FC2ブログ
 
■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

秋山伯耆守信友の屋敷跡
127_convert_20131017152503.jpg
(山梨大学・生命環境学部・教育人間科学部)

織田信長と対峙した勇将
秋山伯耆ほうき守信友のぶとも
(大永7年~天正3年10月21日)

秋山氏は、甲斐源氏の支流で、武田家の譜代家老の家柄である。
信友といわれるが、実名は虎繁(とらしげ)が正しい。
天文15年(1546)に侍大将に抜擢され、信玄の信濃国伊那郡制圧に伴い、高遠(たかとう)城代を、次いで飯田(いいだ)城代を歴任したという。
また、弘治年間には、伊那大島(おおしま)城に在城している。
信友は、武田家の伊那郡支配に深く関与し、赤須(あかす)・大島氏を始めとする春近(はるちか)衆などを配下に置き、織田・徳川氏を監視する役割を担った。
元亀3年(1572)、信玄が西上作戦を開始すると、信友は伊那衆を率いて美濃に侵攻し、遠山景任(かげとう)未亡人(織田信長の叔母)の守る岩村城を包囲した。
城方との交渉の末、景任未亡人を信友の妻とし、遠山氏の養子御坊丸(おぼうまる)(信長の子)を人質として甲府に送還することで開城させ、信長と対峙する最前線を警固した。
長篠敗戦後、織田信忠に包囲されて降伏し、岐阜で処刑された。

(説明板より)

史跡 | 15:34:25 | Comments(0)
岩窪のヤツブサウメ
124_convert_20131017215618.jpg
(山梨県甲府市岩窪町246・武田信玄公墓所)

山梨県指定天然記念物
岩窪のヤツブサウメ
甲府市岩窪町246
昭和34年2月9日指定

樹種はウメの変種で、「座論梅」ともいわれ、花は淡紅色、重弁、径27ミリ位、一花中にめしべ7~8本のものが多い。
花期は普通のウメよりも遅く、3月末頃満開となる。
実は径20~22ミリと比較的小粒で、3個結実するものが多く、実が品の字に似ているので「品字梅」ともいう。
本樹は、3個に結実する数も多く、この種の特徴をよく表わしており、植物形態学上貴重な資料である。
規模は次のとおりである。
根回り 0.80メートル
地上1メートル幹囲 0.75メートル
樹高 約7メートル
地上1.2メートルで二幹に分かれる

昭和55年3月30日
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会

(説明板より)

史跡 | 15:20:37 | Comments(0)
武田信玄公墓所
117_convert_20131017143336.jpg 121_convert_20131017215520.jpg
(山梨県甲府市岩窪町246)

甲斐国主
武田信玄公御墓所について

天正元年(1573)4月12日、信州伊那駒場で53歳を一期として、波瀾の生涯を閉じた英雄信玄公はその臨終に際し、3年間の秘喪を命じた。
嫡子勝頼公は、これに従い、信玄公の遺骸を密かにして、3年後、二十四将の一人、土屋右衛門昌次の邸内で、荼毘に附し、天正4年4月16日、塩山、恵林寺に於て、葬礼を行い、埋葬した。
岩窪の墓所は、土屋氏の邸跡で、後世これを、魔縁塚と呼び、里人は恐れて近づかなかったという。
それから、およそ200年後の江戸時代安永8年(1779)甲府代官、中井清太夫が発掘して、石棺を見つけ、その銘に、「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」とあったので、もとのように埋め幕府に届けて、信玄公の墓と定めた。
この時、東花輪村、田中喜衛門、西花輪村、内藤正助、外52人の武田家の旧臣有志が大石碑を建て、壮麗な聖域とした。
碑文は時の円光院住職・愚應の書である。
現在地域住民は、ここを信玄公さんの墓と敬愛し、子供達と共に精神的憩いの場となっています。
又地元老人クラブの人々が、毎月1回清掃奉仕を行い自治会では、年中行事として、4月12日の命日に円光院並に近隣の寺院の協力に併せて、信玄公さんの祭りとして、墓前法要を勤め、ありし日の国主を偲んでおります。

昭和56年9月吉日
岩窪町自治会
〃 老人クラブ  建之

(説明板より)

史跡 | 14:52:22 | Comments(0)
永慶寺跡
116_convert_20131017135533.jpg
(山梨県甲府市・護国神社脇)

114_convert_20131017153440.jpg

龍華山永慶寺跡

護国神社の境内とその周辺は、江戸時代に老中首座として幕政を担った柳沢吉保の菩提寺「龍華山永慶寺」の建てられたところである。
将軍徳川綱吉の信任厚い吉保が、小姓から異例の出世を遂げて甲斐三郡の領主に任ぜられたのは宝永元年(1704)のことで、その翌年から永慶寺の造営が始まっている。
永慶寺は当初、穏々山霊台寺と称したが、地形普請の終了した宝永5年に龍華山永慶寺と改められた。
以後、京都万福寺の大工秋篠家や甲府・下山・江戸の大工を動員して伽藍の建設が進められ、宝永7年に完成した。
永慶寺は禅宗の一派である黄檗宗の寺院であり、同宗本山の京都万福寺8代悦峯禅師を開山祖に迎えている。
永慶寺の伽藍は甲斐国第一を競う規模で、仏殿を中心に北に方丈、東に斎堂、西に禅堂、南に天王堂と惣門を配するなど、万福寺の伽藍配置を模倣したことがわかっている。
正徳4年(1714)に吉保が57歳で没すると、江戸から永慶寺に運ばれて埋葬された。
吉保の正室定子と側室(嫡子吉里の母)もこの寺に葬られている。
永慶寺の諸堂は、享保9年(1724)に行なわれた吉里の大和郡山(奈良県大和郡山市)への所替えに伴い取り壊されたが、寺は郡山城の近くに再建され、現在に至っている。
なお、解体された永慶寺の仏殿は、大泉寺の本堂として移築されたが、江戸時代に焼失した。

平成4年1月
相川地区文化協会

(説明板より)

110_convert_20131017153520.jpg

龍華山永慶寺

この寺は、はじめ穏々山霊台寺といい、甲府城主柳沢吉保公が自らの菩提寺として悦峰禅師を開山に、宝永5年(1705)この地に建立した黄檗宗の寺である。
寺領370石、正徳4年(1714)吉保公を、前年に同夫人を葬った。
家督を相続した吉里は、享保9年(1724)大和郡山に転封となったため、これに伴って吉保公夫妻の墓を恵林寺に改葬して寺を廃し、新たに大和郡山に永慶寺を建立した。
当時の永慶寺は、「甲陽柳秘録」に「殿堂甍並べ、門楼高く聳えて、風景国郡に冠たり」と見え、七堂伽藍を備えた美麗を極めたものであった。
ここに永慶寺に関連する礎石、石塔等を集め、寺跡碑を建てる。

(碑文より)

史跡 | 14:32:18 | Comments(0)
ぶらぶら史跡めぐり
山梨県護国神社を出て、歩き出して直ぐに、なにやら説明板を見つける。
ん?・・・なんだ?

