■プロフィール

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

『広島城の近代』
img138_convert_20140409212846.jpg

広島城天守閣再建50周年記念事業
広島城の近代
財団法人広島市文化財団 広島城 編集
平成20年(2008)2月9日 発行

はじめに

変貌する広島城
 1.江戸時代の広島城
 2.写真に残された広島城
 3.軍事施設が置かれた広島城
 4.堀・堀川の埋め立てと広島市の近代化

軍隊と広島城
 1.明治初期の広島鎮台の軍事行動
 2.日清戦争
 (コラム)伯爵カメラマン亀井茲明が写した広島城
 3.日清戦争以降の第5師団の動き
 (コラム)広島城内の軍用犬

市民と広島城
 1.西練兵場で行なわれた様々なイベント
 (コラム)広島城を見た飛行機野郎
 2.広島城の日常の思い出
 (コラム)思い出の品々

広島城の壊滅

関連年表

掲載資料一覧

参考文献

展示協力者・奥付



今年の読書:16冊目



スポンサーサイト
読書 | 01:36:53 | Comments(0)
『広島城 総合案内』
img137_convert_20140301140446.jpg

『広島城総合案内』
平成20年6月1日発行
編集:財団法人広島市文化財団 広島城
発行:広島市市民局文化スポーツ部文化課

広島城の歴史
   古代の広島
   佐東の倉敷地・市
   中世の広島
   毛利氏の台頭
   毛利輝元の時代
   広島築城
   福島氏入国
   福島氏について
   正則の統治と城下町の整備
   福島氏による広島城普請
   福島氏の改易
   浅野氏入国
   浅野氏について
   広島藩の支藩
   浅野氏の統治
   浅野氏時代の広島城
   広島城、軍事拠点へ
   戦争の渦中で
   戦後の再建

広島城の展示 広島城の成立と役割
   広島城の規模と縄張
   広島城の成立
   広島城の石垣
   天守の特徴
   広島藩の政治と城内生活
     毛利氏の政治
     福島氏の政治
     浅野氏の政治
     知行制
     職制
     御殿の構造と役割

広島城の展示 城下町広島のくらしと文化
   城下町のくらし
     広島城下絵屏風
   武家の住まい
   商家の住まい
   広島城下の構造
   産業
   交通
     陸の交通
     海の交通
     川の交通
   祭
   教育・学問と文化
     藩学問所
     私塾・寺子屋
     頼山陽
   芸術・芸能
     文芸
     書画
     広島の工芸
     広島の芸能
     武芸
     医術
     茶道

広島城の主な収蔵品
   小早川隆景感状 (紙本墨書 戦国時代)
   広島全景図 (紙本墨画淡彩 江戸時代後期)
   春風 (浅野斉粛筆 紙本墨書 江戸時代後期)
   鴻漸 (頼筆聿庵筆 紙本墨書 江戸時代後期)
   大道 (頼春風筆 絹本墨書 江戸時代後期)
   寿老図 (浅野綱長筆 紙本淡彩 江戸時代中期)
   花鳥図押絵貼屏風 (岡岷山筆 紙本着色 六曲一双 江戸時代中期)
   牡丹双鳩図 (小倉武駿筆 紙本着色 江戸時代後期)
   馬印 (下地竹網代金箔塗 安土桃山時代)
   甲冑類
   刀剣類

広島城周辺の遺跡など
   本丸上段
     本丸御殿
     天守閣の礎石
     大本営跡
     昭憲皇太后御座所跡
     被爆樹木①クロガネモチ
     刻印のある石垣
     樋門
   本丸下段
     中御門跡
     裏御門跡
     中国軍管区司令部防空作戦室跡
     被爆樹木②マルバヤナギ
   二の丸(表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓)など
     表御門
     平櫓
     多聞櫓
     太鼓櫓
     馬屋跡
     塀
     被爆樹木③ユーカリ     
   
広島城関連年表



今年の読書:15冊目



読書 | 09:53:17 | Comments(0)
『カウラの風』
カウラの風カウラの風
(2004/01)
土屋 康夫

商品詳細を見る


プロローグ
 サクラアベニュー
 カウラ事件
 歴史教育
 墓地の前
 再びサクラアベニュー
 インタビュー

第1章 文明国の物差し
 広島の病院
 最期の約束
 初対面
 生い立ち
 食い扶持を減らす
 大阪へ
 臨時召集
 出征兵士
 太平洋戦争
 初めての戦場へ
 マニラでひと目ぼれ
 南太平洋
 ラバウル
 戦況悪化
 ガダルカナル島の敗北
 ガロベ島の守備
 生死をさまよう
 敵の野戦病院
 捕虜の取り扱い
 文明国の物差し
 偽名
 オーストラリアへ

第2章 連合軍カウラ第12捕虜収容所
 連合軍カウラ第12捕虜収容所
 羊の国の赤い服
 収容所の生活
 苦悩の日々
 民主的運営
 密告
 フェザーストーン事件
 出頭命令
 暴動命令

第3章 キャンプリーダーの苦悩 
 常陸の国
 初対面
 カウラ事件の発端
 ダンピールの悲劇
 漂流
 ブナ近くの海岸に潜む
 ポート・モレスビーの野戦病院
 オーストラリアへ
 キャンプリーダー
 守備隊との交渉

第4章 人間らしく生きる
 60年ぶりに再会
 生きる意味
 暗転
 生い立ち
 大空にあこがれて
 偵察飛行隊員
 偵察
 予期せぬ空中戦
 沈む愛機
 水葬
 島が見えた
 囚われの身
 ダーウィン空襲
 偽船員
 捕虜2-6号
 飛行機の破片
 父親を語る
 跡取り息子
 ヘイ収容所
 収容所暮らし
 生きる希望
 抑留者交換船
 カウラキャンプの初期
 日伊交流
 増える捕虜
 新米教師
 入隊
 南太平洋
 捕虜
 カウラ
 暴動の年

第5章 長い夜
 長い夜
 満月の下で
 死から生へ
 広野をさ迷う

第6章 慈愛の母
 証言者
 暗転
 二つのキャンプ
 何も知らない一家
 母の生き方
 カウラ事件40周年
 シンポジウム
 語り継いで

第7章 生かされて
 生への執着
 裁判
 ヘイ収容所
 気になる戦況
 本国送還
 故国の土を踏む
 涙の復員列車
 再出発
 浅田四郎さんの復員後
 津和野を訪ねて

第8章 日豪の懸け橋
 日豪友好のシンボル
 市長の執念
 設計者の思い
 立役者
 カウラを観光で売り出す
 第二期工事にかかわっって
 日豪友好の懸け橋
 慰霊の手助け
 桜並木

第9章 豪兵通訳の回想
 豪兵通訳の回想
 ハルビンで生まれて
 カウラへ赴任
 戦争花嫁

第10章 カウラ大学
 カウラ大学の卒業生
 グリン神父との出会い
 遺志を継いで
 日本へのあこがれ
 神の加護
 日本軍刀の返還

第11章 平和への祈り
 日豪合同慰霊祭
 学生たちのカウラ慰霊法要

エピローグ
 14年ぶりの再会
 シドニーのホテル
 豪州カウラ会慰霊祭

「カウラの風」によせて
 「カウラの風」出版に寄せて
 『負の遺産に学ぶ』
 カウラの風 参考文献



本書は、昭和19年(1944年)8月5日午前2時に、オーストラリアのカウラにある「カウラ第12捕虜収容所」で起こった日本人捕虜の暴動事件、いわゆる「カウラ事件」を取上げた、ルポルタージュである。

4月にカウラ捕虜収容所跡を訪問するので、事前に「お勉強」しようと思い、『暁の蜂起』に続いて、本書も読んでみた。
生還者の方の体験談のほか、当時のカウラ住民の証言、オーストラリア軍の通訳の方の話し、戦後の慰霊祭の話等々、非常に貴重なお話が満載である。

が・・・気になる点がいくつも現れてしまった。
『暁の蜂起』を先に読んでいたせいだろうと思うが、どうも納得できないモヤモヤとした気持ちに包まれてしまったのである。(大汗)
生還者の証言・・・
まさか故意ではないと思うが・・・多分、偶然だと思うが・・・
証言者のほとんどが「強硬派」と呼ばれていた人たちなのである。
『暁の蜂起』では、海軍に強硬派が多く、陸軍は穏健派が多かったことになっているが、こちらの証言では陸軍のほうに強硬派が多かったという話になっている。
一体どっちが本当なのか?(汗)

強硬派で、戦陣訓を持ち出して、みんなを扇動し、死に至らしめておきながら、死なずに(自決もせず)、生き残っている人の証言というのは、読んでいて何とも複雑な気持ちである。
『暁の蜂起』の著者を始め、穏健派と言われる主要人物はすでにお亡くなりになっているそうである。
そうなると、強硬派の生き残りの“独壇場”ということになる。

みんなを扇動して暴動を起こしておきながら、その首謀者は生き残っているのだから、なんとも複雑な気持ちである。
穏健派から「卑怯な行為」を指摘されるような人達のほうが、長生きしているのである。(汗)
世は不条理なり・・・か?

