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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
いつの間にやら63歳!
独身生活63年!(大笑)
チンピラに注意をしたら「うるせえ!ジジイ!」と言われ愕然とする。(大汗)
拙者は「ジジイ」なのか?
頭に来たので、当然、このバカを懲らしめてやった。(大笑)
拙者をジジイと呼ぶとは失礼だ。(大笑)

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台湾歴史探訪の旅(18)
今日は最終日である。
台北市内を観光して、夕方の便で日本に帰る・・・

まずは、お決まりの『旧・総督府』(現:総統府)の見学である。
ここは昨年も見学をしたので、拙者としては、珍しくもない・・・(笑)
身分証明書(パスポート)を提示しなくてはならないことになっているのだが・・・
はい、はい、やってくれました・・・“オバタリアン”・・・(笑)
添乗員の説明を全く聞いていなかったのか、「忘れた!」と言う人がいるんだから唖然である。
どうなるのかと気になったが、何とかかんとか入場させてもらったようである。

館内の説明員・・・
今回は、ビルマのインパール作戦に参加したことがあるという元・台湾国籍の日本兵・・・88歳の“おじいちゃん”・・・
この方の流暢な日本語には驚いた。
我がツアーの参加者も、この“勇士”にお会いできて大感激だが、この方も、我々“保守派”のツアーに会えて感激していたご様子・・・(笑)
この説明員の“おじいちゃん”・・・・
国民党が嫌いなようで・・・(大笑)
蔣介石や国民党関係の展示物の解説は、あっさりと割愛!
“保守派”の皆さんは、大喜び!
蔣介石のものなんて、見たくもない、話を聞きたくもない・・というところなのだろう。(笑)
まぁ、拙者はどうでもいいけど・・・(大笑)

555_convert_20130404111803.jpg(旧・総督府)

次に向かったのは『国軍歴史文物館』・・・・
昨年も訪問予定だったが、展示品の入れ替えということで閉館だった。
で・・・今回、再度予定に入れていたようなのだが、事前の問い合わせでは開館しているとのことだったが、直前になって閉館だと言ってきたらしい。(笑)
「これは怪しい・・・我々に見せたくない理由があるんじゃないか?」と添乗員の“アサダさん”(大笑)
本当に閉館しているかどうか、念のため確認に行ってみようということになった。(大笑)

556_convert_20130404112603.jpg(国軍歴史文物館の前)

現地に行って見たら、やっぱり閉館していた・・・(大笑)
かわいそうなのは“ヨコヤマさん”・・・
これまで3回もここに来ているが、毎回、閉館のため見学できなかったと言う。
これで4回目である!(大笑)
「“ヨコヤマさん”の日頃の行ないが悪いからでは?」と言ったら笑われた。
多分、毎年同じ時期に来ているようだから、ちょうど展示品入れ替え時期とぶつかってしまうのではなかろうかと拙者は思うのだが・・・・
うがった見方をする人は、“保守派”の日本人ツアーには見せたくないものがあるから急遽閉館にしたのだろうと言う。
突然の閉館はおかしいだろうと言うが・・・現地旅行社の事前調査の甘さから来るものではなかろうか?(笑)
「国民党が政権を取ると、こういうことになる!」と言う人もいるが・・・真相はわからない。(大笑)
“ヨコヤマさん”には、「別の時期に二人でここに来てみませんか?」ということで・・・話を納める。(大笑)
いつか“ヨコヤマさん”との二人旅を企画してみようかな?(大笑)

次に向かったのが『青田街(あおたがい)』・・・・
「あおたがい」と聞いて「青田買い」という文字が頭に浮かんだのは拙者だけではあるまい?(大笑)
ここは、日本統治時代、『昭和町』と呼ばれたところだったそうである。
昔は、農村だったらしいが、昭和初期に台北帝国大学が設立されて、この地域は市街地として開発されたらしい。
で・・・今でも“日本家屋”が残っているのだとか・・・

バスを降りて、見学・・・という時に“ツヅキさん”が「カメラが動かなくなったので見てくれ」と言ってきた。
この“ツヅキさん”は昨年の済州島のツアーの時にご一緒だった方。
あの時は、言葉を交わすことがなかったが・・・・
で・・・カメラを確認してみたら・・・バッテリー切れ・・・だった。(笑)
予備のバッテリーはスーツケースの中だとおっしゃる。
そのスーツケースはバスの下部の貨物室の中・・・(涙)
ツアーの方々には先に行ってもらい、拙者は“ツヅキさん”と一緒に貨物室の中にもぐり込み、スーツケース探しをする。(大汗)
ようやくバッテリーを見つけて交換し、皆さんの後を追いかける。

“コウノさん”が「あの“ツヅキさん”は写真屋さんだって知ってた?」と言う。
うそぉ~!写真屋さん?(唖然)
「ツヅキさん!写真屋なんだそうですねぇ!」と言ったら、平然と「ウン!」とお答えになった。
「あのぉ~写真屋さんがカメラのバッテリー切れに気がつかなかったんですか?」
「えへへ・・・」と“ツヅキさん”は照れ笑い。
「うまく騙されたねぇ~スズキさん!」と“コウノさん”が笑う。
貨物室からバッテリーを取り出すために、うまく仕組んだのか?(大笑)
恐るべし・・・90歳の“おじいちゃん”・・・・(大笑)

557_convert_20130404130555.jpg 561_convert_20130404130637.jpg(青田街)

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瓦屋根の形からして、「日本家屋」っぽい・・・
この家の住人の許可を得て、庭に入れてもらった。

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ここも「日本家屋」らしいが・・・何かの資料館になっているようである。
残念ながら、内部の見学はしないで、外観だけを見るだけのようである。
中国語の説明文では、拙者には理解不可能であるが・・・
博物館好きとしては、どんなものが展示されているのか気になる。(笑)

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庭に綺麗な花が咲いていたので・・・パチリ!
花の名前は・・・知らない!(笑)

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庭には大木も展示されていた。
説明板もあったが、中国語なので、よくわからない・・・(涙)
「埋蔵地底2000年的樟木香」と書いてある。
自分勝手に翻訳してみると・・・
今から280万年前に地殻変動で台湾が出来て、1万8千年前に最後の氷河期がきて、このあたりに湖が出来て、森林地帯になった・・・というような、地形の成り立ちなどが書かれているようである。
で・・・電力会社が地下に配管を通す工事中に、今から約1820年前の地層から、この大木が出てきた・・・と書いてあるような・・・気がする・・・(笑)
「樟木」というのは「楠木(くすのき)」のことではなかろうか?
というわけで・・・材木屋の“ウメちゃん”に見せるため、写真をパチリ!(大笑)


より大きな地図で 旧・昭和町(青田街) を表示

時刻は午前11時を過ぎた・・・

次に向かったのは、『旧・台北帝国大学』である。

575_convert_20130404141536.jpg(国立台湾大学構内を歩く)

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構内には大きなガジュマルの木があった。
この木は・・・台北帝国大学のころからあった木だろうか?(笑)

向かうは、農業試験場のような場所・・・
多分、「農学部」か、そういう学部がある場所のようである。
なにせ、台湾大学は敷地がかなり広いので、どこに何学部があるのかよくわからない。(笑)

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途中の花壇で見かけた花を・・・パチリ!
拙者は花が好きだが、悲しいかな知識は全くない・・・(大涙)
植物図鑑でも買って勉強でもすればいいのだろうが・・・(笑)
そこまでの勉強家ではない・・・(大笑)

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う~ん・・・とても大学の構内とは思えないところを歩く・・・(笑)

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何やら寂れた建物が・・・
「人工気候室」という看板が・・・
ん?人工気候?
台湾では人工で気候をどうにかしようという研究でもしているのか?(大笑)
いや、いや、多分、室内で色々な気候を作り出して、種が発芽するかどうかとか、生育はどうなるかとか、そういうことをする建物なのだろうねぇ~

到着したのは、「磯 永吉(いそ・えいきち)」という博士の研究棟のようである。
この“磯博士”は、大正元年に台湾に渡り、その後、台北帝国大学の教授となり、ジャポニカ米とインディカ米の交配の研究をする。
で・・・苦節10年・・・
昭和10年に「蓬莱米(ほうらいまい)」という台湾の米の開発に成功した。
昭和20年の終戦後も請われて台湾に残り、蓬莱米の普及に努めたという。
そのことから、磯博士は「蓬莱米の父」と呼ばれているそうである。
今では、台湾ではこの蓬莱米が食卓に上っているのだという。
磯博士の良質の米の開発の功績は大きい。

585_convert_20130404152822.jpg 594_convert_20130404153532.jpg

磯博士の研究棟だろうか・・・かなり古い建物が残されていて、すぐ側に中国語と英語の説明板が立っていた。

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すぐ近くに「田んぼ」があった・・・
ここで蓬莱米の研究をしたのだろうか?


より大きな地図で 磯博士・研究小屋 を表示

この後は、昼食・・・そして、最後に『桃園神社』に行く予定だったが、時間的に微妙な感じ・・・
万が一、飛行機に乗り遅れたらマズイので、『桃園神社』訪問は断念して空港へ向かう。
拙者は昨年のツアーで行っているので、別に行かなくても構わない・・・(笑)

旅行 | 09:56:55 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(17)
『上陸記念碑』から空港へ向かう・・・
午後2時20分過ぎ・・・
意外にも早く、15分程度で空港に到着した。
今から午後4時発の台北行きの飛行機に乗る・・・

543_convert_20130403105122.jpg(馬公空港)

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飛行機は相変わらず大揺れである。(大笑)
無事に墜落もせず、台北の「松山空港」に着陸した。(大笑)

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(台北松山空港)

ここ台北には空港が二つある。
ひとつは「桃園空港」(台湾桃園国際空港)で、国際線が主流の空港・・・
台北市内からはかなり離れている。
昔は「中正国際空港」とも呼ばれていた。
もうひとつは、ここ、「松山空港」(台北松山空港)である。
日本統治時代に建設された空港なので、歴史は古く、台北市内に近い。
「桃園空港」が出来てからは、こちらは国内線が主流の空港となったそうである。
日本で言えば・・・成田空港と羽田空港の関係のようなものだろうか?

成田発の台北行きは「桃園空港」へ、羽田発の台北行きは「松山空港」へ・・・という感じである。
当初、参加者からは「羽田空港を利用してくれたら楽だったのに」との声が上ったが・・・
成田発のほうが運賃が安かったので、成田発でツアーを組んだらしい。(笑)
都内在住の方にとっては、成田へ行く経費と時間的ロスを考えたら、羽田にして欲しかったと思うのも無理はないか・・・


より大きな地図で 台北松山空港 を表示

5時過ぎ、空港を出て台北市内に向かう。
到着早々、“お決まり”の免税店への御案内・・・・
こういうところは昔から変わらないなぁ~(笑)

途中、町中に“フラッグ”が飾られていた。

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“フラッグ”には『澳州教育面談会』・・・とある。
「澳州」はオーストラリアのことかな?
なにやら国際会議センターを使っての大々的な「面談会」らしい。
留学かなにかの面談なのかな?
台湾人はオーストラリアに留学するのか?
韓国人はフィリピンに大量に留学しているようだが・・・
台湾はオーストラリア?
それにしても大規模な「教育面談会」のようである。
どんなものなのか覗いてみたかったなぁ~(大笑)

連れて行かれた免税店は昨年と同じお店・・・
現地旅行社が同じなんだから当然か・・・(笑)
拙者は特に買いたいものはないので、もっぱら店の外でタバコを吹かす。(笑)
で・・・最後にササッと店内に戻り、一気に置物売り場へ行き、フクロウの置物を買う。(笑)
拙者の妹がフクロウの置物を集めているのである。
が・・・あれ?昨年はどれを買ったんだっけ?(大笑)
同じものを買ったのでは“芸がない”・・・・
確か、これは買ってないよなぁ~・・・というものを選ぶ。
結局、これらは姪っ子たちへのお土産とする。
大学生の姪っ子は、そのうち教育実習をするようになるだろうから、指揮棒を振っているフクロウ・・・
高校に合格した姪っ子には学帽をかぶって教科書を抱えているフクロウ・・・
甥っ子には、彼はチェロを演奏するので、チェロを演奏しているフクロウ・・・
ササッと、ものの10分もかからず3個のフクロウの置物を購入して店を出る。
余計なものは・・・見ない、買わない・・・(大笑)

夕食・・・明日は帰国するので、今晩が最後の夕食である。
で・・・今まで気になっていたが我慢していたことを話す。
澎湖島では、食事のたびに“オバタリアン”が文句タラタラ・・・
あ~でもねぇ、こ~でもねぇと、とにかく文句が多い。
さすがに、「そんなに文句ばかり言っていたのでは、食も進まなくなるのではないでしょうか?」と一言、言わせてもらったが・・・・(笑)
だいたい、日本にあるような高級中華料理店を期待するほうが無茶というものである。
日本では普段からおいしいものを食べているんだから、旅先で“ハズレくじ”を引くのも楽しいではないか?(大笑)

それと・・・テーブルマナー・・・
我々男性陣は、だいたい年長者に先に箸をつけてくれるように頼む・・・
「大先輩が先に取ってくれないと、皆さんが取りづらいので、お願いします」と言うのが通常のパターン。
「そうですか?それじゃお先に失礼して・・・」となり・・・
その後は円卓のテーブルを回して順次、自分の皿に料理を取るのである。
年長者がいない場合は「ここはレディーファーストということで・・・どうぞ!」となるのが通常である。
が・・・“オバタリアン”は、料理が運ばれると、勝手にテーブルをまわして自分のところに料理を寄せる。
年長者が取ろうとしていても目に入らないらしい。(唖然)
で・・・目的は、どうやら写真を撮りたいらしい。
誰かが年長者にテーブルを回してやろうとすると・・・「ちょっと待って!写真を撮るんだから!」と文句を言うのである。
もう少し言い方を考えるべきだと思うが・・・(怒)
どうやら誰かに手をつけられる前に写真に収めたいらしい。
それならそうと最初に一言、断っておけばいいものを・・・そういう気遣いをしないのが“オバタリアン”である。

