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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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神様が怒った?
数日前から少しずつ掃除をしていたのだが・・・・間に合わない!!(大汗)
我が「大邸宅」は広すぎて・・・一人ではとてもじゃないが無理である!(大笑)
玄関、トイレ、お風呂、洗面所、台所・・・と毎日少しづつ掃除していたのだが・・・
あらら・・・もう大晦日!!
しまった!
他人が見ると「ゴミの部屋」にしか見えないであろう、我が「書斎」と・・・
他人が見ると「物置部屋」にしか見えないであろう「我が書庫」の掃除まで手が回らない!!(大涙)

世間では「庭」と呼んでいるらしいが、拙者の家では「庭園」と呼んでいる場所も、掃き掃除をしたかったが、そんな余裕もなくなった・・・(笑)

あの震災以来、神棚を閉めたまま2年も放置・・・
これまでにも、しばしば地震が起きてはいるが、もう神棚から物が落ちてくるようなことはあるまい・・・
と思って、来年元旦からは、キチンと神様を祀ろうとお掃除をすることにした。
で・・・他の場所の掃除は・・・やめた!
神棚に集中するぞ!(笑)

で・・・脚立に乗って、神棚を掃除し始めた途端!
ドシ~ン!ガタガタガタ!
ん?何だ?
今まで放置していたから神様が怒ったか?(汗)
いや、地震だぁ!(驚)

なんというタイミング!(大笑)

あやうく脚立から落ちるところであった・・・
あ~ビックリした・・・(大笑)
あ~心臓に悪い・・・

すぐに、東京にいる高校生の姪っ子から電話!
「おじちゃん、そっちは大丈夫?」
「おお!いやぁ~神様が怒っちゃってさぁ~」
「はぁ?なに・・・それ・・・」
「え?今、神棚を掃除し始めた途端にね・・・神様が、今までよくも掃除してくれなかったな!って暴れだしちゃってよぉ~」(笑)
「神様が怒った?・・・そうじゃなくて、地震、大きかったでしょ?」
「地震?・・・おお!これは地震だったのか!」(笑)
「・・・・・」(汗)
「すごいタイミングで揺れたから驚いたよ」
「たしかに・・・」(笑)

しかし、参ったなぁ~
もう大丈夫だと思って神棚を飾ろうとしたのにさぁ~(笑)
まぁ、神様も避難所か仮設住宅に移動しているんでしょうが・・・
3年も・・・というわけにもいかないので、戻って来ていただきましょう。(笑)

というわけで、その後も掃除を続けて無事に完了する。(大笑)

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日記 | 12:36:11 | Comments(0)
それは妬み?
AIJ投資顧問による年金資産“消失”事件・・・
あの、17もの「年金基金」団体から合計で約248億円を騙し取った事件・・・
詐欺と金融商品取引法違反の罪に問われた、浅川社長に、求刑通り懲役15年の判決が言い渡されたという。

自社の延命を図るため繰り返して詐欺行為を行なったことと年金基金の被害は莫大なので・・・というわけで、刑の上限をもって処断したという。

しかしねぇ~・・・どうなんだろう・・・

最近は人を殺しても15年の刑にならない事例が多いような気がするんですけど・・・
下手すりゃ5年ぐらいで済んじゃうとか・・・
どうも人命が、かなり軽く扱われているのではなかろうか?

で・・・カネを騙し取っただの・・・という事件になると、なんとなく殺人より刑が重い気がするんですけど・・・(笑)
これは、私の気のせいか?(大笑)

もしかして、「お前だけが儲けやがって」とか「いい思いをしやがって」という妬みから来てるのではあるまいな?(大笑)

カネを騙し取って15年の刑は、決して重いとは思わないけど・・・
それなら、人の命を奪った場合は、少なくとも15年以上の刑にすべきではなかろうか?
それ以下の刑はありえないでしょ?
それ以下の刑にしたら人命に値段をつけることになるのではないでしょうか?(笑)
殺人で懲役15年以下の判決が出されたら、殺された人は248億円以下の価値しかない人だったのね・・・ということになっちゃうんじゃないのかな?(大汗)

やはり“カネ”が絡むと妬みがでちゃうんでしょうねぇ~(大笑)
お粗末・・・・

エッセイ | 11:16:18 | Comments(0)
プリウスの窃盗
我が茨城県内でトヨタの「プリウス」の盗難が多発しているのだそうだ。
今年1月から11月末までに56台も盗まれているそうで・・・(唖然)
自動車盗難被害全体の1割を「プリウス」が占めているという。

この窃盗・・・
売却目的もあろうが、ハイブリッド車で音が静かなため、犯行に使用する目的でも盗まれているのではないかと茨城県警では見ているそうだ。

こうなると困惑するのは他の自動車メーカーだろうなぁ~
「どうして、うちの車は盗まれないの?」
「盗む価値のない車ってこと?」
日産やホンダなどのメーカーさんたちは、そう思っちゃうんじゃなかろうか?(大笑)

まさか、「プリウス」の生産が間に合わないからトヨタの人が盗んで、“回し”ているというわけでもあるまいが・・・(大笑)
どうして「プリウス」ばかりなのかと窃盗犯に尋ねたいものである。

「プリウス」も有名になって、さぞかし宣伝になるだろうという気もしないでもないが・・・(笑)
「プリウス」を買うと盗まれる・・・とお客さんは考えるかもしれない。
そうなると、盗まれたくないから他のメーカーのハイブリッド車を買おうということになるかも・・・

ということは、盗んでいるのはトヨタ以外のカーメーカーの人間か?(大笑)

トヨタ以外のハイブリッド車が売れるかと思うと、そうとも言えないかもしれない・・・
盗まれないような人気のない車なんて欲しくない・・・とお客さんは思うかもしれないし・・・(笑)
そうなると、日産もホンダもガッカリである・・・(笑)

結局、ハイブリッド車なんて買うから盗まれるんだから、従来のガソリン車でいい・・・ということで落ち着いちゃうかも・・・
これでは地球温暖化対策が一歩後退してしまうではないか?

早く犯人を捕まえてもらいたいものですな・・・茨城県警さん!
これはタダの盗難事件では済みませぬぞ!
地球全体に影響を及ぼす事件ですぞ!(大笑)

エッセイ | 10:51:04 | Comments(0)
ビニールのゴミ??
今日も、いつものように親父と散歩・・・
親父を一人で歩かせたのでは危ないので、いつも拙者が同行することにしている。
まぁ、拙者の運動不足の解消にも繋がるので・・・一石二鳥である!

親父を一人で散歩させないのには理由がある。
自転車!
最近の自転車は良くできていて、音が静かなのである!(笑)
ギーゴー、ギーゴー、キィーキィーと音がすれば後ろから来ても直ぐわかるのだが・・・
音もなくスーッと脇を通り抜けられると心臓が止まるほど驚く。
聴力が正常な拙者でさえ、自転車が後ろから近づくのに気が付かないくらいだから、高齢者の親父には無理・・・
一緒に歩いてやって、後方をちょくちょく確認・・・
「後ろから自転車ぁ~!右に寄って!」と声をかけてやらねば、どんな事故に巻き込まれるか分かったもんじゃない。
チリン、チリンとベルを鳴らしてくれればありがたいが、自転車に乗っている人というのは遠慮深いのだろうか?(笑)
ベルを鳴らさない・・・

次が自動車!
交差点を横断する時、右折車、左折車が突っ込んでくるのである!
歩行者優先、歩行者保護など眼中にないらしい・・・
今、曲がらねばいつ曲がるんだ・・・と言わんばかりに突っ込んでくる。
今年の流行語に「今でしょ!」というのがあったらしいが・・・(笑)
「いつ曲がるの?今でしょ!」じゃねぇって言うんだ!
俺たちが渡り切ってから曲がれ!(怒)

というわけなので・・・必ず拙者が散歩には同行する・・・・

で・・・今日は散歩から帰ってきたら・・・
門の前に拙者が植えた花を、親父が杖で突っつき始めた・・・
はぁ?・・・なにすんの!(汗)
ツンツン!ツンツン!
「おい、おい、やめろって!」
「はぁ?何が?」
「何がじゃねぇって!何で花を突っつくんだよ!」
「花?・・・これ、ゴミだろ?」
「何だって?」
「ビニールのゴミが落ちてるんじゃねぇのか?」
「花だよ!花!俺が植えた花!」
「花?・・・ゴミに見えるんだけどなぁ~・・・」
「・・・・」(唖然)

なんという失礼な!
拙者が植えた花を「ビニールのゴミ」とは・・・(涙)

「目が悪くてよく見えねぇんだよなぁ~・・・あ~、これ、花なのかぁ~」
よくそれで外が歩けるな・・・
「こりゃ、ますます一人で散歩はさせられねぇな・・・」(大笑)
「おお・・・早く一人で散歩出来るようになりたいんだが、どうもこれじゃ、ダメだなぁ~」
「ああ、やめておいたほうがいいね」(大笑)
「・・・・・」

悲しいかな・・・高齢者は大変である。

日記 | 12:44:22 | Comments(2)
危うく、おねしょ?!(大笑)
どうも歳を取ってきたせいか、最近、夜中にトイレに行く事が多くなった・・・(大笑)

で・・・それが普通ではない・・・
なにが普通ではないのかと言うと・・・夢の中でも大騒ぎとなることがしばしばなのである。

毎回、シチュエーションは違うが、トイレになかなか辿り着けないところは、いつも同じ・・・
昨晩の夢もそうである・・・

どこかのホテルに拙者は宿泊している・・・
エレベーターに乗ったら、急に尿意をもようしてきた。(笑)
トイレに行かねば・・・
たしか、1階にトイレがあったはず・・・
1階のボタンを押したのだが、なぜかエレベーターは上昇して最上階へ・・・
最上階で降りようと思ったら、ドドッと若い男女のグループが乗り込んできて降りられない。
で・・・各階で1人、2人・・・降りていく。
チ~ン!・・・チ~ン!
そのたびにベルがなる・・・
あ~あ~!早くしろって!漏れちまうじゃないか!(汗)

ようやく1階のロビーに到着・・・
そこは、どこかの公会堂のエントランスホールかと思うほどの広いロビー!
え~と・・・トイレ、トイレ・・・
左手にレストランが見えた!
見覚えがある・・・かなり昔、このレストランに入ったことがあるぞ!
この右手奥に確かトイレがあったはずだ・・・と、トイレに向ったら・・・
あれれ?
大きな柱の裏に・・・トイレが・・・と、思ったら・・・壁しかない!(唖然)
間違いなく、以前は、ここにトイレがあったんだけどなぁ~(汗)

マズイ・・・非常にマズイ・・・漏れそうである・・・(涙)
で・・・思い出した!
拙者はこのホテルに泊まっているんだよな?
じゃぁ、自分の部屋のトイレを使えばいいじゃないか!(大笑)
え~と・・・拙者の部屋はどこだ?(汗)
たしか・・・5階だったと思うが・・・部屋の番号が思い出せない!(大汗)
まぁ、行けば思い出すかも・・・
とにかくエレベーターに乗り、5階のボタンを押す・・・

チ~ン!
エレベーターのドアが開いた・・・
ありゃぁ~!なんだこれ?
エレベーターから降りると、フロアー全体が部屋になっている!
拙者はこんな広い部屋に泊まっていたのか?
あ~あ~あ~!ヤバイ!限界に近いぞ!漏れる!漏れる!
さて・・・トイレはどこだ?
なんでフロアー全部が部屋になってるんだ?
広大なリビングルーム・・・
おい、おい、ベッドルームはどこだ?
ベッドルームの近くにトイレがあるんだよな?
何十メートルも先にようやくベッドルーム!(汗)
その先何十メートルも行ったところに、ようやくトイレを見つけた!

が・・・ドアが開かない!(大涙)
押しても引いても・・・ダメ!
こりゃ、どうなっているんだ?
あ~あ~あ~!本当にやばいんだってば!(涙)
地団太踏んでいたら、ようやくドアが開いた・・・
どうも反応の鈍い自動ドアだったようである・・・(笑)
どこのバカがこんな部屋を設計したんだ!(怒)

ようやく便器の前に到着し・・・
シャ~ッ!!・・・と放尿!(大笑)
あ~なんと爽快な!!
あ~なんとも気持ちがいい!!(大喜)

と・・・ここで、目が覚めた!
ん???・・・・夢?(大汗)
ギャッ!・・・まさか・・・
やっちまったんじゃあるまいな?(大汗)

大丈夫だ・・・“おねしょ”はしていない・・・(大笑)
53歳になって“おねしょ”をしたら、最悪だぞ・・・
親父の介護どころじゃない・・・
こっちが介護してもらうことになる・・・
ん?“おねしょ”で介護認定が降りるか?

