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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『戦車隊よもやま物語』
戦車隊よもやま物語―部隊創設から実戦まで (光人社NF文庫)戦車隊よもやま物語―部隊創設から実戦まで (光人社NF文庫)
(2004/11)
寺本 弘

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歌で綴る戦車史
戦車の草分けは?
国産戦車の誕生
ディーゼルエンジンの採用
国産戦車の初陣
戦車部隊の増設
昭和の軍神・西住戦車長
異彩を放った戦車将校
戦車士官候補生、見参
若獅子、少年戦車兵
大戦前夜の機甲戦力
縁起をかつぐ
大戦の緒戦を飾った戦車
12月8日、われわれは
ウィンク指揮
辻参謀との出会い
初陣の心理
破天荒の命令
戦場のセレモニー
戦車の戦闘準備
障害にはつねに火力あり
疑わしい箇所は撃て
異常心理は走る
食うか食われるか
サンドイッチ戦法
戦車内のトラブル
激闘の中で観たもの
狙撃兵に狙われる
チャーチル給養
暑い戦場の正月
15万両のお棺
ゲマスに散る(1)
ゲマスに散る(2)
くそ度胸とは
ゴムの木と踊る
戦場の禁句(1)
戦場の禁句(2)
捕虜
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私設将校の差し出し
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奇々怪々の戦場
荒治療
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紫煙は東に流れた
「人車一体」の姿を見た
戦場の快感
補充兵
戦車と対戦車地雷
M3戦車との対決(1)
M3戦車との対決(2)
M3戦車との対決(3)
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軍刀と拳銃の効果
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敵性語は使うべからず
大陸に咲き島嶼に散る
空から降る戦車
イリサンの戦車特攻
本土決戦の戦車力
弱点射撃で勝てるか?
戦場の創意
おらが連隊長
型破り連隊長
ある日の山下大将
あとがき



今年の読書:7冊目



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読書 | 15:21:16 | Comments(0)
今日は帰国の日
今日は帰国する日である。

午前8時、チェックアウトして、車で市内を「車窓見学」・・・

498_convert_20140320153703.jpg(マニラ大聖堂)

「イントラムロス」という場所にある「マニラ大聖堂」の近くに「サンタ・イサベル」という小さな公園があった。
車から降りて、ここを見学・・・
ここには、モニュメントがある。

499_convert_20140320153803.jpg 502_convert_20140320160523.jpg

このモニュメントは、戦争で犠牲になったマニラ市民を追悼するものだそうだ・・・
英文の碑文によれば、1945年(昭和20年)1月3日から3月3日までの戦闘で、市民10万人以上が犠牲になったとある。

「マニラ市街戦」では多くのフィリピン市民が犠牲になっているが、その直接的原因は米軍による無差別砲爆撃である。
10万人以上の一般市民を日本兵が殺害したわけではない。
米軍はマニラ市内に立て籠もって頑強に抵抗する日本軍に手を焼いて無差別砲爆撃をしたと拙者は認識している。
陸軍の山下奉文司令官は、ここから日本軍を山岳地帯へ移動させ、マニラが戦火に巻き込まれないようにと考えたようだが、主として海軍側がこれに応じず、市内に立て籠もってしまった。
そのためにマニラ市内が戦場と化してしまったわけである。
そこに日本軍がいなければ、戦闘は起きなかったわけだから、日本軍側にも責任はあろうが・・・
直接手を下した責任は明らかに米軍側にあると拙者は認識している。
米軍による虐殺行為と言ってもいいはずだが・・・(汗)
そういうことは間違っても碑文には刻まれてはいない。
当然か・・・(笑)

ツアー参加者からお土産屋さんに立ち寄って欲しいとの要望があり、免税店のお土産屋さんに行くことになる。
拙者はべつに何も買う気がないので・・・外でタバコを吸って時間つぶし・・・(大笑)

次に向かったのは、「空軍博物館」!
昨日のうちに添乗員さんに、時間があるなら、ここへ行ってみたらどうかと話しておいたのである。
この「空軍博物館」には、ルバング島から生還した「小野田少尉」に関する展示品もある。
一般的な観光ツアーではまず訪問しない場所だろうから、こういうツアーでは是非・・・と進言しておいたのである。
添乗員さんもガイドさんも、ここに行った事はないとのことで、「あなたは、よく知ってますねぇ~」などと半分呆れられた。

513_convert_20140321212702.jpg

ここの屋外には、各種の航空機などが展示されている。
その中に日本のYS-11がある。
これはマルコス大統領の「大統領専用機」・・・・
フィリピン大統領の専用機が、日本のYS-11だったなんて知っている人は少ないのではなかろうか?
で・・・是非、見てもらいたかったのだが・・・
以前、拙者が訪問した時は機内に入って内部を自由に見学できたのに、今回来てみたら、ドアが完全に閉じられていて内部の見学が出来ないようになっていた・・・(大涙)
あ~ショックである!

が・・・ここで何だかんだと1時間近く見学していただき、案内した拙者としては満足・・・(笑)

この後、空港へ向かい、午後3時発、フィリピン航空432便で成田に向う。
拙者はいつものように、今晩は成田のホテルに一泊となる。

旅行 | 15:24:01 | Comments(0)
ルソン島へ行く
今日は4時起床、4時半にホテルをチェックアウト・・・とのこと。
だが、だいたい、のろまな拙者がベッドから起きて30分で身支度を整えることができるわけがない・・・(大笑)
結局、起床は午前3時・・・
殆ど睡眠を取っていない・・・(涙)
にもかかわらず、なぜか元気!(大笑)
昨日、残り物の「ドリアン」を、皆さんから「あんたが全部食べろ」と言われて全部食べちゃったせいだろうか?(笑)
“精力”が付きすぎてしまったのか?(大笑)
全然疲れてねぇぞ・・・(汗)

集合時間前にロビーに行ったら、ロビーは朝早すぎて薄暗い・・・(笑)
すでに何人かが集まっていた。
で・・・恒例の喫煙!目覚めの一服・・・である!(大笑)
ソファーに座っていた“タカサカさん”が荷物を見ていてくれるというので、“イケダさん”と二人でタバコを吸いに外に出かける。
まもなく、添乗員さんが「出発しますよ!荷物はどうしたんですか!」と半分怒ったような感じで我々を呼びに来た。
ん?まだ出発時間には早いんだけど・・・
どうも時間前にみなさん、集合されたようである。
で・・・予定より早く出発することになったようである。

で・・・ロビーに戻ったら・・・
ゲゲゲッ!
誰もいないロビーに我々の荷物だけがポツンと置き去りになっていた!
あ~あ~・・・・
“荷物を見ている”はずの“タカサカさん”は、ただ“見ていた”だけのようで・・・
我々の荷物を置き去りにしてサッサと車に乗っていた・・・(唖然)(怒!)
どうもこの方は「見ている」の意味がわかっていないようである。
こういう無責任な人の言葉を信じちゃいけない・・・
ロビーには幸い誰もいなかったので盗まれることはなかったが・・・
いやぁ~あぶねぇ、あぶねぇ・・・
他人を頼ってはいけない・・・とくに調子のいい無責任な人を・・・
反省、反省・・・・
危機管理が出来ていなかった・・・

470_convert_20140313153335.jpg

ホテルで用意してくれたサンドイッチの弁当を空港の待合室で食べ・・・
ダバオ発、午前6時35分のフィリピン航空810便でマニラに向う。

475_convert_20140313154020.jpg 478_convert_20140313154103.jpg

午前8時半ごろマニラ空港に到着・・・
ここから車で真っ直ぐ「カリラヤ」にある「比島戦没者慰霊碑」に向う。
拙者は、正直言って、ここは好きではない。
「カリラヤ」という場所では大して大きな戦闘があったわけでもない。
戦後、岸信介元総理がこの慰霊碑の設置に関わっていたそうで・・・・
場所はフィリピンの電力会社所有の敷地・・・
たぶん、政治がらみじゃなかったのかなぁ~と想像しちゃうんですけど・・・
こんな辺鄙な場所に、わざわざ造るとはねぇ~
もっと多くの日本人が死んだ場所に造ればいいものを、なんで、こんな関係もない場所に造ったのか・・・
日本の公式の慰霊祭や、遺族会などの慰霊団は必ずここに来て参拝するのだが・・・
わざわざ時間をかけてマニラから来るほどの場所じゃないと思うんですけど・・・
拙者は、毎回、ここに連れて来られるたびにムカつくのである。(怒)
こんな場所に、フィリピン全土で戦死した英霊が集まってくるとは思えないのである。

484_convert_20140318163011.jpg

時刻は11時半・・・
簡単な慰霊祭を執り行い、ここで昼食をとることとする。

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旅行社のほうで手配して車に乗せてきた弁当を頂く。
これがまた、メチャクチャ美味しい弁当なのである!
日本国内で食べる下手な弁当より、数段美味しいのである!
フィリピンで、こんなに美味しい弁当にありつけるとは・・・こりゃ、大感動だった!(大喜)

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ここには、以前、戦友会やら遺族会などが建てた慰霊碑があった。
今回来てみたら全て撤去され、看板が建っていた。
以前から、土地の持ち主に無断で慰霊碑を建てていたことが問題となっていたが、ついに撤去されて敷地内に埋められてしまったようである。
まぁ、土地の所有者(フィリピンの電力公社)に無断で建てる事自体が非常識であるから仕方があるまい。
これら慰霊碑を勝手に建てた「団体」の良識を疑わざるを得ないが・・・

しかし、以前から、フィリピン各地にある建立者が解散してしまい管理する人がいなくなった慰霊碑が撤去されてきたが、そういうものを日本政府の手で、ここに移設することは出来なかったのだろうか・・・という気がする。
日本の戦没者の慰霊公苑ということであれば、日本政府の手でそのくらいのことをしても良さそうなものだが・・・
どうせ、形だけの「慰霊公苑」なのだろうから、そういうことは無理か・・・・(汗)

次に向かったのは、山下奉文大将処刑の地・・・

ここは、かなり以前に入口の場所が替わってしまい、狭い路地を入った突き当たりに入り口がある。
その路地を見つけるのに一苦労・・・
ガイドも久しぶりの訪問なので忘れているし、拙者も久しぶりなので案内する自信がない。(笑)
たしか・・・電信柱があった、すぐ近くの路地を入って左に曲がって進むはずだが・・・
さて・・・この次の路地か・・・それとも、その先の路地か・・・(汗)
ガイドと拙者で、あ~でもねぇ、こ~でもねぇと言いながら、ようやく路地の入口を見つけて、無事に到着!

495_convert_20140319213725.jpg 494_convert_20140319213814.jpg

久し振りに訪問したら、「処刑地跡」は随分、荒れているような感じ・・・
近所の“管理人”らしき現地人の話では、わざと草を刈らず、枯れてから刈ろうと思っているとか何とか言い訳していたが・・・(笑)

489_convert_20140319214805.jpg 490_convert_20140319214920.jpg

拙者が、ここに最初に訪れた時は、処刑地跡の慰霊碑には小屋がけはされていなかった・・・
その後、整備されて、小屋がけされたが、一度、この屋根瓦が割れてしまったことがあり、この瓦を提供した“カメイさん”と2人で修復後の様子を確認しに来たのが最後だったと思う。
あれから何年経っただろう・・・
周囲の木が大きく育ってしまって雰囲気が随分変ったような気がするが・・・屋根瓦は健在のようなので良かった。

“コウノさん”は事前に山下奉文の本を読んで感動し、この地を訪れるのが今回の旅のメインテーマなのだとおっしゃる。
で・・・ついでに、拙者のホームページの過去の訪問記事もプリントして持参しておられた。(汗)
いやぁ~何とも照れくさい・・・(大笑)

この場所のすぐ近くに本間雅晴中将が処刑された場所がある。
直ぐ隣りの土地だが、所有者が違うので、入れないのではないかと言う。
以前は老夫妻が管理されていたようだが・・・今はどうされているのか・・・
確か、奥様がお亡くなりになった頃、訪問したので、おじいさんに弔意を伝えたが・・・
あのおじいさんはどうしたか・・・
地元の“管理人”らしき青年に案内するように言って、半ば強引に本間中将処刑地に皆さんを案内する。
こうなると、一体、誰がガイドなのか・・・(大笑)

目と鼻の先まで来ていながら、お参りせずに帰ったのでは本間さんに申し訳ない・・・と思うのである。

492_convert_20140319220659.jpg(本間中将処刑地跡)

時刻は午後2時・・・
マニラ市内のホテルに向う。

午後3時半ごろホテルに到着・・・
この「トレーダース・ホテル」は、日本人がよく宿泊するホテルだが、拙者は初めての宿泊である。
拙者の“定宿”は、ここから少し離れている。
チェックインの手続きを終えて、皆さんは各自部屋に入る。
拙者はコーヒーが飲みたいし、タバコも吸いたかったので、部屋に入る前に“イケダさん”とコーヒーラウンジへ・・・

店内で拙者のことをズ~ッと見ているフィリピン人女性が・・・(大笑)
しばらくして・・・「あのぉ~私のことを覚えていますか?」と日本語で声をかけてきた。(驚)
さて・・・誰だろう????(大汗)
尋ねてみたら、どうも“飲み屋さん”のママらしい・・・
拙者は滅多に外に酒を飲みに行くということはない・・・
今までに行ったことがあるお店は2軒だけである。
話をしているうち、そのうちの1軒のお店のママさんだということがわかった。(笑)
しかし、そのお店に行ったのは・・・もう6年ぐらい前のことなんですけど・・・(大笑)
それにしても、よく拙者の顔を覚えていたものである。(唖然)
拙者は全然覚えていない。
“イケダさん”からは「あんたは顔が広いねぇ~」と呆れられたが・・・
そんなわけ、ないんだけどなぁ~(大笑)

彼女は、このホテルで日本人のお客さんをお店に誘うため待機しているという。
いやぁ~御苦労様なことである。
最近は日本人ツアー客も少なくなり、また、誘っても話しに乗ってくれるお客が少ないので商売が大変だという。
ここで会ったのも何かの縁というものであろう。(大笑)
夕食後、彼女の店に行ってあげることにする。
“イケダさん”は行く気はないと言うので、拙者一人だけだが・・・まぁ、いいだろう・・・(笑)

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497_convert_20140319223856.jpg(部屋から見た景色)

夕食の時間まで余裕があるので、ホテルの周囲を一人で散策する。
ホテルから少し離れたところにコンビニがあるのを発見・・・
収穫はそれだけ・・・(笑)
ホテルの裏のほうは、雑多な建物がゴチャゴチャと建ち並んでいるだけ。
道路にテーブルとイスを出しているような“簡易食堂”のオバチャンから「食事をしていかないか?」と声をかけられたが、これから夕食に出かけるのである!(笑)
いくらなんでも、ここで飯を食うわけにはいかぬので断る・・・(大笑)

夕食はホテルの外のレストランで・・・・
“ヨシダさん”ご夫妻が、今回はみなさんに大変お世話になったから・・・と、飲み物をご馳走してくださった。
感謝、感謝・・・

食後、ホテルに戻り、“待ち構えていた”ママさんに“拉致”されて、タクシーに乗り込みお店へ向う。
ツアー仲間から変な誤解を受けそうな行動だが・・・(大笑)
久し振りに飲んで歌って・・・ホテルまでママさんにタクシーで送ってもらい無事“ご帰還”となる・・・・(大笑)

旅行 | 17:16:19 | Comments(0)
ミンダナオ島めぐり(5)
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海岸の近くの林の中にコンクリート製の倉庫があった・・・
これが古川拓殖の倉庫の残骸だそうで、当時はここにマニラ麻が保管され、ここから港に運んでいたようである。
他にもいくつも同じような倉庫がここにあったらしい。
もう少し奥のほうにコンクリートの基礎部分だけが残っているような場所もあった。

ここを見学しながら写真を撮っていたら、ショットガンを持った警備員がやってきて、写真を撮るなと言う。
彼と話をしてみたら、ここは個人の所有地で、勝手に立ち入ってはいけないと言う。
あらら・・・
我々は決して怪しいもんじゃないんですけど・・・
「歴史の勉強をしていてね・・・で・・・日本人が造った倉庫だから、それの写真を撮っていただけなんだけど・・・写真・・・ダメ?」
「ダメです!」
あらら・・・

と・・・向うの方から別のガードマンが自動小銃を抱えてやって来た!
その形相は、ただ事ではない!(大汗!)