116_convert_20131017135533.jpg

説明板によれば、「永慶寺」というお寺の跡だそうだ。
このお寺は柳沢吉保の菩提寺だそうで、ここに葬られたようだが、その後、柳沢家の大和郡山への転封により、お寺もお墓も大和郡山へ移り、ここの寺は廃寺となったらしい。
おお・・・大和郡山・・・
行ったことがあるが・・・移転した永慶寺には気が付かなかったなぁ~
見逃した!(汗)

全国をブラブラ歩いていて楽しいのは、こういう繋がりを見つけたときである。(喜)
こちらの史跡と、あちらの史跡が繋がっているなんてことを偶然に知ったときは、こりゃ、運命的な出会いか?・・・などと嬉しくなってしまうのである。(大笑)

続いて、狭い坂道を下りて行くと・・・

「信玄公火葬塚」の案内板を発見!(笑)
ん?・・・火葬塚?
信玄を火葬した場所っていうことか?

117_convert_20131017143336.jpg 125_convert_20131017143417.jpg

この「火葬塚」に来たら、「武田信玄公御墓所」という看板が建っている。
ん?・・・なんだこれ・・・(笑)
火葬した場所なのか、お墓なのか、ハッキリしてもらいたいものだが・・・(大笑)
まぁ、いいか・・・

さらに坂道を下り・・・ちょいと右に折れ・・・(笑)
そのまま進むと、山梨大学にぶつかった・・・

で・・・ここの「生命環境学部」「教育人間科学部」の門の前に史跡の説明板が・・・
ここは秋山伯耆守信友の屋敷跡なのだそうである。

127_convert_20131017152503.jpg

それはともかくとして・・・
「生命環境学部」とやらを卒業すると、“学士”の名称は何と言う名称になるんだろう?
拙者は経営学部卒だから「経営学士」である。(エヘン!)
卒業した時に、おばあちゃんが、「学士様になったとは、偉くなったねぇ~」と褒めてくれた。
「学士様」・・・である。
学士に“様”が付くのである!(大笑)
俺はそんなに偉くなったのかと我ながら驚いたが、「学士様」と呼ばれるほど勉強をしていなかったことを恥じたものである。
ここの学部の場合、どうなるんだろう?
生命環境学士?
教育人間科学士?・・・(笑)
なんのことやら、さっぱりである・・・
最近は、わけのわからん学部名が増えているような気がする。
それ、専門学校じゃないの?・・・と言いたくなるような学部名、学科名もある。(大笑)
そのうち「ペン習字学部」とか、「絵手紙学部」なんていうのが出来るんじゃあるまいな?(大笑)

まぁ、なんでもいいけど・・・勉強をして下さい・・・(笑)
いずれにせよ、ホームレスに毛が生えた程度の服装で大学に通うのはやめましょう!(大笑)
学士様になるのに・・・ちょっとその服装は似合わない・・・

さて・・・
時刻は、ちょうどお昼!
大学の近くなら、飲食店があるんじゃないかと思っていたのだが・・・
何もない!(大汗)
食事が出来る様な店がない!
喫茶店すら見当たらない!
唖然・・・・である。

旅行 | 13:49:23 | Comments(0)
甘利備前守虎泰屋敷跡
107_convert_20131016220051.jpg
(山梨県甲府市・護国神社の前)

板垣信方と並ぶ武田家の重臣
甘利備前守虎泰
(?~天文17年2月14日)

武田氏の譜代家老で、板方信方とともに両識(りょうしき)という最高職に就任していたとされる重臣。
甘利氏は、甲斐源氏の支流にあたり、武田氏を支えて活躍した。
本拠地は甘利荘(あまりのしょう)と呼ばれた地域で、そこに館(やかた)(現在の韮崎市大輪寺)があった。
武田信虎・信玄2代の重要な作戦のほとんどに参加したといわれ、百騎の士卒を率いていた。
天文15年(1546)8月、信玄が信濃志賀城(佐久市)の笠原清繁(きよしげ)を攻めた際に、関東管領上杉憲政(のりまさ)の援軍を、虎泰は、板垣信方らとともに、小田井原(おたいはら)の合戦でこれを撃破している。
同17年(1548)2月、信玄が村上義清と戦い、初めての敗戦を喫した上田原(うえだはら)の合戦で戦死した。
その跡は、ただちに息子藤三昌忠(とうぞうまさただ)(後に左衛門尉(さえもんのじょう))が継いだ。

(説明板より)

史跡 | 12:58:43 | Comments(0)
山梨県護国神社に行く
甲府駅を降り、タクシーで護国神社に向う。
もう胸ワクワクである。(大笑)
なぜなのか知らないが、拙者は護国神社が好きなのである・・・(大笑)

008_convert_20131016133221.jpg

010_convert_20131016133254.jpg

境内には誰もおらず・・・静か・・・
早速、お参りをする。
ここ甲府には歩兵第49連隊があった・・・・
フィリピンのレイテ島で壊滅した部隊である。
だから、どうしてもお参りしたかったという思いもある。

081_convert_20131016135713.jpg 082_convert_20131016135758.jpg

境内には各種の慰霊碑・顕彰碑が建っている。
これを一つ一つ見ながら写真も撮影する。
最もワクワクするひと時なのである。

ここには、殉職自衛官の顕彰碑も建立されている。
「殉職自衛官顕彰碑」がある護国神社というのは、珍しいのではなかろうか?