拙者も食事の写真を撮るが、「写真を撮りたいので・・・」と断りを入れることにしている。
「え?食べものの写真を撮るの?それが趣味なんですか?」などと聞かれたりする。(笑)
「いやぁ~友人に旅先ではどんなものを食べたんだ?と聞かれるので、面倒くさいから写真を見せることにしてるんですよ。それに旅の思い出にもなるでしょ?あそこでこんなものを食べたんだぁ・・なんて・・・」(笑)と答える。
と・・・次からは、皆さんから「まずは、スズキさん、写真を撮ってくださぁ~い!」などと助けてくださるのである。
これがきっかけで、初対面の方々とも、おしゃべりが弾んだりする場合もあるのである。
これが「コミュニケーション」というものではなかろうか?
どうも“オバタリアン”は、そういうことが出来ないらしい。
いや、“オバタリアン”だけではなく、団塊の世代は、男も女も、そういう人間が多い。
自分勝手、自己中心、周囲の状況を見ない、横柄、マナーが悪い、気遣いがない・・・(大笑)

中華料理のテーブルは時計回りに回すのがマナーである。
逆回しは厳密に言えば「マナー違反」である。
それを平然とやってのけるのが・・・“オバタリアン”である。
「テーブルは時計回りがマナーですから・・・」と一言、注意をさせていただいた。(笑)
余計なお世話だろうが・・・(大笑)
これに乗ってくれたのが“コウノさん”・・・
団塊の世代の人ではあるが・・・“オバタリアン”の横暴さに思うところがあったのだろう。(笑)
「時計回りですか?いやぁ~知らなかったなぁ~!時計回りで回しましょう!マナーですからねぇ」(笑)
フォローしていただき大いに助かった・・・
一番若い拙者が生意気にも・・・であるが・・・
旅は勉強の場でもある。

日本の女性が“天下国家”を論じても構わないが・・・(笑)
その前に、自分の行いをチェックすべきではなかろうか?
謙譲の美徳というか、謙遜というか、思いやりというか、謙虚さというか・・・
日本人の持つ“美徳”は身につけてもらいたいものである。
年長者に若輩者の拙者が言うのも失礼な話だが・・・(大笑)
自分自身が“美しい”ことをやっていないのに“美しい日本”を語るというのは、ある意味、滑稽である。
どうも“保守派”と呼ばれる女性陣にこういう人達が多い・・・
議論になると、目くじら立てて大騒ぎをするが・・・・
一般常識が欠如している人を拙者は何人も知っている。
これでは、自分は「がに股」で歩いているくせに、ファッションモデルに歩き方を指導しているようなもので・・・
(変な例えかな?)(大笑)
それでは誰も耳を貸さなくなるのではなかろうか?
実は、保守派のイメージと悪くさせるために、わざとやっているのか?偽者の“保守派”か?・・・とすら思えてきてしまう。

集合時間に遅れる、自分勝手に行動する、高齢者に気を遣わない・・・等々・・・
保守派の女性全員というわけではない・・・
ごく一部の方々だが・・・
いかがなものかねぇ~
“天下国家”を語る資格はあるのかねぇ~

夕食後、ホテルへ・・・・

このホテル・・・確か、昨年、ここのレストランで昼食を食べたホテルである。
そのことを昨年も一緒だった“ヨコヤマさん”に話したら、氏は全然覚えていないとの事。
「あんたは、よく覚えているねぇ~」と半分呆れられた。(大笑)
拙者は肝心なことは覚えられないのだが、どうでもいいことは何故かよく覚えているのである。(大笑)

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旅行 | 17:12:07 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(16)
昼食後、向かったのは・・・『篤行十村』という場所・・・
拙者には何のことやらさっぱりわからないが・・・(笑)
何やら、史跡かなにかに指定されている古い家が立ち並んでいる場所らしい。

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最初に案内されたのが『張雨生故事館』という建物・・・
この張雨生(チャン・ユーシェン)という人は、なにやら台湾の有名な歌手だそうで・・・
交通事故で31歳で亡くなったそうだ。
その生家がここなのかな?・・・・良くわからないけど・・・(大笑)
内部は記念館のようになっていたけど、日本の芸能人に殆ど興味がない拙者が、台湾の芸能人に興味を持つはずもない。(笑)
写真すら撮影するのはもったいないと、写真も撮らず、サッサと外に出る。(笑)

海のほうへ向かい、岬のような断崖の上に出たら、向こうに台湾海軍の軍艦らしき船が停泊していた。

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少し、この古い家屋群の中を散策しながらバスに戻る。

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ここには、日本統治時代に「澎湖島要塞司令部」「澎湖島重砲兵連隊」の官舎があった場所らしい。
明治38年頃から建設が始められたようである。
で・・・戦後は、台湾(国民党軍)の駐屯地になったようである。
今でも、すぐ隣接する場所は台湾の軍隊の駐屯地(軍事基地)である。

この古い建物は、日本統治時代のものではないだろうねぇ~

時刻は午後2時を過ぎた・・・・
これから、今度は“日本軍の上陸地”へ向かう。


より大きな地図で 旧・澎湖島重砲連隊官舎跡 を表示


移動途中で、風力発電所を見かける。

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こういう風の強い島では、風の力を借りて発電するのは当然だよなぁ~(笑)
日本も、いつまでもグダグダ言っていないで、風のよく吹く所には風力発電、年間の日照時間の多い地域には太陽光発電をドンドンやっていけばいいのに・・・ねぇ~(笑)
周囲の様子を見ながら・・・なんていうことだから、日本はいつも後手に回ることになるんだよなぁ~
正しいと思ったら突き進む・・・これが一番じゃないのかね?
などと・・・バスの中から風力発電のプロペラを見ながらブツブツ・・・思う・・・(大笑)

目的地の『澎湖島日本軍上陸記念碑』がどこにあるのか・・・
イラストマップ程度の地図しかなく、バスの運転手の勘に任せるに近い・・・
拙者はドコモのタブレットのナビで現在地を確認。
こんな辺鄙な島でもタブレットのナビが使えるとはねぇ~
いやぁ~便利な世の中である。(笑)
目的地のおおよその位置を掴んだので、ナビでバスの動きを追跡・・・
もし、迷って、おかしな方向に行ったり、通り過ぎるようだったら教えてあげよう。(大笑)
それまでは黙って・・・余計なお世話は焼かないことにする。(笑)

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何もない、荒野のような中を走る狭い舗装された横道・・・
本当にこの道だろうかと不安になった頃、ちょうど舗装が途切れる場所に看板が・・・
あった!(笑)
あれは上陸記念碑を示す看板ではなかろうか?

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標識のすぐ近くに『上陸記念碑』が・・・
この『上陸記念碑』は、ここのほかに、もう一箇所、別の場所にも建っているそうだが・・・
そちらのほうは、戦後になってからなのか、反日的な文字が書かれているそうなので、こちらの記念碑だけを観て帰るそうだ。
拙者の想像では・・・(笑)
多分、「上陸記念碑」の文字が削られ「抗日戦勝記念碑」にでも書き直されているのではあるまいか・・・と思う。(大笑)

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記念碑の前で歌を歌う・・・
多分、「君が代」だったような気がするが・・・(笑)
このツアー・・・いたるところで「さぁ~歌いましょう!」と音頭を取る方がいるので・・・(笑)
「君が代」やら「海ゆかば」やらを歌わされる。
こういうところが、他の観光ツアーとは大きく違うところである。
というわけで・・・どこで何の歌を“歌わされた”のか、さっぱり記憶がない。(大笑)
それだけ、拙者は気持ちを込めて歌っていない・・・ということになるが・・・(大笑)
ここでは、たぶん、「君が代」だったような気がする。
拙者は結構記憶がいい加減である。(大笑)

『記念碑』には・・・・
中央の大きな碑には、「明治二十八年 混成支隊上陸紀念碑」の金色の文字が刻まれていた。
文字が金色なので、ちょっと見づらい・・・(笑)
大正時代の古写真によれば、「混成枝隊・・・」と刻まれている。
いつのまにか「枝」を「支」に書き直したようである。
記念碑自体は、大正時代の古写真と同じもののようである。
右側の小さな碑には「台湾光復紀念碑」の文字が刻まれている。
この右側の碑には、本来は「澎湖島上陸記念碑」と刻まれていたらしいが、書き換えられたらしい。(唖然)

ちょうど、地元の「農夫」という感じの“オジサン”がやってきた・・・
軽く会釈をしたら、何やら話しかけてきたので、対応をガイドさんに頼む。(笑)
拙者は中国語は話せません!(大笑)
で・・・この“オジサン”が案内してくれるそうで、この碑の下にある海岸へ向かう。

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この海岸が、日本軍が上陸した海岸だそうである。
明治28年の3月23日のこと・・・
日清戦争が終わり、「下関講和条約(馬関条約、日清講和条約)」の交渉中のことである。
この海岸に1個旅団(約3000名)が上陸したらしい。
で・・・ここに駐屯していた清国軍と戦闘をしたらしいが、この時の戦死者は3名だったという。
問題は、戦闘よりも病気・・・
コレラによって、1000名ほどが病死したそうである。
軍人として戦闘ではなく病気で命を落とすとは、本人もさぞかし無念だっただろう。
ある資料によれば、コレラ患者数は1,945名で、そのうち1,257名が死亡したという。

どうも「日清戦争」となると、ピンとこない・・・
他の参加者からも「この海岸に日本軍が上陸したって・・・いつの話なんですかねぇ~」と尋ねられる。
日清戦争の・・・と答えたら、「日清戦争じゃ、大昔の話だからピンとこないよねぇ」とのこと。
戦跡といっても、あまりに昔の話じゃ、感慨は湧かない・・・・

いずれ、太平洋戦争(大東亜戦争)も、こういうふうになるんだろうなぁ~
「戦跡」と言ったら、第3次世界大戦(?)(笑)の戦跡になるだろう・・・・
「慰霊祭」と言ったら、戦死した自衛官の慰霊祭になるだろうし・・・
「戦友会」と言ったら、戦った自衛隊の各部隊の戦友会を指すことになるのだろう。
そういう日が来ないのを祈りたいが・・・
100年後はどうなるかは誰にもわかるまい。
明治時代の将兵が忘れ去られるのだから、昭和の将兵も忘れ去られるのだろう・・・いつか・・・
そんなことをフト思った・・・・

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この海岸に祠があった。
案内してくれた“オジサン”の話しによれば、昔からここには小さな祠があったそうだ。
で・・・明治・・・ここに上陸して戦死した3人の日本兵の魂もここに祀ってあると言う。
う~ん・・・本当かどうかは知らないけど・・・(笑)
とりあえず、お参りをさせていただく。

時刻は、まもなく午後2時半・・・
これから、空港へ向かい、台湾本土、台北に戻る。


より大きな地図で 混成支隊上陸記念碑(龍門) を表示


旅行 | 16:18:38 | Comments(0)
豊かな人生を送ろう!
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(台湾・澎湖島・馬公の街の中)

澎湖県政府の広告・・・

「盡孝積福」は・・・・
親孝行を尽せば福を積む事が出来ます・・・・かな?

「行善有報」は・・・
善を行なえば報いがあります・・・かな?

「致禮得縁」は・・・
礼を致せば縁を得ることができます・・・かな?

で・・・最後が・・・
「最富人生」・・・・
う~ん・・・これはどう読む?
「そうすりゃ、最高に富んだ人生が送れます!」かな?(笑)

とにかく・・・いい標語だ!

看板・標識・標語など | 15:33:57 | Comments(0)
澎湖県・第一賓館
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(台湾・澎湖島)

第一賓館

【建築の特色】

第一賓館は和洋折衷の建築様式となっています。
内部の空間は「洋風空間」と「和風邸宅」の二つの部分に分かれています。
洋風空間には「表玄関(正面玄関、広間)」、「応接室(洋風の客間)」、寝室があります。
和風邸宅は「内玄関(側面玄関)」、二組の「座敷(和風の居間)と次の間(座敷の隣の部屋)」からなっています。
入り口の玄関は当時流行していた「入母屋造」の屋根と洋風門扉の構造になっており、家屋の外壁は主に烏石で造られた耐力壁構造になっています。
内壁の間仕切り壁は当時最先端だった洋風の「木摺漆漆喰(板に漆喰を塗って仕上げた壁)」と伝統的な和風の「竹木舞造壁(竹を組んで漆喰を塗った壁)」による工法が用いられています。
座敷と次の間を仕切る引き戸の上の欄間にはヒノキの板に富士山の景色を透かし彫りした特殊な工法が用いられています。
入口玄関の地面と壁面には澎湖特産の「洗砂頭」、「洗石子」、「レンガ造漆喰壁」の工法と材料が使用されています。
屋根は切妻屋根となっており、セメント製の理想瓦(上瓏瓦)が張られています。
1956(民国45)年に澎湖が修築した際、内部の間仕切り壁を一部改築しました。
また板張りだった廊下にじゅうたんを敷き、寝室の畳を外してフローリングに改造しました。

第一賓館はその建築の特色と歴史的な意義により、1998年12月10日に県指定の史跡となりました。
2000年には頼峰偉県知事が軍の協力を得て第一賓館を県の管理に置きました。
県では2002年に調査研究および修復計画をまとめ、2006年に改修工事に着手しました。
そして2008年7月30日、王乾発県知事が上棟式を主催して新たな看板が掲げられました。
2009年に改修工事が完了し、2011年5月18日に開館を迎えました。

(日本語リーフレットより)