「ヤバイ!」(汗)
「急いで!逃げましょう!」と“イケダさん”を促す。
なにせ、他の人達はもう姿が見えない・・・拙者がガードマンと話をしているうちに逃げたようだ。(大笑)
で・・・取り残されたのは、拙者と“イケダさん”・・・

ところが、“イケダさん”・・・
何を考えているのか、悠然と歩いている。
あのね・・・俺、しらねぇ~よ!(大汗)
振り返って後ろを見たら、遥か後方で4人ほどのガードマンに囲まれていた!(汗)
言葉が通じないくせに・・・
ヘラヘラ笑いながらタバコを吸い始め、ガードマンたちにタバコをすすめている。(唖然!)
ガードマンたちは鬼のような形相である!
あ~あ~・・・手がかかる人だ!(怒)

“イケダさん”とは以前、予科練主催のツアーで初めてお会いした間柄。
今回、拙者がこのツアーに参加するなら是非誘ってくれというので、誘ったのだが・・・
ハワイでのツアーでは、こんなに手のかかる人だとは思わなかったんだけどなぁ~(大汗)

急いで引き返し・・・
「何してるんですか!早く!早く!」
しかし、全然ダメ・・・ヘラヘラしていて全く応じない・・・
で・・・ついに・・・「バカやろう!サッサとしろ!」と怒鳴っちゃった!(大汗)
さすがに、拙者の怒鳴り声で“イケダさん”は顔面蒼白・・・
ようやく事の重大さに気が付いたようである。
「早く!早く!逃げなくちゃならないのに何をしてるんですか!」(怒)

この敷地には立ち入り禁止の看板等は見かけなかったので、間違って立ち入ったとしても、それは仕方がない。
が・・・ガードマンから説明を受けて立ち去るように言われているのに、ノラリクラリ、ヘラヘラ、ニヤニヤして、その場に留まっていたのでは、必ずトラブルに発展する。
言葉が通じないんだから、なおさら誤解を生じる可能性が高い。
何かあってからでは、後から何を言っても、もう遅いのである。
こういう時は、さっさと立ち去るべきである。
どうも、こういう“空気”が読めない人というのは困ったものである。(大汗)

すでに他のツアー参加者は車の中に乗っていた。
その車の周りを10人ほどの自動小銃を構えたガードマンが取り囲んでいる・・・
いやぁ~ここの地主って金持ちなんだなぁ~・・・こんなに雇っているの?(笑)
ガードマンの皆さんに睨みつけられた・・・(大汗)
そりゃ、そうでしょうねぇ~・・・勝手に入っちゃったんだから・・・

この敷地のギリギリまで、雑多な家が建ち並んでいる。
まぁ、余り豊かではない人達である。
で・・・つい、うっかりしていると、こういう連中が勝手に敷地内に掘っ立て小屋を建てて住み着いてしまうのだそうで・・・
それで四六時中、ガードマンが目を光らせているそうだ。

それにしても他人の土地に無断で侵入して見学とは・・・困ったガイドである。
それならそうと事前に「ここは他人の土地で無断で侵入することになりますから、ササッと写真を撮って立ち去りましょう」と言ってくれていれば、こちらも気をつけたが・・・
まさか、こういうことになろうとは・・・
日本人のイメージを悪くしちゃったよなぁ~・・・これ・・・

車の中で“イケダさん”に「バカやろう」発言を謝罪した・・・(汗)
いくらなんでも、かなりの年長者に対していうべき言葉ではない・・・・
ついつい、カ~ッと頭に血が上ってしまい暴言を吐いてしまった。
「いやぁ~あの状況では仕方がないよ。言われてもしょうがないと思っているから・・・」とおっしゃってくださったが・・・
内心は面白くないとは思っているだろう。
申し訳なし・・・

ホテルへ戻る途中、ちょっと果物でも食べてみましょうかということでマーケットに立ち寄る。
立ち寄ったのは、屋台のような果物市場である。

463_convert_20140310142052.jpg 459_convert_20140310142223.jpg

ここダバオでは「ドリアン」という果物が有名なのだそうで・・・
これを食べてみようということでガイドさんに買ってもらい、その場で食べることになる。
「ドリアン」は「果物の王様」とも呼ばれているそうで、匂いがスゴイので、ホテルなどには持ち込んではいけないことになっている。

460_convert_20140310142718.jpg 464_convert_20140310142826.jpg
(ドリアン)

ドリアンの実を、お店の人に割ってもらい、その場で試食・・・
臭いとよく言われるが、拙者は特別気にならなかった。
日本の納豆のほうが、もっと臭いんじゃあるまいか?(笑)
中身を指でつまんで食べるが・・・
ネト~ッ、ヌルヌル・・・何か腐っているような感触である。(笑)
腐りかけている謎の海洋生物を食べている感じ・・・(そんなものを食べたことはないが・・・)(大笑)
味は、それほど甘いというほどのものではない。
べつに・・・「美味しい!」・・・というほどのものでもない。
ねっとり・・・とした食感である。

ドリアンにハマってしまうと、嫁さんを質に入れても買いたくなる・・・とよく言われるそうだが・・・
嫁を質に入れてまで食べたいというほど美味しいものではない。(拙者個人としては・・・・)
まぁ、嫁を質に入れたいという人はたくさんおられるとは思うけど・・・(大笑)

ツアー参加者仲間は慎み深いのか・・・一つまみしか食べない・・・
残したのでは、もったいないではないか?
ということで、残りは拙者が一人で頂く(大笑)
「ドリアン」は栄養豊富な果物だそうで、その昔は、国王なんかが精力増強のために食べていたとか・・・
「そんなに食べて、今晩、大丈夫か?」「そんなに精力つけて、これからどうしようっていうんだ?」と冗談が飛び出す。(大笑)
え~・・・ノーコメント!(大笑)

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(マンゴスチン)

続いて・・・マンゴスチン!
どうせ最終的には拙者が残り物を全部食べなくちゃならないのだろうからということで、拙者がおカネを出すことにした。(笑)
このマンゴスチンは「果物の女王」と呼ばれているそうだ。
実の割り方は、両手で押しつぶすようにすると割れる。
お店の人が、やって見せてくれた。
で・・・中の実は、甘酸っぱくて美味しい!
さっぱりした感じ・・・
「王様」のねっとりとした感じとは違う。
さすがは「女王様」である。(笑)
マンゴスチンは初めて食べたが、これは美味しい。

468_convert_20140310151544.jpg
(パンの実???)

続いて食したのが・・・「パンの実」・・・・
ガイドさんが「パンの実」と言っていたが・・・これがそう?
拙者は、これでパンを作るんだと思っていたのだが、割ると、なかに種のようなものがギッシリ・・・
う~ん・・・これじゃパンは作れないよな?(笑)
この種のようなものを食べてみると、ほのかに甘い・・・
甘いんじゃ、ますます「パン」にはならないような気がする。
「パンの実」って言っていたけど、これは別の果物ではなかろうか?(笑)
結局、よくわからない・・・(大笑)

時刻は4時半を過ぎた・・・
ホテルに帰る。

夕方6時から、市内のレストランで夕食。
“ヨシダさん”の親戚を交えての食事会。

今日は、このあと拙者には個人的な用事がある。(喜)
夜8時半に、ホテルのラウンジで待ち合わせなのだ。
予定通り8時にはホテルに戻ることができた・・・助かった!

待ち合わせの相手は、現地に在住している日本人・・・
4年前の10月25日、ミンダナオ島のスリガオで平和式典が開催され、それに拙者は一人で参加した。
この平和式典は、昭和19年10月25日に惹起した「スリガオ海峡海戦」で戦没した方々を弔う平和式典である。
毎年、日本・アメリカ・オーストラリア・フィリピンの4カ国の代表が集まって行なわれるのだが、日本側からは誰も参加しない。
日本領事館も「忙しいから」と言って参加をしない・・・
誰か日本人に来てもらいたいという現地の市長さんからの要請で、拙者が一人、この式典に参加することになった。
が・・・なにせ、英語が苦手・・・(大笑)
そこで、ダバオ在住の日本人である“ミヤケさん”が車で10時間もかけて応援に来てくださった。
スリガオ市長からの要請を取り次いだ“フルサワさん”が、“ミヤケさん”に応援を頼んでくださったのである。
初対面だったが、いやぁ~心強いこと・・・
アメリカ側の代表は戦史研究家の方で、その他、家族や親戚など関係者がゾロゾロと参加・・・
対する日本代表は拙者一人・・・・ポツ~ン・・・(大涙)
“ミヤケさん”には特にテレビのインタビューの時に通訳をしていただき大いに助けていただいた。

で・・・あれから4年・・・あっという間である。
“ミヤケさん”は所用のため式典途中でまた10時間かけて自宅に帰られ、拙者はバタバタしていて、何もお礼できぬままお別れしてしまい気になっていたのだが、今回、ダバオに寄るので、是非会いたいと連絡をしておいたのである。

午後8時半・・・4年ぶりに“ミヤケさん”と再会である!(大喜!)
積もる話も山々あれど・・・なぜか不思議とスリガオでの平和式典より別の話で盛り上がる。
お会いするのが今回が2回目だというのに・・・もう、昔から良く知っているような不思議な感覚・・・(笑)
ラウンジでコーヒーを飲みながら、オシャベリ・・・
で・・・これからどうしようか?・・・(笑)
“ミヤケさん”はダバオ市内から車で1時間ぐらい離れたところに住んでおられるという。
そこで農場を経営していて、生産した農作物は日本にも輸出されているという。
日本からダバオに移り住んでもう43年も経つという。
所用でダバオ市内に来た時は、サウナに行く事にしているので、サウナに一緒に行かないかと誘われた。
実は、拙者はサウナというものに入ったことがないのである。
是非!・・・ということで出かける。

サウナの中でも延々とオシャベリ・・・・
マッサージルームでマッサージをしてもらいホテルに戻る。
時刻は夜の11時半過ぎ・・・

「明日は何時の飛行機?」と“ミヤケさん”・・・・
「え~と・・・4時起床、4時半にホテルをチェックアウトで~す!」(笑)
「いやぁ~そりゃ悪いことしちゃったなぁ~・・・寝る時間がないだろ?」
「睡眠時間よりミヤケさんに会うほうが大事ですから構いませ~ん!」(大笑)

ホテルの入口で車から降ろしてもらい、またの再会を約して別れる・・・

う~ん・・・今日はいい日だった!
最高である・・・
わざわざ会いに来てくださった“ミヤケさん”に感謝、感謝・・・・大感激である!

旅行 | 15:47:57 | Comments(0)
ミンダナオ島めぐり(4)
朝食後、出発までに少々余裕があったので、ホテルの外に出てみた。(笑)
う~ん・・・これといって散策したいという場所が無い・・・(涙)

419_convert_20140303134321.jpg(マルコポーロ・ホテル)

418_convert_20140303134803.jpg(ホテルの前の道)

なんだなぁ~・・・なんか不便なところに泊まっている感じ・・・(笑)

今日は、これといった観光でもなければ、戦跡訪問、慰霊巡拝でもなさそうである。
“ヨシダさん”のご先祖様の足跡を辿るという一日になるそうだ。

421_convert_20140303150057.jpg 422_convert_20140303150142.jpg

“ヨシダさん”の親戚宅に立ち寄って、親戚の方を乗せ・・・
最初に向かったのは『タヤバス小学校』・・・・
「タヤバス」という地名は、どこかで聞いたことがあるような気がするのだが・・・
確か、このあたりで戦闘があったんじゃないかなぁ~
が・・・ここに来たのは、“ヨシダさん”のおじいさんの家がここにあったから・・・・ということらしい。

この後、“ヨシダさん”の親戚の家を訪ねたが、お留守のため引き返す。
その帰り道に見えたのが、通称「吉田山」・・・・

423_convert_20140303171606.jpg(吉田山)

「山」と言っても、小高い丘にしか見えないが・・・
名前の由来は、この地域に住んでいた“ヨシダさん”のおじいさんだろう。
このおじいさんは、この地域の大酋長の娘さんと結婚したらしい。
で・・・子孫がいるわけだが・・・
話によると、日本にも奥さんがいたそうで・・・・
どうも事情が複雑でややっこしい・・・(大汗)

この「吉田山」には「片桐大隊」という部隊がいたという話がチラリと出たが・・・
拙者は事前に勉強していなかったので、さて・・・正式名称は何なのか、どんな部隊だっったのかも知らない。
事前によく勉強していないと、こういうことになる・・・(涙)
話の主体は、この山にあった「吉田神社」の話で・・・
戦後、この神社が、どうしたのこうしたの・・・という話・・・
今は神社は消滅し、何も残っていないそうである。

時刻は10時半・・・・

次は、アポ山というミンダナオ島で一番高い山の麓にある「自然公園」に向う。
どうしてここに行くのか・・・拙者は全く知らなかったが、どうもこの公園・・・
戦前は「吉田公園」と呼ばれていたそうである。
“ヨシダさん”のおじいさんは、このあたりの名士だったのだろう・・・
日本人移民の活躍の一端を知る。
戦後、“ヨシダさん”のおじいさんの奥さんの名を取って「イーデン自然公園」と名付けられている。

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「ツアーセンター」で受付をして・・・まずは昼食・・・
公園内を「ツアー・バス」で回るらしく、その出発時刻は午後1時・・・
それまでに昼食を済ませておこうということで、園内のレストランで食事をする。

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最初は我々くらいしか客がいなかったが、そのうちドドッと若い連中が入ってきた。
どうもフィリピン人の学生達らしい。
何かの研修なのか、遠足なのか・・・(笑)

この「自然公園」は、リゾート施設が整っているようである。
レストラン、研修室、宿泊所、プール、アスレチック施設・・・等々・・・
当然、フラワーガーデンだの、畑だの・・・というのもある。
申し訳ないのだが・・・拙者は全くといっていいほど興味は無い・・・
植物は好きだし、自分で花を育てたりもしてはいるが・・・
花の名前を聞いても覚えられないし・・・
どうせ日本では育てることはない花の話を聞いてもねぇ~(笑)
本当に植物が好きな人は熱心に聞くかもしれないが・・・
もしかしたら、拙者は本当は植物が好きではないのかも・・・(大笑)
全然、話を聞く気がおこらない・・・・退屈である・・・(笑)


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軽トラックの荷台を改造したような「ツアーバス」・・・・
これに乗って「自然公園」のごく一部だが・・・見て回ったのである。

ツアーの不便なところは、ガイドのそばに常にいないと説明を聞き逃してしまうということ。
で・・・ガイドの説明している“もの”だけを見て・・・
「では、次に行きま~す!」と言われてしまうと、写真を撮るのも困難となる。
ましてや、自分の興味のあるものを見ようなんてこともできない。
言われたまま、指図されたまま行動をするしかない。
拙者は基本的に団体行動が苦手である。(笑)
ツアー旅行には向かないタイプである。(大笑)
というわけで・・・自分で探索するのが好きなので・・・ついついガイドから離れて行動をしてしまう。
だから、ガイドの説明は全く聞いていない。(大笑)
どうせ聞いても三歩も歩いたら忘れちゃうし・・・(大笑)
ガイドの説明を聞いているだけ時間の無駄である。

単独行動と言っても、ツアーに迷惑はかけられないから、みんなから見えるあたりをウロウロしてるか・・・
ガイドに声をかけて許可をもらって行動をする。

で・・・単独行動を取って見つけたのが・・・これ・・・

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英語の説明板によれば・・・(ビサヤ語でなくて良かったが・・・笑)
これは、昔のシャーマン(まじない師)の家を復元したものらしい。
ここで、まじないによる病気の治療などをしていたらしい。
へぇ~・・・・拙者は、こっちのほうに興味がある。(大笑)

次に向かったのは、「古川拓殖会社」の事務所跡・・・
この「古川拓殖会社」というのは、古川義三という人が大正3年(1914年)に、ここダバオで設立した会社で、「マニラ麻(アパカ)」を栽培して輸出した会社・・・
この「マニラ麻」は、戦前、フィリピンの輸出農産物のトップとなるほど成長した産業だったが、日本の敗戦後は全財産が没収され、日本人移住者の多くが強制送還となったらしい。
創業者の古川義三氏は昭和60年(1985年)にお亡くなりになっている。
この人のお母さんの姉、つまり伯母さんの旦那さん、つまり、義理の伯父さんが・・・(面倒な話ですが・・・)
伊藤商店(現・伊藤忠商事)の創業者である伊藤忠兵衛・・・
伯父さんの影響を受けたのかなぁ~?
伊藤商店の支援を受けてこの会社は設立されたようである。

ダバオのマニラ麻産業は、太田恭三郎の「太田興業」と、古川義三の「古川拓殖」で発展したと言っていいだろう。

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昔懐かしい木造の事務所である。
拙者の会社も、拙者が子供の頃は、こんな風な木造の会社だったんだよなぁ~・・・と、つい、昔を思い出してしまった。(笑)
この建物は、現在、政府の管理下におかれているようで、そのようなことが英語で書かれた看板が付いていた。

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この事務所の裏には事務所と繋がった建物があったようで・・・基礎部分と階段部分だけが残っていた。
コンクリート製の洒落た階段である・・・

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管理人らしき人物に、事務所内部の見学が出来るのかと尋ねたら、OKだというので内部を一人で見学・・・(笑)
他の人達は、いつの間にかどこかに行ってしまい見当たらない・・・(笑)

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見学を終え、管理人にチップを渡して外に出たら・・・誰もいない・・・
あれ?・・・みんなはどこへ行ってしまったのやら・・・(汗)
と・・・我々のワゴン車を見たら、みんな先に乗って拙者を待っていた・・・(大汗!)
いやぁ~・・・つい、夢中になっちゃって・・・お待たせてしてしまい申し訳なし!

時刻はまもなく午後3時になる。
このあたりは「ダリラオン」という場所だと思うが・・・
ここから車で5分程度の所に古川拓殖の倉庫が今も残っているというので、それを見に行く事となる。

旅行 | 10:19:35 | Comments(0)
ミンダナオ島めぐり(3)
次に向かったのは「フィリピン・イーグル・センター」・・・・(笑)
“皆さん”が行きたがっていた場所です・・・(大笑)

当初は、カリナンにある「歴史資料館」を先に行こうかという話しだったが、雲行きが怪しい・・・
こりゃ、もしかしたら雨が降るかも・・・
というわけで、「フィリピン・イーグル・センターを先にしたほうがいいのでは?」と参加者最年少者の拙者が生意気にも意見をいわせていただいた。(笑)
屋外を歩くほうを先にしたほうが無難である。
資料館は雨が降っても見学できるんだし・・・・

ここは・・・フィリピン・ワシの保護や繁殖、飼育をしている施設のようである。
フィリピン・イーグルって絶滅危惧種?
日本の「トキ」みたいな立場なのか?(笑)

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センターは、森林公園のようなジャングルの中にある・・・

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小さな資料室をサラ~ッと見学・・・
ここにはフィリピン・イーグルの剥製や骨格標本なども展示されていた。

で・・・センターの敷地内を歩きながら見学・・・
どうもフィリピン・イーグルは、大きな檻の中で飼育されているらしい。
ん?それでいいのか?檻の中で飛べるのか?
飛べないと運動不足になるんじゃなかろうか?(笑)
余計なお世話でしょうが・・・(大笑)

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「あそこにいる!あそこにいる!」と言われてもねぇ~(汗)
どこにいるのやら、さっぱりわからん!
ようやく見つけ、望遠で撮影!

