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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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佐藤さん・・・逝く
戦友会の佐藤さんの奥様から突然の電話・・・・
ご主人がお亡くなりになったと言う・・・
「絶句」という言葉があるが、まさしくこのことを言うのだろう・・・
何も言葉が出ない!

今月の20日に突然、心不全でお亡くなりになられたと言う・・・
葬儀は家族だけで、出身地の岡山県で執り行い、すでに済ませたという。
香典等は、そういうお金を出すのであれば英霊の慰霊の方に使ってもらいたいので、辞退するとの事・・・

あ~あ~・・・ショックである!
佐藤さんには我が戦友会の監査役を務めてもらっていたのである。
毎年、この時期に東京の新橋駅前の喫茶店で会計監査をしてもらっていた・・・
我が戦友会の会計年度は1月1日から12月31日である。
12月31日で会計を締めるのであるが、1月、2月は寒いので、わざわざ外に出てきてもらうのは申し訳ない。
ということで、暖かくなる3月、4月に拙者が作成した決算書を見てもらい監査を受けてもらうことにしていた。

しばらく前から、胸騒ぎだろうか・・・そろそろ連絡をしようかな・・・と思っていたのだが・・・
台湾へ行ったりしていたので、もう少し後になってからにしよう・・・などと思ったのがいけなかった・・・
いやぁ~マイッタァ~!(大涙)

考えてみれば、佐藤さんは90歳なのである。
いつどうなってもおかしくないのだが・・・見た目が拙者の親父(84歳)より一回りくらい若く見える。
どうみても70歳代程度にしか見えないのである。
で・・・ついつい、90歳だということを忘れてしまう。

昨年の会計監査の時に、“もし万が一のことが起こったら”という時にはどうしようかと善後策を話したことがあったが・・・
結局は明確な回答が得られなかった。
「とにかく、他人から会費を集めている以上、決算書の作成と公表だけはやらなくちゃダメだ」と釘を刺されただけである。
会計監査役は誰に頼めばいいか・・・となると・・・誰もいない・・・(涙)
皆さんご高齢なので頼むに頼めない・・・
とにかく決算書だけは作り続けろ・・・で話が終わってしまった・・・

で・・・ついに、現実にその“万が一のこと”が起こってしまった・・・
いやぁ~会計監査無しで決算をするしかないな・・・これ・・・・

佐藤さんは戦車第6連隊所属の軍曹・・・
本隊が満洲からフィリピンへ転戦する時に、佐藤さんは残務整理係として満洲に残るように命令された。
「後から本隊を追求してくるように・・・」とのことだったが、その後、東京へ出張を命じられ、そのまま・・・
フィリピンへ行きたくとも、もう、いく手段がなかったのである。
「後から来いよ!待ってるぞ!」の戦友の声が耳に残っていると言う。
佐藤さんのせいではないが・・・戦友を裏切ってしまったという思いがあるようで・・・
仲の良かった戦友はみんなフィリピンで戦死してしまい、佐藤さんは東京で足止めを受けたまま終戦を迎え生き残ってしまった。
人の運命はわからんものである。
自分の意志とは無関係・・・・
残務整理を命じられていなかったら、多分、他の戦友と同様に佐藤さんは戦死していただろう。

昨年の10月にフィリピンへ行き、戦車第6連隊の激戦地、ムニオスを訪問したが・・・
今回の会計監査でお会いする時に写真などをお見せして旅の報告をすればいいか・・・と思っていたのだが・・・ついに、その機会を失ってしまった・・・・
やっぱりお手紙で報告しておくべきだったか・・・
大失敗である・・・・(涙)

以前、戦友会の今後のことで話しあった事がある・・・
「戦後50年たったからとか、昭和から平成になったからとか、そういう理由で戦友会を解散して慰霊祭をしなくなっているが、俺達生き残った者は、死ぬまで戦友の慰霊をしなくちゃならないんだ。途中でやめるなんてとんでもない話だ。戦友に申し訳がないだろ?」と怒ったような言い方で言われたのを覚えている・・・
拙者も同感である・・・
この時、皆さんがこの世を去るまでは戦友会を解散させないようにします・・・とお約束したのである。