驚いたことに、この暴動のリーダーである団長が生存していて取材に答えている。
二人の副団長は、一人は暴動時に警備兵に射殺され、もう一人は首つり自殺しているのだが・・・
団長さんは生き残っていたとは・・・(汗)
しかも、この方は茨城県の大子町にお住まいだという。
同じ県人として、贔屓目に見たいところだが・・・それでもやっぱり素直には庇う気になれない・・・

穏健派にせよ、強硬派にせよ、多かれ少なかれ多少は自己弁護のためのウソをついていると思うが・・・
いずれにせよ、哀れなのは扇動されて、これに従って死んだ人達だろう。
いつの世でも、普段から威勢のいい事を言っている奴に限って、いざとなったら・・・という事例は多い。
今も昔も変わりはない・・・

この事件を「脱走」という言葉で表す人もいるようだが・・・
実態は「脱走」とは程遠い気がする。
明らかな「自殺行為」である。
『戦陣訓』をもちだし、「死ぬべきである」ことを訴えて、事に及んだわけであるから、目的は「死ぬ事」であろう。
ならば、それを提唱し扇動した者は必ず死なねばならぬはずである。
戦後も生き残っていること自体がおかしな話ということになる。
二度も読んだら、気分が悪くなり、もう読む気がしなくなった。

現地での慰霊・・・
どういう気持ちですべきだろう?
「よくやった」と褒めてやるべきなのか、「口車に乗ってバカだねぇ~」と哀れむべきなのか?
「慰霊」自体にも違和感を覚えざるを得ない。
国のため戦って死んだのなら、もしくは国の命令で死に至ることになったというなら、戦後生まれの拙者も、日本国民の一人として、子孫の一人としてお亡くなりになった方々を慰霊したいと思うし、慰霊すべきだと思うが・・・
これが扇動者に煽られた結果の「集団自殺」なら、慰霊をするのは我々ではなかろう?
煽った挙句、自分だけが要領よく生き残ったという人だけが、その罪滅ぼしに、謝罪の気持ちで死ぬまでやるべきものではなかろうかという気がしてならないのである。

この「カウラ事件」はなんともスッキリしない事件である。
すべてを『戦陣訓』のせいにしていいのだろうか?
それより「本当は賛成じゃなかったのですが・・・」というような言い訳が出てくることのほうに問題点があるのではなかろうか?
人間の弱さ、世間体を気にする弱さ・・・これは今の世でも日常茶飯事である。
この国が右傾化しようが左傾化しようが、扇動者はどこにでもいる。
盲目的にこれに従い命を落とすのなら、それは自業自得というものではなかろうか?
「軍国主義」で簡単に片付けるものではあるまい・・・

『暁の蜂起』や本書を読んでみたら、哀れではあろうが、自業自得の死者の「霊を慰める」という気になれなくなってしまった。
困った・・・本当に困った・・・



今年の読書:14冊目



読書 | 01:37:45 | Comments(0)
シミズ君とドライブ
今日は水戸藩士の“シミズくん”とドライブである。
水戸の茨城県立歴史館で『常陸南北朝史』という特別展が開催されているので、それを見に行きませんかというお誘い。
「歴史が好き」と言っている割には、拙者は南北朝時代って何のことやらサッパリわからんのですが・・・(大笑)
まぁ、なんでもいいや・・・とホイホイと“シミズくん”の運転する車に乗せてもらい出かけることにした。

img139_convert_20140409100231.jpg img140_convert_20140409100317.jpg


常陸南北朝史
~そして、動乱の中世へ~

中世日本の14世紀前半から15世紀前半は、まさに動乱の時代でした。
鎌倉幕府滅亡の後、天皇家は南朝と北朝に分かれ、南北朝の動乱の時代に入りました。
とりわけ、常陸国は北畠親房が来て、南朝の精力挽回を図るなかで、激しい戦いが続きました。
そして、南北朝の合一後も、足利政権が関東に置いた鎌倉府の支配体制は、足利氏と関東の豪族、さらには鎌倉公方と関東管領・室町幕府との対立を生むなど、動乱は止むことなく、そのまま戦国時代になります。
一方、この動乱のなかでも、宗教勢力、あるいは庶民の力は大きく伸びました。
禅・念仏・法華の教えは、鎌倉時代以上に深く人びとに浸透し、真言宗・天台宗も地方に布教を展開しました。
さらに、霞ヶ浦や北下総地域における水運・陸運の機能も向上し、それにより、経済活動もさかんになります。
その結果、「海夫(かいふ)」「有徳人(うとくじん)」など交通・流通・金融に関わる人びとの存在も大きくなります。
こうした中世の動乱の様相を、その時代に生きた人びとの肖像画、あるいは歴史を記した古文書、そして動乱のなかで人びとが祈りを捧げた仏像などをとおして紹介し、そこから中世茨城の真相に迫っていきます。

・・・と、パンフレットに載っている。
で・・・いつものように、ジックリと時間をかけて見学し・・・
で・・・見学を終え、歴史館から外へ出て3歩も歩いたら、何を観たのかすっかり忘れてしまった・・・(大笑)

で・・・何だっけ?
南北朝・・・って何だっけ?(苦笑)
相変わらず記憶力が悪い・・・(大涙)

その後、ここだけの見学で家に帰るのではなんとももったいないので・・・(笑)
『内原郷土史義勇軍資料館』に行ってみることにする。
この資料館には、水戸市内原町の郷土史と満蒙開拓少年義勇軍に関する資料が展示されている。
過去に2度ほど行ったことがあるのだが・・・・
相変わらずの方向音痴に加え、記憶力の悪さのおかげで、まともに“シミズくん”を道案内できず・・・(汗)
ちょいと迷いながらようやく到着・・・・
ここを軽く見学して・・・帰宅となる。

今回も“シミズくん”のおかげで充実した一日が過ごせた。
これで記憶力さえ良ければ文句なしなのだが・・・(大笑)
3歩も歩くと忘れちゃうからなぁ~(笑)

いずれにせよ、いい気分転換になった・・・(笑)
感謝、感謝・・・である。

日記 | 09:49:03 | Comments(0)
時すでに遅し!
今日は、恒例の集団検診・・・
で・・・ちょうど検診を終えたところで携帯電話が鳴った・・・
旅行社からである。

実は、来月の8日から8日間、鳥取の歩兵連隊の遺族会がフィリピンに巡拝慰霊に行く。
拙者の祖父のもとに、この連隊から1個中隊が配属となって祖父の指揮の下で戦い全滅している。
というわけで・・・拙者もこの巡拝慰霊団に同行しようと予定を入れていた。
もし、祖父の下で戦い戦死した方のご遺族がおられたら、現地の案内をしてあげようとも思っていたのだが・・・
待てど暮らせど連絡がない。
年々参加者が減少していると事務局長さんがおっしゃっていたので、もしかして今年は中止になったのかもしれない・・・
まさか部外者の拙者が、あまりせっつくようなことをしたのでは失礼だろうと思っていたので、そのままにして半分忘れかけていたのである。

と・・・この電話・・・旅行社から、「事務局長さんから、どうされますかという問い合わせがあったのですが、どうしますか?参加されますか?」という問合わせ・・・(汗)
うそぉ~・・・・(涙)
通常、1ヶ月前には案内が来ると思っていたのに、案内が来ないから中止だと思っていたのに・・・
今からの申し込みとなると、出発までギリギリ2週間しかない。

留守中、親父の面倒をヘルパーさんに頼まねばならぬが・・・
すでに3月の計画は策定済み・・・
変更するときは2週間前に通知してくれと言われている。
ということは、今日がギリギリの線だが・・・これから8日間のスケジュールを組み直すとなると、ヘルパー・センターの方でも大変ではなかろうか?(汗)

運が悪いときは、そういうもので・・・・
念のためケアマネージャーに連絡を取ってみたら、今日は早退してしまっているとの事・・・
万事休す・・・である。(大笑)
拙者がケアマネージャーを飛び越えて、勝手にヘルパーの責任者と打ち合わせたのでは、ケアマネージャーさんは立場がなくなるから面白くあるまい。
突然具合が悪くなったとかという緊急事態でもないし・・・
24日(月)にならないと連絡が取れないとなると、それからヘルパーの手配をしたのでは、混乱を来たすだろう。
他の利用者の方々にも迷惑をかけるかもしれない・・・
う~ん・・・
こりゃ参った・・・

もう少し早く連絡をくれればねぇ~(涙)
運命論者の拙者としては・・・これも「運命だ」と割り切って、参加しないことにした。
タイミングが合わないときは無理はしない・・・
無理をするとロクなことはない・・・(笑)
「時すでに遅し」ということで、諦める。(涙)

日記 | 19:53:15 | Comments(0)
『暁の蜂起』
暁の蜂起―豪州カウラ収容所 (南方捕虜叢書)暁の蜂起―豪州カウラ収容所 (南方捕虜叢書)
(1982/02)
森木勝

商品詳細を見る


初版まえがき

スタンレー山脈突入
 サンゴ海の反転
 り号研究作戦
 主力部隊ココダに着く

ポートモレスビーの灯
 おお海だ 海が見える
 突入か後退か
 芋1個の見舞い

闇のジャングルに消ゆ
 ギルワへギルワへ
 敵前50メートル
 砲とともに
 取り残される
 玉砕

ひとつの生命
 担架の上で
 敵味方の差別なく
 病院にて

笑いのない人々
 ブリスベーン陸軍病院
 心の傷
 テーラーとミスター・キシュ
 ブリスベーン訊問所の一日本人
 病院船に乗って
 ユーモラスなコープル
 在留邦人の見舞い
 ゴールボン病院

カウラ捕虜収容所
 赤い服
 カウラキャンプ
 支給品
 バリケードの内と外
 堂さんとの出会い

穏健派と強硬派
 ギルワ陣地の最後
 班長会議
 下士官と兵の分離
 <生>か<死>か

出撃
 首つり自決
 死への突撃
 戦い終る
 死んでいった人々
 南兵曹と小島
 堂さんの語る11班の状況
 不可解な強硬派の言動
 事件のあと
 2人のつわもの