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はい、これがフィリピン・ワシ・・・フィリピン・イーグルです!
はぁ~・・・鷲・・・ねぇ・・・
申し訳ないが、拙者は全く興味がない・・・・(大笑)

それより気になるのが、次に向う「歴史資料館」・・・
時刻は午後3時半を過ぎた・・・
大丈夫か?・・・見学する時間はあるか?
余計な寄り道をしたため、気が気ではない・・・(笑)
まぁ、話の種として、フィリピン・イーグルを見るのもムダではなかろうが・・・
さぁ、皆さん、急いで!急いで!・・・とガイドでもないのに拙者がみんなを引っ張る・・・(大笑)

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約30分ほどで、カリナンにある「フィリピン・日本・歴史資料館」に到着!
ここには拙者は4年前にも訪問している。
日本語学校の敷地内に建つ小さな資料館だが、内容は豊富・・・
拙者の“お気に入り”の資料館・博物館の一つである。(笑)
再び訪問できるなんて、大感激である!

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4年も経つと、展示資料も若干増えていた・・・
さらに、展示の仕方もスッキリしている。
職員に尋ねてみたら、トキワ大学(常磐大学か?)の先生が展示の仕方等の指導してくれたという。
なるほどねぇ~・・・それでどこか展示の仕方がスッキリしているんだ・・・
以前の展示の仕方も決して悪くはなかったが・・・一見して、すぐに“違い”がわかる。(笑)

「何か資料の販売はしていないのか?」と職員の女の子に尋ねたら「日本語で書かれた資料はない」と言う。
かろうじて1冊だけ・・・『DAVAO CITY Its History and Progress』という英語の本だけは販売していると言うので、英語の勉強にもなるだろうと(笑)、これを購入する。

日本語で書かれた資料館を紹介する小冊子とか、昔のカリナンの日本人町を紹介する歴史のガイド小冊子とか・・・
何か日本人向けの本を作ったほうがいいのではないかと提案したが・・・
そうなるだろうか・・・
日本人や現地の日本人会、日系人会などが結構協力しているようだが、そっちのほうには気が回らないらしい。
我が参加者の中にも是非、資料が欲しいという人がいたが、残念ながら、英語の本ならいらない・・・と言う。
日本語なら買ってくれる人はいるんだから、作ればいいのになぁ~・・・・と拙者は思うのである。

次々と「廃れていくもの」ばかり見ていたので、この資料館のように「良くなっていく」のを見るのは本当に嬉しい・・・
どんどん、良くなってもらいたいなぁ~・・・この資料館・・・

見学を終え、外に出たら・・・雨!・・・しかも、かなり土砂降りに近い雨!
訪問する順番を逆にして正解だった・・・(笑)

今日の予定はこれで終了である。
真っ直ぐホテルに向かい、午後6時過ぎ到着・・・

415_convert_20140228215822.jpg(ホテルのロビー)

夕食は、町に出て、ショッピングモールの中にあるレストランでとる。
この時には幸い雨が上がってくれたので移動に支障なし・・・
いやぁ~なんてツイているんだろう。(笑)

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旅行 | 19:01:49 | Comments(0)
ミンダナオ島めぐり(2)
さて、これからどこへ行くのか・・・(笑)

移動中、ガイドさんから現地のことについてのお話があった・・・
その中に、「フィリピン・ワシ」の話が・・・
「猿食い鷲」の別名もある鷲だそうで、フィリピン固有種の鷲だそうである。
「そのフィリピン・ワシ・・・是非、見たいですねぇ~!」と“ヨシダさん”ご夫妻・・・
「じゃぁ、皆さん、見たいそうですから、そちらに向かいましょうか!」とガイドさん・・・
ウソ・・・(汗)
皆さん・・・って、“ヨシダさん”ご夫妻以外は、誰も見たいなんて言ってないんですけど・・・(大汗)

ここミンダナオ島でのメインのテーマは、ここに移住した日本人移民に関しての“お勉強”とのこと。
そこで、移民に詳しい作家先生が同行して解説してくれることになっていたのだが、急病のため不参加・・・
“ヨシダさん”ご夫妻は、その移民の子孫ということで今回参加されたようで・・・
フィリピンには初めて来たという・・・
そうなると、基本的には“ヨシダさん”が中心となるようで・・・
それぞれの参加者の“立場”がよくわからないんだけど・・・
ここでは、どうも“ヨシダさん”のおじいさんの足跡を辿る旅・・・みたいな感じのようである。

が・・・拙者の方から添乗員さんにタモガン方面には行かないのかと質問させていただいた。
ここには日本の慰霊碑があるし、近くに日系人の家があり、そこの庭にも慰霊碑があるのである。
そこをお参りしてはどうだろうかと提案させていただく。
「いやぁ~そこにも是非行きたいですねぇ~」とのことなので、移動しながら車中でコースの再検討を行なってもらう。

そして、最初に向かったのは、タモガンにある「慰霊碑」・・・「納骨堂」である。
「ミンタル小学校」から30分ぐらいで到着。
ここには4年前に訪問したことがある。

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(碑文)

PEACE&FRIENDSHIP
2003
邦人ダバオ移民100周年記念
2005
終戦ダバオ引揚60周年記念
平和友好

納骨堂
この地ダバオ市マランバ マリログ地区サムブノタンを中心としたタモガン山中にはまだ多くのお遺骨が集骨されず放置のままとなっております。
附近住民の温かい友情とご協力により記念碑と納骨堂をこのゆかりの地に建立することができました。
地元住民の更なるご協力により収骨が続けられますことに衷心より感謝申し上げます。
この有難いご好意が今後末永い友好の絆となりますことを祈念いたすと共にみ霊の安らかなご冥福をお祈りいたします。

沖縄県ダバオ会
在(ダバオ)フィリピン日系人会
2005年5月15日 竣工
ダバオ慰霊の日

ダバオには沖縄から多くの移民が来ていたようで、その交流は深いものがあるようである。
「日本人墓地」にも沖縄県関係の慰霊碑が建っていた・・・

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「納骨堂」の後ろに見える山々がタモガンの山々・・・
ここに日本軍や在留日本人たちが逃げ込み、病死や餓死されたのだろう。
このあたりで拾われた遺骨が、この「納骨堂」に納められている。
碑の裏がガラス張りになっていて、内部に納められているご遺骨を見ることができる。

隣りに民家がある。
その家の前に子どもをあやしている女の子が・・・
あれ?・・・彼女には4年前に会った事がある・・・
“フジイさん”が子供達に飴玉を渡したりして、拙者が記念写真を撮ってあげた。
あ~あ~!・・・あのときの写真を持ってくるのを忘れた!
彼女は拙者の顔を忘れているようだが・・・(笑)
4年前の記念写真を持ってきてプレゼントしてあげればよかったと大いに後悔・・・

時刻は間もなく2時・・・
ここから10分程度で“サカエさん”のご自宅に到着する。
ここにも4年前訪問した。
あの時は、近所の人から話を聞いて、尋ね尋ねながら訪問したので・・・場所を良く覚えていない。
幸いにも、“ヨシダさん”の「遠い親戚」にあたる現地の青年が、場所を知っていたので助かった。
突然の訪問で恐縮だが・・・(大汗)
“サカエさん”は御存命だった!(大喜)
昼寝中を起こしてしまったようで、“サカエさん”がやってくる間に、「勝手知ったる他人の庭」・・・
先に慰霊碑の場所に拙者が皆さんを案内する。(大笑)

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(碑文)

激戦地追悼碑
山田部隊(353大隊)生存者一同 1974起

我等今 この碑前に立ちて語るべき言葉もない
限りなき春秋の身を 国難に殉じて流した君等将兵の鮮血は 今 ふるさとに輝かしきみどりとなりて燃えている
遠く彼岸に去りし戦友よ
父よ 夫よ 兄弟よ 吾子よ
大菩薩よ 冥されよ
とこしへに

我等幾再来諸霊菩提誓願
南無阿弥陀佛 合掌
元山田部隊ミンタル会
昭和53年8月

この碑を建立した「山田部隊」というのは、陸軍の独立歩兵第353大隊のことだと思う。

まもなく、“サカエさん”がおいでになったので、皆さんにご紹介・・・
“サカエ”さんとは4年ぶりの再会であったが・・・先方は拙者のことを覚えていないようだった。(大笑)
まぁ、それでもいいのである。
拙者の自己満足・・・“サカエさん”のお元気なお姿が拝見できて大感激である。
“サカエさん”は日本人とフィリピン人との間に生まれたハーフである。
戦時中、日本軍の現地召集を受け、少年兵として工兵隊に配属となった。
4年前に初めてお会いした時は、こちらは海軍の少年兵だった“フジイさん”と一緒で、1歳違いの少年兵同士・・・
海軍と陸軍で所属は違うが、お互いに「元気で長生きしましょう!」と涙ぐみながら握手をされていた。
その“フジイさん”は大阪でお元気でおられる。
よかったぁ~・・・“サカエさん”もお元気で・・・
現在、87歳とのこと・・・
どうか長生きしていただきたい・・・
戦後、ここに留まっておられたのだから、かなりの苦労をされてきたことと思う。
苦労した分、お元気で長生きしていただきたい。

“サカエさん”からお話をしていただいたが、流暢で、綺麗な日本語を話されるのでツアーの皆さんが驚かれていた。
“サカエさん”の日本語は、本当に美しい綺麗な日本語なのである。
拙者など、恥かしくて“サカエさん”に話しかけるのにも緊張するくらいなのである。(笑)
まさしく日本人・・・戦前の日本人である。
これに対して、今の我々の話す日本語のお粗末なこと・・・
こりゃ、いったいどういうわけだ?
学校教育が悪いのか?親の言葉遣いが悪いのか?それともテレビの悪影響か?

前回お会いした時に、一緒に写真を撮っていなかったので、これがずっと心残りだったので、今回はお願いしてツーショットの写真を撮ってもらう!(大喜)
拙者は、ツーショットの写真とか、写真に写るのが好きではないので、滅多に写真を撮ってもらうことはないのだが・・・(笑)
今回だけは話は別である!

ほんのわずかな時間ではあったが・・・・
本当にお会いできてよかった!!(大喜)

時刻は2時半・・・次に向う。

旅行 | 15:36:57 | Comments(0)
ミンダナオ島めぐり(1)
昼食後、向かったのは「ミンタル」という町・・・
戦前、ここには多くの日本人移民が住んでいた。
ここにある「日本人墓地」に向う。
ここは4年前に“フジイさん”と一緒に来た場所・・・拙者にとっては、久しぶりの再訪問である。

途中、「カタルナングランデ」という場所を通過する。
ここの民家の庭先に大きな日本の慰霊碑があった。
4年前に訪問した時に、ここの爺さんが「日本人が誰も来ない」と愚痴っていた・・・
道路に看板でも出しておかないと誰も気が付かないからということで、看板を立てるように言っておカネを渡したのだが・・・その後、どうなったかが楽しみ・・・
看板には日本の国旗を必ず描くように言っておいたのだ。
そうすりゃ、日本人観光客も、すぐに気が付き、何があるのかと覗きに来るだろうから・・・(大笑)

が・・・ガイドの“スズキさん”の話では、その慰霊碑は無くなってしまっているという。
そんな馬鹿な・・・(唖然)

その民家のあった場所の前を通過!
拙者の座っていた反対側だったので写真が撮れなかったが・・・
なんと!民家自体が消滅!
こんもりとした樹木は切り倒され、平坦に整地され区割りされた広い分譲住宅地になっていた!(驚!)
うそぉ~!!(唖然)
あの爺さんの家も無ければ、当然、慰霊碑も無い!!
あ~あ~・・・あの爺さん・・・土地を売っちゃったのか?

自分の土地を提供して慰霊碑を建立させる・・・ということは、必ずしも善意で、というだけではなかろう。
参拝に来る戦友会、遺族会の巡拝慰霊団が、供物の“おすそわけ”と、いくばくかの金銭を置いていく。
土地の持ち主からすれば、いい現金収入である。
が・・・その戦友会も遺族会も巡拝慰霊団も何も来なくなったら?
自分の家の庭にド~ンと置かれている「日本の慰霊碑」は、ただの邪魔物・・・いい迷惑である。
ここには個人が建てた慰霊碑も建立されていたが・・・
結局、その後は誰もお参りには来ていないのか?
建てるだけ建てておいて、あとは知らん顔か?
この土地の持ち主を責める事は出来まい・・・
悪いのは、無責任な日本人たちである。

午後1時過ぎ、『日本人墓地』に到着・・・

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慰霊碑に「日の丸」を飾り、みんなで「君が代」を歌う・・・

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ここに新しい碑が建っていた・・・

(碑文)

『人類は皆家族 ロドリゴ R ドゥテルテ』
『フィリピンを愛し ダバオを愛した あなたが今ここに』

憂い無しの碑
20世紀、麻づくりで賑わう日本人街、戦争による悲劇、故郷ダバオを訪れる方達。
21世紀、新しい日比関係を築く日系人会と日本フィリピンボランティア協会(JPVA)
そして22世紀はー
フィリピンを愛し、ダバオを愛した、あなたは「いつの時代の人」なのでしょうか。
ミンタルの縦のいのちに触れ、先人たちに学び、我が人生の「憂い無し」を見つめる。
さらに日比友好の絆と相互補完事業への思いを深め、日比の明日を開く聖地ミンタル。
2013年、ダバオと日本の友好の歴史を刻む碑として、ドゥテルテダバオ市長とダバオ市民の皆さんが、この碑を建立しました。
「憂い無しの碑」が日比の市民の皆さまにとって「人生の輝きと友好の絆を深める碑」であることを祈念します。
我らが永遠の地 フィリピンダバオに 私たちの人生をささげる

2013年10月4日
フィリピン日系人会 会長 アントニーナ B エスコビリア
日本フィリピンボランティア協会
会長 網代正孝

う~ん・・・憂い無し・・・ねぇ~
碑文・・・何が言いたいのか、よくわからないけど・・・(汗)
とにかく友好の碑なのだということでいいのでしょうねぇ(笑)

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この墓地では、「紀元二千六百年記念」と刻まれているこの碑が一番古いのではないかという気がしますが・・・
碑文の「上二文字」は削られたまま・・・
碑の根元は荒れ放題・・・ゴミ置き場?(唖然)

4年前に来た時に、この墓地にある日本人のお墓にお線香をあげたんだけど・・・
さて・・・そのお墓はどこにあったのか・・・場所がわからない・・・(涙)
ツアーの皆さんから離れて、一人で墓地内を探し回る・・・
近くで掃除していた人に尋ねたら、ここだという。
はぁ?・・・ここだっけ?
「日本人の医者のお墓ですけど・・・」と確認したら、それがそうだと指さされた・・・
それが・・・これ・・・

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雑草とゴミの中に埋もれてる・・・(涙)
たしか、移民の一世の方だったと思うが・・・
多くの人に尽した「いいお医者さん」だったという話を聞いたような記憶があるのだが・・・
あれ?・・・これがそうだっけ?
「草を刈ってやろうか?」と現地の掃除夫が言ってきたが・・・
雑草を取り去っても、その下はゴミの山じゃないか?
そのうち、この墓の上に現地人の墓が造られてしまうのだろう。
もともと「日本人墓地」だったここは、今では現地人の墓に“侵食”されて、日本人の個人の墓が消えていってしまっている。
「憂い無し」ねぇ~・・・・拙者は大いに「憂い有り」ですけど・・・(大汗)

とりあえず、「ここを綺麗に掃除しておいてくれ」と言って、掃除夫におカネを渡したが・・・
ここを綺麗に元に戻すのは、ちょっと大変だろう・・・たぶん、やらねぇだろうなぁ~(笑)
次の場所への移動時間が迫ってきたので急いで車に戻る。

次に向かったのは、ここからすぐのところにある「ミンタル日本人小学校跡」・・・・
前回訪問した時は門が閉まっていて中には入れなかったが、今回は中には入れるようである。
ここに、「ダバオ開拓の父」と言われる実業家・太田恭三郎の記念碑が建っている。
ここには戦前は日本人学校の「ミンタル小学校」があったが、今も「ミンタル小学校」がある。
もちろん、日本人学校ではなく、地元フィリピン人の小学校である。

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門を開けてもらい、車のまま中に乗り込む・・・
「おい、おい、ちょっと止まったら?マズイでしょ?そのまま走ったら・・・」と拙者・・・
子供達が遊んでいる広場を車で突っ切ろうというんだから驚いた。
「いや、記念碑のところまで、このまま行きましょう」とガイドさん・・・
「いいから止まれって!車で横付けなんてとんでもねぇ!横柄だろ!それは・・・ダメ、ダメ、止まれって!」と思わず声を荒げてしまった。(苦笑)
興奮すると、ついつい、拙者は怒鳴っちゃうんだよねぇ~(苦笑)
子供達を蹴散らして記念碑の横に車を横付けするなんて、とんでもねぇ話である。
第三者が見たら、なんと日本人は横柄なのかとヒンシュクを買うに違いない。
「俺たちは日本人なんですよ!中国人や朝鮮人とは違うんだ!横柄な行動はやめたほうがいい!」(怒)
他のツアー仲間からも「確かにその通りだ!ここから歩いたほうがいい!」の声が上がってくれたおかげで、車を止めることが出来た。
ドライバーもガイドも親切心で記念碑のところまで連れて行こうとしたのだろうが・・・
どうみても、それは横柄な態度、ひんしゅくもの・・・になりかねまい。

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記念碑の脇には、史跡としての説明碑が建っているが、読んでみたらタガログ語で書かれていた。(笑)
太田恭三郎を称える内容だと思うが・・・残念・・・
記念碑には、これといった碑文は刻まれていない。
建立した日付を刻んだと思われる石版が嵌めこまれていたが・・・
『大正十・・・』『日米・・・』以下の文字は、破壊されていて読めない・・・

ちょうど授業が終ったところなのか、休み時間なのか・・・
子供達が集まってきた。
小学生というのは可愛いものである。(笑)
拙者の周囲を付かず離れず・・・なんとか、ちょっかいを出したいようで・・・(笑)
「君は何年生だ?5年生か?11歳?」と声をかけたら、驚いたような顔をしている。(笑)
なんでわかったんだろうという顔をして「5年生!」と答えてきた・・・
だいたい、過去の経験からすると・・・
ちょっかいを出してくるのは、最上級生である。
ちょっと小柄だったから5年生かなと思ったら当ったようである。
下級生たちは、ぜったい、上級生を押しのけてしゃしゃり出てくるということはしない。
上級生の後ろに隠れて、興味津々の顔で目を輝かせている。
「コンニチワ!」と日本語で挨拶してくる子もいる。
多分、日本で働いている家族の誰かから日本語を教わったのだろう。(笑)
「おお!コンニチワ!・・・日本語上手だねぇ~」と言ったら大喜び!(大笑)
周囲もヤンヤヤンヤの大騒ぎ。(大笑)
本人も「日本語が通じたぞ!」と言わんばかりに大はしゃぎ・・・(笑)
ワーワー、キャーキャーの大騒ぎとなる。

多分、小学1年生か2年生ぐらいの子だろう。
拙者の手をいきなり掴んで、自分の“おでこ”に当てた。
これは子供達が目上の人に対して行なう丁寧な挨拶の仕方なのだと、以前、教えてもらったことがある。
すると、子供達がドドッと拙者の周りに集まり、次々と拙者の手を取って自分の“おでこ”に押し当てペコリとお辞儀をし出した・・・(汗)
その度に、一人一人に「ハロー!」と声をかけてあげるが・・・
ゲゲッ・・・こりゃ、きりが無い・・・(大汗)
う~ん・・・何となく神様になったような気分・・・ちょっと気恥ずかしい・・・
拙者はキリストの生まれ変わりか???・・・ん?(苦笑)

384_convert_20140223191834.jpg(ミンタル小学校)

この“挨拶”・・・いつまで経ってもキリが無い・・・(涙)
子供達には申し訳ないが、もう車に戻って次の場所に行く時間である・・・
「バイバ~イ!!」
子供達に別れを告げて・・・次の場所に移動する・・・

旅行 | 14:13:42 | Comments(2)
ミンダナオ島へ行く
今日はミンダナオ島へ移動する日・・・
早朝、朝6時のチェックアウトなので、ホテルでは朝食をとる時間は無い。
朝食用のお弁当をホテルに用意してもらって空港へ向かう。
外は小雨・・・・
我々がフィリピンに来る直前、低気圧の影響か何かでかなり天候が悪かったようなので心配したが、ネグロス島、セブ島とも、我々の到着後は天候が崩れず助かった。
で・・・移動する今朝は雨!
ラッキーである。

空港の待合室で朝食の弁当を食べる。(写真を撮るのを忘れて食べちゃった!)

