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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『マレー作戦』
陸戦史集〈第2〉第二次世界大戦史 マレー作戦 (1966年)陸戦史集〈第2〉第二次世界大戦史 マレー作戦 (1966年)
(1966)
陸戦史研究普及会

商品詳細を見る



 陸上自衛隊幹部学校長 陸将 竹下正彦


 陸上自衛隊幹部学校長 陸将 梅澤治雄

陸戦史集の刊行について
 陸戦史研究普及会副会長 陸将補 枦山徹夫

はしがき

第1章 作戦の起こりとマレーの兵要地誌
     1 作戦の起こり
     2 兵要地誌

第2章 作戦準備
 第1節 日本軍の作戦準備
     1 作戦準備全般によって
     2 兵要地誌・地図の整備と情報の収集
     3 研究と訓練
     4 マレー作戦部隊の編成
     5 進攻基地の確保
     6 作戦計画と現地陸・海軍の協定
     7 作戦発起態勢の完整
 第2節 英軍の作戦準備
     1 全般準備について
     2 マタドール計画
     3 英軍の配備
     4 編制・装備、訓練等

第3章 上陸作戦
第1節 上陸地点への前進
 第2節 コタバル上陸戦闘
     1 戦闘前に知りえた状況と地形
     2 交戦後判明した状況と地形
     3 日本軍の兵力・編祖等
     4 佗美支隊の作戦計画
     5 戦闘経過
     6 戦果と損害
 第3節 シンゴラ、パタニー上陸
     1 第5師団の作戦計画の概要
     2 第5師団の上陸計画の骨子
     3 シンゴラ上陸
     4 パタニー、タペー上陸
 第4節 上陸当初における軍全般の状況
 第5節 陸・海軍航空部隊の活躍
     1 英極東艦隊主力の壊滅
     2 陸軍航空部隊の活躍
 第6節 英軍の行動

第4章 ジョホール水道への進撃
 第1節 ペラク橋梁への突進
     1 第5師団主力の作戦
     2 安藤支隊
     3 作戦初期の兵站と鉄道部隊の活躍
     4 第3飛行集団の戦闘
     5 南方軍の作戦構想と第25軍の指導
     6 第25軍作戦計画の修正
     7 近衛師団のマレー戦線への転進
 第2節 カンタンとクワラルンプルの占領
     1 佗美支隊のカンタン占領
     2 軍の追撃命令とペラク河の渡河
     3 カンパルの戦闘と渡辺支隊の海上機動
     4 スリムの戦闘
     5 工兵、銀輪部隊の活躍
     6 クワラルンプルの占領
     7 Q・S作戦の中止
     8 エンドウに対する航空用燃料の揚陸
     9 作戦中期の兵站の概要と南方軍鉄道隊の編成
 第3節 ジョホール水道への突進
     1 ゲマスの戦闘
     2 バクリの戦闘
     3 ジョホール水道への進出
 第4節 藤原機関の活躍
 第5節 マレー半島作戦の戦果と補給

第5章 シンガポールの攻略
 第1節 攻略準備
     1 シンガポールの概要
     2 第25軍の攻略計画策定の経緯
     3 攻略計画策定のための研究と準備
     4 第25軍の知得した状況と地形
     5 第25軍の攻略作戦計画と攻撃命令の下達
     6 各師団の攻撃準備
     7 シンガポール航空撃滅戦
     8 英軍のシンガポール島防衛準備
 第2節 攻略実施
     1 攻撃準備射撃とウビン島防衛準備
     2 各師団のジョホール水道渡過
     3 テンガー飛行場の占領
     4 近衛師団のマンダイ山の占領
     5 要衝ブキテマ高地の占領
     6 降伏勧告
     7 英軍最後の抵抗
     8 英軍の降伏と山下・パーシバル両将軍の会見
     9 英軍降伏後の処理

付図第1 マレー半島略図
付図第2 インドシナ半島と海上機動図
付図第3 マレー半島の英陸・空軍配置図
付図第4 第25軍マレー作戦経過要図
付図第5 コタバル上陸戦闘および飛行場の占領図
付図第6 ジットラ付近戦闘経過要図
付図第7 スリムの戦闘経過要図
付図第8 カンタン攻撃戦闘経過要図
付図第9 バクリ、パリットスロン付近戦闘経過要図
付図第10 シンガポール島攻略作戦・戦闘経過要図(別添)
付図第11 シンガポール島英軍配備要図

付表第1 第25軍、第3飛行集団等戦闘序列
付表第2 マレー作戦部隊主要職員録
付表第3 近衛師団編制表
付表第4 第5師団編制表
付表第5 第18師団編制表
付表第6 作戦前における日・英両国軍人員装備概数表
付表第7 主要兵器、航空機諸元概要
付表第8 戦果および損害

主要参考文献資料



今度、マレーシアとシンガポールへ行きので、その事前勉強のため読んだ。
マレー進攻作戦、シンガポール攻略戦に関して、かなり分かりやすく書かれている。
また付図は、現地の戦跡訪問に大いに役に立つだろう。


今年の読書:34冊目



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読書 | 00:52:52 | Comments(0)
消化されないトウモロコシ
ちょっと汚い話で恐縮ですが・・・・(大笑)
食事をしながら、このブログを読んでいるなんていう人はいないだろうということを前提に書きますけど・・・(大笑)

トイレに入った時に・・・・
自分のウンチを見て思ったんですけどね・・・(大笑)

トウモロコシが、そのままの形でウンチの中に入っていたのですよ。(大笑)
まぁ、これは、よくあることで・・・・
拙者が、よく噛んで食べないからこういうことになるわけですが・・・・

このトウモロコシ・・・・
拙者の口から入って、そのままお尻から出てきたわけです。
我が胃液に溶かされもせず・・・・(笑)
なんという頑固な奴なんだろう・・・・

このトウモロコシを見て思ったんですけど・・・・
こいつの“人生”って、一体、何だったんだろう?(大笑)
拙者の体内に入ったにもかかわらず、何の役にも立たず、そのまま出てきちゃったわけですよ。
よく噛まなかった拙者に非があるにしても・・・・
何の役にも立たず、ただ拙者の体内を“通過”して、トイレの中に鎮座ましましている・・・・
で・・・・この後は、汚物と一緒に流されてしまうのです!
こいつの“人生”は、一体、何だったんだろう・・・・(涙)

こういうのって、人間の世界にもあるような気がしないでもない・・・・(大笑)
世の中の役にも立たず、誰の役にも立たず・・・ただ飯を食って自分のことだけを考えて生きている・・・・(大笑)
こういう人間を、これからは「トウモロコシ野郎」と呼ぼうかな?(大笑)

やっぱり人間・・・・この世に生まれたからには、誰かの、何かの、役に立つようにと心がけねばなりますまい?
ウンチと一緒に流されてしまうトウモロコシ君・・・・
いったい、君の人生は何だったんだ?

エッセイ | 10:45:07 | Comments(2)
「ムダ毛」とは失礼な!
最近、レーザー脱毛器というのが通販で売られているのだそうだ。
レーザーで「ムダ毛」を取り除いて、永久に(?)毛が生えてこないようにするそうなのである。

しかし、その「ムダ毛」って何だろう?
誰が「無駄な毛」だと決めたのだろう?
何か理由があるから毛が生えているんじゃないだろうか?
それを一方的に「ムダ」と決めつけて除去していいのだろうか?(笑)

通常、我々の脇の下には毛が生えている。(笑)
なぜか脇の下なのであって、間違っても脇腹には生えてはいない。(多分、全ての人がそうだと思うが・・・)
それは何故か?
何か理由があるから、そこだけに生えているんじゃあるまいか?
ただ我々には、その理由がわからないだけなのではあるまいか?
にもかかわらず・・・「ムダ毛」扱いは失礼ではなかろうか?

腕にしても、足にしても同様である。
そこに毛が生えているというのは、何か理由があるはずである。
眉毛だってそうでしょ?
すね毛や脇毛を脱毛するというなら眉毛も脱毛すべきでしょ?(笑)

実は、拙者の腰には何故か毛が生えている。(大笑)
ある日、大人になったら・・・生えているのに気が付いた・・・
多分、拙者の腰が弱いからなのではないかと思うのである。
昔、何度かヘルニアをやっちゃったことあるし・・・

ということは・・・「弱いところを守る」ために毛が生えていると言っていいのではないか?
そうだとすると・・・それを「ムダ毛」と呼んでいいものだろうか?(笑)
弱いところを守ってくれている毛に対して「ムダ毛」とは失礼ではあるまいか?(笑)

実は、拙者にはオチンチンが付いている。(当たり前ですが・・・男ですから・・・)(大笑)
そのオチンチンにも毛が生えている・・・
正確にはオチンチンの「付け根」ですけど・・・(大笑)
あれは、なんでそんなところに毛が生えているのだろうか?
「弱い」から?(大笑)
いや、それは認めたくない・・・(大笑)
この場合は「弱い場所」だからではなく「大事な場所」だから・・・ではなかろうか?(大笑)
「大事な場所」を保護するために毛が生えているのであろう。
それを「ムダ毛」と言うのか?
失礼だろ?

毛というのは「大事な部分」を守るために生えるのである!

が・・・・
最近、頭髪が薄くなり、生え際も後退し始めてきている・・・
拙者に無断で、勝手に「脱毛」しているのである!(唖然)
なんたることぞ!
毛がなくなっていくということは、守る必要がないということなのか?
拙者の頭は守る価値がないと言うのか!(大汗)
「大事な部分」ではないというのか?(大涙)
ちょっと納得しがたい・・・・

この場合は、毛は「弱い場所」を守る・・・を適用したい。
つまり、拙者は「頭が弱い」わけではないので、守る必要がなくなったと解釈したい。
つまり「頭が強く」なったのである!(笑)
もっと分かりやすくいうと・・・「利口に」なったのである!(大笑)
だから毛が抜け始めたのであろう・・・・
あれ?
そうなると、頭髪がフサフサしている人は「頭が弱い」ということになるか?(笑)
それでは失礼だな・・・・

そうなると・・・なんで頭に毛が生えているんだろ?