と・・・一瞬、ボ~ッと考えていたら・・・ヤバイ!
漏れそうである!
トイレ!トイレ!
もう限界である!
ベッドから飛び出してトイレに向う・・・
ん?・・・これは・・・夢?・・・現実?
あ~わからん!
まぁ、いいかぁ~(笑)
もう限界だ!
というわけで・・・“用を足し”部屋に戻って時計を見たら・・・午前4時!
ドッと疲れる・・・
なんでこんな時間に目が覚めちまったんだよぉ~(涙)

歳を取るとこうなるのか?
あ~あ~歳は取りたくねぇもんだ・・・(涙)

まもなく今年も終わり・・・また一つ歳を取ることになる・・・
気分はブルーだ・・・・

日記 | 10:45:22 | Comments(2)
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「二重スパイ」エイムズの暗躍
最終回 モグラ狩り
   (吉田一彦・神戸大学名誉教授)
 「モグラ狩り」特別部隊の発足
 容疑者リストのトップ
 エイムズを9年も野放しにしていたもの

四神相応、鬼門封じ、将門・・・
江戸を大都市にした天海は、何を仕掛けたのか
   (宮元健次・作家・建築家)

吉田茂と大磯
「海千山千荘」物語
   (早坂 隆・ノンフィクション作家)
 焼け落ちた邸宅
 「葉巻の世話を頼む」
 「私のは<てんてこ舞い>だよ」



今年の読書:67冊目



読書 | 00:34:17 | Comments(0)
なんでもワースト1位の茨城県
我が茨城県・・・
人口10万人当たりの医師の数は、全国46位だという・・・
つまり・・・ワースト2位ということになる。(笑)
ウ~ン・・・残念だ・・・ワースト1位になれなかったのか・・・・
全国最下位は埼玉県だそうである。
う~ん・・・埼玉県なんぞに負けちまいやがった・・・(笑)
ちなみに、全国1位は徳島県だそうである。
なんで徳島県?(笑)

医師の数では茨城県はワースト2位だが・・・
これが、15歳未満人口10万人当たりの小児科医の数でいうと・・・
なんと!栄光の全国最下位!ワースト1位である!(大笑)

さらに・・・
15歳から49歳の女子人口10万人当たりの産婦人科・産科医の数でいうと・・・
全国41位!つまりワースト10位以内に入っている。(笑)

どうだろうか・・・
こうなったら、あらゆることで「ワースト1位」を狙うというのは・・・
どうせ「魅力のある都道府県」ワースト1位なんだし・・・(笑)
「ワースト1位」を重ねに重ねてギネス記録に挑戦するというのもいいと思うが・・・
そうなると・・・茨城県は世界的に有名になるんじゃないか?
日本の「恥さらし県」と呼ばれちゃうかもしれないが・・・

それにしても・・・
なんで、「人口10万人当たり」なんだろうね?
「人口1万人当たり」ではないのは、どうしてなんだろう?

何でもワーストというのも、見方を変えると、かなり違ってくるんですけど・・・
「人口10万人当たりの医者が少ない都道府県」ということなら茨城県は「ベスト2位」なんですけど・・・
「小児科医の少ない都道府県」ではベスト1位!(笑)
「魅力のない都道府県」でもベスト1位!(大笑)
物の見方を変えると・・・・結構気持ちのいいことになるんですけど・・・(大笑)

何事も物は考えよう・・・である。

医者が少ない?
いいんじゃないの?
それだけ茨城県には健康な人が多いから医者が必要ないんですよ!(大笑)

エッセイ | 20:41:38 | Comments(0)
英語で授業?
文科省が中学校の英語の授業を、原則として英語で行なうことに決めたという。
まぁ・・・この「原則として」が、官僚得意の“逃げ道”でしょうから、効果は薄くなるとは思うけど・・・(笑)

で・・・小学校のほうは・・・
「外国語活動」として実施している現在の授業を、「英語」という“教科”に格上げして、5年生、6年生に「英語」をやらせるのだそうだ・・・

受験英語ではなく、外国人とコミュニケーションするための英語教育に転換していくと大臣がおっしゃっている。
まぁ、それはそれで構いませんが・・・
外国人とのコミュニケーションも大事でしょうが、同じ日本人同士のコミュニケーションもまともに出来ないのに・・・やるの?(大笑)

緊急を要するのは、もしかして日本語教育のほうではあるまいか・・・という気がしないでもないのですが・・・

受験英語から転換するって言っても、今もって学歴偏重の世の中ですからねぇ~
どうなんでしょうか・・・
「東大が一番」みたいな学歴偏重を改めるのが先のような気がしないでもないですが・・・(笑)

いずれにせよ、カギになるのは教える方の教師の資質にかかってくるだろう。
私が中学生の時の英語の先生は「ズーズー弁」の英語を話す男性教諭・・・
本当に、その発音でいいのか?・・・と呆れたものである。
まぁ、少しでもマシな先生が揃ってくれればいいが・・・
そうなると、英語の先生の採用要件をかなり見直さなければなるまいな?
いくらテストの点数が良くても、外人と口をきいたことがないような英語の先生では・・・ねぇ~・・・・

英語の重要性もわからないでもないけど・・・
中学校が語学学校みたいになるというのもいかがなものか・・・
日本語で授業を受けても理解できなくて落ちこぼれる生徒がいるんだから(拙者がいい例ですが)、英語で授業をされては、こりゃ、悲劇でしょ?
自殺者が増えるかもよ・・・
そうなると、英会話教材と英会話学校に“補習”として人気が集中するかも・・・
文科省は、英会話教材販売会社と英会話学校への利益誘導を図っているのか?(大笑)

いっそのこと、外国人との結婚を奨励したほうが早いのではあるまいか?
生まれてきた子供はハーフ!
赤ん坊の時から親から英語で話しかけられりゃ英語がペラペラになるでは?
そうなれば、別に学校で“英会話”を教えることもあるまい!

「日本人のハーフ化!」「日本を日系アメリカ人、日系外国人の国にしよう!」のスローガンを掲げたほうがいいかも・・・(大笑)

日本が太平洋戦争に負けたときに、どうしてアメリカの植民地にならなかったのだろうか・・・
マッカーサーが、「日本語禁止!英語を国語にする!」って言っていればねぇ~
あの時に植民地になってれば・・・今頃、日本人はみんな英語がペラペラになっていたでしょ?(笑)
で・・・日本語のほうは、古文や漢文と同じように、高校でちょっとしか勉強しないという扱い・・・
いいんじゃないの?・・・これ・・・
まともに日本語が話せない日本人・・・(笑)

文科省は何を考えているのやら・・・(汗)

エッセイ | 20:03:11 | Comments(0)
理解できない女性の化粧
“キタミさん”の歯科医院で治療を受けた帰りに、近くのデパートに立ち寄り昼食を食べていると・・・
斜向かいの女性がパタパタと何かやっている・・・
ふと、顔を上げて見たら・・・あらら・・・
お化粧をし始めていたのである!
しかも念入りに!(唖然)
いつまでやっているのかとチラチラ見ていたら・・・
叩くわ、描くわ・・・で、まぁ~長時間にわたっての化粧である!

しかし、最近の女性はなんだろうねぇ~
人前で化粧をするとは・・・

だいたい、女の化粧というのは「化ける」のが目的なんでしょ?
化粧して、本来の顔じゃない顔に化けて、男を騙すんでしょ?(大笑)
化粧というのはそのためにするんじゃないの?

人前でやっちゃ、ダメでしょ?
トイレのことを「化粧室」なんて言ったのも、人に隠れて「化ける」ためなんじゃないの?(笑)
化粧をするならトイレでやればいいものを・・・
化ける前と化けた後の両方を見せたんじゃダメジャン!(大笑)

チラリとしか見なかっただけだけど・・・
どう見ても、化粧しても、しなくても、変わらないような感じですけど・・・
念入りに時間をかけた割には・・・
それって「化ける」のに失敗したということではあるまいか?(大笑)

無駄な努力をした挙句、常識がないことまで晒して・・・
この女性の「化粧」って何だったんでしょうか?(大笑)
バカ丸出しである。(笑)

日記 | 19:01:02 | Comments(0)
ストリップは嫌いだ!(笑)
今日は、毎年の恒例・・・先輩の“ケムちゃん”と、クラブのクリスマス・パーティーに行く。
今年は初めて水戸藩士の“シミズくん”が加わって、3人で飲みに行くことになった。

最初に、3人で夕食・・・個室でちょっと高級な夕食を頂くが、ここは「割り勘」
で・・・オシャベリの内容は・・・殆どが拙者が“下ネタ”か“ケムちゃん”をいじめるか・・・という調子。(笑)
“シミズくん”とは高尚な話題が多いが、“ケムちゃん”とは、おふざけのバカ話が多い・・・
いや、いや、先輩の“ケムちゃん”のレベルが低いというわけではない・・・(大笑)
拙者の趣味は先輩に対して“キツイ”突込みを入れて、からかうという事なのである!(笑)

食事を終えて、クラブへ・・・
この時期はクリスマス・パーティーで、事前にホステスからパーティ券を買わされる。
“ケムちゃん”は常連さんなので、当然、何枚も買わされるのである。
で・・・その券で毎年、拙者を招待して飲ませてくれるのである。
つまり・・・“ケムちゃん”の“おごり”なのである!

タダでご馳走になるっていうのに、散々、“ケムちゃん”をからかう。
なんと失礼な後輩かと自分でも思うのだが、なぜか、彼は毎年、拙者にご馳走してくれる。(笑)

このパーティ期間中、クラブでは「ショー」が行なわれる。
いつも「ストリップショー」なのだが・・・(汗)
拙者は、この「ストリップショー」が大嫌いなのである!(大笑)
「さぁ、どうだ!」と裸を見せられてもねぇ~(大笑)
そんなのをニヤニヤしながら観るなんて・・・悪趣味である!
何が楽しいのか、さっぱりわからん・・・
拙者は決して女性の裸が嫌いなわけではないが・・・
え~・・・どちらかと言うと・・・好きだが・・・(大笑)
そういうものは、二人っきりで・・・というほうがいい・・・(大笑)

ショーの開幕の案内と同時に拙者はグラスを片手に席を立ち退散!(大笑)
別室の「カウンターバー」へ逃げ込み、そこで“まかないのオバチャン”とオシャベリしながら、ショーが終るまで待つというのが拙者のいつものパターン・・・
「あらぁ~また逃げてきたんですか?」(笑)とからかわれる。
「ショーを見ないなんてもったいない」と言われても、おカネを払うのは“ケムちゃん”である。(大笑)
拙者は痛くもかゆくもないのである・・・(大笑)

ストリップ・ショーが終って、席に戻り再び、みんなとオシャベリ・・・

しかし、こうやって毎年、中座してしまうのに“ケムちゃん”は拙者を接待してくれる・・・(笑)
どうしてなのか・・・今もってわからない・・・
う~ん・・・これは、我が家の七不思議に加えようかな・・・(大笑)
いずれにせよ、誘っていただき、ご馳走していただき、感謝、感謝・・・である。

日記 | 16:29:26 | Comments(0)
原稿を書き上げたが・・・
法人会の会報に載せる原稿・・・
昨晩、四苦八苦して、ようやく書き上げた!(喜)

なにせ、昨日は、水戸藩士“シミズくん”のおかげで、『大東亜戦争徴用馬慰霊碑』を知ることができた。
やはり、ローカルなネタも混ぜないとねぇ~(笑)
グッドタイミングである!(喜)
お墓参りの帰りのことだから、これはご先祖様が助けてくれたのか?
いや・・・はい、はい、“シミズくん”のおかげです・・・(大笑)

早速、法人会事務局に原稿を届ける。
と・・・
なんと!
今回の「新年号」・・・原稿が集まり過ぎて困っているようである。(大笑)
会報の総ページは既に決まっている。
税務署長の新年の挨拶と税務署のPRは2ページ・・・それを先方が4ページにしてくれという。(笑)
なんと我儘な・・・
さらに、全国大会に参加した“シミズ広報委員長”の報告文がいつもより長い・・・(大笑)
等々・・・というわけで、今回はページが埋まってしまうのだそうだ・・・
いつもはページを埋めるのに苦労するので、やむなく拙者が原稿を書いて“穴埋め”をしていたのだが・・・
あらら・・・(笑)
拙者の原稿は必要ない?(涙)
広報委員の拙者としては・・・嬉しいと言うか、悲しいと言うか・・・(大笑)
まぁ、無事に原稿が集まったのなら・・・拙者の原稿は載せなくてもいいんじゃないか?(笑)
一応、念のため2本、原稿を書いたが・・・
さすがに事務局の“アサヒくん”が頭を抱ええて苦笑・・・
「まぁ、まぁ、後は任せるから・・・僕の原稿は無理して載せなくていいからね」・・・と言って帰る。
が・・・この一言は逆にプレッシャーをかけちゃったかな?(大笑)

広報委員としては、難なく無事に原稿が集まったのなら、それでよし・・・である。

日記 | 22:22:10 | Comments(0)
大東亜戦争徴用馬慰霊碑
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大東亜戦争徴用馬慰霊碑

昭和43年3月建之



茨城県高萩市大字石滝



史跡 | 19:21:55 | Comments(0)
“シミズくん”と母の墓参り
今日は母の墓参りに行く・・・
と・・・ちょうど水戸藩士の“シミズくん”からお電話・・・
お歳暮を届けに来るという・・・
いやぁ~申し訳ない!
が・・・タイミングが悪い・・・(笑)
拙者は出かけちゃうしなぁ~
墓参りの帰りにでも立ち寄るか?
お歳暮を頂きに行く・・・というのもおかしな話であるが・・・(大笑)

「どうせなら、一緒にお墓参りに行ってもいいですか?」と“シミズくん”・・・・
おお!そういう手もあったか・・・(笑)
車の中でオシャベリをしながらというのもいい。
我が母の墓参りに付き合ってもらい申し訳ないが・・・
いつかは拙者もこの墓に入ることだし・・・(笑)
拙者には子孫がいないから、拙者が死んだら誰も墓参りには来てくれないだろうし・・・
一応、お墓の場所を教えておけば、拙者が死んだあと、“シミズくん”が墓参りに来てくれるだろう。(大笑)
まさか・・・お墓の場所を知っていながら拙者の墓参りには行かないなんていうことはあるまいな?(大笑)

