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Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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熊の出没増加・・・
全国で熊の目撃情報が増えているそうだ・・・
昨年の4月から11月の間の目撃件数は7300件だったそうだが、今年は4月から8月の間で、既に8000件を超しているという。
どうも今年は、熊の好物のドングリが不作なのだそうで、それで餌を求めて人里まで降りてくるケースが多いと見られている。

人間の方も不景気だが、熊の方も同じく不景気か・・・(笑)

熊が町の中心部や住宅地に出没するケースもある。
10月にはJR長野駅のホームでツキノワグマが目撃され、その後射殺されている。
可哀想な気もするが、やむを得ない処置か・・・
畑で作業中の人が襲われ死亡したり、怪我をしたりしているからなぁ~
が・・・なんとかならんのかね?

どうも人間は都合のいいときだけ「共生」という言葉を使っているような気がする。
何かというと「共生」と言うが・・・
熊とは共生できないのかね?
だいたい、熊が生息していたような山や丘を切り崩して住宅地を作ったりしてるんじゃなかろうか?
それでは「住宅地」に熊が出没しても仕方がないのである。
あとから人間が住み着いたんだから・・・
そもそもは熊の生息地であろう?
これは熊だけではなく、鹿も狸も狐も同様ではあるまいか?

北海道の斜里町では、住宅地の周囲を約4kmの柵で囲い、電気を通して熊を撃退するという対策を実施しているという。
こうなると、昔の中国のように、町を城壁で囲むという方式しかないなぁ~(笑)
これもいい手かもしれないが・・・・

環境省の野生生物課(そういう課があるとは知らなかったが・・・)の話だと・・・
ドングリはブナの実なのだそうで、このブナの木は夏場が猛暑だと翌年は実を付けにくくなるのだそうである。
実がつけにくくなる・・・ということは、実を付けない・・・とは言っていないんだから・・・(笑)
ブナの木を増やせばいいのではないかと思うのだが、どうだろうか?
不作でも木が多ければなんとかなるのではあるまいか?
その他にも、熊の食糧になりそうなものを植えるというのはどうだ?
熊だって冬眠前の準備で必死なはずである。
命懸けで人の住む地域まで入ってくるわけであるから・・・・
「共生」を言うなら、「撃退する」だけでいいのだろうか?
山奥の熊の生息地あたりにブナの木や食糧になりそうなものを植えておく。
あとは・・・自然に任せる・・・(大笑)

こういう単純なことを言うと、役人や「有識者」と呼ばれるような方々は、「そんな簡単な話じゃない」と必ず言うのである。
こういうのは、その昔、市役所の職員との懇談会で何度も言われたことがある。(笑)
やってみなくちゃわからんだろ?
杉の木を植えたまま、手入れもしないで放置しているような林業である。
伐採して、ブナの木でも栗でも柿でもいいから植えたらどうだ?(笑)
もしかして、山のためにもなるかもしれないではないか?
そうなれば一石二鳥ではなかろうか?

人間が食べるためのものではなく、野生生物のためである。
が・・・野生生物のために人工的なことをやってはいけないという法律でもあるのだろうか?
あるなら法改正をすればいい・・・
それが政治家と官僚の仕事である。

「共生」などという言葉を聞くたびに気分が悪くなる。
綺麗事ばかりを言いやがって・・・という思いが強くなるのである。
動物愛護団体は何のアイディアも出さないのかねぇ~
ここ最近、ずいぶん、静かなようだが・・・

日本ツキノワグマ研究所の理事長さんの話では・・・
最近は人間を怖がらない若い熊が増えたという。(大笑)
人間の世界も熊の世界も同じようである。
バカが多いらしい・・・(笑)
若い連中は怖いもの知らず、傍若無人、マナーが悪い・・・(大笑)

熊の場合は、話してわかる相手ではないので、何とか「共生」できる方策を考えてやるべきである。
人間のほうは、本来なら話せばわかるはずなのだが、最近は熊なみに話してもわからないから・・・射殺しちゃおうか?(大笑)

いずれにせよ、我々の身を守るためだけのことをしていては「高等動物」である人間としてはお粗末である。
撃退だの射殺だのでは・・・
サファリ・パークの真ん中に家を建てておきながら、虎やライオンに襲われると対策に奔走しているようなものである。(大笑)
撃退だけではなく、熊が山奥で平和に暮らせる方策も合わせて考えてやるべきではなかろうか?

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エッセイ | 12:12:10 | Comments(0)
第3ブロック会議
今日はお昼から法人会の第3ブロック会議・・・
この会・・・
何だかんだと会議が多いが、どの会議でも拙者は理事に就任している。
法人会親会理事会、地区会理事会、第3ブロック会議と3つ・・・
そんなに細かく会議を作らなくてもいいのではないかという気もするが・・・(笑)
日本人は会議が好きなんだろうねぇ~(大笑)
肩書きばかりの人が集まってワイワイガヤガヤと雑談で華が咲き、肝心の議題ではシ~ンと誰も意見を言わず・・・・(大笑)
結局、特にこれといった話も結論もないまま解散となる。
いつものパターンである。
唯一の楽しみは、昼食が出るということ。(大笑)
まぁ、この餌に釣られて会議に集まるわけで・・・・(大笑)
拙者もその一人である。

実は、拙者がフィリピンに行っている間に広報委員会が開催されていた。
拙者は広報委員会の委員でもある。
拙者の予定に合わせて会議を開かないと、委員が集まらないので、「委員会」にならない可能性がいつも高い。
ひどい時には、委員長と委員である拙者の2人しか集まらなかったこともある。
以前、何度かそういうことがあったので、その後、拙者の都合も考慮に入れて委員会の開催日が決められたが、今回は、その打診がなかった・・・
というわけで、先に予定を入れていたフィリピン行きが優先となる。
だいたい腰を骨折した親父を置き去りにして行っちゃうくらいだから、あとから通知が来た広報委員会を優先して旅行をキャンセルするわけがない。(大笑)
拙者が欠席した広報委員会・・・どうだったかを事務局に尋ねたら・・・
「大盛り上がりでした!」と言う。
あれ?・・・なんで?
話題は拙者の事だそうで・・・(大汗)
「ベトナムに行っていたそうですね」と事務局の“アサヒくん”・・・・
拙者は欠席通知にフィリピンに行くから・・・とコメントを書いておいたはずだが・・・なんでベトナム?
「あれ?ベトナムじゃなかったでしたっけ?帰国したらベトナム事情を書いてもらおうってみんなで言ってましたよ」と言う。
アホ・・・ベトナムじゃないわい!(怒)(笑)
どうしてフィリピンとベトナムを取り違えちゃうのかねぇ~(唖然)

我が法人会は公益法人に移行したため、会報は会員以外の一般の人にも読んでもらおうということになった。
が・・・その一般の人向けに何か書かなくてはならない。
そういうエッセイやコラム記事が書けるのは・・・拙者ぐらいしかいないとか何とか、(その他に何を言っていたのかは教えてくれなかったが・・・)大いに話が盛り上がったという。
ん?陰口を叩いてたんじゃないか?(大笑)
で・・・「記事・・・よろしくね!」だそうである。(唖然)
参ったなぁ~・・・どういう広報委員会なんだろうか?(大笑)

今回のこの第3ブロック会議も、同じようなもので・・・(笑)
相変わらず、会員増強運動についてが議題である。
毎度の事ながら、話は同じ・・・・
意見は出ない・・・
おしゃべりな拙者が口火を切ってアイディアを出すが・・・(笑)
基本的に拙者のアイディアは、わざと極論を言うので当然、実行不可能に近い・・・(大笑)
拙者の極論を受けて誰かが修正案を出し、実行可能なレベルに引き下げてくれるとありがたいのだが・・・
残念ながら期待はずれ・・・(大笑)
そうなると、面白くないから冗談話で笑いを取るしかない・・・(大笑)
結局は「みんなで手分けして勧誘を頑張りましょう」と相変わらずの結論でお開きとなる。

会議後、近くの喫茶店でブロック長の“ケムちゃん”とコーヒーを飲みながら雑談・・・
“ケムちゃん”と、おしゃべりするのも久しぶりである。
いい時間が過ごせた・・・
感謝、感謝・・・

日記 | 11:36:26 | Comments(0)
勉強会には行かない!(笑)
今晩は、国会議員に立候補しようという“イシカワくん”の「勉強会」である。
またまた自民党の著名な議員を呼んでの講演会・・・
それはそれで構わないのだが・・・
“イシカワくん”は一向に、自分の方針や考えを訴えない。
他人の講演内容に賛同するだけ・・・
これではマズイ・・・
これでは、支援者の心を掴む事は出来ないのではなかろうか?

今回の「勉強会」の案内も誰が作ったのか知らないが、呆れたものである。
後援会会員各位・・・として案内の葉書が届いたが・・・
相変わらず後援会会長の名前は書かれていない。
一体、誰が後援会会長なのか・・・・
前回の集まりで後援会会長は“イシカワくん”に一任ということになっていたが・・・
今もって、ハッキリしないというのでは、先が思いやられる。

更には、「勉強会」の会費の振込先が自民党の支部の銀行口座となっているのである。
拙者としては、こういう筋の通らないことは嫌いである。
後援会が後援会会員に案内を出すということは、後援会の活動であるから、当然、振込先は後援会の口座であるべきであろう。
法的に後援会が金銭の授受がおこなえないと言うならば、資金管理団体がおこなうべきではなかろうか?
つまり、少なくとも後援会か資金管理団体の口座名であるべきで、自民党の支部の口座ではおかしいのではないか?
法的にどうしてもそうしなくてはならないなら、その説明を付記しておくというのが親切であり、丁寧ということになるだろう。
その丁寧さが大切ではなかろうか?

振込先が自民党の支部の口座では、自民党の党員の「勉強会」ということになるのではないか?
そう解釈するのが普通ではないか?
拙者は自民党の党員ではない!
だから・・・行かない!(大笑)

自民党公認で立候補するのは、誰でもわかってはいるが・・・
だからといって自民党の支部の名前を前面に出したのではマズイ・・・
地元では全く知名度のない候補者なのである。
広く支援者を募らなければならない。
拙者のように「彼の後援会」ならいいが、「自民党の・・・」では抵抗を感じる人間も多いのではあるまいか?
出来れば、民主党の支援者の切り崩しも考えるべきである。
一時的に、何の迷いか、民主党候補者を支援してしまった有権者を、こちらに引き付けなければ選挙には勝てまい。

民主党がダメな政党だということが明らかになったからといって、必ずしも自民党に“風が吹く”とは限らない。
どちらの政党も支持しない・・・という有権者のほうが多いのではなかろうか?
つまり・・・投票率が下がる可能性が高いということである。
場合によっては無所属で立候補したほうが当選しやすいかもしれない・・・(笑)
無所属で当選してから自民党に鞍替えすればいい。
あとは、任期中にどれだけの活動をするか・・・である。

全体的な“コーディネーター”が不在のようである。
烏合の衆が、お祭り気分で、その気になっているだけ・・・の感が強い。
まぁ、後援会会長以下役員の名前もわからないのだから、無理もないか・・・

先日も“オザワくん”には、この件を指摘して、今晩の「勉強会」は筋違いなので欠席する旨を話しておいたが・・・・
昨日は“ウメちゃん”が“イシカワくん”に会ったそうで、拙者が手を引こうとしていると忠告したらしい。
加えて、拙者を“参謀”として使わないのなら選挙には勝てないとまで言ったとか・・・(大笑)
いやはや・・・そこまで言っちゃったの?・・・である。(大笑)

まぁ、どうなるのやら・・・拙者は・・・知らん!(笑)

日記 | 23:33:18 | Comments(0)
薬をもらいに行く
ピロリ菌を殺す薬・・・・
1週間、真面目に飲んで(笑)・・・・今朝、飲み終えた。
で・・・病院に次の薬をもらいに行く。

医者の診断を受け、胃カメラを飲んだときに組織を取ったそうで・・・
(拙者はまったくわからなかったが・・・)
組織を検査したところ癌の可能性はないとのこと。
「良かったですねぇ~」と医者が笑う。

中性脂肪を減らす(?)薬も、もう無くなった・・・
どのくらい中性脂肪が減ったかの確認のため採血・・・・

テキパキと、あっという間の診察なので気持ちがいい。

今日もらった薬は、十二指腸潰瘍を修復する薬らしい。
これを3週間、飲み続けるのだそうだ。
まぁ、今回、徹底的に治しておけば、当分の間は大丈夫だろう。(大笑)
やはり、胃の調子が悪いと何もやる気が起こらないからなぁ~

普段、滅多に酒など飲まないのだが・・・・
ピロリ菌を殺す薬を飲んでいる間は、お酒は一滴も飲んではいけないが・・・
そういう時に限って、お酒の誘いが来るのである。(笑)
不思議なものである。
多くて月に3回、週に1回も酒を飲まないのに、よりによって酒を飲んではいけないときに限って誘われる。(大笑)
医者に確認したら「今週の水曜日を過ぎれば飲んでもいい」とのこと。
看護婦からは「決して飲み過ぎないように・・・」と釘を刺される。(大笑)

水曜日を過ぎれば酒が飲めるなら助かる・・・(笑)

気分も軽く・・・病院から帰宅する。

日記 | 22:58:25 | Comments(0)
ボケたか?
朝、目が覚め・・・・
う~ん・・・・
何で拙者は昨晩東京に泊まったんだろう?(笑)
今日は何か予定があったから東京に泊まったんだよな・・・
さて・・・困ったぞ・・・(笑)
何しに東京に来たのか思い出せない・・・(大笑)

しばらくボ~ッとして・・・・
やっと思い出した!
妹のライブを聴く予定があった!(大笑)

たしか・・・午後1時頃から池袋で・・・という予定だった。
午前中は暇・・・(笑)
親父の見舞いに行こうかと思ったが、面会時間は午後1時からなので見舞いに行けない。
ホテルをチェックアウトして、ホテルの近くの喫茶店で2時間ばかり読書する。(笑)

で・・・池袋に移動・・・・
もう何度も、このライブ会場には行っているのだが・・・
え~と・・・どこの出口を出れば良かったのか・・・
またまた思い出せない・・・
さて、困ったぞ・・・(大汗)
たしか・・・C3という出口だったよな・・・
東口?西口?どこの出口?(大笑)
マイッタァ~
ここまでボケるとは・・・・
親父から伝染したのか?(大笑)

人波に流されて・・・・
適当に歩いていたら、見覚えのある地下通路・・・
あ・・・ここだ・・・(大笑)
頭はボケているが、なんとか体は道順を覚えていたようである。
拙者は“動物的勘”だけで生きているのか?(大笑)

ライブ会場近くの古本屋に、いつものように立ち寄り、古書を2冊購入・・・
古書店で時間を潰し、無事にライブ会場に到着する。
拙者が一番乗り・・・二番目に来たのが60代の男性・・・
お話をしたら、妹の近所の肉屋さんのご主人だという。
あらら・・・こりゃ、どうも・・・(笑)
「こういうライブというのは初めて聴きに来たので緊張して・・・」とおっしゃる。(大笑)
何だかんだと話しに花が咲く。
こういう出会いも楽しいものである。
チェコ人のエヴァさんも来ていた。
先月お会いしたばかりだが、「お久しぶり」のご挨拶。(大笑)
一度会っていると、気楽におしゃべりが出来る。(笑)
「お兄さんと妹さんは、ソックリですね。目がソックリですよ」(笑)と言われた・・・
へぇ?そうなの?(大笑)
「今日も唄ってくれるんですか?」
「今日は遊びに来ただけだけど、要望があれば唄いますよ~」と流暢な日本語で言われた。(笑)
素敵な声なので是非聴きたいと言ったら、飛び入りでチェコの民謡を歌ってくれた。(喜)
どうも妹は先日、チェコの独立記念日のイベントで演奏したらしい。
その話と、チェコ独立の話など勉強になる話をステージで披露してくれた。(喜)

ライブには姪っ子たちも来ていた。
ライブ後、中学生の姪を連れて、おじいちゃんの見舞いに行く事にする。
「おじいちゃんが、首を長くして、お前が来るのを待っていたぞ~」
「え?ホント?」
「おお!昨日、見舞いに行ったら、おじいちゃんの首が少し長くなっていたぞ」
「あのね・・おじちゃん、なにバカなことを言ってるの?」
「いや、本当だって!来週には、かなりの長さになると思うな・・・あの調子じゃ・・・」
「・・・・・」

姪っ子たちや甥っ子は、学校の帰りにお見舞いに寄ってくれているらしい。
「いつもあたしが行くと、おじいちゃんはオシッコしたがるんだよね~おかしいでしょ?毎回だよ」と中学生の姪っ子・・・
「そりゃ、条件反射じゃないか?お前の顔を見るとオシッコが出ちゃうって・・・」(大笑)
「なに・・・それ・・・」(怒)
で・・・病室に到着・・・
「こんにちわぁ~」と言ってカーテンを開けて顔を見た瞬間・・・・
親父・・・「オシッコがしたいからカーテンを閉めてくれ」と言う。(唖然!)
「ほらね・・・」と姪っ子・・・
大笑いである!
親父が尿瓶に用を済ませるまで廊下で待つ・・・(大笑)

親父は昨日と打って変わって、今日は愚痴が多い・・・(笑)
腰の骨が折れているのでコルセットをしているが、それを持ってきた業者の女の子・・・・
コルセットを親父に渡して「説明書を読んで自分で着けて下さい」と言ってカネだけ受け取ってサッサと帰ってしまったという。(唖然)
「こんな小さな字では、俺は年寄りなんだから読めるわけねぇだろ!」と文句を言ったらしいが無視されたという。
「自分で着けろって言われても、自分で着けられるくらいなら入院なんかするか!」と文句を言ったらしいが、これも無視されたそうである。
サッサとコルセット代を受け取って帰ってしまったという。
本当かよぉ~(唖然)
「カネ儲けのことしか考えてねぇんだ・・・カネを受け取ったらサッサと帰りやがって・・・あの野郎・・・」と親父はカンカンである。
まぁ、介護だのヘルパーだのという中には、そういう連中もいる。
親切な人が、そういう仕事をするのかというと、そうとばかりはいえない。
金儲けのチャンスだと思い、こういう業種に就く連中もいる。
それが現実というものである。

病院の近くのコンビニに買い物・・・・
「ついでに、何か食べ物を買ってきてくれ」と親父・・・
「おお、食欲が出たのか?」
「ん?食欲?ないよ・・・そんなもの・・・相変わらず何も食べられない」
「今、何か食べ物を買ってきてくれって言っただろ?」
「言った?・・・そんなこと言ったか?」
あ~ダメじゃ・・・ボケている・・・(大笑)

「今日は日曜日か?」
「そうだけど・・・」
「あれ?あれ?いつだったかな?誰かに何かを言われたんだけど・・・忘れた・・・」
「親父・・・日記つけてみろ。ノートを買って来てやるから」
「おお・・・」
「今日は点滴を1本入れましたとか、看護婦からこういうことを言われました・・・とか、書き留めておいたら?」
「おお・・・」
ベッドに寝たままでいたのでは、ボケてしまうに違いない・・・
手を動かして、文字を書けば、少しはボケ防止になるのではないか?(笑)
ボケが始まった息子が言うのも何であるが・・・(大笑)

拙者がコンビニに買い物に行っている間、姪っ子に親父の話し相手を頼む。
孫との会話が一番の“薬”ではなかろうか?(大笑)

夜、特急に乗って帰宅・・・
ドドッと疲れが出る・・・
何故かクタクタである。(笑)

日記 | 21:16:58 | Comments(0)
お見舞い!
ちょうど明日は妹のライブがあるので・・・
ついでに・・・(大笑)・・・今日、親父の見舞いに上京する。(大笑)

