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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『カウラの風』
カウラの風カウラの風
(2004/01)
土屋 康夫

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プロローグ
 サクラアベニュー
 カウラ事件
 歴史教育
 墓地の前
 再びサクラアベニュー
 インタビュー

第1章 文明国の物差し
 広島の病院
 最期の約束
 初対面
 生い立ち
 食い扶持を減らす
 大阪へ
 臨時召集
 出征兵士
 太平洋戦争
 初めての戦場へ
 マニラでひと目ぼれ
 南太平洋
 ラバウル
 戦況悪化
 ガダルカナル島の敗北
 ガロベ島の守備
 生死をさまよう
 敵の野戦病院
 捕虜の取り扱い
 文明国の物差し
 偽名
 オーストラリアへ

第2章 連合軍カウラ第12捕虜収容所
 連合軍カウラ第12捕虜収容所
 羊の国の赤い服
 収容所の生活
 苦悩の日々
 民主的運営
 密告
 フェザーストーン事件
 出頭命令
 暴動命令

第3章 キャンプリーダーの苦悩 
 常陸の国
 初対面
 カウラ事件の発端
 ダンピールの悲劇
 漂流
 ブナ近くの海岸に潜む
 ポート・モレスビーの野戦病院
 オーストラリアへ
 キャンプリーダー
 守備隊との交渉

第4章 人間らしく生きる
 60年ぶりに再会
 生きる意味
 暗転
 生い立ち
 大空にあこがれて
 偵察飛行隊員
 偵察
 予期せぬ空中戦
 沈む愛機
 水葬
 島が見えた
 囚われの身
 ダーウィン空襲
 偽船員
 捕虜2-6号
 飛行機の破片
 父親を語る
 跡取り息子
 ヘイ収容所
 収容所暮らし
 生きる希望
 抑留者交換船
 カウラキャンプの初期
 日伊交流
 増える捕虜
 新米教師
 入隊
 南太平洋
 捕虜
 カウラ
 暴動の年

第5章 長い夜
 長い夜
 満月の下で
 死から生へ
 広野をさ迷う

第6章 慈愛の母
 証言者
 暗転
 二つのキャンプ
 何も知らない一家
 母の生き方
 カウラ事件40周年
 シンポジウム
 語り継いで

第7章 生かされて
 生への執着
 裁判
 ヘイ収容所
 気になる戦況
 本国送還
 故国の土を踏む
 涙の復員列車
 再出発
 浅田四郎さんの復員後
 津和野を訪ねて

第8章 日豪の懸け橋
 日豪友好のシンボル
 市長の執念
 設計者の思い
 立役者
 カウラを観光で売り出す
 第二期工事にかかわっって
 日豪友好の懸け橋
 慰霊の手助け
 桜並木

第9章 豪兵通訳の回想
 豪兵通訳の回想
 ハルビンで生まれて
 カウラへ赴任
 戦争花嫁

第10章 カウラ大学
 カウラ大学の卒業生
 グリン神父との出会い
 遺志を継いで
 日本へのあこがれ
 神の加護
 日本軍刀の返還

第11章 平和への祈り
 日豪合同慰霊祭
 学生たちのカウラ慰霊法要

エピローグ
 14年ぶりの再会
 シドニーのホテル
 豪州カウラ会慰霊祭

「カウラの風」によせて
 「カウラの風」出版に寄せて
 『負の遺産に学ぶ』
 カウラの風 参考文献



本書は、昭和19年(1944年)8月5日午前2時に、オーストラリアのカウラにある「カウラ第12捕虜収容所」で起こった日本人捕虜の暴動事件、いわゆる「カウラ事件」を取上げた、ルポルタージュである。

4月にカウラ捕虜収容所跡を訪問するので、事前に「お勉強」しようと思い、『暁の蜂起』に続いて、本書も読んでみた。
生還者の方の体験談のほか、当時のカウラ住民の証言、オーストラリア軍の通訳の方の話し、戦後の慰霊祭の話等々、非常に貴重なお話が満載である。