駅前の花屋に行ってお花を買って車に戻ったら・・・
なにかおかしい・・・
車の“ハザードランプ”を点滅させていたはずなのだが消えている・・・
エンジンをかけようと思ったら、かからない!(大汗)
あ~!!!バッテリーが上ってる!(大汗)
たった15分程度の買物だったのに・・・
最近、ちょっとエンジンのかかりが悪いかな?・・・とは思っていたが・・・
まさか・・・完全にバッテリーが上るとは・・・

急ぎ、自動車修理工場の“トシちゃん”に電話・・・
いつもなら電話に出る事がない、着信履歴を見てかけ直してくるのは半日後・・・という彼だが・・・(笑)
不幸中の幸い・・・すぐに電話にでてくれた!(喜)
「30分ぐらいですぐ行きます」と言う。
彼の“直ぐ”は1時間や2時間は遅れる・・・というのは、いつものことである。
「駅前に停まっているからヤバイんだよ!直ぐに来てくれよ!」

“シミズくん”との約束の時間が過ぎ・・・気が焦るが、車が動かないんじゃどうしようもない。(大涙)

これまた珍しく、時間通りに“トシちゃん”がやってきて、無事にエンジンがかかる。
が・・・この劣化したバッテリーでは心もとない・・・
なにせ、お墓は山奥の過疎化した村にあるのである。
あんなところで、再びバッテリーが上ったら最悪である!(大笑)
“トシちゃん”の工場へ行き、容量が小さいが、とりあえず新しいバッテリーを載せて出発する。

かなり予定より遅れて“シミズくん”をピックアップして墓参りに行く。
母のお墓参りのついでに、祖父(連隊長)たちご先祖様のお墓参りにも付き合ってもらう。
感謝、感謝・・・

その後、“シミズくん”の提案でドライブ・・・(笑)
「道の駅」で一服し、お買物・・・(笑)

法人会の会報に載せる原稿の話をしていたら、なにやら「軍馬の慰霊碑」らしきものを見た覚えがあるという。
来年は午年なので、馬に関するエッセイを書こうと思っていたのでちょうどいい!
早速、彼の記憶にある、その「なにやら、それらしき碑」のある場所へ向う。

008_convert_20140111120931.jpg

その碑は、小高い丘の中腹、崖のところにあった・・・
後ろの崖には戦時中に造られたと思われる防空壕らしき穴がいくつも開いている。
おお!「戦争遺跡」である!(大喜)

この碑は『大東亜戦争徴用馬慰霊碑』という碑であった。
いやぁ~これは、これは貴重な!
“シミズくん”に大感謝である!(大喜)

今回の墓参り・・・
最初に大きく“コケた”が、もしかして、それが良かったのかも・・・
何が不幸で何が幸福なのかは、わからない。
全てがスムーズに行く事が幸せとは言い切れないだろう。
「不幸中の幸い」「禍転じて福となす」・・・・
ちょっとしたことで“運命”は変るのである。
バッテリーが上って、出発が遅れたから良かったものの、もし、スムーズに出発していたら、途中で交通事故に巻き込まれたかもしれないし・・・(大笑)
「終りよければ全て良し」・・・
今回の墓参り・・・充実した墓参りだった!
“シミズくん”に感謝である。

日記 | 15:15:31 | Comments(2)
『哲学の教科書』
哲学の教科書 (講談社学術文庫)哲学の教科書 (講談社学術文庫)
(2001/04/10)
中島 義道

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まえがき

第1章 死を忘れるな!

1 最大の哲学の問題は「死」である
    死の練習
    自分が死んだ後の世界
2 死の宇宙観
    ぼくの死
    「不条理」として
3 なぜ「死」は悪なのか?
    死ぬことは不幸なのか
    「死後の世界」のうさんくささ
4 ある死刑囚の手記

第2章 哲学とは何でないか

1 哲学は思想ではない
    深いものなどどこにもない
    思想とは膨大な信念を受け容れること
    丸山眞男は哲学的ではない
    哲学的でない思想家たち
    ニーチェを哲学する
    「わかったつもり」があぶない
2 哲学は文学ではない
    高見順と死
    ロルカの「騎馬行」
    トルストイの「死の克服」
    三島は論理的だが哲学的ではない
    哲学書は夜汽車のなかで読むもの?
    子供は知っている
    子供は残酷
    賢治童話の哲学性
    子供の目は哲学者の目
3 哲学は芸術ではない
    職人は哲学者ではない
    ピカソは『論理哲学論考』を書けない
    哲学とは無縁なワーグナー
    現実がいちばんグロテスク
    SFは非哲学的
4 哲学は人生論ではない
    「いかに生きるべきか」という問い
    「よい」は不思議な言葉
    自殺は哲学の否定である
5 哲学は宗教ではない
    哲学と「救済」
    「悟り」に潜む真実
6 哲学は科学ではない
    こだわりのレベルが違う
    「愛」は科学を遠ざける
    科学的思索の泥沼

第3章 哲学の問いとはいかなるものか

1 時間という謎
    過去は存在しない
    なぜ存在しない過去を知っているのか
    ドラえもんのタイムマシン
    過去の自分を殺せるか
    過去を変えたい
    99パーセントの降水確率とは
    想起と予期
    前の<今>と後の<今>
    アキレスは亀に追いつけない?
    あなたは哲学できるだろうか
2 因果関係という謎
    飛行機は法則どおりに墜落する
    原因は作られる
    朝は昼の原因ではない
    来たくなかったからです
3 意志という謎
    意志は「思うこと」ではない
    自分で自分がわからない
    「不注意」を責める
    過去に決着をつけたい
    「意志」の恐ろしさ
4 「私」という謎
    「私」は存在するか
    心身問題とは
    独我論のおかしさ
    かけがえのない「私」とその表現
    「私」の文法
    脳移植するとどうなるか
    嫌な思い出消しますか?
    二重の自己
5 「他人」という謎
    他人の痛み
    類推説の難点
    この身体はなぜ「私の」身体なのか
    「私」と「痛み」の関係
    「和」は哲学を栄えさせない
6 存在という謎
    コップも時間も「ある」
    神は「ある」のか
    あなたには愛が「ない」

第4章 哲学は何の役にたつか

1 哲学は何の役にもたたない
    無用の用
    人を殺すことは悪なのか
    些細なものほど光を放つ
    「不幸であること」の美
    「死者の目」を獲得する
2 人はいかにして自分自身になるか
    今ここで死んでしまえばいい
    自信がない人へ
    自分自身に「なる」こと
    欠点は長所である

第5章 哲学者とはどのような種族か

1 哲学病
    マイナスの適性
    あなたは哲学病です
    迷い続ける
2 職業としての哲学
    哲学者になるための条件
    職業哲学者の養成
    「哲学者」と「哲学研究者」
    哲学(研究)者の生態
    本物の哲学者

第6章 なぜ西洋哲学を学ぶのか

    なぜ仏蘭西に生まれなかったのであろう
    西洋哲学の世界支配
    言語の不平等構造
    われわれの不幸
    ソクラテスと利休
    「言葉」を圧殺する風土

第7章 なぜ哲学書は難しいのか

1 カントを読む
    数行の文章がもつ内容
    なぜ難解な言葉を使うのか
2 現代哲学の難しさ
    独特の難しさ
    「宵の明星」「明けの明星」
    現在のフランス王は禿である
    もしヒットラーがマリー・アントワネットだったら
    胡椒はどこにありますか
    サールVS.デリダ論争
    われわれは状況を共有しているか
3 「哲学入門」入門

あとがき

解説
    加藤尚武(鳥取環境大学学長)

引用文献一覧

人名索引



このところ、ちょっと“哲学”に興味を持ってしまった・・・(笑)
で・・・この本を選んでみたのだが、正解だった!
「哲学とは何ぞや」などという難しい話ではなく、素人にもわかりやすいように書かれている。
これはなかなか面白かった。


今年の読書:66冊目



読書 | 21:12:09 | Comments(0)
土肥原さんが亡くなっていた
今日は、大学生の姪っ子の「オペラ」があるというので、東京に出かける・・・
ホテルに泊まって翌日帰宅しようと思ったら、どこもホテルが満杯!
予約が出来ず断念・・・日帰りとなる。

朝早く、上京し・・・
まずは護国寺へ向う。
この時期の例年の拙者の行事・・・土肥原閣下のお墓参り!(喜)

このお墓・・・
土肥原さんが東京の第1師団長の時に、副官だった拙者の祖父に命じて作らせたお墓なのである。
昭和12年に宇都宮の第十四師団長に転出し、中国大陸へ向かうことになったので、それでお墓を新しく建てることにしたのだろう。
墓石には「昭和11年建之」と刻まれている。

で・・・墓石を見たら・・・ショック!(涙)
土肥原さんの次男のお嫁さん・・・“智嘉子さん”のお名前が刻まれていた・・・
今年の夏にお亡くなりになられている・・・・
あ~あ~・・・ショックだぁ~!!(大涙)

土肥原閣下には、2人の息子さんがおられたが、長男は満州事変の頃にお亡くなりになられていて、戦後までご存命だったのは次男の“実さん”・・・
その実るさんのお嫁さんが“智嘉子さん”・・・
初めて“智嘉子さん”にお会いしたのは、今から20年ほど前のことである。
父親同士が親友だったそうで、それで結婚することになったらしい・・・

終戦と同時に真っ先にやって来たのは日本の憲兵・・・
家中をかき回し、書類という書類は全て庭に放り投げて焼き払って行ったという。
進駐してくる米軍に、下手に何かが渡ってはいけないということなのだろう。
この時は、本当に怖かったとおっしゃっていた・・・・
日本の軍部は、こういう時は行動が素早いのだ・・・呆れるほど・・・
土肥原閣下は満州皇帝溥儀を担ぎ出した特務機関長だった人で、終戦時は陸軍大将・・・
さぞかし“財宝”がたくさんあると思っていたのだろうが、土肥原さんという人はかなり質素な人だったそうで、金目の物は何もない・・・
家中をかき回していた憲兵も呆れていたという・・・

土肥原さんは終戦後、A級戦犯として巣鴨刑務所に収監された・・・
途端に近所の銭湯では「戦犯の家族は入るな!」と入浴を拒否されたそうである。
仕方がないので、顔の知られていない隣町の銭湯まで幼い子供の手を引いて通ったという。
あのときの仕打ちは今でも忘れられないと涙ぐんでいた姿が今でも記憶に残っている・・・

なんという連中か!(怒)
それまでは「陸軍大将のご家族」・・・
終戦と同時にコロリと手のひらを返して「戦犯の家族」呼ばわりをして差別するとは!!(怒)
言った野郎を今から探し出してぶん殴ってやろうか、今も銭湯が残っているなら火をつけてやろうかと思ったくらい腹が立った・・・
こいつらが、自分達を「庶民」と呼んでいる連中である。
いざとなったら平然と手のひらを返すのが「庶民」・・・・
だから拙者は「庶民」だの「市民」だのという連中は信用しないのである。
今も昔も「庶民」は変ってはいないだろう・・・
あのヘタレ民主党を散々支持した「庶民」は、今はどこへ行ったのやら?(怒)

10年ほど前に一度だけ“智嘉子さん”からお電話をいただいたことがある。
入院していたそうで、退院してきた翌日に電話をしてきたのである。(笑)
「入院していた時に、どうしてもあなたの声が聴きたくて・・・」
「は?私の声でよければ、いつでもどうぞ、どうぞ!」(笑)
まるで恋人同士みたいな・・・・(大笑)
それが、最後・・・・

たった一度しか会ったこともなく、話をしたのは2度だけ・・・
昨年の年賀状には「ひ孫が4人います」と書いてあったが・・・
あ~あ~・・・・もう永遠にお会いすることが出来なくなってしまった・・・・
失敗した・・・会いに行こうと思えば、何度かお会いできたのになぁ~
怠けてしまった・・・・
あ~ショックだ・・・いつかは、お別れしなくてはならないのはわかっていたが・・・
あ~ショックだ・・・
墓石には88歳と刻まれていた・・・そうなんだよなぁ~・・・そういうお歳だったんだよなぁ~・・・

“智嘉子さん”のお子さんは娘さんだけ・・・
すでに嫁がれているから、姓が違う・・・
「土肥原」の姓は、“智嘉子”さんが最後・・・
お会いした時にもその話となったが・・・
それでいいのかもしれない・・・
「土肥原」の名を継ぐと、いつまで経っても「戦犯の子孫」呼ばわりをされてしまうだろう。
子孫のためには、姓が変ったほうがいいのかもしれない・・・
「土肥原」の名が無くなるのは寂しいが・・・

今度は、“智嘉子さん”のご命日にもお参りに来ようかな・・・

姪っ子の「オペラ」はお茶の水女子大で開かれる・・・
大学は護国寺のすぐ近くである。
近くの喫茶店でコーヒーとケーキを食べて・・・(笑)・・・時間調整をする。

001_convert_20140110212835.jpg(お茶の水女子大)

女子大・・・と聞いただけで、どうも緊張してしまう・・・(笑)
女子大ねぇ~・・・いいのかなぁ~・・・拙者が門をくぐっちゃって・・・(大笑)

どうも、この「オペラ」・・・授業の一つらしい・・・
声楽科の学生などが中心となって行なうのだそうで・・・
声楽科ではない拙者の姪っ子は「演出」を担当したそうだ。
先生の指導を受けながら、オペラの演出をしたそうで・・・“演出家の先生様”になったのか?(大笑)
拙者は、姪っ子が小さい頃に出演した「子どもオペラ」しか「オペラ」というものは見たことがない。
だから、「オペラ」って何なのかまったく知らない。(大笑)
題名を聞いても、何の話なのか・・・さっぱり・・・である。
話の筋を聞いても・・・さっぱり・・・?????(大笑)
演出にいたっては、比較するものを観たことがないのだから、「どうだった?」と聞かれても返答のしようがない・・・(大笑)
まぁ、“おじちゃんが観に来たよ”ということだけで姪っ子には勘弁願おう。(大笑)