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建物 | 14:26:04 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(15)
続いて向かったのは、『第一賓館』という場所・・・
日本統治時代は『貴賓館』と呼ばれていたそうである。
澎湖庁により、昭和15年から建築が始まり、昭和18年に落成したという。
戦後、蔣介石が澎湖島に来たときに蔣介石の宿舎となり、名称を『蔣公行館』とされ、その後『第一賓館』と改称されたらしい。

512_convert_20130329171204.jpg(第一賓館の入り口)

敷地内に、蔣介石の銅像を発見!(大喜)
もう、ガイドの説明など、どうでもいい・・・(大笑)
何とかして、間隙をぬって銅像の写真を撮りに行かねば!
拙者は“銅像大好き中年”なのである!(大笑)

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見学の受付に手間取っている間にササッと皆さんから離れて銅像のところへ行き、写真をパチリ!
拙者以外は誰も来ない・・・
皆さんは、どうも蔣介石が嫌いなようで・・・散々けなしている。(大笑)
中国大陸から台湾へ逃れてきて、その後、台湾人を弾圧した“極悪人”との認識のようである。
一方から見れば、確かにその認識は間違っていないとは思うけど・・・
他方から見れば、終戦時に日本兵の復員にかなり便宜を図ってくれたり、連合軍による日本に対する分割統治や天皇制廃止の考えに反対したりと、必ずしも何でもかんでも悪いことをしたというわけでもないと思うが・・・
いずれにせよ、拙者は、そういうことは関係ない・・・(笑)
単純に「銅像」が好きなだけである。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」・・・という考えはないのである。

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503_convert_20130329185806.jpg 468_convert_20130329190129.jpg(和室)

494_convert_20130329185458.jpg(蔣介石の執務室)

502_convert_20130329185700.jpg(蔣経国の執務室)

498_convert_20130329185601.jpg(食堂)

館内の見学をサッサと終えて外に出る。
当然・・・タバコが吸える場所を探すためである。(大笑)
と・・・他の参加者からトイレに行きたいのだが・・・と声をかけられる。
係員の“お兄ちゃん”にトイレの場所を英語で尋ねたら、この建物が建っている丘の下を指さす。
この下に?
「建物の中にはトイレはないのか?」と尋ねたら、首を横に振る。
この丘の下に公衆便所でもあるのか?
キョロキョロしていたら、この“お兄ちゃん”が案内してくれた。

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「ここです!」と“お兄ちゃん”が指さす。
どう見ても、不思議な形の入り口なんですけど・・・(笑)
公衆便所には見えないんですけど・・・
「ここ?」(汗)
彼はウン、ウンと頷き、「どうぞ、どうぞ」と手で合図・・・
そう親切に案内されたのでは、入らないわけには行くまい・・・(笑)

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階段がズッと下に続いている・・・
ここがトイレ?

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ようやく、入り口に辿り着いたが・・・
「これ、どう見ても防空壕ですよね?」と、トイレに行きたがっている某参加者に話しかけたら、この人も「こりゃ、おかしいねぇ~」と答えるが、どことなく声は上の空のような感じ・・・(大笑)

内部に入り、覗き込んだら、トイレがあった!
が・・・ドアはない・・・(笑)
便器が丸見えである。
それも広い部屋に便器が1個・・・
おかしい・・・
拙者は、もう少し先のほうを探検に行く。

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ありゃ!
ここは・・・作戦室?
それとも蔣介石の執務室?
いずれにせよ、地下の戦闘指揮所・・・であろう。
ということは・・・
慌ててトイレに戻ったが、時既に遅し・・・
トイレに行きたがっていた某参加者は既に“用”を足していた・・・(大笑)
「あのトイレ、水が出ねぇんだよなぁ~」と言う。
出るわけがない・・・あの便器は展示品である・・・(大笑)
まぁ・・・やっちゃったものは仕方がない・・・

この“地下基地”の奥に別の出口があったので、そこから外に出る。
ちょうど建物の真後ろに出た。
そこでまたトイレに行きたがっている参加者たちに声をかけられた。
拙者はトイレ案内人か?(涙)

ガイドの“張さん”を見つけて、先ほどの“お兄ちゃん”に通訳してもらったら・・・
トイレはあっちだ・・・と遠くを指さす。(大笑)
おい、おい、じゃぁ、さっきの案内は何だったんだ?
この『第一賓館』に隣接する海岸にトイレがあるらしい。
敷地内の裏木戸を通り抜けて海岸へ皆さんを案内する。
海岸は砂浜で、海水浴場のような感じ、そこに立派な公衆便所が建っていた。(笑)
海水浴場のトイレ・・・である。
ここまで来なくちゃならないのか?(唖然)

皆さんを案内した後、戻って、先ほどの“お兄ちゃん”に文句を言う。
日本語で・・・(大笑)
すまなそうな顔をして苦笑いしていたから、もしかしたら通じちゃったかも・・・(笑)
「ここと、あそこと、あっちに、“トイレはこちらです”っていう看板を立てろよぉ~」とジェスチャーを交えて話したら、どうやらわかったようである。
「うん、うん、そうですねぇ~看板をここに・・・ネッ!」とジェスチャーで答える。
「そうそう、ここに看板!こういうやつ!トイレット!あっち!って・・・ナッ!」と拙者・・・
おお!おお!と二人して大笑い。
なかなかの好青年である。

言葉が通じないのがなんとも残念・・・
う~ん・・・拙者が中国語(北京語)か台湾語を覚えればいいのか?
いや、そりゃ無理だな・・・
日本語も危なっかしいのに・・・(笑)
茨城弁のイントネーションが抜けないから、全部、尻上がりになっちゃうんだよねぇ~(大笑)
それに最近、若年性痴呆症の症状も出ているし・・・(大笑)
(“シミズくん”には「どこが若年ですか?」と突っ込まれるが・・・)
いずれにせよ記憶力が更に悪くなっているから、今から新たな語学は無理である。(大笑)
あ~・・・残念だ・・・

時刻は11時半・・・・
昼食会場のレストランに向かう。
場所は・・・
『澎湖開拓館』のすぐ近くだった・・・
小さな町なので同じところをグルグル回っている。(大笑)

で・・・興味は味付け・・・(大笑)
昨晩の食堂ほどではなかったが、やっぱり・・・甘口だった・・・(大笑)
ということは、澎湖島の料理の味付けは、全般に甘いということか・・・
いつか、この島に再訪問する機会があったら、塩と醤油を持参しなければなるまいな・・・(大笑)


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旅行 | 13:01:45 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(14)
続いて向かったのは・・・・『澎湖警察文物館』・・・
あれ?昨晩宿泊したホテルの近くである。(笑)

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この建物は日本統治時代は『馬公警察署』だった建物らしい。
明治28年に、この地に水上警察所が設置され、昭和3年に、この建物が建てられたそうである。
現在は『文物館』というのだから、資料館か何かになっているのだろう。
内部の見学は無し・・・・(涙)
博物館や記念館、資料館が大好きな拙者としては残念である。
外観の見学のみで、次に向かう・・・


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次は、この『旧・馬公警察署』の斜向かい・・・
直ぐ目の前・・・(笑)

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この建物は『電報電話局』・・・
日本統治時代は『澎湖郵便局』だった建物である。
大正13年に建てられたそうである。
なかなか面白い形をしている。
今日が日曜日のせいなのだろう・・・閉まっていた・・・(笑)
内部がどうなっているか・・・興味が湧くところなのだが・・・・

こういう特徴のある建物って見ていて楽しい。
どうして現在の建築物は、こういうふうに洒落ていないのかね?
遊び心がないというか・・・
みんな同じような形で、下手すりゃ真四角な建物に大きなサッシ窓だけ・・・
何の特徴もない・・・
あ~面白くねぇ~
これは・・・建築デザイナーの質が悪いのか?(笑)
それとも建築士のレベルが低いのか?(大笑)
それとも・・・施主さんがケチなのか・・・(大笑)
とにかく、現代建築は・・・面白くない!

こういう面白いデザインの建物・・・いいなぁ~
よくぞ保存してくれた・・・と台湾に感謝、感謝である。

昨晩宿泊したホテルの前を通過して、商店街を歩く。
次に向かったのは・・・病院!(笑)

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この病院・・・
現在は『行政院衛生署澎湖医院』という名の病院・・・
日本統治時代も病院だった。(多分『澎湖病院』と呼ばれていたのではないかと思う)
後藤新平が設立した病院だそうだ。
で・・・この日本統治時代の建物の裏手に、近代的な大きな病院がある。(笑)
こういう歴史的建造物を残しておいてくれているのは嬉しい限りである。
日本なら、取り壊して・・・その上に・・・となってしまうだろう。

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澎湖病院敷地内の『大病院園区』・・・多分、公園という意味だろう。
後ろに近代化された現在の『澎湖病院』が見える。
この公園に防空壕が残っていた。

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形からして、日本統治時代のものとは思えない。
多分、中国共産党との戦闘に備えて戦後に作られたものではないかと思う。
参加者の皆さんは気持ち悪がって内部を覗きに行かなかったようであるが・・・
以前、ラバウルやニューギニアで“無謀な”地下要塞探検をした拙者としては、この程度なら・・・と内部に入ってみる。

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今回はペンライトも懐中電灯も持参してこなかったので、内部は真っ暗!
何があるか・・・何が出るか・・・全くわからない。
ちなみに、拙者は「お化け屋敷」というのは大嫌いで・・・(腰が抜ける・・)(笑)
にもかかわらず・・・なぜか、こういう遺跡は好きなのである。
ちょっと、どこか頭がおかしいのかもしれない。(大笑)
カメラのストロボが光って、初めて内部の様子がわかる。(笑)
おっ!やっぱり、戦後に造られた感じである。

432_convert_20130328142530.jpg(昨晩歩いた商店街)

この後、ホテルの近くに停めているバスに戻るが・・・・
一部の女性参加者がお土産か何かを買いに行きたいと言うので、出発時間に余裕が出来た。
オバタリアンはマイペースである・・・(大笑)
拙者と一部の参加者は、サッサと商店街を通り抜けバスに戻る。
拙者は・・・早くタバコが吸いたいのだ~(大笑)

集合場所は、拙者が昨晩コーヒーを買ったお店の向かい側・・・
と・・・お店でコーヒーを買っているらしい参加者が見えた。
もしかして、注文で苦労をしているのではあるまいかと、おせっかいなことに“助け”に向かう。(笑)
声をかけたら・・・(この方は後に“ヤマサキさん”ということを知ったのだが・・・)無事に注文を済ませていたらしい。
う~ん・・・高齢者・・・恐るべし!(笑)
拙者が苦労したコーヒーの注文をたやすくこなしたようである!(大笑)

「大丈夫ですか?無事に頼めました?」
「あ~・・・頼めたような気がする」
「何を頼んだんですか?」
「う~ん・・・何だか良くわからんが・・・コーヒーだろ?」
「はぁ?・・・」
本人が何を注文したか判らないというのは、どういうことだろう?(唖然)
適当に、ウン、ウンって頷いたら注文できちゃった・・・っていう様子である。(笑)

で・・・出てきたコーヒーにはストローが挿してある。
「アイスコーヒーですかぁ~」
「いや、こんなに寒いのにアイスコーヒーは飲めないよぉ~」
「え?じゃ、ホットコーヒー?」
「多分、そうだと思うよ」
「多分?」
う~ん・・・わからん・・・このストロー・・・(大笑)

で・・・“お会計”・・・・
これが全く通じない・・・(大笑)
「ねぇ、いくら払えばいいのかね?」と拙者に聞いてくる始末・・・
「もし、コーヒーなら・・・」と昨晩の経験から料金を教えてあげる。

で・・・お年寄り特有の行動・・・
何だかわからないから、有り金全部をカウンターに出すという行動・・・(大笑)

とにかく、無事に購入できたので、店の前のテーブルに座ってコーヒーを飲むこととなった。
拙者はコーヒー大好きなのだが、今朝はまだ飲んでいない・・・
拙者も買おうかなと思ったが、まもなく集合時間である。
時間に追われてコーヒーを飲むというのは好きじゃない。
コーヒーはゆっくりと落ち着いて飲みたい性分なので、時間の関係で我慢し、この人に付き合ってタバコを吹かす。

と・・・問題は、このストローである!(笑)
ストローでホットコーヒーを飲むというのは止めたほうがいいと忠告したのだが・・・
「大丈夫!」と一気にストローを使って啜ったから堪らない!
「アチチッ!」と言いながらコーヒーが口から零れる。(笑)
「だから、ストローはやめたほうがいいですよ。やけどしますよ」と言っても聞かない。(大笑)
また、ストローで啜って・・・
「アチッ!アチッ!アジィ~!」と大騒ぎ・・・・(大笑)

さすがに見かねたのだろう・・・
別のテーブルに座っていた現地の中年男性が、カウンターの女の子に中国語で何か言ってくれた。(笑)
女の子が、「あらぁ!いやだぁ~!」と言わんばかりの笑顔で、コーヒーをこっちに持ってくるよう手招きをした。
で・・・コーヒーのカップの蓋を交換してくれたのである。
おお、この蓋じゃないとねぇ~(笑)
それにしても、どうしてホットコーヒーにストローなんか挿したんだ?
そもそも、それがおかしいのである。(笑)

「いやぁ~ご親切にどうもぉ~。あんたはいい人だねぇ~美人だし・・・」と日本語でベタ褒め・・・
いやぁ~高齢者は恐るべし・・・である。
四苦八苦して無理して英語で何とか伝えようなんていう、拙者のようなことはしない・・・
で・・・この日本語が何となく相手に通じているようなのだから・・・これじゃ拙者は馬鹿みたいである。(大笑)

「折角の機会ですから・・・お店の女の子と写真を一緒に撮ってはどうでしょうか?記念になるんじゃないでしょうか?」と余計な一言を拙者は言ってしまった・・・(笑)
すると・・・
「おお!そうだね!写真を撮ろう!」とカメラを持ち出して、彼女を撮ろうとする。
いや・・・拙者はツーショットを・・・という意味で言ったんだけど・・・

一応、彼女に英語で写真撮影の許可を求める。(笑)
幸いにも彼女は英語が話せる子だったので、照れながら応じてくれたので助かった。
で・・・どういうわけか、彼女の「撮影会」になってしまった・・・(大笑)
まぁ・・・いいかぁ・・・と、拙者も便乗して撮影する。(大笑)

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写真の右側の女の子が英語が通じた子である。
店の奥から、何の騒ぎだと、チラリとこちらを覗いている女の子も写っている。(笑)
我々二人は、期せずして、コーヒーを飲みに来たのか、女の子の写真を撮りに来たのか、よくわからない、怪しげな日本人観光客に成り下がってしまった!(大笑)
いやぁ~・・・恥かしい・・・
拙者の余計な一言が元凶である。(大笑)

先ほど、助け舟を出してくれた、隣のテーブルのお客さんにお礼を言ってバスに戻る・・・

旅行 | 12:20:56 | Comments(0)
オートバイ用停止線
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(台湾・澎湖島)

路上の、この枠は・・・
オートバイ専用の停止位置を示しているらしい・・・

実は、この写真の右側に横断歩道がある。
ここは交差点の角・・・・

バイクは、この枠内に停車して信号待ちをすることになっているようだ。
自動車は、その後ろに停車するように・・・ということなのだろう。

日本もこういうような、明確な表示をすべきではなかろうか?