午後1時から面会・・・
相変わらず、親父は食事が摂れないらしい。
本人が言うには、骨折したところが痛くて食事をする気になれないのだという。
なんと、我儘な・・・(笑)
点滴をしているので、それほど心配ではないが・・・・
やはり、人間、口から栄養を摂らないとなぁ~

「肩が凝ってツライ」というので、少し肩を揉んでやるが・・・
あれ?
骨と皮ばかり・・・(大笑)
いったい、どこが凝るんだろうか?(笑)
「もっと強く押せ」と言うが・・・
これ・・・骨だよなぁ~・・・・(大笑)

それにしても、よく痩せたこと・・・
親父がこんなに痩せているとは知らなかった。
84歳にもなると、こうなるのか?
いつか拙者もこうなるのか?
どうせ最後は痩せ細ってしまうなら、今のうちはメタボのままでいてもいいのではあるまいか?(大笑)
なにも自分から進んで痩せようとしなくてもいいのではあるまいか?(大笑)
どうせ歳を取ったら痩せるんだからさぁ~
52歳で中性脂肪が多くてもいいんじゃない?(大笑)

いずれは、拙者にも、こういう日がくるのだろうから、よ~く親父のことを観察しよう!(笑)

肩を揉んでいるうち、親父は寝てしまった・・・
ん?死んだんじゃないよな?(笑)
隣りのベッドの患者に、「息子さんが首を絞めてました」なんて言われたら困るからな・・・
首ではなく、肩を揉んでいただけなんだから・・・(笑)
見ようによっては首を絞めているようにも見えるか?・・・(大笑)

暇なので・・・読書!
時間はタップリある・・・
やることは何もない・・・(大笑)
親父が目覚めて一言・・・「よく暗いのに本が読めるな」・・・・
夕方になって、部屋が暗くなった・・・
さて・・・帰りますかぁ~(大笑)
読書が出来ない暗さになったから・・・帰ろう・・・と・・・(笑)

いい加減な「見舞い」である。(笑)

今日はホテルに泊まるのだが・・・
土曜のせいか、都内のホテルはどこも混んでいるようで・・・・
いつも利用する数軒のホテルはどこも満室・・・
ようやく日暮里駅近くに1軒見つけたので、そこに泊まることにする。

日記 | 18:31:19 | Comments(0)
『ボーン・レガシー』を観る
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『ボーン・アイデンティティー』『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』という「ボーンシリーズ」3部作の最新作が、この『ボーン・レガシー』だそうである。

みんな「ボーン」から始まる題名なので、どれが1作目だったか、どれが3作目だったか、拙者にはさっぱりわからなくなってしまったが・・・
多分、テレビで3作品とも見ているような気がする。(笑)

マット・デイモン演じるジェイソン・ボーンという人物が主役・・・
記憶喪失になったCIAの暗殺者という設定で、自分が誰なのかを知るために、何だかんだしているうち(笑)、CIAの秘密計画が暴かれていくという話の展開である。
ちなみに・・・・
アイデンティティー(identity)とは、主体性、自己同一性、身分証明、身元、正体という意味があるから、「自分探し」ということで、第1作目の題名は『ボーン・アイデンティティー』と付けたんだろうなぁ~
スプレマシー(supremacy)は、至高、最高位、優位、支配権、主権という意味がある。
アルティメイタム(ultimatum)は、最後通牒、最終提案、究極点という意味があるから、この3作目で、終わりということなのだろうが・・・
どうも、このシリーズ・・・人気があるようで・・・(笑)
終わりにならなかった・・・「最終~」って題名を付けちゃったのに・・・(大笑)

好評なので、シリーズが続くことになったらしい。
で・・・レガシーと名付けた・・・
レガシー(legacy)とは、遺産とか、受け継がれたもの、という意味がある。

今回の主役はジェレミー・レナー演じるアーロン・クロスという人物・・・
この人も「暗殺者」・・・・
ジェイソン・ボーンの死闘の裏側で同時に進行する極秘プログラムに立ち向かう・・・という設定だそうであるが・・・
いつになったら、マット・デイモン演じるジェイソン・ボーンが出てくるのかと思ったら、全く出てこない。
どうやら前回までの3作で降板してしまったようである。
ジェイソン・ボーンが出てこないのに「ボーン」という冠が乗っかっている、この映画の題名に違和感を感じてしまうが・・・(笑)
まぁ、なんでもあり・・・ということで・・・(笑)

前3作のストーリーをよく覚えていないので・・・・話の展開がよくわからない・・・(笑)
いや、前3作とは全く違う話の展開なんだろうが、どうも頭が混乱する。
というわけで、話の筋はどうでもいい・・・・
アクションシーンを見て、ただ楽しむだけ・・・考えないようにしよう。(大笑)

主演のジェレミー・レナーは、最近良く見かけるようになった俳優さん・・・
アメリカのカリフォルニアの出身である。
ドイツ系アメリカ人とアイルランド系アメリカ人の両親の間に生まれたらしい・・・
ということは・・・本人は何系?(笑)
こういうのって、ちょっと羨ましいような・・・
拙者は・・・日本人だが、何系だかわからない・・・
ロシア系日本人とフランス系日本人の間に生まれましたって言ったら、すごく格好がいいような・・・(大笑)
彼は41歳だそうで、よく動けるねぇ~(笑)
拙者が41歳の時には、走れなかったぞ・・・足がもつれて・・・(笑)

準主役だと思うが・・・
研究所の博士、マルタ役を演じているのはレイチェル・ワイズという女優さん・・・
イギリスのロンドン出身、42歳の女優さんである。
この人も、何かの映画でよく見かけたような気がするが・・・
だいたい、拙者は女優さんは、どの人も同じに見えちゃうので良くわからない。(笑)
美人であるが、役によって雰囲気が変わるからなぁ~
化粧でどうにでもなるから女は怖い・・・(大笑)
父親はハンガリー人だそうで、母親はオーストラリア人らしい・・・
で・・・彼女はイギリス人・・・・
昨年、バツイチで、007のジェームスボンド役のダニエル・クレイグと再婚したらしい。
へぇ~である。
で・・・アメリカの市民権を取得したらしい・・・
ということは・・・アメリカ人?
ん?イギリス人?なに人?
あ~よくわからん・・・・(笑)
こういうゴチャゴチャしているのって、よくわからない・・・
拙者は父親も母親も茨城県人・・・(笑)
拙者も茨城県人・・・・
単純すぎて面白くない・・・(大笑)

ロケ地・・・・
フィリピンのマニラでのロケは圧巻である。
マニラ市内をバイクで飛ばすなどのシーンは、現地を知っているだけに手に汗を握ってしまう。
あんなところで、こんなロケが出来るのか?
あの秩序のない連中がゴチャゴチャいる中で?
「邪魔しないでくださ~い」って言っても言うことを聞くような連中ではないと思うんですけど・・・(笑)
スタッフは大変だったんじゃなかろうか?(笑)
まさかのアクシデントが起こるのではなかろうかと、別の意味での「手に汗」を握ってしまった。(笑)
まぁ、アクシデントが起こったら、その部分はカットされるから見ることはないと思うんだけど・・・(大笑)

この作品・・・・
結局、ボーンシリーズというより、別の新シリーズと受け止めたほうがいいようである。
サラ~ッとアクションシーンを楽しむ・・・・
それだけでいいような映画であると思う。(笑)

日記 | 23:21:13 | Comments(0)
巨大風車!
千葉県銚子市の沖に巨大風車が完成したそうだ。
沖合い3kmのところに設置されたそうで・・・
海面からの高さは約126メートル、羽根の直径は約92mという洋上発電では国内最大のものなのだそうだ。
で・・・出力は、約2400キロワット・・・・
で・・・海底ケーブルで陸地に送電するのだそうだ・・・

おお!そういうことが出来るのか?
3kmも海底ケーブルで送電ねぇ~
それなら、もうちょっと頑張って・・・
尖閣諸島に風力発電を設置しよう!
海底ケーブルで陸地に送電すればいいんだよね?(笑)
しかも・・・
羽根は地上スレスレのところを回転するというのがいいな・・・
中国人や台湾人が島に上陸したら・・・回転する羽根で首が吹っ飛ぶ・・・というのがいい・・・(大笑)
こんな平和的な「防衛処置」はあるまい?(大笑)

洋上に風力発電設備を建設するには、技術的にかなり難しいのだそうで、そのコストもかなり高いという。
それが、今後の課題だというのだが・・・
原子力発電をやめろというなら、そのくらいの覚悟はすべきであろう?
電気料金が上ろうとなんだろうと・・・
今からコツコツと実験と建設をして数十年後のことを考えるべきである。
で・・・一石二鳥を狙う・・・
やっぱり、離島に作ろう!
尖閣諸島には最初に作って「実効支配」をしよう!(笑)

こういうことを政治家は考えてくれないかねぇ~

エッセイ | 17:26:29 | Comments(5)
富裕層・・・
スイスの大手金融機関が、世界の富裕層数のランキングを発表した。
それによると・・・・
純資産100万ドル(約8000万円)以上を持つ「富裕層」は日本には約358万1千人いるのだそうだ!
約359万人もいるのか!
日本に・・・富裕層が・・・(笑)
そんなにいるのに、私がその「富裕層」の仲間に入っていないというのは、なんとも寂しいものである。(大笑)
みんなが宝くじに当たっているのに、自分だけ当たっていないような疎外感を感じるぞ・・・(大笑)

ちなみに、ランキング第1位は1102万3千人のアメリカ・・・
2位が日本!
その後は、フランス、イギリス、ドイツ、イタリアと続いて・・・
何だかんだ偉そうにしているしている中国は7位の96万4千人である。(笑)

さらに、6千万ドル(約40億円)以上の純資産を持つ「超」富裕層は・・・
1位はアメリカで、3万3400人・・・
2位が中国で、約4700人だそうである。
中国は、富裕層といってもかなり極端だということになるな・・・
ただの「貧富の差」だけではなく、富裕層の中にも「貧富の差」があるようである。
3位は、ドイツで、約4千人・・・・
4位が日本で、約3400人だそうである・・・

「う~ん、惜しかったなぁ~、もう少しで私も入れたのに・・・」と言ってみたいものである。(大笑)

宝くじ・・・・
1億円を40回当てればいいだけなんだけど・・・
これが、なかなか・・・ねぇ~
当たらない・・・
1000円も当たらない・・・・

富裕層・・・もうちょっとで手が届くんだけどなぁ~(大笑)

エッセイ | 17:02:57 | Comments(0)
ツライ告別式
今日は午後から“トシアキ先輩”の娘さんの告別式・・・

という時に・・・ガス会社がガスメーターの交換にやって来た。
どうも、何度か我が家に来たようだが、拙者は海外に行っていたし、親父は入院で留守だったのである。
「いやぁ~何度も来たんですけどねぇ~」と言われても・・・
まさか玄関に何日まで留守にしておりますなどと張り紙をしておくことも出来まい。

ガスメーターを交換し始まってから、この担当者・・・
従来の型ではない新型のものもあるのですが・・・と言い出す。
地震やガス漏れを感知してガスが止まった後、電話回線で自動的に検査して遠隔操作で復旧するというメーターらしい。
月々料金が上乗せになるらしいが・・・
そういう便利なものがあるなら、そのほうがいいのではないか?
地震でガスが遮断された後の復旧は、ガスメーターの「復旧ボタン」を押して、従来は復旧をしていたのであるが、このやり方を何度教えても親父は覚えられないでいるのだ。
メモにも手順を書いてあるのに・・・である。
地震でガスが止まるたびに「ガスが出ないぞ!」と大騒ぎ・・・(笑)
拙者が自宅にいる時ならいいが、東京などに行っていたら最悪である。
しかも、これからは冬・・・
ガスファンヒーターも使えぬまま、親父は凍死しちゃうかも・・・(大笑)
相変わらず、余震らしき地震が続いているので、その可能性は高い・・・

というわけで・・・新しい型のメーターに付け替えてもらうことにした。
が・・・これが、そうそう簡単ではない・・・(笑)
ガスメーターから電波を飛ばして電話回線を使用するので、その装置を取り付けるのであるが・・・
これが昔なら簡単だろうが、今はパソコンなども使っているからややこしい・・・
電話の確認・・・異常なし!
パソコンの確認・・・ダメだ!パソコンのADSL回線が繋がらなくなった・・・
やり直し!(笑)
これを何度も繰り返し、確認、確認・・・とにかく面倒くさい・・・(笑)

しかも・・・この担当者・・・おしゃべりなのである。(笑)
いいから、早くやってくれ!(笑)
拙者は今から告別式に行かねばならんのだ!
時間がない!(汗)
ようやくギリギリのタイミングで交換作業終了!
急げ!急げ!
急いで礼服に着替えて出かける・・・

告別式には“ウメちゃん”と一緒に参列する。

27歳の娘さん・・・
カナダのバンクーバーに今年の春から留学していたそうだが、心不全で突然亡くなったらしい。
友人の弔辞では、夏に会いに行った時に、いろいろ悩み事があったとか・・・
心不全ねぇ~・・・・
本当は違うだろうが・・・一応、心不全ということにしたのだろうなぁ~
(勝手な推測だが・・・)

バンクーバーには28年前、拙者がアメリカのシアトルにいた時によく遊びに行った。
確か、高速バスで4時間ぐらいかかったのではなかろうか?
あれから30年近く経っているから、バンクーバーもずいぶん変わってしまっているだろう。

27歳で亡くなるとは・・・本当に可哀想だ・・・
やっぱり親より先に死んではいけないなぁ~
あの頃、拙者も棺に入って帰国することになりかねなかった。
若かったせいもある・・・
死んだって、なんていうことはない・・・と思っていた。
襲われそうになったこともあるし、殺されかけたこともある。
当時の拙者のスタンスは・・・命乞いはしない」・・・である。
「やれるもんなら、やってみろ!」である。
徹底的に戦う・・・殺されてもいいから戦う・・・逆に凄んだり脅かした・・・(笑)
「日本人を舐めるんじゃねぇぞ!」である。
そうやって切り抜けてきた。
もし、28年前に拙者も死んでいれば、こんな感じで葬儀が執り行われたのだろう・・・
今になって思うと・・・やっぱり拙者は若かったなぁ~(笑)

留学なんて、時と場所と場合によっては、そうそう甘いもんじゃない・・・
基本的には海外に行ったら、最悪のことに遭遇することは想定しておかねばならない。
これは常識だと思うのである。
彼女に何があったのかわからないが・・・
海外での経験を、その後、生かすことなく人生を終えてしまったことは残念である。

葬儀の最後に、思い出の写真がスクリーンに映し出された。
正直言って・・・こういうのは、いかがなものかと思うが・・・
今は流行しているんだろうなぁ~
“トシアキ先輩”は、カナダの娘さんに会いに行ったらしい・・・・
そのときのツーショットの写真がスクリーンに映し出された・・・
ニコニコ顔の二人・・・・
いつ撮影したのかは知らないが、半年も経たないうちに、こういう結果になろうとは、この写真を撮影した時には“トシアキ先輩”は夢にも思っていなかったに違いない・・・
そう思ったら、涙が止まらなくなってしまった・・・・
いやぁ~ツライ・・・こりゃ、ツライ・・・
こういう写真を見せるのって・・・反則だよなぁ~

告別式を終え・・・喪主の見送りを受けたが・・・
いやぁ・・・まともに顔を見られない・・・
涙が出そうで顔が見られない・・・
言葉のかけようもない・・・
申し訳なし・・・

日記 | 10:45:25 | Comments(0)
急遽、墓参りに行く
午後、“ウメちゃん”から電話・・・・
“トシアキ先輩”の娘さんの告別式が明日行われるという訃報の連絡である。
明日は母の墓参りに行こうかと思っていたのだが・・・
では、今日の通夜式に出て、明日は失礼しようかと思ったら、通夜式は行われないとのこと・・・
あらら・・・
それじゃ、明日、行かねば・・・

というわけで・・・急遽、今日、母の墓参りに行く事にする。
いつものように1時間かけて山の中へ・・・(大笑)
母に親父が入院したことを改めてご報告・・・
仏壇には報告したが、もしかして伝わっていないかもしれないので、骨の納めてあるお墓にもご報告する。(大笑)
これで、完璧だろう!(大笑)

「え~、親父が入院しまして・・・、腰の骨を折りまして・・・(笑)、え~、心臓が悪いらしく、いつ心臓が止まるかわからないそうですが、突然来られても迷惑でしょうから・・・(笑)、なんとか、親父をこの世に引き止めるようにしますので、どうか安心して天国で楽しんでいてください。以上、報告終わり!」(笑)

祖父母の墓参りもする。

「え~、すでにご存知のことと思いますが・・・フィリピンに慰霊に行ってきまして・・・え~、親父を見捨てて出かけましたが・・(笑)、多分、おじいちゃんは呆れていたと思いますが・・・おかげで無事に目的を果たせました。お守りいただきありがとうございました。以上、報告終わり!」(笑)

墓参りを済ませ、急いで帰宅する。

今晩は“ウメちゃん”と夕食・・・・
“ウメちゃん”にも、親父の件では世話になったし・・・
旅の報告と、お礼の食事会のはずだったが・・・
ご馳走するどころではなく、逆にご馳走になってしまった・・・(大笑)
これでは筋が通らなくなるのだが・・・(笑)
まぁ、“ウメちゃん”は先輩だから・・・ということで、チャッカリと甘えさせていただく。(大笑)
感謝、感謝・・・・

日記 | 10:33:08 | Comments(3)
内視鏡検査を受ける
今日は早朝から内視鏡検査・・・・
つまり、胃カメラを飲む・・・

午前7時半までに病院に行かねば・・・
ということで、早起き・・・眠い・・・
普段から自堕落な生活を送っている我が身にとっては、早起きはキツイ・・・(大笑)

「軽く麻酔をかけて行います」と看護婦に言われ、麻酔の点滴か何かを入れられたようだが・・・
軽いというどころではない・・・
ぐっすりと寝てしまった。(大笑)
早起きなんかするからだ・・・

本来ならば、モニター画面で自分の胃の中を見ながら検査を受けたかったのに・・・(大笑)

検査が終わり、起こされて・・・
先生から記録画像を見せられて説明を受けたのだが・・・
正直言って、半分寝ぼけていたので、何の話かよくわからない・・・(大笑)
十二指腸潰瘍になっている話と、ピロリ菌があるとか何とか言っていたような・・・(笑)
検査後は、別室で2時間ほど仮眠をとってくれとのことなので、仮眠室で横になる。
当然・・・爆睡である。(大笑)

仮眠が終わり・・・
「大丈夫ですか?」と看護婦に尋ねられたが、麻酔がまだ効いているのか、それとも寝過ぎて寝ぼけているのか、区別がつかないクラクラ感・・・(大笑)

看護婦からピロリ菌に関する説明を受けて・・・
潰瘍を修復する薬とピロリ菌を殺す薬をもらい、本日の“行事”は終了である。
ピロリ菌を殺す薬は1週間、真面目に飲み続けなくてはならないのだそうだ。
で・・・その間、お酒は一滴でも飲んではいけないのだそうである。
どうせ、滅多に飲酒はしないから大丈夫と思っていたら・・・
タイミングが良いというのか悪いというのか・・・
友人から酒の誘いの電話・・・(大笑)
どうして、こういうタイミングの時に誘いの電話がくるのかねぇ~
理由を説明して、お酒の誘いをお断りする。(笑)

日記 | 10:00:55 | Comments(0)
最後の戦闘機 紫電改
最後の戦闘機 紫電改―起死回生に賭けた男たちの戦い (光人社NF文庫)最後の戦闘機 紫電改―起死回生に賭けた男たちの戦い (光人社NF文庫)
(2006/12)
碇 義朗

