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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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駿州赤心隊の碑
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駿州赤心隊

富士亦八郎重本 文政9年(1826年)~明治30年(1897年)は駿州赤心隊を結成、勤皇に献身した。
富士山本宮浅間大社の大宮司家に生まれ15歳で江戸に出て、漢学・武術を学ぶ。
20歳で帰郷第44代大宮司家を継ぐかたわら塾を開き、国学、漢学、兵学を教える。
東征軍に参加、駿州赤心隊を率いて幕軍と戦う。
その後、西南戦争に従軍、現靖国神社の前身、東京招魂社の社司となり祭祀を司り最後は東京麹町区長。
この石碑は明治維新の激動の時代を勤皇の志士として、国家に尽した駿州赤心隊顕彰の碑である。

(説明板より)



静岡県富士宮市・富士山本宮浅間大社境内



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史跡 | 15:29:40 | Comments(0)
富士山本宮浅間大社
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富士山本宮浅間大社

(御祭神)
主神 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
配祀 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
   大山祇神(おおやまづみのかみ)

(御由緒)
人皇第7代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が離散し国内が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇は、富士の神霊を山足(やまあし)(山麓)の地に鎮祭した。
これが浅間大社の創祀である。
第12代景行天皇の皇子日本武尊が東征の際、浅間大神の神助を畏み、山宮の地(現社地の北方6キロ)に篤く大神を祀られた。
その後、平城天皇の大同元年(806)坂上田村麿が勅命に依り、神霊を山宮より大宮(現社地)遷し奉った。
以来実に1千2百余年、全国1千3百余社に及ぶ浅間神社の総宮として、全国的に篤い崇敬をあつめている東海最古の名社である。
古来、朝廷の崇敬極めて篤く、延喜の制では名神大社に列し、駿河国の一宮として崇められた。
武家時代に入ってからは、源頼朝をはじめ北条義時、武田信玄、同勝頼、等の名武将は、それぞれ神領や神宝を献納して篤く崇敬した。
特に徳川家康は、天下を平定した奉賽のため、慶長9年(1604)に本殿以下の諸社殿を奉献し、更に富士山八合目以上を社地として寄進した。
本殿は二層の楼閣をなし、浅間造と称し重要文化財に指定されている。

~以下略~

(説明板より)

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(右:南極の石 左:火山弾)

南極の石
この石は、南極奥地より氷河に乗り幾億年もの歳月を経て流出し、地吹雪により風化したもので、第7次南極観測船ふじの乗組員により採取されました。
富士浅間大神の、御神霊を奉斎して、昭和基地に赴いた砕氷艦、ふじ、の乗組員赤池稔氏の(富士宮市出身)奉納であります。

名称 火山弾
目方 約30貫(約百キロ)
これは富士山噴火の時に、地中の岩漿が火熱のために溶けて空中に吹き上げられ落下した際に、酸化して冷却したものです
この様に形が整って大きなものは、珍しいといわれています。

(説明板より)

162_convert_20140102174539.jpg(流鏑馬の像)

流鏑馬祭縁起

社伝によれば建久4(1193)年5月源頼朝が富士の裾野で鎌倉武士を率いて巻狩を行ったとき当浅間大社に参詣し 流鏑馬を奉納したのに起因すると言われる古儀である
当大社所蔵の天正5(1577)年の富士大宮御神事帳や 慶安3(1650)年の富士本宮年中祭礼之次第にも 5月5日の条に 五月会流鏑馬 と記載されている
又その当時の古文書 朱印状等によれば武田勝頼より流鏑馬料 豊臣秀吉及び徳川家光よりは御朱印地の寄進があり神事祭礼として国家安寧のため誠を尽して斎行するように下知されていたことを知ることができる
現在は5月4・5・6日の三日間にわたり行なわれ4日が前日祭 5日が本祭 6日が後日祭になっている
5日の本祭はこの祭の中心で 拝殿で祭典を行い ついで練行と称して神馬を中心に宮司以下神職 弓武者 槍武者 鎧武者 射手代官 射手 氏子代表 稚児等が市内を練り歩いた後 桜の馬場に参入して 鎌倉武士を髣髴させる絢爛豪華な神事流鏑馬式が古例によって盛大に行なわれる
当日は端午の節句でもあり近郷近在から20万余の参詣者で境内は終日殷賑を極めることは昔も今も変ることがない