すね毛を脱毛する女性・・・・なんで頭髪は脱毛しないんだろう?
同じ毛なんだけど・・・・(笑)
生えてきた場所によっては「ムダ毛」と呼ばれるのだから、これは差別である!
「毛」に対して失礼である!

東京に生まれた人は「有益な人間」であって、茨城県で生まれた人は「無駄な人間」だというのと同じではあるまいか?(笑)
「毛」にも「基本的人毛権」というのがあってもいいのではなかろうか?(大笑)

少し人間は「自然」に対して横暴ではなかろうか?
脱毛器で脱毛するのも同様である。
自然に逆らう行為ではあるまいか?
「永久脱毛」など、もってのほかである!(笑)
そこそこなら許せるが・・・・(大笑)

世の中には「ムダ」なものはないと言う・・・・・
「ムダ」のように見えても、のちのち、実は「ムダ」ではなかった・・・ということもよくある話・・・
「ムダ毛」も同様ではあるまいか?

エッセイ | 00:00:23 | Comments(0)
大学同窓会の役員会
今日は、水戸で我が大学の同窓会茨城支部の役員会・・・

この間の同窓会の時に、今までの運営の仕方ではダメだから改革すべきだと新任の支部長に提言させてもらった。
で・・・・それが採用されて・・・(笑)
今回、第1回の役員会開催となったのである。

言い出したのは拙者だから、間違っても欠席するわけには行かぬ・・・・(大笑)
各駅停車の“鈍行”に乗って水戸へ向う・・・・
車を運転して行くほうが楽なような気もするが・・・
ああいう“都会”は苦手である。
右折禁止やら一方通行やら・・・・
神経使いながら運転するくらいなら、電車に乗って読書しながらノンビリ移動したほうが、精神衛生上、良いのではないか?(大笑)

さて、これから「新生・同窓会」はどういう活動をすべきか・・・・
北関東の栃木、群馬、茨城の各支部の中で、一番不活発なのが、我が茨城支部である。
そういうところが、拙者としては面白くない・・・
一番活発なのは栃木支部のようである。
なんとか追いついて、追い抜かねば・・・
しかし、茨城県というのは、どんな組織もそうなのだが・・・イマイチなのである。
とにかく、まとまりが悪い・・・・(笑)
これは、茨城県人の県民性か?(大笑)

同窓会は年に1回の総会だけ・・・
しかも、毎回土曜の午後開催である。
これでは活発になるわけがない。(笑)
職業によっては、土日は休めないという職業もあろう。
そういう人は永遠に参加できないではないか?(大笑)
とにかく年1回の総会だけではダメである。
年に数回開催して、どれかの集まりには参加できるというチャンスを与えるべきではなかろうか?

というわけで・・・最年少の役員の拙者が、またまた、出しゃばって提言!
夏に「暑気払い」と称して「飲み会」をやりましょう!!(大笑)
平日の夜なら出かけられるという人もいるでしょ?
酒が出るなら・・・喜んで・・・という人もいるかもしれないし・・・(笑)
まずは、役員が中心となって、飲み会を開催・・・・
役員以外の人の参加も大歓迎・・・・ということで・・・・
まずは、小規模な会合から始めましょう・・・・ということで決まった。(笑)

よし、これで、一歩前進したぞ!(大笑)

役員会は、かなりもめて時間がかかると思ったら、たった1時間で話がまとまり解散となる。(大笑)
誰も拙者の意見に逆らわないから・・・話がスムーズに進んじゃった・・・(大汗)
大人しい先輩ばかりで・・・・(大笑)
ある意味、感謝!(大笑)

日記 | 19:37:53 | Comments(0)
『47都道府県うんちく辞典』
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(2009/01/06)
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プロローグ 日本は狭いという常識のウソ

第1章 都道府県はどうしてできたか

なぜ旧藩は近代国家にふさわしくなかったか
古代の国が都道府県のルーツ
県庁所在地の半分が最大藩の城下町
都道府県の名前はこうしてつけた

第2章 近畿(関西)
すべての道は京へ通じる

京都府 「そうだ京都 行こう」
大阪府 大阪人がタイガース好きなわけ
兵庫県 神戸と横浜とはどこが違う
滋賀県 琵琶湖は滋賀県の半分より大きいか
奈良県 知られざる学力日本一
和歌山県 熊野詣の不思議

第3章 関東
東京が首都でなくなる日

東京都 青島幸男と鈴木俊一の共通点
神奈川県 湘南ナンバー人気の秘密
千葉県 長嶋茂雄のふるさと
山梨県 ワインとペンションと
埼玉県 西武県+東武県と考えれば
群馬県 便利すぎて県庁になれなかった高崎
栃木県 日光東照宮は下品ではない
茨城県 つくばと鹿嶋は住みたい街か

第4章 東海
日本のヘソ争奪戦の論理

愛知県 殿様の3分の2は愛知県人
岐阜県 飛騨高山が岐阜県に入った事情
三重県 グルメの王国
静岡県 全国で一番住みたい県

第5章 北信越
日本海の荒波と夕陽

福井県 「日本で一番短い母への手紙」
石川県 加賀百万石の損得勘定
富山県 「川でなく滝だ」
新潟県 田中角栄と小和田雅子さん
長野県 放火事件で長野が県庁に

第6章 中国・四国
瀬戸内海は立派な川か

岡山県 大原美術館と水島コンビナート
広島県 なぜホノルルと姉妹都市なのか
山口県 幕末には萩城に殿様はいなかった
鳥取県 砂丘の国
島根県 横山大観の画が庭になった
香川県 『二十四の瞳』と小豆島
愛媛県 殿様と知事
徳島県 吉野川の橋
高知県 皿鉢料理が元気な女性を育てる

第7章 九州・沖縄
辺境から玄関口へ

福岡県 西鉄ライオンズと平和台球場
佐賀県 伊万里焼か有田焼か
長崎県 オランダと中国と
熊本県 加藤清正と細川の殿様
大分県 「一村一品運動」が大分で生まれたわけ
宮崎県 神武天皇は宮崎で何をしていたのか
鹿児島県 「敬天愛人」と「議をいうな」
沖縄県 琉球と沖縄とどう違う

第8章 東北・北海道
東北でも北東でもなく北日本を

宮城県 多賀城と青葉城
福島県 会津より有名になった喜多方
岩手県 政治家と詩人は似ているか
青森県 空は青く、雪は白く、リンゴは赤く
山形県 最上川とおしん
秋田県 秋田美人の秘密
北海道 北方領土は金で買うものではない

第9章 お国自慢の構造

もっとよその地方を知りたい
県民性を考える
県民性はなぜできる
方言はなぜマイナーなのか
何を誇るべきか
旧国名使用のすすめ

エピローグ これから都道府県はどうなる

あとがき



私が読んだのは、同名のものだが、1998年発行の初版本である。
というわけで・・・情報が少々古いが・・・結構面白かった。

茨城県・・・・
県民性と言えば「水戸っぽ」・・・・である。
「“水戸っぽ”といえば、骨っぽく、怒りっぽく、理屈っぽいことで知られる」・・・とある。
ん?俺のことか?(大笑)

単なる都道府県の紹介に留まらず、第9章などは大いに勉強になる内容である。


今年の読書:33冊目



読書 | 21:22:15 | Comments(0)
『戦車と戦車戦』
戦車と戦車戦―体験で綴る技術とメカと戦場の真相!戦車と戦車戦―体験で綴る技術とメカと戦場の真相!
(2012/03)
島田 豊作

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戦史をかざった日本戦車血戦録
 有名を馳せた第一線指揮官が綴る日本戦車用兵の長所短所
        元戦車6連隊 島田戦車隊長・陸軍少佐 島田豊作
     お粗末を欺く戦車兵
     戦車の宿命を打破した夜間襲撃
     体験から生んだ機甲戦法
     悲運だった機甲師団の最後

未だ書かれざる鋼鉄の機動部隊始末
 知られざる日本戦車隊の編成と機能と戦法
        戦史研究家 水島竜太郎
     戦時中に解散された機甲軍
     ノモンハンの戦訓いかされず
     M4に歯がたたない日本戦車
     機動性を無視した本土決戦案

疾風挺進戦車隊マレー半島縦断記
 わずか1日でジットララインを強行突破した「志」のマークの戦車隊
        当時戦車1連隊3中隊1小隊長・陸軍中尉 寺本 弘
     あるは強行突破のみ
     20万両のお棺
     地獄からの使者と対決
     サンドウイッチのはさみ撃ち
     白昼光に浮きでたわが戦車
     距離300の大激戦

分捕りM3戦車ビルマ戦線での大暴れ
 戦場で作った特型戦車でインパールへ。戦車第14連隊血戦譜
        当時戦車第14連隊材料廠・陸軍大尉 小田信次
     連隊長の新考案
     小山のような敵戦車
     奇妙な戦車隊
     強敵バズーカの出現
     戦車兵魂もむなしく

これだけは必要な強い戦車設計の条件
 戦車設計に敏腕をふるった技術者の告白
        元第4技術研究所員・陸軍中佐 井上道雄
     日本の戦車は優秀だった
     戦車の設計から誕生まで
     エンジンはディーゼルにかぎる
     真に強い戦車はこれだ

戦車はこうすれば走る
 操縦法とその運動能力の実際
        「丸」編集部
     戦車を走らせるには
     戦車の方向転換をさせるには

これが戦車の兵装のすべてだ
 より戦車らしい主砲と機銃と装甲鈑
        「丸」編集部
     主砲
     機関砲
     機関銃
     装甲鈑
     傾斜面の利用

日本の対戦車砲とはこんなものだ
 対戦車火器の権威が綴る四式中戦車搭載砲の威力
        元陸軍技術大佐 沼口匡隆
     37ミリだった初の対戦車砲
     大活躍の一式機動47ミリ砲
     高射砲を自動車にのせる
     成形炸薬弾の出現
     間に合わなかった日本のバズーカ砲
     永遠のシーソーゲーム

世界に誇る九七式戦車の特長と魅力
 九五式から九七式へ。国産戦車あれこれ
        当時三菱重工戦車設計技師 大高繁雄
     抜けアナもある九五式戦車の設備
     花形スターの絢らん豪華なデビューぶり
     中型の理想を貫いた九七式戦車
     非の打ちどころのない完全戦車