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プロローグ~初陣の日

第1章 大いなる助走

「紫雲」から「強風」へ
  若き技術者たち
  「紫雲」に試みられた斬新なアイデア
  エンジニア魂の結晶「強風」
  層流翼の採用
  試作の難航
高速と格闘性のはざまで
  「強風」の初飛行
  フィレットのいたずら
  二重反転プロペラ
  二式水戦との模擬空戦
  空戦フラップの採用
  適切な操舵感覚を生む新機軸
「強風」が生んだ陸上戦闘機
  川西航空機の決断
  設計者たちの夢
  「紫雲」開発のスタート
  陸上機への設計変更
  大胆な伸縮式引込脚
強靭な機体と重武装
  バカ穴を排した設計思想
  すぐれた主翼構造
  重量と武装のせめぎ合い
  菊原設計課長のリーダーシップ
戦う技術者たち
  猛烈副社長の熱弁
  強行作業の犠牲者

第2章 難問への挑戦

「紫電」はばたく
  試作1号機完成
  深夜の飛行機輸送作戦
  異例つづきの初飛行
  大晦日の徹夜の引込脚テスト
混迷する新局地戦闘機計画
  「雷電」計画の遅れ
  パイロットたちの不満
  脚光を浴びた“控え選手”
  試作計画混乱のしわよせ
  認められなかった真価
5人のテストパイロット
  川西のサムライたち
  命がけの試験飛行
  事故が頻発した「紫電」のテスト
「誉」エンジンの苦難
  “見切り発車”で制式化
  官民一体の開発
  海軍の焦り
夢の実現~自動空戦フラップ
  空戦性能向上への要求
  すぐれた着想
  飛行実験成功
  「紫電」への装備と改良
  コンパクトになった量産型

第3章 俊翼飛ぶ

「紫電改」誕生
  「紫電」の不調がチャンスに
  低翼化の弱点
  僅か10ヵ月で完成した試作1号機
未知へのダイブ~高速への挑戦
  あざやかな試飛行
  戦闘機乗りと設計者
  空技廠飛行実験部員志賀少佐
  急降下テスト
紫電戦闘機隊生まれる
  問題山積のまま量産決定
  海軍整備員の工場派遣
  不良機解消の技術
  「獅子部隊」編成さる
  新鋭機戦力化への努力
  301空の無念
  T部隊の紫電隊
戦場の紫電特別修理班
  派遣された15人
  前線での死闘
  紫電隊の悲劇
戦果を支えた強力な機銃
  零戦以来の大口径主義
  携行弾数増加の要求
  射撃精度の高かった「紫電」「紫電改」
  ベルト給弾式の新式銃
  機銃の組み合わせの変遷

第4章 戦火の中で

難航する生産
  生産計画の混乱
  量産体制確立
  深刻なエンジン・部品の不足
  昼夜兼行の組立作業
  ふえる素人工員たち
  鳴尾で憩う前線パイロット
飛行機をつくった乙女たち
  動員された女学生
  苛酷な作業
  空襲下の生活
  工場での卒業式
元海軍中将の猛烈副社長
  川西航空機への功罪
  副社長宅なぐりこみ事件
  海軍式工場運営の弊害
  工場倉庫でのできごと
フィリピンの激戦
  341空の死闘
  3号爆弾の戦果
  紫電偵察隊の活躍
  特攻出撃した紫電隊

第5章 終焉のとき

艦上戦闘機型「紫電改」
  次期艦戦としての期待
  新鋭空母「信濃」でのテスト
空中分解
  精鋭343空の編成
  大編隊による空戦訓練
  思いがけない事故
  事故原因の謎
工場壊滅す
  月産千機の大生産計画
  「剣部隊」の活躍
  悪夢の工場空襲
  激減した生産
  地下工場への疎開計画
  敗戦の日
最後の飛行
  終戦後のテスト飛行
  丸腰「紫電改」の空輸
  「紫電」の最期
  葬送の炎

エピローグ~名機は死なず

参考ならびに引用文献

あとがき

文庫版のあとがき



今年の読書:83冊目



読書 | 01:17:54 | Comments(0)
“シミズくん”と夕食・・・
今日の夕食は・・・外食!
実は、明日は胃カメラを飲まねばならないのである。
というわけで・・・夕食は、あまり食べるわけには行かない・・・
どちらかというと・・・お粥か何か消化のいいものにしておかねばならないのだろうが・・・(笑)

親父の件では非常に世話になったし・・・(笑)
なにせ、わざわざ様子を見に来てくれたんだから・・・
これは、お礼の食事会を開かねばなるまい?(笑)
というわけで、水戸藩士の“シミズくん”を呼び出して・・・食事会・・・・
といっても・・・いつものスパゲティであるが・・・(大笑)
スパゲティなら消化も良かろう?
一石二鳥?
ちょっとセコイ・・・お礼であるが・・・勘弁願おう!(大笑)
胃カメラを飲まなくちゃならないからね・・・を言い訳として・・・・(大笑)

日記 | 23:36:25 | Comments(0)
信用できない赤い羽根募金
旅行から戻ってきたら、ポストに新聞やら手紙やらが一杯・・・
その中に『赤い羽根共同募金』のチラシも混じっていた・・・
この『赤い羽根共同募金』は10月1日から31日まで行っているそうで・・・
「じぶんの町を良くするしくみ」と書かれている。
拙者が子供の頃から続いているから・・・もう何年、やっているんだろ?

今までまともに目を通したことがないのだが、今回は、このチラシをよく読んでみる。
と・・・読めば読むほど納得できなくなってしまった!(大笑)

このチラシを発行したのは、茨城県共同募金会日立市支会・・・である。
昨年度の募金についての“決算”報告が載っている。
募金収入は、26,269,885円である。
で・・・・
配分(つまり支出)も26,269,885円である。
つまり、「1円も残さず配分しました」ということになるのだが・・・(笑)
端数の885円はどこに配分されたのだろう?
小銭をもらった人(施設?)も迷惑だったろうなぁ~
何らかの組織の会計を担当したことがある方なら直ぐわかると思うが・・・
収入と支出をピッタリと合わせるのは至難の業である。(大笑)
本年度中に使い切ろうと思っても、どうしても端数が残り、次年度繰越になるはずだと思うのだが・・・
なんと・・・完璧な決算には恐れ入った!
正直言って・・・信用できない・・・・(大笑)

「赤い羽根募金の使いみちは・・・」と称して、こういうことに使われていますと列記してある。
その中のいくつかの使い道が、これまた納得いかない・・・(笑)

「日立市内の、ひとり暮らしの高齢者等への支援」・・・・
いかにも・・・という気がするが・・・
約2500チームがあると追記されている。
ということは、1チームに1万円の支援金を渡すとなると、2500万円かかるということであろう?
収入が2600万円なのである。
1チームに1万円は支援していないということになる。
じゃぁ、いくら支援したのか・・・それは記載されていない!
1チームに千円を支給して、250万円である。
1チーム当たり、千円もらっても・・・ねぇ~・・・(笑)

呆れたのは、「福祉情報の提供」事業・・・
市民向け福祉情報誌『社協だより』の発行・・・・である。
「社協」とは、「社会福祉協議会」のことであるが・・・
なんで、この組織の雑誌の発行に募金が使われるのか・・・
社会福祉協議会は自分で予算を持っているだろう?
なんで赤い羽根の募金のカネを使って情報誌なんかを発行するんだ?
ここにいくら配分されたのかの記載は・・・当然ない・・・(怒)

更には、ボランティアの研修や各種講座、講演会などにも使っているという。(唖然!)
ボランティアの研修では受講料を取ってはいないのか?
講演会なんかに何で「募金」を使うんだろうか?
わからん・・・

とにかく何でもいいから「盛りだくさん」にしておけば良いという考えなのか?

更に呆れたのは、約2600万円の募金収入のうち、日立市内で使われたのは約1800万円・・・
約780万円は、茨城県共同募金会を経由して別のことに使われている。
ん?これ・・・「上納金」?(大笑)
その別なこととは・・・
災害被災地の復旧・復興・・・
今、流行の言葉である・・・「被災地の復旧・復興」・・・・
もう、何でも有り・・・の世界である!(怒)

募金する側の「気持ち」とかなりかけ離れた使い方をされているのではなかろうか?

この募金・・・
「任意です」と太文字でチラシに記載されている。
が・・・「任意です」と書いておきながら「500円を目安に」とも書かれている。
それでは強制と同じではないか?(笑)

募金の主体は「各世帯からお寄せいただいた募金」である。
総額1900万円にも及ぶ・・・
そりゃそうだ・・・
「お寄せいただいた」「任意の募金」ということになっているが、実際は町内会を使って強制的に徴収しているのであるから、このくらいの金額にはなる。
街頭募金で集まったのは、たったの44万円である。
無垢な子供たちを騙して(大笑)集めた学校募金の金額は約100万円である。

町内会では、役員が一軒、一軒、会員宅を回って頭を下げて募金の協力をお願いする。
「決して強制してはいけません。任意ですから」という言葉をまともに信じて、「任意だから、これしか集まりませんでした」というわけにはいかないのである。
一種の「強迫観念」にとらわれるのである。
当然、「任意なら募金には協力しない」という家庭も出てくるし、「任意なのに何で500円と金額を指定するんだ」と文句を言う家庭も出てくる。
そこを「何とかご協力ください」と頭を下げねばならないんだから、誰も役を引き受けたくない・・・となるのは当然である。
グダグダ嫌味を言っていた家庭も、町内会の役員は持ち回りなので、いつかは自分の番が来る。
そうなると攻守逆転・・・(大笑)
今度は、「あの時、ネチネチと言われたから・・・」と、やり返されるのである。(大笑)
そうなると・・・「私は町内会を脱会しますから!」という家庭が出てきてしまうのである。
この「募金」・・・・いい迷惑である!(怒)

というわけで・・・
我が町内会では、町内会費の中に、赤い羽根募金や年末助け合い募金などの「募金」を含めて会費を一括徴収することに変更したのである。
これで役員が嫌味を言われながらペコペコ頭を下げて集める必要はなくなったのである。(大笑)
これで町内の中で誰が募金に協力しなかった・・・などと陰口も出なくなる。(大笑)
というわけで・・・結局「任意」は建前で、実際は「強制」なのである。
そうしないと町内会が壊れてしまうのである。(笑)
だから、各世帯からの募金がこんなに集まるわけなのである。
本来の「任意」にしたら、殆ど集まるわけはないのである。
まさしく・・・偽善・・・である!

こうして「任意」と言う名の下に「強制的」に集めた募金が・・・・
情報誌やら講演会やら研修費などに使われてしまうのだから腹が立つ!(怒)
だから、拙者は基本的には「募金」などには協力しない・・・
災害に対する「義援金」も同様である・・・・

が・・・こういう拙者も一つだけ例外がある。(大笑)
駅前などで子供たちが動員させられてやっている場合だけは、協力してあげることにしている。
運悪く(大笑)、こういう場に出会ってしまった場合は、拙者は財布の中の小銭を全部募金箱に入れてあげることにしている。
一つの募金箱にだけ入れるのではなく、全ての募金箱に入れてあげることにしているから、財布の中の小銭を全部使ってしまうのである。(大笑)
一番手前の子供だけ・・・というわけにも行くまい?(笑)
「ご苦労さん!はい、ご苦労さん!はい、ご苦労さん!」と全部の箱に入れてやる。
こういう馬鹿なことをする奴はいないから、子供たちは驚く・・・(大笑)
黄色い声を張り上げて頑張ってもなかなか入れてもらえなかったのだろう、半分ふてくされていた小さい子が一転して喜んでくれたことがある。(静岡県の掛川駅前でのことである)(大笑)
途端に元気になって・・・
「ありがとうごじゃいましたぁ~!」
満面に笑みを浮かべて箱を振って喜んでいた姿が今も忘れられない・・・(大笑)
子供たちを“強制労働”させて(大笑)集めた募金も、どうせろくなことには使われないのだろうが・・・(笑)
それは大人の世界の話で、子供には関係がない・・・
これも子供の教育のためだと思って募金してあげることにしている。
他人のために頑張るという事は大事なことなのである!
他人の役に立つ人になってもらうには、こういう子供の時の経験が大切である!(笑)
というわけで・・・“強制労働”させられている(笑)子供たちの将来のために、小銭を全部入れちゃうのである!(大笑)
当然、大人が募金箱を抱えてやっていた場合は、拙者は1円たりとも協力はしないことにしている。
すご~く美人な女性がやっていた場合は・・・う~ん・・・ちょっと迷うが・・・(大笑)
いまだかつて、そういう人に会ったことはないので・・・いざとなったらどうなるか・・・(大笑)

大事なことは、あれにも使っています、これにも使っていますと配分先を羅列することではない。
その比率が大事なのである!
極端な話・・・
2600万円を集めて、募金会の維持のための事務費と人件費に2500万円も使ってますとなったら許されるか?
残りの100万円を、いろいろな福祉施設に配分してます・・・で納得できるか?
そういう観点からも、配分先への配分金額の比率を公表しない、こういう形ばかりのチラシには腹が立つのである!(怒)

『赤い羽根共同募金』・・・・信用できない!(大笑)

日記 | 21:54:20 | Comments(0)
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(1978/07)
松本 清張

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陸軍機密費問題

石田検事の怪死

朴烈大逆事件



●陸軍機密費事件
田中義一陸軍大将は大正14年4月に予備役となり、政友会の総裁に就任した。
軍人から政治家に転じたわけだが、問題は、この政治家に転じるときに用意したカネである。
そのカネはどこから都合をつけたのか・・・・
陸軍の機密費を巡る話である。

●石田検事の怪死
大正15年10月30日、東海道線の大森駅と蒲田駅の中間あたりの線路脇で、東京地方裁判所の次席検事である石田基氏の死体が発見された。
この石田検事の死は新聞で大きく取り上げられたという。
なぜならば石田検事は田中義一の陸軍機密費問題の取調べに関わっていたからである。
この怪死事件・・・・
戦後に発生した下山国鉄総裁の怪死事件、いわゆる「下山事件」にどこか似ている。

●朴烈大逆事件
この事件は、朝鮮人の朴烈とその内妻が共謀して爆弾をもって摂政宮(のちの昭和天皇)を暗殺しようとたくらんで、爆弾の入手中だった・・・という事件である。
が・・・その具体性が全くない。
これは大正12年9月1日に発生した関東大震災から2日後のことである。
このタイミングがどうも怪しい・・・
朴烈は朝鮮生まれの無政府主義者・・・
当時としては日本の官憲から睨まれても仕方がなかろうが、これが「大逆事件」というほどのものかどうか・・・
朴烈は死刑判決後、減刑され、戦後まで収監される。
内妻(愛人)の日本人、金子文子は刑務所で首を吊って自殺・・・・
これまたどうもスッキリしない話なのである。
検事によって創作された事件か?



今年の読書:82冊目



読書 | 20:26:19 | Comments(0)
迷惑なお茶飲み?
帰宅後、自動車整備工場の“トシちゃん”へ電話・・・・
旅行前に拙者の愛車の板金塗装を頼んでおいたのであるが・・・
いつになったら車は戻ってくるのか・・・(笑)
その確認の電話・・・
と・・・なんと!
板金塗装をやっていないという!(唖然!)
相変わらず当てにならない後輩である!(怒)

毎度のことだが、彼は約束事を守るということが滅多にない・・・・(笑)
が・・・今回はちゃんとやってくれたのだろうと思ったら、完璧に期待を裏切ってくれた!
彼の相変わらずの言い訳は・・・・
板金塗装の担当者が会社を休んでしまったとか何だとか・・・
それでも何とかしなければならないのが商売というものである。
甘いんだよなぁ~相変わらず・・・・
それでよく「社長」などが務まるものだと思う。

とにかく、塗装をしていないのなら、直ぐに車を戻すように言う。
明日・・・なんて言ったら、いつになるかわかったものではないので、今晩中に持ってくるように言う。
と・・・「まもなく持っていきます」と電話があったのが、午後8時・・・
で・・・実際に持ってきたのが夜中の12時である!(唖然~!)
車を届けに来るのに何で4時間もかかるのか・・・
相変わらず時間にルーズである。

しかし、これはこれ・・・・
今回の拙者の旅の間に、夜、我が家の近くを通ったときには、外からでもいいから巡視してくれるように頼んでおいたのである。
親父は、いつも夜9時には就寝する。
もし、夜中に電気が点けっ放しだったら、異常事態発生である。(大笑)
すぐに拙者の妹へ電話してくれるよう頼んでおいたのだが・・・・
果たして、ちゃんとやってくれたという可能性は限りなく無いと思うが・・・(大笑)
とりあえず、当然、夜の巡回はやってくれたよね?・・・ということで・・・(大笑)
お礼に、お茶をご馳走してあげよう!
というわけで・・・ファミレスに誘って、お茶を飲んで旅の報告と親父の様子を報告する。

真夜中に無理やり付き合せる・・・(大笑)
8時過ぎに車を届ける予定が4時間も遅れたのだから・・・罰である!
拙者に付き合っていただこう!(大笑)
こんな迷惑はないだろうなぁ~(大笑)
こんな目に遭うなら早く車を届ければよかったと後悔して、以後、時間を守るようになるか?
いや・・・彼の性格からして・・・無理だな・・・(笑)

とにかく、拙者の親父のことを気にかけてくれていたに違いない・・・ということで・・・
感謝、感謝・・・(大笑)


日記 | 21:25:35 | Comments(2)
親父の見舞いに行く
ホテルをチェックアウトし、成田空港行きの送迎バスで空港へ・・・
遅い朝食は、空港内のあまり人に知られていないコーヒーショップでとる。
以前、成田空港を利用した時に見つけた拙者の“隠れ家”である。(大笑)
こんなに人が来なかったら潰れてしまうのではないかという場所にある。(場所は秘密である・・・笑)
拙者のほかに客は1人しかいない・・・(笑)
ここでゆっくりと食事をし、すぐ近くに喫煙所があるのでここで一服・・・
ここも滅多に人がやって来ない喫煙所・・・
貸切状態である!(喜)

成田空港からスカイライナーで上野に出て、スーツケースを駅のコインロッカーに預け、妹と待ち合わせの駅に向かう。

妹と甥っ子と3人で親父の入院している病院に見舞いに行く。
駅から徒歩で数分・・・
小さな病院だが、義弟の病院と提携している病院だそうで、義弟の病院には入院施設がないが、この病院には入院施設がある。
ここの院長とは先輩後輩の仲らしいので、そういう点では一応安心である。

6人部屋の一番奥に親父は寝ていた・・・
「おお!今、帰ったぞ!」
「おお!家のほうはどうだった?」と親父・・・
留守中の家のことが心配だったようであるが・・・
「成田空港から来たから、まだ家に行ってはいないよ~家に一度帰ったら、こんなに早く東京に来るわけないだろ?今から家に帰るんだから・・・」(笑)
「あ~そうか・・・そうだな・・・」
親父はかなり衰弱している様子である。
話しているうちウトウトとし始めてしまう。
目に力もない・・・・
入れ歯を外しているから、かなりの爺さんに見える。(大笑)
う~ん・・・こりゃ、完璧なジジイだな・・・(大笑)
病室のベッドに寝ているから、なおさら、そのように見えるのかも・・・

入院させた時に妹が「お兄ちゃんが旅行中に私が面倒を見ることになったのは、これは、お兄ちゃんからのプレゼントに違いない。私に死に水をとる役目をくれたに違いない」と冗談を言ったらしい。(大笑)
と・・・親父は「そんなに早く俺をあの世に行かせるな」と言ったとか・・・(大笑)
その元気は、今はどうも無いようである・・・・
なにせ、6人部屋に入れられておとなしくしている事がおかしい・・・(笑)
我儘な親父が大人しく寝ているんだから、かなりツライ状態なのだろう。