024_convert_20131016140403.jpg

境内には「山梨宮」という社がある。

022_convert_20131016141718.jpg

ご祭神は・・・・
国学者の加賀美光章・・・・
心学者の志村天目・・・
御岳新道を開削(天保14年完成)した長田円右衛門・・・
徳島堰を開削(寛文11年完成)した徳島兵左衛門・・・
郡内の義民大総代の関戸左近・・・
太枡事件主唱者の金子重右衛門と同じく三沢重右衛門・・・
節婦のくり女・・・
この7名がご祭神だそうである。

太枡(ふとます)事件って何だろう?
ネットで調べてみたら、百姓一揆の一つらしい。
寛政4年に起こった事件らしい・・・
多分、年貢の取立てのやり方のことだと思うが、今まで使用してきた甲州枡に代わって、新枡(太枡)を使うことになったことで年貢の取立てが厳しくなったのだろう。
江戸に上って、この新枡の使用に対しての強訴をしたのが、この事件らしい。
当時は強訴を禁じられていたから、当然、捕まって処刑されたのだろう。
お二人とも「寛政5年7月没」と刻されている。
そういうことで、ご祭神になったらしい・・・

節婦とは何だろう?
「節婦(せっぷ)」とは、「節操のかたい女性」のことを言うらしい・・・
享保13年に大水害が起こり、「くり女」という女性の家も洪水に襲われた。
その時に、老母をまず最初に避難させて、取って返して、病床の夫を助けようと試みる。
しかし、身動きの出来ない夫を担ぐ間もなく濁流に飲まれて命を落としたらしい。
希に見る「節婦」であるとして、ご祭神に祀られたようである。

今では「節婦」などという言葉は「賢婦人」と同様、死語になっている気がするが・・・
まぁ、節操のない人間が多いから、無理もないか?(笑)
現代でも、「節婦」と呼ばれていい女性はいると思うが・・・(いや、いて欲しい・・・)(笑)
拙者は・・・・「節夫」になりたいが独身だから「夫」は無理か・・・(大笑)
「節夫(ふしお)さ~ん!」と呼ばれても困るし・・・(大笑)

071_convert_20131016155723.jpg

ここには「軍神 若林東一 顕彰碑」というのが、告知板のようなものと一緒に建っている。
拙者が会員になっている「騎兵第14連隊会」の会長から数年前に、顕彰碑を建立した話を聞いた覚えがある。
若林さんは山梨県出身だったので、山梨県護国神社に建立したと言っていたと記憶している。
会長さんは、士官学校同期だったのかな?
何かそういう関係で、顕彰事業をやっていたような話を聞いた覚えがある。
若林東一さんが“有名”になったのは、太平洋緒戦の香港攻略戦の時の活躍だったと思う。
士官学校を首席で卒業した優秀な人だったそうで、中隊長、中尉だった。
学業だけではなく、人物的にも、なかなかの人格者で、部下からの人望が篤い人だったそうだ。
一般中学から、いきなり士官学校に進んだ“エリート”とは違い、一兵卒から下士官まで進み、改めて士官学校を受けたという人だから、いわば“一兵卒からの叩き上げ”だからなのかもしれない。
その後、ガダルカナル島に転戦し、そこで戦死して大尉に昇進したと思う。

若林中隊長は負傷したにもかかわらず、治療のために後方に下がろうとはせず、そのまま部下の下に戻り、「後に続くもの信ず」との言葉を残して戦死したという。

拙者は以前、ガダルカナル島に慰霊巡拝に行ったが、他の部隊の遺族会と一緒だったので、若林東一中隊長が戦死した「見晴台」が、どのあたりなのかを調べることができなかった。
どのあたりか?あっちの山か?こっちの丘か?・・・とキョロキョロして終わり・・・(涙)
申し訳なし・・・
一応、顕彰碑に謝る。(笑)

075_convert_20131016211007.jpg

ここには海軍の慰霊碑も建立されている。
ん?・・・海軍?・・・海がない山梨県なのに?(笑)
碑文によれば、山梨県出身の海軍関係者4702名の慰霊と顕彰のために建立されたそうである。
へぇ~戦没者だけで4千名以上もいるとはねぇ~
軍艦に乗っていたのか、航空機に乗っていたのかは知らないけど・・・
意外にも海がない県からも海軍に大勢の人が入っていたんだ・・・

慰霊碑を見て歩いていたら、ちょうど先生に引率された幼稚園児たちが、境内の裏のほうからやってきた。
どうやら近所に幼稚園でもあるようで、散歩のルートなのかもしれない。
「ちょっと神様に挨拶しようか?」と先生・・・
「それじゃ、2回、ペコリってやってから、2回パチンパチンと拍手して、最後にもう1回、ペコリってします!わかったかなぁ~!」と大声で言っているのが聞こえて来た。(大笑)
“一礼”というのを「ペコリ」っていうのは良い表現だねぇ~(笑)
出来れば、“神様”が戦争で亡くなった人達だと教えてもらいたいものだが、それは幼稚園児には無理かなぁ~(笑)
いやはや、なかなか良い心がけです。
可愛い園児たちに“ペコリ”とされたら、英霊達も喜んでいることだろう。
50過ぎの中年に“ペコリ”をされるよりは、いいに決まってるよな?(大笑)

なんだかんだと、結局、護国神社に1時間半もいた・・・(大笑)

で・・・
神社の入口まで戻ってきたら・・・

106_convert_20131016213610.jpg

普通さぁ~・・・鳥居の真ん前に車を停めるかぁ~?(怒)
拙者の常識では考えられないんですけど!
まぁ、その程度の人間だってことですね・・・(唖然)

護国神社入口の直ぐ脇に『甘利備前守虎泰屋敷跡』の看板が建っていた。
この人は、武田氏の重臣なのだそうだ・・・
拙者には、さっぱりわからんが・・・(笑)

ん?・・・甘利?・・・どこかで聞いたことがあるような・・・
あの「甘利特命大臣」は子孫なのかな?(笑)
(あとで調べたら、本当に子孫だそうである)

ちょうどタクシーがやってきたが・・・
さて、ここからタクシーで駅に戻ったのでは芸がない。(笑)
まもなくお昼になるが・・・
テクテクと駅のほうへ向って歩いてみるか・・・
途中で、食事が出来る場所が見つかるかもしれないし・・・・
というわけで・・・歩くことにした。