動く要塞幻の100トン戦車開発秘話
 巨体なるがゆえに昭和19年には解体スクラップとなった驚異の戦車
        当時三菱重工戦車設計技師 大高繁雄
     日本の頭脳を結集して
     試走路が壊れてテスト不能に

設計者が語る日本戦車の秘密
 100トン戦車&世界一のディーゼル戦車製造の舞台裏
        三菱設計技術陣
     サンプル車上陸す
     血統をほこる国産戦車
     ドイツに惚れられたチハ車
     戦車にあった泣きどころ
     日本戦車の袖珍型
     闇に消えたマンモス戦車

戦車設計と日本の極秘技術
 日本戦車の誕生と技術の全貌
        元陸軍第4研究所長・陸軍中将 原 乙未生
     背水の陣で出発した国産戦車生産の夢
     3トン牽引車から出発した国産戦車
     試作第1号にこめた技術陣の念願
     旧型車より二倍の速度
     名門ルノーと八九式戦車の技術レース
     局地戦に威力をみせたが
     ドイツに先がけた作戦
     世界に先がけてディーゼルエンジンを装備
     高速を誇った九二式重装甲車
     九五式という鉄牛に代わった騎兵
     小型で軽快で威力をもつ軽装甲車
     洗練されたシルエットの九七式中戦車
     目白おしに並んだ精強戦車群
     大口径砲にたくす対戦車戦闘
     つぎつぎ生まれる新案車
     単純化された新設計

日本の戦車ものしり小百科
        「丸」編集部
     日本では戦車をどう区分したか
     戦車の名称のつけ方は
     外国からどんな戦車を輸入したか
     戦車と自走砲とどう違うのか
     日本で最初につくられた戦車は
     日本の戦車が最初に戦ったのは
     太平洋戦争中の戦車の変遷は
     九七式中戦車の戦歴は
     九七式中戦車は全部で何台つくられたか
     中戦車はどんな隊形で戦闘するのか
     戦車の弾丸は何発つむか
     最新型の戦車砲弾薬は
     日本の戦車砲の口径はどう変わったか
     戦車砲はどうやって撃つか
     夜間でも射撃ができるのか
     戦車の装甲はどのように決めるか
     装甲鈑の溶接、リベット、鋳造の違いは
     戦車に搭載したエンジンとは
     戦車は1回の燃料補給でどのくらい走れるのか
     戦車のトン当たり馬力とは
     騎兵が持っていた戦車はなにか
     戦車はどんな無線機を持っているか
     戦車用無線の電源は
     戦車用無線機で電信するときは
     九七式中戦車の製作費はどのくらいか
     九五式軽戦車、八九式中戦車、三式中戦車の制作費は
     戦車はどんな所でつくられたか
     製造工場のうち一番大きなものは
     戦車の中はどのくらい広いか
     車外員とはなにか
     千葉陸軍戦車学校(千戦校)と四平陸軍戦車学校(四戦校)とどう違うのか
     日本に空挺戦車隊があったか
     少年戦車兵学校の制度はいつでき、場所はどこか
     戦車連隊の編成は
     日本でいちばん強力な戦車連隊の編成は
     戦車第1師団の戦車連隊と戦車第4師団の戦車連隊との差違は
     戦車の戦闘による損耗はどのくらい出るものか
     戦車の損傷したものはどうするのか
     損耗の内訳はなにか
     一作戦で戦車はどのくらい走るのか
     戦車小隊は何台戦車があるか
     戦車の乗員は下士官か
     歩兵戦車と巡航戦車との差は何なのか
     戦車食というのはありますか
     戦車の履帯は何からできているのか
     戦車眼鏡について説明して下さい
     戦車兵の服装について
     寒冷地の作戦は特別の戦車を使うのか
     「戦車の英雄」はいないのか
     戦車将校の特性はなにか

戦車第1師団長 戦車に生きた半生の回顧
 誕生から終焉まで日本戦車発展の歩み
        元戦車第1師団長・陸軍中将 細見惟雄
     敵陣蹂躪戦
     雨中の苦戦
     大場鎮攻撃の失敗
     西住大尉を想う
     日本戦車の発展
     胎動期
     戦車隊の隆盛期
     最盛期から破局へ

漢口攻略戦八九式戦車 350キロの突撃行
 歩兵の尖兵として敵中ふかく潜入した中隊長の手記
        当時6師団戦車5大隊第2中隊長・陸軍大尉 高橋清伍
     黄塵をあげて大軍にせまる
     漢口突入の大武勲
     戦車だけの夜間追撃行
     一蹴した重砲陣地

日本が負けたのかノモンハン戦車戦の真相
 ホロンバイル草原に雷雨をついて敢行された夜襲戦車戦
        当時関東軍参謀・陸軍大佐 野口亀之助
     火砲の弱かった日本戦車
     雄渾なる作戦構想
     驀進また驀進
     攻撃開始
     暴れだしたソ連戦車

知られざる紅顔の戦車兵誕生うらばなし
        元少年戦車兵1期生・陸軍曹長 藤原新吉
     ノモンハンが生んだ教訓
     スーパーマン的な戦車兵
     たのしみもあった校内生活
     陸軍少年戦車兵学校の歩み

富士に響く爆音こそ少年戦車兵の子守唄
        当時陸軍少年戦車兵7期生 斉藤 実
     フンドシ1本で小銃射撃訓練
     車輌当番でエンジンかからず
     われわれはお古、彼は新品
     戦車砲訓練に入ろうとしたその時に

日本の戦車かく戦えり
        戦史研究家 伊東駿一郎
     快進撃の支那事変
     ノモンハン事件
     南方攻略作戦
     激突、離島の血戦
     玉砕島の大戦車戦
     大陸の諸作戦
     終戦と戦車部隊

マレー街道に印した17歳の無限軌道
 任務遂行に燃えた少年戦車兵が体験した血涙の記録
        当時戦車1連隊第3中隊・陸軍伍長 藤本幸男
     寸暇をおしんで読む禁断の書
     初めてうけた十字砲火の洗礼
     顔面からしたたる流血のなかで
     病院からひとり中隊を求めて

園田猛牛部隊の前に沈黙した悲しき星条旗
 旧式八九式戦車を率いた戦車7連隊バターン半島攻略記
        当時戦車7連隊小隊長・陸軍大尉 金子収男
     難攻不落の天然要塞
     作戦指導の名人園田大佐
     しずかな激戦の前夜
     壮烈な連隊長の最期
     集結した悪夢の戦い

15対1の戦い北ビルマ雲南戦車戦記
 敗勢のさなか強力な敵機動力に挑んだ軽戦車小隊の奮闘
        当時捜索56連隊軽戦車小隊長・陸軍大尉 村野新一
     ワー州ホーパン陣地
     ナンパーカ平原で
     センウイ峠の対戦
     乗車被弾す
     霜降る夜に

壮絶戦車14連隊が消滅した日
 急行する九七式戦車の隊列に襲いかかった一瞬の悲劇
        当時戦車14連隊第1中隊・陸軍兵長 上杉 登
     敵M4のワキ腹に1弾を放つ
     火だるまとなった隊長車
     歩兵部隊の危機を救え
     ぶきみなる強行突破
     生き残りはたった1輌
     敵戦車の銃口から脱して

戦車3師団“突進捜索隊”最後の敵中突破行
 対戦車砲が待ちかまえる在支米軍基地を攻略すべく疾駆した尖兵隊長の10日間
        当時戦車3師団捜索隊・陸軍中尉 満瀬育宏
     奇襲してくる伏兵との死闘
     黄塵をついての急進撃
     突じょ飛来した速射砲弾
     混乱のなかの大追撃戦
     対戦車砲との一騎討ち

精鋭重見戦車第3旅団リンガエンの最期
 比島決戦にくりひろげられた精強戦車隊とM4戦車の対決
        当時戦車第2師団参謀・陸軍中佐 土屋英一
     壮烈、挺進斬り込み隊
     強敵M4戦車あらわる
     あゝサンマニエルの丘

津守独立戦車中隊ルソンに死す
 M4戦車に対しなすすべもなく壊滅した九五式軽戦車の悲劇
        当時戦車7連隊1中隊・陸軍伍長 弓井崇弘
     独立軽戦車中隊の編成
     駐屯地ラロの日々
     山岳台地の戦車陣地構築
     黒煙となって昇天する僚車

北千島を朱に染めた戦車11連隊の死闘
 終戦後の8月18日未明ソ連軍上陸、占守島の苛烈なる迎撃戦
        当時戦車11連隊・陸軍曹長 飛岡繁美
     ソ連軍ついに上陸す
     われに終戦はなし



本書は題名のごとく、戦車自体と、その戦車による戦闘の体験談が書かれていて、大いに勉強になる好著。
我が戦車第2師団の重見旅団の戦記もあり感激した。


今年の読書:32冊目



読書 | 01:36:08 | Comments(0)
永代神楽祭、嬉しい悲鳴!
今日は我が戦友会の永代神楽祭・・・・靖国神社に向う・・・・

年々参加者が減り、この先はどうなるのかというのが、頭痛の種である。
以前、戦友の佐藤さんから「この調子だと、俺達が死んだ後は、どうなるんだ?」と言われたことがある。
この時は、参列者が一番減った時で・・・・たしか6人くらいしか集まらなかった・・・
しかも、そのうち、生還者じゃないのは拙者を含めて2名・・・・(大汗)
「私一人になっても続けますよぉ」(苦笑)
「そりゃ申し訳ないが、よろしく頼むよ」と励まされた・・・
その佐藤さんをはじめ、当時参列してくれた生還者の皆さんは、すでにこの世を去ってしまっている。(涙)
「どうするよ?」・・・・が現実となった・・・・(汗)

毎年、5月19日は、我が戦友会の永代神楽祭が挙行される。
毎年同じ日なので、以前は何の通知もなかった・・・
知ってて当然、来るのが当然・・・・というわけだ。
しかし、このやり方では、参列者の減少を止めることは難しいだろう。
拙者が事務局長を引き受けてから、葉書で通知を出すことにした。
ご存知だとは思いますが、念のためお知らせします・・・・である。(笑)