心配なのは、腰よりも心臓である。
かなり弱っているらしいが・・・
食事もしない、水も摂らないでいたので、ちょっと気になる・・・
一応、心臓のモニターは取り付けているようである。
水分と栄養は点滴で摂取しているようなので一安心だが・・・
先々がどうなるか・・・
ベッドに寝たままではボケる可能性もある。
とにかくボケさせない手立ても考えねばなるまい。(笑)

昨日、食事をしたら吐いてしまったらしく、現在は「絶食中」・・・・
と・・・そこへ大学生の姪っ子がやって来た。
忙しくて昼食をとる暇もなかったと、食事持ちこみである。
で・・・おじいちゃんの目の前で昼食!(大笑)
あのね・・・「絶食中」の人の前で食事をするとは・・・
そりゃ、拷問でしょ!
みんなで唖然・・・(大笑)
なんという孫か・・・(大笑)
まぁ、それを見て親父に食欲が出てくれればいいが・・・
一種のショック療法になるかも・・・(大笑)

親父を姪っ子に任せて、拙者は帰宅することにする。
とにかく早く家に戻って、家の様子を見なければ・・・
ドロボウにでも入られていたら堪ったものではない。
(いまさら遅いかもしれないが・・・)(笑)

留守番がいないというのは不便である。(大笑)

自宅に戻ったら・・・異常なし!(笑)
これで、こっちも一安心である。

日記 | 17:26:00 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(14)
今日は、帰国する日・・・

少し遅めにレストランに向かい、朝食をとる。
遅いほうが空いていると思っていたのだが・・・
結構お客さんが多い・・・
しかも、韓国人が目立つ。
いやはや、最近は、年々韓国人の観光客が増えているようだ。
韓国人はマナーの悪さでは“定評”があるが、幸い、それほどマナーの悪い客はいなかった。(笑)

11時、チェックアウトのため荷物を持ってロビーへ・・・
既に“ステラさん”が到着していて待っていてくれた。
で・・・チェックアウト・・・
はい、予想通り、トラブル!(大笑)
スタッフを入れ替えたせいか・・・
以前から時々こういうことはあったが・・・
昨晩の夕食代がデポジットから引かれていた。(笑)
昨日のチェックインの際にデポジット(保証金)を預けていたのだが、何も問題が無ければそのまま返してもらえる。
ところが、返金額が半減!
あれ?何で?・・・・である。
昨晩の一泊は夕食・朝食付きで予約されていたはずで、夕食代が別のわけがない。
指摘したら・・・モタモタ何か調べて・・・
「あ、すみませんでした・・・」
あぶねぇ、あぶねぇ・・・

11時半、空港へ・・・・
今回は、嫌がらせをする空港職員にも会わずに済み、スムーズに搭乗口へ・・・
いつも立ち寄る喫煙所・・・
ここはコーヒーショップ(?)になっていて、何か注文しないと椅子に座ることは出来ないシステム。
が・・・横柄な韓国人は何も注文もせず平気で座り、店員に席を空けるように注意されている。
それでも、相変わらず、人目を盗んで・・・の態度・・・
やっぱり韓国人はマナーが悪い。
次に目立つのが日本人のヤクザ風な連中・・・・
本来は“ヤクザ”は入国できないはずなのだが・・・一見してヤクザ風な男がいるということは、どういうことか?
まぁ、土建屋のオヤジという可能性もあり得るだろうが・・・
(土建屋さんには失礼な言い方だが・・・)
とにかく柄が悪い、品がない・・・・
こういう日本人と同じだとは思われたくないものである。
拙者は空港でこういう輩を目にするのはとにかく嫌なのである。
話の内容は・・・フィリピンにいる愛人だかなにかとヤリまくった話である。
ガラガラ声の大声で自慢話・・・・
いやはや、幼稚な・・・・

サンドイッチとコーラを頼んで、一服しながら軽い食事をとる。
いつものパターンである。(笑)
読書をしながら搭乗時間まで待つ・・・・

機内は帰りも空いていた・・・
やっぱりシーズンオフ?
雨季がまだ開けず、天候が悪い時期だからフィリピンに行く人も少ないのかも・・・
それにしても、雨に降られずに旅が出来たのは嬉しかった。
いやぁ~普段の行ないがいいんだろうねぇ~やっぱり・・・(大笑)

帰りの機内食・・・・
今度はちゃんとパンが付いていた・・・(大笑)

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成田空港に到着し、早速、喫煙所へ・・・
ところが、最近は喫煙所の外でタバコを吸うバカが多くなっているのには呆れた。
以前は、注意したが・・・・
注意するどころじゃない・・・人数が多すぎる・・・(大笑)
日本人も韓国人に劣らずマナーが悪くなったものである。
拙者は、これを「日本人の韓国人化」「日本人の中国人化」と呼んでいる。(笑)
人間の質が落ちたな・・・

成田空港近くのホテルにチェックインして、妹と電話で親父の様子を聞き、明日の見舞いの打ち合わせをする。
面会は午後1時からだというので、午後1時に病院の近くの駅で待ち合わせすることにする。

旅行 | 17:21:37 | Comments(2)
半年ぶりのルソン島(13)
妹とメールでやり取り・・・
親父は、どうも検査をしたら、2箇所、腰の骨が折れていたという。
が・・・今回のものか、以前のものかわからないので、後日、CTで検査するという。
それにしても・・・腰の骨が折れていたとはねぇ~(笑)
おかしいなぁ~
腫れてもいなかったし・・・
触っても痛いって言わなかったし・・・
骨が折れていたら相当痛がるはずなんだが・・・
体をねじって起き上がるときに「痛い痛い」というので、それじゃ筋を痛めたんだろうと判断したのだが・・・
甘かったか・・・
気になるのは、他の部分で・・・
検査をしたら、かなり心臓が弱っているとのこと。
医者が言うには、いつ突然心臓が止まってもおかしくないと言う。
これまた不思議である。
毎日、散歩していたし・・・・
特に心臓が痛いとか苦しいなどとは言っていなかったし・・・
フラフラするとは言っていたが、もしかして、それが心臓から来ているものだったのかも・・・
これまた、甘かったか・・・

しかし、不幸中の幸いというか何と言うか・・・
拙者がフィリピン行きを断念して、今も家にいたら、多分、親父の腰に湿布をするだけだったに違いない。
いつまで経っても治らないネェ~・・・・で済ましていたかも・・・
心臓までは思い至らなかっただろう。
フィリピンに出かけて留守にしたことで、妹と義弟が様子を見に来てくれたわけで・・・
拙者が一緒にいたら、まず、忙しい中、わざわざ東京から様子を見に来るということはなかったはずである。
そう考えると・・・
フィリピンに出かけて正解だったといえるかも。
(自分に都合のいい解釈ですが・・・)(大笑)

気になるのは、相変わらず食事をしないということ・・・
以前から親父には「点滴で栄養を摂るようになったらお仕舞いだからな。口から栄養を摂ることは大切なんだからな」と言って、食事をさせていたが・・・
いやぁ~参ったなぁ~
食事を食べないというのは・・・・

呆れてしまったのは、東京へ行く当日のことである。
何日も食事も摂らないでゲッソリしていたので、妹が「東京へ行こうか?東京の病院に入院したほうがいいのではないか?」と話したら、素直に「ウン」と言ったというのである。
昨年の3・11の大震災のときでさえ、東京の妹のところへ避難させようと思っても「俺はここからは離れない。東京に行くのだけは勘弁してくれ。死んでもここを離れない」と駄々をこねたのであるが・・・
相当“抵抗”したのかと思ったら、あっさりと「行く」と言ったというのである。
かなり寂しかったのか心細かったのか、不安だったのか・・・
妹も意外に素直に言うことをきいたので驚いたそうだ。
更に・・・・
自分で蒲団を片付けて、洋服を着替えて、椅子に座って・・・「さぁ!行こう!」と言ったという。
入院して検査してみて、腰の骨が折れていたというのには妹もビックリ・・・・
腰の骨が折れていたのに、なんで蒲団を自分で片付けられたんだろう?(大笑)
嘘みたいだ・・・と言う。
そりゃ、そうだ・・・拙者だって、その場にいたら、親父は腰が痛いと嘘を言っていると思うだろう。

とにかく、明日は帰国予定・・・・
成田空港近くのホテルに一泊するが、翌日、病院に見舞いに行くことにする。

全館が禁煙というのは不便なものである。
タバコを吸いたくなったら、ロビーまで降りて行かねばならない。(涙)
すると・・・当然、“ポン引き君”に捕まってしまうのである。(大笑)
初日に会ったポン引き君・・・・と言っても拙者より一回りも年上だが・・・
「オンナ、ドウデスカ?」としつこい・・・
そうだ・・・
9年ぶりに夜の街を歩いてみようか・・・(笑)
拙者は、毎年のようにここに来るが、ホテルの外を歩くということは滅多にない。
9年前に冒険しただけである。
あの時に、客引きに捕まって連れて行かれた(大笑)、ライブハウスのようなお店・・・
あそこに久しぶりに行ってみようか・・・
「向こうのほうは危ないですよ!」というポン引き君の“忠告”を振り切り、夜の街を歩いてみる。
こちらは危ないのは承知のことで行くんだから・・・「わかってる!」

9年前、どのあたりを歩いたのか、ブラブラ歩いてみる。
と・・・タクシーの運転手はクラクションを鳴らして乗れと誘うし、トライシクル(輪タク)の兄ちゃんも乗れと声をかけてくるし、当然、客引きも声をかけてくる。
いやはや、しつこいこと・・・・
強引に店に連れ込もうとするんだから、こちらも凄むしかない。(笑)

9年前と比べると、路上生活者が目立つ・・・
以前は、見かけなかったのだが・・・
若い母親が赤ん坊と並んで路上で寝ているのである。
それも一人や二人ではない・・・
また、道端に座って物乞いする人も多い・・・
いやぁ~何だろう・・・これ・・・
「明日は我が身」か・・と、急に寂しくなる・・・・

結局、9年前に行ったお店は潰れて無くなっていた・・・
アメリカのポップスとか、結構、いい曲を生演奏していた店なんだけどなぁ~
残念・・・・

ホテルに戻ったら、また例のポン引き君が現れた!(大笑)
「おい、どこかに生演奏を聞かせてくれる店はないか?」
「う~ん・・・あります!たしか・・・あります!」
「本当か?」
「はい!」
「どこにある?」
「車で行きましょう!」
車に乗るのは危険である。
どこへ連れて行かれるか分かったもんじゃない。
「歩いて、どのくらいだ?」
「歩いて・・・20分!」
「よし!歩くぞ!案内してくれ」
「歩くんですかぁ~」
20分くらいなんということはないだろう?
なんで、そんなに歩きたがらないんだ?
夜の街を・・・歩く・・・

途中で近代的なデパートが・・・
「ロビンソン・・・知らないんですか?」とポン引き君・・・
「知らん!」
「ええっ!何度もマニラに来てるのに?知らないんですか?ロビンソン!」と大笑い。
「知るもんか!デパートには用事はないんだから・・・」
「あ・・・そうですよね」

右に曲がり、左に曲がり・・・とメチャクチャな歩き方・・・
おい、おい・・・しっかり記憶していないとホテルに戻れなくなりそうだ。(汗)
で・・・到着したと思ったら・・・店がない!
ポン引き君・・・周囲の人に尋ねまわっている。(笑)
頼りないガイドである!(大笑)
と・・・赤ん坊を抱いた若い女の子が、お店まで案内してくれると言う。
ロビンソンの近くだというのだ。
もと来た道を引き返すことになる。
途中、彼女が日本語で「危ないですから気をつけて!車が来ますから!」と拙者に声をかけてくれる。
日本語が上手なので尋ねてみたら、昔、日本で働いていたという。(笑)
浅草とか、群馬のフィリピンパブにいたそうである。(大笑)
お店まで案内してもらい、助かった!(笑)
どうやら最近移転したのだそうである。
お礼に・・・赤ん坊に何か買ってあげてくれと、僅かだがチップを渡す。

で・・・このお店・・・
入場料が100ペソ(約200円)だという。
受付の女の子にシステムを聞いてみたら、100ペソでワンドリンク付き、午前2時までズ~ッといていいと言う。(大笑)
どれどれ、入ってみましょうか!
ポン引き君の分まで支払ってあげることにしたのだが、彼はチップと相殺されるんじゃないかと気にする。(大笑)
「これはこれ、チップはチップであげるから付き合え!」(大笑)
店内にはアベックの客が一組だけ・・・あらら・・・である。(大笑)
ステージでは生演奏!
う~ん・・・うまい!
いい声である。
飲み物は・・・お酒はやめてコーラにする。
酔って判断力と注意力が鈍ったらヤバイ・・・(笑)
1時間ほど、ここでライブを聞いてホテルに戻ることにした。
このお店・・・「アナック(息子)」という歌を歌う歌手がオーナーの店で、結構有名な店なのだそうだ。
日本では杉田二郎という歌手が日本語で歌っていたと思う。
拙者が中学生の頃だったのではないかと思うが・・・
実は、拙者が生まれて初めて聴いたライブは杉田二郎の地元ラジオ局主催のコンサートなのである。(大笑)
今はどうしているんだろう・・・杉田二郎さん・・・・

200円で楽しめるとは・・・いい店を見つけた!
次回、フィリピンに来た時もここに来よう!

「で・・・オンナ・・ドウデスカ?」
なんでそこだけ日本語なんだか・・・ポン引き君!
拙者の“楽しみ”がわかっておらんようだねぇ~
帰り道・・・女の子に「こんばんわ」と英語で声をかけられた。
ん?すごい美人である。スタイルもいい・・・
が・・・ストリートガール・・・「街娼」「売春婦」である。(大笑)
「はぁ~い!こんばんわぁ~!」返事だけしてサッサと通り過ぎる。
美人だろうが何だろうが、この手の売春婦は管理されていないだけにヤバイ・・・
「病気移されますよ」とポン引き君・・・(大笑)
「そうだろうねぇ~」(笑)
「彼女たちはIDを持っていないと思いますし・・・」とポン引き君・・・
ホテルに連れ込むには、IDカードを彼女たちはホテルのフロントに預けなければならない。
そのIDを持っていなければ、自分が宿泊しているホテルではなく、多分、“連れ込み宿”に・・・ということになるだろう。
で・・・睡眠薬入りの酒を飲んでダウン・・・・
気がついたら、財布の中身は空っぽ・・・こういうことになる。
今年のゴールデンウィークでは、日本から来た観光客が何人もこの犯罪に引っかかっている。
地元の日本語新聞には記事が載ったが、当然、日本では報道はされない。(笑)
まぁ、命があるだけ良しということである。

ホテルに戻り、ポン引き君にチップを渡してお別れ!
と・・・相変わらず「オンナ・・・イラナイ?オンナ!」
あのな・・・しつこいって!
直ぐにホテルのセキュリティが大声をあげて吹っ飛んできた!
「大丈夫ですか!何かトラブルでもありましたか?」といいながらポン引き君を叱りつける。
「おお、何も問題はないよ~」(笑)
ポン引き君がホテルの前で商売をするためには、ホテルのセキュリティにチップだか売上だかの10%を支払わなくてはならないと彼が言っていたので・・・
多分・・・今頃、拙者からいくらもらったんだとセキュリティにたかられていることだろう。(大笑)

今晩は充実した「夜の観光」が出来た!
いい音楽も聴けたし!
満足、満足・・・・
今晩もまたマッサージを呼んで、ウトウトしながら揉んでもらう。(笑)

旅行 | 23:10:20 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(12)
さて・・・今日の予定は終わってしまった!(大笑)
どこでどう、話が展開するかわからなかったので、博物館訪問のため丸一日予定は空けておいたのである。
が・・・午前中で話は終わってしまった。(笑)

とりあえず、マニラに戻りますか・・・ということにする。

で・・・昼食・・・
これも、どこで食べるかは決めていなかった。
“ステラさん”にどうするか決めてもらおうとしたら・・・
「ちょっと贅沢をしてもいいですか?」と言う。
「別にいいですけど・・・」
「本当に贅沢していいですか?」(笑)
「へっ?別にいいですけど・・・どこで食べます?」
「日本料理などはどうでしょうか?」(笑)
「おお!大いに結構!行きましょう!」
「あの・・・ドライバーさんも一緒でいいですか?」
「当然!」(大笑)

ということで・・・以前、行ったことのあるマニラ市内の日本料理店で昼食を食べることにする。
現地では日本料理は高価なのだろう。
拙者は経済観念がないから気にしないけど・・・(笑)

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サンマの塩焼き定食である!
3年前、ここで食べた「サンマの塩焼き定食」を食べる・・・
あの時は、我が戦友会の“フジイさん”と一緒にこれを食べたのである。
“フジイさん”のお兄さんは機動歩兵第2連隊の兵士として、ここルソン島で戦い生還したが、戦後お亡くなりになられた。
そこで物故者遺族として“フジイさん”が会員を継承したが、“フジイさん”も海軍の少年兵としてフィリピンで戦って生還した方である。
戦時中は、兄がルソン島で弟がミンダナオ島で戦っていたとはお互いに知らなかったそうで、戦後復員した時に、兄弟してフィリピンで戦っていたことを知ったそうである。
“フジイさん”がミンダナオ島のダバオに従軍していたのは17才ぐらいの時だったという。
復員後、一度も現地を訪れていないので、死ぬ前に一度だけでもいいから現地を訪問したいから連れて行ってくれと頼まれて、3年前に2人で一緒に旅をしたのである。
その時もガイドは“ステラさん”に頼んだのである。
「これ、“フジイさん”と一緒に食べたんだよねぇ~」(笑)
「“フジイさん”!お元気ですか?」と“ステラさん”
「はい、大坂で・・・元気でいますよ!」(笑)
懐かしいなぁ~
このサンマの塩焼き定食は、そんじょそこらの定食とは違うのである。
“フジイさん”との旅の思い出の詰まった定食なのである!(笑)
もう、歩くのが不自由になったそうで、一緒にフィリピンを旅することが出来なくなったのが寂しいが・・・
3年前の旅を思い出しながら食べる・・・・

さて、この後はどうしようか・・・ということで・・・
博物館好きの拙者は、「空軍博物館」へ連れて行ってもらうことにした。
ホテルにチェックインするには、ちょっと早いからね・・・
ここは初めての訪問である!(喜)

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拙者は博物館とか資料館とかが大好きなのである!(笑)
なぜそうなったのか・・・・
小さいときに母に国立科学博物館に連れて行ってもらったのがきっかけではなかろうかという気がするのであるが・・・
何故だか知らぬが、博物館・資料館となると血が騒いでしまうのである。(大笑)

見学者が殆どいなかったせいか、受付にいた空軍の兵士が、館内を案内してくれた。

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この案内してくれた空軍の兵士に「スカボロー礁」について尋ねてみた。
現在、この場所は台湾、中国と領有権の問題で揉めている。
台湾はこの「スカボロー礁」を台湾領だと言っているが、ルソン島の直ぐ西に位置する場所である。
ここが台湾領ならルソン島も台湾領でないと筋が通らぬような気がするが・・・(笑)
中国に至っては論外である!(怒)
にもかかわらず、ここへ平然と船を送り込み、実効支配を企んでいるのである。
で・・・どう思う?(笑)
この兵士・・・困った顔をして苦笑・・・
そりゃ立場上、変なことは言えないか・・・(大笑)