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午前7時30分発、フィリピン航空363便に乗り込む・・・
今回はジェット機である・・・(笑)
この空港の正式名は「マクタン・セブ・国際空港」ということを、ターミナルビルを見て初めて知った・・・(汗)

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(セブ上空・・・手前がマクタン島、向こうがセブ島)

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(昨日行った、カーメン方面の上空だと思う)

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機内食は・・・スナック菓子!

セブ島上空から約40分後にミンダナオ島上空に到達する。
向うに見えるのは、フィリピンの最高峰の「アポ山」だろうか?

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(ダバオ上空)

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定刻通り、無事に到着!
この空港もまた、戦時中は日本軍の航空基地だった場所である。

この空港に降り立つのは4年ぶり2回目である。
あの時は、我が戦友会の“フジイさん”と二人で訪れた・・・
“フジイさん”は当時、航空基地の設営を担当した海軍の少年兵だった。
復員してから一度もここに来たことがない。
死ぬ前にもう一度訪れたいというので、4年前にお連れしたのである。
この空港に到着した時の“フジイさん”の緊張した顔が思い出される。(笑)

この空港の駐車場でツアー参加者の“ヨシダさん”の親戚の方と待ち合わせのようである。
が・・・お互いに会ったことがないようで・・・(汗)
ランデブーに手間取り、かなり時間がかかったが、ようやく合流できた。
“ヨシダさん”のおじいさんが、どうやら日本から移民としてこの地に移り住んだようで・・・
その家系が複雑で、話を聞いてもさっぱりわからない。(笑)
とにかく親戚だという流暢な日本語を話す青年が、現地のガイドを務めてくれるそうである。

午前中にホテルにチェックイン出来るというので、まずはホテルへ向かいチェックイン・・・
時刻は9時半過ぎ・・・

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結構、立派な部屋である。(喜)

で・・・ホテルを出て・・・最初に向かったのは『ジャパニーズ・トンネル』といわれる場所・・・
看板には「ファミリーリゾート・アンド・レストラン」と書いてある。
ここには4年前に“フジイさん”と立ち寄ったが、「興味は無い」と言うので見学しなかった。

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さて・・・どんなところなのだろうと、ちょっと楽しみ・・・

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内部に入ってみると、かなり大きな洞窟陣地である。
ここのガイドは、流暢な日本語を話すフィリピン女性・・・
話によると日本軍の司令部だったという。
が・・・部隊名までは知らない・・・
拙者も予備知識なし・・・(汗)

かなり長いトンネルだそうだが、その一部を観光用に整備しているようである。

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ここには日本兵の人形なども置いてあって、「当時はこんな感じでしたよぉ~」というジオラマにしている。
特に「説明板」のようなものは見当たらない。

で・・・ここに捕虜を閉じ込めていたという小部屋がある。(写真は撮らなかったが・・・)
奥行きの浅い“窪み”で、メインのトンネルに接している。
で・・・戦後になって取り付けたのだろう、鉄格子が嵌められている。
「ここにフィリピン人の捕虜が入れられていました」と言う。
「トイレはどうしてたの?」と参加者・・・
「そのまま垂れ流しで、通路の側溝に流れていました」とガイド・・・

あのね・・・そんなはずはなかろう?(汗)
拙者は反論したが、他の参加者は疑問に思わないらしい。
「へぇ~そうだったのか」と感心しているんだから呆れる。
糞尿を垂れ流しにされたら、洞窟陣地の中はどうなるのか想像できないだろうか?
フィリピン人のウンコと小便の臭いが充満する中で日本兵が作戦会議を開くのか?そこで飯を食うのか?
ちょっと考えれば、おかしいと思うだろうに・・・(怒)

奥行きが浅くて狭い横穴だから・・・
入口から爆風が入って来た時に一時的に身を隠すためのものか、武器や食糧、資材等の仮置き場か・・・
いずれにせよ、フィリピン人の捕虜を“閉じ込める”ことを目的としたものではないと思うのだが・・・
似たような形の退避壕をニューギニアで見たことがあるので、そういう気がする。

ここの女性ガイド・・・
実は千葉のフィリピンパブで働いていたことがあるという。
どおりで日本語が上手なわけだ。
これに喜んだのが千葉から参加した“イケダさん”と、なぜか初対面の“イケダさん”を「先輩!先輩!」と持ち上げている“タカサカさん”・・・
この二人・・・何が楽しいんだか・・・一生懸命、彼女を“ナンパ”している。(大笑)
ツーショット写真を撮ったり、住所を教えてもらったりと・・・まぁ、お忙しいご様子・・・(唖然)
79歳と63歳・・・何をやっているんだか・・・(大笑)

昼食は、ここのレストランでとることになる。

旅行 | 10:12:16 | Comments(2)
セブの戦跡をめぐる(2)
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町の中を走り・・・

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マーケットの中を走り・・・

到着したのは、『マゼラン・クロス』と呼ばれる場所・・・
話によると、ここに上陸したマゼランが十字架を建てたのだとか・・・
「それが何だ?」という気がしない気もないが・・・(大笑)
観光名所なのだそうだ。

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マゼランが1521年にこの地に来た時に、ここに十字架を建てたそうで、そのときは、ここは砂浜だったとか・・・
現在は、この十字架を保護するため、屋根付きの建物で覆われている。
ちなみに、1521年は室町時代・・・
この年に、あの武田信玄が生まれている。(だから何だ?・・・と言われればそれまでだが・・・)(笑)

236_convert_20140211134042.jpg(天井の絵)

237_convert_20140211133817.jpg(マゼラン・クロス)

(碑文)
Magellan's Cross

This Cross of Tindaro Wood
Encases the Original Cross Planted
By Ferdinand Magellan On This Very Site
April 21, 1521

なんだかよくわからないけど、みんながお参りをしている。
ふ~ん・・・・拙者には全く興味なし・・・(笑)

ここに若い日本人男女のグループも来ていた・・・
「あ・・日本人・・・日本人よ・・・あの人たち、日本人・・・」と我々を見てヒソヒソ話・・・
20代の若いオネエちゃんたちだが・・・何をヒソヒソと日本語で話をしているのやら・・・
バカじゃあるまいか・・・ヒソヒソ話が筒抜けである。(笑)
どういうわけか、海外で同じ日本人に会うと、日本人というのは、警戒したり毛嫌いしたりするのである。(大笑)
あれは何だろうねぇ~
特に若い連中・・・
で・・・相手が外国人だと、なぜか警戒心を持たない・・・
こういうバカがレイプされるという事件が2年前の2012年にセブ島で起こったという。
20代の日本人女性2名が、韓国人男性達に“集団レイプ”されたという。
旅先で知り合い、一緒に酒を飲んだ挙句、襲われたらしい。
なにもフィリピンへ来て韓国人旅行者と飲みに行く事もあるまいに・・・
日本の女も・・・バカである・・・・
その後は、このセブで同様の事件が起こっているかどうかは知らないけど・・・
この若いオネエちゃんたちも気をつけたほうがいいと思うけど・・・(笑)
かなり頭が“軽そう”だから・・・

韓流ブームに乗って、日本人女性たちが大挙して韓国に出かけていたようだが・・・
この中で、どれほどの人が韓国人男性にレイプされたのだろう?
韓国は性犯罪では世界第一位といわれているほどの“危ない国”だそうである。
マスコミは不思議と報道しないのだが・・・
旅行業界に悪影響を及ぼすからなのか、それとも韓国に遠慮してのことなのか・・・
いずれにせよ、例の、いわゆる「従軍慰安婦問題」も果たして日本だけに責任があるのかどうか・・・
甚だ疑問である。

平成の世になったら、日本人女性観光客が韓国人の“慰安婦”になっちゃったか?(汗)
困ったものだ・・・
あまりオツムの宜しくない人は海外には行かないほうがいい・・・(笑)
“ノー天気”な若い日本人女性観光客を見かけるたびに、そう思うのである。

ここから徒歩で直ぐのところに『サント・ニーニョ教会』がある。
そこも有名な観光名所だそうで、そこへ案内された・・・・

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教会の周辺は、すごい混雑である!
ツアーの殿(しんがり)を引き受けた拙者としては一番気を使うところである。
途中ではぐれる人がでないか、スリに遭うのではあるまいか・・・と・・・
ツアー仲間の中には全く“ノー天気”な人もいるので・・・緊張の連続である・・・
まぁ、何かあっても拙者の責任というわけではないのだが・・・(笑)

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『サント・ニーニョ教会』の入口・・・
ここから先は撮影禁止とのこと。
すごい人だかりで長蛇の列・・・
何でも、幼いイエス・キリストの像があるとか・・・
そこにお参りするフィリピン人に外国人観光客が混じって更に大混雑を起こしているようである。
いやぁ~なんと信心深いのだろうか・・・フィリピン人というのは・・・
その昔のスペイン統治の影響はかなりのものである。
正規のルートで行列に並んだのでは、いつになったら辿り着くかわからない・・・
というわけで、回廊の隙間から内部を覗くことが出来るということで、そちらに向かうが、こちらも大混雑・・・
人混みを掻き分けてまで見る気はないので、拙者は少し離れたところでツアー仲間の動向を“監視”する。(笑)

時刻は11時・・・・

次に向かったのは『サンペドロ要塞』・・・・
スペイン統治時代に造られた要塞で、観光名所だそうである。
この要塞の前に『プラザ・インデペンデンス』という公園がある。
たぶん日本語に訳せば『独立記念公園』ということになると思うが、ここに日本軍のどこかの部隊(部隊名を忘れた!)の慰霊碑が建立されていたが、いつの間にか無くなったとガイドの“スズキさん”・・・

へぇ~・・と、ワゴン車の窓から公園を眺めていたら・・・あれ?慰霊碑!
「慰霊碑がありますけど!」
「いや、そんなはずはないよ。無くなっているから・・・」とガイドさん。
「いや、確かに公園の隅に慰霊碑がありますよ!」と拙者・・・
じゃぁ、確認に行ってみようということで、要塞を見学する前に公園に向った。

で・・・見つけ!(喜)
「ほら、あったでしょ?」
「へぇ~これは知らなかった。よく車の中から見つけましたねぇ~」とガイドさんが半分呆れ顔・・・
「このツアーは、かなり目のいい人の集まりですか?」と冗談まで言われてしまった。(大笑)
こういうことには勘が働くんだよねぇ~・・・拙者は・・・(大笑)

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(碑文)
建立の趣旨
第二次世界大戦において、ここセブ島の陸に海に多数の日本人、フィリピン人が散華されました。
この方々のご冥福を祈るとともに人類最大の不幸である戦争を再びくりかえさないことを誓います。
この碑が日比両国の永遠の平和と友情を培う礎石となることを心から願うものであります。

この慰霊碑・・・
いつ、だれが建立したのかは刻まれていない。
売名行為ではないということで、敢えて建立者名を刻まないのだろうが・・・
「戦争を再びくりかえさないことを誓います」と言っておられるのである。
誰が?・・・・(笑)
誰が誓っているのかがわからないのでは、世界平和の話も、お粗末の一言ではあるまいか?(笑)
全ての日本人が誓っているのか?(汗)
拙者は誓いませんけど・・・(笑)
“誓い”とは、そんな安易なものではなかろう?
太古の昔から戦争は繰り返されてきたのである。
そうそう安易には“繰り返さない”などとは言えないのではなかろうか?
極めて無難な碑文であるが・・・拙者には少々違和感を覚える内容であった。
できるならば、自分の能力を発揮できぬまま、飢えや病魔で無残な最期を遂げた“霊”を“慰める”文面であって欲しいと思うのである。
日本と米国との戦闘に巻き込まれて、不本意な最期を遂げた現地人の“霊”を“慰める”文面であって欲しいとも思うのである。
拙者にとっては「世界平和の祈念」と「慰霊」はイコールでは結べないのである。

251_convert_20140212184805.jpg(公園)

この慰霊碑を“確認”して・・・・『サンペドロ要塞』に向う。

258_convert_20140212184856.jpg(要塞入口)

この要塞は1565年に建設が始まったらしいが、詳細はわからないようで・・・
想像では、木の柵で囲まれた砦のような感じだったようである。
ちなみに・・・1565年というと・・・日本では永禄8年・・・(笑)・・・
宣教師のルイス・フロイスが室町幕府の将軍・足利義輝に謁見したという年である。

1739年に、この地の知事がスペイン国王に、この要塞のことを報告したものが、公式記録としては一番古いもののようである。
ちなみに・・・(笑)
日本では、この年は元文4年・・・徳川吉宗が将軍だった頃である。

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267_convert_20140213160535.jpg 268_convert_20140213160100.jpg

見学は、時間の関係か・・・城壁の2階部分を少し歩き回っただけで終る・・・(笑)

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要塞の入り口の所に、この要塞の古写真等の史料が少しだけ展示されていたので、帰りにこれをジックリと見学する。
英文の解説プレートによると・・・
考古学的発掘をこの周辺で行なったところ、西暦1000年頃の植民地時代の集落があったという証拠が見つかったそうで・・・
アジアの貿易品、淡色の(白黒の?)商品、青と白の陶磁器製品、多彩色の製品、緑色のうわぐすりをかけたような陶器などといった、アジアとの貿易製品が、他のアジア諸国と早い時期から貿易をしていたことを表している・・・という。
で・・・
この城砦は、1899年3月にアメリカ軍によって初めて守備隊が設立され、そのウォリック兵舎はこの城砦の一部として1900年初頭まで使用されていた・・・とか・・・?(笑)
で・・・・
1917年11月26日に、このウォリック兵舎が放棄されたため、セブ市当局は、サンペドロ要塞を市の公園に使用する目的で転用することを要求した・・・のだそうで・・・
その後の数年間、城砦はセブ・ガーデン・クラブのクラブハウスの敷地として使われたそうで・・・
1957年にはセブ動物園として、1978年から1993年までは行政機関の事務所として使われた。
で・・・現在は・・・
国の記念建築物となり、セブ市が管理している。

と・・・いうようなことが書かれていた。(英語が苦手なので正しい翻訳が出来たかどうか甚だ疑問ではありますが)(大笑)
まぁ、そんなことが書かれていたわけですが・・・
戦時中は、ここを占領した日本軍が捕虜収容所として使用したという話を聞いた事があるが・・・
どういうわけか、その事については記載されていない・・・
なぜだろう?
実際には捕虜収容所としては使用されてはいなかったのか?
それとも日本に遠慮して、わざと記載しなかったのか?
歴史的事実なら、そうそう気を遣わずに、記載してくれていいと思うんですけど・・・(大笑)
中国や韓国のようにウソを書かれては困りますが・・・(大笑)

時刻はまもなく12時・・・・
レストランに移動して昼食!