平成7年5月5日

(碑文より)



静岡県富士宮市宮町1-1



史跡 | 14:13:44 | Comments(0)
曽我八幡宮
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富士宮市 歩く博物館 Cコース④
曽我八幡宮

社伝は、源頼朝が曽我兄弟の孝心に感じ、兄弟の英魂を祭るよう畠山重忠を遣わし、建久8年(1197)に上原の住人渡辺主水に祭らせたと伝えている。
この地は、新田四郎忠常の陣所の近く、十郎祐成が討たれた所だと言い伝えられている。
主神は応神天皇で、兄弟はその相殿として祭られている。
主神の応神天皇の尊像は、頼朝の命によって文覚が刻んだものだといわれる騎馬像である。
兄弟の像は、畠山重忠が丹波法眼に命じて刻ませた像だといわれている。
近世になって、歌舞伎や芝居で、「曽我物語」が盛んに上演されるようになると、曽我八幡宮では曽我兄弟の木像や兄弟ゆかりの品を持って江戸で出開帳を行った。
その出開帳の収入が、神社の維持管理にあてられたものと思われる。

富士宮市教育委員会

(説明板より)



静岡県富士宮市上井出1804番地



史跡 | 13:37:46 | Comments(0)
若獅子神社と若獅子の塔
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若獅子神社

(神社の由来)
若獅子神社はさきの大東亜戦争において若獅子の名のもとに勇戦奮闘悠久の大義に殉じた陸軍少年戦車兵学校の教官・生徒6百有余の御霊を御祭神として、永久祭祀の途を拓くため昭和59年10月神社を創建しました
いま英霊はこの地に還り守護神としてわが国の平和と彌栄を希い氏子・崇敬者の平安と繁栄をひたすらお守りしておられます
とくに御祭神は交通安全・学業成就・産業振興の神様として特別の御神徳をそなえておられます

(神社の起源)
昭和40年12月学校跡のこの地に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため若獅子の塔を建立したのを起源とし以来毎年慰霊祭を執り行い英霊の奉慰・奉顕に努め建塔20年を期に富士山本宮浅間大社・靖国神社の御教導により永久平和への祈りをこめ神社造営を発起顕彰会々員729名の奉賛によって若獅子神社が創建されました

(神社の名稱)
若き情熱に燃え純真一途国難に赴き勇猛果敢な活躍を遂げた少年戦車兵の愛稱であった『若獅子』を神社の稱號としました

(説明板より)

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若獅子の塔由来記

美しい我が国土の象徴 千古に仰ぐ霊峰富士の麓 この地こそ 日華事変 大東亜戦争を通じ 若獅子の名のもとに活躍した陸軍少年戦車兵揺籃の地であり 又その魂のふるさとである
日本陸軍はノモンハン事変後 近代戦の中核である戦車隊の拡充強化をはかるため 昭和14年12月 千葉陸軍戦車学校に生徒隊を設け少年戦車兵を教育した
爾来戦局の熾烈なるに伴い 昭和17年8月 この地に陸軍少年戦車兵学校を移し本格的な養成が行なわれた
想えば7年の短い歴史のなかに 4千4百余の紅顔の少年が 若き情熱にもえ 朝夕富士を仰ぎ 心身を鍛え 学業を修め 戦車を駆使してひたすら猛訓練に励み 国軍の中堅幹部として勇躍この地を巣立っていった
そして大陸の曠野に 南海の島々に 或は北辺の草原に雄戦奮斗し 赫々たる武勲を誇ったのであるが 6百余の友は祖国の平和と繁栄を念じつつ 莞爾として悠久の大義に殉じたのである
戦火おさまって20年 いま秋風蕭條たるこの地に立ちて 往時を偲び亡き友を追慕するとき 萬感胸に溢るるを禁じ得ないのである
その御霊を慰め 殉国の至誠と輝ける偉勲を永く後世に傳へ 併せて真の平和を祈念し われら同窓生相はかり なお数多くの御賛同と御支援により ここに若獅子の塔を建立する