旅行 | 12:21:04 | Comments(0)
魚籃観世音菩薩
001_convert_20131016094007.jpg
(山梨県笛吹市・石和温泉)

由来

石和の地に温泉が湧き出て以来30年余、私どもは調理師として日夜研鑽を重ね、一人でも多くのお客様に満足していただこうと努力を続けてまいり、いまや石和は内外に著名な一大観光温泉地となりました。
しかし、その陰に美味しい料理を供するために犠牲となった、魚介類をはじめとする数多くの生き物たちのいたことを忘れることはできません。
お釈迦様は生き物を殺すことを第一に戒めておられますが、姿かたちこそ違え、人間も魚介類も生命の尊さに差異はありません。
お客様に喜んで頂くための仕事とはいえ、日々生き物を扱う我ら調理師の等しく心を痛めるところであります。
今、犠牲になった多くの魚介類に心から感謝すると同時に、その霊が大慈大悲の観音さまの胸に抱かれてどうか安らかにと願い、ここに三十三観音の一ツ「魚籃観世音菩薩」の尊像を建立して、供養の気持ちを表すものであります。
伏して願わくは、浄財寄進の功徳主、並びに全国よりこの地を訪れし方々各家の諸難消除、子孫長久、家内安全、商売繁盛、諸縁吉祥ならんことを

合掌

平成5年8月吉日 除幕開眼之辰
石和保健所管内東八代調理師会
会長  小林智勇
副会長 古屋貞良
同   原 瑛一
同   角田紀昭

(由来碑・碑文)

史跡 | 11:22:35 | Comments(0)
甲府に向う
バイキングの朝食をとり、ホテルをチェックアウト・・・・
さぁ!護国神社に行くぞ!(笑)

ホテルからタクシーで駅に向ってもいいが・・・それでは面白くない。
どうも30分くらいかかるようだが徒歩で駅まで行く事にする。(笑)

004_convert_20131016093840.jpg

途中で、観音様を見かける・・・
「魚籃観世音菩薩」というらしい。
どうも調理師の人達が料理に使われた魚貝類の供養のために建てた観音様らしい。

魚を殺して食べておきながら、今更、供養もあるまいという考え方もあるかもしれないが・・・(笑)
我々は牛を殺し豚を殺し鶏を殺し魚を殺して食べて生きている。
他の者(物)の命を奪って自分の命を維持しているのである。
この地球が「猿の惑星」ならぬ「魚の惑星」だとしたら、魚を殺して食べている“人間”は極悪人である。(大笑)
我々は、彼らの命を奪っている以上、その分、有意義に生きなければならない。
にもかかわらず・・・
家に引きこもって、ゲームに興じたり・・・
パチンコ屋に入り浸って無駄に時間を浪費するなど言語道断である!(怒)
そんなことのために命を奪われたのではねぇ~
う~ん・・・やっぱり、供養をしてやるべきだよな・・・(笑)
あなたたちの命を有効に使っていない人達がいて、すみません・・・って謝らねば・・・(笑)
ん?・・・パソコンの前に座ることが日課という拙者も同類か?(汗)
いや、いや・・・おかげさまで旅をするエネルギーを与えていただきありがとうございます。
決して無駄な旅行は致しませぬ!
合掌・・・・

石和温泉駅・・・・
昨日は暗くなってから到着したので、よくわからなかったが・・・(笑)
小さな木造の駅舎である。
いいなぁ~・・・木造の駅舎!(嬉)

006_convert_20131016094244.jpg

こういう駅舎を見ると、親父の実家のある町の駅を思い出す。
拙者が小学2年か3年生の時に、一人で電車に乗って何度か祖父の家に行った・・・
その駅には八の字の立派なヒゲを生やした駅員さんがいた。
今では、こんな「八の字ヒゲ」を生やした人を見かけることはない。
それはそれは立派なヒゲの持ち主の駅員さんだった・・・
長岡外史の銅像を見ると、思い出す・・・(笑)

生まれて初めて一人で帰りの切符を買った時のこと・・・
「あのぉ~切符・・・ください・・・」
恐る恐る窓口で切符を求めた・・・(大笑)
と・・・この“ヒゲの駅員さん”が・・・
「はい!百万円です!」と言ったのである!(驚)
百万円!!
そんなの持ってないし・・・(大汗)
生まれて初めて買う切符が・・・百万円!(大汗)
「ひゃくまんえん・・・なんて持ってない・・・帰れない・・・」(大涙)
多分、拙者は、この時に半べそをかいたのだと思う。(大笑)
“ヒゲの駅員さん”が慌てて「今のは冗談だから!冗談!百円!百円のことを百万円って冗談で言ったの!」と言い訳をした。
「あ、百円なら持ってる・・・」

次回、この“ヒゲの駅員さん”に会った時、“百万円のおじさん”と呼んだら苦笑いをしていた。(大笑)

まもなく、この“百万円のおじさん”の姿が見当たらなくなった。
代わりに窓口の脇に自動券売機が置かれた・・・
この時の寂しさは今でも忘れられない。

今では、駅員さんと、こういうコミュニケーションを望むことは無理だろう。
全て事務的で・・・券売機の「ボタン」との“対話”だけ・・・
こういう小さな木造の駅舎を見ると“ヒゲの駅員さん”を思い出す。
もう45年ぐらい前のことなのに・・・
あの駅員さん・・・もうこの世にはいないんだろうなぁ~
「百万円!」の、あの冗談は、今でも拙者のいい思い出になっていることを伝えたいのだが・・・

007_convert_20131016094317.jpg(駅前の様子)

これから甲府に向う。
松本方面に向うわけだから、昨日から行ったり来たりしていることになる。(大笑)
改札口にカードをかざして通過・・・
う~ん・・・便利だけど・・・虚しい・・・

旅行 | 09:32:40 | Comments(0)
5年ぶりの松本!
今回の旅行は久しぶりの“国内一人旅”である。
まず、最初に・・・松本に行く事にした。
このことを話した途端に“ウメちゃん”から突っ込まれた。(大笑)

