何もない・・・(大笑)
時間に余裕があったので、当初の予定にはないが『ビクトリア・バラックス』に立ち寄ろうかという話が持ちあがった。

この建物が、1939年から1945年まで「オーストラリア戦時内閣」が置かれた場所・・・・
残念ながら敷地内への立ち入りは禁止とのこと。
ここにはフィリピンから“逃げた”マッカーサーが“住んでいた”と、誰かが言っていたけど、それは違うだろう。
ここはオーストラリアの戦時内閣事務所だし・・・・マッカーサーは米国の軍人なんだから・・・・(苦笑)
多分、ここでの会議に出席したことがある・・・と言う程度ではなかろうか?
“論客”の大先生がマッカーサーについて尋ねたらしいが、ここの関係者からは知らないとの回答・・・
「マッカーサーを知らないのか?」と呆れていたが・・・
マッカーサーと言えば、我々日本人にとっては著名な米軍人だが、さて、オーストラリアにとってはどういう位置にあるか・・・
単なる米軍人の一人・・・・程度かも・・・・
マッカーサーを知らないことを、あざ笑う態度のほうがおかしいかもね。(笑)
時刻は午後4時・・・・空港へ・・・・
午後6時30分発のカンタス航空460便でシドニーへ向う。

午後8時頃、シドニー空港に到着し、今度は国際線に乗り換え・・・・
午後9時半発のカンタス航空021便で成田空港へ向かう。

夜の11時ごろに機内食が出る・・・・
こうなると、この機内食は夕食なのか、何なのか、さっぱりわからん・・・・
国内線で出たのが「夕食」で、この国際線で出たのは「夜食」なのか?(笑)
そんなことを気にするのは、拙者くらいか?(大笑)

日付が変わって5月2日午前4時(日本時間)・・・・朝食が出る。
機内食のサービスも結構だが・・・・これでは寝ている時間がない!!!(怒)
ウトウトし始めると食事で起こされ・・・・(涙)
完璧に睡眠不足である。
午前6時過ぎ、成田空港に到着・・・・
頭は・・・ボ~ッ・・・・(大笑)
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投稿日:2014-05-01 Thu
今日は、これから、郊外にある「オーストラリア陸軍戦車博物館」へ向う!(大喜)ここには、我が日本陸軍の軽装甲車と中戦車が展示されているはず・・・・
是非、ここはじっくりと見学したい!!




移動中の景色をバスの車内から写す・・・・
移動中、作家先生の“ミヤザキさん”が「戦車博物館?そんなところへ行く必要ねぇだろ!」とグズグズ言い出した・・・(笑)
やっぱり予定変更の元凶は“ミヤザキさん”だな・・・・(大笑)
そもそも、ツアー旅行というのは、日程表があって、それを見て、どこに行くのかによって、そのツアーに参加するかどうかを決めるのであるから・・・
当初の予定を、現地に来てから、そうそうひっくり返されたのでは困るのである。
今回は、博物館訪問が多いので拙者は参加を決めたわけですから、その博物館訪問をキャンセルされたのでは、このツアーに参加した意味が無い。
自分が行きたくないところばかりに行くツアーなら、最初から参加しなければいいわけで・・・(大笑)
参加しておきながら訪問場所にケチをつけられたのでは困る!
これは、相手が立派な「作家大先生」であろうと「論客」であろうと、拙者は一歩も譲れない。(大笑)
たとえ・・・昨晩の夕食をご馳走になっても・・・・である。(大笑)
ダメなものは絶対ダメ!(大笑)
行くぞ!絶対、行くぞ!(大笑)



時刻は11時20分・・・・
ホテルを出発して2時間弱で陸軍の基地に到着・・・・
この基地の中に「戦車博物館」はある。
が・・・・
基地の周辺、基地の敷地内は撮影禁止!
博物館の建物の前でカメラを取り出して構えていると怒られそうなので、博物館の建物の撮影も遠慮した。
博物館は小さな建物で、ショーケースの中に雑多な展示物・・・・
結構、日本軍のものが保管されていたのには驚いた!(大喜!)