参列した方々の中から「誰が誰なのかわからない」との声が聞こえて来た。
「戦友会」といっても、師団規模の戦友会なので横のつながりは薄い。
戦場でも顔を合わせたことがない・・・という人ばかりである。
しかも、遺族となったらなおさらである。
そこで、出欠回答をいただいて、「参加者名簿」を作成し、当日皆さんに配布することにした。
こうすれば、回を重ねるごとに、誰が誰だか覚えてくれるようになるだろう。
横のつながり、顔見知りが出来れば、毎年の参加もし易くなるというものではないか?(笑)

会員がご高齢になるにしたがって参加者も減る・・・
当然のことである・・・
今まで一人で来ることができた人が、高齢により一人では外出できなくなったからである。
ご家族のご協力をいただければ参列できるのだろうが、なかなかそれが難しい・・・
ご家族の方が理解をしてくれないと・・・・(涙)
ご家族が同伴して靖国神社まで来ても、本人だけが参列、ご家族は神社内で時間を潰すという事例があった。
「慰霊」は当事者の問題であって、戦後生まれの人間は無関係・・・という認識なのか、それとも遠慮してのことか・・・
そこで、次の通知からは「同伴者名」も記載してもらうようにした。
これにより、同伴者も一緒に参列してくださって結構ですよ・・・という意思表示をした。
参列者が少しでも多ければ“英霊”も喜んでくれるだろう?(笑)

それでも、なかなか参列者は増えない・・・(涙)
そこで、今回は、「代理出席」も可能とする案内を出させてもらった。
会員本人が高齢のため参列できないとなると、ご家族も同伴しないから「不参加」となる。
どうしても会員以外は参加してはいけないと思ってしまうだろうから・・・
「お父さんの代理で・・・」というご家族の方の参加もし易いようにと考えてみた。
さらに、会員でなくとも、縁がある方には案内を送らせて頂いた・・・

ここまで手を打ってみたが、今年はどうなるか・・・
19日は月曜日・・・平日だし・・・(大汗)

ところが・・・なんと!
今年の参列者は・・・拙者を含めて17名!!(大喜)
たった17名かと笑われそうだが・・・・増えた!(大喜)

我が師団は戦死率約80%、生還率約20%という部隊である。
1個中隊100名中、生き残ったのはたった1名という中隊もある。
ある会員から「本当の意味での戦友は、この会にはいないんですよ」と言われたことがある。
本当の意味での戦友は全員戦死しているんだという。
それでも、この会に参加しているのは、自分だけが生き残ったという罪悪感があるからだそうで・・・
我が戦友会は「親睦団体」ではなく戦死した戦友を慰霊するために結成された戦友会・・・
それで、会に入会して亡き戦友の慰霊をしているという。

我が部隊は終戦まで最前線でトコトン戦った部隊である。
戦後50年経ったから・・・昭和から平成に時代も変わったから・・・
そういう理由で「これを節目に」と解散する戦友会が多い。
しかし、我が戦友会はそういうわけにはいかない・・・・
「俺たちは死ぬまで慰霊を続けなければ、死んだ戦友に申し訳が立たない」と言うのである。
これが生還者達の思いである。
そうそう易々と解散したのでは、トコトン戦って戦死した戦友に申し訳ない・・・・
我々もトコトン戦わねば・・・・
たとえ「最後の一兵」になろうとも・・・・である。(大笑)

で・・・今年は17名!!
今は亡き佐藤さんも驚いてるだろうなぁ~(大笑)
「おい、増えたじゃないか!」(驚)・・・・佐藤さんの声が聞こえる・・・・(笑)

今年の参列者のうち、初参加の方が7名もおられる!
初参加というのは心細いものである。
特に知り合いが誰もいないとなると、なおさらである。
出来るだけ初参加の方と、おしゃべりをしなくては・・・・と思うのだが、なにせ時間に制限がある。
神楽祭開催直前の、わずかな時間に全員の方々と、お話をするというのは大変・・・・
とにかく案内を送った事務局長というのは私です・・・とご挨拶して顔を覚えてもらう程度のことしか出来ない。(涙)
嬉しい悲鳴・・・・という奴であるが・・・
バタバタしていて、なかなかうまく気配りが出来なかったのではないかと少々不安・・・・
至らない点が多々あったと思うが、懲りずに来年も是非参加してもらいたい・・・
もう来年の心配である・・・(大笑)

日記 | 07:55:18 | Comments(0)
日本人を駄目にしたのはファッション業界かも(笑)
今朝、妹から箱が届いた・・・
何の箱かと思ったら、ジャケット・・・
夏物の洒落たジャケットだった・・・
一体どうして・・・とも思ったが、親父の面倒を見ているお礼と、誕生日のプレゼントを兼ねてのことだろう。

で・・・・袖を通してみたら・・・キツイ!
なんだこれ・・・・
サイズはXLなのに・・・
通常Lサイズを着ている拙者にはXLではダブダブになるはずなのだが・・・

最近流行のデザインである!(怒)
拙者は、この最近流行りのデザインは嫌いなのである!(怒)
袖が細くてキツイ・・・・
丈が短く、お尻の半分が出てしまう・・・
拙者はそんなに太っていないはずだが・・・
なんだ!この服は!(怒)
まるで子供服を着ているみたいじゃないか!
ツンツルテン!・・・・である!(怒)

中国人の縫製ミスかと思ったが・・・(大笑)
最近は、こういうデザインが多い。
どの店にに行っても同じようなものばかりである。
袖がキツくて鬱陶しいったらありゃしない・・・
一日中、血圧の検査をしているような感覚である!(怒)

どこの馬鹿がこんなデザインを考えたんだ?
痩せているように見せるためか?
痩せていない人を痩せているように見せるということ自体、間違ってはいないか?
無理があろう?
こんなにキツイいんじゃ実用的じゃないだろう?
シルエットのほうが大事なのかね?
格好ばかりである・・・・

その昔・・・拙者が高校生の頃だったと思うが・・・・
トレーナーを裏返しに着るのが流行った。
友人がその流行に乗って街を歩いていたら、見知らぬおばさんに声をかけられたという。
「ボク!服が裏返しだよ!」(笑)
友人が激怒したことは言うまでも無い・・・
「今の流行を知らないババァめ!大衆の面前で恥をかかされた!」と拙者に言ってきたのだが・・・・
それは言われて当然だろ?
裏返しなんだから・・・・
どこの馬鹿が裏返しに着るのがお洒落だなんて言いだしたんだ?
ファッション業界の人間だよね?
バカじゃあるまいか?(笑)

そのうちに、シャツの裾を外に出して着るようなのが流行りだした・・・・
ズボンの中に入れるのは「ダサイ」のだそうだ。
そういうのは「オジン」なのだそうだ・・・・
どこの馬鹿がそういうことを奨励したんだ?(怒)
シャツの裾を外に出したまま・・・というのは「だらしない」と思うのだが・・・
その「だらしない」格好がファッションだ、お洒落であると煽ったのは、どこのバカだ?
高校生は制服のワイシャツの裾を外に出して歩いている・・・
本人はお洒落のつもりだろうが、みっともない・・・・
で・・・就職活動となったら、慌ててスーツ姿に・・・・
まさかワイシャツの裾を外に出すわけにはいかない。
ところが・・・ビシッときまらない・・・
当然である。
3年間もだらしの無い格好をしてきたのである・・・
スーツが似合うわけが無い・・・(大笑)
当然、面接担当者に見破られて、就職が決まるわけもない・・・(大笑)

そのうち、今度は穴の開いたGパンが流行りだし・・・
これもファッションなのか?
乞食のスタイルではあるまいか?

更にはズボンを半分下げて、尻の割れ目まで見せるようになった・・・(唖然)
もう、こうなったら乞食以下である!(大笑)

そのうち、ズボンのチャックからオチンチンを出して街を歩くようになるかも・・・(大笑)

なにがファッションなんだか・・・・
呆れてものが言えない・・・(と言いながら、ものを言っているが・・・)(大笑)

どんどん日本人がダメになっていくような気がする・・・・
これは、どこかの国の謀略か?(大笑)
まずは服装から日本人を破壊するつもりか?(大笑)
ファッション業界っていうのは、“日本人ではない”連中の集まりか?
そもそもの始まりは、あのトレーナーを裏返しに着るところから始まったような気がしてならない。

もう少しまともなファッションを考えてもらいたいものだ・・・・プロなら・・・・(汗)

エッセイ | 21:54:53 | Comments(0)
ほぼ完売って何?
テレビのニュースを見ていたら・・・・
何やら格安のスーマートフォンか何か、携帯電話が売れているというような話をしていた。

「ほぼ完売だそうです」・・・と言う。

ん?
なんだ?
その“ほぼ・・・っていうのは?
「ほぼ完売」って、おかしな日本語ではなかろうか?
完売は完売でしょ?
ほぼ・・・って付けたら完売じゃないんだから「完売」という言葉を使うのはおかしいでしょ?(大笑)

たとえば、コーヒーを飲んでおカネを払うとしよう・・・
喫茶店のレジで「ほぼ432円です」と言われた場合、どう解釈するんだ?(大笑)
「ほぼ」って言うんだから、430円でもいいんだよね?(大笑)

432円は432円なのである。
ほぼ・・・もしくは、約432円というのは、ありえまい?

私は言語、国語の知識は、あまりないけど・・・・
正しく言うなら「完売間近です」とか「まもなく完売だそうです」が妥当な表現ではなかろうか?