昭和40年12月1日
陸軍少年戦車兵学校同窓生一同

(碑文より)



静岡県富士宮市上井出2317-1



史跡 | 12:49:36 | Comments(0)
工藤祐経の墓
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工藤祐経(くどうすけつね)の墓

建久4年(1193年)5月28日、しのつく雨の夜、工藤祐経は、曽我兄弟の仇討ちにより、陣屋で殺害されました。
富士の巻狩(まきが)りの夜に起きたこの事件は、当時大騒動になりました。
曽我兄弟の兄十郎は、仁田(にった)四郎によって斬殺され、弟五郎は、捕らえられ翌日処刑されました。

この墓は、曽我兄弟によって討たれた工藤祐経が、この地に埋められたと伝えられることから、長い間ひっそりと守られてきました。
この西方にある「曽我の隠れ岩」とともに、この地が、武士道を象徴する三大仇討ちの一つの舞台となった歴史をしのばせてくれます。
なお、この東南約1kmのところ、上井出(かみいで)字上原(あざわはら)には、源頼朝の命によって兄弟の霊をなぐさめるために建てられた曽我八幡宮があります。

富士宮市

(説明板より)



静岡県富士宮市



史跡 | 11:31:19 | Comments(0)
曽我の隠れ岩
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曽我の隠れ岩の由来

曽我兄弟(兄十郎祐成(すけなり)、弟五郎時致(ときむね))の父河津三郎祐泰(すけやす)は、領地争いにより伊豆で工藤祐経(すけつね)に暗殺されました。
兄弟は、武士道の面目にかけ仇討ちを念願し、建久4年(1193年)富士の巻狩に参加していた工藤祐経をついにこの地で討つことができました。
このとき兄弟は、この岩に隠れ仇討ちの密談をしたといわれています。
なお、西方に、密談の際、滝の音が止んだといわれる音止の滝、東方に、工藤祐経の墓があります。

(説明板より)



静岡県富士宮市



史跡 | 10:35:02 | Comments(0)
音止の滝・白糸の滝
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音止の滝(おとどめのたき)

高さ約25メートル、幅約5メートル、水量は富士山への積雪、上流部への降水量等により大きく左右されます。
この滝の名前の由来は、建久4年5月28日(約800年前)、曽我の五郎、十郎兄弟が父、河津三郎祐泰を工藤祐経に殺された敵を、富士の巻き狩りのさいに討とうと考え、祐経の陣屋近くの隠れ岩で相談したさい、近くの滝の音があまりにうるさく密談しにくい事を神に嘆いたところ、滝の音がピタリと止まり、無事討ち入りの相談ができました。
それ以来「音止の滝」と呼ばれるようになったとの伝説からきています。

(説明板より)

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名勝及び天然記念物
白糸の滝
昭和11年9月3日 国指定

「この上にいかなる姫かおわすらん
  おだまき流す白糸の滝」

この歌は源頼朝が詠んだと言われています。

富士山の雪解け水が富士溶岩のすきまを通って地下にしみ込み、古富士泥流と呼ばれる不透水層の上を伏流水となって流れ下ったものが浸食を受けた溶岩層から湧き出したもので、高さ約20米、幅およそ200米の湾曲した絶壁の全面に、大小数百の滝が玉すだれのように数千畳の絹糸となって流れ落ち、白糸の名にふさわしく美しい景観を見せています。
また左側には、曽我兄弟の仇討ちで名高い音止めの滝が勇壮なひびきを立てています。

白糸の滝を守る会

(説明板より)



静岡県富士宮市



史跡 | 09:37:28 | Comments(0)
若獅子神社に行く
3時間ほどの“仮眠”を取って、東京駅へ行き、新幹線に乗る。
今日から3泊4日で関西方面に旅に出かける・・・