ここには日本軍関係のものも展示されていた。
が・・・なぜか陸軍のものである。(笑)
空軍博物館なのにねぇ~(大笑)

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(日本軍関係の展示品)

この空軍基地内(当時はニコラス飛行場と呼ばれていた)から発掘されたらしい九二式重機関銃と、出所不明の九九式騎銃などが展示されていたので、この空軍兵士に説明してあげたら「この人は何者?」と彼が“ステラさん”に尋ねた。(笑)
ステラさん曰く・・・「この方は、日本から来た歴史家です。軍関係の歴史が専門です。」
大笑いである。
クラーク博物館で調子付いちゃったかな・・・(大笑)

ここには、小野田さんの資料も展示されている。
戦後、ルバング島から生還した元日本兵の小野田少尉の資料である。
またまた何で空軍博物館に展示されているのかわからないが・・・
尋ねようと思ったら、さっきまで一緒にいた空軍の兵士はどこかへ“逃げ”ちゃっていた。(笑)
いや、多分、ほかに仕事があったのだろう・・・(大笑)

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(小野田少尉の資料)

こう言っては失礼かもしれないが・・・(笑)
非常に“素朴”な博物館でして・・・(大笑)
展示品もそれほどないのだが、結構、時間をかけて見ていたせいか・・・・
“ステラさん”までもが、いつの間にかいなくなってしまった!(大笑)
多分、呆れちゃったんだろうなぁ~(大笑)

で・・・最後に、ミュージアムショップに立ち寄る。
小さな売店である。
お客は誰もいない・・・(笑)
店番のオバチャンも暇そうにしている・・・(大笑)
ショーケースの中を見てみたら・・・・あった!あった!
「これ、ステッカーですか?」
「そうですけど・・・」
「やった!」(笑)
彼女は何で拙者が喜んでいるのかわからないらしく、怪訝な顔をした。(大笑)

実は、拙者はステッカーをスーツケースに貼るのが趣味なのである!(笑)
自分へのお土産は・・・ステッカー!
世界中、どこへ行っても・・・なのであるが・・・
最近では、このステッカーというものがなかなか見つからないのである。(涙)
昔は、ちょっとしたホテルには必ずといっていいほどホテルのステッカーというのがあった。
もう30年も前のことだが・・・(笑)
それをもらい、スーツケースにペタペタ貼ったものである。
タイ、マレーシア、シンガポール、香港、台湾・・・ホテルのものや、観光地の名前のもの、その都市の名前が入ったものや、その国の国旗など・・・
30年以上も前のステッカーを見て、へぇ~タイに行った時は、このホテルに泊まったのか・・・と懐かしい。
もう完全に記憶から削除されているホテルなのだが、ステッカーが貼ってあるから泊まったんだろうねぇ~
今もこのホテルがあるかどうかは知らないけど・・・(大笑)

最近ではそういうステッカーが見当たらない。
ようやくフィリピンの国旗のステッカーを見つけた!(大喜)
ついでにフィリピン空軍のステッカーも!
意味がわからぬアルファベットで書かれたものがあったので尋ねてみたら、タガログ語で「フィリピン空軍」という意味だそうだ。
それじゃ、わからないので英語で「フィリピン・エアフォース」と書かれたステッカーを購入することにする。
「え?買ってくれるんですか?」と言わんばかりに、このオバチャン、急にニコリとしたのには笑ってしまった。(大笑)

ステッカーを買って喜んで博物館から出てきた52歳の拙者を見て、ドライバーも“ステラさん”も呆れ顔・・・(大笑)
わからねぇだろうなぁ~・・・・この嬉しさは・・・(大笑)
最近はスーツケースにステッカーを貼るような旅行者は滅多にいないようである。
みなさん、綺麗なスーツケースを持って旅をしている。
ベタベタとステッカーを貼っているスーツケースなど持っている人は・・・まずいない。(笑)
多分・・・レンタルなんだろうねぇ~(大笑)
これのいいところは、空港のターンテーブルから出てきたときに、直ぐに自分のスーツケースだとわかる点である!(大笑)
遠くから見ていても直ぐにわかる!
それと、もし誰かに持ち去られる心配もないだろう。
目立ちすぎるから・・・(大笑)
黒やシルバーのスーツケースは格好がいいが、同じようなスーツケースが多いので空港で受け取るときに、自分のものかどうか迷ってしまうのである。(笑)
誰かに持ち去られても、自分のかどうか自信がなければ声もかけられまい?(笑)
その点、拙者のスーツケースは大丈夫!
ステッカーが目立つ!(大笑)

空軍博物館を見学して時間が潰せたので、ホテルに向かう。
途中、車のガソリンを満タンにしてあげる。
今回、車を借りる条件がこれ。
ドライバーが遠慮がちに自分の行きつけのガソリンスタンドまで行っていいかと言う。
「ポイントカードとか、スタンプとか集めてるんだろう?」と言ったら、「実はそうなんだ」と言う。(大笑)
大いに結構!
折角だから、ポイントは集めたほうがいい!(笑)

ホテルに到着・・・
セキュリティの“ルネ君”が飛んできて「オヒサシブリデス!」と日本語で言う。(大笑)
3日前に会ったばかりじゃないか・・・(大笑)
彼は多分、「オヒサシブリデス」の意味はわかっていないのだろう。
知っている日本人に会ったら、そう言えばいいと誰かに教わったのだろう。(大笑)

ドライバー君にチップを渡し、ここでお別れ・・・・
3日間、御苦労様でした!ありがとう!
チェックインの手続きを済ませ、“ステラさん”とコーヒーラウンジでコーヒーを飲みながら雑談・・・・
今回の旅も大満足である!
感謝、感謝!
今晩の夕食は、ホテルのレストランで一人で摂ることになっている。
明日は帰国・・・・
午前11時半に迎えに来てくれるよう頼み別れる。


より大きな地図で フィリピン空軍博物館 を表示


旅行 | 20:52:54 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(11)
今日は、このクラーク地区にある「クラーク博物館」に行く予定。
今年の4月に訪れたが、館長が不在のため会えなかった。
今度こそは・・・ということでの再訪問である。
これが今日のメインイベント・・・
博物館だから・・・多分、開館は9時頃だろうということで、ホテルのチェックアウトは午前9時ということにする。
今日の朝は、ちょっとゆっくりできる。(笑)

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時間に余裕があったので・・・・
ホテルの中庭やプールなどを見て歩く・・・・(笑)

朝食は8時・・・・
だが・・・このホテルの従業員達・・・
全然真面目に働かない・・・(笑)
いくら呼んでもやって来ない・・・・
何をしているのかと思ったら従業員同士でおしゃべりをしているのである。(唖然)
我々“お客様”が呼んでいるのに・・・無視!(笑)
さすがに“ステラさん”が怒る。

建物は洒落ていて格好がいいんだけど・・・
従業員の質が悪い・・・
格好だけ・・・(大笑)

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「朝食にはドライバーさんも誘いましたけど、いいですか?」と“ステラさん”
「おお!そりゃ、当然!大いに結構!そうじゃないとね!」(笑)
追加料金がかかるが、そんなことを気にするような“お坊ちゃま”ではないのである。(大笑)
一緒に行動しているんだから、できるだけ一緒に・・・というのが拙者の考えである。
3人で朝食を食べ、一服して・・・(笑)
ホテルをチェックアウトして博物館に向かう。
“ステラさん”は博物館の場所を知らないと言う。
拙者は半年前に行っているので、何となくわかるが、方向音痴なので自信はない。(笑)
タブレットの地図を頼ればいいと思っていたら・・・
ドライバー君は、昨日のうちに下見に行って来たと言う。
「おお!下見してくれたの!」(喜)
「はい、昨日、帰るときにホテルのスタッフに場所を尋ねて、下見してきました」と言う。
いやはや大したものである。
半年前に使った地元旅行会社のドライバーとは月とスッポンである。(大笑)

クラーク博物館に到着したら、入り口に何十人もの“セキュリティ”が集まっていた。
何事かと尋ねてみたら、警備員のセミナーがあるので集まっているという。
へぇ~・・・である。
半年前に会った博物館の女子職員たちの姿が見えない・・・
あらら・・・これじゃ、話が通じにくいなぁ~(笑)
博物館の女子警備員に来館の目的を告げるが、しっかりと入館料を取られる。(大笑)
ドライバーの入館料も支払い、館内を見学して時間を潰してくれるように告げる。
何事も勉強です!(笑)

館長に会いたいんですけど・・・を前回言った時に、「館長」をdirector(ディレクター)と呼んだら、受付の職員に正しくはcurator(キューレイター)だと注意された。(大笑)
博物館や美術館の館長の場合は、ディレクターではなくキューレイターと言うのだそうだ・・・
ようやくこの英単語を覚えたので・・・(笑)
今回は間違わずに言えた!(大笑)

警備員に館長室まで案内され、館長さんに面会・・・
前回、韓国系の女性館長と聞いていたので、若い人と勝手に想像していたら、かなりお歳を召した方だった。(笑)
“ステラさん”に通訳をしてもらうことにしたが、最初の挨拶と来館の目的等ぐらいは、下手な英語でも拙者が自分で言ったほうがいいだろう。
その後の難しい話は彼女に通訳してもらうことにする。

拙者の訪問の目的は・・・
展示されている日本軍の遺品に対して説明文を掲示してもらいたいというのが一つ。
もう一つは、これらの遺品の入手先を知りたいというものである。
が・・・
館長は、忙しいとか、そんな時間はないとかと言って全然乗る気ではない。
4月に資料を持参して来たが館長が不在だったのでスタッフに渡してくれるように頼んでおいたのだが、と言ったら、そんなものはもらっていないとアッサリ・・・
あらら・・・である。

“ステラさん”が「こちらの方は、日本の歴史家で、本を何冊も出している方です」などと言う。
ゲゲッ!拙者は本なんか書いたことないんですけど!(大汗)
それ・・・ハッタリ?
それを受けて、館長は「あ、そう、私は大学の教授ですけど」と反撃(?)(笑)
いやはや、参った・・・

ふと、館長の机の上を見たら、灰皿がある。
あれ?・・・・と思った瞬間・・・
「タバコを吸ってもいいですか?」と館長・・・
「私たちもタバコを吸いますから大丈夫です。2人とも、かなりのヘビースモーカーです」と答えたら、一気に話が転回!
「あなたたちも吸って!そうぞ吸って下さい!」と館長。
「あなたの日本のタバコを1本吸ってみたいんだけど・・・」と館長に言われたので、差し上げたら、これは美味しいと大いに満足してくれた。
それならと、予備に持っていたマイルドセブンを1箱プレゼントする。

時間がないとか、忙しいとか言っていた割には、館長は4本も立て続けに吸うのだから、かなりのヘビースモーカーである。(笑)
「じゃぁ、館内を案内するから、日本軍の展示品の説明をして下さい」と言う。
あれ?忙しいんじゃなかったの?(大笑)
タバコがきっかけで話が好転してしまったようである。(大笑)
こうなると、喫煙もそうそう悪いことばかりではあるまい?(笑)

“歴史家”と紹介された以上、日本軍の展示品の説明が出来ないとなると真価が問われてしまう。
冷や汗ものである・・・(大汗)
「これは、何ですか?」「何に使うんですか?」「どう使うのですか?」と館長から矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
専門用語は“ステラさん”では通訳できないので、拙者が直接英語で説明しなくてはならない。
持参してきた資料を見せながら説明をする。

展示品の説明文の掲示については、相変わらず忙しい、面倒くさい、予算が無いと、乗る気ではない。
ここで“ステラさん”が「この方が自分で作るって言ってますけど・・・」と一押し。(笑)
カネが無いというので、拙者から「勿論、ボランティアですよ!私が無料で作ってあげますよ」と畳み掛ける。(大笑)
「それなら、大いに結構です。どうぞ作って下さい」と館長がニッコリ・・・
これで余計な仕事が増えちゃった・・・(大笑)
まぁ、仕方がないか・・・自分で作るか・・・(涙)

前回、気になっていた戦車搭載のジャッキ・・・・
これが何か館長は知らなかったので説明をしてあげて、入手先を尋ねたら、ここストッチェンバーグで発掘されたものだという。
ちなみに、この博物館が建っている場所は、戦時中、日本軍のストッチェンバーグ病院が建っていた場所である。
この地で発掘されたものだということは・・・
独立戦車第8中隊の戦車のものということになるな・・・
この地区に派遣された戦車部隊は、この中隊しかなかったはずである。

その他、車載機銃などの入手先は、地元在住の日本人が集めたものらしく、その人から委託されて展示しているという。
後日、その方を紹介してくれると館長・・・
その他にも地元の著名な歴史家のディゾンさんという方も紹介してくれるという・・・
この方のお名前は聞いたことがある。
ご高齢で最近体調を崩しているらしいので、事前にアポを取らねば面会できないという。
“本物”の歴史家と“ほとんど偽者”の本を出版したこともない「歴史家」の拙者が会うなんて・・・ちょっとプレッシャーがかかり過ぎるが・・・(笑)
ここは踏ん張り所か?(笑)
いやはや・・・話がドンドン進んでしまった。(汗)

「今度はいつ来るのか?今度来る時は事前にアポを取って欲しい」と館長が言うので、“ステラさん”を連絡係ということに決めて、次回また会う約束をする。
で・・・館長・・・
「今度来るときは、日本のタバコと日本茶を持ってきてくれませんか?」とのこと。
「お金を先に渡しておきますから・・・」というので、お土産として持ってくるからとお金を断る。
次回って言っても、いつまた来るかは決めてないんだから・・・お金を預かるのは気が引ける・・・(大笑)

忙しいだの何だかんだの言いながらも、館長は1時間以上も時間を割いてくれた。
突然の訪問なのに・・・いや、感謝、感謝である。

拙者が展示品の英文の説明文を作るという課題が出来てしまったが・・・・
充実した訪問となった!
満足、満足・・・・
さぁ、頑張らねば!・・・・苦手な英語・・・(大笑)

旅行 | 11:09:44 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(10)
さて、そろそろお昼である。
元来た道を戻り、タユグという町で食事をすることにする。
この町は、現在では交通の要衝となっている。
多分、昔もそうだったのかもしれない。
かなりの賑わいである。

9年前にここを通過したときは、大きな市場があったような記憶があるのだが・・・
今は近代的なショッピングセンターのような建物に変わっていた。(笑)
ここのファーストフード店で4人で昼食を食べる。

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チキンの照り焼きのセット、コーラを付けて・・・・約100ペソ(約200円)だったかな?
これに2品ほど別に頼んで・・・4人でも600ペソ(1200円)ぐらいだったような気がする・・・
なにせ、経済観念がない男ですから・・・金額をあまり気にしないで支払っちゃうのである。(大笑)

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(タユグのお店の前の道)

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(向こうに見えるのがタユグの市庁舎)

とりあえず・・・
今日の予定は全部済んだ!(喜)
ここからは一気にクラークに向けて南下する。

途中で、“ドミンさん”と別れる。
彼は、今回の拙者の同行を兼ねながら親戚宅を訪問して、またバギオへ戻るという。
「では!また!」と別れる・・・・
82歳・・・どうか長生きして欲しい・・・
また会いたいね・・・・

タユグを出発して約3時間後・・・
クラーク地区に到着!
まだ時刻は午後3時半である。

来週、ここの「リリー・ヒル」という丘で、神風特別攻撃隊の慰霊祭が行われるという。
その時に拙者の知人の“カメイさん”も来るのだそうで、ガイドとして空港から同行を求められているのが“ステラさん”
しかし、“ステラさん”はこの「リリー・ヒル」の場所を知らないという。
拙者ももちろん行ったことはない・・・
というわけで、拙者のタブレットの地図を見ながら、「リリー・ヒル」を探して行って見ることにする。
来週のための下見である。(笑)

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意外にも、「リリー・ヒル」は、今晩拙者が宿泊するホテルのすぐ近くだった。(大笑)
英語名では『Goddess of peace shrine』と言うらしい。
観音像の日本語の碑文では『平和観音宮』と刻まれている。
日本語碑文によれば・・・
ここはパンパンガ州マバラカット町クラーク地区というそうで・・・
平成10年10月25日、神風特攻隊出撃から54年目にあたり、「世界平和都市」宣言をして日本の僧侶と地元の町長がこの観音像を建立したらしい。
このクラーク地区の日本陸海軍将兵約3万名が「建武集団」を編成し、米軍と戦ったのであるが、どうも、このリリー・ヒルに最後の要塞を築いたらしい。
そして、その攻防戦で敗退し、山岳地帯に籠もり戦い続け、殆どの部隊は玉砕したのである。

この「建武集団」には、我が戦車第2師団から機動歩兵第2連隊の1個大隊が配属されている。
「柳本大隊」と称するが、この地区では唯一まともな戦力を持っていた歩兵部隊と評されていたというが、大隊は壊滅・・・柳本大隊長は生還したが、平成3年に交通事故で他界された。
拙者が戦友会に入会する前のことであるが、今でも柳本大隊長の奥様とはお手紙のやり取りをさせていただいている。
いつも拙者のことを気遣ってくださる奥様なのである。
あ~・・・柳本少佐の名も碑文に刻まれている・・・・
知らなかったこととはいえ、今までここに参拝に来なかったとは迂闊であった。
偶然にも大隊長のお名前を拝見し、感無量・・・・
会いたかったなぁ~大隊長さんに・・・・

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今回宿泊するホテルは、クラーク地区にあるホテルで初めて使うホテルである。
なんとも洒落た外見をしている。
スペイン風っていうのかな?(笑)
チェックインして、早速・・・・コーヒー!(大笑)
飲むぞ!コーヒー!
ドライバーと“ステラさん”と3人でコーヒーを飲んで一息つく。

今日のドライバーの宿泊は・・・
ここは昔、米軍の基地だった場所で、その面影が今も残る、ちょっと隔離されているような地帯である。(笑)
ホテル代も当然高い・・・
というわけで、彼にはホテル代と夕食代を渡して、この区画の外のホテルを適当に探して泊まってもらうことにして、夕食も3人で食べたいところだが、わざわざそのためだけに戻って来てもらうのも悪いので、一人で自由に食べてもらうことにした。

今晩の夕食は6時半にホテルのレストランということにする。

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食事後、3階にある部屋に戻ろうと“ステラさん”と一緒に、廊下を歩いていたら・・・
いきなり停電!(驚)
真っ暗である!
ホテルの従業員が駆けつけ、自家発電機を稼動したので、とりあえずの復旧はしたが・・・
我々は、あと数秒でエレベーターに乗るところだったのである。(笑)
エレベーターの中で停電に遭っていたかも知れないと2人で大笑い。
そしたら、多分パニックを起こしていただろうね!(大笑)
危機一髪だった・・・・

日本にいる妹から拙者の携帯にメールが入った・・・・
妹が親父の様子を見に東京から我が家に来たらしいが、その直前に、どうも水戸藩士の“シミズくん”が手土産持参で拙者の親父の様子を見に来てくれていたそうである。(喜)
いやぁ~申し訳ないねぇ~
実の息子は親父を見捨ててフィリピンへ旅行に行き、他人である“シミズくん”が拙者の親父のことを心配して、わざわざ様子を見に来てくれたとは・・・・
いやはや本当に申し訳なし!
感謝、感謝・・・
で・・・妹が様子を見に行ったら、どうも拙者が出発後も食事を摂っていなかったらしく、少々衰弱気味だったというので、急遽、東京へ連れて帰り、東京の病院に入院させたという。
まぁ、そのほうがいいかもしれない・・・・
点滴を受ければ少しは元気が出るだろう・・・
詳しくは後で、今後のことも含めて話すとのこと。
とりあえず、妹のおかげで何とかなったようである。
ちょっと安心・・・(笑)