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交差点は、こんな感じ・・・・
信号機の下に・・・注目!(笑)

看板・標識・標語など | 11:46:01 | Comments(0)
澎湖開拓館
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澎湖開拓館

本館は日本統治時代の澎湖庁長官舎であり、また太平洋戦争後は澎湖県長の公館として使用されていました。
重厚な構造と優雅な庭園を有する大正昭和時期の典型的な和洋混合式建築であり、1935年(昭和10年)3月10日に竣工されました。
1999年に澎湖県政府はこの歴史的建築物を有効活用するため、澎湖県長公館の風貌を留めながら修復を施し、澎湖開拓館として装いも新たに、2003年7月に澎湖の歴史文化を知るための足がかりとして開館しました。

澎湖県長公館は大正昭和期の典型的な和洋混合式建築であり、門構え、玄関、応接間、茶の間には昭和初期に導入された鉄筋コンクリート様式を使用する一方、屋根、座敷、次の間、寝所、廊下は日本の伝統様式によって設計されています。
まず正門入り口の前庭に入ると澎湖特産の玄武岩(猫公石)を切り出したものが壁として置かれ、内と外が隔てられています。
正門入り口の廊下は洋風様式で造られており、正門はルネッサンス時代のものをかたどった内開きの木製門となっています。
玄関と外壁の台座にも洋風建築をかたどった石材が使用されています。
応接間と茶の間についても洋風の設計と素材が取り入れられており、客間の窓は当時流行していた洋風八角窓となっています。
また来客用スペースとプライベートスペースは壁によって区切られており、これも洋風建築となっております。

(日本語説明板より)

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建物 | 10:08:07 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(13)
続いて向かったのは、『澎湖開拓館』という資料館・・・
時刻は午前9時20分・・・
『県庁』からバスに乗りグルッと回って向かったが・・・
拙者のドコモのタブレットのナビの地図を見れば、道路を挟んだお隣である!(笑)
歩いても直ぐなのに・・・わざわざバスに乗る必要はないような気がしますけど・・・(大笑)

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この建物は、日本統治時代は澎湖庁の長官の官舎だったらしい。
戦後は『澎湖県』の県長(県知事?)の官舎として、そのまま使用されたようである。
この『澎湖開拓館』は開館していたが、外観の見学だけをすることになった。
なんで内部の見学をしなかったのか、理由は知らない・・・(笑)

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ここの庭に菊の花が咲いていた。
たしか・・・「天人菊」という名の菊の花だったと思う。
澎湖島は別名、「菊島」とも呼ばれているそうで、その由来がこの菊の花である。
澎湖県の県の花でもある。
お~・・・この花がねぇ~(喜)
潮風だか塩水に強い花だという話をガイドの“張さん”が言っていたと思う・・・(曖昧な記憶)(笑)
ならば・・・この花を我が町の海岸に植えて育てたいものだと思う。(笑)
この鮮やかな色の花が海岸を埋め尽くしたら、わが町もかなり明るくなるんじゃないか?(大笑)

拙者はサッサと見学してしまったので、見学時間に余裕が出来た。
正直に言うと・・・タバコが吸いたかったので、早く外に出たのである!(大笑)

と・・・周囲を見てみたら・・・
古い建物の脇に何かある。

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見に行って見たら・・・充電器らしい・・・(驚)
『電動機車充電站』と書いてある。
“機車”はオートバイのことだったと思う。
ということは・・・「電動バイク」っていうのが、この島にはあるのか?
へぇ~・・・である。
最先端ではなかろうか?(笑)
経済大国、技術大国と呼ばれている日本に住んでいるのに、拙者は「電動バイク」も「充電スタンド」も見たことはない。
こんな辺鄙な島で、最先端のものを見ちゃった!(笑)
う~ん・・・果たして日本は先進国だと言えるだろうか・・・・
日本は、ちょっと遅れてるんじゃなかろうか?(大笑)

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次に向かったのが『旧・台湾総督府専売局澎湖出張所』・・・・
今日、最初に行こうと思っていたのが、この場所だったらしい。
で・・・全然違う場所に案内されたわけである。(笑)
拙者の勘が当たった・・・(大笑)
最初に行ったのは、現在の専売局の出張所・・・
我々が行きたかったのは、日本統治時代の専売局の出張所なのである。(大笑)

『台湾総督府専売局澎湖出張所』は大正11年に設立されたらしい。
で・・・昭和14年に現在の場所に移転され、現在は、お酒の会社の営業所として使われているようである。

旅行 | 09:53:58 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(12)
午前7時、朝食・・・・
普段から自堕落な生活を送っている我が身としては、早起きは苦痛であるが・・・(笑)
なにせ、早起きの“高齢者”の多いツアーですから・・・(失礼!)(笑)
早起きに合わせなければならない・・・・毎朝が緊張の連続となる。(大笑)

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今日の朝食はお粥である。
が・・・問題は・・・その“味”・・・(笑)
今回も甘いか?・・・と“コウノさん”と品定め・・・・
で・・・昨晩の夕食ほどではなかったが、やっぱり甘かった!(大笑)
一つだけ、ゆで卵だけは、これがショッパイ!・・・いや、塩辛いと言ったほうがいいかも。
単品では食べられないほどショッパイ!(大笑)

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というわけで・・・お粥と一緒に食べて、なんとか食べられるといった具合である。
それにしても、この島の料理の味付けは何と極端なんだろうか?(大笑)

朝食後、出発までに時間があるので、ホテルの目の前の「馬公商港」を散策する。
このツアーのいいところは、朝食から出発までに時間的に余裕があるところである。(喜)

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埠頭から町のほうを見てみる。
中央の建物が、拙者が宿泊したホテルである。

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ホテルのすぐ目の前にあった古い建物・・・

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『高雄関税局 駐馬公辦公室』と表札があった・・・
この建物は、日本統治時代は『馬公税関派出所』だった建物だそうだ。
明治38年に、馬公地区で最初に建築された公的な目的で使用される洋風建造物だったらしい。

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改めまして・・・拙者が宿泊したホテル!(笑)

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こちらは、昨晩、コーヒーを買ったお店!(大笑)

ホテルの部屋に戻り、出発の準備・・・荷物をまとめる・・・
部屋から見た景色をパチリ!

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午前8時半、ホテルをチェックアウトし、バスに乗り出発する。

最初に向かったのは、市内の『専売局跡』・・・・
しかし、どうもおかしい・・・
拙者の勘がそう言うのである。(笑)
ここなのか?
添乗員の“アサダさん”が持っている資料と合わないらしい・・・
バスのドライバーが勘違いしているんじゃあるまいか?
昔は当時の建物があったが、建て直されてしまったのではないかとガイドの“張さん”が話していたが・・・
なんか・・・違う気がするんだよなぁ~
というわけで・・・写真はこの1枚程度を撮るに留める。
多分、間違った場所だと思うから・・・もったいない。(大笑)

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午前9時・・・続いて『旧澎湖県庁庁舎』・・・現在も県庁舎として使われている建物を見学に行く。

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この建物は昭和9年に建築されたらしい。
石造りの建物である。

今日は日曜日だからか、誰もいないので、内部の写真をパチリ!(笑)

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中庭に出てみる・・・
ここまでが、日本統治時代の建物である。
この中庭を挟んだ反対側に増築された建物があるのだが、その部分は戦後の増築らしい。

361_convert_20130326222527.jpg(中庭から建物を見る)

357_convert_20130326222617.jpg(中庭の花)

建物の玄関ロビーの壁に大きな絵が・・・・
この絵・・・見たことがあるぞ!(笑)
昨晩、ステッカー探して商店街を歩き回り、文房具店のような店に入ったら、この絵の絵葉書が置いてあった。
何の絵なのかさっぱりわからなかったが・・・
一瞬、卑猥な絵に見えてしまったが・・・(大笑)
男のシンボル?(大汗)
ん?拙者の目が悪いのか?

どうも話によると、澎湖島の伝統的漁法の絵らしい・・・
この絵では、さっぱりわからんが・・・
魚を追い込んで捕まえるのか?
満潮から干潮に転じたときに、ここに魚が残るようにしてあるのか?
話を良く聞いていなかった・・・
とにかく、この島伝統の漁法の絵だそうだ・・・(大笑)

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旅行 | 09:34:57 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(11)
ホテルに戻って・・・あっ・・・マッサージを呼ぼう!(笑)
フロントに尋ねたら・・・通じない・・・(大笑)
“モミモミ”のジェスチャーでようやく理解してくれたようだが・・・
フロントの女の子が両手で自分の目を隠した・・・
はぁ?
“いないいない、バ~”の仕草である。(笑)
拙者は赤ん坊ではないのだが・・・(大笑)

あ~・・・もしかして目が見えないということかな?
確認したら「そうです」という仕草・・・
目が見えないマッサージ師は、昨晩の台南のホテルで経験済みである。(笑)
なにごとも経験すべきである。
うまくコミュニケーションを取る自信がついているよぉ~・・・(大笑)
「大丈夫、大丈夫、OK!OK!」

と・・・彼女が流暢な日本語で「ちょっと待ってて下さい」と言う。
あれ?日本語、話せるの?・・・・と尋ねたら・・・
日本語は、殆ど話せないという仕草・・・(笑)
日本語は2つか3つくらいしか知らないらしい。
はぁ?・・・・
日本語を知らないと言いながら「ちょっと待ってて下さい」は完璧な発音である。(大笑)
不思議なフロントの女の子である。(大笑)

まもなく部屋にマッサージさんがやって来た。
ドアを開けたら、白い杖をついた“お婆さん”が、いきなり大声で中国語をしゃべりだした。
へぇ?
「この部屋でいいでしょうか?」と言っているに違いないと、勝手に解釈する。(笑)

あとは・・・・
昨晩の台南のホテルと同じパターンで進む・・・(笑)
一度経験していれば、もう、なんということもない・・・
“お婆ちゃん”は、勝手に一人で中国語で話し続ける・・・・
で・・・拙者は日本語で適当に話をする・・・(笑)
絶対、お互いの話は噛み合っていないと思うけど・・・・(大笑)
たいした問題ではない。(笑)

マッサージも終わり、お金を支払い、ドアのところへ手を引いて行ったら・・・
なんと、“お婆ちゃん”が中国語でワーワー騒ぎ出した。
というか・・・中国語って、とんでもないことが起こって大騒ぎをしているように聞こえるのである。(大笑)
何事だ?

と・・・“お婆ちゃん”が拙者の手首を掴み、廊下に引きずり出そうとするのである!(驚!)
「チョ、チョ、チョ、チョット待って!チョット待ってって!」と思わず日本語・・・・
このホテルの部屋・・・ドアはオートロックなのである!
このまま廊下に出てしまったら、拙者は部屋に入れなくなる!(大汗)
部屋の鍵を取ってこなくては・・・・
「ちょっと待って!鍵!鍵!」と“お婆ちゃん”の手を振りほどく・・・
と・・・益々“お婆ちゃん”は大騒ぎ!
ワーワー!!大変だぁ~!!