まずは・・・静岡県!
新幹線で「三島駅」まで行き、在来線の東海道本線島田行きに乗り換えて「富士駅」へ・・・
ここで今度は身延線に乗り換えて「富士宮駅」に向う。
乗り換え時間はわずか数分・・・
見知らぬ駅での乗り換えは焦る。(大笑)

東京から2時間弱で到着!
時刻は12時40分・・・
今日のメインの訪問地は、ここ富士宮にある「若獅子神社」である。

駅を出ると・・・
駅前のビルの間から富士山が見える・・・

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駅前の中華料理屋で昼食を食べ、タクシーに乗る。

065_convert_20131230220552.jpg(中華丼)

タクシーのドライバーは女性の方で・・・
「若獅子神社」までお願いしたら、場所を知らないという・・・
「若獅子神社」は、その昔、「陸軍少年戦車兵学校」があった場所なんですけど・・・(汗)
地元の人も知らないという場所なのか?(唖然)

近くには「白糸の滝」という名所があるらしいんだけど・・・
とにかく、その方向へ向かってもらう。

で・・・・オシャベリしているうち気が変わった・・・(大笑)
「最初に白糸の滝に行ってみましょう!」(笑)

071_convert_20131230222548.jpg(白糸の滝)

「白糸の滝」は有名な滝なのだそうだが・・・
う~ん・・・どうなんだろ?
我が茨城の「袋田の滝」のほうが、すごい気がしないでもないが・・・(大笑)
ちょうど滝の前の遊歩道が修復中のため近づけなかった。
ドライバーさんは残念がっていたが、拙者としては、こういうのも面白い・・・
いつか、遊歩道が完成したら、そこまで行ってみようか・・・
修復中の写真と、その後の写真を比較してみるのも楽しいし・・・(笑)

ついでに、近くを散策してみる・・・

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「曽我の隠れ岩」というのがあった・・・
この岩のどこに隠れていたのだろう?
よくわからん・・・
だいたい、曽我って・・・誰?(笑)
こういう時に博学の“シミズくん”が一緒だったら面白かったんだがなぁ~(大笑)
「曽我兄弟」っていうのは、どうやら仇討ちで有名な人のようである・・・(汗)

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そのまた近くに「工藤祐経の墓」というのがあった。
おお!これは、これは面白い・・・
史跡めぐりである!
ドライバーさん・・・「お好きなんですねぇ~」と呆れ顔・・・(大笑)
彼女は、場所は何とか知っているが、実際には来たことはないと言う。
「地元の史跡を勉強して下さい!」(大笑)
この工藤祐経という人は、曽我兄弟の仇討ちで殺された人らしい・・・(汗)

「こういう史跡と言うか、こういうのがお好きなのですか?」とドライバーさん・・・
「はい、知識はありませんけど・・・ワクワクしちゃうんですよね!」(大笑)
「いい趣味ですよね?仕事はもう引退されてねぇ~・・・いいですねぇ~」
引退???
あ~・・・説明するのは面倒だ・・・そういうことにしちゃおう・・・(大笑)

「わかっても、わからなくてもいいんですよ。こういうのを見るでしょ?で・・・後々何かの本で読んだりした時にね・・・あ~そういえば、そういう史跡に行ったことがあるとか、お墓に行ったことがあるとかって思い出すでしょ?その時に、あ~あの場所かぁ~なんて思い出したりして、それが面白いんですよねぇ~」
「いやぁ~本当に楽しそうに見てますもんね?ところで・・・どちらからいらっしゃったんですか?」
「茨城県です!」
「え!やだぁ~!」
「はぁ?なにか・・・?」
「私、水戸の出身なんですけど!」(笑)
「うそぉ~!何それ!」(驚)

まさか・・・同じ茨城県人とはね・・・(大笑)
「お客さんは、あまり“なまって”いませんね?」と褒められ(?)たが・・・
拙者は一歩、茨城県境を越えたら共通語で話すよう自動的にセットされておるのです・・・(大笑)