それにしても、出演者は大したものである。
さすがは声楽科の学生である。
特に合唱する場面などは声が“はもって”聴いていて気持ちがいい。(笑)
それにしても、よくイタリア語の長いセリフ(歌詞?)を何も見ずに歌えるもんだ・・・
拙者など、単語が3つ並んだ程度が限界である・・・(大笑)
それ以上の長い文章は無理!(大笑)

さすがに、最初の最初・・・第一部の長台詞を聴いているうち眠くなって困ったが・・・(大笑)
一応、最後までちゃんと聴いてやったぞ!(笑)

閉会後、講堂のロビーで姪っ子に声をかけてやって、急いで上野駅に向かい帰宅する。

日記 | 15:13:29 | Comments(0)
厳しい中にも優しさのある息子?(笑)
今日は介護担当関係者と我が家でミーティング・・・
年に1回、全体会議をすることが決められているそうだ。
で・・・旅行から帰宅早々の会議となる。

集まったのは・・・
ケアマネージャー、ヘルパーさん2名、薬剤師さん、看護師さん、リハビリの担当者、介護用品のレンタル業者、介護実習の学生さん・・・の8名!
親父にはベッドに座ってもらい、拙者を含めた9名が親父を取り囲むように車座になって会議をする。

親父は朝から大騒ぎ・・・
「いったい、何人来るんだ?部屋に入りきれるのか?」
「さぁ、6人ぐらいじゃないの?俺は詳しいことは知らないよ」
「で・・・何のテストをするんだ?」
「テスト?・・・いや、ただの会議だって言ってたぞ・・・」
「試験じゃないのか?俺は何もわからないからな・・・答えられねぇぞ」(汗)
「試験じゃねぇって!・・・みんなで集まって、お父さんに文句をいう会議・・・」
「なに?・・・なんだそれ・・・」(汗)
「冗談だよ!」(大笑)
「・・・・」(汗)
緊張で顔がこわばっている親父を見るのは、なんとも楽しい!(大笑)

緊張でカチカチに固まってベッドに座っている親父をみんなで取り囲む・・・(大笑)
「今から親父を吊るし上げるみたいで・・・これ・・・いいねぇ~」と言ったら大爆笑!(笑)

会議の進行はケアマネージャーさん・・・・
開口一番・・・「厳しい中にも優しさのある息子さん・・・・云々」と言われ、皆さんが苦笑・・・
はい、拙者は・・・厳しいです・・・自分には甘く人には厳しく・・・です・・・(大笑)
みなさん、この1年間のお付き合いで、拙者の方針が良くお分かりになっているようで・・・(大笑)

各担当者から、この1年間の活動報告・・・
親父から、今後の希望等の聴取・・・
拙者から、意見と希望を述べ・・・
これからの1年間の介護方針を決定する。

他人が家に上るのを嫌がる親父だったので、どうなることかと心配したが・・・
ヘルパーさんやリハビリの先生や薬剤師さんなどが来るのを楽しみにするようになったんだから、いやはや驚いた。
昔は他人とは、ろくに口もきかない親父だったが、今では同じ事でも、息子の拙者の言うことよりも彼女たちの言うことを聞く(信じる)んだから変れば変るものである。(大笑)

本当にこの「介護」という制度には大いに助けられる。
感謝、感謝である。

日記 | 15:12:27 | Comments(0)
外国人兵士の墓
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外国人兵士の墓

第一次世界大戦の青島戦で日本軍の捕虜となり、本市や青野ヶ原廠舎に抑留中、病気のため陸軍病院に入院。
不幸にして病歿した6兵士のうち、3名は他の捕虜たちに抱かれて帰国したが、残った下記3兵士の遺骨は引取人無きため、ここに祀ってその霊をなぐさむ

海軍二等水兵 Janos Vita(ヤノス・ヴィータ)
(大正5年5月25日歿、ハンガリー国ホルトマロス出身)

海軍二等水兵 Theophill Gomolka(テーオフィル・ゴモルカ)
(大正5年6月17日歿、オーストリア国ガリシヤのピールヒャウ出身)

海軍一等水兵 Anton Jellovcic(アントン・イエロフチッチ)
(大正8年9月9日歿、オーストリア国スブルダ出身)

(高知大学名誉教授 瀬戸武彦『独軍俘虜概要』より)

(説明板より)



兵庫県姫路市・名古山霊苑内の陸軍墓地



史跡 | 17:27:12 | Comments(0)
歩兵第39連隊兵営の跡
『兵ども乃 あゝ三九 庭の跡』碑

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歩兵第39連隊は日清戦争後姫路に創設せられ第二次大戦の終るまで姫路城内に屯し文武両道を練磨すること五十有余年平時は國家の中堅となり出でては北満より南洋に至るまで勇躍國難に当たり赫々たる偉勲を樹つ
我等戦友は関連諸部隊と相計り往年の面影を偲び茲元営内跡に記念碑を建て血染の軍旗の一部を地下に浄めて永へに顕彰せんとす

昭和51年11月
姫路 三九会

(碑文より)



兵庫県姫路市本町・兵庫県姫路聴覚特別支援学校脇の公園



史跡 | 16:55:30 | Comments(0)
“シミズくん”と合流!
今日は、姫路を“観光”してから帰宅しようかと思っていたが・・・
“シミズくん”が、ちょうど東京に来ているという。
で・・・帰りの特急で一緒に帰りませんか?・・・というお誘いがあった。
普通なら、折角、旅に出たのだから日が暮れるまで観光をして最終の特急で帰るところだが・・・
親父の夕食用の駅弁を買って、夕食時間までには帰宅しなくてはならない。
どうせ早く帰らなければならないんだから・・・“シミズくん”と上野駅で合流することにした。(笑)

で・・・時間を逆算してみると、午前中、少しは時間に余裕がありそうである。(喜)

ということで・・・1ヶ所・・・行く事にした・・・
場所は・・・自衛隊の駐屯地・・・(笑)
姫路に来ていながら、姫路城を見に行かないという“観光客”は拙者だけかも・・・(大笑)

駅前でタクシーに乗り込む・・・
「運転手さん!ちょっと変なことを言いますけど・・・姫路の陸上自衛隊の駐屯地の周りをぐるっと回って、姫路駅に戻ってくれますか?」(笑)
「はぁ?自衛隊の周囲を回る?」
「なんか、怪しいことを言って申し訳ないんですけどね・・・」(笑)

この自衛隊の駐屯地・・・
拙者の祖父の部隊・・・騎兵第10連隊があった場所なのである。(笑)
祖父は満州に駐屯していた部隊に連隊長として赴任したから、この場所に来たことはなかっただろうと思うけど・・・(笑)
赴任する前に立ち寄ったかな?(笑)
たしか、ここには騎兵と野砲兵部隊が隣接して駐屯していたと思う。
その跡地が、自衛隊の駐屯地と小学校と中学校の敷地となっているはずなのだ。
そこを見てみたい・・・それだけの話・・・(大笑)

かなり昔・・・拙者が子供の頃、学校の敷地で祖父の部隊の慰霊祭が行なわれていたと思うのだが・・・
祖父のアルバムに慰霊祭の写真があった記憶がある・・・
もし、慰霊碑か何かがあれば、写真を撮ろうと思ったのだが、車窓からでは、わからず仕舞い・・・

駐屯地前に差し掛かったら「自衛隊の方に尋ねてみてはどうですか?」と運転手さん・・・
たしかに、それはそうなのだが・・・
何だかんだで時間を潰すことになったら、東京へ戻る時間に間に合わなくなる。
駐屯地内に「連隊跡」の碑があることは知っている。
立ち入りの許可は事前に取ったほうが話がスムーズであろう。
今回は“下見”・・・どんな場所なのかだけわかればいい。(笑)
後日、余裕を持って訪問しようと思う。

姫路駅に向って戻る途中、運転手さんとの会話の中で「このあたりに昔は歩兵連隊があったんですよねぇ~」と言う。
と・・・公園の一角に石碑を発見!(狂喜!)
タクシーを停めて写真を撮りに行く!(笑)

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建っていたのは「歩兵第39連隊」の“兵営跡地記念碑”であった。

歩兵第39連隊長は永吉さん。
第10師団は満州から移動して台湾警備の任に就き、そこからフィリピンへ送られたが、マニラに到着してすぐに、一部がレイテ島に送られることとなった。
すでに、この時にはレイテ島には米軍が上陸していたので、そこを後ろから襲うという「逆上陸部隊」として派遣されることになったのである。
この「逆上陸部隊」として、この歩兵第39連隊を主力とする「永吉支隊」というのが編成された。
我が祖父の部隊も、この「逆上陸部隊」となった。
祖父の記憶では、祖父の部隊は「永吉支隊」に配属されたというが、永吉支隊長の記録では、祖父の部隊は含んでいないことになっている。
多分、複数の輸送艦に乗って同時に行くが、上陸地点が違うため別部隊という扱いだったのではなかろうか?
この時、永吉連隊長は「逆上陸なぞやったことがないので訓練をしてから出撃したい」と方面軍参謀に逆上陸の指導をしてくれるよう要請したらしい。
それから毎日、訓練をするのだが、方面軍司令部からは「もう、訓練はいい加減にして早く行け」と催促されたらしい。
「逆上陸」と言ったって、やったことがないんじゃ話しにならないと思うのだが・・・
上級司令部は「とにかく、なんでもいいから行け!」という態度だったらしい。
だからエリートと呼ばれる連中は困った存在なのだ。
机上で駒を動かして「戦争ごっこ」をしているとしか思えない。
彼らエリートが日本を敗戦に導いてしまったのではあるまいか?
訓練も途中で強引に出撃が決まり、出撃する日の朝・・・
米空母の艦載機によるマニラ大空襲・・・
幸い艦船の被害は大きくはなかったが、近くに敵の機動部隊がいるのは明らかとなった。
そんなところで、出撃などしたら、輸送艦部隊が途中で攻撃を受けるのは明白・・・・
護衛の駆逐艦も犠牲になる。
貴重な軍艦を輸送艦の護衛のために失いたくはないと海軍が護衛を拒否したため、歩兵39連隊を主力とする「永吉支隊」と拙者の祖父の部隊の出撃が取りやめとなった。
で・・・永吉支隊はバターン半島へ回され、そこで戦って終戦を迎えた・・・・
拙者の祖父の部隊は、ルソン島北部の山岳地帯へ回され、そこで戦って終戦を迎えた・・・
歩兵第39連隊の永吉連隊長が「訓練をシッカリやってからでなければ出撃しない」と上級司令部に対し頑強に抵抗したため、無駄死にしないで済んだのである。
おかげで拙者の祖父の運命も変ったわけで・・・
この時に方面軍司令部の言いなりになって出撃していたら、途中の海で沈められた可能性が高い。
多分、祖父は海の藻屑となっていただろうし、そうなると、拙者はこの世には生まれてこなかっただろう。
なにせ、戦後、お互いの父親同士がバッタリ食堂で会ったのがきっかけで、拙者の親は見合いをして結婚したんだから・・・(大笑)
父親同士の出会いがなければ、当然結婚していないわけだし、そうなると、拙者は生まれてこなかったわけである。(冷汗!)
仮にうまく敵前上陸したとしても、あのレイテ島である・・・玉砕した可能性は高い・・・
ある意味、永吉連隊長の“ねばり”に感謝しなくてはなるまい。

その歩兵第39連隊の兵営があったのは、この場所だったのか・・・
う~ん・・・感無量である。

ついでに「陸軍墓地というのが近くにありますよ」と運転手さん。
駅からそれほど離れていないと言うので、そこにも立ち寄ってみることにした。(笑)
大きな霊園の一角に「陸軍墓地」があった。

243_convert_20140107232538.jpg(陸軍墓地)

ここには明治の戊辰戦争からの戦没者や日清・日露からの第10師団の戦没者が祀られ、さらには戦後になって殉職自衛官も祀られて、その数は11万1500余柱だという。

ここには、第一次世界大戦で捕虜として日本にいたときに病死した外国人兵士の墓もある。

241_convert_20140107233304.jpg(外国人兵士の墓)

時刻は11時・・・
もうそろそろ東京に向わねばならない時間となったので姫路駅に向う。

で・・・運転手さんとオシャベリしていたら、またもや驚いたことに、拙者ガ住んでいる日立を知っているという。
昔、若い頃にトレーラーの運転手をしていたそうで・・・
姫路から日立まで、よく荷物を運んだので、良く知っているというのだ・・・(唖然)
当時は高速道路がなかったので、片道、3日もかかったという。
あらら・・・
それにしても、今回は、やたら、何かしら縁のあるタクシーの運転手さんばかりに会ってしまった・・・
なんだろ・・・これ・・・(大笑)

駅の構内の食堂で、急いで昼食を食べ、新幹線に乗り東京へ・・・
上野駅で無事に“シミズくん”と合流!
いつもの上野駅構内の喫茶で、コーヒーを飲みながらオシャベリ・・・
で・・・車内でもオシャベリ・・・(大笑)

今回の旅は、思ったより盛りだくさんになって面白かった・・・
満足、満足・・・皆さんに感謝、感謝・・・・

旅行 | 15:08:05 | Comments(0)
今日は姫路に行く
今日は兵庫県の姫路に行く!
ホテルをチェックアウトして、大阪駅から新大阪駅に向かい、新幹線で姫路駅へ・・・
40分程度で到着・・・