はっ!
フロントの女の子が「ちょっと待ってて下さい」という日本語だけが流暢に話せる訳がわかった!
これだ!(笑)
「ちょっと待ってて下さい」は意外にも一番重要な言葉なのである!
この言葉さえ相手に通じれば、相手は大人しく待ってくれるのである!
で・・・その間に時間稼ぎをして、通訳を探せばいい訳で・・・(笑)
そうか・・・そういうことか・・・
変な女の子だと思っていたが、そうではない・・・
かなり賢い女の子である!(笑)
それに比べ・・・拙者は「チョット待ってて下さい」を中国語で何と言うか知らない・・・
だから、突然拙者が“消えた”ために“お婆ちゃん”は更に大騒ぎとなったのである。
いやぁ~・・・こりゃ勉強になったぞぉ~

「○×△*$#・・・!」・・・“お婆ちゃん”はドアのところに立って大騒ぎ・・・
多分、エレベーターまで連れて行ってくれって言っているに違いない・・・
「はい!はい!チョット待って!今、鍵を持ってきますから!」と拙者は日本語・・・
もう、こうなったら何でもいいから声を発するしかない・・・(笑)

部屋の鍵をチャラチャラ鳴らしたら、“お婆ちゃん”は、ようやくわかったようである。
ウン、ウンと頷いた・・・(大笑)
では・・・行きましょうか!
マッサージの“お婆ちゃん”の腕を取り、エレベーターまで案内し、エレベータに乗せて1階のボタンを押してあげる。
「はい、1階のボタンを押しておきましたからねぇ~」と日本語・・・(大笑)
もう、こうなったら全部、日本語!(大笑)

“お婆ちゃん”は、何度もお辞儀しながら「$%&○△×・・・!!」と言う。(笑)
多分、「エレベーターまで連れてきてくれてありがとう!」と言っているのだろうと解釈する。(大笑)
「あんた硬すぎるんだよねぇ~おかげで、こっちの手が痛くなったじゃないかぁ~本当に迷惑な日本人だよ、あんたは!」と仮に言っていたとしても、拙者は中国語がわからないから平気である。(大笑)
こういう時は、自分の都合のいいように解釈しよう!(大笑)

“お婆さん”を送り出して(笑)・・・ふと、思った・・・
もしかしたら、言葉が通じないということは良いことではなかろうか?(大笑)
例えば・・・
「中国が尖閣諸島は自分の国のものだ」と言ってますよ・・・と誰かが日本語に通訳するから揉めるのではなかろうか?(笑)
通訳する人がいなければ、中国が何を言っているのかわからないんだから、日本人は怒らなくて済む。(大笑)
尖閣諸島の写真を指して中国語で何か言っていても・・・・
たぶん、「いい島をお持ちでうらやましい」って言ってるんだろうと勝手に解釈してニコニコしていられるではないか?
言葉が通じるのも良し悪しではなかろうか?(大笑)
世界中から「通訳」を無くしてしまえば、世界は幸福になるかも・・・(大笑)

そんなことを思いながら・・・部屋に戻り・・・寝る!(笑)

旅行 | 21:51:21 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(10)
部屋にいてもつまらないし・・・タバコも吸いたいし・・・(大笑)
ということで・・・外に出て、夜の街の見学を一人ですることにする。(笑)

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馬公港の商店街(?)は、結構にぎやかである。
あの夕食を食べた食堂のある場所と比べたら雲泥の差である!(大笑)
道行く“島民”は、ダウンジャケットを着ている!
誰が台湾は暑いなんて言ったんだ?(笑)
島民はダウンジャケットを着て、真冬の格好だぞ!

澎湖島の何かお土産が欲しい・・・
できれば、島の絵が入ったようなステッカー!
どこかでステッカーを売っていないかなぁ・・・
ドコモのタブレットはホテルの部屋にまた置いてきてしまった。(笑)
貴重品だから持ち歩かない・・・
だけど、あれがないとナビがないので、昨年の済州島の時のように迷子になってホテルに戻れなくなりそうで恐い。(大笑)
う~ん・・・難しいところである。
とにかく“筋金入りの方向音痴”なので、ヤバイ・・・(大笑)
細心の注意を払って商店街をウロウロと歩く・・・

ちょっと横道に入ってみたところ、面白いものを見つけた!

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『日立大飯店』・・・つまり、『日立ホテル』である!
拙者の住む茨城県日立市とは関係がない・・・
地元企業の「日立製作所」(家電の日立・・・など)とも関係ないだろう。
日立製作所が台湾の澎湖島でホテルを経営しているなんていう話は聞いた事もない。(大笑)
「日立」の名をパクったな・・・(大笑)
このホテル、看板以外は電気が点いていない・・・・潰れているのか?(大笑)

30分ほど、ウロウロしてみたが、ステッカーは見つからず、ホテルまで戻り、ホテルの目の前にあるコーヒーショップへコーヒーを買いに行く。

で・・・ホッとコーヒーを頼んだのだが・・これが・・・通じない!(大笑)
メニューの「美式珈琲」というのが、「アメリカン・コーヒー」のことだと思う。
確か「美国」って「アメリカ」のことだったような気がするので、「美式珈琲」を指して、これは何とかなった。
が・・・「ホット」が通じないのである!
お店のアルバイトのお兄ちゃん・・・
肩をすぼませ、ブルブルと身震いをしながら、拙者に何かを尋ねる仕草・・・
ん?何だ?(笑)
どうも「寒い」=「コールド」=「アイス・コーヒー」・・・ということをジェスチャーで示しているらしい。
あのね・・・このクソ寒い中、アイスコーヒーなんか飲めねぇだろうよ!(笑)
あ~あ~・・・なんで店の前で連想ゲームをやらねばならんのか・・・(大笑)
「そうじゃなくて、ホット!ホット!ホットコーヒー!」
え~い!
「ホット」=「熱い」って、どうジェスチャーで示せばいいんだ?
「ポッ、ポッ、ポッ!」だよ・・・・
「え?わからない?」
「う~んと・・・ドカァ~ン!メラメラ~・・・って、これじゃ“火”になっちゃうな・・・」
「え~と・・・フ~ゥ、フ~ゥ、アジィ~!・・・だよ!」(涙)
アルバイトのお兄ちゃん・・・
拙者のジェスチャーが全く理解できないらしい・・・(大涙)
そのうち苦笑いを浮かべながらオロオロし出した!(笑)
どこからみても「誰か助けてくれぇ~」の仕草である。(大笑)

拙者の後ろに高校生ぐらいの3人の少年が立って順番を待っていたので、彼らを先にやってやれ、と手で合図をしたら、一人が中国語で何か言った。(笑)
と・・・先ほどのアルバイトのお兄ちゃんが、「あ~そうですか!」といった身振りで、「わかった!ホットですね!」と苦笑いをしながら確認してきた。
だから・・・さっきから俺はホットって言ってるじゃねぇかよぉ~(苦笑)
どうやら後ろの学生が通訳してくれたようである。

この学生が流暢な英語で「どこから来たのですか?」と尋ねてきたので、「日本だよ~」と答えたら・・・
「やったぁ!」とばかりに大喜び・・・
なぜか、他の二人はガッカリ・・・(笑)
なんだ?何事だ?
「日本人ですか!クールですねぇ~」と彼は拙者に向かって言う。
ここで言う「クール」は間違っても「寒い」ではない。(大笑)
「日本人?さむぅ~い!」では日本語がおかしい・・・
ここでの「クール」は「格好いい!」という意味であろう・・・と都合よく解釈する(大笑)
「え?俺?格好いいって?」(大笑)
いやぁ~照れちゃうねぇ~(大笑)

「ところで・・・さっき、もしかして、俺のこと韓国人か中国人かって言ってたんじゃないの?」と尋ねたら、照れ笑いしながら「はい」と答えた。
「で・・・君が俺のことを日本人じゃないかって言って当たったんだ?」と言ったら、3人が笑いながら「そうです」と頷く。(大笑)
お前ら・・・俺がどこの国籍かで賭けていたな!(大笑)

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四苦八苦して購入したコーヒー・・・・
店の外のテーブルのところで寒風に晒されながら飲む・・・
だって、ここに灰皿があるんだもん!(笑)

道の向こう側に、なぜか大きな袋を手にした人達が集まっていた。
この寒風の中、ご苦労様なことである。
バスでも待っているのだろうか?
あんな大きな袋を持ってバスに乗って、この島のどこへ行こうというのだろうか?
と・・・間もなく、音楽を流しながら車が向こうの方からやってきた。
このクソ寒い中、アイスクリームの販売じゃないだろうな?
黄色い回転灯が見える・・・・
は?ゴミ収集運搬車?(笑)

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と・・・先ほどまで寒風に晒されながら大きな袋を持って集まっていた人達が一斉に駆け寄った・・・
あの大きな袋は、どうもゴミ袋だったようである。
それにしても、真面目なものだと感心!
この風に晒されながら、ずっとゴミ収集運搬車を待っていたのである!
日本なら、ゴミ集積所にポイと置いていくけど・・・・
自分で車に投げ込むのである。
いやぁ~御苦労様・・・である。

旅行 | 20:04:28 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(9)
飛行時間、約30分で澎湖島の馬公空港に着陸。
あっという間の空の旅だった。(笑)

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電光掲示板を見てみると、台北からも飛行機が飛んでくるようだ。
まぁ、当たり前か・・・・(笑)

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空港を出て迎えのツアーバスに向かう・・・

外は曇り空・・・
雨が降っているんじゃないかと心配したが大丈夫だった。
が・・・風が強い!メチャクチャ風が吹く!
どうりで飛行機が揺れるわけだ・・・(笑)
で・・・寒い!(涙)

旅行の案内書では、台湾は晴れた日であれば27~30℃くらいまで気温が上るとのこと。
夜は冷え込みやすく、日中とは寒暖の差が激しいのでセーターか上着を持っていくと良いと書いてあった。
毎度のことながら、洋服選びに手こずるのに、更に悩んだ末、ようやく持参する服を選んだのである。
基本は長袖シャツ、半袖のシャツは1枚だけ・・・それにセーター1枚と薄手のブルゾンジャンバーを持参したのである。
澎湖島は台湾の南の方だし・・・台北と比べればフィリピンに近いのだから、かなり暑いかも・・・
ということで、本日は唯一の半袖シャツを着用し、高雄にいた時は、まだ良かったが・・・
ゲゲッ!
怖ろしく寒い!
風がビュービュー吹くので、尚更、寒い!(涙)

“オバサン”たちも大騒ぎ・・・(大笑)
成田空港にコート類を預けてきた人は、預けずに持って来れば良かったとボヤいている。
そうだろうねぇ~・・・日本と変わらぬ寒さなんだもん・・・(笑)


より大きな地図で 馬公空港 を表示

午後6時を過ぎたら、あっという間に周囲が暗くなる。
平坦な島なんだと思うが・・・暗くて外の景色がよく見えない。(笑)
中国大陸の荒野の中を走っている感じ・・・
街灯も滅多にない・・・
バスのヘッドライトが頼り・・・という感じである。

ようやく町らしき場所が現れ・・・(大笑)
一軒の小さな食堂に案内される。
ここで夕食を食べるらしい。(笑)
日本の田舎の小さな大衆食堂のような食堂である。
まぁ・・・この島・・・いったいどんな島なんだろう?(大笑)
旅行社もすごいお店に予約を入れたもんだ・・・(大笑)
拙者は、豪華な中華レストランも嫌いじゃないが、こういう庶民的な店も嫌いじゃない。
(日本ではまず入ることはないが、海外では結構抵抗を感じないのである)

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すごいのは、食堂だけではない・・・(笑)
ここの料理!
これがまた凄い!・・・驚きものである!(笑)
全ての食べ物が甘いのである!
味噌汁らしきものが出たので、飲んでみたら・・・甘~い!(大笑)
次から次へと、これでもかって言うほど甘い料理が出てくるのである。
“コウノさん”が「さて、次の料理はどうでしょう?甘いですかね?」と笑いながら拙者に尋ねてくる。
「え~このテカリ加減ですと・・・このチャーハンも甘いような気がしますが・・・」と拙者。
「では、味見をお願いします」
「はい・・・では・・・お先に失礼して・・・ゲッ!」(笑)
大爆笑である。
もう皆さん大騒ぎ・・・文句タラタラである。
お茶でなんとか口直ししようと思っても、このお茶がまた砂糖がタップリというような甘いお茶!
“オバサン”たちがブーブー文句を言う。
甘くないお茶を頼もうとしたが、予想通り、言葉が通じない・・・(大笑)
ガイドの“張さん”を呼んで通訳してもらったら、“普通のお茶”はペットボトルしかないと言う。
仕方がないので、ペットボトルのお茶を買う破目となる。

“コウノさん”と、これは一体どういうわけかと推理して遊ぶことにした。(大笑)
拙者の説は・・・
1)この島の住民は全員が甘党だから・・・
2)日本人は甘いものが好きという間違った情報を得たので、大サービスで甘くした。
3)コックが塩と砂糖を間違えたまま、味見もせずに料理を作り続けた
4)コックが不在のため、子供に料理を作らせたら砂糖ばかりを入れやがった!(笑)
すべてありえる話だと大笑い。
もう、こうなったら遊ぶしかない・・・(大笑)
さて、次の料理は甘いか甘くないか・・・
(結局すべて甘かったのだが・・・)(笑)
本気で文句を言っていたのは“オバチャン”たちである。
さすがは“保守派”のオバタリアン・・・(大笑)
恐い・・・・(大笑)

こういう当たり外れも旅のいい思い出になるのではないかと、拙者は“コウノさん”と一緒に楽しんでいたが・・・
“保守派”のオバタリアンは、そういう気持ちの余裕はないようである。
視野が狭いのかな?(大笑)

ひでぇ食事だったが面白かった・・・が拙者と“コウノさん”の感想・・・(大笑)
不味かったのではない・・・
食材の味を全て台無しにするほど甘すぎただけである。(大笑)

夕食後、バスで馬公港まで移動・・・・
午後7時45分過ぎ、ホテルにチェックイン。
今日のツアーはここまで・・・解散!