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困ったことに・・・全館禁煙である・・・(大笑)
いやぁ~どこもかしこも禁煙、禁煙・・・
なんたることか・・・
ベルボーイに尋ねたら、1階のプールサイドなら灰皿があるのでタバコが吸えると言う。
いちいち、1階まで降りてタバコを吸わなければならない・・・・不便なり・・・(涙)

今晩も、マッサージを呼ぶ・・・・
毎日マッサージ・・・・(笑)
なんと贅沢なことか・・・
至福のひと時・・・という奴である。(笑)


より大きな地図で リリーヒルの平和観音 を表示


旅行 | 18:57:25 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(9)
サンマニュエルから、各自バラバラに撤退した生き残りの将兵たちは、ここから東のサンニコラスまで行き、そこから更に後方へ移動したようである。
戦車師団には、他の歩兵師団のように野戦病院というのは設置されていない。
戦闘になると「患者収容隊」というのを臨時に編成して、負傷兵は他の部隊の編成下にある病院へ移送されるのである。

サンマニュエルからサンニコラスまでは真っ直ぐ道が伸びているが・・・・
途中に大きな川が流れていて、現在はここには橋は架かっていないようである。
当時はここに橋があったかどうかはわからない。
道の感じでは、橋があったと思っていいとは思うが・・・

なにせ戦後60年以上も経っているので、こういう戦跡めぐりは難しい。
道路自体が当時の道路なのか、戦後“付け替え”られたものなのか・・・
「椰子の林の中に戦車を隠し・・・」とか「竹林のところに終結して・・・」など、当時の様子を伝える資料に書いてあっても、現在は、椰子の林も竹林も見当たらないのである。(笑)
「町の郊外に・・・」とあっても、戦後、町が大きくなっている可能性もある。
当時は「郊外」でも今は町の中に含まれてしまっている可能性もある。
生還者に同行してもらい、説明を受ければ、少しは違うかもしれないが・・・
それは今となっては無理である。
自分の経験と勘に頼るしかない。(笑)

我々は、一度南下して橋を渡り、再度北上してサンニコラスの町に向かうことにする。

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サンマニュエルを出発して30分程度でサンニコラスの町の入り口に到着する。

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ここサンニコラスは戦車第7連隊などの生き残りの将兵が撤退してきた場所でもあるが、拙者の祖父がいた場所でもある。
拙者の祖父は、ここに配属部隊をもらい約600名で防衛陣地を敷いていたのである。

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約5分ぐらい走って、サンニコラスの町の中に到着。
ここは町の中心にあるメインストリートに面した市庁舎である。
多分、ここに祖父は連隊本部を置いたのではないかと思う。
資料が何も残っていないので正確なことはわからないが・・・

この市庁舎のすぐ近くに高校がある。
「レッドアロー・ハイスクール」と言うが、このレッドアロー(赤い矢)とは、この地を攻撃した米第32歩兵師団の愛称である。
米軍の部隊の愛称が今も高校の名前として残っている。

ここに米軍の最初の砲弾が飛んできたのは、昭和20年2月1日のことである。
その後、激戦が展開されることになるのである。

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市庁舎前からカバリシアン川方向(東の方角)を見る。
9年前と変わらず閑静な町である。(笑)

ここから真っ直ぐ東に向けて走る。
この先がカバリシアン川・・・・
その川を渡ったところに祖父は物資を集積して防衛陣地を構築していた。
ここを“ドミンさん”と訪問したのは平成15年・・・
9年ぶりの再訪問である。

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到着してみたら・・・あららららぁ~・・・である。(大笑)
かなり荒れちゃっているというか何と言うか・・・・
“ドミンさん”の話によれば、以前、大きな地震があり、そのせいでかなりの被害を受けたのだという。

我々の岸側は以前より軽く2mは“かさ上げ”されていて、どうも堤防を作り直したらしい。
川に吊橋が架かっているのは、9年前と同じだが、かなり高さが高い。(笑)
コンクリート製の橋脚の土台はあるのだが・・・いつになったら恒久的な橋が出来るのやら・・・である。

目を橋の右にやる・・・

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ここには民家が1軒あったのだが・・・・ない!
9年前、ここの庭のマンゴーの木を眺めていたら、家の人が出てきてマンゴーを取って拙者にプレゼントしてくれたのである。
その思い出話を“ドミンさん”にしたが・・・彼は全然覚えていないという。(唖然)
あの家の人・・・大丈夫だったのだろうか?今はどうしているのだろう?

更に目を右にやる・・・・

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川が大きく湾曲している・・・・
向こう岸には、9年前には結構高い堤防があったのだが、ザックリと削り取られているようである。
決壊したようである・・・・
9年前には、あそこを歩いてグルリと向こう側まで行ったんだけどなぁ~
今回は無理なようである。

さて・・・ここで問題が・・・・
吊橋である・・・(大笑)

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この吊橋を渡らねば向こう岸には行けない。
が・・・拙者は高所恐怖症なのである。(大笑)
2mぐらいの高さでも腰が抜けるほど怖いのである。(笑)
しかも・・・なに・・・これ・・・
この竹を割った“床”・・・・隙間だらけじゃない?
もし、この竹の板がパキッって割れたら、ストンって墜ちちゃうんじゃないの?(大汗)
“ステラさん”は「私はここに残りますからぁ~」と・・・・逃げた・・・(大笑)
ドライバーも・・・同様・・・
う~ん・・・・(涙)
「怖いんですけど・・・じゃぁ、行ってくるね・・・」(涙)
みんなは・・・・苦笑・・・・

恐怖心に打ち勝って、何とか向こう岸に渡り終えた。(大汗)

そこには米第32歩兵師団の記念碑が建っている。
が・・・かなり傾いている・・・

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この記念碑は、昔の写真を見るとかなり背が高い記念碑なのである。
台座も含めれば、今、地表に出ている長さの2倍はあるのではなかろうか?
ということは・・・かなり土砂で埋まってしまっているということになる。
この記念碑・・・・
建立されたのは、1945年(昭和20年)の5月である。
この先にあるサラクサク峠の攻防戦が終盤を迎えた時で、5月末に米軍はサラクサク峠の戦闘の終結を宣言している。
ということは・・・終結宣言と同時に建立したということになるか?
なんとも手回しの良いことである。(唖然)

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目の前の丘には、9年前には民家が建っていたが・・・・今では消滅している。
地震のせいで被害を受けたのだろうか?
祖父たちは、この丘から後方に向かって重層に第一線陣地を構築していたのである。

ここはサラクサク峠への西の登り口にあたる。
1880年代にスペインの宣教師が造った道だという。
水牛が通れる程度の道だったというから「獣道」に毛が生えた程度の登山道だったのだろう。
ここに米軍が攻撃を仕掛けてきた・・・
その兵力は1個師団なので軽く1万名は超える・・・
それに対する祖父たちは600名・・・・(笑)
普通なら2日と持ちこたえられるわけがないのだが、この「獣道」に祖父たちは助けられたといってもいいだろう。
敵も一列にならなければ、やって来れないだろうし・・・
連日の猛砲撃を受けながら祖父たちはジワジワと後退・・・
時間稼ぎをしている間に、今年の4月に拙者が登ったサラクサク峠では、戦車を失い歩兵化した戦車第2師団の将兵と配属部隊の将兵が防御陣地を構築したのである。
祖父たちがサラクサク峠に到着した時には兵力は80名ほどまでに減っていたという。
ここからサラクサク峠までの間に約500名が戦死したということになる。

当時の山道は、多分、戦闘中に米軍のブルドーザーで拡幅されたと思うが・・・
今では、その道も崩落して殆ど痕跡を留めていないらしい。
“ドミンさん”が後から橋を渡ってやって来た。
来年当たりに、ここからサラクサク峠に向かって道路が開通するという。
しかし・・・9年前にも同じようなことを言われた記憶があるのだが・・・(笑)
今回は本当に道路が出来るのであれば、是非、そこを走ってみたい。
戦後の遺骨収集団もここでは遺骨収集をしていないようである。
ということは・・・500名もの祖父の部下たちが眠っているのである。
是非、慰霊をしてあげたい・・・・


より大きな地図で 米第32師団の記念碑 を表示


旅行 | 16:42:09 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(8)
先ほどの地元の人たち・・・
拙者が「山下財宝」を探していると思ったらしいと“ステラさん”が言う。
日本人を見たら・・・「山下財宝」探し・・・・
つまり・・・「トレジャー・ハンター」だと思ってしまうところがフィリピンらしい。
なにせ、働きもせず一攫千金を狙いたがる連中が多いのだ。(大笑)

「山下財宝」は、現地では「ヤマシタ・トレシャー」と言う。
「トレジャー」とは濁らず「トレシャー」である。
これは第14方面軍の山下大将が、フィリピンに埋めた財宝を指す。
たしかに、大量の貴金属等が持ち込まれたことは事実である。
が・・・そんなものが簡単に見つかるわけがない。(大笑)
小学生の時に埋めたタイムカプセルだって、数十センチ場所がずれたところを掘ったのでは、いくら掘っても見つからないのと同じである。(笑)
偶然、何かの拍子に見つかるという“偶然”に期待するしかない。(大笑)
探して見つかるようなものではあるまい。

車で5分も走ったところに、ビナロナンの三叉路がある。
たしか・・・ここでも何か戦闘があったはずなのだが・・・
思い出せない・・・(大笑)
拙者の勘違いかな?
ここは関係なかったかな?(笑)
とりあえず、念のため、車を停めて写真だけは撮っておく。

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更にサンマニュエルに向かって走る。
このウルダネタとサンマニュエルの間にサントドミンゴという集落があるはず・・・
そこには「サントドミンゴ地区隊」として、一時期、我が戦車第2師団戦車第3旅団長の重見少将がいた。
旅団司令部には九七式中戦車5両、九五式軽戦車1両・・・・
これに機動砲兵第2連隊第3大隊第9中隊の10センチ榴弾砲4門、師団整備隊などが配置されていた。
ここでは何か戦闘があったというわけではない。
ここに「いたことがある」というだけである。(笑)
重見旅団長以下は、ここからサンマニュエルに部隊を引き上げて、サンマニュエルでの決戦に臨んでいる。

本道上を進むが・・・小さな集落が、次々と現れては消え、どれがサントドミンゴなのかわからない。
タブレットの地図にも集落の名前が記されていないのでわからない。
と・・・目の中に『サントドミンゴ』の文字が飛び込んだ!
「ストップ!ストップ!ここだ!サントドミンゴ!」

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写真の右側にあるのが「サントドミンゴ小学校」である。
ということは・・・ここがサントドミンゴだということだよな・・・(笑)
「良くわかりましたねぇ~」と“ステラさん”が驚いた。
「だって、サントドミンゴ小学校っていう看板が見えたんだもんね!」(笑)

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(サントドミンゴの集落)

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これは・・・マンゴーじゃなくて・・・パパイアの木かな?(笑)

ここを過ぎて、すぐにサンマニエル(サンマヌエル、サンマニュエル・・・どの表記が正しいかわからないが・・・)の町に入る。

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ここ、サンマニュエル訪問の目的は、戦車第7連隊を中心とする将兵の慰霊である。
拙者は、ここに来るのは初めてである。
我が戦車第2師団の戦友会の会長は、ここで戦死された戦車第7連隊の前田連隊長のご子息・・・
いつも、どこで慰霊をされているのかを教えていただいた。
その場所に無事に到着できるか・・・
が・・・“ドミンさん”が、その場所を知っているという。
いやぁ~大助かりである。
一応、マエダ会長からは慰霊場所の略地図を頂いているが、うっかり間違えるかもと少々心配だったのである。(笑)
地図と“ドミンさん”の案内とダブルチェックならば大丈夫だろう。
“ドミンさん”が「ここでいつも慰霊をしている」と場所を教えてくれた。
確かに間違いない・・・略図の通りである。

で・・・問題は、拙者のほうである・・・
お線香を持ってくるのを忘れた!(大涙)
いつも、スーツケースの中にはお線香を入れたままにしているので、確認もせず家を出てきたのだが・・・
なんと!いつの間にかスーツケースから出してしまっていたようである。
いくら探しても、いつもお線香を入れているポーチが見つからない・・・
やっちまったぁ~
大ドジである。
何をしに来たんだ・・・フィリピンに・・・・

というわけで・・・“ドミンさん”が買ってきてくれた蝋燭をお線香代わり(?)に立て・・・
前田連隊長はお酒が好きな人だったので、バギオで“ステラさん”にウィスキーを買ってもらい・・・
これだけで・・・ささやかな慰霊をする。
う~ん・・申し訳ございません・・・(涙)

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我が戦車第2師団は、そもそもは満洲の原野でソ連軍と戦うために訓練をしてきた部隊である。
それがフィリピンへ送られ、米軍と戦うことになったのである。
戦うなら戦車師団一丸となって・・・というのが本望であろう。
それが、各連隊がバラバラに配置され、更には中隊単位で分散配置。
歩兵を掩護しながら夜間に突撃という、訓練を積み重ねてきた本来の形とは全く違う用法で各個撃破されてしまったのである。
戦車の用法も知らぬ方面軍の参謀が命令を出すが、一転二転・・・
いつもの日本軍の悪い癖である。
日本軍が戦争に負けたのは、彼らエリートと呼ばれる、本当は頭が悪い参謀達のせいではないかと思わざるを得ないのである。
現場の判断を重視すればいいものを、余計な口を出し威張り散らしたのだろう。
方面軍の指揮に従うことをためらう重見少将を罷免しようとさえしたのである。
これを庇っていいはずの戦車第2師団司令部は、方面軍と現地との板ばさみになり、どうも積極的に重見少将を擁護しなかったようである。
縦社会というか、官僚主義の弊害というか・・・
結果的には重見少将の部隊を見殺しにしたこととなる。

昭和20年1月9日に米軍がルソン島に上陸した時点での戦車第7連隊の兵力は約870名、戦車は70両であるが、このサンマニュエル地区に集結した時の兵力は約700名、戦車は55両である。
その後のウルダネタ、ビナロナンの緒戦で、約80名の将兵を失い、約50名の負傷者を出した。
特に小隊長以上の幹部将校の多数を失ったため、実際の戦力は半減に近い状態となる。
また、戦車も33両に減ってしまったが、しかも、それは使用不可能な戦車も数両含まれての数字である。
重見少将は、このサンマニュエルを死に場所と決めて死守を命じる。
これに前田戦車第7連隊長も賛同して、ここを“最後の陣地”とした。

昭和20年1月19日午後からサンマニュエル地区に敵の砲弾が落ち始める。
これがサンマニュエル地区の戦闘の始まりであろう。
連日の攻防戦で次々と戦車と兵を失い、最終段階を迎える。
1月27日午後11時過ぎ、総攻撃開始・・・・
参加したのは残存戦車11両・・・
28日の午前0時を過ぎたころ、前田連隊長の戦車が敵弾を受け連隊長は車内で戦死した。
午前2時過ぎごろ、前田連隊長の突撃とその最期の様子を見て、重見少将は旅団長用の戦車に乗り込み、突撃を敢行するが、たちまち敵の砲弾を浴び重見少将も戦死したという。
陸軍の高級将校の中で、敵に向かって突撃を敢行して戦死した人は、重見少将だけではなかろうか?
壮絶なる最期・・・である。
この攻防戦で、かろうじて生き残った戦車は3両・・・
この3両に負傷兵を乗せ撤退・・・・
これをもって、サンマニュエルの攻防戦は終焉を迎え、戦車第7連隊は実質壊滅した。

お供えしたウィスキーを地面に撒いて慰霊とする。


より大きな地図で 戦車第7連隊の慰霊地 を表示


旅行 | 15:32:11 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(7)
今日は、バギオから山を降りて、サンマヌエル(サンマニュエル)を経由してクラークに向かう。
“ドミンさん”が同行してくれるという。
昨日、多額の(笑)「お香典」をあげたからなのかな?(笑)

朝食をとり、ドライバーと“ドミンさん”とホテルで合流・・・
午前8時、チェックアウト・・・・
まず、バギオ市内の慰霊碑に立ち寄る。

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この『英霊追悼碑』はバギオ市、バギオライオンズクラブ、フィリピン慰霊碑建立協賛会によって、1973年2月21日に建立されたものだそうである。

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この『英霊追悼碑』は、きちんと管理者がいて、いつも門が閉まっている。
早朝なら管理者がお掃除に来るので、お参りが出来る。
今日も、グッドタイミングでお掃除の人が来ていて門が開いていた。
碑の周囲には花が飾られ、フィリピンでもここまでキチンと整備されている慰霊碑は、ここだけではないかと思う。
管理者からこの碑に関する資料をいただいたので、チップを少々奮発する。(笑)
キチンと資料まで作ってるんだから大したものである。
英霊も喜んでくれているだろう。
慰霊碑は、こうありたいものである。

バギオから、昨日通った、ベンゲット道(ケノン・ロード)を走る。
昨日は、時間がなく、キャンプ・セブンにある展望台に立ち寄らなかったので、立ち寄ることにした。

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ここからのベンゲット道(カノン・ロード)の景色がいいというのだが・・・
それほどではないような気が拙者はしますけど・・・・(笑)

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標高が高いので、松林が多い・・・・
南国のフィリピンに松の木というのは意外だが・・・(笑)
どことなく日本のどこかの山の中に来たような錯覚を覚える。(笑)
バギオ市内も松林が多かったが、以前より家が増えたようで、松の木が少なくなったのは残念である。

ここには「ケノン・ロード」と、その名を残す「ケノン大佐」の銅像が建っている。
う~ん・・・日本人としては、チョット不満・・・(笑)
出来れば、この道路を開通させた日本人労働者の銅像を建ててもらいたいものである。(笑)

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092_convert_20121102235502.jpg(バギオ市のマーク)

山を下り、約1時間半・・・・
ビナロナンという町に入る。
ここも我が戦車第2師団の戦場跡である。
ここには戦車第7連隊の第4中隊(高木大尉)と第5中隊(伊藤少佐)、機動歩兵第2連隊第1大隊(板持少佐)などの部隊が展開していた。
第4中隊の戦車12両は、昭和20年1月16日夜、リンガエン湾の米軍上陸地点に向けて、機動歩兵第2連隊第1大隊の機動歩兵とともに突撃を敢行する。
我々が到着したのは、ビナロナンの当時の市街地だと思う。

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写真の左側の道を向こうに向かうと、ビナロナンの十字路がある。
そこが突撃部隊の集結地で、そこから西に向かったのである。
我々はこのあと向かうサンマニュエルに向かうため、市街地のほうへ向かう道に入ってしまった。
が・・・ドコモのタブレットで地図を見ていたので、現在自分が走行している場所がわかる。
今回もタブレットのおかげで大助かり。
「その先にT字路があるはずだから、そこで車を停めて!写真を撮るから!」

午後11時、夜襲をかけた戦車第7連隊第4中隊は敵の対戦車砲等の猛砲火を浴びる。
指揮班長の上路中尉の九五式軽戦車は敵の砲弾を受け火達磨となり、車内から誰かの叫び声が聞こえたという。
高木中隊長の戦車は炎上する前後の戦車に挟まれ身動きが取れない。
高木中隊長は歩兵出身だったためか、砲塔から頭を出して銃で狙撃していたらしいが、敵弾の直撃を受けて戦死。
敵陣を突破したのは、小林小隊長率いる戦車2両・・・
あとから中隊主力が追いかけてくると思って待っていたが追いかけてこないので引き返した。
その途中、1両が敵弾で炎上・・・生還したのは1両のみ。
結局、この夜襲で、第4中隊の戦車兵60名中、中隊長、指揮班長以下約20名と戦車4両を失う。
残った戦車8両はここから東にあるサンマニュエルに後退した。

この夜襲を行なった我が戦車第2師団の戦車第3旅団長である重見少将と戦車第7連隊長の前田中佐は、山下奉文大将の第14方面軍からの戦車の夜襲については反対意見を持っていた。
歩兵と共同して、夜襲をするなどは戦車の用法としては間違いである。
本来の戦車の用法はそのスピードを生かして戦場を縦横無尽に走り回り戦うことだろう。
真夜中の真っ暗い中、歩兵に速度を合わせて・・・などというのは論外な話である。
結局、重見少将たちの思ったとおり、この夜襲は失敗した。

ビナロナンの十字路の戦いで第4中隊はサンマニュエルに後退したため、米軍は日本軍を駆逐したと思ったのだろう。
安心していたところ、伊藤中佐率いる第5中隊の戦車8両が攻撃を仕掛けてきた。
本来は12両編成だが、第3小隊などの4両は、ウルダネタの戦車第7連隊本部へ派遣していて戻って来ていない。
突然現れた日本軍の新手の戦車に米軍は大混乱となる。
その混乱に乗じて戦車砲、機銃を米軍の戦車やトラックに浴びせる。
ちょうど日本軍の10センチ榴弾砲も近くに配置されていたが、この砲は米軍のM4シャーマン戦車を砲撃、炎上させている。
多分、「乱戦」となったのではないだろうか?