死んだ者死ねなかった者
 死を命ず
 口と心のちがう人々
 事務所の人々
 あわれな死
 おれは出撃しない
 近よると撃つぞ

ヘイキャンプ
 事件顛末書
 事務所入り
 コープルカー
 平穏な日々
 おもちゃの製作
 強硬派の難題
 終戦

生きて本土へ
 復員船
 復員列車
 いよいよ一人となる
 出迎えのない伊野駅
 わが家は沸く
 わが墓の前に立つ

再刊にあたって

刊行にあたって



4月にオーストラリアに行く予定である・・・
で・・・カウラ捕虜収容所跡にも立ち寄る予定なので、事前に勉強するため本書を読んでみた。

「カウラの暴動」については、話は聞いたことがあるが、詳しいことは全く知らない。
一体、ここで何が起こったのか・・・

著者は、ニューギニアでの戦闘中、負傷して意識を失い、捕虜となってカウラ捕虜収容所に送られた陸軍兵の方である。

この収容所内では、穏健派と強硬派とに分かれていたようだ。
意外なことに陸軍のほうに穏健派が多く、海軍のほうに強硬派が多かったという。
陸軍の兵達は主にニューギニア方面の戦線で捕虜となったものが多く、餓死寸前に助け出されたためだろう。
敵に対して親切に介抱をしてくれたオーストラリア軍に対して恩義を感じているせいなのかもしれない。
対して海軍の兵は、主に大戦緒戦、つまり日本軍がまだ「勝ち戦」をしている時に捕虜となったものが多かったそうである。
体力もあり、元気な状態で捕虜となっている。
その負い目もあるのだろう・・・
「生きて虜囚の辱めを受けず」・・・戦陣訓を持ち出し、オーストラリア軍に徹底的に反抗することが、自分達の役目だと思っていたらしい。
どうも、その中心となっていたのは、開戦早々に捕虜になった飛行艇の搭乗員たちだったようである。
海軍の強硬派から見ると陸軍の兵は軟弱者に見えたらしい。
ここ捕虜収容所でも、日本の陸海軍の確執があったということか?

連戦連敗・・・日本兵の捕虜も増え続け・・・
ついに下士官と兵を分離して、“兵”達は、カウラから更に奥地の「ヘイ捕虜収容所」に送られることになった。
このオーストラリア軍の処置が、「暴動」のきっかけになったようである。

問題は、この「暴動」であるが・・・
何を目的にしていたのかが、さっぱりわからない・・・
ただ「死ねばいいんだ」という内容としか思えないのである。
ただただフェンスに向って走り、収容所の警備兵に射殺されることを目的としているようなのである。
一応、無事にフェンスを乗り越え、外に脱走した後の集合場所は決められていたようだが、その後はどうするのかは、その時に考えるという杜撰な計画だったそうだ。

これは、まさしくただの「集団パニック」ではなかろうか?
ただの「集団自殺」と言ってもいいのではなかろうか?
体力の回復していないものや、戦闘中の怪我が完治していない者は、フェンスまで走ることが出来ない・・・
ということで、決行直前に、次々と首つり自殺をしたという。

捕虜総数1140名中、死亡したのは自殺者を含め231名だという。
対するオーストラリア軍側は4名が死亡しているに過ぎない。
これは、どういうことか・・・
捕虜の5分の1程度しか死者がいないではないか?
強硬派に散々煽られて、その気になった振りをしたが、実際には「突撃」しなかった人が多かったということではなかろうか?
しかも、呆れた事に、散々煽っていた強硬派の多くが死なずに生き残っているのである。
哀れなのは、本気で「突撃」して銃弾に倒れた連中と、足手まといになるのを避けるため自ら首を吊って自殺した連中である。

威勢のいいことを言う奴に限って、イザとなったら・・・・というのは、昔も今も変っていないような気がする。

本書を読んでから現地に行き慰霊をしようと思っていたが・・・
どうも複雑な心境になってしまった・・・
彼ら死亡した人を「戦死」と著者は書いているが・・・これは「戦死」に値するのだろうか?
ただの集団パニックによる「集団自殺」ではなかろうか?
収容所のフェンスに「突撃」する大義名分など、どこにあるのだろうか?
どうもわからん・・・・
『戦陣訓』を理由に挙げているが、果たして本当にこの『戦陣訓』が大きく影響していたのだろうか?
“声の大きい奴”に脅され、周囲の顔色を伺い、世間体を気にして、結局は「自殺」に追い込まれただけのことではなかろうか?
私は「自殺者」に哀悼の念を持つ気にはなれないのである。

この「事件」をどう理解すべきなのだろう?
なんともスッキリしないままで読み終えることとなってしまった。



今年の読書:13冊目



読書 | 00:29:37 | Comments(0)
非人道性?
和歌山県の太地町の「イルカの追い込み漁」・・・

シー・シェパードという団体は「虐殺」だと騒ぎ・・・
ネットでも「イルカ殺し」とか「野蛮人」というコメントが英語圏を中心に寄せられているそうで・・・
駐日米大使の「非人道性を深く懸念します」の発言もあったとか・・・

「非人道性」・・・ねぇ~

ところで、「人道」って、なんだろう?

生活のための漁を行うことが「人道」に反しているというのか?

「非人道」とは、原子爆弾を投下して軍人も一般市民も、女も子供も老人も、一瞬にして焼き殺すような、アメリカが行なったような行為を指す言葉だと思っていたんですけど・・・
どうなんでしょうか?
キャロライン・ケネディ駐日大使さん・・・

イルカや鯨は殺しちゃいけないけど、マグロやサンマは殺していいのか?(笑)
それは、白人は殺しちゃいけないけど、黒人やアメリカインディアンは殺していいということと同じような気がしてしまうのですが・・・(大笑)

それとも魚は殺してもいいが、哺乳類だからダメだというのか?
我々人間は普段から哺乳類も食べていますけど・・・

海に住んでいる哺乳類はダメだが、陸上に住んでいる哺乳類は殺していいというのか?

それとも、殺し方に問題があるのだろうか?
あの目のクリクリッとした可愛い牛を殺してステーキにして食べている米国人にお尋ねしたい・・・
あの可愛い目をした牛を、どうやって殺しているんでしょう?

「非人道性」・・・ねぇ・・・(汗)

その昔、私の祖父の家では肉牛を育てていた・・・
ある時、ちょうど市場に売られるところに出くわした。
いつも、草を食べさせるため放牧地に連れて歩いた牛がトラックに乗せられるところだった・・・
この牛は売られて牛肉になってしまうという。
従姉とみんなで「連れて行くな!牛殺し!牛殺し!人殺し!」・・・などと大声で叫んだことがある。
私が小学1年生か2年生の時のことである。(笑)
祖母から「牛を売ってお金に換えないと食べ物が買えないんだよ」と言われたが・・・

あの可愛い「牛ちゃん」が殺されて肉になるのはなんとも辛かった。
一緒に歩いていると、後ろから拙者の背中を鼻でツンツン押してくる、可愛い「牛ちゃん」だったのである。
道草を喰って歩かなくなると、後ろに回って棒でお尻を叩いて歩かせるのだが、その時に後ろをチラリと見て鳴いて怒るのである。(笑)
そんな可愛い「牛ちゃん」を殺すとは何事ぞ!(怒)
散々大騒ぎをしたので、さすがに引き取りに来た業者の人も困った顔をしていたが・・・

今思えば、本当に失礼なことを言ったものだと思う。(大汗)
業者の方はさぞかし傷ついたのではなかろうか?
「牛殺し」呼ばわりしちゃったからなぁ~(大汗)
まだ我々は子供だったから仕方がなかったと思うけど・・・

たぶん、イルカの追い込み漁に抗議をしている方々は、当時の私と同じ思いなのだろう。
つまり・・・小学校低学年程度の知能と云う事になるか?(大笑)

生活のための漁に対して「非人道性」などという言葉を発するのはいかがなものであろうか?
「虐殺」だの「イルカ殺し」「野蛮人」も同様である・・・

「非人道性」・・・ねぇ・・・
「人道」とは何か、「非人道」とは何かを、良く考えてから言った方がいいのではなかろうか?

エッセイ | 23:01:23 | Comments(0)
『歴史群像 2013年6月号』
歴史群像 2013年 06月号 [雑誌]歴史群像 2013年 06月号 [雑誌]
(2013/05/07)
不明

商品詳細を見る


図解 幕末小銃事情に見る
スペンサー銃

会津戦争で証明された近世城郭の真価
会津若松城

多様な兵装に対応した高速魚雷艇
PTボート

日の丸の翼 №34
陸軍 九九式軍偵/襲撃機(キ五十一)

戦史の名画をよむ
聖王ルイの勇姿に託された“君主と国民”の結合
タイユブールの戦い

歴史群像フォトギャラリー
日米軍用機工場の戦い
物量戦を支えた航空産業の最前線

戦国薩摩軍団、九州制覇への第一歩
島津三州統一記

西村・志摩艦隊を待ち受ける“死の袋小路”
激突!スリガオ海峡海戦
 レイテ沖海戦~海峡の戦い
   南航路を進む西村・志摩艦隊
 空からの洗礼
   レイテ沖海戦初の海空戦
   「索敵部隊」による空襲
   戦場の命
 「死の袋小路」への突入
   手荒な「歓迎委員会」
   群がるPTボート
   夜光虫輝く海原に散華す
   志摩艦隊、苦渋の反転

戦争の形態を変えたモルトケの革新
ドイツ統一戦争

迅速に航空基地を造成せよ!
日本海軍 設営隊
 前線航空基地の重要性
 海軍設営隊の沿革
 機械化の難しさ
 飛行場造成の実際
 海軍設営隊の飛行場造成能力
 飛行場概観の変化
 基地防空の実態
 日本の前線航空基地への評価