姫路訪問の目的は2つ・・・
一つは「兵庫県姫路護国神社」参拝・・・
もう一つは、我が戦友会会員の“スナガワさん”宅訪問である。

まずは、駅からタクシーで「兵庫県姫路護国神社」へ・・・
姫路に来たのは今回で2度目である。
確か高校生の時に、生まれて初めての一人旅で来たのが、ここ、姫路である!(笑)
中学生の時から姫路城に行きたくて、ようやく念願が叶って訪れたのである!
今から35年ほど前のことである・・・(大笑)

多分、その時にも護国神社を訪れているはずなのだが・・・
全く記憶にない!(涙)
拙者が護国神社に行かないわけがないのだが・・・
お城に気を取られて参拝するのを忘れてしまったのだろうか?
とにかく記憶がない・・・(笑)

というわけで・・・
どうしても気になって仕方がないので、今回、護国神社にお参りすることにしたのである。(笑)
この姫路では陸軍の第10師団が編成されている。
で・・・拙者の祖父は、その第10師団の捜索第10連隊長としてフィリピンで終戦を迎えた。
多くの戦死した部下たちが祀られているのであるから、連隊長の孫としては、お参りせねばなるまい。

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ワクワクしながら境内を歩いたが・・・やっぱり記憶にない・・・(涙)
拙者は、ここに来たのは初めてのようだ・・・(汗)

この境内に、「輜重兵第10連隊」の慰霊碑が建立されていた。
拙者の祖父の部隊に一時期、食糧や弾薬を運んでくれていた輸送部隊である。
末期になって戦車第2師団に配属替えになったため、その後は縁がなくなってしまったが・・・
ここの兵隊さんには祖父はお世話になったのである。
感無量・・・・手を合わせる・・・

187_convert_20140103230435.jpg

ここには、他にも中国大陸で戦っていた「歩兵第139連隊」の慰霊碑・・・
ブーゲンビル島で戦っていた「歩兵第81連隊」「野砲兵第23連隊」の慰霊碑などが建立されている。
が・・・祖父の部隊の慰霊碑はない・・・
祖父の性格からすると・・・「そういうことにカネを使うより・・・」ということなのだろうと思う。
慰霊碑・顕彰碑を建てることが良いとか悪いとかという問題ではない・・・
ひとそれぞれ、慰霊や顕彰の仕方があっていいと思う。
慰霊碑や顕彰碑を建立するのも良いが、後々、誰がそれを維持管理するのか・・・という問題もある。
孫や、ひ孫が引き継いでやってくれるならいいが・・・(汗)
「私は関係ありませんから!」が普通だろう・・・・
戦没者の慰霊を疎かにするようになったら、そのときが一番危ないのではないかと拙者は思うのである。
また再び戦争が起こる(または起こす)んじゃあるまいか?(大汗)

神社の神職に戦友会の名刺をお渡しして訪問した目的などをお話させていただいたが・・・
「はぁ?」・・・という反応には驚いた・・・
大丈夫だろうか?・・・・戦没者の慰霊・・・・(大汗)
たぶん、よくよくの“変わり者”が来たと思ったのだろう・・・(大笑)

本殿参拝、慰霊碑参拝等で約40分ほど、ここにいて・・・時刻は12時20分・・・
姫路駅に戻ることにする。

目の前には姫路城があるが・・・
天守閣は現在修復中との事・・・
どうも天守閣の修復状況を見学できるそうだという話を聞いたが、観光客が多いようなので、並んでまで見学しようという気は起こらない。(笑)
さっさと移動することにする。

220_convert_20140103232601.jpg(修復中の姫路城)

タクシーを捉まえて駅へ向う・・・
「姫路城を見に来たんですか?」と運転手さん・・・
「いえ、護国神社をお参りに来ました」
「はぁ?」
なんで、そうなるかなぁ~(涙)
そんなに護国神社にお参り行く事は“不思議なこと”なのか?(大笑)
「どちらから来られたんですか?」
「茨城県です!」
「ああ~茨城県ねぇ~・・・常磐線ですね?」
「よくご存知ですねぇ~」
「え、私は昔、日立っていうところに住んでいましたから・・・」
「ええっ!その日立から来たんですけど!」(驚!)

なんということか・・・
富士宮では水戸出身の運転手さんだし、今度は日立に住んでいた方だとは・・・(汗)

「“海岸工場”に勤めていてね。成沢(なるさわ)の社宅に住んでいたんだよねぇ~」
「私の家の近くですよ」(笑)
「日立製作所って給料が安くてねぇ~ひどかったねぇ~」(笑)
「いやぁ~それはすみませんでした・・・って、私が言うことではないんですけどね・・・」(大笑)

ワイワイとオシャベリしているうちに、あっという間に姫路駅に到着!
今度は、この駅の直ぐ目の前にある「山陽姫路駅」から「山陽電鉄」に乗って、戦友の“スナガワさん”宅に向う。

たしか・・・終点の「網干駅」で降りればいいんだよな・・・と思っていたら、途中で乗り換えるのだそうだ。(笑)
「飾磨」という駅での乗換なのだが、車内アナウンスは「しかま」と言っている。
「しかま」ってなんだろう?(笑)
「しょくま」ならわかるけど・・・(大笑)
「飾磨」を拙者は「しょくま」と読むと思っていたのだが、「しかま」と読むとは知らなかった。
駅名、地名というのは難しいものである。
拙者の目的地、「網干」は「あみぼし」と読んでいたが、正しくは「あぼし」だそうで・・・(汗)

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午後1時過ぎ「網干駅」に到着・・・
“スナガワさん”宅は午後2時訪問の予定なので、ここで一服することにする。(笑)
午前中に訪問したのでは、お話をしているうちお昼になってしまい、昼食の心配をかけることになるので、余裕を持って午後2時訪問とした。
これが、さらに遅い時間になると、今度は夕食の心配をかけることになるので、訪問する時間を決めるのは、なかなか難しい。
午後2時なら、相手も食事を済ませているだろうし・・・2時間程度のオシャベリなら夕食時間の前に失礼することができるだろう。(笑)
これが同居しているご家族にも迷惑をかけず、ベストではないかと拙者は思っている。

駅前の食堂でコーヒーを飲んで一服することにする・・・

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おかわり用のコーヒーも一緒に持ってきてくれたのには、思わず笑ってしまった・・・・
そういえば・・・拙者は昼食を食べていないことに気が付いた・・・
ということで、追加で「カツ丼」を注文!

で・・・出てきたのが・・・これ・・・(大笑)

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う~ん・・・カツ丼???
拙者は「カツ丼」が好きなので、日本各地で「カツ丼」を食べるが・・・
こういう「カツ丼」は初めて見た・・・(笑)
一般的には、「カツ」の上に「卵とじ」が乗っていると思うのだが・・・(大笑)
このお店のものは、「卵とじ」の上に「カツ」がそのまま乗っているのである。
確かに、サクサクと美味しいことは美味しいが・・・(笑)
こういう「カツ丼」もあるのか・・・「カツ丼」も奥が深いのぉ~(大笑)

“スナガワさん”宅は駅から、それほど遠くないところにある。
徒歩で十分行ける距離である。
午後2時ちょうどに到着・・・チャイムを押す・・・
と・・・「誰?どなた?はぁ?誰だって?一体誰が来たんだ?わからねぇなぁ~!」と大きな声が聞こえて来た。(大笑)
あのぉ・・・2時に伺いますって言って2時ちょうどに玄関のチャイムが鳴れば、それは拙者しかいないと思うんですけど・・・(大笑)

拙者の顔を見て・・・「おお!あんたか!いやぁ~よく来てくれた!」と喜んでくれた・・・
やっと、わかりました?・・・俺です!(大笑)

“スナガワさん”とは初対面ではない・・・
今から9年前に、福岡県久留米の自衛隊駐屯地で開催された慰霊祭でお会いしている。
我が戦友会の会員なのだが、この時に一度お会いしただけ・・・
久留米の駐屯地は日本陸軍戦車部隊発祥の地なので、ここに「戦車の碑」が建立されている。
この「戦車の碑」復元30周年を記念した慰霊祭に招かれ、筑後川温泉での懇談会にも一泊二日で参加した。

この慰霊祭に招待してくれたのは幹事役(?)を務めていた会長(?)の牛島さん・・・
たしか88歳の方で、5年に一度の慰霊祭なので、次回はお会いできないから是非都合を付けて参列してくれと懇願された。
この方は少尉候補者出身で、拙者の祖父の後輩に当る。
是非ともお孫さんに会いたいから・・・と何度も手紙を寄越されたので、行かぬわけには行かぬ・・・(笑)
お会いした時に大変喜んで下さったが、その後まもなく他界された・・・
本当に最初で最後ということになってしまった・・・
今も懐かしく思い出すことがある。

この慰霊祭では、「遠路はるばる駆けつけて下さいました・・・」と来賓扱いで紹介された・・・
が・・・その次がいけない・・・(大笑)
「みなさんご存知の、あの、米田連隊長と同期の少尉候補者第9期、鈴木連隊長殿であります!」
「はぁ?」・・・・(大汗)
ずらりと並んだ自衛隊の方々がビックリした顔をして拙者を見た・・・
そりゃそうだ・・・大隊長などの各自衛官幹部のみなさんより、どう見ても拙者のほうが若いのである!(大笑)
牛島さんは「連隊長のお孫さんです」の「孫」を抜かしてしまったのである!
まさか、300人を超える参列者を前に「違います!」と言う勇気は・・・ない・・・(大笑)
まぁ、いいかぁ~・・・そういうことにしちゃおうかぁ~(大涙)

で・・・紹介に続いて・・・「それでは、鈴木様、献酒献水の儀をお願い致します!」
なぬ?(大汗)
“けんしゅけんすい”・・って何?(大汗)
いきなりのご指名!!・・・そんな話は事前に聞いていないって・・・(大涙)
全身から血の気が引いたが、なんとかやり遂げた・・・
あれは今も冷や汗の出る思い出である。(大笑)

式典後・・・またもやハプニング!(大笑)
ある“おじいさん”が、タッタッタッと拙者のところへ駆け寄って挙手の礼・・・(唖然)
「わたくしは×××と申します!その節は大変お世話になりました!ありがとうございました!」と言うのである。
唖然・・・・(大汗)
「はぁ・・・」
「あっ!ご存じないかと思います!わたくしは、当時初年兵(=入隊1年目の兵)でしたので・・・」
「はぁ・・・そうでしたか・・・」
内心・・・いやいや、拙者は、“その当時”は生まれていないんですけど・・・(大笑)
「その節は大変お世話になりました!それでは、失礼致します!」と、またタッタッタッと駆けて去っていった・・・
軍隊では常に駈足でなくてはならないが・・・それにしても、ご高齢なのに・・・唖然・・・(大汗)
あ~あ~あ~・・・拙者のことを「連隊長」などと紹介するから・・・変なことになっちゃったんだよな・・・(笑)
それにしても、この“おじいさん”・・・20歳の頃に戻ってしまったらしい。
タッタッタッ・・・と駆けて去っていった後姿は今でも忘れられない・・・

懇親会は場所を移動して筑後川温泉・・・
“スナガワさん”は我が戦車第2師団の戦車第7連隊の生き残りで、この温泉旅館で初めてお会いした。

懇親会では、カラオケ大会が始まった・・・
戦1(せんいち=戦車第1連隊)の連中が、大いに盛り上がって歌いまくっている。
「戦1にやられてますよ、我が歴戦の戦7(せんなな=戦車第7連隊)もやったらどうですか?戦1なんかに負けてはいられないでしょう?」と、けしかけて、無理矢理“スナガワさん”をステージに上げちゃった。(笑)

懇親会が終わり、部屋に戻って、戦時中の体験談などを色々と聞かせてもらった。
一番記憶に残っているのは、「上官の命令は聞くな」の話である。

“スナガワさん”が少年戦車兵学校を卒業する時の教官の訓示・・・
「今から諸君は戦場に向かうが、戦場に立ったら上官の命令には従うな。自分の考えで判断せよ。自分の目で見て自分の頭で判断しろ。そうしないと死ぬぞ。生きて帰って来い」というものだったそうで・・・
この時期に堂々と「上官の命令を聞くな」と言うとは・・・と“スナガワさん”は驚いたという。

で・・・“スナガワさん”はフィリピンに送られ戦った・・・
少年戦車兵あがりは操縦兵になる者が多い。
“スナガワさん”も戦車の操縦を担当した。
戦車第7連隊の戦死率は88%だったとされている。
2割弱しか生還していない、玉砕部隊である。
“スナガワさん”が生還できたのは、この教官の言葉を思い出したからだという。
戦車長が「右!左!」と命令を出しても、“スナガワさん”は自分の勘に頼って上官の命令を無視して戦車を走らせたというのである。
目の前で、次々と仲間の戦車に敵弾が命中し、爆発、炎上する中を走り回り・・・
戦闘が終了した時に無傷だったのは“スナガワさん”の戦車だけだったという。(驚)
「あの教官の訓示を思い出したから生き残れたんだ」とおっしゃっていた・・・

で・・・それらの思い出話を、9年ぶりにしたのだが・・・
「へぇ~そんな話・・・俺がしたの?」と言う。
「はぁ?」である。
あらら・・・9年も経ったら、忘れちゃったの?(大汗)

「ここへ来る前に富士宮の少年戦車兵学校跡に寄って来たんですよ」
「へぇ?・・・」
あれれ?反応が薄い・・・(苦笑)
「あのぉ~・・・少年戦車兵学校出身ですよね?」
「そうだよ!第4期!部隊に1期や2期の先輩がいたから寂しくなかったよ。俺の下の連中は・・・たしかその頃は、輸送船と一緒に沈められたか・・・フィリピンに来れなかったから俺が一番下!なんでもかんでもやらされてさぁ~」(笑)