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昼食後、海岸沿いを、北上・・・・「カーメン(カルメン)」に向う。
ガイドの話では、日本軍は上陸してきた米軍と戦いながら海岸沿いに北東へ逃げたようである。
いろいろ説明してくれたのだが・・・
どうも予備知識がないと頭に入らない・・・
しかも、南方ボケか・・・(笑)・・・メモ帳を持参してきたが、まったくメモを取る気力もない・・・(涙)
「はぁ~そうですかぁ~」と言って数分後には、もう忘れている。(大涙)
やっぱり主体性の無いツアーでは、どうもダメだ・・・
目的を持って個人で来ないと・・・などと思ったりするが・・・
何をしにここに来たんだろう・・・高い旅費を払って・・・
う~ん・・・どうもシャキッとしないんだよなぁ~
これは拙者の性格の問題だな・・・(汗)

目的の場所がわからず、多少、行ったり来たりしてしまったが・・・
ようやく目的場所を見つけたようである。
幹線道路から狭い脇道に入ったところに「日本兵のお墓」があるのだとか・・・
どうもそこに行くらしい・・・

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『ジャパニーズ・グレイブ』と英語で看板が出ている。
日本語に訳せば、「日本人の墓」であるが・・・
ここに日本兵が埋葬されているとは思えない。
多分、「慰霊の場所」ということで、これを造ったのではあるまいか?
これを造った人は、どうも生還された元日本兵らしいが、相変わらずガイドさんの説明をちゃんと聞いていなかった・・・(汗)
この“お墓”の脇に、慰霊に来た人の休憩所として使うために建物まで建てたそうであるが・・・
残念ながら、我々が尋ねた時には管理者も誰もおらず、“休憩”は出来なかった。(笑)

時刻は午後2時半・・・

ここからセブ市に引き換えし、ホテルに戻り、今日の予定は終了・・・

旅行 | 16:05:05 | Comments(2)
セブの戦跡をめぐる(1)
朝6時前に起床・・・
丘の中腹にあるホテルなので、さぞかし海のほうが見えて景色が良かろうと思ったら・・・
あらら・・・拙者の部屋は反対の山側の部屋だった・・・(大笑)

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しかし・・・
米軍がこのセブ島に上陸したのは、昭和20年3月26日・・・
セブ島の日本軍は陸海軍合わせて1万5千名弱・・・
この山の方へ退避して戦ったに違いないから、山側の部屋でちょうど良かったかな?(笑)

ちなみに、エレベーターホールから見た海側の景色は・・・こんな感じ・・・

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我々が宿泊したホテル・・・・
「マルコポーロ・プラザ・セブ」・・・・

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最初の訪問は・・・このホテル敷地内にある『セブ観音』・・・
以前から名前だけは聞いていたが、このホテルの敷地内に建立されていたのか・・・
だからこのホテルに宿泊することにしたのかも・・・

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(碑文)
セブ観音
さきの第二次大戦に於てセブ島及びその周辺地域で戦死されたすべての方々の御冥福と永遠の平和を祈ってここにセブ観音を建立する

セブ海軍部隊
遺族戦友一同
陸軍落下傘三四会
他 有志一同

昭和58年5月21日建立

『セブ観音』を参拝、みんなで『海行かば」を歌う。

セブ島の戦史については、あまりよく勉強してこなかった・・・
これといった良い資料が見つからなかったのだ。
一応、戦記に掲載されていたセブの海軍航空基地の略図だけはコピーしてきたが・・・
略図だから、距離的なものは正確ではなさそうである。

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『セブ観音』から見た丘の下の町並み・・・
現在ビルが建ち並んでいるあたりに「セブ航空基地」の滑走路があったのではあるまいか?
と・・・すると・・・
向うから、こちらの丘のほう(緑の茂っているあたり)に掩体壕(飛行機を保護・格納する壕)があったはず・・・
確認のため、そのあたりをウロウロして見たい気持ちがムクムクと湧き上がってくるが・・・
ツアーである・・・(涙)
我慢、我慢・・・・

ワゴン車に乗り・・・次に向かったのは・・・
ん????
「道教の寺院」!(笑)
なんでお寺に行ったのか・・・拙者には全くわからない・・・
ガイドの“スズキさん”が説明をしてくれていたようだが、全く聞いていなかった・・・(大笑)

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このお寺がある場所は、丘の中腹・・・
この丘は高級住宅街となっていて、その中にお寺がある。
が・・・この丘・・・
日本軍の抵抗陣地が設けられた丘のようである。
ガイドの“スズキさん”の話では、戦跡は何も残っていないとのこと。
う~ん・・・どこか、まだ開発されていない斜面とかに何か残っているんじゃないかぁ~?(笑)

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お寺から見た景色・・・・
右の方に見える林の中なんか怪しんだけどなぁ~(笑)
何か残っていないかなぁ~

ツアーの最後尾に付き、長い階段を降りて「道教のお寺」から出たら・・・
10人ほどのフィリピン人の女子学生とバッタリ!
女子大生か女子高校生か、知らないが・・・(笑)
キャー!キャー!と大騒ぎ!
何事???
一人の女子学生が、写真を撮ってもらえないかとカメラを差し出したので、それに応じたら・・・
はぁ?
他の女の子が全員、拙者の所に集まった・・・
あれ?・・・拙者がみんなの集合写真を撮ってあげるんじゃなかったの?(汗)
なんで拙者を中心に集まっちゃったんだ?
あのぉ~・・・拙者は芸能人じゃないんですけど・・・(大汗)
彼女たちは拙者を中心にキャーキャーと大騒ぎ・・・・
ピチピチギャルたちにピタッと挟まれて・・・・嫌でも鼻の下が伸びる・・・(大笑)
余りにも照れくさいので、近くにいた“コウノさん”にも加わってもらい、なんだかわからない記念撮影・・・
しかも・・・別のカメラでも・・・2回も・・・(大笑)
なんだろうなぁ~・・・これ・・・・
何をそんなに喜んでいるのか・・・
彼女たちはキャーキャーワーワー騒ぎながら「サンキュー!」と言って去って行った・・・(唖然)

駐車場に戻ったら、すでに皆さんはバスの中で待っていて、心なしか冷たい視線・・・(大笑)
いや・・・あれ?・・・私はナンパなんかしてませんよ・・・(汗)
ガイドの“スズキさん”によれば、彼女たちは日本人と一緒に写真に収まりたいだけだった・・・という。
が・・・なんで日本人と一緒に写真を撮りたがるんだ?(笑)
わからん・・・
絶滅危惧種の珍しい動物に会っちゃった!・・・というようなあの騒ぎはなんだったんだ????(笑)

丘を下って、今度は町の中を走る・・・・

「このあたりが昔の飛行場跡です」とガイドさんが言っていたが・・・
どこ?
反対側の座席に座っていたので見えない!写真が撮れない!(涙)
どうも、町の中の大通りが昔の滑走路跡のようだが・・・
「今は当時の面影は全くありません。戦跡は何も残っていません」とのこと。
あっという間に通り過ぎたので、どこがそこなのか、結局わからず仕舞い・・・
いつか一人で来るようか?(涙)

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次に向かったのは町の中・・・
陸軍病院跡である。
ここには『南方第14陸軍病院』があったらしい・・・慰霊碑が建立されている。

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(碑文)
慰霊碑
南方第14陸軍病院関係者

1977年3月10日
全国セブ会一同

ルソン島のマニラには『南方第12陸軍病院』があったのは知っていたが、ここセブにも陸軍病院があったとは・・・
「病院」にはいくつかのランクがある。
最前線で負傷したら、まず向かうのが「包帯所」・・・・
たぶん、包帯しか巻いてくれない場所なのだろう。(笑)
そこでダメなら、「野戦病院」ということになるが・・・赤チンを塗る程度か?
その上級が、「兵站病院」・・・そしてその上が「陸軍病院」となる・・・
今で言えば、「野戦病院」が村の診療所なら、「陸軍病院」は入院設備の整った大学病院ということになるか?(笑)
それなりの設備の整った病院が、このセブ島にもあったということである。

それにしても、これといった説明が何も書かれていないというのは何とも面白くない・・・
英語と日本語で、病院の規模や職員数や、陸軍病院の役割、慰霊碑について、などが書かれた説明板でも設置してくれたらなぁ~
地元の「史跡」になると思うんだけどなぁ~
戦争は戦争として・・・こっちに置いておいて・・・(笑)
歴史的な場所・・・史跡は史跡として、後世の歴史の勉強のため、また観光資源として有効活用したらいいと思うんだけどねぇ~

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敷地には「リージョン・ブラッド・センター」の建物が建っている。
日本で言えば・・・「日赤血液センター」の「茨城支部」みたいなものかな?(笑)

これに接して、ちょっと洒落た建物が同じ敷地内に建っていた。

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戦時中からあったものだろうか?
外に「ナース・ホーム」というアーチが架かっていたから・・・「看護婦寮」?

この敷地の裏のほうを散策してみたいが・・・ツアーだから・・・断念・・・(涙)

時刻は10時20分・・・
15分程度、ここをお参りして・・・・次に向かうこととなる。

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『南方第14陸病院跡』の前の道・・・
門柱や塀は当時のものなのだろうか?

旅行 | 10:59:42 | Comments(0)
セブ島へ行く
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旧シライ飛行場・・・・
遠くに山が見えるが・・・何という山なのかは知らない・・・(笑)
いずれにせよ、日本軍は、あの山に後退して抵抗したことは間違いないだろう。

セブ島行きの飛行機は午後4時50分発のフィリピン航空231便・・・
2時間ほど空港内で時間を潰さねばならない・・・
ということで・・・“イケダさん”と二人で「喫煙室」でタバコを吸いながら雑談・・・・(笑)
「喫煙所」はコーヒーショップの奥にあり、何か買わないと入れない・・・
仕方がないので、コーヒーを買って、テーブルに陣取る。
本当なら一人静かに読書をしたかったのだが・・・(大笑)
やたらと話しかけられては読書も出来ず・・・ついに断念する。(涙)
ツアー旅行のツライところである・・・・

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セブ島に向う飛行機はプロペラ機・・・(笑)
皆さんは、少々ガッカリしていたようだが、セブ島は隣りの島である。
プロペラ機で十分でしょ?(笑)
それに、拙者はジェット機よりプロペラ機のほうが好きなのである。
あのエンジン音と揺れが好き・・・
戦時中の爆撃機か何かに乗っているような気分に浸れるから・・・(大笑)

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ひときわ高い山が「マンダラガン山」だろうか?
ネグロス島よ・・・さらば!・・・・である。

バコロド・シライ空港からセブ空港まではプロペラ機で1時間もかからない・・・
40分程度でセブ島に到着である。

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午後5時25分過ぎ、無事に着陸!(笑)
ここはセブ島の直ぐ近くにある「マクタン島」・・・
日本海軍の飛行場があった場所で、今は「セブ空港」として使われている。
ここには戦時中、海軍第201航空隊の零戦隊の一部が駐屯していたことがある。
すぐに戦力を消耗してセブ本島にある航空基地に戻ってしまったようだが・・・

ここは今ではリゾートアイランドのようである。
日本からの観光客は、ルソン島のマニラに行くより、こっちのセブに行く人のほうが多いのではあるまいか?
リゾートホテルはこの「マクタン島」に集中しているようである。

昔は本隊ではなく分遣隊程度が派遣されるという小島だったのにねぇ~(笑)
まさか、戦後、こんなに開発されるとは英霊達も驚いているだろうなぁ~(笑)

飛行機から構内バスに乗って空港ターミナルに移動・・・・
この「構内バス」・・・日本製のようであるが・・・・
なぜか、「降車ボタン」が付いている・・・(笑)

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『お降りの方はこのボタンを押してください』と日本語で書いてある・・・
ん?・・・ターミナルに行く途中、このボタンを押せば滑走路の適当な場所で降ろしてくれるのか?(大笑)
滑走路を走るバスには「降車ボタン」は必要ないと思うんだけど・・・なんでこんなものが付いてるんだろ?

147_convert_20140205193511.jpg(セブ空港)

我々が宿泊するホテルは、セブ本島のほうにあるという。
この「マクタン島」から「セブ島」へは1本の橋が架かっていて、それを使って「セブ島」に渡る。

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ホテルは丘の中腹あたりにあり、かなり辺鄙な場所・・・・
ホテルの周辺を散歩するというわけにはいかないような寂しい場所に建っていた・・・

151_convert_20140205200326.jpg(ホテルのロビー)

152_convert_20140205200423.jpg(拙者の部屋)

旅行 | 17:03:09 | Comments(0)
バコロドの戦跡めぐり(2)
帰り道の途中・・・
景色のいいところで、もう一度車を止めて写真撮影・・・

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遠くに見える「マンダラガン山」方面・・・
ここは陸軍の独立歩兵部隊が主として戦った場所・・・「左地区隊」と総称されていた。

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目を転じて、遠くに見える山は「シライ山」・・・・
こちらには、航空部隊、主として飛行場大隊などが戦った場所・・・「右地区隊」と総称されていた。

ここから更に丘を下って町のほうへ向っていくと、小さな集落に出会う。
ここが「ギンバラオン」という場所だという。

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ここがギンバラオン???
どうもおかしい・・・(笑)
ここネグロス島には陸軍の第102師団が駐屯していた。
102師団の各部隊は、この「ギンバラオン」に集結し、集落には数十棟の兵舎が建ち並んだという。
この集落は、物資集積所でもあり、前進陣地でもあったはず。
そのわりには、集落が小さい・・・
「このあたりに教会か小学校はありませんかね?」とガイドの“スズキさん”に尋ねてみた。
だいたい、こういう集落の場合、教会や小学校が集落の中心にある。
基本的には教会を中心に町が発展するのである。
今までの経験から言うと・・・戦中戦後、その場所が移動するということは滅多にない・・・
だから、目標とするのは、教会か小学校がいいのである。
運転手に尋ねてもらったら、ここから少し離れたところに教会と小学校があると言うので、そこへ向かってもらうことにした。

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教会は、ちょうど改築中のようだったが、ここが「ギンバラオン」の集落の中心だろう。
う~ん・・・ここにみんなが集結したのか・・・・
と感慨に浸るが・・・他の方々は、わからないらしい・・・(大笑)
まぁ、無理もないか・・・

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う~ん・・・この雰囲気・・・
ここにたくさんの兵舎が建ち並んだのだろうなぁ~(笑)

時刻は11時50分・・・・

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(車窓から見たギンバラオンの集落)

ツアーの不便なところは・・・
自分が右の席に座るか左の席に座るかで“運命”が決まってしまうところである!(大笑)
景色を見るにしても、どうしても制限されてしまう。
これが一人旅なら、車内の席を自由に移動して写真も撮れるが・・・
ツアーバスやワゴン車では、そういうわけにはいかない・・・
写真が撮りたいから止めてくれ!・・・とも言えないし・・・(笑)
しかたがないから、ガタガタ揺れる車内から窓越しに写真を撮るしかない・・・(涙)

今回は新たにカメラを新調して参加した。(大笑)
今までのカメラでは、どうも起動時間が遅いためシャッターチャンスを逃すのと、手ブレ防止機能に少々問題があり、また、薄暗いところでの撮影が上手くいかず苦労してきたのである。
昨年の極東ロシアへの旅行では、散々苦労させられ、満足のいく写真が撮れなかったので、ついに新しいデジカメを購入して臨んだのだが・・・・
やっぱりガタゴト揺れる車内から、慌てて写真を撮るとピンボケしやすいなぁ~(大笑)
それでも、以前のカメラよりは数段良い事は良いが・・・(笑)

「ギンバラオン」の集落・・・・
こんな平坦な場所では物資集積には適していたかもしれないが、前進陣地としては不適地だったろう。
当時もこんなに平坦だったかどうかは知らないが・・・
これでは、あっという間に米軍の戦車に蹂躙されそうな感じである。
米軍がここを攻撃し始めたのは、昭和20年4月1日ごろである。
日本軍は1週間ほど頑張ったようだが、後方の「マンダラガン山」方面に後退した・・・
当然だろうなぁ~・・・ここじゃねぇ~・・・・
現地に来てみると、よくわかる・・・・

「ギンバラオン」を出てから車で10分ほどで空港のある場所に到着・・・・

100_convert_20140203145247.jpg(空港)

ここは戦時中、日本軍のシライ飛行場があった場所・・・・
ネグロス島には「ファブリカ」「マナプラ」「サラビア」「タンザ」「シライ」「タリサイ」「バコロド」「ラカルロタ」という日本軍の飛行場があったという。
“イケダさん”が「こんなに平坦ならいくらでも飛行場が造れたろうなぁ~」と、しきりに言う。
おっしゃるとおりで・・・
ブルドーザーのような機械力の無い日本軍は人力で滑走路を整備しなくてはならない。
最初から平坦な地ならば、それだけ楽に造る事ができるというものである。
日本軍のシライ飛行場は、現在も空港として利用されているが・・・
その他の飛行場は、現在はサトウキビ畑となってしまい、その名残は残っていないという話である。
造り易いだけに壊すのも簡単だった・・・というわけだ。(笑)

105_convert_20140204142134.jpg(空港の入口)

空港の入口の看板を見て驚いた・・・あれ?
「ニュー・バコロド・シライ・エアポート」と書かれている。
通常、我々はこの飛行場のことを「バコロド空港」と呼んでいるのだが・・・
正確には「シライ・バコロド空港」だったはず・・・
あれれ?
それが「バコロド・シライ」になって、更に「ニュー」まで付いている!(大笑)
う~ん・・・よくわからんが・・・
いずれにせよ、ここが旧日本軍のシライ飛行場であったことは間違いない。
ここネグロス島には陸軍の第2飛行師団(通称:鷲兵団)がいて、特攻攻撃なども行なっていたという。
この飛行場からもブ~ン・・・と飛び立って行ったんだろうなぁ~

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午前中にトイレ休憩で立ち寄ったレストランで昼食・・・
結構、豪華な昼食をたっぷり頂いた。(笑)

食後、この後の予定は何も無いようで・・・(笑)
あとは空港へ行くだけのようである。
というわけで・・・食後、レストランで1時間ほど休憩となり、ノンビリと皆さんとオシャベリ・・・

112_convert_20140204150052.jpg 114_convert_20140204150141.jpg

レストランの前の道路をサトウキビを満載したトラックが走る・・・・
おお!上手に積んでるなぁ~・・・と感心・・・(笑)
それにしても、積載オーバーで警察に捕まらないのだろうか?(大笑)

午後2時過ぎ・・・レストランを出発して空港へ向かう。

116_convert_20140204154952.jpg(シライのシティ・ホール=市庁舎)

117_convert_20140204155057.jpg 118_convert_20140204155218.jpg

119_convert_20140204155854.jpg 120_convert_20140204155422.jpg
(シライの町)

ここシライには陸軍の第102師団司令部が置かれていた。

午後2時20分、空港に到着・・・
これから国内線でセブ島に向う。

旅行 | 13:30:43 | Comments(0)
バコロドの戦跡めぐり(1)
朝食をとるためホテル内のレストランへ・・・
昨晩のガイドさんの話では朝食はバイキングとのことだったのだが、どうも様子がおかしい・・・
と・・・先にテーブルについていた“コウノさん”が「ああ!来た!重兵衛さんは英語が出来るから重兵衛さんにお願いしよう」と言う。
「はぁ?なんですか?拙者は英語は苦手なんですけど・・・」(苦笑)
“コウノさん”とは以前、台湾の澎湖島のツアーでご一緒だったことがある。
で・・・拙者のホームページをご覧になっているので、拙者のことを本名ではなく「重兵衛さん」といつも呼ぶのである。(笑)