赤報隊始末
維新に捨てられた草莽の赤心

“理想の大統領”が成し遂げた戦争指導
リンカーンと南北戦争

緊急レポート 歴史から探る用兵思想とドクトリン
北朝鮮軍の実像

二号連続インタビュー(前編)
海軍軍医 永井友二郎
 軍医への道
 ミッドウェー海戦
 駆逐艦勤務
 第三次ソロモン海戦
 死闘の果て

各国陸軍の教範を読む
第29回 防御 その6 ソ連軍Ⅰ

西洋戦史研究
フランス革命戦争
パートⅤ エジプト遠征

中東戦争
エルサレム攻防戦
ユダヤとアラブ、聖地をめぐる戦い



今年の読書:12冊目



読書 | 01:15:34 | Comments(0)
『第4航空軍の最後』
第四航空軍の最後―司令部付主計兵のルソン戦記第四航空軍の最後―司令部付主計兵のルソン戦記
(2008/10)
高橋 秀治

商品詳細を見る


プロローグ~マニラ初空襲
 防空演習の日の空襲
 四航軍司令官の指揮
 米艦載爆撃機

第1章~新戦場への出征
 水道で待ち伏せる敵潜
 轟沈する僚船
 眞部隊連絡所
 輸送できぬブルドーザー
 戦時標準船の進路
 マニラの埠頭
 大東亜共栄圏
 独航船安芸丸
 広島湾・似島
 宇品碇泊場司令部
 理髪店で忘れた兵器
 良江姉との別れ
 亡き姉を偲ぶ
 松江のひととき
 広島駅舎のストーブ
 関釜連絡船
 奉天駅とアジア号
 山海関通過
 済南駅前の群衆
 南京成賢部隊到着

第2章~バシー海峡の航跡
 健兵と弱兵
 陸軍病院の看護婦
 大東亜戦争陸軍給与令
 南京第一陸軍病院
 陸軍兵長ヲ命ス
 南京紫金山中山陵
 成賢部隊の教官
 候補者隊教育
 ホーランジアの危機
 大陸縦貫打通作戦
 8人の同僚
 四航軍マニラに在り
 国際都市上海
 上海港発~高雄港着
 高雄市の憩い
 屏東飛行場の追憶
 離陸する輸送機
 バシー海峡上空

第3章~第四航空軍司令部
 ニコルス飛行場
 マニラ総合病院
 威 第15300部隊
 経理部陣容
 営繕科
 第6飛行師団司令部
 戦場離脱の汚名
 六飛師首脳の退路
 最高責任者の行動
 航空寮宿舎
 徳永大佐の参謀懸章
 外賀主計中佐の覚書
 施設科長・西山少佐
 マニラ市の繁華街
 五百ペソ軍票
 週番下士官勤務
 バレン&アルホンソ
 応急退避壕工事
 新任の第四航空軍司令官
 飛鳥組と中目氏

第4章~2人の将軍の真実
 山下奉文大将着任
 墜落するB-24
 台湾沖航空戦戦果は嘘
 謎の集中爆撃
 壊滅する聯合艦隊
 レイテ島多号作戦
 第3次輸送作戦
 第4次輸送作戦
 夜空に浮かぶB-29
 陸軍特別攻撃隊
 撃墜された岩本大尉機
 薫空挺隊
 マニラを去る南方軍
 高千穂空挺隊
 激励する冨永司令官
 ルソン島三大拠点
 冨永軍司令官の大義名分
 辞任方上申
 航空軍エチアゲ移動

第5章~バレテ峠の死闘
 荒廃するマニラ市
 マリキナ軍兵器廠
 マニラ脱出準備
 入院患者救出
 苦しむ村田少尉
 独立自動車中隊
 マニラ北方40キロ地点
 アンガット川の敵機
 天を仰ぐ三浦大尉
 渡河地点の記憶
 棒チョコと宝石箱
 焦土の街サンホセ
 バレンテンの嘆き
 バレテ峠
 馬頭橋渡河
 村田建技少尉の死
 眞部隊連絡所
 バガバック三叉路
 オリオン峠
 台湾行き予約券
 冨永軍司令官逃亡準備
 脱出首脳の理屈
 離陸失敗した新司偵
 軍司令官の敵前逃亡
 偽りだった台湾移動

第6章~去る者と残される者
 歩兵第10連隊の軍旗
 西山主計少佐遭難
 近くに潜むゲリラ
 P-38の攻撃
 残骸となったP-38
 ゲリラが蜂起した事件
 高級将校は墜落死
 経理部最後の宿営地
 病魔に斃れた若者
 勤務小隊の兵隊
 小銃を紛失した兵隊
 バシー酒と憩い
 無意味な軍歌演習
 残留者再編成
 矢野四郎見習士官
 警備隊に縛られた住民
 ある日本人の好意
 第四航空軍解体
 敵前逃亡罪の生と死

第7章~マニラ湾の落陽
 米軍進攻
 マニラ四大橋爆破
 撤退か死守か
 訣別電報
 マニラ部隊玉砕
 去る警備勤務小隊
 集中爆撃の犠牲者
 好運な脱出者
 藤村准尉の行動
 消滅した経理部
 高千穂部隊の集結地
 峠に現われたゲリラ
 擲弾筒の炸裂音
 矢野四郎少尉を偲ぶ

エピローグ~生と死の分岐点
 マビニ集落へ移動
 不審な野火
 離別のとき
 転属命令
 カワヤンへの途
 1日間の炊事班長

後記



第4航空軍の冨永司令官と言えば、ある意味「悪名高い」司令官である。
第4航空軍では、大戦末期、多くの特攻隊を出撃させていた。
この司令官は「後から俺も行く」と特攻隊を送り出しておきながら、イザとなったら、さっさと部下を置き去りにして安全な台湾に脱出したのである。
この卑怯な行動には多くの人が批判し、数多くの書物にも書かれている。
不思議なことに、冨永司令官を擁護する文章を見たことがない・・・
それくらい弁解の余地のない「逃亡」をしたということだろう。
冨永司令官は、戦後も生き長らえたから、当然、子孫もいると思われるが・・・
今もって「卑怯者」呼ばわりをされているのだから、子孫もさぞかし肩身の狭い思いをしているのではなかろうか?

第4航空軍司令部は、一応、「作戦」として台湾に「後退」して指揮を取るという体裁を整えたようだが、上級司令部である南方軍も大本営も、その計画に対する許可を出していない。
許可が出るまで待っていたら脱出できなくなるから、許可を得る前に逃げ出してしまったようである。
これは明らかな「敵前逃亡」である。
陸軍刑法では敵前逃亡は死刑である。
が・・・冨永司令官は裁判にかけられることもなく、刑務所に送られることもなく・・・ましてや死刑に処されることもなかった。
サッサと逃げ出したのは司令官だけではない。
司令部の、参謀達幕僚、部長クラスの高級将校も一目散に逃げ出したのである。
これでは特攻隊員として散華した部下たちに申し訳が立たぬと思うが・・・
戦後、よくも旧部下達に殺されなかったものだと、ある意味、感心する。
こういう高級将校たちが戦争を指揮するんだから日本が負けるのも無理はなかったかも・・・

この卑怯な行為の批判は富永司令官だけに浴びせられているが、参謀など司令部の高級将校も批判を浴びるべきではなかろうか?
残念ながら、これらの個人名が明確に記載された書物をまだ見たことがない。
「役所」とはそういうものなのだろう。
「司令部が・・・」という言葉だけで全てを一まとめにしてしまい、個人名には言及しない・・・
個人の責任は問わないのである。

司令官たち司令部要員たちが台湾に脱出して早々、食糧倉庫を無理矢理開けさせ、酒を飲んでドンチャン騒ぎをしている姿を目撃したという話が、ある人の手記に書かれていた。
こうなると、司令官一人の意志ではなく、幕僚達司令部要員達の画策によって「脱出」は仕組まれたのかもと思わざるを得ない。
司令官に続いて、脱出を図った部長クラスの高級将校の乗った輸送機が撃墜されて多くの司令部要員が「戦死」したが、これに同情する声は一つもない。
逆に「ざまぁみろ」の声が記録されている。

この第4航空軍所属のパイロットは優先的にフィリピンから後方へ下げられた。
本土決戦のためにパイロットは貴重だったからであるが・・・
かわいそうなのは、整備兵や事務職の人達である。
フィリピンに置き去りにされ、悲惨な最期を遂げた人が多い。

彼ら航空部隊の一部の兵は、最前線で戦っていた私の祖父の部隊へ送られる食糧を途中で横取りしている。
これは、補給部隊の方の手記に書かれていた。
戦闘能力もなく、指揮官に台湾に逃亡されては食糧等の補給などあるわけがない・・・
餓死したくなければ味方の食料を奪うしかない・・・
横取りするとはヒドイ奴らだという気もするが・・・少しは同情の余地はある。
全く同情の余地のないのが司令部の高級将校たちである。
部下を置き去りにするとは酷いことをしたものだ・・・・

本書の著者は、この置き去りにされた側の人である。
ニューギニアで戦い、満州に転じて、再び南方へ派遣され、フィリピンにやって来た・・・
で・・・第4航空軍司令部に配属となった主計兵である。
主計兵という一兵士だから、当然「置き去り組」である。
ルソン島の山奥で散々苦労を重ねながら生還された。
本書に登場する地名のいくつかには、私も現地を訪問しているので、現地の景色を頭に浮かべながら読ませてもらった。
決して感情的にならず、淡々と体験記を綴っている。
好感の持てる記録である。
著者は平成19年にお亡くなりになっている・・・・
長生きされたことがせめてもの慰めである。
いい記録を残していただき感謝、感謝である。