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部屋は非常にシンプルである。
テレビ以外は・・・何もない・・・・(大笑)
このクソ寒い中、バスタブがないというのは、ちょっと寂しい気もするが・・・
まぁ、お湯が出るだけ良しとしよう。
フィリピンの山奥では、お湯もなく涼しい中、水を浴びざるを得なかった経験からしたらマシなほうである。(大笑)
ただ、悲しいかな・・・
部屋は禁煙!(大涙)
窓を開けてタバコを吸えばいいかと思って、窓を開けたら、台風並みの風が吹き込んできた。
これじゃ、タバコの火の粉がどこへ飛び散るやら・・・
あ~あ~参った・・・・(涙)

旅行 | 16:47:37 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(8)
続いて向かったのは・・・高雄市・・・
むかし、むかし・・・今から30年も前に一度だけ来たことがある街であるが・・
あ~・・・全く記憶に残っていない・・・(大笑)
う~ん・・・どこか、池があって、中国風の五重塔のような塔が建っている場所で写真を撮ったような記憶がかすかにあるのだが・・・何しに行ったんだろ?高雄に・・・(大笑)

高雄の海軍基地に向かう・・・
ここは、日本統治時代は『高雄警備府』という日本海軍の施設があった場所。
現在は台湾海軍の『海軍左営基地』となっているが、正門が日本統治時代の遺跡として残っている。
基地の前なので、バスから降りず、車窓から見る。(笑)

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昼食を食べて、次に向かう・・・
町並みを見ても記憶はない・・・(大笑)
古そうな建物は30年前からあったと思うのだが・・・
ん?龍のようなモニュメント・・・
これだけ大きけりゃ記憶に残っていておかしくはないはずなのだが・・・(笑)
やっぱり記憶にはない・・・(大笑)

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次に向かったのは、『戦争與和平紀念公園』・・・・
ここには台湾籍の日本将兵の慰霊碑と資料館がある。
で・・・向かったはいいが、道路が大渋滞!
時刻は午後3時を回っている・・・
まずい・・・
この後、空港へ向かい、午後5時の飛行機で澎湖島(ほうことう)へ向かわねばならないのである!
道路は狭く、1本道・・・
全く車が動かなくなった・・・
対向車線も大渋滞・・・大型観光バスがUターンできそうな感じではない。(汗)

大渋滞の原因は・・・・

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地元のお祭りの行列のせいのようである。(唖然!)
お祭りに参加している方々の協力を得て、交通整理をしてもらい、なんとか大型観光バスをUターンさせる(笑)
お祭りの参加者達が手を振ってくれる・・・
こういう時は、こちらも精一杯手を振って御礼の意思表示をせねばなるまい!(笑)
ということで・・・窓にへばりつきみなさんに手を振って応える・・・
こんなことをしていたのは拙者だけかもしれないが・・・(大笑)
こういう、ちょっとしたことが、親日の人を作るか、反日・嫌日の人を作るかの“分かれ目”だと拙者は思うのである。
ボケェ~ッとバスに乗っていたのではいけないのである!(大笑)

目的地の『戦争與和平紀念公園』は、なんと直ぐ目の前にあった・・・(笑)
なにも大渋滞を起こしている車の列に並ぶほどのこともなかったのである。(大笑)
ついに雨がチラチラ降ってきたので、傘を持ってバスを降りる。
さぁ~急げ!
時間はないぞ!(笑)

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260_convert_20130322211014.jpg(台湾歴代戦没将士英霊紀念碑)

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これは「高砂義勇隊」など日本兵(日本人)として活躍した台湾人たちや日本軍とともに戦った軍属などの顕彰モニュメントのようである。

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これは、何と言っていいか・・・
追悼碑と名付けたほうがいいのか・・・
この公園にある記念館は、元・台湾出身の日本兵だった“許 昭栄”という人が個人で作った記念館である。
その許氏は、高雄市がこの公園名を改名する決議をし、台湾政府が「台湾無名戦士紀念碑」を撤去するという、台湾籍日本兵戦没将兵に対する差別的方針に対し、平成20年に、この場所で抗議の焼身自殺をしたという。
その焼身自殺した場所が、この四角い慰霊碑(?)追悼碑(?)が置かれている場所だそうだ。
80歳にして抗議の焼身自殺とは・・・
なんということか・・・
現在の台湾政府(国民党)は中国に擦り寄っているらしいからなぁ~
悲壮な覚悟で・・・だったのだろう・・・さすがに言葉を失ってしまう。

258_convert_20130322220252.jpg(戦争與和平紀念公園主題館)

抗議の焼身自殺をした“許さん”が建てた、この記念館を見学・・・
入場料は無料だったと思う。(拙者は支払っていない・・・)(笑)
受付で、日本語の資料がないか尋ねたら、A4版用紙1枚の解説書をくれた。
館内の撮影は自由とのこと・・・
ここの係員は若い男女数名・・・
大学生のボランティアなのかな?
拙者が一番乗りした後、しばらく経って後からゾロゾロと我がツアー客がやってきたので、日本語の解説用紙のコピーをするので大わらわの様子であった。(大笑)

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「白襷隊」「台湾農業義勇団」「台湾特設労務奉公団」「海軍工員」「巡査補」「高砂義勇隊」・・・・
台湾人が関係した各種組織名がパネルに並ぶ・・・・
どういう内容なのかの説明文は中国語なので、ボンヤリとしかわからないが・・・(笑)
有名なのは「高砂義勇隊」かな?
祖父がフィリピンで戦っていたときに、祖父が台湾に駐留中に教育・訓練した「高砂義勇隊」が応援に来てくれたという話を中学生の頃に聞いた覚えがある。

この「高砂義勇隊」に関しての何か本がないかと尋ねたが・・・
あらら・・・またまた英語が通じない・・・(大笑)
男子学生(?)が困り果てて(大笑)、女子学生(?)に助けを求めた・・・(笑)
この女子学生に見える若い女性は英語が話せるようで、ようやく話が通じる。
で・・・結果は・・・日本語の本も英語の本もないと言う。(涙)
少しだけ「高砂義勇隊」に触れた部分が載っている中国語の本のみしかないのだそうだ。
仕方がない・・・中国語でもいいから1冊買っておこうか・・・

というわけで、1冊、本を買うことにしたが・・・
この女の子がDVDも一緒にくれた・・・
館内のモニターで放映するためのDVDではなかろうか?
「これ、いいの?いくら?」
「タダで差し上げます」と言う。
でもね・・・これ、DVDの表に「備品」って書いてあるんだけど・・・(大笑)
「備品だけどいいの?」(笑)
「大丈夫!大丈夫!どうぞ、どうぞ!」(笑)
あらら・・・何かとても得しちゃったような幸せな気分!(大笑)
かたじけない!

時刻は午後3時半を過ぎている!
いつの間にか、拙者が一番最後となってしまった!
急いでバスに戻らねば!(大汗)


より大きな地図で 戦争與和平紀念公園 を表示

午後4時・・・
無事に高雄空港に到着する。

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空港の中は、思ったより明るく綺麗だった。(笑)
トイレ休憩を利用して、拙者はタバコを吸いに・・・・(大笑)
空港職員に喫煙所の場所を尋ねたら、空港の建物の外だと言うので、添乗員にタバコを吸いに行く事を伝えて、外に出る。(笑)
この“一言”を伝えるということが団体行動では大事である。
が・・・多くの方々は、そういうことをしない・・・
だから、人員点呼の時に誰がどこへ行ってしまったのかわからなくて騒ぎになったりするのである。
自分は旅慣れているんだとばかり、一人でどこかへウロウロと行ってしまう人が、団体ツアーの中には必ず一人はいる。
わがツアーにも、当然・・・いる・・・(大笑)
トイレに行く時も“一言”伝えておくということは大事なことである!(笑)

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我々が乗る「復興航空」のカウンター
これから午後5時発、馬公行きの飛行機に乗る。

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搭乗口のロビーには、何やら凄いモニュメントが・・・・(笑)
よく見たら・・・龍だった。(大笑)

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澎湖島の馬公空港へ向かう飛行機は・・・予想通りプロペラ機だった。(笑)
面白いことに、乗客は、飛行機の“お尻”の方から乗り降りするらしい。

プロペラ機に不安を持つ人もいるが・・・(笑)
拙者は高所恐怖症のくせに、プロペラ機はさほど恐くない。
ジェットコースターが大嫌いな割には、結構揺れるプロペラ機は好きなのである。(大笑)
エンジンに異常が発生した場合、ジェット機は真っ逆さまに墜落するだろうが、プロペラ機は滑空して不時着するものだと勝手に信じているのである。(大笑)

もろに気流の影響を受けて上下にガタガタ揺れながら飛行するプロペラ機・・・・
う~ん・・・戦時中の日本の爆撃機の搭乗員も、こういう揺れを感じながら飛行していたんだろうと思うと、追体験しているようで楽しくて仕方がないのである!(大笑)
ちょっと・・・拙者は頭がおかしいか?(大笑)

通路を挟んで2つづつの狭い機内・・・・
拙者のお隣は、“保守派”の女性の会の会長さん・・・
隣り合った“縁”で、おしゃべりをしたところ、お父様は戦車の開発を担当していた技術者だったと言う。
なんという偶然!
拙者は戦車師団の戦友会の事務局長である・・・・
「戦車」つながりの縁である!(喜)
話してみないとわからんものである。
だから、“出会い”は結構楽しいのである。
いやぁ~偶然とはいえ、この出会いには驚いた。(笑)
益々おしゃべりが弾む!


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旅行 | 15:58:39 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(7)
今度は、少し郊外へ移動・・・
向かったのは『烏山頭(うさんとう)ダム』・・・・
このダムは、嘉南平原の灌漑を目的として、日本統治時代の大正9年(1920年)から10年の年月をかけて建設されたダムだそうである。
このダムのところに、このダムを造った技術者の八田與一の銅像がある。
そのことは以前から知っていたので、是非、写真を撮りたいと思っていたので念願が叶った!(喜)

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銅像には、誰が供えたのか花束が・・・
銅像の写真を撮るのが趣味という拙者にとっては、まことに申し訳ないが、この花束は邪魔である。(涙)
やっと念願かなったのになぁ~・・・残念・・・
銅像の後ろには、八田夫妻のお墓が建てられている。

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この『烏山頭ダム』は、米国の『フーバー・ダム』が昭和11年(1936年)に完成するまでは世界最大のダムだったそうである。

このダムの一角が公園となっているが、そこに銅像とお墓があるが、敷地内の少し離れたところに『八田技師記念室』という記念館があるので、そこを見学する。

183_convert_20130320222622.jpg(八田技師記念室)

入館は無料・・・・
係員に館内の写真撮影の許可を得る。
で・・・最初に、我々日本人団体客の為に日本語の八田與一技師と烏山頭ダムに関するDVDを放映してくれたので、これを見ることにしたが・・・
写真を撮影してから気がついたが、モニターの画面の脇に「撮影禁止」の注意書きがあるではないか!
あれ?・・・写真を撮っちゃったけど・・・いいのかな?(大笑)

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八田與一技師は金沢市出身・・・・
台南市や高雄市の上下水道の整備なども担当したという。
烏山頭ダムを造った事で、平原には農業用水がもたらされ、穀物の収穫に大きく貢献したのである。
そこで、今でも「台湾水利の父」として台湾人に感謝されているわけである。
こういうことを殆どの日本人は知らないだろうなぁ~
戦時下の昭和17年、日本にいた八田技師は、フィリピンへの技術指導を要請され、「大洋丸」という船に乗り出発したが、5月8日、米潜水艦の攻撃を受けて「大洋丸」は沈没・・・
八田技師もこの時に命を落としたのである。
享年56歳・・・・

この「大洋丸」の沈没・・・
以前、長崎を旅していた時に慰霊碑に出会ったことがある。
長崎駅からそれほど遠くない場所にある「本蓮寺」という寺の前に「南洋産業建設殉職者の碑」というのがあった。
これは「大洋丸」に乗船して犠牲となった方々の慰霊碑で、碑文を書き写すのに手間取ったのでよく覚えている。
八田技師も乗っておられたとは知らなかった・・・・

この船には商社マンや占領地のインフラ整備のための技術者や学校の教師など民間人が多数乗り込んでいた。
いわゆる“その道”の優秀な人が選抜されて南方へ派遣されるため乗り込んだわけだが、一瞬にして海の藻屑と消えた・・・
日米開戦から半年も経たぬうち・・・
このため、日本による占領地の政策に大きく狂いが生じたともいわれている。
そんな話を知っていたので、“コウノさん”などにご披露したのだが・・・
“コウノさん”が「ここに大洋丸の写真があるよ!」と記念室の展示品を指差して教えてくれた。
あ・・・これが、あの大洋丸か・・・・
長崎の慰霊碑が目に浮かび・・・・感無量である。

記念室の職員に、八田技師に関する本がないかどうか尋ねたが、日本語のものも英語のものもないという。
中国語のものはあるそうだが・・・中国語では、ちょっとわかりづらい。
中国語を日本語か英語に翻訳したものが出版されていたらいいのになぁ~・・・残念である。

続いて向かったのが、記念室の直ぐ近くにある『旧放水口』・・・・

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終戦後の昭和20年9月1日・・・
八田技師の妻がここで投身自殺を遂げたらしい・・・
(正確な場所は知らないが・・・)
享年45歳・・・・
う~ん・・・何とも言いようがない・・・つらいなぁ~


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更に続いて、バスに乗って、今度は八田技師たち日本人技術者が住んでいた家を復元してある場所を見学に行く。

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この建物は、崩れかけるほどのボロボロの廃屋だったものを復元したものである。

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こちらは、八田技師の住居・・・
家屋は崩れ去り、土台しか残っていなかったものを各種資料をもとに復元したらしい。

ここには、中国本土からの中国人団体観光客なども来ていた・・・
どんな説明を受けていたのか、ちょっと興味があるが・・・
軍国主義の日本の悪者の住処・・・なんて言ってるんじゃあるまいな?(大笑)

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この公園には、『絆の桜』と刻まれた、森喜朗・元総理の記念碑が建っていた・・・
ん?桜はどこだ・・・と見回したら・・・
向こうの方に、苗木があったので、多分、あれがそうだろう。(笑)
記念植樹でもしたんだろうねぇ~
上手く育って桜の花が咲いてくれればいいなぁ~と思う。
10年ぐらい経ったら、又ここに来てみるか?(笑)
結構、森・元総理もいろいろと活躍されているんだ・・・と思った。
他の方々は、あまり評価していないような口ぶりだったが、拙者は何もしないよりいいのではないかと思うが・・・どうだろうか?(笑)

旅行 | 14:56:57 | Comments(0)
牙?
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(台南市内)

『牙医』って・・・
どうも日本で言うところの『歯科医』ということではなかろうか?

台湾人には“牙(きば)”があるのか?(大笑)
牙を治療するのか?