話によるとメニューの中から選ぶのだそうで・・・
同じテーブルの“ヨシダ夫妻”が英語が出来ないというので、ウェイターと“得意の英語”で会話をしながら注文をする。
サラダ、スープ、スパゲッティ、クラブサンドイッチ・・・???
何のことやらわからぬまま、適当にメニューを指さして注文したら・・・
ゲゲゲッ!
とんでもないことになってしまった!(大笑)

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後からやって来たツアー仲間に「いやぁ~豪華な朝食ですねぇ~」とからかわれた・・・
「だから、拙者は英語が苦手なんですって言ったでしょ!」(涙)
なんでこんなことになっちゃったんだろ?(大笑)

メニューの裏を見たら・・・「コンチネンタル・ブレックファースト」などのセットメニューが書かれていた・・・
あれれ・・・メニューをよく見ていなかった・・・(汗)
これを頼めば良かったんだよなぁ~・・・(涙)
ありゃ・・・「アラカルト」を頼んじゃったらしい・・・(大笑)

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(拙者が宿泊したルクソールプレイス・ホテル)

出発まで時間があったので、ホテルのすぐ脇にある「セブンイレブン」へミネラルウォーターを買いに行く。
ツアーの場合は飲み物1本を常にカバンに入れて移動すべきである。
なにせ、のどが渇いても自由に買いに行くというわけにはいかないからねぇ~・・・(笑)
出発前には必ず準備しておくべし・・・である。

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(ホテルの脇のセブンイレブン)

最初に向かったのは「ロザリオ・ハイツ」と呼ばれる場所・・・住宅街である。
ここにバコロド地区全体の戦没者の慰霊碑が建立されているので、ここをお参りする。

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(慰霊碑のある場所と、その前の道路)

025_convert_20140202130315.jpg(慰霊碑)

(碑文)
第二次世界大戦中、このネグロス島に於て戦歿された日本軍人軍属、在留邦人並に戦争の犠牲となられたフィリピン人等の霊を祀り世界永遠の平和と繁栄を記念して茲に慰霊塔を建立する
昭和55年10月
ネグロス島 陸海軍戦友会
      遺族会
      在留邦人会

ネグロス島慰霊碑建設委員
総務委員 独立歩兵第354大隊 石塚一夫
総務委員 独立歩兵第355大隊 間中義雄
総務委員 第2航測連隊     大谷 守
建設委員 挺身第3連隊     加藤 亨
建設委員 海軍第235設営隊  新谷重男
建設委員 海軍第235設営隊  本多祐啓
建設委員 海軍第235設営隊  三ッ林誠一
建設委員 飛行第200戦隊   荒木重与
渉外委員 独立歩兵第172大隊 渋川栄一
会計委員 第102師団輜重隊  斉藤 忠
会計委員 第53飛行場中隊   加藤亨宥

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慰霊塔の向うに山が見える・・・
多分、米軍が来た時には、あの山に逃げ込んで戦ったのだろう。

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ここネグロス島の特産物はサトウキビである。
平地には延々とサトウキビ畑が広がる。
これでは米軍との戦闘は不利だよなぁ~・・・山に行くしかないよなぁと思う。

午前9時半・・・
本日の昼食を食べる予定のレストランでトイレ休憩・・・拙者はタバコを一服・・・
このレストランの前にあるバス停らしき場所に、昔の写真のパネルが展示されてあった。
おお!こりゃ、いい勉強になる!(笑)
皆さんがトイレに行っている間に道を渡り古写真を鑑賞する。(笑)

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このバス停の柵には、米軍が滑走路を整備した時に使った丸い穴の開いた鉄板が、そのまま流用されていた。
日本軍は、ただ土を平らにならして土ぼこりを上げながら離着陸をしていたのであるが・・・
雨が降れば滑走路はドロドロとなり、離着陸に支障をきたしていたが、米軍は鉄板を敷いていたんだから航空基地の運用は容易かっただろう。
鉄のある国と無い国との差は大きい・・・・

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トイレ休憩後、日本軍が後退していった「マンダラガン山」に向う。
当時、日本軍が名付けた「山陽道」を走る・・・

と・・・ドライバーが「ジャパニーズ・ピルボックス!」と言い出した。
誰も意味がわからない・・・(笑)
ピルボックスとは、通常は「薬箱」を意味するが、軍事用語では「トーチカ」のことを指す。
拙者は英会話は全然ダメだが、軍事に関しては何とかわかっちゃうのである。(大笑)
「日本軍のトーチカがあるそうですよ!」と拙者・・・
「ええ!トーチカ?日本軍の?・・・それ見ようよ!」と皆さん・・・
というわけで・・・途中、日本軍の「トーチカ」に立ち寄る。

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このトーチカには説明板が建っているところを見ると、「史跡」として扱われているようである。
拙者の“得意な英語”(苦笑)で、この説明文を解読してみますと・・・(大笑)
この遺跡は第二次世界大戦中に日本帝国陸軍によって建設されたものである・・・・
小火器や手榴弾から身を守るためにコンクリートで固められた塹壕の射撃台である・・・
そして、ここは、lanog-lanogという場所にある日本軍の飛行場からシライへ向う入口の歩哨舎である・・・
この日本軍の飛行場があった場所は、現在のS-B空港(つまり、シライ・バコロド空港)がある場所である・・・
で・・・
これらのトーチカはその存在を隠すため、しばしばカムフラージュされていた・・・

・・・ってなことが書かれていた・・・(多分・・・)(笑)

トーチカの銃眼は“山の方”を向いていて、出入口は“空港(日本軍の飛行場跡)”の方を向いていたので、「向いている方角がおかしいんじゃないか?」という声が参加者から上ったが・・・
これは日本軍が飛行場を造った時に、その防御のために造られたものであろう。
ということは、飛行場を中心に、周辺各所に、外に向ってトーチカが造られたのだと思うから、銃眼の方向はこれで間違いではない。
皆さんは、米軍が上陸して進攻してきた方角だけしか考えていなかったようである。(笑)

ここから約1時間ほど、途中、途中で現地の集落の住民に道を尋ねながら、狭くて凸凹の山道を走り・・・
日本軍が抵抗線を敷いた日本軍名「西太郎山」がよく見える場所まで行く。
ここは丘の頂上・・・
この先を行くと、一気に下り坂となり、その先は急斜面を登って別の丘に向うことになる。
その丘は樹林が茂っているので、多分、山がよく見えないだろうということで、この場所を最終地点とする。
多分、ここは日本軍名「双葉台」と呼ばれた場所ではなかろうかとガイドの“スズキさん”が言う。

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正面手前の山が「西太郎山」らしい。
日本軍は、これらの山や丘に日本名を付けて呼んでいたが、部隊によっては同じ山でも呼び名が違っていたりするので、必ずしも正確ではなさそうである。
「太郎山」「西太郎山」「東太郎山」「孫太郎山」「笠置山」「筑波山」等々・・・

正面手前の山が「西太郎山」ならば、「東太郎山」「孫太郎山」はどれなのか?
となると・・・さっぱりわからない・・・
その後ろの山が「東太郎山」かなぁ~?・・・ということになる。
じゃぁ、「太郎山」はどれなのか?(笑)
単純に考えれば、「西太郎山」と「東太郎山」を併せて「太郎山」と呼んでいたと思われる。

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ということは・・・この山全体が「太郎山」ということになるだろうか?
この「太郎山」が第一線陣地となり、その後方に「マンダラガン山」あり、そこを主陣地としたようであるが・・・
事前に多少戦史を調べたが、その程度の知識では、現地に立ってみると・・・さっぱりわからん・・・(涙)

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奥に見える、この山が標高1880mの「マンダラガン山」だろうか?
「太郎山」は1000mに満たない山である・・・
それと比較すると・・・2倍近い高さがあるようには見えないのだが・・・
あ~!・・・わからん!(笑)

米軍がこの島に上陸したのは昭和20年3月29日である。
これに対して日本軍守備隊は反撃を試みるが、うまくいかない。(上手くいくわけがない)
独立歩兵第354大隊(堀大隊)が「西太郎山」の陣地に後退してきたのは4月8日だと言われている。
その後、「東太郎山」へ移動したが、その「東太郎山」が米軍に包囲されたのは5月23日だという。
かなり善戦したようであるが・・・
いずれにせよ、この山々に日本軍は立て籠もり陣地を構築、自活自戦・・・
その後、「マンダラガン山」麓周辺で自活生活をしているうちに終戦を迎えたそうである。

このネグロス島の日本軍の兵力は陸海軍合わせて約1万5千名ほど・・・・
で・・・終戦時に生き残ったのは6千名程度だったという。
約50%が戦病死したことになるが、本によっては80%の戦死率と書かれているものもある。
そのあたりの真偽は、さっぱりわからない・・・

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我々が立つ丘は「双葉台」と呼ばれる場所だろうとのことだが、これは地形から言って納得できる。
丘の中心を深い谷が食い込んでいるのである。
上空から見たら多分、丘が二つに割れていて「双葉」のように見えるのではなかろうか?

ここで写真を撮るのをうっかり忘れてしまい、大失敗したのだが・・・
道端や畑の縁に転がっている石!
この石が、ウソのように角が取れたツルツルの丸い石ばかりなのである!
どの石もツルツル・・・まん丸・・・
山から転がって角が取れるとしても、山からここまでの距離は短すぎないか?
川の中を転がって角が取れたと普通は考えるだろうが・・・川は谷の底である・・・
こんな丘の頂上に何でこれだけの無数の石があるのか・・・???
拙者は不思議で仕方がないのだが、他の人達は気にならないらしい・・・(大笑)
「こんなに丸くてツルツルの石ばかりしかないって、おかしいですよね?」
「え?そう?・・・あ~確かに丸いねぇ~」・・・なのである。(涙)

この丸い石・・・決して「小石」ではない・・・
小さいものでも拙者の拳大である。
大きいものは直径が20cmはあろうかというものがゴロゴロしているのである。
おかしい・・・
戦史にも興味があるが・・・こういうことにも、ついつい興味を持ってしまうのである。

4年前にミンダナオ島の北端の町、スリガオへ行ったときの事・・・
地元の観光局の女子職員に海岸を案内してもらったが・・・
そこには角が取れてツルツルになった石が約1kmほど海岸を埋め尽くしていた。
その景色は圧巻である。
が・・・この近くには川が無いという。
ということは・・・この石はどこから来たんだろう?
海から打ち上げられたのか?
彼女は「世界の七不思議です」などと言っていたが・・・
そのスリガオの海岸の石より更に球状の丸い石が山のふもとの丘に無数にあるんだから・・・
これを見て誰も驚かないというほうが不思議なんですけど・・・(大笑)

不思議だ・・・なんでこんなにツルツルとした球状の石ばかりなのか・・・

これ以上先に進むとどこまで行けるのかは、わからないが・・・
一応、ここで引き返すこととなる。
時刻は11時・・・

旅行 | 11:08:01 | Comments(0)
ネグロス島へ行く
例によって例の如く・・・前日に成田に前泊して成田空港に向かう。
今回のツアーは、フィリピンのネグロス島、セブ島、ミンダナオ島の3つの島の戦跡を巡るツアーである。
成田からの参加者は5名・・・・
これに関西空港から1名、博多空港から2名が参加して、現地で合流することになっているという。
つまり、全部で8名のツアーである。

午前9時30分発フィリピン航空431便でマニラへ・・・

011_convert_20140201223412.jpg(国際線の機内食)

マニラで国内線に乗り換えるが、待ち時間が4時間ほどある。(涙)
今回のツアーで喫煙者は拙者と“イケダさん”の2名のみ・・・
“イケダさん”とは、別のツアー・・・ハワイ行きの予科練の戦友会のツアーで一度だけご一緒したことがある。
今回、拙者が参加するなら一緒に行きたいということで参加された。
我々の搭乗口周辺には喫煙所がないため、空港の外へチョクチョク出て行って煙草を吸う羽目となる。(涙)
で・・・何度も、これをやるので空港職員から呆れられた。(笑)

そのうち、どういうわけか、我々2人は日本の警察官だという噂が流れたらしい・・・(大笑)
どうして、そういうことになったのか・・・????
そう思うのならそういうことにしてしまおう・・・
“イケダさん”を退職した刑事ということにして・・・(大笑)
そうしたところ・・・心なしか待遇が良くなった・・・(大笑)
空港の検査ゲートを出入りするたびに嫌がらせに近い態度を受けていたが・・・一瞬にして消えた・・・(大笑)

さて・・・ここで、合流組と会う予定なのだが・・・
関西空港から参加した“ナガハマさん”とは無事に合流できた。
この方とは、一昨年の済州島のツアーの時に一緒だった。
久しぶりの再会である。
問題は、福岡空港から参加する“ヨシダさん”ご夫妻・・・・
初参加だそうで、前日にマニラに到着しているという。
この方が、どこにいるのかがわからない・・・(汗)
フィリピンの国内線なら日本人はそうそういないだろうから簡単に会えると思ったら大間違い。
日本人は、韓国人や中国人と区別がつかない!(大笑)
あらら・・・
まもなく搭乗時間となるのだが、それらしき人物が見当たらないのである。
普通なら、キョロキョロ、ウロウロしている人がいれば、その人が“ヨシダさん”ということで、直ぐにわかるはずだし、ご夫妻となれば、なおさら目立つはずなのだが・・・
まさか空港に来ていないというわけじゃないよね?
と・・・大騒ぎ・・・・
みんなでウロウロ、キョロキョロ・・・
我々がこれだけうろついていれば、向うから声をかけてくるだろうと思ったら、それもない。
こちらの参加者も添乗員も現地ガイドも誰も“ヨシダさん”のことは知らない。
空港へ送り届けた旅行社の担当者に電話で尋ねたら、御主人は60代痩せ型、奥さんは50代とのこと・・・
服装の特徴はよく覚えていないとのこと・・・あらら・・・こりゃ大変だ・・・
添乗員の“アサダさん”が走り回り、ようやく見つけたらしい。
ご夫妻は、搭乗口近くにずっと座っていたという。(唖然)
我々を探そうとはしなかったのか?(唖然)
旅慣れているのかと思ったら、フィリピンは初めてだとのこと・・・
ますます呆れてしまった・・・
すごい度胸である。
普通なら、ウロウロすると思うのだが・・・

いやはや大いに心配したが、これで無事に8人が揃った・・・(大汗)
世の中にはいろんな人がいるものである。

フィリピン航空909便でネグロス島のバコロドへ向う。
マニラからネグロス島のバコロドまで約1時間程度で到着する。
当初の予定では午後6時半ごろには到着するはずだったが、離陸が遅れたため、午後7時半過ぎ到着となる。

空港から真っ直ぐホテルへ・・・
外は真っ暗なので、一体どんな景色なのか全くわからないまま・・・・
夕食はホテルのレストランにて・・・
今日は移動だけの1日で終る。

013_convert_20140201225649.jpg(ホテルの部屋)

旅行 | 22:04:17 | Comments(0)
お知らせ
お知らせです。

1/23から1/31までフィリピンに行ってきます!

ということで・・・しばらくブログはお休みとなります。

日記 | 14:04:25 | Comments(0)
親父のいつもの騒ぎが始まった!(怒)
拙者は23日からフィリピンへ行くために家を空けることになる。
こうなると・・・毎度のことながら親父がグズグズ始まるのである。

今回は「腰痛」である・・・

「俺がこういう状態では、出かけるわけにはいかないだろうなぁ~」と親父が言う。
「え?なんで?俺は予定通り行くよ」(笑)
「・・・・」(汗)

一人で留守番をするのが寂しくて仕方がないらしい・・・(汗)
まぁ、心細い気持ちもわからんでもないが・・・
確かに、腰が多少は痛いのでしょうが・・・
どうも、大げさと言うか、どこまでが本当なのかさっぱりわからんのです。(笑)

昔から、気の小さな男だったからなぁ~
「留守番は俺に任せておけ、行って来い!」などという人ではない・・・
「俺のことはどうしてくれるんだ?」という人である。(呆)
今まで散々親父には拙者の行動を邪魔されてきましたから・・・・
もう、そうそう簡単には言いなりにはなる気はない・・・
ハッキリ言って・・・危篤状態でない限りキャンセルはしないよぉ~(大笑)

拙者が留守中は、1日に1回、ヘルパーさんに様子を見に来てもらう予定を組んでいたが、急遽、ケアマネージャーさんに頼んで、午前と午後の1日2回に回数を増やしてもらった。
これだけ手厚く対応すれば大丈夫じゃないの?(笑)

で・・・整形外科に無理矢理連れて行き・・・(笑)
レントゲンを撮ってもらい、骨にはヒビが入っている様子はないことを確認。
まぁ、ヒビが入っていたり折れていなければ大丈夫だろう。
死にはしない・・・(大笑)
多分、筋を痛めただけだと思うけど・・・
ことさら激痛を訴える・・・
本当かな?(笑)
どうも昔から“オオカミ少年”の毛があるからなぁ~(大笑)
どこまでが本当なのか演技なのかさっぱりわからん・・・・

一応、痛み止めの薬を処方してもらったが・・・なかなか飲もうとしない・・・(あれ?)
「痛いのなら飲んだら?」
「まぁ・・・ちょっと、様子を見てみよう」と親父・・・
「痛くないの?治った?」
「いや、痛ぇよ・・・歩けねぇほど痛ぇよ」
「歩いてるジャン!」
「無理して、我慢して歩いてるんだよ!」(怒)
「じゃぁ、薬を飲めば?」
「そう、急かすなよ!」(怒)

わからん・・・
本当にどのくらい痛いのかさっぱりわからん・・・

息子の足を引っ張るのは、もういい加減止めてもらいたいんだけどなぁ~(大汗)

日記 | 18:53:33 | Comments(0)
不吉な予感(笑)
拙者の部屋の机の椅子・・・・
5個のキャスターが付いた椅子なのだが・・・

今朝になって、さぁ、座ろうかとしたら・・・
バキッ!
はぁ?
折れた!
キャスターの付け根が折れて車輪が吹っ飛んだ!(唖然)

何で?・・・・
あ~あ~壊れちゃった!
突然、どうしたことだ?
これから海外に行くというこのタイミングに・・・どうして壊れるの?