今年の読書:11冊目



読書 | 01:17:55 | Comments(0)
大学の同窓会
今日は、我が母校の同窓会・・・茨城支部の総会である。
震災後2年間、いろいろと他支部とトラブルがあったようで、支部長が“放り出して”しまった・・・
このため2年間、実質、支部長不在という状況が続いていたのである。

今回、このままでは収拾がつかないので、支部長の奥様(彼女も我が大学の卒業生)が召集をかけ、とりあえず総会を開催して新支部長を選出しようということになったのである。

が・・・相変わらず事前の打ち合わせ、“根回し”もない・・・
昨晩、支部長宅にお電話をして、総会の件について、こちらから打ち合わせをお願いした。
支部長は単身赴任で、もう我が県にはいないというので、奥様と打ち合わせをする。

拙者は青年会議所で11年間も活動をしていたから、こういう打ち合わせは苦でもないのだが・・・
そういう経験をしたことのない人にとっては、かなり“大変”なのだそうだ。(笑)
運営の手順や、根回しなんて、ごくごく簡単だと思うんですけど・・・(笑)

当日の会議で、いきなり支部長を選出できると考えているんだから驚く。
絶対、紛糾して時間ばかり過ぎることになりかねない・・・とは想定できないようで・・・(汗)
事前に根回しをしておかねば、スムーズな総会運営は無理である。
とにかく引き受けてくれそうな人がいるようなので、確約を取ってくれるように頼む。
で・・・当日、議事進行中に“行き詰った”らば、拙者に意見を求めてくれるように頼んだ。
拙者の方から意見を述べて、うまく支部長を選出できるように仕向けるから・・・(大笑)

拙者に司会か議長を頼むと言われたが・・・これはダメ・・・(笑)
その立場に付いたら意見が言えなくなる。(笑)
あくまでも一会員として末席に座って・・・意見を述べて会議をこちらの思う方向へ“誘導”したほうが得策である。

これで事前打ち合わせは済んだ・・・(大笑)
あとは、天気が心配・・・
どうもまたまた雪が降るかも・・・

さて、一夜明けて外を見たら・・・ゲゲゲッ!
大雨!・・・しかも暴風雨である!!

今回の同窓会には、拙者の友人のお兄さんが初参加される。
“お兄さん”は我が大学のOB・・・
ここ2年間、支部長不在で支部が崩壊しているのを会報を見て気にされていたそうで・・・
いっそのこと、「君が支部長になれば?バックアップしてあげるから」と、今回、総会に参加することにしたそうなのである。(大汗)
いや、いや、拙者は、大学を卒業してから30年も経つのに、今もって支部の総会では「最年少」の参加者なのである。
常連とは言え最年少者が支部長ではマズイでしょ?(大笑)

横殴りの雨の中・・・“お兄さん”が奥様の運転する車で迎えに来てくださった・・・
ありがたし!(大喜)
しかし、玄関から車に乗り込むまでに・・・暴風雨のためずぶ濡れとなる・・・(大泣)

よりによって、こんな天気の時に総会とは・・・
いや、久しぶりの総会開催という時に、こんな天気になろうとは・・・と言うのが正しいか?

駅まで送ってもらったが・・・なんと!電車が止まっている!!(汗)
ネットで確認をしたときは、JR東日本のネット情報では、「若干の遅れが生じています」だったのだが・・・
完璧に「不通」となっている!
JRの情報はいつもいい加減だ。
全く信用できない。
こいつら、本当に顧客のことを考えているんだろうか?(怒)

普通ならば、このような天気では総会の出席はキャンセルしたいところだが・・・
今回、支部長を決めなければ、また何年も支部長不在となってしまう。
何としてでも行かねばならぬ!!

ホームには特急列車が止まっていたが・・・
この列車・・・2時間ほど前からここに止まっているようなのである。(唖然!)
30分ほど駅構内で様子を見ていたら、ようやく「特急列車のみ運行を再開します。各駅停車の列車は3時間後に運行再開の予定です」などという寝ぼけたアナウンスが流れた・・・・
3時間後?・・・冗談じゃねぇぞ!!(怒)
このくらいの雨と風で止まるなんて・・・
やむを得ぬ!
あの特急に乗っちゃいましょ!(笑)
これほどの大幅な遅れを生じていたので、特急券は不用ということで車内の検札も無し。
乗車券のみで乗ることが出来た・・・ラッキー!(笑)

開会ギリギリで何とか会場に到着・・・
思ったより多くの方々が来ておられた。
思いはみなさん同じなのだろう。(笑)
何とかせねば・・・ということだろうし・・・
元支部長の奥様が何とかせねばと企画したのだから協力してあげねば・・・という思いの表れだろう。

この荒れた天気にも関わらず、19名も参加された。
当日キャンセルは5名だけである。
この参加者19名のうち初参加者は6名、2回目の参加者は2名である。

役員改選・・・・
我が支部の場合、県内を5地区に分けて、それぞれに副支部長を置く。
拙者は全く自覚がなかったのだが・・・(大笑)
以前から、「県北担当副支部長」だったそうで・・・
真っ先に、満場一致で再任が決まってしまった!(唖然)
あれれ?・・・ちょっと・・・拙者の都合は聞かないの?(唖然)

支部長選出も、事前に打ち合わせどおり、上手く決まった。(喜)

今日は、大学側からも来賓として関係者が来訪してくれることになっていたが・・・
悪天候の中、3時間も上野駅で特急の発車を待っていたが、動かないので断念したとの連絡が入った。
いやはや何とも申し訳ない・・・
拙者のせいではないのだが・・・(大笑)

総会、懇親会とスムーズに同窓会は進み、“お開き”となる。
で・・・「また来年会いましょう!」で・・・終わり・・・???
それじゃ、ダメじゃん!(汗)

年に1回だけしか集まらないような、形ばかりの総会を開くから活気がないのである。
事前の準備は支部長が一人でやり、当日、他の役員は「お手伝い」なんていうことだから、拙者のように副支部長であることを自覚できない人が出てきてしまうのである。(大笑)

新役員に召集をかけて、コーヒーラウンジでコーヒーを飲みながら役員会を開催するよう新支部長に提案する。
幸いなことに全員が集まってくれたので、勝手に拙者が司会を務め、今後の役員会のあり方、茨城支部の運営方針について、みなさんから意見を出していただき、方向性を決めることにした。
「常連最年少」の拙者が出しゃばったことをするようだが・・・
どうも茨城県人というのは、県民性なのか、イマイチ、パッとしないのである。(大笑)

我が大学の卒業生は茨城県内に1500名以上いるという。
が・・・総会には20名弱しか集まらないというのは、どういうことだ?
「同窓会」が誰にとっても何の役にも立っていないという証拠ではあるまいか?
大学側から押し付けられて渋々形ばかりの総会を開くくらいなら、支部を解散させてしまったほうがいい。
やるなら、やる・・・やらないなら、やらない・・・
ハッキリすべきである。
我々は「水戸藩」ぞ!・・・「水戸っぽ」の精神はどこにいった?(大笑)
全国の支部に先駆けて改革を断行するくらいの気概がなくてどうする?
尊王攘夷・・・とは言わないけど・・・(大笑)
維新断行!
そのくらいの活気がなくては・・・ねぇ~
ついつい、“熱く”なっちゃった・・・(大笑)

まぁ、皆さんはクールだから・・・反応はイマイチだったので、この先、どうなるかわからないけど・・・
今までのように何人もの支部長が途中で職務を投げ出すようなことを、今度もやったら、この支部は解散させるべきだろう。
やっている意味が無い・・・
大学側の“世間体”に振り回されてまで、存続させる必要はない・・・

いまだかつて一度も開催されたことのない「役員会」を今後、定期的に開催するように意見を述べさせていただき解散する。

あ~疲れた・・・(笑)

「役員会」の間、暴風雨も去り、雨もパラパラ程度となったようで・・・助かった。
水戸駅に行ったら、改札の前は人だかり・・・
まだ運行ダイヤが混乱しているようである。
なぜか、駅員は、一人一人、個別に質問してくる人に応対しているだけで、何の「発表」もしない・・・
ふと、他の人の質問の答えが耳に入った・・・
「まもなく発車します」とのこと・・・
なんで、そういうことを皆さんに大声で「告知」しないのかねぇ~
この駅員・・・バカじゃなかろうか?
急いで、ホームに向かい、停車している各駅停車の列車に飛び乗ったら、直ぐにドアが閉まり走り出した。
あらら・・・
あの改札口に集まっていた人の中には下りの各駅停車に乗りたがっていた人もいただろうに・・・
あの駅員・・・どうして「仕切る」ということが出来ないのだろうか?
大声を出して皆さんに告知すればいいだけなのに・・・
今頃、乗客の質問に「今、発車したところです。次の列車は何時になるかわかりません」なんて答えていたら、大ブーイングをくらうだろうなぁ~・・・
バカだねぇ~(汗)
こういう機転が利かないところは、茨城県人の県民性なのか?(大笑)

とにかく、無事に総会を終え帰宅できて良かった・・・・(ホッ・・・)

日記 | 10:56:53 | Comments(0)
筋肉痛!
昨日の“雪かき”のおかげで・・・予想は付いていたが・・・(笑)
全身が筋肉痛!!
マイッタァ~

コンビニに買物に行く・・・

我が家の目の前の交差点の前後左右は、昨日、拙者が一気に“雪かき”をしておいたので、路面は完全に乾燥して乾ききっていた・・・
が・・・
コンビニに行くまでの間、どの道にも雪が積もったまま・・・
氷状になって固まっている!
なんとも歩きづらい・・・
こうなるだろうと思って、拙者は昨日のうちに“雪かき”をしておいたのだが・・・

家の建っていない場所はやむを得ないとしても・・・
問題は家や会社、商店、事務所などが建っているその目の前の歩道・・・
ロクに“雪かき”をしていない。
ひどいところでは、自分の玄関だけ、門の前だけ・・・
幅1mにも満たない・・・
住人の意識レベルの低さがよくわかる。

自分の家の前、10m程度でもいいから、少しでも“雪かき”をしておけば、歩く人も楽だと思うのだが・・・
「私は関係ありません」・・・か?

