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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『比島捕虜病院の記録』
比島捕虜病院の記録 (1973年)比島捕虜病院の記録 (1973年)
(1973)
守屋 正

商品詳細を見る


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はしがき

序章

第1章 ジャパンゲリラ

第2章 幽鬼の群

第3章 大いなる愛

第4章 プリゾンの明暗
          精神病棟
          米軍の囚人
          大トラ事件
          真正PW
          橘丸事件
          慰安演芸会
          手術室
          婦人子供病舎
          プリゾン外のワード

第5章 新病院
          新しい出発
          新病院風景
          オットー・ジャーリンジャー軍医中尉
          マキリン山
          ラボラトリー
          病院のその他の設備
          キッチンとサプライ
          米軍の文化活動の一端
          病院のその他の点描
          珍版「糞尿譚」
          病院風景の俳句と川柳
          ヤクザ仁義

第6章 PW大学

第7章 PWの楽しみ
          「季節風」
          室内ゲーム
          演劇
          コーラス
          美術展覧会
          スポーツ
          お正月
          Y談

第8章 婦人キャンプ
          山中の従軍看護婦たち
          婦人キャンプの生活

第9章 一般キャンプ
          「PWの記」
          秘聞米国版「吉田御殿」

第10章 比島の露
          第一キャンプ
          山下大将の処刑までの状況
          病院看護婦の戦犯慰問とコーラス慰問
          観音様に命を助けられた話

第11章 喜びと栄光
          私たちの帰国と病院閉鎖まで
          一七四会の結成とブリス博士との再会

あとがき



著者は軍医さん・・・
終戦後、日本軍捕虜のための米第174兵站病院に約1年弱、医者として勤務し、日本の傷病兵の治療に当った。
本書は、その記録である。

フィリピンのルソン島、カンルバン捕虜収容所に病院がある。
のちにルソン島捕虜病院と改称されたそうだが、ここが米第174兵站病院ということらしい。

実は、この捕虜病院に終戦後、私の祖父が入院したことがあったそうである。
祖父の部隊は、終戦まで山の中で戦い続け、9月になって投降したのであるが、その時にかなり衰弱していたそうである。
一足先に復員(帰国)した師団参謀から「かなり衰弱していたので病院に入院しているが、元気だから安心して待つように」と留守宅に連絡があったと母から聞いた覚えがある。
祖父からは直接この時の話を聞くことは出来なかったが、伯父も同じことを言っていたので、間違いないだろう。
一時期、体力回復のため病院に入院していたのだろう。

この捕虜病院の初代院長はテオドル・L・ブリス博士という人で・・・・
日本兵傷病兵を米兵並みに扱った人だそうである。
この人の話がすごい・・・感動ものである。
「恩讐を越えて」とか「敵味方の区別なく」などとは口ではいくらでも言えるが、実際はなかなか難しいのではなかろうか?
ブリス院長は、米兵に使用するための貴重な薬剤を惜しげもなく日本兵に投与している。
さすがに、これに反対する声も上ったが、ブリス院長は、これらの声を無視して治療に当ったという。
「日本兵捕虜の患者」ではなく「ただの患者」として区別なく医師としての使命を遂行したのだろうが・・・
なかなか出来ることではない。
相手は、ついこの間まで敵だった日本兵なのである。
「人格者」とはこういう人を指す言葉だろう。

この貴重で高価な薬の投与で多くの傷病兵が命を救われているが、残念ながら手遅れで亡くなっている方も数千名いるのである。
もし、ブリス院長の勇断がなかったら、その犠牲者数はかなりの数に及んだに違いない。

この捕虜病院で勤務した日本人医師や看護婦や関係者などで「一七四会」というのが結成された。
この会の招きでブリス博士は奥様を同伴して昭和41年(1966年)に来日された。
戦後20年目の感動の再会である。
日本政府は閣議で、このブリス博士に勲三等旭日中綬章を贈ることを決め、授与したのである。
現在のような国民栄誉賞の“安売り”ではない。
本当の“偉業”にたいする感謝の勲章である。
昔の“日本政府”も大したものである。
ちなみに・・・時の総理大臣は佐藤栄作である。

ブリス博士は、来日から3年後の昭和44年に67歳でアメリカのオハイオ州で病死された。
67歳は・・・ちょっと若すぎる死である。
なんとも残念・・・・
ご子孫はどうされているだろうか?

ブリス博士から贈られた当時の捕虜病院の写真や、著者の当時の病院内や風景を描いたデッサンが本書には掲載されている。
これだけでも貴重な資料である。
捕虜になった方々の体験記は、結構、目にするのだが、病院の内部のことに関してはなかなかお目にかかれない。
専門的な話も多いが、それが逆に興味をそそる。

カンルバン捕虜収容所には、私は以前一度だけ見に行ったことがあるが、当時の面影は全く残っていない。
新興住宅とゴルフ場になっていたようで・・・どこに収容所があったのやら、どこに病院があったのやら、死亡した捕虜の墓地はどこだったのか・・・さっぱりわからずガッカリして帰ったことがある。
地元の人に尋ねても誰も当時のことを知らないという。
それもそのはずで、誰も住民がいない広大な土地だから収容所を作ったわけで・・・(笑)
住民なぞいなかったのだから当然である。
現在の住民は、戦後になって流れ込んできた人たちなのである。

あの当時の様子を偲ぶ事が出来なくなった現在・・・
本書は貴重な資料だと思う。



今年の読書:60冊目



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読書 | 15:43:41 | Comments(0)
『謎解き「張作霖爆殺事件」』
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(2011/05/18)
加藤 康男