珍しいところでは・・・・これなんか、珍しい・・・・

この箱に入っているのは、説明文によれば、戦車の暗視装置とのこと。
1945年にニューギニアのラバウルで日本軍の中戦車から見つけたということである。
中戦車ということなら、九七式中戦車だろう。
当時の日本軍にも暗視装置なんてあったのか?
「ジャップ・タンク(日本の戦車)」という表記・・・日本を蔑視した「ジャップ」の文字は、チョット気に入らないなぁ~(怒)
「ラバウル」のスペルが間違っているのは愛嬌か?(大笑)

この筒のようなものは、八九式重擲弾筒(てきだんとう)・・・・・
専用の八九式榴弾を遠くに飛ばす、簡単に言うと、携帯式の迫撃砲と言ってもいいかな?(笑)
説明文によると、ニューギニアの「ミルン湾の戦い」で1942年8月27日に入手したという。
「ミルン湾」は東部ニューギニアにある湾で、連合軍は「ミルン湾の戦い」と称しているが、日本軍はミルン湾のラビというところで戦ったので、「ラビの戦い」と呼んでいる。
1942年は昭和17年・・・・
日本が進撃していた時のことで、日本海軍の陸戦隊が、このラビというところにある連合軍の飛行場を攻撃するため、ここに上陸し攻撃をかけたが、結局は占領できずに退却したという戦いである。
この時の敵はオーストラリア軍と米軍・・・・オーストラリア軍がこれを持ち去ったんだろうなぁ~(大笑)

この「円盤」のようなものは、日本軍の九三式地雷である。
説明文の英文は拙者の能力では解読の限界を超えちゃっていて苦労するのだが・・・(大泣)
え~と・・・・・・
37ミリ対戦車砲の近くに撒かれて、対戦車砲と共に戦車のキャタピラを破壊したり、操縦不能にしたり、というようなことを、この地雷はしたんだよぉ~ってなことが書かれているようである。(大汗)
あ~参った・・・もっと英文はシンプルに書いてくれ!(大涙)

これもまた珍しいものだと思う。
ちょっと見づらいが・・・・日本軍の小銃の先に空き缶のような筒がくっ付いている。(笑)
説明板が見当たらないのだが、これは多分、「一〇〇式擲弾器(てきだんき)」だと思う。
この筒に九九式手榴弾を入れて、銃を撃つと、手榴弾が遠くに飛ぶというものである。
人間が手で投げるよりは遠くに飛ばせる。
さて、ここでの見学時間は1時間15分・・・・(笑)
あまりショーケースの中ばかりを見ているわけにも行かない・・・・
早く戦車を見に行かねば・・・・
我がツアーの参加者の姿が殆ど見えなくなった・・・・(汗)
またもや、拙者一人か?(大笑)

屋外の戦車展示場へ向う・・・・
「もういい加減、そのくらいにして、終りにしないか!」と後ろで声がする。
振り返ったら、作家先生の“ミヤザキさん”である。
我がツアーの参加者のほとんどは、早々と見学を終えてバスに戻ってしまったのか?
ちょうど、添乗員の“アサダさん”が拙者と一緒にいた・・・・
「戦車を見ずに帰るわけにはいかないですよね?」(笑)
「当然ですよ!僕は戦車師団の戦友会の事務局長ですよ!!これを見ずに帰れますかって!」(笑)
「ですよね・・・・」(笑)
「見学時間は1時間15分ですよね?絶対、時間ギリギリまで見学しますからね!!」(笑)
“ミヤザキ先生”は、もういい加減にしろよとばかりにイライラしておられたようだが・・・・
無視!!(大笑)
申し訳ないけど・・・・無視させていただく。(大笑)
そうそう“団塊の世代”の我がままを聞くわけにはいかない!!(大笑)