「絆」だとか「和」だとか・・・
結構なことを言う割には実態が伴っていない。
奉仕の精神はどこに行った?

どこかの誰かがやってくれるだろう・・・か?
それとも「役所が何とかしろ!」・・・か?
お粗末な連中ばかりである!(怒)

昨日は平日だから仕事に行っていて“雪かき”はできなかったという言い訳は理解できなくも無いが・・・
今日は祝日である!
建国記念日である!
休日なのだから家にいるんだろ?
なぜ“雪かき”をしない?

「建国」・・・ねぇ~
こんなお粗末な国を建国したという記念日が・・・今日かぁ・・・

町を歩きながら不愉快な気持ちで一杯になる・・・
あ~あ~嫌だ、嫌だ・・・・

日記 | 21:29:43 | Comments(0)
雪の告別式
今日は“ウメちゃん”のお父さんの告別式である。
外は・・・真っ白!(涙)

007_convert_20140326234926.jpg
(拙者の部屋から見た外の景色・・・)

009_convert_20140326235044.jpg
(玄関から外に出たら・・・ゲゲッ!)

あ~あ~・・・こりゃ参ったなぁ~(大汗)
昨日以上にヒドイ状況である。(大笑)

午後1時から告別式である。
こうなったら、坂道の下に車を乗り捨てて、長靴を履いて徒歩で葬祭場まで上るしかないか・・・(大汗)
と・・・思っていたら、今日も“アライちゃん”が一緒に行こうと誘ってくれた!
今日は“アライちゃん”の車で向かうこととなる。
いやぁ~なんて拙者はラッキーなんだろう。(笑)

葬祭場へ向う坂道・・・昨日より更に雪が積もっているような気がするが・・・
それよりも・・・あと1時間後に、この先で告別式があるんですけど!
どうして除雪が出来ていないんだ?(怒)
ブルドーザーが1台・・・モタモタと除雪をしていたが、葬祭場までの道のりの1/3も除雪が出来ていない。

このブルドーザーを避けたために・・・雪にはまってしまった!!
“アライちゃん”の車のタイヤがスリップして空転する・・・・(大汗)
あ~あ~あ~やっちゃった!(大涙)
今日は運転手の“アライちゃん”と同乗者の拙者のみ・・・
ということは・・・車を押すのは、自然と拙者の役割ということになる・・・(涙)
「楽チン!楽チン!ラッキー!」などと浮かれているわけにはいかなくなった。
拙者は礼服姿なんですけど・・・(涙)
多少、泥だらけになってもやむを得ない・・・車を押す・・・
それにしても、除雪作業をしている人・・・シラ~ッと見ているだけで手を貸してくれない。(怒!)
葬式に向う人だってことは、この服装を見りゃわかると思うのだが・・・
てめぇらが除雪をサッサとしないから、こういうことになったんだぞ!!(怒)

ようやくアイスバーンから抜け出して、駐車場へ・・・
で・・・唖然!!!
駐車場は雪で真っ白!
昨晩の通夜式に来た人が置いていった車だろう・・・1台だけが雪に埋もれているだけ・・・
ありゃりゃ・・・どこに車を駐車しようか?(笑)
ズブズブと雪の中に車を突っ込み駐車する。
次に来た車が雪の深いところにはまってスリップして、ついにニッチもサッチもいかなくなってしまったようである。
もう、こうなったら、どうなってもいいや・・・
さっき“アライちゃん”の車を押したついでである。
この人の車も押してあげる。
う~ん・・・拙者は車を押すために、ここに来たのか?
あ~あ~、こうなるなら長靴を持ってくればよかった・・・

葬祭場の前も雪が積もったまま・・・殆ど足跡もない・・・真っ白・・・
あのぉ~・・・1時間後には告別式なんですけど・・・
職員は雪かきをしなかったのか?(唖然)
この葬祭場は市営なんですけど・・・市役所は何をやっているんだ!(怒)

まもなく“ウオちゃん”から電話が・・・
坂の途中で、先頭を走っていた車がスリップして立ち往生してしまい、大渋滞となり動かないという。(汗)
あらら・・・下のほうでは、とんでもねぇことになっているようである。
早めに上ってきて正解だった。(喜)
俺達もスリップして一瞬、立ち往生しちゃったけど・・・(笑)

この“大雪”の中、続々と参列者が集まってきた。
昨晩の通夜式と同じくらい集まったような気がする。
まもなく開式の時間・・・
あれ?
“ウメちゃん”たち遺族の姿が見当たらないんですけど・・・(汗)
そこに館内放送・・・
まだ火葬場から戻ってこないということで・・・(唖然!)
開式は遅れるとのこと・・・あらら・・・

30分ほど遅れてご遺族のみなさんが戻ってきた・・・
ご遺骨を抱いた“ウメちゃん”が式場の後ろから入って来た・・・
すでに式場内には参列者が着座して待っている。
その真ん中を通過して祭壇へ・・・
いやはや、異例の珍事である。
もう“ウメちゃん”の頭の中はメチャクチャに混乱しているだろうなぁ~(笑)
こりゃ、思い出に残る告別式になっちゃったね・・・と周囲の人達が言う。
確かに・・・拙者もそう思う・・・
お亡くなりになったお父さんの演出か?(笑)

告別式の開始は遅くなったが、その後は滞りなく式典が進み、無事に終了。

式後、“ウメちゃん”と話をしたが・・・
なんと!
葬儀社のマイクロバスがノーマルタイヤだったため、スリップしてなかなか動かず親類が集まるのが遅れたという。
あのね・・・この雪の中をノーマルタイヤで走るってどういうこと?(唖然)
さらに、火葬場の職員が雪の中で遅刻・・・
これでは告別式に間に合わなくなるから、順序を逆にして告別式の後に荼毘に付したら・・・と言ったら拒否されたという。(笑)
で・・・火葬を終えて式場へ向おうと思ったら、今度は出口に車が止まっていて出られなかったようで・・・
もう踏んだり蹴ったりだったそうである。
火葬場と葬祭場は目と鼻の先なんだけど・・・結局、大幅に遅れてしまったという。
みんなを待たせてしまい申し訳ない・・・と恐縮しきり。
いやはや、大変な思いをしたようである。

でも、無事に告別式を終えることが出来て本当に良かった。

日記 | 14:02:55 | Comments(0)
『わが戦車隊ルソンに消えるとも』
わが戦車隊ルソンに消えるとも (証言・昭和の戦争 リバイバル戦記コレクション)わが戦車隊ルソンに消えるとも (証言・昭和の戦争 リバイバル戦記コレクション)
(1991/06)
砂川 恒雄

商品詳細を見る


わが戦車隊ルソンに消えるとも
獅子奮迅の活躍をみせた若き戦車兵の熱血戦記
(戦車第7連隊員・砂川恒雄)

  1 胸をうつ母の涙
  2 鬼軍曹との出会い
  3 そこは最前線だった
  4 不吉な毒ヘビ事件
  5 出撃の日きたる!
  6 強敵M4との対決
  7 2人だけの先兵中隊
  8 よみがえった死者
  9 われに突撃あるのみ
 10 重見旅団壊滅す!
 11 たった5名の敗走兵
 12 不運の斬り込み隊編入
 13 生きる道は脱出作戦
 14 抹殺された日本軍主力
 15 暗雲下のベンゲット
 16 ゲリラと激突
 17 あわれ班長の死
 18 米を食す兵もなし
 19 異郷の日本原始人
 20 意外なる真相
 21 無言の行進かなし

あゝ特攻戦車挺身隊
戦車第5連隊始末記/少年戦車兵の青春記録
(戦車第5連隊員・水野 孝)

  1 涙でかすむ校門を後に
  2 兵長どの誕生す
  3 出陣の日はきたる
  4 国境をこえると満州だ
  5 戦車第5連隊へ
  6 豆タンの誇りと悲しみ
  7 血のにじむ猛演習の中で
  8 鋼鉄もこおる酷寒に
  9 唯一の敵は満州ボケ
 10 悲報、南方よりきたる
 11 若き助教殿のなげき
 12 無敵関東軍すでになし
 13 決戦の日に咲くさくら
 14 本土防衛の鉄壁
 15 敵は房総か相模湾か
 16 炎の中の緊急脱出
 17 新鋭戦車が登場する日
 18 怒りくるった愛車
 19 あゝ最後の雨中行進

堅陣「ジットラ・ライン」奇蹟の突破行
不落といわれた英軍の防御線を突破する電撃部隊の軌跡
(捜索第5連隊第2中隊長・内海庄三)

  1 連隊長は“信長”流
  2 とんだ先陣あらそい
  3 上陸地点はいずこ?
  4 目的地はマレーだ!
  5 静かなり上陸前夜
  6 暁闇の前進命令
  7 タイ国兵からの第一弾
  8 “大本営が震えた日”
  9 裸と鉄の血闘
 10 辻参謀、最前線をゆく
 11 前面の堅陣ジットラ
 12 実現した待望の縦隊
 13 敵陣をぬく長槍
 14 火と硝煙のあらし
 15 佐伯挺進隊長の決断
 16 第1中隊の危機
 17 連隊長の死の突撃
 18 ジットラ陥落のとき