そこからは、茨城弁談議である・・・
関西弁を話す人に会うと・・・「大阪の方ですか?」で済んでしまう・・・
博多弁で話す人に会っても、「博多弁ですか?」で済んでしまう。
ところが茨城県の場合・・・
茨城弁がポロッと出ると・・・「なまってますね?」と必ず言われるのである!
これが面白くない!
なんで、茨城弁の場合は「なまってる」と言われて、その他の言葉は「関西弁」「博多弁」と言われるだけで済んでしまうのか?(怒)
これは茨城県人は「田舎者」「いなかっぺ」だと思っているからに違いない!
「私も静岡に来たばかりの頃は、なまってるって散々言われましたよ」とドライバーさん・・・
「でしょ?バカにしてるでしょ?茨城県を!けしからんですよね!」(怒)

などという話で大いにドライバーさんと盛り上がる。(大笑)

時刻は午後2時を過ぎた・・・
ヤバイ・・・
早く目的の「若獅子神社」に行かねば・・・日が暮れたら何しに来たかわからなくなってしまう。

ドライバーさん・・・
観光案内所で若獅子神社の場所を教えてもらったらしい。
さぁ!行きましょう!行きましょう!

094_convert_20131230235548.jpg(富士山!)

098_convert_20131230235953.jpg(若獅子神社)

午後2時半、若獅子神社に到着!
ここは陸軍少年戦車兵学校があった場所である。
我が戦車第2師団の戦車兵の中にもこの学校出身者が結構いたはずである。
ということで・・・来年の戦友会の会報の表紙に、ここの写真を載せようと思い、訪問したのである。
ただ、写真を撮るだけのため・・・わざわざ・・・(笑)
自分でも、よくやるよなぁ~・・・と思う。
が・・・また、こういうのが楽しいのである。
決してムダではない。(笑)

神社には誰もいない・・・
神主さんでもいれば、お話を聞かせてもらおうかと思っていたのだが残念・・・

ここにはサイパン島から還って来た九七式中戦車が展示されている。
どうも心無い人間がこの戦車のキャタピラと車輪の一部を壊したらしい。
こんなところまでわざわざやってくるのだから、多分、戦車マニアか何かだろう・・・
マナーが悪い奴がいたものである。(怒)
もう風化してボロボロになりかけているんだから、触るなって!乗るなって!・・・常識だろう、そんなこと・・・

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さぁ、目的は果たした・・・もう後は暇である。(笑)
今晩は静岡駅前のホテルに泊まることにしているので、チェックインにはまだ余裕がある。
「運転手さんのお勧めの場所があったら連れて行ってください!」とお願いして・・・・ドライブ!(大笑)

いかに観光客を1時間でも長く滞在させるか・・・
半日で用事が済んでも、残り半日を滞在させれば、お客さんは飲食をするからおカネを地元に落とすことになる。
そういうちょっとした工夫は必要ではないだろうか?
というわけで・・・そこで大事なのがタクシーの運転手さんの会話と知識ということになる。
「できるだけ地元の史跡を覚えて、歴史好きの人を案内するようにしたらどうでしょう?」
「いやぁ~今、この業界も暇でねぇ~」
「観光客なんか来ませんか?」
「来ませんねぇ~」
「若獅子神社が有名じゃないんだからダメですよね。見所はいくらでもあると思うんですけどねぇ~」
「うちなんか、病院の送迎ばかりで・・・史跡めぐりなんて、無理ですよ」(大笑)
あらら・・・

ドライバーさんに連れて行ってもらったのは「曽我兄弟のお墓」・・・・
到着した場所は、「曽我八幡宮」・・・

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なんか・・・おかしい・・・(笑)
曽我兄弟が祀られているのでしょうが・・・
ここはお墓かな???(笑)

すぐ近くの道路際に小さな目立たない標柱を発見!
もう少し大きな目立つ看板を作ればいいのに・・・

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これによれば・・・
この奥の高台に曽我兄弟の墓所がある・・・と書いてある。
「曽我兄弟霊地」ということで、供養塔があるようなので、そちらが「お墓」ではあるまいか?
ということで・・・ドライバーさんをタクシーに残して一人で行ってみる。(笑)