展示場の隅っこに日本軍の戦車が!(喜)
手前にあるのは、九七式軽装甲車・・・・

これは、「装甲車」・・・・「戦車」ではない。(笑)
2人乗りだが、日本軍としては「豆戦車」としての扱いを受けていたようである。
主に捜索連隊(むかしの騎兵連隊)に装備されていた。
拙者の祖父は捜索連隊の連隊長だったので、この装甲車にも親しみが湧く。
祖父が満州から台湾を経てフィリピン防衛に向かった時、「戦車を全部、他の部隊に持って行かれた」と言っていた。
戦車(多分、この装甲車のことだと思うが)は他の部隊に差し出すように命令されたのだろう。
この装甲車には、大きく2つのタイプがあって、機関銃を装備したものと、大砲を装備したものがある。
ここに展示されているのは大砲を装備したもの。
残念ながら、説明板がどこにもないので、入手の詳細等はわからないが・・・・
多分、ニューギニア方面で鹵獲したのではあるまいか?
後ろにあるのは、「九七式中戦車改」である!

九七式中戦車には2種類ある。
当初の型は、砲身の短い57mm砲を搭載したものである。
この57ミリ砲型の九七式中戦車は靖国神社の遊就館に展示されている。
後期には砲塔部分を改良し、一式47ミリ対戦車砲を搭載したものが出来た。
「47ミリ搭載型」とか「九七式中戦車新砲塔型」とか、「九七式中戦車改」とかと呼ばれている型である。
ここに展示されているのは、この改良型の九七式中戦車。
乗員は4名・・・・
2名乗員の九七式軽装甲車より、当然、車体が大きい。
この九七式中戦車改は、我が戦車第2師団の戦車第7連隊に装備されていたものと同じ型である。
というわけで・・・戦友会事務局長である拙者としては是非お会いしたかった戦車なのである!!(大喜)
写真を撮って会報に載せなくては・・・・(笑)
この戦車にも説明板は設置されていなかったので、詳細は不明であるが・・・・
多分、ニューギニア・・・・ラバウルあたりで鹵獲されたものではなかろうか?
運良く、これら装甲車、戦車の内部の撮影も出来た!(大喜)
通常、こういったものは、内部がかなり破壊されて何も残っていないのだが・・・・
想像以上に状態がいい!
操縦席などもちゃんと残っている!!(大喜)
が・・・・
ここには、その写真は掲載しない!
なぜなら、最近、マナーの悪い奴が多いのである!
無断で写真をダウンロードしてパクる輩がいるのである。
その写真をちゃっかり自分のホームページやブログに載せている奴もいる。
そういう奴に限って連絡先のメールアドレスを開示していないから、抗議もできない・・・・
以前にも、拙者の撮影した写真を無断で使用されたので・・・・
この貴重な車内の写真だけは、ここには掲載しないことにした。(怒)
どうしても見たい人は・・・・
我が戦友会に賛助会員として入会して、年会費を払い、会報を手にするか・・・(笑)
自分で何十万円もの金を払ってオーストラリアまで行って見て来るか・・・・(大笑)
この2つしか方法はない・・・・です!・・・・(大笑)
日本の戦車は小さいというが・・・・
近くで見ると、結構、頼りがいがあるように見えるんですけど・・・・(笑)
そんなに悪くないじゃないか?・・・・日本の戦車だって・・・・と思ったが・・・・

隣りのオーストラリア軍の軍用車両と比較すると・・・・やっぱり、かなり小さいか・・・・
う~ん・・・・こういう置き方って・・・どうだろう?
日本軍の戦車が非常に貧弱に見えちゃうんですけど・・・・(涙)
ここで大失敗したことに後で気がつく・・・・
戦車と一緒に記念写真を撮るのを忘れた!(大泣)
見学に与えられた時間はまだあるが・・・・
ここにある戦車や装甲車等の軍用車両を全部見学するのは無理・・・・
これもまた、ジックリ見るなら個人的に来るしかあるまい・・・(大涙)
敷地内をササッと見ながら駆け回っていたら・・・・(大笑)
あれ?
もしや・・・・
近づいてみたら、やっぱりそうだ・・・・「一式機動47ミリ砲」である!!