勇猛「佐伯挺進隊」マレー戦記
英国の誇る東洋の牙城シンガポール突入戦秘話
(捜索第5連隊第2中隊長・内海庄三)

  1 敵は灼熱の空から
  2 高熱連隊長ふんばる
  3 ヤセがまんか意地か
  4 辻参謀のウィスキー
  5 九州男子の肝っ玉
  6 袋のなかの大ネズミ
  7 ぶきみな夜中渡河
  8 “黒人部隊”がゆく
  9 戦争とはクサイもの
 10 頭上にふる要塞砲弾
 11 大いそがし“直参旗本”
 12 豪華なる“弾丸よけ”
 13 山下軍司令官きたる
 14 オンボロ兵士たちの感涙

少年戦車兵泣き笑い虜囚記
フィリピン決戦場の主兵たち/機甲部隊終戦絵図
(津守独立戦車中隊員・弓井崇弘)

  1 飢えたるものの集団怪死
  2 独立戦車隊の悪夢の一夜
  3 待望の海で見た米飛行艇
  4 ポロ岬捕虜収容所にて
  5 PWに抗してパンツ一つ
  6 PXという名の宝の山で
  7 苦肉のビール作戦成功
  8 元戦車兵のジープ操縦術
  9 脱線した地獄への超特急
 10 赤鬼所長の目にも涙あり

解説
高野 弘 (雑誌「丸」編集長)



本書は、元戦車兵によって書かれた5編の体験記を載せている。
その中で、表題にもなっている体験記を書いているのが、我が戦友会の会員である砂川さん。
この間、お宅を訪問させていただき、いろいろとお話を聞かせていただいたが・・・
まさかこのような体験記を書いていたとは知らなかった。(笑)
偶然、ネットで見つけたので購入して読んでみた。

砂川さんが所属していた戦車第7連隊は、フィリピンのルソン島、サンマヌエルで旅団長、連隊長が共に戦死して壊滅している。
人の運命とは本当に不思議だと、つくづく思う・・・
この間、砂川さんにお会いした時は、往年の少年戦車兵も、齢89歳・・・
記憶もかなり曖昧になっておられた・・・(大笑)
本書に掲載されている体験記は昭和46年に雑誌『丸』に掲載されたものである。
昭和46年ということは・・・終戦後26年経った時点だから、まだ記憶も鮮明な頃に書かれたものである。
米軍のM4シャーマン戦車との対決などは、詳しく書かれていて面白い。
この戦闘があった現場近くにも昨年、実際に行っているので、なおさらである。

ちなみに・・・他の体験記であるが・・・
「捜索第5連隊」の「捜索」とは、昔の「騎兵」のことである。
馬に乗って騎馬戦を戦っていたが、その後、機械化され、装甲車または軽戦車、およびトラックが主体の編成となった。
いわゆる「機械化」されたわけである。
私の祖父は「捜索連隊」の連隊長だったが、何で「捜索」という名称になったのかを生前尋ねるのをわすれたので、その理由は知らない・・・(笑)
とにかくその機動力を生かして、奇襲をかけたり、敵の後方を撹乱して本隊の進出まで粘るのが任務だったような気がする。
大戦末期になると、現実には、なかなかそういう使い方をされなかったようだが・・・
緒戦では、この捜索第5連隊のように、機動力をフルに生かしてマレー半島を縦断しシンガポールに進撃した部隊もあったのである。
今年の6月に、私はこのマレー進撃の足跡を辿る旅に行く予定なので、この記事は大いに参考になった。

「津守独立戦車中隊」は知る人ぞ知る・・・という部隊なので、この体験記はかなり貴重であると思う。
これもまた、大いに勉強になった。



今年の読書:10冊目



読書 | 02:34:29 | Comments(0)
雪の通夜式
今日は“ウメちゃん”のお父さんの通夜式・・・
なのに・・・
なんと!
またまた雪が降った!

近年、滅多に雪が降ることもなく・・・
降っても1回ぐらい・・・それも1センチか2センチ積もるかどうか・・・という状態だったのに・・・
なんと!今年はこれで2回目である。
しかも、今日は「大雪」!
測って見たら、我が家の庭に積もった雪は7.5cmもあった。

あ~あ~・・・参ったなぁ~
葬祭場は山の上にあるのである・・・
この雪のなか、あの坂道を車で登らねばならぬのか?(大汗)

こんな状態では参列者はほとんどいないのではないか?
寂しい通夜式になってしまうのではなかろうか?
こういう時に無理してでも駆けつけなければ、拙者を高く評価してくださっていたお父様に申し訳がない・・・

今は亡き伯父の口癖・・・
「万難を排して事に当れ!」の声が頭をよぎった・・・(笑)

運というものは不思議なもので・・・
こういう時に“好運”が舞い込む・・・
年に1回も連絡を取り合うこともない先輩の“アライちゃん”から電話・・・
一緒に通夜式に行かないか?・・・という。
同じく先輩の“ウオちゃん”が運転する車で迎えに来てくれるという。
いやぁ~助かった!!(大喜)
自分で運転しないで済む!(大笑)

“ウオちゃん”の車だもんね!
スリップして事故を起こして大破しても、拙者の車じゃないから平気だもんね!(笑)
と・・・冗談を言ったら“ウオちゃん”は呆れ顔・・・(大笑)
「相変わらずキツイ冗談を言うなぁ~」

運転は“ウオちゃん”・・・
同乗者は拙者と“アライちゃん”と、おにぎり屋の“サトシくん”・・・
みんなで行くから行けるけど・・・一人で運転して坂道を登るのは怖い・・・(笑)

“ウオちゃん”・・・顔面蒼白、顔を引きつらせたまま黙々と運転する・・・(大笑)
・・・でしょうね・・・この雪の中・・怖いもん・・・

無事に葬祭場に到着。
ほとんど誰も来ないのかと思っていたら、結構、ご年配の方々も来ておられた。
“ウメちゃん”のお父さんの人徳だな・・・・
若い連中は、拙者の仲間達・・・
これは“ウメちゃん”の人徳だな・・・(笑)

とりあえず、このくらい集まっていれば何とか通夜式も格好がつくだろう。
いやぁ~安心した・・・

“ウメちゃん”が愚痴をこぼす・・・
「親父の奴、とんでもねぇことをしてくれたよぉ~最後の最後にこんなに雪を降らせやがって・・・」(苦笑)
今日の通夜式がどうなるかと“ウメちゃん”もハラハラだっただろう。
が・・・これはお父さんの嫌がらせではない・・・(大笑)
のちのち、子供達や孫達に、思い出させるため、わざと雪を降らせたに違いない!(笑)
この先、大雪が降るたび、お父さんの葬式のことを思い出すことになるだろう。
図ったな・・・(笑)

拙者の尊敬する連隊長だったおじいちゃんは、息子の誕生日に息を引き取った。
つまり、伯父ちゃんの誕生日とおじいちゃんの命日が同じ日なのである。(笑)
拙者がおじいちゃんの命日にお参りに行くと伯父ちゃんは「俺の誕生日のお祝に来てくれたんだよな?」とニヤリと笑う。
「へ?おじいちゃんの命日だから来たんですけど・・・」(笑)
「これだよ~親父め・・・俺が命日を忘れるとおもって、わざと俺の誕生日に合わせて死んだんだよなぁ~」
で・・・食事会・・・
普通なら「お誕生日おめでとうございます!乾杯!」となるところだが・・・・
残念ながら乾杯ではなく・・・全員で「献杯!」(大笑)
伯父ちゃんの悔しがること、悔しがること・・・今も思い出すと笑ってしまう。(大笑)

多分、“ウメちゃん”のお父さんも思い出に残るようにと雪を降らせたに違いない・・・
ちょっと降らせすぎた感があるが・・・(大笑)

帰りは道路の凍結が心配だったので、急いで退出する。
“ウオちゃん”“アライちゃん”のおかげで、本当に助かった・・・
感謝、感謝・・・である。

日記 | 11:12:19 | Comments(0)
タイムリミットは1時間!
どうも最近、時間の過ぎるのが速過ぎる気がしてならない・・・・
先日、正月を迎えたかと思ったら、もう2月である。
一日の過ぎるのも速過ぎる・・・・
さっき太陽が上ったんだよな?・・・・と思っていたら、いつの間にか沈み始めているのである!(唖然)
おかしい・・・
非常におかしい・・・

だいたい、拙者が小学生の時の、あの6年間は、やたらと長かったぞぉ~
なかなか6年生になれなかったんだから・・・(笑)
それに比べて、最近の6年間はどうだ・・・
あっという間である!

これは多分、地球の回転が早まっているのではないかと拙者は思うのである。
偉い学者さんは知っていながら黙っているに違いない・・・
もしかして、1日は24時間ではなく、12時間ぐらいになっているのかも・・・(大笑)

そういうわけで・・・
ボ~ッとしている間に一日が終ってしまうのである!!(涙)

そこで・・・対策!

今月に入ってから、全ての行動を1時間刻みとすることにした。
ボ~ッとテレビを見ていると、あっという間に2時間、3時間が過ぎてしまうのである。
カチャカチャとパソコンのキーボードを叩いている間に、いつの間にか数時間が過ぎ去ってしまうのである!
これではイカン!(笑)

ということで・・・タイムリミットを設けることにした。
一つの作業は1時間しかやらない!(笑)

これなら朝8時から夜中の1時まで17時間もある。
1時間刻みで作業を行なうとすれば、理論上は17種類の作業が行なえるのである。

同じ作業を延々と続けるから、いつの間にか一日が終ってしまうのである。
ならば、連続して作業を行なわないようにすればいい。
このブログも、書いていて1時間経ったら、即、やめる!(笑)
で・・・次の1時間は別の作業に移る。
で・・・その作業を1時間やったら、またブログを書く・・・1時間だけ・・・(笑)

読書も、1時間のみ・・・・ダラダラと読まない!
テレビも1時間だけ・・・・
こうすれば、一日の中で、色々できるのである。
1日の中でローテーションを組むから、17種類の作業というわけにはいかないが・・・

このことにようやく今頃、気がついた・・・
まぁ、子供の頃の「夏休みの計画」みたいなものなんですけど・・・(大笑)

これで、充実した1日が過ごせるのではあるまいか?