「ほぼ完売」はありえないだろ?(大汗)

エッセイ | 14:38:51 | Comments(0)
『アメリカが畏怖した日本』
アメリカが畏怖した日本: 真実の日米関係史 (PHP新書)アメリカが畏怖した日本: 真実の日米関係史 (PHP新書)
(2011/06/16)
渡部昇一

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第1章 「騎士道精神」がなく、常に自分たちを正義と考える国
 武士道の国・日本と、騎士道なきアメリカ
 騎士道精神が流れている国際法
 アメリカの精神を形成したイギリス哲学
 拡張主義を正当化した「マニフェスト・ディスティニー」

第2章 ペリー来航がもたらした友好的な出会い
 アメリカが真に見据えていた国
 日本の運命を左右した漂流者
 ペリーが本国に送った建白書
 互いの国をいかに見ていたのか

第3章 アメリカが畏怖した日本
 日清戦争におけるアメリカの対日観
 北清事変と日英同盟
 日本海海戦の衝撃
 真剣に恐れられた日本軍の米本土侵攻

第4章 絶対的排日移民法とブロック経済が導いたもの
 亀裂が生じ始めた日米関係
 アメリカが打った次の一手
 日本が進まざるを得なかった道

第5章 日米開戦「回避」の道を閉ざしたもの
 反日、親シナ感情が高まった理由
 シナの挑発と上海事変
 南京大虐殺はなかった
 開戦を避けられなかった要因

第6章 対米戦争に勝つチャンス
 真珠湾攻撃は必要なかったか?
 ガダルカナル島の攻防戦は最後のチャンスだった
 戦争の勝ち負けはわずかなことで決まる

第7章 東京裁判と戦前の日本は悪の刷り込み
 ポツダム宣言の受諾は無条件降伏ではない
 デタラメだった東京裁判
 東京裁判史観を定着させたシステム

第8章 50年不動の改定日米安保の枠組み
 GHQは日本を小国にとどめようとしていた
 完全に意味を喪失した東京裁判
 主権回復、いなくなったA級戦犯受刑者
 安保改定を成した戦後最大の政治家・岸信介

第9章 今こそ、サンフランシスコ講和条約に戻るとき
 佐藤政権後の“異変”
 外務省が持ち出した東京裁判史観
 今の日本に必要なこと
 これからの日米関係で基礎とすべき条件

あとがき



今年の読書:31冊目



読書 | 17:57:55 | Comments(0)
旅客機ではなく輸送機だ!
いつも飛行機に乗るたびに思うんですけどね・・・・

どうして、旅客機というのは、こうも乗客をギュウギュウ詰めに積め込むのだろうか?(笑)
トラックに積まれた豚か牛のような気がしてくるんですよね。
ギュウギュウ詰めの中、飲み物とエサを与えられながら移動する・・・・
やっぱり豚か牛だよなぁ~

これが船・・・客船になると、必ずと言っていいほど頭に「豪華」っていう文字が付く・・・
「豪華客船」!
豪華じゃないのは、フェリーくらいなもので、客船と言えば豪華なのである!!(大笑)

これは鉄道でも同じ・・・・
各駅停車の鈍行もあれば、特急列車もあるけど・・・
寝台列車には「豪華寝台列車」っていうのがある。

バスにだって「豪華サロンバス」や「豪華高速バス」なんていうのもある。

「豪華」がないのは、旅客機だけである!(大笑)
なんでだろう?
そのくせ「快適な空の旅をお楽しみ下さい」なんて平然と機内アナウンスをするのである!(怒)
どこが「快適」なんだよ!(怒)
身動き取れないほど狭いのに・・・・

もしかして、乗客のことを「客」とは思っていないのではあるまいか?(笑)

というわけで・・・私は「旅客機」のことを「輸送機」と呼ぶことにしているのである。(笑)
豚や牛を輸送するのと同じ・・・
兵隊を戦場に輸送するのと同じ・・・・
乗客に対する扱いが、これらと同じなのだから、これは「輸送」と呼ぶべきだろう。
つまり・・・「輸送」なのだから、この飛行機は「輸送機」である!(大笑)
間違っても、旅をしようという客を乗せる「旅客機」ではない・・・


エッセイ | 00:33:13 | Comments(0)
『マレー戦車隊』
マレー戦車隊―太平洋戦記 (1967年)マレー戦車隊―太平洋戦記 (1967年)
(1967)
島田 豊作

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マレーへの道
   露営の朝
   隘路の攻防
   堅陣をにらんで
   泥縄訓練
   マレーに印して
   英軍から見たジットラ戦
   拾った話題
   戦車夜襲の断

攻撃命令下る
   若武者の面々
   攻撃命令ついに下る
   勇み立つ戦車兵
   最後の戦闘準備

月下の戦車戦
   決死の爆破成る
   敵陣砕く鉄獅子
   第2、第3線陣地へ
   砲兵陣地の蹂躙
   敵陣の背後にひそめば

敵中孤立作戦
   夢多き青春
   戦車と共に
   流れ星の下に
   英軍から見たスリム戦
   挺進の決断

戦車隊独力挺進
   暁の急襲
   テントはおれにまかせろ
   敵司令部の運命
   荒獅子の猛襲
   チャーチル給養

スリムの嶮に迫る
   幽霊戦車の出現
   ついに奪ったぞ
   二つの橋を守って
   不敵の進撃
   死せる猛虎の怪

ジョホールへ
   車陣の夜
   歩兵主力の激闘
   凱歌あがれども
   遺骨を抱いてシンガポールへ
   南部マレーの英軍抵抗
   ジョホール水道渡れば
   苦闘を超えて

シンガポール陥落
   死闘と白旗
   南船北馬
   陛下の横顔
   戦車隊の最後

あとがき



著者は、戦車第6連隊第4中隊長としてマレー進攻作戦に参加された方である。
戦車第6連隊は、大戦末期には我が戦車第2師団に所属した戦車連隊で、昭和20年にフィリピンで壊滅した。
そういう意味でも、私とは大変縁のある部隊・・・・
著者が指揮する戦車部隊は「島田戦車隊」と呼ばれ、このマレー作戦の戦史の中でも有名・・・・
今度、マレーシアとシンガポールの戦跡を訪ねる旅に出るので、事前勉強のため読んだ。
いわゆる“勝ち戦”の時の日本の戦車の活躍の話・・・・
「島田戦車隊」が進撃した場所も通る予定なので、現地に行くのが大いに楽しみとなった。



今年の読書:30冊目



読書 | 10:43:25 | Comments(0)
それは古本ですよね?
妹達が早朝に東京に向って帰って行った・・・・
入れ替わりに、大学生の姪っ子が東京からやって来た。(笑)

みんながいなくなり・・・急に寂しくなったが、姪っ子が入れ替わりに来てくれたのでよかった。(大笑)

で・・・一緒に本屋に本を買いに行く。

と・・・・
最近の本屋は、わざわざ椅子まで用意して“立ち読み”(正しくは、“座り読み”か?)をさせているのである!
ちょっと考えられないんですけど・・・・
ここは図書館じゃないよね?
他人が、じっくりと読んだ“手垢のついた”本を、定価で売るっていうのは、どういうことだ?
手垢が付いているんだから、それは「古本」ではなかろうか?
それを定価で売るとは、客に対して失礼ではないか?(怒!)

買わない奴を優遇して、本を買う客を冷遇しておる!(怒)
おかしくないか?
「顧客サービス」の認識が間違っているんじゃないか?
椅子まで用意して立ち読みをさせることは「顧客サービス」か?
そもそも、この立ち読みしている連中は「顧客」かね?

こういうことに疑問を持たない本屋というのは間違っているんじゃないのか?

手垢の付いた本は、2~3割値引いて売れよ!!
それなら許してやる!

日記 | 18:25:31 | Comments(0)
ハッピバ~スディ~!
今日は、アンディーに魚釣りを経験させようということで・・・・山の中にある釣堀に連れて行く。
ここは、姪っ子たちが小さいころによく連れて行った場所・・・・
東京から孫達が遊びに来たら、どこへ連れて行ってやろうかと、母と一緒にドライブがてら走り回って見つけた釣堀である。
もう、10年ぐらい来ていないんじゃなかろうか?
久しぶりの訪問である。

以前は、ほとんどお客さんの来ない釣堀だった・・・・
そりゃ、そうだ・・・・車1台がようやく通れるという狭い道を走って向う、山奥の辺鄙な場所なんだから・・・・(笑)
しかし、今日は大混雑!!(唖然)
口コミで広がったんだろうなぁ~・・・・家族連れのすごいこと・・・・

姪っ子は、この釣堀で飼われていた犬が好きで、よくチョッカイを出していたが、その犬がいない・・・・
そのことを、チラリと話したら、釣堀の女の子が、姪っ子を覚えていてくれていて・・・・
「あ~!よく遊びに来てくれていた・・・うちの犬を可愛がってくれてた・・・あらぁ~大きくなってぇ~!」と驚いた。
いや、いや、うちの姪っ子を憶えてくれていたことのほうが、こちらとしては驚きますが・・・(笑)
以前の犬は、もう死んでしまったそうだ・・・・

さらに驚いたのは、この釣堀の女の子・・・・
今ではアメリカ人と結婚して、子供も一人いるという。
「うちの主人は、いま畑仕事に出ているんですよぉ~」と笑う。
へっ?アメリカ人のご主人が・・・・畑仕事をしてるの?(笑)
というわけで、彼女は英語が話せるので、アンディーと英語で会話・・・・
あらら・・・こんな山奥で・・・英語がペラペラと・・・会話が弾んでいる・・・(笑)
傍で見ていて楽しい・・・(笑)
10年程前には、こういう風景を想像もできなかったし・・・
母が生きていて、この場にいたら驚くだろうなぁ~(大笑)
すぐちかくで、ヨチヨチ歩きのハーフの男の子が、母親の手伝いをしているつもりなのだろう・・・・
お客の間をあっちに行ったりこっちに行ったり・・・・一応、接客のつもりらしい・・・(大笑)
なんとも可愛い・・・・

10年なんてあっという間である・・・・
で・・・進歩していないのは拙者だけか・・・・
相変わらず、姪っ子が釣った魚から釣り針を外すのは拙者の“仕事”である・・・・(大笑)
10年前も、こればっかりやっていたんだよね・・・俺・・・・(涙)

釣った魚は、その場で焼いてもらって食べる。
う~ん・・・・うまい!!(大喜)

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帰りは、わが町の市内を案内・・・・
さぁ、これが大変である。
わが町のことを英語で説明しなくてはならないのである!(大笑)
だいたい、こういうことは、日本語でも知識がなければ説明は無理・・・(笑)
で・・・関連するボキャブラリーも憶えていなければ・・・無理・・・(笑)
こうなることは、想定していたので、昨晩のうちに、だいたいの英単語は一夜漬けで覚えておいたが・・・(大笑)
問題は、一夜漬けで覚えた英単語がなかなか思い出せないところである!(大笑)
いやぁ~大変、大変・・・・

わが町は、鉱山から発展した町である。
で・・・「鉱山」は英語でいうと・・・・「マイン」である。
銅鉱山だから・・・カッパーマイン・・・である。
一応、調べておいた・・・(大笑)

「大煙突はいつ出来たんだっけ?」と妹・・・
「1915年!」・・・・これも調べておいた・・・・(笑)

「かみね動物園にはキリンもいてね・・・・あ・・・お兄ちゃん、キリンって英語でなんていうんだっけ?」と妹・・・・
アホか!・・・・キリン?・・・どうしてそういう想定外の話を持ち出すのかねぇ~(大汗)
動物園の動物の名前まで調べているわけねぇだろ・・・(怒)

夕食は、アンディーが自国ハンガリー料理を作ってくれた!!(大喜)
ハンガリー料理って初めて食べるぞぉ~・・・・
写真を撮らなかったのが大失敗である!(大涙)
う~ん・・・おいしかった!

