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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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大興奮!(喜)
先日、メルマガで、桑木さんの講演会があることを知った・・・
“桑木さん”とは・・・
拙者の祖父が戦時中、副官を務めた“桑木崇明”師団長の息子さんである。
息子さんと言っても、もう97歳になられる。(笑)
軍医としてビルマで戦っていた経験談などを交え『日本への遺言』と題して、日本の進むべき道を語る講演会だそうだ・・・

“桑木崇明中将”のことは、拙者が小学生の頃に、そのお名前だけは何度も聞いたことがある。
祖父がよく「桑木閣下」と呼んでいた・・・
小学生の拙者には「閣下」という意味が良くわからなかったが、多分、偉い人なんだろうなと思った・・・(笑)
この「桑木閣下」という祖父の声は、なぜか今でも記憶の中にシッカリと残っているのである。

昭和11年、2・26事件後、事件を起こした第1師団は満洲へ移駐し、その後に留守部隊が残った。
その留守司令官に、のちにA級戦犯として処刑された土肥原中将が着任・・・
祖父は抜擢されて、その副官となった・・・
昭和12年、土肥原さんが宇都宮の第14師団長に転出することになり、その後任に桑木中将が着任した。
当初の予定では、土肥原さんと一緒に祖父も14師団に転出するはずだったが、桑木さんと土肥原さんは陸軍士官学校の同期という仲・・・・
土肥原が、そんなに気に入っている副官なら、是非、俺の副官として置いて行け・・・と言われ・・・
祖父は、後任の桑木さんの副官となった・・・
その後、桑木さんが北支の第110師団長に転出する時にも連れて行ってもらった。
かなり桑木中将には可愛がられたようで・・・・(笑)
だから「桑木閣下、桑木閣下」と祖父はよく言っていたのである。
桑木中将は、その後、予備役となり、昭和20年12月にお亡くなりになられたという・・・
祖父がフィリピンの俘虜収容所にいたころである。

あの「桑木閣下」のご子息に会いたいな・・・
いてもたってもいられず、思い切って、講演を聴きに東京へ行く事にした。

会場に入ったら・・・・
あらら・・・
先日の台湾のツアーで一緒だった“保守派”の皆さんが何人も来ておられた。(笑)
まぁ、そういう方々の組織が開催する講演会だから無理もないか・・・(大笑)
が・・・拙者の目的は全く違うのである。
一目お会いしたい・・・というだけのこと・・・

普通なら、拙者はあまり出しゃばることは好きではない・・・
人を押しのけてまで目立とうというのは好きではない・・・・
というわけで、昔から引っ込み思案だし、人とはあまり積極的には接触しないタイプである。
世の中には、相手がちょっとでも有名人なら、何だかんだと話しかけて自己PRをする人がいるが・・・
拙者はそういう“媚びる”ようなことが大嫌いである。
やたらと親しげにツーショットで写真を撮りたがる輩もいるが、そういうのも好きではない・・・
以前、三笠宮様から一緒に写真を撮りましょうと言われて、思わず断ってしまい、妃殿下に呆れられたことがあるくらいである。(大笑)

が・・・・今回は・・・相手の年齢も年齢だし・・・・
ここでご挨拶しなければ二度とチャンスはないと思い、思い切って、講演後にご挨拶させていただいた!
と・・・・
「え?・・・スズキ副官のお孫さん?・・・いやぁ~スズキ副官!懐かしいなぁ~」とおっしゃられた。
懐かしいと言われ、こっちがビックリである!(驚)
「うちに遊びに来なさい」とまで言ってくださり名刺もくださった!
いやぁ~大感激である!(大喜)

祖父の縁が、孫の拙者にまで繋がっている・・・というこの実感!
もう、興奮冷めやらず・・・である。(大喜)
祖父が生きていたら報告できるのになぁ~・・・・この出会い・・・・

桑木さんの前には、ご著書にサインをもらおうという人やら、挨拶したいという人などで長蛇の列だったので、ほんのチョットだけのご挨拶に留める事にしたが・・・
それでも言葉が交わせて嬉しくて堪らない。(喜)

この後、上野で“カジさん”にお会いする約束になっていたので、ルンルン気分で上野に向かう・・・(大笑)

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日記 | 20:57:48 | Comments(0)