「山梨へ行くんだよね?」
「そうだよ~甲府!・・・甲府にある護国神社にお参りに行ってくるんだけどね。で・・・・最初に松本に行く!」
「そこがわからねぇんだよなぁ~」(苦笑)
「え?なんで?」
「松本は長野県だよね?」
「あ・・・そうかもしれない・・・」
「山梨に行くんだろ?なんで松本?・・・一体、今回の旅行は山梨なの?長野なの?」
「え~と・・・山梨・・・」(笑)
「はぁ?」
「まず、甲府を通過して松本へ・・・」
「え?通過しちゃうの?」(大笑)
「そう、通過しちゃう!」
「じゃぁ、松本へ行く旅行だよな?」
「いや、山梨へ行く旅だよ。山梨県護国神社に行くんだから・・・」
「なんだそれ・・・わからねぇ!さっぱり、わからねぇ!」

5年ぶりに松本の駅に降り立つ・・・
ここにはわが戦友会の会員・・・宮澤さんが住んでおられた。
5年前、初めて宮澤さんに会いに来た。
2・26事件に決起部隊に初年兵として関わり、太平洋戦争緒戦のマレー攻略戦の猛進撃も経験され、大戦末期のフィリピンでの負け戦も経験されている93歳・・・
長時間にわたりお話を伺った・・・
「また会いましょう!次回、もっと色々とオシャベリしましょう」とのお手紙を頂いたが、その後、拙者は会いに行くのを怠けてしまい・・・それから2年後・・・95歳でこの世を去ってしまわれた。
うっかりしていた・・・
いつ死んでもおかしくない年齢だということを、つい忘れていた・・・
大失敗である!(大涙)

宮澤さんはご夫婦お二人で住んでおられた。
お子様は出来なかったので、子孫はいないと言う。
今は奥様が一人でお住まいのはず・・・
お一人では寂しいだろうから、元気付けに行ってこようかと思い立ったのである。
どうも“ついで”じゃないと腰が上らないタチで・・・
これが拙者の悪いクセでもある。

宮澤さんがお亡くなりになって3年・・・
お線香も上げてあげたいし・・・

というわけで、まず最初に松本まで足を延ばす事にしたのである。

タクシーで宮澤さん宅のすぐ近くまで来てタクシーを降りる。
で・・・いきなり迷子・・・(大笑)
5年前に来た時は、三叉路だと思っていたのだが・・・
目の前にあるのは五叉路である!
なんと拙者の記憶のいい加減なことか・・・
え~と・・・どの路地を入るんだっけ?(大涙)

キョロキョロしていたら、拙者を呼ぶ声がする!
が・・・姿が見えない・・・
しばらくして、何かが動いている・・・あ・・・手を振っている・・・
ブロック塀の前に地味な服装で立っているので、背景に溶け込んでしまっていて見えなかったのである!(大笑)
あ!宮澤さん!(大喜)
わざわざ路地から道路に出て、拙者を待っていてくださっていたようである。

5年ぶりの再会!
お元気そうで良かった!(嬉!)

挨拶もそこそこに、奥様のお話が延々と続く・・・(笑)
さすがのオシャベリの拙者が口を挟めないんだから・・・(大笑)
お一人住まいだと、話し相手がいないから無理もないかなぁ~
奥様のお話をうかがっているうちに・・・あっという間に2時間が過ぎ・・・(大笑)
もう、帰らねばならぬ時間である。
あらら・・・
で・・・結局、拙者は何をしに来たんだっけ?
お会いしたら話そうと思っていたことがあったはずなのだが・・・忘れた・・・(大笑)

今日の宿泊は、石和温泉・・・・
山梨に戻る。
お寺の研修旅行で宿泊した大型観光ホテルを予約しておいた。
一度宿泊した場所なら気が楽である。(笑)

石和温泉駅の駅前で夕食を食べ、タクシーでホテルに向かいチェックインする。
温泉に入り、気分転換!(大喜!)

日記 | 16:41:12 | Comments(0)
山梨へ行く
今日から2泊3日で山梨へ行く。
この間、お寺の檀家の「研修旅行」で山梨へ行ったが・・・
山梨県護国神社のすぐ目の前まで行っていながら、お参りが出来なかった。
まぁ、お寺の旅行ですから・・・(笑)
神社に立ち寄るわけはないとは思ったが・・・(大笑)
それにしても、なんとも残念・・・
どうしても、この思いが抜けない・・・

そのうち・・・いつか・・・
などと思っていては、いつまで経っても行くことは出来ないだろう。
今までも、そうやって行動を起こさず失敗を重ねてきた。
“思い立ったら吉日”である!
行くしかあるまい!(大笑)

というわけで・・・山梨へ向う。

日記 | 14:46:58 | Comments(0)
投票日!
今日は、茨城県知事選挙の投票日!
歴代知事選投票率、全国ワースト1位を狙うには、拙者は投票に行かなければいいわけだが・・・(笑)
まぁ、そういうわけにもいくまい・・・(大笑)
性格的に、そういうことが出来ない・・・(涙)

というわけで・・・真面目に投票に行く。
しかし、我が親父は・・・棄権!(唖然)
天気が悪いとか・・・・
投票所まで歩いて行く気が起こらないとか・・・
最後には、体調が悪い・・・胃の調子が悪いとか・・・
何だかんだと理由をつけて、投票に行きたがらない。

本音は、どうせ誰が当選するかわかっているんだから、わざわざ自分が投票に行く必要はないだろう・・・ということらしい。
あ・・・やっぱりね・・・
典型的な「茨城県人」だな・・・(大笑)

仕方がない・・・
今回は、拙者一人で投票に行く。

さぁ、投票率はどうなるか・・・(大笑)

日記 | 08:38:28 | Comments(2)
朋あり遠方より来る
今日は、元・同業者の後輩である“ムナカタくん”が、わざわざ東京から会いに来てくれた!
いやぁ~嬉しいねぇ~(大喜)

会社を廃業する時に会ったのが最後だから・・・7年ぶり?8年ぶり?
最近になって、ふと、拙者に会いたくなったそうで・・・(笑)
それで、電話をかけてきた。

彼は我が業界青年部の会員だが、滅多に会合に出てこない出席率の悪い後輩だった。(大笑)
我が青年部は、静岡あたりから北海道までの東日本がテリトリー・・・
拙者が運悪く(大笑)この青年部の会長をしていた頃に、廃業することになったのではないかと思う。
どうも、そのあたりの記憶が曖昧なのだが・・・(涙)
会長職の任期満了までキッチリやっていたし・・・
総会でも議長席に座った記憶がある。
となると・・・会長の任期が終わった年の年末に廃業したのか?
でも、OBになった記憶がない・・・(大笑)
あれ?拙者はいつ会長をやったんだ?いつ廃業したんだっけ?・・・・わからん・・・(大涙)
拙者が会長をしていた時に彼は会合に出席してくれていたかどうかも覚えがない。
毎月1回、東京で開催される例会なのだが・・・丸々1年、会っていなかった?(汗)