で・・・本人は完璧に忘れていたのだが、今日は拙者の誕生日であった!(大笑)
夕方になってから・・・・あれ?・・・・今日は何日だっけ・・・・で、気がついた。
マヌケである。
皆から、ハッピバースデートゥーユー!・・・の歌を歌われると、恥かしくて仕方なし・・・
あのね・・・もう・・・・あれ?・・・・俺は今年何歳になるんだっけ?・・・・
え~と・・・・54歳?
54歳なんだからさぁ~・・・もう少しお静かに・・・・(大照)
今年の“誕生会”の人数が多いので・・・(大笑)、今年はケーキが2個!(大喜)
しかし、これまた写真を撮るのを忘れた!(大泣)

今年の“お誕生会”は・・・また一味違った誕生会で、いやぁ~嬉しかった。
妹や姪っ子たち、アンディーにも感謝である。
アンディーは、お客様のはずなのだが、もう随分前から良く知っているような感じで・・・・
我が家にいても違和感がない・・・(大笑)
昔から我が家の一員でしたよね?・・・・という雰囲気の子である。(笑)

そういう雰囲気を持った子だから、親父も安心したのか・・・・部屋から出てきて“団欒”に加わる。
昨晩とは打って変わって・・・・(大笑)
無口な親父が、なぜか一生懸命、昔のゴルフの自慢話・・・
「おい、通訳しろ!」
「へぇ?」(大汗)
「俺は昔、若い頃にはアルバトロスをやったんだぞぉ~すごいだろ?」と言う。
「アルバトロス」なんて、妹も姪っ子たちも意味不明・・・(大笑)
ゴルフのルールの解説からしなくてはならなくなった・・・(大涙)
しかも、日本語と英語で・・・・
何でお祝いされる側の拙者がこんなに疲れなくっちゃならないんだ?(大泣)
親父はアンディーが気に入ったらしく、話をやめない・・・・(大笑)
ズ~ッと話し続ける・・・・
お~い!いい加減にしてくれぇ~!!
皆で大笑い。
いやはや、久し振りに楽しい「家族団らん」である。

こうなると、来年の誕生会がどうなるか・・・・
いわゆる「重兵様ご生誕55周年記念祝賀パーティー」のことですが・・・・(大笑)
来年が急に寂しくなったら嫌だなぁ~
人間というものは、欲深いものである。(大笑)

日記 | 15:23:48 | Comments(2)
『陸軍中野学校秘史』
陸軍中野学校秘史 (DIA COLLECTION)陸軍中野学校秘史 (DIA COLLECTION)
(2013/11/21)
斎藤充功、歯黒猛夫 他

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【入門】 陸軍中野学校とは

帝国陸軍情報戦史

ソ連極寒の地で消息を絶った
初代所長秋草少将の封印された最期
     日本のスパイマスターと呼ばれた男~秋草俊の生涯~
     発掘!秋草少将の名刺

天皇の金塊と小野田少尉
     小野田少尉の本当の任務とは?
     謎を呼ぶトランクの中身
     マルコス大統領との接見の真実は?
     地図の解読を巡る点と線
     消えた天皇の金塊

スーパードライと中野学校
     中野学校卒業生が関わったビール開発
     「辛口」を模索する
     あらゆる分野で活躍した卒業生たち

登戸研究所と幻の“ヤマ機関”
     高度なスパイ戦を可能にした登戸研究所製の秘密道具
     最前線以外でも遂行された中野学校OBたちの遊撃戦
     日本で唯一の極秘防諜機関“ヤマ機関”のスパイ戦とは?
     対ソ連との熾烈なスパイ戦 ゾルゲ諜報団を一網打尽に

北朝鮮籍の中野学校卒業生
金山正治は平壌で諜報活動に関与していた

スパイ戦士育成カリキュラム
     奇妙なテストで試された情報処理能力と記憶力
     甲賀流忍術からスリの技までスパイ戦士養成の驚愕授業
     高度なスパイ戦を戦い抜いたインテリジェンス戦士たち

中野学校と沖縄戦
     正確な状況分析から知り得た祖国の苦境

極秘文書『陸軍中野学校破壊殺傷教程』を読み返す

私の父はいったい誰?
     戸籍を抹消されて生き抜いた「清水正」

「杉工作」の全貌
     「アンドレアス作戦」の日本版として計画された対中国の「法幣偽造作戦」
     国家の技術の粋を集めて偽札の製造に着手した日本経済謀略作戦
     「音のしない戦争」という新たな戦略を予見させるオペレーションだった

五丙会の卒業生が作成した貴重なアルバム

戦後最大の未解決事件ー下山事件
実行犯は中野卒業生!
     真相を知る人人物が秋田にいます。卒業生から衝撃の情報を得た
     大山(仮名)ははっきり「暗殺チームの一員でした」と口を開いた
     大山は人生を回顧する上で今、回想録をしたためている

米軍の謀略事件に関与した中野学校の出身者たち
     極東地域の諜報活動を担ったキャノン機関
     キャノン機関に旧日本軍の特務機関員を引き入れる
     米軍にスカウトされた中野学校の出身者たち

マレーの虎 ハリマオ物語
     マレー作戦のために設立された特務機関
     神本の真摯な説得と苛酷を極めた谷の半生
     F機関の諜報員として対英工作に奔走する

独占入手! 中野学校新史料「小松原日誌」
     連合国軍に挑んだ遊撃戦
     戦局悪化と敗北の厳しい現実
     南方戦線と秘密戦のエキスパート
     “実験”も担ったマルチな諜報組織
     “戦術のプロ”による実戦の記録

日本軍諜報工作員たちの戦後 特務機関蘇る“陰の部隊”
     戦後の大事件で囁かれる諜報機関
     日本軍の“陰の部隊”特務機関とは
     中米のダブル工作員になった中島
     毛沢東暗殺を命じられた日高機関
     松川事件と毛沢東暗殺計画の挫折

映画で知る陸軍中野学校の世界

秘密戦の実像を読む 陸軍中野学校ブックガイド



このような諜報関係の話というのは、そうそう明らかになるものではないし、明らかにすべきものでもない。
もし白日の下に曝されるようであれば、それは“失敗”した場合だけである。
成功した話は間違っても公にはならないし、公にしてはならない。
陸軍中野学校は戦時中の話だから・・・・といっても、同様だろう。
その中で、そこそこの話が表に出るわけだが、どうしても「~かもしれない」「~のようだ」「~らしい」が多くなる。
本書も同様だが、それは性質上やむを得ない話である。

あまり詳細な話が表に出るとなると、陸軍中野学校の伝統や精神は、現在に引き継がれていないのではと逆に不安になってしまう。
現在の対諜報戦に、大いに引き継がれ、誰も知らない水面下で大いに活躍していることを期待すればこそ、あまり公にはして欲しくないという気もするというジレンマに陥る。(笑)

興味深い記事は、「下山事件」・・・・
昔から私が気になっている事件だが・・・・
この記事については・・・この話・・・・どうなんだろう?
正直言って、首を傾げてしまう話である。
解決されることのない事件のまま・・・で終わる気がする。



今年の読書:29冊目



読書 | 01:52:22 | Comments(0)
大掃除!!(涙)
今日は朝から家の中の大掃除!
妹達がやってくる・・・・
妹だけなら、別に掃除なんかする必要もないのだが・・・・
外国人のお客様が一緒だとなると、そうもいくまい?(笑)

旅の疲れがまだ残っているというのに・・・・(大笑)
朝から大掃除・・・・
しかし、全然捗らない・・・・
拙者がやることだから当然である。
半日ぐらいで、ささっと終る程度の散らかり具合なら、特別掃除をすることもないのである。
その限界を超えるほどの(大笑)散らかりようだから大変なことになっているわけで・・・・(大笑)

結局・・・・諦めた!!(大笑)

布団を敷いて寝ることができればいいよね?(大笑)

夜、妹達が到着・・・・
親父は外国人のお客様に緊張して部屋から一歩も出ず、閉じこもったまま・・・・(大笑)
拙者は、シドロモドロの英語を振り回し・・・・(大笑)・・・・ご接待・・・・
帰国早々、疲れるんだよねぇ~・・・・・こういうの・・・・(大笑)

日記 | 10:24:52 | Comments(0)
『あゝ海軍特年兵』
あゝ海軍特年兵―ある青春の死線彷徨 (光人社NF文庫)あゝ海軍特年兵―ある青春の死線彷徨 (光人社NF文庫)
(1996/03)
井上 理二

商品詳細を見る


はじめに

第1章 海へ巣立つ
       入団前
       旅立ちの日
       殴打の罰則
       最初の面会
       カッター訓練
       原村演習
       艦務実習
       無法松と眠り松

第2章 俺は死なない
       初航海
       スコール
       半舷上陸
       Uボート
       逃避行
       赤い腰巻
       俺は死なない