中隊長の伊藤中佐は、戦車学校の射撃学生出身で射撃が上手い。
そのため、本来の射手と交替して自分で射撃を担当していたらしいが、敵の砲弾の破片を頭に受け、戦死してしまった。
周囲が暗くてよく見えないので、操縦手の猪塚曹長が窓を開けて操縦していたため、砲弾の破片が車内に飛び込んで2人を戦死させたのではないかと言われている。
確か・・・伊藤少佐のお墓は佐賀県の唐津にあったと思う。
慰霊碑か顕彰碑か何かも建立されているらしいが、拙者はまだ訪れたことはない。
機会があったら一度お参りしたいなと思っている。

この第5中隊も奮戦し、敵に多大な損害を与えたらしいが、結局、戦車8両は全滅してしまった。
このため、夜が開けると全滅しかねないということで、この機動歩兵第2連隊第1大隊長の板持少佐の「板持支隊」を中心とする「ウルダネタ地区隊」は、サンマニュエルに後退する。

この我々が立っているT字路は、ちょうどサンマニュエルに向かう路である。
これより西で戦闘があったのだろうが、そこへ向かうとなると、逆方向へ戻る形となるので、あえて行くのをやめる。
わざわざ戻って何を見たいのか?・・・と他の3人は思うだろうし、「え~行くんですかぁ~」と嫌な顔をするかもしれないから・・・(大笑)
次回、機会があったら十字路付近を探索してみたい。

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T字路地点からサンマニュエル方向を見る。
このあたりに機動歩兵第2連隊第1大隊は、突撃前に、いたのではなかろうかという気もするが・・・

T字路地点で一服・・・
そこへ“輪タク”のオヤジなど地元の人が寄ってきた。
なにせ、日本人だから目立つのだろう。(笑)
地図を見ながら、あっちを向いてパチリ、こっちを向いてパチリと写真を撮っているから「不審な行動」と思ったのかもしれない。(大笑)
何だかんだと話しかけてくる。(笑)
写真の右に見える街路樹・・・・
何という名前だったか、教えてもらったのだが忘れてしまったが・・・
地元の人が、この木は、スペイン統治時代からここにある木だという。
すごい歴史がある木だそうで・・・(笑)
周囲からも「そうなんだ、それでね・・・」と大騒ぎ・・・
残念ながら拙者は植物学者ではない・・・(大笑)
興味がないのだが・・・どうも、日本で言う所の「天然記念物」か「名木百選」とか、何かに指定されているのだろう。
「この木を見てくれ、これはね・・・」と説明がうるさい。(大笑)

戦前からこの街路樹があったとすると・・・
攻撃に行った日本兵たち、撤退をした日本兵たちもこの木を見たのかな?
この木も、我が戦車第2師団の活躍を見ていたのかも?

このT字路のところに「野外公会堂」がある。

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ここの公衆便所・・・有料である。(笑)
入り口に若い女の子がいて、“料金”を取る。
たしか5ペソ(10円)ぐらいだったと思うが・・・(笑)
お金を取るだけに、内部は綺麗である。
雇用創出にもつながるから日本でもやったらどうだ?(大笑)

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トイレに行って出すものを出したら、のどが渇いた・・・(大笑)
「どこかでミネラルウォーターを買いたいんだけど・・」と言ったら、地元のトライシクル(輪タク)のオヤジがお店まで乗せて案内すると言う。(笑)
“ドミンさん”が拙者の代わりに買い物に出かける。
その間、拙者は木陰で一服・・・(笑)

飲み物も入手したし・・・さて、行きますか!
地元の方々に挨拶して車に乗り込み、次に向かう。(笑)


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旅行 | 10:00:48 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(6)
午後4時半、バギオ市内のホテルに戻り、チェックインをする。
9年前にもここに泊まった。
いやぁ~久しぶりだなぁ~

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“ステラさん”がチェックインの手続きをしている間に、“ドミンさん”を物陰に呼び寄せる。
彼の奥さんが2年ほど前にお亡くなりになっているので「お香典」を持参してきた。
フィリピンでは「お香典」などというのがあるのかどうかは知らない。
キリスト教だから、そういうものはないかもしれないが、何かしらの「香典」は渡すんじゃなかろうか?(笑)
キリスト教の場合のしきたりは全然知らないが、拙者は日本人ですから・・・(笑)・・・日本の香典袋に入れて、「これ、日本のスタイルだから・・」と渡す。

「香典」は、condolence payment ではないかと思うのだが・・・
この condolence(コンドウレンス)という単語が覚えられないんだよなぁ~(大笑)
これを言わないと、何を渡されたのか彼はわかるまい?
「御霊前」の文字は読めないんだから・・・(大笑)
もう何日も前から暗記しようと努めているのに、全然記憶に残らない・・・
若いときから暗記は苦手だったが、歳を取ったら更にヒドイ・・・(大笑)
「ちょっと待って!」とメモ帳を持ち出し・・・読み上げる・・・(大笑)
もう、これしか方法がない・・・(大笑)
“ドミンさん”は、わかってくれたようなので助かった。

さぁ!コーヒーを飲もう!
もう、コーヒーが飲みたくて仕方がないのだ。(笑)
4人でホテルのレストランでコーヒーを飲みながらおしゃべり・・・
が・・・これが大変・・・
まず、拙者以外はみんなタガログ語で話しをする。
で・・・拙者に聞かせたい話は英語を使う。
が・・・4人でおしゃべりが進むと・・・
拙者と“ドミンさん”が英語で会話をしている中を、ドライバーと“ステラさん”がタガログ語で話す。
普通でも英語のヒヤリングは苦手なのに、タガログ語の“雑音”から英語を聞き取るのは至難の業である。
それに加えて、“ステラさん”が急に日本語で話しかけたりするから・・・拙者は混乱する。
もう会話は滅茶苦茶!(大笑)

その昔、“ドミンさん”と一緒に旅をしたときの思い出話に花が咲く。
山の中で心臓発作で倒れた時の話をしたら、ドライバーが大笑い。
「オ~マイ、ゴッド!だったんだぜ!」
「そう、そう、あの時はね・・・・」と当時のことを“ドミンさん”が語る。
“ドミンさん”は82歳・・・拙者の親父より2歳年下である。
以前から心臓が悪かったそうで、以前、ある日本人から『救心』という薬をもらったが、あれは良く利くと、“ドミンさん”が言うので、その時、拙者はお土産に『救心』を持っていって渡したのである。
が・・・発作で倒れたとき・・・
「おい!ドミン!俺がプレゼントした薬はどこにあるんだ!」と拙者が尋ねたら「ハウス・・・」って言ってさぁ~「オ~マイ、ゴッド!」だぜ・・・・と話したらみんなが大笑い。
いやはや笑い話で済んで良かったが・・・
「俺の心臓のほうがドキン、ドキンだったんだぜ!」(笑)
ワイワイガヤガヤとタガログ語と英語と日本語でのおしゃべり大会である。

本来のバギオ訪問のメインの目的は、サラクサク峠を登る時に、いつも宿泊している“オマリオさん”の家の息子“ジェイソンくん”にお金を渡すことである。
彼がカナダに「出稼ぎ」に行くので、資金援助をしてくれというので渡すことになっている。
事前にメールで連絡はしておいたのだが、彼からの返信がなかったので、“ステラさん”に電話をしてもらい、ホテルに来てくれるように頼んでおいた。
午後6時前・・・
“ジェイソンくん”家族がやって来た!
「いやぁ~久しぶり!」
“ジェイソンくん”と奥さん、2歳の娘に生後9ヶ月の娘、それに奥さんの妹さんの5名である。
食事会をするから家族を連れて来いと言っておいたのである。

“ステラさん”が「いくらぐらいの予算でやるんですか?」と拙者に尋ねる。
拙者は経済観念のない“お坊ちゃま”である。(大笑)
「全て任す!適当に頼んで!」(笑)
「そう言われても・・・」
「じゃぁ、一人200ペソくらいで、足りなかったら追加注文しよう!」(笑)
9人での中華料理の食事会・・・・
(写真を撮るのを忘れて残念だが・・・)
2歳の娘には、マニラのレストランで“おまけ”としてもらった蝶の形のクッションをプレゼントする。
意外にも、大喜びをしてくれたので助かった。(大笑)
“ジェイソンくん”にはみんなが見てない場所で、コッソリとお金を渡す。(笑)
なにせ、マニラの両替商のところでペソに両替してきた大金だから封筒が厚くなってしまい、コッソリ渡すタイミングが難しい。(大笑)
彼は間違いなくビザが下りればカナダに出稼ぎに行くと言い、カナダの雇い主からの(?)証明書類を持参してきていて、それを拙者に見せてくれた。
そんなことをしなくても大丈夫なのに・・・昔から拙者のほうが世話になっているんだから・・・(笑)
彼が子供の頃から知っているので、カナダ行きが本当かどうかなんて疑ってもいなかったが・・・
彼は嘘だと思われたくなかったのだろう・・・
真面目な男である。

「日本では何の仕事をしているんですか?」と“ジェイソンくん”
彼の英語は早口で聞き取りづらい・・・
「はぁ?何?」
「仕事・・・・」
「仕事って?俺の?廃業したって話しただろ?」
「で・・・今は何の仕事をしてるんですか?」
「してないよ・・・・何も・・・・」(笑)
「え!・・・・」
彼は拙者が自分の会社を廃業した後、何か他の仕事をしていると思っていたらしい。(笑)
まぁ、普通、そう思うよなぁ~(大笑)

彼との会話は、なかなか弾まない・・・

「お前とのメールのやり取りは辞書を使っていたから出来たけど、今、辞書がないから俺は英語が話せないんだ。わかる?」である。(大笑)
すごい言い訳である。(大笑)

夜も7時を過ぎたので、ここでお開きとする。
子供というのは面白いもので・・・・
恥かしがっていたのに、帰るとなったら元気良く「バイバ~イ!バイバ~イ!」と叫び続け、拙者に投げキッスをする。(大笑)
いやぁ~子供って本当に可愛いものである。
国籍なんて関係はない・・・
どうして大人になると、そういうわけにはいかなくなるのか・・・どこで変わってしまうのか・・・

“ジェイソンくん”には「カナダでがんばれよ!」と送り出す。

さて、問題は、ドライバーの本日の宿泊である。
ホテルに部屋を取ろうと思ったが、“ステラさん”がホテルは値段が高いから、“ドミンさん”の家に泊めてもらったほうがいいのではないかと言う。
本人たちもケロケロとして、それでいいと言う。
わからん・・・“ドミンさん”とドライバーは初対面なのに?(笑)
こういうところがフィリピン人のオープンなところというか、フレンドリーなところというか・・・
日本ではこういうのは考えられないと思うんだよね~(笑)
いずれにせよ、“ドミンさん”のおかげでドライバーの宿泊の問題は解決した。(笑)

バギオという町は高所にあり涼しい・・・・
というわけで、部屋にはクーラーはない・・・(笑)
扇風機があるのみ・・・
風呂にはバスタブがなくシャワーだけというのは、日本人としては、ちょっと寂しいが・・・(笑)
まともにお湯が出てくれるので問題はない。
全室禁煙だそうだが、ベランダが付いているので、ベランダでタバコを吸う。

今日もまたマッサージを呼ぶ。(笑)
9年前に来た子はヒドイ子だった・・・(大笑)
今回も・・・若い女の子・・・(笑)
ニコニコしながら「2時間やりませんか?」と、いきなりの押し売りである。(大笑)
で・・・「韓国人ですか?」と聞く。
またもや・・・である。
なんで拙者は韓国人に間違われるのだろうか?(大笑)

9年前には韓国人なんて見かけなかったが・・・
今回来てみたら、ハングル文字のレストランはあるわ・・・
韓国人が歩き回っているわ・・・
とにかく韓国人が増えたようである。
だから、韓国人に間違われたのかな?(笑)
拙者の顔が四角いからじゃないよね?(大笑)

9年前の悪夢が甦る・・・
「スペシャル・サービスはどうですか?」と言われ、断ったら半分の30分で帰られてしまったのである。
しかもチップとタクシー代も寄越せというので、もめたのである。(大笑)
この子も、そうなのではないかという一抹の不安があったが・・・
なんと・・・真面目に2時間、キッチリとマッサージをしてくれた!(大笑)
おお、大したものだ!
1時間、550ペソ(約1100円)なので、2時間で1100ペソである。
真面目にキッチリとマッサージをしてくれたので、チップを奮発して、400ペソ(約800円)!
合計1500ペソ(約3000円)を、「チップを含めてあるからね」と言って渡したのだが・・・
彼女は「両替できません」と言う。
「両替?なんで?チップも含めてあるって言ったでしょ?マッサージ代は1100ペソ、チップが400ペソ!」
「ええっ!チップをくれるんですか!」と彼女が驚く。
こっちのほうが驚くわい!(大笑)
チップをもらって驚くフィリピン人なんて滅多にいないぞ・・・
普通は、ろくな仕事もしないのにチップを欲しがる奴が多いのである。(大笑)

旅行 | 20:44:34 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(5)
バギオ市内に向かってナギリアン道を登る・・・・
市内に入る手前に「日本人墓地」がある。
明治の末に、ベンゲット道建設のため移住し、病や事故で亡くなった方々が葬られている場所である。
ここにも立ち寄ることにした。
9年ぶりの再訪問である。

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(ナギリアン道から見た墓地)

当時は「日本人墓地」と呼ばれていたが、現在では現地人の墓が増え、日本人の墓石はわずかに残るのみ。
現在では『パブリック墓地』となっている。
当時の「日本人墓地」の規模がどのくらいかはわからないが、この墓地も激戦地である。
バギオ市内に入る米軍を阻止する“最後の砦”だった。

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現在残っている「日本人墓地」は、この狭い一画のみである。
墓石は戦前のものである。
ここには「先亡同胞諸精霊菩提塔」というのが建っている。

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この塔は大正11年5月1日にバギオ日本人会によって建立されたと刻まれている。
が・・・更に・・・
「内閣総理大臣 陸軍大将 男爵 田中義一閣下 寄建」とも刻まれている。
田中義一総理大臣が寄贈したということなのだろうが・・・
大正11年の時点で、田中義一は陸軍大将ではあったが、総理大臣ではない。
陸軍大臣を務めていたが、大正10年に辞任している。
彼が軍人から政界へ転じたのは大正14年になってからで、昭和4年になって内閣総理大臣となっている。
ということで・・・建立したとされる日付と合わない・・・(笑)
これは昭和に入ってから再建したということか、それとも後から総理大臣の名前を拝借して刻み込んだのか・・・

ナギリアン道のイリサンにおける戦車特攻とイリサン橋周辺の戦闘で、米軍は約1週間ほど足止めを食ったらしいが、米軍は日本の防衛線を撃破して更に進撃してきた。
ベンゲット道のキャンプ・スリーで戦っていた歩兵第71連隊は、第23師団(旭兵団)の命令により、昭和20年4月19日、イリサン方面に転用される。
が・・・この段階では既にイリサン方面の戦闘は最終段階・・・
バギオの防衛戦に投入されることとなる。

戦車特攻を行った、我が戦車第2師団(撃兵団)の戦車第10連隊第5中隊(桜井中隊)は、昭和20年4月23日に、第14方面軍の命令により、この「日本人墓地」に出撃した。
この時の桜井中隊の手元にあった戦車は、九七式中戦車2両、九五式軽戦車1両の合計3両・・・
しかし、九五式軽戦車は故障のため使えず、結局九七式中戦車2両だけの出撃となった。
情けないことに、この2両の戦車がバギオ防衛の切り札なのである。
対する米軍のM4シャーマン戦車は60両ほどが進撃してきたという。
悲壮な出撃と言わざるを得ない・・・
桜井中隊長は、中隊の総力をもって出撃することを決し、戦車に乗らない中隊員約60名は、蒲団爆弾を抱えて敵戦車に肉弾特攻をすることとなった。
これら「肉攻班」は白鉢巻を締め、自動貨車(今で言うトラック)2台に分乗して出撃したという。

途中で、キャンプ・スリーから撤退してきた歩兵第71連隊の「肉攻班」を指揮下に入れる。
この肉弾特攻をする歩兵たちは第10中隊(中隊長:大山正一中尉)の兵達である。
彼らも従えて、車体に火薬入りのドラム缶を括り付けた戦車2両が「日本人墓地」に向かって進む。
昭和20年4月22日の朝・・・
米軍がナギリアン道の周囲、崖の斜面などに対して砲撃を開始する。
道路の脇、崖の斜面に蒲団爆弾を抱えて待機している「肉攻班」がいると見ての砲撃だったのだろう。
22日の夜になり・・・
桜井中隊以下の特攻隊は、「日本人墓地」にまで進出して露営していた米軍に対して特攻攻撃を敢行!