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高台って・・・・ありゃぁ~・・・結構キツイわぁ~
運動不足の体には堪える・・・(笑)
しかも、ちょっと怖いんだよね・・・(大汗)
ガサッ・・・と音がすると・・・ドキッとするんだよね・・・
これ・・・結構、心臓に悪い・・・(大笑)

143_convert_20131231010702.jpg(曽我兄弟霊地)

で・・・無事に到着・・・(笑)
お参りをする・・・誰なのか知らない人だけど・・・(大笑)

続いて向かったのは・・・「日蓮正宗 総本山 大石寺」・・・・
「すごい三門ですから是非見て下さい」とドライバーさんが言う。
う~ん・・・拙者は曹洞宗なんですけど・・・(大笑)
まぁ、いいかぁ・・・

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いやぁ~大きな三門である!
宗教団体ってカネがあるんだねぇ~(笑)

どうも「御影堂大改修落慶法要」があるそうで・・・一般の人(信者じゃない人?)は奥には入れないとのこと・・・
というわけで・・・三門だけを見て帰る事にする。

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「案内図」によれば、三門から奥のほうには“坊”というのがたくさんあるようで・・・
これは僧侶や信者の宿坊(宿泊施設)だそうである。
ふ~ん・・・すごいんだねぇ~
ここは、以前、なにやら創価学会とトラブルがあったような話だが・・・
どうも、宗教の話はよくわからん・・・
ドライバーさんは、いろいろ説明してくれたのだが・・・申し訳ないが、さっぱりわからなかった・・・(大汗)
申し訳なし・・・・

時刻は3時半を過ぎている・・・
駅に戻りながらの名所めぐり・・・
最後は、「浅間大社」・・・
ここも有名なのだそうである。(笑)
「ここで車を降りて、浅間大社を見学して徒歩で駅に向かってはいかがでしょうか?」とのこと。
というわけで・・・浅間大社でドライバーさんとお別れする。
タクシー代は・・・8500円なり!(笑)
いやぁ~いいドライブが出来た!
運転手さんに感謝、感謝!

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「浅間大社」というのは正式には「富士山本宮浅間大社」と言うらしい・・・・

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ここをお参りして、茶店でコーヒーを飲んで一服・・・
時刻は4時半・・・
駅に向って歩くことにする。

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(夕陽を浴びている富士山!)

駅の近くの商店街を歩いてみたが、どこの町も似たようなもので・・・
シャッターが閉まっている店ばかり・・・
商店街は今日は定休日なのか?(笑)
そんなはずはないよな?・・・・今日は土曜日なんだから・・・
なんとも寂しい商店街だった・・・

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午後4時45分、富士宮駅に到着!

ここから「富士駅」に向かい、乗り換えて「静岡駅」へ・・・・

この身延線といい、東海道本線といい、車両のドアの開閉は車体に付いているボタンを押して行なうようで・・・
これが良くわからんのです。(苦笑)
ホームに並んで電車を待つ時、迂闊にも列の先頭になっていた・・・(笑)
列車が入ってきて・・・
さぁ~ボタンを押していいのやら、悪いのやら・・・(大汗)
ボタンは拙者の目の前にあるのである!
自動で開くんじゃないか?・・・という気がしないでもないが・・・
周囲を見渡したら・・・他の乗客が拙者のことを見ている・・・(大汗)
ん?やっぱり押すのか?(大汗)
どうも、わからん・・・
なにせ、我が常磐線は「全自動」である!(大笑)
手動でドアを開閉するなんてねぇ~・・・やったことねぇもんなぁ~(大笑)

静岡駅前のホテルにチェックイン・・・
夕食は外に出てみたが、忘年会シーズンのせいか、すごい混雑である!
いやぁ~すごい人出・・・活気があるというか何というか・・・
我が町とは大違い・・・まぁ、人口も4倍ちかく多いんだから無理もないか?

人波に押されて・・・ウロウロした挙句・・・
ようやくイタリアンレストランを見つけたので、そこで夕食をとる。(大笑)

旅行 | 08:36:35 | Comments(0)