が・・・気になる点がいくつも現れてしまった。
『暁の蜂起』を先に読んでいたせいだろうと思うが、どうも納得できないモヤモヤとした気持ちに包まれてしまったのである。(大汗)
生還者の証言・・・
まさか故意ではないと思うが・・・多分、偶然だと思うが・・・
証言者のほとんどが「強硬派」と呼ばれていた人たちなのである。
『暁の蜂起』では、海軍に強硬派が多く、陸軍は穏健派が多かったことになっているが、こちらの証言では陸軍のほうに強硬派が多かったという話になっている。
一体どっちが本当なのか?(汗)

強硬派で、戦陣訓を持ち出して、みんなを扇動し、死に至らしめておきながら、死なずに(自決もせず)、生き残っている人の証言というのは、読んでいて何とも複雑な気持ちである。
『暁の蜂起』の著者を始め、穏健派と言われる主要人物はすでにお亡くなりになっているそうである。
そうなると、強硬派の生き残りの“独壇場”ということになる。

みんなを扇動して暴動を起こしておきながら、その首謀者は生き残っているのだから、なんとも複雑な気持ちである。
穏健派から「卑怯な行為」を指摘されるような人達のほうが、長生きしているのである。(汗)
世は不条理なり・・・か?

驚いたことに、この暴動のリーダーである団長が生存していて取材に答えている。
二人の副団長は、一人は暴動時に警備兵に射殺され、もう一人は首つり自殺しているのだが・・・
団長さんは生き残っていたとは・・・(汗)
しかも、この方は茨城県の大子町にお住まいだという。
同じ県人として、贔屓目に見たいところだが・・・それでもやっぱり素直には庇う気になれない・・・

穏健派にせよ、強硬派にせよ、多かれ少なかれ多少は自己弁護のためのウソをついていると思うが・・・
いずれにせよ、哀れなのは扇動されて、これに従って死んだ人達だろう。
いつの世でも、普段から威勢のいい事を言っている奴に限って、いざとなったら・・・という事例は多い。
今も昔も変わりはない・・・

この事件を「脱走」という言葉で表す人もいるようだが・・・
実態は「脱走」とは程遠い気がする。
明らかな「自殺行為」である。
『戦陣訓』をもちだし、「死ぬべきである」ことを訴えて、事に及んだわけであるから、目的は「死ぬ事」であろう。
ならば、それを提唱し扇動した者は必ず死なねばならぬはずである。
戦後も生き残っていること自体がおかしな話ということになる。
二度も読んだら、気分が悪くなり、もう読む気がしなくなった。

現地での慰霊・・・
どういう気持ちですべきだろう?
「よくやった」と褒めてやるべきなのか、「口車に乗ってバカだねぇ~」と哀れむべきなのか?
「慰霊」自体にも違和感を覚えざるを得ない。
国のため戦って死んだのなら、もしくは国の命令で死に至ることになったというなら、戦後生まれの拙者も、日本国民の一人として、子孫の一人としてお亡くなりになった方々を慰霊したいと思うし、慰霊すべきだと思うが・・・
これが扇動者に煽られた結果の「集団自殺」なら、慰霊をするのは我々ではなかろう?
煽った挙句、自分だけが要領よく生き残ったという人だけが、その罪滅ぼしに、謝罪の気持ちで死ぬまでやるべきものではなかろうかという気がしてならないのである。

この「カウラ事件」はなんともスッキリしない事件である。
すべてを『戦陣訓』のせいにしていいのだろうか?
それより「本当は賛成じゃなかったのですが・・・」というような言い訳が出てくることのほうに問題点があるのではなかろうか?
人間の弱さ、世間体を気にする弱さ・・・これは今の世でも日常茶飯事である。
この国が右傾化しようが左傾化しようが、扇動者はどこにでもいる。
盲目的にこれに従い命を落とすのなら、それは自業自得というものではなかろうか?
「軍国主義」で簡単に片付けるものではあるまい・・・

『暁の蜂起』や本書を読んでみたら、哀れではあろうが、自業自得の死者の「霊を慰める」という気になれなくなってしまった。
困った・・・本当に困った・・・



今年の読書:14冊目



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読書 | 01:37:45 | Comments(0)