第3章 「磯風」と共に
       異国の町で
       ある慰問袋
       「武蔵」被雷す
       マニラへ
       艦上の挿話
       孤島にて
       三艘のカヌー

第4章 戦いすんで日が暮れて
       水葬の朝
       長い戦闘
       暗黒の海

第5章 悲憤の海にて
       「大和」の護衛
       珊瑚礁の島
       南十字星
       「武蔵」の最後

第6章 花は桜木、人は武士
       「信濃」の沈没
       行水と洗濯
       油槽船の死
       生から無へ
       眠れぬ夜
       落日の呉で
       惜別のとき

第7章 菊水の旗の下に
       死出の旅路
       壊滅



海軍の志願兵というのは、16歳以上を適格者としていたそうだが、戦局の悪化により、その適性年齢が引き下げられ、数え年で14歳以上、16歳未満の志願兵を認めることになったという。
これらの兵を「特別年少兵」(略して「特年兵」)と言う。
14歳と言ったら・・・・中学2年生ぐらいか?
本来は3年間の教育期間だったが、それも半分に短縮され、結局、15歳程度で戦場に送り込まれることとなる。
今で言えば、中学3年生か高校1年生・・・ということになるか?
こういう少年までも戦場に送り込まねばならない“戦争”とは何か・・・・
戦争をするかしないかは“年寄り”連中が決め、弾が飛んでくるところには“若者”が送り込まれるのである。
理不尽だよなぁ~
ジジイ同士で殺し合いをすればいいものを・・・(笑)
15歳の少年を戦場に送り込んで無残な死に方をさせるんだから、これは“犯罪”ではなかろうか?

著者は駆逐艦「磯風」に配属となった特年兵・・・・
その体験記である。



今年の読書:28冊目



読書 | 23:01:13 | Comments(0)
クタクタです・・・・
殆ど睡眠もとれずに帰国してクタクタだというのに・・・・
なんと!
妹が明日、我が家に来るという。
しかも・・・ハンガリー人のアンディーを連れて来るそうで・・・(汗)
しかも、しかも・・・・我が家に宿泊するという!!(ゲゲッ!)
とてもお客様にお泊り頂くような家ではない・・・(大笑)
あっちもこっちもゴチャゴチャで・・・・

あのねぇ~・・・・・
拙者はクタクタなんですけど・・・・(大涙)

思いつきで、いろいろやられるのって、正直言って迷惑なんですけど・・・(大涙)
前もって言ってくれないとねぇ~・・・・・・

ダメだ・・・とてもじゃないが、掃除なんて出来ない・・・
明日、適当にやって誤魔化そう・・・・(大笑)

日記 | 20:44:02 | Comments(0)
無事に帰国いたしました!
お知らせいたします・・・(誰に?)(笑)

オーストラリアを離陸後、途中で行方不明になることもなく・・・

無事に成田空港に着陸いたしまして・・・帰宅いたしました!

正直言って・・・寝不足で頭がクラクラしておりますが・・・

またまた、ボチボチと、ブログを更新していきます・・・(笑)

報告終わり!

日記 | 17:42:58 | Comments(0)
寝不足で帰国
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郊外の陸軍基地から町のほうへ戻り昼食・・・
それにしても、町から一歩郊外へ出るとこの景色である。
大草原・・・・・
これって、誰か持ち主はいるのかね?

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町の中に入り、メインストリートから一本横に入ったところにあるイタリアンレストランで昼食。
時刻は午後2時・・・・

609_convert_20140701144839.jpg (レストラン)

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昼食後、『戦争慰霊館』に向う。

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ウ~ン・・・正直言って、もうどうでもいい・・・(大笑)
拙者としては、戦車博物館で全精力を使い果たしてしまったのである。(大笑)
他のものには、もう興味も何もない・・・(大笑)

時間に余裕があったので、当初の予定にはないが『ビクトリア・バラックス』に立ち寄ろうかという話が持ちあがった。

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この建物が、1939年から1945年まで「オーストラリア戦時内閣」が置かれた場所・・・・
残念ながら敷地内への立ち入りは禁止とのこと。
ここにはフィリピンから“逃げた”マッカーサーが“住んでいた”と、誰かが言っていたけど、それは違うだろう。
ここはオーストラリアの戦時内閣事務所だし・・・・マッカーサーは米国の軍人なんだから・・・・(苦笑)
多分、ここでの会議に出席したことがある・・・と言う程度ではなかろうか?
“論客”の大先生がマッカーサーについて尋ねたらしいが、ここの関係者からは知らないとの回答・・・
「マッカーサーを知らないのか?」と呆れていたが・・・
マッカーサーと言えば、我々日本人にとっては著名な米軍人だが、さて、オーストラリアにとってはどういう位置にあるか・・・
単なる米軍人の一人・・・・程度かも・・・・
マッカーサーを知らないことを、あざ笑う態度のほうがおかしいかもね。(笑)

時刻は午後4時・・・・空港へ・・・・

午後6時30分発のカンタス航空460便でシドニーへ向う。

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午後8時頃、シドニー空港に到着し、今度は国際線に乗り換え・・・・
午後9時半発のカンタス航空021便で成田空港へ向かう。

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夜の11時ごろに機内食が出る・・・・
こうなると、この機内食は夕食なのか、何なのか、さっぱりわからん・・・・
国内線で出たのが「夕食」で、この国際線で出たのは「夜食」なのか?(笑)
そんなことを気にするのは、拙者くらいか?(大笑)

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日付が変わって5月2日午前4時(日本時間)・・・・朝食が出る。

機内食のサービスも結構だが・・・・これでは寝ている時間がない!!!(怒)
ウトウトし始めると食事で起こされ・・・・(涙)
完璧に睡眠不足である。

午前6時過ぎ、成田空港に到着・・・・
頭は・・・ボ~ッ・・・・(大笑)

旅行 | 16:38:10 | Comments(0)
戦車!戦車!(大喜)
今日は、これから、郊外にある「オーストラリア陸軍戦車博物館」へ向う!(大喜)
ここには、我が日本陸軍の軽装甲車と中戦車が展示されているはず・・・・
是非、ここはじっくりと見学したい!!

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移動中の景色をバスの車内から写す・・・・

移動中、作家先生の“ミヤザキさん”が「戦車博物館?そんなところへ行く必要ねぇだろ!」とグズグズ言い出した・・・(笑)
やっぱり予定変更の元凶は“ミヤザキさん”だな・・・・(大笑)

そもそも、ツアー旅行というのは、日程表があって、それを見て、どこに行くのかによって、そのツアーに参加するかどうかを決めるのであるから・・・
当初の予定を、現地に来てから、そうそうひっくり返されたのでは困るのである。
今回は、博物館訪問が多いので拙者は参加を決めたわけですから、その博物館訪問をキャンセルされたのでは、このツアーに参加した意味が無い。
自分が行きたくないところばかりに行くツアーなら、最初から参加しなければいいわけで・・・(大笑)
参加しておきながら訪問場所にケチをつけられたのでは困る!
これは、相手が立派な「作家大先生」であろうと「論客」であろうと、拙者は一歩も譲れない。(大笑)
たとえ・・・昨晩の夕食をご馳走になっても・・・・である。(大笑)
ダメなものは絶対ダメ!(大笑)
行くぞ!絶対、行くぞ!(大笑)

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513_convert_20140623153216.jpg (消防署)

時刻は11時20分・・・・
ホテルを出発して2時間弱で陸軍の基地に到着・・・・
この基地の中に「戦車博物館」はある。
が・・・・
基地の周辺、基地の敷地内は撮影禁止!
博物館の建物の前でカメラを取り出して構えていると怒られそうなので、博物館の建物の撮影も遠慮した。

博物館は小さな建物で、ショーケースの中に雑多な展示物・・・・
結構、日本軍のものが保管されていたのには驚いた!(大喜!)

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珍しいところでは・・・・これなんか、珍しい・・・・

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この箱に入っているのは、説明文によれば、戦車の暗視装置とのこと。
1945年にニューギニアのラバウルで日本軍の中戦車から見つけたということである。
中戦車ということなら、九七式中戦車だろう。
当時の日本軍にも暗視装置なんてあったのか?
「ジャップ・タンク(日本の戦車)」という表記・・・日本を蔑視した「ジャップ」の文字は、チョット気に入らないなぁ~(怒)
「ラバウル」のスペルが間違っているのは愛嬌か?(大笑)

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この筒のようなものは、八九式重擲弾筒(てきだんとう)・・・・・
専用の八九式榴弾を遠くに飛ばす、簡単に言うと、携帯式の迫撃砲と言ってもいいかな?(笑)
説明文によると、ニューギニアの「ミルン湾の戦い」で1942年8月27日に入手したという。
「ミルン湾」は東部ニューギニアにある湾で、連合軍は「ミルン湾の戦い」と称しているが、日本軍はミルン湾のラビというところで戦ったので、「ラビの戦い」と呼んでいる。
1942年は昭和17年・・・・
日本が進撃していた時のことで、日本海軍の陸戦隊が、このラビというところにある連合軍の飛行場を攻撃するため、ここに上陸し攻撃をかけたが、結局は占領できずに退却したという戦いである。
この時の敵はオーストラリア軍と米軍・・・・オーストラリア軍がこれを持ち去ったんだろうなぁ~(大笑)

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この「円盤」のようなものは、日本軍の九三式地雷である。
説明文の英文は拙者の能力では解読の限界を超えちゃっていて苦労するのだが・・・(大泣)
え~と・・・・・・
37ミリ対戦車砲の近くに撒かれて、対戦車砲と共に戦車のキャタピラを破壊したり、操縦不能にしたり、というようなことを、この地雷はしたんだよぉ~ってなことが書かれているようである。(大汗)
あ~参った・・・もっと英文はシンプルに書いてくれ!(大涙)

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これもまた珍しいものだと思う。
ちょっと見づらいが・・・・日本軍の小銃の先に空き缶のような筒がくっ付いている。(笑)
説明板が見当たらないのだが、これは多分、「一〇〇式擲弾器(てきだんき)」だと思う。
この筒に九九式手榴弾を入れて、銃を撃つと、手榴弾が遠くに飛ぶというものである。
人間が手で投げるよりは遠くに飛ばせる。