この砲は太平洋戦争の中期以降から使用された日本陸軍の対戦車砲である。
特徴のある防盾が失われているが・・・・砲身を見て気がついた・・・・(笑)
こうなると、マニアックだよなぁ~(大汗)
砲身には刻印が刻まれていたが、不思議なことに、本来の刻印の上に更に日本語の刻印がされている。
なんで、そういうことをしたのだろう?
「53ほ」という文字が上から刻印されている・・・・
これは、歩兵第53連隊(鳥取で編成)という意味だろうか?
この部隊はラバウル方面にいた部隊なので・・・・
もしかしたら、この部隊の砲かもしれないなぁ~
この博物館には、ミュージアムショップというようなものはないらしく・・・・
何か戦車に関する資料がないものかと探したが、残念ながら何もなかった・・・・(大涙)
予定の時間をタップリと有意義に使ってバスに戻る。
ほとんどの人達は、すでにバスに乗り込んでいて、憮然としていた・・・・(大笑)
ん?遅刻なんてしていませんからね!(笑)
予定通りの時間ですからね!!(大笑)
今回のツアーに参加した理由の一つは、この戦車博物館の見学が含まれていたからである。
九七式中戦車改が見られて本当に良かった!!(大喜)
この気持ち・・・・誰にもわかるまい・・・・
投稿日:2014-05-01 Thu
朝食後、出発までかなり時間があるので、一人で散歩に出かける。(笑)時刻は午前7時45分・・・・

向かったのは・・・駅!!(大笑)
昨晩のライトアップされた駅舎もいいが、朝日を浴びる駅舎もなかなかいい・・・
ここを見学することとする。



(駅の構内)
いいなぁ~こういう駅・・・・

改札口の機械・・・・日本のものよりデカイ気がする。(笑)
背が高いし・・・これ、カードとかタッチしづらい気がしますが・・・・(笑)
外人は背が高いから、これでいいのかな?(大笑)
同じようなことを考える人はいるもので・・・・
添乗員の“アサダさん”も、この駅に写真を撮りに来ていた・・・(笑)
「いいですよねぇ~こういう建物!」と意気投合・・・・
一緒に駅周辺を散策することになる。


正面玄関以外にも、この駅には何箇所も改札口がある。
これも、その一つ・・・・
日本で言えば・・・「東口」とか「西口」とかという改札口かな?


こういうデザイン・・・・好きだなぁ~(大喜)
いくら見ていても何故か飽きない・・・・(笑)

ホテルの向かい側をそのまま通り過ぎ、線路沿いに歩いてみる。


線路の下は赤煉瓦の高架(?)・・・・
こういう赤煉瓦のガード下(?)というのもいいなぁ~
東京のどこかに似てるな・・・・
昔、鉄道博物館があった秋葉原とか・・・・?
「線路の下をくぐって向こう側にいって見ますか!」
二人で行動となると、結構勇気が出るもので・・・・(大笑)

線路の下をくぐって向こう側に出る。
駅の反対側には川が流れていて、その向こう側はまた違った雰囲気の景色である。
あら・・・・こういうのもまたなかなかいい・・・(喜)


この橋・・・・
なんか形がおかしい・・・(笑)
うねっていると言うか、なんというか・・・・
よくこの橋を渡れるものだ・・・見ているだけでクラクラしそうなんですけど・・・・(笑)
さて・・・問題は、ここからどうやって向こう側に戻るかである・・・(大笑)
どこかに「連絡通路」のようなものがあるんじゃないか?・・・・と探してみたら・・・・あった!
地下道を通ると、向こう側に出るらしい。
一人では、ちょっと不安で通りたくないが・・・・(大笑)・・・・同行者がいると勇気が湧いてくるから不思議なものである。(大笑)
地下道から出てきたら・・・・あら・・・・道の向こう側に我がホテルが見える!
あ~この改札と繋がっていたのか・・・・
“冒険小旅行”は、これで終り(笑)・・・・ここで、“アサダさん”と別れて拙者は別行動を取る。


時刻は午前9時・・・・まもなく出発の時間である。
急いでホテルに戻り、チェックアウトする。
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