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まえがき

第1章 「河本大作首謀説」をめぐって

(Ⅰ)爆殺計画
     張作霖を爆殺せよ
     関東軍首脳の関与
     爆破計画
     爆薬セット
     スイッチを押せ
     張作霖絶命
(Ⅱ)現場検証
     架橋の警備
     爆薬とその設置場所
     列車の破壊状況
     神田中尉の写真
     残された電線
     小川平吉
     殺害後の計画
(Ⅲ)昭和天皇と田中義一首相
     河本支援グループ
     上奏へ
     孤立無援
     逆鱗に触れて
     「祖父は首謀者です」

第2章 「コミンテルン説」「張学良説」の根拠

(Ⅰ)クレムリンの極秘ファイル
     ソ連の謀略
     暗殺指令
     『GRU帝国』
     ブルガリアから来たスパイ
     ヴィナロフの任務
     ソ連説、これだけの動機
     グリーシカ指令
(Ⅱ)張学良の謀略~爆薬は列車の天井に
     奉天城の赤旗
     学良、極秘入党
     政敵暗殺
     獅子身中の虫
     蔣介石・田中会談
     佐々木から河本へ
     豊台機関区
     イギリス情報部

第3章 謎の解明~「河本首謀説」の絶対矛盾

(Ⅰ)関東軍爆破の疑問
     現場写真の怪
     田母神俊雄氏の見解
     奉天領事報告書
     「瞬間写真」は誰が撮ったのか
(Ⅱ)昭和史の闇に決着
     MI6の現場図面
     田中隆吉の証言
     軍法会議
     『GRU百科事典』

あとがき

参考文献



昭和3年・・・当時、満州一帯を支配していたのが張作霖・・・
この張作霖が北京から奉天に列車で帰る途中、乗車していた列車が爆破され暗殺された。
この暗殺をしたのが日本軍(関東軍)で、その首謀者は河本大作大佐であるとされ、これが通説となっている。

この暗殺事件は日本軍の謀略によるものとされていたが、以前から私は疑問に思っていたのである。
随分昔・・・子供の頃に、この暗殺直後の現場写真を見たことがあった。
日本軍が線路に爆薬をしかけて、張作霖の乗った列車を爆破して、張作霖を殺したのだという。
しかし、子供心に、どうも納得いかないのである。
線路を爆破したはずなのに写真では線路はなんともないのである。
線路をドカ~ン!と爆破したら、線路はめくり上がると思うんだけど・・・
客車も、台車には車輪がちゃんと付いているし・・・
線路が爆破されたら車輪は吹き飛ぶんじゃないの?
破壊された車体の写真も見たが、土台(台車)はしっかり残っていて、上の部分が粉々になっていた。
どうも納得できなかった・・・線路がドカ~ンと爆破されたんだよね?(笑)

子供だった私が不思議に思っていたことへの回答は、その後、全くといいほど答えが見つからなかった。
“歴史家”“昭和史家”と称する偉い人達は、何も疑問に感じなかったのだろうか?
河本大佐自身が、自分がやったと言っているんだから、それでいいでしょう・・・ということなのか?
結局、張作霖暗殺は日本軍の謀略工作である・・・で、一件落着なのである。

そこに・・・本書・・・
私の疑問と同じ疑問を呈し“謎解き”をしている。
張作霖を殺したのは誰なのか・・・も“謎”だが・・・
河本大作が張作霖を殺したということになっている・・・というのも“謎”である。

コミンテルンの関与、息子の張学良の関与・・・等々・・・
決して荒唐無稽とは思えない“謎解き”の話である。
当時、ソ連のコミンテルンがかなり暗躍していたことは事実である。
アメリカの中枢部にまで食い込んでいたことも事実である。
で・・・中国大陸では、ソ連、アメリカ、イギリス、ドイツなどが暗躍していた。
「日本が中国を侵略しました」というような単純な話ではない。
騙され、利用され、乗せられ、裏切られ・・・の連続だったに違いない。

誰が誰の指示で動いているのか・・・も正確にはわからなかったのではなかろうか?
爆破のスイッチを押したのは東宮大尉だが、昭和12年に上海で戦死しているので、証言は得られない。
河本大佐は戦後、戦犯として中国の収容所に入れられて、昭和30年にそこで亡くなっている。
河本大佐は本当に首謀者なのだろうか?

この“謎解き”は、結構面白い。

何を今さら・・・そんな過去のことはどうでもいいじゃないか・・・という人もいるだろう。
誰が首謀者だったかを今さら知ったところで何の得があるのか・・・という人もいるだろう。
しかし、日中戦争は、そうそう単純なものではなかったのである。
単純に、日本が中国を侵略したという話ではないと私は思っている。
もっとドロドロしていて、誰と誰が繋がっているのかというのも、複雑に入り組んでいたのではないかと思われるのである。

張作霖を殺したほうがいいと考えていたのは日本軍だけなのか?
そもそも、殺してしまおうと日本軍は考えていたのか?
誰かの「入れ知恵」ではないのか?
形だけ爆破する格好をして、実際は別の誰かが爆破したのではないか?
現場の車両の残骸から推定すると、爆発物は線路ではなく車体にあったとしか思えない・・・
そうなると、通説が覆ってしまう・・・
本当の首謀者は、張作霖の暗殺を日本のせいにしようとしたのだろうし、日本側(河本大佐)も、“手柄”になると思って、あえて「首謀者」を名乗っていたのではあるまいか?

本書を読んでいると、色々出てくるのである。

これは過去の話ではない・・・
国際関係とは、国同士の利害関係とは、こういうものではないか・・・
現在にも通じているのではないか・・・
現在進行形の国際関係を推測する為にも、こういう歴史からの勉強は大事だと思う。

そういう意味でも、本書は大いに勉強になる本であると思う。


今年の読書:59冊目



読書 | 00:15:04 | Comments(0)