そのうち、質問と答えがチグハグになり・・・思わず苦笑する場面もしばしば・・・である。

「あんたとは、久留米で会ったんだっけ?」
「そうですよ」
「2度会ってるんだよな?」
「いや一度しか会ったことないですよ。今回が2度目です」
「いや、あんたのおじいさんに2度会ってるんだ・・・」
「戦後ですか?」
「そう、慰霊祭の時にね。どこの慰霊祭だっけかなぁ~いろいろとおしゃべりをしてね」
「へぇ~うちのおじいちゃんに会ったことがあるんですか!」
「だから、あんたのことを知ってるんだよ」
「はぁ?」
ん?言っている意味がわからんぞ・・・(大笑)
その当時に拙者の存在を知るわけがないのだが・・・

9年前のことは忘れているが、30年以上も前のことを覚えているというのは、どういうことだろうか?(大笑)

奥さんがお茶菓子を出しながら「話が噛み合わなくて苦労するでしょ?ごめんなさいねぇ~」とおっしゃる。
9年後に再会した“スナガワさん”は耳も遠くなり、口も“ろれつ”が回らなくなっていた・・・
足もかなり弱くなり歩行困難・・・家から外には出ないと言う。
まぁ、89歳だから仕方がないかな・・・
「話の内容は、正直言ってどうでもいいんですよ。楽しくオシャベリすることが大事なので、それで来たようなものなんですから・・・」(笑)

2時間のお約束でおしゃべりをしていたので、さて、帰ろうかという時に奥様が部屋にある置き時計について説明してくれた。
『先の大戦における御苦労に対し心から慰籍の念を表し特別慰労品を贈呈します。平成19年8月6日 内閣総理大臣 安倍晋三』の感謝状とともに、頂いた置時計である。
なかなか立派な置時計で・・・
第一次安倍内閣の時に、こういうものを贈っていたとは知らなかった。
“スナガワさん”は照れておられたが・・・・(大笑)
それじゃ、記念写真を撮りましょう!・・・ということで、感謝状を持っていただき、脇に慰労品の置時計を置いて写真を撮ってあげる。
あとで帰宅したら郵送してあげよう!(喜)

ぴったり2時間・・・
9年ぶりにお会いして楽しくオシャベリをさせていただいた・・・
感謝、感謝・・・

姫路駅に戻って、構内の喫茶で一服・・・

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「ルシアンコーヒー」というチョコレート入りの香りのいいコーヒーである。(喜)

駅に併設されている観光案内所を覗いてみる・・・
来年のNHK大河ドラマの『黒田官兵衛』にちなんで、姫路の“町おこし”をしている・・・
う~ん・・・どうなんだろ・・・
姫路には姫路城があるではないですか・・・・
なにも大河ドラマに頼らなくても・・・という気がしないでもないですが・・・(笑)
拙者は大河ドラマは見ないので、全く興味はない・・・(大笑)
大体ねぇ~
ダラダラと水増ししたような話を延々と・・・
さっさと話を進めろよ・・・とイライラしてくるんだよね。
しかも、銀座のホステスとホストクラブの兄ちゃんが時代劇をしているようにしか見えないので、面白くないのです!(大笑)
どいつもこいつも同じような顔をして、同じような言い回しでは、誰が誰なのかさっぱりわからん!(大笑)
というわけで・・・拙者はNHKの大河ドラマは嫌いなのである。(大笑)

が・・・一応・・・観光資料だけは、いただいておこうか・・・(大笑)

今晩は、姫路駅前の(裏の?)ホテルにチェックイン・・・・

旅行 | 21:00:48 | Comments(0)
大阪では観光なし!(笑)
午前10時11分、「静岡駅」発の「ひかり」で「新大阪駅」に向う・・・・
よくよく考えてみると・・・
なにも昨晩、静岡駅前に宿泊する必要はなかったのではなかろうか?(笑)
真っ直ぐ、大阪まで来て、大阪に宿泊していれば、そうそう慌てて起きる必要もなかったのに・・・(大笑)
どうして静岡に泊まっちゃったかなぁ~(笑)

今日は、午後から我が戦友会の会員、“フジイさん”のご自宅を訪問する予定・・・
“フジイさん”をフィリピンのミンダナオ島へご案内したのは、今から4年も前のことである!
いやぁ~あっという間の4年であった・・・(汗)
その後、ついついご無沙汰してしまったので、久し振りにお会いすることにしたのである。(喜)

新大阪駅から大阪駅までは、東海道本線に乗ればいいんだよな?
と思って駅構内をウロウロしているうちに迷子になった!(大笑)
で・・・見つけたのが・・・神戸線!
これでも大阪駅には行けるようなので、乗ってみたが・・・超満員!(驚)
なんで?・・・・通勤時間帯じゃないよね?(汗)
旅行カバンを肩から下げるわけにもいかず、手に持っていたのだが・・・
これがいけなかった・・・

大阪駅構内で昼食を食べることにしたのだが・・・
なんと!
手が痙攣して注文した「ハンバーグ定食」がうまく食べられない!
うそ!(大汗)
どうも重いカバンを手に持ち続けていたせいで、手の筋肉が痙攣をしてしまっているらしい・・・・
たかが新大阪から一駅だけなのに、なんということか・・・
こんなことは初めてである!(大汗)
右手がカタカタ、ブルブル震えてどうしようもない・・・
仕方がないので、左手で右手の震えを抑えながらフォークを口に運ぶ・・・
周囲の人から奇異な目で見られたが、勝手に痙攣してるんだから止めようがない・・・(大涙)
拙者は別に“変な薬”をやっているわけではないんですけど・・・(大涙)
まいったぁ~
歳を取ってしまったせいなのか?(大汗)
こりゃ、親父の介護どころじゃないぞ・・・拙者が介護してもらう日も近いかも・・・(涙)

なんとかかんとか食事を終え・・・
今度は地下鉄「四つ橋線」に「西梅田駅」から乗らねばならぬのだが・・・
さて・・・その「西梅田駅」が、どこにあるのか・・・(大笑)
大阪駅の構内をウロウロ・・・またまた迷子である!(涙)
だから、大きな駅は好きじゃないんだよなぁ~
案内標示板に従って歩いているのに、途中で案内標示板を見失ってしまうのである!
あれれ???

ようやく「西梅田駅」を見つけ、地下鉄に乗り込む・・・
向かうは「住之江公園駅」・・・約20分程度で到着!
地下から地上に上ってみたら、目の前に「大阪護国神社」が・・・
ここには5年前に戦友会の慰霊祭で来たことがあるが・・・
あれれ???・・・・この駅を使ったんだっけ?
全然記憶がない!(唖然)

で・・・“フジイさん”宅は・・・どっちだ?(笑)
タブレットを取り出して、地図を見ながら歩いたが・・・・
あれ?・・・逆方向に歩いてる!(笑)
もう、メチャクチャである!
GPSで現在位置を確認しながらで、これなんだからどうしようもない方向音痴である。(大笑)

方向さえ決まればあとは大丈夫・・・(大笑)
真っ直ぐ歩いて・・・右に曲がればいいだけだ・・・・(大笑)
約束の午後2時ちょうどにお宅に到着!

“フジイさん”は元・海軍の少年兵・・・・
お兄さんが、我が戦車第2師団の機動歩兵としてフィリピンのルソン島で戦い、無事に生還したが、その後、他界・・・
そこで弟の“フジイさん”がお兄さんの遺志を継いで戦友会の遺族会員として入会された。
当の“フジイさん”も実はフィリピンで戦っていた。
17歳で従軍して、20歳までミンダナオ島の海軍の航空基地にいたという。
戦後、復員するまでお互いにフィリピンにいたことを知らなかったという。(笑)

復員後、“フジイさん”はミンダナオ島へ行ったことがない・・・
というわけで、死ぬまでに一度でいいからミンダナオ島へ行ってみたいとおっしゃるので、4年前に拙者がお連れしたのである。
あの時は、確か83歳だったと思うから・・・もう87歳?(笑)
かなり足も不自由になって室内を歩くのも大変なご様子・・・
耳も遠くなったそうである。

うちの親父は85歳・・・2歳年下である・・・
同じ海軍なんだけど・・・うちの親父は予科練・・・飛行兵である。
親父より年長の方々との付き合いが多いおかげで、拙者は、親父の介護が楽なのである。(大笑)
親父など、なんだかんだ言っても、まだ良い方である。
ちょっとしたことで落ち込んだり、愚痴を言うなんて、とんでもない・・・
親父には先輩方を見習ってもらいたいものである!
拙者が“気楽に”親父の介護ができるのは、まさに戦友会のおかげである。

2時間ほど、オシャベリして失礼する。
「今度来るときは手土産なんかいいから、今度はうちに泊まれよな!」とおっしゃる。
もう、戦友扱いだから笑っちゃう。(笑)
同居している娘さん家族の承諾もなく、勝手に「泊まれよ」と言うんだから・・・・(大笑)
帰りは娘さん御夫婦に地下鉄の駅まで送ってもらう。
駅まで歩きながら、娘さんと、おしゃべり・・・(笑)
いやぁ~わざわざ見送っていただき、ご丁寧に挨拶までいただき恐縮である。(笑)
どう考えても、拙者のほうが年下なんですけど・・・
まるで「お父さんの戦友」みたいになっちゃった。(大笑)
かたじけない・・・感謝!感謝!

再び、大阪駅に戻り、今度は“コニシくん”の写真展を見に行く。
今回の大阪へ来た目的は、この“フジイさん”宅訪問と、“コニシくん”の写真展観覧なのだ。

“コニシくん”は、一昨日、東京で集まった「シアトル語学留学仲間」の一人である。
今は某大手テレビ局の部長さんである。(笑)
偉くなったものである・・・(拙者とは大違い・・・涙)
このテレビ局のイベント系の番組は、全て彼が手掛けている。
彼は趣味で「タンチョウ鶴」の写真を撮っているそうで・・・
そこで、今回、大阪で個展を開催することになったというので、見に来たわけである。(笑)

大阪駅近くのギャラリーで開催との事なのだが・・・
あらら・・・ビルが乱立していて、どこにギャラリーがあるのやら、わからん!
日が沈んで真っ暗だから、尚更である・・・
得意の迷子!
ウロウロすること約1時間弱・・・
本当は、駅から10分ぐらいで到着する場所らしいのだが・・・(大笑)
ギャラリーの閉館時間は午後7時・・・
やばい・・・早く見つけなければ・・・(大汗)

ようやくギャラリーを発見!
なんと、ウロウロ歩き回った道に面していたビルだが、入り口がその裏側の道に面していたので見つけられなかったのである!
偶然、立ち止まってキョロキョロしたら、なんと、ギャラリーの前だった・・・(笑)

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彼と会うのは何年ぶりだろう?
確か、拙者が会社を“廃業”した後に東京で一緒に飲んだのが最後だから・・・7年ほど前か?
いやはや、またまた、あっという間だなぁ~

ここ最近、面白いことに何年ぶり、十何年ぶりとか、何十年ぶりが多い・・・(笑)
なんだろ・・・これ・・・(大笑)

一緒に食事をしようということになり、とりあえず拙者はホテルに行ってチェックインすることとする。
で・・・ホテルは大阪駅前のホテル・・・
25年ぐらい前に、大阪に出張した時に泊まったホテルを予約しておいた。
以前に泊まったホテルで、駅前にあるんだから迷うことはあるまいと思っていたのが・・・大間違い!(笑)
駅前の様子が、拙者の記憶と違うのである!(驚)
周囲は大きなビルばかり・・・ヘッ?・・・ホテルは・・・どこ?(涙)
またまた迷子になってしまった!!(大涙)

途中、どこかの建物の中に入ってしまった!(大笑)
ここは・・・どこ?

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綺麗な電飾が天井から吊り下げられていたので・・・写真をパチリ!
この人混みの中で、こんなものにカメラを向けているのは拙者くらいのものである。(笑)
完全な「おのぼりさん」である。(大笑)
このイルミネーション・・・イタリア語で「ルミナリエ」っていうんだっけ?
こんなことをしているから、益々道に迷ってしまった!!(大涙)

10分か15分で到着するところを、迷いに迷って、30分以上もかかって、ようやくホテルに到着する。(大笑)

“コニシくん”とはホテルで待ち合わせ・・・・
無事に合流できたが・・・さて、どこで食事をしようか・・・(笑)
彼は大阪出身だが、大阪駅前はよくわからないと言う。
今は千葉県に住んでいるんだから無理もないか・・・(大笑)
地元で個展を開きたいということで、今回、大阪での開催となったのだが・・・
考えてみれば、彼は千葉に住んでいるんだから、千葉か東京で会えばよかったんだよな?(大笑)

外で食事をするのもいいが・・・帰りが心配である・・・(大笑)
絶対、まともにホテルには帰り着かないだろう・・(大笑)
というわけで・・・ホテルの30階にあるレストランで食事をすることにした。(笑)
これなら、酒を飲んで酔っ払っても部屋に戻れる。(大笑)

久し振りに、シアトル時代の話やら“業界”の話で大いに盛り上がる。(嬉)

次回は2年後に東京で個展を開きたいと言う。
じゃぁ、その時もまた会おう!・・・ということで別れる。

いい時間を過ごさせてもらった!
感謝!感謝!