う~ん・・・ちょっと恐い・・・・(笑)


看板・標識・標語など | 13:50:17 | Comments(0)
残障・・・
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(台南市警察局の前)

『残障専用』の標識

日本では『障害者』と表記されるが、台湾では『残障』である。
考えてみれば・・・『障害』というのは、ちょっと気になる“文字”である。
本人に対して“害”があるという意味なのか・・・
うがった見方をすれば、障害のある人は周囲の人に“害”を与えているというのか・・・
“害”という文字が、ちょっと引っかかるかも・・・

私は障害者の端くれだから、敢えて書かせてもらうけど・・・・

台湾の表記・・・『残障』は、もしかしたら適切な言葉かもしれない。
いわゆる日本で言うところの“障害”が残っている・・・という意味でしょ?
こちらのほうが、日本よりいいかも・・・

看板・標識・標語など | 13:35:39 | Comments(2)
台湾歴史探訪の旅(6)
午前8時半、ホテルを出発・・・
まずは、市内の日本統治時代の建物の見学である。

『台南地方法院』・・・台南地方裁判所である。
日本統治時代も、裁判所だったらしい。

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ドーム屋根の上に屋根があるのは、修復中の仮設屋根なのか、それとも保護のための常設屋根なのか・・・
特徴あるドーム部分がよく見えなくて残念である。

次が・・・『台南市警察局』
日本統治時代も警察署だった建物である。
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が・・・なぜか閉まっている・・・
今日はお休みなのか?
いやぁ~警察署に“休館日”があったらおかしいでしょ。(笑)
現在は使われていないのかな?

この『台南市警察局』の建物の道路を挟んだ向かい側に赤レンガの洒落た建物が・・・

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現在は『国立台湾文学館』となっていて、日本統治時代は『台南州庁舎』だった建物である。
建築家・森山松之助の作品で、大正5年(1916年)に造られた建物である。
平成9年(1997年)に修復され、平成15年に修復が完了し、文学館として利用されることとなったようである。

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こういう重厚な建物・・・好きだなぁ~(笑)


より大きな地図で 旧台南州庁 を表示

続いて向かったのは、『国立成功大学』・・・・
なんでここに行ったのかは、よく知らない。(大笑)

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どうも、この大学の『成功大学博物館』のところの門が、日本統治時代の遺跡らしい・・・
(よく知らないけど・・・)(笑)
この『成功大学』の“成功”は、勿論、台湾の英雄、鄭成功(てい・せいこう)の名が由来である。
この大学は“国立”であるから・・・
“国立”ということは、中華民国ということになるよね?
間違っても中華人民共和国じゃないよね?(大笑)
中国は台湾は中国だと言っているようだけど・・・

『国立成功大学』は、日本統治時代に台湾総督府が昭和6年(1931年)に設置した『台南高等工業学校』が前身だそうである。
初代校長は、若槻道隆という長野県出身の教育者。
どうも日本では大して著名ではない方のようである。
日本は、台湾には優秀で実力のある人材を送り出していたのだから、それ相当の人物だと思うのだが・・・
こういうところが日本の歴史教育の拙いところではなかろうか?
若槻初代校長は、拙者が生まれる1年前・・・昭和34年(1959年)に日本でお亡くなりになっているようである。

旅行 | 12:18:17 | Comments(0)
台湾のパトカー
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(台湾・台南駅前にて)

台湾のパトカー!

台南市政府警察局・第5分局のパトカー・・・・

ドアの下に書かれている文字の意味がわからないんですけど・・・
「報案請打」・・・
なんだろ?
これ・・・

「通をくれて、相手のところまで内してくれて、要があれば、相手をちのめしてあげます」という意味かな?(笑)

いやぁ~・・・まさか・・・違うよなぁ~(大笑)

看板・標識・標語など | 11:28:36 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(5)
2日目・・・

朝食を食べていたら、“ヨコヤマさん”が台南駅を見に行って来たと言う。
“コウノさん”も見てきたと言う・・・
あらあら・・・皆さん、早起きして・・・さすがは行動が早い。(笑)
(敢えて、年寄りだから・・・なんていうことは言わないですよ)(大笑)

朝食後、出発まで時間があるので、早速、一人で台南駅を見に行く事にする。
時刻は午前7時半・・・・

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(在来線・台南駅)

在来線の「台南駅」は、レトロな建物である。
こういうの・・・好きなんだよなぁ~(笑)
日本統治時代の明治33年(1900年)に台湾総督府がここに駅を設置したらしい。
当時は、どういう駅舎だったのかは知らないが・・・
昭和7年(1932年)から4年もの歳月をかけて改築したのが、今の駅舎のようである。
ルネサンス様式の建物である。
左右対称を重視し、円柱やアーチ、壁には絵画や模様を施すのが特徴・・・だったかな?(笑)
「コロニアル風」という表現もある。
“コロニアル”は、「植民地」という意味のスペイン語が語源だそうで・・・
スペイン統治時代の白くてベランダが付いている建物を「コロニアル様式」などと呼んだりしている。
中央に玄関があって、窓は大きく左右対称、柱は円柱・・・だったかな?(笑)
ん?
そうなると、まさしく白亜の駅舎だから・・・これは「コロニアル」?
ルネサンスとコロニアルが混じったもの?
いや、もしかして、これは「ネオ・ルネサンス式」と呼ぶべきか?
どれが正しいんだろ?
実際にここに来て見てみなければ、建築士の“ウメちゃん”も“シミズくん”もわかるまい!(大笑)
プロの彼らが、こういうところを見ずに、素人の拙者がこういう素晴らしい建物を見に来るというのはいかがなものか・・・
日本の建築士は「お勉強」が足りないのではないか?(笑)
だから面白くもないデザインの建物ばかり建てちゃうんだよね?(大笑)
こういう建物をなぜ建てぬ!
・・・と、ブツブツ言いながら駅に向かって歩く。(笑)

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なんというか・・・懐かしいというか・・・レトロな雰囲気がなんとも良い!
なんとなく、雰囲気が九州の門司港駅に似ている感じがした・・・

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柱の上のほうには、日本統治時代の古い写真が何枚も飾られていた・・・
国防婦人会の方々や、日本軍のどこかの部隊などの集合写真・・・
改築当時のこの駅舎と駅前のロータリーが写っている写真など・・・
これもまた良いなぁ~

ワクワクしながら駅舎の内部を散々見て回っていたので、待合席の乗客たちから奇異な目で見られてしまった。(笑)

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駅前をグルリと回ってみる。

と・・・ロータリーのところに、銅像が・・・

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この銅像は、「鄭 成功(てい・せいこう)」という人の銅像である。
この人には日本人の血が流れている。
母親が日本人で、日本の平戸で生まれ幼少期を平戸で育っている。
寛永元年(1624年)のことである。
その後、中国に渡り、清に滅ぼされそうになっている明の肩を持ち抵抗運動に参加するが大敗・・・
台湾に渡り、当時、台湾を占拠していたオランダ人を駆逐して、態勢を立て直そうとしていたが、台湾で死去した。
なんか・・国共内戦に敗れ、台湾に逃れてきた蔣介石とダブるが・・・(笑)
鄭 成功は、台湾の発展の基礎を作った、民族的英雄だとされている。
台南市には、この人の息子が作った父親を祀った廟があるから、多分、駅前に銅像が立っているのだろう。

う~ん・・・是非とも近づいて写真を撮りたいものだ・・・と思ったが・・・
ロータリーに渡る横断歩道が・・・ない!(涙)
目の前には、警察署がある・・・
う~ん・・・警官の前で車道を渡っていいものか・・・(笑)
もし、逮捕されたら、アホな日本人観光客を演じれば許してもらえるかな?(大笑)

意を決して車道を渡ることにしたが・・・
これがなかなか難しい・・・(笑)
直進、左折、右折、ロータリーを1周する車・・・
信号を見ていても、どの車線の車がどう動くのかがわからないのである!
そこに来て、信号を無視(?)して突っ込んでくるバイクがいるのだから、渡るタイミングを図るのが大変!
右見て、左見て、また右見て、左見て・・・いつまで経っても恐くて渡れない!(大笑)
ようやく小走りに渡る!(笑)

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ここからだと、台南駅を真正面から撮影できる!(喜)

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ふと、足元に目をやると・・・
銅像の下に・・・ウンチ!(驚)

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う~ん・・・台湾の英雄の銅像の下にウンコとは・・・
犬のウンコか、人間のウンコか・・・
どうも最近、親父の介護をするようになってからウンコと縁があるような・・・(涙)
どう見ても、人間のウンコのようである。
ケシカラン奴がいるものである。
それも一人や二人じゃないぞ・・・これ・・・
中国共産党員の嫌がらせか?(大笑)

散策を終えて、ホテルに戻る。

099_convert_20130319105853.jpg(拙者が泊まったホテル)

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拙者の部屋から、台南駅のほうを撮影する。
あ~・・・ここから良く見えるんだ・・・と帰る時になって気がつく・・・(大笑)

時刻は8時20分・・・
出発まで、あと10分しかない・・・
急いで荷物をまとめてロビーに下りる。

室内は禁煙なので、外で一服・・・と思ったら・・・その時間がない!(笑)
みなさん、すでにバスに乗られている。
人員点呼・・・
我が班は更に2つに分かれ、“ヨコヤマさん”を班長に、“コウノさん”と拙者の3名で1班を構成することになった。
で・・・拙者は“ヨコヤマさん”を「班長殿!」と呼ぶことにしたが、そのうち「小隊長殿!」と変えた。(大笑)
「小隊長殿!人員点呼!イチ!ニ!サン!」・・・「3名揃っております!異常なし!」(笑)
3名しかいない班なので・・・人員点呼は簡単である。(大笑)
これには“コウノさん”がニヤニヤ笑う。
どうせ旅をするなら楽しく旅をしなくちゃねぇ~(大笑)
拙者は、ふざけるのが大好きなのである。(笑)


より大きな地図で 台南駅 を表示


旅行 | 10:22:28 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(4)
次に向かったのは・・・『南台南駅跡』・・・・
この駅は、戦時中は台南飛行場への物資運搬用の駅だったらしい。
が・・・今は何もない・・・(笑)

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(向こうに見える木が茂っているあたりが南台南駅跡)


より大きな地図で 南台南駅跡 を表示


より大きな地図で 南台南駅跡 を表示

遠くから空き地の写真をパチリ・・・
あとは見るものがない・・・(笑)
さて・・・どこかタバコが吸える場所はないものか・・・(大笑)
すぐ近くのホテルの外に灰皿があったので、そこへ行き、一人で一服・・・
みんなが戻ってくるのを待つ・・・
隙あらばタバコ!・・・・である。
吸える時に吸わねば!(大笑)

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時刻は午後6時・・・かなり暗くなり始めた・・・
次に向かったのは『偕行社跡』・・・・
「偕行社」は、陸軍将校の親睦・互助団体で、学術研究などもやっていた組織である。
「偕行社」は、終戦時に解散したが、戦後、「偕行会」として復活し、その後は「財団法人・偕行社」、現在では「公益法人・偕行社」と名称を変えて存続している。
現在では旧陸軍将校も減り、遺族や家族会員だけでは伝統の継承が難しくなったためではないかと思うが、陸上自衛隊の幹部自衛官OBが多数入会して、将来の組織の維持を図っているようである。
現在の会員数は、約1万人ぐらいいるらしく・・・ちなみに、拙者もその1万人の中の一人である。(笑)

日本全国に、「偕行社」があったが、ここ台湾にも置かれていたようで、今から訪問するのは『台南偕行社』である。
が・・・完全に日が落ちてしまった・・・
写真を撮るには最悪である。(涙)

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行って見たら・・・『台南偕行社』の建物は、他の建物の間に挟まれて、少し奥にあった。
意外にも、予想に反して小さな建物・・・(笑)
で・・・どう見ても“廃屋”状態となっていた。(笑)
この建物は、一応、文化財として登録されているそうなのだが・・・
今は何にも使われずに、“放置”されているようである。

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歩道にマンホールかと思ったら、「偕行社」が文化財であることを示すマークがはめ込まれていた。(笑)


より大きな地図で 台南偕行社 を表示

今日の歴史探訪は、ここまで・・・
日が暮れてしまったが、何とか今日の予定は全てこなせて良かった。
在来線の台南駅前のホテルにチェックインをして、ホテル内のレストランで夕食会。
その後は自由・・・
とは言うものの、夜の街を探検に行く気力はない。(大笑)
というわけで・・・暇なのでマッサージを呼んでみることにした。(笑)
幸いにもフロントに片言の日本語が話せる女の子がいたので頼んでみたところ、「目の不自由な人ですがいいですか?」と言う。
「全然問題ないよ~」と答えて、部屋でマッサージさんが来るのを待つ。

まもなく白い杖をついた若い女の子のマッサージさんがやって来た!
が・・・ドアを開けるなり、いきなり中国語で何かを言われたが拙者にはさっぱりわからん・・(大汗)
とにかく、手を取って部屋に入れ、ベッドの角を触らせ、「ここがベッドです!」と教える。
で・・・え~と・・・どうすりゃいいんだ?(大笑)
ここで気がついた・・・
拙者は中国語(北京語も福建語も・・)台湾語も話せない。
というわけで、口頭での意思の疎通は無理・・・
じゃぁ、英語はどうかと言うと、これは彼女のほうがわからないらしい・・・
こうなると、普通は筆談ということになるのだが、相手は目が見えないから筆談は無理・・・
じゃぁ、ジェスチャーでとなるのだが・・・
あ・・・相手が目が見えないから拙者のジェスチャーは・・・見えない・・・よね・・・(大汗)
しまった!
ここにきて、ようやく事の重大さに気がついた!
意思の疎通が・・・できない!(大涙)
道理でフロントの女の子が「大丈夫ですか?」と確認したわけだ・・・
あ~あ~やっちゃった・・・(大笑)