今日は、我が家の近くのホテルに宿泊するので、一緒に酒でも飲みませんかとのお誘い。(喜)
彼と一緒に酒を飲むのは何年ぶりだろう?
拙者が会長になる、もっと前のことだから・・・10年は経っているな・・・(笑)
10年ぶりの飲み会か?(笑)

夕方、東京から到着した“ムナカタくん”を迎えにホテルに行き、再会!
が・・・10年近く会っていなかったので・・・顔を忘れていた・・・(大笑)
拙者の記憶には、小柄で痩せた彼の姿しか残っていない・・・
ところが、彼はいつの間にか「中年太り」(大笑)・・・ふっくらとしていたんだから、見間違えた。(大笑)
「え~と・・・あれ?・・・あれ!いやぁ~!」・・・である。(大笑)

積もる話も山のようにある・・・と思いきや・・・(笑)
悲しいことに、拙者の記憶が余りにも悪すぎるので、話がチグハグになってしまった。(大汗)
拙者が“廃業”を決めて、会社の設備を整理する時に、彼は我が社に初めて来たと言う。
え?我が社に来たことがあるの?(唖然)
で・・・拙者の会社の機械を買おうかどうしようかと、説明を受けに来たそうなのだが・・・
拙者には全く、その記憶が無いのである!(大笑)
「え?そうだったっけ?」
「あのときに丁寧に説明してもらって、機械のことを勉強させてもらったんですよ」と言う。
「はぁ・・・」(汗)

拙者は、かなり記憶力が悪いのは自覚しているが・・・(笑)
ここまでヒドイとは・・・(涙)
“廃業”で必死だったせいなのか?(笑)

「結婚した話・・・しましたっけ?」と彼・・・
「へっ?・・・結婚したの?」(大汗)
さて・・・拙者の記憶では・・・一緒に酒を飲みに行った頃は独身だったよな?(笑)
その後、結婚式に呼ばれた憶えもないし・・・
会長として「お祝い」を渡した覚えもない・・・(笑)
あれれ?・・・それ・・・いつの話?(大笑)

彼は一児をもうけた後、まもなく離婚して、今は独身だと言う。
いつ頃結婚して、いつ頃離婚したのかを聞いても、拙者自身が、その頃、何をしていたのかが思い出せないんだからどうしようもない・・・(大汗)
こりゃ、“自分史”の年表でも作っておかないとダメだな・・・(大笑)

自堕落な生活を何年も送っているうちに、拙者の脳は退化してしてしまったのだろうか?(大汗)
「え?その頃、俺は何をしていたんだろ?」の連発である。(大涙)

拙者が、“業界”を去った後、廃業や倒産している会社もあるという。
へぇ~・・・この7年ほどの間にねぇ~・・・・
へぇ~・・・あの歴史のある会社がねぇ~・・・・
いやはや、“浦島太郎”状態である。(大笑)

拙者は普段、地元で酒を飲み歩いたりしないので「飲み屋」を知らない・・・(笑)
適当に、入ったことも無いスナックに入ってみる。
なんとも危なっかしい“接待”だが・・・彼には勘弁願おう。(大笑)
と・・・
店の女の子・・・どこかで見たことがあるような・・・
話をしたら、20年ほど前に会っているという。(大笑)
世間は狭い・・・
そこへ、お店の“ママさん”が・・・
拙者の顔を見て、「あらぁ~!お久しぶりです~!」と言われたが・・・まったく覚えが無い・・・(大笑)
この“ママさん”とは15年ほど前に会っているという・・・(大汗)
しかし、申し訳ないけど・・拙者には記憶が無い・・・(大笑)

それにしても・・・なに・・・これ・・・である。
何年ぶりかの再会・・・という人が一気に3人に増えてしまった・・・(大笑)
これには“ムナカタくん”も呆れ顔・・・
不思議なこともあるものである。

それにしても、この記憶力の悪さ・・・
我ながら呆れるほかはない・・・
一体、拙者は、どういう人生を今まで送っていたんだ?(大汗)

いずれにせよ、倒産して夜逃げ・・・などということにならなかったからこういうことに出会ったわけで・・・
完全に廃業する予定が、“実質”廃業という形で収め、今もって名前だけは残して、“社会”との繋がりをキープしていたから、こういうことに出会ったわけでもある。
そう考えると、やっぱり“廃業”の決断は“正解”だったなと改めて思う。(笑)

トンチンカンな思い出話で花を咲かせ・・・午前0時に解散!(笑)
ホテルまで彼を送って、帰宅する。

日記 | 07:25:29 | Comments(0)
最悪の危機?!(大笑)
今月の8日に、我が茨城県の知事選挙がある。
拙者は、うっかり立候補をするのを忘れてしまったのだが・・・(大笑)

で・・・その投票率・・・
どうも、今回の選挙は、全国の知事選で最低の投票率になる可能性が高くなっているというのである!(大笑)
いいではないか・・・
なんでもかんでも「全国ワースト1位」の茨城県なんだから・・・(笑)
ここは知事選投票率、全国ワースト1位という“汚名”も頂こうではないか?(大笑)

県の選挙管理委員会では、5日正午現在の期日前投票率が4.09%と低迷しているので、異例の緊急声明を発表したのだそうだ。(笑)
期日前投票は、何らかの理由で投票日当日に投票に行けない人が投票するんでしょ?
その投票率が少ないということは、みなさん、当日に投票に行くということじゃないの?(笑)
え?そうじゃない?・・・そんなには甘くない?(大笑)
期日前投票率に比例して当日の投票率も低くなると“読んで”いるようである。
う~ん・・・さすがは茨城県民・・・レベルが低い・・・(大笑)