旅行 | 20:22:16 | Comments(0)
駿州赤心隊の碑
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駿州赤心隊

富士亦八郎重本 文政9年(1826年)~明治30年(1897年)は駿州赤心隊を結成、勤皇に献身した。
富士山本宮浅間大社の大宮司家に生まれ15歳で江戸に出て、漢学・武術を学ぶ。
20歳で帰郷第44代大宮司家を継ぐかたわら塾を開き、国学、漢学、兵学を教える。
東征軍に参加、駿州赤心隊を率いて幕軍と戦う。
その後、西南戦争に従軍、現靖国神社の前身、東京招魂社の社司となり祭祀を司り最後は東京麹町区長。
この石碑は明治維新の激動の時代を勤皇の志士として、国家に尽した駿州赤心隊顕彰の碑である。

(説明板より)



静岡県富士宮市・富士山本宮浅間大社境内



史跡 | 15:29:40 | Comments(0)
富士山本宮浅間大社
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富士山本宮浅間大社

(御祭神)
主神 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
配祀 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
   大山祇神(おおやまづみのかみ)

(御由緒)
人皇第7代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が離散し国内が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇は、富士の神霊を山足(やまあし)(山麓)の地に鎮祭した。
これが浅間大社の創祀である。
第12代景行天皇の皇子日本武尊が東征の際、浅間大神の神助を畏み、山宮の地(現社地の北方6キロ)に篤く大神を祀られた。
その後、平城天皇の大同元年(806)坂上田村麿が勅命に依り、神霊を山宮より大宮(現社地)遷し奉った。
以来実に1千2百余年、全国1千3百余社に及ぶ浅間神社の総宮として、全国的に篤い崇敬をあつめている東海最古の名社である。
古来、朝廷の崇敬極めて篤く、延喜の制では名神大社に列し、駿河国の一宮として崇められた。
武家時代に入ってからは、源頼朝をはじめ北条義時、武田信玄、同勝頼、等の名武将は、それぞれ神領や神宝を献納して篤く崇敬した。
特に徳川家康は、天下を平定した奉賽のため、慶長9年(1604)に本殿以下の諸社殿を奉献し、更に富士山八合目以上を社地として寄進した。
本殿は二層の楼閣をなし、浅間造と称し重要文化財に指定されている。

~以下略~

(説明板より)

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(右:南極の石 左:火山弾)

南極の石
この石は、南極奥地より氷河に乗り幾億年もの歳月を経て流出し、地吹雪により風化したもので、第7次南極観測船ふじの乗組員により採取されました。
富士浅間大神の、御神霊を奉斎して、昭和基地に赴いた砕氷艦、ふじ、の乗組員赤池稔氏の(富士宮市出身)奉納であります。

名称 火山弾
目方 約30貫(約百キロ)
これは富士山噴火の時に、地中の岩漿が火熱のために溶けて空中に吹き上げられ落下した際に、酸化して冷却したものです
この様に形が整って大きなものは、珍しいといわれています。

(説明板より)

162_convert_20140102174539.jpg(流鏑馬の像)

流鏑馬祭縁起

社伝によれば建久4(1193)年5月源頼朝が富士の裾野で鎌倉武士を率いて巻狩を行ったとき当浅間大社に参詣し 流鏑馬を奉納したのに起因すると言われる古儀である
当大社所蔵の天正5(1577)年の富士大宮御神事帳や 慶安3(1650)年の富士本宮年中祭礼之次第にも 5月5日の条に 五月会流鏑馬 と記載されている
又その当時の古文書 朱印状等によれば武田勝頼より流鏑馬料 豊臣秀吉及び徳川家光よりは御朱印地の寄進があり神事祭礼として国家安寧のため誠を尽して斎行するように下知されていたことを知ることができる
現在は5月4・5・6日の三日間にわたり行なわれ4日が前日祭 5日が本祭 6日が後日祭になっている
5日の本祭はこの祭の中心で 拝殿で祭典を行い ついで練行と称して神馬を中心に宮司以下神職 弓武者 槍武者 鎧武者 射手代官 射手 氏子代表 稚児等が市内を練り歩いた後 桜の馬場に参入して 鎌倉武士を髣髴させる絢爛豪華な神事流鏑馬式が古例によって盛大に行なわれる
当日は端午の節句でもあり近郷近在から20万余の参詣者で境内は終日殷賑を極めることは昔も今も変ることがない

平成7年5月5日

(碑文より)



静岡県富士宮市宮町1-1



史跡 | 14:13:44 | Comments(0)
曽我八幡宮
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富士宮市 歩く博物館 Cコース④
曽我八幡宮

社伝は、源頼朝が曽我兄弟の孝心に感じ、兄弟の英魂を祭るよう畠山重忠を遣わし、建久8年(1197)に上原の住人渡辺主水に祭らせたと伝えている。
この地は、新田四郎忠常の陣所の近く、十郎祐成が討たれた所だと言い伝えられている。
主神は応神天皇で、兄弟はその相殿として祭られている。
主神の応神天皇の尊像は、頼朝の命によって文覚が刻んだものだといわれる騎馬像である。
兄弟の像は、畠山重忠が丹波法眼に命じて刻ませた像だといわれている。
近世になって、歌舞伎や芝居で、「曽我物語」が盛んに上演されるようになると、曽我八幡宮では曽我兄弟の木像や兄弟ゆかりの品を持って江戸で出開帳を行った。
その出開帳の収入が、神社の維持管理にあてられたものと思われる。

富士宮市教育委員会

(説明板より)



静岡県富士宮市上井出1804番地



史跡 | 13:37:46 | Comments(0)
若獅子神社と若獅子の塔
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若獅子神社

(神社の由来)
若獅子神社はさきの大東亜戦争において若獅子の名のもとに勇戦奮闘悠久の大義に殉じた陸軍少年戦車兵学校の教官・生徒6百有余の御霊を御祭神として、永久祭祀の途を拓くため昭和59年10月神社を創建しました
いま英霊はこの地に還り守護神としてわが国の平和と彌栄を希い氏子・崇敬者の平安と繁栄をひたすらお守りしておられます
とくに御祭神は交通安全・学業成就・産業振興の神様として特別の御神徳をそなえておられます

(神社の起源)
昭和40年12月学校跡のこの地に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため若獅子の塔を建立したのを起源とし以来毎年慰霊祭を執り行い英霊の奉慰・奉顕に努め建塔20年を期に富士山本宮浅間大社・靖国神社の御教導により永久平和への祈りをこめ神社造営を発起顕彰会々員729名の奉賛によって若獅子神社が創建されました

(神社の名稱)
若き情熱に燃え純真一途国難に赴き勇猛果敢な活躍を遂げた少年戦車兵の愛稱であった『若獅子』を神社の稱號としました

(説明板より)

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若獅子の塔由来記

美しい我が国土の象徴 千古に仰ぐ霊峰富士の麓 この地こそ 日華事変 大東亜戦争を通じ 若獅子の名のもとに活躍した陸軍少年戦車兵揺籃の地であり 又その魂のふるさとである
日本陸軍はノモンハン事変後 近代戦の中核である戦車隊の拡充強化をはかるため 昭和14年12月 千葉陸軍戦車学校に生徒隊を設け少年戦車兵を教育した
爾来戦局の熾烈なるに伴い 昭和17年8月 この地に陸軍少年戦車兵学校を移し本格的な養成が行なわれた
想えば7年の短い歴史のなかに 4千4百余の紅顔の少年が 若き情熱にもえ 朝夕富士を仰ぎ 心身を鍛え 学業を修め 戦車を駆使してひたすら猛訓練に励み 国軍の中堅幹部として勇躍この地を巣立っていった
そして大陸の曠野に 南海の島々に 或は北辺の草原に雄戦奮斗し 赫々たる武勲を誇ったのであるが 6百余の友は祖国の平和と繁栄を念じつつ 莞爾として悠久の大義に殉じたのである
戦火おさまって20年 いま秋風蕭條たるこの地に立ちて 往時を偲び亡き友を追慕するとき 萬感胸に溢るるを禁じ得ないのである
その御霊を慰め 殉国の至誠と輝ける偉勲を永く後世に傳へ 併せて真の平和を祈念し われら同窓生相はかり なお数多くの御賛同と御支援により ここに若獅子の塔を建立する

昭和40年12月1日
陸軍少年戦車兵学校同窓生一同

(碑文より)



静岡県富士宮市上井出2317-1



史跡 | 12:49:36 | Comments(0)
工藤祐経の墓
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工藤祐経(くどうすけつね)の墓

建久4年(1193年)5月28日、しのつく雨の夜、工藤祐経は、曽我兄弟の仇討ちにより、陣屋で殺害されました。
富士の巻狩(まきが)りの夜に起きたこの事件は、当時大騒動になりました。
曽我兄弟の兄十郎は、仁田(にった)四郎によって斬殺され、弟五郎は、捕らえられ翌日処刑されました。

この墓は、曽我兄弟によって討たれた工藤祐経が、この地に埋められたと伝えられることから、長い間ひっそりと守られてきました。
この西方にある「曽我の隠れ岩」とともに、この地が、武士道を象徴する三大仇討ちの一つの舞台となった歴史をしのばせてくれます。
なお、この東南約1kmのところ、上井出(かみいで)字上原(あざわはら)には、源頼朝の命によって兄弟の霊をなぐさめるために建てられた曽我八幡宮があります。

富士宮市

(説明板より)



静岡県富士宮市



史跡 | 11:31:19 | Comments(0)
曽我の隠れ岩
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曽我の隠れ岩の由来

曽我兄弟(兄十郎祐成(すけなり)、弟五郎時致(ときむね))の父河津三郎祐泰(すけやす)は、領地争いにより伊豆で工藤祐経(すけつね)に暗殺されました。
兄弟は、武士道の面目にかけ仇討ちを念願し、建久4年(1193年)富士の巻狩に参加していた工藤祐経をついにこの地で討つことができました。
このとき兄弟は、この岩に隠れ仇討ちの密談をしたといわれています。
なお、西方に、密談の際、滝の音が止んだといわれる音止の滝、東方に、工藤祐経の墓があります。

(説明板より)



静岡県富士宮市



史跡 | 10:35:02 | Comments(0)
音止の滝・白糸の滝
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音止の滝(おとどめのたき)

高さ約25メートル、幅約5メートル、水量は富士山への積雪、上流部への降水量等により大きく左右されます。
この滝の名前の由来は、建久4年5月28日(約800年前)、曽我の五郎、十郎兄弟が父、河津三郎祐泰を工藤祐経に殺された敵を、富士の巻き狩りのさいに討とうと考え、祐経の陣屋近くの隠れ岩で相談したさい、近くの滝の音があまりにうるさく密談しにくい事を神に嘆いたところ、滝の音がピタリと止まり、無事討ち入りの相談ができました。
それ以来「音止の滝」と呼ばれるようになったとの伝説からきています。

(説明板より)

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名勝及び天然記念物
白糸の滝
昭和11年9月3日 国指定

「この上にいかなる姫かおわすらん
  おだまき流す白糸の滝」

この歌は源頼朝が詠んだと言われています。

富士山の雪解け水が富士溶岩のすきまを通って地下にしみ込み、古富士泥流と呼ばれる不透水層の上を伏流水となって流れ下ったものが浸食を受けた溶岩層から湧き出したもので、高さ約20米、幅およそ200米の湾曲した絶壁の全面に、大小数百の滝が玉すだれのように数千畳の絹糸となって流れ落ち、白糸の名にふさわしく美しい景観を見せています。
また左側には、曽我兄弟の仇討ちで名高い音止めの滝が勇壮なひびきを立てています。

白糸の滝を守る会

(説明板より)



静岡県富士宮市



史跡 | 09:37:28 | Comments(0)
若獅子神社に行く
3時間ほどの“仮眠”を取って、東京駅へ行き、新幹線に乗る。
今日から3泊4日で関西方面に旅に出かける・・・

まずは・・・静岡県!
新幹線で「三島駅」まで行き、在来線の東海道本線島田行きに乗り換えて「富士駅」へ・・・
ここで今度は身延線に乗り換えて「富士宮駅」に向う。
乗り換え時間はわずか数分・・・
見知らぬ駅での乗り換えは焦る。(大笑)

東京から2時間弱で到着!
時刻は12時40分・・・
今日のメインの訪問地は、ここ富士宮にある「若獅子神社」である。

駅を出ると・・・
駅前のビルの間から富士山が見える・・・

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駅前の中華料理屋で昼食を食べ、タクシーに乗る。

065_convert_20131230220552.jpg(中華丼)

タクシーのドライバーは女性の方で・・・
「若獅子神社」までお願いしたら、場所を知らないという・・・
「若獅子神社」は、その昔、「陸軍少年戦車兵学校」があった場所なんですけど・・・(汗)
地元の人も知らないという場所なのか?(唖然)

近くには「白糸の滝」という名所があるらしいんだけど・・・
とにかく、その方向へ向かってもらう。

で・・・・オシャベリしているうち気が変わった・・・(大笑)
「最初に白糸の滝に行ってみましょう!」(笑)

071_convert_20131230222548.jpg(白糸の滝)

「白糸の滝」は有名な滝なのだそうだが・・・
う~ん・・・どうなんだろ?
我が茨城の「袋田の滝」のほうが、すごい気がしないでもないが・・・(大笑)
ちょうど滝の前の遊歩道が修復中のため近づけなかった。
ドライバーさんは残念がっていたが、拙者としては、こういうのも面白い・・・
いつか、遊歩道が完成したら、そこまで行ってみようか・・・
修復中の写真と、その後の写真を比較してみるのも楽しいし・・・(笑)

ついでに、近くを散策してみる・・・

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「曽我の隠れ岩」というのがあった・・・
この岩のどこに隠れていたのだろう?
よくわからん・・・
だいたい、曽我って・・・誰?(笑)
こういう時に博学の“シミズくん”が一緒だったら面白かったんだがなぁ~(大笑)
「曽我兄弟」っていうのは、どうやら仇討ちで有名な人のようである・・・(汗)