桜井中隊長は、部隊を2つに分ける。
右側を進むのが中隊長車の戦車1両と「右肉攻班」・・・・
左側を進むのは、もう1両の戦車と「左肉攻班」・・・

この時、桜井中隊の中隊長、桜井隆夫大尉は戦車に乗らず、白鉢巻と背中には十字に白襷をして徒歩で戦車の前を歩き、後続してくる右側を進む戦車と「右肉攻班」の指揮をとった。
夜間の戦車の移動は難しく、徒歩で誘導したほうが良いと見てのことだったのだろう。
そして・・・「日本人墓地」に突っ込み乱戦となる。
桜井中隊長は、左胸に敵弾を受けて戦死・・・
桜井大尉の遺体を2両の戦車のうちの1両、中隊長車の上に乗せて、更に突っ込む。
左側を進むもう1両のほうは、途中で穴に落ちて動けなくなり、その場所から戦車砲と機銃を撃ちまくったという。
この戦車に乗っていたのが誰だったのかは資料が残っていないので残念ながら不明である。

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桜井中隊長の遺体を乗せたまま走り回ったのは・・・このあたりか?
向こうに見える家の建っている小山は日本軍の防衛陣地跡である。

桜井中隊長の遺体を乗せた「右攻撃隊」の戦車は、「日本人墓地」からナギリアン道へ出て逃げるM4シャーマン戦車を追った。
この時に、山の裾野に隠れていたM4シャーマン戦車に至近距離から横っ腹を撃たれ、桜井中隊長の遺体を乗せたまま炎上したという。
この戦車を指揮していたのは松下康治少尉・・・・その他の乗員の名前は資料が残っていないのでわからない。

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(旧・日本人墓地の入り口)

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「日本人墓地」の入り口から見た墓地の前の道(ナギリアン道)・・・・
この道の先のほうで、桜井中隊長の遺体を乗せた中隊長車が敵の攻撃を受け炎上した・・・

もう少し、この周辺を散策して、更には、このナギリアン道を歩いて調べてみたかったのだが・・・
“ステラさん”が嫌な顔をするのである。(大笑)
拙者に万が一のことがあっては・・・と心配するのである。
墓地の中でも現地人が何人も寄ってきて、物乞いしたり、何かを売りつけようとしたりと大変であった。
“ステラさん”としてはサッサと車に乗ってもらいたいらしい・・・(大笑)
拙者としては、寄ってくる現地人を怖いとは思っていないので・・・
別に平気なのだが・・・
それより徒歩で調べねば、当時の状況がわからない。
もう生還者がこの地を案内してくれるなどということはあり得ないのだ。
自分の足で調べねばと思うのだが、それをなかなか許してもらえないのには閉口した。(涙)
車もピタリと拙者に寄り添うようにして走る・・・
写真を撮るのに邪魔になるから付いて来るなと命じて・・・
「もう少し先まで、ちょっと歩いてみるから・・・」と言うと、みんながギョッとした顔をして・・・その後、呆れ顔になる。(大笑)
何がそんなに楽しいのか・・・と思っているのだろうが・・・
拙者の頭の中に浮かんでくるのは昭和20年の当時の様子しかないのである。(笑)

左側から攻撃を仕掛けた「左肉攻班」は藤田秀史少尉(戦後生還)であるが、敵の銃火が激しく動きが取れない。
多分、敵の戦車に近づくことが出来なかったのだろう。
夜が開けてしまったら全滅は必至であるので、夜のうちに闇にまぎれて撤退した。
この時の残存兵力は約40名・・・・
桜井中隊長以下約20名が戦死したため、第14方面軍司令部から原隊(戦車第10連隊)への復帰を命じられる。
生存者たちは自動貨車2両に分乗して「山下道」を使い、北部ルソンのアリタオへ向かう。
「山下道」は第14方面軍の山下奉文大将が作らせた補給路だったようである。
アリタオには兵站基地や病院があった。
この道は、以前は、車も通れないほど荒れ果てて獣道のようになっていたようであるが、最近、車が通れるように道が整備されたという。
いつか、この道を走ってみたいと思う。
「山下道」を使いアリタオに到着した残存兵は、原隊である戦車第10連隊の本隊がサラクサク峠で戦っていることを知り、戦闘に堪えられるもの約20名で現地に向かったらしい。
この頃、サラクサク峠では戦車第10連隊の原田連隊長と、拙者の祖父、捜索第10連隊長が、共同で米軍と戦っていたのである。
この約20名の第5中隊の残存兵達が無事にサラクサク峠に到着したのか、その後どうなったのか・・・資料が残っていないのでわからない。
少なくとも祖父の部隊に配属になったという話は聞いたことはない・・・


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旅行 | 15:00:53 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(4)
キャンプ・スリーの慰霊碑の場所で時刻は午後2時・・・
バギオのホテルには午後2時半に到着予定でいたが、ちょっと間に合いそうもない。(笑)

午後2時半にバギオのホテルで、以前ガイドとして一緒に行動を共にしたバギオ在住の“ドミンさん”と待ち合わせを予定しているのだ。
“ステラさん”を通して事前に連絡をしてもらっていたが・・・
当初、彼の携帯の電話番号が変わったのか、連絡がとれないと言う。
旅行社や“ドミンさん”の親戚などと連絡を取ってもらい、ようやく連絡がついたのである。(大笑)

“ドミンさん”は、拙者が初めて一人でフィリピンに来た時にガイドを勤めてくれた“おじいちゃん”である。
もうあれから11年も経つのか・・・・
が・・・平成17年の旅行以来、彼には会っていない。
この時に、一緒にルソン島の拙者の祖父の陣地跡を訪ね山を登ったが、途中で“ドミンさん”が心臓発作を起こしたのである!
この時は、さすがに、拙者もビックリした・・・
その後、ルソン島に引き続き、レイテ島に渡った時には再発することはなかったが・・・
レイテ島では、車で移動中に“ドミンさん”は居眠りのしっぱなしで、ドライバーからも「これでガイドなのか?」と呆れられた。(笑)
高齢だから、もう一緒に行動するのは無理だろうと思い、それからはガイドを“ステラさん”に変えたのである。

というわけで・・・“ドミンさん”とは7年ぶりの再会である!(喜)
予定より30分も遅れ午後3時にホテルに到着。
“ドミンさん”はホテルの外に立って待っていてくれた!
「おお!ドミン!久しぶり!」(笑)

まだチェックインには時間があるので、“ドミンさん”を乗せて一緒にイリサンという場所へ向かう。
バギオでの目的の一つに、このイリサンへの訪問を入れておいた。
イリサンに向かう山道・・・バギオから下る感じになるのだが・・・

バギオには大きく三方向から町に入る道路がある。
1本は、我々が通ってきた、南からバギオ市内に入る「ベンゲット道」(国道11号線)
もう一つは北からバギオ市内に入る「ボントック道」(国道11号線・バギオ市内を貫いている)
そしてもう一つは西からバギオ市内に入る「ナギリアン道」(国道9号線)である。
我々は、この「ナギリアン道」を下り、イリサンに向かう。

このイリサンという場所のカーブのところで、我が戦車第2師団隷下の戦車第10連隊の戦車2両が、車体の先端に爆薬を装着し、敵のM4シャーマン戦車に体当たり特攻を敢行したのである。
その現場を確認したいというのが、今回、バギオに来た目的の一つである。

“ドミンさん”の案内で、その現場に到着・・・
「ここが、その特攻をした場所だ」というのだが・・・

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なんとなく地形は似ているが・・・腑に落ちない・・・・
イリサン川に架かる橋を渡り、その先の通称「コブ山」というのが道の左側にあり、その先のカーブが現場のはずだが・・・
橋を渡った記憶がない・・・(笑)
確かに左側に「コブ山」っぽい小山があるが・・・拙者の勘が納得しない・・・(笑)
「ドミン!ここは違うんじゃないか?」
「いや、ここだ」と“ドミンさん”が言い張る。(笑)
いや、いや、違うな・・・ここは違う!

ドライバーに、もっと先まで行くように言う。

約5分ほど走ると、前の方に橋らしきものが見えたので、ここで車を止め徒歩で確認する。

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見つけたぞ!(喜)
これがイリサン川にかかる「イリサン橋」である!
標識にもそう書いてある!
ということは・・・この先だな・・・
橋を渡った先の正面に見える小高い山は日本軍の陣地跡である。

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(橋を渡り振り返りバギオ方向を見る)

橋の右側、家が建っているところ、橋の左側の山、いずれも日本軍の陣地跡である。
日本軍はこの橋の周辺を防衛線として、頑強な抵抗をしたらしい。

車を適当な場所に停めて、拙者は徒歩で探すことにする。

“ステラさん”からは、危ないから車で行こうと言われたが・・・・(笑)
車に乗って一気に坂を下られたのでは、見つかるものも見つからない。
ここは徒歩で探さねばなるまい。
頑強な抵抗をして、拙者は道路を歩く・・・(大笑)
渋々、“ドミンさん”と“ステラさん”が後からついてくる。(大笑)

2分ほど歩いたら・・・見えた!
まさしく「コブ山」である!(喜)

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“ステラさん”の話によれば、日本から来る慰霊団は、この「コブ山」のところで慰霊祭をしているという。
しかし、戦車による特攻が行われたのは、正確にはこの場所ではない。
この先のカーブの頂点で敵戦車に体当たりをしたのである。
なんでここで慰霊祭をしているんだろう?
“ステラさん”は「バスが停めやすい場所だからじゃないでしょうか?」と言う。
カーブのところでは危ないから、便宜上、ここで・・・ということなのだろうか?

問題は、この「コブ山」から先である。
生還者が書き残した当時の説明地図では、この先は大きくS字にカーブしている。
しかし、目の前の道は直線・・・・
別の資料では、戦後、直線に変えたというのだが・・・
山側にあるはずの当時の古い道(旧道)を探したら、細い道が山の中に向かって1本見つかった。
が・・・州政府の管理区域らしく立ち入り禁止らしい立て看板が出ていた。
奥をのぞいてみると、鉄扉と、どうも何かの施設らしき建物が見えた。
とりあえず、ここは後で調査するということにして先を急ぐ。

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資料に従えば、「コブ山」の先の一番最初のカーブが体当たりの現場ということになるから・・・
この先に見えるカーブがそうなのかもしれない。

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カーブの頂点辺り・・・・
ここが体当たりの現場か?
このカーブからU字型に道路があったはずなので、山側に旧道がないかと見たが、何も見当たらない。
こうなると、果たしてこの資料が正しいのかどうか・・・・
生還者もしくは関係者の記憶というのもあまり当てにはならないからなぁ~
少々不安になる。

体当たり特攻を行ったのは、我が戦車第二師団の戦車第10連隊第5中隊の戦車である。
通称「桜井中隊」・・・・
連隊からバギオの第14方面軍に派遣され、方面軍直轄部隊(従来の連隊からの命令ではなく、方面軍の命令で直接動く)となった部隊である。
当時のバギオは、フィリピンのゲリラが多くいて、各所でゲリラ攻撃をしていた。
これに対し、戦車1個中隊があれば、ゲリラは戦車を嫌がるので、彼らの動きを制することが出来るだろうということでバギオに派遣されたらしい。
この第5中隊は、フィリピンに来た時、輸送船が撃沈され戦車を全て失っている。
兵達は海から助け上げられたようだが、戦車がないので、フィリピンで補充を受けたが、台数は少なかったようである。
昭和19年12月5日にバギオに到着し、守備に着く。
この時の兵力は九七式中戦車3両、九五式軽戦車2両しかなかった。
昭和20年4月15日、この中から戦車特攻として九七式中戦車1両と九五式軽戦車1両が選ばれた。
特攻隊員は11名・・・・この中には17~18歳の少年戦車兵も含まれていた。

昭和20年4月17日午前9時半ごろ、山道をやってくる米軍に対して特攻を敢行する。
「第1車」は九五式軽戦車・・・・
突撃を敢行した時、敵の先頭の戦車は慌てて方向転換をしようとしたが、誤ってこのカーブから崖下に転落した。
「第1車」は次の戦車の脇を通り抜け、その後ろの戦車に体当たりを敢行!
車外員という戦車の上に乗っていた兵2名は、体当たりの寸前に戦車から飛び降り、蒲団爆弾という座布団のような形をした爆弾を抱えてM4シャーマン戦車に突入することになっていたが、そのうちの一人、中山誉雄兵長(17才)は敵戦車の砲弾を浴びて爆発した砲塔と一緒に飛ばされ、奇跡的に生き残った。
「第1車」の操縦手、平野伊孝軍曹は燃え上がる戦車から飛び出し、敵中に飛び込んでいったが敵の機関銃弾を浴び戦死した。
「第2車」は九七式中戦車・・・・
崖下に転落した戦車のすぐ後ろにいた戦車に体当たりを敢行する。
「第2車」の操縦手、平野国雄軍曹は、燃える戦車から日本刀を抜いて飛び出し、敵陣に突っ込んだが、彼も敵の機関銃弾を浴びて戦死したという。
車外員2人のうちの一人、道清茂軍曹は、突撃前に敵の弾を受け、負傷したので、その場におかれて、近くにタコツボを掘って待機していた「肉攻班」(これも蒲団爆弾を抱えて突っ込む予定の歩兵たち)に収容され、生き残っている。

戦車特攻の編成は以下・・・・
(第1車:九五式軽戦車)
車長:丹羽治一准尉
操縦手:平野伊孝軍曹
銃手:末吉清一伍長
車外員:黒川利美伍長
車外員:中山誉雄兵長(生還)
(第2車:九七式中戦車)
車長:西利良曹長
操縦手:平野国雄軍曹
砲手:浜野音蔵軍曹
銃手:四方驥兵長
車外員:道清茂軍曹(生還)
車外員:田村平一兵長

特攻隊員11名のうち9名がこの体当たり攻撃で戦死した。

沿道にタコツボを掘って敵の戦車に体当たりをする予定の「肉攻班」は、敵の猛烈な機銃掃射を受け、頭も上げられない状態のため、特攻を諦めたそうであるが・・・
壮絶な特攻を目の当たりに見て逃げ出したという話をどこかで聞いたか読んだかした記憶がある。
この特攻攻撃で、米軍のバギオ進入は、かなり遅れたそうである。
時間稼ぎにはなったが、犠牲は大きかった・・・
このイリサンでは約6日間に亘って攻防戦が展開されたらしい。
バギオから、とにかく健康な兵士を1500名以上送り出したそうだが、戦場に到着した兵は500名程度だったらしい。
はて?・・・その他の兵達はどこへ行ってしまったのか?

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カーブの頂点から、西方向(米軍がやって来た方向)を見る。
当時は今より道路幅は狭かったと思うが・・・・
やって来たのは、M4シャーマン戦車を先頭にした米歩兵第148連隊の2個中隊の車列だったと思う。
この道にズラリとトラックが並んだのだろう。

気になるのは、体当たりをした戦車のことである。
道路上には炎上する日米両戦車4両が道を塞いでいたはずである。
これを撤去するとすれば、崖下に突き落とすという方法を取ったのではあるまいか?
ブルドーザーとかM4シャーマン戦車で押して・・・・
もし、そうなると、このカーブの崖下に日本軍の戦車が今でもあるという可能性があるのではあるまいか?
車内には戦死した戦車兵の遺骨が今も残っているのではあるまいか?
道路上で戦死した戦車兵の遺体も崖下に投げられた可能性もある。
戦後、戦車を崖下から引き上げるなんていう面倒なことはしなかったのではあるまいか?
そう思うと、今も崖下の樹林の中に眠っているような気がしてならないのである。
確かめる術はないだろうか・・・・

念のため、このカーブの先までずっと歩いてみる。
もしかして、同じような景色があったら、拙者の勘違いということになる。
が・・・小さな集落が現れてきたので、ここで諦めて戻ろうとしたら・・・・
どうやら“ステラさん”が携帯電話で運転手と連絡をとったらしい。
車が迎えに来た!(笑)
もうこれ以上、歩かされたら堪らん・・・ということなのかな?(大笑)

帰り道、歩きながら旧道を探したかったのだが・・・・
車が迎えに来たのでは無視はできない。(涙)
やむなく、車に乗り、バギオ方面へ坂道を登る・・・
一気に走るので、やはり車内からは確認できなかった・・・・(涙)
また機会があったら、もう一度訪れて再調査したいと思う。


より大きな地図で イリサンの戦車特攻地点(推定) を表示


旅行 | 13:59:58 | Comments(0)
半年ぶりのルソン島(3)
ウルダネタを出発して北上、約1時間後、ロザリオという町の手前のレストランで食事をする。
時刻は午後1時・・・

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今回の旅では、基本的に食事代は含まれていない。
食事代は現地で直接拙者が支払うことになっている。
拙者とガイドの“ステラさん”、ドライバーの“ラオルくん”の3人で約600ペソ(約1200円)ぐらいだったと思う。
下手に食事代が旅費に含まれてしまうと、自由が利かない・・・
現地払いにしておけば、皆と一緒に好きなものが食べられる。(笑)
というわけで・・・拙者は基本的に食事代は含めないようにしてもらっている。
“ステラさん”は「食事代はいくらぐらいを考えていますか?」と拙者の予算を気にするのだが・・・
拙者は経済観念のない“お坊ちゃま”である。(笑)
「いくらでもいいよぉ~!食べたいものを食べよう!」と答えるので、彼女は毎回、食事の内容に苦慮してる。(大笑)

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レストランの前の道・・・
ここを向こうへ(北へ)向かって進む・・・・

まもなく山道に入る。
この道路は、「ケノン道路」と呼ばれている。
アメリカのケノン大佐が、この道路の開削の指揮をとったので、その名が付けられたのである。
バギオに向かうこの道路の開削には、多くの国の労働者が投入された。
フィリピン人、中国人、カナダ人、ハワイアン、メキシコ人、インド人、チリ人、ペルー人、スペイン人、イタリア人、ロシア人、ドイツ人、フランス人、ポルトガル人、スウェーデン人・・・等々・・・
しかし、どこの国の労働者を使っても上手くいかなかったそうで、最終的に日本人移民労働者が、これに当たり、多くの犠牲者(700名といわれている)を払って、1905年(明治38年)に、この道路が開通したのである。
日本側は戦時中、この道路を「ベンゲット道」もしくは「国道11号線」と呼んでいた。
バギオはベンゲット州なので、ベンゲットと名付けたのだろう。
「ケノン道」とは言わない・・・・
“ステラさん”が「アメリカの大佐の名前が付いている道路だから嫌だったんですかね?」と笑う。
多分、そうだろうなぁ~(笑)

山の斜面を削って道路を作ったのだろうが、今ではかなり広く良い道路になっている。
が・・・一部、まだ狭いところもあり、また、工事中のところが何箇所もあり片側通行の場所も多い。
拙者が、昨日マニラに一泊したのは、実は、このためなのである。
マニラに到着してから真っ直ぐバギオに向かっても行けない事はないのだが、この山道に達した頃には真夜中近くになる。
こんな崖の斜面を走る道路を夜間には走りたくない。(大笑)
ひとつ間違えれば、奈落の底に転落する。
実際、時々事故も起こっているようである。
命をかけてまで急ぐ旅ではないので・・・(大笑)
マニラに1泊して、午前中に出発するという旅程にしたのである。

042_convert_20121025111625.jpg(慰霊碑のある場所)

キャンプ・スリーという場所に日本軍の慰霊碑がある。
歩兵第71連隊会が昭和57年3月16日に建立したものである。
山の麓からキャンプ・ワン、ツー、スリーと上に向かって“キャンプ”という名称が残っている。
たしか・・・キャンプ・セブンまであったと思う。
これは、多分、この道路を開削する労働者のキャンプ(日本流で言えば飯場)の名残なのかな?

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このキャンプ・スリー周辺には、第23師団(旭兵団)の歩兵第71連隊がバギオ防衛のために展開していた。
鹿児島の兵達である。
バギオは日本で言う所の軽井沢のような場所で、避暑地である。
戦前には、フィリピン政府は夏はここへ移動して、バギオで政務を行っていたという。
現在ではエアコンが完備されているから猛暑のマニラから政府が移動するということはないが・・・(大笑)
ダバオにはフィリピン防衛の指揮をとる山下奉文大将の第14方面軍が移動していた。
このバギオを攻撃するために米軍が山を登ってくる・・・
(主力は米歩兵第136連隊だと思う)
それを途中で迎撃するのが歩兵第71連隊の使命・・・・
この連隊の他にも第23師団隷下の部隊も展開していたようである。

039_convert_20121025121311.jpg(キャンプ・スリーの橋)

キャンプ・スリーの橋梁地区に第23師団工兵第23連隊の一部が配置されていた。
(ということは・・・このあたりかなぁ~という気がする)
昭和20年3月17日の夜、ここ地区の手前に展開していた第23師団歩兵第64連隊の正面に米軍が攻撃を仕掛けてきた。
これに対して工兵隊は斬り込みを敢行・・・
敵の戦車数両を破壊し敵兵数十名を殺傷したが、斬り込みを敢行した工兵隊員は全員戦死した。

ここキャンプ・スリーは激戦地であったのである。


より大きな地図で キャンプスリーの慰霊碑 を表示


旅行 | 12:30:17 | Comments(0)
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