参ったなぁ~
椅子を買いに行っている暇などない・・・(涙)

あ~あ~不吉な予感・・・(笑)
まさか、拙者の乗る飛行機・・・着陸の時に車軸が折れるという事故の暗示じゃあるまいな?(大笑)
勘弁してくれよ・・・頼むよ・・・(大笑)

日記 | 17:49:33 | Comments(0)
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天皇を敬慕し、開戦回避に尽したアメリカ人
第6回 2・26事件のヒロイン
  (太田尚樹・東海大学名誉教授)

風船爆弾の真実
第1回 福島第一原発上空を窺うU-2
  (吉田一彦・神戸大学名誉教授)



今年の読書:6冊目



読書 | 00:14:34 | Comments(0)
“戦友”からの電話・・・
突然、我が家に“戦友”からお電話がかかってきた・・・(笑)
戦車第10連隊の“ウエノヤマさん”からである。

この方は、我が戦車第2師団の戦車第10連隊に所属していた方だが、なぜか戦友会には入会されない。
誘っても「いやぁ~」と言って入会してくれないのである。
が・・・折角の“縁”であるから、慰霊祭の案内や年賀状などはお送りしていたが、数年前に、「高齢になったので、一切何も送ってこないで欲しい」と連絡があって、そのまま“縁”が切れたと思っていたのだが・・・
あれ?
どうしたんだろう?

と・・・「いやぁ~お元気ですか?」との挨拶に続いて、自分の軍歴の話が始まったのである!(唖然)

昭和16年に徴集され、戦車兵になったそうで、現在93歳だそうだ・・・
昭和17年1月10日に戦車第10連隊に入隊。
18年2月から19年4月まで戦車第2師団の師団司令部に所属していて、師団司令部には4両の戦車があったそうだが、森参謀(のちに戦病死)の戦車の操縦手をしていたという。
で・・・19年4月に一旦、満州に戻ったが、これは4月22日に戦車の射撃大会に参加するためだったそうで、その大会で“ウエノヤマさん”は軽戦車の部門で優勝したのだそうだ。
で・・・再び部隊に戻り・・・
今度は第3中隊の中隊長の戦車の担当となったという。
予備の操縦手で、2番砲手・・・
射撃大会で優勝した腕のいい砲手でありながら、戦車の操縦も出来るということで中隊長の車を担当することになったという。
で・・・シブルスプリング、カバナツアン、ルパオ、ウミンガン、タユグ・・・と移動・・・

カバナツアン、タユグは、拙者も何度も行った事がある場所である。(笑)

昭和20年1月30日にルパオに戻り、翌31日に、ここを「死守せよ」の命令が下り、米軍と戦闘に入った。
が・・・中隊長の戦車の砲身に米軍のM4シャーマン戦車の砲弾が当たり、砲身に穴が開いてしまい使い物にならなくなったという。
やむなく中隊長は別の戦車に乗り換えて4両の戦車で出撃し・・・全滅・・・中隊長は戦死。
で・・・“ウエノヤマさん”は砲身に穴の開いた戦車を操縦して戦場を脱出したという。

まぁ、93歳だというのに、よく日付も覚えているものである・・・
「ちょっと話が長くなるけどね・・・」と言いながら・・・
「話が長くなって申し訳ないけどね」と謝りながらも話は途切れない・・・(大笑)
「へぇ~そうなんですか!」「ええっ!うそぉ~!」などと合いの手を入れたのがマズかったか?(大笑)

脱出に成功した“ウエノヤマさん”はアリタオに向った。

ここには、兵站病院や兵站基地があった場所で、拙者も一度訪れている。

2月28日、ここに戦車第2師団の河合作戦参謀が籾米を大量に運び込んでいたという。
で・・・“カナザワ曹長”という人が隊長になって「米搗き部隊」を編成し、ここに配属となったという。(笑)
この“部隊”は、籾米を搗いて精米するのが仕事だったそうで、それで「米搗き部隊」と称したそうだ。

「カナザワ曹長が隊長でねぇ~」
「はぁ・・・」
「知らない?茨城の人だよ、鉾田の人・・・え?知らないの?」
「いやぁ~存じ上げませんが・・・」
「そう?茨城の人なんだけどなぁ~・・・知らない?おかしいなぁ~」
だいたい、茨城県人だからと言ってもねぇ~
茨城出身の全兵士を知っているわけがないんですけど・・・(大笑)

「戦後にね、いわきの温泉・・・湯本温泉に連れて行ってもらってねぇ~、たいそうご馳走になったんだよ~」
「へぇ~戦後もお会いになったんですか!」
「カナザワ曹長ね・・・元気かな?どうしてる?元気でやってるのかねぇ~?」
「え・・・私にはわかりませんが・・・」
「そうなの?茨城の人なんだけどなぁ~・・・え?知らない?ほんと?」

あらら・・・こういうところは、やっぱり93歳か?(大笑)
話が堂々巡り・・である。

戦車第10連隊は、サラクサク峠の戦闘に投入されることとなり、「米搗き部隊」が精米した米は、前線に向うこれら兵士に渡されたという。
そのうち、河合参謀がやってきて、「もう米を渡す兵隊もいなくなったから、あとは自分達で食べろ」と言われたという。
で・・・その後、“ウエノヤマさん”たちもサラクサク峠に向うこととなった。

このサラクサク峠では拙者の祖父が米軍の進攻を遅らせるために戦っていた。
その祖父の部隊には、戦車第10連隊の第4中隊(残存兵51名)が配属となり戦っている。
“ウエノヤマさん”の属する第3中隊(残存兵88名)は、魚形中隊長以下、ほとんどが、峠を挟んだ向こう側の「天王山」の攻撃で壊滅している。
後から部隊を追及した“ウエノヤマさん”は好運にも第3中隊に戻ることなく、連隊本部に配属となった。
このため「天王山」の戦闘には参加しなかったので助かったのだと思う。
で・・・この連隊本部は拙者の祖父の陣地のすぐ真下・・・祖父の本部壕のすぐ近くに連隊本部壕があったから、多分、拙者の祖父と、ほぼ同じ場所にいたはずである。

と・・・・
「サラクサク峠に向ってね・・・で・・・まぁ、そういうわけだ!」・・・でお話はオシマイとなった・・・(大笑)
いや、いや、拙者としては、そこから先の、話が大事なんですけど・・・
祖父がいた陣地ではどういう状況だったのかが知りたいんですけど・・・(大笑)

「いやぁ~話が長くなったけどね・・・」
「はい、全然平気ですけど・・・」(笑)
「稲垣さんはどうしてる?」
「随分前にお亡くなりになりましたけど・・・」
「佐藤さんは?」
「4中隊の?・・・佐藤さんもお亡くなりになりました」
「みんな死んじゃったのかぁ~・・・」(苦笑)
「はい、残念ながら・・・」

「戦車第2師団は今でも集まってるの?」
「はい、慰霊祭と永代神楽祭で集まってます」
「永代神楽祭?・・・それ、どこでやってるの?」
「靖国神社ですけど・・・」

あれれ?以前に何度も案内を送っているんだけどなぁ~(苦笑)
そういうことは忘れちゃっているようである。(笑)

「ボクの知っている人、来るかね?」
「いやぁ~みなさん、もうお歳なので・・・昨年は遺族だけでした・・・」
「そうか・・・そうだよねぇ~」(苦笑)
「みなさん、外出できないって・・・」
「そうだよなぁ~・・・ボクはお正月に初詣に靖国神社に行ったよ!」
「本当ですか!いやぁ~お元気ですねぇ~」
「ああ・・・あ・・・知ってる人が参加するならねぇ~ボクも参加したいけど・・・いや、やめとくかぁ~」

ん?
どうも、この話が、今回の電話の要件のようである・・・(大笑)
ようやく、なんで電話をかけてきたのかがわかってきたぞ・・・(大笑)

「今年も永代神楽祭は5月に行いますが、もしかしたらヒョッコリと誰か戦友が参加するかも知れませんから、一応、ご案内はお送りしますから是非来て下さい」
「そう?送ってくれるの?葉書?・・・で・・・いつ?」

お年寄りはせっかちである。(大笑)

「5月19日に行いますから・・・その前にお送りします」
「あ、そう、5月ね。5月は・・・10日まで田舎に行っているからね」
「はい、わかりました」
「でもねぇ~誰も知った人が来なかったらねぇ~つまらんしなぁ~」
「いや、僕がいるでしょ?(笑)僕とオシャベリしましょうよ。久し振りに・・・いろいろ戦地の話を聞かせて下さいよ」
「そう?そうか・・・じゃ・・・郵便番号!」
「は?」
「郵便番号!言うよ!郵便番号!204!住所!・・・・」

いきなり郵便番号から言い始めた!(大笑)
“戦友”のみなさんは、ご高齢のせいか、みなさん、こんな感じである。(笑)
というわけで・・・こちらも対策を立てている。
電話を受けた段階で相手が“戦友”とわかった時には、すぐにペンを手に持ち、その格好のままでお話をすることにしているのである。(大笑)
で・・・「ちょっとお待ち下さい」などとメモ帳を探す余裕など無いので・・・(笑)
その場で、すぐに書けるように机の上には大きな紙を常に敷いているのである!(大笑)
ここに即座に書き込む・・・
何度も同じような経験をすると・・・そのうち人間というものは“勉強”するんですねぇ~(大笑)
これ・・・結構、便利・・・役に立つ・・・(笑)

とにかく、用件がわかったので安心した。
一時は話がどこへ向うのかと心配したが・・・(笑)
多分、何かの拍子にふと・・・思い立ったのだろう・・・(笑)
5月にお会いするまで、どうかお元気にお過ごしいただきたいものである。(お願い!)

日記 | 17:11:58 | Comments(0)
据え膳食わぬは・・・
『据え膳食わぬは男の恥』という言葉がある・・・・

拙者は、その昔・・・「せいぜんくわぬは・・・」だと思っていた。(大笑)
「据え膳(すえぜん)」だということを知ったのは、だいぶ経ってからである・・・(大笑)

「せいぜん」は・・・「生前」だと思っていた。
つまり・・・
『生前食わぬは男の恥』・・・
意味はよくは知らないが、たぶん、「生きているうちに食べないのは恥だから、出されたものは全部食べましょう」ということだと解釈していたのである。(大笑)

だから、子供の頃は・・・
「生前食わぬは男の恥だから」と言いながら、何でも食べていたのである。(大笑)
今思えば・・・いやぁ~なんとも恥かしい・・・
“耳から学ぶ”とロクなことはない・・・

この『据え膳食わぬは男の恥』を英語で言うと・・・

It's a man's shame not to accept a woman's seduction.・・・となる。

意味は「女性の誘惑を受け入れないのは男の恥だ」・・・である。
おお、英語だとなんともわかりやすい!(大笑)

しかし、女性の誘惑を受け入れるというのは、なかなか危険なような気もするが・・・(大笑)
いいのでしょうか?
どこの誰が言った言葉か知らないけど・・・そういう煽り方をして・・・・(苦笑)

まぁ、いずれにせよ拙者には縁はない・・・かも・・・(笑)
誘惑してくれる人が現れないから、受け入れようにも受け入れようがない!(涙)
どうしてくれるの?・・・これ・・・
男の恥も何も・・・それ以前の問題なんですけど!(怒)

どこかに『男を誘惑しないのは女の恥』という言葉はないものか・・・(大笑)

エッセイ | 15:43:03 | Comments(0)
『海軍設営戦記』
海軍設営戦記 (1981年)海軍設営戦記 (1981年)
(1981/12)
山崎 三朗

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第131設営隊
   海軍設営隊
   国家総動員法
   舞鶴海軍建築部
   第131設営隊の編成
   昼夜の輸送船積みこみ作業

ソロモン最前線へ
   出港
   孤独な航海
   ラバウル
   東裕丸に爆弾命中
   はじめての葬送
   ブイン上陸
   山本長官の遭難

コロンバンガラ島
   コ島派遣命令
   上陸
   米軍の艦砲射撃
   バット湾岬の砲台基地
   対岸の敵
   孤立
   宿舎に爆撃
   大発基地捜索

逃避行
   コ島撤退
   チョイセル島横断
   濁流に巻かれる
   ブインの灯火

米軍の猛攻
   伊藤隊員の死
   あいつぐ空襲
   マラリア発病
   米軍のタロキナ上陸
   最前線でのクリスマス・イブ

タロキナ担送隊
   担送隊の編成
   深夜の担送作業
   マラリア再発
   戦線の後退

地獄の島
   軍籍に転換
   苛酷な作業の犠牲者
   飢えとの戦い
   「格子なき牢獄」
   保健班
   藤本、芹原技兵曹の死

敗戦前後
   ナカロ陣地構築
   山口主計長の自決
   敗戦
   前途を悲観
   捕虜収容所
   隊員たちの反乱
   帰国

付録資料
国家総動員法
南東方面派遣の海軍設営隊
海軍第131設営隊戦没者名簿

あとがき



今年の読書:5冊目



読書 | 01:46:57 | Comments(0)
『歴史群像 2013年12月号』
歴史群像 2013年 12月号 [雑誌]歴史群像 2013年 12月号 [雑誌]
(2013/11/06)
不明

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歴群 誌上プレビュー
永遠の0
清須会議

日の丸の翼
№37
堀越技師の理想が込められた“夢の機体”
海軍 九試単座戦闘機

戦国の城
火力戦闘を重視した勝家の国境要塞
近江 内中尾城

フォトギャラリー
海軍経理学校
超難関を試験を突破した事務方のエリートたち

戦史の名画をよむ
“風景画家”ターナーが描いた歴史画の傑作
殊勲艦「テメレーア」の最期

銘艦HISTORIA
世界初の航空母艦
フューリアス
特殊な計画に基いて建造され、のちに空母の始祖として海軍史に名を刻んだ歴史的名艦

日中全面戦争の幕開け
第二次 上海事変
「盧溝橋の銃声」から始まった華北での戦いは遥か上海にも飛び火した
不拡大方針の“戦略”のもと、戦いに決着をつけるべく発動した“作戦”は日中全面戦争の幕開けを告げるものであった
国際都市・上海近郊で繰り広げられた泥沼の陣地戦
相克する“戦略”と“作戦”とは

戦略分析
ブラウ作戦
スターリングラード戦を惹起させた独ソ戦の転換点

中世イングランド最大の内乱
薔薇戦争
15世紀後半、百年戦争敗北後のイングランドにおけるランカスター・ヨーク両派による王位継承争いに端を発した三次にわたる内乱は、イギリス絶対王政への道を押し開いた

ANATOMY OF ZERO
日本軍機の謎を解き明かせ!
太平洋戦争初頭、大戦果を挙げた日本軍
その航空戦力に衝撃を受けた連合軍は謎に包まれた日本軍機の情報を得るため航空情報調査期間を創設した
連合軍はどのような組織と人材をもって日本軍機の秘密を暴いたのだろうか

戦場のミステリー
第46回 消えたパイロット

真説 清須会議
織田家中の静かなる下克上
織田信長の横死後、崩れた織田家中の均衡
生き残りを懸けて羽柴秀吉は様々な対策を講じる
主家簒奪の端緒となった利権と疑念が渦巻く評定の舞台裏を追う

戦争のあり方を変えた連続発射火器
機関銃入門
第一次世界大戦で圧倒的威力を見せつけ、歩兵装備の重要な地位を確立した機関銃
その運用方法の変遷を、歩兵戦術の変化とともに明らかにする

CG彩色でよみがえる歴戦のゼロ
ラバウル航空隊
アメリカ軍反攻開始の舞台となったソロモン戦線
ラバウルに展開した零戦と搭乗員たちの勇姿を撮影した海軍報道班員・吉田一氏の写真が、徹底考証によってカラーで今よみがえる!

タイ王国に現存する日本製兵器
陸海空軍の兵器を公開しているタイの戦争博物館
そのコレクションの中から希少な日本製兵器をダイジェストで紹介!

インタビュー 駆逐艦『磯風』乗組員
越智弘美
マリアナ沖・レイテ沖両海戦、空母『信濃』や特攻『大和』の直衛と戦争後半の激闘を戦い抜いた駆逐艦乗りが、今その体験を語る

各国陸軍の教範を読む
第32回 防御その9 日本軍Ⅱ

西洋戦史研究
ナポレオン戦争
パート2 ウルムの戦い
フランス海軍の劣勢によってイギリス本土侵攻を断念したナポレオンは英仏海峡に集結していた大陸軍を、欧州大陸の対仏同盟軍へと向けた
ライン河を越えたフランスの各軍団は、ウルムのオーストリア軍に襲いかかる!