さて、ここでの見学時間は1時間15分・・・・(笑)
あまりショーケースの中ばかりを見ているわけにも行かない・・・・
早く戦車を見に行かねば・・・・

我がツアーの参加者の姿が殆ど見えなくなった・・・・(汗)
またもや、拙者一人か?(大笑)

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屋外の戦車展示場へ向う・・・・

「もういい加減、そのくらいにして、終りにしないか!」と後ろで声がする。
振り返ったら、作家先生の“ミヤザキさん”である。
我がツアーの参加者のほとんどは、早々と見学を終えてバスに戻ってしまったのか?
ちょうど、添乗員の“アサダさん”が拙者と一緒にいた・・・・
「戦車を見ずに帰るわけにはいかないですよね?」(笑)
「当然ですよ!僕は戦車師団の戦友会の事務局長ですよ!!これを見ずに帰れますかって!」(笑)
「ですよね・・・・」(笑)
「見学時間は1時間15分ですよね?絶対、時間ギリギリまで見学しますからね!!」(笑)
“ミヤザキ先生”は、もういい加減にしろよとばかりにイライラしておられたようだが・・・・
無視!!(大笑)
申し訳ないけど・・・・無視させていただく。(大笑)
そうそう“団塊の世代”の我がままを聞くわけにはいかない!!(大笑)

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展示場の隅っこに日本軍の戦車が!(喜)

手前にあるのは、九七式軽装甲車・・・・

570_convert_20140623221918.jpg (九七式軽装甲車)

これは、「装甲車」・・・・「戦車」ではない。(笑)
2人乗りだが、日本軍としては「豆戦車」としての扱いを受けていたようである。
主に捜索連隊(むかしの騎兵連隊)に装備されていた。
拙者の祖父は捜索連隊の連隊長だったので、この装甲車にも親しみが湧く。
祖父が満州から台湾を経てフィリピン防衛に向かった時、「戦車を全部、他の部隊に持って行かれた」と言っていた。
戦車(多分、この装甲車のことだと思うが)は他の部隊に差し出すように命令されたのだろう。
この装甲車には、大きく2つのタイプがあって、機関銃を装備したものと、大砲を装備したものがある。
ここに展示されているのは大砲を装備したもの。
残念ながら、説明板がどこにもないので、入手の詳細等はわからないが・・・・
多分、ニューギニア方面で鹵獲したのではあるまいか?

後ろにあるのは、「九七式中戦車改」である!

539_convert_20140623223031.jpg (九七式中戦車改)

九七式中戦車には2種類ある。
当初の型は、砲身の短い57mm砲を搭載したものである。
この57ミリ砲型の九七式中戦車は靖国神社の遊就館に展示されている。
後期には砲塔部分を改良し、一式47ミリ対戦車砲を搭載したものが出来た。
「47ミリ搭載型」とか「九七式中戦車新砲塔型」とか、「九七式中戦車改」とかと呼ばれている型である。
ここに展示されているのは、この改良型の九七式中戦車。
乗員は4名・・・・
2名乗員の九七式軽装甲車より、当然、車体が大きい。

この九七式中戦車改は、我が戦車第2師団の戦車第7連隊に装備されていたものと同じ型である。
というわけで・・・戦友会事務局長である拙者としては是非お会いしたかった戦車なのである!!(大喜)
写真を撮って会報に載せなくては・・・・(笑)

この戦車にも説明板は設置されていなかったので、詳細は不明であるが・・・・
多分、ニューギニア・・・・ラバウルあたりで鹵獲されたものではなかろうか?

運良く、これら装甲車、戦車の内部の撮影も出来た!(大喜)
通常、こういったものは、内部がかなり破壊されて何も残っていないのだが・・・・
想像以上に状態がいい!
操縦席などもちゃんと残っている!!(大喜)
が・・・・
ここには、その写真は掲載しない!
なぜなら、最近、マナーの悪い奴が多いのである!
無断で写真をダウンロードしてパクる輩がいるのである。
その写真をちゃっかり自分のホームページやブログに載せている奴もいる。
そういう奴に限って連絡先のメールアドレスを開示していないから、抗議もできない・・・・
以前にも、拙者の撮影した写真を無断で使用されたので・・・・
この貴重な車内の写真だけは、ここには掲載しないことにした。(怒)

どうしても見たい人は・・・・
我が戦友会に賛助会員として入会して、年会費を払い、会報を手にするか・・・(笑)
自分で何十万円もの金を払ってオーストラリアまで行って見て来るか・・・・(大笑)
この2つしか方法はない・・・・です!・・・・(大笑)

日本の戦車は小さいというが・・・・
近くで見ると、結構、頼りがいがあるように見えるんですけど・・・・(笑)
そんなに悪くないじゃないか?・・・・日本の戦車だって・・・・と思ったが・・・・

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隣りのオーストラリア軍の軍用車両と比較すると・・・・やっぱり、かなり小さいか・・・・
う~ん・・・・こういう置き方って・・・どうだろう?
日本軍の戦車が非常に貧弱に見えちゃうんですけど・・・・(涙)

ここで大失敗したことに後で気がつく・・・・
戦車と一緒に記念写真を撮るのを忘れた!(大泣)

見学に与えられた時間はまだあるが・・・・
ここにある戦車や装甲車等の軍用車両を全部見学するのは無理・・・・
これもまた、ジックリ見るなら個人的に来るしかあるまい・・・(大涙)

敷地内をササッと見ながら駆け回っていたら・・・・(大笑)
あれ?
もしや・・・・
近づいてみたら、やっぱりそうだ・・・・「一式機動47ミリ砲」である!!

589_convert_20140623230942.jpg (一式機動47ミリ砲)

この砲は太平洋戦争の中期以降から使用された日本陸軍の対戦車砲である。
特徴のある防盾が失われているが・・・・砲身を見て気がついた・・・・(笑)
こうなると、マニアックだよなぁ~(大汗)

砲身には刻印が刻まれていたが、不思議なことに、本来の刻印の上に更に日本語の刻印がされている。
なんで、そういうことをしたのだろう?
「53ほ」という文字が上から刻印されている・・・・
これは、歩兵第53連隊(鳥取で編成)という意味だろうか?
この部隊はラバウル方面にいた部隊なので・・・・
もしかしたら、この部隊の砲かもしれないなぁ~

この博物館には、ミュージアムショップというようなものはないらしく・・・・
何か戦車に関する資料がないものかと探したが、残念ながら何もなかった・・・・(大涙)

予定の時間をタップリと有意義に使ってバスに戻る。
ほとんどの人達は、すでにバスに乗り込んでいて、憮然としていた・・・・(大笑)
ん?遅刻なんてしていませんからね!(笑)
予定通りの時間ですからね!!(大笑)

今回のツアーに参加した理由の一つは、この戦車博物館の見学が含まれていたからである。
九七式中戦車改が見られて本当に良かった!!(大喜)
この気持ち・・・・誰にもわかるまい・・・・

旅行 | 14:49:42 | Comments(0)
朝のお散歩
朝食後、出発までかなり時間があるので、一人で散歩に出かける。(笑)
時刻は午前7時45分・・・・

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向かったのは・・・駅!!(大笑)
昨晩のライトアップされた駅舎もいいが、朝日を浴びる駅舎もなかなかいい・・・
ここを見学することとする。

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469_convert_20140622190832.jpg 470_convert_20140622190926.jpg

(駅の構内)

いいなぁ~こういう駅・・・・

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改札口の機械・・・・日本のものよりデカイ気がする。(笑)
背が高いし・・・これ、カードとかタッチしづらい気がしますが・・・・(笑)
外人は背が高いから、これでいいのかな?(大笑)

同じようなことを考える人はいるもので・・・・
添乗員の“アサダさん”も、この駅に写真を撮りに来ていた・・・(笑)
「いいですよねぇ~こういう建物!」と意気投合・・・・
一緒に駅周辺を散策することになる。

475_convert_20140622192149.jpg (駅とホテルの間の通り)

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正面玄関以外にも、この駅には何箇所も改札口がある。
これも、その一つ・・・・
日本で言えば・・・「東口」とか「西口」とかという改札口かな?

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こういうデザイン・・・・好きだなぁ~(大喜)
いくら見ていても何故か飽きない・・・・(笑)

483_convert_20140622193122.jpg (拙者が泊まったシティゲートホテル)

ホテルの向かい側をそのまま通り過ぎ、線路沿いに歩いてみる。

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線路の下は赤煉瓦の高架(?)・・・・
こういう赤煉瓦のガード下(?)というのもいいなぁ~
東京のどこかに似てるな・・・・
昔、鉄道博物館があった秋葉原とか・・・・?

「線路の下をくぐって向こう側にいって見ますか!」
二人で行動となると、結構勇気が出るもので・・・・(大笑)

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線路の下をくぐって向こう側に出る。

駅の反対側には川が流れていて、その向こう側はまた違った雰囲気の景色である。
あら・・・・こういうのもまたなかなかいい・・・(喜)

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この橋・・・・
なんか形がおかしい・・・(笑)
うねっていると言うか、なんというか・・・・
よくこの橋を渡れるものだ・・・見ているだけでクラクラしそうなんですけど・・・・(笑)

さて・・・問題は、ここからどうやって向こう側に戻るかである・・・(大笑)
どこかに「連絡通路」のようなものがあるんじゃないか?・・・・と探してみたら・・・・あった!
地下道を通ると、向こう側に出るらしい。
一人では、ちょっと不安で通りたくないが・・・・(大笑)・・・・同行者がいると勇気が湧いてくるから不思議なものである。(大笑)

地下道から出てきたら・・・・あら・・・・道の向こう側に我がホテルが見える!
あ~この改札と繋がっていたのか・・・・
“冒険小旅行”は、これで終り(笑)・・・・ここで、“アサダさん”と別れて拙者は別行動を取る。

499_convert_20140622200014.jpg (通勤客の列?)

501_convert_20140622200119.jpg (フリンダース・ストリート駅)

時刻は午前9時・・・・まもなく出発の時間である。
急いでホテルに戻り、チェックアウトする。

旅行 | 10:54:24 | Comments(0)

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