県の選挙管理委員会では各市町村の選挙管理委員会に投票の呼びかけを強化するように要請したという。
県から言われたからといって、そうそう素直に「はい、わかりました」と市町村が動くとは思えないが・・・(大笑)
県の選管委員長は「有権者の皆様、是非自らの幸せのためにも必ず投票に行ってください!」と訴えたという。
う~ん・・・自分が幸せになりたいために知事を選ぼうという県民が何人いるか・・・(大笑)
せいぜい、県の公共事業を受注したいという人ぐらいじゃないの?(笑)
自分の幸せ、自分だけの幸せを求めるような人は、投票日には投票に行かず、どこかへ遊びに行くんじゃないかなぁ~(大笑)

都道府県知事選の投票率歴代ワースト1位は、2011年の埼玉県の知事選で、投票率は24.89%だった。
これを抜けるか・・・いやぁ~楽しみな選挙になってしまったぞ!(大笑)

ちなみに・・・
2位は1981年の千葉県知事選挙。
3位は2005年の広島県知事選挙。
4位は2007年の埼玉県知事選挙。
5位は1996年の栃木県知事選挙。
6位は1997年の千葉県知事選挙。
7位は1954年の千葉県知事選挙。
8位は2001年の茨城県知事選挙。
9位は2001年の広島県知事選挙。
10位は1985年の千葉県知事選挙・・・である。

ワースト10位の中に、千葉県は4回、埼玉県は3回、広島県は2回も入っている。
埼玉県も千葉県も東京の「ベッドタウン」だから投票率が悪いのか?
夜になって寝るために帰るだけだから、別に知事が誰になっても関係ないということか?(大笑)
それとも、自分は東京都民と勘違いしている人が多いとか?(大笑)

茨城県は第8位に1回だけしか名を連ねていない・・・
“なんでもワースト”に名を連ねる常連として、こういうことでいいのだろうか?(大笑)
今回の選挙で、歴代ワースト10位の中に2回、名を連ねるべきではなかろうか?(大笑)

現職の橋本知事は官僚出身で当選5回・・・6選目を狙う。
役人出身だから、これといった大きなミスは起こさないし、実際に起こしてこなかった。(笑)
過去に何度か知事にお会いしたことがあるが、悪い人じゃないし・・・(大笑)
無難な人といえば、無難な人かもしれない。
今回の選挙の対抗馬は大学の元副学長さん。
失礼ながら、どちらかといえば無名・・・しかも新人・・・
こうなると、なかなか難しい・・・

多選阻止・・・という考えが県民にあれば別だが・・・
文句を言う割には、結構、変化を好まず・・・
何だかんだと言っても、結局は、現状維持のほうが安心できる・・・という人が多いんじゃないのかな?
「まぁ、今まででいいんじゃないのぉ~」という考えの人は、わざわざ現職に投票しには行かないだろう。
自分が投票に行かなくても現職が勝つから・・・という考えだろうから・・・

これが県民性というものかも・・・・
投票することで自分も選んだ以上、その責任を分担するという考えはない。
そういう考えで投票するわけじゃないから、後々に有権者を裏切った候補者を徹底的に叩くということもしない。(笑)
あの民主党の大勝・・・有権者の期待を裏切ったにもかかわらず民主党に投票した多数の有権者が大人しいのを見てもわかる。(大笑)
有権者は無責任なのである。
そういう連中に「投票しましょう!」と呼びかけてもムダである。

卵やらジュースやら、物をもらえるなら献血に行くが、何もくれないのなら献血なんかはしない、という人間が多いんだから・・・(唖然)
過去に街頭で献血の受付や呼びかけの手伝いをしたことがあるが、開口一番に言われたのは「何がもらえるんですか?」である。(唖然)
エサで釣らない限り投票率は上るまい。(大笑)

もしかして、日本人には「選挙」というのは不向きなのではなかろうか?
誰か自分以外の人が選んだ藩主様とお代官様の指図に従って・・・・というほうが日本人には向いているのではなかろうか?(大笑)
DNAがそうなっているんじゃないのか?
そうそう、容易くは西洋化していないのではないか?(大笑)

投票日・・・楽しみである!(大笑)

日記 | 18:52:55 | Comments(0)
これは褒めるべきか・・・
拙者の町の隣りの市の市役所で・・・
社会福祉課が管理していた手提げ金庫から現金15万2千円が盗まれた。

で・・・
盗難から12日後に、この現金が謝罪文とともに郵送されてきたという。(驚)

社会福祉のお金を盗んでごめんなさい・・・ということか?
しかも、驚いたことに、返送されてきたお金は15万3千円!
1000円多かったという!(驚)
これまた、ごめんなさい・・・ということで犯人が1000円を足して送ってきたのだろう。

いやぁ~世の中には奇特な“泥棒”もいたもんだ・・・(大笑)
たいした“泥棒”である!
見上げた根性である!
と・・・褒めたい気持ちも起ころうというものであるが・・・

やっぱり、盗んだことは悪い・・・
返せば良いというものではなかろう・・・
犯人を見つけ出して厳正に処分をしなければ・・・という意見もある。

が・・・しかし・・・
1000円多くして返してくれたんだからなぁ~(大笑)
これは、褒めるべきか、叱るべきか・・・(大笑)

盗難にあった状況からいって、内部犯行の可能性が強いような気がするが・・・
手提げ金庫の中の約40万円のうち12万2千円が盗まれたというのだから、どうもおかしい。

さぁ、こうなると、犯人探しをすべきかどうか・・・難しいぞ。(笑)
拙者としては、犯人探しはしないで、不問に処すべきではないかと思うのである。
そうすれば、他の部署でも横領や使い込みをやった“犯人”が郵送で返金してくるかもしれないではないか?(大笑)
返せば不問にしてくれるなら・・・(笑)
これが全国に広がると、中央省庁でも、続々と横領や使い込みをした“犯人”が返却してくるかもよ。(大笑)
しかも、“御迷惑料”として、いくらか増やして・・・・
そうなったら・・・消費税の税率を上げなくて済むかも・・・(大笑)

いいんじゃないのかなぁ~不問に付しても・・・(大笑)
期間限定!・・・今なら許す!(大笑)

しかし・・・
12万2千円を返してくれればいいものを1000円多く返された市役所も困っただろうなぁ~(笑)
これ、会計処理はどうするんだろう?
雑収入として処理するしかないか?
余計なことをしやがって・・・と担当者は頭を抱えているかもしれない。(大笑)

重ね重ね、ご迷惑をかけているかも・・・(大笑)