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そのまた近くに「工藤祐経の墓」というのがあった。
おお!これは、これは面白い・・・
史跡めぐりである!
ドライバーさん・・・「お好きなんですねぇ~」と呆れ顔・・・(大笑)
彼女は、場所は何とか知っているが、実際には来たことはないと言う。
「地元の史跡を勉強して下さい!」(大笑)
この工藤祐経という人は、曽我兄弟の仇討ちで殺された人らしい・・・(汗)

「こういう史跡と言うか、こういうのがお好きなのですか?」とドライバーさん・・・
「はい、知識はありませんけど・・・ワクワクしちゃうんですよね!」(大笑)
「いい趣味ですよね?仕事はもう引退されてねぇ~・・・いいですねぇ~」
引退???
あ~・・・説明するのは面倒だ・・・そういうことにしちゃおう・・・(大笑)

「わかっても、わからなくてもいいんですよ。こういうのを見るでしょ?で・・・後々何かの本で読んだりした時にね・・・あ~そういえば、そういう史跡に行ったことがあるとか、お墓に行ったことがあるとかって思い出すでしょ?その時に、あ~あの場所かぁ~なんて思い出したりして、それが面白いんですよねぇ~」
「いやぁ~本当に楽しそうに見てますもんね?ところで・・・どちらからいらっしゃったんですか?」
「茨城県です!」
「え!やだぁ~!」
「はぁ?なにか・・・?」
「私、水戸の出身なんですけど!」(笑)
「うそぉ~!何それ!」(驚)

まさか・・・同じ茨城県人とはね・・・(大笑)
「お客さんは、あまり“なまって”いませんね?」と褒められ(?)たが・・・
拙者は一歩、茨城県境を越えたら共通語で話すよう自動的にセットされておるのです・・・(大笑)

そこからは、茨城弁談議である・・・
関西弁を話す人に会うと・・・「大阪の方ですか?」で済んでしまう・・・
博多弁で話す人に会っても、「博多弁ですか?」で済んでしまう。
ところが茨城県の場合・・・
茨城弁がポロッと出ると・・・「なまってますね?」と必ず言われるのである!
これが面白くない!
なんで、茨城弁の場合は「なまってる」と言われて、その他の言葉は「関西弁」「博多弁」と言われるだけで済んでしまうのか?(怒)
これは茨城県人は「田舎者」「いなかっぺ」だと思っているからに違いない!
「私も静岡に来たばかりの頃は、なまってるって散々言われましたよ」とドライバーさん・・・
「でしょ?バカにしてるでしょ?茨城県を!けしからんですよね!」(怒)

などという話で大いにドライバーさんと盛り上がる。(大笑)

時刻は午後2時を過ぎた・・・
ヤバイ・・・
早く目的の「若獅子神社」に行かねば・・・日が暮れたら何しに来たかわからなくなってしまう。

ドライバーさん・・・
観光案内所で若獅子神社の場所を教えてもらったらしい。
さぁ!行きましょう!行きましょう!

094_convert_20131230235548.jpg(富士山!)

098_convert_20131230235953.jpg(若獅子神社)

午後2時半、若獅子神社に到着!
ここは陸軍少年戦車兵学校があった場所である。
我が戦車第2師団の戦車兵の中にもこの学校出身者が結構いたはずである。
ということで・・・来年の戦友会の会報の表紙に、ここの写真を載せようと思い、訪問したのである。
ただ、写真を撮るだけのため・・・わざわざ・・・(笑)
自分でも、よくやるよなぁ~・・・と思う。
が・・・また、こういうのが楽しいのである。
決してムダではない。(笑)

神社には誰もいない・・・
神主さんでもいれば、お話を聞かせてもらおうかと思っていたのだが残念・・・

ここにはサイパン島から還って来た九七式中戦車が展示されている。
どうも心無い人間がこの戦車のキャタピラと車輪の一部を壊したらしい。
こんなところまでわざわざやってくるのだから、多分、戦車マニアか何かだろう・・・
マナーが悪い奴がいたものである。(怒)
もう風化してボロボロになりかけているんだから、触るなって!乗るなって!・・・常識だろう、そんなこと・・・

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さぁ、目的は果たした・・・もう後は暇である。(笑)
今晩は静岡駅前のホテルに泊まることにしているので、チェックインにはまだ余裕がある。
「運転手さんのお勧めの場所があったら連れて行ってください!」とお願いして・・・・ドライブ!(大笑)

いかに観光客を1時間でも長く滞在させるか・・・
半日で用事が済んでも、残り半日を滞在させれば、お客さんは飲食をするからおカネを地元に落とすことになる。
そういうちょっとした工夫は必要ではないだろうか?
というわけで・・・そこで大事なのがタクシーの運転手さんの会話と知識ということになる。
「できるだけ地元の史跡を覚えて、歴史好きの人を案内するようにしたらどうでしょう?」
「いやぁ~今、この業界も暇でねぇ~」
「観光客なんか来ませんか?」
「来ませんねぇ~」
「若獅子神社が有名じゃないんだからダメですよね。見所はいくらでもあると思うんですけどねぇ~」
「うちなんか、病院の送迎ばかりで・・・史跡めぐりなんて、無理ですよ」(大笑)
あらら・・・

ドライバーさんに連れて行ってもらったのは「曽我兄弟のお墓」・・・・
到着した場所は、「曽我八幡宮」・・・

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なんか・・・おかしい・・・(笑)
曽我兄弟が祀られているのでしょうが・・・
ここはお墓かな???(笑)

すぐ近くの道路際に小さな目立たない標柱を発見!
もう少し大きな目立つ看板を作ればいいのに・・・

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これによれば・・・
この奥の高台に曽我兄弟の墓所がある・・・と書いてある。
「曽我兄弟霊地」ということで、供養塔があるようなので、そちらが「お墓」ではあるまいか?
ということで・・・ドライバーさんをタクシーに残して一人で行ってみる。(笑)

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高台って・・・・ありゃぁ~・・・結構キツイわぁ~
運動不足の体には堪える・・・(笑)
しかも、ちょっと怖いんだよね・・・(大汗)
ガサッ・・・と音がすると・・・ドキッとするんだよね・・・
これ・・・結構、心臓に悪い・・・(大笑)

143_convert_20131231010702.jpg(曽我兄弟霊地)

で・・・無事に到着・・・(笑)
お参りをする・・・誰なのか知らない人だけど・・・(大笑)

続いて向かったのは・・・「日蓮正宗 総本山 大石寺」・・・・
「すごい三門ですから是非見て下さい」とドライバーさんが言う。
う~ん・・・拙者は曹洞宗なんですけど・・・(大笑)
まぁ、いいかぁ・・・

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いやぁ~大きな三門である!
宗教団体ってカネがあるんだねぇ~(笑)

どうも「御影堂大改修落慶法要」があるそうで・・・一般の人(信者じゃない人?)は奥には入れないとのこと・・・
というわけで・・・三門だけを見て帰る事にする。

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「案内図」によれば、三門から奥のほうには“坊”というのがたくさんあるようで・・・
これは僧侶や信者の宿坊(宿泊施設)だそうである。
ふ~ん・・・すごいんだねぇ~
ここは、以前、なにやら創価学会とトラブルがあったような話だが・・・
どうも、宗教の話はよくわからん・・・
ドライバーさんは、いろいろ説明してくれたのだが・・・申し訳ないが、さっぱりわからなかった・・・(大汗)
申し訳なし・・・・

時刻は3時半を過ぎている・・・
駅に戻りながらの名所めぐり・・・
最後は、「浅間大社」・・・
ここも有名なのだそうである。(笑)
「ここで車を降りて、浅間大社を見学して徒歩で駅に向かってはいかがでしょうか?」とのこと。
というわけで・・・浅間大社でドライバーさんとお別れする。
タクシー代は・・・8500円なり!(笑)
いやぁ~いいドライブが出来た!
運転手さんに感謝、感謝!

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「浅間大社」というのは正式には「富士山本宮浅間大社」と言うらしい・・・・

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ここをお参りして、茶店でコーヒーを飲んで一服・・・
時刻は4時半・・・
駅に向って歩くことにする。

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(夕陽を浴びている富士山!)

駅の近くの商店街を歩いてみたが、どこの町も似たようなもので・・・
シャッターが閉まっている店ばかり・・・
商店街は今日は定休日なのか?(笑)
そんなはずはないよな?・・・・今日は土曜日なんだから・・・
なんとも寂しい商店街だった・・・

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午後4時45分、富士宮駅に到着!

ここから「富士駅」に向かい、乗り換えて「静岡駅」へ・・・・

この身延線といい、東海道本線といい、車両のドアの開閉は車体に付いているボタンを押して行なうようで・・・
これが良くわからんのです。(苦笑)
ホームに並んで電車を待つ時、迂闊にも列の先頭になっていた・・・(笑)
列車が入ってきて・・・
さぁ~ボタンを押していいのやら、悪いのやら・・・(大汗)
ボタンは拙者の目の前にあるのである!
自動で開くんじゃないか?・・・という気がしないでもないが・・・
周囲を見渡したら・・・他の乗客が拙者のことを見ている・・・(大汗)
ん?やっぱり押すのか?(大汗)
どうも、わからん・・・
なにせ、我が常磐線は「全自動」である!(大笑)
手動でドアを開閉するなんてねぇ~・・・やったことねぇもんなぁ~(大笑)

静岡駅前のホテルにチェックイン・・・
夕食は外に出てみたが、忘年会シーズンのせいか、すごい混雑である!
いやぁ~すごい人出・・・活気があるというか何というか・・・
我が町とは大違い・・・まぁ、人口も4倍ちかく多いんだから無理もないか?

人波に押されて・・・ウロウロした挙句・・・
ようやくイタリアンレストランを見つけたので、そこで夕食をとる。(大笑)

旅行 | 08:36:35 | Comments(0)
16年ぶりの同窓会
今日は米国に語学留学していた時の同窓会に参加するため上京・・・・
まぁ・・拙者の場合は“留学”ではなく“遊学”であるが・・・(大笑)
なにせ、今もってまともに英語が話せないんだから・・・(涙)

集まるのは4名・・・
東京1名(男)、京都から1名(女)、富山から1名(男)、そして茨城の拙者である。
彼らとは約30年・・・正確に言うと29年来の“腐れ縁”である。(大笑)

前回集まったのは・・・16年前である。
確か、夜、集まって散々酒を飲んでホテルに泊まり、翌日、新宿駅前でダイアナ妃の事故死(多少の疑問があるが・・・)の号外を手にしたんだから・・・
1997年(平成9年)8月30日(土曜日)に集まったと思う・・・・
あの時は・・・拙者は37歳だったの?
いやぁ~あっという間だなぁ~(大笑)

女性一人に男性三人・・・
まるで青春ドラマを“地で行って”いる感じだが・・・
もう、オッサン、オバサン・・・である。(大笑)

留学当時の仲間達は今どうしているんだろう・・・などという話になったが・・・
相変わらず拙者は記憶力が悪い。(笑)
結構、記憶が欠落している部分がある。(笑)
人の顔も名前も覚えていないとか・・・

一番、情報通なのは富山の“マコトくん”かな?
誰と誰がルームメイトで・・・・
誰と誰がくっ付いて結婚したとか・・・
「相関図を作ってくれないと、誰が誰なのかさっぱりわからん!」(笑)

東京の“ヨシくん”は昨年、我らの思い出の地・・・シアトルに行ってきた。
というわけで・・・現在のシアトルの町の写真や、留学していた時の寮の写真などを見せてくれ、ご報告・・・
拙者の記憶にあるのは30年前のシアトル・・・
いやぁ~結構、変わったかも・・・
と言っても、拙者はあまり外を出歩かなかったから、よく覚えていない・・・(笑)
今になって、もっと町中を歩き回れば良かったと後悔・・・(涙)

シアトルに立派な航空博物館があるそうだ・・・
写真を見せてもらったが・・・おお、こりゃ、すごい・・・
当時はこんな博物館なんてなかったんだけどなぁ~
「ボーイング社の創業小屋」みたいな小さな博物館があっただけだったと思うんだけど・・・
この博物館を見に行ってみたいなぁ~
もう一度、シアトルに行ってみようかな・・・遠いんだけど・・・(笑)

我々の“交流”は昔話が主体で、現在の近況報告なんていうのは無い・・・
昔の顔ぶれが揃うだけで、なんとなく“安心”という感覚か?
この先、何の発展性も無い人間関係というのは、ある意味、面白くないのであるが・・・(笑)
まぁ・・・腐れ縁というのは、こういうことを言うのだろう・・・

新橋で飲食し・・・つづいて新橋駅のガード下の居酒屋で酒を飲み・・・ようやく解散!(笑)
次回は、いつ会おうかという約束はしない・・・
次回はいつになるかはわからない・・・
次回は無いかもしれない・・・(笑)
次回も16年後なんて言ったら、拙者は69歳だからなぁ~(大笑)
生きてるかどうか・・・
「又ねぇ~!」でいいのだろう・・・こういう腐れ縁は・・・(大笑)

他の二人と別れて“ヨシくん”と二人で錦糸町で飲む・・・
で・・・その後はファミレスでコーヒーを飲んで・・・
と・・・気が付けば・・・午前5時!!(驚)
ホテルを取る必要が無かったような・・・(大笑)
これから3泊4日で関西方面に旅に出る予定なのだが・・・(笑)
午前5時まで飲み歩いていたなら、始発の新幹線に乗れたかも・・・(大笑)

“ヨシくん”と別れ、ホテルに戻り・・・とりあえず寝る!(大笑)

日記 | 10:42:25 | Comments(0)
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