とりあえず、うつ伏せかな?(笑)
拙者の肩を触り、中国語で何かをいいながら、「うん、うん」と納得したような声だったので正解のようである。
拙者を揉みながら彼女は中国語で話をしてくるのだが・・・
俺は中国語はわからないんだってば・・・・(涙)
と・・・英語で答える。
彼女は英語がよくわからないようだから、何も英語じゃなくて日本語で言っても同じなんだよなぁ~(大笑)
どうして無理して英語でしゃべっちゃうんだろう・・・拙者は・・・(大笑)

しばらくして、肩を叩かれ、中国語で何か言われた・・・
多分、今度は仰向けかな?
と・・・拙者の体を触って彼女が叫び声に近い中国語でまくしたてた!
「ギャー!」みたいな・・・(大笑)
拙者もこれには驚いた!(大笑)
間違えたか!・・・もしかして横向き?・・・(大笑)

オ~オ~・・・そのようである。
再び肩を叩かれたので、今度は反対向きになれということだろう。
オ~オ~段々要領が飲み込めてきたぞ!(喜)
で・・・まもなくして再び肩を叩かれた・・・
え?・・・今度はどうしたらいいんだ?(大汗)
と・・・彼女が拙者の肩のところに名刺を差し出したのである!
で・・・相変わらず、中国語で話しかけてくる。
う~ん・・・また呼んでくださいね・・・ということなのだろう・・・(笑)
が・・・
拙者は中国語が話せないから電話なんかできないんですけど・・・
だいたい、名刺をもらっても、貴方の名前の読み方を知らないんですけど・・・(笑)
これじゃ、指名なんかできるわけないし・・・
だいたい、台南に泊まるのは今晩一泊だけなんですけど・・・
と・・・伝えたいが・・・無理・・・(大笑)

最後には、何となく言葉の意味がわからなくとも、声の調子でお互いに意思の疎通が図れたような気がしないでもない。(大笑)
「おお!」
「オッ?」
「お~お~!」
「おおぉっ!」
「ほっ?」
「ほぉ~」
「へ?」
「おう、おう・・・」
もう、こうなったら“言葉”ではない・・・
人間同士じゃなくて、何か得体の知れない動物同士が唸り声を発している感じである。(大笑)
拙者は類人猿か?(大笑)
それでも何とかなるもんだね・・・
この調子なら、宇宙人ともコミュニケーションが取れるかも・・・・(大笑)

意外にも貴重な、楽しい経験をさせてもらった。(大笑)

旅行 | 22:27:06 | Comments(2)
台湾歴史探訪の旅(3)
019_convert_20130316202033.jpg(高速鉄道・台南駅)

バスに乗る前に、トイレ休憩があったので、その時間を利用して喫煙!
とにかく、どこでも禁煙、禁煙で堪った物ではない。(笑)
成田を発ってから、ずっとタバコが吸えなかった。
ようやくタバコが吸えるぞ!
で・・・短時間で駅の周囲を見回し、灰皿が置いてある場所を見っけた!(大喜)
至福の一服である・・・

020_convert_20130316202105.jpg(我々のツアーバス)

このバスで、まず、最初の訪問地・・・『飛虎将軍廟』へ向かう。

ここは以前から訪問したかった場所である。
「飛虎」とは戦闘機のことで、「将軍」とは神として祀られる勇士の尊称なのだそうだ。
で・・・この「将軍」とは誰かと言うと、日本海軍の軍人、零戦の搭乗員の杉浦茂峰兵曹長(戦死後、少尉に昇進)だという。
つまり、日本の軍人が台湾で神として祀られているのである。

昭和19年10月12日・・・・
早朝に米軍機が台南地区を空襲。
迎撃に零戦が上ったが、撃墜された零戦が、この村に墜落しそうになったらしい。
地上の村人が犠牲になることを避けるためにパイロットは脱出せず、そのまま村を避けるように飛び、空中で爆発・・・・
搭乗員は、地上に落下して戦死した。
それが杉浦兵曹長だという。
戦後、まもなく、墜落現場に白い服を着た亡霊がいるのを見た村人や、夢に出てきたという村人が現れた。
それは多分、村を守るため自己を犠牲にして戦死した杉浦少尉だろうということで、村人が彼を祭ることにしたらしい。
それが現在の『飛虎将軍廟』であり、杉浦少尉の墜落現場に建てられたらしい。

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この杉浦という零戦搭乗員は茨城県水戸市出身の方である。
しかも、確か、実のお姉さんは拙者の住む日立市に住んでいたと思う。
(もうお亡くなりになっているかもしれないが・・・)
ということで、茨城県日立市出身の拙者としては、是非、お参りをせねばと以前から思っていたのである。
願いが叶って大感激である!

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廟の中には、ご本尊が3体ある。
一説には、この同じ日に戦死した他の2名も合祀されて3体のご本尊があるのだともいうが・・・
ここの“解説員”の話では、中央の1体がご本尊の杉浦少尉で、両脇の2体はその分身なのだそうである。
村人が請えば、この分身がそのお宅にお邪魔するのだそうである。(笑)


より大きな地図で 飛虎将軍廟 を表示


旅行 | 20:15:03 | Comments(2)
火を滅するのか!
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(台湾・高鉄台南駅構内)

滅火器

一目見て、すぐわかる・・・
日本と同じである・・・
「消火器」だよね・・・・
と・・・よく見てみたら「滅火器」と書いてある。

日本では「火を消す」のであるが、台湾では「火を滅する」のか?
火を殲滅するってこと?(笑)
かなり過激な・・・という気もするが・・・
こういうところが、日本人と中国人の違いかな?

看板・標識・標語など | 15:30:11 | Comments(0)
本を返す箱?
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(台湾・高鉄台南駅構内)

還書箱

「高鐡親子閲讀趣」・・・
なんだろ?
高速鉄道に乗って、親子で本を読むという趣味の人へ・・・という意味か?(笑)
「還書箱」・・・
これは本を還す箱・・・という意味だろう。

高速鉄道では、車内で親子で読むための本を貸し出しているのだろうか?
図書館みたいなことをやっているのだろうか?

漢字の脇には、小さな字で振り仮名のようなものが書かれている。
子供でもわかるようにとのことだろうが・・・
この文字・・・全く読めない!(笑)
ひらがな・・・じゃないよね・・・これ・・・

看板・標識・標語など | 15:20:40 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(2)
通称、「台湾新幹線」・・・・
正式名称は「台湾高速鉄道」「THSR(タイワン・ハイスピード・レール)」というらしい。
この台湾高速鉄道の「高鐵桃園站(高鉄桃園駅)」から新幹線に乗る。

003_convert_20130316131227.jpg(高鉄桃園駅)

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地下の4番ホーム・・・
新幹線が入って来た!
これは日本の新幹線の車両を改造したものらしい。
車両は日本の技術で、その他のシステム等はヨーロッパのものが導入されているらしい。
日欧合作の新幹線である。

午後2時20分頃発車らしい。

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車内は、日本と変わらないような気がする。
一列が、2席と3席で構成されている。
乗り心地は悪くはない。(笑)

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拙者が座ったの席・・・の表示・・・・(笑)

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拙者は3人がけの真ん中の席・・・
中国語表記も「中間」・・・である。
通路側は「走道」だそうだ・・・・
読めないのが窓側・・・(笑)
見たことのない漢字である。(笑)

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車内販売もある。
というわけで・・・コーヒーを買ってみた。
ホットコーヒー1杯40元・・・1元が約3円ちょっとなので、日本円で120円くらいか?

拙者の座った3人がけの両隣は、“コウノさん”と“アサダさん”・・・
“コウノさん”とは初対面なので、自己紹介がてら、おしゃべり・・・
拙者の戦友会や慰霊巡拝、戦跡訪問などの活動などについてお話をしていたら、なんと!
“コウノさん”は、昨年、済州島のツアーの時に案内役をしてくださった写真家の“ヤスジマさん”の後援会会長だそうだ!
いやぁ~・・・人とは話してみないとわからんものである。(笑)
こういう出会いは、偶然ではなく必然なんだろうなぁ~
添乗員の“アサダさん”からは、今年、フィリピンへ行くツアーを考えているところで、できれば「案内役」として同行できないかというオファーを頂いた。
この間のクラーク博物館の話をしたところ、それをコースに入れてみたいと言うのである。(喜)
そこで、博物館のお手伝いをした拙者に白羽の矢が・・・・(笑)
これまた、面白い展開である。
謝礼はほとんど出ないと思うんだけど・・・という話であるが・・・
謝礼なんて別に拙者は要らないのである。
ツアー客の一人として同行して、必要があれば説明をするということでいい。
お役に立つことができれば、こんな嬉しい事はない!
この企画・・・実現したらいいなぁ~(笑)

などと・・・おしゃべりをしていると時間が経つのは、あっという間である・・・
約1時間20分程度で台南駅に到着!
時刻は午後3時45分頃である。

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高架のホームから外を見てみたら・・・・何もない!(笑)
ウッ・・・台南って、どんな所なのだろう・・・・(大笑)

昔、台北からプロペラ機に乗って台中に一人で行った事がある。
国内線は英語が通じず・・・
アナウンスも中国語のため、何を言っているのかわからず、わけもわからぬまま心細い思いをして台中に行った。
着陸したら、原っぱのような飛行場・・・
空港のターミナルは掘っ立て小屋に毛が生えた程度のもので驚いた。(笑)
同じくらいの時間で、今では台南まで新幹線で行けるとは便利になったものである!
いやぁ~新幹線は、凄い!(大笑)

017_convert_20130316143355.jpg(高鉄台南駅・構内)

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どうも台湾では3月9日から18日まで「台湾国際蘭展」というのが開催されるらしい。
その看板だろう・・・綺麗な蘭の花で飾ってある。
蘭展・・・見てみたいが・・・残念である・・・


より大きな地図で 高鉄台南駅 を表示


旅行 | 12:51:55 | Comments(0)
台湾歴史探訪の旅(1)
7時40分に成田空港集合・・・である。
奇跡的に(笑)早起きして・・・7時前にはチェックアウトして、タクシーで空港へ向かう。
幸いにも、あの“お馬鹿な”フロントの女の子ではなかったので、スムーズなチェックアウトが出来た。(笑)

今回のツアーは昨年開催された台湾の日本統治時代の文化遺産を巡る旅の第2弾である。
旅行保険の手続きをして、余裕を持って集合場所に着いたが、添乗員さんは来ていない・・・
多分、高齢者の参加者が多いだろうから、高齢者は早めに集合しているだろうと思っていたのだが・・・
あれれ?・・・である。(笑)
高齢者のご夫妻がおられたのだが、我がツアーの方かどうかわからないので声をかけるのはやめた。
その他にも、中年の女性陣が集まっていたが、まさかこのマニアックなツアーに女性がたくさん参加するはずはないと思い無視した。(笑)
そのうち、前回のツアーでご一緒させていただいた“ヨコヤマさん”や“ツヅキさん”がやって来た。(喜)
一度でも会った事がある方と再会出来るのはなんとも嬉しい。
集合時間5分前になって、添乗員の“アサダさん”が到着・・・(唖然)
人員点呼を取ったら、先ほどの高齢者のご夫妻も、中年のオバチャンたちのグループも、みんな我がツアーの参加者だった。(大笑)

今回のツアーは総勢24名・・・現地で2名が合流するので、成田からの出発は22名だそうである。
いやぁ~何でしょう・・・これ・・・
前回は、10名そこそこだったと思うが・・・こんなに大勢の参加者とは・・・

添乗員も一人では人員を把握しきれないとのことで、3つの班に分け、それぞれの班長が人員を掌握することとなった。
拙者は「アサダグループ」10名に加わる。
これは“アサダさん”の常連さんが中心のグループである。
他の2つは、どちらも「保守派」のグループが、参加しているようで、それぞれのリーダーが班長となり自分の会員の把握をすることになったようである。
「保守派」ねぇ~・・・・(笑)
“オバチャン”のグループも、「保守派」の女性の会の方々らしい。(汗)

このツアーで拙者は2番目に若い参加者だそうで・・・
52歳が2番目に若いんだから・・・ちょっと怖ろしいツアーである。(笑)
このくらいの人数のツアーには、必ず一人、おしゃべりばかりしていて周囲に気を配らないという人がいるものである。
不思議なことに一人は必ずいる。
我がツアーにも・・・やっぱり、「いらっしゃった」・・・おしゃべりばかりしているオバチャン・・・
添乗員の説明も、案内も、注意事項も聞いていない・・・
自分のおしゃべりで一生懸命である。
要注意だが・・・拙者の班ではないので・・・余計なおせっかいはしないこととする。(笑)

9時40分発、台北(桃園空港)行きの中華航空に搭乗・・・
早くも、オバチャンから席を交換して欲しいと言われる。
友達と並んで座りたいのだそうだ・・・(笑)
「はい、はい、どうぞどうぞ・・・」
拙者はオバチャンには逆らわない・・・(大笑)
どうせ読書をするか、映画を見ながら乗っているだけですから・・・
どこに座ろうと同じことです・・・(大笑)

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現地時間、午後1時頃に桃園空港に到着!
ターミナルから移動するのは、やたら音のうるさいモノレール(?)・・・
シャトルって言うのかね?・・・これ・・・
これに乗って別のターミナルに移動して、入国審査を受ける。

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空港に迎えに出てくれた現地旅行社のガイドは“チョウさん”・・・
昨年のツアーの時に初めてお会いしたガイドさんである。
1年ぶりの再会!
いやぁ~懐かしい・・・(喜)
この“チョウさん”・・・実は、今は亡き拙者の伯父にソックリなのである。(笑)
年齢は、伯父より一回りも若いが、若い時の伯父にソックリなのである。
このことは、本人には教えてはいないが・・・(笑)
今回のツアーも、もしかして“チョウさん”がガイドとしてついてくれるかなと思い楽しみにしていたら、やっぱり予想通り、彼が付いてくれた。
久しぶりに伯父に会えたようで何とも嬉しい!

で・・・これからバスで鉄道駅へ行き、新幹線に乗って台南へ向かう。


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旅行 | 10:23:14 | Comments(0)
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