エッセイ | 14:09:19 | Comments(0)
婚外子の相続
「婚外子」というのは、婚姻届を出していない男女の間に生まれた子供のことを指すのだそうだ。
婚姻届を出さない・・・というのもいかがなものかと思うが・・・
色々と複雑な事情というのはあるのでしょうけど・・・

わかり易い例は「愛人」である。
妻と子供がいながら、愛人を妊娠させる男も男だが・・・
その子供を産む女も女である。

かわいそうなのは、産まれて来た子供で・・・子供には罪はない。

この婚外子の遺産相続は民法の規定では、法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分だというのだが、これは憲法違反だという婚外子からの訴えに対して裁判所が、この訴えを認め違憲の判決を出したという。

いやはや、驚いた・・・
婚外子にも相続する権利があること自体に驚いたのだが、半分ではいけないと言うとはねぇ~

妻と子供2人がいる「夫」が2000万円の遺産を残して死んだとする。
そうなると、通常は、妻が1000万円、子供2人が、それぞれ500万円づつ相続することになる。
が・・・
これに愛人と一人の婚外子がいた場合、どうなるのかというと・・・
愛人には遺産の相続の権利はないが、婚外子には相続を認めているので・・・
妻が1000万円で変わらないが、法律上の子供(嫡出子)2人はそれぞれ400万円に減り、婚外子に200万円が渡るというのだ。
これが現行の民法の規定である。

へっ?・・・嫡出子の相続分が減っちゃうの?(汗)
よく今まで嫡出子が文句を言わなかったものだ。

ところが、婚外子のほうは、この200万円でも不満だというわけで・・・
嫡出子と差別をするな!カネをもっとよこせ!同じ額にしろ!・・・という訳でしょ?(笑)
“えげつない”と言うか・・・何と言うか・・・

相続に差をつけるのは「法の下の平等」に反していると言うが・・・
そもそも「妻」と「愛人」を平等に扱ったのでは、それは「重婚」と同じじゃあるまいか?
最初から平等じゃないんだけど・・・
平等を訴えるなら、最初の時点の「重婚」を認めさせるべきではないか?(大笑)
それなら“第1夫人”の子供と“第2夫人”の子供の相続額が同じでもわかるが・・・
どうなんだろ・・・これ・・・

婚外子は「不当な差別」だと言うが・・・
生まれて来た本人には同情するが・・・
文句を言うなら国ではなく、産んだ母親に言うべきではなかろうか?

海外からも従来の日本の法制度に批判が出ているようで、婚外子差別の撤廃を国連が勧告しているという。
どうなのかねぇ~
外国のやることが全て正しいと言えるのかねぇ~

事実婚やシングルマザーなど、“家族”の多様化が進み、個人がより尊重されるようになったのだから、こういう差別は許されない・・・という考え方が裁判官にはあるようで・・・
「個人主義」は個人の選択の自由である。
ならば、トコトン個人主義に徹するべきで・・・
「普通の人」と違うことをやっておきながら、もらえるものは「普通の人」と同じくもらおうというのは、いかがなものか・・・
何かというと、すぐに“差別”を持ち出して、ねじ込んでくる「個人主義」までも容認すべきなのかねぇ~

その昔・・・
拙者の子供を産みたいと迫ってきた女性がいた・・・(これ、実話です)(笑)
「子供だけが欲しいだけで、旦那はいらない」と言う。
優秀な拙者の血を引く子供だけが欲しいのだそうで・・・(これは冗談です)(笑)
拙者のことは“いらない”そうだ・・・・(大涙)
当然、断ったが、彼女はその後、すぐに他の男と合体して・・・(大笑)
婚外子を産んだ・・・(唖然)
片親では子供が可哀想だから結婚すべきだと言ったが、聞く耳を持たない・・・
この時「子供はペットじゃないんだぞ!」と叱りつけたのだが・・・
婚外子を産んだ・・・
この相手の男が赤ん坊に会いに来た時、彼女は「不法侵入」ということで警察を呼んだのである!(驚)
本当に彼女は“種”が欲しかっただけで、“男”は、いらなかったそうで・・・パトカーを呼んで“父親”を追い出したことを自慢していたが・・・
呆れる所業である。(怒)
生まれてきた子供のことは全く考えていない・・・・

いつも「婚外子」という言葉を聞くと、彼女のことを思い出す。
子供には罪はないが、母親である彼女には大いに罪はあるのではないか?
個人主義・・・何をやろうと個人の自由だろうが・・・
拙者には理解できない。

あのときに、その気にならなくて良かったと今でも思っている。(大笑)
結構美人でスタイルも抜群で、人気のある子だったが(笑)・・・性格が合わない・・・
だから間違っても結婚する気は拙者にはなかった。
にもかかわらず・・・“種”を蒔いたらマズイでしょ?(大笑)
常識のある人は、普通、そう判断するんじゃないか?(大笑)

拙者は、今のまま・・・独身のままこの世を去ることになるだろう。(大笑)
そうなると、仮に婚外子がいた場合、どうなるんだろうか?
親から引き継いだ財産の全てが婚外子に渡ることになるのだろうか?
う~ん・・・それでは、拙者の妹と弟が怒るだろうなぁ~(大笑)
お兄ちゃんの一瞬の「種蒔き」のせいで全財産を持っていかれたら・・・・(大笑)
母親が非常識なら、その子供も非常識だと言われたら、婚外子がかわいそうである。
やっぱり“種”を蒔かなくて良かった・・・(大笑)

「差別をなくせ」とか「憲法違反」だとかと言うより、「婚外子」という言葉がこの世からなくなるような方法を考えるべきではなかろうか?
何かいい方法はないものだろうか?
法的に整備して「婚外子」というものを無くす方法はないだろうか?
やっぱり、一夫多妻制しかないか?(大笑)

まぁ、大人(親)が、しっかりしていればいいことなんだろうけど・・・これは・・・

ところで・・・
今回の裁判は、婚外子が死んだ“父親”の財産を、“嫡出子”と同じ比率で相続させろと訴えたわけだが・・・
これ、財産がなくて負債の場合はどうなるんだろうか?(大笑)
誰もこのことには言及しないんだけど・・・
負債も当然、相続するんだよね?
まさか、「負債はいりません。私は婚外子だから・・・」とは言わないよね?

エッセイ | 11:38:59 | Comments(0)
前のページ