だが、次々と“戦友”がこの世を去っていくと、拙者としては、ちょっと心細い・・・
果たして約束を守れるかなぁ~・・・

佐藤さんと初めて会ったのは、今から9年前の平成16年のことである。
京都で総会が開催され、拙者は初めて一人で参加した・・・・
前年、伯父と二人で初参加、その半年後に伯父が亡くなり、祖父、伯父と二代に渡ってお世話になったお礼を言うために参加したのである。
当然、孫の世代での参加者は拙者のみ・・・
じゃぁ、受付を手伝いますと買って出たのだが、いつまで待っても誰も来ない。(大笑)
集合時間からかなり遅れてゾロゾロと会員の皆さんがやって来て・・・
いきなり・・・「京都駅に誰も迎えに出ていないとは何事だ!」と一喝された。
それが佐藤さん・・・(大笑)
いやぁ~恐かったぁ~(大笑)
こちらは受付の手伝いで、京都霊山護国神社のテントの下に座っていただけ・・・・
何が何やらさっぱりわからない中、怒鳴りまくられた・・・
責任者の稲垣副会長(当時、のちに第3代会長となる)は、サッサとどこかへ逃げ出してしまい、一方的に怒られ、とにかく何のことかわからないが謝ったことを今でも鮮明に覚えている。
この時の総会の時に当時の大谷第2代会長の許可を得て、この戦友会に入会させてもらった。
不思議なもので、あれだけ怒られたのに何故か入会したかったのである。(大笑)

この時の話を昨年会った時にしたら・・・
「え?俺が?そんなことを言ったの?全然覚えていないなぁ~。それが本当なら、申し訳ないことをしたねぇ~」と佐藤さんは笑った・・・
「え?全然覚えていないんですかぁ~?メチャクチャ恐かったんですからねぇ~あの時は・・・」(笑)
「いやぁ~悪い!悪い!・・・へぇ~そんなことあった?京都で?」(笑)
今ではいい思い出である・・・・

第2代目の大谷会長が亡くなった時に、山形県まで葬儀に参列するために出かけた・・・
葬儀の前々日の夜に連絡が有り、急遽、会社には「出張」と称して翌日慌てて出かけた・・・
葬祭場で戦友会の皆さんと会い、偶然にも帰りの新幹線は「飯塚曹長」と「佐藤軍曹」と一緒に帰る事となった。
葬祭場からタクシーで山形駅に3人で向かい、タクシー代1100円は拙者が出した。
と・・・佐藤さんが・・・
「タクシー代、いくらだった?俺達が払うから。え?1100円?飯塚曹長!あんた1000円だしてくれ!おれは100円出すから!」と平然と言ってのけたのには大笑い。
普通、割り勘なら、拙者と佐藤さんが500円で飯塚曹長は600円でしょ?(笑)
一階級上だから、100円増しというところが妥当でしょ?
佐藤さんはケロケロと言ってのけ、飯塚さんも「え?千円でいいの?」って言いながら素直にお金を出すんだから大笑い・・・
飯塚曹長殿は、同じ部隊の人じゃない・・・(大笑)
佐藤さんは戦車第6連隊だが、飯塚さんは方面軍の材料廠勤務だったと思う・・・
いくら階級が上だからって、1000円はひどいだろ・・・(大笑)

駅のホームで、佐藤さんが「ビールでも買ってくるかぁ~」と言う。
「では、一兵卒の私が買って参りましょう!」と拙者が言ったら真顔で怒られた。(笑)
「あんたをこき使ったら、俺達があの世に行った時に、あんたのおじいさんに怒られるからダメだ!俺が買いに行くから、あんたはここで待っていなさい」と言うのである。(大笑)

飯塚さんは平成22年に92歳でお亡くなりになり、佐藤さんもついにお亡くなりになってしまった・・・
二人とも本当に「あの世」に行ってしまわれた・・・
あの世で拙者の祖父に会っただろうか?
山形駅のホームでのやりとりが頭に甦る・・・・

毎年、会計監査の為に新橋駅前で待ち合わせをするが・・・
いつも、微妙に待ち合わせ場所が変わるのである。(大笑)
お互いに待ち合わせ時間前に「現場」には着いているのに、いつも時間通りには会えない・・・(大笑)
「あんた、どこにいたの?」
「毎年、ここに立っていますけど・・・」
「え?そうだっけ?」
「そうですよぉ~・・・佐藤さんはどこにいたんですか?」
「ん?あっち!」
「あれ?去年は、向こうにいましたよね?」
「え?そうだっけ?」
どうして微妙に場所を変えるのか・・・(大笑)

あ~あ~・・・・しばらくは新橋駅には行けないなぁ~
佐藤さんを思い出して寂しくなるから・・・・
あ~ツライ・・・・

恐い人だったが楽しい人でもあった・・・

拙者が死んであの世に行ったら三途の川の向こう岸に迎えに来てくれるだろうか?
微妙に待ち合わせ場所を変えられると、なかなか会えそうもないんだけど・・・

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日記 | 17:15:48 | Comments(2)