自己啓発 | 16:42:03 | Comments(0)
『日本名城秘話』
日本名城秘話 (徳間文庫)日本名城秘話 (徳間文庫)
(1995/01)
百瀬 明治

商品詳細を見る


築城名人の戦国武将たち
中世城郭から近世城郭へ
   堅固な防御陣を構成する中世城郭
   戦国大名の美意識が結実した天守閣
   築城の専門技術者集団
   築城黄金時代の名人たち

五稜郭
   函館戦争と五稜郭
弘前城
   津軽為信の弘前築城
仙台城
   関ヶ原合戦の副産物
若松城
   蒲生氏郷と若松城
川越城
   老中の居城
江戸城
   掘り出された江戸城
小田原城
   戦国最大の巨城
松本城
   石川数正と五層の大天守
甲府城
   武田信玄と征服者の城
金沢城
   天守のない名城
一乗谷館
   朝倉敏景の城づくり
浜松城
   徳川家康と浜松築城
名古屋城
   天下普請の城
岩村城
   女城主の哀話
岐阜城
   宣教師が見た信長の城
伊賀上野城
   天下一の平山城
彦根城
   寄せ集め建築の名城
安土城
   穴太の石工と大工岡部又右衛門
二条城
   覇者の城の落日
郡山城
   豊臣秀長と郡山築城
大坂城
   地下に眠る秀吉の巨城
篠山城
   天下太平の布石となった城
姫路城
   千姫と姫路城
岡山城
   安土城を模した天守
福山城
   勇将の築いた城
広島城
   中国の覇王と桃山文化
鳥取城
   二つの鳥取城
月山富田城
   掘り出された戦国城下町
萩城
   毛利輝元の萩築城
高松城
   壮大な海軍根拠地
今治城
   日本のゼーランジャ城
伊予松山城
   築城の名手、加藤嘉明
高知城
   百々越前の高知築城
福岡城
   天守がなかった巨城
島原城
   島原の乱と島原城
佐賀城
   歴史を語る鯱の門
臼杵城
   怒れる牝獅子エサベル
熊本城
   天下人になれなかった清正の城
飫肥城
   日本最長の攻防戦

敵城攻略のノウハウ
   戦国の攻城戦
   自滅を待つ
   地形を読む
   敵を揺さぶる
   理想的攻城戦法



本書に掲載されているお城・・・
既に行った事があるものもあるが、まだ訪れていない城もある。
こういう本を読むと、久し振りにまた、お城めぐりをしたいという悪い虫が騒ぎ出す。(笑)
ここはもう少し我慢をせねば・・・(大笑)


今年の読書:9冊目



読書 | 20:32:56 | Comments(0)
“ウメちゃん”のお父さん逝く
今日、“ウメちゃん”からお父さんが息を引き取ったという連絡が入った。
先日、体調を崩して入院されていたが、残念ながら回復はかなわなかった。
拙者の親父と同じ年齢である・・・

“ウメちゃん”の奥さんのご両親がなくなられた時は、なぜか拙者が海外に行っているときだった。
「イザという時に役にたたねぇなぁ~」といわれていたので、今回だけは何とかならぬかと思って、フィリピンから帰国するまではなんとか頑張って欲しいと伝えていた。
帰国後のことなので、今回は、ある意味、ホッとした。
特に親戚というわけではないが、やっぱり親しい人の不幸の時に不在というのは気が咎めるものである。

よりによって、今日は雪!!
今年初の降雪である。

005_convert_20140322182240.jpg 004_convert_20140322182127.jpg

よりによって、こういう時に雪とは・・・
“ウメちゃん”もお父さんの亡骸を病院から連れて帰るのが大変だろう・・・

“ウメちゃん”のお父さんとは、挨拶程度しかしたことがないのだが、なぜか、拙者のことを高く評価してくださっていた人で・・・
その昔、お父さんから拙者からよく指導を受けるように言われたと言って、“ウメちゃん”から「よろしくお願いします」などと頭を下げられてしまったことがある。
彼のほうが拙者より2歳も年上なんだけど・・・(苦笑)
その事が、それまで以上に親しく付き合うきっかけとなったのであるが・・・
でも、なんでお父さんは拙者のことを、そんなに“買って”くれたのだろう?
今もって不思議なのだが・・・
拙者は、そのお父さんに何のお礼もできず、お別れとなってしまった・・・
申し訳なし・・・

ご冥福をお祈りする・・・・

日記 | 18:14:25 | Comments(0)
『一個人 2013年1月号』
一個人 (いっこじん) 2013年 01月号 [雑誌]一個人 (いっこじん) 2013年 01月号 [雑誌]
(2012/11/26)
不明

商品詳細を見る


保存版特集
『論語』入門

『論語』基本のき
 論語の成立とは?
 論語の構成とは?
 論語の登場人物とは?
 論語の教えとは?

孔子の生涯
 孔子とはどんな人物だったのか
 孔子が生きた春秋時代とはどういう時代だったのか
 幼少期~吾れ十有五にして学に志す
   農民の父と、巫女の母の間に生まれ、母の教育を受ける
 三十代~三十にして立つ
   周の都・洛陽に留学して老子と出会う
 四十代~四十にして惑わず
   仕官への登用の夢かなわず、魯の国に帰国
 五十代~五十にして天命を知る
   孔子の絶頂期、「大司冠」にまで出世
 六十代~六十にして耳順う
   新たな仕官を求め、放浪の旅は続く
 七十代~七十にして心の欲する所に従って矩をこえず
   政治の第一線からは退き、弟子たちの教育に専念する

諸子百家の思想の変遷をたどる
 ①儒家と対立する法家、戦いに特化した兵家
 ②世界の在り方を考える「老荘思想」の流行
 ③職縁をもとに理想を追う墨家

儒教とは何か?
 儒教の教えの根本「仁」とは何か?
 儒教にとっての「死」の概念とは?

日本人と論語の歴史
 『論語』はどのように日本に伝わってきたか
 戦国時代にも『論語』を愛読した武将がいた!
 家康・綱吉が『論語』を治世の要として利用した
 江戸の思想家「儒者」の系譜
 幕末の志士たちを革命に駆り立てた『論語』
 近代日本を創った偉人たちの『論語』

位牌、葬儀、墓の起源は儒教にあった!

脳を鍛える『論語』の力

日本人の心に響く「論語」の言葉
 五徳の言葉
   徳で世を治める徳治主義を実践しようとした
 四字熟語
   目的と導きを組み合わせた、四字熟語による人生訓を知る
 ことわざ
   親しまれている成句を用いて分かりやすく先人の知恵を伝える
 生き方・人生観
   人生の目標は成功ではない。善なる道を進むことが重要だ
 人付き合い
   思いやりと礼節をもって人に接すれば人は集まって来る
 仕事
   孔子は理想的な社会の実現のため政治家の育成に力を注いだ
 政治
   国民との信頼関係を結ぶことを優先し、民を思いやる
 学び
   学び続けることの大切さを説き、生涯学習の理念を生んだ
 家族
   親への尊敬と礼儀を失わず孝行を重ねることが家族の基本

故郷・曲阜をはじめ、アジア各地に残る孔子の霊廟を巡る
日本とアジアの孔子廟
 孔子廟とはなにか?
 日本の代表格 湯島聖堂の歴史
 日本各地の孔子廟
 孔子の故郷 中国・曲阜の孔子廟
 アジア各地の孔子廟



「論語」は、どうも好きになれない・・・
子供の頃は「論語」に興味を持っていたし、少しは読んだりしたが・・・
歳を取ったら全く面白くない・・・(笑)
にもかかわらず・・・買ってしまった・・・
で・・・1年以上も部屋に放置していたので、もったいないから読んでみた。(笑)

前半部分・・・・
なるほどねぇ~と結構勉強になる。
しかも読み易いし分かりやすく書かれている。
確かに、これは「保存版」だろう・・・

が・・・日本人の心に響く「論語」の言葉・・・になると・・・???
私には全く響きませんけど・・・(笑)
文の構成にもよるのかも知れないが・・・陳腐である・・・・
論語、論語ともてはやされているが・・・
その割には論語に書かれていることを実践している人はどのくらいいるのだろう。
イザとなったら背に腹は替えられません・・・という連中ばかりではなかろうかという気がしてムカツクのである。
「論語の言葉」など、薄っぺらで綺麗事ばかりのような気がして、どうしても面白くない。
言っていることは、良い事を言っているんでしょうけど・・・(笑)
「論語の言葉」を書き並べて、素晴らしい事を言っているでしょう?勉強になるでしょう?・・・は結構だが・・・
じゃぁ、どうするんだよ!実行するのか?出来るのか?・・・と突っ込みたくなるのである。(大笑)

孔子様も結構、「論語」も結構だが、その割には、“人格者”という人が見当たらないのはどういうことだ?
拝金主義者ばかりが目立つんですけど・・・(笑)

「論語の言葉」を持ち出してくれたおかげで、ガッカリ・・・(大笑)
読後感は残念な結果となってしまった。



今年の読書:8冊目



読書 | 12:11:44 | Comments(0)