江藤新平と「佐賀の変」
“第二維新”の嚆矢となった士族の蹶起
草創の明治政府を二分した「征韓論争」。
実は、その舞台裏では激しい権力闘争が渦巻いていた。
独裁的に政策を断行する内務卿・大久保利通は、司法卿として辣腕をふるう江藤新平の追い落としを画策。
罠にはめられた江藤は、佐賀の不平士族を率い、打倒「有司専制」に立ち上がった。



今年の読書:4冊目



読書 | 23:44:46 | Comments(0)
『文藝春秋 2014年1月号』
文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]
(2013/12/10)
不明

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直接対決!安倍首相ブレーンvs.反対派エコノミスト
アベノミクスで日本はよくなったのか
政権交替から1年。三本の矢は本当に経済を動かすのか。物価や賃金の上昇から貿易赤字まで、2014年の日本を占う。
(本田悦朗・内閣官房参与・静岡県立大学教授)
(若田部昌澄・早稲田大学教授)
(小林慶一郎・慶應義塾大学教授)
(藻谷浩介・日本総研首席研究員)

終戦の日の天皇皇后両陛下
80歳になられる天皇陛下。両陛下の「慰霊の旅」の原点には、あの日の記憶と沖縄との出会いがあった。
(奥野修司・ノンフィクションライター)

「ずばり聞きたい。福島をどうするつもりか」
東京電力 廣瀬直己社長 直撃インタビュー
「東京電力で負担しきれないのは事実です」その眼差しから深い懊悩を感じ取った。
(田原総一郎・ジャーナリスト)

「国難に殉じた」の美辞麗句で語るなかれ
神風特攻「敷島隊出撃」の真実
32年の取材の積み重ねがあぶりだした5人のほんとうの「最期」
(森 史朗・ノンフィクション作家)

絶望の淵からパラリンピックへ
IOC総会のヒロインと脳梗塞で倒れた女子アナが語り合った東京パラリンピックに賭ける思い
(佐藤真海・パラリンピアン・サントリーCSR推進部)
(大橋未歩・テレビ東京アナウンサー)
(構成=松原孝臣・スポーツライター)

叛乱テロ続出 中華帝国 戦慄の内幕
天安門突入事件は、中国版9・11か。内モンゴル出身の学者による渾身の現地レポート
(楊 海英・静岡大学教授)

2030日本再生の6大シナリオ
財政再建、人口減少対策、デフレ、政治改革・・・アベノミクスに浮かれていては、深刻な国難は避けられない。有志5人による問題提起、「日本人よ、その場しのぎの政治に訣別せよ」
(岡村 正・東芝相談役)
(茂木友三郎・キッコーマン名誉会長・取締役会議長)
(長谷川閑史・武田薬品工業社長)
(大橋光夫・昭和電工相談役)
(佐々木 毅・元東京大学総長)

猪瀬直樹都知事はハダカの王様だった
権力への異常な執着心、強烈な自己愛。この男に政治家の資格はあるのか。
(櫻井よしこ・ジャーナリスト)
(上杉 隆・ジャーナリスト・(株)NO BORDER代表取締役)

「小泉脱原発宣言」を断固支持する
非現実的という批判は原子力ムラのミスリードだ。首相が決断すれば絶対にできる
(河野太郎・衆議院議員)

現代官僚論⑥
制服主導の防衛省は国民の期待に応えられるか
NSC設置、安全保障政策の必要性が叫ばれるなか、解決すべき課題とは
(藤吉雅春・ノンフィクションライター)

特別企画
世界が驚愕した日本人54人
先人に学ぶグローバル人材の条件

この冬、強毒インフルパニックに備えよ
アジアで激増する鳥インフルエンザの感染者。大流行の危機は目前に迫る。
(岡田晴恵・白鴎大学教授)

やすしさんはちょっと生き急ぎすぎた
貧しかった少年時代、吉本の下積みからやすしさんとの出会い。そして国会へ。激動の人生を語る。
(西川きよし・タレント)

老人ホーム乱立 後悔しない施設選び
16種類にもおよぶ「終の棲家」。だが撰ぶための基準は限られている
(森 健・ジャーナリスト)

私はなぜアメリカに研究の場を移すのか
日本に閉じこもるひ弱な東大生
日本の研究現場が「ガラパゴス化」しつつある。再生医療のトップランナーが渡米の真意を語る。
(中内啓光・東京大学医科学研究所教授)

アジアビジネス最前線 日本再生の鍵はアジアにあり ⑥韓国編
韓国経済界「反日」の本音を聞いた
領土、徴用工、慰安婦。日韓対立のビジネスへの影響は大きい。韓国財界は何を考えているのか。
(江上 剛・作家)

それでもわたしはがんと闘う
抗がん剤の副作用に苦しみながらも山に登った。余命3ヵ月の告知を受けた私の決断
(田部井淳子・登山家)

苦境で咲く人、咲けない人
未発表講演
毎日を「一番若い日」にする気持ちの持ち方とは?教会での講演を誌上再録
(渡辺和子・ノートルダム清心学園理事長)

ベストセラーで読む日本の近現代史
昭和12年、マルクス主義とミッションスクールでの三角関係
第4回 若い人 石坂洋次郎
(佐藤 優・作家)



『神風特攻「敷島隊出撃」の真実』には驚いた。
まさか、そんなことがあったとは・・・・
つまり、戦友を事故死させてしまった責任を取る形で「死に場所」として「敷島隊」に参加した者がいるというのである。
いや、これが“志願”なのか、“暗黙の命令”として「死に場所」を与えられたのか・・・
これは、驚愕の話である。
読んでいて心臓が止まる思いだった。

『世界が驚愕した日本人54人』・・・
なんで中途半端な54人という数字なのかは、わからないが・・・
“驚愕”は、ちょっと大げさな見出しだったような気がする。
54人の名を見ると、「何でこの人が?」という人が結構いるのである。
世界が驚愕するほどの人なのか?・・・この人が・・・?
この記事は、ちょっと納得いかない内容であった。
残念・・・



今年の読書:3冊目



読書 | 02:10:05 | Comments(0)
殿様、ご乱心?
東京都の知事選に元・総理大臣が出馬するのだそうだ・・・
細川護煕元総理大臣・・・75歳・・・

唖然・・・
多分、まともな人は誰もが・・・唖然としたことだろう。(笑)

総理大臣をやった人が都知事になろうなんて・・・常識外れではなかろうか?(汗)
日本にはそんなに“人材”がいないのだろうか?

細川さんは、組閣して1年も経たぬうちに内閣を“投げ出した”といわれている人ですよね?
祖父の近衛文麿とソックリなんですよね・・・内閣を投げ出すところなど・・・(笑)
で・・・「政界を引退」したんですよね?
“政界”って・・・・政治の世界という意味ですよね?
東京都知事は「政界」ではないのか?(汗)

わからんのです・・・どうも、よくわからん・・・
会社を「退職」した人が、数年後会社に「出勤」してきたら、頭がおかしいと思われちゃうんじゃないかな?
それと同じではなかろうか?
「引退」した人が「出馬」というのは・・・
元総理大臣が東京都知事ねぇ~
トヨタの社長が退職して数年後に「営業部長になりたい」と人事課に願書を出すようなものではなかろうか・・・
やっぱり、これも頭がおかしいのではないかと思われちゃうんじゃなかろうか?(笑)

鳩山さんという元総理の例もあるし・・・
一応、病院へ行って検査をしてもらったほうがいいのではなかろうか?
何か、とんでもない病気に罹っているかもしれないし・・・

不思議なのは、細川さんを担ぎ出そうという人がいることである。
いくら短期間だったとは言え、総理大臣をやった人ですからねぇ~
日本国一国を預かるのは無理だったけど、東京都ぐらいなら大丈夫だろうということなのだろうか?(笑)

「殿!ご乱心!」と後ろから羽交い絞めにして留まらせようという人はいないのだろうか?(大笑)

エッセイ | 20:35:22 | Comments(2)
『燃える特攻基地セブを死守せよ』
燃える特攻基地セブを死守せよ―フィリピン戦記 (光人社NF文庫)燃える特攻基地セブを死守せよ―フィリピン戦記 (光人社NF文庫)
(2012/01/31)
「丸」編集部

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燃える特攻基地セブを死守せよ
太平洋戦域最後の砦・レイテ攻防戦の真相を綴る
(第33特別根拠地隊127防空隊員・水本 生)
  1 “かけだし士官”前線へ
  2 1万1千発の大目玉
  3 零戦ついに飛ばず
  4 最後の輸送船のみやげ
  5 金2千ペソのふんどし
  6 爆装零戦よさらば!
  7 危機一髪の陣地移動
  8 血なまぐさいお年玉
  9 空きっ腹に聞く悲報
 10 斬り込み隊生還す
 11 尻ごみする部下たち
 12 転進という名の総退却
 13 敵前70メートルの対決
 14 敗残の身に衝撃の報
 15 米軍司令部ニコラレタシ
 16 絶句した司令官
 17 あゝ悲劇の爆発音

幻の巨砲軍団密林に消ゆ
壮烈リンガエン攻防戦秘話/分隊長の血涙の手記
(第23師団野砲兵第17連隊時津隊第4分隊長・木戸則正)
  1 ハイラル初年兵哀歌
  2 機械からお馬さんへ
  3 夕闇に光る敵潜
  4 板子1枚下の地獄
  5 神よタコツボよ
  6 砲なき砲兵の憂き目
  7 全軍特攻と化して
  8 現地娘と奇蹟と
  9 腹中に入った軍神馬
 10 ひとり密林をゆく
 11 ベンゲットの守り
 12 腰抜け中尉に泣く
 13 死ぬんじゃないぞ!
 14 逃亡兵集落の恐怖
 15 天皇の御為に死す!?
 16 枯れはてた菊花

あゝ緑の墓標の下で
暗黒の密林をいろどる血と炎のネグロス島激闘記
(第9942部隊第6航空通信小隊長・高瀬 博)
  1 泣きわらい甲種合格
  2 ぼは餅には母の愛
  3 この非情なるもの
  4 大陸から一路南方へ
  5 的中した不吉な予感
  6 カボチャとともに波の上
  7 見ろ、船のマストだ
  8 未知の島ネグロスへ
  9 よみがえる悪夢
 10 レイテ島からの悲報
 11 丸はだかの1万5千人
 12 密林の主陣地にかけて
 13 玉砕を目前にして
 14 斬り込み作戦も
 15 たよるは航空機銃のみ
 16 突如として目前に戦車
 17 せまる死神との戦い
 18 かぎりなき敗退の道
 19 1ヵ月ぶりの太陽
 20 ああ、8月15日

わが青春の零戦隊
特攻201空従軍日誌/日本海軍最強戦闘機隊の最後
(201空無線班分隊士・今井清富)
  1 出陣の日きたる
  2 南方戦線をめざして
  3 台湾での一夜
  4 またしても着地失敗
  5 しぶりっ腹にハチ
  6 痛い“山本理容店”
  7 鉄と炎の嵐
  8 セブで見た彗星の惨事
  9 若武者たちの苦悩
 10 無残!燃えつきる翼
 11 怒れる山本司令
 12 玉井副長の無理難題
 13 学徒の誇り久納中尉
 14 有馬少将の思い出
 15 敷島隊発進す
 16 ニュー零戦きたる
 17 さらば美しき若者たち

地獄の稜線
振武集団斬り込み戦記/独立機関銃中隊の生と死
(威第406部隊長・大槻正治)
  1 われに重機8挺あり
  2 マニラ危うし
  3 せまり来る敵
  4 イポ陣地の奇遇
  5 頭上の“疫病神”
  6 『斬り込み隊の歌』
  7 “もぐら”の意地
  8 冷たき一陣の風
  9 山頂を奪取せよ
 10 あわれ兵ふたり
 11 わが最初の悲劇
 12 恐るべき死の谷
 13 ふたたび最前線へ
 14 いわれなき屈辱

解説
 高野 弘(雑誌「丸」編集長)


本書は5つの話から成り立っている。
今月、セブ島、ネグロス島、ミンダナオ島へ行くため、事前に関係ある戦記を読んでおこうと思い購入した。
『燃える特攻機地セブを死守せよ』は、セブ航空基地の略図なども掲載されていたので、これはかなり貴重な資料。
現地訪問のいい参考資料になる。
大助かりである。
各編とも、大いに勉強になる戦記だった。


今年の読書:2冊目



読書 | 23:57:14 | Comments(0)
残すところ、あと360日!
今日は・・・1月5日・・・
今年も残すところ360日となってしまった!(笑)

ものの考え方には、いろいろありますが・・・
よく例に出されるのが・・・
「もうこれしかない」と思うか、「まだこれだけある」と思うかという話・・・

しかし、この考え方が間違いを起こす元かもしれないと最近思うのです。
若いときは「まだこれだけある」と思ってもいいでしょうが・・・
もう、先がなくなりつつある我が身では「まだこれだけある」とは、どうしても思えない・・・

若い時なら、大学受験に失敗して一浪しても、またそれも“いい勉強”である・・・
人生は長いんだから、少しくらい回り道をしたほうが逆にいい・・・などと思いましたが・・・(笑)

この歳になると・・・(苦笑)
“まわり道”などしている余裕はなさそうな気がするのです。(笑)

「まだ360日もあるではないか」などと思うから、ボ~ッとしているうちに1年が過ぎてしまうのではなかろうか?
加齢とともに髪も薄くなり・・・人生の中身も薄くなったのではマズイ・・・(笑)

歳を取ってきたら、「あと360日しかない!マズイ!ヤバイ!」と思うべし・・・
小学1年生から6年生になるまでの、あの6年間の長かったこと・・・(大笑)
今は、6年なんて、あっという間である!!
この差は一体何だろう?

生き急ぎ、死に急がねば・・・
そう思う、今日この頃である・・・
あ~・・・もう今年も5日も経ってしまったのか・・・
ヤバイ・・・・(笑)

自己啓発 | 21:03:16 | Comments(0)
去年と同じ“おみくじ”
今日は、妹達と初詣・・・
昨年と同じパターンである・・・・

で・・・お楽しみの“おみくじ”を引いた・・・

高校生の姪っ子は・・・
「学問」・・・「かなり危ない」(大笑)
「おお!当ってるジャン!」とみんなで大笑い!

で・・・おじちゃんは・・・
あれ?あれれ???
どこかで見たことがある文句が並んでいる・・・
ん?15番の“おみくじ”?(汗)

去年も15番だったんですけど・・・(涙)
同じ“おみくじ”だから書いてあることも同じである・・・
なんだこれ・・・(唖然)
昨年をもう一度やりなおせっていうことか?(大汗)
反省しろっていうことか?(大笑)

よりによって去年と同じ“おみくじ”を引くとはねぇ~
これ・・・すごい確率ではあるまいか?(大笑)

009_compressed_convert_20140201194928.jpg(村松虚空蔵堂)

日記 | 12:10:45 | Comments(0)
『国宝 犬山城 図録』
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国宝 犬山城 図録

濃尾歴史文化研究所 発行
昭和62年4月 初版印刷
平成18年12月 改訂4版印刷
1,000円+税

はじめに

犬山城の風景と史料写真
   渓斎英泉筆・木曽街道鵜沼駅遠望図
   明治24年以前の天守閣
   明治24年の破損天守閣
   昭和10年頃の天守閣
   昭和36年解体修理直前の天守閣
   木曾川の清流と白帝城
   三光寺山から見た天守閣
   針綱神社前から見た天守閣
   犬山城遠望
   犬山城下碧流双帆
   空撮・犬山市街
   空撮・犬山城

犬山城の天守閣の構造
   昭和40年修理完了後の天守閣正面図
   昭和40年修理完了後の天守閣東面図
   昭和40年修理完了後の天守閣断面図
   犬山城天守閣について
   地階石垣の状態
   石垣内側の栗石詰の状況
   修理前の一階土台
   修理前の一階南面武者走り
   修理前の二階
   修理前の三階床の骨組み
   犬山城の宗門櫓か屏風櫓の鯱
   四階軸部と二層大屋根
   石落し骨組み

歴代城主の史跡と文化財
   木ノ下城跡
   織田広近墓
   織田与十郎寛近禁制状
   東之宮神社奉納の獅子頭
   織田塚
   犬山鉄斎(織田信清)あて豊臣秀吉朱印状写
   犬山城主・池田恒興(勝入斎)画像
   羽柴秀長禁制状と清蔵主(中川氏)の墓
   犬山城主・中川定成禁制状写
   犬山城主・土方雄良書状
   犬山城主・石川光吉書状
   犬山城主・石川光吉定書
   犬山城主・小笠原和泉守吉次画像
   犬山城主・平岩主計頭親吉画像
   犬山城代・平岩掃部助吉軌家墓地
   犬山・西図師町・専念寺
   犬山城主・成瀬家墓地(臨渓院)
   成瀬家菩提寺・臨渓院
   犬山城主・成瀬隼人正正成(初代)
   犬山城主・成瀬隼人正正虎(二代)
   犬山城下の刀工
   犬山城主・成瀬隼人正正親(三代)
   犬山城主・成瀬隼人正正幸(四代)
   犬山城主・成瀬隼人正正太(五代)
   犬山城主・成瀬隼人正正典(六代)
   犬山藩札(二種類)
   木札
   犬山城主・成瀬隼人正正寿(七代)
   犬山城主・成瀬隼人正正住(八代)
   犬山城主・成瀬隼人正正肥(九代)
   子爵・成瀬正雄(十代)

明治以後の古写真・史料
   犬山城大手門と大手橋(明治初年撮影)
   大手枡型の石積
   明治初年の犬山城
   犬山城の古写真
   明治15~20年頃の針綱神社
   明治16~20年頃の犬山神社
   旧犬山城内の針綱神社
   昭和天皇の御登閣
   天皇・皇后の御登閣
   天守閣のシャチ瓦
   天守所用古瓦

犬山城絵図
   犬山城古図
   旧犬山城廓之図
   犬山城絵図
   三光寺御殿図
   犬山城松の丸御殿絵図
   西御殿図
   犬山城主要部実測図

犬山城の設備構造
   天守閣研究の問題点
   城櫓と城門など
   その他の建造物

犬山祭と城下町みどころ
   犬山祭
   城下町みどころ

犬山城年表



今年の読書:1冊目



読書 | 20:18:17 | Comments(0)
元旦、朝一番の電話・・・
元旦早々・・・朝一番に携帯が鳴った!
我が大学のOB・・・大学OB会の栃木県支部の支部長さんからである。
何事かと思ったら・・・拙者の年賀状を読んで電話したという。

我が茨城県支部は、もう2年ほど総会を開催していない・・・
諸般の事情で・・・(笑)・・・支部長がへそを曲げて一方的に辞任してしまったのである!
で・・・茨城県支部は壊滅状態・・・
今年も復活は無理かも・・・というコメントを添えた年賀状を送ったら、即、電話がかかってきてしまった。(大笑)

栃木県支部も協力するから、なんとかして茨城県支部を立ち直らせるように・・・とのこと・・・(汗)
よろしく頼むよ・・・と言われてもねぇ~(笑)
拙者は支部総会に出席するOBの中では最年少なのである!(涙)
53歳で“最年少”って何よ・・・なのだが・・・(笑)
この“最年少者”に、どうしろっていうのよぉ~(大涙)

いやぁ~参ったなぁ~・・・新年早々・・・(大汗)
全国の都道府県支部の中で、茨城県だけが支部長が“空欄”というのも問題だが・・・
どうして拙者に“振る”かなぁ~(涙)

日記 | 16:26:28 | Comments(0)
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